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創価学会の功罪を考える

707犀角独歩:2003/11/04(火) 18:00

―706からつづく―

> なぜ、自分の組織の問題に目を向けられないのでしょう。

ここまで、掘り下げると、もはや破壊的カルト・マインド・コントロール理論で考えるしかないと、わたしには思えます。
「自分たちが正しい」「理解でいない人間が悪い」こうなっています。
善悪二極思考、フロムが権威主義的パーソナリティと言ったステレオ・タイプの価値判断で「善は自分たちに」「悪を他に」と考えられるように心理プログラムが植え付けられていると見えます。ここで力を発揮するのはファンダメンタリズムということでしょう。これが単一国家である日本の中で信・不信で人を差別する“シオニズム”を形成しているとわたしは見ています。

> 犯罪行為にまでエスカレート…嫌がらせや恫喝が現実的に起きている…それでも被害を受ける人が悪いという理屈…自分の思いばかりを通すことに余念がない…自己中心的な人格が築かれるその根本的な原因…

この点は熟考する必要がありますね。

> そのような考え方は、本当に日蓮の仏法の中から生まれたものなのだろうか、法華経の精神からくるものなのだろうか…私はこの点を知りたいと思います。

ええ、是非とも検証しましょう。
敬愛する日蓮、仰ぐ法華経の、敢えてタブーの垣根を越えること、そこに見える真実があるはずです。

> …牧口氏が「価値の創造」…「美・利・善」…日蓮仏法や法華経の精神から生み出されたものではなくて、牧口氏個人の思想観から示されたもの

ええ、まったくそのとおりでしょう。
「創価」とは価値創造、創造価値で創価です。もちろんのこと、蓮祖とも、法華経とも何の関係もありません。創価教育学会は元は教育者の会でした。

> 創価学会の今日の問題の根本があるのではないかと推測するのですが、その点、如何お考えになりますか?

この点については、皆さんのご意見も伺いたいと思いますが、わたしは個人的には、概ねアネモネさんと同様に感じます。

第一仏法には、そもそも「創造」という概念それ自体がないでしょう。この点を純師が「創価」という名称に意義を述べ立てたのは夙に有名な出来事でした。つまり、創価教育学説を蓮師教学で考えようとした瞬間から躓いていたとわたしは思います。そして、戦後、さらに生命論で潤色されます。これはもはや、蓮師の素意とはまるで別のものであって、名を蓮師に籍りながら、実際は牧口価値創造論と、戸田生命論を混ぜてしまったものでした。この創価論・生命論を蓮師に懸けてその責を追及することは、よほど酷なことであるとわたしには思えます。このスレッドのテーマで言えば、純粋な蓮師教学に自分達の考えを混ぜた点を罪過と数えるべきであると思うものです。


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