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本尊と曼荼羅
419
:
問答迷人
:2005/05/24(火) 22:18:13
>本門の肝心が題目であるということと、本門の題目というのは、論理的には相違がある
なるほど。そうですね、迹門の題目という表現は確かに見当たりません。
僅かに、関連するものとして、下山御消息に次のように有ります。
『故に教大師像法の末に出現して法華経の迹門の戒定慧の三が内、其の中円頓の戒壇を叡山に建立し給ひし時、二百五十戒忽ちに捨て畢んぬ。随って又鑒真が末の南都七大寺の一十四人三百余人も加判して大乗の人となり、一国挙つて小律儀を捨て畢んぬ。』
この場合、『迹門の戒定慧』という表現から、対比関係として『本門の戒定慧』が想定されていたと考える事は出来ます。そうであれば、理屈的には、その『本門の慧』を『本門の題目』と言っても不思議はないのではないかと思います。
そして、勿論、そうであるにも拘らず、蓮師が『本門の題目』と表現されなかった理由が何か、という事がやはり重要だと思います。
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