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日本茶掲示板同窓会

41キラーカーン:2017/03/19(日) 23:22:41
1.1. 「ネトウヨの時代」前史
1.1.1. 2009年の自民党下野まで(「行動する保守」運動の発生)
1.1.1.1. 総説
 小泉純一郎氏が任期満了に伴い2006年9月に総理及び自民党総裁を退任した頃から、自民党政権の安定度に陰りが見え始める。小選挙区制の導入に親和的であった小泉首相の政治スタイルと比べて、安倍氏の政治スタイルは、戦後最年少での総理就任と実年齢は若かったが、小泉氏よりは旧来の自民党政治家の「匂い」がする政治家であった 。

 2002年以後、ネットの世界では、ネット右翼(ネトウヨ)は確固たる基盤を築いた。その影響からか、リアルの世界でも、自虐史観はもとより、あからさまな北朝鮮擁護は影を潜めた。しかし、自民党政権であるのにもかかわらず、韓流を始め、マスコミの親中、親韓は続いており、ネトウヨの影響力の限界も感じさせていた。

 このようなネットとリアルとの間の「世論」の差異が可視化されたな状況の中、『嫌韓流』の出版がある程度話題になったものの、ネットだけでの活動では限界があるとする見解が浮上した 。その結果、それまではインターネット内での言論活動(掲示板等への書き込み)を主な活動としていた「ネトウヨ」の中からがネットを飛び出す人々が現れ、「行動する保守運動」としてリアルでの活動を行い始めた。

1.1.1.2. 「在特会」の誕生
 このような活動は、行動する保守運動の代表的人物であり、現「日本第一党」党首である桜井誠氏の述懐によれば、日本政府(軍)による慰安婦の「強制連行」を認めたとされる2006年の「河野談話 白紙撤回運動」が嚆矢とされている 。

 これまでにも述べてきたように、歴史認識論争では「自虐史観」と「在日朝鮮人ナショナリズム」とが共同戦線を張っていたこと、また、『嫌韓流』発売の後から、「保守運動」とは言いつつ、反共産主義・反社会主義という色彩を帯びるというよりも、「反特定アジア(中国及び南北朝鮮の3か国を指すネットスラング)」が主流となるのは当然の成り行きであった。このような流れの中で、桜井氏は2008年「在日特権に反対する日本人会」(在特会)と設立し 、現在の「日本第一党」の設立につながっている。

42御前:2017/03/20(月) 23:45:28
メディアが韓流ゴリ押ししすぎて、みんなウンザリしたのもありますね。自由競争資本主義の世の中で韓国関連を自発的に買わなくなったからといって、まさか「差別だ!」とは言いますまい。(被害者ビジネスは通用しないよ、もう)

特定の人種をDNAや血によって優劣つけるのはナチスと同じになってしまいますが、特定の国の人間の犯罪率が高ければ、「だから〇〇人はよー」と相対的に言われる傾向になるのは避けられません。それをヘイト法のような政治的介入でもって抑圧すれば、不公平感を持つ人間が増えて、早々に暴動が起きると思います。(血の気の多い大阪なんか特に)

在日問題に関して言えば、在日(元在日も含め)でも、マトモに「話ができる」例えば、鄭大均、竹田青嗣、朴炳陽、前田日明あたりの討論を、私はもっと聞きたい。

43キラーカーン:2017/03/22(水) 00:08:21
>>朴炳陽

朴炳渉(半月城)に見えて???でした

44キラーカーン:2017/03/22(水) 00:10:02
5.3.2. 民主党政権時代
5.3.2.1. 総説
 在特会の結成をはじめとする「行動する保守」の組織化と軌を一にするかのように、自民党政権が倒れ、民主党政権が発足した。
彼らにとって、中国や南北朝鮮に融和的である「リベラル」の民主党政権は敵以外の何物でもなかった。選挙結果の判明とともに、ネトウヨは雌伏の時代であることを覚悟した。マスコミも基本的にはリベラルであることから、論調は民主党に好意的であり、そのようなリベラルな流れに抗する「行動する保守」に関する記事は報道せず 、外国マスコミが報道したことから、我が国の情報を入手するために外国語の記事を読まなけれなければならないこともあった 。
 このような中で、「目立たなければ我が国のマスコミに報道されない」として、「行動する保守」の運動が過激な言動に走ることもあり、後の「ヘイトスピーチ」問題への伏線となっていった。さらに、ネット上の言論活動だけで実際に(過激)な行動を起こさない人々を「きれいごと右翼」として批判することもあった 。

45キラーカーン:2017/03/24(金) 01:03:06
5.3.2.2. フジテレビデモ事件
 民主党政権時代におけるこの種の運動として特筆すべきものは、2011年8月に行われた「フジテレビデモ」事件であろう。事件の概要は

以前から親韓的報道姿勢が目立っているフジテレビの報道姿勢に対し抗議するためフジテレビ社屋前でデモをする

というものであった。

 日韓W杯以来、所謂ネトウヨ層の間では、マスコミの中でもフジテレビが目立って親韓的傾向が強いと話題になっていた 。その中で、俳優の高岡蒼甫氏がツイッターでフジテレビの親韓的状況を批判したところ、所属事務所から解雇されたことが引き金となって、フジテレビに抗議デモを行う動きがインターネット上で盛り上がった。最初のデモは「お散歩」 と称する非公式なデモとして8月7日に行われた。

 これ以降もデモは何回か行われていたが、報道するマスコミはなかったといわれており 、デモの参加者は、デモの状況を自分自身でインターネット配信を行っていた。「自由」なインターネットを活用することにより、マスコミや論壇に独占されていた言論空間に風穴を開けることができる。これは、インターネットと「ネトウヨ」との相性が良いとされる一例であろう。

46御前:2017/03/27(月) 12:11:01
安倍明恵氏についてはメールが証拠で、辻本議員の名前が出た途端、そのメールはウソって、一体何を言ってるのかわからない民進党...

47キラーカーン:2017/03/28(火) 22:19:46
>>一体何を言ってるのかわからない

これが、この「回顧録まがい」の主題のひとつでもあります。

>>「ブーメラン」と「国家(主権)意識」の欠如を二本柱として、
>>民主党は我が国のリベラルの信用を地に貶めた
>>(実は、1990年代の「歴史認識論争」の時代からネットでは
>>ある程度知られていたことであり、それが現在ではネット以外でも
>>白日の下に曝されたと言うべきであろう)

48キラーカーン:2017/03/28(火) 22:22:10
5.4. 第二次安倍政権と左派の自壊状況
5.4.1. 総説
 民主党の政権与党としての政策は国民を満足させるものではなかった。経済は円高不況で、外交も尖閣問題や韓国の反日など中韓朝各国との緊張緩和とは程遠いものであった。そして、「アベノミクス」や「黒田バズーカ」といった大胆な金融緩和政策などによって、デフレ不況から脱しつつあるというのも安倍政権ひいては安倍総理を支持するネトウヨ層の基盤強化につながるものであった。

 そのような状況の中で、ネトウヨの代表的存在と見られていた田母神元航空幕僚長が2014年の都知事選挙に出馬し、60万票を獲得し、若年層の支持率が高かったという出口調査の結果で、ネトウヨが無視できない勢力として可視化された。

 しかし、それは、他国のように「極右政党」の躍進ではなく、ネトウヨ層が安倍政権の支持層に包含されていき、他国のような「極右政党」が壊滅に瀕しているところが我が国独自の状況であり、また、安倍総理が一人の政治家としてネトウヨ層の支持を得ているということを意味している 。

 しかし、一番大きいのは、左派の「ブーメラン」であった。民主党が政権を取ったことで、野党として自民党を批判していた言動と自身が与党として批判を受けた場合の対応が首尾一貫しておらず、自民党への批判がそのまま自身の言動への批判として跳ね返ってくることが多かった事象を指している。こうした言動は、井上達夫氏がリベラリズムの条件として挙げた「二重基準の禁止」及び「反転可能性」については敏感である事を意味している

 また、「ブーメラン」と匹敵するくらいの問題点が「国家意識」の欠如である。元来、左翼には「世界同時革命論」に代表されるように、国家(主権)意識が欠如しており、それと「自虐史観」が結びつけは、「国」は忌むべきものであるという結論まで行きつくのは然程難しくはない。その国家意識の欠如がもたらしたのが、蓮舫民進党党首の「二重国籍」問題である。

 「ブーメラン」と「国家(主権)意識」の欠如を二本柱として、民主党は我が国のリベラルの信用を地に貶めた(実は、1990年代の「歴史認識論争」の時代からネットではある程度知られていたことであり、それが現在ではネット以外でも白日の下に曝されたと言うべきであろう)。そのせいもあり、下野後の国政選挙では連戦連敗といってよい状況である。その退勢を立て直すため、第三極であった「みんなの党」や日本維新の会を吸収するも、未だに党勢回復の切っ掛けを掴めておらず、「安倍一強」という状況が続いている。

49新八:2017/03/29(水) 23:39:48
>(実は、1990年代の「歴史認識論争」の時代からネットではある程度知られていたことであり、
>それが現在ではネット以外でも白日の下に曝されたと言うべきであろう)。そのせいもあり、
>下野後の国政選挙では連戦連敗といってよい状況である。

そのハズなんですけど、私の選挙区では保革逆転してしまっているんですよね。(新潟3区)
そういう状況なので、あまりこの辺で政治談義は探りながらやっております。

50キラーカーン:2017/03/30(木) 22:40:23
>>新潟3区
といえば田中角栄、というネタもそろそろ通じなくなるのでしょう
で、局所的にはそういうのも出てしまうのは仕方がないのでしょう

51キラーカーン:2017/03/31(金) 23:54:48
5.4.2. 田母神氏都知事選出馬と意外な「善戦」(可視化された「ネトウヨ」)
5.4.2.1. 田母神氏の人物像(自衛官退官まで)
自民党が政権を奪還したことにより、「保守化(右傾化)」の潮流をとらえて、政治の世界に進出しようとする人物も出てきた。その中で、一番知名度があったのは田母神俊雄元航空幕僚長であろう。
田母神氏は防衛大を卒業し航空自衛隊に入隊した。自衛官としては優秀であり、航空自衛官としての最高位である航空幕僚長(空軍大将待遇)にまで上り詰めた。航空幕僚長時代に執筆し、「真の近現代史観」懸賞論文に応募した『日本は侵略国家であったのか』が最優秀賞を受賞したが、その内容が当時の政府見解と異なることから、航空幕僚長の重責にある者が部外に公表 する文書としては不適切 として航空幕僚長を解任 された経歴を持つ。
5.4.2.2. 都知事選出馬と選挙結果(可視化された「ネトウヨ」)
田母神氏は自衛官退官後、軍事評論家或いは保守系活動家として積極的に活動を行っていた。その中で、政治家への転身も視野に入れていたらしく、猪瀬都知事の辞任に伴う東京都知事選(2014年2月)に出馬した。当初は泡沫候補の中の一番手といった扱いであったが、石原慎太郎日本維新の会共同代表(当時)の支援を受けるなど、有力三候補(舛添要一、細川護熙、宇都宮健児)に次ぐ存在を確保し、テレビ討論でも「4人」でということもあった。

 選挙結果は60万票余りを獲得し、4位となった。当選した舛添氏の200万票余りはともかく、2位の宇都宮氏、3位の細川氏がいずれも100万票弱の得票に終わった中での60万票は「大健闘」といってよいものであった。特に、田母神氏は若年層の得票率がたかったとされている 。この結果は、これまで、「伝説の存在」といわれていたネトウヨがその姿を現したとして、マスコミに代表される「リベラル」層に衝撃を与えた 。

 しかし、その後、「自民党の右」に位置する安倍総理の安定した政権運営もあり、「自民党の右」に位置する政党の支持層が自民党に吸収されていったことも 、「安倍一強」の一因でもある。とはいっても、これらの政党はネットでの支持が一般の世論調査よりも高い傾向にあるため、その意味で「ネト」或いは「ネット」と表現するのは間違いではないのかもしれない。

5.4.2.3. 田母神氏のその後(選挙違反で有罪)
 都知事選で予想外の「善戦」をしたことで、田母神氏の政治(活動)家としての価値は高まった。丁度、安倍首相が所費税延期を理由に衆議院を解散したことから、2014年12月に衆議院総選挙が行われることとなった。田母神氏は次世代の党公認で東京12区から出馬した。東京12区は自公の選挙協力により、公明党の指定席であったことから、「行き場のない保守票」を求めて同区から立候補したものと思われる。選挙結果は立候補者4名中最下位ではあったが、2位から4位までは4万票前後で拮抗していたことから、「惨敗」とまでは言えないが、自公協力の壁は厚かったというべきであろう。

 総選挙落選後、都知事選での政治資金の扱いを巡って、田母神氏は公職選挙法違反で逮捕され、運動員に有罪判決(執行猶予付き)が下った。この結果、田母神氏の政治家としての将来は事実上立たれた状態にある。

52キラーカーン:2017/04/04(火) 23:38:38
5.4.3. 民進党(民主党)の「反転可能性」、「二重基準」への無理解
 自民党が政権に返り咲き、民主党(当時)が野党に転落した。野党に転落した民主党は、政権獲得前の「自民党に難癖をつける」という「なんでも批判」政党へ回帰した。民主党が政権を奪取する2009年より前であれば、民主党政権も「将来の希望」であったことから、そのような手法も通用したが、一度政権を奪取した後であれば、政権与党時の実績を基に野党としての言動を評価されることもまた当然な成り行きである。

 そのような変化も理解せずに、かつての野党時代のように与党批判を繰り返していることから、その批判が自身の言動にも突き刺さるという意味で、民主党の与党批判は「ブーメラン」といわれ、反転可能性或いは二重基準の禁止の観点から説得力をなくしている。

 このような姿勢は我が国の「リベラル」といわれる勢力一般にみられる傾向である 。その点からも「リベラル」は我が国の市井の人々の支持を失っており、その傾向は現在においても継続している。その結果、民主党から民進党へ「看板をかけ替え」ても、党勢が回復しない一因となっている。

 次項以下では、そのような「国家意識の欠如」及び「反転可能性及び二重基準」の禁止というリベラルの自殺行為を象徴する事例について述べることとする。

53キラーカーン:2017/04/06(木) 23:03:29
5.4.4. 蓮舫「二重国籍」問題(リベラルの「国家意識の欠如」)
5.4.4.1. 総説(政治家と国籍)
 主権国家が現在の国際社会における主役であることから、どの国家に帰属意識を持っているか(或いは持たないか)ということは、政治家及び国家公務員にとって決定的意味を持つ。我が国においては、政治家を含む国家公務員には日本国籍を有する者であることが求められている(日本国籍を含む多重国籍者であっても法律上は排除されていない)。他国の例として、米国では大統領就任資格がある者は出生によって米国国籍を取得した者に限られる。したがって、所謂移民一世は、閣僚(○○長官)州知事や大統領就任資格を持たない 。この結果、閣僚であっても大統領職の継承順位からは排除される。

 このように、政治家を含む公職を志望する者にとって国籍は決定的な意味を持つ。特に、複数の国籍を有する二重国籍(多重国籍)者が国家の最高指導者に就任する場合は、「忠誠」を尽くす国家がどの国家であるかという問題が生ずる 。即ち、「国家に忠誠を誓う」べき政治家が多重国籍である場合、「複数の国」に忠誠を誓う義務を有する多重国籍者が国家の重要政治家特に大統領や首相に就任することは、その職務遂行と多重国籍が抵触する場合が生じる。
したがって、政治家を目指す者にとっては、多重国籍である事自体が政治家として不適格であるとの烙印を押される可能性を負う(リスクがある)ことを意味する。現に、米国においては、大統領候補者や首相候補者が二重国籍である場合、不適格者とみなされ、米国以外の国籍の放棄を強いられることがある 。

 他国では、フィリピンのヤサイ外相が米国との二重国籍疑惑で同国の閣僚任命委員会が同氏の閣僚任命を否決し、事実上の解任・更迭となった。このように、国家指導者(≒閣僚級)にとって他国との多重国籍は事実上の欠格事由となることが往々にして生ずる。

5.4.4.2. 蓮舫氏の場合
 そのような、政治家と国籍との関係に無頓着であったのが民進党であり、同党党首に選出された蓮舫民進党党首代表である。この蓮舫党首の例が象徴的であるが、民主党をはじめとする我が国のリベラル・左派勢力の政治家は国家(主権)というものに対する無頓着さを隠そうとしない。時には、その無頓着さこそが「地球市民」として将来あるべき人類の姿であるという振る舞いを行う 。
閑話休題、蓮舫党首は本名を村田蓮舫である(姓が「蓮」、名が「舫」ではない)。 蓮舫党首は台湾人の父と日本人の母との間に生まれた。芸能人時代は「国際化」の時流にも乗り、その出自が有利に働いた。また、雑誌やマスコミとの対談記事などでも「台湾系」をセールスポイントとしていた。また、民主党政権時代の「事業仕分け」の仕分け人としても知名度が高かった。このため、党勢回復の切り札として、参議院議員という難点 はあるが、野党第一党党首という「影の首相」の座に蓮舫女史が党首選に擁立された。
 この党首選挙の際、芸能人時代の言動から、蓮舫女史が台湾国籍を放棄していないのではないかという疑いが浮上した。蓮舫女史が日本国籍を保持していることは疑いがない 。問題は、蓮舫女史が日本国籍を選択した際に台湾国籍(中華民国国籍)を放棄したか否かという問題である。評論家の八幡和郎氏によれば、この問題を蓮舫事務所に問い合わせた際の応答ぶりから蓮舫女史はいまだに二重国籍状態を継続していると確信したとのことである 。

 結局蓮舫女史は二重国籍であったことを認めるのであるが、それまでの説明が二転三転しており、その中には、台湾系日本人でありながら、「日本は台湾を国家承認していないので、中華人民共和国の法律によって台湾国籍は処理される」という旨の「台湾の存在をないがしろ」にする説明を行っており、その点からも、蓮舫女史の国家意識の欠如が垣間見えるものとなっていた。蓮舫女史現在に至るまで、本件の結末を説明していない。

 このように、自身の問題について説明が不十分である状態を放置したままでいるということは、与党の説明不足を責める蓮舫党首の言葉の説得力にも影を落としており、ネットでは、蓮舫党首が与党を追及するたびに「戸籍を公開しろ」という「突っ込み」が入るのが定番となっている。

54キラーカーン:2017/04/10(月) 23:07:40
5.4.5. 「日本死ね」問題と「新語・流行語大賞」
5.4.5.1. 最近の「新語・流行語大賞」の概要
 我が国の年末の風物詩として「今年の漢字」と並んで取り上げられるのが、「新語・流行語大賞」(所謂「流行語大賞」)である。流行語大賞は、当初は『現代用語の基礎知識』(自由国民社)の単独主催であったが、2004年から『現代用語の基礎知識』(自由国民社)と株式会社ユーキャンとの共催 となった。

 ここ、数年来、『現代用語の基礎知識』の編集内容が、所謂左派寄り となっていたこともあり、最近の「新語・流行語大賞」も左派の活動を宣伝する内容のものが取り上げられる傾向にある 。また、選考委員もそのような志向を隠していなかった。

 このような「左傾」した選考の例として、2014年の大賞が「集団的自衛権」及び「ダメヨ〜ダメダメ」となったことが挙げられる(2つ繋げると「集団的自衛権、ダメヨ〜ダメダメ」となる 。

55キラーカーン:2017/04/13(木) 23:29:42
5.4.5.2. 「日本死ね」問題
 安倍政権は「一億総活躍」というスローガンを掲げ、働く女性の支援にも力を入れようとしていた。その場合、両親共働きという形態が当然に予想できることから、問題となるのは、両親が仕事で家にいない間の子供(幼児)の世話は誰が行うのかということになる。

 このような問題意識から、安倍内閣としても保育所の増設(保育可能人数の増加)には力を入れてきたところであり、その効果は着実に上がっていた。しかし、景気の回復に伴い、働きに出る女性の増加に保育可能人数の増加が追い付かなくなってきており、特に首都圏において、子供を保育園に入所させられない問題(所謂「待機児童問題」)が深刻となっていた。

 このような情勢の中、あるブログで「保育園落ちた。日本死ね」との書き込みが話題になり、民進党の山尾議員がこの書き込みを基に政府の姿勢を追及した。これにマスコミも同調し、安倍政権への批判の世論を高めようとしたが、待機児童問題は地方自治体が主管となって行う施策である事から、安倍内閣に対する打撃は小さく支持率は然程下がらなかった。

 待機児童問題に関しては、そもそも、「日本死ね」が書かれたブログは匿名ブログであり、また、「言葉が汚い」ことから、国会で取り上げるべきものかという批判はあった。待機児童問題は早急に解決すべき問題であるとの認識は与野党に共通しているので、そんな言葉を使わなくても前向きな答弁を引き出すことはできる見込みがあったこともその批判の背景にあった。

5.4.5.3. 「待機児童」よりも「ネトウヨ叩き」を優先
 その騒動の中で、「日本死ね」が

安倍政権の批判の道具として待機児童問題を利用しただけであって待機児童問題の解決には関心がない

と判断され所謂ネトウヨ層からの反発を買う決定的事案が発生した。

 東京都新宿区も待機児童問題が深刻化していた。舛添東京都知事(当時)は、保育所に使いたいという新宿区の要望を断る形で、韓国学校を建設しようとしていた。元々、左派の「マッチポンプ」を疑っていたネトウヨ層は、単なる「安倍たたき」か、或いは、本当に待機児童の問題を憂いているのかの試金石として「日本死ね」を書き込んだ人に、韓国学校ではなく保育所を建設するよう(待機児童問題を主管している)都知事に陳情に行くべきだと進めたが、「日本死ね」を書き込んだ人は

嫌韓思想を押し付けるな(韓国学校のためなら「保育園落ちた」でも構わない)

という回答だった 。
 これが、「日本死ね」が目的で「待機児童」は安倍叩きのための「だし」であったとネトウヨ層の疑惑が確信に変わった瞬間であった。

 保育園に落ちただけで「日本死ね」という激烈な言葉を浴びせながら、待機児童問題を放置し、親韓一辺倒であるかのような政策を推進する都知事の姿勢には理解を示したことで、「反日」と「親韓」というネトウヨにとってはこれ以上のない「コンボ」が完成した。

 また、「日本死ね」の記事が投稿されてから、至短時間で当該ブルグ記事が所謂リベラル・左派のツイートによって「拡散」されていることからも、周到な準備の下に仕組まれた「マッチポンプ」であったのではないかという疑惑が持ち上がった。実際、2014年の解散総選挙においても、リベラル・左派の側は、「小学校四年生」という「純真な子供」を騙って安倍首相の解散に疑問を呈するという形式で、反自民の世論を高めようとした事案があった。それは、「青木大和小学四年生詐称事件」といわれるものであった。

56キラーカーン:2017/04/16(日) 00:51:44
5.4.5.4. リベラルの「自作自演」の原型(「青木大和小学四年生詐称事件」)
 ここで、リベラルによるネット発の「マッチポンプ」の前科(未遂)としての「青木大和小学四年生詐称事件」に触れなければならない。

 「青木大和小学四年生詐称事件」とは、「僕らの一歩が日本を変える」代表の青木大和氏がウェブサイトを作成し、小学四年生と偽って、安倍総理に「解散の大義」を質問するというものであった。小学四年生が急いで作ったにしては余りにも「レベルの高い」ウェブサイトであったことから、「小学四年生を騙った大人」が解散総選挙で安倍自民党の評価を下げるために「でっち上げた」という疑いが浮上した。

 そのような中、当該WEBサイトのソースコードやドメイン名取得記録などから、「僕らの一歩が日本を変える」代表の青木大和の依頼に応じ、灘高校在校中から天才プログラマとして知られていたtehu氏が党外WEBサイトを作成したことが明らかとなった。青木氏は民主党のイベントに招かれるなど民主党(当時)とつながりが深く 、また、青木氏が民主党のイベントにゲストとして呼ばれたことがあったことから、青木氏と民主党が組んだ反安倍政権世論醸成のための「マッチポンプ」という疑いが浮上した 。

 この一件については、安倍総理も「子供になりすます最も卑劣な行為」と自身のフェイスブック上で批判するまでに至った 。
 このような前科があったことからも、今回の「日本死ね」事案も「民主党或いはそのシンパによる『マッチポンプ』による安倍叩き」という疑惑の目で最初から見られた。

5.4.5.5. 「新語・流行語大賞トップテン」受賞とダブルスタンダード
 「日本死ね」は結局、年末の「新語・流行語大賞トップテン」に入り、国会で取り上げた山尾参議院議員が授賞式に出席した。過去にも、オウム真理教関連の言葉が流行語大賞の対象外となった事例もある事から、「日本死ね」の受賞には、その語調の強さから、流行語として不適切との意見が上がった 。

 その際、受賞擁護派の主張として、①強い語調でなければ問題提起にならない、②「死ね」という言葉だけではなく、文脈を読まなければならない、などといった理由が挙げられた 。
しかし、後述の「ヘイトスピーチ」規制にもつながる論点であるが、所謂ネトウヨ或いは行動保守側も同様の理由で自己の言動を正当化しており、そのことについてリベラル・左派は「死ね」という言葉は使うべきではないなどと強い批判を加えていた。このような経緯を知っている者、特にネトウヨ層にとって、この問題での「日本死ね」擁護論は典型的な「ダブルスタンダード」として批判の対象となった 。

57キラーカーン:2017/04/18(火) 23:29:12
5.4.6. 「しばき隊」とその暴力的体質
5.4.6.1. 総説(「しばき隊」とは何か)
 本稿では、リベラル・左派の市民運動が抱える「暴力性」或いは「抑圧性」を体現する象徴的な団体として、俗に「しばき隊」 といわれる集団に焦点を当て、「しばき隊」を中心「しばき隊」及び「しばき隊」が引き起こしたリンチ事件を糸口にして、現在のリベラル・左派の市民運動が抱える「暴力性」或いは「抑圧性」について述べる 。

 元来、環境保護運動と左派的市民運動とは相性が良いことは、ドイツの「緑の党」を持ち出すまでもなく、全世界的な傾向であり、我が国においても例外ではない。このため、左翼は「赤から緑」へシンボルカラーが変化したと評されることもある。

 したがって、環境保護活動としての反原発運動と左翼活動とは相性が良いのは我が国に限らず、先進国一般にみられる傾向である(但し、その国における影響度は、その国々固有の政治情勢によって異なるのはいうまでもない)。

 東日本大震災とそれに続く福島第一原発事故をきっかけとして、「しばき隊」に代表される暴力的なリベラル・左派活動団体に活気が出てきたのも、一応、その文脈でとらえることは可能である。その「運動」に便乗し、その運動体の暴力的な側面に目をつぶっていた(或いは黙認していた)。その活動をリベラル・左派知識人が支援し、はるか昔に挫折した「60年安保の再来」という「見果てぬ夢」を追っているという点もある 。

 福島第一原発の爆発事故は日本のみならず、世界中で衝撃をもって受け入れられた。この事故の結果、原子炉の中の放射線物質或いは放射線が大気中に放出され、東日本が放射能に汚染されるのではないのかとの恐怖感が広まった。暫定的ながらも、原子力安全・保安院は国際原子力事象評価尺度(INES)による事故評価の最高値は、チェルノブイリ原発事故以来のレベル7となったことによる影響もあったと推測できる。

 我が国には、第二次世界大戦の末期に、広島と長崎に原爆を投下されて以来、原子力或いは放射能に対する「アレルギー」といわれる強い拒否反応がある。さらに言えば、反原子力活動においては、(原爆だけではなく)ビキニ環礁での水爆実験でも我が国の第五福竜丸が被爆したという事例も併せて語られることも多い。そして、そのような「民族としての記憶」は映画「ゴジラ」シリーズの基本設定として現在にも影響を及ぼしている。

 そのような「原子力アレルギー」は、当然のことながら、反原発運動と親和性 が高くなる。この観点から、左派系市民運動が福島第一原発の事故を反政府活動の活性化に利用しようとするのは当然の成り行きである。

 その後、左派の市民運動家は、目標について、反原発⇒反特定秘密保護法⇒反集団的自衛権と次々と看板を掛け替え、現在は反在沖米軍、或いは反レイシズムを金看板として反政府運動を継続している。このため、これらの運動を行う主要な「活動家」は重複しているとの参加者の証言 もある。そして、実際にしばき隊も、この在沖米軍基地反対闘争を支援している。

 そして、そのような左派的市民運動から、「人権活動家」の名を騙った暴力で反対派の活動を封じ込めようとする、まさに、かつての共産主義国家やナチスドイツを彷彿とさせるような暴力的言論弾圧集団である「しばき隊」 が誕生した。そして、少なくない左派系の知識人や識者がその「暴力性」に魅せられ、現代の左派的市民運動を象徴する存在とまでになった。

 以下、現在の左派的市民運動を語る上で欠くことができない存在となった「しばき隊」について述べていくこととする。

58キラーカーン:2017/04/19(水) 22:52:07
5.4.6.2. 「しばき隊」の暴力性
 「しばき隊」という名の元となっている「しばき」の元々の意味は「(相手を物理的な)力で叩きつける」というという意味の関西弁である。このことから、「しばき隊」は本来的に暴力的傾向を有するというのは、主宰の野間氏自身も隠していない。

 現実にも、「しばき隊」及びその界隈には、そのような暴力的スタイルを実践している。沖縄に派遣された機動隊員の「土人」という暴言が話題となったが、在沖縄米軍基地反対闘争を行っている活動家には、それ以上の「暴言」や「暴力行為」を為す者も多い。実際にも在沖縄米軍基地反対闘争においては、先に挙げた「しばき隊」と密接に関係のある「男組」構成員や現地の活動家からも逮捕者を出している。

 また、ジャーナリストの安田浩一氏がしばき隊の主宰である野間氏を連れて米軍基地容認派の女性の自宅にアポなしで押しかけ、野間氏或いは「しばき隊」によるプライバシー暴き或いは「突撃」を支援・容認するかの行動をとっている。

 「しばき隊」による「暴力的威圧」として特筆すべきものとして、「しばき隊」支援者として知られている有田参議院議員の街宣車(通称「有田丸」)に「しばき隊員」が同乗して、反「しばき隊」の立場を鮮明している人士の自宅に本人不在の時間を狙って「突撃」したという疑惑が持ち上がっている (幸運にも、家族も不在だったため、実害はなかった模様である)。

 野間氏自身も、「(相手への言動は)勿論、傷つけるために言っている。それがしばき隊のスタイル」と暴力によって相手の言動を威圧・弾圧することが目的である事を隠していない 。

 「しばき隊リンチ事件」でも野間氏自身が被害者のプライバシーを暴き、また、金明秀氏が、先に述べたように、実名で被害者に対して恐喝まがいのツイートも行っている 。また、過去の事件では、野間氏が相手のプライバシーを暴露し、氏の支援者がその相手の自宅に突撃したことから、突入された相手から損害賠償請求訴訟を起こされ、野間氏は敗訴し、賠償金支払が確定した。

 また、そのような「過激な」言動により、ツイッター社からは野間氏はツイッターアカウントの凍結処分を複数回受けている。ツイッター上で話題になる人士でアカウント凍結になるのは、所謂ネトウヨよりも所謂リベラル・左派が多くなっていることも特筆すべき事項である。このような言動から、リベラル・左派は「自分自身は『正義』であり、法を無視しても許される」という遵法・規範意識の欠如に向かう傾向が強いと判断される。

 また、そのような現状から、所謂ネトウヨ層の方がリベラル・左派より遵法意識ひいては「反転可能性」や「二重基準の禁止」という「リベラル」の根本基準に敏感であると推測できる。そのような、「『ネトウヨ』が実は『リベラル』」という状況となり、昨今の我が国における「右傾化」に歯止めがかけられない状況となっている。

 このように、現状は、所謂リベラル・左派に対して厳しい状況に陥る状況になりつつある。この状況に焦りを感じた北田暁大氏をはじめとする多くの社会学者、有田芳生参議院議員など多くの「有識者」が、「しばき隊」に代表される「暴力的」スタイルが纏う「突破力」に、自身や左派系市民運動団体の市民運動家としての将来を感じ、「しばき隊」の暴力路線に賛同或いは黙認をした 。

 しかし、そのような武力革命集団と見まがうばかりの「暴力路線」に活路を見出すリベラル系の「有識者」の焦燥をあざ笑うかの如く、「しばき隊リンチ事件」の発覚後、「しばき隊」と「在特会」とが「合わせ鏡」や「どっちもどっち」ではなく「しばき隊」とそれを支援している社会学者・識者の方が「よりひどい」という論調がインターネットでは優勢になりつつある。

 少なくとも世論調査を見る限り、安倍内閣の支持率は概ね50%以上を維持しており、「安倍一強」といわれる政治状況にも変化がない。また、野党の支持率も依然として低迷している。特に、野党第一党である民進党の支持率が10%を超える気配がない。これらのことから、「しばき隊」による「暴力路線」が安倍政権に打撃を与えている、或いは無党派層を野党支持層に取り込んでいるとは言い難い状況である。

59キラーカーン:2017/04/20(木) 23:21:46
5.4.6.3. 「しばき隊」の暴力性の発露(「しばき隊リンチ事件」)
5.4.6.3.1. 総説
 このような、「反転可能性」の欠如及び「ダブルスタンダード」による傍若無人の振る舞いが、部内における暴力的私的制裁(リンチ)という醜悪かつ凄惨な形で噴出したのが、いわゆる「しばき隊リンチ事件」(旧「十三ベース事件」である。

 この事件は、発生後、加害者側の在日朝鮮人のための人権活動を支援する社会学者や弁護士を巻き込んだ在日韓国朝鮮人支援者のネットワークで長らく隠蔽されてきた。そのため、その事件の真相はおろか、実際に発生したか否かの真偽も明らかでなかったことから、ネットの中の「在日ウォッチャー」の間で都市伝説的に語られてきたものである。それが、ある週刊誌の「勇み足」的記事がきっかけとなって、世に知られ、また、細部はともかくかつて「十三ベース事件」と呼ばれた暴力事件が発生したこと自体は事実であることが確実こととなった。

 この事件が、かつて「十三ベース」事件と呼ばれていた理由は、
 ① 大阪市の十三で起きた(実際は北新地で発生)
 ② 日本赤軍の「山岳ベース」事件と同様に、彼ら運動体の暴力的性質が端的に表れた事件
とみられたことによる。

 しかし、その後、事件は十三ではなく北新地で起きたことが判明したため、現在では「十三ベース」事件ではなく、「しばき隊リンチ事件」という名称で呼ばれることが多い。この事件では、本稿でも触れた金明秀氏もリンチの隠蔽、もみ消し、矮小化に加担した人物として名前が挙げられている。

5.4.6.3.2. 事件の概要
 この事件の概要及び背景については、鹿砦社から出版された『ヘイトと暴力の連鎖 反原連-SEALDs-しばき隊-カウンター』(『紙の爆弾』2016年7月号増刊)及び『反差別と暴力の正体』(『紙の爆弾』2016年12月号増刊)に詳しい。というよりも、本件について唯一活字化された書籍である。その他に情報を収集するためには、インターネットで断片的な情報を収集しなければならない。

 詳細は『ヘイトと暴力の連鎖』及び『反差別と暴力の正体』に譲るとして、事件の内容を簡略化して述べると
① 被害者と加害者は「同志」として「レイシスト」への「カウンター」活動に参加
② 参加者Aが別の参加者が「レイシスト」団体から金銭を受領していたとの疑念を抱く
③ Aが北新地の飲み屋に呼び出される(かつては「十三」の飲み屋とされていた)
④ Aがリンチを受ける(加害者側が挑発して被害者に暴力を振るわせようとした
⑤ 加害者側が謝罪の意を示すが、後に反故にする
⑥ カウンター参加者が一斉に「B(加害者)は友達」というツイートを実施
⑦ カウンターを支援していた社会学者 などを巻き込んで隠蔽工作
⑧ 週刊誌に事件の概要が出るが、一部事実誤認 があったため謝罪記事が出る
➈ Aが加害者(複数)を不法行為で提訴(現在係争中)
というようなものである 。

60キラーカーン:2017/04/21(金) 23:17:04
5.4.6.3.3. 事件の反響とマスコミの沈黙
 運動方針を巡っての路線対立から仲間割れはよく見られることである。戦後の我が国においては、日本赤軍などの極左暴力集団が「内ゲバ」と言われた内部の武力抗争が発生し、それもあって、我が国における左翼運動は70年安保闘争前後で事実上終焉した。

 本件については在日朝鮮人に対する「暴力行為」に対する反対運動を推進していた側が、内部の路線対立から暴力事件を起こし、かつ、ツイッターを活用し暴行事件の被害者を運動体から疎外した。かつての極左暴力団体において見られた内ゲバというような双方向的なものではなく、一方的な「リンチ」或いは「いじめ」というべき行為によって、組織の方針に反対する者を精神的に追い詰め、更に事件の存在自体を隠蔽した。

 このような「仲間の人権」すら擁護することができず、あまつさえ、その後の被害者に対する言動などが「インターネット」で「全世界に公開」されているという現代社会において、そのような敵対者の人格を毀損して恥じないという「人権運動団体」にあるまじき行為をしたということで「カウンター」運動自体の正当性を疑わせるに十分なものであった。

 更に、被害者が「身の安全」のため、身に着けていた録音機に記録されていた暴行の音声の一部及び暴行を受けた直後の被害者の痛々しい顔がインターネットに「公開」されたことは、事件を知った人々に対して衝撃を与えた。それは、この「リンチ事件」が、まさに「山岳ベース」事件を元ネタにして「十三ベース」事件と称されるに足るものであった。

 事件がインターネット上で周知のものとなった後も、金明秀氏 は「(事件に関するツイートは)トータルとしてデマ」或いは「(被害者に対し)自分や彼女を守ってもらっている自覚はあるのか」というような脅迫まがいのツイートを行っていた。また、支援者が事件の隠蔽のみならず、被害者のプライバシーを暴くなど、被害者に対する「二次被害」もあり、その点からも、「人権活動家」としての資質に疑問がもたれるようになっている。

 このような「人権活動運動」の正当性に疑念を抱かせるに足る重大な暴力事件であるのにもかかわらず、活字媒体で取り上げたのは、先に挙げた鹿砦社のみであり、マスコミはおろか週刊誌でも報道されない状況となっている。この事件は、文字通り「インターネットでのみしか知ることのできない事件」となっている。

 それどころか、マスコミ及び少なくない学者や人権活動家は加害者側の人士を「現代リベラルの旗手」として、あたかも「民主主義の擁護者」として紹介している 。このような現状では、リベラル系のマスコミが、そのような「人権活動家」の暴力的側面を黙認して、マスコミの「正義」のためには、暴力弾圧のための暴力行為を働いても構わないという底意があると判断せざるを得ない。

 「しばき隊リンチ事件」のように、マスコミが好意的に取り上げた人士・団体が起こした独善的で残虐な側面についての「報道しない自由」を行使していることは、マスコミも「しばき隊」との「心中」を決意したと判断する要素となり得る。そして、このような、「マスコミにとって『都合の悪い』事件」は、インターネットを通じてのみ知ることができる。現代のように、個人がマスコミにも匹敵する発信者となり得るインターネット社会であるがゆえに表面化した事件であり、そのような社会でなければ、マスコミによってこの事件は「隠蔽」され市井の人々に周知される機会すらなかった。

 このように、インターネットによる個人の発信は、これまでの「社会の木鐸」というマスコミ像を突き崩しつつあることから、繰り返しとなるが、マスコミがネット言論を「目の敵」にする理由がある。

61キラーカーン:2017/04/26(水) 00:13:00
5.4.6.4. 「しばき隊」への左翼・リベラル勢力の暗黙の支援(「在特会」との違い)
5.4.6.4.1. 総説
 街頭で活動し、口汚く罵ることや、直接的暴力行為によって相手の言論活動を否定するという点で、「しばき隊」は「在特会」と比較されることが多い。確かに、「罵倒など強い言葉でなければマスコミに取り上げられない」に代表される両者の運動論は合わせ鏡のように相似形を描くことが多い。

 おそらく、「思想」はどうであれ、街頭でのデモ活動を行い、「汚い言葉遣い」で注目を浴び、その際、街頭で反対勢力との(物理的)衝突を排除するという目的(方針)が「在特会」と「しばき隊」双方の共通点であれば、その目的に応じて選択される「行動」面が類似してくるのは合理的な帰結である(魚とイルカとの形が「似たようなもの」になるのと同じ)。

 少なくない「保守」や「ネトウヨ」が「在特会」とは一線を画していると公言している結果(詳しくは後述)、保守やネトウヨの側からは「在特会」の運動は、「あんなものは『保守』とは異なる」という抗弁が可能であるのに対し、リベラル・左派の主流は「しばき隊」の暴力的活動を公然或いは黙示的に支持している(少なくとも、表立っての反対意見は見られない)ため、「しばき隊」の悪評によって自身の社会的影響力を消失させていくことになっていった 。

 そして、「しばき隊」の悪名が世間に広まるにつれ、「しばき隊」を公然と或いは黙示的に支持し、「しばき隊」と心中の道を選んだ所謂リベラル・左派系の政治団体や識者の言説に説得力が無くなっていくのも理の当然である。その結果、「在特会」及び「しばき隊」双方から距離を置いていた「無党派層」が反「しばき隊」、即ち「反リベラル・左派」 の側へ追いやる結果になっていくというのも当然の帰結であった。

5.4.6.4.2. 既存の「保守系知識人」の側からの批判も少なくない「在特会」
 しかし、「しばき隊」と「在特会」との間には決定的な違いがある。「在特会」は「保守の風上にも置けない」として、従来の保守系知識人・文化人・識者は、「在特会」を毛嫌いし、「在特会」と同類扱いされることを明確に拒否するという者も少なくなかった 。
 また、ネトウヨ層でも「在特会」的路線を忌避する意見がインターネット上で開陳されることも少なくない。したがって、保守・ネトウヨの主流と「在特会」との間には大きな断層があると判断できる。それは、選挙戦においても、「日本のこころを大切にする党」や「幸福実現党」といった(所謂ネトウヨ層の支持が期待できる)「自民党より右」に位置する政党・政治団体が田母神氏の「大量」得票以後、選挙で結果を出していない という点にも表れている。これらの事象から判断すると、ネトウヨ層の大部分は「安倍自民党」に吸収さているとみられる。

 勿論、これらの政党・政治団体は自民党とは別個に選挙を戦っていることから、自民党を含めた「右派」がそれらの政党・政治団体と共闘することもない。

5.4.6.4.3. 「しばき隊」と「心中」を選んだリベラル・左派
 その一方、「しばき隊」には「タレント精神科医」として知られる香山リカをはじめとする大学教授を始め、有田芳生民進党参議院議員といった政治家も公然と「しばき隊」を応援し、「しばき隊」を排除しようとはせず、逆に「仲間」或いは「同志」として受け入れた 。

 また、SEALDsのような左派系市民運動団体も、福島第一原発事故を契機とした反原発運動以来、しばき隊と良好な関係を保っている。2016年7月の東京都知事選挙でも、民進党、共産党をはじめとする野党と「しばき隊」をはじめとする左派系市民運動団体が連携して、事実上の野党統一候補を擁立したことにも表れているように、しばき隊は所謂リベラル・左派勢力に欠かせない「戦力」となっている。

 そして、マスコミはそのような左派系市民運動を支援する観点から報道することはあっても、彼らの暗部や汚点といったマイナス面(「暴言」や「暴力行為」など)については「報道しない自由」を行使し、報道されることはまずない 。
それとは逆に、朝日新聞系のAERAでは、野間氏を「新しい市民運動の旗手」として紹介し、「しばき隊」をAERAなど「リベラル」が系のメディアが支援している状況にある 。このような事情も「しばき隊」の汚点に関しては、リベラルが主流であるマスコミで報道されない一因であると推測される。

 このように、マスコミが「報道しない自由」を行使している案件について市井の人々が深く状況を知るためには、インターネットで情報を収集するしかない。この点からも、マスコミの「情報発信権の『独占』」が崩れつつあり、マスコミがインターネットを「目の敵」にしているということが実感できる。

62キラーカーン:2017/04/28(金) 00:03:48
5.4.7. SEALDs(シールズ:左派的市民運動の新しい受け皿)
5.4.7.1. SEALDsとは
 現在の日本社会において、街頭デモなど、旧来の左派的市民運動の枠組みにこだわっていては、若者を取り込むことができず、運動のさらなる拡大が望めないため、若者、特に学生の受け皿としての

 「新しい」左派的市民運動団体が求められていた。
そのような状況の中で、これまでの市民運動とは「全く関係のない」新しい学生運動の形として、マスコミやリベラル・左派(特に学者)から称賛された団体として「SEALDs」(自由と民主主義のための学生緊急行動:Students Emergency Action for Liberal Democracy-s)がある 。

 「新しい」と表現しているが、SEALDsも、その時々で焦点となっている政治問題に特化した名称に変更して現在に至っているのは「大人」の左派市民運動団体と同じである。SEALDsの運動論も、ラップを使ったりして「新しさ」や「オシャレさ」を醸し出そうとしているが、結局、旧来の左派的市民運動の運動論と「同類」のものであり、若者向けの「客寄せパンダ」或いは60年安保世代の段階サヨクの「懐旧」が生み出したものとして認知されている 。

 SEALDsは、特定秘密保護法に反対する学生団体(SASPL)が「衣替え」する形で2015年5月に結成され、2016年8月に解散した。しかし、元来が、既存の学生運動団体の衣替えで始まったこともあり、他の左派系市民運動団体の例に漏れず、SEALDsも、先に述べたように、元来は「特定秘密保護法」に反対する学生団体という形で看板を書き換えて現在も左派的市民活動を継続している。

 SEALDsのメンバーが主体となって立ち上げた実質的なSEALDs後継団体としては「REDEMOS(シンクタンク)」や「未来のための公共」といった団体がある 。その背景には、これらの「社会運動」が時の政権(≒第二次安倍政権 )に有意な影響を与えられなかったことから、その「敗北」をリセットするために名前を変えていると推測される。

63キラーカーン:2017/05/04(木) 01:13:09
5.4.7.2. 「しばき隊」との関係(密接な連携から絶縁へ)
 SEALDsは設立当初「しばき隊」と親密な関係を保っていた。そのことは、「しばき隊」の隊員などのツイートや当該ツイートに挙げられた写真や動画により明らかになっている 。また、SEALDsのメンバーと対談することになっていた小林よしのり氏は、その際のSEALDsメンバーの挙動から、「SEALDsの学生は『しばき隊』の言いなり 」という感触を得ていた 。

 この辺りは、反原連、反特定秘密保護法、反集団的自衛権行使といったこれまでの左派的市民運動で培った「市民運動」ネットワークが生きており、そのようなネットワークから有形無形の支援は受けていたのであろう 。そのような「繋がり」があったとしても、SEALDsは(既存のSASPLの「看板の掛け替え」に過ぎないとしても)これまでの市民運動と関係なく、「純粋に国家を憂うる若者」が立ち上がったとしている(主観的にはそうであったのかもしれない)。

 しかし、所謂ネトウヨ層から見れば、SEALDsの後ろには、「60年安保の夢再び」とばかりに結集した「老人」や左翼団体の影がはっきりと見えており、「その『影』を消すことすらできない」ところに、彼らの『未熟さ』を感じ取っていた 。

 しかしながら、SEALDsの設立者である奥田愛基氏は「しばき隊リンチ事件」の存在が公然となった時点で「しばき隊」とは「絶縁宣言」 をしており、その面では、他のリベラル・左派系の市民活動家とは異なり、まだ、合理的・理性的な判断ができているとの見解もネット上で散見された。

64御前:2017/05/05(金) 21:15:16
SEALDsに関して思うこと。
自分の若い頃をふり返ってみれば、スカスカのヒダリーなことを言ってたわけで、彼らを正面切って罵る気にはなれません。
まぁ、あの年頃は、しょーがないだろう思うので。
それよりも、私が嫌だと感じるのは、彼らを担ぐ大人たちの存在です。SEALDsに喜んでた学生運動OB達も、みんな付和雷同的にやってた連中ばかりでしょう。
私は、60年なり70年なり中心になってやっていた人達、例えば東大で三島由紀夫との公開討論会を企画したような人達に、もし良心があるのであれば、SEALDsの若者に語って欲しいと欲しいと思いますね。
別に後悔だの反省する必要なんかないから、何を得て何を失ったか、大人達に利用され、裏切られ、失望した経験とか、その後の人生でわかったこととか、正直に伝えるのが「総括」でもあるからです。
おそらく若い連中は聞く耳持たないと思うけど、それでも語ることに意味があると思います。

もしSEALDsが西部邁とか と公開討論するぐらいやったら、思い切り見直すのですが、あのラップのセンス見たら、それを望むのは無理か、やっぱ...
その点において、三島由紀夫と討論した学生達の言ってることは多分に観念論ではあるが、知的レベルはSEALDsより明らかに高いといわざるを得ません。また、彼らに真摯に応えている三島も、立派な大人だと思いましたね。

https://www.youtube.com/watch?v=5wLaND09VF8

65キラーカーン:2017/05/07(日) 01:31:02
>>公開討論するぐらいやったら

奥田氏は「朝生」などの番組で対談、討論をしているようですが、
ネット上での評判は芳しくないようです
(元々、ネット上でSEALsの評判はよくないですが)

小林よしのり氏との対談予定だったのが「しばき隊」の助言でキャンセルメンバーが居るようです。
(奥田氏のみが対談に参加)

奥田氏は、一橋大学の大学院へ進学できたようですが
一橋は「左」で有名なところです
(ビックスの『昭和天皇』も一橋人脈でできたような本なので
 日本語訳は「ひどい」という専らの話です。
 原文は、「左傾」しているようですが、日本語訳ほどではないらしい)

66キラーカーン:2017/05/10(水) 23:39:27
5.4.7.3. 「しばき隊」以外の左派系(特に共産党系)団体との関係

 SEALDsは既存の団体とは関係なく、学生の「自主的」運動によって立ち上げられた団体という「性格付け」がなされている。しかし、ネトウヨ層は、先に述べたように、その主張などから、学生が旧来の左派系市民運動団体と無関係というSEALDsの「性格付け」に疑問を持っていた。更に、小林よしのり氏の著作 を待つまでもなく、そのような運動にありがちな傾向として、SEALDsの背後に共産党などの既存左派系市民運動団体の影があるとの疑いを持っていた。

 共産党(系団体)との結びつきも指摘されている。例えば、SEALDsの活動日程は日本共産党機関紙の「赤旗」に掲載されていたことから、日本共産党も「友好(同志)団体」と認定していたと思われる。また、この見方を裏付けるように、メンバーの中にも民青(共産党系学生団体)のメンバーが入り込んでいたという報告もある。また、共産党系の団体の街宣車を「たまたま使っていないから」と「気軽に」借りることができ程度の親密な関係はある模様である。

 これらのことから、若者を取り込みたい共産党も含む共産党系の団体が、若者を運動に取り込む「広告塔」としてSEALDsを利用したいという意図は推測できる 。しかし、それ以上の結びつきがあるか否かについて筆者は判断する材料及び知見を持ち合わせていない。特に、SEALDs側から積極的に共産党との連携を求めていなくても、共産党やその他の左派系市民運動団体から、彼らの運動の「広告塔」的存在として連携を持ち掛けられたという仮説が成立する可能性は十分に存在する。したがって、これ以上の分析は筆者の能力を超える。

67キラーカーン:2017/05/15(月) 00:08:36
5.4.7.4. キリスト教繋がりによる左派的市民運動の広がり
SEALDsについては、先に述べた通り、その運動方針及び「街宣車の貸し出し」など関係者の関わりから、所謂左派系市民運動団体、もっと直接的にいえば、共産党、左翼団体或いは極左団体との繋がりは取りざたされていた。

 しかしながら、SEALDs自体は、左翼団体としての連携よりも、実は、直接的な人的関係から、キリスト教系団体との繋がりの方が大きいのではないかとの見解もある 。これまで、ネットなどの情報で明らかになっていることは、

① 奥田氏は全寮制のキリスト教高校)出身
② その他のSEALDs主要メンバーも奥田氏と同じ高校出身
② 出身高校は違っていても、奥田氏と同じ高校の生徒の進学先或いはキリスト教系大学

というように、SEALDs主要メンバーはキリスト教教育を通じての共通点が存在する。
奥田氏の通っていた高校は「平和教育」や「植民地支配」への反省教育に力を入れており、その点でも左派系市民運動とは親和性が高い 。また、我が国では、そのような左派系市民運動団体の中にキリスト教団体の存在が見受けられることも珍しくはなく、左派系市民運動とキリスト教団体とが連携している左派系市民運動 も見受けられる 。

 これらのことから、SEALDsそのものは、我が国におけるキリスト教と左派系市民活動との親和性の高さから生じたものであり、そもそもは共産党(系団体)とは連携するという確固たる意志はなかったのかもしれない。しかし、SEALDsの「広告塔」としての利用価値に気付いた共産党及び共産党系市民運動団体が、前節で述べたように、キリスト教系の左派的市民活動団体との「繋がり」を活かして、そもそも、キリスト教系学校の学生同士の関係で立ち上げたSEALDsへ秋波を送ったという推測も成り立ち得る。

68キラーカーン:2017/05/15(月) 22:44:30
5.4.8. 「ヘイト(スピーチ/クライム)」を巡る問題
5.4.8.1. 「ヘイトスピーチ」或いは「ヘイトクライム」とは

 「在特会」の出現以来、「差別」に代わって、反朝鮮的な言説を批判する言葉として「ヘイト(スピーチ/クライム)という語が脚光を浴びている。「ヘイトスピーチ」については明確な定義はないが、「不特定多数が属する集団に向けられる侮辱的表現」とされている 。それが、具体的な犯罪行為(障害・殺人など)を伴う場合には「ヘイトクライム」と称される。我が国では、事実上、在日朝鮮人に対する批判的な言動を指す語として使われている 。

69キラーカーン:2017/05/15(月) 22:46:59
5.4.8.2. 我が国における「ヘイトスピーチ」の特殊な用法
5.4.8.2.1. 日本において、日本人に対するヘイトスピーチは「あり得ない」のか
 本来、「ヘイトスピーチ」は「不特定多数が属する集団」に対するものとされており、集団の大小、ましてや、「ヘイトスピーチ」の対象となっている集団が多数派か少数派かという「多数派の暴力」の有無は問題とされていない。しかし、我が国においては、この問題の直接の契機が「在特会」の誕生である事から、在日朝鮮人の人権擁護運動の一環としてとらえられてきている。その影響もあり、「ヘイトスピーチ」から「在日朝鮮人から日本人に対する『ヘイトスピーチ』」を排除するため「ヘイトスピーチ」の定義に多数派(マジョリティ)から少数派(マイノリティ。事実上、在日朝鮮人)に対するもの という「条件」を付加することが一般的である。

 このため、「しばき隊リンチ事件」において加害者の在日朝鮮人が被害者の日本人に対して吐いた言辞の中に「日本人に対するヘイトスピーチ」があったとされ、ヘイトスピーチの法的規制を求める立場からは、「日本においては、多数派である日本人に対するヘイトスピーチは論理上あり得ない 」という見解が示されることも珍しくない 。

 このような議論の影響を受け、先日成立した所謂「ヘイトスピーチ規制法」も、正式な法律名が「本邦街出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」とされている。この結果、我が国におけるヘイトスピーチ規制法令も、我が国に居住する外国人(外国系日本国民を含む)の人権保護という文脈で語られ、日本人に対するヘイトスピーチという存在自体が彼らの思考の外にあった 。このため、同法では、日本人に対するヘイトスピーチは「野放し」になるとの批判を浴び、所謂ネトウヨ層からは「日本人差別法」と揶揄されることもある。

5.4.8.2.2. 英米独仏各国の状況
 しかし、元来、ヘイトスピーチの定義の中に「多数派から少数派」に対するものというものはなく、「少数派から多数派」へのヘイトスピーチも当然あり得るとされている。したがって、ヘイトスピーチに対する法的規制がある英独仏の各国では、少数派から多数派へのヘイトスピーチは当然あり得るという前提でヘイトスピーチ規制法令を運用している。

 また、ヘイトスピーチに対する法的規制がない米国においても、公民権運動が盛り上がっていた1960年代においても、少数派の表現に対してもヘイトスピーチ規制が適用されることがあり得るということについて自覚的であった。

 このようなことからも、我が国における「ヘイトスピーチ」を巡る議論は「ガラパゴス化」というべき特殊な状況となっている。

70キラーカーン:2017/05/15(月) 22:47:09

5.4.8.2.3. 日本人からの「正当な」批判を封じる道具としての「ヘイト」
 人種差別、特にユダヤ人虐殺という経験を有する欧米におけるヘイトスピーチに関する議論・現状・経緯を無視し、「多数派から少数派に対するもの『のみ』」ヘイトスピーチが成立するとの言説が我が国において広く流布しているという「特殊事情」は考察に値する。

 このことは、我が国において、外国人問題というものが、事実上在日朝鮮人問題に限られてきたことと密接に関連する。
現在に至るまで、我が国は外国人の移民受け入れに条件が厳しいということが言われている 。このため、我が国に居住する外国人は、先の大戦の敗戦を契機に日本国籍を離脱した在日朝鮮人に事実上限定されてきたという現実がある。

 そのような歴史的経緯の中で、在日朝鮮人は、「差別」を名目にして様々な要求を日本社会に突き付けてきた 。在日朝鮮人が乱暴狼藉を働く「免罪符」として「在日差別」を利用していたということも一つの事実である 。

 「2002年の衝撃」で南北朝鮮及び在日朝鮮人の「日本に対する敵意」を見せられた中で、「在特会」というような「適正国民」である在日朝鮮人は排撃すべきとする「過激派」も出現してきた。そのような状況の中、終戦後、半世紀以上が立ち、冷戦も終結した中で、「在日差別」の実体験がない世代が増えたため、従来からの「差別」や歴史認識論争の進展による「強制連行」という語が日本側からの批判を排除する「魔法の呪文」としての効力が失われつつあった。

 そのような中で、在日朝鮮人を支援する「人権活動家」が新たな「魔法の呪文」として持ち出したのが「ヘイト(スピーチ/クライム)」という語であった。

5.4.8.2.4. 「ヘイトスピーチ規制法」を巡る問題(同法は「日本人差別法」か)
 我が国のヘイトスピーチを巡る議論が、「ヘイト」とは何かから、在日朝鮮人保護のための「武器」としてどのように活用できるかという議論 に転化していったことから、「ヘイトスピーチ規制」自体が、新たな「在日特権」という議論を巻き起こした。その典型的な例として、ネット上で揶揄されたのが、先に「5.4.5 『日本死ね』問題と『新語・流行語大賞』」の節で述べたような

「日本(人)死ね」は流行語大賞だが、「朝鮮(人)死ね」は「ヘイトスピーチ」

というものであった。

 「ヘイトスピーチ」を巡る議論では「死ね」という語自体が不当という立論をしていたのにもかかわらず、「日本死ね」の流行語大賞には「問題提起」と擁護するのが左派・リベラル側の識者の一般的傾向であり、この面でも、が左派・リベラル側の識者「ダブルスタンダード」或いは「反転可能性の欠如」という井上達夫氏が指摘する「リベラル」にとっての致命的失策を犯している。

 この「日本」という概念を意図的に消去或いは無視することも所謂左派・リベラル側の人士の特徴であり、彼らの「国家意識の欠如」をも示しており、そのことは、所謂「自虐史観派」の歴史認識に対しても影を落としている 。

71御前:2017/05/16(火) 23:10:45
上瀧浩子弁護士が、こんなことツィってますよ。

「日本国内で「日本人は誰でも殺せ」との内容は、日本人という優位にある集団に対するものであり、差別にはあたらないと思います。例えば、「日本人女性をレイプしろ」との内容は日本人であることについては差別とはなりませんが女性差別であると考えます」

日本弁護士会は、キ〇ガイ極左のたまり場。

72キラーカーン:2017/05/20(土) 23:07:23
>>日本人という優位にある集団に対するものであり

在日朝鮮人の活動家である金明秀氏を筆頭に、いわゆるサヨク側では
わが国において「マジョリティ」である日本人に対する差別・ヘイト
は成立しないという解釈が支配的です。

こういう点も、「二重基準」と「反転可能性」の欠如という批判を
予め回避しようとする小手先の目くらましで何とかなると思っている
のも、なかなか趣があります

73新八:2017/05/23(火) 20:33:55
http://i.imgur.com/AGpaNhE.jpg
中核派、大坂正明が逮捕されました。
思えば、過激派の起こす事件をリアルタイムで報道されていた世代なのですが
これほどもまでに、残虐な手法で人殺しをしていたなんて、
全く知らされていませんでした。

>「日本国内で「日本人は誰でも殺せ」との内容は、
>日本人という優位にある集団に対するものであり、差別にはあたらないと思います。
>例えば、「日本人女性をレイプしろ」との内容は日本人であること
>については差別とはなりませんが女性差別であると考えます」

こんなこと平気で言えるメンタリティーの根幹を見る思いです。

74キラーカーン:2017/05/25(木) 00:18:14
5.4.8.3. 少数派からの「ヘイト」の実例(「在日医師RED事件」を中心に)

5.4.8.3.1. 在日朝鮮人の「ヘイトクライム」とみられる事件

 我が国における「ヘイトスピーチ/クライム」を巡る議論は日本人から在日朝鮮人に対する者のみが対象となっているが、逆に、在日朝鮮人から日本人に対する「ヘイトスピーチ/クライム」も最近では話題になっている。

 しかし、既に述べたように、「ヘイト(スピーチ・クライム)」は、在日朝鮮人保護の文脈で語られてきたことから、普遍的な「集団に対する名誉棄損」といったものではなく、日本人から在日朝鮮人に対して『のみ』存在するという「ガラパゴス」的な言説空間が生まれた。しかし、外国の例から見て「ヘイトスピーチ/クライム」としか表現しようのない言動は、在日朝鮮人の側からもなされている。有名な例として
① 「あなたたちが強姦して産ませた子供が在日韓国朝鮮人 」(辛淑玉女史)
② 「拉致問題の発覚で初めて堂々と『被害者となれる』チャンスが巡ってきた 」(同上)
③ 「生粋の日本人なら何人でも殺そうと思った 」(2013年5月の生野区通り魔事件)
④ 日本寺院に油をまき、文化財保護法違反等の疑いに問われた事件
⑤ 「しばき隊リンチ事件」
というものがある。

 この他に、もし実行されていたら、「典型的なヘイトクライム」となっていた「在日朝鮮人医師による日本人患者の殺人予告事件」として15年以上前の事件であるにも関わらず、現在でも折に触れて語られる事件が、次節の表題となっている「在日医師RED事件」である。

75キラーカーン:2017/05/29(月) 01:03:44
5.4.8.3.2. 「ヘイトクライム(殺人)」の予告としての「在日医師RED事件」

 この事件自体は、2001年10月、ある在日朝鮮人医師が、在日差別の復讐 として、自身の患者の中の日本人を選んで血祭りにあげることと並行して、賛同する在日朝鮮人医師も募るというものであった。

 ここまでくると、単なる犯罪(ヘイトクライム)であるのみならず、医者としての職業倫理の欠如を疑わせるものであるために、瞬く間に、インターネット上のコリアンウォッチャーの知るところと
なった。本件のあらすじは次のとおりである。
① 「在日医師RED」と名乗る者在日朝鮮人の医師が、「日本人の患者を血祭りに挙げま
 せんか」とインターネットの掲示板に書き込み
② 書き込み内容のあまりの過激さに、「正体暴き」が始まった
③ 「ハンボード」に書き込んでいる常連ではないかと疑われる
④ 並行して行われていた「リアル割」でも氏名、勤務地がほぼ特定される
⑤ 書き込んだ本人は、「なかったことにしてくれ」と恭順の書き込みを始める
⑥ 「ハンボード」で同一人物と見られる者が管理人の金明秀氏によって「出入り禁止」
 処分となる
というものであった 。

 この書き込み通り「在日医師RED」とされる医者が「日本人患者が『血祭り』にあげられた」か否かは現在となっては確認しようがない。しかし、医者という職業を悪用して殺人まで視野に入れた「ヘイトクライム」実施予告というのは、インターネット上での「犯行予告」とはいえ、当時のンターネット上のコリアンウォッチャーに与えた衝撃は大きかった。その衝撃の大きさから、15年以上たった現在においても、在日朝鮮人による「ヘイトクライム(未遂)」の金字塔として「語り継がれるべき事件」となっている。

 また、そのような「反日」的思考を持つ在日朝鮮人の「たまり場」として金明秀氏が主宰する「ハンボード」が使われていたというのも、当時の(親北朝鮮的)在日朝鮮人の中における何らかの心理的傾向を示していると思われる。

76キラーカーン:2017/05/31(水) 23:39:59
5.4.8.4. 現代の「似非同和活動」の「錦の御旗」としての「ヘイト」

 戦後、在日朝鮮人に限らず、「差別」を梃子にして自身の(不当な)要求を「強訴」まがいの方法によって貫徹するという事例が存在した。現在では、そのような活動を「似非同和活動」 と称している。これは、本来、人権問題ではないものを、「人権」、「差別」へこじつけることによって不当な利益を得るという手法である。

 現在においても、西日本、特に、近畿地方においては、部落差別に起因する同和問題が深く根を張っているといわれている 。このため、少なからぬ同和対策事業が「同和利権」と化しているともいわれている。

 その後、終戦から半世紀以上が立ち、冷戦も終結したことから、そのような経緯を知らない世代も増えた。また、「人権活動」の成果により、在日朝鮮人に対する差別は制度上存在しないといってもよい。

 逆に、所謂「在日朝鮮人」といわれる特別永住者は、公務員にでもならない限り、日韓両国で禁じられている事実上の「二重国籍」者として活動することができる。これは、日韓両国で経済活動を行う場合においてかなり有利な点となる。「ハンボード」においても、帰化せずに、引き続き特別永住許可者である理由として、「その方が日韓両国で商売を行うのに便利だから」という在日朝鮮人からの答えがあったと記憶している。

 戦後半世紀以上が立ち、在日朝鮮人に対する差別意識が低下し、在日朝鮮人を日本国民と異なった扱いをするという法的制度も撤廃された。その結果、在日朝鮮人が単に「日本に居住する朝鮮籍 、韓国籍の人」という程度の認識しかされず、「在日差別」という実態が薄れていった。

 そのような中で、「2002年の衝撃」以降、何かにつけ「魔法の呪文」よろしく「在日差別」、「植民地支配」と騒ぎ立て、批判者の言動を封じようとするのは、まさに、「似非同和行為」と同様の行為である 。

 これまでは、そのように在日朝鮮人が「差別」と騒ぎ立てれば日本国、日本国民から何らかの「譲歩」を勝ち取ることができた。しかし、「歴史認識論争」を経た「2002年の衝撃」以降、「在日タブー」の効果が目に見えて落ちた結果、南北朝鮮に対する好感度も急激に下がっていった。そして、「在特会」という正面から在日朝鮮人に敵対する団体も現れた。

 そのような「差別」という「呪文」の効力が消滅していく中で、在日朝鮮人にとっての新たな「魔法の呪文」として活用されたのは「ヘイト」であった。その流れに乗って、「ヘイトスピーチ規制法」が制定された。

 (在日)朝鮮(人)に対する批判者に対して「ヘイト」のレッテルを張り、(在日)朝鮮(人)に対する批判的言論自体を封殺しようとする端的な例が、テレビ東京の「ニュース女子」の番組で沖縄の反在沖米軍基地活動家に対する批判やその反在沖米軍基地運動を支援する南北朝鮮人に対する批判を「ヘイト」としてBPOに審査を申し立てるという動きである。

 しかし、「ヘイトスピーチ」の節でも述べたように、ヘイトスピーチ規制法の提案者である自民党の西田昌司参議院議員は、そのような「ヘイト」の乱用を「問題のすり替え」として、厳しく批判している 。また、そのような反在沖米軍基地運動への批判を「沖縄ヘイト」と称しているように、既に「ヘイト」の乱用・大安売りは始まっている。

 しかしながら、在日朝鮮人に対する批判ははじめとする左派・リベラルへの批判言論を「ヘイト」という形で封殺しようとする動きは、かつての「在日差別」の言い換えに過ぎず、根本は何ら変わっていない。この行動様式は冷戦終結後、「社会主義」が「明るい未来への呪文」としての効力を失った後、「新たな呪文」として「突如」として沸き上がった「従軍慰安婦問題」と同様である。その意味でも、「在日朝鮮人問題」と「従軍慰安婦問題」との親和性を示すものとなっており、「ヘイト」を巡る我が国の特異な状況を物語っている。

77キラーカーン:2017/06/05(月) 00:17:55
6. 「世界総ネトウヨ化」の時代?(『大統領制民主主義の失敗』?)
6.1. 総説
 現在では、オランダやフランス、スイス、オーストリアなど欧州各国で極右政党が主要政党の一角を占めている。中には、極右政党が連立与党入りした国も存在する。また、比例代表制を取っているEU議会選挙では、極右政党が所謂西側先進諸国においても一定の議席を占めている。2014年の欧州議会選挙において、G7の一角を占める英仏両国でも国民戦線(仏国)、国民党(英国)のように「極右」と呼ばれる政党が第一党となった。

 このことから、所謂西欧先進諸国であっても、そのような「極右」政党が各国の政党システムにおいて確固たる基盤を築きていていることは明らかである。とはいっても、これまではそのような「極右」勢力が議会第一党や大統領選挙で勝利して政府の長の座を手に入れられるとは思われていなかった。

 しかし、2014年の欧州議会選挙以降、英国でEU離脱の国民投票でEU離脱派が多数(2016年)となり、米国でトランプ大統領が誕生(2016年)したことで、そのような状況は根本的に変化したといわざるを得ない。所謂、西欧民主主義諸国においても「極右」勢力は政党政治における脇役ではなく、政党政治における堂々たる主役に躍り出ることとなった。

 米国のトランプ大統領誕生の余韻も冷めやらない中、続く2017年には、蘭、仏、独国での総選挙と仏国大統領選挙といったG7を含めた国政選挙が予定されている。また、政権が進退をかけた憲法改正案が否決されたイタリアでも近いうちに総選挙が行われる見込みである。

 これら、主要国の総選挙で、所謂「極右」政党は、既に「何議席獲得するか」という次元ではなく、第一党となるか否か(≒大統領或いは首相の座を掴むか)という次元の争い、即ち「政権の座」を掴むのか否かという次元の争いとなっている。

 そのような「世界総ネトウヨ化」といわんばかりの国際情勢の中で、脚光を浴びつつあるのが「分断」という言葉である。本節では、
①経済のグローバル化の勝者と敗者という「分断」が誰の目にも明らかになった
②分断の種類には「社会のアイデンティティー」と「貧富の差」という2つがある
③「リベラル」の側は分断で不利益を被る「まじめな中産階級」を無視することで分断を「なかったこと」にした
④「極右」が無視された人々に焦点を当て、「反リベラル」という「二分化」戦術を取った⑤その「二分化」は大統領制或いは議院内閣制の「大統領制化」により拡大・固定化した
⑥その結果、西欧先進諸国も「大統領制民主主義の失敗」のリスクが無視できなくなった
という仮説を提示する。

 そして、その「分断」を生じさせた「主因」であるリベラルの反対者に対する抑圧的・暴力的体質を明らかにし、将来に向けて、「分裂」を治癒する方策を考察するものである。

 また、我が国においても、そのような「大統領制化」との潮流とは無縁でなく、国政では小選挙区制の導入と内閣官房機能強化による内閣総理大臣・自民党総裁への権力集中、地方政治では地方自治体の二元代表制(≒大統領制)による「改革派首長」と議会の対立という形で現実化している。

 そのような政治制度改革と、冷戦終結後の「歴史認識論争」の結果としてのリベラルの自壊というべき状況の結果としての「ネトウヨ化」が化学反応を起こし、見通しうる将来において、我が国においてもその傾向は強まりこそすれ、弱まる気配を見せない状況である。

 すなわち、「ネトウヨ化」というのは我が国独自の政治状況ではなく、冷戦終結とそれに伴う(経済の)グローバル化を契機として先進各国で同時並行的に生じた政治的潮流であるとみなすことができる。しかし、その「ネトウヨ化」の原因及び過程については、我が国と欧米との間には違いがある。その我が国と欧米との間の「ネトウヨ化」に関する各国間の比較分析 を行うことは、我が国の「ネトウヨ化」の実態を明らかにするだけではなく、比較政治学上の知見も得られるものと考えられる。

 本章では、これまで、我が国の国内における政治現象として捉えられてきた「ネトウヨ化」というものを、世界情勢の文脈の中に位置づけ、我が国独自の現象と思われてきた「ネトウヨ化」の国際比較(の足掛かり)のための「野心的」な試みでもある。

78キラーカーン:2017/06/10(土) 01:00:23
6.2. 我が国の状況(「橋下現象」-「首長と議会との対立」)
6.2.1. 我が国の政治制度
6.2.1.1. 総説
 我が国の政治制度は、国家レベルでは議院内閣制、地方自治体レベルでは二元代表制(≒大統領制)をとっている。
国会議員選挙制度については、古くは鳩山一郎内閣で検討された小選挙区制をはじめ、いろいろ議論もされており、また、実際に変更もされてきた。しかし、地方自治体レベルでの二元代表制の特性については、これまで我が国ではあまり意識されることはなかった。

 当選者が一人という大統領(首長)選挙では「反○○」という「単一争点」による一点突破で当選する「改革派首長」が往々にして誕生する。また、小選挙区制においては、「風」によって地滑り的勝利(敗北)が発生する。

 しかし、小選挙区制が定着するにつれ、国政レベルでは小泉首相のような「敵を作り出し」、「敵か味方か」という踏み絵を迫る(1ビット脳的)政治家の人気が高まってきた。その「1ビット脳的政治」の影響は地方政治にまで及ぶようになった。地方知事隊は、戦後一貫して二元代表制であったため、制度上「1ビット脳的政治」との親和性が高い。これまでは、国政レベルが中選挙区制に基づく議院内閣制であったことと、地方政治レベルでも「相乗り知事」により「1ビット脳的政治」、ひいては二元代表制による悪影響を緩和していた。しかし、国政レベルで「1ビット脳的政治」が猛威を振るうと、二元代表制を採る地方自治体にそれを押しとどめる術は事実上なかった。

 その結果、議員の集合体である議会よりも公選による独任制(一人しか当選者が出ない)という「究極の小選挙区制」の勝者である首長への期待が高ってきた。首長選挙では、まずは「無党派」次いで「改革派」といわれる首長を輩出するようになった。このような首長は議会との対決姿勢をとる傾向があり、その結果、議会と対立して自治体の統治が停滞するという(大統領制における)分割政府の弊害が我が国においても認識されつつあるのが最近の情勢でもある。

79キラーカーン:2017/06/16(金) 00:19:41
6.2.1.2. 国家レベル
 日本国憲法の規定により、我が国は議院内閣制をとっている。このため、国会議員の選挙制度が決定的な枠割を果たすことになる。我が国は長らく「中選挙区制 」と呼ばれる選挙制度を採用してきた。

 中選挙区制とは単記投票式で選挙区定数が原則 3〜5である我が国独自の選挙区制度のことである。1925(大正14)年の普通選挙導入と同時に導入され、1993年の総選挙まで(現時点では)我が国の選挙制度では一番長く存続した。

 この選挙制度の下である政党が単独で過半数を獲得するためには、同一選挙区で複数の当選者を出す必要がある。このため、自民党は単独過半数を目標にする以上、選挙区で複数当選を目指さなければならなくなっていた。この結果、選挙区単位では、複数の自民党候補が立候補し、同じ自民党候補が「敵」として戦うことになる 。

 このため、同じ自民党に属していても、選挙区では同じ選挙区での当選を目指して「別個に」選挙戦を戦うことを強いられる。したがって、選挙においては「自民党」としてではなく、派閥単位で選挙戦を戦うこととなる。そして、派閥単位の選挙戦を勝ち抜いた国会議員は当選後も当然のように「同志的結合」を維持することとなる。その結果、派閥が選挙互助会の枠を超えて、事実上の政党として機能していた。

 その点に着目すれば、小選挙区制導入前の自民党は複数の派閥が連合した「政党連合」という色彩を持ち、自民党政権は、「単独政権」であっても「制度化された連立政権」という状態にあった。自民党単独政権が、事実上、各派閥による「連立政権」であるとの認識に立てば、自民党政権の運営において「派閥政治」や「派閥均衡人事」が幅を利かせるのも当然の結果とある。

 しかし、1993(平成4)年の総選挙による自民党の下野を契機として始められた「政治改革」で、衆議院議員の選挙制度が中選挙区制から小選挙区比例代表並立制に改められた。この「政治改革」で小選挙区に配分される定数が6割を超えており 、「政治改革」の焦点が小選挙区制の導入にあったのは明らかである。

 その点では、1989年の参議院選挙における自民党の過半数割れ及び1993年の非自民連立政権(細川、羽田内閣)の樹立という「非自民連合の成功体験」を得た。それを基に、非自民側は小選挙区制導入を導入し、その結果として我が国にも二大政党制を定着させようとした。その先には、二大政党制の定着により自民党の一党優位性を終焉に持ち込むことを最終目的としていた。

 一方、自民党内部において、小選挙区制の導入は、それまでの自民党における「派閥政治」を終了させ、自民党執行部、とりわけ自民党総裁への権力集中或いは自民党代表イメージの一身専属化(自民党総裁の「大統領化」)をもたらすこととなった 。

80キラーカーン:2017/06/20(火) 00:56:36
6.2.1.3. 地方自治体レベル(二元代表制:地方自治体は「大統領制」)
6.2.1.3.1. 「与野党相乗り」知事の誕生
地方自治体においては国政レベルとは異なり、二元代表制(≒大統領制)となっている 。つまり、その気になれば、自治体の首長は「大統領」という「一国一城の主」として振る舞うことが可能である。しかし、「コンセンサス」という「和」、「根回し」或いは「空気」が重要な我が国の意思決定過程においては、「権限を振り回す」首長は余り必要とはされない。

 先に述べたように、55年体制下における自社(保守-革新)対立を経て、中選挙区制度化では一定の議席数が見込める民社党や公明党の設立という中道政党の誕生もあった。

 第一党である自民党が首長(特に知事)選挙で勝利を確実にするため、自民党と中道政党との相乗りで知事候補を推薦することが常態となっていく(俗に「自公民」 ともいわれた)。また、首長が再選を重ねるにつれ、自身の政治基盤の安定(特に議会対策)の必要上、首長は「無所属(相乗り化)」となって、各党からの支持を集める ことも珍しくなかった。

 この結果、1980年代には、自治体の首長、特に知事レベルでは「与野党相乗り」が多くなり、政党公認知事は少数となった。その点では、地方自治体の首長は議院内閣制における君主或いは大統領のような存在であることが求められ、結果として自治体の首長は一党一派に偏しないことが我が国の政治風土となった。

6.2.1.3.2. 制度的には政治改革の影響を受けなかった地方自治体
 1993年の自民党下野を契機として、小選挙区比例代表併用制が導入された国会(国政レベル)とは異なり、地方自治体では制度的には何ら変更されなかった。

 しかし、国政レベルでの制度変更は地方自治体レベルにおいてもその影響を及ぼす。そのような動きの中で与野党相乗り知事という現状を変革しようとする立候補者も現れた。そのような立候補者は政党(議会)の信任・支持とは無縁であった。

 そのような立候補者が当選すれば、「選挙で選ばれた」という正当性を主張して、議会との対立姿勢を打ち出す傾向にある。そのような知事は、政党からの支援を得ていないという観点から、まずは
 「無党派首長」 と呼ばれるようになったが、その後、議会と対立しても「改革」を実行するという公約を掲げることが多くなったことから、昨今は「改革派首長」と呼ばれることが多い。

 そのような自治体では、首長は議会の支持が得られず、議会と対峙するためには有権者の直接的な支持を自身の政治的資源とせざるを得ない 。このような議会と対立志向の首長を選出した自治体では大統領制の分割政府或いは我が国の「ねじれ国会」に見られるような政治の停滞現象が往々にして発生した。

81キラーカーン:2017/06/25(日) 00:56:20
6.2.2. 自民党の状況(派閥政治から総裁政治へ)
6.2.2.1. 小選挙区制導入への対応
6.2.2.1.1.  総説
 小選挙区制度の導入により、各選挙区で政党は1名しか公認を出せなくなった。立候補者数に関する法則(経験則)として名高いデュヴェルジェの法則(後述)によれば、小選挙区制では選挙区単位の(当選可能性のある有力)立候補者数は「2」に収斂する。その結果、衆議院(総)選挙においても「1対1」の対決の構造に持ち込み易くなった。したがって、「タイマン」が得意な政治家(「対決型」や「劇場型」政治家とも言われる)にとっては都合のよい選挙制度となった 。

 衆議院における小選挙区制の導入以前では、1989(平成元)年の参議院選挙 において、連合が(共産党を除く)野党間の橋渡し的な役割を担い、1人区での野党統一候補擁立(所謂「連合方式」)が実現した。この「連合方式」が功を奏し、1989年の参議院通常選挙で(改選議席は言うに及ばす)非改選を合わせた参議院全体においても自民党を過半数割れに追い込んだ。

 この時の経験により、全国的な「風」を起こすことができれば、小選挙区制(=1人区)の方が「政権交代」を起こす可能性が高いことが判明し 、「政権交代」を可能とする小選挙区制導入への追い風となっていた 。この与野党逆転の立役者となった「連合の会」は、その後「民主改革連合」と名前を変え、細川政権での与党となった 。
 小選挙区制の導入という点に着目すれば、(実態は派閥という「政党連合」であっても)単一政党である自民党に有利で(派閥単位での争いがあっても、党機関という一元的な候補者調整機関が存在している)、政党が乱立している(一元的な候補者調整機能のない)細川政権連立与党 には不利となる。

 実際、細川護熙総理(当時)が率いる日本新党であっても、自民党が下野することとなった1993年の選挙では、20%程度の得票率で当選圏内となる4〜5人区での当選が多く、中選挙区制の恩恵を受けた形となっていた。日本新党に限らず、中選挙区制で複数候補者を擁立する体力のないままでは、多数の会派による連立を強いられる非自民連立与党側に不利となる。この状況を脱却する根本的な解決策は小選挙区制を導入し、その「制度の力」を借りて非自民勢力を結集し二大政党制を確立することであった。

 宮沢内閣への不信任案採決を契機に自民党から飛び出て、その後の解散・総選挙で自民党を過半数割れに追い込み、55年体制成立後初の自民党の野党転落を実現させた最大の立役者ともいえる小沢一郎氏は、この選挙制度改革を梃子に政党再編を目論んでいたといわれている。

82キラーカーン:2017/06/28(水) 00:26:08
6.2.2.1.2. 派閥選挙の終焉とデュヴェルジェの法則
 一般的或いは経験則的に、単記投票制の下では、ある選挙区内における政党数又は(有力)候補者数は「選挙区定数+1」に収斂することが知られている(デュヴェルジェの法則)。我が国においても、中選挙区制における我が国の主要政党及び自民党の派閥数は「5+α」に収斂し、概ねこの法則を満たしている。

 「5」は、政党名では自民、社会、公明、民社、共産の5大政党であり、自民党の派閥では田中派、大平派、福田派、中曽根派、三木派の5大派閥である(それ以前は「8個師団」といわれる8つの派閥が鎬を削っていた )。

 「α」は政党では新自由クラブ又は社会民主連合(社民連)、自民党の派閥では中川「グループ」である 。これらは、「5」と同列には扱うことができないほど規模の差が大きい。

 このように、我が国の中選挙区制において、主要政党数がデュヴェルジェの法則が示唆する「6」とはならない理由として、
① 定数が「5」でない(定数が「3」又は「4」)選挙区が存在したこと
② 当時の自民党の派閥が中選挙区制を勝ち抜くため「党中党」として機能していたこと
③ 自民党が過半数を制するためには同一選挙区で複数候補の当選が必要
という理由が挙げられる。

 これらの理由(特に「③」)から、必然的に、選挙区単位では自民党の複数派閥が選挙戦に参入することを意味する(しかし、都市部では、自民党(系)候補が1人しか当選できない選挙区も存在した)。その結果、選挙区単位では、自民の五大派閥のいずれかと非自民四党(社公民共)の組み合わせでデュヴェルジェの法則が満たされるからと推測される。

 そのような野党(当時)自民党の事情がある一方、政権側では「7党1会派」という多数の連立与党を要する細川内閣において、連立与党をまとめ上げるには、与党を単一の政党とするのが近道である。

 中選挙区制では自民党の5大派閥の例を見るように、5〜6個の政党が最適値となるというのがデュヴェルジェの法則の予言するところである。したがって、中選挙区制のままでは、自民党の派閥のように細川政権の連立与党も5程度までしか統廃合されないということは容易に想像がつく。

 その場合、細川政権の連立与党が、将来、連立を離脱し自民党と連立を組むという可能性も否定できない(この懸念は、その後の「自社さ連立」現実のものとなった)。このため、自民党にとって代わる政党勢力の樹立のためには、自民党以外で単独過半数を目指す政党の結成、ひいては二大政党制の確立は不可能であると判断するのが合理的 である。

 この結果、選挙制度を小選挙区制にしてしまえば、「選挙互助会」であっても二大政党に収斂していくことになる。政界再編を目論む小沢一郎氏は「政権交代可能な政治改革」を旗印に小選挙区制の導入に成功する。そして、結果として、自民党と民主党との二大政党制が成立し、2009年の政権交代につながっていく。

83キラーカーン:2017/07/01(土) 01:12:08
6.2.2.2. 自民党総裁への権力集中(自民党政治の「大統領制化」)
 小選挙区制の下においては、各選挙区で自民党候補が1名に限定されることから、候補者選定に自民党執行部が関与する度合いが大きくなった。また、小選挙区制では同一選挙区で複数の自民党候補が立候補しないことから、派閥単位で選挙を戦うという意味も消滅した 。

 その結果、自民党においては、候補者の公認などにおいて、自民党の各派閥より自民党執行部とりわけ総裁(及び幹事長)への権限集中をもたらすこととなった。この点については、高村自民党副総裁(当時)も「(小選挙区制導入という)選挙制度改革のただ一つの良い点は総裁を中心に党執行部が強くなったことだけ」と自民党執行部の一員としてこの見解を裏書している 。

 小選挙区制導入への対応の結果として生じた総理・総裁への権力集中の結果、小泉氏の後を襲った安倍晋三氏及び福田康夫氏は、55年体制で形成されてきた首相(候補)と認められるための条件 を満たすことなく、「内閣の大番頭」とも「首相の女房役」ともいわれる内閣官房長官経験を足場に首相の印綬を帯びることとなった。このことは、首相(「官邸」)権力の強化、或いは日本政治の「大統領制化」というものが進行していることの証左となり、その象徴としての内閣官房長官が首相への登竜門或いは首相候補として認知されるための試金石という地位を獲得したともいえる。

 その一例として、小渕総理(当時)が倒れ、人事不省に陥った際の内閣総辞職の手続が不明瞭であったことで批判を浴びた 。この教訓として、現在では、総理大臣臨時代理の就任順位が第五位まであらかじめ定められている 。その順位は、原則(副総理が置かれていない場合)、内閣官房長官が第一位である。第二次安倍政権のように副総理が置かれている場合は副総理に次ぐ第二位となる。

 その後、「官邸主導」政治の定着及び東日本大震災時における官房長官会見による露出もあり、内閣官房長官が主要閣僚として広く認められるようになっていく。なお、官房長官だけではなく、官房副長官(副大臣又は政務次官と同格)には大臣経験者を起用することもあり、その場合「大物副長官」と言われた。

84キラーカーン:2017/07/01(土) 01:12:27
 ここで、現在との比較のため、55年体制下における自民党総裁に求められる条件を振り返ることとしたい。

 派閥政治華やかなりし当時、総理大臣(自民党総裁)として求められる条件として、一般的にいわれていたのは
① 派閥の領袖
② 主要閣僚(外相、蔵相、通産相)のうち2つ
③ 自民党三役のうち幹事長を含む2役
であった。

この条件から逆算すれば、総理・総裁「候補」として認知されるためには、
① 派閥の領袖(又は派閥の次期領袖として認知されている)
② 主要閣僚経験(財務(旧大蔵)、外務、経産(旧通産)いずれかの経験)
③ 自民党三役(特に幹事長又は政調会長)
のいずれか1つを満たすことが最低限の条件であろうと思われる。該当する職の経験数が増えれば増える程「有力候補」として認知されていく(特に政調会長と主要閣僚の両方を歴任した者は「将来の総理総裁候補」として見込みのある者である可能性が高い)。

 この3条件「すべてを満たさない(派閥領袖ではない、主要閣僚経験なし、三役経験なし)」自民党総裁経験者は、福田康夫氏の他には、小泉元首相(厚相2回)と海部元首相(文相2回)のみであった。(この他にも、3条件が「部分的」に欠けている例はあるが、全て欠けている例はない )。

 例えば、小泉総理の後の総理・総裁候補として認知され、実際に小泉総理退任後、相次いで自民党総裁となった「麻垣康三」の中で、福田康夫氏以外の3名は後者の「候補」として認知される3条件(緩和された総理・総裁のための3条件)を満たしている。特に、麻生氏は「事実上」総理・総裁のための3条件を満たしている(既に述べたように、麻生氏は外相を2期経験(内閣改造を挟んで留任)しているため)。

 その他の例でいえば、異例の状況下で総理に就任した鈴木善幸及び宇野宗佑両氏の場合でも、鈴木善幸氏は複数回の三役(総務会長 )経験があり、宇野氏には主要閣僚経験については完全に満たしていた(通産、外務両大臣の就任経験)。

 小選挙区制導入や省庁再編に伴う内閣官房及び自民党執行部の比重が増してきたこと、就中、総理・総裁の比重が増してきたことは、これまでの総理・総裁になるための「出世街道」を変化させてきている。その象徴が内閣官房長官の「重要閣僚化」である。自民党執行部への権力集中と「党高政低」といわれる状況が相まって、自民党では党総裁の比重が増す一方、小泉総裁以後の自民党執行部では、幹事長の重みが低下する傾向もみられる 。また、政府側では、内閣官房の比重が増し、その結果、内閣官房を所掌する内閣官房長官の存在感が高まってきている。

 このように、総理への権力集中により、政府が総理(兼与党(第一)党首)一人で代表されるような状態になることは、議院内閣制と雖も「大統領制化」への道を歩んでいるともいえる。

85キラーカーン:2017/07/03(月) 00:53:49
6.2.2.3. 野党時代(谷垣総裁時代)の自民党
6.2.2.3.1. 政治家としての谷垣氏
 自民党の野党時代(民主党政権時代)の自民党総裁は「麻垣康三」の中でただ一人総理・総裁の印綬を帯びていなかった谷垣氏であった。野党転落という自民党の「冬の時代」を乗り切るためには、「麻垣康三」の一人として、かねてから(総理)総裁候補として認知され、かつ、その4人の中でただ一人自民党総裁に就任していない谷垣氏を総裁に選出し、自民党の立て直しを図るべきであるというのは組織防衛上も合理的な判断である。

 谷垣氏は宏池会所属 であり、弁護士資格も有することから、一般的には「リベラル派」の政治家として語られている。谷垣氏が自民党の中では「リベラル」であること自体は間違いではないと思われる。しかし、谷垣総裁時代の自民党の政策は、(最大)与党民主党との差異を際立たせようとしたのか、自民党改憲案というような「右寄り」なものも谷垣総裁時代に策定された。

 「リベラル」といわれる谷垣氏自身も母方の祖父が影佐貞昭陸軍中将 であり、靖国神社や伊勢神宮の参拝も行っている。また、外国人参政権には消極的であり、法務大臣時代には死刑執行も命じている。このように、自民党内では「リベラル」であっても民主党的な「リベラル」とは一線を画している。

6.2.2.3.2. 自民党総裁としての谷垣氏
 谷垣氏は、(衆議院第一党ですらない)野党 という「自民党冬の時代」の総裁としてよく自民党を纏めていた。また、谷垣氏は、3年の長きにわたって主要閣僚の一角である財務大臣を務めるなど、閣僚歴も豊富であり、政治家として有能であったのは間違いない。しかし、「麻垣康三」の中で、安倍、麻生両氏ほどの「華」はなく、第二次安倍政権においても総裁経験者でありながら、法務大臣や幹事長に「甘んじている」という点も「地味な政治家」 という印象を強化する。

 谷垣氏が総裁であった野党時代の三年間、谷垣氏が期待通りに手堅く自民党を纏めている一方、政権の座に就いた民主党は、これまで述べたように、政権運営能力の未熟さをさらけ出して、国民の支持を失いつつあった。そのような民主党への支持率下落傾向の中、谷垣総裁の下で行われた2010年の参議院通常選挙において改選第一党の座を奪回した。その結果、参議院で与党が過半数を割り込むという「ねじれ国会」が再現され、自民党の意向を無視して法案が可決できる状況ではなくなった。この参議院選挙の勝利で、自民党は来るべき衆議院総選挙における政権奪回の足掛かりをつかんだ。

 このように、谷垣氏は地味な印象を与える政治家であるが、豊富な入閣歴や政調会長経験もあるように、政策に強い「有能な守りの政治家」である。谷垣氏はその能力を期待通りに発揮し、野党時代の自民党を率いる上で必要とされた自民党が耐えるべき時に党の統率を保って耐えることができた。この点は、大正時代において、原敬政友会総裁の前で「苦節十年」を耐えきった加藤高明憲政会総裁に匹敵する政治家といってよいくらいである。

 加藤高明は総理となってから、第二次大隈内閣時代の開戦外交の失敗の汚名をそそぎ、憲政会は政友会に続く政権担当可能な政党の地位を確立したが、谷垣氏は、加藤高明と異なり、総理の印綬を帯びることは(現時点まで)なく、現在、自身の自転車事故による負傷療養中であり、政治家としての復活の目途は立っていないため、首相としての谷垣氏の能力は評価することはできない。恐らく、谷垣氏は、このまま、「総理になれなかった自民党総裁」としてなお残すことになる可能性が極めて高い。

 小泉氏や安倍氏或いは麻生氏のような見かけの派手さはないが、政権奪回を目指す野党第一党総裁として求められる場面で求められる能力をしっかり発揮したという点は正当に評価されるべき政治家である。

86キラーカーン:2017/07/10(月) 00:49:08
6.2.2.4. 安倍氏の総裁返り咲きと総選挙での自民党勝利による総理返り咲き
6.2.2.4.1. 安倍氏の自民党総裁返り咲き
 2012年9月、谷垣総裁の任期満了に伴う総裁選挙が行われた。2010年の参議院選挙で改選第一党の座を奪回しており、このまま、民主党政権の支持率が低迷すれば、次の総裁任期中に行われる次期衆議院総選挙において第一党及び政権奪回も夢ではないため、この総裁選は「影の総理」に留まらず、「次の総理」を選ぶという性格も帯びていた。

 現職の谷垣総裁(当時)は、当然、再選に向けて動き出していた。しかし、執行部から石原伸晃幹事長(当時)も出馬に意欲を示しており、結果的に、石原幹事長が谷垣総裁を蹴落とす形で、宏池会ほかの支持を取り付け、谷垣総裁は出馬断念に追い込まれた 。安倍元首相も、所属派閥である町村派(清和会)の町村会長が出馬に意欲を示した中で出馬を表明し、清和会も事実上の分裂選挙となった。

 総裁選の結果、地方票300票の過半数を獲得した石破元防衛大臣が一位となったが、国会議員票も含めた総投票数の過半数に達せず、二位の安倍氏との決選投票となった。決選投票は、自民党所属国会議員のみで行われるため、国会議員票で石破氏より優位にあった安倍氏が逆転で自民党総裁の座を勝ち取り、自民党総裁に返り咲いた。一度退任した総裁が返り咲くのは自民党史上初のことである。

87キラーカーン:2017/07/10(月) 00:50:08
6.2.2.4.2. 安倍氏の政治的位置とその特質
 安倍氏は岸信介を源流とする自民党の中でも右といわれる清和会出身でもある。また、母方の祖父である岸信介氏の影響も否定していない ことから、自民党の中でも右派といわれている。

 我が国で国会議員を輩出した政党の中では、自民党が一番「右」に位置する時代が長い。このため、自民党内で「右」ということは、野党を含めた我が国の政治地図では一番右に位置することを余儀なくされるため、「極右」、と評されることも珍しくない。昨今の「ネトウヨ化」と言われる日本社会の状況もあり、自民党でも「右」に位置する安倍総理は「ネトウヨ」ともいわれることがあり 、現に現在に至るまで、左派・リベラル勢力からは「ネトウヨ総理」と称されることが少なくない。

 この結果、「河野談話」に代表される自民党の「リベラル派」には飽き足らないネトウヨ層の中でも、「自民党の右」である安倍首相であれば許容範囲である割合は高いと見受けられる。それは、「自民党の右」に位置する政党(太陽の党⇒維新(石原派)⇒次世代の党⇒日本の心を大切にする党)の党勢がジリ貧になり、現在では消滅の危機にある事もその傍証である(本来なら、これらの政党を支持する層が自民党支持へ「移行」している)。また、「反朝鮮半島」という特質を持つネトウヨ層にとって、北朝鮮による拉致問題にも尽力したという「実績」も安倍総理を支持する要因となっていると考えられる(「4.1.2.2. 安倍晋三氏を一躍小泉後継に候補に押し上げた拉致問題への対応」参照)

88キラーカーン:2017/07/10(月) 00:52:18
6.2.2.4.3. 総選挙での自民党の勝利(政権奪回)と安倍氏総理返り咲き
 安倍氏の総裁返り咲き当時、衆議院議員の任期は残り一年を切っており、近々に、政権選択選挙となる衆議院総選挙が行われることとなっていた。民主党政権は、支持率が低迷し、政権発足直後の勢いがなかった。したがって、衆議院の任期が残り1年を切ったこの時期で自民党総裁に選出されれば、遠からず行われる総選挙において衆議院第一党の座の奪回し、首相の印綬を帯びる可能性が少なくなかった。

 2012年12月に行われた総選挙で、当初の予想通り、自民党は過半数を制し3年ぶりに政権に返り咲いた。そして、自民党総裁の安倍氏は首相に指名され第二次安倍内閣が発足した。安倍氏は、日本国憲法下で総理に返り咲いた初の人物となり、日本国憲法施行前の「戦後」を含めても吉田茂 氏以来の総理返り咲きとなった。
戦前で首相に返り咲いたのは、伊藤博文、山縣有朋、松方正義、大隈重信、桂太郎、西園寺公望、山本権兵衛、若槻礼次郎及び近衛文麿の9人である。対象を組閣の大命を複数回受けた者まで広げても「鰻香内閣 」で一度は大命拝辞の憂き目にあった清浦圭吾が加わるだけである。いずれも、当時の日本政界を代表する(超)大物政治家である。

 安倍総理は、自民党内でも「右」に位置する政治家といわれているように、所謂「東京裁判史観」には批判的であり、自民党の野党時代にはそのような発言も行ってきた。安倍氏が総理に返り咲いた時点で、反安倍の左派は、「慰安婦問題の国際化」の夢再びとばかりに、安倍首相が「極右」或いは「歴史修正主義者」という国際キャンペーンをしてもらうべく、外国報道機関に対してアピールを行い、安倍首相の国際的評判を落とそうとしていた 。

 実際、安倍氏の総理返り咲き時の米国は、リベラルの民主党政権(オバマ大統領)であったこともあり、総理返り咲き直後の安倍総理に対する警戒感は強かったといわれていた。基本的にリベラルな米国マスコミもそのような論調で報道し、米国民主党政権内部でも
そのような見方が強かったとされている。

 安倍総理の「戦後レジームの見直し」という発言を捉えて、安倍総理は「歴史修正主義者」 とレッテルを張られることもある。「歴史修正主義」という語はホロコーストとの関連で注目を浴びたため、この言には親ナチという含意を帯びることとなっている。この結果、「歴史修正主義」という語は「ナチ(ス)」と同義として使われることも多く、論敵に対する「レッテル張り」として使われることが少なくない。そのため、安倍氏は、総理返り咲き当時、欧米から警戒されていたといわれている 。

 そのような中、安倍総理は長期安定政権となるとともに、着実に(特に外交分野において)実績を重ね、「戦後70年談話」、慰安婦問題の「不可逆及び完全な解決」、オバマ大統領との広島と真珠湾の相互訪問を実現させ、「戦後70年」の節目に相応しい「和解」を演出した。

89キラーカーン:2017/07/10(月) 00:52:35

 また、米国大統領選挙後は、トランプ新大統領との親密な関係等、長期安定政権を背景にして外交実績を上げつつある。その大きな転機となったのが、安倍総理訪米時の議会演説であった。
 皮肉なことに、安倍外交の「成果」はネトウヨ層からの異論も強い。特に慰安婦問題については、「慰安婦問題で、『最終的かつ不可逆』という文言が盛り込まれても韓国が合意を履行するわけがない 」とネトウヨ層から批判され、更に、合意により10億円の出資を決定したことから「韓国に妥協した」とネトウヨ層からの批判を浴びることもあった。

 第二次安倍政権は、現在のG7において一番の安定度を誇るといっても過言ではない。G7首脳で安倍氏よりも先任のオランド仏大統領、メルケル独首相の両名は2017年に選挙の洗礼を受ける。仏大統領選にはオランド大統領が不出馬のため大統領選挙後には退任する。このため、独総選挙でメルケル首相が敗北すれば、第一次安倍政権を含まなくても、安倍氏が最先任となる。

 また、岸田外相もG7の外務大臣では最先任 となっていることを活かして、少なくない外交成果を上げている安倍政権である。
このように、近年の我が国の内閣では例を見ないほどの安定度を誇る第二次安倍政権であるが、その第二次安倍政権をもってしても依然として懸案として残っているのが、中国の南シナ海・東シナ海進出、特に尖閣諸島への進出及びロシアとの北方領土問題である。また、朴槿恵韓国大統領弾劾を契機とした韓国の政情不安もあり、韓国との「不可逆かつ最終的な」解決であったはずの慰安婦問題を含め、歴史認識問題全般においても先行きが不透明となっている。

 とはいっても、国内では「安倍一強」とまで言われる状況であり、野党第一党である民進党の支持率も10%内外で低迷している。このため、このままの状況であれば、安倍氏は自民党総裁の3期9年の任期を全うし、2020年の東京オリンピックはおろか、100年以上にわたって更新されなかった我が国の総理大臣在任期間を更新することが確実視されている 。

90キラーカーン:2017/07/13(木) 23:26:45
6.2.3. 「無党派」から「維新」そして「都民ファースト」へ(「分断の固定化」)
6.2.3.1. 総説
 地方自治体レベルでは、昭和50〜60年代(1970年代後半〜1980年代)になって首長(知事、市町村長)選挙において「与野党相乗り」 が珍しくなくなった。この結果、県知事は「(共産党を除く)オール与党」ということも珍しくなくなった。このような状況であれば、国会のように「与野党対立」という構図もなく、知事と議会が大統領制下の「分割政府」のように対立関係になることもない。その結果、自治体の政治は円滑に遂行される。
 当時はオイルショック以後の「安定成長からバブル景気へ」という時期であり、また、「3割自治」といわれるように国と地方自治体との権限の差が大きかった。更には、1960年代〜70年代の「革新知事」 の時代を経て、特に都市部において、自民党の力が弱まり、所謂中道勢力(公明、民社両党)の協力を得なければ自民党と雖も知事選に勝利できないという現状もあった。

 このような経済的、制度的背景から、首長と議会との対立よりも、両者の協調によるコンセンサス方式での当該自治体の利益極大化という手法が有効とされていた時代である。この結果として「与野党相乗り」が多く、その点では争点に欠け「無風」となる知事選挙が多かった 。

 その中で、議会の支持を当てにせず、首長自身の個人的な人気を背景に、議会(政党)と独立した存在として知事の座を目指す動きがあった。このような背景を持つ「無党派首長」であるので、所謂「タレント候補」と親和性が高く、結果として「タレント首長(知事)」として一世を風靡したのもそのような背景を持つ者であった。

 しかし、1990年代頃から、「オール与党」ではない、それどころか「オール野党」という首長が誕生するようになった。そのような首長は、自治体統治を個人的人気に頼らざるを得なくなる。そのため、議会との「対立」を演出して「反議会」という観点で住民の支持を得ようとする。その結果、大統領制における「分割政府」或いは我が国の国会における「ねじれ国会」というような「決められない政治」が出現した。

 また、意図的にそのような「膠着状況」を作り出し、首長選挙を事実上の「住民投票」とすることで、その投票結果を「直近の住民の意思」として議会に押し付け、事実上、議会の意思を無視するという手法を採る首長が現れた。そのような「改革派首長」の中で、最も洗練かつ苛烈な手法を採り、「一斉の風雲児」となったのが、橋下徹元大阪府知事・大阪市長である。その系譜は小池百合子東京都知事にも引き継がれている。

91キラーカーン:2017/07/19(水) 00:37:40
6.2.3.2. 「きっかけ」としての無党派知事(青島東京都知事、横山大阪府知事)
6.2.3.2.1. 「無党派」の衝撃(1995年)
 「無党派知事」或いは現在の「改革派知事」の直接の祖先は、先に述べたとおり、青島都知事及び横山大阪府知事の両名であるとするのが、現在からの視点では妥当であろう 。

青島、横山両知事もタレントしての知名度を生かし、全国区時代の参議院で政治家生活を開始した「著名なタレント議員」として政党や派閥といった組織に依存しない「個人票」を持つという共通点を持つ 。また、両者とも、知事選挙への出馬に際しては、現状の都政、府政への「異議申し立て」として立候補した経緯があり、議会の支援は受けないというよりも得られなかった状態で知事選への出馬を表明した(政党推薦の知事候補が彼らとは別に立候補した)。

 当時(1995年当時)、東京及び大阪両知事選は統一地方選挙の一環として行われていた。このため、当然のことながら、我が国を代表する二大都市圏である東京及び大阪両知事選は統一地方選挙の「目玉」であり、その結果は「政権の中間評価」 として国政へ与える影響が無視できないものであった。

その1995年の統一地方選挙で、東京と大阪の「二都」で、同時に政党推薦候補を破り、政党の支持を得られなかった「無党派」の知事が誕生したことは、政界のみならず、一般社会にも大きな影響を与えた。その影響度の大きさから、「無党派」という語が「流行語大賞」の年間大賞に選ばれた。この時、政党或いは議会と無関係の「アウトサイダー 」が首長となった場合の自治体における「二元代表制」の有効性について日本国憲法体制が試されることとなった。

6.2.3.2.2. 当選後の青島、横山両知事
 このような立候補〜選挙戦の経緯から、青島、横山両知事とも当選後の議会との関係は良好とはいえなかった。青島都知事はすでに秒読み段階に入っていた「世界都市博覧会」を「ドタキャン」に近い形で中止し、横山府知事は大阪府の財政赤字に苦しんでおり、その課題を解決するために議会との関係構築に労力を割いた。

 青島都知事は都市博中止後、議会との対立から目立った実績が残せず、一般的には「選挙に一番強い 」ともいわれる二期目の出馬断念に追い込まれた。横山府知事は対照的に、財政再建などで一定の成果もあげ、ボケ役として名声を築いた「タレントとしてのキャラ」もよい方向に作用し、議会との関係構築に成功した。元々府民からの人気も高かった横山府知事は再選時には、圧倒的な人気を誇り、共産党を除く既成政党が軒並み「不戦敗」に追い込まれ 、信任投票的な選挙戦で再選を果たした 。

 いずれにせよ、現在の、(既成)政党に支持基盤を置かず、個人的な人気を頼りに自治体統治を行っていく「改革派首長」或いは「劇場型首長」といわれる政治家の原型は青島都知事、横山大阪府知事の両名に求めることは妥当であると考える。

92キラーカーン:2017/07/19(水) 00:39:11
6.2.3.3. 「改革派知事」への変化(田中康夫長野県知事)
 青島及び横山両知事が無残な形で知事の座から去り、「無党派知事」も政治改革のあだ花となるかと思われたが、「二元代表制」あるいは「議会とのしがらみがない」ということを活かして、首長の立場で(旧体制の代表である)議会と対立しながら地方政治を改革するという「改革派知事(首長)」 という形で無党派知事は再生を果たした。そのような議会或いは既成政党との対立姿勢を明確にした首長は田中康夫長野県知事(当時)が嚆矢とされる。

 政治家或いは政治運動家としての田中氏の出発点は神戸空港建設反対運動といわれている。その際の運動手法は政党に頼らない署名運動であり、その手法に共鳴した人々の要請を受けて、小学校から高校までを過ごした長野県知事選挙に出馬することとなった。選挙戦では、(共産党を除く)与野党相乗りの候補を破り当選したという点も、青島、横山両知事を彷彿とさせるものであった。

 知事としての田中知事の施策は
① 公共事業の削減
② 県職員(公務員)の削減と民間人の登用
③ 住民集会など「直接民主主義」的手法の採用
というものであり、これらの手法は、国政、地方政治問わず、「改革派」といわれる政党、政治家が常用する手段となっていく。

 これらの手法は、「税金の無駄遣い」や「住民の声を直接聞く」という住民の支持を得るための「定番」といってもよい政策パッケージであるため、就任当初は田中知事の支持率が高かった。そのため、議会との対立が深刻化し、知事不信任案が可決を受けての知事選挙でも当選することができ、4年後でも再選できたということも、首長の選挙は再選時(し就任4年後)が一番強いという経験則を補強する。

 しかし、個人的人気に頼る政治手法は、一歩間違うと批判を許さない独善的な政治手法へとなり民衆の支持が離れ、最終的には権力者の座から追われる事例も、古今東西少なくない。田中知事も、その例に漏れず、三選出馬時には共産党以外の政党が田中知事から離れていった。その結果、三選は果たせず、知事の座を追われることとなった。

 田中氏は、その後、長野県知事時代に立ち上げた「新党日本」代表として国政に転出した。田中氏は、既成政党には属さず、自身が設立した「個人商店」的政党である「新党日本」所属議員 として活動したということにも、「個人の人気」に頼る政治手法の限界が垣間見える。

93キラーカーン:2017/07/21(金) 00:24:56
6.2.3.4. 二元代表制のリスクの現実化-鹿児島県阿久根市
 21世紀を目前にして青島、横山両知事が自治体政治の表舞台から退場し、田中知事も国政へ転身し国会議員の中に埋没した。その後、議会や既成政党の支援と無縁な「無党派」の衣鉢を継ぐ首長はしばらく出現しなかった

 青島、横山、田中と続く首長(知事)と議会との対立による政治停滞のリスクは認識され始めていたが、現実のものとはなっていなかった。その、二元代表制のリスクが現実のものとなったのは都道府県ではなく、市町村のレベルであった。その場所は鹿児島県阿久根市であった。阿久根氏は、市政刷新を掲げる竹原信一市長(2008年当選)と市議会との対立が表面化しつつあった。市政刷新のためには市議会との対決姿勢が必要であるとの竹原市長の政治姿勢によって市長と市議会の対立が引きこされた 。

 この結果、阿久根市政は市長不信任による市議会解散と再不信任による市長選挙 、或いは、市議会を開会せず、「閉会中」を理由とした市長の専決処分(議会の同意を得ない首長の決定)の乱発により、市長派と反市長派との対立の中、市政が停滞した。

 阿久根市の場合は、結局、市長選挙と議会選挙との応酬の結果、2011年の市長選での竹原市長の退場という形で決着した。しかし、公選首長が、その「民意」を背景に持てる権限を発揮すれば、少なくとも議会の「思い通りにはならない」ことが証明され、自治体の統治が停滞することが明らかになったのであった。

94キラーカーン:2017/07/22(土) 00:53:41
6.2.3.5. 「最終形態」としての「橋下維新」(「大統領民主主義」の失敗)
6.2.3.5.1. 総説
「無党派知事」といわれたように、青島都知事や横山府知事は、主要政党からの支持・支援を得られなかったが、両知事とも議会との対立ありきではなかった。勿論、選挙戦の経緯から議会の支持を得るのは、それまでの「相乗り知事」に比べれば困難であったとは思われるが、両知事は自身の個人的人気を交渉資源としつつ議会との妥協点を見つけようと模索はしていた。特に横山府知事は就任後も個人的人気が高かったことから、「ノックのいうことなら」という体裁で、議会との妥協も成立していた(その結果が、横山府知事の再選時における共産党以外「不戦敗」という空前絶後の「大金字塔」である)。

 しかし、橋下氏に代表される最近の首長は、意図的に議会を「既得権益の団業集団」として「敵」として認定し、首長対議会という対立構造を作り出し、「善玉(首長)対悪玉(議会)」の構図を作り出そうとしている。そして、そのようか形で作り出した「構図」により、「反議会」という形で、自身への支持を調達し、首長の権限により、議会の意思を無視する「正当性」を調達しようとしている。

 そして、そのような構図は「敵と味方」の分断を固定化し、その決着或いは安定状態は、どちらか片方の消滅によってしかありえないという結末を導きやすい。 その2派による「仁義なき戦い」を引き起こし、合議制を基盤とする民主政治とは相性が悪い。

 また、独任制の首長と合議制の議会とでは、意見の集約・決定に要する時間が決定的に異なる。というよりも、「独任制」の首長に「合議」は存在しない。このため、迅速な決定ができる首長側の方が「対決」の争点設定のイニシアティブを執り易い。また、二元代表制では、首長選挙により全ての選択肢が首長個人に集約される。このことから、「○×式」の単独争点型で」、二者択一を迫る手法は、(合議・熟議を旨とする議会よりも)独任制の首長とも親和性が高い。このため、機会をとらえて、住民投票や自身の辞任による首長選挙に訴えかけるという誘因が存在する。

 Jリンスをはじめとする政治学者が主張するように 、米国と同じく大統領制を採用している南米諸国では、クーデター等により民主政治の中断を経験している。大統領権力を巡って「敵か味方か」に国民を二分する大統領制と個人的野心・利益追求が結びつけば、国全体が大統領派と反大統領派との間で「仁義なき戦い」という状態となる。そうなれば、敵対勢力への暴力的弾圧から壊滅という手段の行使につながりやすい。その結果、国民との間の亀裂を増幅・修復不可能までに確固たるものとなってしまうため、民主的手段ではなく「暴力的手段」による政権交代への誘因が存在するというリスクが大統領制には存在するといわれている 。

 本節では、
① 平成の初期に出現した旧来の政治構造と異なる「アウトサイダー」として現れた「無党派(知事)」から議会との対立構図を演出する「劇場型首長」への「発展」
② 小選挙区制導入をなどの「政治改革」が、地方自治体の二元代表制に対してどのような影響を及ぼし、その「(現時点での)最終形態」である橋下徹氏に至ったのか

について、簡単な考察を試みる。

 最後に、橋下氏は「右」や「ネトウヨ層の受け皿」とされることがあるが、政治家としての橋下氏の姿勢は、「如何にして首長として『権力』を握るか」ということが最重要目的である。この点から見ても、橋下氏は基本的に「ノンポリ」であり、自身が権力を握るためであれば誰とでも連携するし、誰でも「敵認定」する。小池都知事に対するツイートも維新と支持者層が競合するが故の「主導権争い」と見れば分かり易い。その一端を慰安婦問題や桜井誠在特会会長(当時)との討論を通じて、明らかにしたい。

95キラーカーン:2017/07/24(月) 00:41:05
6.2.3.5.2. 「橋下維新」による大阪支配と分断の固定化
6.2.3.5.2.1. 総説
 国政レベルでの小選挙区制導入による自民党総裁への権力集中、地方自治体レベルでの「無党派・改革派首長」という1990年代以降の我が国の政治潮流は、内閣総理大臣及び首長の「大統領制化」(≒議会との対立と均衡)という点では共鳴し合う部分があった。そして、議院内閣制と小選挙区制の下で議会の絶対多数を掌握した執政府の長(首相及び首長)の一身に集中する権限の強さは、まさに「大統領制化」と表現するにふさわしいものである。

 このような二元代表制の利害得失を知り尽くし、「大統領制化」の流れに乗り、自身の首長としての権力を極大化させ、政界でも一代の風雲児となったのが、橋下徹元大阪府知事、大阪市長である。橋下氏は、天性の「討論の強さ」があり、首長(個人商店主)向けの資質を持った人物である 。

 橋下氏は、「反○○」で民衆の支持を集め、それを背景に相手の「殲滅」を図るという政治手法を常用した。そして、その支持を背景に権力を自身に集中させた。そのため、彼らの政治手法は「対決する政治」或いは「劇場型政治」と表現されるようになった。
橋下氏の手法が、それまでの「無党派・改革派首長」と決定的に異なるのは、自身が中心となって与党を結成し、議会多数派を占めることを最終目的とした点であり、そのことによって、首長絶対優位の政治状況を現出させようとしたことである。それは、国政レベルで「郵政解散」により絶対多数を握り、自身の権力基盤を確固たるものとした小泉首相と重なる部分が多い。

 国政レベルでの「決められる政治」を求めた「政治改革」を二元代表制の下で追及する橋下氏の政治手法の一環として「維新」対「反維新」の分断が固定化され、後者が前者に殲滅されようとしているのが現在の大阪の政治状況である。

96キラーカーン:2017/07/24(月) 01:00:32
6.2.3.5.2.2. 橋下氏の政治手法
橋下氏の政治手法は箇条書きにすれば
① 「敵」を作り出す
② 作り出した「敵」への住民の憎悪を煽る
③ 「敵」を倒すために首長である自分に「民意」という「全権委任」を求める
④ その「全権委任」によって、敵を滅ぼす
⑤ 滅ぼした敵の権限は橋下氏が握り、「全権委任」として「裁量」最大限に拡大
というものである

 まさに「敵か味方か」、「敵は滅ぼさなければならない」という政治手法を採り、敵を打破して獲得した権限は橋下氏が独占して行使するという、「弱肉強食」、「勝者総取り」の政治手法である 。そのような政治手法を否定した(敗者の円満な退場と「敗者復活」の機会を与える)上に成立している現代の政治手法にはそぐわない のは火を見るより明らかである(特に比例代表制を採っている場合、現在の社民党や共産党のように、少数会派の「完全殲滅」は困難である)。

 橋下氏は「民衆の興味は長続きしない」、「(損切のうまさ(損得勘定のうまさ)」を二大特徴とする政治家である。前者については、まず、「派手な政策」打ち上げる。そして、実際は裁判闘争なので、「取り消し処分」や「間違い」となることが多いのだが、
① その決定は年単位の時間を要する
② その決定は、最初に打ち上げた程には大きく取り上げられない
③ 決定がなされたころには民衆の注目度が消滅しているか小さくなっている
④ 「嘘」をつくコストの方が「嘘を暴く」コストより格段に小さい
 (「嘘をついたもの(逃げ切り)勝ち」ということが往々にして生ずる)
という理由により、自身間違いが「隠蔽される」ということを熟知している。

 また、「損切のうまさ」とは、
① 自身にとって本質的でない部分での不祥事はさっさと認める
② 後に尾を引かない形で「大げさに謝罪する」
という手法で、それ以上の追及を避ける。
これは、先の「長続きしない」とも関連するが、一度「大げさに」謝罪すれば、それ以上追及するほどの「持続力」を民衆は持っていないということを逆手に取った手法である。したがって、継続的に「燃料」を投下して、民衆の興味を長期間継続させないためにも、「最初に」、「大げさ」に謝罪することは必要となる。それと、橋下氏自身の「弁舌のうまさ」とが相まって、自身の失政を追及されない一因となっている。

 その、「橋下的」政治手法の最たるものが「再選を目指さない」というものである。
橋下氏は政治家になるということは「権限を行使する」こと自体が目的であり、そのためには嘘をついても構わないということは公言してきたことである 。そして、その「嘘」が露見しないために、「短期決戦」で民衆の目先を変えるという手法を採っている。その「短期決戦」と公開討論というのは相性が良い(限られた討論時間の中で「嘘」がばれなければそれで「勝ち」である。討論終了後に「嘘」が明らかになっても意味がない。また、嘘をつくよりも嘘を暴く方が多大な労力及び時間を要するという点も、時間が限られた「公開討論」の中では、「嘘をつく」側にとって有利に働く。

 このことから導き出されるのは、「再選を目指さない」ということである。他の政治家とは異なり、再選を目指すということは政治家としての橋下氏にとって「自殺行為」となる。また、再選を目指さない(少なくとも、再選ありきではない)態度は、「権力に恬淡」としているという印象を与え、「利権とは無縁で清潔」な政治家であるとの印象も与えるという効果もある。そのため、大阪府知事或いは大阪市長としても再選への出馬はしていない(大阪府知事は自身の大阪市長選への出馬という「突発事情」もあるが)。

 橋下氏にとって、政治は、自身の権力欲を満たす「おもちゃ」であり、1期4年もやれば飽きもするし、長くなればなるほど、首長として過去の言動との整合性を常に問われることとなる。つまり、再選を重ねる程「嘘」はつきにくくなる。そのため、住民投票での「大阪都構想」の否決を理由として再選出馬を諦め、「余力を持った形」で退陣した。そのため、橋下氏は「法律顧問」として現在でも大阪維新の会で隠然たる影響力を保っており、「復帰待望論」も根強い。

97キラーカーン:2017/07/26(水) 00:51:09
6.2.3.5.2.3. 橋下氏にとっての「天祐」
二元代表制において首長と議会との対立関係を解消するためには、
① 議会の多数を首長支持派が占める
② 議会多数派が支持する首長を当選させる
という2つの方策がある。

 議院内閣制では議会の多数派と首相の出身会派が一致することが制度設計上の大前提であるため、この問題はまず発生しない 。したがって、議院内閣制の「大統領制化」という場合、首相(与党党首)への政府及び政党権力の集中という形で現れることが基本形である。そして、小泉総理・自民党総裁及び安倍総理・自民党総裁の「一強」といわれる政治状況もこの例に漏れない。

 本項では、二元代表制の下での首長側の行動を取り上げていることから、橋下氏が採った前者の方策に焦点を当てる。

 橋下氏にとって幸運だったのは、当時、大阪市では自民党が内紛状態にあり、現状に不満を抱く一派が、松井一郎大阪府議(当時)を中心に橋下氏と連携して新たな会派・政党を結成する動きを見せたことである。この橋下氏と松井氏との連携を基に「大阪維新の会」が結成される。

 このため、橋下氏は、当選当初から議会に自身の支持基盤がある程度あり、それを足場に他会派と交渉を行うことが可能であった。自身の与党を「ゼロ」から作り上げる必要はなかった。この点が、あくまで「個人」であり、結局議会に自身の支持会派を確立することができなかった青島、横山、田中の各知事(そして、竹原阿久根市長)との大きな相違点である。小池東京都知事も橋下氏の手法を取り入れ、無所属系の都議会議員を中心に、小池都知事自身の支持政党となる「都民ファーストの会」をゼロから立ち上げている。

 「大阪維新の会」はその名の通り、大阪府議を中心とした大阪の地域政党であった。しかし、大阪都構想の実現のためには、大阪府議会(と大阪市議会を含めた大阪府下の各市町村議会)の権限でできる事項だけではなく、地方自治法改正が必要であった。法律改正を働きかけるためには国会に足場を持たなければならなかった。

 白紙的には、「大阪維新の会」は地域政党に留まり、国政では与党である自民党或いは公明党と連携して地方自治法改正を働きかけるという方法も存在したが、「大阪維新の会」が自民党から分派する形で結成されたという事情から鑑みて、「大阪維新の会」が国政レベルで自民党を「頼りにする」という方策は採り得なかった。

 その他には、自民党ではなく、連立与党の公明党と連携を図るという選択肢もある。大阪では、公明党を取り込まなければ多数派にはなれない維新にとって、国政レベルで公明党と連携するというのは選択肢としてあり得る。とはいっても、公明党も自民党との間で裁量の余地を持っておきたいことから、国政で公明党、大阪では維新という「取引」は困難であると思われることから、維新と公明党もその時々の政治情勢によって連携するか否かを決めるという方向が合理的結論となるので、公明党が国政レベルで「維新の窓口」となるような連携は困難である。

 そうなれば、維新自らが国政政党となって国政へ打って出るという方策しかない。ここでも橋下氏は幸運であった。当時、「自民党の右」に位置する「たちあがれ日本」は来るべき総選挙に向けて党勢拡大 のための方策を模索していた。その一環として、当時東京都知事であったが元国会議員及び閣僚経験者でもあり全国レベルで一定の知名度がある石原慎太郎氏との連携が浮上した。この連携は合意に達し、「たちあがれ日本」は「太陽の党」として再出発することが確定していた。

 そのような情勢の中、国政進出を目指す「大阪維新の会」と東京及び関東に次ぐ大票田である大阪及び関西での党勢拡大を見込んだ「たちあがれ日本」との利害が一致した。この結果「太陽の党」に「大阪維新の会」も合流することとなり、「日本維新の会」が発足した 。

 その後、日本維新の会は2012年の総選挙で54議席を獲得し、野党第二党となったが、所謂大阪派(橋下派)と東京派(非大阪派:石原派)との亀裂が深まった。前者が多数派となり日本維新の会と同様に「第三極」といわれていた「結いの党(旧「みんなの党」が中心)」と合流する。その後、日本維新の会は民主党へ合流し、「民進党」が発足した。民主党(民進党)へ合流しなかった議員が「おおさか維新の会」を結成して現在に至る。後者(石原派)は「自民党の右」という立場を堅持すべく「次世代の党」→「日本のこころを大切にする党」となっているが民進党以上に党勢は先細りである(2017年現在)。

98キラーカーン:2017/07/28(金) 01:03:03
6.2.3.5.3. 橋下氏と歴史認識問題
6.2.3.5.3.1. 総説
 橋下氏は「右」といわれているが、言動を子細に見ていけば、必ずしも「右」ではない。確かに、橋下氏は経済に限らず自由競争至上主義であることから、新自由主義的な「右」であると表現することは可能である。また、歴史認識などでは「従軍慰安婦」の強制連行を否定していることも「右」の政治家であるとの認識を補強している。

 橋下氏の民衆の感情を煽り、その感情を自身の支持基盤とする政治手法は「ポピュリスト」とはいえるが、当然のことながら、ポピュリスト=「(極)右」である事を意味しない。

 また、先に述べたように、日本維新の会の橋下派は「自民党の右」に位置する石原派と袂を分かつ形で「第三極」の「結いの会(旧「みんなの党」)との合流を経て民主党と合流し「民進党」となった。このことから見ても、橋下氏及び橋下派といわれる人士は所謂「保守」でもなければ「右」でもなく、ましてや「ネトウヨ」というわけではない。

 さらに言えば、ヘイトスピーチ禁止条例の制定など明らかにそれ以外の論点では基本的に南北朝鮮寄りの見解を示している。その点では従来型の「ネット右翼」或いは「ネトウヨ」とは一線を画しており、その点でも橋下氏は「右」と「左」との間の「第三極」の位置を占めている。

 橋下氏の「南北朝鮮寄り」の言動と「公開討論」で相手を完膚なきまでに叩きのめすという橋下氏の政治手法からすれば、桜井誠在特会会長(当時)との「討論」は「当然の帰結」といえる。両者の「討論」は事前の期待に反して、両者の単なる罵り合いとなったという意味でも「伝説」となっている。その「罵声=討論内容」は、これまでの公開討論で「不敗」を誇った橋下氏の言説の片鱗すら見受けられなかった。その意味で、公式には「両者反則」による「引き分け」であったとしても、実際は橋下氏の「敗北」といってよいのかもしれない。

 いずれにせよ、そのような在日朝鮮人問題をはじめとする対朝鮮半島問題についての橋下氏の立場は「反在特会」的立場或いは親南北朝鮮的である事は明白であり、「嫌韓厨」を大きな要素とする「ネトウヨ」とは一線を画していることは間違いない。

6.2.3.5.3.2. 「従軍慰安婦」問題
 「従軍慰安婦問題」では、橋下氏は風俗業は必ずしも「違法ではない」という観点から当時の慰安婦を容認している。また、戦時において勝者が敗者の女性に性的暴行を働くのは珍しくないことから、それとの比較で我が国の慰安婦制度のみがやり玉に挙げられるのは「不公平である」としている。

 その一方、(個人的見解として)「慰安婦自体は容認しない」とも述べており、その点では、従来の「ネット右翼」的な従軍慰安婦論とは一線を画している 。

99キラーカーン:2017/07/29(土) 02:27:41
6.2.3.5.3.3. 桜井誠氏との「討論」
 「ネトウヨ」論との関係でいえば、橋下氏の志向が明らかになったのは、桜井誠在特会会長(当時)との討論であろう。既に述べたように、橋下氏は「従軍慰安婦」の強制連行は否定したものの、それ以外の論点については基本的に南北朝鮮側の見解に理解を示していた 。橋下市長自身も「ネトウヨ」については、「直接話を聞く」という対応だったので、それに桜井氏が「釣られた」という形で両者の「討論」が実現した。

 桜井氏のブログでの発言 によれば、橋下市長の側が色々条件を付けてきたが、対外的には、桜井氏が「討論から逃げ回っている」との「嘘」の発表をしたとのことである。

 両者の討論の結果は動画サイトにも掲載されている通り、「討論」とは言い難い罵声の応酬であった 。その動画から見る限り、既に述べたように、橋下氏の態度がそれまでの学者や評論家などに対しての公開討論で「不敗」を誇った態度とはかけ離れていた。このことから、桜井氏との討論に際し橋下氏の側に何か「目算狂い」があって、あのような「場外乱闘」まがいの討論形式にせざるを得なかったのではないかと推測される(繰り返しになるが、橋下氏は、基本的に、討論や記者会見では相手を「完全論破」する討論スタイルであったのが、桜井氏相手ではその片鱗さえも伺えなかった)。

 恐らく、橋下氏はこれまでの「評論家」や記者との討論で「連戦連勝」だったので、在特会会長相手の討論も「楽勝」或いは「鎧袖一触」と思っていたのであろう。ところが、桜井氏が討論相手として「意外に手強い」と気が付いて、「両者反則」による引き分けで有耶無耶にせざるを得なかったのではないかと推測できる。この解釈であれば、桜井氏のブログでの「証言」や両者の「討論」の動画とも矛盾しない。また、橋下氏のいつもの討論スタイルとの違いも説明可能である。

100キラーカーン:2017/07/30(日) 01:41:01
6.2.3.6. 「都民ファースト」の行方
6.2.3.6.1. 小池女史の都知事選出馬
 橋下大阪市長の政界引退後、世間の耳目を集める「改革派」或いは「維新型」地方自治体の首長は出現しなかったが、昨年の小池百合子都知事という新たな「維新型首長」が出現した。

 東京都の人口は1000万人を超え、都市化も進んでいることから、最近は「知名度」を有する所謂「タレント候補」でなければ当選できないとされてきた。事実、青島都知事以来、石原慎太郎、猪瀬直樹、舛添要一氏と所謂タレント候補が当選してきている。とはいっても、1期4年で終わった青島都政の教訓からか、以後の都知事は、知名度に加え、政治家としての一応の実績を残していたため 、政治家の実績のない単なるタレント知事では当選は難しいと見られてきた。

 海外出張の際の「贅沢」などによる「公私混同」批判を浴びた舛添都知事の辞職に伴う都知事選は2016年7月に行わることとなった。都知事の与党は自民党と公明党であるが、自民党東京都連の都知事候補選定にも不手際もあり 、小池女史は自民党の推薦を得られないままの出馬に踏み切った。

   
 猪瀬都知事の頃から都知事と都議会自民党ひいては自民党東京都連の間に不協和音があったといわれている。その選挙戦の中で「都議会のドン」の存在が白日の下に曝され 、小池女史によって「敵」に仕立て上げられた。こうして、「分かり易い悪役」を見つけられたことから、小池氏は地滑り的な勝利を得た。今後は、このような「分かり易い悪役」を見つけられるか否かが小池氏の「腕の見せ所」となる。

6.2.3.6.2. 「維新」の東京版か、自民党の分裂か
 小池都知事は、当選後、「悪役」を作り出すことで求心力を得ようとしてきた。この点は橋下元大阪府知事の手法を忠実に再現しており、その点では無党派首長⇒改革派首長⇒維新型首長という系譜の政党後継者である。

 小池都知事にとっての悪役は「自民党都議団・都連」及び石原元都知事であった。悪役に仕立て上げる「お題目は」
都議会自民党・自民党東京都連に対して:都議会を私物化するドン支配
石原元都知事に対して:汚染された豊洲への市場移転
というものであった。

 前者に対しては、小池都知事当選直後の都議会自民党の態度もあり、「善玉(都知事)」と「悪玉(都議会自民党)」との対立構造が明白となったことと、それなりの「火種」があったことから、小池都知事の目論み通りの構図となった。

 しかし、後者については、石原都元知事及び浜渦元副知事を「100条委員会」 で喚問して「人民裁判化」しようとしたが、決定打とはならなかった。また、豊洲市場自体についても移転手続に若干の瑕疵があったものの、安全基準等は満たしていたことから、「ちゃぶ台をひっくり返しただけ」という評価がネット上では上がっている 。

101キラーカーン:2017/07/31(月) 00:38:43
6.2.3.6.3. 都議会選挙での勝利
 二元代表制を採る我が国の地方自治体では、知事が主導権を持つためには、議会にも知事の支持基盤を必要とする(所謂「分割政府」の問題)。このため、小池都知事は、自身の与党として「都民ファーストの会」を立ち上げ、選挙直前に代表に就任して選挙戦を戦った。

 小池都知事就任直後の自民党都議団の「悪役らしい」振る舞いもあり、2017年の都議会選挙は自民党(と民進党)の敗北で終わった。小池都知事率いる「都民ファーストの会」は当選者及び獲得票数双方とも第一党という「完全勝利」であった。

 しかし、小池都知事は、「二元代表制」を理由に、都議選直後に「都民ファーストの会」代表を辞任した。結局、小池都知事は都議選で議席を獲得することだけを目的に「客寄せパンダ」的に代表に就任したに過ぎず 、政党運営を「放り出した」格好となっている。

 維新も、新人議員が多かったことから、議員の質は必ずしも良いとはいえず、少なからず、不祥事が発覚している。このため、今後予想される「都民ファーストの会」の不祥事から距離を置くため、自身の政党を放り出したともいえる。

この点か評価すると、
① 権力行使が目的の橋下元大阪市長
② 自身の栄達が目的の小池都知事
となるのではないだろうか。

 とはいっても、これからは、都議会も小池都知事の与党が過半数を占めていることから、安易な先送り(決断回避)という手法は採れない。また、2020年の東京オリンピックに連動した公共事業(築地市場の豊洲移転もその一環)

 これから、小池都知事はどのような「悪役」を仕立て上げるのか、今後の東京都の政局はそれが焦点となる。

102キラーカーン:2017/08/04(金) 01:41:38
6.2.3.6.4. 都知事選挙及び都議会選挙を通じた「リベラルの『自壊』」
6.2.3.6.4.1. リベラル・左派陣営の「内ゲバ」(「宇都宮おろし」と「鳥越擁立」)

 これまで、折に触れて、我が国のリベラル・左派勢力の「自壊」について述べてきたところである。2016年の都知事選挙と2017年の都議会選挙活動においても、リベラル・左派の「自壊」は加速することはあっても、減速することはなかった。

 リベラル・左派陣営(民進党、共産党、社民党など)は共倒れを防ぐため統一候補を模索していた。その中で、過去2回都知事選挙に立候補していた宇都宮健児氏が立候補を表明した。しかし、宇都宮氏では「左派色」が強すぎる として、宇都宮氏とは別の「勝てる候補」の擁立が模索された。その結果、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏が「野党統一候補」として擁立され、宇都宮氏は立候補を取り下げることとした。

 鳥越氏が立候補を表明してから、宇都宮氏の選挙事務所には、立候補を取りやめさせるための「説得」が続けられた。その「説得」にはかなり酷いものもあったといわれている 。また、しばき隊の支援者は宇都宮氏の立候補に否定的であったことから、そのような「酷い説得」はしばき隊或いは氏の支援者によるものであったとしても不思議ではない。そのような、立候補者統一も左翼恒例の「内ゲバ」と見られることとなった。

 また、鳥越氏の婦女暴行疑惑についても、従軍慰安婦問題では「女性の人権」として、加害者である男性側に厳しく責任を追及していた鳥越氏の支持者が一転して、鳥越氏擁護に回ったことという「ダブルスタンダード」も見受けられた。

 結局、後述するように、鳥越氏の婦女暴行に関する報道と「女性の人権」を巡る見解の相違から、宇都宮氏は鳥越氏を支援することはなかった。

 2016年の都知事選においても「内ゲバ」、「ダブルスタンダード」といったリベラル・左派陣営によく見られる事象を有権者は見せつけられた。その影響からか、小池女史出馬を巡る対応から「自民分裂」というリベラル・左派にとった有利な条件での都知事選挙戦でありながら、当選した小池氏に加え、自民党推薦で立候補した増田寛也氏にも届かない第三位に甘んじた。

 このことは、民進党をはじめとするリベラル・左翼勢力が自民党に対抗する政治勢力としては、完全に見限られたことを意味する。その傾向は、都知事選から約1年後に行われた都議会選挙において、民進党が共産党の後塵を拝し、壊滅的惨敗を喫したことにも表れている。

6.2.3.6.4.2. 鳥越氏の婦女暴行報道の「黙殺」
 選挙期間中に、週刊誌が鳥越氏の婦女方向疑惑について報じた 。鳥越氏はその疑惑を否定したが、週刊誌の記事は被害者側の訴えを基に構成されていた。鳥越氏はリベラル・左派の「統一候補」として立候補しているだけに、鳥越氏の支持者には慰安婦問題について日本側の責任を厳しく追及する立場の人が多い。そのような「被害者の訴え」に対する態度が慰安婦問題に対するそれとは180度異なって、「加害者」の鳥越氏を擁護するといって点も、「自身の政治的立場によって『正義』を変える」という我が国のリベラル・左派の「お家芸」である「ダブルスタンダード」を駆使していると捉えられた。

103キラーカーン:2017/08/07(月) 00:17:12
6.2.4. 「55年体制」への郷愁と田中角栄ブーム(「大統領制化」への反発)
6.2.4.1. 総説

 最近「田中角栄ブーム」ともいえるような「田中角栄本」が相次いで出版されている。在世中は、ロッキード事件に代表される「金権腐敗」、「派閥政治」の権化といわれ、「目白の闇将軍」という異名を代表格として「自民党政治家のラスボス」扱いされ、「究極の悪役」としてマスコミに扱われた 。ところが、現在では「戦後民主主義或いは高度成長を体現する政治家」として、田中角栄氏は肯定的な評価とともに描かれるようになり 、再評価の動きもみられる 。

 田中角栄氏が活躍していた当時の政治状況は、「国対政治」という言葉が存在したことでもわかるように、ボス同士の談合によって議論の大枠が決定されるという「内に派閥政治、外に国対政治」というなっていた。これは、派閥の長或いは与野党国会対策責任者との話し合いによって議会政治の運営が決まるということを意味する。「国対政治」や「派閥政治」は、悪く言えば「ボスたちの密室の談合」によって決まる政治であり、よく言えば「関係者のコンセンサスという納得と熟議」の政治ということになる。

 田中角栄氏が、このような国対政治という我が国特有の政治風土の体現者的政治家として語られてきたことについては異論がないと思われる。だからこそ、ロッキード事件以降、先に述べたように「派閥政治」の権化という「悪の象徴」としてこれまで語られてきた政治家であった。

 しかし、現在においては、その「悪」とされた田中角栄的政治手法が、小選挙区制導入の結果による(「1ビット脳」的政治手法とも言える)敵味方の峻別(とそれによって引きこされる「敵」とされた者への不寛容及び指導者へ「集中」として現れる)「大統領制化」が進んでいる現代の日本政治に対する何らかの警鐘として多くの人々の琴線に触れるものがあるが故の「田中角栄ブーム」なのであろう。

104キラーカーン:2017/08/08(火) 00:50:28
6.2.4.2. 田中角栄の政治手法(「内に派閥政治、外に国対政治」)
 しかし、最近の「角栄ブーム」は、そのような「悪」の政治家としてではなく、反対派への配慮を忘れず、相手の納得を得つつ(或いは「篭絡」しつつ)慎重に合意を得て仕事を進めるという「善」の政治家として語られていることがこれまでの角栄論と異なるところである。ロッキード事件とどれに続く田中角栄批判の大合唱を見聞きした筆者にとっては隔世の感がある。

6.2.4.3. 田中角栄の政治手法と「古き良き」自民党政治
 では、なぜ、最近、「田中角栄ブーム」或いは「田中角栄再評価」というべき書籍が相次いで出版されたのであろうか。それは、昨今の政治情勢とは無縁ではないと思われる。さらに言えば、現在の政治情勢に対して何らかの不満を抱いている層が「田中角栄的手法」(或いはその改良版)を解決策として待望していることを意味しているのであろう。百歩譲っても、「待望」とまではいかなくても、解決について何らかの参考になると判断しているのは確実と思われる。

 では、その「現代の政治状況に対する処方箋」として期待されている「田中的手法」とはどういうものであろうか。田中氏の政治手法は、先に述べたように、「内に派閥政治、外に国対政治」というものである。これは、所謂「55年体制」の下で慣行化されたものである。特に「国対政治」では、少なくとも主要政党(自民、社会、公明、民社、共産)のうち、共産党を除く4党の合意が必要とされる点でコンセンサス型の政治そのものである。

 自民党内の意思決定手続においても、コンセンサスが重視される。自民党における常設の最高意思決定機関である総務会の議決でも、反対意見のものは採決時に退席するなどして「反対意見の不存在」をもって議決されるのが慣例である。このため、自民党総務会長は老練な調整型の政治家が起用されるのが通例である。

 また、当時、「敵と味方」は相対的なものであった。中選挙区制の当時、多くの自民党議員にとって、選挙区では敵であっても、国会議事堂の中では同じ自民党の一員として仲間であるという関係にある議員は多かった。その逆に、国会では与野党に分かれる「敵」であっても、選挙区(地元)では、「与野党相乗り知事」の存在によって仲間となることは少なくない(特に知事選挙)。その極端な例が、同じ自民党であっても、「保守分裂」となって、分裂した「保守(自民党系)」の一派が公明党や民社党と連携し、同じ自民党を「敵」にするということもある。

105キラーカーン:2017/08/09(水) 00:53:48
6.2.4.3. 田中角栄の政治手法と「古き良き」自民党政治
 では、なぜ、最近、「田中角栄ブーム」或いは「田中角栄再評価」というべき書籍が相次いで出版されたのであろうか。それは、昨今の政治情勢とは無縁ではないと思われる。さらに言えば、現在の政治情勢に対して何らかの不満を抱いている層が「田中角栄的手法」(或いはその改良版)を解決策として待望していることを意味しているのであろう。百歩譲っても、「待望」とまではいかなくても、解決について何らかの参考になると判断しているのは確実と思われる。

 では、その「現代の政治状況に対する処方箋」として期待されている「田中的手法」とはどういうものであろうか。田中氏の政治手法は、先に述べたように、「内に派閥政治、外に国対政治」というものである。これは、所謂「55年体制」の下で慣行化されたものである。特に「国対政治」では、少なくとも主要政党(自民、社会、公明、民社、共産)のうち、共産党を除く4党の合意が必要とされる点でコンセンサス型の政治そのものである。

 自民党内の意思決定手続においても、コンセンサスが重視される。自民党における常設の最高意思決定機関である総務会の議決でも、反対意見のものは採決時に退席するなどして「反対意見の不存在」をもって議決されるのが慣例である。このため、自民党総務会長は老練な調整型の政治家が起用されるのが通例である。

 また、当時、「敵と味方」は相対的なものであった。中選挙区制の当時、多くの自民党議員にとって、選挙区では敵であっても、国会議事堂の中では同じ自民党の一員として仲間であるという関係にある議員は多かった。その逆に、国会では与野党に分かれる「敵」であっても、選挙区(地元)では、「与野党相乗り知事」の存在によって仲間となることは少なくない(特に知事選挙)。その極端な例が、同じ自民党であっても、「保守分裂」となって、分裂した「保守(自民党系)」の一派が公明党や民社党と連携し、同じ自民党を「敵」にするということもある。

106キラーカーン:2017/08/11(金) 01:15:07
6.2.4.4. 「大統領制化」に対する警鐘としての「田中角栄ブーム」
 これまで述べたように、我が国の選挙制度には、中選挙区制と地方自治体の二元代表制の組み合わせを採っている。この選挙制度によって敵と味方の区別が相対的なものであり、時と場合によって連携の組み合わせが異なる事を許容する政治環境にある。このことは、当選者が一人であるがゆえに敵味方が固定される大統領制や小選挙区制とはきわめて相性が悪い。

 しかし、大統領制の「母国」である米国が、なぜ、中南米諸国のような「大統領制民主主義の失敗」を経験しなかったかについては、大統領制研究の中でも大きなテーマとなっている 。そして、その「民主主義国のチャンピオン」としての米国の存在が「大統領制民主主義」のリスクを覆い隠しているのではないかとの指摘もある 。

 したがって、「田中角栄ブーム」が「大統領制化」に対するアンチテーゼとして起きているということであれば、その田中角栄ブームは、逆説的に、小選挙区制導入以後、或いは「小泉以後」の我が国の政治状況の大勢が「大統領制化」へ向かっていることを示しているともいえる。

 昨今の「田中角栄本」で描かれているように、田中角栄は「敵」への配慮も忘れない政治家であった。それは、「敵味方」の区別が相対的なものであり、コンセンサスによって国会運営が今よりも強力になされていた時代では、多数派を握るためには必要不可欠な政治手法であった。確かに、当時の田中派は自民党で最大派閥であり、「田中派支配」といわれる程度には「数の政治」である側面は持っている。しかし、最大派閥であっても過半数を握れない以上 、その多数は、必ずしも「強行採決」のための多数ではなかった。

 「大統領制化」の副作用として、何でも「敵味方」に二分されて、「大統領(首長)」の支持勢力の組織化によってその分断が固定化されてしまう。これまでは、そのような事態は「(政権交代可能な)二大政党化」として、好意的に語られてきた。

 しかし、小泉以後の政治、特に二元代表制を採る地方自治体で、議会に敵対的な「改革派首長」の出現するようになった。この結果、「敵味方」で運営される「1ビット脳的政治」の不都合な点に少なくない人々が気付いた。そのような「敵か味方か(1ビット脳的政治)」の弊害に気付いた人々が、その対抗軸として「(コンセンサス志向の政治である)55年体制の権化」である田中角栄を美化し称賛していると推測できる。

107キラーカーン:2017/08/14(月) 00:24:07
6.2.4.5. 「敵味方」の区別から始まる政治の申し子としての共産党と「維新」
 因みに、55年体制下において、共産党だけが「敵味方」の区別が明確であった(だからこそ「確かな野党」という言い方もできる)。そのため、「与野党相乗り」知事が珍しくなくなっても、共産党だけは、その「相乗り」には加わらなかった。

 その側面から言えば、「敵味方」の峻別と「敵の殲滅」を基本とする橋下氏の政治手法は「共産党の鏡像」というべきものでる。この点で、橋下氏の政治手法を「(共産党の)民主集中制に似ている」と評した田原総一朗氏は慧眼であったといわざるを得ない 。また、そのような議院内閣制と二元代表制の差異を感じ取り、地方自治体の首長に「留まった」橋下氏の嗅覚は鋭いものがある。

108キラーカーン:2017/08/15(火) 01:29:14
6.3. 外国における「ネトウヨ化」の状況
6.3.1. 総説
 現在では、オランダやフランス、スイス、オーストリアなど欧州各国で極右政党 が主要政党の一角を占めている。中には、極右政党が連立与党入りした国も存在する。また、比例代表制を取っているEU議会選挙では、極右政党が所謂西側先進諸国においても一定の議席を占めている。そのような情勢を受け、比例代表制である欧州議会では2014年の選挙はにおいて、G7の一角を占める英仏両国でも国民戦線(仏国)、国民党(英国)のように「極右」と呼ばれる政党が第一党となった 。

 このことから、所謂西欧先進諸国であっても、そのような「極右」政党が各国の政党システムにおいて確固たる基盤を築きていていることは明らかである。とはいっても、これまではそのような「極右」勢力が議会第一党や大統領選挙で勝利して政府の長の座を手に入れられるとは思われていなかった。

 しかし、2014年の欧州議会選挙以降、英国でEU離脱の国民投票でEU離脱派が多数(2016年)となり、米国でトランプ大統領が誕生(2016年)したことで、そのような状況は根本的に変化したといわざるを得ない。所謂、西欧民主主義諸国においても「極右」勢力は政党政治における脇役ではなく、政党政治における堂々たる主役に躍り出ることとなった。

 米国のトランプ大統領誕生の余韻も冷めやらない中、続く2017年には、蘭、仏、独国での総選挙と仏国大統領選挙といったG7を含めた国政選挙が予定されている。また、政権が進退をかけた憲法改正案が否決されたイタリアでも近いうちに総選挙が行われる見込みである。

 これら、主要国の総選挙で、所謂「極右」政党は、既に「何議席獲得するか」という次元ではなく、第一党となるか否か(≒大統領或いは首相の座を掴むか)という次元の争い、即ち「政権の座」を掴むのか否かという次元の争いとなっている。

 そのような「世界総ネトウヨ化」といわんばかりの国際情勢の中で、脚光を浴びつつあるのが「分断」という言葉である。本節では、
①経済のグローバル化の勝者と敗者という「分断」が誰の目にも明らかになった
②分断の種類には「社会のアイデンティティー」と「貧富の差」という2つがある
③「リベラル」の側は分断で不利益を被る「まじめな中産階級」を無視することで分断を「なかったこと」にした
④「極右」が無視された人々に焦点を当て、「反リベラル」という「二分化」戦術を取った⑤その「二分化」は大統領制或いは議院内閣制の「大統領制化」により拡大・固定化した
⑥その結果、西欧先進諸国も「大統領制民主主義の失敗」のリスクが無視できなくなった
という仮説を提示する。

 すなわち、「ネトウヨ化」というのは我が国独自の政治状況ではなく、冷戦終結とそれに伴う(経済の)グローバル化を契機として先進各国で同時並行的に生じた政治的潮流であるとみなすことができる。しかし、その「ネトウヨ化」の原因及び過程については、我が国と欧米との間には違いがある。その我が国と欧米との間の「ネトウヨ化」に関する各国間の比較分析 を行うことは、我が国の「ネトウヨ化」の実態を明らかにするだけではなく、比較政治学上の知見も得られるものと考えられる。

 欧州では、そのような「福祉排外主義」に基づく「極右」勢力だけではなく、(財政状況に関わらず)「没落した中間層」に対する貧困対策を行うべきという「ポピュリスト左派」という政治勢力も無視できない存在となっている。代表的な存在が、米国大統領予備選で大本命のヒラリー・クリントン上院議員に肉薄したサンダース上院議員や仏大統領選で主要四候補の一角を占めたメランション氏である。本節では必要に応じ、そのような「ポピュリスト左派」勢力にも触れる。

 本章では、これまで、我が国の国内における政治現象として捉えられてきた「ネトウヨ化」というものを、世界情勢の文脈の中に位置づけ、我が国独自の現象と思われてきた「ネトウヨ化」の国際比較(の足掛かり)のための「野心的」な試みでもある。

109キラーカーン:2017/08/19(土) 01:46:30
6.3.2. 移民問題(欧州における「極右」政党の起点)
 欧州における「極右」の伸長は他国(特に中東、アラブ諸国)からの移民や労働者の流入に端を発しているということについては現在において異論がないものと思われる。特にドイツにおいては、『最底辺』にあるように、東西統一前の1980年代後半から、トルコ人労働者の流入が社会問題となり始めていた 。但し、当時は、外国人労働者を受け入れるだけの「パイの大きさ」があったことから、『最底辺』のように、外国人労働者の差別的待遇による低賃金が問題とされていた。

 『最底辺』を引くまでもなく、現在においても発展途上国からの外国人労働者は、移住先の国家では給与水準の低い単純労働に従事するものが多数である。このため、国内求人増以上に外国人労働者・移民を受け入れることは国内の低所得者層の仕事を奪うことを意味する。このため、景気拡大が弱まった際に、先ず、影響を受けるのはこの層である。

 このような外国からの移民によって脅威にさらされている層の国民にとって、自身の生活を守るためには外国人労働者排斥を主張しなければならない立場にある。しかし、後述するが、リベラルはそのような低所得者層の国民の声に耳を傾けることなく、移民の声に耳を傾けた。それが、欧米での「ネトウヨ化」の始まりであった。
 そして、移民の流入は中間層の没落と経済のグローバル化による富裕層の一層の富裕化という「格差の拡大」をもたらしただけではなく 、移民の多くを占める中東のイスラム系移民と欧州キリスト教社会との不和による社会レベルの「アイデンティティー摩擦」をもたらした。その結果は、自身の没落とアイデンティティー危機をもたらした移民の流入の拡大阻止・縮小へと向かうのは仕方のないところである。その結果が、移民排斥或いは「福祉排外主義」を唱える「極右」の台頭の下地ということとなる。

110キラーカーン:2017/08/22(火) 23:16:22
6.3.3. 経済のグローバル化による中間層の没落
 経済分野では冷戦時代から多国籍企業というものが存在している。そのような多国籍企業は世界的な大企業である事が多い。このため、為替リスクや国ごとで異なる法制度など多国籍企業の利益追求にとって「国境」というものが「足枷」となることも多い。労働力(者)も同じである。

 「国境が存在しない」場合、生産費用を低減するためには、大きく分けて次の2つの方法がある
① 外国から低賃金で働く労働者及び原材料を「輸入」する
② 生産費用が安い国で生産する(企業の「空洞化」)
である。

 現在、WTOなど「自由貿易」が「正しい」とされていることから、「物」については、「輸入自由化」されている物品が多く、また、輸入制限手段も関税を賦課することによる場合が多く、輸入価格が容認できるのであれば、「物」の輸入自体に制限はない。

 このことから、「移民に寛容」な先進国では、発展途上国からの移民受け入れによって格安の労働力を調達するという方策をとることができる。この代表例が「アメリカンドリーム」という言葉に代表される米国であり、『最底辺』にもあるように、ドイツ(旧西ドイツ)もその一例である。さらに言えば、我が国を除くG7諸国はこの方法により、確約な労働力を調達している。

 一方、移民の受け入れが厳しい国では、企業(工場)自体が外国に「進出」することによって、格安な労働力を手に入れる方策を採る。G7諸国においては我が国のみがこの方策を採っている。

 両者とも「格安な労働力」と手に入れるという点では目的が共通している。したがって、どちらの方策を採ったとしても、そのような「格安な労働力」に取って代わられた国内の労働者階級が「割を食う」のも同じである。

111キラーカーン:2017/08/25(金) 01:01:07
6.3.4. グローバル経済と国家との相克、その結果としての「リベラル」の没落
 経済のグローバル化によって苦しくなったかつての中間層は、自身や家族の生活を維持するための施策を「国」に対して訴えることとなる。しかし、経済のグローバル化と「人道主義」の観点からは、「自国民」である没落しつつある自国の中間層よりも、「外国人」である移民の保護を優先しがちとなる 。

 特に「リベラル」といわれる層が、彼らの都合で「救われるべき弱者」を取捨選択し、その一方で、「グローバリスト」として経済のグローバル化の果実を享受しているという状況になっている。また、「グローバリスト」としてのリベラルにとって、「国家」というものは、「不条理な障壁」にしかすぎず、その「障壁の内側」にいるだけで何らかの「特権」を得られるような「国民」は救う価値がなく、それよりも「障壁」によって救済を阻まれている難民や移民こそが「救われるべき存在」であるとされている。

 その結果「リベラル」或いは左派といわれる人々にとって、「自国民」の貧困層、或いは中間層から転落しようとしている層は「眼中にない」という状況になっている。リベラルは「グローバリスト」として国境を越え、「地球市民」としての活躍を目指していた。

 そのような状況では、国境という「壁に守られているのにも拘らず」貧困にあえぐ没落した中間層である「自国民」はリベラルにとって「救済に値しない民(≒「キモイ親父」)」となった。その中で、自国民ということのみに意味を見出し、そして、実際にそのような「見捨てられた自国民」の声に耳を傾けるせる保守或いは「極右」を彼らが支持するのは合理的な選択でもある

 本来ならば自国の貧困層の声を救い上げるべき「リベラル」は彼らの声には耳を傾けず、目を背け続けた。そのような彼らの声を聴きに行った政治家が米国のトランプ大統領であり、フランスのルペン「国民戦線」党首(当時)であった。

 つまり、経済のグローバル化によって生じた貧富の格差拡大の「ツケ」は国家(社会福祉政策、労働政策)に回された。貧困層に転落しようとする、或いは既に転落した人々に対して「国家はあなた方を見捨てない」という信号を送り続けたのは、労組を支持母体にしてきたリベラルではなく、「移民排斥」を唱え、「同胞」としてあなた方を見捨てないというメッセージを送り続けた「極右」であった 。

 リベラルが国内の「没落した中間層」を「見捨てた」一方で、飽く迄もそのような国内中間層を「救うべき」と考えた左派も存在した。彼らはリベラルよりも「左」という意味で「急進左派」と呼ばれるようになった 。

 その結果、「リベラル」は、本来、自身の中核的支持層となるべき「没落した中間層」からの支持を得ることを放棄した。さらに言えば、リベラルは「差別反対」といった「政治的正しい」言説を唱える一方で、「没落した中間層」を一貫して無視しつつけるという「差別的取扱」を行っていることを恬として恥じる気配がない。その結果、「リベラルの自壊」というべき状況となり、「右傾化」といわれる状況の創出に一役買っている 。

112キラーカーン:2017/09/02(土) 00:55:42
6.2.5. リベラルの自壊の結果としての「右傾化(ネトウヨ化)」
6.2.5.1. 冷戦の終結とグローバル化或いは「唯一の超大国」

 冷戦終結後、世界情勢は「米国が唯一の超大国」というべき状況となった。21世紀になり、中国の台頭が著しいといっても、かつての米ソのように「世界を二分する」超大国となるか否かについては不透明である。

 というよりも、古来「中原」或いは文字通りの「中国」として「唯一の超大国」である(あった)ことを歴史上の誇りとしている。そのような中国が米国との「分割統治」に満足するかという中国の「歴史認識」の次元において、中国は、米国との「世界分割」を受け入れない可能性もある。また、経済のグローバル化に伴い、中国と米国との間での経済的相互依存が進んでいる現状において、(もし実現するとして)米中での「世界分割」がどのような形態になるのかも予想がつかない。

 尖閣諸島や南シナ海の事例を見るように、中国は、自己が不利の間は只管隠忍自重して時を稼ぎ、力関係が有利になったと見るや、その覇権主義的性質をむき出しにするという側面もある。このことから、中国は、究極的には中国の「一極支配」を目的としており、米国との「世界分割」はそのための手段であると見る方が妥当ではないかと考えられる。

6.2.5.2. リベラルのグローバリズムへの接近(ネオコン)
 冷戦はソ連の崩壊で幕を閉じた。これにより、自由民主主義が「唯一」の歴史発展の方策との考え方も発生した 。リベラルの側では、冷戦終結の直前(レーガン米大統領時代)から、リベラル・左派は資本主義体制内での「左」への改革ではなく、「人権を抑圧する」共産主義・社会主義国家に対する資本主義・自由民主主義の「伝道師」として、「保守派」に転向するという事象が発生した。彼らは、旧来からの保守主義者ではなく、「新しい」保守主義者という意味で「ネオコン」と呼ばれるようになった 。

 彼らは、世界全体へ資本主義(経済面)と自由民主主義(政治面)を広げるべきとの考え方を持っていることから、グローバリズムとは相性が良かった。また、「伝道師」的役割を果たすという側面から、彼らの言説も厳しくなっていく。

 結果として、「成功したグローバリスト」の中には少なくない「元リベラル(ネオコン)」が含まれるのも理の当然である。また、冷戦の終結で「社会主義」或いは「共産主義」というものが余喘を保つのが精いっぱいであったことから、リベラル的色彩を纏う「ネオコン」が、1990年代の間に「グローバリストのリベラル」となったのではないだろうか 。

 欧州の社会民主主義勢力が打ち出した「第三の道」という考えも「社会主義の敗北」という世界情勢とは無縁ではない。そのような中で、社会民主主義が生き残る道を模索した結果のとして「第三の道」に結実したと見受けられる。

 しかし、我が国では、そのような「第三の道」ではなく、戦前の日本を「悪魔化」するという「歴史認識論争」に我が国のリベラル・左派は活路を見出したのは既述の通りである 。そして、それが、我が国と欧米との「ネトウヨ化」の差異となって現われていく。

 このように、「ネオコン」を媒介項にしてリベラルと冷戦後の(資本主義に基づく)グローバリズムが結びつくこととなった 。そして、リベラルの目が国外に向き、自国において救済を必要とする人々が見えなくなっていった。

※構成を変えたため、節番号が変更になっています。

113キラーカーン:2017/09/04(月) 00:39:37
6.2.5.3. 成功者(「セレブ」或いは「エリート」)としてのリベラル

 経済のグローバル化とともに、企業は生産コストの低下特に人件費の低減を目的に、ある企業は発展途上国での生産に移行し、ある企業は自国内の移民を労働者として雇用した。その結果、NIESやBRICSといった新興工業国も台頭し、先進国に比べて低所得である発展途上国の所得が上昇するという効果もあった

しかし、そのような企業の生産体制の変化により職を失ったのが、本章でいう「(先進国の)没落した中間層」であった 。企業の多国籍化と自由競争により、そのような中間層が職を失うのは(自由主義経済の下では)自己責任とされ、救いの手は差し伸べられなかった。

 さらに、富める者はますます富み、先進国での貧富の差が拡大した。そのため、米国では「Occupy Wall street」という抗議行動も行われた。グローバル化の波に乗って成功した者は「国境の軛から解き放たれた」グローバリストとして「リベラル」化していった。本来なら、自国内の貧困層に手を差し伸べるべきリベラルが自身の成功により、セレブ化或いはエリート化(以下まとめて「セレブ化」という)していった。リベラルは「国境を越えたエリート連合」よろしく、国境を無視した。その結果、「国境の内側」を生活範囲とせざるを得ない没落し、疲弊した中間層との乖離が更に広がった。

114キラーカーン:2017/09/06(水) 00:02:12
6.2.5.4. リベラルに見捨てられ、切り捨てられた国民(「ポリコレ棒」の威力)

6.2.5.4.1. 総説
 グローバル化で成功し、「セレブ化」したリベラルは、自国民より他国民を「救うべき弱者」として扱った。その「弱者」の典型例が難民である。難民を自国に引き受けることは、自国の没落し疲弊した中間層をこれまで以上の塗炭の苦しみにあわせることとなる 。本節では、リベラルが反対派の意見を封殺する「棍棒」として「PC(≒差別主義者)」の概念を乱用したことによる、「市井の人々」の反発を取り上げる。

 リベラルは「政治的に正しい」という「ポリティカル・コレクトネス(political correctness:PC)」という概念を打ち立てた 。本稿の文脈での「PC」は
① 「政治的に正しい」を決める権限はリベラルの側「のみ」が持つ
② その正しさに対するする異論・反論は許されない
③ 疑いを掛けられた側が「無実」を証明しなければならない(「悪魔の証明」)。
④ 「PC」を理由とする限り、反対者にどのような制裁を加えても不問に付す
という特徴を持つ。

 つまり、本稿でいう「PC」とは、本来の意味ではなく、「しばき隊」を典型例とするリベラルの他者に対する不寛容・排他的な態度を揶揄する文脈で使われる言葉を指す 。

 このように、「PC」は、リベラルの考え方に反対する者を「弾圧」する道具として機能するため、我が国のネットでは「ポリコレ棒」と揶揄されることがある 。また、英語でもそのようなPCを他社の思想を弾圧する道具として用いる戦闘的リベラル・左派を揶揄する言葉として、後述するが「Social Justice Warrior」(社会的正義の戦士)という言葉がある。

 PCは、元来、差別撤廃のため「差別的な取り扱い」につながる言葉を排除するというものであった。代表的なものが、議長を意味する「chairman」が男性を意味する「man」が含まれているとの理由で「男女平等」な「chairperson」に言い換えられたというものである。この他にも、盲目を意味する「blind」という語が忌避され、キーボードを見ずに入力できる「ブラインド・タッチ」が「タッチ・タイピング」という例がある。これに類する例として、サッカーでも「ロスタイム」が「アディショナルタイム」へ、「サドンデス」が「ゴールデンゴール」と言い換えられた(「ロス:loss」や「デス:death」という否定的な語感を持つ語の利用を止める)。

 このような「言い換え」が結果的に「言葉狩り」に移行していくのは洋の東西を問わない。そして、その行き着く先は、どの言葉を利用するかという次元で神経をすり減らすことになるという息苦しい社会である。我が国でも、そのような「言葉狩り」に遭って、『ちびくろサンボ』のように発売中止(絶版)に追い込まれ、また、部落解放運動家による「つるし上げ」のための「糾弾会」出席を余儀なくされることも見受けられた。

115キラーカーン:2017/09/08(金) 00:26:25
6.2.5.4.2.  移民と「PC」と先進国中間層の経済的転落
 現在では、「人権擁護」の行き過ぎのため、移民受け入れ拡大政策に反対するだけで「極右」や「人種差別主義者」呼ばわりされることは珍しくない。移民受け入れ拡大反対とナショナリズムとの親和性が高いため、欧州において、移民受け入れに消極的な立場と「右翼」さらには「極右」と称されてきたことについては一定の理由がある。というよりも、欧州では、移民政策が「極右」かそうでないかを判別する基準となっている。

 そして、本来は、国内経済が移民の受け入れを欲しているか受け入れ余力があるかといった国内諸情勢によって移民受け入れ政策を決定しなければならない。しかし、移民受け入れ拡大を「自明」であるとし、な国内経済・社会的情勢を検討して受け入れ方針を策定すべき、或いは、難民よりも自国民の経済状況改善を優先すべきといった、移民受け入れ政策に反対或いは慎重な姿勢をとる人々をリベラルは「人種差別主義者」であるとしてきた。そして、「PC」を理由にしてリベラル派は「言葉狩り」よろしく、自己の反対派にレッテルを張り、異議申し立て自体を封じてきた。特に、マスコミや人文科学や社会科学の学会ではリベラルが優勢であるため、そのような「レッテル張り」が有効に機能してきた。

 移民による犯罪の告発も「人種差別」との批判を浴びることを懸念して及び腰になることも我が国のみならず、欧州においても見受けられる 。我が国では、ルーシーブラックマン氏殺害事件の犯人が韓国系日本人であったことから、犯人について語ることが一種のタブー視されていたことが、同事件を追ったドキュメンタリー『黒い迷宮 ルーシーブラックマン事件15年目の真実』(リチャード・ロイド・パリー著 濱野大道訳 早川書房 2015年)の著者が語っている。

 移民拡大を叫ぶリベラルとその結果としてなされる移民拡大によって危険にさらされるのは「セレブ」と化したリベラルではなく、移民によって職を奪われる「没落した中間層」である事は論を待たない。そして、そのような層は先進国では中-低所得者層に該当する。このような欧米の「極右」のイメージにより、我が国でも「ネトウヨは低所得者のニート」というイメージで語られることが多い。この立場に立つ代表的な論者としては小林よしのり氏が挙げられる 。

 しかし、古谷常衡氏によれば、自身のHPの閲覧者を「ネトウヨ」と仮定すれば、閲覧者は、「自己申告」によると、「都市の30〜40台のサラリーマン、或いは自営業者」という層が多いとのことである。

 いずれにせよ、「セレブ」化したリベラルは、その「グローバル性」により、自国民よりも、他国の難民を救うに値するとし、そのような自国民の窮状に対しては高みの見物を決め込み見向きもしなかった。

116キラーカーン:2017/09/10(日) 02:01:39
6.2.5.4.3. 「他文化強制」と「PC」と「social justice warrior」
 PCの文化的側面では、リベラルが推進する「多文化共生」に反する態度は許されないとしてきた。この結果、移民問題と同様に、リベラル派は「言葉狩り」よろしく、自己の反対派にレッテルを張り、異議申し立て自体を封じてきた。日本人に分かり易い例でいえば、移民の非キリスト教徒への「配慮」として、米国では「メリークリスマス」の代わりに「ハッピーホリデー」と言わなければならないというものがある 。

 リベラルは自身の見解に反する人を「人非人」としてレッテル張りを行うのに躊躇がない。そのレッテル張りのための「錦の御旗」がPCであった。さらに言えば「何がPC」なのかという判断権はリベラルのみが保持し、それに対する反論は受け付けないということも共通している 。

 そして、そのような「言葉狩り」を行う者を英語で「social justice warrior」という 。
我が国では、「オタク≒ネトウヨ」という認識 のもとに、「萌え」や「アニメ趣味」を「ネトウヨ的」として批判する者や外国人(特に朝鮮人)に対する「差別的」言動を針小棒大に取り上げ、営業妨害や自宅への突撃を行ったりする場合もある。そして、「しばき隊」を筆頭に、そのような「暴力的」行為であっても「反差別」という「PC」によって免罪されるという自己中心的な正当化を図っている。

117キラーカーン:2017/09/12(火) 00:58:15
6.2.5.5. 切り捨てられた国民の怒り-「福祉排外主義」の勃興
6.2.5.5.1. はじめに

 本来なら、貧困層に転落しようとしている国内の疲弊した中間層はリベラル或いは左翼が救い上げるべき国民である。これまで、左派政党(≒社会民主主義政党)はそのような手法で支持を拡大し、ある国では政権を奪取した。しかし、前節でみたように、現在、生活が脅かされている先進国の中-低所得者層は経済のグローバル化で「勝者」となり、「セレブ化」したリベラルに見捨てられ、切り捨てられていた。

 リベラルは国家に対し、国民ではなく、難民など「非国民(文字通り国民でない者)」を救えと要求していた。そのようなリベラルに切り捨てられた「行き場のない」国民の声を、勢力拡大のための「穏健化」を図り、移民反対から自国民優先の福祉施策(「福祉排外主義」)へ舵を切った「極右」が吸い上げるという構図となっている。このような「(自国民の底辺)労働者に優しい極右」という20世紀後半の政治情勢では考えられないような現実が21世紀になって発生した。

 この後、先進諸国を中心に極右勢力或いは「ネトウヨ化」の実態を概観していくが(「6.4.各国の状況」)、その前に、昨今の極右勢力の伸長の鍵となる「福祉排外主義」について総論的な部分を概観しておく。

118キラーカーン:2017/09/14(木) 00:13:52
6.2.5.5.2. 福祉排外主義の勃興
 冷戦終結後、経済のグローバル化或いは社会保障制度の厳格化によって、「近代化の敗者」或いは「没落した中間層」とも呼ばれる学歴・所得社会的地位が低い層が発生した。先に述べたように、このイメージは我が国の「ネトウヨ」のイメージと重なるところが大きい。そして、西欧における「極右」政党はこのような層を支持母体の中核としている。

 当初「極右」政党は彼らから仕事(収入)を奪っていった移民の排除を端的に訴えていたが、それだけでは支持が広まらなかった。また、欧州では移民排斥がナチスのユダヤ人排斥を連想させるものである事も移民排斥を主張する「極右」政党の支持が広がらなかった一因でもある。さらに、過大な難民(非キリスト教徒)の流入は、自国の社会を変革するだけではなく、崩壊に導びくという議論もなされたが、その議論も「文明の衝突」を連想させるということで、支持を広げる決め手とはならなかった。

 そのような排外主義の壁を破ったのが「福祉排外主義」と言われるものである。移民の流入・増大により、「近代化の敗者」に対する社会扶助が以前にもまして必要となった。そのためには、
① 増大する需要に対応できる財政上の措置
② 社会扶助費削減のため、社会扶助の対象となっている移民の対象者数を削減
という二つの手法がある。後者を強く主張する者が「福祉排外主義者」となる(勿論、それと合わせて、前者を主張することも可能である)。

 この「社会扶助の対象となる移民削減」のためには、そもそも、受入移民数を削減し、更に(可能であれば)、移民を「国外追放」という施策が俎上に上る。このようにして、反移民ひいては(経済面での)反グローバル主義が無視できない状況となってきた。
限られた資源であるならば、まず、自国民の「近代化の敗者」に分配すべきというのは、国民国家という制度的建前からは正当な要求である 。そして、その訴えは自国の「近代化の敗者」の琴線に触れた。そして、「近代化の勝者」であり、グローバル化に対応した「勝者」であるリベラルと「近代化の敗者」との亀裂、断層が可視化されるようになった。

 (グローバルな)リベラルのスローガンでもある「『国境を越えた』弱者救済」は成功者が「善人」であることを示すお手軽な手法となっていった。その結果、グローバル化の波に乗った成功者は「善人」であることを示すためにリベラル的に振る舞うこととなる。そして、弱者救済という左派・リベラルのスローガンは「金持ちの道楽」へと堕落していった。

 更に言えば、「道楽」であることから、「救うに値する」人を決めるのはリベラルが恣意的に決める。国内の「没落した中間層」は彼らリベラルの琴線に触れることはないため、決してリベラルによる「救済の対象」とはならなかった。それに加え、リベラルは資産を「グローバル化」の恩恵を利用して国境を越えて回避 させる一方、「弱者(≒難民)」を受け入れる負担(例:国内の中間層の職を奪う)は「グローバル化」による資産隠しには縁遠い国内の中間層(「没落した中間層」に押し付けた。

 言い換えれば、リベラルは「グローバル化」の果実だけを享受し、自己満足のために「弱者」救済を唱えるが、その負担は国内の「没落した中間層」に押し付けて、自分たちは負担を回避している。その負担を強いられる者が異議申し立てしようとすれば、リベラル派「差別主義者」として彼らの人権を認めようとせず、継続して負担を強いる。これは、先に述べた「二重基準」と「反転可能性の欠如」という「リベラルの自己矛盾」ということを示して余りある 。

119キラーカーン:2017/09/16(土) 01:23:51
6.3. 各国の状況
6.3.1. G7諸国
6.3.1.1. 日本(日本型ネトウヨ政党と欧米型ネトウヨ政党との並立)
6.3.1.1.1. 総説
 我が国の「ネトウヨ化の歴史」についてはこれまで縷々述べてきたところである。したがって、本節では、その歴史的事象から得られた知見を基にした理論的枠組を中心に記述する。

 我が国の「ネトウヨ化」における他国との大きな違いは「歴史認識論争」主導型ということである(欧米型及びドイツ型は「移民問題主導型」)。また、我が国は移民受け入れが少ないこともあって、欧米型やドイツ型のように「移民問題主導型」にはなり得ない。このため、欧米の「極右」勢力からは我が国の移民政策が「理想像」と見られることもある。したがって、我が国では、他国とは異なり「没落した中間層」は、グローバル化による移民の流入ではなく、グローバル化による産業の空洞化とデフレ経済がもたらされたものである。

 このように、我が国においては、欧米型ネトウヨ政党が敵視する国内移民が殆ど存在しない。その代わり、「歴史認識論争」で母国の肩を持ち、現在の居住国である我が国に対してヘイトスピーチまがいの批判を行う「特定アジア(三国)」(中国、北朝鮮及び韓国の三国をいう)に向けられている。

 特に、在日朝鮮人に対しては、その「反日」的姿勢がマスコミ等によって強調されるため 、歴史的経緯、そして、「特定アジア」諸国の一員として批判の矛先が向くこともある。
このような経緯もあって、歴史認識に起因する周辺各国との関係悪化を契機に「日本型ネトウヨ政党」が結成された。このような「日本型ネトウヨ政党」は「太陽の党」の党を嚆矢とする。その後、紆余曲折を経て、現在の「日本の心を大切にする党」に繋がっている。

 しかし、現状では、安倍自民党が所謂ネトウヨ層の受け皿となっているため、党勢が伸び悩み、国会内では自民党と統一会派を組むなど、「安倍自民党別動隊」というような状況となっている。
その背景には、安倍総理が「自民党の右」に位置する政治家であり、かつ安倍総理自身が拉致問題をきっかけに総理の座を掴んだことがある。その結果、安倍政権である限り、自民党は日本型ネトウヨ勢力の受け皿として機能する。したがって、安倍政権が長期安定政権(最近はその安定度に陰りがさしているが)となった現在、日本型ネトウヨ政党(勢力)が自民党に吸収されるのは当然の成り行きである。

 このような「日本型ネトウヨ化」の動きとは別に、グローバル化による現状改革勢力が一定の勢力を確保し、それらは「第三極」と言われるようになる。その中から、日本産「欧米型ネトウヨ政党」といってもよい「維新系政党」 が発生した。「維新型政党」は現在においても、「第三極」としての存在感を有しており、所謂「無党派」の受け皿となって、自民党と拮抗する勢力になる可能性を秘めているのは、最新バージョンの「維新型政党」である「都民ファースト」の2017年の都議選に圧勝し、東京都自民党を一敗地に塗れさっせたことにも表れている。

 このように、我が国の政治環境において、日本型ネトウヨ勢力と欧米型ネトウヨ勢力とが並立しているという特異な状況にある。日本型ネトウヨ勢力は安倍自民党に事実上吸収されたが、欧米型ネトウヨ勢力は依然として「第三極」としての存在感を示している。「都民ファースト」が一定の統治能力を見せ、民進党に代表される「野党の保守的勢力」を糾合して国政に進出すれば、自民党に取って代わる勢力となる可能性もある。しかし、国政政党としての「維新」も党勢が伸び悩み、「大阪維新」の東京版築地市場移転問題を巡り、小池都政が混迷の度を増していることから、我が国における欧米系ネトウヨ政党がこれ以上勢力を伸ばす可能性は低いと見積もられる。

 移民の受け入れが極端に少ない我が国では、移民が我が国の社会に対する脅威であるとは認識されていない。この点が「維新系政党」と「欧米型ネトウヨ政党」との最大の際である。したがって、反移民が主軸である「欧米型ネトウヨ政党」と「維新系政党」を同一類型として扱うことについては異論があると思われる。しかし、ポピュリスト政党としての共通点を重視することによって、「歴史認識論争」主導型である「日本型ネトウヨ政党」と「維新系政党」との差異分析、ひいては我が国の政党間の差異を明らかにするうえでも有益であると考えるので、「維新系政党」を「ポピュリスト政党」ではなく、「欧米型ネトウヨ政党」(或いは亜種)として扱っている。

120キラーカーン:2017/09/17(日) 01:57:45
6.3.1.1.2. 日本型ネトウヨ政党(「たちあがれ日本(含む後身政党)」)
6.3.1.1.2.1. 「たちあがれ日本」の結成
 歴史認識論争において、所謂「自虐史観」を批判する側に属していた政治家は、当時の自民党においても「一番右」に位置していた。そのような政治家の代表的存在であった平沼赳夫氏は無所属となっていた 。彼らは、民主党政権の成立による政界の「リベラル化、左傾化」の中で、自民党の中で埋没するよりは「反民主党・保守」の旗幟を鮮明独自の政党の結成を模索し「たちあがれ日本」を結成する。

 日本における保守政治家の代表的存在であり、当時、東京都知事であった石原慎太郎氏は「たちあがれ日本」の発起人とはなったが、参加はしなかった。結党後初の国政選挙となった2010年7月の参議院通常選挙では比例区で1議席を獲得した。しかし、その後、民主党への対応方針を巡り、与謝野馨氏が離党 するなど党勢は伸び悩んだ。

 「たちあがれ日本」は他の小政党にも連鋭を呼びかけたが、結局浪人中の元議員を立候補予定者として糾合する程度であった。その中で、発起人でもあった石原都知事が次期総選挙に都知事を辞職して「たちあがれ日本」に合流することを2012年11月に表明する。石原氏の合流表明を受け「たちあがれ日本」は、同月13日、「太陽の党」へ党名を変更し石原氏を正式に共同代表として迎え入れた。

6.3.1.1.2.2. 「日本維新の会」との合同と分裂
 その直後の同月17日に国政進出を目論む大阪維新の会と合流し、「日本維新のとなったため、「太陽の党」は5日間で姿を消した 。同年12月に行われた衆議院総選挙で日本維新の会は小選挙区、比例区合わせて54議席を獲得し、野党第二党(衆院第三党)に躍進する。しかし、続く2013年7月の参議院通常選挙では、「みんなの党」をはじめとする「第三極」との選挙協力が難航し、地方区、比例区合わせて議席の獲得に留まった。

 結局、「ネトウヨ」といっても、日本型と欧米型とは相性が悪かったのか、「石原派(日本型ネトウヨ政党)」と「橋下派(欧米型ネトウヨ政党)」に分裂し、元どおりとなった。分裂後は、前者が「次世代の党」となり、後者が「日本維新の会」の名称を継承した。その後、橋下派は「みんなの党」からの離脱者で結成された「結いの党」と合併し「維新の党」となった。

6.3.1.1.2.3. 原点回帰と安倍自民党
 「たちあがれ日本」に始まる「日本型ネトウヨ政党」は、維新系政党との合同・分裂を経て「次世代の党」として「日本型ネトウヨ政党」としての原点に回帰した。「次世代の党」の課題は、「保守政党」と「維新系政党」との間で「日本型ネトウヨ政党」としての独自の存在意義を国民に訴求できるか否かという点にあった。

 「たちあがれ日本」結成当時は民主党政権である、野党に転落していた自民党は、(自民党内では)リベラルな谷垣総裁あった。このため、「自民党の右」という位置は、民主党政権や「リベラル」な谷垣自民党に飽き足らない保守層に対して訴求効果があった。
しかし、「次世代の党」となった時点では安倍政権であった。先に述べたように、安倍総理は拉致問題をきっかけに政治家として飛躍したこともあり、安倍総理は所謂ネトウヨ層からの支持が高かった。また、それに加えて、所謂ネトウヨ層以外からの安倍内閣の支持率は高かった。

 このような政治情勢では、「次世代の党」は安倍自民党との違いを打ち出すことは困難となる。まして、相手は衆議院で安定多数を擁する与党である。この結果、「次世代の党」の党勢は先細りになっていった。

 「次世代の党」は「日本のこころを大切にする党」を経て「日本のこころ」に党名を変更して党勢挽回を期するが、党勢は回復せず、2017年の通常国会から自民党と統一会派を組み、事実上、自民党に吸収された状態である。

 今後、非自民によるリベラル・左派政権が誕生し、自民党が「左旋回」しない限り、「日本型ネトウヨ勢力」は自民党内で「自民党の右」という政治勢力として活動していくことになると思われる。これは、「たちあがれ日本」結党前の状態に戻ったことを意味している(つまり「元の鞘に収まった」ということである)。

121御前:2017/09/17(日) 10:47:50
北朝鮮から国土上空に2回もミサイル飛ばされて、例の迎撃ミサイルは一体何のためのものなのでしょうか?
世界のパラダイムがこれほどまで変わってしまった以上、日本は第9条改正どころか、核武装議論もしなければならないように思えてきました。

莫迦政府と無理心中したくないですわ。

122新八:2017/09/17(日) 19:48:28
日本の迎撃機能は万全です。
撃たなかったのは、撃つ必用がなかったと言う事だと思っています。
あと、世界のパラダイムが変わったとは、私は考えていません。
シー・チンピンが、「朝鮮人とは何か」が分かっていなかっただけではないかと愚考しております。
プーチンは、さすが良く分かってらっしゃると、私は見ております。

で、臨時国会の日程が、9月28日開始と決まったときに、うっすら『解散?』と予感したのですが、どうやらそのようになりそうですね。

>莫迦政府と無理心中したくないですわ。

ちゃんと選択肢を与えられる素晴らしさを享受しましょう。
民主主義って素晴らしい。
憲法改正も、核武装も実現できるとすれば、それこそ「圧倒的な民意」あればこそなのですから。

123御前:2017/09/18(月) 00:27:13
私の言った「世界のパラダイム」とは、冷戦時代のことですね。未だあの頃のまんま、平和憲法を守っていればいいと思い込んでいる風潮があるのは恐ろしいです。
あと憲法改正が通っても間に合うかどうか、もはや危ない状態ではないかと思います。どんな莫迦な憲法があろうと、有事の際は超法規の防衛出動する政府ならいいですが、残念ながらその確信が私は持てません。この先ミサイル2回も飛ばされてこれでは、この先3回、4回と上空侵犯しても「まだまだ撃つ必要がない」と延々言ってる可能性高いと思います。これがNATOなら、とうに戦闘開始になっていますよ。
ここでよく、日本は一度痛い目に遭わないと変わらない、という意見もありますが、じゃあいざ自分とこにミサイルが落ちてきて犠牲者になってもいいかと言えばそれはみんな嫌なわけです。なら、あらゆる危険性は排除すべく備えるのが国家安全保障ですよね。

124キラーカーン:2017/09/29(金) 00:23:51
6.3.1.1.4. 欧米型ネトウヨ政党(所謂「維新系政党」)
6.3.1.1.4.1. 「維新系政党」を「欧米型ネトウヨ政党」とみなした理由

 先に述べたように、我が国の特殊状況として、日本型ネトウヨ政党の他に欧米型ネトウヨ政党が存在することもあげられる。所謂「維新系政党」は
① 新自由主義的政策志向
② 「敵か味方か」という二分法で支持を調達(「1ビット脳」的政治)
という点で欧米型ネトウヨ政党と共通性がある。

 「維新系政党」に共通するこのような特徴は「欧米型ネトウヨ政党」が有するポピュリスト的性格と共通する。このため、欧米型ネトウヨ政党と比べて移民排斥傾向が少ない維新系政党を「ネトウヨ政党」ではなく「ポピュリスト政党」に分類されることもある。
また、維新系政党の発祥の地である大阪は部落差別問題に代表されるように、大和時代以来の長い歴史に培われた独特の「しがらみ」存在する。初代の「維新系政党」である「大阪維新の会」はそのような「しがらみ」を理由とする「既得権益」を打破するという立場を取った。

 そのことにより、大阪維新の会は、自由競争、規制緩和、民営化という新自由主義的色彩を自然と纏うこととなった。そして、そのような新自由主義的色彩は「大阪維新の会」の政党後継者的位置にある「日本維新の会」にも受け継がれている。

 欧州では、EU統合(≒ユーロ圏)により、既成政党側も財政赤字の制限などが科され、国家としてある程度の新自由主義的政策を採る必要性に迫られている。そのため、政権担当能力がある既成政党(特に議会第一党を狙う政党)は、ある程度、新自由主義的政策を採らざるを得ない。

 それにより、新自由主義と移民に対する厳しい態度を政策の二本柱とする「欧米型ネトウヨ政党」と既成政党との政策距離を小さくする。「欧米型ネトウヨ政党」としては、そのような既成政党との差別化或いは主要支持者層である「没落した中間層」の支持を維持するために、新自由主義的政策ではなく、ある程度左派的福祉政策(所謂「バラマキ福祉」)を主張する必然性が存在する。この結果、「アベノミクス」においても、そのような左派的或いは「大きな政府」的な色彩が強い。

 しかし、我が国では、既成政党、特に自民党が新自由主義的政策から距離を置いているため、「維新系政党」が新自由主義の主張を変えていない 。

125キラーカーン:2017/10/03(火) 01:10:48
6.3.1.1.4.2. 「欧米型ネトウヨ政党」との相違点(「移民」に対する警戒感の程度)

 我が国は、従来、移民の受け入れには厳しく、我が国に在住している定住外国人(所謂移民)が欧米各国に比して少ないことから、所謂「移民」に分類される我が国における定住外国人又は外国系日本人問題(特に一世及び二世)が重要な政治課題として提起されることは少ない。このため、維新型政党は移民排斥という考え方も弱く、外国人に対する生活保護支給反対のような「福祉排外主義」の色彩も弱い 。

 この結果、維新系政党発祥の地である大阪では朝鮮学校用地の地代の引き上げといった「反在日朝鮮人」的な政策と「ヘイトスピーチ規制条例」など、在日外国人、特に在日朝鮮人に対して融和的な政策が併存しているが、それも新自由主義の影響が強い結果であると仮定すれば一応の筋は通る(学校用地の地代の減免は。規制緩和と「公平な」自由競争の原理に反し、「ヘイトスピーチ規制」も「言論の自由競争(市場)」を妨げるものと解釈すれば、新自由主義的政策の枠内に収まる)。

 この点において、中間層の職と所得を奪い「没落した中間層」の主犯として移民をやり玉にあげ、その結果。移民排斥を唱える「欧米型ネトウヨ政党」との顕著な差となっている。
6
.3.1.1.4.3. 「維新系政党」最新バージョンしての「小池新党」

 「欧米型ネトウヨ政党」である維新系政党は離合集散を経て、現在、事実上大阪を基盤とする地域政党に回帰した。その結果、大阪以外の地域は、事実上「維新系政党」の空白地となっている。したがって、大阪以外の地では、新たな「維新型政党(欧米型ネトウヨ政党)」が発生する余地がある。その可能性は東京都において「小池新党」という形で現実となった。

 これまでに述べたように、小池都知事は、自民党から飛び出す形で東京都知事選挙に打って出て当選した。その後、2017年7月に行われた東京都議会選挙において知事与党としての「都民ファーストの会」を結成し、都議会第一党の座を獲得した。

 この「小池新党」の勝利は、「非自民かつ非リベラル・左翼」という意味での「第三極」或いは「欧米型ネトウヨ政党」に対する有権者のニーズが現在においても高いことを意味している。2017年10月に(解散による)衆議院総選挙が実施されるため、「小池新党」も地域政党ではなく、国政政党「希望の党」として活動を始めている。

 しかし、小池都知事の政治手法は、「その場限りの刹那主義」であり、政治家としての一貫性を考慮しないという手法においては橋下氏よりも徹底している。また、選挙区当たりの政党数を「2」(≒二大政党制)に収束させる小選挙区制による要請により、非自民勢力は「単一政党」に纏まる誘因が発生する。その結果、小池新党に参加する面々も「日本のこころを大切にする党」から「民進党」まで「幅が広く」、彼らの政策位置も「ごった煮」状態である。小池都知事は、民進党の弱体化によって「草刈り場状態」となった「非自民かつ非リベラル・左翼」という「選挙互助会」的ニーズに的を絞って小池新党を立ち上げた。

 このような「ごった煮」状態と橋下氏を上回る小池都知事の刹那主義という観点からすれば、小池新党は「維新系最新バージョン」としての「欧米型ネトウヨ政党」というよりも、日本初の「本格的ポピュリスト政党」というべきかもしれない。

126キラーカーン:2017/10/05(木) 23:51:18
6.3.1.1.5. 「第三極」(特に「みんなの党」)の離合集散と消滅

 1993年の非自民連立政権(細川内閣)の発足による政治改革の動きの中、非自民、非労組(≒旧社会党⇒民主党)つまり、規制緩和と行政経費削減による「小さな政府」を旗印に掲げる勢力が誕生した。我が国ではそのような政治勢力を「第三極」と称していた。

 二大政党の一角を占める民進党(旧民主党)も結党当初は、自民でも社民党(旧社会党)でもない政党として結党した過去があり 、民進党も第三極的色彩も有している。

 小選挙区制の導入や新進党の解党を経て、非自民勢力が、民主党へ一本化されていった。その過程で、旧社会党勢力も民主党へ吸収されることとなったため、自民党及び新進党とは異なる「第三極」として発足した民主党においても、旧社会党や民社党の支持母体である労働組合の発言力が強まり、リベラル・左派的色彩が強まっていった。

 このような民主党の「左傾化」及び自民・民主の二大政党化を受け、非自民・非民主の規制緩和と行政経費削減による「小さな政府」を目指す政党として「みんなの党」が結成された。

 以後、規制緩和と行政経費削減による「小さな政府」を目指す政党を「第三極」として扱われることとなり、「維新系政党」も「第三極」の一つとして扱われることとなった 。みんなの党は、一時期、公明党をも凌ぐ勢いも見せ、参議院選挙では三人区以上で議席を確保した。しかし、その後、程なく党勢は頭打ちとなった。

 このように、「みんなの党」と「維新系政党」は自由主義的政策志向という点において和性が高い。このため、両党の合同論は断続的に発生した。その一方、それ以外では所属国会議員間の政策距離が大きかった。このため、非自民・リベラル志向の議員も存在し、彼らは「維新系政党」よりも民主党に親近感を感じていた。それらの政党と離合集散を繰り返している。

 結局「みんなの党」の主流派は「維新系政党」との合流を選択し、「みんなの党」から分離し「結いの会」を結成した上で「維新系政党」と合流した 。しかし、合流した「維新系政党」の中でも、大阪派(橋下派)とそれ以外との路線対立が発生し、後者は民主党へ合流し民進党となった。

 このように「第三極」(と民主党)は規制緩和と行政経費削減による「小さな政府」という点での共通点はあり、また、小選挙区制の選挙区(衆議院の選挙区と参議院の「1人区」)が多数を占めることから「第三極」として一つの政党に纏まるということは、国政政党として存続するうえでも望ましい選択であった。しかし、それ以外の点において政策距離が大きかったため、「第三極」は離合集散を繰り返し、現在では、「維新系政党」と民進党及び「小池新党」に吸収され、政党としては消滅している。

127キラーカーン:2017/10/08(日) 01:47:32
6.3.1.1.6. 自民党等の関係
 自民党との関係では、「自民党の右」に位置する「日本型ネトウヨ政党」(「たちあがれ日本」⇒「太陽の党」(⇒「維新系政党」)⇒「次世代の党」⇒「日本のこころを大切にする党」が対象となる。先に述べたように、安倍総理・自民党総裁が「自民党の中での『右』」に属する政治家であったため、潜在的「日本型ネトウヨ政党」の支持者層が安倍自民党支持層となっている。この結果。「日本型ネトウヨ政党」の党勢は伸び悩み、国会では自民党と統一会派を組むに至り、自民党に事実上吸収合併された形で、現在に至っている。ただし、「小池新党」(「希望の党」)結成を機に、「日本のこころを大切にする党」党首の中山恭子参議院議員は自民党ではなく、「小池新党」に合流した。

128キラーカーン:2017/10/09(月) 01:48:00
6.3.1.1.7. 2017年10月総選挙
(未定)

6.3.1.2. 英国(英国独立党の躍進)
6.3.1.2.1. グローバル化の勝者であるリベラルに対する反発
 英国でも福祉排外主義を唱える英国独立党(UKIP:United Kingdom Independent Party)が経済成長から取り残されたブルーカラーや非熟練ホワイトカラー層の支持を集めている。英国独立党の標語は「国民保護サービスであって国際保護サービスではない」というものであり、福祉排外主義に合致する。但し、英国独立党には「小さな政府」を志向するリバタリアン的潮流も存在する 。このため、今後、主たる支持者層である「没落した中間層」とリバタリアン的路線との間での軋轢が生ずる可能性もある。

 英国独立党のもう一つの支持者層は英国のEU懐疑派である。英国はEUの前身であるEC(ヨーロッパ共同体)の原加盟国 ではない。それどころか、ECに対抗してEFTA(ヨーロッパ自由関税同盟)を設立したのちに、EFTAを裏切る形でECに加盟した(1971年)。また、サッチャー政権も「反ヨーロッパ」的姿勢をとっていた。英国労働党の支持者層が他国の「極右」政党と比べて支持者層の平均年齢が高いのはこのような歴史を実際に体験した層の一定程度が英国独立党の支持者層となっているからと推測されている。

 「近代化の敗者」或いは「EU懐疑派」どちらであっても「グローバル」よりは「ナショナル」である。それが、集合名詞であるところの「国民」としての拒否感であるのか、「個人(労働者)」としての拒否感であるのかの違いである。ここでもグローバル化の「勝者」としてのリベラルそして自国民よりも「非国民」の救済を優先するリベラルに対する「敗者」の反発がある。ここでもグローバル化の敗者に対するリベラルの冷淡さ が「ネトウヨ化」を招いていると見ることができる。

129キラーカーン:2017/10/10(火) 00:58:20
6.3.1.2.2. 英国内の地域対立とEU離脱問題との関係
 我が国では「英国」とあたかも単一国家のように扱っているが、英語で「UK:United Kingdom」というように、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4つの地域 からなっており、スコットランドには独自の議会も存在する。このため、これまで述べてきた地域間対立も「リベラルVS非リベラル」に影響を及ぼす。

 特にスコットランドは、2014年、スコットランドの独立を問う国民投票が実施されたことや北海油田の利益分配などでイングランドとは潜在的な対立関係にある 。EU離脱を問う国民投票では、スコットランドがEU残留で、ロンドン都市圏などを除くイングランドがEU離脱派という投票結果で、英国内の地域別の温度差が明らかとなった。

 2015年の総選挙でもスコットランドの地域政党であるスコットランド国民党(SNP:Scottish National Party)がスコットランドでは、59議席中56議席を獲得するという「完全試合」を成し遂げている。スコットランド国民党は中央レベルでは労働党と政策位置が近く、2015年の総選挙でも、仮に勝利すれば、労働党と連立を組むとの観測もあった。したがって、スコットランドにおいては、民族自決主義が「ネトウヨ化」或いは「極右政党」とは結びついていないというのが特徴となっている。

6.3.1.2.3. 2017年6月の総選挙(「大きな政府」路線による野党労働党の健闘)
 メイ首相は、労働党の合意を取り付け、EU離脱交渉を名目として解散総選挙に打って出ることとした 。解散時点では保守党が圧倒的有利であるといわれていたが、選挙期間中に労働党が差を詰めた。選挙結果は保守党が第一党の座を守ったものの、議席を減らし、過半数を割り込んだ。このため、実質的には保守党の敗北となった。保守党は、過半数まで10議席足らずという議席数であるため、少数単独政権を選択した。当面は北アイルランドを地盤とする保守政党である民主統一党(10議席)の閣外協力を得て政権運営を行うことを選択した。過半数を制する政党が存在しない中でのメイ首相の政局運営となるため、予断を許さない。

 労働党が健闘した要因としては、①「オールド・レイバー」とも言われるコービン党首が脱緊縮を掲げた政策を打ち上げたこと、②英国に選挙疲れがあったこと、などが言われている 。冷戦終結後の経済のグローバル化に対応したブレア元首相の唱えた「ニュー・レイバー」の効力が無くなり、長期低迷傾向にあった労働党が、「反緊縮」という旗印で「没落した中間層」の救済に取り組んでいるというメッセージを有権者に与えたことにより労働党が健闘した原因と言ってもよい。

 これは、トランプ大統領にも言えることであるが、「ネトウヨ化」の主力と見られている「没落した中間層」の票を獲得することができた効果でもある。これは、「欧米型ネトウヨ化」が経済主導型である事を如実に示している。

 ネトウヨ化以外の貧困対策(具体的には、反緊縮による「大きな政府」)を打ち出し、その政策が彼ら「没落した中間層」の琴線に響けば、左派であっても彼らの票を獲得できるということの証明でもある。

 その一方、ここ数年、英国政治の「台風の目」であった英国独立党(UKIP)が、今回の総選挙で敗北を喫した。前回の総選挙では二大政党に次ぐ得票率(10%超)を記録したが、今回は1%超の得票率にとどまった。EU離脱を掲げるUKIPの得票が激減したことも、労働党の健闘と合わせて、英国政治の「潮目」が変わったのかもしれない。その結果は、比例代表制で行われる次回の欧州議会選挙結果で明らかになるであろう。

130キラーカーン:2017/10/12(木) 01:04:09
6.3.1.3. 米国
6.3.1.3.1. トランプ大統領の誕生
 2016年の世界での最大ニュースがトランプ大統領誕生であったと認定しても、少なくない人が首肯するであろう。それほどまでに、トランプ大統領の誕生は世界に驚きと衝撃をもって受け入れられた。そして、大統領選を通じてグローバル化の「勝者」であるリベラルと「敗者」である「ラスト・ベルト」の労働者が対照的に映し出された 。勿論、前者の代表がヒラリー・クリントン女史で後者の代表がドナルド・トランプ氏であるのは論を待たない。クリントン氏はまさに「リベラル・エスタリッシュメント」の象徴として捉えられた 。

 ヒラリー・クリントン氏やハリウッドスターに代表される「セレブ」なリベラルがマスコミと一丸となって中間層(トランプ支持派)を「敗者」と見下し、見捨てるという構図は大統領選挙で明確に見受けられた 。その一方、大統領選挙でトランプ支持者に取材すると「『オレに意見を求めてくれるのか』『長く話を聞いてくれてありがとう』と喜んでくれた。しばらくして、わかった。自分の声など誰も聞いていない。自分の暮らしぶりに誰も関心がない。あきらめに近い思いを持っている人たちが多かった」 との反応が返ってきたというのがその一例である。

 トランプ支持を公言するとマスコミから人種差別主義者を始めとするリベラルから「PC」で袋叩きに遭うという現状から、マスコミの世論調査でもトランプ支持を公言できないという「隠れトランプ支持派」が存在するとされていた。大統領選挙の結果はその存在が事実であったことを如実に示した。

 大統領選挙でトランプ支持を公言した者に対して暴行を加えるという事件も発生しており、「残虐さ」ではリベラルも「極右」 も差はない。それどころか、マスコミは「極右」の暴力は

 トランプ氏は、リベラル的価値観ではなく、「没落した中間層」に「未開拓の票田」を見出し、大統領に当選した。この結果、リベラルを敵に回し、「分断」と正面から対峙せざるを得なくなったトランプ政権が、とりあえず、4年間の任期を全うできるか否かが焦点である。

131キラーカーン:2017/10/14(土) 02:14:04
6.3.1.3.2. シャーロッツビルでの左右両派の衝突
 2017年8月、米国バージニア州シャーロッツビルで、右派(白人至上主義者)と左派が衝突し、その際、左派の女性1名が死亡した。

 この衝突の発端は、南北戦争での南軍の司令官であったリー将軍の銅像を撤去することに反対の人々による集会であった。その集会に参加した人の中に、白人至上主義者やネオナチをいわれる者が参加したことに対してリベラル側が抗議集会を行った。その両派の集会を分離できずに衝突したが発端であった。

 先に述べたように、右派の参加者に白人至上主義者が存在していた。このことによって、この問題は、人種差別の克服という現代アメリカの「国是」を巡る論争へ移行した。また、左派の側に車で突入したことによる死亡者が発生したこともあり、マスコミの論調は「右派の全面否定」という様相を呈していった。

 この一連の事件に対し、トランプ大統領は、人種差別と「双方」の暴力を批判したことで、マスコミはトランプ大統領に「人種差別容認」とのレッテルを張ったが、左派の「暴力」については何も触れなかった。

 その後、左派の「反差別活動」はエスカレートし、米大陸を「発見」したコロンブスが「人種差別主義者」であるとして毀損されるという事例も生じ始めている 。このような事態を受け、トランプ大統領は「リー将軍の次はジョージ・ワシントンか」という旨の発言をしたが、当該発言も物議を醸しだしている。

6.3.1.3.3. 「分断」を白日の下に曝したトランプ大統領
 このような、一連の事態をリベラル・左派は「分断」と称している。そして、その分断は、「右派」によって生じたものであるとしている。さらに、シャーロッツビルの事件が深刻化した原因を「白人至上主義者」に対して断固たる態度をとらないトランプ大統領に原因があるとしている。

 しかし、トランプ大統領は「極右」の存在を完全に否定しなかったことで初めて、「分断」が認知された。確かに、大統領選挙結果からも「分断」の存在は可視化されていたともいえるが、今回のシャーロッツビルの事件によって、その分断が「だれの目にも」明らかになったことは相応の意味がある。

 トランプ大統領は「暴力的な左派」の存在を事挙げすることにより、リベラル・左派の暴力行為及び「違法行為」も避難していることもマスコミの批判を浴びている。「目的のためなら『違法』な手段も正当化される」というのはリベラル・左派の「伝統芸能」であることは、ソ連などの社会主義諸国の例を引くまででもない。また、北朝鮮や中国といった現時点における社会主義国が抑圧的な体制である事も論を俟たない。

 今般のシャーロッツビルの事件においてもリベラル・左派は、トランプ大統領が白人至上主義者を批判しなかったこと及び彼らの「暴力」をこれまでにない勢いで批判している。しかし、リベラル・左派の暴力・違法行為について批判することはない 。

 これまで、欧米のリベラル・左派は我が国のそれとは異なり、二重基準と反転可能性については厳しいものだと思われてきた。しかし、今回のシャーロッツビルの事件に対する一連の反応から、少なくとも米国のリベラル・左派は我が国のそれと同様の「自分勝手なダブルスタンダード」の陥穽に嵌ったと判断せざるを得ない 。
シャーロッツビルの事件におけるリベラル・左派の行状は「しばき隊」のそれの忠実なコピーのように見える。

132キラーカーン:2017/10/15(日) 00:31:17
1.1.1.1.1. 「分断」を作り出したのはグローバル化とそれに掉さしたリベラル・左派
 マスコミの論調ではこのような分断を生じさせたのはトランプ大統領の政治姿勢であるとされている。しかし、実際には、「分断」をもたらしたのはリベラル・左派の側である。トランプ大統領派その「分断」を利用して大統領になり、かつ、その「分断」を白日の下に曝したが、「分断」そのものの「原因」ではない。

 「ラスト・ベルト」に代表されるように、トランプ氏の大統領選出馬前から、米国には、グローバル化の波に乗れず、その結果、リベラル・左派から見捨てられた「没落した中間層」が既に存在していた。リベラル・左派はそのような存在から目を背け、無視し、「存在しない」かのように振る舞っていた。それを象徴するのが、ヒラリー・クリントン元上院議員の「deplorable」という発言であった。

 このように、リベラル・左派はそのような「没落した中間層」の存在を認知しないことよって、「分断」が存在しないものとして振る舞っていた。そのような「没落した中間層」の存在を否定する限り、「没落した中間層」との間に生じた「分断」の存在も否定され続ける(相手が存在しない限り、「分断」も存在しない)。

 また、リベラル・左派は「グロール化に掉差した成功者として、合法・違法を問わず、国境を超える人々の人権を擁護する一方で、「没落した中間層」の窮状に耳を傾けることはなく、彼らの窮状を無視し続けた。

 そして、リベラル・左派が育成・培養した「分断」即ち「没落した中間層」が一定の割合を超えたとき、彼らの代表が政治の舞台へ躍り出る。その代表例が共和党ではトランプ大統領であり、民主党において、そのような「没落した中間層」の声を救い上げたのは「極左」のバーニー・サンダースであった。

 大統領となったトランプ氏は言うに及ばず、サンダース氏も、エスタブリッシュメントの代表となったリベラル・左派の代名詞的存在となったヒラリー・クリントンに一太刀浴びせ、大統領予備選でも、最後まで、ヒラリー・クリントン女史と民主党候補の座を争った。このことからも、左右問わず、このような「没落した中間層」の声が大統領選を左右するまでに大きくなっていることを可視化した。

133キラーカーン:2017/10/19(木) 23:38:24
6.3.1.3.5. 南北戦争を巡る米国の歴史認識論争、それとも、米国の「文化大革命」

 先に述べたように、シャーロッツビルの事件の発端は、同市にあるリー将軍の銅像の撤去を求める声に対する抗議集会であった。リー将軍の銅像の撤去を求める声の背景にあったには「黒人奴隷制度を維持しようとした南部連合の総司令官であるリー将軍は人種差別主義の象徴である 」というものであった。その騒ぎが大きくなり、また、シャーロッツビル以外の地においても、「奴隷制度を支持した」南軍関係の銅像の撤去や目に触れないようにするなどの措置が広まっている。

 このような状況の中で、南北戦争の「敗者」である「南側」視点の「歴史認識」は奴隷制容認の御題目の前に十把一絡げに葬り去られようとしている。また、南軍関連の銅像が毀損される だけではなく、動機は不明であるが、リンカーン大統領の銅像に火をかけられたという事件も発生している 。

 南北戦争とは関係ないが、ジョージ・ワシントンといった人物についても「当時」奴隷を保有していたことや以って銅像が撤去されるとの懸念も出始めている 。また、米大陸を「発見」したコロンブスの銅像が毀損されるという事件も発生している 。

 ここまで事態をみると、かつて我が国でも四半世紀ほど前に繰り広げられた「歴史認識論争」が米国内部で行われている(というよりも、事件の激烈さから「歴史認識闘争」という方がより実態に即しているかもしれない)。また、このリベラル・左派による見境のない行動を文化大革命に准える人も出てきている。

 この南北戦争を巡る歴史認識論争は、これまでに述べたグローバル化が原因ではなく、国内事情というローカルな要因であるというところに特色がある。この場合、南側は我が国と同じ「敗戦国型」のネトウヨ化が深化するものと考えられる。ただし、コロンブス像にまで問題が波及していることから、南北戦争を超えて「コロンブス以後」のアメリカ合衆国の歴史に波及する可能性もある。

134キラーカーン:2017/10/21(土) 00:40:21
6.3.1.4. 仏国(「マクロン旋風」と「国民戦線」)
6.3.1.4.1. 大統領選挙(「対NF(国民戦線)大同盟」?)

 フランスはシラク大統領時代に大統領の任期が7年から5年に短縮された(シラク大統領再選時の2002年の大統領選挙から適用)。この憲法改正により、米国のような同時選挙ではないが、大統領選挙と国民議会選挙が同時期に行われるようになった。このため、大統領の与党と国民議会多数派とが異なる「コアビタシオン 」が生起する確率は低くなったといわれている 。

 コアビタシオンとは。我が国では「ねじれ国会」に相当する事態である。仏国第五共和国制において、大統領と首相との役割分担に関する規定が必ずしも明確でなかったことから、コアビタシオンの場合、大統領と首相のどちらが行政府の実権を握るのかという点が議論されてきた 。これまでの実例の積み重ねから、コアビタシオンが生起した場合、大統領が外交・防衛分野を担当し、首相が内政分野を担当するのがフランス政治における憲法的習律(暗黙の了解事項≒慣習法)とされている。

 2017年の大統領選挙の事前予想では「国民戦線」のルペン党首の決選投票進出が確実視されており、第1回投票 の結果、当初の予想通り、ルペン党首と「無党派(独立系)」で立候補したマクロン氏の両名が決選投票に進出した。

 確かに、事前予想ではルペン、マクロン両氏がやや優位に立っていたとはいえ、第1回投票直前では、中道右派のフィヨン氏と左翼のメランションの2氏を加えた4氏の支持率が20%前後で拮抗していた。このため、態度未定の有権者の動向によっては、4氏全員に決選投票進出の可能性があり、決選投票進出者が誰になるか予断を許さない状況であった。左右二大勢力に加え、極右(ルペン氏)と無党派(マクロン氏)が加わった四つ巴の選挙戦は第五共和国政治史上まれに見る大混戦であったといえる。

 そのような選挙戦の中で、特筆すべき事項として、現職大統領であるオランド氏が出馬断念に追い込まれたことである。更に、オランド大統領後継氏としての大統領与党(中道左派)の候補者が上位4人に大差を開けられていた。

 このような戦況情勢はフランス政治における「リベラル」或いは「左派」の退潮を示していた。「没落した中間層」を取り込むような「反緊縮」或いは「大きな政府」路線はメランション氏のような急進左派の主張となってしまい、冷戦終結後における左派・リベラルの主流派である「グローバリズムと多様性」では、最早「没落した中間層」をはじめとする国民多数派の支持を得られないような状況になっている 。

 マクロン新大統領は新首相に保守派のフィリップ氏(共和党)を指名した。現時点でのマクロン新党(「共和国前進」)の現職議員は社会党からの鞍替組のみという左派色が強いため、フィリップ首相指名を梃子に保守派の支持を獲得したいものと見られている。

135キラーカーン:2017/10/26(木) 00:30:57
6.3.1.4.2. 「NF(国民戦線)」に次はあるのか

 2017年の大統領選挙第一回投票では上位(有力)4名が支持率20%前後で争うという混戦となり、決選投票の顔ぶれさえ予想困難であった。しかしながら決選投票進出者は、事前の世論調査で僅差ながら上位であった、独立系(右派)のマクロン氏と国民戦線のマリーヌ・ルペン氏となった。その点では、激戦だったとはいえ、世論調査通りの「順当」な結果であった。

 国民戦線は2002年の大統領選以来の決選投票進出となった。2002年の大統領選では国民戦線は決選投票でも票の上積みができず(得票率は第一回投票から微増16.86%⇒17.19%)、決選投票に進出したことに意義があるという結果でしかなかった。

 しかし、2017年の大統領選挙では得票率を1.5倍以上に増やしており(21%⇒35%)、15年前に比べて国民戦線への拒否感は薄れているとみられる。国民戦線も人種差別主義的言動が目立った初代のジャン・マリー・ルペン氏から、二代目党首のマリーヌ・ルペン女史になってから、従来の人種差別的な政策ではなく、「フランス及びフランス国民ひいては欧州民主主義を防衛するための移民制限」という欧州の価値観防衛を前面に出している効果が表れていると見られる 。

 したがって、ルペン女史が共和党及び社会党という二大勢力を破り、決選投票に進出したという選挙結果は国民戦線にとって「次の大統領選」或いは国民議会選挙につながる敗北であったとみることができる。しかし、「反NF大同盟」に対抗できる切り札がなければ、マクロン新大統領が5年間の任期で結果を出せず国民戦線以外の選択肢が無くなったとしても、決選投票で勝利するには今のままでは不可能ということも予感させる。

136キラーカーン:2017/10/28(土) 01:06:19
6.3.1.4.3. 国民議会選挙(マクロン派の地滑り的勝利)
 「独立派」或いは「無党派」であるマクロン氏が大統領に当選したことで、次の焦点は、既成政党に基盤を持たないマクロン氏が6月の国民議会選挙で多数を握ることができるか否かに移った。もし、「否」となれば、コアビタシオンとなり、マクロン氏の権限は外交・防衛を中心とした外政事項に限定され、欧州の「右傾化」或いは「ネトウヨ化」に対する第一の処方箋となる経済政策や移民政策は国民議会の多数派の信任に基礎を置く首相の手に帰することとなる 。逆にマクロン新党(「共和国前進」)が過半数を制すれば、政府及び議会の双方におけるマクロン大統領の指導的立場が明確になり、マクロン大統領の政治基盤は安定する。

 議会選挙の結果 は、マクロン氏が率いる「共和国前進」が議会の過半数を占める地滑り的勝利であった(577議席中308議席。)。これまで仏政界を牽引してきた左右両派は主役の座から降りることを余儀なくされた。特に中道左派の凋落は激しいものがあった。

 国民戦線は議席を8議席(6議席増)としたものの、選挙制度の壁に阻まれ、議席数は振るわなかった。また、第一回投票結果同士で比較しても、大統領選挙から得票数を減らしており、大統領選挙での敗北の影響があったとみられる。その一方、メランション氏が所属する「屈しないフランス」は得票数は第一回、第二回双方とも国民戦線より少なかったが、国民戦線を上回る17議席を獲得した。

 この選挙結果により、大統領選と国民議会選を近接した時期に行いコアビタシオンを回避するという制度設計が生かされた形となっている。しかし、投票率も第二回投票で43%と史上最低を記録した(前回比11%減)。この点からも、マクロン氏の政権運営には不透明さが漂う。

 仏国でも、EU離脱問題は国内経済問題或いは移民問題と密接に連動している。この状況下で、コアビタシオンとなれば、「非決定による現状維持」の可能性も無視できず、マクロン氏の経済政策(一層のグローバル化の推進)が実行されないという可能性もある。兎に角、フランスの有権者は当面の国家運営をグローバリストに近いマクロン氏に託したということである。

 また、メランション氏率いる「屈しないフランス」が国民戦線を上回る議席を獲得した。このことも、「没落した中間層」を獲得できる政策が、これまでの主流派(左右問わず)からは出てこないことを意味している。マクロン氏の政権運営が失敗すれば、ルペン氏或いはメランション氏の存在感が増すこととなる。そうなれば、ルペン氏にせよメランション氏にせよ、これまでのグローバリズム的路線は転換を余儀なくされる。

137キラーカーン:2017/10/30(月) 01:30:14
6.3.1.4.4. マクロン大統領の失速
 これまで述べてきたように、大統領選挙に続き、国民議会選挙でもマクロン大統領が勝利した。このことにより、「コアビタシオン」の心配のないマクロン大統領の政権基盤は盤石なものとなったかのように見えた。しかし、就任後程なくしてマクロン大統領の支持率が急落している 。この支持率急落は前任のオランド大統領を上回るものと言われ、この趨勢が続けば、オランド前大統領のように、大統領の再選が望むべくもない情勢となる可能性も否定できなくなってきた。

 その場合、フランス国民の受け皿となるのは、「極右」の国民戦線とルペン党首か、「極左」メランション氏か。いずれにしても、
 これまでのような「中道」路線は否定される。
とは言っても、マクロン大統領には5年近い時間がある。言い換えれば、巻き返すだけの時間は残されている。また、マクロン大統領の人気が失速したことで、一敗地に塗れた中道右派の巻き返しのチャンスが巡ってきたともいえる。「マクロン一強」構造が崩壊の兆しを見せていることで、フランス政治の行方も予断を許さない状況となりつつある。

138キラーカーン:2017/11/05(日) 00:33:25
6.3.1.5. 独国(メルケル政権と「ドイツのための選択肢(AfD)」)
6.3.1.5.1. 総説
 メルケル政権はG7諸国の中で抜群の安定度を保ってきた。現在では、G7首脳の中で最先任となっている。また、2013年の連邦議会 総選挙 では、メルケル首相の出身政党であるキリスト教民主勢力(CDU/CSU) が約20年振りの得票率40%超えを達成し、議席占有率も1957年選挙に次ぐ2番目に高いものであった。

 2017年に国民議会の総選挙が行われ、キリスト教民主勢力(CDU/CSU)が引き続き第一党となった。与党の勝利は選挙前から有力視されていたため、その意味では予想通りであるが、選挙前には大連立を組んでいたしかし、他国と比べての保守政党が強いといわれるドイツにおいても反EU及び反移民を掲げる「ドイツのための選択肢(AfD;Alternativ Fűr Deutschland:英語ではAlternative for Germany)」という「極右」政党の台頭が著しい。AfDは2016年に行われた3つの州議会選挙(バーデン=ビュルテンベルク、ラインランド=プファルツ、ザクセン=アンハルトの各州)で5%阻止条項 を突破し、州議会での議席を確保した。

139キラーカーン:2017/11/08(水) 00:39:00
6.3.1.5.2. 堅調な与党(CDU/CSU)と極右政党(AfD)
 2016年に行われた地方選挙では与党第一党のCDU/CSUが堅調であり、地方選挙でも第一党の座を維持した。また、特筆すべき事項として、中央政界では二大政党の間でキャスティング・ヴォートを握り、長らく連立与党の座を維持してきたが2013年の総選挙で得票率が5%に達しなかったため、議席を失った自由民主党(FDP:Freie Demoktatische Partei、英語ではFree Democrat Party)も、一時期の低迷を脱し、連立与党として返り咲いた。

 緑の党は、環境保護を基本とした政党であり、基本的には左派政党と位置付けられている(これは他国でも同様)。しかし、同党の支持者層は、1980年代後半以降、所謂「ブルジョワ層」が主体となっている。その点では「富裕層が『リベラル』を訴える」という「リベラルのセレブ化」(というよりも「セレブのリベラル化」という表現がより適切か)という傾向はドイツにおいても妥当するといえよう。

 この結果、CDU/CSUは緑の党と支持者層が競合するという事態になり、緑の党も「敗者」である疲弊した中間層の声を救い上げる存在とはなっていない。

140キラーカーン:2017/11/12(日) 00:40:36
6.3.1.5.3. 極右政党(AfD)
 AfDは元来、EU離脱と移民反対という政策を掲げており、「国境」にこだわる政党であった。したがって、元来、AfDは反グローバル化を訴える政党ではあるが、経済主導型ではなく、「ドイツ」の維持というアイデンティティー主導型である。この点でAfD日本のネトウヨと共通している。そのため、発足当初のAfDは「没落した中間層」の支持を必ずしも期待しない政党ではあったことを意味している 。このため、本稿では、AfDを「欧米型ネトウヨ」ではなく「ドイツ側ネトウヨ」として独立した類型を設けた理由でもある。

 しかし、AfDは反グローバル化を主張していく中で、「没落した中間層」からの支持が高まり。政党としても彼らの支持を期待するようになる。この結果、AfDは失業率の高い旧東ドイツ地域で支持率が高い 。この点からも、他国と同様に国内の失業と「極右」政党の伸長との間に正の相関関係がみられる。全国レベルでも、連邦議会での議席獲得に必要な支持率である5%を世論調査でも一貫して超えており、2017年の総選挙での議席獲得が確実視されている。

しかし、AfDも2017年4月の党大会で、
①ペトリ党首が連邦議会への立候補辞退を辞退(党首辞任)
②穏健派(現実派)と原理派との路線対立
が明らかとなり、また、世論調査での低迷している(一時期は支持率が10%超であった)こともあり、一時期ほどの勢いは感じられない。

また、AfDの政策で特筆すべき部分として
①現在の歴史教育が『ナチス期に偏重』
②ドイツ史の肯定的部分への視野拡大
を要求しており 、日本における「つくる会」の「自由主義史観」に類似する部分もある。この点は、第二次世界大戦における敗戦国である日本とドイツとの共通点であるともいえる 。


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