したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

法華経について

268一字三礼:2008/06/09(月) 22:16:08

つづきです。

私は厳密に言えば、どのような古い経典を調べても、歴史上の釈迦の教えというものを知ることは不可能なのではないかと思うのです。その意味から‘仏説’という言葉じたいがすでに神話なのかもしれません。
しかし、変な表現になりますが、古い経典のほうが割合として「釈迦直説度」は高いのではなかろうか、という漠然としたイメージはあります。

小部経典の一部(スッタニパータ・ダンマパダ等)→阿含経典→最初期大乗経典→五部ニカーヤ→中期大乗経典→etc.

大乗仏典には、犀角独歩さんがおっしゃるようにSFチックで荒唐無稽な場面設定がしばしば現れます。
大乗経団が存在せず、部派教徒の中で大乗経典を奉じる僧がいた、と考えますと‘仏説’と考えられていた阿含経典と明確に区別するために、大乗経典はSFのような、神話のような体裁を取ったのではないか、と考えます。

部派教団内でも大乗を学んでいたと考えられるのは、羅什がインド留学で出家修行をしていたのは小乗部派教団でした。それにもかかわらず、大乗義、特に龍樹の中観派に精通していたという例があります。

大乗経典の主張は、阿含経典の一部として纏められたものでも無く、しかも阿含経の伝統教説とアビダルマを含んだものが、なぜ「大乗経典」という新しい枠組みで製作されたのか、というのは疑問です。
つまり「大乗経典」の内容など、「論書」として纏めることも可能だったのではないか、と思うのです。

たんなる推測に過ぎませんが、大乗仏典は、阿含経及び部派教団でダブーとされていたことに踏み込むために製作されたのではないか、と漠然と考えました。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板