したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

創価学会の功罪を考える

695アネモネ:2003/11/04(火) 12:38
(つづき)
しかし、こうして月日を経て、改めてこの場でレスを流れを見ていくと、実際に犯罪行為としての嫌がらせや恫喝が、被害の事実として証言されているというのに、当の学会員の方の中には、平然と聞き流すばかりか、むしろ当然の報いなどと言い、そんなことよりも自分にいくらお金が入ってきて、どんな功徳があったかといった自分の話に夢中なわけです。
そのような問題が自分の組織に現実問題としてあるということに、そのことに対して無感覚、無神経なわけですね。
創価学会に関心のない人が、学会被害に無関心であるのとは話が違います。
自分の組織の問題なのに、なぜ問題視しないでいられるのでしょう。このような人間性を培ってしまうのが創価学会というところなのでしょうか。
犯罪行為にまでエスカレートする組織の問題を本当に改善できるのは、組織内の人でしかないわけです。社会的存在からいっても、しっかりと重要視してほしいものです。詭弁を通して、問題をうやむやにしてほしくはないものです。
私は、法華講にいて、自分の組織の問題には黙ってはいられませんでした。だからこそ、この掲示板に参加したものです。

なぜ、自分の組織の問題に目を向けられないのでしょう。犯罪行為にまでエスカレートした嫌がらせや恫喝が現実的に起きているというのに、それでも被害を受ける人が悪いという理屈を立て、自分の思いばかりを通すことに余念がない。そこまで自己中心的な人格が築かれるその根本的な原因は何なのだろうか、そのような考え方は、本当に日蓮の仏法の中から生まれたものなのだろうか、法華経の精神からくるものなのだろうか…私はこの点を知りたいと思います。

ふと思うのですが、創価学会が設立当初、牧口氏が「価値の創造」の、「美・利・善」と定めたわけですが、これは日蓮仏法や法華経の精神から生み出されたものではなくて、牧口氏個人の思想観から示されたものではないかと思うのですが、どうなのでしょう。そもそもここに創価学会の今日の問題の根本があるのではないかと推測するのですが、その点、如何お考えになりますか?


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板