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日本茶掲示板同窓会

88キラーカーン:2017/07/10(月) 00:52:18
6.2.2.4.3. 総選挙での自民党の勝利(政権奪回)と安倍氏総理返り咲き
 安倍氏の総裁返り咲き当時、衆議院議員の任期は残り一年を切っており、近々に、政権選択選挙となる衆議院総選挙が行われることとなっていた。民主党政権は、支持率が低迷し、政権発足直後の勢いがなかった。したがって、衆議院の任期が残り1年を切ったこの時期で自民党総裁に選出されれば、遠からず行われる総選挙において衆議院第一党の座の奪回し、首相の印綬を帯びる可能性が少なくなかった。

 2012年12月に行われた総選挙で、当初の予想通り、自民党は過半数を制し3年ぶりに政権に返り咲いた。そして、自民党総裁の安倍氏は首相に指名され第二次安倍内閣が発足した。安倍氏は、日本国憲法下で総理に返り咲いた初の人物となり、日本国憲法施行前の「戦後」を含めても吉田茂 氏以来の総理返り咲きとなった。
戦前で首相に返り咲いたのは、伊藤博文、山縣有朋、松方正義、大隈重信、桂太郎、西園寺公望、山本権兵衛、若槻礼次郎及び近衛文麿の9人である。対象を組閣の大命を複数回受けた者まで広げても「鰻香内閣 」で一度は大命拝辞の憂き目にあった清浦圭吾が加わるだけである。いずれも、当時の日本政界を代表する(超)大物政治家である。

 安倍総理は、自民党内でも「右」に位置する政治家といわれているように、所謂「東京裁判史観」には批判的であり、自民党の野党時代にはそのような発言も行ってきた。安倍氏が総理に返り咲いた時点で、反安倍の左派は、「慰安婦問題の国際化」の夢再びとばかりに、安倍首相が「極右」或いは「歴史修正主義者」という国際キャンペーンをしてもらうべく、外国報道機関に対してアピールを行い、安倍首相の国際的評判を落とそうとしていた 。

 実際、安倍氏の総理返り咲き時の米国は、リベラルの民主党政権(オバマ大統領)であったこともあり、総理返り咲き直後の安倍総理に対する警戒感は強かったといわれていた。基本的にリベラルな米国マスコミもそのような論調で報道し、米国民主党政権内部でも
そのような見方が強かったとされている。

 安倍総理の「戦後レジームの見直し」という発言を捉えて、安倍総理は「歴史修正主義者」 とレッテルを張られることもある。「歴史修正主義」という語はホロコーストとの関連で注目を浴びたため、この言には親ナチという含意を帯びることとなっている。この結果、「歴史修正主義」という語は「ナチ(ス)」と同義として使われることも多く、論敵に対する「レッテル張り」として使われることが少なくない。そのため、安倍氏は、総理返り咲き当時、欧米から警戒されていたといわれている 。

 そのような中、安倍総理は長期安定政権となるとともに、着実に(特に外交分野において)実績を重ね、「戦後70年談話」、慰安婦問題の「不可逆及び完全な解決」、オバマ大統領との広島と真珠湾の相互訪問を実現させ、「戦後70年」の節目に相応しい「和解」を演出した。


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