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Web誌友会 板/2
1
:
トキ
:2013/01/20(日) 11:50:32 ID:UVsStHb2
「今の教え」と「本流復活」を考える・「web誌友会」 板 です。
*web誌友会についての話題は、このスレッドでお願いします。
このスレッドは、生長の家信徒の人達のweb誌友会のために作成したスレッドです。
上記に関連する話題なら、狭く解釈しないで、広く受け付けます。また
どの立場の人の投稿も歓迎しますが、基本的に生長の家の教義と谷口雅春先生の説かれた教え
を支持、共鳴する人のためにサイトです。生長の家の信仰と谷口雅春先生へのご批判をされる内容
の投稿はご遠慮下さい。
投稿の削除はしない方針ですが、アダルトサイトや出合い系サイトの勧誘を含む内容など
明らかに目的外の投稿は、削除の対象となります。明らかな他団体や特定の霊能力者の宣伝となる投稿も削除の対象になります。
目的外の投稿の判断は、最終的には、管理人である「トキ」の判断になります。
ご理解下さい。
投稿に当たっての注意点
*このサイトは、「生長の家“本流宣言”掲示板」等と違い、自分の発言を自分で削除できません。
削除御希望の場合は、管理人までご一報下さい。(削除要請は、削除希望の記事を投稿したのと同じ端末から投稿をして下さい。)
*必ず、スレッドのトップにある「掲示板の使い方」をご覧下さい。
*インターネットのサイトという性質上、不特定多数の人が閲覧します。プライバシーに触れる問題
や名誉毀損の可能性のある表現などは、控えて下さい。
*サイトの運営方針としては、削除は原則としてしない方針です。他者の投稿が問題のある投稿だと感じた場合は、
「削除要請」ではなく、ご自分の意見を投稿するという方向での解決をお願いします。
*生長の家の共鳴者を対象にしたスレッドです。下品な表現や特定の人物を侮辱する言葉はご遠慮下さい。
たとえ、自分と違う意見の人でも、敬称はつけましょう。相手に対する敬意と礼儀を忘れない様に
お願い申し上げます。
*谷口雅春先生への批判は、目的外ですので、投稿をしないで下さい。
*「したらば」は長文の書き込みをした場合、一部が表現されない場合があります。その場合は、「下部左
部分」にある「全部読む」を押して下さい。
このサイトについて
*宗教法人「生長の家」、「谷口雅春先生を学ぶ会」「ときみつる会」「生長の家社会事業団」「新教育者連盟」
などの諸団体とは関係はありません。
*「ポスティング ジョイ」や「生長の家“本流宣言”掲示板」などのサイトとは一切関係がありません。
管理人からのお願い
*投稿者の身元の詮索は止めましょう。ただし、最初に簡単な自己紹介をして下さると、後のトラブル防止になります。
*「工作員」も歓迎します。同時に、特定の人を「工作員」などと議論をする事はしないで下さい。
*教団援護派、本流復活派、中間派、分裂肯定派など、どなたも歓迎します。また、相手の存在そのものを否定するような内容
の反論はしないで下さい。
*議論が感情的になった場合は、管理人がストップをかけます。その時は、協力をお願いします。
*その他、ご不明の点は、管理人である「トキ」まだお尋ね下さい。
原則として、身元がわかるような内容の自己紹介は避けたほうが無難です。
身元をかくすため、多少の作為(年齢を少しごまかす、住まいを変える)は、悪意がない限り、問題とはしません。
どの立場でも、(教団援護派、学ぶ会など)歓迎しますから、それは明らかにしても大丈夫です。
削除について
投稿した文章を削除して欲しい場合は、削除希望の文章の番号を書いて、同じスレッドに、同じ端末
から「削除要請」と書いて、投稿して下さい。削除要請の文章も削除して欲しい場合は、其の旨も書いて
下さい。削除は、原則として、投稿者本人からの要請があるものに限ります。管理人が気がついたら、削除
しますが、深夜早朝や用事のある時は、気がつくのが遅れる場合があります。ご理解下さい。
出会い系サイト等のリンク、明らかに目的外の投稿、他団体の宣伝、犯罪を予告する書き込み等以外は、削除はしません。
それ以外で、問題となりうる投稿は、原則として、相談の上で、削除します。
その他、御不明の点は、お気軽にお尋ね下さい。
管理人「トキ」 敬白
992
:
ユタカ
:2013/05/05(日) 23:08:43 ID:2DhH33vQ
a hopeさま
最後まで有難うございました。書き込みの途中だといけませんので、ユタカはまだ見ています。
993
:
a hope
:2013/05/05(日) 23:11:11 ID:edEDolt2
ユタカさま
わたしの書き込みは終わりました。
もう、寝ます。
また、よろしくお願いいたします。
994
:
ユタカ
:2013/05/05(日) 23:11:13 ID:2DhH33vQ
あ、わかりました・・・
おやすみなさい。。。 復興Gさま、a hopeさま、トキさま、ありがとうございました。。。
では終わります。
995
:
ユタカ
:2013/05/05(日) 23:12:31 ID:2DhH33vQ
こちらこそ、よろしくおねがいいたします。
996
:
トキ
:2013/05/05(日) 23:12:35 ID:5zW6NmK2
おやすみなさい。
また、復興G様、いつも見守って下さり、心から感謝申し上げます。
ユタカ様、a hope様、ありがとうございます。
皆様、ありがとうございます。
合掌 ありがとうございます
997
:
トキ
:2013/05/05(日) 23:36:55 ID:5zW6NmK2
「訊け」管理人様、司会を引き受けて下さるとの事、深く感謝申し上げます。
よろしくお願い申し上げます。
合掌 ありがとうございます
998
:
ユタカ
:2013/05/06(月) 00:38:51 ID:2DhH33vQ
ありがとうございました。
999
:
「訊け」管理人
:2013/05/06(月) 06:12:59 ID:???
>>復興Gさま
>>誌友会参加の皆様
おお、早速誌友会が開始されておりますね。しかも『到彼岸の神示』よりのご謹写文まで掲載されておりまして、ビックリ致しました。と云うことで以下で、感想などを少々披露させて頂きます。よろしくお願い致します。
・・・・さて、復興Gさまご謹写の「無相円相一切相の神示」ですが、いろいろの論点があり興味深いものです。「天地一切との和解」という切り口からも語れますし、「自壊作用」という面からも語れます。ですがここでは、敢えて以下一点に関してのみ感想を、述べてみたいと思います。いや、以下の箇所こそが私が生長の家の教えに触れて「『スゴイ』と思った」という、そんな箇所のひとつなのです。それは、
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
>>964
<神示講義・自覚の巻『到彼岸の神示』より 謹写つづき>
この神示に明示されておりますように、生長の家に入教されて病気が治るのは、必ずしも患者自身が悟りを本当にひらいて自由自在の心境に達して治るのではなく、「神が病気を治して見せ」られるのであります。
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
の箇所です。ここは実に、他に類書を求めることの出来ない概念だと思っております。同時に、私のような「いい加減な人間」でも救われることが分ります。私のような者はこの箇所ですが、読めば歓喜する箇所であると思っております。
・・・さて、雅春先生は(『生命の實相』20巻で)「心が変らなくても、救ってくださる神が欲しい」という趣旨の、慟哭にも似た感情を述べておられます。「心を支配すれば、人生が変わる。」そして、「その理屈は分る」と述べられて後、それでも「心という暴れ馬を乗りこなせない」との心情を吐露されておられました。いやこれ、大半の者が悩むテーマなのではないでしょうか。
そして「ホレ、心を乗りこなしてみよ。そしたら救ってやるよ」なんて〝無理難題〟を吹っかける者を、果たして「神と称してよいのか」とも思えます。特に私のようないい加減な人間は・・・・(笑)。
・・・・ところで投稿文ですが、長文化を回避します。「聖典板」に該当する文を掲載致します。掲載するのは「榎本惠吾」先生の御文章です。この御文章を読みますとしみじみと、「實相の完全円満さ」ですが、ありがたく感じられて参ります。
∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴
○榎本惠吾御文章
その1
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2252
その2
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2253
∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴
「生長の家に入教されて病気が治るのは、必ずしも患者自身が悟りを本当にひらいて自由自在の心境に達して治るのではなく、『神が病気を治して見せ』られるのであります。」(
>>964
『到彼岸の神示』より) ―― この〝事実〟の有難さをしみじみと感じえた、今回のご謹写・投稿の御文章でございました。ありがとうございました。
拜
1000
:
「訊け」管理人
:2013/05/06(月) 06:22:41 ID:???
<訂正>
(×)○榎本惠吾御文章
(○)○榎本惠吾先生御文章
・・・・ところで。
同先生の御文章から以下を紹介いたしますが、あらためて感動しております。
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
ですから、實相にはこちらの力というものが要らないのです。ただただ實相のみの世界なのです。實相を現象に顕すといっても、實相が自分で顕れて来るのであり、實相だけがすべてのすべてなのです。顕れる、顕れないは現象であって、顕れても顕れなくてもどちらも無いのであって、實相だけを喜んでいればよいというのが「今を生きよ」ということなのです。實相は「今」完全であり、實相だけでよい、というのが「今」ということなのです。顕すための心や時間というものは要らないということなのです。
(榎本先生御文章その1
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2252
より)
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
心と云うものを与え、そして、その心が「暴れ馬」だとしましょう。さらには、その暴れ馬を「乗りこなしてみせたら救ってやろう」などと言う者が、あるとしましょう。 ―― まあ、そんな事を言う者は「神ではない」ですよね(笑)。「改心しないままでも救ってくださる」、それこそが完全だと思います。ですのでこの、榎本惠吾先生の御文章は、しみじみと有難く感じられます。(しかし、雅春先生が発見された神とは、実に荘厳なものですね)
拜
1001
:
閲覧者
:2013/05/06(月) 08:18:55 ID:???
>>938
雅春先生のお言葉を気軽に「コピー&ペースト」で公開してほしくないのです。
たいへんなら打ち込まなくてもいいのではないですか?
誌友会用に別の板に心をこめて打っておいて、真理の吟唱をお唱えするときに皆様はそちらを開いて、唱えればいいことなのではないでしょうか?
「したくないのに誰もする人がいないからしている」というホープさんですが、そんな気持ちで雅春先生の誌友会を開いてほしくないです。
生命の實相も長々と公開してほしくないというのも本音です。
1002
:
ユタカ
:2013/05/06(月) 08:30:57 ID:2DhH33vQ
訊けさん、こんにちは、ご無沙汰してすみません。
早速ですが、以下の文章についてはどう思われますか? 訊けさんの生長の家に入教されて「紙が病気を治してみせる」のは最初だけ。。
とどこかで書いていますし、実際の組織で人をみていると、皆さん最初は奇跡が起きて入信されていますが、最初だけのような気がします。
ただ、実相の内容を学んで、実相だけを喜んで讃嘆して生活することは神の子の生活で素晴らしいと思います。榎本先生のおっしゃることに納得します。
宗教の御利益というのは肉体が治るよりも、このように心が一変することなのです。
そこで此の神示に就いて考えて見て下さい。
神様は「吾が臨(きた)れるは物のためではない、生命のためである。肉のためではない、霊のためである」とお示しになっているのであります。
神様は肉体的にもお蔭を与えておられるけれども、それは「肉体は心の影である」という真理を知らせるための実験みたいなものに過ぎないのであります。
イエスが二千年前に多くの奇蹟をあらわして多くの病人をいやし、ヤイロの娘やラザロを死より甦らしめられましたが、その癒された人も、甦らされた人も、結局はその肉体は死滅して今は存在しないのであります。
肉体的方面からのみ言いますならば、「死」はイエスの奇蹟に打ち勝ったとも言えるのであります。
併し神は、肉体を癒すのはその目的ではない、魂が真理に目覚めて向上することであります。「肉体が治った」と言ってその肉体のことだけで神に感謝しているのなら、やがて誰でも其の肉体が死ぬ時が来る。その時に感謝し得なくなるから、魂は永遠に救われたという訳には行きません。
肉体の恢復を契機として、人間は神の子であって、霊的存在であると気付き、「永遠の生命」をさとり、現象の消長、盛衰、変遷に引っかからず、常に感謝の心境になれることこそ、神から人間に与えられた本当の救いなのであります。
<つづく>
964 :復興G:2013/05/05(日) 20:28:00 ID:AB6RqYXc
<神示講義・自覚の巻『到彼岸の神示』より 謹写つづき>
だから、此の神示には次のように続いて示されているのであります。
「神が病気を治して見せるのは、肉体は心でどうにでも移り変らせることが出来ると云う事実を見せて、『体(たい)』は念(こころ)の影だと云う真理をさとらせるためである。念(こころ)の影だと云う『体(たい)』とは肉体ばかりのことではない。幽体も霊体もすべて念(こころ)の影である。
『死はない』と云うのは肉体ばかりのことではない。現に肉体細胞は刻々死滅し流転している。生き通しであるのは、斯くならしめている『生命』のみである、『生命』のみが吾れであり汝であり、そのほかに吾れも汝もないのである。……」
この神示に明示されておりますように、生長の家に入教されて病気が治るのは、必ずしも患者自身が悟りを本当にひらいて自由自在の心境に達して治るのではなく、「神が病気を治して見せ」られるのであります。
この場合の神というのは、実相に於て既に完全に人間をつくっていられる神が既に“完全なる人間”を癒すということはあり得ないのですから、実相本源の神から使命を受けて人類光明化運動に参加していられる高級霊を爰(ここ)では「神」と称するのであります。
仏教で言うならば「法身の阿弥陀」は尽十方に充ち満ちていられて去来がないが、その弥陀の慈悲を受けて、現象界にも救いを成就するために現象界に出現せられる観世音菩薩のような方が、此の高級霊でありまして、この神示にある「神が病気を治して見せる」という場合の「神」に当るのであります。
完全なる人間を癒すのはありえない。と言う箇所が実相世界ですよね。 訊けさんは実相は自分で出てくるという榎本先生の文章を持ってきて感動して、他方で肉体を神が癒して見せるに感動していますね。結局、肉体を癒したのは内なる自分に宿る神だから感動したと言うことですか?
もう少し、訊けさんの感想文を長く書いていただければ、訊けさんの言いたい事が明確に伝わる気がしますが? 良く分からなかったので上記の文についてはどう思いますか?とお聞きしました。と言う自分も自身の言いたいことがよく分かっていないです。
1003
:
ユタカ
:2013/05/06(月) 08:33:53 ID:2DhH33vQ
訂正
紙 → 神
1004
:
参加することに躊躇している者
:2013/05/06(月) 08:41:07 ID:???
雅春先生は、最初に誌友会をどのような目的で、どういう主旨において、開催をされたのだろう…。
私なりには、真理を皆で輪読したり講話を拝聴することで、魂の喜びを、皆で分かち合う事だと思っているが、雅春先生はどのように思われていたのだろう。
真理の講話を、著名な先生から拝聴することや、輪読や誌友会も大切な勉強になるが、家庭や職場で真理を実践する生活を行っていくなかで、自ら真理の書を拝読していくことも、貴重な勉強だと感じる。
しかし、こういう場での誌友会を否定している者ではない。
ただ、雅春先生の誌友会に対する、初心の思いを知りたいと思う。
1005
:
志恩
:2013/05/06(月) 08:48:32 ID:.QY5jUA6
横スレ、すみません。
訊けさん
こちら、来客中のため、急いで書かせて頂きます。
書き込み、拝見しました。ありがとうございます。
仲良しの ユタカさんが,戻られて、よかったですね。
たしか、ユタカさんと訊けさんは、過去にどこかでWEB誌友会をされていらしたことが
あったと、記憶しておりますが、私の記憶違いかも知れません。
昨夜の予習であるWEB誌友会の模様も拝見しましたが、
さすが、ユタカさんは、この誌友会の企画立案者であるだけあって進めかたが、うまいなあと感心しました。
閲覧者の皆様にも、(私も含め)「生命の實相」が、より楽しく、分り易くなると 感じました。
それに、訊けさんが加われば、華やかさが増しますね。
それから、訊けさん
復興G様のあなた宛ての以下の質問を見落とされてますよ。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
923 :復興G:2013/05/04(土) 23:43:31 ID:AB6RqYXc
>>922
:「訊け」管理人殿。
了解。
では、5月は休んで、6月7日(金)〜8日(土)はどうでしょう。
1006
:
a hope
:2013/05/06(月) 08:58:45 ID:edEDolt2
>>1001
解説者さま
この投稿文は、わたしへ a hope宛のものでしょうか?
もし、
<<「したくないのに誰もする人がいないからしている」というホープさんですが、そんな気持ちで雅春先生の誌友会を開いてほしくないです。>>
もう、わたしはweb誌友会の主導権は手放しましたから、ご依頼がなければみなさまがお望みではなければ、
「真理の吟唱」の謹写の控えます。
ですが、真理の吟唱の謹写を
<<「したくないのに誰もする人がいないからしている」>>
などと発言した覚えは一度もありません。
わたしは、毎回喜んでさせていただいています。
解説者さま、さくらさまや初心者さまにも以前お願いしましたが、わたしの発言を引用するときは、
コピー&ペーストでお願いできませんか?
解説者さまのご投稿文は毎回、要点をついていて、とても分かりやすく、そして、信仰もとても深くていらっしゃるのが良くわかります。
できれば、復興Gさまや。トキさま、訊け管理人さま、ユタカさまなどと共に、運営をお願い出来たら素晴らしいな、
と、一参加者である a hopeは、感じています。
1007
:
解説者
:2013/05/06(月) 09:07:41 ID:???
a hope様
>>1006
>>1001
は私が投稿したものではございません。
1008
:
ユタカ
:2013/05/06(月) 09:10:53 ID:2DhH33vQ
a hopeさまへ
ユタカは長らく休んでいたので、この板の過去文をざっと読んだのですが・・
何かを見落としているかも知れません。。。
a hope様、ここまで、WEB誌友会を継続なさることは、自分の時間を長時間割いてその時間に自己の生活時間を合わせ、また、準備に相当な努力がいる事ですから、
それをしていない人から見たらその見えないご苦労がまったく分からないし伝わらないので、いろいろとありますが・・・ 大変だったのですよね?
有難うございました。感謝とお詫びを申し上げます。 勝手な推測ですが、a hopeさまは謹写の功徳で今まさに、自壊作用が起こってきていていろいろなことを言われておられるのでしたら・・・
ここは、観世音菩薩の示現と認めて、ひたすら感謝・感謝でまいりましょう。「ただ、ただ、合掌ありがとうございます。」で受けて何かが消えました、と同時にまたまた感謝で受けていきましょう。
ここでの勉強の実践ですね。
謹写はなさらないで、これからはWEB誌友会を楽しみましょう!!
ウインドウが小さくて自分の書き込み文、乱文誤字脱字を見直ししてないですみません。
1009
:
ユタカ
:2013/05/06(月) 09:15:35 ID:2DhH33vQ
>1006
a hopeさま 喜んで謹写されていた由、今理解しました!!
ありがとうございます!! ではこれからも、ずーーーっと仲良く楽しくゆったりと
やれたらいいですね。有難うございます! よろしくお願いします!
1010
:
さくら
:2013/05/06(月) 09:18:22 ID:nqdx2mHk
今回からは、司会でイキイキとした訊けさま、情熱的なユタカさまももどって、垣根のない、新しく生まれ変わったさわやかな誌友会板を拝見でき、うれしくなりました。
わたしは自分のつまらない、笑、信念上、投稿はしませんが、
このようなみなさまの熱意ある誌友会は、多くの方に希望を与え、学びになりますことをお祈りしております。
これからも一読者として、楽しみにしています。
復興G様、トキさま、参加者のみなさま、ありがとうございました。
感謝拝
1011
:
ユタカ
:2013/05/06(月) 09:22:23 ID:2DhH33vQ
志恩さん、
いつも、応援をありがとうございます。
実相世界の住民の志恩さんはいつも讃嘆、讃嘆ばかりで、良いことばかりが見えて、良いことばかりを口にしますね。。。
私達のお手本を有難うございます。 今回、復興G様がWEB誌友会に先立って資料を下さったのでよろしければ、本番まで時間がありますので感想などをもってご参加お待ちしております。。
いつも見守りをありがとうございます!
1012
:
a hope
:2013/05/06(月) 09:26:32 ID:edEDolt2
閲覧者さま 解説者さま
たいへん失礼いたしました。
なんか、おかしいと思いました。
以後、名前の見間違いのないよう、十分注意します。
すぐに、ご本人からご指摘いただきよかったです。
感謝 合掌。
あらためまして、閲覧者さま
この投稿文は、わたしへ a hope宛のものでしょうか?
もし、
<<「したくないのに誰もする人がいないからしている」というホープさんですが、そんな気持ちで雅春先生の誌友会を開いてほしくないです。>>
もう、わたしはweb誌友会の主導権は手放しましたから、ご依頼がなければみなさまがお望みではなければ、
「真理の吟唱」の謹写の控えます。
ですが、真理の吟唱の謹写を
<<「したくないのに誰もする人がいないからしている」>>
などと発言した覚えは一度もありません。
わたしは、毎回喜んでさせていただいています。
閲覧者さま、さくらさまや初心者さまにも以前お願いしましたが、わたしの発言を引用するときは、
コピー&ペーストでお願いできませんか?
そして解説者さま
解説者さまのご投稿文は毎回、要点をついていて、とても分かりやすく、そして、信仰もとても深くていらっしゃるのが良くわかります。
できれば、復興Gさまや。トキさま、訊け管理人さま、ユタカさまなどと共に、運営をお願い出来たら素晴らしいな、
と、一参加者である a hopeは、感じています。
1013
:
志恩
:2013/05/06(月) 09:30:10 ID:.QY5jUA6
1001:閲覧者様
>>雅春先生のお言葉を気軽に「コピー&ペースト」で公開してほしくないのです。
たいへんなら打ち込まなくてもいいのではないですか?>>
この件は、先に、私とahopeさんが、あなたにお答えしていますが、
ahopeさんのお答えは、
気軽に「コピー&ペースト」しているのではないと、書かれてましたでしょ。
当日の朝、お祈りされた後に謹写(打ち込むこと)されて、それを保存しておかれて、
使っているそうですから、何も問題ないと思いますけれど。
閲覧者様曰く
>>誌友会用に別の板に心をこめて打っておいて、真理の吟唱をお唱えするときに皆様はそちらを開いて、
唱えればいいことなのではないでしょうか?>>
これにつきましても、最初と終わりの真理の言葉は、そんなには,長文では、ありませんから、
ここのWEB誌友会板に載せる場合もありますが、
別の、かなりの長文を載せるときは、今朝の訊け様のやり方のように、ここの板ではなく、聖典板の方に,載せて、
そちらを見て下さい。という場合もあります。
それは、閲覧者がご覧になってるわけですから、閲覧者が、読み易くあればよいのではないでしょうか。
ですから、その都度、臨機応変に考えれば、いいのではないでしょうか?
と、私の場合は、考えております。
閲覧者様曰く
>>「したくないのに誰もする人がいないからしている」というホープさんですが、
そんな気持ちで雅春先生の誌友会を開いてほしくないです。>>
これにつきましては、ahopeさんが答えられていますから、ご了解下さったでしょうか?
閲覧者様曰く
>>生命の實相も長々と公開してほしくないというのも本音です。<<
なんで、生命の實相を長々と公開してほしくないのですか?
教団のおかたでしょうか?そうすると、なにか、不都合が おありなのでしょうか?
それが本音だとおっしゃった そのあなたの理由を具体的にお書き下さいませんか?
1014
:
a hope
:2013/05/06(月) 09:46:19 ID:edEDolt2
>>1008
>>1009
ユタカさま
昨晩はとても充実した時間をすごせました。
わたしは、すべての出来事に意味があり、すべては自分の魂の向上のためであると思っています。
<<ありがとうございます!! ではこれからも、ずーーーっと仲良く楽しくゆったりと
やれたらいいですね。有難うございます! よろしくお願いします!>>
本当ですね。ずーーーっとみなで仲良く楽しくゆったりとやっていきましょうね!
志恩さま
お礼がおくれてしまいましたが、わたしフォローをしてくださりありがとうございます。
いつも溌剌としている志恩さまがこの掲示板にいてくださいますと、この掲示板が活性化しますね。
いつも心から感謝しています。 合掌。
1015
:
志恩
:2013/05/06(月) 09:56:28 ID:.QY5jUA6
ユタカ様
コメント、ありがとう。
「生命の實相」は、2000万部も売れたそうですから、戦前から全国のすごく多くの方々が
読まれておられたわけで、
ご家庭に蔵書として置かれてあれば、
買われたご本人だけでなく、ご家族のどなたかも読まれたはずだと思うんです。
売れたのは、2000万部ですけれど、読者数は、もっと膨大にあったはず。
ですから
隠れ、もともとの生長の家、隠れ、生命の實相ファンは、世の中にたくさんたくさん
おられると思います。
PCをやってる方々モ、増えているそうですし、、、
こういう時期に
WEB誌友会で生命の實相の輪読会を発案して下さって、復興G様に指導者の白羽の矢を
ユタカ様が、立ててくださったことは、
本来の生長の家の蘇りの一環として
なにかのお導きがあったのかもしれないと、思います。ありがとうございます。
私、来客中でして、少しだけ、急いで書かせて頂きましたが。
今後も、WEB誌友会のことももちろんですけれど、掲示板で
いろいろと教えてくださいませね。
1016
:
ローラ
:2013/05/06(月) 11:03:36 ID:???
>>1001
なんと偏狭な! 公開して欲しく無いとは
雅春先生が世界に広めたかった真理を特別な選ばれし人々
だけのものにしたいのですね
1017
:
トキ
:2013/05/06(月) 11:53:07 ID:eaw/TCPU
>>1004
谷口雅春先生が兵庫県におられた頃は、本を読んで感激をした人が自発的に集まり
信仰の喜びを語り合った場のようです。中には、遠隔地から参加された方も多く、
そういう人が、谷口雅春先生のお許しを得て、自宅を解放して、志を同じくする
人達を集めて、信仰を語り合う場を開きました。これが、現在の誌友会の始まりです。
戦前、青年部(当時)として活躍された本部講師(故人)から聞いた話では、
「昔は今ほど講師がいなかったので、主に神誌を輪読した会が主流だった。それが
戦争が激しくなり紙がなくなり神誌が出せなくなったので、”これからは、お話の会
が主流になります”という事になり、現在のような講話中心の形態になった。」
と言われていました。また、講師が来られての誌友会の場合、家が満杯になり、
入りきれない場合が多く、中には、ために家の床が抜けた、という話まであり
ました。
しかし、信仰を同じくする人達が集まり、学び、意見を述べ合うという形態が
基本だと思います。
以上は私が先達から聞いた話です。
合掌 ありがとうございます
1018
:
「訊け」管理人
:2013/05/06(月) 12:16:49 ID:???
>>1002
ユタカさま
お久しぶりです。さて、下記の件に返信致します。
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
>>1002
完全なる人間を癒すのはありえない。と言う箇所が実相世界ですよね。 訊けさんは実相は自分で出てくるという榎本先生の文章を持ってきて感動して、他方で肉体を神が癒して見せるに感動していますね。結局、肉体を癒したのは内なる自分に宿る神だから感動したと言うことですか?
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
簡潔に書きますと、感動したのは「救われ済みだった」点になります。既に救われていた点、即ち「自力などまったく不要である」点、これが私が感動した点になります。こんな説明で了解頂けるでありましょうか。
もう少し語を接いでみます。
神が心と云うものを与えかつ、「それを乗りこなせ」と人間に命じているとすれば、それは不完全だと思うのです。もしも神がそんな事を言っておられるならば、「それは神ではない」と思いたくもなります。なぜなら心ですが、なかなか乗りこなせるものではナイからです。(あくまでも現象から見た場合です)
ところで道を求めて読書する層ですが、「心を制御すればよい」というのは知っています。ですが、なかなか出来ません。そんな心を「乗りこなせたら救ってやる」と言われているかのような、そんな状況に置かれているのが(ある程度の)読書階級の者だと思うのです。そう云う点で雅春先生の発見された神は「偉大だ」と言わざるを得ないのです。それが、
>>999
>>1000
投稿文の背景にあった、私の感想です。
「自力解決に乗り出すのではナイのだ」「救われ済みだったのだ」ということです。そして、救われ済みであるからこそ、「救われるのだ」という・・・・それが感動したポイントです。
拜
追伸
でたぶん、話は「ご利益なしでも信仰する」云々の、そんなテーマに移るのだと予測しております。
で、誤解を覚悟で述べますが私は、「ご利益のナイ信仰など興味がありません」になります。私は商売人であり、功徳のナイ思想・哲学には興味が持てぬのです。そして、そんな私 ―― 元無神論者+唯物論者 ―― すらも感化せしめる雅春先生は、やはり偉大だと思います。さらにそして、貴殿が書かれた「実相の内容を学んで、実相だけを喜んで讃嘆して生活することは神の子の生活で素晴らしいと思います。」ですが、返信するとするならば「そんな生き方をしているからこそ、功徳もあるのだ」となるでしょうか(意味が伝われば好いのですが・・・)。
・・・・まあ再度、誤解を恐れずに述べますが私の場合は、「ご利益のナイ信仰など興味がありません」になります。私は商売人であり、功徳のナイ思想・哲学には興味が持てぬのです。
1019
:
「訊け」管理人
:2013/05/06(月) 12:25:02 ID:???
>>1001
閲覧者さま
ところで、東京まで行くのに「歩いて行く人は真剣」なのでしょうか。そして、「電車を使う人は不真面目」でしょうか。まあ、どこに焦点を合わせるかによって話がかわりましょうが・・・
さてその、「気楽にコピペして欲しくない」云々に関してです。これですが、上記の「歩きか電車か」に似ていると思います。どちらであれ、謹写・投稿されるのは雅春先生の御文章です。もう、善いのではありませんか。投稿意図が不真面目だろうがマジメだろうが・・・
拜
追伸
まあ、不真面目に謹写した御文章であれ、人を救うことはあると思うのです。それが「真理」であります。なにせ、「家に置いていたダケで、病が癒やされた」てな話も、普通にありますから・・・そしてこれが、雅春先生・光明思想の特徴のひとつではないでしょうか。家にポンと、(不真面目に)置かれた『生命の實相』であれ、人を癒やすのです。投稿者の心情がどうであれ、救われる方が出てくるのであれば、善いのではないでしょうか。(また、事前にコピペ文を用意しておくことなどは、誉められこそすれ、非難されることではナイと思います。主催者側は、大変なのですから)
1020
:
トキ
:2013/05/06(月) 14:15:49 ID:eaw/TCPU
>>1001
閲覧者 様
ご投稿、ありがとうございました。
たぶん、聖典は大事に扱って欲しい、というお気持ちかと思います。
その気持ちは尊いと思います。
ただ、京都第二教区の長村婦美子先生は、生命の実相をバラバラにして、携帯されていた
とも聞いています。コピペでも、それで救われる人がいたら、良いかと考えています。
個人的には、a hope様には、いつも素晴らしい御文章を投稿して下さり、感謝しています。
ただ、これは個人的な意見ですから、ご理解下さい。
合掌 ありがとうございます
1021
:
閲覧者
:2013/05/06(月) 18:01:30 ID:5IWBubYo
>>1016
一字一字絶対間違いがないと言えるでしょうか?
改行場所は聖典そのままでしょうか?
1022
:
ユタカ
:2013/05/06(月) 18:04:56 ID:2DhH33vQ
>1018 訊け様
なるほど・・・ご利益信仰で、信仰によって稼ごうとしているわけでなく、宇宙の法則を知って繁栄していこうという意味ですよね?
栄える会には商売人が沢山いて、異業種交流もしていますよ。
これから、訊けさんはご利益が好きな人と理解して読むと納得できます。
1023
:
閲覧者
:2013/05/06(月) 18:11:22 ID:5IWBubYo
>>1019
ネットの世界です。素晴らしいご文章を他人がいとも簡単に書き換えることができます。間違った文章をそのまま生命の實相が後世に伝えられればとんでもないことになってしまいます。
1024
:
志恩
:2013/05/06(月) 18:49:15 ID:.QY5jUA6
閲覧者様
生命の實相や、他の真理の著書について、とても大切に真面目に考えておられるお方と存じます。
ここへ謹写してくださる「生命の實相」等の、ご文章は、全国の閲覧者の中には、
持っておられないお方や、
出かけ先で、ご覧の皆様にでも、参加できるようにという
復興G様,はじめ皆様の
ご愛念による謹写なのだと、うかがっております。
ですが、
われわれ掲示板の仲間や、その他の生長の家の方々は、生長の家の信徒でしたら、「生命の實相」、
全巻を持っておりますから、
われわれは、手元にある「生命の實相」「真理の吟唱」「聖光録」を、傍において、
掲示板の書き込まれたご文章と照合しながら、参加しておりますので、
あなた様の、そのご心配は、無用と存じます。
1025
:
志恩
:2013/05/06(月) 19:31:17 ID:.QY5jUA6
閲覧者様
>>1001
:
の最後の行のところに、閲覧者様は
【生命の實相も 長々と公開してほしくない というのも 本音 です。】
と,書かれましたよね。
で、私は「その理由を具体的に教えて下さい」,と
あなた様にお願いしましたが、まだ、お答えを頂いておりません。
閲覧者様、そのお答えを、はやく書いて下さいませんか。
もしも、無視されますと、
変にあなた様が誤解されると思うのです。
あぁ【生命の實相も 長々と公開してほしくない というのも 本音 です。】なんていうお方は、
生命の實相を、この世から消してしまいたいと、本音では 想われてる
あのお方かしら? なんて、変な誤解が空中を とびまくりますといけませんし、
そうしますと、あのお方に、申し訳ありません。
ですから、、すぐに理由を書いたお返事を!!
1026
:
復興G
:2013/05/06(月) 20:55:44 ID:AB6RqYXc
皆様、ありがとうございます。
今日は朝からリアルの誌友会担当などがあり、今帰ってきてPCを開いているところです。
昨夜はweb誌友会の自主的な復習・予習の勉強会が活発に行われ、その後もたくさんの投稿が溢れていることに、驚きと、感銘を受けています。
そして、これからのweb誌友会の方向付け・あり方に、貴重な示唆がいっぱいあると感じます。
まずは昨夜の自主勉強会についての感想――。
ユタカ様の呼びかけにa hope様が応じられて、トキ様のご協力ご指導もいただいて行われた“予習”の自主勉強誌友会だったわけですね。ユタカ様が
>>990
で
>>予習は次回のWEB誌友会をより充実させると分かりました。<<
と書かれているとおりで、これこそ、トキ様が
>>1017
で書かれているような、生長の家草創期の誌友会に近い、自然発生的な自主性をもった集まりであり、有意義なものだと思います。讃嘆感謝し、エールを送ります。
そこで出されたご質問を含む投稿文を拝読してのコメントですが――。
まず
>>970
でユタカ様が
>>コトバって重要ですね。。。
これからは実相のコトバを沢山発していきます。 神示はいろいろな事を教えてくれているので一度読んだだけでは勿体ないですね。
読んで、実行しないと意味が無いです。実相のコトバ! を語ろう!っと! <<
と書かれていますが、本当にそうですね。それについて私の失敗・反省談を書かせていただきます。
最近私はあるところに招かれて体験講話をすることになり、テキストは『365章』でした。その163頁以下にこう書かれています。
幸福の鍵は何処にあるか
若しあなたに「どんな幸福の扉でも開く鍵があるのですが、あなたはそれを欲しくありませんか」と言われるならば屹度(きっと)あなたは、「本当にそんなものがあるならば、それを得たいものだ」と思われるでしょう。その鍵は決して金属でできているものでも、楠や檜の板で出来ているものではありません。そんな物質で出来ているものは結局はこわれるものであります。虫食い錆くさるものに幸福を求めてはならないと教えられました。
その鍵は“霊的なもの”で出来ているのです。そして他物にそれを求めても得られるものではなく、自分自身の内にその鍵があるのです。その鍵を『生命の実相』と呼ぶのです。それは必ずしも書籍の名前ではありません。『生命の實相』の本はその鍵の在所を示した本ですからそのように名づけたのです。
その鍵はすべての人が自己の内にもっている万人具有の鍵であります。人間の生命のうちには「無限」が宿っているのです。その無限に気がついたとき、その人はその鍵を発見したのです。自分自身の生命のうちに「無限」が宿っている、何という素晴しい事でしょう。
「コトバの力」の正しい使い方
自己の内に「幸福を開く鍵」が宿っていることを知っても、その鍵をどのように使えば本当に「幸福の扉」が開くか、その使い道を知らなければ、鍵はありと知りながらも、その扉を開くことが出来ないでしょう。その鍵を動かす力は“コトバの力”によるのです。その力をどちらへ回転するか、どの方向へ向けて動かすかによって、どのような大きな幸福がおとずれるか、小さな幸福しか与えられないかの相異がでて来るのである。
時には“コトバの力”を逆回転させると、そこから不幸が飛び出して来ることもあります。“コトバの力”は両刃の剣であり、自己が間違えば自己が斬られ、敵が間違えば敵が斬られるのです。それは十字であり、×となる時は「必殺」であり、正しく構えるとき「復活」である。“コトバの力”を順に廻すということは、人を称め讃える称讃の言葉を使うことであり、自己の受けたる恩恵を感謝する言葉を使うことである。称讃と感謝の方向に鍵を廻転することが大切である。
<つづく>
1027
:
復興G
:2013/05/06(月) 20:56:15 ID:AB6RqYXc
<つづき>
「だから、こういう言葉を使いましょう」と、皆さんで以下のような言葉を朗唱する実習をしました。
○この口は神の口である。善き言葉以外のもの、美しき言葉以外のもの、讃嘆の言葉以外のものはなにも語らないのである。この口は神の口である。毎日毎日いっそうその実相の完全なる話力があらわれつつあるのである。自分の口は神の口である。人々の善さのほか、美しさのほか、完全さのほかはなにものをも語らないのである。
○今日はいい日だなあ。今日は神様の日だ。
隣の人はいい人だ。隣の人は神様だ。
前の人はいい人だ。前の人は神様だ。
後ろの人はいい人だ。後ろの人は神様だ。
みんな、みんないい人だ。みんな、みんな神様だ。
私はすばらしい神の子だ。
○私の父は良い父だ。私の父は神様だ。
私の母は良い母だ。私の母は神様だ。
私の良人(おっと)(妻)は良い人だ。
私の良人(妻)は神様だ。
私の息子(娘)は良い息子(娘)だ。
私の息子(娘)は神様だ。
我が家の嫁は良い嫁だ。我が家の嫁は神様だ。
私の孫は良い孫だ。私の孫は神様だ。
私は世界一の幸せ者だ。ありがとうございます。
○あ(わ)たし幸せ!
あなたのおかげ!
ありがとう!
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
そうしていい気持ちで帰宅してみたら、家族は留守で、玄関に鍵がかかっていました。
私も玄関の鍵は持っていましたから、鍵を廻して開けようとしたのですが、その鍵がこわれて、開かないのです。
幸福の扉を開く鍵の話をして実習までして、帰ってきたら、自分の家の玄関の扉を開く鍵がこわれて開かない。
「なぜだろう?」
――「偶然はない」という教えが浮かんできました。
「私は、誰かを締め出すようなことをした結果ではないだろうか」と思いました。
そしたら、私は「web誌友会板で、SAKURAさんを締め出すような言葉を吐いたのではなかったか。」という思いが浮かんできました。
「SAKURAさん、ごめんなさい」と心の中で謝り、祈りました。
結果は、妻が帰ってきて鍵屋さんを呼んでくれて、玄関は開いたのですが、そんなことがありました。
「人生は、学校である。そして其処での失敗は、成功よりもすぐれた教師である」と、トルストイの人生読本にも書かれていた箴言が浮かんできました。
ここで改めて、一所懸命投稿してくださっていたSAKUARAさんに、きつい“締め出し”のような言葉を吐いてしまったことをお詫びし、気付きを与えてくださったことに感謝いたします。ありがとうございます。
1028
:
復興G
:2013/05/06(月) 21:01:43 ID:AB6RqYXc
>>1026
修正です。
テキストは『365章』でした。→テキストは『生活の智慧365章』でした。
お詫びします。
1029
:
参加することに躊躇している者
:2013/05/06(月) 21:05:34 ID:???
トキ様
ご丁寧に谷口雅春先生が御存命の頃の、誌友会の情報を教えて下さり、ありがとうございました。
その時代にタイムスリップして参加してみたい気がします。
是非、ここの誌友会が、その頃の誌友会のような会になっていくことを、願っています。
誌友会に(教団の)参加すると、純粋に真理が学べないし、行事参加の約束を取り付けられたりとか、普及誌を購読してなど
誌友会が保険の営業みたいになっていて、正直気が重いのが現実です。
普及誌も感動が殆どないから、人に勧めれるものではありません。
1030
:
解説者
:2013/05/06(月) 21:57:33 ID:???
ユタカ様
はじめまして。解説者と申します。
今後ともよろしくお願いいたします。
>>コトバって重要ですね。。。
これからは実相のコトバを沢山発していきます。 神示はいろいろな事を教えてくれているので一度読んだだけでは勿体ないですね。
読んで、実行しないと意味が無いです。実相のコトバ! を語ろう!っと! <<
本当におっしゃる通りですね。
私は最近、訊け様がブログにアップしてくださった講話の音声ファイル
をずっと拝聴させていただいていますが、同じことを思っていました。
運命はコトバによって創られますからね。
私自身も“実相のコトバ”を使っていこうと思いました。
復興G様
>>1026
>>1027
>○この口は神の口である。善き言葉以外のもの、美しき言葉以外のもの、讃嘆の言葉以外のものはなにも語らないのである。この口は神の口である。毎日毎日いっそうその実相の完全なる話力があらわれつつあるのである。自分の口は神の口である。人々の善さのほか、美しさのほか、完全さのほかはなにものをも語らないのである。
私は朝起きてから家族と顔を合わせたときにニッコリと笑うことを心がけています。
それまでは眠いし、寝ても疲れは取れないしでブスッとしていたと思うのです。
朝にニッコリと笑うことをはじめると、その日一日、何をやっても明るく楽しく
過ごすことができるのです。
復興G様がご紹介してくださった「この口は神の口である…」も併せて
実践しようと思いました。
ありがとうございました。
感謝合掌
1031
:
復興G
:2013/05/06(月) 22:04:36 ID:AB6RqYXc
web誌友会予習勉強会へのコメントのつづきです。
>>973
の a hope様の問題提起――
>>「白髪の老翁」=「宇宙根源の神」=「七つの燈台に燈を点ずるもの」=「久遠のキリスト」
三十三歳でハリツケになったユダヤ人の男=「キリスト」の応化身
本当のキリスト=真理=仏性=ミコト
※間違ってたら、ご指導お願いします。<<
というところですが――私は、こう思います。
「白髪の老翁」は、永遠のいのちの象徴であるけれども、「宇宙根源の神」そのものではない。
「宇宙根源の神」は、時間・空間を超えて(現象界を超え、身を隠して)おられて、老翁の姿を現されることもない。姿を現された時点で、それは応現神(応化神と言ってもよい)というべきだと思います。古事記神話で言えば、「宇宙根源の神」=「天之御中主神」であって「身(みみ)を隠し給いき」であります。
「白髪の老翁」=「七つの燈台に燈を点ずるもの」=「久遠のキリスト」
だけでよろしいと思います。
それから、
>>三十三歳でハリツケになったユダヤ人の男=「キリスト」の応化身<<
という言葉には、少し違和感を覚えますが、間違いとは言えないでしょうね。違和感を覚えるわけは、「三十三歳でハリツケになったユダヤ人の男」という言い方には、尊敬の気持が感じられないからです。
>>976
>>【応化身】と【応現身】は同じ意味でしょうか? <<
その通り、【応化身】と【応現身】(【応化神】と【応現神】)は同じ意味だと思います。
≪観音菩薩はその身を三十三に変じて人々を済度するといいます。その変化する姿を称して「応現身(おうげんしん)」あるいは「応化身(おうげしん)」と呼びます。≫
というのがネット上にありました。
>>977
>>私は、>>汝ら心して真(まこと)を知れ。汝(なんじ)たちも神の子であるから我れと同じきものである。肉体は汝の一つの現れであって汝の全相ではないのである。」
我と同じ着物? 我と同じき 者? とどっちかな?っていつも思うんですよ。。。 <<
これには、思わず笑ってしまいました。
a hope様が
>>わたしは、『我と同じき 者』だと思ってましたが、
肉体は、御霊の着物ともいいますから『着物』もありえるのかな? でも、ここ、悩むとこなのですか?(笑) <<
と書かれてましたが、私もこれは『我と同じき 者』だと思います。
「同じき」というのは昔の文語体で今はあまり使わなくなっている語法なので、若いユタカさんは「同じ着物」かなって思われたんでしょうね。
「ふるさと」の歌の「兎追いしかの山」を、今の若い人は、漢字を見る前は「兎美味し」ととる(思う)そうですから。
<つづく>
1032
:
復興G
:2013/05/06(月) 22:32:39 ID:AB6RqYXc
web誌友会予習勉強会へのコメントのつづきです。
>>985
>>肉体の病気が治っても、心が病んだままでは意味がないという事ですね。
『肉体の恢復を契機として、人間は神の子であって、霊的存在であると気付き、「永遠の生命」をさとり、現象の消長、盛衰、変遷に引っかからず、常に感謝の心境になれることこそ、神から人間に与えられた本当の救いなのであります。』
これを、人々に悟らせるのが本来の「生長の家」の人類光明化運動なのでしょうね。 <<
――その通りだと思います。
これは、現在の運動で、環境保全「炭素排出ゼロ」にこだわりすぎて<<人間は神の子であって、霊的存在であると気付き、「永遠の生命」をさとり、現象の消長、盛衰、変遷に引っかからず、常に感謝の心境になる>>ということがおろそかになったのでは、いくら環境保全にがんばっても、やがて地球だって死滅するんですから、無意味になってしまう――とも思います。
>>987
>>はしがきは復習で読みましたが、ここ重要な箇所ではないですか? 自己破壊願望について復興Gさまと話しをしたいと思いました。
人間は本来霊だから肉体を嫌うのでしょうか? では、なぜ地上に誕生したい霊魂が競争して生まれたいと望んで生誕したのでしょうか?
現象が幸福な人は自己破壊願望のない人なのかな?<<
――この「はしがき」は、おっしゃるとおり、とても大切な根本問題です。基本中の基本でしょう。
罪の意識――自己破壊願望――について、私自身の体験を語りたいと思いますが、長くなるので、また明日以後にさせてください。
では、今日はおやすみなさい。
1033
:
ユタカ
:2013/05/06(月) 22:56:55 ID:2DhH33vQ
復興G様 ありがとうございます。お帰りなさい。
自主勉強の事前サポートと問題提起の解説を有難うございます。
コトバの鍵の使い方など詳細が素晴らしいです、ここまで谷口先生は説明してくださっているのですね。
そうすると、「生命の実相」だけでなく復興G様が紹介して下さったあらゆる本を使用することによって詳細が分かってきて、ワクワクします。
復興Gさまがお出ましになると、嬉しくて、楽しくて、ワクワクします。。これからもよろしくお願いいたします。明日がまた楽しみです。
1034
:
志恩
:2013/05/06(月) 23:18:16 ID:.QY5jUA6
復興G様
本日は,朝からお仕事で出かけられて、遅くに帰宅されましたのに、
たくさんのためになる真理のお話を,伺うことが出来まして、感謝いたしております。
教えて頂きましたこと、私も、実行させて頂きます。
ありがとうございました。
1035
:
a hope
:2013/05/07(火) 00:06:59 ID:edEDolt2
復興Gさま
>>1026
と
>>1027
の鍵のお話と復興Gさまの気づきのお話とても感動しました。
ありがとうございます。合掌。
また、お忙しい中、昨晩の予習に関してのご指導をありがとうございます。
あの、「a hopeメモ」は、復興Gさま謹写の
>>662
>>663
の内容をまとめたものです。
どうも、「生命の實相」を拝読していると、たくさんの神さまがでてこられて、混乱してしまうので、
今回のweb誌友会内容の「万教帰一の神示」の時にしっかり理解したいと思っていました。
<<「白髪の老翁」は、永遠のいのちの象徴であるけれども、「宇宙根源の神」そのものではない。
「宇宙根源の神」は、時間・空間を超えて(現象界を超え、身を隠して)おられて、老翁の姿を現されることもない。
姿を現された時点で、それは応現神(応化神と言ってもよい)というべきだと思います。
古事記神話で言えば、「宇宙根源の神」=「天之御中主神」であって「身(みみ)を隠し給いき」であります。
「白髪の老翁」=「七つの燈台に燈を点ずるもの」=「久遠のキリスト」
だけでよろしいと思います。>>
今日、第13回web誌友会の後半にある、復興Gさまが改めて再投稿してくださった1年前のweb誌友会の内容
>>723
〜
>>732
を拝読しなおしましたら、だいぶ理解が深まりました。
「宇宙根源の神」=「天之御中主神」が第一義の神で、
「白髪の老翁」=「七つの燈台に燈を点ずるもの」=「久遠のキリスト」が第二義の神、となるわけですね。
そして、第二義の神が別名、【応化身】と【応現身】(【応化神】と【応現神】)とよばれる場合があり、
住吉の大神は現れの面から言えば、応化神(第二義の神)といえるのですね。
<<それから、>>三十三歳でハリツケになったユダヤ人の男=「キリスト」の応化身<<
という言葉には、少し違和感を覚えますが、間違いとは言えないでしょうね。
違和感を覚えるわけは、「三十三歳でハリツケになったユダヤ人の男」という言い方には、尊敬の気持が感じられないからです。>>
につきましては、「三十三歳でハリツケになったユダヤ人の男」という言葉にはわたしも違和感を覚えましたが、
今回は「メモ」でしたからテキストの言葉をそのまま引用しました。
>>633
のテキストには
<<肉体のキリストは三十三歳で死んだけれども、「本当のキリスト」は、久遠不滅であらせられるのです。
『生命の實相』の中には真理と書いて、「キリスト」とフリ仮名をつけてある箇処が所々にあるのであります。
「キリスト」というと、三十三歳でハリツケになったユダヤ人の男の事だと、こう思っている人もありますけれども、
あれはキリストの応現身であって、肉体的に或る時代に適するように応じて現れた姿であって、
「本当のキリスト」は「真理」そのものであり、始めなく終りなく宇宙に充ちている所の真理そのものである訳なのです。
その真理そのものは久遠不滅であるから、初めであり終りであり、永遠に不滅である、
というので白髪の老翁の長寿の姿をもって人格化して出て来られている――こういう事になっている訳であります。>>
とありました。
復興Gさま、わたし自身は、現象人間のキリストさまも『神の子』として心から尊敬させていただいていますのでご安心ください(笑)。
復興Gさまがこの掲示板でご指導してくださっているからこそ、わたしはここで安心してお勉強させていただけるのです。
これからも、復興Gさまの生活に合わせたペースでかまいませんので、今まで通りの素晴らしいご指導どうぞよろしくお願いいたします。
それでは、みなさま、おやすみなさい。
1036
:
復興G
:2013/05/07(火) 07:07:24 ID:AB6RqYXc
>>1035
:a hope様。
おはようございます。
よくわかりました。「三十三歳でハリツケになったユダヤ人の男」というのも。
それは、谷口雅春先生がおっしゃった言葉だったのですね。
a hope様は、現象人間のキリストさまも『神の子』として心から尊敬していらっしゃるそうで、安心しました。
丁寧なレスをいただき、ありがとうございました。
1037
:
復興G
:2013/05/07(火) 07:21:37 ID:AB6RqYXc
あ、その前に
>>1033
:ユタカ様
>>1034
:志恩様
から、早々に、うれしい、ありがたいレスをいただいていました。感謝が遅れまして、すみません。ありがとうございました!
なおその前、
>>1029
:「参加することに躊躇している者」様
からのコメントもありましたね。どうぞ、これから躊躇することなくご参加いただけたらうれしいですね。
ありがとうございます!
1038
:
志恩
:2013/05/07(火) 14:59:37 ID:.QY5jUA6
訊けさん、以下の復興G様の質問に、まだ お答えを されてませんよ。
>>923 :復興G:2013/05/04(土) 23:43:31 ID:AB6RqYXc
>>922
:「訊け」管理人殿。
では、5月は休んで、6月7日(金)〜8日(土)はどうでしょう。 <<
1039
:
復興G
:2013/05/07(火) 15:12:46 ID:AB6RqYXc
>>999
「訊け」管理人殿
書き込みに感謝します。
貴殿登場によりユタカ様もよろこんで出て来られたと思います。
遅くなりましたが、
>>999
・
>>1000
の貴殿書き込みについてのコメントです。
>>・・・さて、雅春先生は(『生命の實相』20巻で)「心が変らなくても、救ってくださる神が欲しい」という趣旨の、慟哭にも似た感情を述べておられます。「心を支配すれば、人生が変わる。」そして、「その理屈は分る」と述べられて後、それでも「心という暴れ馬を乗りこなせない」との心情を吐露されておられました。いやこれ、大半の者が悩むテーマなのではないでしょうか。
そして「ホレ、心を乗りこなしてみよ。そしたら救ってやるよ」なんて〝無理難題〟を吹っかける者を、果たして「神と称してよいのか」とも思えます。特に私のようないい加減な人間は・・・・(笑)。<<
ということで、榎本恵吾先生のご文章を引用されました。
榎本先生は、ご自身の悟りの境地から、ユニークなすばらしいご文章を書いてくださっていますが、谷口雅春先生の『人生は心で支配せよ』というご本について、それは、ひと言で言えば、「人間の心で支配するのではなく、神の心で支配せよ」と書かれているのだ、と言われたことがあります。
『人生は心で支配せよ』(谷口雅春著作集 第10巻)の巻頭には、先生直筆の御揮毫が印刷されて掲載されており、そこには
「自ら其の鋭を挫き光を和らげ言を慎む」
と書かれています。
これは老子の
「其の鋭を挫(くじ)き、其の紛を解く。其の光を和し(和らげ)、其の塵に同ず」
(『老子』第4章より。<道を体得した者は、まずもって己の鋭さをくじかねばならぬ。また、糸のもつれたのを解きほぐさなければならない。次にきらびやかな光をぼかさねばならぬ。そして世の俗流とその歩調をあわせて行くがよい。>―諸橋徹次 解説。ここから「和光同塵」という四字熟語が生まれている)
という言葉を採用して書かれたものと思われます。つまり、自己主張をつつしめという意味の言葉が、『人生は心で支配せよ』の巻頭に掲げられているのです。ということは、「心で支配せよ」の「心」とは自我の心ではないぞ、と示されているのだと思います。
そして『人生は心で支配せよ』の第4章49頁には、次のような詩的なご文章が書かれています。
「世界は生きている。
神の脈搏を打っている。
神の呼吸を息している。
この世界を支うるものは感性を備えた心である。
この世界のたましいは神である。
自然現象一切は生命の発現である。
葡萄(ぶどう)の幹を流れる樹液にも、
穀物の中に生きている胚種にも、
樹梢(こずえ)に芽を吹く花蕾(つぼみ)にも、
神の生命は脈動する。」
と。そして、
「吾等はは生命の脈動が常に搏(う)っている生ける宇宙の中に生活するのである。この宇宙は、創造を司る一つの霊によって造られたのである。……」
その霊は愛であり、無限であり、完全である。吾等も神の子として神に結ばれているのだ、と書かれていて、まさに榎本先生がおっしゃるとおり、それはひと言で言えば、「人間の心で支配するのではなく、神の心で支配せよ」と書かれているのだと言えるでしょう。
それが、谷口雅春先生のお悟りだったのだ。それで、榎本先生は
≪「實相は完全であるからこちらの力は何も要らない」というふうに、喜ぶのを遠慮しないことが「實相を観ずる」とか「自覚する」とかいうことであったのです。……≫
と書かれているのだと、私は思いました。
1040
:
復興G
:2013/05/07(火) 16:05:10 ID:AB6RqYXc
さて、
>>1001
で 閲覧者 様が、
>>雅春先生のお言葉を気軽に「コピー&ペースト」で公開してほしくないのです。……生命の實相も長々と公開してほしくないというのも本音です。<<
と書かれ、
>>一字一字絶対間違いがないと言えるでしょうか? 改行場所は聖典そのままでしょうか?<<(
>>1021
)
>>間違った文章をそのまま生命の實相が後世に伝えられればとんでもないことになってしまいます。<<
とも書かれていますね。
それについて、考えてみました。
著作権法から言っても、聖典を長々と公開するのは、違反(著作権侵害)になるかと思います。私もやってしまっていました。
他人の著作物を引用する場合は、「自分の意見が主で、引用は従でなければならない」ということが決まりであったと思います。
それで、聖典を引用する場合でも、それについての感想を述べることが主であれば、許されるのではないでしょうか。
この掲示板で聖典の勉強をする場合、
「生命の實相も長々と公開してほしくない」
とおっしゃるのは、どういう立場からおっしゃっているのか疑問の点がありますが、著作権上の問題があるとは私も考えます。
勉強のために一時公開は許されるとしても、web誌友会が終わったら、消去、削除していただいた方が宜しいのではないでしょうか。
トキ管理人様、私が謹写アップさせていただいた
>>961
〜
>>965
は、誌友会終了後は削除してくださいませんか。よろしくお願い申し上げます。
さて、それで、
>>一字一字絶対間違いがないと言えるでしょうか? 改行場所は聖典そのままでしょうか?<<
ということについてですが、それは、人間の作業に完璧と言うことはあり得ません。
現に、正式に出版されている日本教文社刊の聖典にも、誤植はあります。私も、何回か気がついて編集部にお知らせし、訂正していただいたことがあります。
プロの編集者が校正しても、見落としはあり、誤植があり得ます。ましてや、素人の作業が完璧ということは難しいでしょう。
完璧でなければいけないのだったら、著作物の出版は不可能になります。
細心の注意を払って、誤植がないように気をつけて、学習に必要な聖典の箇所を引用させていただくことは許されるのではないかと、私は思ってやってきました。
もし、著作権者から、それが不当だと言われれば、やめるようにいたしましょう。
>>改行場所は聖典そのままでしょうか?<<
この掲示板にアップした場合、行間が詰まって掲示されるので、聖典のそのままでは真っ黒な団子みたいになってとても読みづらくなります。ですから私はあえて改行を増やし読みやすくしてアップさせて頂いています。
もしそれがいけないとなれば、原典通りの字数で止めては1行あける、ということを繰り返すのもひとつの方法かと思います。
以上は、私が思ったことです。
1041
:
復興G
:2013/05/07(火) 16:54:41 ID:AB6RqYXc
>>1038
:志恩様。
ご愛念、ありがとうございます。
「訊け」管理人殿。
今度のweb誌友会日程についてですが――
もう、半分終わったようになってますね。
第14回web誌友会は終わった、次は第15回――と考えてよいような気さえします。
貴殿とユタカさんとが組んで進めてもらえば、そんなに間を空けなくても、浮きに2回ぐらいできるのではないですか?
私は、「5月は休んで、6月7日(金)〜8日(土)はどうでしょう」 と前に書きましたが、ユタカさんと相談して、もっと早く、数多く開いて頂いて結構ですよ。
ユタカさん
>>987
>>はしがきは復習で読みましたが、ここ重要な箇所ではないですか? 自己破壊願望について復興Gさまと話しをしたいと思いました。
人間は本来霊だから肉体を嫌うのでしょうか? では、なぜ地上に誕生したい霊魂が競争して生まれたいと望んで生誕したのでしょうか? 現象が幸福な人は自己破壊願望のない人なのかな?<<
――とおっしゃったので、
≪(『生命の實相』第3巻の)「はしがき」は、おっしゃるとおり、とても大切な根本問題です。基本中の基本でしょう。
罪の意識――自己破壊願望――について、私自身の体験を語りたいと思いますが、長くなるので、また明日以後にさせてください。≫
と昨夜、書きましたね。
それについては、もう少しお時間をください。
第3巻の「はしがき」に
≪わたしは最近、アメリカの精神身体医学の大家カ−ル・メニンジャ−博士の『おのれに背くもの』を日本教文社発行の翻訳で読んだが、これは人間の自己破壊の矛盾的な欲望を自殺本能とし、慢性病を一種の慢性自殺としてその精神過程を分析している大変興味ある書物である。……≫
と書かれている、カ−ル・メニンジャ−博士の『おのれに背くもの』という本を、今から60年近く前の学生時代に買って読んだことがあります。しかし、今探しても見つかりません。本があまり多くなりすぎたので、引っ越しの時に一部処分したことがあるので、この本もそのとき処分してしまったのかも知れません。それで、アマゾンを通して中古本をまた買って読みなおすことにしました。
そうして私自身の体験を織り交ぜ、人類の罪意識による自己破壊願望から戦争も起こるというメニンジャ−博士の分析を、もう一度学びなおし、考えてみたいと思っています。
よろしくお願いします。
1042
:
復興G
:2013/05/07(火) 16:59:37 ID:AB6RqYXc
>>1041
訂正です。
浮きに2回ぐらい → 月に2回ぐらい
でした。
1043
:
うのはな
:2013/05/07(火) 17:46:09 ID:eKS7l5CQ
239 :「訊け」管理人:2012/11/08(木) 13:41:18
「どしどし決め付けていけばよい」、基本線はこれです。ネガキャンの手法はこれら、手馴れた方のものをご参考に。なんの根拠もない話ですが、読み手は論拠までは求めてきませんからね(笑)ですんでどしどし決め付けて行きましょう。曰く「逃げるのは訊け」とか、「論点回避するのは訊け」等。もう、効果的です。「訊けクン返答はなしよ」と(冷静なトーンで)付記されれば、さらに完璧でしょう。弁解機会を奪いながら、どしどしヤルのがコツです。
既述繰返しですが、どんどんやってください。ネガキャン要員の方々。
思いっきり下品な言葉で称されるのも、効果絶大です。さらには私以外の方へのハラスメント、これも効果的です。この訊けですが、他人がイジメられていると黙っておれぬ性分です。そこを衝きましょう。手馴れた方はすでに、随分前から実行なさってますよ。私がスルーしていてもその私が、「どんなハラスメントならば参入してくるか」。よく理解しておられます。
私は、自分へのハラスメントは平気です。ですんで、どうしても私に相手をして欲しい場合は「ブログ読者をイジメて」みましょう。そうすればこの「訊け」管理人ですが、参入してくるかもしれません。「止めろ」という感じで。
そしてこのタイミングを、逃さぬことです。訊けが「止めろ」と申してきた際に、貴方たちはこう連呼すれば、よいのです。「攻撃された!」と。そして、「和解派のクセに、争そいが絶えない!」と・・・・作業はこれだけです。これだけで和解派を、追い込むことが出来ます。簡単でしょう?
追伸
誌友会の司会ですが、受けられるわけがありません。
「参加希望者へのハラスメント」ですが、これが堂々とまかり通ります。誰も注意しません。そこで司会者として制止に入れば、「和解派のクセに」です。そして後日には「前代未聞の誌友会」なんて断言され、反復掲載されます。ネガキャン要員の方々は、これを参考にされるとよいです。そうすればもっと、効果的なネガキャンになりましょう。がんばってくださいね。
1044
:
トキ
:2013/05/07(火) 18:40:14 ID:EcYhkS1g
法律に詳しい友人に、閲覧者 様のご意見について、考えを尋ねてみました。
例えば、刑法では、「原本」を偽造したらそれだけで犯罪になりますが、「写し」を偽造しても、それだけでは犯罪になりません。
もちろん例外はありますが、それは、ファックスやコピーのように、機械で複写をする場合に、電子的に文書を改竄して複製を作る
場合で、これは、ファックスやコピ−は、原本の内容をそのまま複製するという考え方が社会通念上、あるからだそうです。
つまり、「写し」の場合は、内容が正確ではない、という考え方が一般に存在しているとも言えます。また、読み手もその事実を
前提に、文章を読むと考える人が多いと思います。
例えば、図書館などが珍しい本を公開する場合は、だいたいが、PDFで公開しています。それは、研究者などが調査をする資料に
使う場合が多いので、正確さを担保する必要があるからです。
これに対して、掲示板での聖典の引用の場合、研究、調査の対象というよりは、その本を読んで、自分の信仰を高めるという目的
があります。たいていの場合、原本は別に広く存在しますし、もし、調査研究目的の場合は、この掲示板での引用ではなく、古本屋
さんに行くか、図書館に行って「原本」を探します。
もちろん、だからと言って、誤字脱字は、意図的な表現の改竄はタブーです。が、それ以外については、段落などの改編は問題は
ないと考えています。さらには、谷口雅春先生は、旧かなづかいを大切にされていましたが、現在、刊行されている聖典の多くは、
新仮名遣いです。それらを考えると、基本的には、内容、表現以外の部分については、投稿者様の良識に任せるべき問題かと考えて
おります。
むしろ、聖典を紹介し、原本を見るように勧める事や、既に絶版になった本を紹介して信仰心の向上につとめる事は、それが
著作権法に抵触しない限り、大いに賞賛されるべき事かと考えます。
合掌 ありがとうございます
1045
:
トキ
:2013/05/07(火) 18:41:06 ID:EcYhkS1g
追伸
もちろん、聖典を尊重し、大事に扱うべきで、その点は、閲覧者様の貴重なご意見に深く
感謝申し上げます。
合掌 ありがとうございます
1046
:
トキ
:2013/05/07(火) 18:46:51 ID:EcYhkS1g
>>1040
個人的には、復興G様のご指導の内容ですから、残したいという気持ちはありますが、
御希望の通りにさせていただきます。削除する時が参りましたら、ご教示下さい。
合掌 ありがとうございます
1047
:
復興G
:2013/05/07(火) 19:01:24 ID:AB6RqYXc
>>999
「訊け」管理人殿
>>1039
の補足をさせてください。
『人生は心で支配せよ』(谷口雅春先生著)の第1章に、次のように書かれています。(抜粋)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
第1章 心の法則
(前略) 生命の實相哲学が諸君に順次解明せんとすることは、宇宙の最始源には、ただ「心」即ち超物質的存在なる「霊」のみがあったと云うことである。……創造せられたる一切のものは霊を材料として造られたのだと言わざるを得ない。心は想念(コトバ)によってのみ活動することが出来る。それ故心は想念(コトバ)と呼ばれる材料をもって、見ゆる形に一切のものを創造したのである。一切のものは、想念(コトバ)によって、はじめてその形を現したのである。然らば創造とは想念(コトバ)の活動の過程を言い現したものにすぎない。想念(コトバ)は一切のものの原因であり、一切のものはその結果である。 (中略)
吾々の哲学は、吾々は如何にすれば吾々の国家を、社会を、肉体を、環境を、すべての者の運命を支配してこれを栄えあらしめる事が出来るかを明らかにするのである。と云うのは、吾々の光明哲学は人間が小宇宙であること、大宇宙において行われた創造の過程は小宇宙においても真であること、――換言すれば想念は物に化(な)ると云うことを明らかにするからである。そして宇宙を支配する法則を暁(さと)って、これと調和するならば、人間は無限の自由を獲得し、あらゆる制約を超越して、無礙無縛(むげむばく)の状態になり得ることを明らかにするのである。 (中略)
吾等は、吾々自身が自力で思い煩うことなくして、宇宙精神の創造力に委せ切って自分の欲する事物をほしいままに得ることが出来るのである。吾らは創造力を自分で造るのではない。大生命に委せ切って宇宙の創造力に働いて頂くのである。吾らの委せ切りの心が深まれば深まるほど、その程度に従って宇宙の自浄力(いやすちから)が吾らのために無限にはたらいてくれるのである。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
上記のご文章を読んでも、『人生は心で支配せよ』とは、
「人間の心ではなく、神の心に支配せしめよ」
「神の心(すなわち実相)に任せよ」
という意味であることが、明らかだと思います。
榎本先生が
≪ああしてから、こうしてからは止めて、今そのまま素っ裸のままで喜ばせてくださるのが生長の家の御教えなのです。≫
とおっしゃっている通りですね。
1048
:
復興G
:2013/05/07(火) 19:10:08 ID:AB6RqYXc
>>1044
〜1046: トキ様
お世話をかけます。ありがとうございます。
感謝 合掌
1051
:
ユタカ
:2013/05/07(火) 21:13:27 ID:2DhH33vQ
トキ様が法律の詳しい方のお話を聞かれたお答えを呼んで安心いたしました。
すみませんが、読み返しをしたいので、聖典の写しはなるべく削除なさらないで下さる事を希望いたします。
1052
:
ユタカ
:2013/05/07(火) 21:16:02 ID:2DhH33vQ
a hopeさまへ
何かの参考になればと思い貼り付けます。
>>『教義の大綱』について
谷口雅春先生は生長の家を教化団体として貫こうとされていましたが、文部省の強く宗教結社となるように指導があり、昭和15年4月1日、それまでの教化団体から宗教結社生長の家として出発することになりました。
生長の家が宗教結社となったため、「教義の大綱」、「奉斎主神、安置仏等の称号」が次ぎのように決められました。
教義の大綱
「国体を明徴にして皇室の尊厳を明にし、各宗の真髄を天皇信仰に帰一せしめ、尽忠報国、忠孝一本の国民精神を昂揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、処、相応の大調和を得せしめ、兼て天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す」
奉斎主神、
安置仏等の称号
道場又は集会室に特に顕斎せる主神又は安置仏なし。心に幽斎する主神としては宇宙大生命(みおやのかみ)(その幽之幽なる神として天之御中主神、幽なる神として天照皇大神、現人神として天皇)を礼拝す。宇宙大生命は宏大無辺にしてその仁徳一切に及び一切を包容するが故に、各自は祖先伝来の宗教を信じ又は自宅にて如何なる斎神又は安置仏を奉ずるも差支えなし。宇宙大生命の道を顕楊し、日本国威を発揚し、皇威を顕楊する東道(みちびき)の神として心の幽斎する副神として生長の家大神(『古事記』『日本書紀』に顕れたる住吉大神即ち後に塩椎神、仏典に顕れたる釈迦、観世音菩薩及びその応化仏、基督教の『黙示録』第一章に現れたる七つの燈台の点燈者)を礼拝す。
宇宙大生命(みおやのかみ)は宇宙生命の根本実相にして、宗派に偏らざる哲学的表現を用うれば「生命の實相」なり。この意味にて道場又は集会室に「生命の實相」又は単に「實相」の掛軸を掲出することあり。
谷口雅春先生により、ここに教義の大綱が示されています。ここには生長の家発祥の根本が説かれています。
谷口雅春先生は一貫して「国体の明徴化」「ご皇室の尊厳の闡明化」「各宗の真髄を天皇信仰に帰一化」することを生長の家の根本使命とし、大調和、総感謝、中心帰一、永遠至福の地上天国実現の大目標ために実際運動を起すことを宣言されています。
生長の家は根本に「天皇国日本の国体を護持」する使命を持って実際運動をしていく宗教団体でなければなりません。その上で、人時処に相応した實相世界の至福を個人個人に実現し、以って社会全体、世界全体を實相世界の映しとして、天皇陛下を中心しとした一君万民の大調和世界を実現していく使命があります。そこの根本を失った時、生長の家は生長の家でなくなります。
そのために、今一度 『教義の大綱』 に帰って、谷口雅春先生のご意志をかみ締めたいものです
1053
:
a hope
:2013/05/07(火) 23:11:41 ID:edEDolt2
>>1052
ユタカさま
すごい文章ですね。
漢字が多くて目が回りそうになりましたよ(笑)
二つ質問させてください。
これは、「生長の家」が(人類光明化のための)教化団体から宗教団体に移行するときに発表されたものなのですね。
ということは、それ以前はこのような「教義の大綱」や「奉斎主神、安置仏等の称号」はなかったということでしょうか?
最後に、<< 谷口雅春先生により、ここに教義の大綱が示されています。ここには生長の家発祥の根本が説かれています。…>>
と述べられていますが、この文章は誰が書かれたのでしょうか?
1054
:
志恩
:2013/05/08(水) 06:24:34 ID:.QY5jUA6
ahope様
ユタカ様あてのメールですが、
a hope様の次の質問…
「最後に、<< 谷口雅春先生により、ここに教義の大綱が示されています。ここには生長の家発祥の根本が説かれています。…>>
と述べられていますが、この文章は誰が書かれたのでしょうか?」
これにつきましては、復興G様、トキ様の方が、お詳しいと存じますけれど、
このような「宗教関係に関する」一切合切は、谷口雅春先生ご自身が、考えられて、書かれてましたよね。
ただ、「政治」に関する事は、雅春先生は、疎かったので、
その当時、企画局部長でいらした大狭先生に、立案の素案を作成するように、頼まれたのだと思います。
その事は、当時の神誌に、雅春先生は、正直に書いておられました。
【自分は、政治のことは、疎いので、大狭さんに…】というふうに、
雅春先生は、他人がやったことを、ご自分がされたようにして、公表されるようなお方では、
ありませんから、宗教関係のことは、ご自分でされたと思います。
話が,それますが
大狭先生の作られた生政連の企画立案の素案は、あのとき、大狭先生は、お山に提出される前に、
たしか、政治のことにも お詳しかった田中忠雄先生に、見ていただいて、それでOKが出たので、
その原稿を私が、和文タイプで打ち、輪転機で印刷し、書類にして、それを大狭先生が、お山に提出されたと記憶しております。
その後、雅春先生からOKが出て、「政治局」の部屋が新設されました。(私はそのとき、政治局には、移動していません)
政治局の局長に、田中忠雄先生。
事務局長に大狭先生がなられました。
前に書きましたとおり、雅春先生は、他人の手柄を、ご自分の手柄にして言うようなお方では、決してありませんから、
宗教関係のことは、全て、ご自分で考えられて、(それを、心のゆるせる人に,見せたかもしれませんが)発表されて
おられたと存じます。
私は、政治連合板に、生政連の企画立案を大狭先生が、雅春先生に頼まれて作られたと,書きましたが、
それは、なぜかといいますと、雅春先生は、宗教関係にはお詳しいお方でしたが、政治 のことには、疎いので、
それで、
1055
:
志恩
:2013/05/08(水) 06:29:48 ID:.QY5jUA6
下の3行は、要らない文章が残っていました。
ここの掲示板は、削除できませんが、、、ごめんなさい。
1056
:
「訊け」管理人
:2013/05/08(水) 07:30:11 ID:???
>>復興Gさま
ご愛念に感謝致します。さっそく以下にて、返信文を投稿させて頂きます。
・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…
上記のご文章(
>>1047
)を読んでも、『人生は心で支配せよ』とは、
「人間の心ではなく、神の心に支配せしめよ」
「神の心(すなわち実相)に任せよ」
という意味であることが、明らかだと思います。
榎本先生が
≪ああしてから、こうしてからは止めて、今そのまま素っ裸のままで喜ばせてくださるのが生長の家の御教えなのです。≫とおっしゃっている通りですね。
・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…
本当にありがたい教えであると、思います。悪戦奮闘をしていた期間が長かった、私の様な者は特にそう感じると思います。やや余談ながら「二十五歳まで生きられぬ」と云われた戦前の日本人ですが、この方々がこの光明思想に魅了された理由も、(おぼろげながら)解ります。眩しく感じられたのでは、ないでしょうか。
さて、この「人間の心ではなく、神の心に支配せしめよ」に関してでありますが、以下ご投稿はありがたいものでした。
・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…
>>1039
『人生は心で支配せよ』(谷口雅春著作集 第10巻)の巻頭には、先生直筆の御揮毫が印刷されて掲載されており、そこには
「自ら其の鋭を挫き光を和らげ言を慎む」
と書かれています。
これは老子の
「其の鋭を挫(くじ)き、其の紛を解く。其の光を和し(和らげ)、其の塵に同ず」
(『老子』第4章より。<道を体得した者は、まずもって己の鋭さをくじかねばならぬ。また、糸のもつれたのを解きほぐさなければならない。次にきらびやかな光をぼかさねばならぬ。そして世の俗流とその歩調をあわせて行くがよい。>―諸橋徹次 解説。ここから「和光同塵」という四字熟語が生まれている)
という言葉を採用して書かれたものと思われます。つまり、自己主張をつつしめという意味の言葉が、『人生は心で支配せよ』の巻頭に掲げられているのです。ということは、「心で支配せよ」の「心」とは自我の心ではないぞ、と示されているのだと思います。
・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…
自己主張即ち、「ニセモノの、肉体の自分に主導権を渡す行為」ですが、これに注意を払わねばなりません。その通りであります。なお、事業運営に於いては「現象対処」の要も眼前に、現われて参ります。どうしても現象に瞞着され、肉体人間の「鋭」を頼りにして仕舞いがちです。
そこで自戒の意味を込めまして、以下(「智慧の言葉」)を引用致します。
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
「智慧の言葉」より謹写――
○ 汝は何のために自己弁解するのか。汝がそのように弁護し、まもろうとしている自己は『汝の本物』ではないのだ。それは『汝』であると云って汝を欺き周囲を欺いている詐欺漢である。
○ 何も隠すことも蔽うこともない。汝自身が悪いのではない。ニセ物が汝の名を騙って、汝と周囲を欺いていたのである。
○ 汝のニセ物の仮面を剥げ、ニセ物の罪状をあらわにせよ。ニセ物を逐い出し、叩きいだせよ。 ――これを懺悔と云う。
○ 罪を隠しているのは、罪を実在だと思っているからである。矢張り『本物の自分』が罪を犯したのだと思っているからだ。『本物の自分』をもっと尊べ。『ニセ物の自分』を罵れ。それを叩き出し、『無』にまで粉砕せよ。
○ 『ニセ物』を其の家から逐い出すには、『ニセ物』は盗賊であり詐欺漢であるから『本物の主人』がその家に帰ってくれば、ひとりでに『ニセ物』は逃げて行く。
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
よき言葉の拝読機会を賜りました。誠にありがとうございました。
拜
追伸
さて、『人生は心で支配せよ』の件です。これを再度拝読しようと思いたち、書棚をあさっておりました。そうしたところ、紛失していた本(経営関連の書)が出て参りました。そしてこれが、現在の私にとって非常に示唆に富む本でありました。『人生は心で支配せよ』に導かれて出てきた経営本 ―― これに救われました。図書指定の件もありがとうございました。
1057
:
ありがとう
:2013/05/08(水) 07:36:58 ID:???
『生長の家 三拾年史』 9頁
「生長の家の本尊に就いて」として
昭和15年4月9日午後2時より名古屋公会堂に於ける講演の速記
入手できなければ、本流掲示板及び光明掲示板で「天皇信仰」を。
1058
:
a hope
:2013/05/08(水) 09:35:33 ID:edEDolt2
みなさま おはようございます。
>>1054
志恩さま
<<このような「宗教関係に関する」一切合切は、谷口雅春先生ご自身が、考えられて、書かれてましたよね。
ただ、「政治」に関する事は、雅春先生は、疎かったので、
その当時、企画局部長でいらした大狭先生に、立案の素案を作成するように、頼まれたのだと思います>>
そうなのですか・・・。
「政治」に関しては、雅春先生は疎かったのですか・・・。
「それでは、わたしと一緒ですね!」って、 a hopeと雅春先生を一緒にしたらいけませんね。
失礼いたしました。
ところで志恩さまは、当時の「生長の家」でとても重要なお仕事を任されていたのですね。
それで、志恩さまは色々な情報をご存じなのですね。
わたしは、「生長の家の教え」のうちの、「唯神實相哲学」にはとても興味をもって入信しました。
ですから、正直に言えば、「生長の家」の天皇信仰ですとか、愛国、政治運動、
さらには、現教団の推進している環境保護運動にはいまでもほとんど興味がないのです。
今回、ユタカさまが貼り付けて
>>1052
に貼り付けてくださった、「教義の大綱」や「奉斎主神、安置仏等の称号」を拝見した限り、
わたしには、その文章の中に、政治的なものは全く感じられませんでした。
それは「生長の家」が宗教団体として活動していくために、この現象世界での「生長の家の信仰的見解」を明確に表現された御文章のように感じました。
一方、後半のどなたが書かれたかわからない御文章、
<<谷口雅春先生により、ここに教義の大綱が示されています。ここには生長の家発祥の根本が説かれています。
谷口雅春先生は一貫して「国体の明徴化」「ご皇室の尊厳の闡明化」「各宗の真髄を天皇信仰に帰一化」することを生長の家の根本使命とし、大調和、総感謝、中心帰一、永遠至福の地上天国実現の大目標ために実際運動を起すことを宣言されています。
生長の家は根本に「天皇国日本の国体を護持」する使命を持って実際運動をしていく宗教団体でなければなりません。その上で、人時処に相応した實相世界の至福を個人個人に実現し、以って社会全体、世界全体を實相世界の映しとして、天皇陛下を中心しとした一君万民の大調和世界を実現していく使命があります。そこの根本を失った時、生長の家は生長の家でなくなります。
そのために、今一度 『教義の大綱』 に帰って、谷口雅春先生のご意志をかみ締めたいものです >>
こちらには、「生長の家」は「愛国心」をもって政治的運動をしていくべきでありそれが雅春先生のご意志であるような、ニュアンスが含まれているように感じます。
これは、あくまでも雅春先生の愛国書と言われるものをほとんど拝読していない、信仰歴数年のa hopeが感じたことです。
受け取り方に間違いがある可能性も大きいです。
ですが、後半のどなたが書かれたかわからない御文章には、わたしはそのような違和感を覚えました。
わたしの正直な感想です。
ユタカさま、この全体の御文章の出典を教えてくださいませんか?
>>1052
ありがとうさま
情報提供をありがとうごさいます。
早速、光明掲示板で検索してみましたら、山ちゃん1592さまの『天皇信仰の根源と生長の家 (4204)』がヒットしました。
http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=859&submitlog=859
今日はこれから仕事ですので、あとでゆっくり拝見します。
それでは、みなさま、今日も一日元気にお過ごしください!
1059
:
志恩
:2013/05/08(水) 10:18:52 ID:.QY5jUA6
ahope様
谷口雅春先生が、政治に進出されようと、決意されたのは、生長の家の教えを拡大するために、
政治を利用されようと思われたのでは、ありません。
雅春先生は、今、雅宣総裁がされてる環境問題やエコ運動のように、
雅春先生は、教えを現実面で、現象世界で活かす為に、されておられた運動がありました。
当時は、年間の中絶数が、膨大にあったときで、ですから、
「優生保護法の運動」や
「憲法改正の運動」、
青少年不良化防止運動、
おまわりさんに感謝す運動、等、
全国的に、生長の家の組織をあげて、
推進されてましたが、特に、優生保護法、憲法改正を、国民のために、現実化するには、
政治が、それを法制化しない限り、歌に唱ってるだけで、、絵に描いた餅のようなものだ、と
おっしゃって、
それで、本来は、苦手でいらした政治運動をされることに決めたと、伺っております。
(ですから、私は、雅宣総裁が、環境問題をされてることは、否定していません。
おかしいと、心ある皆様(私も)が、雅宣総裁にブーイングしているのは、
本来の、神の子人間の教えを中心に置かず、脇の運動にすべき、環境運動ばかりを中心に置いて、
その運動に
明け暮れておられることを、皆様で、それは、おかしいでしょうと、申し上げているのです。)
昔のこと、私は、重要なことは、していないのです。
たまたま、それらの方々の、事務的な面を言われて、やってただけなんです。
その後の政治局の、生政連のことは、わかりませんでしたが、
以前に、トキ様が、詳細に書いて下さってるところが、あります。
それは、「政治連合板」のほうへ、転載させて頂きます。
それがですね、凄く,長いんですよ。2〜16まで、ありました。
最後の16は、山ちゃん1952様のご文章です。
1060
:
志恩
:2013/05/08(水) 11:19:05 ID:.QY5jUA6
本流が 雅宣総裁に、ブーイングの嵐なのは、
1059に書きましただけの理由では、ありませんが、、
1061
:
トキ
:2013/05/08(水) 11:56:11 ID:.EGbH5eE
たぶん、谷口雅宣先生の認識にあるのは、現代文明の閉塞感と問題点だと思います。
環境破壊やエネルギーの浪費で、このままだと人類は滅亡してしまう、という危機感があるのでしょう。
また、テロや戦争と言った問題も世界中に蔓延しています。その戦争の原因の大部分は、エネルギー問題
である以上、エネルギー問題への解決が大事である、という認識もおもちだと思います。
今、中国では環境破壊が激しく、河川は汚染され魚もすめなくなり、空気に至っては計測機器が測定不能
である、という状態になるほど汚いとききますが、彼に脳裏にあるのは、そういう光景でしょう。
しかし、ここまで高度に発達した社会で、今更、科学技術を否定した生き方は出来ないのも事実です。
そこで、人間の欲望を押さえる事でエネルギーの消費量を減らすと共に、科学技術を旨く使って人間と
自然との共生できる世界こそが、あるべき理想であると考えているのでしょう。
そのためには、生長の家という組織を使って呼びかけるだけではなくて、実際に、どういう生き方を
するのが理想か、という事を社会に示すのが、現代の宗教界の使命である、と思っているのではないか
と思います。彼が「精神論の時代は終わった」と言い出したのは、つまり、生長の家という組織が手本
を見せて、世界がそれを手本にして欲しい、という発想があるのでしょう。
「森のオフィス」なども、学者や建築家からは高い評価を得ていると聞いています。(もっとも、あれ
だけの金をかけたら、スゴいものが出来るのは当然ですが)
賛成するか、どうかは別にして、それはそれで一つの見識だとは思います。
ただ、問題は、そういう環境保護への過大な傾倒が、実際に組織運動に極めて悪い影響を与えている
事です。信徒は減り、部内の士気は低下し、救済力は落ちています。本部の人達はどう考えているかは
知りませんが、現場、あるいは部外の人から見たら、「ああ、“新しい文明”とやらは、結局、机上の空論
だ」と完全否定する方向になると思います。
私は、現場の雰囲気を見ていると、大半の人が、谷口雅宣先生を支持していないので、このチャレンジは
結局、失敗すると感じています。また、これは私の縁者の「一白鳩会員」が言っている事ですが、総本山
から「鎮護国家」を外した事で、谷口雅宣先生の運命は決まったと話しています。まあ、これは、「一白鳩
会員」の勝手な霊感ですから、信用できるかどうかは別ですが。
そこで、考えるのですが、現場から猛烈な反発が出ているのは、谷口雅宣先生が社会通念上、考えられない
ほどのトップダウンの常習者で、しかも、そのことごとくが失敗しているからです。(ただ、私は、そういう
認識でいますが、もし、異論がある方はご投稿をお願いします。)。しかし、やり方さえ違えば、成功した
事例は多数あると感じています。
もともと、環境保護路線というのは、谷口雅春先生も御教示されていた部分はあります。ですから、手順を
踏んで、かつ、バランスを考えて運動へ取り入れたら、現在の本流復活派でも賛成できる部分があるのです。
それを強引な手法で強行し、かつ、救済を無視した以上な環境保護への傾倒が、多くの信徒の反発をかった
ものだと思います。
吉田國太郎先生が、二階にいる人が外に出る時に、階段を使えば怪我もなしにいけるのを、二階の窓から
飛び降りるから怪我をするのだ、と「常楽への道」で書かれていました。現在の総裁のやり方もそれと似ている
と思います。
その意味では、谷口雅宣先生の指導については、惜しまれてならないと感じます。
1062
:
神の子さん
:2013/05/08(水) 13:34:00 ID:ffNG7FhM
トキ様
雅宣さんの方針は、環境保護団体であれば、全く問題がないと思います。雅宣さんの考えで、雅宣さんの方針の環境保護団体としてあるならば、良いのではないでしょうか。
その上で、雅宣さんは生長の家と別に環境保護団体を主宰になられたら、宗教法人生長の家と、兄弟関係を築いていく道もあると思います。
雅宣さんを排除するのでなく、雅宣さんの使命を生かす一番の道のようにも思います。
久々投稿させてもらいました。では、仕事入ります。
1063
:
トキ
:2013/05/08(水) 14:00:27 ID:.EGbH5eE
>>1062
ご投稿、ありがとうございます。実は、投稿する場所を間違えたのですが、皆様にお詫びします。
確かに、そういう考え方もあると思います。教団としてではなくて、関連団体がそういう運動を
するのは、問題はないと考えます。
合掌 ありがとうございます
1064
:
復興G
:2013/05/08(水) 14:08:56 ID:AB6RqYXc
>>1052
で、ユタカ様が
「a hopeさまへ 何かの参考になればと思い貼り付けます」として、<『教義の大綱』について>というのを投稿されました。
それについて――
前記の<『教義の大綱』について>だけを読むと、たとえば<日本国威を発揚し、皇威を顕楊する東道(みちびき)の神として心の幽斎する副神として生長の家大神……>というような言葉がありますから、生長の家は時代錯誤の超右翼、超国家主義団体か、というよな印象を持たれるかも知れません。
しかし、生長の家は右翼でも左翼でもありません。右翼と左翼の中間というような意味での中道でもありません。そんな現象を超えた、根源的な意味での「中道」でありますね。
前記<『教義の大綱』について>というのは、ユタカ様も書いておられるように、昭和15年(大東亜戦争勃発の前年)に、文部省から宗教結社として届け出るようにと強い指導を受け、作られたものですが、その経緯などについては、『生長の家三拾年史』に「生長の家の本尊に就いて」と題して詳しく書かれています。そして『神の真義とその理解』という本にも、その一部「昭和十五年四月九日午後一時より名古屋公會堂に於ける講演の速記」というのが収録掲載されています。
ユタカ様がアップされたのは、昭和15年に文部省に宗教結社として届け出られた「生長の家の概略」なるものの一部ですが、まずは『生長の家三拾年史』に掲載されている全文を原文のまま(漢字・仮名遣もそのまま)謹写させて頂きましょう。
***********************
生長の家の本尊に就いて
谷口雅春
本尊たる生長の家大神についての解説は「宗團法による宗教結社届解説(『生長の家』誌第十一輯第十一號<注・昭和15年11月号>所載)」には次の如く示されてをります。
宗教團體法第三十六條に依リ宗教結社として届出の生長の家の概略左の如し。
一、名称 教化團體 生長の家
教義ノ大要
『國體ヲ明徴ニシテ皇室ノ尊嚴ヲ明ニシ、各宗ノ神髄ヲ天皇信仰ニ歸一セシメ、盡忠報國、忠孝一本ノ國民精神ヲ昂揚シ、悪平等ヲ排シテ一切ノモノニ人、時、處、相應ノ大調和ヲ得セシメ、兼テ天地一切ノモノニ総感謝ノ實ヲ擧ゲ、中心歸一、永遠至福ノ世界實現ノ大目的ヲ達成センコトヲ期ス』
ソノ實行目標トシテ次ノ『七つの光明宣言』アリ。
七つの光明宣言
▽吾等は宗派を超越し生命を禮拝し生命の法則に随順して生活せんことを期す。
▽吾等は生命顯現の法則を無限生長の道なりと信じ個人に宿る生命も不死なりと信ず。
▽吾等は人類が無限生長の眞道を歩まんが爲に生命の創化の法則を研究發表す。
▽吾等は生命の糧は愛にして祈りと愛語と讃歎とは愛を實現する言葉の創化力なりと信ず。
▽吾等は神の子として無限の可能性を内に包有し、言葉の創化力を駆使して大自在の境に達し得ることを信ず。
▽吾等は善き言葉の創化力にて人類の運命を改善せんがために、善き言葉の雑誌『生長の家』及び聖典を結集して發行す。
▽吾等は正しき人生観と正しき生活法と正しき教育法とにより病苦その他一切の人生苦を克服し、相愛協力の天國を地上に建設せんが爲に實際運動を起す。
儀式及ビ行事ニ關スル事頂
冠婚葬祭等――ニ『生長の家』特殊ノ儀式ナク、誌友ハ祖先崇拝ノ美風ヲ顯揚スルタメ各自ノ祖先傳來ノ儀禮ニ則ルモノトス。但シ、祖先ガ無信仰等ニシテ傳來セル宗教ナキ場合ニハ臨終ニ際シテ慰靈スルタメノ引導文アリ。『久遠いのちの歌』アリ。又顯幽ヲ問ハズ、人ノ靈魂ノ開悟ノタメニ聖経『甘露の法雨』『天使の言葉』等ヲ讀誦スルコトアリ。
<つづく>
1065
:
復興G
:2013/05/08(水) 14:09:38 ID:AB6RqYXc
<つづき>
観行――座禅観法ト祈リトヲ合併セル如キ精神統一的行事ニ神想観アリ。(『生命の實相』観行篇詳細説明参照)
左ノ四種ノ招神歌ヲ誦シテ後、宇宙大生命の生命自己ニ流レ入ルト観ジテ精神統一ニ入ルモノトス。
招神歌
生きとし生けるものを生かし給へる御祖神元津靈ゆ幸へ給へ
吾が生くるは吾が力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が爲すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を傳へんと顯れましし生長の家の大神守りませ
奉齋主神、安置佛等ノ稱號
道場又ハ集會室ニ特ニ顯齋セル主齋神又ハ安置佛ナシ。心ニ幽齋スル主神トシテハ宇宙大生命(ミオヤノカミ)(ソノ幽之幽ナル神トシテ天之御中主神、幽ナル神トシテ天照皇大神、現人神トシテ天皇)ヲ禮拝ス。宇宙大生命ハ宏大無邊ニシテソノ仁徳一切ニ及ビ一切ヲ包容スルガ故ニ、各自ハ祖先傳來ノ宗教ヲ信ジ又ハ自宅ニテ如何ナル齋神又ハ安置佛ヲ奉ズルモ差支ナシ。宇宙大生命ノ道ヲ顯揚シ、日本國威ヲ發揚シ、皇威ヲ顯揚スル東道ノ神トシテ心ニ幽齋スル副神トシテ生長の家大神(古事記日本書紀ニ顯レタル住吉大神即チ後ニ盬椎神、佛典ニ顯レタル釋迦、観世音菩薩及ビソノ應化佛、基督教ノ黙示録第一章ニ顯レタル七つノ燈臺ノ點燈者)ヲ禮拜ス。
宇宙大生命(ミオヤノカミ)ハ宇宙生命ノ根本實相ニシテ、宗派ニ偏ラザル哲學的表現ヲ用フレバ『生命の實相』ナリ。コノ意味ニテ道場又ハ集會室ニ『生命の實相』又ハ單ニ『實相』ノ掛軸ヲ掲出スルコトアリ。
教典、其ノ衍議等
谷口雅春氏著『生命の實相』並ニ光明思想普及會發行ノ書籍雑誌等。
ソノ内容ハ、
古今東西ノ哲學、宗教等ノ原典ヲ引用解釋シ、比較宗教哲學的ニソノ中心眞理ト認ムベキモノヲ整理シテ、日本學的ニ體系ヅケラレツツアルノガ谷口雅春氏著『生命の實相』哲學ニシテ、今尚續々執筆サレツツアリ。
毎月個人雑誌『生長の家』『行』『白鳩』『光の泉』等ニ發表サレ、ソレヲ結集シテ『生命の實相』全集トナス。
サレバ其ノ哲學ハ一言ニテ盡シ難キモ概言スレバ神國日本、天皇ノ絶對尊嚴性ヲ宣揚シ臣民ノ道ノ中心(スメロギ)ニ歸一シ奉ルベキニアルヲ明ニシ、同時ニ生命ナルモノノ本來性(實相)ヲ究明セルモノナリ。即チ人間ノ本來性ハ肉體ニ非ズシテ、神(佛)ヨリ割(サ)キ生エラレタルモノ、神(佛)ヨリ恵マレ出デタル生命ナレバ本來神性(佛性)ナルモノニシテ神ノ絶對完全圓滿、久遠不滅性ヲ備フルモノナリトシテ、可壊無常ノ肉體ソノママニ金剛不壊ノ生命ヲ把握セシム。
而シテ更ニ遡リテ生命ノ本源ナル、神ナル宇宙大生命ノ親様ガソノママニ顯現マシマセル方コソ天皇ナリト仰ギ奉リ、我等人類各々ヲ天皇ノ赤子即チ『神ノ子』ト稱シ、アラユル世界ノ宗教ヲ天皇信仰ニ歸一セシメ、一君萬民中心歸一ノ世界コソ生命界ノ實相ナリト説ク。
***********************
以上が、昭和15年4月1日付けで文部省に届け出られた文章の原文(『生長の家三拾年史』より)であります。
こういう届け出が出されるようになった経緯については、「昭和十五年四月九日午後一時より名古屋公會堂に於ける講演の速記」というのが『生長の家三拾年史』に続けて掲載されていて、それを読むとよくわかります。
これは41頁にわたる長文のものですが、この「教義の大要」等の届出文の神意を理解するためにはとても重要なものだと思いますので、「三拾年史」の記録を新かなで掲載されている『神の真義とその理解』から、謹写掲示させて頂きたいと思いますが、長文なので、ちょっと時間がかかります。お待ち頂きたく思います。
1066
:
復興G
:2013/05/08(水) 14:13:36 ID:AB6RqYXc
誤記訂正です。
「昭和十五年四月九日午後一時より」 → 「昭和十五年四月九日午後二時より」
でした。お詫びします。
1067
:
神の子さん
:2013/05/08(水) 14:41:47 ID:???
ありがたいです
ありがた過ぎます
お願いです。消さないで下さい。
谷口雅春先生のお言葉を消さないで下さい。
1068
:
うのはな
:2013/05/08(水) 15:32:12 ID:oUf8A.sw
訊け管理人さんは、別版での試合に忙しいようで、
大調和の神示に基づいた司会はむずかしいのではないでしょうか?
833 名前:「訊け」管理人 投稿日: 2013/05/08(水) 15:29:27
で中学生よ。
『生命の實相』27巻じゃが、あれはどうなった?(笑)
オマエが進めてきたんだが、分っているかこの状況?(笑)
拜
1069
:
トキ
:2013/05/08(水) 15:37:25 ID:.EGbH5eE
>>1068
ご意見、ありがとうございます。
ただ、復興G様がせっかく谷口雅春先生の御文章を書いて下さった後ですから、
できれば、今後は他の板へ書いて下さったほうが嬉しいです。
合掌 ありがとうございます
1070
:
うのはな
:2013/05/08(水) 15:46:04 ID:oUf8A.sw
他の版で訊けがやいやいいってることに説明してからにしてください。
1071
:
うのはな
:2013/05/08(水) 16:38:36 ID:54mpDrwo
384 :「訊け」管理人:2012/08/06(月) 18:17:59
>だからもう、神の子さんもキケ氏もこんなことばかりいうのなら話しかけな
>いで下さい。
はい、そうします。
さようなら、女神さま
拜
1072
:
ユタカ
:2013/05/08(水) 17:14:58 ID:2DhH33vQ
a hope様
実際運動を起こすとは七つの光明宣言に出ている言葉をしようしたと思いますが、どうでしょう?
これは、「光の進軍」からの引用です。 今は復興G様がご解説くださるようで、有難く、楽しみに待っているところです。
志恩さま、 創始者先生と同じ時代にご奉仕できていたこと、素晴らしい!!ですね。。感激しました。当時の様子やさまざまな思い出をぜひぜひ、沢山ご公開くださいませ。
1073
:
ユタカ
:2013/05/08(水) 18:04:13 ID:2DhH33vQ
解説者さま、こちらこそよろしくお願いします。 前に訊けさんの分身?では?疑惑のあった方ですか?
>1061 トキ様、本当に全く同感です。時間をかけて当時の幹部と調和しながら進む方法もあったはずだと思うと残念でなりません。本部練成道場は特別な行事以外の一般練成中は練成参加者が少なく環境に配慮しすぎて暗くて怖い雰囲気です。
総裁が現状を理解できる力を持ちますように・・と祈るばかりです。
1074
:
志恩
:2013/05/08(水) 19:09:21 ID:.QY5jUA6
復興G様
生長の家の貴重な、過去の著書から資料から、よく蔵書として、大事に保存されておられるのですね。
こういう現象的には、生長の家が、混沌とした時代に、
復興G様がお元気でいらして、
しかも、PCを自由にこなせるという稀にみる能力をお持ちでいらしゃる。
それで貴重な,われわれが知らなかった数々の 雅春先生の過去のご文章を、ご披露頂けまして、
本当に,有り難く幸せに思っております。
山ちゃん1952様が「歴史に学ぶことが大切だ」というお話を、度々されていらっしゃいますが、
おかげさまで、歴史に学ぶことが出来ます。
私は、たまたま雅春先生が、総裁でいらした時代に、本部にいて、、
裏方で、まごころこめて、日々奉職させて頂いた者ですが、、それが澄んだ空気のように、
当たり前になっておりました。
しかし、
当たり前に感じていた澄んだ空気が、希薄になり、心が窒息しそうになりまして、
澄んだ空気のありがたみが、身に沁みて感じられる
今日この頃でございます。(笑)
ユタカ様やahope様が、いい質問をされるので、その質問に答えるために
復興G様がちょくちょく出て下さるので、ラッキー♡と思っております。
1075
:
解説者
:2013/05/08(水) 19:11:30 ID:???
ユタカ様
>前に訊けさんの分身?では?疑惑のあった方ですか?
いまだにそう思ってらっしゃる方も多いと思いますが、
まーったくの別人です(笑)。笑いのツボは似てますが(笑)。
先日、訊けさんとはリアルにお会いしました。
イケメンかどうかはノーコメントとさせていただきますが、
キャラはそのまんまでしたよ。
彼は自作自演や身内贔屓など野暮なことはしませんから、
誌友会の司会は適任だと思います。
私も誌友会を楽しみにしています。
拝
1076
:
トキ
:2013/05/08(水) 19:29:52 ID:.EGbH5eE
>>1074
私も同じ意見です。復興G様のような素晴らしい講師が、パソコンを使えるのは、私達、後輩から
見たら、本当に僥倖です。心から感謝申し上げます。
合掌 ありがとうございます
1077
:
志恩
:2013/05/08(水) 19:57:08 ID:.QY5jUA6
ユタカ様
ユタカ様が、
「解説者さま、こちらこそよろしくお願いします。 前に訊けさんの分身?では?疑惑のあった方ですか?」
と言われたので、おかしくて、笑っちゃいました。
訊け様と、解説者様って、ご性格とか、相手の話への からみ かたとか、
双子みたいに似ていると、いまでも 私は感じています。
疑惑だけなのかもしれませんが、世の中には、そっくりさんて、おられるものですね。
SAKURA様とahope様が、訊け様を次回の司会に推薦されたので、そのおかげで、
待望のユタカ様が、出て来て下さり、
復興G様からトキ様から、大変よろこんでおられるのが、よくわかります。
掲示板での発言は、
言う事が伝わりにくく、時折、発言が虚しく、無駄なように 思われ、もう、出るの、やめようかと思われる事も、
正直、あると思いますが、
そういうときは、無理をされず、少し休まれて、気が向かれた時に、再度 出て下されば、活気が出ますので,有り難いです。
特に、WEB誌友会のときは、私も、拝聴する方がすきですし、その他の方々も、あまり発言がありませんので、
応援にいらして下さると、復興G様も心強いと存じます。
私の本部時代のことは、あまり語りますと、まるで、自慢しているように、聞こえますから、
程々にと…、そう思いいながら、結構、しゃべってますけれどね。(笑)
1079
:
志恩
:2013/05/08(水) 22:08:29 ID:.QY5jUA6
べつに、自作自演は、悪い事とは思っていません。
皆様をたのしませるエンターテーメントとして、それも、いいと思っています。
1080
:
志恩
:2013/05/08(水) 22:11:22 ID:.QY5jUA6
私も やりたんですけれど、IDを替える技術がないもんで、本島では出来ないんです。
1081
:
復興G
:2013/05/08(水) 23:23:49 ID:AB6RqYXc
>>1052
で、ユタカ様が<『教義の大綱』について>というのを投稿されたのについて――
≪前記の<『教義の大綱』について>だけを読むと、たとえば<日本国威を発揚し、皇威を顕楊する東道(みちびき)の神として心の幽斎する副神として生長の家大神……>というような言葉がありますから、生長の家は時代錯誤の超右翼、超国粋主義団体か、というような印象を持たれるかも知れません。
しかし、生長の家は右翼でも左翼でもありません。右翼と左翼の中間というような意味での中道でもありません。そんな現象を超えた、根源的な意味での「中道」、万教帰一の道でありますね。
前記<『教義の大綱』について>というのは、昭和15年(大東亜戦争勃発の前年)に、文部省から宗教結社として届け出るようにと強い指導を受け、作られたものですが、その経緯などについては、『生長の家三拾年史』に「生長の家の本尊に就いて」と題して詳しく書かれています。そして『神の真義とその理解』という本にも、その一部「昭和十五年四月九日午後二時より名古屋公會堂に於ける講演の速記」というのが収録掲載されています。これは41頁にわたる長文のものですが、この「教義の大要」等の届出文の真意を理解するためにはとても重要なものだと思いますので、謹写掲示させて頂きましょう≫
とお約束していました。それを、長文ですから以下十回以上に分けて掲示させて頂きます。
生長の家は、昭和14年に成立した「宗教団体法」によって、宗教であると認められて文部省の管轄に入ることになり、文部省に届け出をしなければならなくなった。それで当時生長の家本部の副理事長だった秋田重季氏・中神学氏らが文部省の稲田宗務課長らと色々交渉して、昭和15年、文部省に届け出られた<『教義の大綱』について>という文章は作られたが、文部省の稲田氏らが『生命の實相』などをよく読んでいて生長の家に好意的で、届けはこう書いたらいいと具体的に提案され作られたものだということがわかります。
(その前には大本教が不敬事件で弾圧されたこともあった、そういう時代だった)
以下のご講演記録をご覧ください。『三拾年史』は正漢字旧かな使用ですが、『神の真義とその理解』に、新かなにして掲載されているものを原本にします。その方が読みやすいと思いますので。
原本の1行ごとに、間を1行空けて表示させて頂きます。ふりがなは( )内に入れて表示しますから、その分、末尾は不揃いになります。
1082
:
復興G
:2013/05/08(水) 23:24:56 ID:AB6RqYXc
第一章 生長の家の本尊
昭和十五年四月九日午後二時より
名古屋公会堂に於ける講演の速記
宗教団体としての出発
昨年議会を通過しました宗教団体法がこの四月一日から実施されることになりまして、生長の家は
この宗教団体法によって、宗教であると認められて文部省の管轄に入ることになったのであります。
実は、生長の家は「教化団体生長の家」と云う名前によりまして、もう一年半ばかり前から届書を
拵えて当局の方へ出してあったのであります。東京府を通過いたしまして、文部省へ参りましてから、
文部省の見解では、生長の家は教化団体と云うよりも宗教の団体である、左様に見る、と云うような
見解がございまして、そこで暫くその届書が文部省で滞っておったのであります。
生長の家本部の副理事長の秋田子爵、それから係の中神学と云う人達が文部省へ参りまして、稲田
宗務課長その他の係の人たちと色々交渉したのであります。
宗教団体法によりますと、宗教と云うものには一定の「教義」がなければならない、それから「儀
礼」を行うものでなければならない、それから「本尊」がなければならない、本尊として奉斎する神
様、又は安置するところの仏がなければならない、そう云うものがなければ宗教でないと云うように
なっておりまして、宗教団体法によるところの届書には、教義と、儀礼と、奉斎神又は安置仏と云う
ものを書くべき各欄が設けてあるのであります。
ところが生長の家は、教義と云っても生長の家独特の教義がないのであります。ないと言うとおか
しいけれども、生長の家は仏教の話もする、お釈迦様は斯う云うように被仰ったと言って、仏教は斯
う云うものであると言って話もする。またキリスト教は斯う云うものである、耶蘇はこう被仰ったと
言って話もする。また金光教の教祖は斯う言われた、天理教祖は斯う言われた、日本の『古事記』に
は斯う書いてある、老子には斯う云う事が書いてある、孔子は斯う被仰ったと云う風に、色々の教を
一つにして説いて、相手に随って自由無礙に方便自在の説教をしているのでありますから、一定の生
長の家の教と云い教義と云うたらどんなものだと言われると困るのでありまして、生長の家独特の教
義と云うようなものがないのであります。
それから儀礼と云っても、宗教的儀礼と云うような、葬式の時には斯う云うお経を唱えて斯う云う
儀式をする、そんなものはないのです。今までの所謂る「宗教」でやっておったところの、宗教とは
葬式をすることだとさえ思われていたような、そう云う形式的なものが一つもないのであります。
このように生長の家は儀礼もない、それから本尊と云っても、どこにもそんなものは祀ってない。
――生長の家道場へお出になると、そこには何もお祀りしてない、賽銭箱も置いてない、礼拝の像も
置いてない、神様もお祀りしてない、だから奉斎神もなければ、安置仏もない、本尊もない、何にも
ない、斯う云うのが生長の家であります。
<つづく>
1083
:
復興G
:2013/05/08(水) 23:25:41 ID:AB6RqYXc
<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 つづき 2>
教化団体との相違
だから生長の家は宗教団体の中へ入らない、宗教ではないのだ、一定の教義を持たず、儀礼を行わ
ず、本尊がない、そうしてみんなの心を教化し修養せしむるのが生長の家だから教化団体である、斯
う云う風に申上げたのでありますが、稲田宗務課長は秋田子爵に向って「いや谷口先生は一定の終始
一貫した教を説いておられる」斯う云う風に言われたそうであります。文部省の係の人は『生命の實
相』を、大分確かりと読んでおられるらしいのであります。『生命の實相』を読んでみると、色々の
教祖の教を引用してあるけれども、併し乍ら終始一貫したところの教義を説いているのであって、人
を信仰的に引摺って行く力が強い。その人を信仰的に引摺って行く力は教化団体とか修養団体とか云
うような力の弱いものではない。今迄修養団体などと云うと、どうもバラバラのものであって、表面
親孝行せよ、兄弟仲好くせよ、仕事を勉強をせよ位の事を説くのであって、それが信念的信仰的に肚に
入らないで所謂る修養の程度に止まっていて、生長の家みたいに信念で引摺って行く力がなかった。
だからあの種のものは教化団体だけれども、生長の家は信念に迄人を強く引摺って行く。文章の力に
よって人の信念を強く一つに信仰的に人心を集中する力があるから宗教的運動とみとめる、そう云う
訳で兎も角、この教化団体としての届は東京府の方へ返しておくから、やがて四月一日になったなら
ば宗教団体法が実施されるから、それに間に合うように宗教団体としての届をするようにと云うよう
な話であったのであります。
ナイナイづくしの生長の家
こちらは教化団体だと主張するのですけれども、信念を喚起する力が強いから宗教と認めると言わ
れては仕方がないものですから、今迄教化団体として出しておりましたところの、その届を東京府庁
から返していただきまして、それを書直すことにしたのでありますが、それに就いては、文部省の係の
人に色々照会いたしまして、届けるところの書き方をずっと教えていただきまして、そうしてそれに
適(はま)るように書くことになったのであります。ところが教義、儀礼及び行事、奉斎主神又は安置仏本尊
――と云う項目へ書き入れなければならぬことになりましたけれども、やはり生長の家は万教を説い
て、一宗一派に偏らないのが事実でありますから、生長の家の教義と云って特に摘記することは出来
ない、キリストは斯う言った、釈迦は斯う言った、何々教祖は斯う言った……それらを比較宗教学的
に説くので、生長の家独特と云う教義はありはしない、と云うわけで「教義、無し」と書いたのであ
ります。それから儀礼と云っても葬式もしないし、行事もない。こんなに演説は致しますが、演説は
行事かも知れませぬが、演説することが宗教の行事だと言ったら、政治の演説も、学校の講義も宗教
になってしまいまして、学校の先生は宗教の教師になって了うと云うことになるのであります。修養
団などには、生長の家には無い厳めしい祝詞があり、儀式なども行いますし、体操のような身禊のよ
うな行事もある。ところが生長の家にはそんな行事も儀礼もないと云うので、儀式及び行事の項も
「無し」と書いたのであります。それから奉斎神又は安置仏と云うところも、実際ないのであるから
「無し」と書いたのです。ところがその届書を文部省の係の人に持って行って「これで宜しいか」と
言って相談すると「どうも『無し』じゃ困る」と言われたそうであります。
<つづく>
1084
:
復興G
:2013/05/08(水) 23:26:39 ID:AB6RqYXc
<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 つづき 3>
実は御存知の通り生長の家は何も無しであります。一宗一派の教義がないから、皆さんでもこんな
に沢山公会堂に六千人七千人とお集りになるのであります。若しこれが一宗一派の教義を説くのだっ
たら、他宗の人は集って参りませぬ。老子には「天地の間は、其れ猶お槖籥(たくやく)のごとき乎。虚にして屈
せず、動きて愈々出ず」と言ってあります。私は只今『生長の家』東亜同和版で、毎号「老子の研
究」を載せておりますが、これも生長の家が、一宗一派を説かない、本来教義なしで、空っぽである
証拠でありますが、老子に「槖籥(たくやく)の如き乎」と書いてある、槖籥とは鞴(ふいご)の事であります。鞴は申が空
っぽであるから、幾らハンドルで衝いても中が折れないし、動く度に空気が出て赫々(かっかく)と他を燃やすの
であります。この事が「虚にして屈せず、動いて愈々出ず」であります。生長の家は鞴のように中が
空っぽであって「自分のもの」と云うものがない。だから押しても引いても動くたびに風が出る、風
が出て皆さんを赫々と宗教的信念に燃やすのであります。斯うして喋っているのは「風が出ている」
のであります。すると皆さんが宗教的信念に満たされる。だから「教義、無し」と宗教団体法に依る
届に書いたのは正しいのでありますが、それでは宗教団体法の中にある「宗教」という定義に当て嵌(はま)
らない。当て嵌らなかったら「宗教」として取扱わなくとも好さそうなものですが、強烈な宗教的信
念にまで大衆を引摺って行く力があるので、宗教団体法で取締るほかに管轄すべき官省がない。
教義の発生
そこで「教義」と云う欄には谷口雅春著『生命の實相』と書いて置いても宜しい、それから「七つ
の光明宣言」と云うのがあるが、あれを「教義」の項に書いて置いたらいいじゃないか、と云うこと
を文部省で指示されたのであります。その七つの光明宣言の第一条には、御存知の通り、
一.、吾等は宗派を超越し、生命を礼拝し、生命の法則に随順して生活せんことを期す。
こう書いてありますが、宗派を超越していると云うのですから、一宗一派ではないのであります。
皆さんの中には宗教と認定せられたことを、宗教臭くなったと思って残念に思われる人があるかもし
れませんが、「生長の家は一宗一派に非ず」と云うことが生長の家の教義の第一条に明記されて、宗
教として認められたのであります。而もその教典としての『生命の實相』は「尚続々執筆せられつつ
あり」と附言されているのでありますから、固定した教義を有(も)っていないままで、信仰に人を導く力
が強すぎるとして、単なる文化運動以上にあるものとして、宗教として認定せられたのであります。
<つづく>
1085
:
復興G
:2013/05/08(水) 23:27:29 ID:AB6RqYXc
<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 つづき 4>
儀式の発生
その次に儀式であるとか行事であるとか云うのも、最初の届書には「無し」と書いたのであります
が、「無し」と云うのでは宗教団体法の中に入る宗教と認められないので、「やっぱりあると云うこ
とに書いて貰いたい。神想観と云うのがあるじゃないか、あれを書いて置いたら好い。引導文と云う
のもあったじゃないか」と斯う云うように言われるのであります。中々詳しく調べていられるのであ
ります。嘗て『行』誌の前身『生命の藝術』と云う雑誌に、若し今迄祖先から信じている宗教が無い
ところの孤児の生長したような人が誌友になって、自分の宗教としては、「生長の家」のほかに何も
ないから生長の家式に葬送の行事をやってほしいと云う場合に、斯う云う風にやれば好いと言って、
その行事の次第を書いて発表したことがあるのでありますが、そんな古いものまで文部省の係の人は
よく眼を通していられるのに感心したのであります。それから神想観は宗教的行事と認めれば認めら
れぬこともないかも知れませんけども、修養団なんかでも合掌して其の合掌を上下に振動せしむる精
神統一の行事などがあるのに、あれは修養団体と認められ、生長の家は宗教結社と認められたのは、
宗教的信念に導いて行く強さによって区別されたのでありまして、これは生長の家の人類教化力の強
烈さから来たためであって、これは止むを得ないのであります。
元来、生長の家には、冠婚葬祭その他、色々の人生に於ける儀式には生長の家式と云う型がないの
であります。それは生長の家が空っぽであり、能くものを容るる所以であり、各人の祖先を崇拝、祖
先の宗教遺風を顕彰するのが生長の家の教でありますから、祖先の遺風を捨てせしめず、生長の家独
特のものを主張しないところに特色があるのであります。祖先崇拝の遺風を顕彰せんが為に、生長の
家誌友たるものは、祖先の信じておった宗教の儀礼に随って、冠婚葬祭等は行うべしとしたのであり
ます。これは「教義なき教義」と等しく、「儀式なき儀式」に当るのでありますが、併し、祖先と云
うものがない人が中にはある。先刻申しました様に、孤児とか捨子とかで自分の親が何の宗派であっ
たか知らぬ、自分には在来の宗教がないし、自分は生長の家に入って救われたのだから、死んだ時に
も生長の家で葬式して欲しいと云う人もなきにしもあらずですから、そういう人の為には嘗て『生命
の藝術』と云う雑誌に発表された事もあり、霊を悟りに導く「久遠いのちの歌」と云うのもあり、
聖経『甘露の法雨』『天使の言葉』等と云う詩もありますから、文部省の係官の希望によって、それ
を書いたのです。「今届書に『儀式及び行事』の項にそれを書いて置いたら、お経の読誦や葬祭等の
宗教的行事をやっても構わぬと云うことになるが、教化団体や修養団体で頑張っていたら、若し宗教
的行事をやった場合に当局から文句を言われる惧れがある、そう云う点からも儀式及び行事と云うの
は、今やっている実際と、是から時に応じてやるかも知れないものも書いて置いたら、それはその儘
既得のものとして認められることになるから都合が好いではないか」と、中々深切に言って下さいま
すので、特に生長の家で儀礼を行いたいと云う希望者のためには、生長の家式に『甘露の法雨』とか
「久遠いのちの歌」と云うものを誦(よ)むことがあること、而も生長の家では、霊魂は生き通しであっ
て、肉体は生きていても死んでいても、人間は永遠存続であるから、死後の霊魂を悟らせるために
『甘露の法雨』を誦み聞かせることもあれば生きている人を悟らせるために誦んで聞かせることもあ
ると、その行事の処へ書くことにしたのであります。病人に対して誦んで聞かせる場合は、生きてい
る人の心が悟りを開くように誦んで聞かせるのであって、その病人が開悟の結果、心境頓(とみ)に明朗とな
り病気が治る事実が続々あるのは、これは療術行為ではなく「悟り」が肉体に及ぼす力であります。
<つづく>
1086
:
復興G
:2013/05/08(水) 23:28:12 ID:AB6RqYXc
<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 つづき 5>
本尊の規定
それから礼拝の本尊たるべき「奉斎主神又は安置仏の称号」と云う項には御覧の通り、実際何も祭
っていないのであります。けれどもそれは形の方でありまして、心の中に奉斎している主神と云うこ
とになるとまた相異して来るのであります。併し心の中に祭る――即ち信仰――と云うことは宗団法
の取締の範囲ではなく、信仰の自由は憲法に保証されているのでありますが、団体の動きとして取締
の参考にどんな本尊を心に描いているかを知りたいのが、宗団法で取締らるる係の方の関心であると
思いますので、心に祭る神を仮に本尊として書かせて頂いたのであります。奉斎には、顕斎と幽斎と
があります。顕斎と云うのは、形に顕われた斎(まつ)りで、お宮を祭ったりするとか、仏像を安置して拝む
とかするのであります。又幽斎と云うのは形を顕わさないで心でお斎りするのであります。生長の家
では別に道場又は集会室に顕斎せる主斎神又は安置仏がないのであります。従って賽銭箱もないので
あります。自宅で如何なる斎神又は仏像をお祭りになりましても差支ありませぬが、道場又は集会所
にお祭りになり、それを大衆に拝ませると云うことにしますと、必ず賽銭を供える人が出来る。即ち
賽銭を強要しないまでも、何か出さぬと可(い)かぬような気がする。今までの宗教団体はそれで生活して
おったのであります。宗教団体法に於ても、宗教団体ではそれを認めておりまして、檀徒の寄進に俟(ま)
つような会計のやり方も公認され、檀徒又は信徒総代は誰それがなるとか色々面倒な事があるのです
が、こう云う寄附合力で立っている組織の整然と備(そなわ)ったものを、宗団法では「宗教団体」と認めるの
でありまして、仏教、基督教、神道諸派でもそう云う組織の備っていない末寺、分教会等は皆「宗教
結社」であります。遺憾ながら吾々の団体にはそう云う賽銭組織の整然たるものがないので、「宗教
団体」の中には入らず、「宗教結社」の中に入ったのであります。文部当局の被仰るところでは「宗
教団体」には色々の取締法規があって自由活動に不便であるが、「宗教結社」には安寧秩序を紊(みだ)さな
い限り、どんな自由活動でも許されているのであります。
<つづく>
1087
:
復興G
:2013/05/08(水) 23:28:58 ID:AB6RqYXc
<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 つづき 6>
生長の家の主斎神
さて吾々生長の家の団体では、心に宇宙大生命(みおやのかみ)を祭るのであります。その宇宙大生命と云う文字の
下に括弧して、「(ソノ幽之幽ナル神トシテ天之御中主神、幽ナル神トシテ天照皇(アマテラススメラ)大神、現人神(アラヒトガミ)トシ
テ天皇)ヲ礼拝ス」と書いてありますが、「幽」とは「幽玄」の意味であって、現象の幽(おく)の幽にまし
ますところの大実在として、日本の称名を以てすれば天之御中主神と申上げる大神であります。
『古事記』に、「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は、天之御中主神」とこう書かれてあ
るところの宇宙の大神であらせられます。天之御中主大神は斯くの如く、幽の幽の大実在であられま
すが、この宇宙の大神が、依然として幽玄にましまして、吾等の思慮の及ぶところではございません
が、幽之幽なる天之御中主大神よりも一段ハッキリと、『日本書紀』に録されたる通りの「光華明彩(ひかりうるわしく)
六合(りくごう)に照徹(てりとお)れる」神として顕現あそばされたのが天照大御神であらせられ、更にその天照大御神様が
御肉体を以て現人神として現われていらせられる神様として天皇を礼拝する――これが生長の家誌友
が心に主斎する神様でございまして、御宮のような眼に見える形で御祭りするのではありませんから
幽斎すると申すのであります。即ち吾々は天皇様を宇宙大生命の全徳の御顕現としてそのまま現人神
として拝し奉るのであります。歴代の皇霊に対して尊崇を捧げるのも同じ意味であります。
さて此の宇宙大生命(みおやのかみ)は宏大無辺にしてその仁徳一切に及び一切を包容していらっしゃいますから、
あれは嫌い、これは嫌いと云う様に、心が偏狭であらせられる事はないのであります。そして又祖先
を尊ぶのが日本の国風でありますから、各自祖先伝来の宗教を信じておって好いのであります。此処
にも生長の家は一宗一派の宗教ではないと云うことがハッキリしているのであります。ただ文部省が
生長の家を宗教と認めたのは、その教化力が魂の奥底の救済にまで及んで、非常に人心を引摺って行
く力が強いから、その教化活動が修養の境地を越えて宗教的境地にまで及んでいると云う意味であっ
て、決して一宗一派であると認めたのではありません。だから教義の中に「宗派を超越し」と云う無
教義の教義を標榜した届書を出して可(よ)しと云うことになったのであります。
<つづく>
1088
:
復興G
:2013/05/08(水) 23:29:40 ID:AB6RqYXc
<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 つづき 7>
生長の家の副斎神
次に宇宙大生命(みおやのかみ)即ち宇宙大生命の道を現わし、日本国威を発揚し、国体を明徴にするところの導き
の神様として心に幽斎する副斎神として生長の家大神を礼拝すると云うことをハッキリ本尊の項目に
あらわして置きました。
この生長の家大神とは誰方(どなた)であるか、生長の家大神と云う文字の下に括弧をしまして、(『古事記』、
『日本書紀』に現われたる住吉(すみのえの)大神)と申しました。これは阪神間の本住吉神社にお祭りしてあると
ころの神様でありまして、『古事記』に天照大御神様がお生れになるに先立って、此の大宇宙浄めの神
として、水と塩とを以て浄めるところの海の神様として現われられたところの上筒之男(うわつつのおの)神、中筒之男(なかつつのおの)
神、底筒之男(そこつつのおの)神と云われる三柱の神様で住吉大神(俗称すみよしの大神)と申しているのであります。
生長の家が発祥致しましたのは今から満十年と三ヵ月程前でありますが、その前後に私が住吉村に
住んでおりまして、毎日その本住吉神社へお参りしたものでありまして、その当時に霊感に啓示され
て此の生長の家の教と云うものが現われて来たのであります。爾来一切の宗教は一つである、真理は
一つであるとの啓示に導かれて、古今東西の宗教を比較宗教学的に研究し、いずれも唯一つの真理を
説くのが宗教であるから何の宗教も互いに分立せずに手を繋(つな)げと云うことを説いて来ているのであり
ます。
<つづく>
1089
:
復興G
:2013/05/08(水) 23:30:37 ID:AB6RqYXc
<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 つづき 8>
神話における生長の家大神
『古事記』にあらわれたる住吉大神は其の後同書に塩椎(しおつちの)神と現われていらっしゃるのであります。塩
椎神は潮筒之男(しおつつのおの)神であらせられまして、その潮を上潮、中潮、底潮と分けまして、上筒之男神、中筒之
男神、底筒之男神の三柱に顕われていられるのでありますが、総じて塩筒之男神様であります。此の
神様は東道(みちびき)の神様であらせられます。先ず住吉大神は伊邪那岐(いざなぎの)神の宇宙浄化の御禊祓の最後の浄化作
用としてウミの神としてお生れになり、やがて伊邪那岐大神の左の御眼より天照大御神のお生れにな
る下準備を完成して、天照大御神の御降誕を導き出して来たのであります。此の住吉大神即ち潮筒之
男神――塩椎神様――は、既に講習をお受けになった方は御存知でありますし、又『驀進日本の心と
力』(編集部註・本旨は、現在『限りなく日本を愛す』『古事記と現代の預言』に収録)と云う私の著書にも精(くわ)
しく書いておきましだが、日子穂々手見命(ひこほほでみのみこと)と仰せられます日本御皇室の御先祖の大神が、その兄君の
火照命(ほでりのみこと)さまと猟と漁とを換えられた――すなわち火照命様は海で漁をしていらっしゃいましたが、日
子穂々手見命は山で猟をしていらせられましたが、或る日のこと、その幸(さち)を代えよう、獲物を代えよう
と云うので、日子穂々手見命は鉤(つりばり)を兄命(あにみこと)からお貰いして浜辺へ釣にお出になり、兄命は山の猟の道
具を借りてそうして山へお出でになったのであります。ところが、どうしたことか日子穂々手見命様
は海へお出になって鉤をお垂れになりましたが魚は一匹も釣れずに剰(あまつさ)え鉤を失ってしまわれた。
そうして鉤を如何にして探しても魚が食って逃げたのですから捕える訳に行かない。そこでその償い
に自分の太刀を打代えて五百本の鉤を拵えお返しになりましたが、兄命は御承知下さらない。そこで
更に千本の鉤を造って償われましたけれども、『古事記』によりますと、火照命は受けたまわずて猶
「正本(もと)の鉤を得ん」と仰せられたと云うことになっております。日子穂々手見命は正本の鉤を得よう
と思われましても、鉤を持去ったのは魚のことであり、海の広さは広く、深さは深いのでありますか
ら困ったことだと思われまして、「海辺に泣き患いています時に塩椎神来て問いけらく」と『古事記』
に書かれております。この神は『日本書紀』には塩椎翁(しおつちのおきな)とありますから、恐らく白髪の老翁の神様で
あられましたでしょう。此の白髪の老翁の神様が現われて来られまして、「天津日嗣(あまつひつぎ)の命(みこと)様には如何
なるお悩みで泣いていらせられるのでございますか」とお尋ね申上げられましたところ、これこれし
かじかの理由で泣いているのである、とお答えになりますと、爾(ここ)に塩椎神「我汝が命の為に善き議(ことはかり)
せん」と仰せられて、此の船に乗ってお出でなきいませとして、無間勝間之小船(めなしかつまのおぶね)という漏れる孔が一
寸(ちょっと)も空いていないで、ぴったりと密に目がつまって堅い金剛不壊(ふえ)の船をお差上げになって、それに載
せ奉って龍宮界即ち「綿津見(わだつみの)神の宮へと道案内をせられた」と書いてあります。この道案内の神様、
即ち大君を御案内申上げて歎(なげ)き憂いなき世界へお導き申上げた道案内の神様として現われていられる
のが塩椎神であらせられます。
<つづく>
1090
:
復興G
:2013/05/08(水) 23:31:24 ID:AB6RqYXc
<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 つづき 9>
それから邇々芸能命(ににぎのみこと)様が天降りましまして日向の笠沙(かささ)の御前(みさき)にお出であそばした時に、事勝国勝(ことかつくにかつの)神
と現われて道案内を遊ばしておられるのが塩椎神であります。『日本書紀』には「時に彼処(そこ)に一(ひとりの)神
あり、名を事勝国勝長狭(ことかつくにかつながさ)と曰(い)う。故(か)れ天孫(すめみま)其の神に問いて曰(のたまわ)く、国在りや。対(こた)えて曰く。在り。因(よ)
りて曰く、勅(みことのり)のまにまに奉らん。故れ天孫彼処(そこ)に留住(とどま)り給う。其の事勝国勝神は是れ伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の
子(みこ)なり。亦の名は塩土翁(しおつちのおじ)」となっております。邇々芸能命様、即ち日本皇室の御祖先の御案内を申上
げ「此処に国あり」とお導き申し上げた神様がこれが事勝国勝神であってすべての事に打勝ち、国が
打勝つところの働きをなさる神様これが塩椎翁であります。
それから後に神武天皇様が日向の高千穂の国にいまして、これより何処に都を作れば八紘一宇の世
界を建設するに都合がよいかと考えていらせられた時に、白髪の塩土翁と云うところの老翁の神が現
われて、「東(ひんがし)の方(かた)に美(うま)し国あり、かしこへ行きて都を造りたまうたならば必ず世界を統一することが
出来まする」こう申し上げ奉って道案内申上げた。此の東道(みちびき)の神様が塩椎神であります。
更に後には仲哀天皇の御崩御あそばされた後、神功皇后様に神懸りになって、三韓征伐をせよとお
示しになった神様、天照大御神様の荒魂であらせられる撞賢木厳之御魂(つきさかきいずのみたま)天疎向津媛命(あまさかるむかつひめのみこと)と仰せられる
神様がお懸りになり、つづいて上筒之男(うわつつのおの)神、中筒之男神、底筒之男神なる住吉大神がお懸りになりま
して、神功皇后様の三韓征伐の道案内をしておられるのであります。此等の筒之男神は海の神様であ
りますから、海の魚に命じて、神功皇后様の率い給う軍艦を艦(ふね)の両側から抱き上げるようにして、魚
自身の鰭で泳いで、「櫨揖(かいかじ)を労(わずらわ)さず新羅(しらぎ)に到る」と『日本書紀』に書いてあります。その時に住吉大神
は潮満珠(しおみつのたま)の力によって海の水の水平をずっと満潮以上に高め上げられました。すると、海水は津波の
ようにふくらみあがって、滔々乎として新羅の都は水浸しになりました。すると新羅の王は懼(お)じ恐れ
て、最早我が天運はこれで尽きたのであるか、新羅国が始って以来、未だ曾(かつ)てこんな不思議な天変地
変は起ったことはない、これでこの新羅国も滅びるのかと恐れています時に、神功皇后様の海軍がず
っとそのまま新羅の都へ横づけになり、軍の意気を鼓舞する陣大鼓や笛の音が轟き渡った。これは歴
史にあらわれている敵前上陸の最初の記録であると思うのであります。
新羅王は益々恐れて「吾れ聞く東に神国有り、日本(やまと)と謂う。亦聖王あり天皇(すめらみこと)と謂う。必ず
其の国の神兵(みいくさ)ならん」こう云って白旗を掲げて降参したとあります。『日本書紀』にあるこの一節は
「日本(やまと)」と云う国号が「日本」と云う漢字を当て嵌めて書いてある最初の記録でもあり、戦争に降服
するときに白旗を掲げると云う習慣があったと云う最初の記録でもあると思います。それは兎に角、こ
の住吉大神は海の神であらせられ、潮の満干を司っていられ、或は三韓征伐と云うような、或は神武
天皇の御東征と云うような、或は日子穂々手見命の龍宮海御進出と云うような、或は邇々芸能命の天
孫降臨の時と云うような、更に遡れば天照大御神が愈々六合に照徹する光を全宇宙にお顕わしになる
と云うような国威発揚の前提として出現あそばされて、その導きをなし給う神であって、別名を塩椎
神と申上げることが明かになったと思うのであります。
<つづく>
1091
:
復興G
:2013/05/08(水) 23:32:12 ID:AB6RqYXc
<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 つづき 10>
本住吉神社と住吉大社
本来お祭りしてあるところは阪神間の本住吉神社でありまして、これは神功皇后様が三韓征伐の途
上、霊感に由り、瀬戸内海北岸の墨江(すみのえ)の地に御上陸、仮斎殿をお造りあそばされ、住吉神社として上
筒之男神、中筒之男神、底筒之男神の三神を祭祀せられ戦勝の祈願をなし給うた。その時、住吉大神
より潮満珠及び潮乾珠(しおひるのたま)を授けられ、以上の如き奇蹟的勝利を得られたので、凱旋後、三神の御功蹟を
お讃えになり、住吉大神として御親斎遊ばされたのだと承っております。今は住吉神社には神功皇后
様を最も上座にしてこれら三柱の海の神をお祭りせられております。此れが本住吉神社、本すみのえ
神社であります。私が申学時代に参拝した大阪の茨(いばら)住吉神社と云うのは後世そこからお遷宮申上げ
お祭り申上げたのだと云うことであります。
御祖神と生長の家大神
招神歌の第一首の歌には「生きとし生けるものを生かし給える御祖神(みおやがみ)元津霊ゆ幸え給え」とありま
すが、あの「生きとし生けるものを生かし給える御祖神」と申上げるのは、これは宇宙大生命であり
ます。『古事記』に書かれているところでは天之御中主神であり、光華明彩(ひかりうるわしく)、六合(りくごう)の内に照り徹らせ
る大神として顕現ましましたのが天照大御神であらせられ、人体を備え給いて現人神としてお現われ
遊ばした神様は天皇様であらせられます。この天之御中主神、天照大御神のお二方は一体であって、
吾々の否生きとし生ける者の御祖神であらせられる。万教帰一的にこれを解けば、仏教では毘盧遮那(びるしゃな)
如来であり、大日如来であり、旧約聖書の「創世記」にある創造の神エロヒムの神であり、イスラム
教で謂えばアラーの神であります。「招神歌」の第四首に「天地の祖神の道を伝えんと顕れましし生
長の家の大神守りませ」と云う歌があるのでありますが、天地の御祖神の道、宇宙大生命の道を伝え
導いて東道(みちびき)の役目を果す神が生長の家の大神であると云うことが、この第四首目の歌に現われている
のであります。
そういう風に生長の家の神様は御祖神様のお道を明かにし、道案内をし、日本国の使命を明徴なら
しめ、人類全体を光明化して住吉世界(極楽浄土)となすために出現せられた神様であらせられ、そ
の神様が第二次世界大戦に先立って現われいでたと云うことは、日本国が丁度、神武天皇様の御東征
時代とか、神功皇后様の三韓征伐時代とか云うのに匹敵する国際的大事変に際会していたからだと思
われるのであります。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
――まだ、ご講演記録は半分以上残っていますが、今日はここまでにさせて頂きます。
私は他にもたくさん課題、仕事を抱えていますので、しばらくお休みします。あとは1週間後ぐらいになるかも知れません。
お待ちください。
ありがとうございます。
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