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フランス語フランス文化質問箱

41古川利明:2006/06/16(金) 21:34:12
移民のサルコジ法案
 その移民問題を扱った、例のサルコジ法案ですが(下院は通過して、現在は上院審議ですか、それとも既に「法」として成立してしまったんですか?)、むしろ、私がいちばんアングロサクソン的なコミュニタリスティックなものを感じたのは、例えば、研究者とか、オリンピック、サッカー選手といった「有能な人間」は「どんどん、フランス入国OK」だけれども、「それ以外の人間のクズは、ガンガンと締め出すぜ」という、路線を打ち出していることです(という内容の記事が、外電面には出てました)。「それって、もろアメリカでしょ」の世界です。フランスの素晴らしいところは、もちろん、現実はなかなかそうではなく、非常にタテマエに過ぎるのかもしれませんが、祖国を迫害され、石追わるるごとく逃れてきた、亡命者、難民に対して、それこそ、ユニヴァーサリティックに受け入れ、とりあえず、自立の方策が見えてくるまでは、最低限度の生活保障くらいは面倒みましょう、という部分ではなかったですか。そういうユニヴァーサリズムの根幹を否定しようとしているサルコジに対して、私は、この上ない憤りを感じているのと、結構、そういうサルコジの言動に対して、「沈黙」という名の「支持」を与えているのではないか。そんな気がしてならないのです。60年以上前のレジスタンスも、当初はナチス全体主義に対して「ノン」と体を張って抵抗したのは、ほんのごくわずかの少数(とりわけドゴールくらい)で、フランス人の大半は沈黙していたんですよね。最近のセゴレーヌの「極右化発言」といい、「サルコジ的なるもの」に対して、妙におべっかな空気さえ感じるのは、私の思い込みが過ぎるのでしょうか。「不条理な存在」に対するフランス人のレジスタンスが何か、希薄な感じがしますが。

42Sekko:2006/06/17(土) 17:06:40
移民法
 ええと、上院は通過して、でも、法案の一部を修正(観光で入った外国人がフランス人と結婚して、その後6カ月以上不法滞在していたとき、ヴィザ申請に自国へ戻らなければならない、とするのを免除etc)で、例の資格や能力を明記する許可証については通過しました。優先連帯地域(ほとんどアフリカ)の国との共同開発においては、ということです。それで、こうしたら、ただでさえ自国の医者や技術者が少ないアフリカの国からますます優秀な人が流出するというので、野党は反対していました。今は、上下院共同の委員会にまわされています。(下院の方に差し戻しされれば決定権があります。)
 不法移民の就学児童の強制送還については、サルコジもついに世論に屈して、送還なしと言っています。
 優秀な人を優遇するというのは、フランス人のイメージとしては、優秀な人に来てもらって、「フランス人になってもらいたい」というのがユニヴァーサリズムに絡めた本音だと思います。サッカーチームを見ても分かるように、強ければ、黒人でもアラブ人でも、「みんなフランス人」で合意なのです。その意味で、ネーションより「エタ・レピュブリック」でしょうね。ドイツチームの半分がトルコ人だったりしたら、ドイツ人の応援アイデンティティは成り立たないでしょう、イングランドの半分がインド人とかも。
 フランスの歴史の中で、宗教改革と革命で優秀な国民にどっと出て行かれた、しかし、第一次大戦で優秀な移民が来てフランス人になった(あるいは第ニ世代は教育を受けて優秀になった)、その後は、アフリカの貧しい出稼ぎ移民で彼らは第二世代が適合しないのでまたレベルが下がった、アフリカからの移民を止められないなら、ここら辺で、アフリカ人は、最初から優秀な人に来てもらわなくては、という雰囲気ですね。

43hiromin:2006/06/29(木) 19:09:27
少年事件
先日、奈良で高校生の男の子が自宅に火をつけて母親と兄弟を殺してしまうという事件がありました。
このニュースを聞いたときとても悲しい気分になりました。
この少年は学校の成績のことで父親から厳しく叱責されたりしていたようで、何もかも忘れたくて火をつけたと供述しているようです。
私はこの少年が家から逃げ出せるような環境があれば事態は変わっていたのじゃないかと思いました。駆け込み寺じゃないですけど、一時的に家から離れられるようなところがあってそこに避難できれば、自殺したり殺したりするような事態もある程度は避けられるのじゃないかと。
フランスでは少年事件は増えてますか?またやっぱりフランスにも子どもが自ら駆け込んで行けるようなシェルターみたいのはないですか?

44Sekko:2006/07/21(金) 08:52:13
子供の暴力
 近頃、サルコジが、少年の暴力事件には幼年時から現れる素質によるものがあるとして、フランスでは2歳から入れる公立幼稚園や小学校から、「乱暴な子供」の観察と早期治療=管理というのを始めました。そこだけ聞くと過剰危機管理だと思うのですが、そのルポを見ていると、確かに、小さな子供の中にも、皆が静かに座っている状況で、突然他の子のお絵かきの紙を引きちぎったり殴りかかったりする子がいるので、そういう子は幼児心理学者などのカウンセラーを受けます。小学校では、殴り合いなどが始まると、教諭の他に、専門に配されている教育士が、その様子を観察して、当事者の子供を「話し合いの席」につかせて仲直りさせます。それでも、解放されるとすぐに校庭に飛び出して、意味なく他の子を殴る子供もいます。黒人の移民の子が多いです。これは家族がフランス語が不自由だとかうまく社会に溶け込めないとかいう不全感の投影かもしれませんが、確かに、こういう子はいかにも、このままほっておけば、中学くらいになると兄貴分について例の郊外「少年暴動」をやらかす予備軍のように思えます。14、15歳になって力が強くなってからではもう遅いので、かろうじて学校に通っている子供の時から対応するというのは教育的遠謀でもあります。まあこれができるのは、教育社会主義のフランスだからであって、教育費無料、教育士も教育省に雇われていて、問題児への心理学者や心理療法士の対応も全て無料という制度があるからでもあります。そして、教室外での子供同士の世界に口を出さないという「子供コミュニティ」尊重のコミュニタリスムでなく、一人一人の子供が権利を尊重されているかをチェックするユニヴァーサリズム方式なので、教育史が目を光らせていて不当なことには即介入というわけです。日本風のいじめや不登校が起きにくいのはそのためかもしれません。コミュニティより個人が優先して保護されている感覚があるからだと思います。
 昨日7月1日、不法滞在移民の就学児童とその親に滞在許可を与えよというデモがあり、パリでは里親の会など何千人もが繰り出しました。やはり黒人を中心に、不法滞在の家族たちが子供連れで歩きました。「就学児童=滞在許可証」というので、役所にも不法移民が押しかけています。その意味では、サルコジもまったく押されています。
 子供を共和国の学校に就学させれば、そこで「フランス人」を作るのだから滞在OKですよというのは、彼らの理にかなっています。しかし「教育」が聖域というのは考えたらすごいことですね。大体、他の国では、不法滞在者の子供を公立学校に登録できるのでしょうか?日本など、カルトの信者の子供だからといって受け入れたがらない学校とか自治体とかさえありました。里親どころか、PTAが猛反対という感じです。その癖、いじめとかには目が届かなかったりするので子供が追い詰められたまま大きくなりある日爆発するのだとしたら、悲しいことです。地理的にも歴史的にも状況が違うので、日本にアフリカ系黒人がどっと不法入国する事は考えられませんが、とにかく、たとえば東京の真ん中で、見た目マイノリティの不法滞在の親子たちに滞在許可を与えよといって同級生の親たちが一緒にデモ行進するなんて、逆立ちしても想像できないことです。すごく非現実的だし、こんなことでほんとにいいのか、ともよそ目にも心配ですが、これがフランスの特徴でもあり、こうやって子供の教育を引き受ける限り、「若者の暴動」は全て教育の問題だとみなして幼稚園から対応始めるというのも分かるので、10年後には効を奏するか見てみたいものです。
 結局、フランスにおけるライシテの聖域が学校なので、子供たち一人一人が私的に属する共同体が不法移民の家族であろうと伝統的なカトリック小教区であろうとカルトであろうと、学校はその上の「共和国=自由平等友愛」に置かれるわけです。その意味では、「ライシテ」の空間はそのまま駆け込みシェルターだといえます。教育士や多くのアソシエーションが具体的に活動しています。カトリックのシスターや修道会がこのようなライック(=非宗教的)の避難所を運営していることもあります。
 でも、何日か前、健康に問題のある不法滞在の人と話していたのですが、フランスでは不法滞在の人でも無料で診てくれるシステムがあるし、いろいろなアソシエーションもあるはずだから調べればとアドヴァイスしたら、自分は生きるのにせいいっぱいで、どこにそんなものがあるのか調べる余裕もないといわれました。理念の認識と情報の平等がないと、一つ一つの不幸は解消できないのです。でも「子供を学校に入れれば合法的に滞在できる」という情報は充分いきわたりましたから、光明を見出す人は多いでしょう。
 それで、奈良の高校生ですが、事情はよく分かりませんが、絶望や憎しみが自殺や他殺というほどの形をとるまでには、やはり、精神のケアを要する病的な段階を通過しているのだと思います。学校でも家族でも、第三者の誰かがそれに気付いてあげるシステムや状況がなかったのでしょう。絶望状態の人は、そこから逃げたりどこかに駆け込んだりしたら救われるかもしれないという発想すら奪われて、最後の抵抗が他人や自分を「壊す」ことしかなくなるのだとしたら、やはり、第三者による啓蒙と危機管理が必要なのかもしれません。シェルターがあろうとなかろうと、「他者に救いを求める」決意自体がすでにだれでも平等にもてるものではないのです。
 親はその定義上子に対して盲目だ、とフランスでは言われています。子供の危機を管理するのは至難の業、だめだと思ったら第三者に丸投げ、というシステムを認めるのもひとつの方法です。そういう親もまた、第三者の子に手を差し伸べて借りを返せばいいことです。誰でもよその子の教育士になれるし、ならなくてはならない。
 何の問題もない「いい子」をもてるのは、ただの僥倖か、子供の自由の搾取に成功したかのどちらかではないでしょうか。全ての少年事件、私には他人事とは思えません。せめて、私の生徒たちに「無償で助ける」ことの存在を教えたいです。助けることを知らなければ、いざというとき自分も助けてもらえるかもしれないと気付けないと思うからです。フランスの話と離れましたが、フランスのTVで、不法滞在の親子とデモ行進をする無償の人々(政治家もいますが)の姿を広く伝えるのは、その意味で悪くないと思いました。

45Fusako:2006/07/04(火) 22:29:32
子供の安全
個々の家庭の中に子供を囲い込みながら、学校や通学の安全については、国・自治体・学校など、外部の責任をすごく追及し、そして、子供の視線に立って考える、子供たちがのびのび暮らせるようにという観点が必ずしも共有されていない、のが、最近の日本のように思えます。

46Fusako:2006/08/17(木) 22:21:29
バロック音楽
「バロックはなぜ癒すのか」を読んでいます。
感想とは言えないのですが、面白いと思ったのは、フランス・バロックは演劇的で語りの要素が強い(イタリアに比べて)ということ。
つながるかどうかわかりませんが、しばらく前に聴きに言ったジュリエット・グレコのコンサートで、彼女の歌はほとんど、ドラマ・語りに近く感じました。ロックでも、フランスはけっこうラップが盛んだと聞きます。そんなことを思い出しながら読んでおります。

47Sekko:2006/08/19(土) 17:00:32
シャンソン
 日本にいわゆる「シャンソン」の根強いファンがいるのは、フランスの「語り物の歌」が、日本の伝統的な歌と親和性を持ち、一般に近代西洋音楽を聴く右脳の方でなく、曲も左脳の言語脳で聴くからだと思います。フランス人や日本人の方が、意味不明の外国語の歌詞の曲でも違和感なく語りとして聴くように思います。虫の声や鳥の声にでも「意味」を聞き取るのと同じシステムですね。その辺のことを近く『バロック音楽はなぜ癒すのか』の続編として書く予定です。右脳を鍛えろというのが流行ってますが、日本人やフランス人は左脳に情緒がリンクしてるんですよね。9月14日、朝倉未来良さんのフランス・バロック・フルートのコンサート、ぜひ行ってみてください(文化会館小ホール)。朝倉さん、フランス・バロックの名誉のために頼りにしてますよ。

48Fusako:2006/09/14(木) 23:07:00
小さな優しき歌
のコンサート、とても素敵でした。楽器が徐々に鳴ってくるとか、奏者が佳境に入って来るとか、休憩に頂いたシャンパンがきいてくるとかあるのでしょうか、最初「うむ、今日はバロックのお勉強だな」と思って聴き始めたのが、どんどん楽しくなって、アンコールまで快い高揚感で聴かせていただきました。

49Lion:2006/09/19(火) 17:17:56
ワインの話ですが
先日ワイン通の知り合いがワインを空気にさらして置くと味が変化してくるのを日本語では「ひらく」と表現するが、英語ではchangeと言いあまり言葉的に面白味がないと言うのです。
フランス語ではこういう時にピッタリ合う言葉は何かございますいでしょうか?

50Sekko:2006/09/19(火) 17:24:01
ワインの表現
フランス語は多分こういう場合EVENTE(最初と最後にアクサンあり)でしょう。Change(最後アクサン) というのはないので、
英語のchangeはフランス語の直訳ではないようですね。Ventは風の意味です。風にさらされて香りや味わいが飛んだ感じでしょうか。
酸化したならそのものずばりでOxyde(最後アクサン)もありますが。エヴァンテ の方が趣がありますね。
フランス語のワイン言葉で開く(ouvert)というのは、開花、熟成するという意味です。閉じたferme というのはその逆でまだ固いというか
青いというかですね。ニュアンスの違いはおもしろいですね。

51桐鈴:2006/10/17(火) 17:19:54
ストのこと・障害者雇用のこと
 パリに8年すんでいたという人が、こんなことを言っていました。「パリのストライキは、日本と違って、電車を止めないで、みんなにただで乗せちゃうの」だって。本当ですか?
 後、先日お聞きしたフランスの企業は従業員の6%を障害者雇用しなくてはならないという話ですが、どのくらいの企業が、達成できているの? %を聞かせて。知的障害の人はどんな仕事してるのかしら?

52Sekko:2006/10/17(火) 17:40:30
ようこそ
 電車、止まりますよ。でもわずかながら運転してる分にはコントロールがなくて、ストの日は改札の扉が手であくのはホンとです。でも、定期を持ってたからといって、後で払い戻したりしてくれません。95年の末みたいに2週間以上とまった時はさすがに翌月分が半額とかでした。多くの国では交通機関のような「公共事業」はスト権がないですが、フランスはあり、国鉄も派手にやってます。それは直接民主制の行使ってことで、お互い様で、みんな我慢強いです。
 障害者雇用について、現在、6%が課せられている企業(従業員20人以上)のうち、達成しているのが50%、一部雇用、一部は罰金というのが27%、まったく雇用してないのが23%です。政府は、2005年に、3年間計画で、3年の間何の努力もしない起業からは罰金を3倍に引き上げるとか通達を出してるようです。
 知的障害の人は、高齢化に伴って需要が増える介護助手などが新しいマーケットだとありましたが、今実際、どこにどのくらいいて何をしているのかは分かりませんでした。

53古川利明:2006/10/29(日) 18:15:45
女性大統領について
 竹下さんの「女性大統領待望論」、興味深く読ませて頂きました。竹下さんのセゴレーヌに対する期待が伝わってきます。ただ、彼女は(おそらく)、オランドと「ニコイチ」なんですよね。ヒラリーとクリントンとの関係のように。ヒラリーがクリントンなしに存在しないように(それは男女のそれよりも、「政治活動」という、オフィシャルな部分でしょうが)、セゴレーヌもそうだと思います。私は別に男女の能力差はないと思いますが、良くも悪くも、現実問題として、「政治」はあまりにもドロドロと汚いところに関わらざるを得ません。要するに「肥溜め」に手を突っ込む必要があるということです。それを考えると、あまりにもセゴレーヌは品が良すぎるというか、「清濁合わせ呑む」という部分がないんですよ。そこらあたり、ドビルパンとも共通するところだと思います。何か、フォーブール・サントノレのサロン・ド・テで、やんごとなくお茶を飲んでいる姿がサマになっているっていうのでしょうかねえ。日本でいうと、この前、滋賀県知事に当選したあのオバチャンみたいな感じですかね。確かに「市民派」で「クリーン」な感じはしますが、じゃあ、議会を牛耳っている、脂ぎった顔の、魑魅魍魎とした連中と渡り合えるか、ということです。その点、シラク、サルコジの方が、そういう手管には全然、長けています。シラクもかつては直球一本だったと思いますが、コアビタシオンでミッテランに煮え湯を飲まされて、だいぶ、変化球も使えるようになってきたとは思います。でも、去年のEU憲法草案の是非を巡る国民投票でも、それを最初に言ったのが、その前年の革命記念日だそうですよね。半年以上も間を開けたら、その間にいろんな世論動向の変化もあるわけですから、まだまだ脇は甘いです。それに比べたら、サルコジの方が全然「策士」で、アイツは本当に油断ならない男です。「頭が痛くなって、表から消える」なんてのは、要は「雲隠れ」じゃないですか。都合が悪くなったら「逃げる」ということでしょう。サルコジはENAに籍を持っていないにもかかわらず、ここまでのし上がってこれたのは、まさに「権謀術数」以外の何物でもないでしょう。その点では、彼は余りにも「謎」が多いですね。今、治安担当の内務大臣をやっていることを含めて、竹下さんも含め、フランスに在住する言論人たちが、サルコジをなかなか正面切って批判しようとしないのは、彼に対する「怯え」があるからでしょう。でも、シラクは叩かれる。ワールドカップの例の「頭突き騒動」で、ジダンがシラクに対して頭突きをしている風刺画がネット上に出回っていたようですけど、本来なら、あの頭突きの相手は「サルコジ」でなければならないはずでしょう。竹下さん、前にはっきりと私に言ってたじゃないですか、「もし、サルコジが大統領になったら、フランスから出て行きたいくらいだ」と。もし、「真の言論人」であることを貫くのであれば、もっと、筋を通した発言をしなければですよ。サルコジに別件でパクられて、警察の留置場に入るくらいの覚悟と勇気がなくて、何が、「言論人」だと私は思います。トルコの知識人は、クルド人問題で政府を批判するだけで留置場に引張っていかれているじゃないですか。私が「シラク3選」を支持するのは、そういう理由からです。それで、「共和国大統領」は、アメリカ、中国、ロシアといった、そういう手管にかけては、相当なものを持っている連中相手に交渉するわけですから、それを考えると疑問符を感じます。ただ、そういう「政治家としての資質」は置いといて、「女性らしさとしての魅力」という点で見れば、セゴレーヌもギグーも全然、OKですが(笑)

54Sekko:2006/10/30(月) 00:29:57
サルコジなど
 えーと「女性大統領待望」なんて言ってませんよ。私はDSKを支持だって書いてあるでしょ。あれはジェンダーコーナーで、政治家における男と女の「見た目」について考えてみただけで、サルコジ批判と直接関係ないし。でもサルコジとセゴレーヌの対決なら私はもちろんセゴレーヌで、DSKが首相になると見てます。DSKが大統領ならジョスパンが首相に返り咲きもありです。
 『もし、「真の言論人」であることを貫くのであれば、もっと、筋を通した発言をしなければですよ。サルコジに別件でパクられて、警察の留置場に入るくらいの覚悟と勇気がなくて、何が、「言論人」だと私は思います。』って、まさか私に言ってるんですか?
 サルコジのせいなんかでパクられるなんて、絶対ごめんですよ。まだカナダとかに引っ越すほうがまし。でもね、サルコジのなりふりかまわないむき出しの野心とネオリベぶりは、フランス的なエレガンスとも相容れないし、社会民主主義の伝統とも折り合わないし、その点で、サル居士がどうやって自爆するかつぶされるか、あるいは大統領になってしまったら、どう「フランス化」していくのか、そのへんを観察するのもすごくおもしろいんです。
逃げるのは解決じゃないし。
 もうひとつ、ジェンダーの記事にも書きましたがこちらではサル居士批判にすごく差別的言辞が飛び交っているんです。それに比べればセゴレーヌへの女性蔑視的批判はずっと穏当です。TVのギニョールなどの風刺番組ではシラクはサルコのことを一貫して「小人」と連呼してます。アメリカで「小人」が差別的というので「白雪姫と七人の小人」が検閲されたことがあるのを思うと、我彼の差にあらためて驚きです。
 シラクって、別に若いとき直球1本じゃないですよ。最近のドキュメント番組で、81年の二次投票のとき、彼がいかにジスカールをつぶしたかという証拠のコメントを改めて聞いて、今のサルコより上手のなりふりかまわぬ策士ぶりに驚きました。あの頃の私はシラクだけは信用の置けないマキャべリックなやつで絶対に大統領にしたくないと思ってました。
 ちょっと面白かったのは、シラク12年の功績として、イラク派兵反対や兵役撤廃と並んで、核実験の停止があがっていたことでした。日本人のイメージでは、シラクは大統領に就任してすぐ核実験を再開した悪いやつみたいのがありましたが、確か、ミッテランは10回以上やってたし、シラクは公約の時から、最後の核実験を数回やってそれから停止するというプログラムだったのですね。それで、基本的にフランスはもう核実験しない路線をシラクが用意したわけで、それが評価されてるのです。
 でも、最近、イスラエルの核兵器のことで、60年代にドゴールの肝いりで核開発した後、マルセル・ダソーがミサイル開発を助け、云々の資料を読んでいるうちに、プロアラブと思われているフランスが一方でヨーロッパ最大のユダヤ人口を抱えてイスラエルに率先して核を持たせていることの老獪さに改めて感心しました。イランや北朝鮮だとこんな騒ぎになってるのに、イスラエルだけは、欧米のパワーゲームの中でどうにでもできたんだ、という感慨です。こういうことを見てると、ほんと、清濁併せ呑むどころか、濁流の中で目を開けてどこまで見えるかというのが国の指導者の最低条件です。セゴレーヌは軍人の娘で、兄弟も軍人で、自分はセネガル生まれ、ヴィルパンもモロッコ生まれで、じょうずに「アフリカに強い」イメージも使ってます。「サントノレでやんごとなくお茶してる」感じじゃないですよ。
 そんなわけで、こちらは、サルコジが着々と人心をつかんで行くのに手をこまねいて黙っている、という構図ではなくて、サルコは目を覆いたくなるほど下品な非難や揶揄を含めて、すでにあちこちから攻撃されてます。こんな状況では確かに私は毒気がぬけるんですよ。個人的にはまわりはみんな「インテリ左翼」だし・・
 一度「ヴィルパンかわいい」とか口に出したら散々な目にあいましたし。11月の下旬、社会党の候補が決まったらまた報告します。

55古川利明:2006/10/30(月) 21:43:28
大統領のフランス化?
 失礼しました。確かに「ドミニク・ストラス・カーン(=DSK)に期待する」と書いてありました(笑)。ただ、このDSKという人物は、少なくとも日本では全く無名ですね。外電記事では見たことがないです(たぶん)。どういう人物ですか? それと、私がよくわからないのは、今回はPSもUMPも「党員選挙」で大統領選の候補者を決める、ということですよね。何で、そんなアメリカかぶれのようなことを、わざわざやるんですか? だって、フランス大統領選はアメリカもそれとは違って、有権者の直接投票・2回制なんですから。出たけりゃ、95年のRPR同士の「バラデュールVSシラク」のときのように、どんどん、みんな手を上げて出りゃいいじゃないですか(笑)。前回のジョスパンの1回目でのルペン敗北は、「油断」ですよ。現職の首相が、あのルペンに負けてるようじゃ、どうしようもないじゃないですか(笑)。それと、81年の大統領選で、シラクは決選投票に出れなっかったんで、同じ保守・中道のジスカールデスタンを潰すため、ミッテランに自分の票を回したってことですよね。「敵の敵は味方」なんだから、私だって、それくらいのことはする。私に言わせれば、その程度のレベルは、全然、「マキャベリズム」でも何でもないですよ(笑)。やっぱり、竹下さん、アカデミズムの人ですよ。私のように汚れていない。でも、それは大事なことだと思います。しかし、大統領になると「フランス化」するというのも「ふーむ」という分析です。ミッテランがそういうところがありましたからね。

56Sekko:2006/10/31(火) 01:09:10
DSKなど
簡単なのは、Dominique Strauss-Kahn - Wikipedia で検索したら顔とか経歴とか出てきます。この人も幼時モロッコにいたのでプロアラブのイメージと、でももとユダヤ系ということでバランスが取れてる気もしますが・・・PSがこうなった(党内選挙)のは、EU憲法条約の時のファビウスの離反、しかも離反した側が国民投票で勝ったというトラウマのせいです。でも今のとこ足の引っ張り合いで、議論をやればやるほど、内輪もめの印象を与えてます。サルコジが、少なくとも僕のおかげで彼らは「サルコジ批判」という共通点を持てて分裂をなんとか防げている、と今朝のラジオで言ってたのが皮肉です。UMPは保守から二人立てて共倒れになるのをふせぐためヴィルパンとMAMを抑えようとしてるんでしょうけど、今は去年の「郊外暴動」から1周年ということでまたポリスと若者の衝突が懸念されているので、サルコがかなり表に出ています。「僕は情熱の政治家、この国を情熱的に愛してる、課せられた責任を果たすのが大好き」と臆面もなく言ってました。「責任を果たす=権力を行使する」が彼の中ではナチュラルに一致してるのですが。
 シラクのジスカールへの近づき方と捨て方とつぶし方は、しかし、かなり印象的でしたよ。自分が落ちた後、「私はジスカールに投票しますが、みなさんはお好きなようにまかせます」と言った、その言い方が、見返してみるとびっくりでした。今ドゴールのTV演説を見ても、その芝居ぶりに驚かされました。舞台用としか思えません。ドゴールに比べたら、今の政治家はかなり普通になってます。
 大統領のフランス化というのは、第五共和制では大統領は「国の象徴」の役目もあるので、フランス革命の理念や何やらをせおわされるからです。でも今のシラクみたいに、もう博愛主義者として言ってることと、実際の政治とが遊離しちゃってる場合も出てくるわけです。

57:2006/11/08(水) 14:15:02
ちょっと場違いですかね
http://blogs.yahoo.co.jp/kenichimiura423/43370763.html?p=1&pm=l
こちらのブログでフランスでは教義を理由に団体を差別している。
という話が展開されているのですがこれはライシテの原則に反しているような気もします。
どなたか知見をお持ちの方おりませんか?

58Sekko:2006/11/08(水) 20:36:53
いいですよ
 ご指摘のブログを拝見しました。かなり誤解があります。まず、フランスの95年のセクトリストは、「教義によるカルト」の認定ではありません。ライシテとそれに基づく共和国主義を未成年に教育するための指針でした。当時も、法律に反することのない限り、これらのグループの存在は認められています。ただしフランスは、成年(18歳)に達するまでに共和国理念の教育を受けているというのが前提の「自由」なので、未成年(=分別力判断力の完成していない人間)の私的環境に干渉するのです。これは、ブログにあるようにカトリックの保護というのではなく、むしろ、私的地域的にどっぷりカトリックの刷り込みのあったフランスの歴史的状況との戦いを基礎にしてすべての反カルト法があるといっていいくらいです。ですから、反カルト法には今でもカトリック教会が目を光らせていて、信教の自由に反しないかチェックを入れているので、まあバランスは取れています。
 このリストは95年の時点で、フランスで、主として未成年に関係してしばしば訴訟の対象となったグループ(内部での教育機関に勧誘や宣伝、親権訴訟など)、金銭関係などに疑惑を持たれたグループ、寄付や脱会に際してしばしば訴訟の対象になったグループ、であり、「被害者」を助けるための非営利組織がすでにあるものがほとんどでした。「被害」とは、脱会の際に嫌がらせを受けたとか、洗脳されて大金を寄付してしまったとか、子供に法廷のワクチンを受けさせないとか、学校に行かせないとか、離婚した後、子供をつれてグループ生活をする親が、もう一方の親や祖父母との面会を認めないなどです。ブログにはオウム真理教が入っていないとありましたが、95年の時点でフランスでそういう被害がなかったからです。
 ですから教義とは直接の関係はなく(もし教義に社会から子供は隔離して育てるべしなどあれば別ですが)、宗教以外のグループも対象になるわけです。リストにはもちろん各グループの紹介がありますが、そこに挙げられている名目や公式の活動内容そのものがカルトだといわれているわけではありません。
 もちろん健康な大人が自分の判断でどのグループに入ろうと違法行動をしない限りOKです。ではこのリストがどういうふうに使われたかというと、離婚の時に一方が認定セクトに入っていると、入っていないもう一方が親権を主張しやすい、洗脳されていたとの主張が通りやすく賠償金をもらいやすいとかなどの訴訟シーンです。後、このリストに入っているグループは原則として、未成年教育施設、病院、リハビリ施設や老人ホームなど、判断力が充分でないか弱っている人の多い公共の場所とその半径200メートル以内での広報や勧誘活動ができなくなりました。それらのグループの「被害」は実際そういう場所での勧誘が多かったからです。教師が教室で広報勧誘するなどは当然だめですが、確かパリの16区のリセでは日本人のSGIの生徒が、リセの内部で友人を勧誘したことで一時問題になりました、未成年が未成年を、生徒が生徒を勧誘するというのは「想定外」だったからです。
 そういう「訴訟における判断の材料」というプラグマチックな意味があったので、170以上の名がリストにあったわけですが、その後状況は大きく変わりました。一つはもちろん2001年以後のイスラム原理主義のテロ問題です。
 移民や不法移民の子弟が共和国の学校から落ちこぼれる、モスクで原理主義グループに誘われてパキスタンなどの軍事訓練に行く、など深刻な問題がたくさん起こり、セクトどころではなくなったのです。172のグループの「被害者」はどちらかといえば、いいところの若者や小市民が多かったのですが、社会の別の次元の問題が大きな危険を伴って増大したのですね。それで、95年のカルトリストは、今年初めに一応役目を終えたことになりました。これは、それらのグループがセクト的傾向がなくなったと判断されたのではなく、95年の基準で行くと、今は同様のグループは170どころか400か500に上るそうで、172のリストに載っていないということを免罪符にすることの不都合のほうが大きくなったということらしいです。だからリストなどでくくらずに訴訟があるごとに個別のケースを審査すると言うことです。
 もちろん、カトリックの内部でも被害訴訟というのはあります。特定修道会に洗脳されたなどです。あるグループがセクト的であるかどうかは、普通は、教義そのものにあるのではなくその個別の運用にあるのですから。
 独善主義とか、秘密主義とか、全体主義など、共和国主義に反するとみなされる「セクト的」活動や考え方はあらゆるところにはびこっています。セクト(統合するものでなく分断するものというイメージで、フランス風ユニヴァーサリズムの敵)の誘惑といっていいくらいです。「自由・平等・友愛」といいますが、ほっておいたら、私たちは「不自由・不平等・憎悪」に限りなく向かっていくかのようです。だから建前など意味がなくてフランスは歪んでいるんだと言うより、だからこそ、建前をしつこく掲げて、試行錯誤しながら、理念を現実に反映しようと四苦八苦するフランスみたいな国があることは興味深いです。
今の日本では、子供が親と一緒に宗教団体で暮らし始めたら、祖父母が孫と会うことを拒否されても、どこへ訴えることもできず泣き寝入りするケースがほとんどですし、逆に、オウムの事件のように、カルト教団内で育てられていた子供たちを保護するどころか、就学を拒否したり「くさいものに蓋」式の封じ込めをするのも知られています。それよりはフランスの方が責任あるケアが期待できていいかなと思ってます。
 私の義妹はチベット仏教の学者であり僧侶です。その仏教センターに来る人々の心性は、旧ヒッピーというかエコロジーでロハスな人、リンポチェにをほぼ偶像崇拝してる人など、さまざまです。救いや幸福にもいろいろあって、救いや幸福を求める形にもいろいろあるんだと思わされます。でも救いや幸福を求める心につけこんで人をコントロールしたり搾取したりしようとする人間や組織も必ずいるわけで、私は少なくともそっち側(つけこむ側)に足を踏み入れないように気をつけたいです。
 そんなわけで、「・・はフランスでカルトに認定されてるからカルトだ」という言い方は、フランス人が言っても日本人が言っても間違いです。そんな言い方で断罪したり免罪したりせずに、グループや個人の個々の活動の現われを自由・平等・友愛の理念に照らしてこまめに微調整していくのがいいような気がします。

59:2006/11/09(木) 14:31:09
(無題)
ありがとうございます。
お詳しそうですね、文章も気合が入っております。
宗教関係の方からの中立な視点は非常に興味深く、拝読させていただきました。

95年報告書を字義通りに読むだけでは中々わからない話。
具体的な選定基準の話は知らなかった内容もあり参考になりました。
UNADFI等が関わったのは知っておりましたが、記載されたのが「被害者」を助けるための非営利組織がすでにあるものがほとんどという話や細かい基準は知りませんでした。
訴訟における判断の材料に使われたということは、それだけキチンとした報告書であったということですね。
しかし逆に考えると個別の事件に適用するというのは公平さを欠くような印象も受けます。
裁判で95年報告書は行政資料に過ぎないという話もあったようですし。
裁判で乱用してはいけないとの通達もあったようです。

セクトどころではなくなったというのは大変そうな話ですね。
評判が悪いが最悪というイメージが浮かぶほどでない団体が多いみたいでしたしそういう問題がおきたら放っておかれそうですねえ。
しかしMiviludes2004年度報告書を見ると一般的なカルトの手口に対抗するための行政施策が並んでいるようにも見えます。
単純に放っておかれているわけでもないように思えますが?
報告書などを読んでも普遍的なカルト対策に思えます。
そういえば報告書にも訴訟の援助や典型的な被害の目録づくりや詐欺研修防止などがありましたね。
特定団体を想定した対策ではないようですし、そういう方向に流れたというのは穏当な話ですね。

>>大人が自分の判断でどのグループに入ろうと違法行動をしない限りOKです
昔調べている途中で、大人の選択には干渉しない。
という表現があり不思議だったのですが未成年が重視されているとの貴方の説明もあわせると説得力を感じます。

私の話なのですが
日本語の記事を検索してもマスコミ情報はほとんど無く、信頼できるのは日弁連や読売新聞記者の談話など極少数。
このブログに代表されるような誤解だらけの記事が蔓延しておりました。
まずは正確な情報をと、私は今現在セクト対策に関わる行政資料の日本語訳をWikiSourceに提供している次第でして。
WikiSourceはWikiの姉妹プロジェクトで誰でも参加できます。
もし宜しければ参加していただけないでしょうか。
やはり情報が少ない状態ですので、詳しい方はひとりでも多いほうが良いのです。
それにこういうプロジェクトでは多様な視点が何よりも大事です。

60Sekko:2006/11/09(木) 19:44:09
セクト対策プロジェクト
Sさんのスタンスが分からなかったのでちょっと迷ったのですが、お役に立ててよかったです。でもこの問題にこの匿名の場ではあまり深入りしたくないので、このサイトへの個人メール sekko-culturelavo@hotmail.co.jp に改めてご連絡ください。

61:2006/11/12(日) 20:41:25
了解です
わかりました。
一応仕事と勉強を抱えている身分なので時々
お返事が遅くなるかもしれませんがその辺はご了承ください。

62お伺い:2006/11/14(火) 20:49:49
sekko様、s様
当該ブログの管理人の者です。
sekko様の投稿を読み、改めて考えさせていただきました。
その内容を全文記事にしたいとも考えております。
それについてのご意見をお聞かせください。

63Sekko:2006/11/15(水) 00:45:42
いいですけど
「全文記事」ってのがよく分かりませんが、Sさんがよければ私は別にいいです。私は大体において対決回避型の逃げ腰なんで、たとえばセクト的信念に固まった人との論争とかはしたくないんで、目立たないとこでお願いします。(だからSさんへのお返事にまよったんです)
 でも、こういうことで困っている方とかいらっしゃれば、哲学宗教の質問箱かサイトのメールに入れてくださればアドヴァイスできるかもしれませんのでどうぞ。

64お伺い:2006/11/15(水) 12:12:38
感謝
sekko様、全文記事というのは、意図的な変更を行わず、なるべくそのまま記事にしたいとの意味です。とりあえず記事にした際、何か注意点などあれば仰ってください。とにかく、「学会はフランスが国家的に認めた洗脳集団、破壊的カルトだ!」と一刀両断するのも、「それはフランス国家が悪い」としらばっくれるのも、どちらも真実を忠実に表現しているとは言えないと感じています。論争をする気はありませんし、大変フランス事情に精通されていて、敬服しております。

65:2006/11/20(月) 17:52:16
立場表明
偏見に固まらず中立的な見方。
やっぱりこれが一番大事ですからね。
私の場合ついついカルト批判に偏ってしまう側面があります。
事実は事実できちんと存在しているのですから
できるだけ正確な所を知りたいものです。
私もどうしても日本と言う情報の少ない場所に住んでいる身。
情報の少ない状態で犯した誤認は絶えず訂正しなくてはいけませんし。
固執するのはできるだけ避けたいところです。
でも私のサイト反カルトよりではあっても日本語ページで
一番中立的な情報を提供しているサイトだと自負はしているのですよ。

66:2006/11/20(月) 17:55:02
Reお伺い
私も掲載に賛成しますよ。
一つ条件をつけるとすれば
>>「学会はフランスが国家的に認めた洗脳集団、破壊的カルトだ!」と一刀両断するのも、>>「それはフランス国家が悪い」としらばっくれるのも、どちらも真実を忠実に表現してい>>るとは言えないと感じています。
この立場を保持していただくだけでよいです。

67:2006/11/21(火) 21:02:53
(無題)
Sekkoさまちょっと気になるのですがご指定のメールアドレスに私の方から
一通メールを送信しましたがまだお返事を貰っておりません。
一通でも結構ですのでお返事をいただけませんか?

68Sekko:2006/11/21(火) 21:22:13
へんですね
メール読みまして、2通返事しました。biglobe のアドレスに。変ですね。Sさんのサイトを教えてくだされば、そしてそこに連絡先があれば再度トライしますが。でなければ、別の方に頼みます。フランスからなので、返信枠でないと文字化けしたりすることもあるり、スパム扱いで消去されてるということもあるので。

69:2006/11/25(土) 01:05:09
へんですね
お返事遅れました。
もしかしたらジャンクメールと間違って削除したのかもしれません。
sinapusuA@hotmail.co.jp
にメールを送ってみてください。

70Sekko:2007/03/07(水) 00:58:46
大統領選荷ついて
 ここに来てフランソワ・バイルーが頭角を現してきた。サルコとセゴのあくの強いやり取りにうんざりし、どちらも大風呂敷を広げるのが不信感をそそるので、中道のバイルーが新鮮に見える。また、首相はともかく、フランス人は大統領には父親像を伝統的に求めている。サルコもセゴもそれを満たさない。バイルーにはそれがあり、吃音を克服したというやや訥々とした話し方も誠実そうに聞こえる。立て板に水のサルコや、妙に軍人っぽいセゴとは違う。教養のある教育者という雰囲気もある。サルコは、貴族の家系なのに品格がなく、自力でのし上がったとさかんに言っているが、本当にいかにも他人をだましたり押しのけたりして成功したという雰囲気をかもし出している。TVにも映ったが、何か都合の悪い質問をした女性に対して、「T’es qui,toi?」などと答えたことがある。フランス語には Bon pere de famille という表現があって、礼節を持って多者をリスペクトして常識的にふるまうことを「家庭の父としてふるまう」と言う。サルコにはそれがない。彼のその品のなさ、はある意味では一種の魅力でもあるのだが、それゆえに彼はリスペクトされない。バイルーも小柄だが、バイルーをちびだと言う人は一人もない。サルコだけが、はっきり言って気の毒になるほど、背が低いとからかわれている。サルコが体現しているのは父親像でなく、彼自身がクズと呼んで物議をかもしたチンピラ像なのだ。今から思えばジスカール・デスタンは若い大統領だったが背が高く髪が薄く雰囲気が老けていた。ミッテランも髪が薄く若くなかった。シラクは若い頃はぎらぎらしていたが、パパ・シラクとよばれ角が取れたイメージでようやく大統領になれた。その意味では、少し若いが、ヴィルパンは上品だが戦える父親像に適っていたがシラクに使い捨てにされた。サルコが大統領になっても閣僚にはならず、アメリカでアル・ゴアがそうしたように在野で独自の活動をすると彼は言っている。ゴアが環境問題でしたことを自分は世界平和のためにやると言っていた。その方がヴィルパンには似合っている。政治の世界を泳ぐには彼は上品すぎるからだ。フランス人は、190cm台ならとても背が高い、180cm台なら長身、170台は普通、という大まかな感覚があるが、ドゴール、ジスカール、シラク、ヴィルパンと、とても背が高い政治家がけっこういた。だからサルコの小柄が目立ち、シラクとヴィルパンの長身コンビと比べられて揶揄されるのだが、要は人柄だ。温かみのアルバイルーを見ててそう思う。サルコは、額に汗して働いている人が国からアシストされている人よりも稼げないのはおかしいという、ピューリタン成果主義みたいなことを平気で言って、そういうことをフランスで言う政治家は少ないので、一定の支持を受けている。ル・ペンが、うちの子がよその子より優遇されないのはおかしいという論理を打ち出したのと同じだ。サルコが大統領になったら、フランスも、生活保護は最低限のお情け、施しであり、働く人が税金を注ぎ込むのはおかしい、というどこかの国みたいになるだろう。フランスはアベ・ピエールを失って孤児になった。みんなが新しいお父さんを求めている。その気持ちがバイルーに向かえばいいのだけれど。バイルー大統領ならボルローの続投やヴィルパンの外相返り咲きもあり得るかもしれない。

71Sekko:2007/03/12(月) 05:22:46
シラクの言葉
 ついさっき、TVでシラクがようやく大統領選への不出馬を表明した。第五共和制になってから自らの意思で権力を手放した大統領は始めてなのだそうだ。そういえばそうかとびっくりした。不出馬の正式表明を延ばしてたのは、ヴィルパンがサルコジを支持すると言わなくてもいいように配慮していたのだと私は考えていた。結局、今日も、予想通り、サルコジ支持はしなかった。その代わり、無難というか、ユマニストでソシアルで、共和国的なメッセージを残し、文句のつけようがなかった。言ってることとやってることは違うとも揶揄されるが、共和国理念を堂々と完璧に話すだけでも意義がある。セゴレーヌやバイルーやラファランやル・ペンがコメントしていた。前はル・ペンを見るのもいやだったが、今は、78歳でこの意気盛んな様子、ある意味で敬服。今見るのもいやなのはサルコジだ。
 TVではじめシラクを見てたら、なんだかミッテランの時のデジャヴの気がしてきた。輪郭や禿具合がそっくりになってきてる。大統領になるとこうなるのか、右傾から社会党首になったミッテラン、左傾から保守になったシラク、二人とも、大統領を二期やってるうちに、「共和国の子」の顔になった。さっき、シラクは、フランスは世界の経済格差是正についてもがんばるようなこともちらっと言っていた。彼は現にアフリカ諸国から好かれているから意外でもないのだが、こういうときにこういうことを元首がちゃんと言える国というのはうらやましい。自分の国の貧しい部分を切って捨てたり「美しくない」とか思っている国の首長なら、世界の貧しい国のことに言及しないだろう。そういえば、わりと最近、アメリカのキッシンジャー元国務長官ら数名が、世界の核兵器をアメリカも含めてすべて廃絶せよという宣言を出していた。それを読んだとき、なんだか悔しかった。あんたに言われたくはないと言うより、何でこういうことを日本人が言わないんだろう、と思ったのだ。冷戦のときは物言えば唇寒し、というか、核の傘に入れてもらっているということで言いにくいのは分かるが、キッシンジャーですら、全廃棄が平和への唯一の道ととにかく口にする時代になったのだ。北朝鮮に対抗して自分たちもいまさら核武装なんていう声が聞こえる日本って・・・
 もし唯一の被爆国として、地球の片隅からとにかく核兵器全廃絶とずっと唱えていたならば、よそはともかくその日本にもう一度核爆弾を落としたらどんな国でももう国際社会ではやっていけない、という無言の国際合意を作れていたかもしれないなあといつも思わざるを得ない。「フランスには世界の公正と平和のための使命がある」と大統領がTVで熱く語れる国って、たとえGNPが下がっても若者の「暴動」が起こっても、「襤褸は着てても心は錦」って矜持があっていい。理想や原則って、やっぱり大事だ。

72Fusako:2007/03/13(火) 22:55:44
襤褸は着てても心は錦
このフレーズも、「矜持」という表現も、まあ、久しぶりに聞くなつかしい言葉のような気がします。海外にいる方の方が、古い日本を心の中に保っておられるのかもしれませんね。

73Sekko:2007/03/21(水) 01:04:58
仏文和訳
私からの質問です。次の文を和訳してみてください。
そして、Chacun, Quelqu'un, Quiconque 、Personne

という4つの言葉の訳を提案してください。お答えはこのサイトの著作紹介の所にある読者の感想を送る場所
sekko-culturelavo@hotmail.co.jp までどうぞ。


Responsabilité

C'est l'histoire de quatre individus :
Chacun, Quelqu'un, Quiconque et Personne :
Un travail important devait être fait,
et on avait demandé à Chacun de s'en occuper.

Chacun était assuré que Quelqu'un allait le faire, Quiconque aurait pu s'en occuper, mais Personne ne l'a fait.
Quelqu'un s'est emporté parce qu'il considérait que ce travail était la responsabilité de Chacun.
Chacun croyait que Quiconque pouvait le faire, mais Personne ne s'était rendu compte que Chacun ne le ferait pas.
A la fin, Chacun blâmait Quelqu'un, du fait que Personne n'avait fait ce que Quiconque aurait dû faire.

74Sekko:2007/04/06(金) 20:37:00
仏文和訳その2
 お待たせしました。前の質問の答えと次の質問です。といっても、答えはありません。宿題みたいだ、という意見がありましたが、別にどの答えが正しいとかいう評価はないんです。頭の体操として楽しんでください。今回の回答は6人でした。匿名でOKなので、気楽にやってください。
 まずその中で一番クラシックですっきりしてたKumikoさんの回答を貼り付けて回答がわりにします。


  Chacun, Quelqu'un, Quiconque et Personne :
  誰も、  誰か、  誰でも、   誰一人。

4人のおはなしです。
誰もと、誰かと、誰でもと、誰一人がおりました。

大事な仕事がありました。
誰もが取り掛かるようにと指示を受けました。

誰もが誰かがやるだろうと思っていました。誰でも良いのですから。ところが誰一人しなかったのです。
誰かが、この仕事は誰もに責任があるといって、怒り出しました。
誰もが誰でもできると思っていたのに、誰もがしないだろうとは誰一人考えなかったのです。
誰でもやるべきだったことを誰一人しなかったというので、しまいには、誰もが誰かのせいにするのでした。」



 これで4人の名前がぴったりおさまります。パチパチパチ。
「誰も」「誰か」「誰でも」「誰一人」 とミニマムにしたのがよかったみたいです。これに似たのはで、Mさんの「誰もが」「誰かが」「誰でも」「誰も」がありましたが、「誰もが」と「誰も」の違いを出すために「が」という助詞を加えたので、主語じゃないときに修正が必要になりました。
すごくユニークなのはKさんなのでこれも全文ご紹介。

「誰かが答えると、みんなが思っているかもしれませんが、試みに投稿させていただきます。
4つの言葉の訳はケースバイケースになると思います。考えるほどに難しくて、どこかでどれかがぴったり合わなくなります。ケースを決めるのは「大事な仕事」の種類ですね。

私はこんな図式で考えています。

[Chacun⇔Quelqu’un]= Quiconque ⇔ Personne



卑近な例ですが、「道路で狸が車に轢かれて死んでいた」と仮定して、

Chacun =役所

Quelqu’un =住民

Quiconque =心ある人(みんな自分がそうだと思っている)

Personne =傍観者



訳:



責任



4人の人がいました。4人の名前は、役所、住民、心ある人、見ている人、です。

大事な仕事がありました。

はじめに役所に電話がかかってきました。

役所は、そんなことは住民の手でなんとかすべきだと思っていました。心ある人なら誰でもできるはずのことです。でも、みんな見ているだけでした。

住民は怒りました。その仕事は役所の責任だろう、と。

役所は、誰でもできることは自分の責任でないと思っていましたが、役所がその仕事をしないだろうとは、見ている人は気付きませんでした。

とうとう、役所は住民を非難しました。みんな見ているだけじゃないかと、電話をかけた住民が逆に怒られてしまいました。」

サービス精神にあふれてます。考えさせられます。
ただ、この話では大事な仕事を4人に頼んできたのは「4人以外の外側の人間」だと考えられるので、住民と役所のような、すでに責任関係(役所は住民のサービス機関とか)がある間の2者のやり取りは適切じゃないかもしれません。この話の核は、「成員が同等な課題遂行能力を有するグループの中にいる『私と私以外』という意識の問題」だと思うんです。他の誰かができるからといってやらない自分は免責できるのかという話ですね。Blamer を「顔を青くした」と訳された方、このBlamerはブラスフェ−ム(冒涜)の語源の言葉なので、Bleu とは関係ないです。あ、考えるタネの最新記事にフランス語の発音の悩みを書いてます。コメントや、似たような体験があればどうぞ。
 では次の質問。また仏文和訳。
解説つきでもどうぞ! 文字化けの問題があるらしいのでアクサンつけません。敷衍してくださっても、前後の文を勝手に足してくださってもOKです。(liberte の最後のEに右上がりアクサンです。)
 La liberte, ce n'est pas faire ce que l'on veut, mais vouloir ce qu'on fait.

L

75Sekko:2007/04/17(火) 07:23:51
フィギュア・スケート
 ベルシーのフィギュアスケートのスター・オン・アイスに行ってきました。昔はよくホリデイ・オン・アイスとか行きましたが、フィギュア・スケートのショーは初めて、しかも世界チャンピオン級のは今までTVでしか見たことがありません。今回は、フランス人のブライアン・ジュベールが42年ぶりでフランス人男子シングルの世界チャンピオンになったばかりで、華やかです。私は日本人なので、女子チャンピオンの日本人も見たい感じですが、女性ソロはワルシャワであったヨーロッパ選手権の2位のサラ・メイヤーというスイス人、3位のキラ何とかいうフィンランド人でした。キラさんは最も美しいスケーターに選ばれたそうで、「もちろんブロンドで」とかいうナレーションは「なんかなあ」と思いました。サラ・メイヤーさんはブロンドじゃないけど美しかったし。カップルのアイスダンスが多かったので、ソロですべる人は何となく寂しそうに見えたのも意外。第一部のはじめの方で、転んだりする人が出て、司会者が、「ベルシーですべるのはすごく難しいんです。ベルシーだから、パリだから」とフォローしてました。この「パリだから」というのも、すごくフランス的だなあと思いました。国際大会とかで、「日本だから」「東京だから」みんな緊張するとは日本のアナウンサーは言わないだろうなと。出演者の主力はフランス・チームなので、この「パリだから」というのは、多分ほとんどのスケーターが地方出身者だということを意味してるのかもしれません。
 それで、男子ソロはこないだの日本で行われた世界選手権の金銀銅が全員出てました。銀の高橋大輔くんも。その順位で行くとまず銅のステファヌ・ランビエルが滑って、次に高橋、最後にブライアンかと思ったら、高橋が一部も二部も3人の中では前座扱いの最初でした。最もランビエルは2005年と2006年の世界チャンピオンだから、総合の格から言うと、高橋の後に滑るのが妥当かもしれない。それに彼はフランス系スイス人でフランス語を話すし、フランスでも人気だから。私は高橋がフリーで最高得点を出したのをTVで見ていたので、ベルシーでかっこよく滑るのを期待していたのですが、そして、期待通り上手でしたが、何か違う。完璧で高性能という感じで、集中力も伝わり、色気さえあるんですが、そして最後に「J'adore la France]とフランス語で言うというサービスも見せて受けていたんですが、ランビエルやブライアンにあって彼にないもの、それは余裕と華かもしれません。このショーは選手権とかじゃないんだから、ミスをしないとか完璧とかいうより、もっとはじけてほしかったです。3人の中では彼が一番若く、その差も多少出てくるのかもしれません。ブライアンも若いんですが、アレクセイ・ヤグディンの薫陶を受けたせいか、楽しんで、それをコミュニケートするという喜びをちゃんとあらわせています。彼が出てきたときの「華」というのは、スポーツ選手の華というより、なんだか宝塚の男役トップスターの華です。あたかも技術なんか2次的なような。「がんばる」という感じが見えていたらショーにはならない、フィギュアスケートはスポーツだけど、バレーなんかに非常に近いので、選手はアーティストである必要があります。ショーとなると、アスリートが完全にアーティストに変身しなくてはならないんですね。エンタテイナーといってもいいです。後、ッスケートクラブの女の子たちなんかが客席からすごい声で叫ぶんですが、その抑揚が独特で、掛け声の文化というのはどこにでもあるのだと感心しました。仏文和訳2の解説は明日にでも。

76Sekko:2007/04/18(水) 05:20:52
和訳その2の解説
 その1に参加してくださった方と同じ顔ぶれが大体そろいました。人数が少ないので、主なところをそのままコピーします。まずKumikoさん。

「 La liberte, ce n'est pas faire ce que l'on veut, mais vouloir ce qu'on fait.
『欲することを成すのが自由ではない。成すことを欲するのが自由なのだ。』

まあ〜、なんて単純。
それより、ひとつ質問させてください。初めのce que の後にはl' が入ってce que l'on veutになってますが、二度目の ce que の後にはなくて ce qu'on fait.になるのは、なぜなのでしょうね? リズム感の問題?(笑)
この l' の使い方って、難しくて、入れようとするとどこにでも入れてうるさくしてしまう気がするし、なければないでなにか抜けたような気が。慣例句のようになっているのは最低入れるように心がけてはいますが・・・あやふやなのです。むかし、フランス語の先生(外人に教えるフランス人)は、『あなたたちは使わなくてよろしい』と言いましたが・・・。」

ええと、単純ですがリズムがあってきれいな訳です。それに、単純なだけ、幅があって無難ともいえます。自由を2回繰り返したところがテクニックですね。最初のonに l' がついているのに2度目についてないのはやはりリズムの問題です。このlの挿入で、最初の部分のシラブルが2番目のちょうど2倍になっています。だから読んだ時に落ち着きがあります。日本人が書く時には確かに難しいですね。

次にNaoさんの答え。

『 自由とはしたいことをするというのではなく、することを熱心に追求するということである。

またこんなカツテな訳も考えました。
自由とは勝手放題のことをするというのではなく、他者のために、何かすることを望める可能性のことである。(他者のために、したくても制約があつてできないことが多いのでこんなことをかんがえました。)」

 この原文は、「自由とはAではなくBである」ということですね。つまりBはAの正反対にしたいところ。Aを「したいことをする」=「かって放題」=「自己の欲望優先」ととれば、それと対照的に、Bは利他的な行動指針と考えられるわけです。次にKさんの答え。

「私たちの欲することは数限りなくあります。人間、欲には限りがありません。限りのないものを求めることは自由とは「次元の違うこと」だと思います。自由とは行為する意志そのものであって、因果や運命に立ち向かう崇高な手段です。人間は自由を与えられて、責任を負います。

ですから、

『自由とは、欲することを行なうことでなく、欲して行なうことである。』

という訳にいたします。」

実はこの原文は、サルトルです。だから、文脈からいうと、これにかなり近いです。サルトル的にわりと単純で、人間がやることはすべからく自分で選択すべきだという、自由とは「生き方の選択と決定の自由」であるという意味なんですね。しかしMさんのように読んだ人もいます。
 「 自由とはやりたいことをするのでなく、することを望むことだ。
 竹下さんが祈りについて書いていらっしゃった時に『祈りとは祈ったことをかなえてもらうことでなく、可能なことを祈ることだ』というのと重なります。欲望は限りないので欲望から出発しないで、おのずからできることを望む境地に至るのが自由では。」

 これも含蓄がありますね。サルトルが選択の問題を自由と絡めたのは、キリスト教における自由意志の問題を意識しています。自由意志があるから、責任が生じ、責任があるから善悪の観念もでてくるわけです。
 Dieu se chisit. il n'est pas ce qu'il est, el est ce qu'il veut.というのはFrancois Varillon の言葉。コクトーは人間に自由意志を与えたのは神のアリバイだ、と言ってます。「私は自由だ、神さま、私を自由から遠ざけてください。」といったのはクローデル。逆にFerdinand Galianiは、「もし宇宙にたった一人でも自由な存在がいたとしたら、神はもう存在しないだろう」と言っています。この世に善悪が混在する現実の前に、人間の自由は神のアリバイであり、神の自由は人間のアリバイなのかもしれません。サルトルが神を捨てた時、神なき自由意志だけを引き受けたわけで、自由と欲望と責任と倫理とがのしかかってきました。自由がなければ原罪もなく悪も生まれなかったというユダヤ=キリスト教文化がベースにあります。

 次に仏文和訳その3です。これは今書いている『無神論』についての本に使おうと思ったのですが、うまく和訳できません。それで問題というより、皆さんのお知恵拝借です。

 Nier Dieu, c'est se priver de l'unique interet que presente la mort.
 です。interet の最初のeに右肩がりアクサンが、2つ目のeに山形アクサンがはいります。presente の最初のe にもアクサンテギュがつきます。サーシャ・ギトリィの言葉です。sekko-culturelavo@hotmail.co.jp か個人メールにお願いします。コメントつき歓迎。その2のお答えに関するコメントは直接この掲示板に書き込んでください。

77Sekko:2007/04/18(水) 05:23:53
choisit
さっきの文のDieu se chisit は Dieu se choisit のうち間違いでした。訂正。

78Sekko:2007/04/23(月) 04:55:33
また訂正、など。
この前のFrancois Varillonの文の el はもちろん il のエラーでした。この書き込み欄が狭くてチェックがちゃんとできずにすみません。
あと、和訳その2について別のコメントが来たので貼り付けます。J さんです。

「 『 自由とは望むことをすることでなく、することを望めることである。』
私はある依存症と強迫神経症に苦しんでいるものです。つまり、私のやることは私の望んでいることではありません。私の望んでいるのはむしろ「しないこと」ですが、してしまいます。やらされるといったほうがいいかもしれません。それで、しないように、しないように、といつも思いながらやってしまう現状から脱して、いつか「することを望める」ようになることが本当の自由だと思っています。」

 深刻です。「したいことをする」なんていうのは児戯の一種で、本当はみないつも何かやらされているのかもしれません。依存症は脳が覚えてしまっているので、やっていると一種の落ち着きが得られます。でも、それが自分や周りにとって不都合なことなら、少しずつデプラミングしていくことは、根気がいりますが可能だと私は思っています。それが自尊意識などと関わるとつらいので、依存症との関係性そのものを少しずつ変えていくのも必要です。全人格とかを問題にせず、知情意に分けて、アクションをどうコントロールできるかを検討してください。完全に克服できない悪癖とかは、増殖しないよう、転移しないように取り囲んで孤立させれば、罪悪感からは自由になれます。

79Sekko:2007/05/02(水) 21:42:43
和訳その3
 Nier Dieu, c'est se priver de l'unique interet que presente la mort.
の和訳の解説です。最近こんな言葉を見つけました。

「悪い訳でもエエ訳(英訳)、変に訳してもフツウ訳(仏訳)、二人で訳しても独訳、東で訳しても西訳、秘かに訳しても露訳、そもそもいい加減に訳しているのにホン訳(翻訳)というのが良くない。」

 変な訳でもフツウ訳(仏訳)かあ・・・肩の力を抜きましょう。
ベルギー人神父さまの訳。

「神の存在を否定するということは死ぬことのあたえる関心事をすてさることです。」ご感想は、この文章を読んだ時、それを書いた執筆者は自分自身が無神論者ではないと上手に(間接に)断言していると思われたそうです。また、「私にとって「死」とは「神との出会い」ですが、今現在「理性と信仰」によるもので、来世において「顔と顔を合せて」(1コリント人への第一の手紙13,12)と信じていますから神は存在していなければ」とのことです。
 生きている間には神を信じているが会うことはない。死ねばはじめて神と会えるのですから、神を否定すると死後の唯一の楽しみ、特権がなくなってしまいます。それがなければ、死なんて、生を失うという意味ではネガティヴだし、無という意味では、まさに無意味ですからね。私自身は、一応死後は各種聖人の真似をして、人の祈りと神との間の取り次ぎ役になろうと思ってるんですが、徳がないと逆効果かもしれません。それに、別に死んでまで神に出会っても・・・と言う気もちょっとします。今のとこ別にこの世で深刻に苦しんでないので死後の慰めはいらないし、逆に、すでにお世話になってます、ありがとうございます、と言いたいです。もちろんお会いしたことはないので、あの世で、オフ会というか、神の素顔を拝んで・・というのもいいですが、自分の知覚の仕方も変わっているでしょうから、今の好奇心はあの世に結びつきません。
 そこでおなじみK さんの答え。コピペ。
「l’unique interet の意味が問題ですね。死んでしまえば意識が消えて、生と死の区別さえ消えてしまう。その後にも先にも、神はある(のだろうか)。そういうことを考えさせるのが「死」ですが、今回は思いっきり俗な意訳で失礼いたします。
『最後の審判も閻魔さんも怖くなければ、神を否定するがよい。』」

 おお、これは現世利益でなくあの世利益の思想ですね。エジプトのミイラがいろんな護符と一緒にぐるぐる巻きにされてるのを思い出します。どんな文化のどんな共同体でも、一応「死後の物語」の筋はあるので、三途の川の渡り賃だとか、旅装束とか、死者にいろいろ支度させて送り出すというのは普遍的にあります。この文は、「たったひとつのアンテレ」というのが、死の持つ唯一のいいことともとれますし、神の唯一の効用とも皮肉にもとれます。つまり現世利益の部分は効かないので絶望したか、最初からあんまり期待しないけど、自助努力ではどうにもならない死後の世界でこそ、神にしかすがれません、どうぞよろしく、という、情報の少ない未知の分野における危機管理でしょうか。神のものは神に、カエサルのものはカエサルに、で、死後の世界こそ神の得意分野みたいな・・
 でもたいていの文化では、生前からそれなりに信仰していないと、死ぬ時にあわてて恩赦を請うてももう遅いというまっとうな考えなんで、生前の信仰を管理したり支配の道具にしたりする組織や人間も出てくるわけです。

 Naoさんの訳。
|
「神を否定するということは、死が与えてくれる唯一の利益をなくしてしまうということである。」

 同類で、Mさんの訳。
 「神を否定することは死のもたらす唯一の興味深いものを拒絶することだ」

もう一つ、Julieさん
 「『神を否定することは死というものが呈示してくれる唯一の慰みをむざむざ受け取らないことだ。』 死のおかげで味わえる(体験できる)たった一つの楽しみをむざむざと放棄すことだ、というのも考えました。」

 やはり、アンテレが問題ですね。結局、辞書にのっているような、興味、利益、関心事などすべて出てきて、そのどれも少し合っているし、微妙にずれてもいるような。
 結局、死の意識と不可知の意識は同時に生まれるとも思います。この文はフランス人の文なので、神は人格神であり、Nier というのは無神論など、神の存在の問題なんですが、被造物から超越した神なので、そもそも被造物の世界で被造物のような形では存在できないんですね。
 逆に、人間が死に思いをはせることがないか、不死身だったら、神は否定するまでもなく存在しないでしょう。神の存在は、有限の世界というこの被造物のあり方と人間によるその認識とペアになっているのです。「死ぬというあり方とその認識」といってもいいです。「Nier Dieu」は神の存在を前提としているわけです。しかし、死は否定できません。死とは無である、無は存在しないのだから無は存在しない、あるいは、死んだ時はそれを認識する人はもう存在しないのだから、死を知る人は誰もいない、などとエピキュリアン的詭弁は可能ですが、我々は誰でも、親しい人や動物が死に、肉体が破壊され、もう2度と帰ってこない経験などから、死の存在を実感します。死の体験とは、残された者にとっても一種の神との出会いの体験なのでしょう。死もまた神の被造物なのですから。
 哲学者シモーヌ・ヴェイユは、「神の体験をしたことのない二人の人間のうちでは、神を否定する人の方が、神のより近くにいるだろう」と言いました。
 神も死も、人間が否定するだけで存在しなくなるようなものではないんですね。ええと、なんだか、フランス語の解説と離れましたが、アンテレとは、語義的には、「注意を引くに足るもの」なんですね。利益はもちろんかもしれませんが、未知のものや、畏れを抱かせるものも、注意を引きます。死にひきつけられた時、神も姿を現すのかもしれません。

80greencurry:2007/06/02(土) 16:49:38
en の使い方
竹下先生、en の使い方について質問があります。
私は、友達5人でアランの幸福論を原文で読んでいるのですが、第9章 Maux d'esprit の中で次のような文章があります。
「L'imagination est pire qu'un bourreau chinois; elle dose la peur ; elle nous la fait gouter en groumets.」
で、最後の en groumets をどう訳すかよく分かりませんでした。
結局、「食通のように」と訳すのでいいのだと落ち着きましたが、en にはこのような使い方があるのですか?

81Sekko:2007/06/03(日) 22:45:06
わりと普通です。
En のこういう使い方、わりとふつうですよ。良く文例にあるのは「Vivre en prince」とか。「Vivre comme un prince」とどう違うかというと、comme の方が見た目というか、他から見てprinceみたい、という感じで、en prince の方が、本人もなりきって、みたいなイメージがあるかも。

 「日本に行ったら日本人みたいにふるまいなさい」と言うのを「comme des japonais」と言ったら、日本人じゃない人が、日本人のまねをしてそばにいる日本人のようにふるまうという雰囲気ですが、「en japonais」だったら、日本人として期待されるようなやり方でふるまいなさいと言う感じかな。むしろ、日本人に向かって、「外国に行ったら、日本人として(の自覚を持って)ふるまいなさい」と言うときにぴったり。
 このアランの文では、comme si nous etions des gourmets という意味に近いんですが、en gourmets とすることで、imagination がこっちの選択を許さないでいやおうなしに我々をグルメと決めつけて、有能なシェフのように恐怖を調合して味わわせる、我々もグルメっぽくそれにちゃんと反応して、シェフの思い通りに怖がる、という残酷さ皮肉さが効果的に出ていると思います。
 後、初めこの質問を見たとき、何のことか一瞬分からなかったんです。groumets とあったからです。単純ミスにも見えますが、日本人には、聞き取りとしては、groumets と gourmets の区別がつかないんですよね。たとえば、trou とtour では、それぞれ、トゥルー と トゥール とはっきり違って聞こえるんですが、次に母音が来て、たとえば「トゥルネ」と聞こえると、それが「trouner」「tourner」かは耳ではもう区別がつきません。この場合は trouner という動詞はなくtrouer になるので、判断はできますが。固有名詞なんかは大変です。
 昔日本のサッカーで、フランスのトルシエ監督というのを日本のメディアで読んで、それをフランス人に言おうとして、ぐっとつまったことがあります。まあ、trousseという単語から連想して、それで当たってたんですけど、RとLも含めて、なんかすごく可能性がありますから。
ちょっと気にとめといてください。

82greencurry:2007/06/08(金) 20:44:04
ありがとうございました
竹下先生、早速ご回答ありがとうございました。
en 〜 にはそんなニュアンスがあるのですね。一緒に本を読んでいるメンバーにも教えてあげます。それにしても、私はいつになったら、というか、いつかそのようなニュアンスが分かるようになるのでしょうか(苦笑)
フランス人への道は遠いなぁ・・・

83こけし:2007/07/05(木) 21:40:36
はじめまして
初めまして、こけしと申します。
竹下さんの著書『ジャンヌ・ダルク 超異端の聖女』に大変感銘を受けました。ジャンヌの男装の意味、当時の性概念などジャンヌに関する事への記述だけでなく、中世を生きた女性ヒルデガルドやカタリナ、ジャンヌ・ド・ベルヴィル達に関しての話も全て初めて知るものばかりで、目から鱗が落ちるような思いで読みました。特に復讐の女神と冠されたジャンヌ・ド・ベルヴィルの愛に生きたその生涯に魅了されてしまいました。彼女を知る事ができたのも竹下さんのおかげです。感謝してもしきれない程です、本当に有難う御座います。
私は『〜超異端の聖女』がキッカケでジャンヌ・ド・ベルヴィルについて知り、彼女について詳しく調べたいと思っているのですが、竹下さんの他の著書や資料、外部のサイトなど、ジャンヌ・ド・ベルヴィルについて詳しく書かれている資料でオススメのものはありますでしょうか?宜しければ御教授願います。

84Sekko:2007/07/07(土) 02:22:58
戦う女たち
 私もジャンヌ・ド・ベルヴィル大好きです。あれから出た本でまだ読んでないのは、

http://www.amazon.fr/Pirates-Corsaires-Patrick-Poivre-dArvor/dp/2844590756/ref=sr_1_4/402-9161165-3904159?ie=UTF8&s=books&qid=1183739494&sr=1-4

という本です。歴史雑誌には時々出ていますが、後は、百年戦争にまつわる歴史専門書でしょうか。

 でも、他にもフランスで有名な女性戦士としては、第2次十字軍に、妻が同行するのを禁じられたルイ7世の妻エレオノーレが男装して、やはり騎士の姿で固めた女性たちと一緒に男たちを十字軍へ誘う激をとばしながら、槍や斧で武装して馬を走らせてすごく勇ましかったそうです。そのせいで、第3次十字軍では一切の女性の参加が禁止されたそうです。
 17世紀にはアンゴラで50人の男のハーレムを連れていたというタマラ女王がポルトガルで戦いました。1592年にパナマで参軍した修道女の自叙伝というのも聞いたことがあります。戦う女性は、ジャンヌ・ダルクのような処女か男嫌い、あるいは超男好きかの2種類あると考えられていたようです。巫女型か、「英雄色を好む型」みたいです。前者は自らを犠牲に捧げるタイプ、後者は、エネルギッシュで長生き。フランス革命時代に活躍したのがマリー・ドゥシュマン。軍人を父に持ち1772年に生まれ、早く結婚して19歳で未亡人、1792年、祖国の危機に立ち上がり、父がいて、夫が所属していた部隊に入隊をゆるされて、下士官として7回参戦。その勇敢さを称えられて表彰されるも、25歳で敵前で負傷、兵士として男装のまま廃兵院で治療を受けました。王政復古の1822年、50歳の時にルイ18世から少尉の地位をあたえられます。さらに、1851年、ルイ・ナポレオンがレジオン・ドヌール勲章とセント・ヘレナメダルを授与、ボナパルティストとしての栄誉を受けました。このときマリーは79歳、パリに来たヴィクトリア女王が是非合いたいと言って面会したそうです。89歳で没した時はナポレオン3世夫妻が葬儀に出席、なんか華々しい戦士人生でした。もともと、ローマ軍の記録によれば、ケルトには女性戦隊がいたそうで、プルタルコスは102年にエクス・アン・プロヴァンスで剣や斧で襲ってきた女たちがローマ兵の楯や剣を奪ったと書いています。ローマへの最初の反乱軍12万の兵士を率いたのはBodiceaという女性で、女王とよばれていたそうです。ギリシャ=ローマ=ユダヤ=キリスト教文化の定着のせいで、ヨーロッパには女性戦士のジェンダーがなくなったけれど、土地の記憶としては、時々噴出してくるとも言われています。アマゾン河で女性戦士に襲われたヨーロッパ人がアマゾネスにちなんでその河をアマゾンと名づけたのも有名ですね。
 カノッサの屈辱時代に勇名をはせたマティルドは戦略と戦争の天才だったみたいで、43歳で15歳のバイエルン大公と結婚したし、60歳でも剣をとる気まんまんみたいだったようです。戦いの天才は男女関係なく存在する、みたいです。

85こけし:2007/07/07(土) 11:32:18
有難う御座いました
ご回答有難う御座いました。大変参考になりました。様々な女性戦士の逸話も興味深かったです。
女性戦士にも「英雄色を好む」人がいるというのに少し驚きました。

前回、誤字を打ってしまいました。大変申し訳ありませんでした。訂正いたします。
誤・ヒルデガルド→正・ヒルデガルト

86:2007/08/13(月) 04:10:29
フランス語に言い換えると
「生涯共に」を簡単なフランス語に言い換えると・・・教えてください。
結婚指輪に刻印したいんですよね。

87Sekko:2007/08/18(土) 13:10:17
ごめんなさい
留守しててお返事遅くなりました。

 やっぱ、pour toujours がきれいですね。ou 「う」が3回繰り返しでごろがいいし。直訳なら ensemble toute la vie  だけど長いし、生涯だけじゃなくてずーっと、ずーっと、という気持ちで。

 私たちは、日付と互いの愛称をそれぞれ逆の順で刻印しました。(自分の名を後に)

ずーっと、ずーっといっしょに、互いに相手のことを第一に思いやって暮らしてください。お幸せをお祈りします。

88:2007/08/31(金) 06:37:18
竹下氏の仏語論文について
 Mme.竹下の文春新書「アメリカに『NO』と言える国」を読んで共感を覚えたものです。日本の政治家および官僚に読ませたいとつくづく思いました。
 僕は高校の数学教員だったのですが、各国の数学教育の現状を調べていく内にどうも米・英の行き詰まり感は、氏の指摘する通り、コミュノタリスムに起因するとしか考えられません。弱い立場の人達にしわ寄せがいくというのは日本でも徐々に始まっています。そこで思い切って高校教員を辞し、フランスで数学教育を学ぶことにしました。現在4週間の語学研修をエクスで過ごし、ボルドー大学で引き続きフランス語を学びます。順調にいけば、ボルドー大学の数学教育系大学院へ進み、博士を取れればと思っています。そのとき氏のフランスにおけるグローバリズムに関する仏語の論文を参考にさせていただき、できれば引用させてもらいたいと考えています。氏の論文へのアクセス方法をお教え下さい。

89Sekko:2007/09/01(土) 00:45:58
どうなんでしょうね
 フランスが、数学の成績によって、生徒を選別するのは知られていますが、優秀な生徒は結局、グランゼコールの準備クラスから、エンジニアのグランゼコールに行ってしまって、大学の数学科には人が集まらないと言われています。大学院のレベルでは、グランゼコールの卒業生が入ってくることも少なくなく、また別なんですが。フランスゴのエンジニアは、日本語や英語のエンジニア(フランスではTechnicienと呼ばれます)と違って、理系管理職予備軍というか、エリートの異称で、新卒で就職した時点から、出身学校のレベルによって給料に差がついたりするんですよ。

 数学教育の王道なら、やはり数学のアグレガシオンをとることで、これは、出身によっての差別はありません。ENSの数学科はエンジニアのポリテクより難関と言われています。

 今、日本にいます。最近、マイケル・ムーアの『Sicko』を観ました。カリカチュラルなんですが、アメリカのつらい状況を見せつけられた後で、フランスの様子がうつると、何か胸に温かいものがこみ上げてきました。ヨーロッパの保険制度がカトリックの信心団の互助組合のメンタリティと関係のあることを思うと、マイケル・ムーアがアイルランド系カトリックであることも偶然じゃないかなあという気がします。

 フランスも、診察料、20ユーロが21ユーロに引き上げられたかと思ったら、最近また22ユーロに引き上げられました。個人負担が1ユーロです。昔は全額返ってきましたが・・・保険システムの破綻はカナダ同様うるさく言われているんですが、アメリカのような事態には戻らないでしょう。
 映画の中で、パリの中流家庭と紹介された家族は、夫がエンジニア(つまりエンジニアの国家免状を持っているエリート)で夫婦の収入が7000ユーロ以上と言っていましたから、すごく普通の人たちではないですね。でも、マイケル・ムーアはフランスで好かれているので、サーヴィスしてるんでしょう。『華氏911』よりは丁寧にうまく創られています。キューバを褒めてたわりには、WHOの健康保険充実度のランキングで37位のアメリカより下の39位とあったのがちょっと気になりました。チェ・ゲバラの娘が小児科医として出てくるのは感慨深いでした。

 病や怪我は、それだけで、自尊の念が傷つきます。そんな局面で金とか格差が露になるシステムは、やはり間違っていますね。サルコジのネオリベ体質も、日本のことも心配です。

 コミュノタリスムとユニヴァーサリスム関係の分かりやすいフランス語の本はいくつもあると思います。それと数学教育の関係は分かりませんが。私がフランス語で書いたものはバロック音楽におけるユニヴァーサリスムならありますが、あまり意味はないでしょう。9月半ばにフランスに戻るので、またあらためてお返事します。

90Sekko:2007/09/01(土) 00:48:39
お気軽に
 さっき書き忘れましたが、フランスでの生活や、フランス語のことなど、わかんないことがあれば気軽に質問してくださいね。

91:2007/09/03(月) 19:43:32
御礼
 さっそくのご返事有り難うございます。実は3日ほどパリに行っていて先ほど戻りました。パリにいる知り合いと食事しながらユニヴァーサリズムの話題について議論しましたが、フランス人には当たり前であって、日本人がアメリカに対しNOと言えない不自由さ、もどかしさを理解するのは難しいようです。氏のご指摘の通り、フランスでの優秀な生徒がグランゼコールに行くというのは、聞いてはいましたが、実際に若者に数学が嫌いになる理由の一つだと言われると辛くなります。ただ政治家・官僚にロジックを使える人が多いというのは大切だと思います。日本の政治家のように言動が矛盾していることを指摘されても、それが理解できない、もしくは何の罪悪感も感じないというのは、一般庶民からすると問題だと思います。
 ご存じのように数学では、小学校段階の算数から「同一視」という概念を気がつかない内に導入していきます。それが僕には人間の平等概念を形成するのに大きな役割を果たすと思われるのです。
 第2次世界大戦中、多くの優秀な科学者がアメリカに転住しました。ところがマッカーシーの赤狩り以来、アメリカの大学研究者の言論が一部封じ込められた感があります。理系はそんなことないのだろうかと思っていたのですが、僕が学生時代興味を持ったクルト・ゲーデルというロジシャンは、「ニューヨークの市民憲章は矛盾しているが宣誓せざるを得ない。」と言い、彼の哲学分野の研究も最後まで未発表のまま、ほぼ自殺に近い餓死という形で生涯を閉じました。数学基礎論の哲学的な側面はゲーデルの死後一切無くなり、ただの数学になってしまったのです。残念でなりません。
 ここからは推測ですが、ケンブリッジで教えていたヴィトゲンシュタインが大学を去ったことや、ブルヴァキの中心になってバリバリ研究をしていたグロダンディエックが行方をくらませたのも関連がある気がしてなりません。
 僕はアメリカに自由があるとは思えません。WASP達が恐れているのは、世界をひっくり返すような科学研究が、自分たちと反対サイドの人間によって達成されることではないかと思います。ビル・ゲイツが早々と引退してしまった(政治的活動に関わらないまま)のも陰で何らかの動きがあったか、それを恐れてではないでしょうか。
 ケネディ暗殺を例に出すまでも無く、自分たちの利害に反する者は例外なくたたきつぶすというのがアメリカの本心と思われます。田中角栄がつぶされたのも明らかに中国外交でアメリカの意志に逆らったからではないでしょうか。
 その恐ろしさを知っている自民党の一部の議員がアメリカにNOと言えるわけがありません。だからこそ、「筋が通らないものは誰が何と言おうとだめだ。」というフランス人のスタンスに清々しさを感じるのです。
 今アメリカの数学教育界は大きく動こうとしています。日本の指導要領のようなアメリカ全体で統一的なもの(スタンダードと呼ばれています)を作り、今のところ強制力は無いのですが、そのうち強制する割合が増えていくでしょう。また優秀な教員を育成するために、日本の出来のいい模範授業のDVDを無料で配布し、授業研究をさせています。日本のように研究授業後に反省会を開き、夜になって飲み会でまで議論を戦わすなんて信じられなかったアメリカ人教師がお互いの授業を見合うようにまで変わってきたのです。
 アメリカの大学では優秀なチャイニーズやインディアンが闊歩していますから、相当恐れているのではないでしょうか。
 最後に僕は数学ではなくて、数学教育の研究を続け、できましたら弱い立場にいる人達(例えばフランスが支援をしているアフリカの人達など)が数学教育のレベルを上げることによって豊かな国作りを行える手助けをしたいと考えています。
 よろしければまたのご助言をお願いします。

92Fusako:2007/09/05(水) 22:26:12
Sicko
周囲でけっこう話題になっています。
大学の社会保障論の先生が、学生に「必見」と勧めているという面白いページもありました。
http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/korunakare103.pdf

ムーアの映画はわたしはまだ見てはいないのですが、そんなことから、医療制度のことをちょっとネットサーフィンしていたら、インドの医療ビジネスの話に行き当たりました。アメリカのように富裕層と貧困層との格差があるけれど、その上に更に技術力の高さとコストの安さから、海外からの需要を呼び込んで「メディカル・ツアー」が医療産業の儲けの目玉になりつつある、という話です。
日本はまさかそこまではと思いますが、今の日本で医学に進むような層に、志からという人たちが一体どれくらいいるのか、圧倒多数は「儲かって社会的ステイタスも高い」みたいなものをめざしているのだとしたら・・・、とやや疑心暗鬼に。ヨーロッパ型とアメリカ型どちらをめざすのか、というだけでなく、アジア型、というのもあるわけですね。

93Sekko:2007/09/07(金) 11:56:46
おもしろいですね。
Fusakoさま、このページ読みました。日本がなんでもアメリカに追随するとしても、軍事や社会保障など、直接命に関わることについては、本当に根本的な世界観や倫理感をふまえてほしいですね。笑い事じゃないです。
 宗教観の比較をしてたら、日本もヨーロッパも、本質的にあんまり変わらないというか、とにかく先進国は似てきている状況にあります。でも、いつも、ちょっと独特なのがインドで、インドの世界観とか宗教観って、今でも独自のものがあるみたいです。
だから、アジア型、っていっても、即日本に分かりやすいかは疑問ですね。
 医療と宗教って生命観、死生観を通じて重なる部分が多いですから、人柄、人格を抜きにして語れませんね。

 森田さん、アフリカの数学教育まで考えていらっしゃるんですね。
この夏セネガルで、サルコジが「アフリカ人は伝統的に進歩に関心を持たない」、とか、差別言辞を吐いたんですよ。彼の横には黒人女性のフランス外務次官がいました。
 これが「ユダヤ人は」とか「アラブ人は」とか、「黒人は」、とかだったら、大騒ぎになってたでしょう。アラブ人も黒人も入ってるんですが、「アフリカ人は」というところが微妙でした。もちろん現地でも、ヨーロッパメディアでも取り上げられたんですが、フランスではマスコミが無視したので、ほんとにいやな傾向だと思っています。
 まあ、よく見たら、フランスの歴史では、カリスマ性を持った専制君主的な人が現れて国民を魅了したり、それが度を過ぎると引き摺り下ろされるという繰り返しもあるんで、「哲学と数学」を両輪にしてきた教育の底力が、いい方に向くことを祈ります。等価交易などの運動がグランゼコールのエリートなどから生まれて広がってきたように、エリートの使命感というのもまだ健在みたいですし。
 森田さんが数学教育でそういう志を持っているなんてうれしいです。

94:2007/09/08(土) 23:56:42
落語
 今回は軟らかい内容で失礼します。ISというエクスにある語学学校で4週間フランス語初級を学びました。必ずプレゼンタシオンをやるのですが、2回目はクラスにもう一人日本人女性がいることもあって、離日前から温めていた落語をやりました。昨年のパリ公演でも「Rakugo」となっていたので「Rakugo japonais」とし、まず落語の意味を説明しましたが、その日本人女性を除いて誰も知らなかったので、大変難しかったです。最初「tour de mots」と言ったら、フランス人の先生が「jeu de mots」の方が正確だと言われました。
 演題は「les tableaux」です。NHKの「英語でしゃべらないと」という番組を見ていたら、故桂枝雀師匠の弟子のイギリス人女性が青井アナウンサーに英語落語の稽古をつけている場面があり、それを仏訳し、話しやすいように少し手直ししたものです。フランス人プロフェッサーとアメリカ人マダムとの掛け合いですが、カンペを見ることもなく無事演じきりました。ただ私の仏語が拙いせいか、先生以外にはあまり受けませんでした。先生には事前に原稿の手直しをお願いしてあったので、ストーリーおよびオチが読めていたこともあってバカ受けしていました。
 パリ公演では字幕スーパーで行いましたが、枕をフランス語でやったり、紙切りの師匠は通訳も、字幕も無しで観客とやりとりされたと聞きました。
 フランス語で落語をやることで、また違った日本文化への理解が生まれるのではないかと思います。日本語での落語にこだわる関東と、積極的に英語落語に挑戦する上方落語とアプローチが異なるのも面白いと思います。大変失礼しました。

95:2007/09/08(土) 23:58:27
落語の続き
 現在仏語での落語台本はみつかりません。仕方がないので、英語落語の原稿を容易に入手する方法を模索中です。

96Sekko:2007/09/09(日) 11:12:41
私も落語好きです。
 この夏、新宿の末廣亭に2回行きました。一番笑えたのは、2回とも、最長老82歳の米丸師匠でした。その脱力ぶり、前ふりが、面白くて、年を取るにつけ、芸と人生や人格が一体になっていくのはおもしろいですね。若い人は、芸をインプットしてそれを何とか味付けてアウトプットするだけで、それをする本人は一種の装置みたいに見えるんですが。
 こういうArt de monologueは、フランス語にも向いてると思うんですが、脱力イメージはフランス語のDeclamationの伝統と会わないので、むしろ講談なんかが受けるかなあ、と思います。
 Jeu de mots は「さげ」の部分だけだから、本質ではない気もします。
 私はソロのパントマイムとの親和性も大きいかと思ってます。寄席に行くとその身体性や、表情の妙味がよく分かりますから。話芸だけではないんですね。パントマイムにも一人で複数の人間を演じ分けるのがありますが、すごく共通点があると思いますね。
 Jeu de mots だけに注目したら、ラブレーだとか、駄洒落を駆使してそれを訳する荻野アンナさんとかを思い出しますが、ああいうエネルギーの高さより、私の好みの脱力系落語はフレンチ・エレガンスと共通してるかなと思います。
 まあ、語学の勉強としては、古典落語をどうやって伝えるかという風になるんでしょうが・・ マイムの要素の多いのが楽しいでしょうかね。食べるシーンとか・・・でもそうなると、まさに「芸」の領域であり、語学学生の手には負えないかも。

97:2007/09/10(月) 03:15:27
脱力派?
 落語家の稽古を見ていても話すのがやっとという人は肩に力が入っていると思います。
師匠が言葉一つ、動作一つをすべてチェックしているのだから当たり前だとは思いますが・・。力が抜けてその人の味が出せるまでに何年かかるでしょうか。落語好きの素人にもうまい人がいますが、やっぱり「間違えたらどうしよう。」という空気が少しでも流れたらダメですね。非常に難しいと思います。僕の落語を評価してくれた先生も、言葉よりも動作(パントマイム)の方が難しいのではと感想を述べてくれました。
 古典落語はまだ手に負えないので、新作落語で短いものから少しずつレパートリーを増やしていければと考えています。こんな駄文にご返事下さり有り難うございました。

98:2007/09/16(日) 08:30:04
野田秀樹氏の話
 前々回仏語で落語を演じたということをお伝えしました。実はこれも「英語でしゃべらないと」の中の話です。野田秀樹氏が英国公演中、まだ日本語で劇をしていた時、劇の最中に台詞をど忘れしてしまったときのことについて話されました。当然のごとく、イギリス人は台詞が飛んだことに誰も気づかなかった。それがあまりに印象強く氏の脳裏に残ったそうです。もし伝えようとするなら現地語でやらなければと。私は野田演劇に詳しくないのですが、氏の脚本には「言葉遊び」の場面がいくつかあり、日本語なればこそ面白いという要素があるそうです。英語で演じるとなれば、そこはあきらめるしかないと仰っていました。英語なればこその面白さ(韻を踏むなど)もあるので、開発の余地はあるそうですが・・。
 この話を聞いて、確かに日本語での落語の良さは出せないかも知れないが、笑いに対する日本人の知恵や歴史や造詣の深さを伝えるには仏語でやるべきだと考えたわけです。まとまりませんが、わかってもらいたいという強い気持ちを伝えるには現地語で演ずるべきではないでしょうか。野田氏も現在英語で脚本を書き、イギリス人に演じさせているものも増えているとのことでした。

99Sekko:2007/09/18(火) 20:14:16
聞きたいです。
 仏訳落語、聞いてみたいです。
 昔、両親がフランスに滞在中、フランス人とフランス語のジョークを笑っていて、通訳してくれと言われ、訳すると全然おもしろくなく、逆に、日本語で笑っていて、フランス人に訳しても、何がおもしろいのか、訳しながらすでにわからなかったということがしょっちゅうありました。
 やはりもう昔ですが、フランスの政治家が日本に行った時に通訳した仏人の大学教授が「何々でござりまする」みたいなアナクロな語尾をいちいち使ったので、訳される度に日本人が苦笑し、ジョークを言うタイプではまったくなかったその政治家はすごくショックで傷ついたというエピソードもありました。
 小話の訳と笑わせ方をテーマにしてフランス語を教えたことも一時あります。このコーナーでもそのうち仏語和訳とか再開しましょう。その時はどうぞ参加してください。

100Fusako:2007/09/19(水) 21:41:47
落語
もうずいぶん昔のことですが、柳家花緑が真打に昇進したばかりの頃、彼の高座をきいたことがあります。なんと、「時そば」を演目に入れていました。で、もちろん、枯れているどころか、真剣勝負、のようなぴんと張り詰めた緊張があって、身を乗り出して聞き入ったのを覚えています。
彼のお兄さんはベジャールのバレエ団で踊っていた人ですが、彼も多才な人なんですよね。ピアノも弾く人で、ショイクスピアにショパンのBGMまで入れたちょっと面白いアルバムも出していますね。それは聴いていませんが。

101:2007/09/20(木) 05:38:41
聞き取りについて
 今回は仏語の勉強の仕方でアドバイスをいただけたらと思い投稿しました。入校時の聞き取り試験も出来ず、本日あったグラマーの授業内の聞き取り小テストもできず、午後のシャンソンの授業でもほとんど歌詞を聴き取れませんでした。ヨーロピアンと少数のチャイニーズはかなり聴き取れているのですが・・。
 現在の勉強方法としては、
 ?日本から持ってきた「フランス語の聞き取り練習」入門編を繰り返し聞く。
  (中級編も持っていますが、文章が2つ以上になるとついていけません)
 ?インターネットで「フランス2」のニュースを8時、13時、20時と聞く。
 ?ラジオを買い、1チャンネルを流してニュースを聞き取る。
です。

聞き取りながら書くところまでいきません。
仏語を始めた頃は「アクサンをつけることによって、発音と綴りを1対1対応にしているうから英語より聞き取りやすい」と勘違いしていました。思ったより同音異字語が多いと思います。まだ慣用表現に慣れていないせいか。簡単な動詞ですら聞き落としてしまうという体たらくです。
 フランス人と話をしていても、自分が話す時はまずまず話せるのですが、聞く時になると、基本的な事柄でも聞き落とし、何回も言ってもらわなければなりません。
 何でもけっこうですのでお願いします。

102Sekko:2007/09/24(月) 06:23:30
ヒアリングの問題
 そうですね。フランス語って、英語、特に米語ほどは子音を呑み込まないから楽な部分もありますが、リエゾンで音がくっついてるから、なれないと聞き取りは結構大変ですね。
特に歌われると聞き取りづらい言葉で、17,18世紀のバロック・オペラの歌詞なんか、今でもところどころしか拾えないときもあります。それはフランス人でも同じで、オペラ座では、フランス語の歌詞でもフランス語のテロップが出ます。17、18世紀の当時でも、王様たちが台本を見ながら聞いていたそうですから、外国人だから難しい、という感じではないですね。
でも、今でも、聞き取れなかったら、日本人だから?と思いがちなんですが、そういう時は、フランス人でも聞き取れないのです。映画などでも日本語が聞き取れないと堂々と、音が割れてたから、とか、台詞回しがはっきりしてなかった、口ごもってた、とか思えるのに、フランス語だと、いまだにひょっとして語彙不足だった?とか自信がなくなるときがありますよ。

 私の経験では、やっぱり、録音より、生きた誰かが目の前で話すのを聞く、それも、10人の人に1時間ずつ話を聞くより、1人の人に10時間話してもらってその癖とか分かってきた方が効果的です。ある特定の人の言葉が聞き取りやすくなれば、他の人の言葉も自然と分かるようになっています。

 幼児、子供向きの番組、子供向きの朗読、子供向きの演劇(パリにはたくさんあります)などを聞いて自身をつけこつをつかむ、というのもあります。子供と話したり子供の話を聞くのも分かりやすいです。私は大人向けの演劇がよく分かるようになるのにすごく時間がかかりました。それで昔はよく子供向けの芝居を見ていました。キリスト教に興味があるといって教会の子供向けのカテシスムの時間を聞かせてもらうとか、地域の図書館の朗読の時間とか、地域の公立のカルチャーセンターで何か興味あるものに参加するとかしても、実際に何かをやりながらの説明なので、分かりやすいと思います。

 ニュースなどを聞くいわゆる聞き取りは、分かる語彙、拾える語彙を増やしていく、そしてモザイクやジグソーパズルのように、少しずつ分かる部分を増やしていくという陣取り型の訓練と、それとはまったく別に、細部にこだわらずに、訳そうとせずぼーっと聞き流し、はじめはピントがぼやけてほとんど形が分からないのを何度も繰り返してると、部分じゃなく全体が、薄紙をはがすように、だんだんとはっきり見えてくるフォーカス型訓練の両方で攻めるといいと思います。フォーカス型では、一つ一つの語彙にこだわらないで、ここが分かったとか次が分からなかったとかで思考をブロックしないで、ぼんやり何度も聞くスタンスが必要です。

 後は、やはり、語彙の多い分野、興味のある分野を集中して聞くことです。
 私は英語のヒアリングが必要になった時、はじめは無闇にCNNとかBBCを必死で聞きましたが、結局、何についてしゃべっているのかがあらかじめある程度分かっていないと難しく、その時必要ない語彙に慣れても意味ないと思いました。それで、私の必要としていた宗教について、一日中、キリスト教の説教やゴスペルやインタビューばかり流してる専用チャンネルだけを見るようにしたら、効率はよかったです。
その時、とにかく、書き取りじゃなく、聞いたことをどんどん復唱するというのもやりました。意味がわかっても分からなくても、聞いた通りをほぼ同じスピードで、同時通訳をするようにかぶせていくのです。これはいい訓練です。
 はじめはフランスに住めば会話が分かるのが6ヶ月、映画が分かるのが1年と聞いていたので、楽しみでしたが、何年住んでても適当に見当つけて理解してるだけの人もたくさんいることが分かりました。

 でも、最終的には語彙でしょうね。自分じゃ絶対言えないようなことを聞いてもなかなか分かりません。そして、語彙を増やすのは、やはり、たくさん読むこと。読みながらでないと語彙は増えていきません。

 でも、私も最初の語学研修の時って、ほんとに何も聞き取れませんでしたよ。ラボでの語形変化の練習でも、ちょっと長い文は繰り返せといわれたときにはもう忘れていましたし。
 日本でも、ドイツ語から転向したので、フランス人の先生のクラスなんて全然ノートがとれませんでした。フランス帰りの学生がすらすらノートを取ってるのを見てうらやましかったのを覚えています。
フランスに3年半いた後で帰国して同じクラスに出たら、超ゆっくり話してることが分かりました。それから、フランスに1年くらいいたからといって、みながすごくよく聞き取れているわけではないことも。
でも、中にはセンスのある人がいて、ほんとはよく聞き取れてなくても、何となくエッセンスをつかんで自信を持って返せる人っているんです。これはもう個性みたいなもんです。ヨーロッパ人とか中南米人の生徒なんかはたいていこのタイプですよ。
聞き取れないところが気になって気になって、全体に自信がなくなってくるタイプの人もいますし。日本人はこういう人が多いですね。

 ヒアリングをしてコメントするというテストなどの対策なら、大体テーマだけ理解できたら、後は何にでも使いまわせるようなユニヴァーサルな言い回しを用意しといて(私は「・・世紀の日本の宗教家の言葉に・・・というのがあって、」云々というのをいつもでっちあげたりしてました)、ちょっとずれていても格調高くまとめとく、なんてテクニックで、結構いい点とれます。書き取りはゆっくり発音してくれるから、文法力があればいい点とりやすいし、筆記は楽ですね。でも、シャンソン聴いて内容をレジュメしろとか、ごまかせないものは最初の1年はむつかしかったですよ。
 むしろ、まだおぼつかないと思っても、強引に専門分野に入ってしまえば、周りも対等に扱ってくれるし、対等にしゃべっているうちにそれなりに慣れてくると思います。

 聞き返しても分からない時は、「・・・ていうこと?」と適当に考えて聞くか、聞き取れなかったとしつこくいう代わりに「それって、どういう意味?」と聞いてみるとか、「C'est a dire?」と促すとか、ヴァリエーションを用意しとくといいかもしれませんね。がんばってください。

103:2007/09/29(土) 08:45:05
穴があったら・・。
 参考になりました。本当に有り難うございました。実は多くの方に相談し、そしてその多くの方から励ましのお言葉をいただきました。自分ではどうにもならない局面だと危機感を募らせていたものでしたから・・。これだけ温かい言葉をかけていただいたら正直に話すほかありませんが、穴があったら入りたい気分です。
 仏語を日本にいる間は独学でやっていました。ほぼNHKのテレビとラジオ講座(入門編)のみです。6年前、修士課程に在籍していた時は、ラジオ講座の他に、無理を言って教養のフランス語会話の授業に半年だけ出ましたが、簡単な会話で終わってしまいました。
 ですので本格的な勉強は、基礎的な文法を含めて、エクスから初め、4週間しかやっていないのです。こと時制についても、条件法現在までしか済んでいません。接続法はこれからです。そしてこれは言いにくいのですが、仏文解釈(仏文和訳)をまったくやっていないのです。先生の言われる、「陣取り型」は受験英語では”精読”、「フォーカス型」は”多読”から養われるのではと理解しました。この両方ともまったくやっていないのですから聴き取れなくて当たり前だと気がつきました。
 フランスに来て、すべてフランス語で授業をするのだから、仏文和訳から逃げられると勘違いしていました。そのくらい、受験英語で痛めつけられたというわけです。私の場合、数学が当時専門だったので、語学は必要だから道具として勉強せざるを得なく、好きだからやっていたわけではなかったからです。
 今回の仏語は初めて好きだから始めた勉強なのに、最も大切な部分を飛ばしてしまおうなどという不遜な態度が自分の首を絞める結果となりました。お仕置きをこれからたっぷり受ける覚悟ができましたので、もう一度謙虚な気持ちで取り組みたいと思います。
 仏文解釈のテキストとして、東大教養のテキスト「Passages」「Promenades」を日本から持ってきました。少し難しいですが、大学の勉強の並行してやっていきます。

104Sekko:2007/09/30(日) 00:58:20
仏文和訳
 仏文和訳、みたいな過程は、生まれながらのバイリンガルの人でもない限り、やはり一度通過しとくステップでしょうねえ。でも、究極的には、脳の中に日本語の言語野とは別のフランス語の言語野を作らない限り、完全にはつかいこなせません。

 現地に住んでたら、確かにつくり安いです。まず、単純な名詞は入れ替わりやすいですね。リンゴ買おうと思って朝市に行って、リンゴを見つけた、リンゴはポムだ、だから「ポムください」と言う。そのうちに、今日はポムを食べたいなあ、と思うようになる。ポムと言う単語にリンゴの形や質感とか触感とかがくっついた場所が脳にできるわけです。それは、「リンゴ=ポム」と書いてある辞書機能の場所とは別です。

そうやって、少しずつ入れ替わっていって、数字も、1、2、3、4に、いち、に、さん、し、が対応してた場所や「いち=UN」と言う場所のほかに、1、2、3、にun、deux、trois が直接対応する場所ができる。

この本、Vingt euros だから 3500円か、高いなあ、と思う世界から、ヴァン・ユーロ? 高いなあ、と直接感じるのはすぐです。

まあ、こういう積み重ねがあって、だんだん、母国語みたいに、独立したフィールドができるんですね。

もっとも、私の知り合いには10年もパリに住んでても、フランス語を聴いたとき、自動的に日本語の方言に変換されてインプットされるので、内容はわかっても後でそれを元のフランス語に戻すことが全然できない、なんて人もいました。

私の場合、感激したのは、いわゆる受験英語のレベルは高かったんですが、本当に母国語との対応システムだったのに、一度日本語から独立したフランス語のフィールドができると、あら不思議、英語も、翻訳しなくても分かるようになったんです。語彙なんかは昔より減ってるはずなんですが、そして聞くのも話すのもへたですが、読み書きは、日本語を通さなくてもできるようになっていました。昔は母国語のフィルターにかけないといまいち落ち着かなかったのに。

だから、通訳や翻訳のテクニックというのはまた全然別の独自のものですね。
私の場合は、日本語をフランス人に教えたりフランス語を日本人に教えたりするうちに、独立してた二つの言語野は再び浸潤しあって、よく言うと自在闊達、悪く言うと不純混乱みたいなシーンもよくあるんですけど。

でも、英仏のバイリンガルの人なんかと違って、日仏とかはまったく構造が違うから、世界が2倍になったみたいで楽しいですよ。まあ、あせらずに、ゆっくりと楽しんでください。

105Fusako:2007/10/01(月) 23:04:08
連帯
「連帯」ってほんとにフランス的なことばですね。
革命のスローガンは、Liberté, égalité, fraternité だと言いますが、それが、現在のフランスには、Liberté, égalité, solidarité として継承されているように見えますね。前半二つ、freedom と equality だけなら、これはアメリカにもある、自由な個人を平等に自由競争させて、人は自由に勝ち、自由に負ける。ただし、大きなグループから社会的に明白なハンディありと圧力がかかったときには(アフリカ系アメリカ人やマイノリティ、女性など)、底上げして平等にする制度を作ったけれども、この制度は精神として定着はしなかったし、むしろこういう底上げによらずに自力で勝ち上がる人が称揚される社会、という感じがしますので、アメリカはその意味では、「自由」だけが価値とみなされる社会かもしれません。
フランスがégalitéとsolidaritéの国だなと思うのは、そもそも「自由に勝ち上がって他者に優越する(少数の)個人」であるよりも、「共に生活を楽しむ普通の(多数の=ユニヴァーサルな)市民」であることが、社会的に好ましいものというコンセンサスがある印象からです。実際には、どちらの国にも暮らしたことはないので、読んだり聞いたりすることからの単なる印象に過ぎないのですが。

最近、家族政策について少々調べていて、面白いと思ったのは、出生についての「格差」の話でした。フランスとイギリス、日本に比べるとどちらも出生率はけっこう高く、フランス2.0(2006)、イギリス1.8(2005)、日本1.32(2006)です。けれども、イギリスとフランスでは、「格差」のあり方が異なる、という調査があったのでした。イギリス、フランスとも、同じ女性でも、経営者層、勤労者層、非就業層で、出生率には差がある、けれども、フランスの場合は、イギリスに比べて、その階層の差が小さく、かつ、平均的に2人くらいの子どもを持つ。イギリスは階層によるばらつきや子ども数のばらつきが大きい。特にイギリスは、十代の婚姻外の出産が多いとのことです。アメリカはイギリスよりも多いですね。これは、貧困と結びついた現象で、出生率は高くても、格差の再生産・拡大につながっています。何が言いたかったのかというと、フランスのsolidarité(制度としての給付や保育、保護されている普通の労働者の労働条件、それから、社会意識として誰もが普通の生活を楽しむ意識)のもとで、二人くらいの子どもを持つのは、どの階層でも普通だというのは、うらやましいということでした。

106:2007/10/06(土) 10:09:30
フランス語で「箱」は?
教えてください。「箱」をフランス語で何と言いますか?よろしくお願いします。

107Sekko:2007/10/08(月) 17:34:53
boite
最初に思いつくのは boite ですね。 後は caisse  とか coffre とか、文脈によりけりです。
boite  の 「i」の上には山型アクサンがつきます。
山型のアクサンというのは、語源的にSが隠れていることを示します。
boite にもSが隠れてるんですね。英語の box という語にSの音が出ていることでも分かりますね。ラテン語の buxita が語源で、フランス語でもBoxというとオペラ座なんかのボックス席を指すのに使われてます。
Hotel Hopitalのoにも山型アクサンがついてるので、ホスピタルやホスピスと同系だとわかります。Hospitalite のようにsが復活することもあります。Maitre と マエストロとか。
ここではアクサンをつけると文字化けする率が多いのでつけませんのでご注意を。
上の注意書きにあるように、このような辞書的質問には原則として答えませんので、次から削除します。よろしく。辞書にはこう書いてあったけれどこれこれ特定の文脈ではどうも理解できない、というような質問はOKです。

108:2007/10/17(水) 10:38:12
語彙の
 ご無沙汰しています。クラスがIL6に変わり2週間が過ぎました。テキストを指定されたので、それを購入し予習を励行しています。それでも授業中に先生の話す仏語がわかりません。板書されたものはもちろん消化し、音から最悪カタカナでも書き取って後で辞書を使って調べています。おかげで一週間にして800語くらい増加しています。やっとクラスメートと語彙の量では追いつきつつあります。まだ条件法と接続法の活用は辞書を見ながらやらないとできません。時々未来形も出てきません。この間現在形でも間違えて大恥をかきました。油断大敵ですね。ディクテはぼちぼちやっていくことにします。

109greencurry:2007/10/19(金) 10:34:07
否定語を作るときの imとin
フランス語で否定語を作るとき、頭にimがついたりinだったりしますが、これって法則などありますか?
時々単語が、im〜だったかin〜だったか忘れることがあって。。。

110Sekko:2007/10/19(金) 19:25:53
imとin
 原則的には簡単ですよ。次につく言葉が「m」とか「p」とか「b」とか、唇を閉じる必要がある音で始まってると 「im」になるんです。

immobile とか、
impossible とか、
imbuvable とかね。

これはアルファベット件の人にとってはすごくナチュラルなんで、日本でも地名のローマ字表記に確か御殿場駅とか、Gotemba と書いてあった記憶があります。

ただし、immobile などは、imのmが次のmに呑み込まれちゃって、発音は「イモビル」となって、「アンモビル」みたいな鼻母音は消えちゃいます。

111greencurry:2007/10/21(日) 08:27:05
ありがとうございます
そうなのですね!とても単純な法則だったんですね。気がつかなかったです。
ありがとうございました。

112:2007/11/01(木) 10:37:14
フランス語が溶ける
 前回の題名が切れてしまってすみませんでした。「語彙の増加」とうったつもりだったのですが・・。さてクラスが変更になって1ヶ月が過ぎました。相変わらず授業中は四苦八苦しています。ただディクテをやる時間がかなり増えたので、聞き取りの勉強にはなります。
日常会話、トラム内でのフランス人同士の会話などで、語彙が増加したせいか、聴き取れる単語がかなり増えてきました。スーパーマルシェ付近のおばさん達の会話って本当に月並みな会話だったんですね。易しい単語とよく使われる言い回しのオンパレードだということがわかってきました。何度も口にしている単語や言い回しを音で憶えておいて辞書で調べたり、ネイティブに綴りを書いてもらったりしながら語彙を増やしていくのは楽しみでもあります。ただ学生同士の会話や授業中のディクテは知らない単語満載なので厳しいです。
 集中して聞いていると、フランス語がわかるというよりも、フランス語が”頭の中に溶けていく”という気がします。以前先生が言われていた、「(和訳しないで)フランス語のまま理解する(または腑に落ちる)」に近い感覚でしょうか?ただ脳みそが元気な時に限ります。まだニュースを聞いても溶けてくれません。頭にガシガシ仏語がぶつかってきて、ガードにぶつかってはね返されるといったイメージです。とにかく授業中にまだ知らない単語が出てくると、偉そうに腹が立つようになりました。その単語の意味を仏語で説明されると「なるほどね。」と納得する場面が増えては来ましたが・・。

113Sekko:2007/11/01(木) 18:38:45
順調でよかったです。
 フランス語が溶けてきてよかったですね。でもこういう段階って、溶けて入ったものを OUT PUT する時に、不純物というか思い込みのフィルターを通すことも多いので、時々は意味や綴りのチェックをしたほうがいいですよ。私なんか、本で読むことのない話し言葉で10年以上も違う綴りをイメージしていたり、外来語で勝手に性別や発音を変えていたことってありました。外来語は一般に男性名詞とするって昔習ったものですから、ポテトチップのことを、男性名詞で使ってたんです。それが子供にうつって、彼らが大きくなってからママのせいで今でもchips(シップス)を口にする時は緊張するとか言われました。後、Puzzule はわざわざフランス語風に「ピュズル」って発音してたんですが、英語風のパズルでいいってことが後でわかって、これも子供に指摘されました。外来語って難しいです。30年前はハンバーガーを「アンビュルジェール」って完璧フランス語風に発音する人もいましたが今は「アンバーガー」ですし。こういう英語から来た言葉って、意味は分かっているものだからそれこそすぐ頭で溶けちゃって、わざわざフランス語の辞書を引いたりしないからけっこう要注意なんですよ。
 フランスで最初に通った語学のクラスで先生が黒板に「MAT」って書いてその意味を質問したんですが、誰も知らず、私はマストのことだって知ってたんですが、脳内では「MAT=マスト」変換であってすぐにはフランス語で説明できなかったんで、結局答えられませんでした。やっぱりまめに仏仏辞書を引かないとフランス語アウトプットは上達しません。
 後、日本人の主婦なんかで、簡単におばさんたちの会話に入っていけるようになる人が、それを普通のフランス語だと思って、子供の学校の先生にも話しているとかもよく見ましたから要注意。外国人なんだから、丁寧語だけしゃべれた方がまだましなんです。出るとこへ出たらちゃんと話せるというポイントを抑えることが大事です。日本よりも教養の差が言葉に出ますからね。

114:2007/11/03(土) 05:43:22
マルセル・プルースト
 励ましのお言葉痛み入ります。実は日本語教室のアシスタントのようなものもやっていて、そこで高校生にも日本語を教えているのですが、まだ叱り方がわかりません。この間、「Tais-toi」「Sois tranquille」「Calme-toi」の違いを説明してもらいました。日本語の「コラ〜」にあたるのが「Eh〜」だと教わったのですが、あまり使っているのを聞いたことがありません。
 さて本題です。実は今トゥーサンのヴァカンスなのですが、マルセル・プルーストの「Du cote de chez Swann(1913)」の中の「L'edifice immense du souvenir」を要約してこいという宿題が出されました。高校生にもどったつもりで辞書を引き引き意味を調べています。当然仏語で要約するのですが、なかなか気持ちが乗りません。和訳でもプルーストは1冊も読んでいないので興味が湧かないと言えばそれまでですが・・。要約の方法もよくわからないのですが、どのようにしてモチベーションを高めていったら良いのでしょうか?ただ思ったより古語は少なく、文語調の言い回しが見受けられるくらいです。こんな質問は失礼かとも思ったのですが、なにせ一向に進まず苦しんでいるものですから・・。ヒントをいただければ幸いです。

115Sekko:2007/11/03(土) 07:06:35
Parascolaire の本
 私も文学作品の要約って、嫌いなので、モティヴェーションの高め方なんて分かりません。でも大きな書店のParascolaireのコーナーか、Parascolaire 専門の書店に行けば、プルーストとか、高2の終わりのフランス語のバカロレアの教材になりそうな作家のアンソロジーとか作品の要約とか解説とか Fiche de lecture が充実していて、そういうのを読むのは結構面白いので便利です。高校生もしょっちゅう要約させられてるわけで、その虎の巻みたいなもんですね。まあ丸写しするわけにはいきませんが、そういうのを読んでると要約のコツも分かってきます。日本人の大人が、作家研究でもするんでなければ、じっくり古典の名作読むなんてつらいですよ。適当にあしらって、文学史の本とか文学評論とか参考書読んだ方が全体の流れがわかって教養もつくしいいんではないんでしょうか。
 あんまりいいアドヴァイスになってませんけど・・

 私がリセで日本語教えてた時は、日本語で叱ってましたよ。口調で分かるし。日本人が日本人に話す口調に慣れさせようと思ったので。静かにしなさい、とかいくつか文型を教えて、繰り返してたら、テキストにその語彙や文型が出てきたときは、分かる分かる、と言ってよろこんでいましたね。

116:2007/11/05(月) 07:10:52
御礼
 有り難うございます。さっそく明日モラへ行って探してきます。日本語教室の時は日本語でもいいと思うのですが、めったにないとは思いますが、街中で怒る時にどのようにどなったらいいのでしょうか。多少ドギツイ方が効果があると思うのですが・・。

117Sekko:2007/11/05(月) 07:34:59
街中で怒るって・・・
 高校生を街に引率してる時に怒るんですか? 私はそんなシチュエーションなかったですね。街に出たことはありますけど、そういうときはみんなクラスにいるよりいい子にしてましたから。しれに私は、「Tais-toi」なんてサルコジが若者に怒るみたいな言い方も嫌いです。むしろVousvoyerして注意しますね。尊敬じゃなくて距離感です。日本の教師と生徒の礼儀みたいなのを一緒に教えようと思ったので。「どぎつい」のはこっちの品位を落としてまずいですよ。
 私も町でジプシーの子供なんかに囲まれてバッグを引っ張られるというようなシチュエーションではしっかり怒鳴りますけど。そんな時、フランス語って便利だなあ、と思います。日本語の文化では、女性が怒った時の迫力ある怒号や罵倒がない、っていうか、口から出てきません。フランス語だとすぐ出ますから。

118:2007/11/06(火) 05:25:16
要約本?
 早速モラへ行って買ってきました。しかし内容を少し読んでみると、要約本よいうよりも小説の背景を説明してある本のようです。書店の女性店員が「今これしか置いていない」と言っていたので要約本ではないと思われます。また探しに行ってきます。日本語教室にフランス語の先生(すでにご退職)に「レジュメの作り方のコツを教えて下さい」と尋ねたら、来週参考書を持ってきてくれると言われました。あまり期待しないで待っています。
 叱り方については言葉足らずですみませんでした。街中で「1ユーロ硬貨を両替してくれ」と言われ、財布を出すと、ユーロ札をごっそり取って走り去るといった悪質な事件がときどき起こります。そのようなときにどう怒鳴ったらいいかということです。
 いつもスピーディーかつ丁寧はご返事有り難うございます。

119Sekko:2007/11/06(火) 06:54:30
悪質な事件ですか・・
 それは、どなり方というより、街中で財布開けちゃだめですよ。それこそフランス語がわかんない振りして足を止めずに無視して歩かなくては。思わず怒鳴るなら、日本語でも何でも、迫力と怒りがこもってたら通じますよ。「Mais,ca va paaaaaaaas!!!!」とか言えばいいんですよ。無理やりひったくる相手は蹴るとか。まあ、それは子供とかの場合で、相手が怖そうな人とかだったらひたすら逃げるか他の人に助けを求めるとかになりますが、まずは、ユーロ札ごっそりなんて持ち歩かずに、財布は見えないようにして足早に歩くことですね。
 よく狙われる人っているんですよ。まあ貧乏そうに見えるに越したことないと思いますが・・ 気をつけてください。

 参考書の中には、ここでは誰が何をしているのでしょうか?というように、レジュメの訓練になるような問いを集めたよくできたものもあるんですけどね。
 でも、受験用のレジュメは別としたら、後は、本当に内容が頭に入ったらおのずとレジュメはできるものですよ。日本語の文を読んで日本語で要約するのでも難しい場合もありますからね。作品との相性もあります。
基本的には、いつどこで誰が何をどのようにしたらそれがどう展開したかってことを起承転結を踏まえて書けばいいんですけど、ヴァリエーションはいくらでもありますからね。WEBでもたまには、いろんな作品の解題が載ってますよ。映画の紹介なんかであらすじを書いてるものをいろいろ読んでもコツがつかめると思います。

120:2007/11/07(水) 04:26:36
プルースト効果?
 本日先生に見せたら「これはコメンタールね。」と言われました。でも朝からずっと眺めていると、よくもまあこれだけこの作品のことをほめちぎれるなあと感心する一方、プルーストの小説に比べて大変わかりやすい文章だということがわかりました。高校生向けに書かれているからかもしれませんが・・。正直多くのフランス人に訊いても「レジュメは苦手だ。」「もう二度とやりたくない」とか、挙げ句は「絶対にプルーストは読まない」と言い切ってしまう人まで現れました。ですから気楽にやることにします。
 新たな展開です。五行ほどの文章に、点や丸をうっていくという課題が出ました。ヨーロペアンは難なくこなしていますが。まったくわかりません。日本から持ってきた文法書にはまったく書いてなかったからです。英語でもやった記憶はありません。仕方がないので図書室に行って司書の方に相談したら、参考書を紹介してもらいました。今日は大事なところだけ手書きで写して帰ってきました。やはりフランス語の文法書を買うべきですか?

121Sekko:2007/11/07(水) 05:39:08
いろいろ大変ですね。
 文章に点や丸って課題は、初耳です。ま、内容が分かってれば、主語と述語を特定すれば、動詞変化が多い分、英語よりは分かりやすいですよ。日本人にはこういう課題の方がらくだと思いますけど。
 私が日本の大学でドイツ語からフランス科に転向した時、卒論をフランス語で書くためにどうしようと思っていたら、アナトール・フランスの短編を一つとルソーの孤独な散歩者の夢想の中の1章を丸暗記するといい、と言われて、真面目に暗記しました。フランス語の文法書ももちろんもってましたよ。でも今はほんと、Webでいろいろ見れちゃうので文法書なんて見ません。
 とにかく、基本的にはフランス語は短ければ短いほどエレガントなんです。だから文を切ることを恐れずに、関係代名詞など多用してつなげていかないように。今でもたまには分かりにくい文章に出会うこともありますが、私にすぐにわからないということは悪文なんだって思うことにしてます。ほんとにあるんですよ。くねくねした文章って。日本語でもありますよね。
 今 Christiane Singer の本を読んでるんですが、ほんとに達人だなあ、と思います。魅惑的で、彼女の言葉をそのまま味わえるのが幸せ。
 でも、私が思うには、森田さんは、フランス語圏で数学を教えるという目的があるんですから、あまり語学の習得ばかりにこだわらないで、大づかみできたとこで見切り発車して、ちょっと specialiser したほうがいいのでは? 語学ばかりやってると、ほんとに高校生みたいになって、いや、へたすると幼稚園児みたいになって、思考まで退行してくることがあるんで要注意ですよ。まあ、語学に集中する時期もそれはそれで大事なんですが、時と共にしか熟さない果実だってあるんです。長い目で考えてリラックスしてください。

122:2007/11/07(水) 14:55:11
負けず嫌い?
 早速のご返事有り難うございます。フランス語の勉強も3ヶ月経過しました。授業の中でわからない単語が出てきたり、知らない文法事項を説明されたりすると自分に腹が立ってしまいます。それをいとも容易くヨーロペアンや日本人や中国人の若い娘達に答えられると悔しくてたまりません。今までもそうやって勉強へのモチベーションを高めてきました。
 そうは言ってもあまり時間がありません。11月の終わりまでには数学教育の教授とランデヴーを取って、一度自分の意図を説明し、来年度から博士課程に入れるか、またはM2から勉強するかアドヴァイスしてもらいたいと思っています。ですのでフランス語に集中して勉強できるのも年内くらいと思っています。年明けのDELF・DALFだけは一度受験してみようと考えています。
 また説明不足ですみません。La ponctuation という課題で、文章に、le point,les points de suspension,la virgule,le point-virgule,les deux points,les guillemets,les paentheses,le tiret,l'apostrophe,le c cedille,le trait d'unionを付け加えなさい。というものです。
 特にla virguleにはいろいろな規則があって大変です。しかしアルファベ圏の人間は、推測してできるから簡単なようです。ついヨーロペアンに「どうやって勉強したらいいか?」と尋ねたら「知らないね〜。」と言われたので質問してしまいました。
 授業の中で「divan-lit」という単語が辞書に載っているのですが・・と質問したら、そんな使い方は絶対にしない(jamais)と強く否定されたので弱りました。まあ辞書仏語が絶対ではないことはわかりますが、le trait d'union 自体が造語のときに用いる記号だと頭にあったので、「前はそういう使い方があったけれど、今はあまりしない」くらいの答えを期待していました。作家によっては勝手に造語をすると思うのですが・・。そこまで否定しなくてもいいと思ったわけです。現代若者が読むような小説まで読んでいる余裕がないので何とも言えませんが、なんともやりきれない思いです。

123Sekko:2007/11/07(水) 18:20:17
造語のことなど
 フランス語もたとえば日本語と同じようにめまぐるしく動いています。ここ10年位でも日常から姿を消した言葉もたくさんあります。divan-lit は私には通用しますけど。
 virgules の種類は、基本的な用法はありますけれど、たくさん読んでいくうちにわかりますよ。確かにフランス人は文中に deux points とか、point-virgule を多用する人が多く、翻訳する時など、わずらわしいので、適当につなげるかぶつ切りにすることもあります。でもこれも、基本的に「長い文章」はエレガントでない(もちろん文学者のスタイルとして長い文を書く人もいますが)ので、関係代名詞などで引き伸ばしたり接続詞を挿入して複文を多く作るのを避けて、deux points などで意味ををつなぎながら、文を分ける意識が働くからだと思いますね。自分が書くときにも便利ですよ。普通の文には、とにかく分かりやすいと言うことが最優先ですから。
 私は大学時代の仏人教授に出すレポートで、まず日本語で自分ではなかなかいいと思える文を書いて、それからそれを和文仏訳しましたら、赤でクエスチョンマークがいっぱいついて返されたことがあります。それで卒論はひたすら、主語動詞、目的語しかないような文で書くことにしました。そうすると無駄な雰囲気つくりやごまかしが聞かないので、エッセンスだけになるので、整理もついたせいか、「自由で自在で表現力に富む」とほめられました。今から思えばどうってことのない文でしたが、無意識に簡潔を目指したのが正解だったかと思われます。

 さっきラジオを聞いてたら、ジェスチュエルの専門家が、「シラクはサルコジのことを躁鬱だと言っていたが、躁鬱はヴィルパンだった。サルコジはcarateriel だ」と言っていたので、びっくりしました。あまり驚いたので、日本人にも話したくて、久しぶりに仏和辞典を引きましたら、「性格異常」とありました。躁鬱も日本語では「躁鬱病」と病がつくし、caracteriel は、異常とつくし、なんかショッキングですが、フランス語ではそういう接尾語がつかないので、口にしやすいのかと思いました。
 その人の観察によると、サルコが右、左の順で bisou をするのは社会的な挨拶で、左、右という順は親愛の挨拶なんだそうです。で、誰が左、右かというと、ラシダ・ダチだけで、後は全員右・左なんですって。
 サルコジは昨日ブルターニュの漁師たちと話し合って、また tutoyer を連発していました。simplicite と vulgarite を混同している、場所と相手によって態度を使い分けることができない、世俗のホメイニだって言われてましたね。それが caracteriel なんだそうです。アナウンサーに「そんなこと言い切っちゃっていいんですか?」と聞かれて、「明らかです」なんて答えてたので、そのうちアナウンサーともどもサルコジに制裁されるかも、と心配しちゃいました。

124:2007/11/08(木) 11:01:30
多読
 またもや素早いご返事有り難うございました。おそらく半年くらいで仏語の勉強は目途をつけなければならないので、DELF-DALF用に受験勉強のような切り抜け方でせざるをえないと思います。11月29日に数学教育の教授とランデヴーが取れました。ただ彼女が英語がわからないというので、その日までに自分の考えのアブストラクトを仏語に直しておかなくてはなりません。現在少なくとも3人のパレナージュがいてくれるので、キャフェでもご馳走しながら教えてもらおうと思っています。
 フランスの大統領って離婚をあまりしないんですね。ナポレオンージョセフィーヌ以来だと聞きましたが本当ですか?オヴニー620号にサルコジが、セシリアの浮気記事を載せた雑誌の編集長をくびにしたと載っていましたが・・。誰もブッシュと仲良くして醜い腹を出しているサルコジなんか見たくないと思います。フランスも思ったより右寄りですね。学生時代、ほとんどの仏文の学生がサルトルやボーヴォワールを読んでいた気がしましたが、サルトルは極左だということをついこの間知りました。フランス人が「なぜ日本の学生がサルトルを読むのかわからない」としみじみ言っていた意味がわかりました。
 多くの方から文法書を買うよりネットで調べたらと言われました。ごもっともだと思いますが、現在プリンターがありません。昔気質なのかディスプレイを30分以上見ていられません。自分のペースでのんびりやります。(矛盾していますが)

125内田 司:2007/11/12(月) 14:47:14
フランスのマスコミはタブーあり?なし?
はじめまして
鎌倉に住んでます内田と申します
私のフランスに関する関心はつきませんが
その最大のものは「果たしてフランスのマスコミに、公式に扱えない問題(いわゆる
タブー)は存在するのだろうか?あるとしたらどんなことだろうか?」ということ
です。
たとえば
「フランスではタブーを追いかけたために怪死した(あるいは暗殺された)
 ジャーナリストはいるのだろうか?」
「フランスでは、マスコミが報道したくても(ネタを握っても)「法律上、報道できない」
事柄はどんなことがあるだろうか?」
 と考えてしまいます。

 たとえば、フランスの兵器産業の詳しい内幕や、ラ・アーグにある核燃料再処理施設の
詳細な現状などはフランスのジャーナリズムによって詳しく報じられているのでしょうか?
 あと「フランスの諜報機関の活動」も報道されているかが非常に気になります。

 環境保護団体「グリーン・ピース」の船「虹の戦士号」がフランス諜報機関によって
爆破されるという事件がありましたが、あれはフランスの国家としての恥部(れっきとした「権力犯罪」)ではないでしょうか。その後、フランス国は国家として、グリーン・ピースに謝罪や賠償をしたのかが非常に気になります。

 フランスのジャーナリズムには「国家権力による人民に対するいかなる犯罪や人権侵害(諜報機関などによる対人民欺瞞・扇動・操作工作含む)も許さないように戦う」ことを
非常に期待してます。

 まずはフランス版「エシュロン」の完全暴露記事とかが特種ででないかなあと期待
してます。

126内田 司:2007/11/12(月) 15:04:52
フランスのエシュロンと日本のエシュロン(おまけです)
すみません、鎌倉の内田です。
おまけです。

フランス版「エシュロン」について
フレンシェロン(Frenchelon)
フランスの世界規模監視ネットワークのうわさと、そこに潜む国際諜報活動の意味
http://www.infovlad.net/underground/asia/japan/dossier/echelon/frenchelon.html

日本の「エシュロン」について
日本では警備公安警察が「電話局の交換機(最近はデジタルが主流)」についている「回線モニタ」回路を悪用して一般市民の通話を盗聴してます。当然「コンピュータ・システムによる一般市民の会話盗聴(キー・ワードによるピック・アップ)システム」もあるでしょう。ま、「アメリカにあるものはフランスにも、日本にもある」ということですね。

 一国の実情を本当に知るには「マスコミ情報」ではどうしても偏りが出がちです。
むしろ「ジャーナリズムが伝えることのできない事実」が非常に大切では?

 もしかしたら竹下さんの今度のご本は「フランスのEspionage(諜報戦)の現状」に
なるかもしれませんね(?)。楽しみに期待してます。

127Sekko:2007/11/12(月) 21:26:34
タブーはもちろんありますよ
 フランスの政治ジャーナリズムにおけるタブーはもちろんありますよ。アングロサクソンのジャーナリストたちはフランスのジャーナリストの政治家インタヴューは予定調和的だとよく批判しています。
 そのタブーには、圧力からくるものもありますが、メンタリティからくるものもあります。たとえば、政治家の恋愛ゴシップなどについては深追いしないというのは、圧力ではなく、アングロサクソン国のピューリタン的懲罰意識がすくないからでしょう。
 権力者にとって都合の悪いことはマスコミからすべてカット、という風潮は、今のサルコジになってから顕著です。監視カメラをここ2年で10倍にするとか何とかいう計画の発表もアメリカ型監視社会へのシフトです。表現の自由は保証されているものの、言論界もアーティストまでも、「自己規制」の風潮が現れてきたのも21世紀になってから加速されてきました。
 しかし、ボトム・アップの不平たらたら、ストやデモ(や「暴動」)を含める直接民主主義による抵抗はフランス風の共和国主義とあまりにも親和性があるのでめったなことではなくならないでしょう。で、明日からまた交通ストで、それを支援するという学生たちが駅を占拠するそうです。
 しかし、「国益」に関する報道規制の中央集権は分野によっては徹底しているようで、記憶に新しいところでは、チェルノブイリの事故の時、放射能の雲が、フランスの国境で止まったかのような報道がなされたこと。当時の関係者からそのタブーを敗れなかったことの経緯を聞いたことがありますが、これなど、真実を知りたくない、という心理が報道の受け取り側にも働いたと思います(私もその一人でした)。
 あと、フランスは人種差別も外国人排斥もないという「建前」が、人種報道や統計を禁じているわけですが、それを偽善と見るか、理想に向けた努力と見るかはケース・バイ・ケースで微妙な所もあります。
 諜報活動については、今のテクノロジーではアメリカと提携せずには矢っていけない部分(軍事衛星など)が多いので、そこから独立するためにヨーロッパ側で、新しいシステムが構築されつつあるのは確かでしょう。フランスのような国がなかったら、他のヨーロッパ諸国はわりと簡単にアメリカの諜報の傘の下にはいるでしょうね。そしてフランスはほんとうは自分だけでアメリカに競合したいのだけれど、金がないのでヨーロッパぐるみにして・・・という構図も戦後ずっと基本的に変わってません。
 後フランスには中東やアフリカやカリブ海などに独自のコネや情報網があるので、積み重ねは当然あるでしょうね。サルコジのアメリカへのすりよりと自我肥大の遍在行動がこれをつぶすことになるかどうか、まだ分かりません。

 私は個人的にはある行政裁判の原告として係わり中で、経緯をブログで公開することも考えましたが、それを楯にとって、こちらが訴えられる可能性も大きいと言われてあきらめました。敗訴したらヨーロッパ法廷に持っていくつもりです。しかし、どんなに「権利」が保障されていても、その行使には、知識と暇と資金という3拍子が必要な事実は残念ながら厳然としてあります。
 逆にそれが可能な時には異議申し立てを遂行するのが義務であるとも言えます。
 でも、諜報に関する本なんてのは書きそうもないですよ。

128内田 司(人間核弾頭):2007/11/14(水) 16:34:01
タブーを突き破る!!人民の知恵と力
お返事ほんとうにありがとうございます。鎌倉の内田です。

「まず自分で体験してみる・わからないことは当事者に直接聞く・マスコミは一切信じない」をモットーに日々、日本社会を「外から」眺めています。

日本の社会でマスコミによって流される「ニュース」を「深入りしないで大枠を触る」
だけでもおかしいことがすぐにぼろぼろと出てきます。

あげるときりがありませんがひとつだけ。

 1)「日本共産党国際部長宅盗聴事件」(1985年夏から翌年秋にかけて)
   「通話中の雑音や音質低下に不審をいだいた緒方・日本共産党国際部長が
    日本電信電話(NTT)町田局に通報、職員の調査により緒方宅から100
    メートル離れたアパートで盗聴が行われていたことがわかった」
   (Wikipedia日本語版より)
    そうですが、「諜報のプロフェッショナル」たる警備公安警察が
    「アパートから盗聴」?「通話中の雑音や音質低下」?なんて
    「まるで見つけてくれといわんばかりのお粗末な仕事」をするなんて
     私には非常に奇異に思えます。

    プロの仕事は、

    まず「相手を完璧に把握・分析して、相手が絶対に手が出せない位置・方法で攻撃
    を仕掛ける」のが当たり前です。当然、「盗聴のシミュレーション」も必須です。
    一般人がまず考えない「細部」と「万一の事態」を完璧に想定して作戦を検討・吟
    味するのがプロの仕事でしょう。

     純粋に諜報的視点からすると、「体制にとって「真の敵」である日本共産党に
    対して行う諜報戦(電話盗聴)としてはあまりにお粗末過ぎる」ということです。
    やはり、なにかが、ひじょうにおかしい。。。

     日本のマスコミは「権力者によって作られた”おはなし”の「皮を引っぺがす」
    ことはほとんどしませんし、できませんので、私は日本のマスコミが流しているい
    わゆる「ニュース」なるものにはほとんど興味がありません。やはり、自分独自の
    調査や研究を積み重ねていって、「権力者が必死に隠そう隠そうとしている物事」
    を見抜いたときはとても面白いです。

     それには、「ニュースの裏側」を見抜いたり、「ニュースの周辺」(地理的・
    時間的・関係性的)を注視することで、いわゆる「定説」や「常識」とまったくか
   け離れた「面白いこと」が見えてきたりわかったりします。

     フランスについては、「フランスの兵器産業」に非常に関心があります。
    あのフォークランド紛争で世界中にその名をとどろかせたミサイル「エグゾセ」
    とか、ミラージュ戦闘機とか、あとはラ・アーグの核再処理施設にも興味があり
    ます。でも一番、興味があるのは「フランス政府の対人民・対世界(人民)心理
    戦・情報戦・諜報戦の諸戦略」ですね。

    かのサン・テグジュペリ氏も「星の王子さま」の中でおっしゃっておりましたが
    「いちばんたいせつなことは、目にはみえない」って本当です。だから、そこを
    見抜く「目」を持つこと、そして何者にも臆せずに「問いを発すること」が
    私がけっこう大切にしていることです。

     追伸:「主の聖霊」様も目には見えませんね。。。でも私のすべてです。。。

    By 内田 司 (「ご聖体のイエズス様」大好きです。。アシジのフランシスコ)
    鎌倉のカトリック雪の下教会あたりでうろちょろしてます。。。
    ごきげんよう。。。

129Sekko:2007/11/14(水) 21:07:48
この話はこのへんで
 なんだか、微妙になってきたので,この話題はこの場所ではこのへんで打ち切らせてください。「隠れた情報を暴く」とかいうのは、はまってしまうと妄想との境界線が引きにくいので。個人的には陰謀史観とかも要注意だと思っていますので、ここでいろんな解釈論を展開するのは困ります。それに、自分の直感とか、自分の体験とか、意外にあてにならなかったりもしますから、広く他の人の意見もお聞きになったらいかがでしょうか。

130nao:2007/11/20(火) 09:18:35
inexact
友人のヒースがメールしてきました。Ce n`est pas inexactが「これは誤りだ」ということだということを知つていますか、と。私は「これは誤りではない」としか、考えていなかつた。と返事をしました。友人のカワさんにきくと「これは誤りではない」としか考えられないが・・とのことでした。ヒースはプチ・ロベールにNon,c`est inexactとあるので、inexactを単純に使う場合neを先行させるのだ、といいます。私にはどういうことか、わかりません。二人はフランス語がすらすらよめて、私は字引にたよりながら、ポツポツという具合ですので。教えていただけますと有り難いです。

131Sekko:2007/11/20(火) 18:19:01
inexact の話
 文脈がよく分からないのではっきりしませんが、否定的な意味を含む言葉は虚辞の「ne」を先行しちゃうことが多いので、そのせいかもしれませんね。

たとえば、「間違ってるかどうか心配だ」という時に

 J'ai peur qu'il ne soit inexact.

 というような場合ですね。

 単独で「Ce n'est pas inexact.」と言えばやはり「間違っているというわけではない」か、文脈によっては「C'est tres exact」の逆説的表現だったりしますね。
 「Non,」で始まる否定文は本来否定辞(ne pas とか aucun とか personne とか nul とか)を含んでいなければなりませんけど、口語では否定の接頭辞入りの肯定文ですまされちゃうことはありますけれど。

 「Non,ce n'est pas possible.」の代わりに
 「Non, c'est impossible.」と言うとか・・

 と、ここまで書いてから、好奇心で Petit Robert をひさしぶちに開きましたら、確かに、Non,c'est inexact の例文がありました。それだけから推論して飛躍しちゃったのだとしたら、誤解ですね。

132nao:2007/11/20(火) 19:31:14
ありがとうございました。
早速、ヒースにつたえておきます。いまPCを修理にだしているそうで、3Wほど、メールできないとのことでしたので。お忙しいところ、お返事頂きありがとうございました。

133Tsutomu:2007/11/25(日) 21:14:54
筆記体
初めまして。
各国語の愛を伝える言葉に興味を持ち、調べていたところ、
フランス語のジュテームは「Je t'aime.」と書くことを知りました。
ぜひ筆記体で書いてみたいと思ったのですが、フランス語の筆記体は
英語とは違うようで、書き方が分かりません。
「Je t'aime.」は筆記体ではどのように書くのでしょうか。
どなたか、ご教授ください。よろしくお願いいたします。

134Sekko:2007/11/26(月) 09:26:28
フランス語の筆記体
 うーん、この欄では何と説明してよいか・・・フランス語の入門書なんかに載っていると思うので調べてください。Jはけっこう難しいです。

 確かに日本人が習う英語の筆記体とは大分違うのがあります。大文字のIとかAとかSとか、いろいろあるし、私がはじめ何より驚いたのは、Tの小文字とQの小文字です。子供が小学校ではじめて字を習った時にTの小文字の横線が左に抜けてないんで、私は訂正しようとして、お手本でも抜けてないことを知りました。それではじめて、フランス人の書くTの横棒がはるか右側に離れてたりすることの納得がいったものです。Qの小文字などは、下の棒がまっすぐで、丸まってないんですよ。これも知らないで、最初、子供に、右に回ってるのがGの小文字で左に回ってるのがQの小文字ね、なんて言ってから、手本を見てQがまっすぐで、日本人が書く数字の9にそっくりなのに驚きました。数字の筆記体もかなり違います。

 それでも大人はいろいろ癖がありますから、外国人が英語風に書いても別に注意されないので、子供が学校で習うまで気づかなかったんです。(数字の方はすぐ気づきますけど。)

 数字の少数点と位の点がコンマとピリオドが英語とフランス語では逆だとか、握手の仕方も全然違うなど、はじめはけっこうびっくりしましたよ。

135Tsutomu:2007/11/27(火) 22:57:26
Re: フランス語の筆記体
Sekkoさん、丁寧なご回答ありがとうございます。

Qの小文字は丸まらないんですか!それは驚きですね。
次の文字に繋げ辛そうですね……。コンマとピリオドまで
違うとは、驚きですね。
筆記体はご助言どおり、とりあえず入門書を見てみます!

握手は、日本とはどう違うのですか?
もしよろしければ教えて欲しいです(説明がしづらい様でしたら、
参考になるサイトなどがあれば教えていただけると嬉しいです)。

よろしくお願いいたします。

136仏語初心者:2007/11/28(水) 01:33:08
訳をお願いします!
これらの文章を自然な仏語に訳す事ができないでいます。もしよければ誰か模範解答をお願いしたいのですが・・・ 長々とすみません。

1.「どのような車をお探しですか?」
  「馬力のあるスポーツカーを探しています。」

2.「こちらの車はいかがでしょう?」
  「気に入った。これを買うよ。」

3.「やあ、乗っていかないかい?」
  「あら、かっこいい車にのってるわね」

4、「あ、警察官がいる。スピードに気をつけよう・・・」

5、しかし彼は高速道路でスピードを出しすぎ、警察官に捕まってしまった。

6、しばらく走ったあと、彼の車はなぜか故障した。
  新車は故障し、スピード違反で捕まり、最悪の一日だった。

137Sekko:2007/11/28(水) 04:35:46
仏語初心者さん
 こういうのは質問と見なせませんので残念ながらお答えできません。
 ご自分で試訳をなさって、どこが不自然か教えてほしいとか、ここをこう訂正されたのだが腑に落ちないというようなピンポイントなことなら答えられます。あしからず。

138Sekko:2007/11/28(水) 04:46:16
Tsutomu さん
 フランスの握手はワン・プレッションでワン・アクションです。いつまでも握っていたり振ったり、柔らかいのは嫌われます。フランス人は会社の同僚でも毎日ボンジュールと共にせわしなく握手を交わします。イギリス人は初対面とかでないと毎日握手しないことがあります。
 英語のShake Handsは文字通り振りまして、
 フランス語のSerrer la main も文字通り握り締める感じです。

 不思議なのは、ですから日本語の「握手」という訳は、むしろフランス語の直訳ですね。英語だったら「振手」に近いかなと思ったりします。

 ちなみに、フランス人がアングロサクソン風に手を握って振ったりするときは、同時に肩をたたいたりして、「おめでとう」とか「よくやった」、とかの含意表現です。

139Tsutomu:2007/11/30(金) 21:59:42
Sekko さん
 なるほど。フランスの握手は、本当に「握手」と言った感じなんですね。毎日なんて
大変そうですが、礼儀正しくて良いですね。僕は時々感極まると友達と手を握り合いますが、
「振って」ますが、これはアメリカよりなんですね。とても勉強になりました。

 最初の質問の筆記体ですが、今日本屋で見たNHKのテキストに載っていました。
一覧を見ると、確かに全体的にくるくるした感じで、英語とは違っていましたね。

 つい最近までは、英語とフランス語で筆記体が違うことすら知らなかったのですが、
Sekkoさんのご助言もあり、疑問が解決しただけでなく、フランスに興味がわきました。
このたびは、本当にありがとうございました。

140:2007/12/04(火) 15:21:48
同義語辞典
 この間フランス人に文章要約のコリージュをお願いしたら、わざと文章には無い単語を使おうとしたので驚きました。同じ言葉の繰り返しを嫌うことは理解していたので、代名詞を使うことはよくわかるのですが・・。国語や英語の要約では、できるだけ文章中の単語を用いて作文するよう指導を受けてきていたので意外でした。日本人で7年以上勉強している人に伺ったら、「フランス人は繰り返さないよう同義語を探して使うよう努めている。同義語辞典を一冊購入して使うべきだ。」とアドバイスされました。仏仏辞典はもちろんロベールのポッシェを持ってはいます。これにも同義語はよく載っています。本屋に行ったら、同義語辞典が何種類も置いてあって迷いました。結局「les usuels」という一番安いものを購入しましたが、中身をもっと見比べて買うべきだったと思います。フランス人に訊いたら、「用途に依るけれど、厚くてもnuanceが必要な場合もある。」と言われました。まだその差がよくわかりません。


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