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法華経について

263犀角独歩:2008/06/08(日) 23:14:45

―262からつづく―

松山師は、三学無縁さんから紹介していただき、その後、一字三礼さんにわたしが紹介したわけです。その後、わたしは母の逝去もあり、勉強会に顔を出せなくなりました。いずれにしても共通のわたしども共通の恩人であることは間違いありません。先に松山師の話を一字三礼さんは挙げられましたが、「法華経は創作だ」と福神の勉強会で小松邦彰師や、島田裕巳師を含めた諸師の前で論を語ったのは、わたしというより、むしろ、この松山師でした。法華経を文学作品であり、その筋で読めと勧めたのも松山師でした。この筋は、このスレッドが立った2002年以来のことで、特に波風もなかったので、そのまま使用してきたというのが経緯です。


なぜ、こうしたことをくどくど書くかというと、取り敢えず、部派教学を踏襲している部分は教学の部分ですが、その他のお話の部分は、その教学を基礎につくられた物語であれば、これをどう表現すればよいのか、語彙の取り決めを行いたいからです。わたし個人としては、それが創作でも、制作(製作)、形成、発展、編纂、成立、どんな語彙でもいいのですが、言葉の使い方でいちいち難じられたのではやりにくくて仕様がないというのが正直な気持ちです。ですから、この際、一字三礼さんが納得のいく語彙を示してもらい、それを使おうと思ったわけです。

一字三礼さんのご指摘を受けるまでもなく、わたしはサンスクリット語を含めて、特に経典をそれほど、読み込んでいるわけではないのは事実です。しかし、それも時に利点もあり、故に法華経を素直に文芸作品として読むという、人生50年のなかではじめて、いわばアクロバットのようなことができたわけです。それまでは、なにせ、法華経に背けば地獄に堕ちると思っていたわけですから、この心境の変化は、まあ、一般の方には想像もつかないところでしょう。

正直に記せば、物を食うのに、その成分分析をしないと本当のことはわからないといった主張に一字三礼さんの話は聞こえます。しかし、食ってうまいかどうかが、わたしには大事なわけです。

素晴らしい名画、素晴らしい映画や小説、見て感動できることがまず第一で、いや、それらがつくられた背景、使われた大道具やら何やら、取り敢えず、干渉の段階では、どうでもいいという感覚もあります。

すくなくとも、多宝塔や、地涌菩薩といったSF紛いの物語を、では、創作という以外、どんな言い方があるのか、この点は、一字三礼さんの答えを待って、また、記そうと思っています。

偶ロム偶ログさんをはじめ、皆さんのお知恵も拝借したくお願いしておきます。


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