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本尊と曼荼羅
466
:
乾闥婆
:2005/11/18(金) 19:23:06
犀角独歩さん、ラスカルさん。
>受持即観心
これまた真蹟に載らない用語です。
ちょっと驚いたのですが写本遺文にもないようですね。いつごろから使われるようになった成句なのでしょうか。受持即観心の根拠は結局のところ観心本尊抄の「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等、此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与えたもう」になるようです。
「此の五字を受持すれば」ということも、具体的にどういうことを言っているのか、よく分かりません。観心といっても、蓮祖と天台では違うのでしょうか。犀角独歩さんから勧められました小止観を読んでみましたが、そこで語られる「観を修す」ることとは、心を観ることにより、「諸法の実相」を観、そのことによって現実世界への執着を解体するようなもの、と読めました。どうも蓮祖のイメージと違うようなのですが、天台においても小止観と摩訶止観では違ってくるのでしょうか。それとも蓮祖の受け止め方が異質なものなのでしょうか。蓮祖においては己心に仏を見るといったように感じられるのですが。
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