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法華経について
250
:
一字三礼
:2008/06/08(日) 15:29:55
マターリさん
『法華経』を論じるというのは、大変に困難なことです。その理由は、多くの予備的な知識を必要とするからです。
松山俊太郎師という梵文法華経研究者が言っております。
「『法華経』を語るには、経典の文々句々を自家薬籠中の物として自在に引き出せることが最低条件である。すべての内容に通じていなければ、重要でない一偈を重要であると勘違いしたり、重要な一句を見落としたりするからだ。だから私には『法華経』を語る資格がない。」
本当は、松山先生は、語る資格がないどころか、‘出来が悪い’と言いながら「大正大蔵経」を読破され、現在はパーリ仏典の精査の結果、「クッダカ・ニカーヤ」の一経典に『法華経』に独特の用語の使用がみられるとのご指摘をされております。
つまり、『法華経』の成立過程を探るにも、思想的源泉を考えるにも、最低限、『法華経』で使われる用語の基となった部派(特に中央有部)の教説の基本を知っている必要があり、同時に、『法華経』と同時代に成立したとされる、『八千頌般若経』、『金剛般若経』、『維摩経』、『十地経』、『首楞厳三昧経』、『般舟三昧経』、『阿弥陀経』、『無量清浄平等覚経』などの大乗経典と、インド神話の内容を概要であれ把握している必要があります。
少ない資料と不十分な論考では、見当違いの結論を導き出してしまう可能性があります。
例えば、犀角独歩さんが229で示された、自我偈の有名句
羅什訳の「不自惜身命」
ケルン・南条本岩本訳の「愛欲を離れた者」
この部分の比較で、「ここの部分はさした出入りがなかったと仮定すると」という前提で羅什の意訳を示唆されましたが、マターリさんはそれを237で、
〉この言葉が、不自惜身命になったとは、驚きました。鳩摩羅什が思想家であり、法華経を意訳したと、おっしゃっていた訳が良くわかりました。
と‘羅什の意訳’と早合点されておりますね。
この句は、ケルン・南条本、ダット本、ヴァイディヤ本では、「愛欲を離れる(棄てる)」となっていますが、ギルギット本の一種とチベット訳、フランス国立図書館所蔵本、それと写真集のいくつかでは、「身体をも惜しまず」となっております。
「愛欲を離れる(棄てる)」と「身体をも惜しまず」で、相半ばしているので、テキスト自体、かなり初期の段階で二種類あった可能性があります。しかし、最古の写本訳の護訳では「将に身体を棄つ」とあり、系統の違う什訳と同様の記述をしていることから考えれば、「身体をも惜しまず」という方がインド系・中央アジア系両テキストの古形を残している可能性が高いと言えます。
結論を急ぐ必要はありません。
じっくり経典と論書、叙事詩に取り組まれて、疑問が出てきたらこちらに投稿されている碩学たちに質問してみるとよいのではないでしょうか。
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