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日本茶掲示板同窓会

81キラーカーン:2017/06/25(日) 00:56:20
6.2.2. 自民党の状況(派閥政治から総裁政治へ)
6.2.2.1. 小選挙区制導入への対応
6.2.2.1.1.  総説
 小選挙区制度の導入により、各選挙区で政党は1名しか公認を出せなくなった。立候補者数に関する法則(経験則)として名高いデュヴェルジェの法則(後述)によれば、小選挙区制では選挙区単位の(当選可能性のある有力)立候補者数は「2」に収斂する。その結果、衆議院(総)選挙においても「1対1」の対決の構造に持ち込み易くなった。したがって、「タイマン」が得意な政治家(「対決型」や「劇場型」政治家とも言われる)にとっては都合のよい選挙制度となった 。

 衆議院における小選挙区制の導入以前では、1989(平成元)年の参議院選挙 において、連合が(共産党を除く)野党間の橋渡し的な役割を担い、1人区での野党統一候補擁立(所謂「連合方式」)が実現した。この「連合方式」が功を奏し、1989年の参議院通常選挙で(改選議席は言うに及ばす)非改選を合わせた参議院全体においても自民党を過半数割れに追い込んだ。

 この時の経験により、全国的な「風」を起こすことができれば、小選挙区制(=1人区)の方が「政権交代」を起こす可能性が高いことが判明し 、「政権交代」を可能とする小選挙区制導入への追い風となっていた 。この与野党逆転の立役者となった「連合の会」は、その後「民主改革連合」と名前を変え、細川政権での与党となった 。
 小選挙区制の導入という点に着目すれば、(実態は派閥という「政党連合」であっても)単一政党である自民党に有利で(派閥単位での争いがあっても、党機関という一元的な候補者調整機関が存在している)、政党が乱立している(一元的な候補者調整機能のない)細川政権連立与党 には不利となる。

 実際、細川護熙総理(当時)が率いる日本新党であっても、自民党が下野することとなった1993年の選挙では、20%程度の得票率で当選圏内となる4〜5人区での当選が多く、中選挙区制の恩恵を受けた形となっていた。日本新党に限らず、中選挙区制で複数候補者を擁立する体力のないままでは、多数の会派による連立を強いられる非自民連立与党側に不利となる。この状況を脱却する根本的な解決策は小選挙区制を導入し、その「制度の力」を借りて非自民勢力を結集し二大政党制を確立することであった。

 宮沢内閣への不信任案採決を契機に自民党から飛び出て、その後の解散・総選挙で自民党を過半数割れに追い込み、55年体制成立後初の自民党の野党転落を実現させた最大の立役者ともいえる小沢一郎氏は、この選挙制度改革を梃子に政党再編を目論んでいたといわれている。


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