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日本の回天

1藤原肇:2009/08/31(月) 13:33:44
幸運にも『さらば暴政』が衆議院選挙に重なったことで、デタラメ政治が支配していた自公政治の破産宣告が出来て、自民党の壊滅的な敗北と公明党の没落が実現した。
この吉報を旅の途中のシンガポールで知ることになったが、中文の『連合総報』は「日本変天」と見出しに書いたし、「Strates TTimes」はLandslide Victoryなる見出しで、世紀の大変化について報じていた。
数年前に出したが売れなくて断裁されたが、正慶さんとの共著『Japan Revolution』のオリジナルな題名が、『日本回天の時代』だったことを思って、この瞬間を共に味わえなかったとはいえ、明日はアルプスの地で地球を眺め渡すことになるので、そこで正慶さんの冥福を祈ることにしたい。

2千々松 健:2009/08/31(月) 17:08:14
まさに民主党の「地すべり的勝利」を目の当たりにしました。
以下は「ジャパン・レボリューション」P147からの引用です。
正慶:この信頼のない不安な平成幕末を克服して、新しい日本を築くためには、近代の枠組みを乗り越える認識の革命、新たな座標軸が必要です。
藤原:そのためには、国民が運命を託せる真の指導者が必要です。「総理大臣」というのは本来、「総ての理を統括する人」という意味です。宇宙や社会や人間の理を説くことができ、それを実践できる指導者の登場こそが、二十一世紀の日本の改造のカギを握っています。
<実際の対談からは10年の経過が見られます>

新総理の誕生に世界の注目も注がれようとしています。先ずはその価値が問われる晴れ舞台でのスピーチを、格調高く日本政治の脱構築への道を示すことにより成功させて欲しいと願うものです。

3T.N.:2009/09/01(火) 00:16:14
 とりあえず不可としか言えない政権を交代させることになった今回の選挙結果を歓迎するものの、楽観はでき
そうもありません。民主党と自民党に米国の民主党と共和党程の違いがあるとは思えず、自民党に負けないぐら
いの人材難にも見えます(若くてTV写りのいい人が多いのは取柄ですか)。
 政権交代しても大きな成果が得られなければ、戦前のように議会政治そのものの否定につながりかねないのが
不安なところです。
 ただ1980年代に韓国が、北との軍事的緊張を抱えながら、自らの手で民主的な憲法を作り、政権交代によ
る旧悪の追求が可能な社会を作ったことに比べれば、日本人が越えなければならないハードルは低いわけですか
ら、この機会が有効に活用されればと思います。

4西條謙太郎:2009/09/01(火) 01:42:48
 藤原さんの新著『さらば、暴政』が絶好のタイミングで刊行され、デモ
ラルパーティーによるゾンビ政治へ本物の引導を渡すこととなったのにつ
いては、多くの藤原さんの読者が深い感慨をもってうけとめていることと
思います。
そしてその感慨は、今後、藤原さんの著書の数々を手に取り歴史を深く学
ぶ未来の読者にとっても同様ではないかと考えます。

 そして今回のエポック・メーキングな選挙の結果を受けて、もし正慶さん
がご健在で藤原さんと対談されたならば、回天が緒についた日本にどのよう
な貴重なアドバイスをなされただろうかと想像いたしております。

 また、千々松さんの新総理の内外でのスピーチの重要性のご指摘にまったく
同感です。世界史の大きな潮目のなかで、今後、世界と日本を自らリーダーシ
ップを発揮してどういう方向に導くのかについて、歴史と哲学を踏まえて格調
高く語ってほしいと願っております。

P.S.
今回の自公大敗・政権交代に関して、海外のメディアは Revolutionという
言葉を使って報道しているものが他にもでてきていますので記録の意味で
タイトルを下記しておきます。 

Japan DPJ Election Win Brings ‘Bloodless Revolution’ by Bloomberg
http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=20601101&sid=avfKQaqqUi.w

Japan victor hails 'revolution' by BBC
http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/8229744.stm

Obama touts 'strong alliance' after Japan revolution by 星州日報 電子版
http://www.mysinchew.com/node/28821

Japan: Not an election, a revolution
By Gwynne Dyer The Tehran Times
http://www.tehrantimes.com/index_View.asp?code=201993

'Revolution' at the Japanese polls by Bangkok Post

【09衆院選】韓国有力紙が異例の7ページ特集 「選挙革命」by 産経ニュース

5山村貴男:2009/09/01(火) 04:24:56
民主党への移行は、変革へのきっかけであり、これからより良き政党と人物が
日本を正常な方向へと向かわせる。今回が第一段階で、自民党政権を終焉へと
導いたわけです。 長かった57年でした。
日本人は、狂った政権を選挙で倒せないのではないかと思っていたが、選挙民
が、これ程酷いことにやっと気づいた訳です。
さあ、やっとスタート台につきました。これからも国民がリードして、日本を
引っ張っていかねばなりません。

6千々松 健:2009/09/01(火) 21:11:01
以前にも引用したことのある箇所ですが、遠くアルプスを思い浮かべながら再録させていただきます。
藤原肇の山岳誌から「野ごころの歌」(全6章のうち4章部分)
「野に在る心 野ごころは
エーデルヴァイスの明日の希望
移り行く黄昏に続く明暗の逆転の中で
若く清い憧れを袖に秘めて
この花は 深夜の咆哮を含んだ
峰の嵐に耐える」

・・今回は『黄昏に続く明暗の逆転の中で』から「回天」が想起されました。
勢いよく回ると、ある時点でひっくり返って軸棒の方で立ち上がるあの不思議な独楽のように、そしてメビウスの輪のように「捻り」が生じて更に多次元へと進む如く見事に転回したのです。
今日は、本場アルプスの峰々から「野ごころの歌」が地球を廻って響き渡っていることでしょう。

7プロジェクトラーニング:2009/09/02(水) 09:55:30
今月半ばに総理となる鳩山由紀夫さんが使う「友愛」は、その語源が「フラタニティ(fraternity)」にあるとすれば、それは古来、英米においては宗教的共同体としての性格を色濃く持っていた共済的な連帯組織を意味していたと考えます。このフラタニティが閉鎖的でありかつ同時に開放的であるということで、国家戦略局を設置するにあたり、国の大事な情報(国家機密)にいかに対処していくのかということに新政権の最初の真価が問われると考えます。このような観点でアメリカの社会学者アーヴィング・ゴフマンや藤原肇さんの書籍を精読しようと思います。

8千々松 健:2009/09/02(水) 11:29:02
作詞家のなかにし礼が「三拍子の魔力」という興味ある本で「自由・平等・友愛」のリズムと表現していた。
フランスの国旗である3色旗もそれに由来するという。それとは歴史の通奏低音としてのフリーメソンの基本テーマにつながるのであろう。
友愛は博愛や兄弟愛と言い換えることもあったようだし、更に言えば「精神的な自由、政治的な平等、経済的な友愛」となるようである。
今年は「天地人」のTV大河ドラマが若者にも好評で「愛」がキーワードになりそうである。国民に経済格差を産んでしまった暴政の負の遺産を
「経済的な友愛」でもって先ずもって是正することが望まれる。

9千々松 健:2009/09/14(月) 11:46:45
ケビン・ラッド豪州首相がグロービス代表の堀義人さんと最近会談した際に、「第二の明治維新を期待する」と云う意味のことを述べていたという。
そこで、幕末から明治維新〜明治20年頃までの歴史を再確認することが重要だと云われていた藤原博士のことを思い出しました。
まさに「創造と変革の志士たち」が主体となり国の再興が図られねばならない。その中心メンバーは45歳から50歳の働き盛りとなろう。彼ら世代が持てる能力を充分に発揮できるように、支援し、ファシリテートすることが私を含む60歳以上の役割のような気がする。

10T.N.:2009/09/16(水) 00:49:57
 遅れ馳せながら、他スレッドでも取り上げられたNHKの番組「エジプト発掘 第1集 ピラミッド 隠された回廊の謎」
の感想を。普通の大きさの石を円滑に積み上げるための、内部トンネル説も興味深かったですが、60トンもの巨石を滑車
のようなしくみで反対側に錘を使い、引き上げたのではないかという説には感心させられました。単純に下から積み上げる
ばかりでなく、既に積み上げた分の高さを利用するというのは、様々な問題の解決に応用できそうなアイディアです。
 日本がさらに行き詰まり、持っている長所すら失うことがないよう、願うものです。

11T.N.:2009/09/18(金) 01:45:45
 例えば交易においては、同じものでも地域により価値評価や必要性が異なるので、単に移動させるだけでも価値
を生じさせ、利益に結びつくということがあります。小室直樹氏がサムエルソン教授から学んだとされる学問落差論
もそうしたものの一種かと思います。高いところを利用して低いところを埋めるということを、もっと活用できない
でしょうか。
 たまには藤原氏に激励の意味を込めて、日本はもっとこういう強み・長所を生かせというような話をしていただけ
たら、などと考えております(漢字を使っている強みについては「意味論」のスレッドで書かさせていただきました)。

12藤原肇:2009/09/18(金) 12:21:38
二週間のヨーロッパの旅でアルプス周辺を歩き回り、かつて隠棲の地の候補と考えていたルガーノも訪れて惜別の情を感じました。スイスとイタリーの国境の町に引越し予定をしていたのに、首藤さんが突然死してしまったことにより、宛てにしていたものが雲散霧消してしまい、もはやこの地に住むことはないことになり、これもひとつの縁だったという気持ちを確認して来ました。
『さらば暴政』は活字メディアではいつものように黙殺され、書評と呼ぶにあたるものはなしということになり、これまた日本における問題意識の乏しさの再確認でした。
そんなことよりも、世界は日本の暴政の急激な雲散霧消に対して、回天とか無血的革命という捉え方をしているのに、国内では単なる新政権の発足というレベルで騒ぐだけでした。そして、これまでのペテン政治を総括するという気構えや、これからの日本をどう変革していくかという議論はなく、藤村の詩にある「昨日またかくてありけり、今日またかくてありなむ」という感じが濃厚でがっかりしました。早くも売れないということで絶版になった、あの『ジャパン・レボリューション』の中で正慶さんが明白に区別していたが、今の日本は自転(ローテーション)のレベルで動いていて、とても公転(レボリューション)にならないという点で救済はなく、せっかく高地で浩念の気を養ってきたのに気合抜けの感じです。このまま気抜け状態でいるのは健康によくないので、仙境の空気を吸うために急いで美麗島に戻ることにしましたが、そのときには少しくらいは変わっているはずで、次の訪日の時には皆さんと大いに歓談することを楽しみにしています。

13T.N.:2009/09/19(土) 01:46:38
 自転があっても公転が無ければ天動説で、これは「さらば、暴政」に紹介されている、藤原氏が1983年に文芸春秋
に書いた記事「天動説の国・日本よ」に繋がります。つまりその時から日本は変わっていないということになります。ま
た「さらば、暴政」の243頁には
「日本の政治史の中でこれ以下はないと思うので、麻生内閣についてはポンコツ政治と書き、こんなお粗末な男を首相に
した日本人に、私は愛想をつかしたと告白しておく。」
とはっきり書いてあります。
 藤原氏が海外から40年近くに渡り、貴重な提言をし続けてきてくれたのに、私を含め日本人はそれを生かすことが出
来ず、藤原氏が”やはり終の住処は日本”と喜んで帰ってきてくれる国を作れませんでした。
 「さらば、暴政」が藤原氏の日本人に対する最後通牒にならねばよいが、と思っています。

14桃太郎:2009/09/19(土) 09:10:35
日本人の受け身な姿勢による無反応な態度に愛想をつかして、藤原さんが台湾に帰ってしまうと知るのは見捨てられた感じで残念だが、確かに日本には破棄がないのは事実だから悔しいと思わざるを得ないというのが、正直な感想だといったら良いだろうか。
飯山一郎さんのブロググの中に、「韓国は,どこもここも活況を呈している.街が素晴しく綺麗になっている.ブティックも喫茶店もシャレた装飾で見とれる.みな服装のセンスがいい.人々の顔が輝いている.ホームレスはいない.老若男女,みな張り切っている.(中略) どこにいっても,“民度”が素晴しく向上していることが実感できる.この1年だけでも,経済の活況で莫大な“国富”が蓄積されたはずだ.経済成長力では,韓国は日本を追い抜いた感じがする.私は,日本人として思う. …くやしい! 」と書いてある。
日本の外に一歩出るだけで、現在の日本が如何に閉塞感に支配され、無気力に包まれているかがはっきりと判るということだろう。だから外国に住み慣れた藤原さんには、この無気力さが耐え難く感じるのだろうと思う。選挙が終わって二週間後に日本に戻ってきたのに、内閣が変わったのに肝心なことは何も変わらず、台風が過ぎただけという空気だけという気分を感じて、自転だけで公転がないと思ったのに違いないと思う。
新刊書に関しては、「『さらば暴政』は活字メディアではいつものように黙殺され、書評と呼ぶにあたるものはなしということになり、これまた日本における問題意識の乏しさの再確認でした。」と書いてあるが、確かに書評は見かけない。ブロッグには幾つかの書評が出たが、新聞や雑誌に書評が皆無だった点では、「小泉純一郎と日本の運命」のときと似ている。だがしかし、以前のときは小泉内閣が権勢を振るっていたので妨害もやりたい放題だったが、今回は麻生内閣が自滅同然だったから、妨害する力もなかったと思う。そうなると問題は日本のメディアにあり、自分たちの身の回りだけに関心を持ち、世界の中で日本を捉えるということをしようとしない日本人には、藤原式の大局観や遠近法が馴染まないということかも知れないと思い当たった。要するにタコツボ世界なのだ。そういえば、アマゾンやヤフーの書評も乏しいし、この「日本の回天」のセクションの書き込みにも、回天や革命を論じた発言はなく、誰も自分が革命の主人公の一員だという気迫はない。
この日本の現状の中でそれを感じずに、ゆで蛙になっているのに気がつかないのが、日本人の実態で日本の現実ならば、いたたまれなくなるというのは当たり前と思わざるを得なくなり、それが脱藩という行為の背景を作るものだと理解できるのである。

15村山:2009/09/19(土) 11:43:54
歴代の日本の首相を、リーダーシップの欠如という高い視線で評価して、いかに無能であるかについて厳しい評価を下している本に関し、それを正面から批評するのはとても難しいために、黙殺したのではないでしょうか。
あるいは、黙殺せざるを得ないというのが、単なる知識や情報ではなくインテリジェンスのレベルで、遠近法を使いまくって政治を取り扱った本に対して、日本の評論家や言論界の限界なのかも知れません。

16S・Yamamoto:2009/09/19(土) 17:00:49
タイムリーに出版された『さらば暴政』が黙殺されてしまい、せっかくの回天のマニフェストを告げる歴史的な本であるのに、変革の動きにおいて思うほどの威力を発揮しなかったのはなぜか。
それを考えて思い当たったことは、一次元的な発想が支配している日本という国において、多次元的な発想と展望を持つマルチプル人間の藤原氏の発言が、異端的というか異教的な性格を持っていたがゆえに反発を受け、無視されるという結果になったのではないかということだ。
惰眠する日本の現実に直面して、すぐに台湾の仙境に立ち去ろうと決断してしまうあたりに、涅槃の世界と繋がる密教的な、あるいは老荘的な世界観があることは、最近の対談集としての『賢者のネジ』や『賢く生きる』に見られる、藤原氏の人生の姿勢と好みが感じ取れるのである。
これは産業革命に始まった社会が、情報革命を通じて大きく変わり、新しい転換点を迎えたことによって、量から質に価値の転換が進み、顕教的だった人が密教的な者になり、異教徒としてオーソドックスな体制から封殺されようとしたプロセスだと理解できる。
体制としては封殺したつもりでも、密教はいくらでも自由に生き延び、それが着実に時間の支配者になることが歴史の教えだと思う。

17山村貴男:2009/09/20(日) 02:13:02
藤原さんが、「2週間の欧州旅行から帰り、日本は変わっていない」と、の事
に関し、一言。
氏を含め、「さらば暴政」が無視され影響を与えなかったと、皆さんが言って
おられますが、そうでしょうか? 
藤原氏の購読者層がジャーナリスト、政治家に多いことから、選挙への影響力
は与野党拮抗の折には、重要な影響を与えます。今回の衆議院選では、民主党
の圧倒的な勝利の為に、全く目立ちませんでしたが、無意味ではなかったので
す。 今回の衆議院選は、国民が目覚めたのでは決してありません。
自公、特に自民党の金権政治の酷さにも全く目覚めず、長期政権を許してきた
低い民意の日本人です。数年前に、日本国は財政破綻を起こしていたのを、
自民と官僚が先送りにしていますが、去年の世界大不況の影響をもろに受けた
日本は、国家破綻の様相で、大多数の国民の生活に襲い掛かり、さすが暢気な
日本人も悲鳴をあげて、今回の選挙の結果になったわけです。  ですから、
日本人が目覚めて、自民党が敗退した訳ではないのです。不満の結果ですから
今後の民主党の国民主在の政治が行われるかに、掛かっています。
「さらば暴政」出版が、余り影響を与えなかったと、言う藤原さんの感想は、
早計に過ぎます。 また、読者の方が、そのために氏が仙境の地に戻ったと、
考えるのも早計と思います。

18T.N.:2009/09/20(日) 17:23:54
 藤原氏の観察では、日本における8月の選挙とその結果はジャパン・レボリューションではなく、ジャパン・ロ
ーテーションだったということになります。新政権の閣僚はどこかで見たような顔ぶればかりで、正に野球の投手
ならぬ元野党の党首のローテーションというのがぴったりです。
 さて宇宙巡礼サイトのトップにある「ドン詰まりの阿倍レジームという無責任政治に引導を渡そう」という記事は
2007年9月6日に書かれたものですが、末尾の署名のところに藤原氏は、”米国に仮住まいしている江戸っ子”
と書かれています。米国は藤原氏にとって終の住処とならなかったものの、日本も隠棲のための候補地にすらなれな
かったようです(安全上の問題は一先ず措き)。
 せめてたまに藤原氏が訪日した際に”帰るのが惜しくなった”と言ってもらえるような国に、今からでもできればと
思います。”急いで美麗島に戻ることにした”という藤原氏の報告を、激励の一種と受け止めたいと思います。

19千々松 健:2009/09/20(日) 21:23:34
藤原先生は、イタリア国境に近いスイスの「聖なる森」にて浩然の気を養われて、台湾の仙境へ戻られた様ですね。
そして、文字通り「1)物事にとらわれないおおらかな心持ち」 から「2)天地に満ちている大きく強い根元の気(人の心に宿って不屈の道徳的勇気となる)」
を得られたのではないかと推察します。ルガーノの地には、その昔ケルト人が住んでいたようですから、彼らのストーンサークルは「宇宙巡礼のキーストーン」になるのではと考えます。
日本が自転か公転か、はたまたラセン状回転になるかは、未だ我々には見えていませんが、一日も早く来日され、歓談できる機会が得られたらと願っております。

20プロジェクトラーニング:2009/09/21(月) 19:33:07
智は書を通して流通することが多いです。本が売れなくなって久しいですが、そのためか書店に活気がありません。黒船(グーグル、アマゾン、アップルなど)にしてやられています。黒船どもは書物を情報として処理しているだけであり、肝心な書物から智を紡ぐということをしていない。こんな弱点が見えているのであり、一例ですが、大日本印刷−丸善・ジュンク堂(ブックオフにも資本参加)などが日本の奥深い書の文化をなんとかビジネスを成功させ智を国民に届けようという取り組みを始めています。藤原肇さんの『さらば、暴政』が一書として影響を与えているかどうかという議論より、我々は先達が著された多くの良書から絶え間なく意味の認識の範囲を拡大し正確さを増していく能力を高めていくことが必要なのであって、そういう直向きな教養の高めあいが日本の回天の下地を作るのだと考えます。桃太郎さんから「この「日本の回天」のセクションの書き込みにも、回天や革命を論じた発言はなく、誰も自分が革命の主人公の一員だという気迫はない」との檄が飛びたいへん刺激を受けています。現実的な行動をとる必要があるのですから、提案ですが各自立場を明言したらいかがでしょう。私はビジネスパーソンが経営職として優れた人財となることを目的して人財開発事業を営みこれを天職して日々邁進しております。経済はいま猛烈な勢いで変化しています。明日の国力の基盤に人材ありと信じております。

21T.N.:2009/09/21(月) 22:46:26
 「さらば、暴政」の245頁、藤原氏が暴政という言葉を使うことを日本の言論人に打診したら、江戸時代の
林子平の名を出して恐れ不安がる。そしてこの不安はおそらく杞憂ではない。「物言えば唇寒し」の日本の言論界・
出版界の現実です。
 例えば日本で翻訳出版される海外の本が、都合の悪いところを削除してあるというのはよく聞く話です(近年の
例だと「プリンセス・マサコ」)。私は暢気に”不満のある人は、原書を読むだろう”などと考えていましたが、
藤原氏の著書の話を知って、そんな気分も吹き飛びました。皆様御存知のように「小泉純一郎と日本の病理」は、
出版社・編集者の意向で少なくない量が削られており、英語版の「Japan's Zombie Politics」でようやく補完され
た次第です。日本人が日本の出版社から出す本でさえ、削除を疑ってかからねばならない。藤原氏の本にしてそう
なのです。他は推して知るべしでしょう。
 とりあえずこの国が情報に関して、もっと風通しがよくなるにはどうすればよいか。新政権が記者クラブ制の廃止
や情報公開の徹底を打ち出すなら、支持したいと思います。

22プロジェクトラーニング:2009/09/21(月) 23:42:43
藤原肇さんの提灯持ちをしていても何も変わらない。T.N.さんの類の記事には飽き飽きだ。脱官僚を宣言した民主党連立政権だが、よく考えて欲しいが、霞ヶ関の官僚には秀才が集まっている。東京大学法学部は設立時から官僚養成のためにある。しかも彼らは毎日深夜まで働いている。政治主導というからには、我々国民が選んだ民主党の特に新人議員には政策知識はもとより人格も尊敬を受けるように人を研いてもらわねばならない。すべては鍛錬し見識を高めるのみである。そうでないと知力・胆力とも官僚に圧されてしまう。週末に選挙区に帰っている暇はない。そういう気概を持って新人議員たちは未知の世界に挑んでくれているだろう。情報が少なからず制約を受けようと智を紡ぎだし質感のあるネットワークを持つ者にはどうってことはない。現状の文句ばかり言っていないので、明日をより良くするための意志を示そう。宇宙巡礼には高齢の方が多く私なんぞは下っ端だが若い人たちの足を引っ張らないで欲しいと思う。

23当サイト フアン:2009/09/22(火) 12:30:21
長い間「日本の三権分立」が蹂躙 -- 鳩山「革命政権」の誕生 ?!

菅直人氏は選挙で圧勝した直後、国交省の事務次官に次のように言ったそうです。

高速道路無料化に反対する卑劣な情報操作をするのは、断じてやめよ。----
---あんた方は選挙で国民に選ばれた立場にはない。あんた方の仕事は、立法府
で通過した法を公務として行使することだ。----
--権力は、重要な情報を隠します。事実・史実を歪めます。
権力に都合のよい情報しか明らかにせず、都合の悪い情報は秘匿します。
これは長い人類史の真実であり、権力は情報を独占して巧みに利用する。
その結果、多くの人々の人権が蹂躙され、不幸に見舞われるのです。
http://www.creative.co.jp/top/main3757.html

24T.N.:2009/09/23(水) 00:24:27
>22 藤原氏の提灯持ちをするつもりはありません。本サイトにおいて、藤原氏の著作が共通の話題となりう
るので、よく引用させてもらっているのです。また引用する際には、スレッドの内容に合った、自分自身が共感・
納得できる部分を選んで引用しています。”飽き飽き”させて申し訳ありませんが、書き方を変えるつもりはあり
ません。

 ”情報が少なからず制約を受けようと智を紡ぎだし質感のあるネットワークを持つ者にはどうってことはない。”
と小泉純一郎ばりに言っておられますが、果してそうでしょうか。藤原氏は日本の近代史について、かなり突っ込
んだ著作を書かれていますが、情報公開されている米国で日本では見られない資料にアクセスしています。藤原氏ほ
どのネットワークを持つ方でも、情報公開の恩恵には与っているのです。
またそういったネットワークとは無縁の一般の人々については、どうお考えなのでしょうか。公的な情報は説明責任
を伴い公開されるべきもので、一部の官僚の利権のために存在しているわけではありません。

 最後に、”提灯持ち”と書かれたので言わせていただきますが、プロジェクトラーニング氏は官庁やお得意先の企業
に尻尾を振って生きておられるのでしょうか。現状に対する批判に、なぜここまでいきり立つのか、さっぱりわかりま
せん。

25プロジェクトラーニング:2009/09/23(水) 07:33:25
T.N.さんとはこれまでから議論の相性が合わないだけで悪気がある訳ではありませんのでどうかお許しください。ビジネス感覚として、①いつも制約(情報、時間など)の中で意志決定を行う必要がある(だから制約環境に文句を言っていても仕方がない)、②絶え間ない(小さいことでも良いから)価値創出こそ生き残れる(存在が認められる)唯一の道である(批判しても何も価値は生まれはしない)、③情報と知恵は異なるもの(卑近な例ですが、有価証券報告書を真摯に読み抜くだけでも知ることが多くある)。④“脳化”が進んだ現代社会は問題が多すぎて手をこまねいている(当事者の利益を損なう可能性のある問題にぐっと絞って確実に解決することが大切なのではないか)。こういう意識の日々を送っていますから、批判のみに終わり、解決の意志が薄弱な、かつ行動につながり難い主張に飽き飽きしていたのです。繰り返しますが、桃太郎さんの「この「日本の回天」のセクションの書き込みにも、回天や革命を論じた発言はなく、誰も自分が革命の主人公の一員だという気迫はない。」の件が何度読んでも心に沁みます。かつて藤原肇さんが若者よ日本脱藩せよと檄を飛ばし鼻が垂れ小僧だった私も呼応したことがありました(英語の達人の先生と一緒に)。今は日本をこよなく愛していますので自身の現実的な立場から当事者意識を持ち行動したいと考えています。

26T.N.:2009/09/24(木) 01:28:04
 著者と読者の立場の違いについて、考えることがあります。著者にとって本を書くのは仕事です。一冊仕上げ
ればそれなりに達成感や収入も得られる。仮に自分の考えが現世に受け入れられなくても、後世に希望を託する
こともできる。
 一方読者にとって、本を読むのは始まりに過ぎません。読めども読めども、本の中で提起された未解決の問題
が目の前に積み重なる。次第に徒労感・無力感が強まっていく。著者と読者の間の溝は大きくなる。変革が必要
なのに一向に変わらない社会では、そういうことが起きてしまうのではないか。

 私も読者の立場として、後世にばかり夢や希望を託すことはできず、生きているうちにわずかでも成果を見た
いと思っています。「回天」の話に戻りましょう。

27吉田:2009/09/24(木) 17:21:23
福岡国際問題研究所というブロッグに出ていた書評だが、世界を知る人たちの持つ鳥瞰的な視点と日本人の視点の間には、大きなずれがあるというのは我々と共通の認識だ。
<引用の貼り付け>『藤原肇氏の近著「さらば暴政」を読んだが、相変わらずの政権批判のオンパレードだ。藤原氏をあまり知らない日本の保守派の面々からすれば、格好の左翼批判の一環として、一刀の下、なで斬りされてしまいかねない内容である。しかし、藤原氏は、日本より海外滞在が長く、また魑魅魍魎の石油ビジネス界で戦ってきた人であることからも単なる左派と呼称すべき存在ではない。かって氏は、小室直樹氏の日本社会を分析した「危機の構造」に感銘を受け、同氏と対談したこともある。小室氏といえば、天皇主義者とかウルトラ極右とか揶揄されたこともある人である。この両氏の共鳴作用は何だろうか。これから云えるのは、少なくとも両氏からすれば、日本の社会構造がとてつもなく奇異に観えるということであろう。日本の社会構造の特異さは、本記事ではテーマとしないが、欧米社会を経験した人からすれば自然と見えてくるものなのだろう。いうまでもなく太田述正氏もその類に属する。太田氏は、(日本の言論区分からして氏の考え方が)プロセスは左、結論は右などど表現して、日本の言論を縦横に見切って軽やかに、かつ舌鋒鋭い言辞を発出し続けている。』
14の桃太郎さんは書評が無いという発言を引用して、「・・・この「日本の回天」のセクションの書き込みにも、回天や革命を論じた発言はなく、誰も自分が革命の主人公の一員だという気迫はない。」と苦言を呈しているが、問題の本を書評することもしない日本の言論界のポテンシャルの低下は、窒息しかけている日本の閉塞感に原因があるのであり、それは韓国と比べた飯山さんの発言の引用でも読み取れるにしても、こうなったのは問題意識のなさだけでなく、福岡研究所が指摘するように、世界を徹底的に知る人と頭だけで理解していると思い込む人の違いだろう。
ことによると書かないのではなく、今の日本には書ける人がいないということなのかもしれないが、麻生首相のように日本語もまともに出来ないので中学レベルの漢字が読めない政治家でも、首相になれるような日本の民度の低さが関係していることに国民は気づくべきかも知れないと思う。

28千々松 健:2009/09/26(土) 13:20:16
人間を判断する三つの条件として「7つの習慣」の著書で有名なM.R.コヴィー氏は「誠実さ、知性、行動力」を挙げています。
これは持論の「人間力は智仁勇にあり」にカサネることができます。すなわち智は知性に、誠実さは仁に、行動力は勇に相当すると考えられます。
日本の回天における、日本の新しいリーダー(総理)にもそれを当てはめれば、幸いにも国際社会へ初登場からスタートして、そのリーダーシップ振りを多少なりとも示せ得たのではないかと一安心です。
また「JAL再生タスクフォース」の五人衆が早くも動き出しました。産業再生機構の経験を生かして、冨山和彦さんらに良い着地点を見つけ出してほしいと期待するものです。

29T.N.:2009/10/04(日) 22:16:08
 人が亡くならないと新陳代謝しない社会というのは困ったものです。私はボランティアやチャリティーの経済効果
には懐疑的ですが(よくて全体の数パーセント程度か)、功成り名遂げた人が後進に道を譲るために、引退してそう
いう活動に専念されるなら、大いに奨励されるべきことだと思います。
 勲章目当てに現役にしがみつく老人が多いそうなので、叙勲の基準を見直すだけでも効果があるような気がします。

30千々松 健:2009/10/08(木) 08:50:28
 2009年秋に誕生した民主党の新政権を「団塊政権」と朝日新聞のコラムニスト若宮啓文は指摘している。
鳩山由紀夫総理も菅直人副総理も現在62歳で団塊の中心世代といえる。
 私は更に、二人ともに工学部出身であるので「鳩菅団塊エンンジニア政権」と呼んだらよいと思う。
同じ団塊世代に属する者として、不安と期待を込めて見守りたいと思う。

31T.N.:2009/10/09(金) 22:57:25
 亀井金融相の返済猶予案は、どうも有効性が見えません。焦げ付いた場合の最後の頼みは、政府保証らしいの
ですが(つまり税金)。経済は様々なことと連関するので、劇薬のような措置はどこにどういう副作用が生じる
かわかりません。
 亀井氏の親友とされる石原都知事の新銀行東京は、当初の理念はともかく、結果的に都の財政に大穴をあける
こととなりました。理念ばかりでは、善意が食い荒らされて終わるのではないかと不安です。

32野田隼人:2009/10/19(月) 11:27:19
『財界にっぽん』の藤原さんの最新記事を、過日お約束しましたようにアップロードしようとしたところ、容量がついに制限の20メガを超えてしまったようで、アップロードができない状態です。そこで、今後は宇宙巡礼のホームページのスリム化を進めていきますが、10年以上も経っているので継ぎ接ぎだらけのサイトになっており、スリム化が終わるまでにかなり時間がかかりそうです。よって、当面は別サイトにアップしていきます。
http://dappan.hp.infoseek.co.jp/fujiwara/kiji.htm

以上、宜しくお願いいたします。

33野田隼人:2009/10/20(火) 09:23:58
続いて、『財界にっぽん』10月号の記事もアップしましたのでお知らせ致します。
http://dappan.hp.infoseek.co.jp/fujiwara/kiji.htm

34藤原肇:2009/11/17(火) 11:33:48
元参議院議員の平野貞夫さんと雑誌で対談する機会があり、そのときに日本の政治の現状批判と、今回の参議院総選挙の結果は革命の始まりであり、それをいかに民主革命にしていくかが、重要な課題だという議論を展開しました。
そして、現在、最も必要なのはこれまでの自公体制が暴政であり、それを徹底的に批判して、この暴政の実態を診断することが急務だのに、それが行われていない。
しかも、正しい診断があって初めて、次の段階としての治療や処方に移れるのに、医療システムの手続きがまったく尊重されないまま、ヤブ医者たちがマニフェストや予算という、応急措置や処方に明け暮れしていると指摘しました。
そして、亡くなった正慶先生は日本でも珍しい長期的な視野を持った名医であり、彼の協力の元に仮診断に基づいて処方箋を書き、それが「ジャパン・レボリューション」だと本を手渡し、鳩山と小沢に読むように手渡してほしいと頼み、二冊だけ託しておきました。
実は、二冊だけしか入手できなかったので、平野さんには贈呈することが出来ず、その代わりに彼には将基面さんの「反暴君の思想史」をプレゼントしました。というのは、「ジャパンレボリューション」は3500を初版印刷したが、売れなかったので2500部が断裁処分になっていたのです。
だから、出版社には最後の二冊が残っていただけで、それを辛うじて入手した次第です。何と悲しいことでしょうか。
現時点で最も必要とされる本が「ジャパン・レボリューション」でしょうが、もはや日本には存在しないのです。でも、最後の二冊が最高権力者に手渡されて、日本の政治の至難に役立てば、正慶さんの遺志を生かせるかも知れないと思い、冥福を祈りたいと思う次第です。
合掌

35村山:2009/11/19(木) 10:00:20
著書を廃棄処分にされたとは残念であり、心痛のほどを推察してお慰めさせてください。それにしても出版の七割以上が断裁処分とは、文化国家の名前を名乗っていることに恥じを感じます。
断裁というのはギロチンで首を切られたようなものです。こんなひどい仕打ちが行われても、誰もそれに対して憤らない日本は、どうなってしまったのでしょうか。
良い本ほどそうやって社会から抹殺されていくということは、本屋の店頭にカラフルな雑誌が山のように並んでいることからも、おかしなことだと思わずにいられません。

36サムライ:2009/12/02(水) 16:46:48
今月の5日頃に発売される『財界にっぽん』で、藤原さんと平野貞夫氏との対談記事が載る予定です。

また、藤原さんが平野氏を通じて鳩山総理と小沢幹事長に手渡したと云う、『 ジャパン・レボリューション―』は、アマゾンでも出展に出ている他、宇宙巡礼書展でも取り扱っています。在庫数の更新は暫くやっていませんが、まだ20冊程度は在庫にあると思います。
fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/sales.html

37T.N.:2009/12/03(木) 00:31:08
>34 政権が交代したのに、旧悪の追及が行われず、聴こえて来るのは新政権幹部の献金問題ばかりというの
は実に奇妙です。まるで何事も無かったかのようです。この辺がレボリューションなのかローテーション止まり
なのかの判断材料になりそうです。

 「ジャパン・レボリューション」について言えば、断裁された2500冊はもとより、託された最後の2冊の
運命も気になるところです。俗に”ただであげた(もらった)本は読まれない”とか。わずかなお金に拘ること
はありませんが、対価を求めるのはそのものの価値を認識させるのに有効なことのように思います。
 それにしても、商業的理由とはいえ大半の本が断裁という話を聞くと、「さらば、暴政」で戦前も明治も飛び
越え、林子平を引き合いに出して日本の言論状況を語った言論人は実に的確だったと思えます。

38ひたくれない:2009/12/03(木) 07:08:31
政権交代は レボリューションの一歩になると期待していましたが、このままでは顔ぶれが変わっただけで 元の木阿弥になってしまいそうです。新政権は国民を主体としてこなかった前政府の総括をしっかり行い、国家的犯罪を闇に葬ることなく 法治国家としてその責任の所在を国民に知らせるべきです。現在問題になっている献金問題は違法性はあるものの 自費を政治に投じたと言う見方も成り立つのではないでしょうか。人材不足、経験不足、知識不足で目の前の政局に追われている状態ですが ここは有能な人材を内外から広く採用して
些細なことに足をすくわれることなく 本物のリボリュションにして欲しいと切に望む一人です。藤原氏の知恵も警告も届かない時代になってしまったのだろうか。しかしながら そこでこそ 後悔しない生き方を見せていただきたいものである。

39T.N.:2009/12/14(月) 00:19:53
 asahi.comのニュースによると、自民党が13日、小泉進次郎衆院議員を案内役に海上自衛隊横須賀
基地を見学するツアーを開催。50人の定員に約5200人が応募する人気。参加者は護衛艦の内部を見て回り、
海軍カレーを食べ、小泉氏らと懇談。今後の企画・予定は
・小池百合子元防衛相を案内役に東京・池袋を回る
・馳浩衆院議員とプロレス観戦
・小渕優子衆院議員と八ツ場ダム見学

これらが決してマッド・アマノ氏のパロディーではなく、現実なのがすごいところです(この間まで絶対的多数
の与党で、責任政党を売物にしていたところのやることか)。

40千々松 健:2010/01/04(月) 12:49:15
果たして歴史家は、明治維新に対して、2009年以降の流れを平成維新と定義するのでしょうか?
維新はテロリスト側が好んで使用する用語とすれば、むしろ革命という定義になるのでしょう。明治維新が市民革命であるとの説は無理がありましたが、果たしては市民革命となるのでしょうか?
 菅副総理ははっきり革命と言うし、小沢幹事長は無血革命と言うようになりました。革命には血が流されるというイメージが強いので、敢えてそう言うのでしょう。
 折しも脱藩の元祖「龍馬」を扱った大河ドラマがスタートしました。藩民>臣民>国民>さらには市民が主体となる時代へと進んでいくのが筋道であると思います。

41T.N.:2010/01/06(水) 00:01:19
 「オリンピアン幻想」の末尾に”アンチ解説”と題した若月弦一郎氏の文章が載っており、そこからの引用ですが
「文明の発展史を大きな流れで捉えると、古代における部族集団による部民から、領民を経て臣民を体験してから
市民になるが、日本では市民意識への転換がスムーズでなかった。それは日本の歴史の特殊性のためであり、明治
維新が近代革命の性格に欠けたので、領民から臣民への移行だけで終わってしまい、敗戦は臣民が市民に転換する
機会にならず、臣民から領民への逆行を生んでしまった。」
 現在の日本人が領民の段階にあるという指摘は、一向に市民が主体となれないこと、戦前回帰的な主張が一定の
説得力を持つこと(領民より臣民のほうがまし)をうまく説明しています。市民の段階に至るには2つの道が考え
られ
 (1)領民から臣民になり、市民を目指す。
 (2)領民から臣民を飛び越え、市民を目指す。

 戦前・戦中の歴史を知るものにとって、(1)は到底受け入れられるものではありませんが、かといって(2)
のようなアクロバチックなやり方がうまくいくものかどうか。私としては危ういながらも(2)の道を目指す他
ないと思っていますが、あるいは第3の道があるのか。

42千々松 健:2010/01/07(木) 08:40:22
【●▲■と国家戦略】
一度、幾何学やデザインの基本にもなっている●▲■の視点から国家戦略を見てみましょう。
●:Want
 ・現状維持か未来創造か
▲:Plan
 ・中央集権か地域分散か
■:Action
 ・一党独裁か二大政党か
これら●▲■の三軸が種々に組み合わされて国家戦略は模索されるべきであると思います。
歴史的に見ても、それらのバランスでもって説明がつくことになるかも知れません。

43藤原肇:2010/01/10(日) 09:56:43
千々松さんの国家戦略についての考察はとても刺激的です。参考にして「無血革命後の日本を展望」してみたいと考えます。なを同じ題名で試みた平野さんとの対談が、『財界にっぽん』に出ていますのでこれを推敲する上で、新しい展開を飛行機の中で試みるつもりです。
今回の訪日は一週間と短かったけれど、次号には「平成無血[民主革命]と成功への道」と題して、平野さんと革命理論について論じており、そのゲラの校正をしてから日本を発ちます。一月の前半はベトナムにいましたが、これから台湾に行き次にアメリカに飛ぶので、飛行機の中で考える時間は十分にあり、【●▲■と国家戦略】はいい頭の体操になりそうです。

44T.N.:2010/01/17(日) 00:43:56
 東京地検が到着すると、テレビカメラがまわり、カメラのフラッシュがいっせいにたかれた。これらの報道陣
は、あらかじめ地検により「ご招待」されていた。つまり、強制捜査は、スケジューリングされた一種のショー
だった。そして、強制捜査が終わった翌日からは、あらゆるメディアに検察がリークした情報が洪水のようにあ
ふれた。
(ベンジャミン・フルフォード著「さらば小泉 グッバイ・ゾンビーズ」のライブドア強制捜査の場面から、
固有名詞を抜いてみました。相変らず、似たようなことをやっています。)

45千々松 健:2010/01/18(月) 08:51:20
今回のJALの再生の基本戦略はやはり冨山和彦さんの考え方に則したものになったようだ。
稲盛和夫氏はご高齢であるが、最後のご奉仕役を引き受けたということであろうか。

さて、現閣僚メンバーの地政学的(?)な特徴に気がついた方は居られるでしょうか?
多くの方が関西系です。大臣・副大臣・政務官のほとんどが箱根の山より西の出身者で占められています。
それからすると小沢氏や鳩山氏は異例に入るのです。
天候の変化と同じく歴史は西から変わると言われています。「回天」の力もそのあたりにヒントがあるかもしれないと想います。

46千々松 健:2010/02/04(木) 13:53:45
 「脱官僚」という場合に、官僚か政治家かの選択はそもそもは間違いです。それは官僚出身の政治家は存在しても、政治家出身の官僚は存在しないことを見れば明らかでしょう。
「選択」(Which)とは双方向に可能性がある場合にのみ意味が在るのです。従って選択ではなく「優位性」を観ればよいわけです。明らかに政治家が優位に立ち官僚を活用するというのが正常な姿です。

 戦術▲や戦闘■を中心にした官僚的テクノクラートの時代から、戦略●すなわち理念たる目的と方向性を打ち出せる政治家の時代への転換点に立つべき時なのです。
「●▲■の順序」(戦略>戦術>戦闘)を先ずは整える必要があるのです。相似像で見るならば、言わば●という歌を忘れたカナリアでは、世界から日本は忘れられてしまう存在になりかねないのです。

47千々松 健:2010/02/04(木) 21:37:42
<節分を過ぎた立春の日に思う>
ほぼ1年前に「フィボナッチ数列の殿堂」への夢のレスで書いた内容を反芻しつつ編集し直そうと思う。

「慧智=Cosmic Wisdom」を研究するために必要な9つのIntelligence即ち「9I」は以下の通り
  第一グループ Imaginative, Intuitive, Insight,   (想像的で直観的な洞察力)
  第二グループ Inspirational, Inductive, Inference,  (霊感的で帰納的な推理力)
  第三グループ Intrinsic, Interrelated, Integration, (本質的で相関的な総合力)
 そして、コンピューターには不可能な分野である叡智で勝負できる「人間力」を鍛える場=道場<私塾<殿堂をつくり、
「武士道の智仁勇」(仁●:智▲:勇■)を学べるようにすれば、真のリーダーとして世に役に立つ人材が輩出されるに違いないと思います。

48T.N.:2010/02/06(土) 04:55:03
 アップされた新記事”「無血革命」後の日本を展望”の感想を。
 平野貞夫氏の指摘する政治家の官僚化。これでは選挙を経ない官僚の支配から、選挙を経てはいるが政治家と
いう名の官僚の支配に移行するだけになりかねない。政治家と官僚は求められる機能が違うのだから、政治家が
政治家としての役割を果たせば、官僚も官僚としての能力を存分に発揮し、弊害が生じないようにできるはず。
ところが、国会が国権の最高機関というより行政の下請機関のような状態が続き、政治家が本来何をすべきかが
わからなくなってしまった。それで民主党の幹部が、英国へ飛んだ結論が国会の改革。

 藤原氏が説く日本は前近代であるということ。歴史を戦前まで遡るぐらいでは、せいぜい臣民への道しか見え
てこない。幕末・明治まで遡って”公”を捉え直せば、市民への道が開けるかもしれない。

 ウィキペディアの”湯川秀樹”の項目にある外部リンク”知魚楽について”からの引用。素粒子の構造を直接、
見分けるのは不可能に近いので、
”ひとつの素粒子をよく見ようとすれば、他の素粒子を、うんとそばまで近付けた時に、どういう反応を示すか
を調べなければならない。ところが、実験的につかめるのは、反応の現場ではなく、ふたつの素粒子が近付く前
と後とだけである。”
 これに倣って、前後の言動から、英国で何があったか、推測することになりますか。

49千々松 健:2010/02/08(月) 12:18:03
「ルーミー語録」井筒俊彦訳 の冒頭から引用します。
『およそ学者の中でもっとも悪いものは王侯のもとを訪れる人。およそ王侯の中で、最も良い者は学者のもとを訪れる人。貧者(この世の富と栄華を求めぬ「心貧しい」学者)の門辺佇む王侯のなんと祝福されていることか。王侯の門辺に佇む貧者のなんと哀れに惨めなことか。』

この「王侯」を今の日本で何に読み替えるかを考えてみると「権力者・政治家・マスコミ」等になろうか。
王侯たるものこそ、自らの足らざるを知り、賢者(学者)に尋ね求めることが肝要であることが述べられていると思う。
その意味で「議会制民主主義の母国」の英国を最近訪れ、賢者に尋ねた(左右を貞くことを実行した)人物が時の権力者の中に数人居るということは祝福されるべきであろう。

50千々松 健:2010/02/09(火) 14:09:01
「官僚が黒子として、いかに政治家を操っていようとも、黒子には、政治を、そして、社会を変えることはできません。
官僚は、例えば弾避けの塹壕の中から弾を撃っている、そんな存在です。敵が退いたと思ったら、弾を撃つ。だけど敵が攻めてきたら、塹壕に隠れてしまう。所詮自分の身体を張っていないのです。
しかし政治家は違います。白兵戦で弾避けのない場所で、お互いに向き合っているのですから。ある意味、これは素晴らしいことだと思うのです。結局最後は、自らの身を弾除けのない大地に置けるものしか、大事を決することはできません。
所詮、白兵戦に打って出られない人間がどんなに立派なことを言っても、それは戦場で戦う戦士から見れば書生論に過ぎません。」
 
これは、ある官僚出身の現役政治家が10年程前に述べていたものです。官僚と政治家の違いを上手く説明していると思うので引用させていただきます。

51千々松 健:2010/02/12(金) 08:45:08
文明学者の中西輝政氏は古今東西の大国が衰退する時の共通の指標として、以下の六つを示しているという。
1)人々が刺激を求めて大都会に集まる。
2)ファッション、グルメ、旅行、温泉ブームなどが発生する。
3)食料の自給自足が崩れる。
4)指導者のモラル・ハザードが多発し、改革が流行する。
5)改革論は本物と偽物が入り混じり、偽物が本物の改革を潰す。
6)国家社会の新しい価値観・目的を見出そうという国民の意識が喪失して、国が衰退し滅亡する。

以上は 昨日ブックオフにて見つけた平野卓夫著の「亡国」にて知った。
今朝、ロッキード事件に関する中曽根もみ消しの公文書の存在を新聞で知ることになったのは、不思議なタイミングであった。

52T.N.:2010/02/28(日) 20:37:00
 次々と新記事がアップされ、藤原氏が精力的に活動されている様子が窺えます。考えが纏まりましたら、なるべく
感想を寄せたいと思います。とりあえず「平成の無血「民守革命」と成功への道」中の藤原氏の発言

”絶対に必要なのはギロチンを登場させずに、日本を食い荒らした犯罪者を法的に裁いて、私物化された公的資産の
回復をする。また、法治国家としての司法制度をきちんと機能させ、国民の信頼を政治に取り戻すと共に、民主的な
議会制度を確立することです。”

穏やかでないものを感じさせるとともに、至難の途に思えます。時代劇を見れば、一般民衆の巨悪に対する司法への
信頼感はほとんどゼロであり、裁判など飛ばしてヒーローが斬り捨てて終わるのが人気パターンです。もちろんヒー
ローなど存在しませんが、自分をヒーローに擬する者が現れないとも限らない。「無血革命」というのは”無血で革命
がなされた”というよりも、”今のところは無血で済んでいる”と読むべきですかね。

53千々松 健:2010/03/11(木) 20:23:54
「国に諫むる臣あれば、その国必ず安し」(平家物語)
 ―君主の過ちがあった時、これをいさめる勇気ある家臣がいれば、その国は安泰である―
この「諫議大夫」役が今こそ必要とされているのではないでしょうか。
これはリーダーと参謀の関係でもあり、「諫議大夫」は「参議」を意味するのですから、二院制の衆議院と「参議」院との違いをもっと明確にしなければいけないようにも思います。

54藤原肇:2010/03/12(金) 18:36:02
平野さんとの対談の最終回は二ヶ月後に活字になりますが、その最後の部分をこのサイトの読者だけに特別公開しておきます。ただし、編集者によって最後の段階で修正される可能性もあります。
<貼り付け>
藤原:選挙は応用のひとつに過ぎなくて、21世紀の社会がどんな内容かを理解すれば、選挙のやり方は自ずと分かってくる。『ジャパン・レボリューション』という題の本があるが、これは二年前に亡くなった正慶孝先生が、私と共著で出した民主革命の指南書でして、この中にノウハウのヒントが書いてあります。正慶教授は小室直樹博士と並んで、意味論の権威として日本の双璧であり、文明学者のダニエル・ベルの伝道解説者でした。

平野:その本の中に、選挙や革命のやり方が書いてあるのですか。

藤原:文字になくても行間に書いてあって、直観力で全体像を把握することにより、それが浮き上がってくるのですが、残念なことに本は手に入りません。実は3500部刷ったのだが売れなくて、出版社が3000部ちかく断裁してしまい、見つけ出すのがほとんど不可能です。本の在庫には税金がかかるために、出版社が在庫を確保できない税法があり、日本の出版文化は絶滅に瀕しています。こうした狂った税法を改めた上で、パチンコ業界や擬似宗教から税金を取り、それで得た税収で国民に減税をすれば、平成無血革命は成功に一歩近づくし、この本の存在はそれを教えています。昨日は出版社に行き倉庫を探してもらい、やっと二冊だけ見つけ出して来たので、一冊は鳩山首相に私がプレゼントします。だが、もう一冊はあなたが熟読した後で結構だから、小沢一郎に読むようにと手渡してもらえれば、平成無血民主革命の行く手を照らす松明として、きっと役に立つと確信しています。

平野:分かりました。必ず渡して役に立ててもらいますが、それにしても、本が売れなければ断裁処分にするとは、何とも日本は情けない文化国家ですな。

藤原:これが現代日本のギロチンの正体ですよ。ところで、平成無血民主革命を成功させるためにも、小沢幹事長が実権を揮う地位から退き、長老の立場で組織運営をアドバイスするという、世界の指導者のやり方を使うように、平野さんから彼に助言して欲しいですね。

平野:いずれそうしょうと小沢は考えているが、今ここで長老になるわけに行かないと思って、参議院選挙を全力投入で指揮しています。とにかく、政治が何かが分からない代議士が沢山いて、今の民主党は混乱状態に陥っているが、自民党がより支離滅裂で壊滅状態だから、何とか持ちこたえているのが実情です。だから、数日前に私が小沢一郎に会った時に、「あなたの功績は選挙に勝ち革命を始めたことだが、最も悪い点は出来の悪い人間を国会議員にして、政治が何も分からない代議士を大量生産したことだ」と言ったのです。

55T.N.:2010/03/16(火) 00:38:42
>「意味論」81 時間の要素を考慮した、親から子へといった世代間の「贈与」は、個人が永遠に生きられない
以上、受け入れられやすいかと思います。ただ日本ではそれが、ほとんど同族間に止まっており、社会への還元に
まで至っていない。
 また時間の要素をあまり考慮しない現世では、主に同世代間の競争があり、交換やギブアンドテイクのような経
済的関係が主流になりやすい(適切な競争自体は健全なものであり、社会の発展には不可欠。もちろん殴り合いの
ような軍事的関係は論外)。また若い世代は内的・外的な蓄積にまだ乏しく、余裕も無いでしょうから、贈与とい
うよりむしろボランティアのような社会参加で、社会への貢献を考えてもらう。
 こうした世代間の違いを考えたやり易い社会参加・社会貢献の道を探って、実践にまで至れば、「ジャパン・レ
ボリューション」を遺された正慶孝氏の遺志に応えることになるのではないかと思います。

56千々松 健:2010/03/24(水) 11:45:17
NHKのTV番組「プロフェショナル仕事の流儀」で第一期の最後を飾ったのは、親しみをこめて“カズ”と呼ばれるサッカーの三浦和良選手であった。
「こうした“最初の氷を割る人”が、これからの日本にはさまざまな分野で必要とされている」と進行役の茂木さんはブログに書いていた。
たとえ大法螺吹きと言われようが、高いゴールをはっきりと持つ者の姿が窺えた。

「本質を捉える知、他者を感じる力、先頭に立つ勇気」という表現で武士道の「智仁勇」を言い換えられた小宮山宏(元東大総長)さんの名言を思い出す。
どんな危険にさらされても「先頭に立つ勇気」こそリーダーの姿であろう。
その意味で今般、オバマ大統領が長年の懸案であった医療保険制度を僅差で決め得たことの意義は大きいと思う。

57藤原肇:2010/03/24(水) 20:27:57
理性を正面に出したルネッサンスの歴史を鳥瞰すれば、その流れの中で登場した峻厳な姿勢のプロテスタンチズムは、中世を支配したローマ体制のアンシャンレジームにとっては、まさに革命といわざるを得ない衝撃的な地殻変動だった。
だから、それを角の取れた感性に訴える文化の装いを持つものとして、バロツクの様式がカトリック世界を中心に広まったのだった。だから、バロックの歴史を振り返ってみることで、革命的な出来事に続く反革命の行く手に現れるものが、どんなものであるかと予想することが可能になる。
その点で平成無血革命として登場した民主党政権を潰すために、日本のマスコミが全力を挙げて小沢叩きに熱中して、検察まで総動員して無知な信者の感性に訴えようとしているものが、平成二本におけるバロックへの大傾斜だと見ることで、今の日本のおかれている状況が明白になるのではないかと思う。
ということで続きは旅に出てから考えることにする。

58T.N.:2010/03/26(金) 22:49:51
 政権交代で与野党間に国民のための政策競争が起きることを、多少は期待していたのですが、物の見事に検察の
問題設定に絡め取られ、野党からの建設的な政策は皆無となりました。日本の新聞の本質について、著書の中で
藤原氏は、多少の毛色の違いはあるが「官報」だと喝破しています。最近の新聞に対する批判に、紙面の半分が
広告だというのがありますが、実は記事の方も官庁等からの情報によるものが多いので、半分どころか大半が宣伝・
広報の類です。チラシと同程度の価値しかないのなら、読者から購読料を取るなど以ての外。経費は広告収入で賄
い、無料配布するのが筋でしょう。

 バロックという語は、ポルトガル語のいびつな真珠からきたとか。宣伝により歪んだものの方が、価値があると
いうことになれば、どんなものが支持され持て囃されるようになるのやら。小泉政権への熱狂はつい昨日のこと。

59千々松 健:2010/04/01(木) 21:52:34
今は亡き黒川紀章は若尾文子に「君はバロックのような人だ」と公言したのは有名な話です。
大女優の美貌についてバロック建築に見立てたのと同時に、イエスかノーかの微妙な女心をも指していたのではないかと思われますね。
古典派からルネッサンスへ、ルネッサンスからバロックへ、バロックからロココへとアートの様式が変わる裏には実は色々な時代背景があることに気付かされました。
そして、カトリックからプロテスタントへ、そしてカトリックの変容の流れなどを知ることは、西洋の文学や美術・建築などを理解するには必須であると思わされました。

そのパターン認識は、他にも応用が利くわけですね。まるで振り子のように、拡散か集中か、ブレーキかアクセルか、破壊か創造かの両極を行ったり来たりしながら、ただし、時間概念が入るので決して元の場所には戻らないという仕掛けで変容して行くのですね。
「イエスでもありノーでもあるようなバロックな人だ」と聞こえてきます。

60千々松 健:2010/04/02(金) 12:59:28
「バロック」はルネッサンスの幾何学的な均衡に比較してと言うよりはそれに対抗して、ゆがみ、うねり、動き、曲線が特徴のようである。
バロックは均衡よりも不均衡、理性よりも感情、抑制よりも激情、直線よりも曲線、正円よりも楕円、静止より流動、単純よりも複雑、明快よりも陰影、端正よりも重層といった方を大切にしている。
そう見るとバロック様式は旧来のルネッサンス様式から如何に脱却するのかという方向性がハッキリと読み取れる。
17世紀のフランス絶対王政下のルイ14世が、ベルサイユ宮殿においてそれを完成させたというのが歴史的な認識であった。
ーー「カタチの歴史」今井和也著P105を参考ーー

61T.N.:2010/04/11(日) 04:59:52
 新党どうこうで騒々しいですが、国民のためになるような政策は何ら打ち出さず、国家主義を煽るようなこと
ばかり。地理的・歴史的に日本はどうしても、国家主義や超国家主義に傾きやすい。中庸をよしとするならば、
むしろそういう傾向を抑えることにより、バランスがとれて国としての力が発揮できるはず。指導的立場にある
者が人気取りのために、国粋主義・民族主義を煽るようなことは厳に慎むべきなのに、そういう輩が多すぎる。

 しき島のやまと心のなんのかのうろんな事を又さくら花  上田秋成

62千々松 健:2010/04/11(日) 18:05:21
今、話題に昇っている徳之島と聞いて直ぐに「生命だけは平等だ」の言葉で有名な徳田虎雄医師を思い出した。そしてホーキング博士と同じALSを8年前に発症され、現在は東京にて療養中である事を知って驚いた。
これから徳之島の住民の意見がどうなるか注目されますが、徳之島出身の政治家である徳田氏の動向が
気になるところです。人工呼吸器の付いた生活の中で声を出すことも出来ないご様子ですが、、、
『病して、吾、大医とならん』そのような声なき声が聞こえたような気がしてなりません。

63藤原肇:2010/04/12(月) 11:32:32
こういう事態をシンクロニシティというのだろうが、「旅に病んで、夢は枯野を駆け巡る」という思いに包まれていた時に、千々松さんが虎君のことを書いたので懐かしく思い出し、言わでもがなのことだが書いてみる気になったのも、考えてみれば実に不思議なことである。
おそらく十数年か十五年も昔のことだったと思うが、代議士だった徳田虎雄から帝国ホテルでの食事に招かれ、何事かと思いながら行って会ったところ、彼の政治参謀になって欲しいと頼まれたことがある。政治家は毒を持つので情報集雌雄のために近づいても、それ以上は接近しない主義だったので断ったが、政界は私にとって肥えたごに似た存在だった。
だが、本気で革命をやる覚悟があるのであれば、読者の中に役に立てる人材がいるから紹介してもいいと答え、その一人の候補者として佐藤肇氏を紹介したが、佐藤氏と徳田氏は接点がなかったようである。佐藤肇さんは数少ない国士の一人であり、政界に詳しいので役に立ってもらえるのは、疑いの余地のない貴重な存在であったので、紹介の労をとったのであるが時期尚早だった。
どういう事情だったか記憶が定かではないが、池口恵観和尚と一緒に徳州会の年次総会に招かれ、そこで二百人くらいの医者や事務局長を前に、必要な医療革命について十五分くらい喋ったことがある。医術は仁術の原点に戻れということや、藤井先生の思想を紹介したように思うが、はっきりしたことは何も覚えていない。
そのときに発言記念として徳田虎雄に『間脳幻想』をプレゼントしたが、記念の献辞に「虎猫が君子豹変して、彪や虎になる指南書」と書いて渡したら、恵観和尚がそれを見て「虎猫の豹変とは傑作だ」と哄笑していた。その後で虎猫が「うちの茅ヶ崎だか藤沢の診療所は日本一だから、是非とも健康診断に来て利用してください」と言われたのが懐かしく偲ばれる。
古希を過ぎても未だに世界を走り回っている私の生活は、時差に関してはメラトニンで何とか調整できても、原始的な内臓は時差の影響が克服できないらしく、調子がおかしくなって便秘が酷くなり、医者に見てもらったら腸に潰瘍ができているとの見立てで、これから詳しい検査をすると言われてしまい、異国の地で検査待ちの日をすごす事になったとはいえ、どうか心配しないでいただきたいし休養のチャンスかも知れない。
それにしても、徳田の虎ちゃんがALSを発症して人工呼吸のついた生活と知り、かつて政治改革を手伝って欲しいといわれたが、革命でなくてクーデタならお断りと退けたが、ここにきて平成無血革命に遭遇したのは運命のめぐり合わせであり、人の世は実に面白いものだと感じると共に、徳田氏には心からのお見舞いの言葉を述べたいとおもう。

64千々松 健:2010/04/12(月) 18:15:47
最新式の胃カメラと言えどもやはり、異物が体内に入る検査は気持ちが良いものではありません。
 私事、3月に十二指腸潰瘍+慢性胃炎+逆流性食道炎の3拍子が揃った診断を受けて、服薬を開始しているところですが、特に違和感なく過ごしています。
顧みれば、過去に人間ドッグで引っかかり大腸ポリープを切除したことがありましたが2回とも徳州会の湘南鎌倉総合病院にお世話になりました。
鎌倉には市立病院がなく、ここが一番の頼りです。2010年9月頃、大船フラワーセンターの近くに移転して、ヘリポート付きの最新設備の整った病院に生まれ変わるようです。
また、茅ヶ崎の方に病院も辻堂駅前の再開発地区へ2年後には移転すると聞いています。このところ移転ラッシュですね。

 先日、樹齢800年と言われる鎌倉八幡宮の大銀杏が風で倒されましたが、残された根元から早くも若芽が芽吹いてきたという嬉しいニュースが入りました。何という生命力でしょう! まさに元気ですね。
藤原博士も、一日も早く胃腸の調子が良くなることを祈っております。(シンクロニティ)^3

65T.N.:2010/04/12(月) 23:07:01
 不摂生続きで健康についての発言権などない身なのですが、少し。スレッドの趣旨から脱線しますが、ご容赦を。
 かつて健康に関する本をよく買っていた頃、武道家肥田春充の存在を知り、その復刻本を買い集めたことがありま
す。肥田氏は戦前に一世を風靡した”強健術”の創始者で、多くの伝説を残す人物です。本を元に強健術をしばらく
続けてみたのですが、特定の型の動きを繰り返す運動は、利点よりも弊害が大きいのではないか(例えば体に歪みが
ある場合、それをさらに大きくすることにならないか)との考えから中止してしまい、効果を確認するには至りませ
んでした。さて戦後、肥田氏が哲学・宗教・科学等を研究した原稿の一部を纏めた本が「宇宙倫理の書」で、私など
は読むというより、わからないなりに眺めている程度なのですが、どこか藤原氏に通じるものがあるように思えます。
多くのことに通じたルネサンス人の思考は、最終的には空間的に宇宙に拡がり、時間的にはその開闢からを問うもの
なのかと。

66千々松 健:2010/04/27(火) 23:17:34
  1月に丸の内丸善店の「松丸本舗」を訪問され、松岡正剛氏と和服の良く似合う京美人のブックショップエディターのお勧めもあり28冊の本を購入した鳩山由紀夫首相が明日28日に徳田虎雄氏と都内で会談するという。
 鹿児島・江ノ島・鎌倉・葉山・東京ラインが地図上に浮かびます。虎と鳩を結ぶ縁はやはり炎の行者でしょうね。
『病して、吾 大医とならん』のシンクロニティが通ずるように願うものです。そして、沖縄の人々の怨念が少しでも癒されることが大事であると思います。

67T.N.:2010/04/28(水) 20:40:55
>54 平野氏との対談は、4月25日に本サイトにアップされた分で完となったようです。藤原氏が最後の段階
で修正される可能性もあるとして投稿された部分は、おそらく修正されそうだが埋もれさせるには惜しいとの判断
から取り上げた、サイト閲覧者へのプレゼントかと思います。
 「ジャパン・レボリューション」の読後感を一言で言えば”お前はどういう社会を作り、住みたいのか”という
読者への問いかけに思えます。参加ということを、本気で考えなければならないのでしょう。

68亀山信夫:2010/04/28(水) 21:15:43
今日、届いた『財界にっぽん』6月号でも続いています。本来は4月25日にアップされた記事で最後だったはずが、以下のような事情で追加となったようです。


四回にわたってお届けした連載対談は、前号5月号をもって完結する予定であったが、民主党政権発足半年を経た今も「政治とカネ」問題をめぐって「小沢バッシング」が収まらない。それが影響してか、大手メディアの世論調査の結果は、政権支持率が低下する一方であり、内閣が崩壊する様相さえ呈している。なぜこれほどまで執拗な抵抗が続くのか、両氏がその背景を鋭く分析した。
『財界にっぽん』6月号p.24

69T.N.:2010/04/29(木) 13:15:52
 亀山様、訂正どうもありがとうございます。

 それにしても、検察・報道を含む既得権益層の現政権への攻撃は、常軌を逸しているように思われます。財政破綻
寸前のこの国で、この上そういうものにしがみついてどうするのか。太平洋戦争末期、米軍が本土に迫りつつある中、
予算獲得を巡って殴り合いを演じた陸軍と海軍のよう。外に弱くて、国民にばかり犠牲を強いるのは、もうやめても
らいたい。

70千々松 健:2010/05/02(日) 21:45:15
『病して、吾 大医とならん』の徳田虎雄氏の意志が通して、7日に徳之島の三町長が上京して鳩山首相と会談することに成った。
その結果、吉と出るか凶と出るかは予断を許さないが、先ずは直接話し合うことが大切であろう。難しい仕事をするのがその道のプロであって、誰でもが出来るのであればどこかのアルバイターに任せれば良いことなのですから。
大義が何かを踏まえた話し合いのなされることを願うものです。そして、薩摩と琉球との歴史的経過も踏まえた話になれば、ことの本質も見えてくるに違いありません。

71藤原肇:2010/05/03(月) 13:17:00
平野貞夫さんとの『財界にっぽん』出の対談は、検察ファッショとマスコミの狂乱があまりにも酷いために、その背後関係の解明を中心にして、「平成無血革命と歪んだ日米関係」という題の対談として、延長戦の追加対談として終わってしまった。この対談で論じたテーマ自体が非常に重要であり、誰かがきちんと分析と解説をして当然なものだが、今の日本にはこうした問題を取り扱える頭脳がいないし、それ以上に勇気を持って発言する人が不在なのが惜しまれる。
平野さんとの対談はこれが最後であるので、今になっては言い残したことがあまりにも多く、民主党に巣くうネオコンノ手先やCIAのスパイとか、マスコミの堕落や検察ファッショなどの問題よりも、私が指摘すべきより重要な問題があったのに、それに触れなかったことが大いに悔やまれてならない。それは平成無血革命の達成や日本の運命にとって、より重大な意味を持つ事柄について言い忘れていたからである。
現在の日本にとって大切な国家戦略の基本は、政治化の税金申告や政治資金などの問題ではなく、これからの日本の社会が何を国策の中心におき、政治課題のプライオリティーにするかの問題である。その時に2000年三月号の「La International」に掲載され、その後に『賢く生きる』に収録された糸川英夫博士との対談で、糸川さんがトンネル顕微鏡の威力を強調し、その革命的な役割について指摘したのを思い出すからだ。
トンネル顕微鏡(STM)派走査型プローブ顕微鏡の一種であり、量子効果の発言による21世紀型の最新技術として、ナノテクノロジーの基盤を作るものである。そして、このテクノロジーを産業の中心におくことによって、新世紀の先進国家としての地歩を確立できるから、米国ではクリントン時代にNNI(National Technology Initiative)と名づけたが、KZPやまっせの中でイニシアチブの意味論を展開した、私がここで強調すべきだったのにそれを忘れてしまった。
鳩山首相はスタンフォードで工学博士の学位を取り、OR画論文のテーマだったということからすれば、ナノテクノロジーの重要性が明白にわかっていたはずだし、これからの日本の基本路線をナノテクノロジーときめ、それに向かって一致協力して進もうと宣言していたら、くだらないスキャンダルで騒ぐことが愚劣で、如何にピンとはずれかと訴えるのに成功していたはずだ。今でも遅くないと思うがこ、対談のチャンスが終わってしまい、異国で表彰に付すことになったのが惜しまれる。

72藤原肇:2010/05/03(月) 14:10:50

幾つかの文字転換のミスによる誤植がありましたので訂正します。
政治化・・・政治家
発言・・・発現
まつせ・・・JZP
OR画論文・・・ORが論文
表彰に付す・・・病床に臥す

続けて書くならば、鳩山内閣には首相の鳩山由紀夫と初代戦略室長の管直人の二人が、エンジニア出身だったので大いに期待できると思った。それは文科系でしかも特別枠の裏口入学の形で大学に入り、世襲代議士として首相になった男ばかりの自民党政府に比べ、エンジニアなら少しは増しだろうと予想したからだ。
レベルダウンしてマスコミが得意な低俗なものを受け入れれば、ゲーテが「馬鹿と喧嘩すれば馬鹿になる」と言った様に、相手の低劣なレベルの土俵の上に登ることになって、泥沼の中で汚れはてるだけであり、それが現在の内閣支持率の低下に他ならないのだ。
ところが、管は財政など分からないくせにホイホイと大臣になるし、鳩山は召使のような国会議員を首相補佐官に任命して、自分だけでなく日本の将来にとって重大な意味を持つ、政策上のプライオリティを決めることを忘れ、既得権を守ろうとする邪悪な官僚やマスコミに牛耳られ、スキャンダル騒動で火ダルマになる愚考を犯した。
平野さんとの第五回目の対談の最後のところにあるように、正慶さんと著した『ジャパン・レボリューション』を鳩山や小沢に贈呈したが、果たして彼らが読んだかどうかは分からないにしろ、前世紀的な選挙のやり方に盲従するだけで、新時代の選挙の持つ意味と価値が分からないようなら救いがない。
インターネットを活用した情報革命時代の選挙がやれるかは、政治の問題ではなくて文明への適応力に関わっており、ナノテクノロジーが情報革命が生み出したものという意味で、オバマが使い古した変化という言葉の概念が持つ、21世紀的な変化への適応に他ならないのである。

73千々松 健:2010/05/03(月) 22:52:19
大島正光先生が5月1日に逝去されたことを新聞記事で知り、本日、北鎌倉の円覚寺での葬儀に参列して参りました。
先生には27年前に、健康科学に関する雑誌の創刊時に若干お手伝いをしたことがあり、その後、永くソフト開発会社に勤めるきっかけを頂きました。
昨年、例の21世紀マンダラのご報告に、赤坂のビルを訪問したのが元気なお姿を拝見した最後となりました。
読経の最中、魯迅から寄贈されたという泰山木の巨木の葉が一枚、私の目の前ではらはらと落ちました。そして一匹の小蝶がお堂の前を飛び交い、やがて去りました。
小蝶蘭の花を手向けた後には、何故か体が震えて涙が止められませんでした。(サトルエネルギー? 見えない波動のようなものを感じたのでしょうか。)
最後に、ご長女のご主人である野依良治さんが挨拶をされました。新緑に包まれた五月晴れの中、先立たれた奥様のいるところへと往かれたのです。まさに95歳の天寿を全うされたのです。
合掌

74千々松 健:2010/05/04(火) 12:49:10
「世論」と「輿論」を区別する必要があると感じている。前者はせろん・よろんの両方に使用されていて、いつの間にか混乱させられている様な気がしてならない。世論は世論調査の結果は内閣支持率が低下したうんぬんと騒いでいるような代物である。
より尊重されるべきは輿論(よろん)の方である。神輿(みこし)を担ぐに出てくる「輿」のほうの意味を吟味することが大切であろう。「世論」の方はマスコミにより誘導操作され易いもので、移ろいやすいものであることを知っておかねばならない。
一方、輿論の方はそれと違って不変不動のもののように思われる。

75T.N.:2010/05/06(木) 01:21:53
 TVでスポーツの中継を見ていたところ、こんな話がありました。開幕から負けが続いていて、最近ようやく勝て
るようになってきたチームの監督が、選手達に戦い方や状態は悪くないとずっと言い続けて来た、というものです。
これを逆に考えれば、勝っていても多くの問題を抱えた状態というのがあると思います。
 日本の経済がまだ好調だった頃、もっと藤原氏の声に耳を傾けていればという気がします。藤原氏の忠告や提言が
生かされるのではなく、日本の低迷ないし没落という形でそれが実証されつつあるのは、たいへんな皮肉です。今か
らでも藤原氏の考えが、もちろん批判や反論も含めて、普通に論じられるような社会になってくれたらと思います。

76千々松 健:2010/05/06(木) 11:40:40
「一か八か」は賭博の用語から来ていて、丁か半かの漢字の上部に由来していると言う。サイコロの目数が奇数か偶数になるのかが問題とされる世界であろう。
では「mod9の世界」ではどうかと言うと、数字の1と8の違いは螺旋(ネジ)が左回りか右回りになるかの違いに相当する。それは開くか閉じるか、あるいは情報伝達物質が出るか出ないかの違いになり、オンかオフかの違いでにもなる。
「分数多角形」を描くとき例えば9/1角形は右回り、8/9角形は左回りとなることを確認してみると良い。
フィボナッチ数列から生じる「FLKM系列」の組み合わせで特徴のある1-9,2-7,3-6,4-5の4組においても同様である。9/1・9/8、9/2・9/7、9/3・9/6、9/4・9/5の各分数多角形は成長の流れが左回りか右回りかの違いが出る。
それぞれの組の中では鏡面対象になっている。奇数か偶数かによって鏡の中か外かの違いがある。ただし必ずしも奇数が左回りとは限らない。
因みに、五芳星は分数多角形で正5/2角形(右回り)、正5/3角形(左回り)の一筆書きとなる。同じく星型正九角形は正9/4角形(右回り)、9/5(左回り)でカタチ造られる。

さて「神はサイコロを振らない」とアインシュタインは言ったそうであるが、日本の「宇宙人」はまさに今サイコロを振ってしまったようである。

77千々松 健:2010/05/08(土) 11:25:56
南方熊楠の「南方マンダラ」はモノとコトを軸にしていたという記憶が蘇った。それは最新の素粒子論が“モノからコトへと変わる視点”に移ろうとしているという新聞上のサイエンス記事を読んだからです。
曰く「いま存在が確実な基本粒子は、物質をつくる粒子が12種、力を伝える粒子が4種。これらは“反粒子”という状態をとることもあります。この粒子群が、今日の標準理論に沿って物質と力の世界を織りなす顔ぶれです。」
・・・すなわち、モノとは粒のようで、コトとは波(振動)のようである超ひも理論に繋がるという訳です。

ここ数年、提唱して来ました「神聖方陣とラセンモデルの21世紀マンダラ」では、黄金比を生じるフィボナッチ数列群には12の陰と12の陽の抱き合わせによる24循環が観られますし、4種類の数の流れ(FLKM系列)が観られます。前者がモノで、後者がコトに該当すると考えて良いと思います。
すると、これらの知見は最新の素粒子論と一致するように思います。まさに「コロンブスの卵」のようで、後から気がついた人は何だそんなことは簡単なことだよと言われるに違いないのですが、ものの根源を辿ると、万物はこのような数によってモノとコトが生じていることが理解されるのです。
理数系の方々の奮起を促したいものです。

78T.N.:2010/05/11(火) 01:20:19
 NHKのTVで、国を変えようとするアフリカの新世代についての番組がありました。それに関連して少し。
 2002年、日本国債の格付けが引き下げられ、ボツワナより下になったとき、当時の経済産業相平沼赳夫が
”ボツワナ国民の半分くらいはエイズ患者”との暴言を吐きました。一方、ベンジャミン・フルフォードは
「泥棒国家の完成」の中で”ボツワナには天然資源があり、日本のように借金を返せないわけではない”として
います。こちらの方が公正な感覚でしょう。もちろん完全に礼を失した発言の非は、言うまでもありません。

 さて、このことを書いたのにはもう一つ理由があります。最近、個人への国債勧誘が妙に執拗に行われている
節があります。いよいよ購入者が限られてきたのかという危惧の念が消えません。

79千々松 健:2010/05/11(火) 11:47:51
アフリカの真の自立を図ろうとする新人達(チーター世代)を紹介する昨日の番組を私も見ました。
幕末における日本の置かれた立場と解決策をカサネて診ました。要するに、諸外国からの植民地化を避けるにはどうしたらよいかがメインテーマであったのです。
現在のアフリカも政治的には独立国家であっても、経済的には諸外国の大資本の支配下に置かれかねない状況のようです。
海外留学者や海外企業経験者が自国へ戻り、新しいビジネスを指向している人々が多くいるのです。第二次大戦終戦直後に産まれた世代の子供たち世代が中心のようです。
このように未来志向には若い人々の活力が必要なことが解ります。
今日本では大河ドラマ“竜馬伝”が大好評ですが、活力を取り戻すための「他山の石」にしたいものです。

80千々松 健:2010/05/19(水) 13:46:30
  日本のマンガ文化と日本語の特徴を「マンガ論」として養老孟司氏と内田樹氏が清朝45で対談している。
大和言葉の表音文字情報と象形文字としての漢字である表意文字情報の脳処理が2箇所の違った場所で処理されている事を指摘していた。
仮名(ひらがな・カタカナ)と真名(漢字)の入り混じりが「音声情報と図像情報」として脳内の2箇所で並列処理していること。そして識字率も世界トップクラスになったことの証拠としている。
しかし、左脳と右脳の情報処理機能の特徴には敢えて触れてはいないのが残念です。
マンガの絵は表意文字のごとく、吹き出しの文字は表音文字のごとくと述べておられる。(吹き出しの文字も漢字交じりであるから厳密にはそれも二重に考える必要があるが、、、)

  要は、絵やイラストや象形文字や記号などは右脳が、表音文字や数字などは左脳が主に情報処理をして、2箇所の脳が並列処理するので、表意文字だけの言語よりも早く正確に情報処理が出来るのではないかと言うことです。
従って、日本語の文章は速読に適しているということになるだろうし、マンガ文化も捨てたものではないということです。
このような考え方からすれば、我田引水ですが「いざ鎌倉」で「鎌倉ノート」の出番なのです。そして、絵と文字のコラボレーションから創造性を高めたいと思うのです。

81千々松 健:2010/05/19(水) 13:57:04
  歴史地理的に漢字が伝搬した中華周辺の国々では、現在、韓国はハングルに、ベトナムはローマ字表記に統一されて全て表意文字化されたのに対して、「辺境」である日本は真名・仮名・英数字の混じり合った存在でいます。
また、面白いことに、現代日本人の遺伝子には人類史上の3回の大移動グループの子孫が全て揃っている唯一の地域であるそうです。
そこで思い出してほしいのですが、「いつ、どこで、なにが」の日本語のWhat疑問詞構文にはI系・D系・N系の三種が混在して共存している事実がこれと連環するということです。
  
  極東の島国であるからこそ、海外から入ってきたものは「エッセンス」されたものとして、より良く残るのではないでしょうか。そして今も共存している事は驚異なのです。
先月、黄砂が中国大陸から上空を飛んで日本にもたらされてきたが、そのお返しは何にしようかと考えたことがありましたが、その答えは池口恵観先生の講話の中に見出しました。
今こそ「空海の真言密教の教えを中国に逆輸出すべき」時なのです。

82千々松 健:2010/05/19(水) 16:26:55
宮崎県は今、口蹄疫問題で大変です。マスコミ報道も普天間基地移転から口蹄疫問題へと急回転中です。
今回の普天間問題は鳩山さんの「自損事故」でしょうが、この口蹄疫の方は問題処理を誤ると政権維持に直接関わって来そうです。
 ただし、ここからはサイエンスの問題として
蹄(ひづめ)を持つ4つ足哺乳動物を有蹄類と言い、偶蹄類と奇蹄類に分かれて前者の代表がウシで後者がウマだそうです。
口蹄疫は偶蹄類(ウシ、ブタ、ヤギ、イノシシ、シカ、カバ、キリン、ラクダ等)にだけ感染するウイルス性の病気で、奇蹄類(ウマ、サイ、バク等)には感染しないのです。
ひづめの割れ方が奇数か偶数かでウイルスが生きれるか生きれないかが決まるのですから、これはまさにカタチの差異ですね。鍵と鍵穴が一致するかしないのかの違いにあるわけです。

 昨年の豚インフルエンザ・ウイルスの時に種類として理論的には144種類が在りうるとされていたように、ウイルス(生命体)は数字にうるさいのです。
その性質が奇数か偶数かの違いにも現れているのでしょう。自然界の左巻きか右巻きかの違いももちろん奇数か偶数かの違いにあるようです。自然界では素数か非素数かよりも、奇数か偶数かの方がコトは重大なのです。
因みに、馬は胃を一つ持ち、胆嚢は無く、盲腸が長いのが特徴です。牛は胃を複数持ち、反芻することが出来るのが特徴だそうです。
それにつけても、異国で胃腸の病に在られる藤原博士が早く癒されるように祈ります。

83藤原肇:2010/05/27(木) 10:59:59
三月の末に訪米して四月半ばに帰国し、平野貞夫さんとの五回の対談を本にするべく、計画を立てたのですが手術をすることになり、現在は術後の回復で異国の病床に臥せています。
この本が選挙前に出て行動が伴えば、選挙の結果に30人くらいの当落を決定付け、平成無血革命の達成に役立てたのに、時間はどんどん過ぎていくばかりだし、有能な参謀も活動かもいないために、みすみすチャンスを失いそうで残念です。
このチャンスは私には千歳一遇に見え、これを逃すのは実に愚かに思えてなりません。この五回の対談を緊急出版して、効果的にばら撒けば選挙結果に、絶大な威力を期待できると考える人が、現れないのか不思議でたまらないし、日本人は働きすぎで頭が死んでいると見えます。
日本人の99%にとって無血革命の持つ意味が、ほとんど分かっていないという証明で、屠殺場に引きつられていく羊と同じです。そのことは五回目の対談において、マスコミがいかに狂っているかについて、明らかにした記事でよく分かるはずです。
小沢や鳩山が政治の本質に無知な芸能人やタレントを出し、選挙に臨もうとしている愚かな選挙戦術に比べ、言論戦で革命の意味を明らかにして、理性に訴えるやり方をしない限りは、時代遅れの日本の選挙は良くならないし、政治は愚民政策の枠を出ないでしょう。
それにしても、平野さんがメディアで奮闘しているのに、それを側面から支援できなくて残念に思います。アメリカで過ぎていった二ヶ月以上の時間が、こんなに苦渋に満ちたものになるとは思いませんでした。

84珪水:2010/05/27(木) 16:36:26
お元気になられ安心いたしました。今日久しぶりに習字をしました。(自然は人為によってその秩序を乱されれば人間と対立する存在となる。大辞林より)それで書は 「私が怒り改善をしなくとも自然がちゃんと辻褄を合せ淘汰する」です。自然は時間です、時間を大事にしてください。

85尾崎清之輔:2010/05/28(金) 02:11:33
藤原さんがお元気になられて何よりです。

藤原さん仰せの通り、今の日本人は働き過ぎで何も考える時間が無く(=より正確には日々追い詰められるようなCooperation等の組織システムの中における自身の経済的生活基盤の崩壊可能性という恐怖のあまり敢えて考えずまた口にも出さず)、これは以前お話ししたように、文字通りの忙しい(つまり心亡びた)状況にあるか、または物理的時間はあるものの何もアクションを起こそうとしない(もしくはそのような頭の構造ないし発想が出来ないよう或る意味では仕込まれた)方々が余りにも多過ぎて、これはいみじくも将其面博士がその著で示したように、「『王制』の逸脱形態が『暴政』であり、『貴族性』から逸脱したものが『寡頭制』であり、『共和制』が邪悪になったものが『民主制』」という記述から、現在は一見すると『共和制』が邪悪になった『民主制』とう名の「暴政」であると考えられるものの、そもそも『共和制』に至った歴史が全く存在しない我が故国において、現代版の賤民資本主義とは一体どのような形態であるかを全く認識できないまま日々を過ごしている殆どの方々は「屠殺場に引きつられていく羊と同じ」という正鵠を射た藤原さんの指摘(余談ですが藤原さんは四半世紀以上前にも同様の発言を為されておりました)に加えて、80年近く前に上梓されたオルテガ・イ・ガセットの著『大衆の反逆』等を精読すれば、現在が「暴政」の渦に巻き込まれていることは容易に読み取れることと思います。

また、この辺りにつきましては先に若干触れましたが、無意識的に自らがそのように選択してしまっているという解釈もございます。

従いまして、このような状況下、微弱ながら小生もこのたびの参院選に伴い、藤原さんと平野貞夫さんとの対談記事などから既に公開された内容の一部を、小生自身が可能で且つ時間の許す限り、様々な場において意見交換を行なった結果、”心ある”と思われた候補予定者自身、または主要スタッフなどへ渡して(アドバイスというほどの形には至っていないものの)継続的な啓蒙活動を行なっておりますので、ご参考までにこの場をお借りしてひと言ご報告させて頂きます。

86T.N.:2010/05/31(月) 01:06:08
>83 平野氏との五回の対談は、できれば本として纏まった形で読みたいと思っておりましたので、そういう
計画があったことは歓迎すべきことですが、出版が7月の参議院選挙に間に合いそうもない。「さらば、暴政」で
紹介されている、「天動説の国・日本よ」執筆のようなぎりぎりの知恵が働くものかどうか。

 既存のメディアが当てにならない以上、期待はどうしてもインターネットということになる。大激戦となった
2002年の韓国大統領選挙で、盧武鉉政権誕生に大きな力となったのがインターネットでの支持者の運動らしい
のですが、エンターテインメントやサブカルチャーに偏った日本のネットにそれだけの力があるとも思えない。

 「さらば、暴政」にある、TV出演の合間に後の防衛大臣からコーヒーの接待を受ける藤原氏というシュールな場面。
ネットで幾らか取り上げられたようですが、大上段に振りかぶった政治論議より、こうしたエピソードの方が一般受け
するのですかね。

87千々松 健:2010/06/01(火) 23:02:23
 「友愛」を理解する人であるならば、「メタノイヤ」は旧約的な「改心=悔い改め」に終わることなく、新約的な「回心」という未来志向として認識するべきでしょう。
 メタノイヤのメタは「メタサイエンス」のメタと同じくギリシャ語で、化学構造式の命名にも登場するように「反対の位置にあるもの又は方向性」という意味を持つようですから、陰と陽・闇と光・左巻きと右巻き・天国と地獄・順序と逆序などのように鏡面対称として捉えると判りやすいかも知れません。
 今の日本を回天するためには、リーダーシップを発揮して未来志向の「回心」の戦略を前面に出して行かなくてはならないのです。今こそ「未来戦略」が必要です。そして、総論賛成>各論反対>実行不能のサイクルに陥らないように、きめ細かな調整を図ることが肝要と思われます。
 そして「Want>Plan>Action」即ち●▲■の三拍子のサイクルを回すようにすべきです。その過程こそ、回心>回論>回業を通じて回天に至る道であると考えています。

88千々松 健:2010/06/03(木) 12:21:39
清水博先生は物事に大切なことを三つ挙げて、1)全体性 2)関係性 3)物語性としている。
1)の全体性はトータルよりもホーリーなので、共同体や一体性の方が良いという。
2)の関係性は細胞と細胞の関係から始まって、要素と要素とが調和するに必要な関係性を保持すること。
3)の物語性は意味のあるストーリーにすること。すなわち8W1Hでドラマを創造することに繋がる。
私は、総じて●▲■にカサネることが可能と直観した。
1)●は地球・生命の自然のカタチからのイメージ
2)▲は正・反・合の弁証法的カタチからのイメージ
3)■は人工物のカタチからのイメージ
「小鳩・二人羽織り」政権交代劇の第一幕が終わった。
次の第二幕は「回心>回論>回業を通じて回天に至る道」が模索されよう。

89T.N.:2010/06/04(金) 00:19:36
 「ジャパン・レボリューション」から藤原氏の発言

”ドイツ哲学は観念哲学で、イギリス哲学は役に立つものしか価値がないというプラグマチズムで商人根性です。
それに対して、フランス哲学は数理哲学です。”

 ドイツの観念、英国の利に対して、フランスの理を上位に置くのは、フランス派の藤原氏の面目躍如の感があり
ます。私自身は社会のことを考えるのに利を抜くつもりは毛頭ないのですが、社会一般の傾向として、せめて観念
がかった利よりも理がかった利を追うようであってほしいとは思います。

90千々松 健:2010/06/04(金) 11:33:55
今年はピアノの詩人と言われたショパンの生誕200年に当たるので、有名なトップ3の曲名から借用します。
 1)革命のエチュード(練習曲)
 2)別れの曲
 3)英雄ポロネーズ
日本の国政にカサネルと1)と2)が終わり、3)が今日から始まろうとしているとも言えましょうか。

さて、晩年の曲「仔犬のワルツ」も好きですが、ドイツ(念)・フランス(理)・イギリス(利)の特徴はそのまま「●・▲・■」に置き換えられるようで面白いです。
そして「●▲■の三拍子でワルツは踊ろう!」と行きたいところです。

91千々松 健:2010/06/06(日) 23:01:37
「菅」の音読みでは「カン」ですが、訓読みでは「すが、すげ」です。菅新首相は音読みの方です。
そう言えばその菅さんが菅笠(すげがさ)を被って四国巡礼をされていた写真が思い出されます。
日本の「気分がすがすがしくなる」ように国政をリードしてほしいものです。(須賀は須我に通じるようです)
さて、以前に鳩山内閣は関西人が多いと分析しました時に、時代は西から東へと進むと述べたましたが、いよいよ次の菅新内閣は関東人に重点が移行する模様ですね。

92千々松 健:2010/06/11(金) 11:33:10
「サイコロを振ってしまった」日本の宇宙人は「別れの曲」と共に舞台から降ろされ、もう二度と例の二人羽織は見ることが出来なくなりました。
それに代わって「菅官内閣」がスタートしました。
対話と協調の路線、ディベート公開路線で見える政治を行い、価値ある実績を示して欲しいものです。

93千々松 健:2010/06/11(金) 13:00:24
 心配していた口蹄疫の感染が拡大してしまい、宮崎県内に抑え込むのは無理な段階に入ったようだ。
口蹄疫はそのウイルスの感染原因(ルート)が判明しないうちに、人智を超えて拡大した。「黒豚」で有名な鹿児島県内に侵入したことが報告されるのはもう時間の問題であろう。

 普天間の移転問題で鹿児島県の徳之島が候補に上っているが、地元が基地の受入れを政治的に防いでいる間に、ウイルスの侵入は防げない問題として進行中であるのは何んとも皮肉である。
昔風に言えば、『罰があたった』のかも知れない。地方振興と言うことで東国原知事が派手に動いてきたが、この難局でこそ、その手腕を発揮してほしいと思う。そうでないと聞く耳を持たれなくなる運命にある。メディア人間はそれを一番知っているに違いない。
「ゴミ処理場問題」「火葬場建設問題」「米軍基地問題」等はどういうわけか共通していて<総論賛成・各論反対・空転先送り>に成り易い事柄である。場所と土地問題が関係してくるので、皆ドロドロした関係になってしまいがちであるが、最善を尽くして落とし所を探り、決断する必要がある。
他人事ではなく「自分事」としなくては旨く行かないコトである。

94千々松 健:2010/06/14(月) 13:00:09
惑星探査衛星「はやぶさ」が7年間の宇宙の旅を終えて、小惑星「イトカワ」の砂をカプセルに取り込んで無事に帰還しました。
まさに宇宙巡礼の成功はリスクマネジメントと制御技術の融合と諦めない工夫と努力によるJAXAの快挙と言えましょう。
その貴重な砂(石)の分析がなされて、宇宙の組成が少しでも明らかになることを期待したいものです。


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