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法華経について

309一字三礼:2008/06/26(木) 22:59:15

〉実には涅槃しないといっても阿羅漢がまた三界に生じることはない。以後は意生身である。

「方便品」、「授記品」等の記述からみますと、授記を得た阿羅漢の声聞たちは、菩薩のように幾度も三界に生じるように読めませんでしょうか。

声聞たちの成道を詳細する個所では、釈迦仏の八相をモデルとして記述しているので、菩薩として幾度も三界に生まれて仏に仕え、慈悲行を行なう、と考えるのが妥当だと思います。

「仏王子たらん時 国を棄て世の栄を捨てて 最末後の身に於て 出家して仏道を成ぜん 華光仏世に住する 寿十二小劫 其の国の人民衆は 寿命八小劫ならん」(舎利弗)
「最後身に於て 仏に成為ることを得ん」(迦葉)
「菩薩の道を具して最後身に於て仏に成為ることを得ん」(修菩提)
「其の最後身に 仏の智慧を得 等正覚を成じ 国土清浄にして」(摩訶迦旃延)


『維摩経』では、維摩居士が一切皆空を論拠として一生補処である弥勒菩薩を叱りますが、『法華経』での声聞授記は、大乗の‘空’に論拠を求めず、阿羅漢の四向四果という原則そのものを無視する、もしくは方便とする形でなされているのではないでしょうか。


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