[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
日本茶掲示板同窓会
90
:
キラーカーン
:2017/07/13(木) 23:26:45
6.2.3. 「無党派」から「維新」そして「都民ファースト」へ(「分断の固定化」)
6.2.3.1. 総説
地方自治体レベルでは、昭和50〜60年代(1970年代後半〜1980年代)になって首長(知事、市町村長)選挙において「与野党相乗り」 が珍しくなくなった。この結果、県知事は「(共産党を除く)オール与党」ということも珍しくなくなった。このような状況であれば、国会のように「与野党対立」という構図もなく、知事と議会が大統領制下の「分割政府」のように対立関係になることもない。その結果、自治体の政治は円滑に遂行される。
当時はオイルショック以後の「安定成長からバブル景気へ」という時期であり、また、「3割自治」といわれるように国と地方自治体との権限の差が大きかった。更には、1960年代〜70年代の「革新知事」 の時代を経て、特に都市部において、自民党の力が弱まり、所謂中道勢力(公明、民社両党)の協力を得なければ自民党と雖も知事選に勝利できないという現状もあった。
このような経済的、制度的背景から、首長と議会との対立よりも、両者の協調によるコンセンサス方式での当該自治体の利益極大化という手法が有効とされていた時代である。この結果として「与野党相乗り」が多く、その点では争点に欠け「無風」となる知事選挙が多かった 。
その中で、議会の支持を当てにせず、首長自身の個人的な人気を背景に、議会(政党)と独立した存在として知事の座を目指す動きがあった。このような背景を持つ「無党派首長」であるので、所謂「タレント候補」と親和性が高く、結果として「タレント首長(知事)」として一世を風靡したのもそのような背景を持つ者であった。
しかし、1990年代頃から、「オール与党」ではない、それどころか「オール野党」という首長が誕生するようになった。そのような首長は、自治体統治を個人的人気に頼らざるを得なくなる。そのため、議会との「対立」を演出して「反議会」という観点で住民の支持を得ようとする。その結果、大統領制における「分割政府」或いは我が国の国会における「ねじれ国会」というような「決められない政治」が出現した。
また、意図的にそのような「膠着状況」を作り出し、首長選挙を事実上の「住民投票」とすることで、その投票結果を「直近の住民の意思」として議会に押し付け、事実上、議会の意思を無視するという手法を採る首長が現れた。そのような「改革派首長」の中で、最も洗練かつ苛烈な手法を採り、「一斉の風雲児」となったのが、橋下徹元大阪府知事・大阪市長である。その系譜は小池百合子東京都知事にも引き継がれている。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板