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本尊と曼荼羅
409
:
一字三礼
:2005/05/19(木) 17:49:33
犀角独歩さん
> いわゆる経典というものが、それまでの暗誦伝承に取って代わっていった経過というのは、インド独自のものではなく、たぶん、西の影響を受けていたのではないのかと思えます。
ご指摘に賛同します。
西の影響、もっと言えば世界的な潮流であったのではないでしょうか。
大乗仏典が文字化・典籍化された理由には、宗教文化圏の拡大が考えられます。世界規模で交易が盛んになり、異国・異文化圏にまで仏教が拡大していく過程で、暗誦伝承から成文化への変化は必然だったのでしょう。
蓮祖の題目行について
「南無妙法蓮華経」だけで成仏できるという発想の根拠は、法華経の一偈一句の受持にもとめられるのではないかと考えます。
「仏前に於て妙法華経の一偈一句を聞いて、乃至一念も随喜せん者は我皆記を与え授く。当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。」(法師品第十)
「是の清浄の意根を以て乃至一偈一句を聞くに、無量無辺の義を通達せん。」(法師功徳品第十九)
教えのほんの一部分を聞いただけで、成仏が約束されたり、全てを理解することが出来るとするくだりです。この教説は、法華経のみならず他の大乗経典にも散見されます。
「もし、善男子善女人有りて、七宝を以て、そこばくの恒河の沙の数ほどの三千大千世界を満たし、もつて布施せんに、福を得ること多きやいなや。須菩堤言う、甚だ多し、世尊よ。仏、須菩堤に告げたもう。もし、善男子善女人ありて、この経の中において、乃至四句の偈等を受持して、他人のために説かんに、しかもこの福徳は前の福徳に勝れたり。」(金剛般若波羅蜜経)
実際にこれらの経典からランダムに一偈一句を抜き出しても、それだけでは意味の通じない箇所も当然あります。結局は、この一偈一句の受持を重んずる教説の意味は、いわゆる須利槃特の故事の拡大解釈ではないでしょうか。
「善哉善哉、汝等但能く法華の名を受持せん者を擁護せんすら、福量るべからず。」(陀羅尼品第二十六)
直接の題目受持の根拠は、この陀羅尼品にもとめられるのでしょう。
しかし、その意義としては法華経の一偈一句受持と不軽菩薩の但行礼拝の精神ではないかと愚考します。
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