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法華経について
269
:
一字三礼
:2008/06/09(月) 23:20:01
顕正居士さんが、すでにご説明されておりますので、少しだけ付け加えます。
寿量仏にキリスト教の神の影響があったか否か、を考えるとき、まずキリスト教が中東を含むインド文化圏にいつ頃伝播したか、を確認する必要があります。
キリスト教伝播のルートとしては、イランの南部から入るか、アフガニスタンの西側からの経由が考えられます。
アフガニスタンの文献資料として有名なのは、やはり「スコイエン・コレクション」でしょう。このコレクションの全貌は、まだはっきり見えませんが、2世紀頃から8世紀頃までの仏教関係及びその他の古資料が残っております。
その中に、キリスト教関連の資料は見つかっておりません。
では、イラン経由はどうかということですが、私は不勉強でイランの正確な歴史を知りません。
しかし、そのとなりのサウジアラビアであれば、イスラムのコーランやハディースから少しわかります。
ムハンマドがイスラム教を起こす以前、時折、ヒラー山の洞窟で瞑想をしていたそうです。彼の瞑想という宗教行為は「シリア・キリスト教」の影響からでした。この「シリア・キリスト教」とは異端とされたネストリウス派の流れをくむものです。
ところが、7世紀前半の当時、アラブ圏で信仰されていたのは、多神教でした。ムハンマドは仕事柄、遠いシリアの宗教を知っていたのだと思われます。
後年、ムハンマドはコーランの中で、アッラーのことを「エイブラハムの神」と呼んでいます。この呼び方は旧約聖書にアッラーの源泉があるという意味だと思いますが、それと同時にアッラー信者のことを「ハニーファ」とも呼んでいます。
ハニーフとはアラブの伝統的多神教を言います。
当時のアラブ世界の多神教の影響力がわかる話があります。
ムハンマドは晩年、高弟たちからイスラム教の教えの中に「ファーティマ」の信仰ぐらいは入れてもいいのではないか、と言われました。
「ファーティマ」とは多神教の女神の名前です。高弟たちはアッラーの妹として「ファーティマ」信仰を求めたのでした。
勿論、これはムハンマドによって否定されますが、ムハンマドの娘の名前もファーティマということから、アラブには多神教がしっかり根付いていたことがわかります。
つまり、7世紀になってもアラブにはキリスト教的な一神教の影響が極めて希薄であったということでしょう。
また、キリスト教の神は、ことさら「永遠の神」という側面を強調されることはありません。それはヘレニズムの神は概して永遠不滅だからです。
1世紀後半に、地中海沿岸にキリスト教を広めようとした使徒たちが、対決を強いられた宗教は、ミトラ教でもなくゾロアスター教でもなくアスクレピオス教団でした。
ギリシア宗教を知っている方なら分かると思いますが、アスクレピオスはアポロンの息子で医神です。
ここで、キリスト教団は、病気を治すアスクレピオスを信仰する教団と、どちらの信仰が、より病気を治せるか、で対決しました。
もとより、キリスト教団もアスクレピオス教団も、病気の治し方は「悪魔払い」と「呪い」です。これは福音でも明らかなように、病気の原因は悪魔の仕業と考えていたからでした。
2〜3世紀になって、ようやくキリスト教団がアスクレピオス教団を凌駕したのですが、この地中海のキリスト教団の教えは専ら「悪魔払い」になったのは当然の成り行きでしょう。
純粋に、福音でのキリスト教の教義を考えるのであれば、「悔い改め」と「最後の審判」と「神の国の到来」です。
寿量品がキリスト教の神の影響を受けていた、と考えることは難しいのではないでしょうか。
また、寿量品が、キリスト教の中心説である「悔い改め」、「最後の審判」、「神の国の到来」、また「悪魔払い」を省いて、「永遠の神」の部分からだけ影響を受けた、ということもまた不自然に思えます。
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