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創価学会の功罪を考える

694アネモネ:2003/11/04(火) 12:34
新しいスレッドが立つことになれば、そちらにレスを移して頂いても構いませんので、すみませんが、議論を進めたくこのまま投稿をさせて頂きます。

犀角独歩さん

ここのところのこのスレッドのやりとりを通して、かつて、独歩さんと意見が対立していたことを思い出したりしました。
私は、前回のレスにも書いたとおり、直接的体験としての創価学会を知りません。そのために、私のレスは参加当初から、ご承知の通り、法華講信徒の立場としての宗門批判というものが大半でした。そのことについて、独歩さんはかつて私のことを、「宗門批判はするけれども学会批判はされない。不思議な人です」そのようなことを洩らされておられました。忘れもしません。
その後、小さな見解の相違が何度かありました。しかし、最も強烈だったのは、確か、今回独歩さんがレスされた、脱会時における被害についてのレスに対して、私が「実感が持てない」と書いたことだったと思います。
そのときは、正直な気持ちだったのですが、しかし、改めて私がどれだけ冷淡なことを書いたものかと振り返ります。
もっと内面の本音を赤裸々に言えば、創価学会に関わるとそういうことが起きるんだという、沖浦さんの理屈とは別の観点からの「仕方ないのでは」みたいな思いでもあったと思います。
しかし、独歩さんはご自分の意思で創価学会に入ったわけではなかったわけですし、たとえそうではなくても、どれほど苦しい思いを抱えて脱会に至ったかということに心が至らない私自身が、相手を思いやる気持ちに欠けていたものだったと、つくづく反省しました。

しかし、かつての私の感覚とは、実は世間一般の創価学会に対する冷めた見方そのものではないかとも思われます。
ただしかしそのようなことを表立って口にすれば、組織ぐるみで抗議されて日常が煩わされかねません。結局はアンタッチャブルで口を閉じ、敬して遠ざけるしかないわけです。
非情に腫れ物を触るような感覚を覚えます。

そして曲がりなりにも、日蓮正宗に関わった今の私は、世間一般よりははるかに創価学会に近いところに位置し、既に当事者の域でこの問題を考えなければならないところにいると思っています。

その後、独歩さんと、あのときの摩擦についてはお互いに何も触れず、謝罪がどうのということもなく、何ごともなかったように、こうして掲示板で議論や対話を続けてきましたが、実はこの度、あのときのことを振り返りながら、種々考えました。

当時、私はまだ現役の法華講員でしたから、お寺に行くことも多く、行けば必ず創価学会の悪口を聞かされて帰るという日々だったわけです。
私としては仏教の法話を聞きたくて参詣しているというのに、どうしてこうも学会の話ばかり聞かされるのだろうかと、ほとほとうんざりとしていたというわけです。そのような気持ちが強いばかりに、いわば別の意味での学会アレルギーに陥り、掲示板での被害の訴えに、耳を傾けられなかったものと思われます。それだけ、いろんな意味で創価学会の存在が人に与える影響は大きいものだと思いましたし、私もその渦中に入ってしまいました。


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