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日本の回天
41
:
T.N.
:2010/01/06(水) 00:01:19
「オリンピアン幻想」の末尾に”アンチ解説”と題した若月弦一郎氏の文章が載っており、そこからの引用ですが
「文明の発展史を大きな流れで捉えると、古代における部族集団による部民から、領民を経て臣民を体験してから
市民になるが、日本では市民意識への転換がスムーズでなかった。それは日本の歴史の特殊性のためであり、明治
維新が近代革命の性格に欠けたので、領民から臣民への移行だけで終わってしまい、敗戦は臣民が市民に転換する
機会にならず、臣民から領民への逆行を生んでしまった。」
現在の日本人が領民の段階にあるという指摘は、一向に市民が主体となれないこと、戦前回帰的な主張が一定の
説得力を持つこと(領民より臣民のほうがまし)をうまく説明しています。市民の段階に至るには2つの道が考え
られ
(1)領民から臣民になり、市民を目指す。
(2)領民から臣民を飛び越え、市民を目指す。
戦前・戦中の歴史を知るものにとって、(1)は到底受け入れられるものではありませんが、かといって(2)
のようなアクロバチックなやり方がうまくいくものかどうか。私としては危ういながらも(2)の道を目指す他
ないと思っていますが、あるいは第3の道があるのか。
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