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創価学会の功罪を考える

1管理者:2002/03/08(金) 17:18

ここから、このスレッドの過去レスを見る事が出来ます。

http://kamakura.cool.ne.jp/gomoyama/keijiban/kouzai.htm


板東様、アネモネ様、いちりん様から、スレッドテーマの提案が有りました。突っ込んだ議論をよろしくお願い致します。

提案文は以下の通りです。

名前: 板東 投稿日: 2002/02/10(日) 21:25

要するに公明党が政権与党になっている点,マスコミを抑えてしまった点,有り余る財産で銀行を掌握してしまった点,また,金にモノを言わせて,嫌がらせ裁判をたくさん起こして反対勢力を弾圧している点,完全に日本を支配している,これは問題ではないんですか.

名前: アネモネ 投稿日: 2002/02/10(日) 21:34

思い切って、「創価学会の功罪を考える」(仮題)といったようなスレッドを立ち上げてみてはどうでしょうか。私も、宗門サイドの半ば偏重的なアナウンスではない正しい認識として、過去も含めた事実を知っておきたいです。

名前: いちりん 投稿日: 2002/02/10(日) 22:02

「創価学会の功罪を考える」っておもしろそうですね。きっと活発な論議になるとは思いますが、たぶん荒れる可能性もありましょうね。でも、やってみないとわからないか。

640沖浦克治:2003/11/03(月) 06:58
 アナモネさん
 戸田先生が蓮祖直結であることについて、私見を述べます。
 蓮祖は750年前に立宗宣言をなさいました。
 その後、題目の流布をほぼ致され、ご本尊様の流布は後世の弟子に託されました。
 御書は、布教せよ、とのお言葉で満ち溢れております。
 しかしながら、広宣流布が可能になる社会が700年の間、訪れ無かった事も事実です。
 戸田先生は牢獄の中で自ら蓮祖の法を悟られ、『吾地涌の菩薩の棟梁なり』と宣言され、創価学会の会長に就任し、創価学会を独立した宗教団体として設立なさいました。
 不思議にも、この昭和27年は立宗700年目にあたるのです。
 もしこのとき創価学会が、日蓮正宗から独立した宗教法人と資格を修得していなかったなら、今回の破門により解散を余儀なくされたでしょう。
 戸田先生の先見の明に驚きます。
 この人が出現しなければ、日蓮正宗は潰れ、我々が仏法にめぐる合う事も無かったと思います。
 地涌の菩薩は法性の延底(誤字であればご教授ください)から出現すると説かれております。
 戸田先生の牢獄での悟りこそ、これに価すると考えております。

641沖浦克治:2003/11/03(月) 07:18
 続きです
 アネモネさん、お名前を打つ間違えた事をお詫び致します。
 蓮祖は化儀(ご指摘を頂きましたが、創価学会としてこの言葉を今後も使用いたします)の広宣流布の方程式を、自らの布教と同じ方法で行なうと予言をされました。
 『日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし、』(諸法実相抄)
  このようにご。予言です
 戸田先生のご出現とその後の行動は、まさにこのご文を身でお読みになったものでした。
 私は、蓮祖と戸田先生のご境涯は等しかったと思います。
 釈迦、蓮祖、戸田先生の悟りと行動に共通する所は、自ら悟り、その後激しく布教活動をし、難を乗り越え、法を世間に確立されたところにあります。
 戦後、新興宗教がはやりましたが、あれらは蓮祖の法とは無関係の存在です。
 蓮祖の御書を身で読まれ、化儀の広宣流布の礎を築かれた戸田先生は、文字通り、当時世界一のお人であったでしょう。
 何故ならば、この事業は蓮祖と同じご境涯に立たねば不可能に思えるからです。
 『未来も又しかるべし、』私にはこのお言葉は、もう一度自分と同じ境涯の人間が時が来れば顕れ、化儀の広宣流布をやるぞ、と読めるのです。
 私が戸田先生が蓮祖直結であり、世界一の人という理由は以上です。
 もちろん、そうは思われない人もおられます。
 故に、未来に民衆の判断に任せるべきなのです。

642犀角独歩:2003/11/03(月) 09:24

沖浦さんの錯誤について

あなたは、わたしを「境涯が低い」「程度が低い」「駄目な人間だ」と侮蔑しました。その点について、わたしはあなたに謝罪を求めます。また、愚鈍凡夫さんにも「理解力がない」、アネモネさんに「悪鬼入其心」と侮辱しました。このような一々の侮辱について、謝罪すべきです。

わたしはたしかに戸田さんを「諸悪の根元」と記した。創価学会における未来像を嫌悪するものにとって、その始まりが戸田さんであれば原因の究明からする一つの結論です。この点をわたしは改める記はありません。それは、たとえば、創価学会が、宗創決別について、その責任を顕師を特に取り沙汰して論じる在り方と一緒です。戸田さんはあなたのような人を侮蔑して止まない差別主義者を生み出したのか? そのように結論づけることが短絡であるかどうか議論は分かれるでしょう。しかし、あなたが戸田さんを礼賛すればするほど、あなたの差別主義、人権侵害は戸田さんと強く結びつく印象をロム者に与えるでしょう。

また、621のわずか2行の文章は、以下の文章を見る限り、相変わらず脱会者を「心の底から見下すこと」、制裁を加えられるのは「自業自得」という点を謝罪していません。

> 創価学会の会員に先ず詫びるべきです

冗談じゃありません。詫びるべきは創価学会であり、あなたのように脱会者を見下して止まない差別主義・人権侵害者です。詫びなさい。

> この人たちの体験談が全て事実であったなら、創価学会などすでに存在していませんよ。…辞めた人の言うことなど当てになりません。

これまた、冗談じゃありません。
創価学会とその会員が、どのようなひどい仕打ちに遭ってきたか、さらにそれを声高に言えば、ここにおけるあなたの書き込みのように、逆に「謝罪すべき」だとか「裏切り者」であるとか、「恩知らず」と罵られた挙げ句、集団になって、その脱会者の人間性をさんざんに踏みにじり、さらに、あなたが書くように、その存在を無視するという非人道的な扱いを少しも反省するところはありません。

上述の発言の撤回を求めます。

以上の、わずか二カ所の書き込みにおいても、明らかにあなたは、当板のルールに違反しています。

643犀角独歩:2003/11/03(月) 09:33

重ねて沖浦さん:

> 蓮祖と戸田先生のご境涯は等しかった

こういう発言を戸田本仏論というのです。
わたしを池田本仏論の邪義を信じたなどと愚弄したものが、戸田本仏論を書き連ねるなど笑止千万です。

ところで、「世界立戒壇」の証拠はどうしました。

644犀角独歩:2003/11/03(月) 10:11

創価学会の「戸田会長が地涌の菩薩の棟梁」公式見解

「戸田第2代会長のことを、『地涌の菩薩の棟梁』といったことがありますが、これは在家における折伏弘教のうえの指導者という意味で使ったのであり、戸田第2代会長みずからいわれた言葉でもあります。
 ただし、不本意ながら、文は意を尽くさずで、要旨としてまとめたとき、文脈上、上行菩薩の再誕即御内証久遠元初自受用報身如来の再誕・末法の御本仏日蓮大聖人に通じるかのような文体になってしまった場合もありました。したがって、今後はこうした言葉遣いについては十分注意していきたいと思います」

645犀角独歩:2003/11/03(月) 11:07

こうもありました。

「歴代会長を折伏仏教、広宣流布の指導者として尊敬し、またさまざまの指導をうけ、心からの信頼を寄せていることは、会員の自然の心情である。そのことを宣揚するあまり、あたかも大聖人と等しいがごとく受け止められる過大な言葉や表現を用いることは、厳重に慎しまなければならない」

以上の創価学会の公式見解を641は踏まえていません。
創価学会の考えとは違う個人的な個人礼賛なのでしょう。

646沖浦克治:2003/11/03(月) 14:51
 犀角独歩 さん
 先ずあなたに失礼な発言をした事をお詫びいたします。
 他の方々につきましても、この場をお借りしておわび致します。
 発言を取り消せとのお話ですが、取り消すと言えばご満足ならばそう致します。
 世界戒壇は、私がオフレコで入手した先生の発現の中にこの言葉があります。
 やがて正式に発表されるでしょう。
 あなたのご指摘の、創価学会が宗門に対して提出した、いわゆるお詫び状の文章に関しましては、すでに宗門と離別した現在では無意味なものとなっております。
 現在の創価学会に当てはめる事には、無理があるでしょう。
 無論のこと、あなたがそれを信じられる自由はおありですので、ご自由にされれば如何かと存じます。
 私は、このようなお詫びなどは、最初から問題にはしておりません。
 戸田先生が『地涌の菩薩の棟梁』とおっしゃられたのですから、素直にそれを信じるのみです。
 池田本仏論は、創価学会内で出世を願う一部の人間が、自らの保身と出世のために言い始めたことです。
 代表が福島氏でありました。
 蓮祖本仏論に対する、興師本仏論と同列でしょう。
 このような邪義にふんどうされた人々が多くいらっしゃいます。
 現在は創価学会内で、このような邪義を唱える人は、いないと思います。

647沖浦克治:2003/11/03(月) 14:56
 犀角独歩 さん
 
 私が、創価学会の公式見解に外れた意見を出してはならない理由を、お聞かせください。
 あなた方は自由な意見を出し、創価学会員は出してはならない根拠のご説明を、正式に要求いたします。

648犀角独歩:2003/11/03(月) 16:29

沖浦さん:

あなたの謝罪をお受けします。
脱会者を「心から見下す」表現をしないことは、当板のルールの遵守です。
しかし、それ以上に、わたしがあなたから見下されないことはわたし達脱会者の基本的な人権です。如何なる者にもこの権利を侵害させません。
もちろん、わたしはあなたを見下しません。平等な権利を有する同等の人間であるという立場で論じます。けれど、いまのいままで、わたし達を「見下してきた」あなたが、掲示板における表現上で、その考えを伏せることはできても、突然、同等の人間として議論できるようになるとは俄に信じがたいところがあります。
あなたは、わたし達脱会者を内心に置いても見下さず、個人の尊厳を有する同等の人間として扱えますか。お答えください。

> 私が、創価学会の公式見解に外れた意見を出してはならない理由

わたしはそのようなことは言っておりません。
ただし、あなたが「我々」という表現を多用して書き込みをする場合、その「我々」は創価学会を指すと想定できます。それなのにそれが創価学会の見解と違っているので、その点を指摘したまでです。

> あなた方…

はて、「あなた方」という複数形はどなた達を指すのでしょうか。
わたしはわたしです。そのわたしは「自由な意見を出し、創価学会員は出してはならない」などと一度も言っておりません。言っていないことの説明を要求されるのは筋違いであります。

なお、宗創離間後、わたしが提示した創価学会の公式見解は「無意味」だそうですが、それが創価学会の公式見解でしょうか。それとも沖浦さん個人の考えでしょうか。この点を明確にしてください。

もう一点、あなたは「戸田本仏論者」ですか。
戸田さんが「蓮師と同じ境涯」とはどのような意味になりますか。
また、このような考えが広宣流布していく創価学会公式の見解なのでしょうか。それとも、個人の考えですか。個人の考えである場合、創価学会とは違うあなた個人の考えを「これから」世界広布していくということでしょうか。この点が釈然としませんので、見解をご提示ください。

649沖浦克治:2003/11/03(月) 17:16
>あなたは、わたし達脱会者を内心に置いても見下さず、個人の尊厳を有する同等の人間として扱えますか。お答えください。

 見下しません。

>「我々」
 
 二つの意味がありますが、創価学会を示す時にはこれまで創価学会の名称を入れていたと思いますが、今後は必ずそう致します。
 また我々とは私の所属グループの事です。

>そのわたしは「自由な意見を出し、創価学会員は出してはならない」などと一度も言っておりません。
 
 それではこのような表現はお止め下さい『沖浦さんの錯誤について』
 あなたが絶対者であるように受け取れます。
 この場合は『私が沖浦克治さんの意見を錯誤と思う理由』等の表現を用いてください。
 あなたと私は対等の存在でしょう。
 決め付けは迷惑にすぎます。

>それが創価学会の公式見解でしょうか。それとも沖浦さん個人の考えでしょうか。この点を明確にしてください。

 私のグループの見解です。
 まもなく大半が、創価学会の見解になるでしょう。

>もう一点、あなたは「戸田本仏論者」ですか。
戸田さんが「蓮師と同じ境涯」とはどのような意味になりますか。

 末法のご本仏は蓮祖お一人です。
 この件は何度も言っております。
 同じ質問を度々繰り返される事には辟易しております。
 戸田先生は釈迦における、天台、伝教にあたります。
 今後は同様のご質問には、過去レスを読むようにとの回答を致します。

>このような考えが広宣流布していく創価学会公式の見解なのでしょうか。それとも、個人の考えですか。個人の考えである場合、創価学会とは違うあなた個人の考えを「これから」世界広布していくということでしょうか。この点が釈然としませんので、見解をご提示ください。

 私はあなたに納得してもらうために書き込んでいるのではありません。
 釈然としなければそれで結構です。
 私もあなたのご意見には全くながら釈然と致しません。
 お互いの立場を尊重してください。
 私の意見には、私は納得しあなたは納得しない。
 あなたの意見には、あなたは納得し、私は納得しない。
 これだけの話です。
 すでにこの意見は何度もかきこんでおります。 
 何度も蒸し返される事は迷惑でしかありません。
 以後はおやめください。

>はて、「あなた方」という複数形はどなた達を指すのでしょうか。

 この掲示板で、学会を批判する人たちです。 

>宗創離間後、わたしが提示した創価学会の公式見解は「無意味」だそうですが、それが創価学会の公式見解でしょうか。それとも沖浦さん個人の考えでしょうか。この点を明確にしてください。

 今更公式見解など不必要です。
 池田先生は『邪宗の宗門とわかれて本当に幸せである』と聖教新聞にてご発言です。
 今後、宗門などは相手にしないことになっているのです。
 かっての公式見解など、もはや意味をなしません。

650愚鈍凡夫:2003/11/03(月) 17:17
横レス失礼します。
これは有名な池田さんの講演ですが、

「みなさん方は広宣流布といえば、なにかお祭りのことばか、ひとつの理想と思っているのです。『一生懸命、広宣流布とは言うけれども、話だよ』と心のなかで思っている人がいるのではないかと思うのです。ということは、会長先生が、二、三年前におおせになったことがあるのですよ。『諸君らは、それを本気に思えないのだろう。絶対そうではないよ。もしか、広宣流布ができなかったら、日本は滅亡ですよ。世界の滅亡ですよ。仏さまのおおせになったことは、ウソになるよ。』と。
 仏さまは、ウソをつかないと私は信じます。また、会長先生もウソはつきません。仏さまです。きちんと21年先を目指して、そうおおせになったのだもの。先生が4年前に『もう、自分はそろそろ眠るから、青年部しっかり聞いておけよ。聞いておけよ。あと25年だよ』とおおせになったのだから。それから4年目だから、ちょうど21年です。というわけで、必ず広宣流布はできるのです。」(「会長講演集 第3巻」)

とあります。
この講演は1958(昭和33)年のものですから、21年後の1979(昭和54)年は宗門の猛反撃に耐えきれず、池田さんが会長職を辞されて北条さんが第4代会長に就任された年です。
この時の池田さんの言葉を修正すれば、

「また、会長先生もウソをつきます。仏さまではありません。きちんと21年先を目指して、ウソをおおせになったのだもの。先生が4年前に『もう、自分はそろそろ眠るから、青年部しっかり聞いておけよ。聞いておけよ。あと25年だよ』とおおせになったのだから。それから4年目だから、ちょうど21年です。というわけで、必ず広宣流布はできないのです。」

ということになるでしょうか。戸田さんの予言は外れると、池田さんが証明したようなものです。

651沖浦克治:2003/11/03(月) 17:19
 犀角独歩 さん
 
 立場が違うのですから、無理に埋める必要はありません。
 この提案は二度目です。
 埋めたければ、埋めたがっている創価学会員をお探し下さい。
 私はそのタイプではありませんので、あしからずお願いいたします。

652沖浦克治:2003/11/03(月) 17:22
  愚鈍凡夫 さん

 あなたはあなたのご意見。
 私には私の意見。

653愚鈍凡夫:2003/11/03(月) 17:33

意見ではありません。事実です。

654ガンコ:2003/11/03(月) 17:37

なんだか、ギスギスしてるなあ。みんな境涯低いんじゃないの。

655沖浦克治:2003/11/03(月) 18:08
  ガンコ さん
 
 ご指摘の通りに感じます。

656沖浦克治:2003/11/03(月) 18:10
 愚鈍凡夫 さん

意見ではありません。事実です。

 あなたには事実。 
 私にはフィクション。
 以上です

657愚鈍凡夫:2003/11/03(月) 18:16

学会の出版物でフィクションなのは「小説 人間革命」と「若き日の日記」だけではないのですか。
いい勉強になりました。

都合の悪いことはフィクションですか。なるほどね。(^O^)

658Leo:2003/11/03(月) 18:22
横レス失礼いたします。
皆様、(主に学会バリバリ系にみられる)「補強済みのドグマティズム」に反論しても不毛と思います。

(参考)
創価学会をみんなで考えよう BBS
マインドコントロールについて スレ
http://www.ne.jp/asahi/my/www/bbslog2_007.html

「「《みずからに対する批判を却下する装置》をはじめから内在させている」ような知的
体系のことを、ポパーは「補強済みのドグマティズム」と呼んでいます。」

659沖浦克治:2003/11/03(月) 18:41
 愚鈍凡夫さん
 
 いい勉強になられたとの事、幸いに存じます。
 今後の益々のご研鑚を期待いたします。

 早々

660沖浦克治:2003/11/03(月) 19:02
 犀角独歩 さん
 643でのあなたのご発言です。
>こういう発言を戸田本仏論というのです。
わたしを池田本仏論の邪義を信じたなどと愚弄したものが、戸田本仏論を書き連ねるなど笑止千万です。

 『笑止千万』
 このご発言は私を侮辱しております。
 謝罪を要求するとともに、今後はこのようなご発言をお慎みになられる事をお約束ください。
 またあなたのご意見は矛盾があります。
 あなたは過去に池田本仏論『蓮祖の再誕』を沖浦克治信じておられた旨告白されておられます。
 これはあなたがご自分のご判断で述べれておリ、発言には責任を持ちになるべきです。
 なお、池田本仏論は邪義でしかありません。
 もし池田本仏論が正しいと言われるのであれば、根拠をお示しください。
 また、私は戸田本仏論などには無関係の人間です。
 勝手なレッテルを貼られる事は、非常に迷惑です。
 今後はあなたの思い込みを私に押し付ける事はお辞めください。
 あなたのこれらの書き込みはこの掲示板のあり方に明らかに違反しております。

 ②感情的表現を避け、できるだけ冷静に話し合ってください。 
 ③掲示板参加者に対する、一方的な個人攻撃は慎んでください。

 
【禁止事項】

1「非礼・無礼、人権侵害、言葉の暴力」等の侮辱表現、侮辱発言は、理由の如何を問わず堅く禁止します

661沖浦克治:2003/11/03(月) 19:05
 お詫び
 の中に私の氏名が無関係に入ってしまいました。
 読みとばしてください。

662愚鈍凡夫:2003/11/03(月) 19:07
沖浦克治さんへ

> 学会の出版物でフィクションなのは「小説 人間革命」と「若き日の日記」だけではないのですか。

勉強ついでに、学会の出版物でフィクションの書籍名を御教示下さいませんか。
まさか、小生の発言から都合のいい部分だけの切り文ですか?
まるで沖浦克治さんの切り文勝手解釈教学みたいですが、まさか違いますよね。

663沖浦克治:2003/11/03(月) 19:15
 愚鈍凡夫 さん

>勉強ついでに、学会の出版物でフィクションの書籍名を御教示下さいませんか。

 私は御書、聖教新聞、大白蓮華のみを読んでいます。
 他の出版物には知識がありません。
 他の学会員にお訊ねすることを勧めます。

>まるで沖浦克治さんの切り文勝手解釈教学みたいですが、まさか違いますよね。

 このご発言は私を侮辱しています。
 謝罪と同時に、今後掲示板の趣旨を尊重し、同種の発言を慎むことをお約束ください。

664愚鈍凡夫:2003/11/03(月) 19:32
> >まるで沖浦克治さんの切り文勝手解釈教学みたいですが、まさか違いますよね。
>
> このご発言は私を侮辱しています。
> 謝罪と同時に、今後掲示板の趣旨を尊重し、同種の発言を慎むことをお約束ください。

そうですか。あなたはよく「意見」という言葉を使うじゃないですか。
「意見」というのは、あなた自身の「己義」でしょう。あなただけの解釈じゃありませんか。
勿論、あなたの解釈が論証されれば「切り文勝手解釈教学」なんて言葉は使いませんよ。
あなたが、あなたの理論を論証された時、潔く謝罪いたします。

665沖浦克治:2003/11/03(月) 20:03
 愚鈍凡夫 さん

 今後お互いの書き込みに干渉しないようにしましょう。

666ガンコ:2003/11/03(月) 20:13

ダメだこりゃ(いかりや長介風)

667アネモネ:2003/11/03(月) 20:36
沖浦活治さん

沖浦さんは何か言葉の行き過ぎを一度は謝罪されたようですが…しかし、心の底から見下しているというその内心については、どうなのでしょう。内心は自由ですから、見下す気持ちというものもまた、それは自由だと思います。恐らく、創価学会の仏法に照らして、心の底から私どもを見下しているというお気持ちは、偽らざる沖浦さんの内心の思いではないのでしょうか。
そのような内心は、他人がどんなにとやかくいって謝罪を求めたところで、変るものではないですね。
それが、沖浦さんのもつ人間性の一端なのだというだけのことだと思います。
そのような人間性が、そのまま創価学会員の姿を示すものなのかどうかは、今の私には判断できません。創価学会を実体験でご存知の方々には、よくおわかりになっていらっしゃるものだと思います。

ですから、私のことに関しても、沖浦さんから見れば、侮辱しているつもりでもなんでもなく、本当に「悪鬼入其心」に見えておられ、それを、正直にそのように見えるままを書かれたのだと思います。
そのことについては、私はさして何とも思っておりませんし、傷いてもおりません。腹も立ってはおりませんから、私に対して謝罪をする必要はないです。

まあ、立場が違えば、尺度も価値判断も違い、そうすると見えている世界も全て違ってくるのだろうと思っております。そうしたことで、自ずと、目指す人間性も精神性もまた大きく違ってくるのだということを、この度、大きく学ばせて頂きました。

668アネモネ:2003/11/03(月) 20:36
(つづき)
まあ、それはともかくとして、結局、沖浦さんは、謝罪の言葉は記されてはおりますが、本質的な問題は何も解決されていないと思うんですね。

>立場が違うのですから、無理に埋める必要はありません。
 この提案は二度目です。
 埋めたければ、埋めたがっている創価学会員をお探し下さい。
 私はそのタイプではありませんので、あしからずお願いいたします。

>あなたはあなたのご意見。
 私には私の意見。

>今後お互いの書き込みに干渉しないようにしましょう。

沖浦さんは、参加当初から、独歩さんにしろ、愚鈍凡夫さんにしろ、その他の方々にしろ、ことごとく対話を拒絶されました。「あなたには無理です」「お止めなさい」などなどの言葉でもって返信レスを封じてきたわけですが、恐らくそのお気持ちは、見下す内心のお気持ちと同様、今も変りはないのでしょう。上のレスがその証拠ですね。

結局、根本的に対話を拒絶されているのですから、どうしたって議論にはならないわけです。私は、最もそこが問題だと思うんですね。
要するに沖浦さんは、最初から議論や対話を目的とした参加でないばかりか、この掲示板の趣旨そのものからして否定していらっしゃるわけです。
そういうことであるならば、私としてはこれ以上の参加を見合わせて頂きたいと思うのです。本来的な議論の妨げになるばかりです。

このスレッドにしても、功罪の意味もはきちがえられ、そのことを指摘しても、まったく理解する姿勢もないばかりか、かえって自分の勝手な主張の理解ばかりを求められる始末。相互理解の気持ちは根本的にないわけですから、これではこれまでの議論の秩序を乱されるばかりです。
何度も申し上げたように、ここは立場の違いを超えた議論を目的としており、立場の違いを埋めたくはないと主張され、さらには参加者を内心で見下し議論を拒絶するということであるならば、完全に掲示板の趣旨にそぐわないと判断されるものではないかと思います。

669背景探求123:2003/11/03(月) 20:40
失礼、、、沖浦さん、貴方グループ?、はこれからの創価学会の流れ?指標?にも成る、と断言されましたが、音楽芸能関連者にしましては、よほどの御自信です。 まるで、こんごの創価学会は、我がグループの双肩に有る?ような確信?はいったいどこから由来するのでしょう、? 今のの流れを、乗り越えるということは?  現学会を否定?なさるのでしょうか? 因みに茨城県の一学会員ですが、。

670アネモネ:2003/11/03(月) 21:27
沖浦克治さんの、お名前を間違えて投稿いたしました。
失礼いたしました。
お詫び申し上げます。

671沖浦克治:2003/11/03(月) 21:53
 背景探求123さん
 
 私の所属する私的なグループです。
 これまでそうでしたから、今後もそうだと思うだけです。
 音楽芸能関係に自信があるトン発言歯しておりません。
 別に輪がグループの双肩にあるとは思いません。 
 今の流れを乗り越えるとの発言は一度もしておりません。
 現学会を否定してはおりません。
 以上です。

672沖浦克治:2003/11/03(月) 22:14
 アネモネさん
>、心の底から私どもを見下しているというお気持ちは、偽らざる沖浦さんの内心の思いではないのでしょうか。

 私はあなたを見下してはおりません。

>そのような人間性が、そのまま創価学会員の姿を示すものなのかどうかは、今の私には判断できません。創価学会を実体験でご存知の方々には、よくおわかりになっていらっしゃるものだと思います。

 私は人間性において、皆様方に劣るとは思いません。 

>ですから、私のことに関しても、沖浦さんから見れば、侮辱しているつもりでもなんでもなく、本当に「悪鬼入其心」に見えておられ、それを、正直にそのように見えるままを書かれたのだと思います。

 仰せの通りです。
 『依法不依人の経文毀謗此経の文をば如何に恐れさせ給はざるや、悪鬼入其身して無明の悪酒に酔ひ沈み給うらん。』(教行証御書)
 蓮祖門下として、御書を引用したまでです。
 あなたに対する軽蔑の心などはございません。

>まあ、それはともかくとして、結局、沖浦さんは、謝罪の言葉は記されてはおりますが、本質的な問題は何も解決されていないと思うんですね。

 無理な事をいわれてもも困ります。
 私は心の底から創価学会員です。
 お辞めになられた方と合意するには、私が創価学会を辞めるか、お辞めになられた方が創価学会に戻るかのどちらかしかありえないと思います。
 お互いにそれは無理だと思います。

>沖浦さんは、参加当初から、独歩さんにしろ、愚鈍凡夫さんにしろ、その他の方々にしろ、ことごとく対話を拒絶されました。

 対話の拒否ではありません。
 信じるものが全く対立しているのです。
 双方に責任が同じだけあるでしょう。 
 私だけの責任追及は不公平です。
 あなたにしても、私にはしばしば勝手な決め付けをされています。

673沖浦克治:2003/11/03(月) 22:28
 続きです
>要するに沖浦さんは、最初から議論や対話を目的とした参加でないばかりか、この掲示板の趣旨そのものからして否定していらっしゃるわけです。

 否定などしておりません。
 然しながら、創価学会の功罪を考える、とのスレッドをあなたは立てたのです。
 このスレッドに、創価学会の罪の側面ばかりを唱える人ばかりが集まり、創価学会サイドの意見が見られないのどうした事でしょう。
 あなたには、スレッド提案者の一人としてこの現象に責任があると思います。
 私たち創価学会員の参加を拒否されるのであれば、最初からこのようなスレッドを立てるべきではありません。
 一旦始めたからには、途中で投げ出ような行為はおやめくだいませ。
 創価学会には800万人もの会員がいるのです。
 非常に自由な団体ですので、多くの異なった意見をもったメンバーが存在します。
 この人たちに参加を促し、参加を容易にする事が発起人としてのあなたの役目ではないのですか。
 少し気に入らなければ、書き込まないで下さい、などということは言論人としての敗北ではないでしょうか。
 『私はあなたの意見には絶対に反対である、しかしあなたが意見を述べる権利は死守する』
 これが言論人の態度であるべきです。

674沖浦克治:2003/11/03(月) 22:42
 続きです
>このスレッドにしても、功罪の意味もはきちがえられ、そのことを指摘しても、まったく理解する姿勢もないばかりか、かえって自分の勝手な主張の理解ばかりを求められる始末。相互理解の気持ちは根本的にないわけですから、これではこれまでの議論の秩序を乱されるばかりです

 私は体験を通じて、創価学会の『功』を述べようとしております。
 然しながら、次から次へとご質問を頂きますので、思うに任せません。
 とりあえず体験を書き終えるまでの間、少しご質問をお控えいただきたいのです。
 その後、ガンコさんに申しあげましたように、私に対する真面目なご質問には誠意を持ってお答えをいたします。
 但し、ご質問の内容に揶揄が含まれていれば、この限りではありません。
 たとえば切り文云々等は、御書を全編引用する事は煩雑すぎますので、お相手は出来かねます。
 私に対話を勧めながら、あなたは私の質問を無視されたままです。
 先ずお答えになられるのが筋かと存じます。
 このスレッドのレス人口に対する、おそらく数十倍の読者の皆様方為にも、宜しくお願をいたします。

675背景探求123:2003/11/03(月) 23:11
失礼、沖浦さん、、貴グループの考え方のような?集団?が今後の創価学会の新しい?流れ?になる!!と確かに断言されておりましたが?? これは願望的な希望的な個人的見解なのでしょうか、? しからば、それに至ったのはナニユエでしょうか? 現創価学会の運営に御不満か御要望がお有りでしょうか、>?

676沖浦克治:2003/11/03(月) 23:37
 背景探求123さん
 私たちは昭和54年、宗門に創価学会が破れ、宗門が組織を席巻した時、これに反対して劇団公演を致しました。
 創業400年の老舗の羊羹メーカーと、近年代理店となり凄まじい売る上げをあげている会社との物語です。
 メーカーは代理店の売り上げの利益が欲しくなり、厳しい要求を代理店に突きつけます。
 代理店側は顧客や小売り店に迷惑をかけれらないため、要求をのみます。
 メーカーは調子に乗り、更に厳しい要求を次々に突きつけます。
 たまりかねた代理店側は、メーカーに抗議をします。
 するとメーカーは羊羹の供給をストップしてしまいます。
 代理店は必死で努力を重ね、自力で羊羹を作り販売し大当たりをします。
 メーカーへの上納金が無くなり、其の上メーカーの時代遅れの干渉から逃れたお蔭で、自由な販売活動が可能となったことが、大成功の原因でした。
 メーカは、やがてなきついてくるとの思惑が外れ、大慌てで販売活動に乗り出しますが、全く売れません。
 消費者の気持にに疎く、押し付けで販売を行い顰蹙を買ったのです。
 最後に力尽きたメーカーの法主(社長)がポツリとつぶやくところで幕となります。
 『あいつら、こんなもんよううっとたなー!!』
 満員のホールが拍手でゆれました。
 ご理解ください。

677Jルーカス:2003/11/03(月) 23:38
 昭和20年代の聖教新聞には「無間地獄の大罪、猊座誹謗、破法邪信の徒○田○三」と大見出しをつけて当時の御隠尊堀上人を誹謗したとキャンペーンをしている。
雪山荘に出入りしていた当時の学会員○田○三(故人)が、堀上人と法義上のことから昵懇とされていたが、それを「狂犬忠公」と蔑んでいる。文中には「雪山荘に家族と共にお世話になるという大恩を受けておりながら終いに自分の信心に思い上がって堀上人を御批判申し上げる程の大増上慢になったのである」と書かれている。別の聖教では「狂犬 茅ヶ崎に現る。○田○三にかみつかれるな!!」という見出しと共に激烈な文章が踊っている。
この時の「無間地獄の大罪、猊座誹謗」はどういう解釈でそれに当たるのであろうか?
しかも彼はその後、堀上人の元を追われ、流浪の上で正宗の某寺院に最終的にお世話になっている。それに対してもずいぶんな嫌がらせがあったが、その御僧侶は敢然と彼を守られている。

少し下って同じ学会員が、組織のあり方に疑問を呈し、結果除名となって「顕徳会」という組織を構成。独自の折伏を展開して会員を増やしていたが、やはり「顕徳会」への引き抜きや嫌がらせで正宗寺院への参詣を邪魔するという暴挙にでている。御本尊下附がかなわないため方々の寺院を尋ねるが嫌がらせがすさまじく結果引き取られたのが、中野歓喜寮の堀米御尊師(後の日淳上人)である。帰属したものの最終的には引き抜き、嫌がらせ等に屈して自然解散になってしまった。この時も「一般の信徒としては御法主上人に随順し奉ることによって」という御都合文が会内を横行した。

678背景探求123:2003/11/04(火) 00:11
676の沖浦さん、、そうでしたか、、、御深心からの御発言、、、一応は真摯に受け止めたい、と存じます、、。

679MILD SEVEN:2003/11/04(火) 01:11
(私のBBS)

キリスト者の人生は仮免許

私が受洗したのは、成人してさらに学びの後の事。
洗礼を受けた後は確かに変わりました。
でもこれは単なるスタートにすぎません。

この世の「支配者・サタン」に負けない者になる為には、生きたキリスト者になる事が必要です。
私はそう思います。
これは主がお決めになる事です。
受洗後の、個人の努力も関係すると思います。
私たちは主の導きにより、聖書から学び、聖書と共に生きています。

それでも、やはり主がお決めになる事です。
これが第二ステップ。
証しで判断出来ると思います。
証しにもいろいろあります。

イエス様の宣教命令をどの様に受け止めるかは、個々の徳(自主性)の問題だと思います。
(・・・・・・自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。)「 マルコ8章ー34節」
・・・更なる証し・・・更なる賜物・・・更なる証し・・・。
継続は力。とはこの様な事だと思います。

その後は、証し人としてこの世に強く楔を打ち込む為の人生・バトンリレーだと思います。
また、<なんでもあり>とは何か?
それは、本人が会得して行く問題だとも思います。
私はそう感じます。

イエス様の教えの本質を知る事が許された者は幸いです。
私はそう思います。

http://8022.teacup.com/momo7/bbs

680MILD SEVEN:2003/11/04(火) 01:11
(私のBBS)

キリスト者の人生は仮免許

私が受洗したのは、成人してさらに学びの後の事。
洗礼を受けた後は確かに変わりました。
でもこれは単なるスタートにすぎません。

この世の「支配者・サタン」に負けない者になる為には、生きたキリスト者になる事が必要です。
私はそう思います。
これは主がお決めになる事です。
受洗後の、個人の努力も関係すると思います。
私たちは主の導きにより、聖書から学び、聖書と共に生きています。

それでも、やはり主がお決めになる事です。
これが第二ステップ。
証しで判断出来ると思います。
証しにもいろいろあります。

イエス様の宣教命令をどの様に受け止めるかは、個々の徳(自主性)の問題だと思います。
(・・・・・・自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。)「 マルコ8章ー34節」
・・・更なる証し・・・更なる賜物・・・更なる証し・・・。
継続は力。とはこの様な事だと思います。

その後は、証し人としてこの世に強く楔を打ち込む為の人生・バトンリレーだと思います。
また、<なんでもあり>とは何か?
それは、本人が会得して行く問題だとも思います。
私はそう感じます。

イエス様の教えの本質を知る事が許された者は幸いです。
私はそう思います。

http://8022.teacup.com/momo7/bbs

681MILD SEVEN:2003/11/04(火) 01:16
池田創価王国に反対!

<<<世界中のキリスト教と普通の仏教界は池田創価に絶対反対!>>>

この運動は広がってます。

正統派 対 カルト の陣営に分かれます。

自由陣営 対 独裁体制陣営(北朝鮮や池田創価やオウム等)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

創価学会員の中には内部改善を望む者もいるでしょう。
潜在的に少なからぬ・・・。
しかし、池田創価の洗脳で理解力低下した多くの池田狂信者連中を恐れて表に出て来ない。
現実は厳しい。
今の段階では・・・。

http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=kokoroqq
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

682MILD SEVEN:2003/11/04(火) 01:16
池田創価王国に反対!

<<<世界中のキリスト教と普通の仏教界は池田創価に絶対反対!>>>

この運動は広がってます。

正統派 対 カルト の陣営に分かれます。

自由陣営 対 独裁体制陣営(北朝鮮や池田創価やオウム等)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

創価学会員の中には内部改善を望む者もいるでしょう。
潜在的に少なからぬ・・・。
しかし、池田創価の洗脳で理解力低下した多くの池田狂信者連中を恐れて表に出て来ない。
現実は厳しい。
今の段階では・・・。

http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=kokoroqq
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

683アネモネ:2003/11/04(火) 01:47
沖浦克治さん

>このスレッドに、創価学会の罪の側面ばかりを唱える人ばかりが集まり、創価学会サイドの意見が見られないのどうした事でしょう。

それだけ創価学会被害が多く、深刻であり、社会問題であるということでしょうね。
さらにもっといえば、ここに連ねられているような罪過に、現役学会員が平然と目を背けていられるとすれば、その神経そのものが問題だと思います。

>あなたには、スレッド提案者の一人としてこの現象に責任があると思います。

仰るとおりです。掲示板がこのように荒れてしまった責任を痛感しております。

>私たち創価学会員の参加を拒否されるのであれば、最初からこのようなスレッドを立てるべきではありません。

いちいち、あなたに口出しされることではありません。それよりは、言葉の定義くらいしっかり踏まえてください。
この掲示板は、創価学会員の参加を拒否しているものではありません。この掲示板の趣旨をご理解くださっている何人かの方が参加されていらっしゃるのも事実でしょう。

>私は体験を通じて、創価学会の『功』を述べようとしております。

個人的体験というのは、功罪の「功績」の意味からいってあまり参考にならないんです。投稿するなといいませんが。
本当は、創価学会は社会的存在の宗教組織ですから、学会が社会に向けてどのような功績を残してきているのか、本当はそれを論じて頂きたいのです。
罪過について、個人的なことが書かれているだろうといったことが書かれてありましたが、これは個人的な内容のように見えますが、創価学会を辞めた人に対して現役学会員がどういう行動を起すのかという点における社会的問題からいって、その内容は決して不適切な話ではないと思います。
あくまで、社会的視野に立って、できれば主観ではなくて、客観で語ってほしいのです。

>一旦始めたからには、途中で投げ出ような行為はおやめくだいませ。

そんなことは、あなたに言われることではありません。私の意向はともかくとしても、最終的に、スレッドを閉鎖するもしないも、その判断は管理人に委ねられます。

>この人たちに参加を促し、参加を容易にする事が発起人としてのあなたの役目ではないのですか。

私は発起人ではありません。昔からの常連です。
ですから、沖浦さんの参加についての私の意向は投稿しましたが、それがそのまま通るとは限りません。

>少し気に入らなければ、書き込まないで下さい、などということは言論人としての敗北ではないでしょうか。

言論人として何が勝負であるかは、あなたの尺度と私のそれとは全く違います。
そして、沖浦さんがスレッドの意図するところをはきちがえたまま、レスを続けられる点、言論人として、とても気に入らないのは事実です。
功罪の功とは、功績の功であって、個人の受けたご利益といった主観的な話ではありません。できれば言葉の定義をしっかり把握したうえで、投稿をして頂きたいと思っております。

684アネモネ:2003/11/04(火) 01:48
(つづき)
>『私はあなたの意見には絶対に反対である、しかしあなたが意見を述べる権利は死守する』
 これが言論人の態度であるべきです。

その前提があります。掲示板のルールにのっとるということです。
そのルールの中には、趣旨を理解するということが大前提として含まれます。趣旨を理解できない方の参加は認められないはずです。
しかし、これは管理人さんのご判断に任せます。

>然しながら、次から次へとご質問を頂きますので、思うに任せません。
 とりあえず体験を書き終えるまでの間、少しご質問をお控えいただきたいのです。

断定的に書かれた以上、その根拠が求められます。根拠も示さないうちから、どんどんと話がすすめられては困りますから、それは仕方のないことだと思います。

>私に対話を勧めながら、あなたは私の質問を無視されたままです。
 先ずお答えになられるのが筋かと存じます。

以下の2点でしょうか。

>では何故富士門流の掲示板にいられるのですか?

組織信仰について考え、その中で、私が関わった日蓮仏法が何であったかを知っておきたいからです。
ただし、私も真蹟主義の立場を支持しておりますので、引用された御書につきましては、信じてはおりません。

>皆様方でよてたかって創価学会を悪だ、と決め付けているではありませんか。

悪だと決めつけているわけではありませんが、沖浦さんが自身が、創価学会とご自分を客観視できないだけだと思いますね。

>あなたには、これらの発言が創価学会擁護に取れるのですか。
 お答えくださいませ。

どういうことでしょう。沖浦さんからすれが、如何なる人も、創価学会のことを擁護しなければならないというお考えなのでしょうか。
ましてやこの方々は、創価学会被害者の方ですから、尚のこと擁護などできるはずもありません。
私についても同様です。完全擁護の立場も、完全批判の立場もとる気はありません。
ただし、被害者の方々の発言権はは大事にします。この方々は、創価学会から多大な人権侵害を受けておられてきたのですから、私は大変お気の毒に思いますし、社会問題として捉え、このような被害が起きないような対策を社会的に講じていくべきだと考えます。

沖浦さんにとっては、池田さんや戸田さんを批判されることは、本当に許せないことだろうと思います。
しかし、創価学会という組織は、沖浦さんが自身が言われるように、その規模は決して小さくはありません。社会的影響力も大きいわけです。
そのような組織の会長ともなければ、もうこれは立派な公人といえるでしょう。
公人ということになれば、社会から如何なる批判を受けても仕方のない存在なわけです。
そしてもっといえば、ここに記された方々は、実際に何らかの被害を被っておられる方々であり、そのことを訴えているわけです。被害を訴える権利はあると思いますし、それを社会的問題として考えなければならないと思いますね。その訴えを妨害されることは、私は本意ではありません。
沖浦さんの投稿がそのような妨害の意図ではないというのであれば、被害者である彼らの声にも耳を傾けて頂きたいものと思います。

685ドプチェク </b><font color=#FF0000>(Liye31iI)</font><b>:2003/11/04(火) 03:23
未だにレスをしていない私であり(スイマセン)、それに、あんまり余計な事を言わない方がいいのかもしれませんけど、最近こちらに侵略して来た御仁の書き込みを見ていますと、以前「創価学会をみんなで考えよう」や「創価学会応援隊」に、別々のHNで登場していた人物(今でも複数のHNを使い分けて登場しているという疑惑がある)のそれとソックリだと思えて来るんですよねぇ・・・
何せ、書き込み内容は無論の事、思考法、反論の仕方、行動パターン、文章における表現方法やトーン、等々、本当によく似ていますので。
あのようなバリバリ系の盲信・狂信タイプの創価学会員って、一つには、淋しくて、誰でもいいから相手にしてもらい、自らの欲求を満たしたいという人間が多いんじゃないんでしょうかね?
確かに不愉快な気持ちになって来る非常に迷惑な存在ですが、しかし、考えようによっては、非常に滑稽で哀れな姿として映ってしまいます。
参考までに、下記のものを。

http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/925/1064748547/
「荒らしの分類学」(「創価学会をみんなで考えよう」より)

686犀角独歩:2003/11/04(火) 06:55

沖浦さん:

> 立場が違うのですから、無理に埋める必要はありません。

別段、埋めようと言う気もありませんが、公開議論の場ですから、疑義があることは質問します。

> 『笑止千万』
> このご発言は私を侮辱しております。
> 謝罪を要求するとともに、今後はこのようなご発言をお慎みになられる事をお約束ください。

あなたが認めたようにあなたはわたしを侮辱見下した。さらに事実と相違して、わたしを池田本仏論者と決めつけて記述を繰り返した。それに対して抗議を籠めた記述です。いまだ、あなたからの謝罪を受けていない段階での発言です。故に、指摘の投稿に就き謝罪をする理由はありません。ただし、あなたが、わたしを池田本仏論と決めつけたことを謝罪撤回するのであれば、該当の発言は反故となります。

> またあなたのご意見は矛盾があります。
> あなたは過去に池田本仏論『蓮祖の再誕』を信じておられた旨告白されておられます。
> これはあなたがご自分のご判断で述べれておリ、発言には責任を持ちになるべきです。

過去に信じていたことを記すことが何故、矛盾になるのでしょうか。
また、ここでいう発言の責任とはなんでしょうか。

> なお、池田本仏論は邪義でしかありません。

「邪義」という言葉が該当するかどうかはわかりませんが、たしかに創価学会内で語られていた喧伝であったでしょう。捏造であり、事実ではあるわけはありません。

> もし池田本仏論が正しいと言われるのであれば、根拠をお示しください。

わたしは一言も「正しい」と言っていません。このような形で、わたしは池田本仏論者であるかのように仕立て上げることはおやめください。

> また、私は戸田本仏論などには無関係の人間です。
> 勝手なレッテルを貼られる事は、非常に迷惑です。

レッテルを貼ったのではなく、蓮祖と戸田さんが同等とあなたが書いたことに対して、それでは戸田さん=日蓮となる、故に「戸田本仏論」なのかと“問うた”だけです。
あなたがわたしは池田本仏論と決めつけて、記述するのとは違い、わたしは質問をしただけです。

> 今後はあなたの思い込みを私に押し付ける事はお辞めください。

押し付けておりません。ただし、この言葉はあなたにお返しします。ここは立場を超えた公開議論の場です。創価学会、戸田さん世界一というあなたの思いを押し付けるのはやめてください。

> あなたのこれらの書き込みはこの掲示板のあり方に明らかに違反しております。

どの書き込みがどのように違反しているのでしょうか。あなたがわたしを差別・侮辱したことに端を発する反論を除き、該当箇所を提示ください。

687沖浦克治:2003/11/04(火) 06:59
 ドプチェク さん
 私は私です。
 沖浦克治は本名です。
 どなたとも間違えられず、また自らの発言に責任を持つため、HNを会えて使用していません。
 ご要望であれば、住所、氏名、年齢、電話番号、メールアドレス等を公開いたします。
 私は蓮祖門下の末席をしめる人間として、この掲示板にても背水の陣で望みたいと思っています。
 私はバリバリ系の創価学会員ではありません。
 そのようなお方は、この掲示板には登場されないと思います。
 私は只の、末端の中の末端会員にすぎません。
 また私の書き込みをお読みになれば、主張が終始一貫していることがご理解できると思います。
 私に対する疑問がおありでしたら、掲示板に直接お書き込みくださいませ。
 揶揄を伴わない真面目なご質問には、誠意を持ってお答えいたします。

688Leo:2003/11/04(火) 07:28
ドプチェクさん、おはようございます。

>未だにレスをしていない私であり(スイマセン)、それに、あんまり余計な事を言わない方がいいのかもしれませんけど、
>最近こちらに侵略して来た御仁の書き込みを見ていますと、以前「創価学会をみんなで考えよう」や「創価学会応援隊」に、
>別々のHNで登場していた人物(今でも複数のHNを使い分けて登場しているという疑惑がある)のそれとソックリだと
>思えて来るんですよねぇ・・・
>何せ、書き込み内容は無論の事、思考法、反論の仕方、行動パターン、文章における表現方法やトーン、等々、
>本当によく似ていますので。

それは、「創価学会をみんなで考えよう」の某○会員さんかと思います。それらが同一人物だとすると、元自衛官で、
会社社長、ミュージシャンということになってしまいます(そのようなことまともに捉えても仕方がないですが...)。
私は「創価学会をみんなで考えよう」の某○会員さんの書き込みを見てそこに参加しました。
こちらの掲示板も某Oさんの書き込みを見て再参加しました。学会があれほど問題を抱えているのに、批判に対して
言い訳(と粉飾)しようとする姿勢がほうっておけないと思いました。仮に、同一人物だとすると氏は「学会内で批判的な
人物がいるのだから掲示板でなりすましが許される」「病院内で医者が携帯電話(PHS?)使っているから学会も迷惑かけてもいい」
という発言があり、そのようなモラル欠如も到底許せません。
私は最近学会バリバリ系の書き込みは無視して研鑚にはげむという考えですが、皆で情報を持ち寄り言うべきことは
言った方がいいのかもしれません。

>あのようなバリバリ系の盲信・狂信タイプの創価学会員って、一つには、淋しくて、誰でもいいから相手にしてもらい、
>自らの欲求を満たしたいという人間が多いんじゃないんでしょうかね?

それらの人が現場で浮いているのか、芸術部で特別待遇を受けているかは知りませんが、学会のことは学会内でしか通用
しないということ位はわかって欲しいと思いました。

689犀角独歩:2003/11/04(火) 07:39

アネモネさん:
皆さん:

「創価学会の功罪を考える」、皆でこの原点に還って議論をいたしませんか。
ここのところ、「創価学会員の功徳と脱会者の罪過を考える」と言った履き違えが横行しています。

創価学会の功罪と言うとき、これは二つの面…わたしの立場からすれば三つですが…がありますね。

一つめは創価学会内における、組織の会員に対する功績と罪過。
二つめは創価学会の社会に対する功績と罪過。
そして、敢えて三つめを加えればわたし達脱会者からする創価学会の功績と罪過です。

この三つで特にスレッド提案の趣意は、二つめであったと拝察しております。

創価学会の功績、わたしは思いつきませんが、『宗教の自殺』に「既成の宗教によって点火されなかった宗教心に新興宗教が火を着け、人々を巨大な信仰集団の徒にしたことは新興宗教の功績であり、それ以外に救われる術がなかった人々をして、心の安定を得させたことは高く評価されるべきであろう」と記されることは、創価学会にも当て嵌まるところはあるように思えます。しかし、これが対社会的に果たして功績であったかどうかは、一考の余地は十分にあると思います。いわば、その検証のなかに「日蓮本仏論」、あるいはそこから派生したと見られる「会長本仏論」に典型を見るカリスマ信仰を考えることは含まれようかと思います。

わたし自身、創価学会の経験者でありながら、その対社会的な功績というものが思い当たらない。学会員に言わせれば、彼らの言葉で言う広宣流布、平和への貢献というのがそれに当たるらしいのです。しかし、社会一般から見るとき、創価学会が日本の平和、まして、世界平和に貢献しているなどと誰も思っていません。ここに大きなギャップがあります。もし、創価学会が世界平和に貢献している事実があれば、わたしも認識を改めなければならない。もし、このような功績があればその事実を是非ともここに披瀝していただきたいわけです。社会貢献している功績が創価学会にあれば、事実証拠をどんどん、ここに紹介してもらえばよいわけです。

また、社会一般が感じている創価学会の罪過、また脱会者が被害者の立場として感じている創価学会の罪過、この点について、その発言を妨害される所以はありません。創価学会は日本という法治国家下で法律が認める宗教法人です。その監視を国民が行うことは当然の権利です。罪過の指摘があったとき、創価学会は、その実否を会組織として諮り、その是正に努める責任が法律として認められた団体である以上、存するわけです。

強い信念体系に陥る会員が理解できるかどうかは別として、このような罪過を論うことは必ず会員に還元されて利するところともなるでしょう。もちろん、それよりなにより、創価学会の罪過を感じ、迷惑、ひいては被害を感じる人々にとって、その是正は歓迎されるところです。

以上のような観点に立ち返り、創価学会の功績と罪過を再度考えてはどうかと提案します。

わたしは功績は思いつきませんので、功績を知る方にはその事実証拠の提示をお願いします。わたしは創価学会の経験者として忌憚なくその罪過の面を中心に考えてまいりたいと思います。しかし、これは、決して誹謗中傷でもなく、悪口でもありません。厳正な事実を取り上げていくという意味です。

690犀角独歩:2003/11/04(火) 08:22

677 Jルーカスさん:

「顕徳会」というのは、池田さんが会長になったとき、反対してできた
団体のことでしょうか。

691管理者:2003/11/04(火) 09:47

独歩さん
皆さん

「宗教法人創価学会の、社会に対する功績と罪過を考える」
というスレッドを新たに建てましょうか?

692アネモネ:2003/11/04(火) 11:16
管理人さん

私はこのままでいいと思います。
創価学会は、広宣流布と世界平和を目指して政界にまで進出している教団です。ひとこと「創価学会の功績」といったときに、わざわざ「社会的」という文言を入れなくても、その視野に立って論じることは当然のことです。
自民党の功罪といったときに、その功績について個々の自民党員の利益が語られるわけがないのと同じです。
本来、宗教とは社会公共性に貢献すべき存在でもあるからです。
それにも関わらず、社会的という文言を入れなければ、社会的視野という認識がもてないことは、これは問題外だと思います。
そのこと自体、自分の組織を社会的に客観視できない弊害が生じているという、罪過を考えさせられるところでもあります。

ですから、私は敢えて、このままのスレッドで続行して構わないと思います。
ただし、ここは荒れやすいことが予想されますので、言葉の定義をしっかり踏まえ、さらに掲示板の趣旨を再認識して頂きたいと思います。理解できない方の投稿は管理人さんの権限で見合わせて頂きたいと思います。
私からの意見を参考までに書きますと、沖浦さんに関しては、下記のルールへの理解が得られていないように思いますので、参加についてご審議いただきたいと思います。

1.意見交換、相互理解の場との主旨から、話合いを重んじてください。  

これまでのレスのやりとりからいって、この点についての理解が全く得られていないと思われます。さらに、

①感情的表現を避け、できるだけ冷静に話し合ってください。 
②掲示板参加者に対する、一方的な個人攻撃は慎んでください。
この点につきましても、創価学会批判をする人に対する感情的な個人攻撃と暴言ともとれる発言が今も続いております。
これでは、沖浦さんからの個人攻撃を恐れて、学会批判や学会被害に関する投稿を控える方も出でくることが懸念されますし、それではせっかく築き上げてきた掲示板のスタンスが崩れ、有意義な議論の妨げともなるものではないかと、私は大変懸念しております。
議論や対話も全く拒否しておられる点からも、掲示板の趣旨の理解が得られているとは思われません。
他にも創価学会の方も参加されておられますが、ご自分の組織に対する批判投稿に対し感情的に暴言を吐くような行為はされず、良識ある投稿姿勢で、相互理解の場の秩序を守って参加されておられます。
如何なる組織に所属していようとも、そのことで参加が妨げられるものではありませんが、この点につきまして、今一度、ご審議頂きたいものと思っております。

693三学無縁:2003/11/04(火) 12:19
このスレッドの趣旨は「考える」であって、「宣伝」「折伏」を目的とする
発言がルールに抵触するものであることは自明の理ですね。
そのような主張を繰り返すのなら、レスを返す必要はないと思われます。
こちらのサイトの趣旨も理解しようとせず、過去ログを読んでからの参加とも
思えないようなコンビニな書き込みや、一方的な思い込みからは、なんら実り
ある議論はできないことでしょう。
一部の学会広宣部関係者に、よく見受けられる態度ですね。
私としては、こちらのサイトで「唐人の寝言」に煩わされる事は願い下げです。

追伸>アネモネ様
先日は、どうもありがとうございました。
懲りずに、また、よろしくお願いします。

694アネモネ:2003/11/04(火) 12:34
新しいスレッドが立つことになれば、そちらにレスを移して頂いても構いませんので、すみませんが、議論を進めたくこのまま投稿をさせて頂きます。

犀角独歩さん

ここのところのこのスレッドのやりとりを通して、かつて、独歩さんと意見が対立していたことを思い出したりしました。
私は、前回のレスにも書いたとおり、直接的体験としての創価学会を知りません。そのために、私のレスは参加当初から、ご承知の通り、法華講信徒の立場としての宗門批判というものが大半でした。そのことについて、独歩さんはかつて私のことを、「宗門批判はするけれども学会批判はされない。不思議な人です」そのようなことを洩らされておられました。忘れもしません。
その後、小さな見解の相違が何度かありました。しかし、最も強烈だったのは、確か、今回独歩さんがレスされた、脱会時における被害についてのレスに対して、私が「実感が持てない」と書いたことだったと思います。
そのときは、正直な気持ちだったのですが、しかし、改めて私がどれだけ冷淡なことを書いたものかと振り返ります。
もっと内面の本音を赤裸々に言えば、創価学会に関わるとそういうことが起きるんだという、沖浦さんの理屈とは別の観点からの「仕方ないのでは」みたいな思いでもあったと思います。
しかし、独歩さんはご自分の意思で創価学会に入ったわけではなかったわけですし、たとえそうではなくても、どれほど苦しい思いを抱えて脱会に至ったかということに心が至らない私自身が、相手を思いやる気持ちに欠けていたものだったと、つくづく反省しました。

しかし、かつての私の感覚とは、実は世間一般の創価学会に対する冷めた見方そのものではないかとも思われます。
ただしかしそのようなことを表立って口にすれば、組織ぐるみで抗議されて日常が煩わされかねません。結局はアンタッチャブルで口を閉じ、敬して遠ざけるしかないわけです。
非情に腫れ物を触るような感覚を覚えます。

そして曲がりなりにも、日蓮正宗に関わった今の私は、世間一般よりははるかに創価学会に近いところに位置し、既に当事者の域でこの問題を考えなければならないところにいると思っています。

その後、独歩さんと、あのときの摩擦についてはお互いに何も触れず、謝罪がどうのということもなく、何ごともなかったように、こうして掲示板で議論や対話を続けてきましたが、実はこの度、あのときのことを振り返りながら、種々考えました。

当時、私はまだ現役の法華講員でしたから、お寺に行くことも多く、行けば必ず創価学会の悪口を聞かされて帰るという日々だったわけです。
私としては仏教の法話を聞きたくて参詣しているというのに、どうしてこうも学会の話ばかり聞かされるのだろうかと、ほとほとうんざりとしていたというわけです。そのような気持ちが強いばかりに、いわば別の意味での学会アレルギーに陥り、掲示板での被害の訴えに、耳を傾けられなかったものと思われます。それだけ、いろんな意味で創価学会の存在が人に与える影響は大きいものだと思いましたし、私もその渦中に入ってしまいました。

695アネモネ:2003/11/04(火) 12:38
(つづき)
しかし、こうして月日を経て、改めてこの場でレスを流れを見ていくと、実際に犯罪行為としての嫌がらせや恫喝が、被害の事実として証言されているというのに、当の学会員の方の中には、平然と聞き流すばかりか、むしろ当然の報いなどと言い、そんなことよりも自分にいくらお金が入ってきて、どんな功徳があったかといった自分の話に夢中なわけです。
そのような問題が自分の組織に現実問題としてあるということに、そのことに対して無感覚、無神経なわけですね。
創価学会に関心のない人が、学会被害に無関心であるのとは話が違います。
自分の組織の問題なのに、なぜ問題視しないでいられるのでしょう。このような人間性を培ってしまうのが創価学会というところなのでしょうか。
犯罪行為にまでエスカレートする組織の問題を本当に改善できるのは、組織内の人でしかないわけです。社会的存在からいっても、しっかりと重要視してほしいものです。詭弁を通して、問題をうやむやにしてほしくはないものです。
私は、法華講にいて、自分の組織の問題には黙ってはいられませんでした。だからこそ、この掲示板に参加したものです。

なぜ、自分の組織の問題に目を向けられないのでしょう。犯罪行為にまでエスカレートした嫌がらせや恫喝が現実的に起きているというのに、それでも被害を受ける人が悪いという理屈を立て、自分の思いばかりを通すことに余念がない。そこまで自己中心的な人格が築かれるその根本的な原因は何なのだろうか、そのような考え方は、本当に日蓮の仏法の中から生まれたものなのだろうか、法華経の精神からくるものなのだろうか…私はこの点を知りたいと思います。

ふと思うのですが、創価学会が設立当初、牧口氏が「価値の創造」の、「美・利・善」と定めたわけですが、これは日蓮仏法や法華経の精神から生み出されたものではなくて、牧口氏個人の思想観から示されたものではないかと思うのですが、どうなのでしょう。そもそもここに創価学会の今日の問題の根本があるのではないかと推測するのですが、その点、如何お考えになりますか?

696アネモネ:2003/11/04(火) 12:42
三学無縁 さん

お声がけありがとうございます。
実りある議論、期待しております。

697管理者:2003/11/04(火) 13:16

当掲示板の禁止事項を追加いたしました。宜しくお願いいたします(2003.11.4)。

【禁止事項】

当掲示板において主張された内容に関して、挙証義務を果たされない場合は、該当する表現、発言を含むレス全体を削除し、その方の、当掲示板への投稿をお断りすることになりますので、予め、御承知置き下さい。

698Jルーカス:2003/11/04(火) 13:32
690 犀角独歩さん:

>「顕徳会」というのは、池田さんが会長になったとき、反対してできた
>団体のことでしょうか。

顕徳会は、戸田会長時代に戸田氏へ反発した方が作った団体です。
この辺は、情報通の三学無縁さんに補筆を願いたいのですが、とにかくかなりの
勢いで創価学会を脱会させ、折伏も進めていたようです。
学会側の寺院への嫌がらせがすさまじく、御本尊下付も妨害されるため、進退窮まって、中野歓喜寮の堀米御尊師(後の日淳上人)が引き取りましたが、その後帰属したものへの、引き抜き、嫌がらせ等に屈して自然解散になってしまったそうです。
このときも戸田氏は徹底的に「法主の権威を盾」にして、顕徳会を攻撃しました。

699犀角独歩:2003/11/04(火) 13:35

管理者さん:

691のご提案、有り難うございます。
個人的には「賛成」の気分だったのですが、当スレッドのご提案者アネモネさんが、「このままでいい」とご意見を述べられ、また、692に記されるところは一々にもっともと賛同しました。ですから、わたしも当スレッドで続行に一票とさせていただきます。

700管理者:2003/11/04(火) 13:43

犀角独歩さん

了解いたしました。それでは、当スレッド続行ということで宜しくお願いいたします。

ご参加の皆さん

新たに、管理者の判断により、当掲示板の禁止事項を追加しました。少し窮屈になるかと思いますが、宜しくお願いいたします。

701犀角独歩:2003/11/04(火) 14:22

管理者さん:
アネモネさん:

それでは、従来どおり、よろしくお願い申し上げます。

702犀角独歩:2003/11/04(火) 14:27

698 Jルーカスさん:

有り難うございました。
そうですか、戸田さんの時代からでしたか。
実は我が家の近くにこの会の人がおりました。
その家の前を通るたびに、母が「ここはけんとく会で先生にさからってやめたんだ」と言っていたのを覚えていました。40年も前の話です。

703ジャンノレン:2003/11/04(火) 16:03

独歩さんの幼少の頃のお話にびっくりしました・・・。

>その家の前を通るたびに、母が「ここはけんとく会で先生にさからってやめたんだ」と言って
いたのを覚えていました。40年も前の話です。

へえ〜(500へぇ)こういう話、あるんですね。法悟空の人間革命にも反逆者の記述や戸田氏の講演テープにも
「この戸田に逆らってやれるものならやってみろ(主意)」と仏意仏勅を強調する剣幕の言葉があったように思いますが、とにかく
当時はやり方に反逆したり、離合集散は常だったみたいですね。白蓮院にいた元教育学会の時代の理事、野島氏は結構、おやりにな
っていたみたいで、学会員をかなり脱会させていたみたいです。後に通牒というのが出てきますが、稲葉氏の息子さんが蔵に有った
物を出してきたそうです。

704犀角独歩:2003/11/04(火) 16:50

ジャンノレンさん:

> びっくりしました

そうですか。こんな話はもう語り出せば、二晩でも三晩でも、と言ったところです。

母の口癖、「やめた人となんか、口を聞いちゃいけないよ。先生を裏切った、恩知らずの悪人だからね」。わたしも脱会者を無視し、憎んだ一人だったんですよ。

昭和52年路線の折、脱会した人がいました。以来、町で会えば、睨み付けていました。
脱会後、その過ちに気付きました。図書館に行ったとき、10年振りにその人と会ったのです。わたしに気付いていたと思います。顔を背けて、こちらを見ようとしません。近寄っていくとぐっと歯を食いしばり、下を向きました。

「○○さん、わたしのことを覚えていますよね。その節はご無礼の数々、本当に申し訳ありませんでした。お陰様でわたしもやめられました」

そう、言いながら、笑いかけたのです。すると、それまで、強ばっていた表情は途端にほころび、わたしの手を取り、踊らんばかりの喜んでくれたのです。
「おお、そう!そうなのか。よかったねぇ」

今でも、わたしの大切な知人の一人です。

学校と途中でやめた人を憎むことはないし無視することもない。事情があって、退職した仲間を裏切り者と呼ぶこともないですね。それなのに、創価学会では脱会者を蔑み、攻撃し、無視しなければならないのか、ここに巨大組織の暗部が眠っているのはたしかであると思うわけです。

まあ、私的な話です。でも、実話です。
挙証が義務づけられました。これくらいにしておきますね。
議論の対象の話ではありません。思い出話でした。

705犀角独歩:2003/11/04(火) 17:58

694〜695 アネモネさん:

> かつて、独歩さんと意見が対立していたことを思い出したりしました。

よく、意見がぶつかり合ったものでしたね。今では、好い思い出ですが、いつまた、ぶつかり合うかわかりませんよ(笑)
ただ、どんなに意見がぶつかろうと、互いの人間性という部分で尊重しあう心があれば、一生合わない意見があろうと、こうした掲示板上でも人間関係の継続は可能ですね。

誰と言うことはできませんが、当板で激しいやり合いをしたあとで会い、「この前の掲示板の突っ込みよかったでしょう」なんて、意見の違いを超えて和気藹々と酒を酌み交わす人もいます(笑)
反面、議論を通じて人間関係にまで響く根底には必ず人格攻撃・人間性批判という別の側面が潜んでいます。この点が、実は掲示板マナーの根幹をなす部分なのではないかと思っています。

> 独歩…脱会時…被害…レスに対して、私が「実感が持てない」と…どれだけ冷淡なことを書いたものかと振り返ります。

いやいや、そんな。冷淡などということはありません。
痛みというのは経験したものでなければ実感できないのは当然ですもの。

> 創価学会に関わると…「仕方ないのでは」

そうですね。わたしは脱会後、「折伏」した相手には出来る限り、謝罪に行きました。
大概の反応は「ほれ、見たことか」と言ったところです。

> 私自身が、相手を思いやる気持ちに欠けていた…反省

このように記していただけるだけで、救われるものがあります。
脱会後、わたしは、元創価学会であったことを消し去るようには生きてきませんでした。ですから、その反撃で緊張した毎日を送ってきました。
その中で、極寒に暖を取った思いです。有り難うございます。

> 敬して遠ざける…非情に腫れ物を触るような感覚を覚えます。

そうでしょうね。このような一般的な見解を記していただくことは大変に重要なことです。この点はわたしも記したことがあります。

「布教に止まらず、、政治支援を呼びかける。周りの一般社会の友人は少なからず眉をひそめている。口を開けば、宗教・政治のことばかりとなれば、人に嫌がられるのも無理はない。しかし、本人は自分が批判的に見られているなどと思っていない。それどころか、「選ばれた人間である」とヒロイズムに酔いしれているのが実態だ。「自分は使命を担ってこの世に生まれた。その使命を果たすのだ」となる。一般の人は、その相手をするわけであるから、新興宗教特有の過激な攻撃をかわすためにお愛想で口を聞かざるを得ない。
 なかには真剣に議論に応じ、断固、その非を説く人もあるが、多くは「触らぬ神に祟りなし」と決め込むのは致し方のない防御策であると言えよう。つまり、周りは火の粉が罹らない一定の距離を置かざるを得ないわけである。すると会員は本気で口を聞いてくれるのは組織の人間だけになって、世間はますます狭くなる。すると、会員にとって、その会だけが頼りになる。会に居続ける限り安堵感を味わえる。しかし、それには極めつけの限定条件がある。「先生」や組織をしてはならないということである」(『あなたは違う方向に歩いている』)

706犀角独歩:2003/11/04(火) 17:59

―705からつづく―

> 実際に犯罪行為としての嫌がらせや恫喝が、被害の事実として証言されているというのに、当の学会員の方の中には、平然と聞き流すばかりか、むしろ当然の報いなどと言い、そんなことよりも自分にいくらお金が入ってきて、どんな功徳があったかといった自分の話に夢中なわけです。

まったくですね。脱会、あるいは批判の制裁を加えられるのは「自業自得」とは恐れ入りました。
健全な組織体であれば、いわゆる「苦情処理」に余念がありません。
我が家で使っている居宅介護会社の社員名刺には、赤字で「社長室苦情処理受付」のフリーダイヤルの番号が印刷されています。この前、大型営業車に自動車にぶつけられたのですが、営業所には自己係が常駐しており、当然、保険加入で万全を期していました。
対社会と向かい合うとはこのようなことです。ところが「批判を許さない」「自分たちは絶対に正しい」と主張する集団では、被害を訴えたり、クレームを挙げることは、「言うほうが悪い」という形で門前払いをします。さらに門前払いどころか、批判を封じ込め弾圧し、被害者である当事者をあたかも加害者のように取り扱い、自分たちのほうが加害者面を決め込んでしまいます。

> そのような問題が自分の組織に現実問題としてあるということに、そのことに対して無感覚、無神経なわけですね。

その実例をここのところ見てきたので、よく実証されましたね。

> 自分の組織の問題なのに、なぜ問題視しないでいられるのでしょう。このような人間性を培ってしまうのが創価学会というところなのでしょうか。

この部分は追々検証していきたいですね。日本社会の大問題です。

ファンダメンタリズムという側面をわたしはずっと問題にしてきました。カリスマ信仰も問題にしてきました。そして、なにより、集団という組織が信仰にカテゴライズされる危険も訴えてきたのもそのためです。

> 犯罪行為にまでエスカレートする組織の問題を本当に改善できるのは、組織内の人でしかないわけです。社会的存在からいっても、しっかりと重要視してほしいものです。詭弁を通して、問題をうやむやにしてほしくはないものです。

まったく同感です。

> 私は、法華講にいて、自分の組織の問題には黙ってはいられませんでした。だからこそ、この掲示板に参加したものです。

そう、ここでした、当板の最も重要な特徴です。
管理人さんの重視される点であろうかと思います。

自分の所属する団体であるからこそ、自分が信仰するものであるからこそ、あるいは自分が語るものであればこそ、その責任を自ら追及すると言うことですね。
管理人さんのスタンスも、そこにあるからこそ、当板は有意義なのであると思います。

707犀角独歩:2003/11/04(火) 18:00

―706からつづく―

> なぜ、自分の組織の問題に目を向けられないのでしょう。

ここまで、掘り下げると、もはや破壊的カルト・マインド・コントロール理論で考えるしかないと、わたしには思えます。
「自分たちが正しい」「理解でいない人間が悪い」こうなっています。
善悪二極思考、フロムが権威主義的パーソナリティと言ったステレオ・タイプの価値判断で「善は自分たちに」「悪を他に」と考えられるように心理プログラムが植え付けられていると見えます。ここで力を発揮するのはファンダメンタリズムということでしょう。これが単一国家である日本の中で信・不信で人を差別する“シオニズム”を形成しているとわたしは見ています。

> 犯罪行為にまでエスカレート…嫌がらせや恫喝が現実的に起きている…それでも被害を受ける人が悪いという理屈…自分の思いばかりを通すことに余念がない…自己中心的な人格が築かれるその根本的な原因…

この点は熟考する必要がありますね。

> そのような考え方は、本当に日蓮の仏法の中から生まれたものなのだろうか、法華経の精神からくるものなのだろうか…私はこの点を知りたいと思います。

ええ、是非とも検証しましょう。
敬愛する日蓮、仰ぐ法華経の、敢えてタブーの垣根を越えること、そこに見える真実があるはずです。

> …牧口氏が「価値の創造」…「美・利・善」…日蓮仏法や法華経の精神から生み出されたものではなくて、牧口氏個人の思想観から示されたもの

ええ、まったくそのとおりでしょう。
「創価」とは価値創造、創造価値で創価です。もちろんのこと、蓮祖とも、法華経とも何の関係もありません。創価教育学会は元は教育者の会でした。

> 創価学会の今日の問題の根本があるのではないかと推測するのですが、その点、如何お考えになりますか?

この点については、皆さんのご意見も伺いたいと思いますが、わたしは個人的には、概ねアネモネさんと同様に感じます。

第一仏法には、そもそも「創造」という概念それ自体がないでしょう。この点を純師が「創価」という名称に意義を述べ立てたのは夙に有名な出来事でした。つまり、創価教育学説を蓮師教学で考えようとした瞬間から躓いていたとわたしは思います。そして、戦後、さらに生命論で潤色されます。これはもはや、蓮師の素意とはまるで別のものであって、名を蓮師に籍りながら、実際は牧口価値創造論と、戸田生命論を混ぜてしまったものでした。この創価論・生命論を蓮師に懸けてその責を追及することは、よほど酷なことであるとわたしには思えます。このスレッドのテーマで言えば、純粋な蓮師教学に自分達の考えを混ぜた点を罪過と数えるべきであると思うものです。

708背景探求123:2003/11/05(水) 23:09
 サスガに深い洞察です。 これでヤット「思い起こすこと無く脱会できます」「数々の御議論はとても示唆に富み、有意義でございました」、。 新たなる「本当の日蓮仏法は???」に向けて、前向きに精進する覚悟と意欲に燃えて居ます。有り難う御座いました。

709沖浦克治:2003/11/05(水) 23:36
 私にとって、創価学会とは大恩人の集団です。
 私の家族や、私の周りの多くの人間や家族達に、勇気と希望を与えつづけ、今日のこの人たちに大成功の人生をもたらした素晴らしい集団です。
 私の知る限り創価学会の存在意義は、この人々にとって何にもかえがたいものです。
 はこの人達にとっては、暖かさ、きびしさ、包容力、指導力の全てを備えた創価学会は、人生のオアシスです。
 私や、私の周りの人たちは、創価学会員である事が心の底から幸福である、と思いながら人生を送っております。
 この行為は、充分に社会に貢献をしていると思います。
 無論のこと、そう思わない自由も存在いたします。

711MILD SEVEN:2003/11/06(木) 02:24

<バベル>

創価学会員の中には内部改善を望む者もいるでしょう。
潜在的に少なからぬ・・・。
でも、池田創価の洗脳で理解力低下した多くの池田狂信者連中を恐れて表に出て来ない。
現実は厳しい。

今の段階では・・・。

池田氏と、取り込まれた優秀な?側近連中のコンビネーション・パターンは、基本的にはオウムと同様のパターン。
光の子とは異質の力。
しかも、一般社会にカルト洗脳を感じさせない?新種のカルト・・・。
カルトは原点へと・・・!?
時代の限界までの時は・・・?
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

712沖浦克治:2003/11/06(木) 06:27
管理人さん
 『失礼、沖浦さん、、あなたのような思いこみには本当に恐ろしい洗脳の怖さ、と自ら現実を判断するという思考停止のような、驚くべき情けなさ、を実感します。 』
 以上のレスは、私を洗脳された思考停止の人間であり、情けない人間です、と断定しています。
 
 私はかって駄目な人、との発言を貴殿から注意を受け、謝罪とともに取り消したことがあります。
 発言者が、たとえ挙証がか可能であっても、この発言はいあかの掲示板規則にあきらか二違反しております。
 
 【禁止事項】

1「非礼・無礼、人権侵害、言葉の暴力」等の侮辱表現、侮辱発言は、理由の如何を問わず堅く禁止します。もし、そのような表現や発言が見うけられた場合は、管理者がその都度、御注意申し上げると共に、その該当する表現、発言を含むレス全体を削除致します。なお、管理者の制止を無視して、侮辱表現、侮辱発言を続けられた場合は、以後の投稿をお断りする事になりますので、予め、御承知置き下さい。

 禁止事項に基づき、この発言の取り消しと謝罪を要求いたします。

713管理者:2003/11/06(木) 06:36

背景探求123さん

あなたの、710レス『失礼、沖浦さん、、あなたのような思いこみには本当に恐ろしい洗脳の怖さ、と自ら現実を判断するという思考停止のような、驚くべき情けなさ、を実感します。』は、当掲示板の以下の禁止事項に抵触しますので、申し訳有りませんが、削除致します。当掲示板のルールに御留意戴き、御投稿くださるようお願い致します。

 【禁止事項】

1「非礼・無礼、人権侵害、言葉の暴力」等の侮辱表現、侮辱発言は、理由の如何を問わず堅く禁止します。もし、そのような表現や発言が見うけられた場合は、管理者がその都度、御注意申し上げると共に、その該当する表現、発言を含むレス全体を削除致します。なお、管理者の制止を無視して、侮辱表現、侮辱発言を続けられた場合は、以後の投稿をお断りする事になりますので、予め、御承知置き下さい。

714犀角独歩:2003/11/06(木) 11:57

背景探求123さん:

708のご投稿が、誰のどの部分に充てられたものであるか、正確にはわかりませんが、

> 「思い起こすこと無く脱会できます」…「本当の日蓮仏法は???」に向けて、前向きに精進する覚悟と意欲…

という点に就き、「脱会」の決意に喝采を送らせていただくとともに、今後のご精進を期待申し上げるものです。

715沖浦克治:2003/11/06(木) 20:20
 私は脱会をする方を止めません。
 同様に、脱会から創価学会に帰参する方は歓迎いたします。
 但し、脱会者にこちらから働きかけは一切致しません。
 帰ってこいとは思わないのです。 
 自らのご意志で帰参をされる方は、勇敢だと思います。
 以前、他の掲示板で私と鳴瀬剣山さんは対立をしておりました。
 しかし、鳴瀬さんは創価学会に帰参を決意され、その旨を書きこまれた所、私に先ず謝罪すべきだ、との書き込みがありました。
 私はその方に、鳴瀬さんに謝罪など要求は致しません、勇気ある帰参のご決意だけで充分満足し感謝していると申しあげ、納得をいただきました。
 私は個人の意志を尊重すべきだと思います。

716沖浦克治:2003/11/06(木) 22:01
 昭和54年頃、生活も安定し創価学会の活動に励んでいるころ、宗門との確執が大きくなったてきました。
 私も悩みましたが、宗門は邪宗であるとの結論に達し、その後は個人的に宗門と縁を切り現在にいたっております。
 宗門と創価学会のいずれに正義があるのか、は理屈ではなく、自らが一流になり社会に実証を示す事で、創価学会の正義なる事を実証しょう、と思い立ちました。
 その後三年間、何を持って一流となるのか、との試行錯誤を繰り返しましたが、昭和57年パワーリフティング競技にめぐり合い、これで必ず世界一になり創価学会の正義なる事をわが身を持って証明しょうと、決意を致しました。
 2000年10月、チェコのウスティーナと言うドイツ国境に近い町にて、世界マスターズパワーリフティング選手権大会が開催をされ、私もナショナルチームのメンバーとして選手でまいりました。
 前年2位に終わっていた私には、決して負けることの出来ない大会であり、この大会で勝たなければ自分には才能がない、と決めての参加でした。
 試合当日、ホテルで勤行を終え唱題をして15分ほどたった時、突然『青年よ世界の指導者たれ』との池田先生のご指導が脳裏にひらめきました。
 それは『ひらめいた』としか言い様のない感覚でした。
 一瞬おくれて、不良で、嫌われ者で、世をすね、家族からも見放されていた入会以前の自分と、こうして今、世界の果てとも思える異国の地で、世界一にならんとしてお題目を上げている自分の姿が、オーバーラップをしたのです。
 なんと言う功徳だろう!なんと言う境涯革命だろう!なんと言う信心のすごさか!と思い至り、後は涙か出てしばらく止まりませんでした。
 創価学会を止めずによかった!との思いと、創価学会に対する感謝の念が沸きあがり、身体は歓喜にふるえました。
 その試合で、私は全種目とトータルの全ての部門で優勝をし、念願であった世界の頂点に、創価学会の信心を保ったリフターとして立つ事が出来たのです。
 18年かかりました。
 もし私が創価学会員で無かったならば、私の今日の歓喜は決してなかったでしょう。
 次の人生も、その次の人生も、創価学会員として生きてまいります。

717無徳:2003/11/06(木) 22:49
沖浦さん

他の掲示板でも申しましたが、パワーリフティングで世界一になられた事はすばら
しい事ですよ、その事を信心の功徳とされるのは良くわかります。

ですから尚更の事、の掲示板に書き込まれるに当たっては世界チャンピオンに相応
しく様々な事を学んで立派な投稿をなさるべきではありませんか?

貴方は他の掲示板でもそうですが、他者に論戦を仕掛けておきながら最後は<烏の
勝手でしょ>といった逃げ口上に終始しているのでは、世界チャンピオンの名が廃
ると言わざるを得ませんでしょう。

718沖浦克治:2003/11/07(金) 01:33
 無徳さん
 私は真面目な問いかけをされれば、真面目にお答えすると言っていますよ。

 240 無徳氏
 『沖浦さんお久しぶりです。まあ!こんな事を言っては大変失礼を承知で申し上げますが、
ここの皆さんは貴男のレベルで論争できるお相手ではありません。またまた、創価学会の恥さらしにもなりかねませんですよ、正信掲示板にてがんばってください。』
247沖浦克治さん  犀角独歩氏
 『まったく面白い。まるで漫才です。何を気色張っているんでしょうか。』
290 MILD SEVEN 氏
『私が創価に言っている事は「悔い改めよ!」です。しかし、魔界のロボトミー化した池田狂信者は、基本的に反省出来ない哀れな連中です。残念です。』
316 ダビデの星氏
 『創価なんかより、ヤクザのほうが全然マシと思う事があります。馬が合うところもある。』
298 犀角独歩氏
 『戸田さんは諸悪の根本、当然のことでしょう。』

 他にも
 『どっちにしても会長が暴行魔では、末端が過激でも無理はない。しかし、これが世界一の指導者ですかね(爆)。世界一の暴行魔の間違いでは。』

628
 『まったく貴方の論旨は酷いものですよ、ご自分でもよく読み直してみてください。
創価学会の皆さんが貴方のような方ばかりでは無い事は重々承知しています。
 Libraさんのような若くして秀悦な方も居られます。沖浦さんももっともっと学ば
れてから投稿なされたら如何ですか。』

663
 『まるで沖浦克治さんの切り文勝手解釈教学みたいですが、まさか違いますよね。』

664
 『そうですか。あなたはよく「意見」という言葉を使うじゃないですか。
「意見」というのは、あなた自身の「己義」でしょう。あなただけの解釈じゃありませんか。』

688
 『それらの人が現場で浮いているのか、芸術部で特別待遇を受けているかは知りませんが、学会のことは学会内でしか通用
しないということ位はわかって欲しいと思いました。 』

695
 『しかし、こうして月日を経て、改めてこの場でレスを流れを見ていくと、実際に犯罪行為としての嫌がらせや恫喝が、被害の事実として証言されているというのに、当の学会員の方の中には、平然と聞き流すばかりか、むしろ当然の報いなどと言い、そんなことよりも自分にいくらお金が入ってきて、どんな功徳があったかといった自分の話に夢中なわけです。』

719沖浦克治:2003/11/07(金) 01:48
 無徳さん(続きです)

 これらの発言のどこに真面目な議論をする態度がありますか?
 
>ですから尚更の事、の掲示板に書き込まれるに当たっては世界チャンピオンに相応
しく様々な事を学んで立派な投稿をなさるべきではありませんか?

 世界チャンピオンに相応しい評価を得る為に、絶対条件として学ぶべき事と、それを学ばなければ世界チャンピオンに相応しくないと断定される理由を具体的にあげ、このご意見の正しい事を証明してください。

>貴方は他の掲示板でもそうですが、他者に論戦を仕掛けておきながら最後は<烏の
勝手でしょ>といった逃げ口上に終始しているのでは、世界チャンピオンの名が廃
ると言わざるを得ませんでしょう。

 別に逃げたりしていませんが、それはさておき、『からすの勝手でしょ』との表現は私を侮辱しています。
 今後はこのような表現はおやめください。
 他人との論争を避けると世界チャンピオンのながすたる、と言う根拠を私の所属するパワーリフティング競技との関連を具体的に上げて、説明してください。

721沖浦克治:2003/11/07(金) 02:04
 皆様方に
 過去のいきさつはどうあれ、今後は揶揄を含まない真面目なご質問には誠意を持ってお答えいたします。
 但し(苦笑)(爆笑)等の議論とは関係の無い感情表現がある場合は揶揄とみなします。
 当方もこの種の表現は使用いたしません。
 賛同される方からのご質問をお待ちいたします。

723愚鈍凡夫:2003/11/07(金) 06:21

「ご法主猊下だけが、御本尊様をしたためることができる仏様なのです」(質問会集)
との発言や、
「御法主上人猊下こそ経文に説かれている遣使還告のお立場、すなわち大聖人様と拝してお仕え申し上げていくことでありました。これが唯一の学会精神であります」(会長講演集 第4巻)

との発言が絵空事に聞こえる昨今ですなぁ〜ってかぁ。
もうじき衆院選ですが、こんなこともいってましたなぁ〜。

「創価学会は衆議院には出ません。なぜならば、あくまでも宗教団体ですから。
政治団体ではありません。参議院の方は、これはあくまでもあらゆる団体の代表が出て、衆議院のほうから回った、いろいろな法案というものを、厳正中立の立場で『これはよし、これはいかん』というふうに審議する立場ですから、これはかまわないわけです。各団体が出るところですから。」(会長講演集 第1巻)

今の創価学会とは違う別の宗教団体かと思った。やっぱ、創価学会って変だね。

724沖浦克治:2003/11/07(金) 07:11
 愚鈍凡夫さん
  723は私に対するご質問でしょうか?

725MILD SEVEN:2003/11/07(金) 07:18

(バベル)

創価学会員の中には内部改善を望む者もいるでしょう。
潜在的に少なからぬ・・・。
でも、池田創価の洗脳で理解力低下した多くの池田狂信者連中を恐れて表に出て来ない。
現実は厳しい。
今の段階では・・・。

池田氏と、取り込まれた優秀な?側近連中のコンビネーション・パターンは、基本的にはオウムと同様のパターン。
光の子とは異質の力。
しかも、一般社会にカルト洗脳を感じさせない?新種のカルト・・・。
カルトは原点へ・・・!?

正統派も原点へ返りましょう。
時代の限界までの時は・・・?

726MILD SEVEN:2003/11/07(金) 07:19

(バベル)

創価学会員の中には内部改善を望む者もいるでしょう。
潜在的に少なからぬ・・・。
でも、池田創価の洗脳で理解力低下した多くの池田狂信者連中を恐れて表に出て来ない。
現実は厳しい。
今の段階では・・・。

池田氏と、取り込まれた優秀な?側近連中のコンビネーション・パターンは、基本的にはオウムと同様のパターン。
光の子とは異質の力。
しかも、一般社会にカルト洗脳を感じさせない?新種のカルト・・・。
カルトは原点へ・・・!?

正統派も原点へ返りましょう。
時代の限界までの時は・・・?

727愚鈍凡夫:2003/11/07(金) 07:20
>>724:沖浦克治さん

せっかくお声をかけて頂きましたが、
小生のレスの何処があなたへの質問になってますか?

728犀角独歩:2003/11/07(金) 09:40

愚鈍凡夫さん:

723のように、公式発表が180度変わってしまうことを、ここスレッドの「創価学会の功罪を考える」重要なテーマのひとつであると思います。戸田さんの国教化(王仏冥合/政教一致)・国立戒壇構想は、池田さんの段階で政教分離、民衆立へと180度、方向転換しました。昭和45年には言論問題、昭和52年度路線、そして、宗門からの破門/学会の独立は平成3年でしたか。

集団が方針/方向を変えるのはしばし見られる現象ですが、創価学会の度重なる方向転換をどう考えるべきか、これ自体は集団の自治権に問題です。ただ国法に基づいて宗教法人の認可を受ける以上、その運営は国法の範疇を超えるものであってはならないわけですね。それを踏まえるとき、王仏冥合から政教分離、国立戒壇から民衆立、言論妨害からその反省というスライドは、むしろ一般社会の親和性を高める方向転換であったと思えるわけです。社会から見れば、これは歓迎されるところであったろうと思えます。

ただ、ここで問題になるのは、顕正会が指摘するように、この改変が「蓮師の遺志と異なるもの」ではないのかという指摘となります。「創価学会の教学は果たして日蓮教学といえるかどうか」、ここのスレッド的に言えば、創価学会の教学解釈は蓮師教学を改変した罪科はないのか?ということになります。わたしはこの点においては大いに疑問があります。ただし、従来、石山で伝えられてきた教学は寛師で完成を見た日本仏論/板漫荼羅信仰であったわけですね。これが蓮師の素意かどうか、このことを当板では実に真剣に論じ合ってきました。いまはこの是非をここで論じません。ただし、「蓮祖直結」というのであれば、寛師教学によらず蓮師本人の教学観/本尊観に拠るべきではないのかというが率直な感想です。

それは置き、少なくとも後者の板漫荼羅信仰については、創価学会は解釈を変える方向にあります。今後、創価学会がどのような漫荼羅本尊観に持っていこうとしているのか、わたしはこの点を注目しています。いずれにしても、板漫荼羅安置の正本堂(国立>民衆立戒壇)を莫大な金を集めて建立した熱意は過去のものとなったことだけは事実です。当初は板漫荼羅信仰であった。しかし学会新会則を見れば「三大秘法の大御本尊」と変わっています。

今後の方向性は、ここにおける現役創価学会員の発言、たとえばLibraさんなどを通じて見る限り、記号論的とも言うべき漫荼羅観に変遷していると思えます。つまり、書かれている相貌によって本尊たり得るというような解釈です。ただ、これまた暫定的な経過途上であると思えます。

729犀角独歩:2003/11/07(金) 09:41

―728からつづく―

前後しますが、本仏論については、先頃、いわゆる凡夫本仏論というのでしょうか、松戸さん辺りがそんなことを言い出した。たしかドブチェックさんは高く評価された点です。これを学会外では創価学会の本仏論の解釈変更の兆しと見たのですが、講説者本人は学会から疎んじられたとLeoさんが教えてくれました。松戸さんが疎んじられた理由は池田さんにとって、凡夫本仏論は会長本仏論に変わる池田崇拝の基礎理論であるべきなのに、それが凡夫(=民衆)レベルに普遍化されすぎたためではないのかとわたしは見ます。

ともかく、凡本迹仏的な発想は、蓮師真跡にはまったく見られません、けれど、偽書濃厚の各御書では見られるところでした。これらは『秘密荘厳論』に典型を見る「一念三千=自受用身=出尊形仏」でそれがさらに「示同凡夫」論へと展開を見ますね。これを蓮師に契当して「日蓮本尊」を言ったのは有師でした。しかし有師の発想は蓮師を本仏と見るのではなく、末法今時の本尊とみることでしたので本仏論とは違っていました。しかし、程なく「日蓮本仏論」の濫觴と変わっていきます。実はこの時点で既に凡夫本仏論はあったとわたしは思えます。この場合、日蓮本仏は派祖本仏という興師崇拝の強調へと転化されることになります。これは嫡々相承から持住本仏論(歴代崇敬)を言う中世カリスマ信仰と見ます。これは石山一山の問題ではなく、中世以降の日本仏教の特性を反映したと見るほうが至当ではあると思えます。いわば、日蓮本仏論というのは派祖興師を継いで持住絶対をいう基礎理論となっている点は看過できないわけです。

しかし、たぶん、ここの掲示板などで真面目に考えてきた人、たとえば無徳さん(先の暫定スレッドでは失礼しました)などは、そのような派祖本仏・持住本仏論としてではなく、釈尊脱仏に変わる日蓮本仏という純粋な仏教崇拝の観点から言われるのでしょう。しかし、学会で言う日蓮本仏論は、これに指導者・集団・信仰者崇拝としての基礎理論である点で異なっています。

やや、説明が諄くなりましたが、では、従来、創価学会は、持住本仏の変形としての会長本仏という極端な逸脱を経、未だに池田崇拝というカリスマ信仰を残しながらも、先に挙げた「凡本迹仏」的な解釈へ変遷し、民衆仏法を標榜が始まっています。さて、ここでも、蓮祖直結というのであれば、蓮祖の教学を採るべきとは思えますが、実際は真偽未決書で展開される凡夫本仏論を基礎とするわけです。この変遷を功績と見るか、罪科と見るか、わたしは、やや冷静に考え始めています。

730アネモネ:2003/11/07(金) 11:01
横レス失礼します。
>717で無徳さんが感じられているのと同じ感覚を、私も覚えます。
個人的にいえば、沖浦さんが努力をされて、名誉ある栄光を勝ち取られたことは、さぞかし誇らしかったことだろうと、心より賛嘆したいと思います。その言動力が、間違いなく創価学会の信心であったということも、まったく理解できます。

しかし、それが創価学会の正義の証明になるというものなのかなあ?という素朴な疑問は否めませんね。
ましてや、そのことが宗門が邪宗であるということの、何の証明になっているのというのでしょう。もしも沖浦さんにとって、こういうことが根拠や証明だと考えていらっしゃるとすれば、またそれが創価学会の宗教観なり価値観なりであるならば、そこが功罪として考えるべきところではないかと思います。
まあ、日蓮さんがいうところの、現証というものを意識されてのことなのでしょうけれども、となると、一流と呼ばれる人々は、この宗派以外の中にもたくさんいらっしゃるわけですね。シドニーオリンピックで金メダルをとったマラソンの高橋尚子さんは、他宗である真言宗で優勝祈願の祈祷をしてもらい、そのお守りを身につけて見事一位を勝ち取ったということでした。そうすると、あの金メダルは真言宗の正義が証明されたということなります。

私は、宗教の一流というのはそういうことではないと思います。
スポーツ振興を通して、世界各国との交流を深め平和を訴える、そういう意義がないとはいえないでしょう。しかし、そこでの勝負が、宗門が邪宗であることを証明せんがためのものであるというのであるならば、純粋なスポーツマンシップの精神からいえば、まさに邪な心とも解されるものではないでしょうか。これは、決して侮辱ではありません。価値観の問題です。私にはそのように思えるのです。
ただし、そのようなことが勝利への原動力となったということは、理解できます。

しかし沖浦さんが書かれているような価値観が、本当に創価学会の標榜する日蓮仏法の思想性や精神性であるというならば、宗教的精神性の意味合いからいって、私は疑義を感じます。

何を持って一流となるのか…これは、各分野で様々な尺度があることと思います。しかし、少なくとも、宗教観における一流というものは、地位や名誉や名声といったこと、いわゆる名聞・名利とは全く対極的にあるところの価値観ではないかと、私なんかは思いますね。
そこが、根本的に創価学会の定める価値観とは違うところなのではないだろうかと思われます。
結局、沖浦さんと議論が成り立たない根本はは、いつも価値観の相違という問題に尽きていくようです。あなたはあなた、私は私とは、個々においてはそれでいいかもしれませんが、宗教組織の価値観がいかなるものかということになると、社会的観点からいって、それではすまないでしょう。
創価学会が、どういったことに価値を創造し見い出しているのか、その根本的なところにおける問題があり、独歩さんへのレスにも書きましたが、そもそもそこが仏教精神から醸造された価値といえるものなのかどうか、そこに根本的な大きな問題があると思います。

731愚鈍凡夫:2003/11/07(金) 12:45
犀角独歩さんへ、小生の愚考を少々。

「凡夫本仏論」が新たな差別を生まないか、危惧を抱いています。
理由は、「凡夫本仏論」が果たして異教徒を含む全人類を指しているのか、それとも創価学会員のみに限ってのことなのか、本音が分からないからです。
最悪の場合、異教徒を一闡提と定義し、堕地獄の因と決め付け、魔女狩りのような迫害を加える論拠になるのではないでしょうか。
また、学会員総意の基と言う理由で、日蓮仏法を完全に駆逐することも考えられます。「凡夫」が本仏であるなら、日蓮迹仏・凡夫本仏との教義変更も可能になるわけで、

「蓮祖の時代にABC兵器はなかった、今の時代は人類滅亡の危機と常に背中合わせである。したがって、時代に適った「第4の法門」が渇望されるのである。その法門こそが、我々が宣弘する「凡夫本仏論」であり創価仏法である。」

このような論理展開になるような危惧を抱いています。
民衆仏法的なヒューマニズム理論を前面に押し出しているような感じを与えますが、その実、教義的な足枷を外そうとしているようにも思えるのです。
これが小生の単なる思い込みで終わればよいのですが。本音と建て前に差のある教団ですから、気になってます。

732犀角独歩:2003/11/07(金) 13:23

やや重い腰を上げて、創価学会の功績を少し考えてみようと思います。
まずは創価学会の公式ページを見てみました。
http://www.sokagakkai.or.jp/index01.html

『平和・文化・教育』というページがあります。「創価学会の平和・文化・教育の各分野での運動・活動のようすを紹介する」という内容を見ると、

「地球環境サミットと創価学会
 展示会
 WAI WAI 教育プラザ
 ヒューマンメッセージ展
 少年少女希望絵画展
 音楽グループ」

が載っているだけでした。

比較するべく立正佼成会のHPを開くと、
http://www.kosei-kai.or.jp/

「「世界平和祈りの週間」宗教・宗派を超えて平和の祈り
 京都で第6回日本・中国・韓国仏教友好交流会議日本大会開催
 佼成看護専門学校で「第35回戴帽式」
 庭野平和財団が平成15年度活動助成先(後期)を発表」

一番、目を引いたのは

「『イラク問題の早期終結めざして』
  イラク緊急救援募金総額発表
  JENがイラク事務所を開設
 「イラク緊急救援募金」終わる
  ワールドピースAwake実行委員会主催「イラク緊急対話集会」から
 「ワールドピースAwake実行委員会」が
  WCRP国際委員会のベンドレイ事務総長を招き緊急対話集会
  国富青年本部長がイラクから帰国
  各地で「イラク緊急救援募金」」

青年部活動では

「一食を捧げる運動
 植林ボランティア
 アジア子どもサポート(一乗ボランティア)
 アフリカ毛布ボランティア隊(一乗ボランティア)」

など社会活動の実際が紹介されていました。
わたしは、もちろん、立正佼成会とは縁もゆかりもない人間ですが、上記の二つのHPから伝わる差は歴然としたものを感じました。

733犀角独歩:2003/11/07(金) 13:24

―732からつづく―

伝統仏教におけるビハーラ活動はいまさら紹介するまでもありませんが、ここにも仏教精神は生きています。宗派、思想信条を超え、悩み・苦しみ・病み・飢える人をい如何にして救うか、その社会活動を通して、人々は宗教の必要性と、その功績を知ると思います。

『現代宗教研究』第37号に、日蓮系として上述の関連する研究が掲載されていました。『日蓮宗のビハーラ活動 ― その理念と意義』がそれです。この書は日蓮宗宗務院発行のものなので、宗派の見解と見ても差し支えないと思えます。
ここで著者・奥田正叡師は、ビハーラの視点から仏教が果たしてきた役割、その実際の記述を紹介しています。わたしは目から鱗が落ちる思いで拝読しました。

「多くの仏教経典には、仏陀を医王、法を薬、僧を看病人にたとえ、“病人を看護することは仏陀を看護するのと同じ功徳がある”と説かれている。また、病者を看病しない者は自分も看病が受けられないと説かれ、積極的に看病の必要性が説かれている」(同P140 “”の括りはわたし)

「『梵網経』には「看病は八福田の第一」と説かれ…『四分律』(巻第14)には…看病の心がけが説かれ、利益のための看病を厳しく戒めている。さらに仏の教えを誰にでも解るように説き、説法を以て病人に法悦に入らしめることなど、具体的に説かれている」(同)

そして、篤信の仏教者が果たしてきた実際の活動を紹介

「古代印度の祇園精舎:聖人病院・仏示病院
 アショカ王:当初から医療活動を実践
 中国北魏の孝文帝:洛陽に慈善病院別坊を開設
 日本初の僧侶善信尼・僧侶たち:慈悲の精神により療養活動
 聖徳太子:四箇院を設置
      施薬院(貧しい病者に薬剤を与えた所)
      療病院(身寄りのない病人を収容し法を説いた所)
      悲田院(貧しい孤独な人を収容した所)
      敬田院(人々の精神的な救済を行った所)
 奈良時代:寺院と病院が合体」

などを紹介されています。
著者・奥田師は日蓮宗僧侶でありながら、良忠師に触れ

「臨終に際した病人をどうしたら死後の世界に生まれ変わらせることができるか、そのためにはどのような条件の下に重病人と接したら良いかを浄土宗の立場から説いた。現在のベッドケアの原型である」(同P142)

と記しています。この記述から見る限り、「臨終正念」とは死期にある重病人を安らかに看取るべきかを僧侶の責務として教えた実践論であったことが窺えます。

奥田師はこの研究ノートを以下の文章を終わっています。

「法話は寺院や信徒という限定された場所や対象によってのみなされるというイメージが強かったが、本当はそうではなく、そうあってはならないと思う。日蓮聖人の教えは、娑婆即寂光土という現実生活の重視と、即身成仏ちう我が身の救いにある。日常生活や我が身の苦楽の他にどこに救いがあるのだろうか。日蓮聖人の教えを拠り所とする私たちが、今こそ広い視野に立って社会のニーズに応えていくべき時ではないないだろうか」(同P152)

以上、仏教の功績を紹介する同書を見ましたが、このような功績があればこそ、仏教は日本社会の中に長く生き続けてきたのだと思います。

アネモネさんが指摘されたように功績とは社会的に何をしているかということです。
さて、わたしは嫌みでも何でもなく、創価学会の上述の如き、功績をまったく知りません。またHPなどを見てもその実践活動の紹介がありません。
故に是非とも創価学会の功績をここに示してください。それこそ、最大の布教活動になるとも思います。(もちろん、掲示板での布教活動はルール外のことであるとは思いますが)

734犀角独歩:2003/11/07(金) 13:39

731 愚鈍凡夫さん:

早速の返信、有り難うございます。
午前中、やや時間を取って、少し長い投稿を終えたところなので、やや短めで失礼します。

わたしは何度も記したとおり、創価学会の(対社会的な)功績というのはまったく思い当たらないのです。創価学会は創価学会員のためのものであるとしか見えません。

ここのところの現役学会員の発言を通して、はっきり確認できたことは、我々脱会者は「心から見下される」差別が未だにまかり通っていることです。つまり、このような考え方である以上、この団体が(あるいは、ここで記述している個人の考え方もしれませんが)提示する未来像には、我々の生存権はないことを意味しています。創価学会の示す未来像は、まさに創価学会(員)のためのものであり、不信者、殊に脱会者は埒外に置かれたものであると映じます。創価学会信者とシンパだけの未来像です。『1984年』のような恐怖世界と映じるのが正直な感想です。

このような差別社会を創価学会がめざしているとすれば、これはまさに社会的な罪科と考えるしかありません。このわたしの考えが違っていることを願うばかりですが、では、創価学会にはどのような対社会的な(こんな枕詞を付すとアネモネさんに怒られそうですが)功績があるか、わたしたち脱会者を、彼らが言う仏教ヒューマニズムではどのように扱うのか、反対論者に、どのような態度で接するのかを見れば、愚鈍凡夫さんの危惧の実否は明白となりますね。

いまのところ、このスレッドでの応答を見る限り、わたしには愚鈍凡夫さんの危惧は当たっているように見えます。「心の底から見下された」一人としての感想です。

735犀角独歩:2003/11/07(金) 14:02

MILD SEVENさん:

70でご紹介くださっている故トインビー博士の孫娘・ポーリー女史を、改めて読み直しましたが、これは実に池田さんの“衛星放送”の裏の実態を典型的に語るものでした。
これは非常に意味のある資料ですね。

736アネモネ:2003/11/07(金) 15:45
創価学会草創期の、最も躍動していたと思われる時期、その折伏闘争というのは、すさまじかったものだったと聞いています。
創価学会の信念体系に陶酔している信者の方々にとっては、広宣流布へ向けての歓喜の闘争だったのかもしれません。しかし、その一方では、家庭や人生をかき乱されてしまった悲しい現実もあったといえます。ご存知の方々にとっては、今更ながらの周知のことかと思われますが、功罪を考える上で、決して見過ごしてはならないところだと思い、以下、古い文献ですが、そのことを示す、文章を紹介しておきたいと思います。

****抜粋***************

昭和二十六年、隣国朝鮮に起った戦争を契機として、台風のように、日本の全国を吹きまくっている創価学会の爪跡は実に大きい。ある青年は毎日のように折伏に来られて神経衰弱となり、果ては自殺して若い生命を断った。彼の母親は、そのひとり息子を失った哀しみに耐えかねて、愛児の後を追って死んだ。回復するはずの病人が、医師の忠告を退けてお題目を挙げていた結果、病状が悪化して死亡した者や、脳溢血で倒れた病人を囲んで、一週間もお題目を唱えているうちに、手遅れになって、医師にも見せないで殺してしまった者や、疫痢になった子共のそばで、お題目を唱えつつ殺してしまった母親等々、無知のかもしだす悲劇は余りに多い。
 ある創価学会の班長は、旧友を訪ねて折伏した所、相手から「入信したらどうなるか」と聞かれたので、「どんに願でもかなわないことはない」と答えた。それで友人が、「では、僕は百万円の宝くじの当たるように願をかけるから、君、責任をもってくれ」と言ったところ、「ちょっと待ってくれ、支部長に聞いてくるから……」と答えた。ある班長の母は胃癌になって、全家族のお題目をよそに、悲惨な苦しみにうめきつつ死に、彼もそれから二年後には、五十二才の若さで、同じ胃癌で母の跡を追った。そのとき、親ゆずりの財産は全くなくなっていたのだ。毎日折伏にかけまわって、幸福製造機と銘うつご本尊を勧めつつ、自分の家業を忘れた当然の報いであった。
 ある支部長は、折伏に熱狂して倒産したが、裸になっても悪夢から醒めない。その娘は婚約者があるが、父が家庭を顧みないために、いつまでたっても一家の犠牲として働かされ、結婚できないのを悲観して服毒、生命はとりとめたものの、医師にもかけないで、信者が集って一週間もお題目の連続。一週間目にみんなでよってたかって、頭を押さえてお題目を唱えているうちに絶命した。親戚の者が集まって、「これほど不幸が続いても、まだ目が醒めないか」と忠告したら、「信心がまだ足らたかったのだから、もっと熱心にやる」と答えたという。ここまで、迷いこんでは、もはや、つける薬がない。
 こんな迷信にだまされて、苦しんでいる者はもちろん、毎日折伏に押しかけられて、迷惑している者は無数である。しかも、「王仏冥合」という仏教政治を、全世界に実現しようという「第三文明論」の旗をかかげて、まず、日蓮正宗を国教化するためには、流血の革命?をも辞さないかに見える彼等の思想は警戒を要する。だから、創価学会のまちがいをただして、愛する同胞を正しい信仰に導きたい願いで本書を書いた。
(『創価学会のまちがいをただす「キリスト教折伏に答えて」』序文より 森山論著 日本イエス・キリスト教団東京出版部発行) 

***以上****************

今もこのようなことが行われているのかどうかは私にはわかりません。ただ、価値観の多様性を尊重することなく認めず、また他人の忠告や意見に耳を傾けることも出来ずに、ただ自己陶酔する価値観とその布教精神が今もなお残されているのならば、これは罪科というものに他ならないのではないかと思います。自分とその教団を客観視できないというところに、最大の欠点があるものではないでしょうか。

737犀角独歩:2003/11/07(金) 17:27

736 アネモネさん:

懐かしい資料です、これは。
森山師は、キリスト者の中では、特に異端/異教問題に真剣に取り組んだ一人でしたね。記述されているところは、当時の新聞記事、その他の報道に拠った事実に基づいていたはずです。この点をまとめた切り抜きその他の資料があったと記憶します。

たしかこの著述発表後、かなり迫害を受けたのではなかったかと思います。
また、師は統一協会問題でも活躍した一人でした。社会派牧師の走りのような方でしたね。

この方のお弟子さんが知り合いにいます。12月にお会いする予定なので、顛末をお尋ねしてみます。ご報告できようかと思います。

「客観化」という点について、ハッサン師は以下のように記述しています。

「皮肉なことに、カルトのメンバーたちはおたがいに、ほかのカルト集団に入ったものを見下げている。すぐ、『あの人たちは、カルトに入っているのだ』とか『【彼らは】洗脳されている』とか認めてしまう。自分自身の状況から抜け出して、自分を客観的に眺めることができないのである」(『マインド・コントロールの恐怖』恒友出版 P150)

ここで、いみじくも「見下げる」という言葉が出てきます。
客観できないカルト・メンバーは人を見下すという記述です。
破壊的カルトの特徴に数えられる点です。集団であれ、個人であれ、罪科に数え上げるべき点ですね。

738背景探求123:2003/11/07(金) 18:55
コマルナー、、沖浦さん、。 ナカナカの意地がお有りのようですが、?  創価某グループ?からの全面的な支援などは、?? 一個人ならばこれほどのガンコさは??でしょう。 ドーモ協力なバックの存在がチラチラするようなムードでは、? 選挙前では某会などはピリピリですから、、>?? 何かが?引っかかるようですが、、? ドーモ組織をあげての「創価擁護作戦の一環が進行中??」のようですか、、? コワイ、コワイ、。

739愚鈍凡夫:2003/11/07(金) 20:33
アネモネさんのレスで思い出したのですが、ネットでゲットした資料の中にこういうのがありました。
創価学会員の体質は今も昔も変わらないようですね。

********************************************

『息子は創価学会に殺された、気が狂い鉄道自殺 長崎 悲観の母親も後を追う
〔長崎〕創価学会に入会を強要されて鉄道自殺した子どものあとを追って、今度は母親が〃息子は創価学会に殺された〃と悲観して井戸に飛込み自殺した。
 16日午前4時30分ごろ、長崎市無職○○スギさん(53)方裏でうめき声が聞えたので同家の3男洋信君(14)=××中学3年=が出てみたところ、水深2.5㍍の井戸でスギさんが死んでいた。同家は父□□さん(当時49)と長男が原爆で死に長女の幸江さん(18)は市内のパン屋に店員として住込み、自宅にはスギさん、洋信君に、さる3月30日 鉄道自殺した二男の幸芳君(19)の3人が、幸芳君の給料(同市××××××工所勤務)で細々と暮していた。ところが、さる3月7日から近所の上西山町、◎◎◎◎さんら創価学会員が数回にわたって幸芳君を訪ね、創価学会に入会するよう勧めて座り込み、同月10日、ついにいやがる幸芳君を入会させた=(洋信君の話)=それ以来、無口だった幸芳君は狂人のように変り入会20日目の3月30日「入会は誤まっていた。こんなものに入ったのは、自分がしっかりしていなかったからだ」と云う遺書を残し、国鉄長崎本線長与―道尾間で長崎行貨車に飛込自殺した。
 スギさんは望みをかけた幸芳に死なれたばかりか、たゞ一つの収入の道を断たれて前途を悲観、近所の人々に口ぐせの様に〃幸芳は創価学会に殺された。創価学会が憎い〃ともらしていたが、ついに自殺したもの。
 入会強要されて……
 長女幸江さんの話
  『創価学会に入会を強要されたぱかりに、二人ともこんなことになつて……。』
(中国新聞 1959(昭和34)年6月17日付)

後日談
 『週間新潮によると幸芳君の自殺後に毎日の様に匿名の手紙が舞込んだと云う。
その手紙には貴家の息子さんが自殺されたことを心から憎みます。見知らぬ自分がこうして憎むのも仏の使として有難く思いなさい。(中略)貴家はもはや救われません。宗教に向かい、仏の使いに向かって弓をひき、その上で幸せになろうといくらあせっても、それはアリ地獄にいるアリの様なものです」スギさん一家の信仰の薄さを責め、自殺した幸芳君にムチ打つこの匿名の手紙がスギさんに決定的なシヨツクを与えた。この手紙でスギさんが後を遣って自殺したと同誌は伝えている。なお類似の事件は全国各地にあるが略す。』
(窪田哲城『日蓮聖人の本懐 日蓮正宗・創価学会批判』増補版3刷P122)

************************************************

戸田さんの「罰論」は、今も形を変えて生き続けています。
このような痛ましい事件は、何の教訓にもなっていないようです。


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