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創価学会の功罪を考える
705
:
犀角独歩
:2003/11/04(火) 17:58
694〜695 アネモネさん:
> かつて、独歩さんと意見が対立していたことを思い出したりしました。
よく、意見がぶつかり合ったものでしたね。今では、好い思い出ですが、いつまた、ぶつかり合うかわかりませんよ(笑)
ただ、どんなに意見がぶつかろうと、互いの人間性という部分で尊重しあう心があれば、一生合わない意見があろうと、こうした掲示板上でも人間関係の継続は可能ですね。
誰と言うことはできませんが、当板で激しいやり合いをしたあとで会い、「この前の掲示板の突っ込みよかったでしょう」なんて、意見の違いを超えて和気藹々と酒を酌み交わす人もいます(笑)
反面、議論を通じて人間関係にまで響く根底には必ず人格攻撃・人間性批判という別の側面が潜んでいます。この点が、実は掲示板マナーの根幹をなす部分なのではないかと思っています。
> 独歩…脱会時…被害…レスに対して、私が「実感が持てない」と…どれだけ冷淡なことを書いたものかと振り返ります。
いやいや、そんな。冷淡などということはありません。
痛みというのは経験したものでなければ実感できないのは当然ですもの。
> 創価学会に関わると…「仕方ないのでは」
そうですね。わたしは脱会後、「折伏」した相手には出来る限り、謝罪に行きました。
大概の反応は「ほれ、見たことか」と言ったところです。
> 私自身が、相手を思いやる気持ちに欠けていた…反省
このように記していただけるだけで、救われるものがあります。
脱会後、わたしは、元創価学会であったことを消し去るようには生きてきませんでした。ですから、その反撃で緊張した毎日を送ってきました。
その中で、極寒に暖を取った思いです。有り難うございます。
> 敬して遠ざける…非情に腫れ物を触るような感覚を覚えます。
そうでしょうね。このような一般的な見解を記していただくことは大変に重要なことです。この点はわたしも記したことがあります。
「布教に止まらず、、政治支援を呼びかける。周りの一般社会の友人は少なからず眉をひそめている。口を開けば、宗教・政治のことばかりとなれば、人に嫌がられるのも無理はない。しかし、本人は自分が批判的に見られているなどと思っていない。それどころか、「選ばれた人間である」とヒロイズムに酔いしれているのが実態だ。「自分は使命を担ってこの世に生まれた。その使命を果たすのだ」となる。一般の人は、その相手をするわけであるから、新興宗教特有の過激な攻撃をかわすためにお愛想で口を聞かざるを得ない。
なかには真剣に議論に応じ、断固、その非を説く人もあるが、多くは「触らぬ神に祟りなし」と決め込むのは致し方のない防御策であると言えよう。つまり、周りは火の粉が罹らない一定の距離を置かざるを得ないわけである。すると会員は本気で口を聞いてくれるのは組織の人間だけになって、世間はますます狭くなる。すると、会員にとって、その会だけが頼りになる。会に居続ける限り安堵感を味わえる。しかし、それには極めつけの限定条件がある。「先生」や組織をしてはならないということである」(『あなたは違う方向に歩いている』)
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