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日本茶掲示板同窓会

92キラーカーン:2017/07/19(水) 00:39:11
6.2.3.3. 「改革派知事」への変化(田中康夫長野県知事)
 青島及び横山両知事が無残な形で知事の座から去り、「無党派知事」も政治改革のあだ花となるかと思われたが、「二元代表制」あるいは「議会とのしがらみがない」ということを活かして、首長の立場で(旧体制の代表である)議会と対立しながら地方政治を改革するという「改革派知事(首長)」 という形で無党派知事は再生を果たした。そのような議会或いは既成政党との対立姿勢を明確にした首長は田中康夫長野県知事(当時)が嚆矢とされる。

 政治家或いは政治運動家としての田中氏の出発点は神戸空港建設反対運動といわれている。その際の運動手法は政党に頼らない署名運動であり、その手法に共鳴した人々の要請を受けて、小学校から高校までを過ごした長野県知事選挙に出馬することとなった。選挙戦では、(共産党を除く)与野党相乗りの候補を破り当選したという点も、青島、横山両知事を彷彿とさせるものであった。

 知事としての田中知事の施策は
① 公共事業の削減
② 県職員(公務員)の削減と民間人の登用
③ 住民集会など「直接民主主義」的手法の採用
というものであり、これらの手法は、国政、地方政治問わず、「改革派」といわれる政党、政治家が常用する手段となっていく。

 これらの手法は、「税金の無駄遣い」や「住民の声を直接聞く」という住民の支持を得るための「定番」といってもよい政策パッケージであるため、就任当初は田中知事の支持率が高かった。そのため、議会との対立が深刻化し、知事不信任案が可決を受けての知事選挙でも当選することができ、4年後でも再選できたということも、首長の選挙は再選時(し就任4年後)が一番強いという経験則を補強する。

 しかし、個人的人気に頼る政治手法は、一歩間違うと批判を許さない独善的な政治手法へとなり民衆の支持が離れ、最終的には権力者の座から追われる事例も、古今東西少なくない。田中知事も、その例に漏れず、三選出馬時には共産党以外の政党が田中知事から離れていった。その結果、三選は果たせず、知事の座を追われることとなった。

 田中氏は、その後、長野県知事時代に立ち上げた「新党日本」代表として国政に転出した。田中氏は、既成政党には属さず、自身が設立した「個人商店」的政党である「新党日本」所属議員 として活動したということにも、「個人の人気」に頼る政治手法の限界が垣間見える。


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