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Web誌友会 板/2
1
:
トキ
:2013/01/20(日) 11:50:32 ID:UVsStHb2
「今の教え」と「本流復活」を考える・「web誌友会」 板 です。
*web誌友会についての話題は、このスレッドでお願いします。
このスレッドは、生長の家信徒の人達のweb誌友会のために作成したスレッドです。
上記に関連する話題なら、狭く解釈しないで、広く受け付けます。また
どの立場の人の投稿も歓迎しますが、基本的に生長の家の教義と谷口雅春先生の説かれた教え
を支持、共鳴する人のためにサイトです。生長の家の信仰と谷口雅春先生へのご批判をされる内容
の投稿はご遠慮下さい。
投稿の削除はしない方針ですが、アダルトサイトや出合い系サイトの勧誘を含む内容など
明らかに目的外の投稿は、削除の対象となります。明らかな他団体や特定の霊能力者の宣伝となる投稿も削除の対象になります。
目的外の投稿の判断は、最終的には、管理人である「トキ」の判断になります。
ご理解下さい。
投稿に当たっての注意点
*このサイトは、「生長の家“本流宣言”掲示板」等と違い、自分の発言を自分で削除できません。
削除御希望の場合は、管理人までご一報下さい。(削除要請は、削除希望の記事を投稿したのと同じ端末から投稿をして下さい。)
*必ず、スレッドのトップにある「掲示板の使い方」をご覧下さい。
*インターネットのサイトという性質上、不特定多数の人が閲覧します。プライバシーに触れる問題
や名誉毀損の可能性のある表現などは、控えて下さい。
*サイトの運営方針としては、削除は原則としてしない方針です。他者の投稿が問題のある投稿だと感じた場合は、
「削除要請」ではなく、ご自分の意見を投稿するという方向での解決をお願いします。
*生長の家の共鳴者を対象にしたスレッドです。下品な表現や特定の人物を侮辱する言葉はご遠慮下さい。
たとえ、自分と違う意見の人でも、敬称はつけましょう。相手に対する敬意と礼儀を忘れない様に
お願い申し上げます。
*谷口雅春先生への批判は、目的外ですので、投稿をしないで下さい。
*「したらば」は長文の書き込みをした場合、一部が表現されない場合があります。その場合は、「下部左
部分」にある「全部読む」を押して下さい。
このサイトについて
*宗教法人「生長の家」、「谷口雅春先生を学ぶ会」「ときみつる会」「生長の家社会事業団」「新教育者連盟」
などの諸団体とは関係はありません。
*「ポスティング ジョイ」や「生長の家“本流宣言”掲示板」などのサイトとは一切関係がありません。
管理人からのお願い
*投稿者の身元の詮索は止めましょう。ただし、最初に簡単な自己紹介をして下さると、後のトラブル防止になります。
*「工作員」も歓迎します。同時に、特定の人を「工作員」などと議論をする事はしないで下さい。
*教団援護派、本流復活派、中間派、分裂肯定派など、どなたも歓迎します。また、相手の存在そのものを否定するような内容
の反論はしないで下さい。
*議論が感情的になった場合は、管理人がストップをかけます。その時は、協力をお願いします。
*その他、ご不明の点は、管理人である「トキ」まだお尋ね下さい。
原則として、身元がわかるような内容の自己紹介は避けたほうが無難です。
身元をかくすため、多少の作為(年齢を少しごまかす、住まいを変える)は、悪意がない限り、問題とはしません。
どの立場でも、(教団援護派、学ぶ会など)歓迎しますから、それは明らかにしても大丈夫です。
削除について
投稿した文章を削除して欲しい場合は、削除希望の文章の番号を書いて、同じスレッドに、同じ端末
から「削除要請」と書いて、投稿して下さい。削除要請の文章も削除して欲しい場合は、其の旨も書いて
下さい。削除は、原則として、投稿者本人からの要請があるものに限ります。管理人が気がついたら、削除
しますが、深夜早朝や用事のある時は、気がつくのが遅れる場合があります。ご理解下さい。
出会い系サイト等のリンク、明らかに目的外の投稿、他団体の宣伝、犯罪を予告する書き込み等以外は、削除はしません。
それ以外で、問題となりうる投稿は、原則として、相談の上で、削除します。
その他、御不明の点は、お気軽にお尋ね下さい。
管理人「トキ」 敬白
452
:
トキ
:2013/03/07(木) 19:48:29 ID:zDFBGQos
a hope様
ご投稿、ありがとうございました。よろしくお願い申し上げます。
感謝、合掌
453
:
復興G
:2013/03/08(金) 12:54:32 ID:AB6RqYXc
トキ様、a hope様
ありがとうございます。
皆さま、ありがとうございます。
第12回web誌友会を、今夜から次のように開催させていただきます。ご一緒に、深く、楽しく勉強させて頂きましょう。
よろしくお願いいたします。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
『第12回web誌友会』予告
≪日時≫
3月8日(金)21:30から
3月10日(日)23:30まで
≪テキスト≫
『生命の實相』第2巻第6章「経済問題の解決」(p.167〜211、45ページ分)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
それでは、テキストの当該箇所を、次に謹写掲示させていただきます。
web誌友会テキスト
『生命の實相』第2巻第6章より<1>
第六章 経済問題の解決
神学より観たる貧困
神いい給いけるはわれらに象(かたど)りてわれらの像(かたち)のごとくにわれら人を造り、これに海の魚と空の鳥と家畜と全地と地に匍(は)うところのすべての昆虫(はうもの)を治めしめんと神その像のごとくに人を創造(つく)りたまえり……神いい給いけるは、視よわれ全地の面(おも)にある実蓏(たね)のなる諸(すべ)ての草蔬(くさ)と核(たね)ある果実(このみ)のなる諸ての樹とをなんじらに与う、これはなんじらの糧となるべし。(『創世記』)
人間は本来貧しくあるようには造られていません。貧しくあるべく造られていると思うものは造り主の愛がどれほどのものか、その力がどれほどのものかを疑うものであります。
人間ははじめ裸でつくられてエデンの楽園におかれました。彼は裸であるから無一物でした。しかしエデンの園には欲する物が一つとして手に入らないものはないのであります。だから人間は裸であるけれども本来無尽蔵の富の中に置かれていたのであります。それだのになぜ人間が、無限供給のエデンの楽園から追い出されて「一生のあいだ労苦してその食を得」なければならなくなったかといいますと、それは神が禁じ給いし、「善悪を知る樹」の果(み)を、蛇にだまされて食べたからであります。すると、聖書によりますと、「彼らの目ともに開けて彼らその裸なるを知り、すなわち無花果樹(いちじく)の葉をつづりて裳(きもの)を作れり」とあるのであります。
人間は神の言いつけを守らなかった――すなわち神をうたがった、その時にすでに人間は本当の自己を見る目が曇ったのであります。自己の生命は神の生命と一体であるから、知恵の果実(このみ)などで不足を補わなくとも無限の英知を蔵しているのです。それだのに知恵の果実を食べてもっとよけいに賢くなろうとしました。この態度には人間が、自己に埋蔵(かく)されている無限の英知を信ずることができず、外からの物に頼ろうとした不信があらわれているのであります。この不信ほど人間本来無限の自己を小さく限ってしまうものはないのであります。
われわれに通じている無限供給の配水管に堰(せき)をしてしまうものは常にこの不信であります。
本来の人間は「知恵」においても「富」においても「生命」においても本来無尽蔵です。それは水脈が神に通うているがために、必要に応じて汲めども汲めども水のつきぬ井戸のようなものでありますのに、人間は神の言葉を信ぜず、自己の無尽蔵を信ぜず、外に物を求めたがために、その結果、自己の「裸身(はだか)」なることを見ることになったのであります。すなわち彼は無限供給の天園に置かれながら、自己に与えられたところの無限供給を見ず、自己が裸身であることすなわち自己が貧しき無一物であるということに気がついたのであります。
「気がつく」ということ、すなわち心で認めるということ、これが心の法則からいえば事物を存在に入れるための第一原因となるのであって、われらが心で認めないものは何も存在に入ることはできないのであります。
<つづく>
454
:
復興G
:2013/03/08(金) 12:55:27 ID:AB6RqYXc
テキスト 『生命の實相』 第2巻 第6章より<2>
御承知のとおり英国の詩人オスカー・ワイルドは「ロンドンの霧は詩人がそれを歌うまでは存在しなかった」といっているのであります。倉田百三氏も「自己に眼瞼(まぶた)があると気がついたために、目をつぶると、どうしても自分の眼瞼の裏が目に見えて眠られないで不眠症になった」と告白しておられます。
このように人間というものはエデンの楽園の無限供給に気がついている間は無限に富んでいるのでありますが、自身の裸に気がつけば、気がついただけの程度に貧しくなるのであります。
だから、富もうと思う者は人間に本来与えられている無限の供給に気がつかねばなりません。シェイクスピアは「身体を富ましめるものは心なり」('Tis the mind that makes the body rich.)といっていますが、さすがに彼は霊感的作者だといわねばなりません。
近代「新思想(ニュー・ソート)」の霊感的執筆者中の随一人なるマーデン博士はニューヨークのある大繁昌をしている店の事務所を訪れた時、一つの標語が書いてあったのを見てその店が繁昌する理由をなるほどと感心したといっていられます。それには、
「われらはわが家の繁昌のみをここで語る」
と麗々しく書いてあったのであります。
語るものは皆出てくる。これは言葉の創造力です。これが存在の法則であります。
言葉に出していう時、必ず心は影響を受けます。そして心に常に思っているとおりに、その人の運命は造られるのです。
言葉は神であることを知らねばなりません。そして三界は唯心の現われであることを知らねばなりません。
貧しい人々は常に自己の貧しさを呟(つぶや)きがちですが、それはますます言葉の力で自己を貧しくするにすぎません。
今日からわれわれはいっさい自己の貧しいことを口にしないでいましょう。そして、貧しい遣る瀬ない窮乏感に襲われて来たならば、静かに別室に退いて「神想観」をして精神を統一し、「神とわれとは一体である。神はすべてのものをもち給う。神のもち給うものをわれもまたもつのである。すべての物はわれに与えられているから自分は貧しくはないのである」という意味の言葉を強く強く自己に自信のできるまで思念せられるがよいのであります。
毎日一定時間静坐して自分の心にこのことを強く強く刻みつけるための修行「神想観」については後に詳しく書いてあります。
わたしがこのことを説いた時に、ある人はわたしのことをドン・キホーテ式の空想家だと評しました。しかしこのことをわたしのすすめたとおりに正直に実行している多数の人は現に今相当のくらしをしていられますし、会社の整理のあった時にも首にならずに済んだ人もあり、たとい全体の会社の事情として馘首(かくしゅ)せられましても、それがいっそうその人の運命が好転すべき一転機となっているのであります。
就職難が突破できないとか、冗員淘汰(じょういんとうた)で首になるとかいいますけれども、それはみな心の問題であります。人間は現実に富む前に、まず「心」が富まねばなりません。諸君も知っていられるとおり心が富んでいる人は対談していてもなんとなく人を引きつけます。人を引きつける人は成功する人でありますが、人を引きつけない人は就職試験でハネられる人か、冗員淘汰で首になる人であります。
皆さんは御承知でしょうが、繁昌している商店にはよく稲荷さんが祀ってあります。そしてよく紅(あか)いちょうちんに「寿福円満」とか「商売繁昌無病息災」などと書いてあります。
<つづく>
455
:
復興G
:2013/03/08(金) 12:56:22 ID:AB6RqYXc
テキスト 『生命の實相』 第2巻 第6章より<3>
一知半解な神学者は神は神聖であって我欲のために祈るべきではないといいます。また科学者はそれを一がいに迷信だといってけなします。
しかしそういってけなす人の方が心の法則から見れば神学迷信とか、科学迷信とかにとらわれているのであります。
なぜかといいますと、これを心理学的に観ますと、毎日、神前に坐して宣詞(のりと)なりお経なりを読めばおのずから精神統一ができます。その時目を引くような紅い提灯に「商売繁昌」と書いてあるのを見るならば、心に常に自家の「商売繁昌」を念(おも)っていることになり、宇宙に漂っている「商売繁昌」の精神波動を受けることにもなり、両方相まって、それが容貌や態度や応接ぶりなどにも影響して、人の気受けがよくなり、自己の自信力もでき、したがって本当に商売が繁昌するようになるのであります。
毎日稲荷さんの前にぶらさげた「商売繁昌」と書いた提灯を眺めているのは、ニューヨークの大商店の事務所に「われらはわが家の繁昌のみをここで語る」と麗々しく書いて眺めているのと効果においては好一対であります。
これとは反対に、常に自己が貧しいことを人につぶやいている人は、常に自己の心のうちに貧困が刻みつけられて、容貌がなんとなく貧乏相になります。新聞に求人の広告が出ているからとて、そんな人が往ってもそんな人を雇っては店が繁昌しそうでないので断られがちでありましょうし、またそんな人は自己の心を顧みないで他を恨み怒り憎むようにもなりましょう。
人間が自己を顧みず、自己のおちどを他人のセイにして恨んだり怒ったり憎んだりしているようでは発達しませんし、発達しない人は落後するほかはないのであります。すなわち不成功に終るのであります。
人間は希望をいだいて勉強し積極的に精力を使うようにすればふつうの人の二、三倍働いても疲れませんが、恨んだり怒ったり憎んだりして消極的に精力をつかうから、積極的に進歩する以上の精力を費しながら結局なんの効果もあがらなくなり、その結果、自分の心にますます自己の不遇を印象し、自分の雰囲気を毒し、人相を悪くし、その結果いよいよ現実的にも不遇から浮かび上がることができなくなるばかりであります。
貧困になやむ人は他を怨んだり憎んだりするよりも、まず自己の心を顧みることから始めねばなりません。自分の心が自己の無限力を小さくしていないか、いくらでもはいって来るべき供給をじゃまするようなことをしていないか。これを顧みることであります。
心の無限力をみとめず、自己の境遇を他人の掠奪の結果だとする経済観には「生長の家」は賛成できません。
われわれの立場は本源の世界すなわち心の世界から貧困を癒そうとするのであって、本源に貧困の原因をそのままにしておいて、末流に小細工や膏薬貼りをしようとするのではないのであります。心から貧困の原因を取り去らないでおきながら、暴力で富める者から掠奪して貧者を富ませても、その人の心に貧困の原因が存在している限り、掠奪した物資を使い果たしてしまったらすぐまたその人は貧乏に帰ります。だから最も大切なのは心であって物ではありません。
心と服装との相関作用
ここでわたしは、「心」と「形」との相関的作用を述べたいと思います。ほかの宗教では極端に服装の質素を強要するような戒律もありますけれども、「生長の家」は生命の生長にふさわしい服装であれば、どんな服装でもよいのであります。かならずしも豊かな美しい服装を排斥しないのでありまして、服装の価値と不価値とはそれが自己の生長または向上に役立つかどうかによってきまるのであります。それで思い出されるのはナポレオンの逸話であります。
ある時ナポレオン将軍のところへ伝令が馬に乗って大いそぎで戦線から報告書をたずさえてきたことがあります。あまりに急速に馬を走らせたので、伝令がナポレオン将軍のところへ着くと間もなく、馬は心臓麻痺でたおれてしまった。
ナポレオンは戦線の司令へあてた返事を秘書にしたためさせると、やおらその伝令にむかって、「この馬に乗って全速力でこの返事を持って行け」と命じました。この馬というのはナポレオンの秘蔵する名馬でした。
伝令はビックリしてナポレオン将軍の顔をうかがいながら「閣下、わたしは一兵卒にすぎません。閣下の御乗馬のような立派なお馬に乗りましたら罰があたります」と身体(からだ)を固くして気をつけの姿勢で答えました。
この時ナポレオン将軍は「貴様、フランスの軍人にとって、立派すぎるというものはどこにもないぞ!」と一喝したそうであります。
<つづく>
456
:
復興G
:2013/03/08(金) 12:57:27 ID:AB6RqYXc
テキスト 『生命の實相』 第2巻 第6章より<4>
諸君はこの憐れなる伝令の一兵卒についてどうお考えになるでありましょうか? 世界には実際この憐れな一兵卒のように考えている人間が非常に多いのであります。
――自分のような人間には、こんな服装はもったいなさすぎる。もっともっと貧しいみすぼらしい服装こそ自分を包むにふさわしいのであるといって、人から見て不快がられるような服装を強いてしているような人もありますが、「生長の家」はそのような自己縮小的な消極的な生活者に対して、ナポレオン将軍がしたと同じように、「あなたよ、神の子たるあなたには立派すぎるという服装はどこにもありませんよ」と言明したのであります。
『生命の實相』全集第四巻生活篇に、わたしは「鏡をみて幸福の表情をして笑う方法」を説明してこれによって病気がなおり、運命が開けてくるということを書いていますが、それは表情の印象力を応用して自身の心を生き生きとさし、気分を晴れやかにし、血行をよくし、接する人々を愉快ならしめる心理学応用の生活法でありますが、わたしがここにいおうとするのは服装のもつ印象力を利用して、自己の性格を改善し、自信力を増進し、接する人ごとに尊敬の念を起こさしめ、結局、自身の境遇と運命とを良化するところの「生長の家」式生活法であります。
最近わたしはある父(てて)無しの赤ん坊がかなりの富豪のところへ養女としてもらわれていったときの話をきいたが、仲介に立った人が、「赤ん坊はそんなに容貌は良くありません」といったら、もらう家の夫人は平然として「いくら醜くてもかまいません。美人に育てますから」と自信をもって答えたということであります。わたしはそのときこの美人に育てるという言葉に非常に興味を覚えたのであります。
諸君は良家の教養ある子女が、目鼻立ちのよくととのった貧家の子女よりもよっぽど醜い顔の道具をもっていながら、かえってどことなく奥ゆかしい美人らしく見える事実にいくたびも接しられたことがあるだろうと思います。彼女らのごときは、生まれつきの目鼻立ちはさほど良くはないが美人に育てられた娘に属するといってよいでありましょう。
周囲の人々の愛撫の仕方や、境遇の匂いや、服装の色彩や、その家庭に漂っているなんとなくゆったりとした気分空気が、その娘の心にしみ込み、娘の心は娘の容貌となってあらわれてくるのであります。何事でも心がもとですから、その心をゆたかにのびのびと明かるくする服装をするということは必要なのであります。
あなたの心をゆたかならしめ、これを生長さす方法なら、どんな方法でも惜しまずに行なうがよいのであります。あなたとは「心」であって「心」のほかにはあなたはないのだからであります。窮屈に、何事でも、服装でも、これでなければならぬと凝り固まるのはいけないのであります。
わたしがここに「服装の威力」を説くからといって、それは何も必ず華美なきらびやかな服装をせよというのではありません。それは自己の職業または生活に応じて勝利者としての自覚を強める服装でありさえすればよいのであります。
徳高き高僧はただ一枚の墨染めの衣をまとうことによって、自己が色香の世界にまどわされない高きさとりの境涯にいるという勝利者としての自覚を強めるのであります。
一燈園の西田天香氏のような霊界の偉人は、そのただ一枚の紺の筒袖をまとうことによって、「われ世に勝てり」の氏の自覚をかえってつよめることができたのであります。
およそ人にはいろいろの天分と、それが開発される時期とがありまして、一枚の破衣に勝利感を味わう時期もあれば、豪奢なる調度服装に勝利感を味わう時代もあります。
またある人々は容貌の秀麗さとそれを引き立てる美しい衣服に勝利感を味わいますが、われわれが中学時代には制帽のシンを抜いてヘナヘナな形のくずれた帽子をかむることによって勝利感を味わったものであります。
だから「生長の家」ではどんな服装にしなければ勝利者としての自覚が得られないなどとしゃくし定規な事はいわないのであります。ただわれらは常に「われ勝利者なり」という自覚を得るの助けとなるような服装をしなければならぬと教えるのであります。
なぜなら「われ勝利者なり」という自覚が心にあってのみ、はじめてわれらの生長はのびのびと行なわれるからであります。
何よりもまず心でありまして、心に成功感があってその人は成功し、心に勝利感があつてその人は勝利し、心に生長感があってその人は生長するのであります。
<つづく>
457
:
復興G
:2013/03/08(金) 12:58:08 ID:AB6RqYXc
テキスト 『生命の實相』 第2巻 第6章より<5>
人生はたとえていえば「心」という役者が演ずる舞台であります。
成功したい者はすでに成功者であるかのように演出し、高徳者になりたい者はすでに高僧であるかのように演出し、健康になりたい者はすでに健康であるかのように眉をのばし、役者がある人物を舞台で演ずるように、心から自分のなりたいと思う人物になりきって人生という舞台で演出するとき、その人の「心」は人生でそれを形に現わすことをうるにいたるのであります。
そして服装はこの演出のさいの気分を助ける一要素となるものでありますから、経済的に成功しようとする者は、それにふさわしい衣装を着て人生の舞台に出るべきであります。次に掲げる実話は生活様式は心を支配し、心は成功を支配する実例として興味あるものです。
今は米国財界に時めく千万長者の某氏は、長いあいだ自分の貧困を脱することができなかったのでありますが、ある日ふと自分の読んだ本に「貧乏とは心の病気」だということが書いてあるのを見出して
「コレだ。自分がいつまでも貧しいのは。今日からぜんぜん生活をやり直そう」
と豁然(かつぜん)さとったのであります。
氏は今まで「自分は貧乏だからできるだけシマツをしなければならない」と、一挙手一投足「自分は貧乏だから」を前提とした生活を送っていたために骨の髄まで心のうちに貧乏の感じがしみとおっている自分を笑いたくなった。氏はそれ以来毎日
「おれは貧乏ではないぞ。心で富を呼び寄せるのだ。貧乏という観念(こころのたね)をおれはもう自分の心から駆逐した。自分は神の子だ。神は無限供給だから、神のもちたまうすべては自分に与えられているのだ。自分は無尽蔵の富を与えられているのだ。その自分を貧しいと思っていたのは自分のまちがいだったのだ。欲しいものはすべて今後は磁石に吸い寄せられるように自分のところへ集まってくるのだ。恐れることはない。今現にきつつあるのだ」
と、公園をひとりで散歩するとき、就寝前の静かなる時などに、耳に聞こえるほどの声で、自分自身に強くはっきりと断定的にいって聞かすことにした。
つまり、これは後に説く「自己暗示法」であって、言葉の力の応用であります。氏はしだいに成功に対する自信を得てきて、今まで心に横たわっていた貧乏の恐怖は消失しました。
今たとい貧しくあろうとも、それは氏にとって消えるべく約束されたる過去の貧しい心の影にすぎないということがさとれたのです。未来には現在心にもっているところの無限供給の確信が形にあらわれてくるに相違ないという自信が強くムクムクと心の底から湧いてきたのであります。
で、氏の生活様式も一変しました。
今まで、氏は何事をするにも「自分は貧乏だから」を前提としていた。食事をとる時には、できるだけ安価な食事をとったし、数マイルのところへ通うにも、自分は貧乏だからとテクついたし、あらゆる生活様式がお前は貧乏だぞと氏の耳元で囁(ささや)いていたのでした。
しかし氏は新しい勇気にかられて生活様式全体で、自分の富めることを印象(しみ)こませようとした。
彼はふところの許す限り良い食事をとりました。
一流の喫茶店でコーヒーをすするとき、悠揚とその柔かいソファに身体をもたせかけながら「われ富めり」という感じをたましいの底の底まで吸い込むようにしました。
彼は今までの見るからに見すぼらしい乞食のような靴や帽子や洋服を捨てて、かなり紳士らしい服装を身にまとうことにしました。
住宅も引っ越した。
氏は「類は類を招(よ)ぶ」という真理にしたがって、できるだけ知名の富める人々と交際しはじめました。
すると、そこから氏の運命はひとりでにひらけてきました。
氏の快活な挙動、紳士らしい服装、自信のある態度は人々に氏を信用ある人物と認めしめるようになったのであります。
氏はついにある人から大事業を託されるにいたり、それが氏の今日千万長者たる端緒になったのであります。
……後略……
<つづく>
458
:
復興G
:2013/03/08(金) 13:07:32 ID:AB6RqYXc
<つづく> としましたが、いったんここでテキストの謹写掲示を止めさせていただきます。
459
:
復興G
:2013/03/08(金) 15:42:49 ID:AB6RqYXc
前夜祭として、少し書き込みを始めましょう。
私は、まずテキストp.168(
>>453
)の
≪本来の人間は「知恵」においても「富」においても「生命」においても本来無尽蔵です。それは水脈が神に通うているがために、必要に応じて汲めども汲めども水のつきぬ井戸のようなものでありますのに……≫
というところ、「人間はみな、本来(すでに)無限を内に蔵している」ということ。これが根本実相の真理であるということ。だから、常にその自覚を新たにする「神想観」が大切である、と改めて深く感じ入っています。
そして――
テキストp.178(
>>456
〜457)の
≪「生長の家」ではどんな服装にしなければ勝利者としての自覚が得られないなどとしゃくし定規な事はいわないのであります。ただわれらは常に「われ勝利者なり」という自覚を得るの助けとなるような服装をしなければならぬと教えるのであります。なぜなら「われ勝利者なり」という自覚が心にあってのみ、はじめてわれらの生長はのびのびと行なわれるからであります。
何よりもまず心でありまして、心に成功感があってその人は成功し、心に勝利感があつてその人は勝利し、心に生長感があってその人は生長するのであります。
人生はたとえていえば「心」という役者が演ずる舞台であります。成功したい者はすでに成功者であるかのように演出し、高徳者になりたい者はすでに高僧であるかのように演出し、健康になりたい者はすでに健康であるかのように眉をのばし、役者がある人物を舞台で演ずるように、心から自分のなりたいと思う人物になりきって人生という舞台で演出するとき、その人の「心」は人生でそれを形に現わすことをうるにいたるのであります。≫
――上記を読んで、私は今まで服装には無頓着であったことを反省し、これからは「われ勝利者なり」の自覚を服装にいおいても表現することを考えていこうかと思っているところです。
460
:
復興G
:2013/03/08(金) 16:02:49 ID:AB6RqYXc
テキストp.168(
>>453
)で思い浮かぶのは、聖歌「無限供給讃歌」です。
無限供給讃歌
谷口 雅春 作詞
一、われかつて まずしさの
夢をえがきしかども
ありとあらゆる 宇宙の富は
かみのものと悟りぬ。
二、われかつて 神の子と
知らずして迷いしが
神の御許に かえりきたりて
神の御子と悟りぬ。
三、天(あめ)の富 地(つち)のとみ
神のつくりたまえる
あらゆる資源 あらゆる富は
御子に嗣がせたまえり。
四、神はその 有ちたまう
すべて人にあたえ
わが世嗣ぞと あがめたまえり
われすでに富めるかな。
五、われすでに ゆたかなり
神はわがための宝庫(みくら)
すべてのたから われに属せり
われすでに富めるかな。
――これは、テキストの195頁以下のところで、「ヘンリー・フォードの致富法」として書かれています。
≪ 記者――実は光明思想による事業経営の問題で、ぜひあなたの御意見をうかがいたいと思いまして、ちょっとお騒がせ申したわけです。
全世界はあなたが、世界最大の工場の一つ――フォードの大自動車工場の創立者だったことを知っています。僕は若い時には資本も何もないほとんど無一物だったあなたが、これだけの事業を成就したのには驚嘆せずにはいられません。その秘訣をうけたまわりたくってまいったのですが。
フォード――失礼ですがちょっとちがいます。君は僕がそのとき「ほとんど無一物」だったとおっしゃるが、正しいとはいえません。誰でもあらゆる物をもって出発する。すべてがわがうちにあるんですからな。
記者――まったくです。僕はその言葉を聞きたかったのです。あなたがこれだけの仕事をし、これだけ偉大な人類への貢献をするのに要るだけの巨富を集めたその力は、「すでに自己の内に無限の富がある」というあなたの自覚です。しかもあなたは、あなたの富を少しも重大視していない。そこがあなたのえらいところだと思っているんです。≫
――というのを紹介してくださっていますが、深く感じるところがありますね。
「わが内に、すでに無限がある。一切は、わが内にある」――この自覚こそ、無限供給・無限生長・無限調和の根本自覚になるのですね。
461
:
復興G
:2013/03/08(金) 16:08:17 ID:AB6RqYXc
さて、もう少しテキストの謹写を進めてまいりましょう。
テキスト 『生命の實相』 第2巻 第6章より<6>
富の無限供給と循環
考えてみますに、われわれは神の子であって無限の神の供給源から養われているのでありますから、われわれに与えられている能力にしましても、健康にしましても、各個人の富にしましても、それは決して有限のところから取ってくるのではないのであります。
仮にわたしが能力を増して二人前三人前の仕事がひとりでできるようになったとしましても、わたしは無限の大生命からわたしの能力を汲んでくるのでありまして、そのために、それだけのほかの人の能力が減るというわけのものではありません。
また仮にわたしが健康を二倍ほども増進しましたからといって、わたしはひとの健康を横どりしてくるのでもありません。わたしが健康すぎたからとて、ひとがそれだけ病気になるわけのものでもありません。
これはちょっと考えるとなんでもないことでありますが、しかもそのなんでもないところに不思議な真理があるのであります。
能力とか健康とかいうものが宇宙に一定の分量しかないものならば、わたしが能力や健康を増せば増すほどほかの人の能力や健康がそれだけ減るべきはずでありますが、別にそれが減らないのですから、宇宙にある能力や健康の分量は無限だと考えるほかはないのであります。
そうするとわたしたちは能力や健康をどこからいただいてくるかと申しますと、無限の生命の大海からいただいてくると考えるより仕方がありません。
そこでわたしたちは「無限」というものにつながっているということが解るのであります。
――ここが実に大切なところであります。こうしてわたしたちの生命力は自分だけのものでない、有限のものではない。無限の大生命につながっているということがわかってきますと、非常に自分の「生命」が結構な貴いものだと解ってくるのであります。
「生長の家」で「人間はみんな神の子だ」とか「無量寿仏の子だ」とか申しますのはこんなところからもわかるのであります。
能力や健康はこのようにいくら自分のものをふやしましても、人のものを減らしはしないのでありますが、これが富の問題になってきますと、そう簡単に片づけることができなくなります。
世のなかには一人の者が富んで繁昌すればするほど残りの多勢の者が貧乏するようになっていると考えている人がかなりあるようです。こう考えている人がありますので、「富の分配の公平」という事が経済界に重大な問題となっているのであります。
資本家がよけいとれば勤労者は貧乏する、勤労者がよけいとれば資本家の収入が減る、と互いに血まなこになって騒ぎまわっているしだいで、これでは実に窮屈な世の中だといわねばなりません。
むろんこの窮屈な考え方は一つの生産会社などについていえば真理であります。それは会社からあがる利益などというものは有限なものであって、その有限なものをある人数に分配するということになりますと、一人がよけいとれば他の人たちに分配する分量が減るのは当り前だからであります。
しかしこれは「富」というものをただ会社という有限な物に引っかかって考えるからこんな窮屈なことになるのでありまして、われわれの富は何も会社からばかりくるものだと考える必要はないのであります。
富はわれわれが無限の供給――すなわち神――と離れない限り、どこからでも必要に応じてやってくるものであります。「生長の家」ではこう考えるのであります。
今、わたしは「神と離れる」という言葉を使いましたが、神は宇宙のどこにでも満ちていられますので、本当に神と離れるということは実際上できないことではありますが、たとい神のみふところに抱かれていましても、そこに吸うに応じて無限にでてくる栄養の多いお乳が鼻先にありましても、それに気がつかないで、どこかほかに牛乳のびんでもないかとさがしている間は神と離れているのも同じであります。
<つづく>
462
:
復興G
:2013/03/08(金) 16:09:17 ID:AB6RqYXc
テキスト 『生命の實相』 第2巻 第6章より<7>
「生長の家」ではたびたび申す言葉でありますが、世のなかには心で認めたものだけが存在に入るのですから、無限の供給であるところの神さまに気がつかず、有限な会社の利益の分け前ということばかりに心が引っかかって、できるだけ多くその分け前にありつこうと思って争っているような人たちは、いだかれている神さまのみふところの乳房に気がつかずに、有限な牛乳びんの中から、自分のコップに注がれた牛乳が少ないとか多いとかいい争っているようなもので、生活難、就職難、馘首(くびきり)恐怖などの大化け小化けが幻覚(まぼろし)の夢になって襲ってくるのもむりはありません。
しかし、何もわれわれは行き詰まってきた今までの生産会社とか、その他なんでも有限な生産の資源しかないものに強いて引っかかってその利益の分け前ばかりを争っている必要はないのでありまして、行き詰まらない無限の供給――すなわち神様――と直接取り引きをひらいて新しい方面の事業を授かるようにすればよいのであります。
これは、資本家の方でその気になりさえすれば、どのようにでも道がひらけてくるのでありまして、そこは心しだいで、神さまが道をひらいてくださるのであります。そうすれば現在多くある失業者も就職口ができることになり、こんなけっこうなことはないのであります。
新事業を起こすといっても、新会社をこしらえるといっても、この不景気ではしようがないという人があるかもしれません。
しかしこの不景気というものは、新事業を起こさないで、今までの事業の種類だけで互いに利益を争ったり、もう既成産業は膨脹するだけ膨脹しきっていて、これ以上産額をふやしても買い手がないので、職工を解雇でもして人員をへらし、操業短縮でもするよりほかに道はないような状態でありますのに、雇われたい人間の数はますますふえて行くために起こるのでありまして、不景気だといって新しい方面に事業を開拓せず、緊縮だ節約だといって、人類の兄弟がせっかくつくってくれたものを使わないようにするために、つくってくれたものは売れない。売れないから会社は今後つくる必要はない、つくる必要がないから、職工でも社員でも新たに雇い入れるどころか、かえって減らさねばならぬ――だからとうとうたる失業者の洪水などという恐しい新聞の標題(みだし)がでてくるのもむりはありません。
考えてもごらんなさい、今後五年間、日本国中の人間が節約だといって米と野菜のほか何も買わないことにしましたらどうなるでしょうか。実に恐しい結果になります。
あらゆる会社という会社、あらゆる工場という工場、米屋と八百屋以外のあらゆる商店という商店、これらはみんな失業者になってしまわねばなりません。
どうもこれでは節約というものが道徳的にも経済的にも善いということはできないのであります。
がんらい、人類の兄弟がせっかくつくってくれた品物を、金を出すのが惜しいといって使わぬということが善いはずはない。
節約が美徳だというのは、ものがたらぬ場合に、それを自分ばかりがあまり使っては、ほかの人がそれを使いたくとも使えなくなる場合に、自分は使いたいのを我慢して兄弟にその品物を譲るという意味において尊い愛のあらわれと見ることができたからであります。
つまり節約とは物を使い惜しみをするのが貴いのではなく、兄弟に譲るという愛の行為として貴いのであります。
ところがこのごろの節約は品物は生産過剰で有り余っている。何も自分が金を出して買って使用したからとて、ほかの使いたい人が使えないで困るというようなことはない。かえってその品物に払った金の一部は社員や職工のふところにも廻りますし、会社も引き合うし、社員や職工も解雇されずにすむのであります。
わたしは節約が美徳だというのはものがたらぬ場合に、それをあまり自分ばかり使っては、ほかの人がそれを使えなくなる場合に、その品物を兄弟に譲るという意味において尊い愛のあらわれと見ることができるからであると申しました。
すなわちその品物が足らぬからよけい使っては、ひとの迷惑になるから節約するということが美徳となるのでありまして、たらぬという前提がなければ、節約が美徳だということは成り立たないのであります。
自分が使っても他の人が使うのになんのさしつかえもなく、人々の用にたりさえすれば、兄弟のせっかくつくってくれたもの、神がせっかく与えてくださったものは、喜んでありがたく使うようにすればよいのであります。
<つづく>
463
:
復興G
:2013/03/08(金) 16:10:14 ID:AB6RqYXc
テキスト 『生命の實相』 第2巻 第6章より<8>
ところが宇宙総体からいって物がたらぬということを「生長の家」ではみとめないのであります。
科学の方でも、「物質不滅則」という法則がありますが、いくらわれわれが使っても物質はなくなってしまわない。何か別の形になって残っていて、ある方法を加えればまたもとの姿になって帰ってくるのであります。
なるほど、何か一つのものについていえば、それはたりなくなることはあります。しかし何もわれわれはその一つのものに引っかかっている必要はないのでありまして、その一つが足りなくなったならば何か代りになるものは必ず与えられるのであります。
たとえば欧州大戦のときにドイツでは非常に食料が欠乏して困った。しかしその結果ドイツ人は人造肉といって酵母を繁殖させてたべることを考えついた。
なるほどこれなら実に狭い面積で多量の食物が得られます。田地などにくらべると数十倍も収穫量があります。それに夏でも冬でも四季かまわずいつでも繁殖するのですから大したものであります。栄養の点からいってもほとんど肉類と大差のない成分を有していまして、しかも肉類に欠乏しているビタミンなども豊富に含んでいますので、実に健康食としてのあらゆる要素を完備しているという批評でありました。
こういうように人間は何か一つ必要なものが足りなくなれば、それにかわるほかのものは必ず与えられるのであります。
むろんこの世の中には一つとしてまったく同じ品物はありませんから、ただ一つのものにこだわっている限りは、どんな金持でも欲しいものは得られません。
千万長者がわたしのもっている万年筆と同じ万年筆をもう一本欲しいといっても、まったく一分一厘もちがわぬ同じものは、どこをさがしても見つかるはずがありませんから、この一つのものに心が引っかかっている限りは、どんな金持でも貧乏人と同じことで二進も三進もゆかないのであります。
ところが同じものでなくとも代りのものでもよい、同じ役にさえ立てばよいのだということになりますと、そこから道がひらけてくるのであります。
このことは資本家側でも雇われる者の側からいっても同じことでありまして、今日の不景気は生産者側からいえば、資本家が特定の会社の利益に心が引っかかっているから、その会社の利益のあがり高がわるくなると、職工を解雇するとか、操業を短縮するとか、減給するとか、ものを消極的に消極的に運ぼうとするから起こったのであります。
人は節約といえば美徳のように考え、職工や労働者を解雇するといえば、その雇い主をいかにも没義道な不徳漢のように思いますが、それは大いに考え方が違っていると思います。
節約するということは職工や労働者が労力を出して造ってくれた品物を使わないことにするのでありますから、結局、職工や労画者の力を使わないようにすることであります。
そしてまた解雇するということも職工や労働者の力は使わないようにすることでありますから、節約と解雇とは結局同じものを二様にいっているにすぎないのであります。
この社会の実情に照らしてみましても、節約宣伝が行なわれるようになってから解雇者や失業者がふえてきたのは事実であります。これはつまり、「物」を節約するのは「人間」の力を利用することを節約するのと同じことであるからであります。
<つづく>
464
:
復興G
:2013/03/08(金) 16:11:19 ID:AB6RqYXc
テキスト 『生命の實相』 第2巻 第6章より<9>
これを消費者側からいいますと、信仰心の深い人は「もったいない」ということをよくいわれますが、なんでも買わず使わずに不自由をがまんして窮屈な生活をしている方があります。「生長の家」ではそんな節約ぶりには大反対であります。
どんなものでも元は神さまが作ってくださったのだからもったいない――そのところまでは同じでありますが、次は異(ちが)います。
わたくしどもでは、つかわないではもったいないからできるだけ生かして使えというのであります。
与えられていないものまでを無理をして使うのはいけませんが、与えられているものを生かさない節約は人類の敵であります。
われわれが生命力を出して仕事をした。その仕事をだれも使ってくれなくてはその努力が生きて来ません。
物を生かして使うということは、人がそれをつくるために注いでくれた生命を生かすということになります。
この世は持ちつ持たれつの世のなかでありますから、人の注いだ生命を生かすことは自分の生命を生長向上発展さすことになるのであります。
だから「生長の家」では買うことを節約せよとはいいません。買うて生かせというのであります。
大いに生かすためには大いに買わねばなりません。
こうしますと購買力はふえ、製造会社や販売店の収入が増加し、職工も社員も店員もその収入が増加し、したがってますます購買力がふえ、新事業の計画もなんらの危険なく行なうことができ、したがってあとからあとから増加する人間の職業にも道がひらけてくるのであります。
こうなれば就職難も会社のつぶれる心配もないのであります。生産者側からいっても消費者側からいっても消極と積極とではこうも異ってくるのであります。
人は「寄付」行為の美徳を説きますが、買うということは、観方によれば一つの「寄付」であります。
金をあるところから無い方へ寄付して、そのかわり物をあるところから無い方へ廻してもらうのであります。
この有るところから無いところへ廻すということが一つの愛の行為でありまして、人間の美徳の一つであり、これによって経済界が円滑に循環して行くのであります。
しかも「買う」ということは、単に「寄付」するということよりもいっそうの美徳であります。
寄付するということは、働かぬ者にでも、なまけてずるい者にでも与えることになる場合があるのでありますが、「買う」ということは、働きという尊い生命活動に価いを支払い、次の生命活動を起こすだけの養いと勇気とを与えることになるので、いっそう尊いのであります。
金は使ったら減るから使うのはもったいない、というように、ふつう考えられていますが、わたしの考えでは、金は使っても持っている人が変わるだけで世界のどこかには必ず合計すれば同じだけの金がある。だから、宇宙経済の上から少しももったいないことはない。
しかもその効用の上からいえば、金は使えばつかうほどふえるのであります。つまり同じだけの金の分量しかなくともその社会に循環する回転率が増えるからです。
十円の金でも世間をグルグル廻って一ヵ月に十ぺん自分の手に戻っては出て行くと百円に生かしてつかうことができます。それを手許に死蔵しておきますと十円が十円だけの値打ちもない、なんにも利用できないことになるのであります。
しかし金を使って帰ってくるのならだれだって使いたいが、使えばなかなか帰って来ないので万一の時に貯蓄しておくことが必要だという人があります。これが世間の一般的な考え方であります。
「生長の家」では「心の法則」ということを常に申しまして、身体は心で思うようになるというのでありますが、経済界も心で思うようになるのであります。
「金は使ったらなかなか帰って来るものでない」と一般の人が固く心で思っている。だから自分の手許へ金がはいってきたが最後、金輪際出すまいとがんばります。まちがった道徳家はそれを節約の美徳だとして推賞します。
そこで流通と循環とが本体であるべき経済界に、金の流れをじゃまする詰まったところがあちらにもこちらにもできてきます。
節約だといって、大金持までが金をたんまりと持っていながら雇い人を解雇したり、人の作ったものを買わなくなったりします。
こうなると、経済界は不景気になって出した金がなかなか手許に帰って来なくなります。
すなわち心で思ったとおりになったのでありまして、実際の不景気が先に起こるのでなく心に起こった不景気が、つぎに形をあらわしたので、経済界も心のままになるのであります。
<つづく>
465
:
復興G
:2013/03/08(金) 16:12:31 ID:AB6RqYXc
テキスト 『生命の實相』 第2巻 第6章より<10>
現在社会問題として富の分配ということが問題となっているのは、富が一方に片寄っているからであります。
富がありすぎるところには山のように積まれているのに、無いところには今日のパンにもさしつかえる。これではいけないから富豪に対抗するためにプロレタリアが連合して、今日の経済制度というものをもっとよいものにしなければならぬという。
なるほどこれも一つの対症療法であります。
これは身体にたとえると、頭に血がのぼせているから頭を冷やせというのと同じであります。
しかし血を頭にのぼらせぬように根本からすれば冷やす必要はないのであります。
なぜあたまに血がのぼるかというと血の循環が悪く一箇所にたまっているからであります。一箇所に血がたまらぬようにすれば冷やす必要もない、そんな対症療法も必要でなくなるのであります。
経済界もこれと同じことでありまして、財を一箇所に停滞せしめないように根本からすれば問題はないのであります。
なんでも一箇所に「積む」ということはよろしくない。これを日本人は太古(むかし)はよく知っていた。だから古代日本人は「罪」を「積む」という言葉と同じ語源から作ったのであります。
ところがたぶん外国からでありましょう、「節約」という言葉が輸入されて来ました。これを日本語では「しまつ」といいます。「しまつ」というのは「しまる」ことすなわち「引きしめる」ことでありまして、出口をくくってしまうことであります。出口をくくってしまうから財が循環できなくなる。
循環しないで一少部分の人間のところに富が蓄積するから、ここに近代の資本主義経済組織ができあがったのであります。
マルクスは唯物史観を説きますが、「生長の家」は唯心史観であります。近代の経済組織は節約しなければ万一のために困ることが起こる、という人間の恐怖心が原動力となって築かれたと観るのであります。
この恐怖心がもとになって富が一部に蓄積され、有無相通ずる流通が完全に行なわれないために、貧富の懸隔がますますはげしくなり、資本家が無資産家を脅かすようになったのであります。
だから、この不完全な経済組織を改造するには、何も制度そのものに斧鉞を加えるにはおよばない。人間の心からこの恐怖心をとり去り、財をわれわれは蓄積しないでも、われわれの生活になくてならぬものは必ず神が与え給う――換言すれば無尽蔵の大生命から与えられる――という大信念を人間に与えるようにすればよいので、こうすれば財がある一箇所に片寄って有るという奇形な状態はなくなって、全体の人間に平等に富が循環するようになるというのであります。
本来、神につくられ、神に生かされ、無限供給の神と一体であるところの人間が、みすぼらしくもその日のパンに困ったり、職業が得られなかったり、免職される心配でふるえておらねばならなかったりするのは、実に不合理な話でありまして、どこかにきっとまちがいがあって、無限供給の配水管に栓がされているに相違ないのであります。
このまちがいさえ無くすれば人間は無限供給の泉にふれて、直接その無尽蔵の供給を受けることができるに違いないのであります。このまちがいというのがなんであるかといいますと、神の無限供給性を自覚しないことであります。
さきにもいいましたように、人間は本来貧しくあるようには造られていないのであります。ケチケチせねばならぬようには造られてはいないのであります。これが「生長の家」の信念であります。
みんな人間は無尽蔵に善いものが充ち満ちているエデンの楽園にすんでいるのでありますが、いろいろ受けるところに相異があるのは、心だけのものを受けるからであります。
心という器が小さければ少ししか盛ることができないのであります。心という器が大きい者は多くを得ることができるのです。聖書に「少なくもてる者はなおうばわれ、多くもてる者はなお与えらる」という言葉がありますが、この心の法則をいったものでありましょう。
だから心という器を大きくし、富想を持続するようにしさえすれば、われわれは欲する事物を自分のところへ呼び寄せることができるのであります。
心を大きくするには、神すなわち無限供給者、無限英知者、無限能力者、無限生命者と一体であるとの自覚を深めることにまさるものはありません。
かくして無限供給者なる神にわれわれが精神を集中するとき、同波長のものを呼び寄せる原理に従って、霊知的活動または霊知的微粒子体で互いに交流して、想念のうちに描いた富を実現することができるのであります。
466
:
復興G
:2013/03/08(金) 16:25:58 ID:AB6RqYXc
では、私一人で突っ走り過ぎてもいけませんので、少しお休みして、21:30からの誌友会開会、皆さまからのご投稿を待ちたいと思います。
今、日本は安部総理になってから「アベノミクス」と言われる経済政策で、株価は上がり、経済活性化のきざし、勢いが感じられます。そこには、上記聖典に見られる生長の家の経済学にも適った政策が見られるようにも思われます。そうしたことにまで言及した、活発なご発言を期待いたします。
一方、生長の家教団は衰退の坂道を転げ落ちつつあるようにも思われますが――。
467
:
トキ
:2013/03/08(金) 17:39:55 ID:tLXulRtI
復興G様、ご多忙の中、ご指導を賜り、ありがとうございます。
よろしくお願い申し上げます。
468
:
a hope
:2013/03/08(金) 20:30:28 ID:TqpbsVIM
復興Gさま
聖典の謹写をありがとうございます。
今回も、ご指導どうぞよろしくお願いいたします。
みなさま こんばんは
もう、1時間ほどで 第12回Web誌友会の開会となります。
テキスト部分の聖典を読まれて、心に残った所を紹介してくださるだけでもいいですし、
疑問に感じた所を質問してくださってもいいと思います。
生長の家の講師である復興Gさまや、トキさまがお返事くださいますので、
どうぞ気軽にご参加くださいね。
きっと、生長の家の大神様も谷口雅春先生も、その他の天界の講師の先生方もみな、
この誌友会を見守ってくださっているのではないかと感じます。
心を空っぽにして、「生命の實相哲学」をじっくりお勉強させていただきます。
みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。
469
:
トキ
:2013/03/08(金) 21:01:33 ID:tLXulRtI
よろしくお願いいたします。私は一求道者のつもりで、がんばります。
470
:
a hope
:2013/03/08(金) 21:02:41 ID:TqpbsVIM
第12回Web誌友会開会の時刻 が近づいてまいりましたので、「準備祈願」としての祈りの言葉を掲載させていただきます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
(準備祈願) 住吉大神様 住吉大神様 谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
住吉大神様、本日の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
今夜の生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
今夜の参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます
世界平和の祈り
神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。
光明思念の歌
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
471
:
a hope
:2013/03/08(金) 21:08:23 ID:TqpbsVIM
つづきまして、聖典『真理の吟唱』より「無限の富者(ふうじゃ)となる祈り」を謹写させていただきます。
「無限の富者となる祈り」
神は一切の本源者であり給う。
すべての存在と富とはことごとく神よりいでたるものである。
だから、神以外より発生したものは何物も存在しないのである。
人間は〝神の子〝として神の無限供給の後嗣者(こうししゃ)であるのである。
それゆえに、必要に応じて、必要なる事物の無限供給を受けることができるのである。
富とは決して貨幣だけの存在ではないのである。
人間にとってなくてはならぬ一切のものは、それが無形のものであろうと、
精神的な愛情の如きものであろうと、良き友であろうと、良き協力者であろうと、
良き同志であろうと、それらを有(も)つことは、すべて富を持つことなのである。
私は〝神の子〝であるから、毎日毎日、必要なる一切のものを富として与えられているのである。
それゆえに、私は今すでに無限の富者であるのである。
繁栄は〝神の子〝にとって当然の付随物であるのである。
決して私は貧しくなるなどということはないのである。
自分の事業は必ず栄え、計画は必ず図にあたるのである。
事に応じ、時に応じ、人に応じて、私は神に導かれて最も適切な処置をとることが出来るのである。
どんなに衰微せる事業でも、私はそれを生かすことができるのである。
なぜなら繁栄の叡智を神から私は与えられるからである。
その事業が時代に適さないものであれば、私はそれを適当な方向に転じて活かす事もできるのである。
神は神通自在であるから、決して旧態依然たる陋習(ろうしゅう)に甘んじている必要はないのである。
棄てるべきものは棄て、切るべきものは切り、生かすべきものは生かし、転ずべきものは転じ、
どんな万難をも切りひらいて行きづまることはないのである。
行き詰まったと見えるところに、新しく前よりも一層偉大なる使命を見出だすのである。
私は〝神の子〝であるから、全知全能にして無限供給にまします神の叡智と供給とに導かれ且つ満たされて、
如何なる不況期にも道を歩むのである。
〝神の子〝たる者は如何なるときにも蹉跌することはないのである。
蹉跌したと見えるとき、それは進歩の始まりであり、一層明るい世界への曲がり角であるのである。
それゆえに私は如何なる場合にも悒欝(ゆううつ)にとざされることなく、
また取越苦労することもなく、常に明るく勝利の大道を闊歩するのである。
今、私は神に導かれて、無限供給の真理の道を深く悟ったのであるから、
今後決して自己限定することはないのである。
神と私とを結ぶ供給の導管は広く開かれて、今滔々(とうとう)としていて無限の神の愛と智慧と生命と
良き協力者と必要なる資財とが私に流れ入りつつあるのである。
この真理を知らせ給いし神に深く感謝いたします。
感謝 合掌。
472
:
復興G
:2013/03/08(金) 21:37:46 ID:AB6RqYXc
a hope様、ありがとうございます。
皆さま、第12回web誌友会の開会です。
どうぞ、お気軽に何なりとお書き込みください。
473
:
復興G
:2013/03/08(金) 21:55:02 ID:AB6RqYXc
このweb誌友会を通しての大きなテーマは、「一人ひとりの法燈継承」ということでした。
安部総理の施政方針演説で冒頭に、次のように述べました。
≪「強い日本」。それを創るのは、他の誰でもありません。私たち自身です。
「一身独立して一国独立する」
私たち自身が、誰かに寄り掛かる心を捨て、それぞれの持ち場で、自ら運命を切りひらこうという意志を持たない限り、私たちの未来は開けません。
日本は、今、いくつもの難しい課題を抱えています。しかし、くじけてはいけない。諦めてはいけません。
私たち一人ひとりが、自ら立って前を向き、未来は明るいと信じて前進することが、私たちの次の、そのまた次の世代の日本人に立派な国、強い国を残す唯一の道であります。≫
万教帰一の神の国実現のために、縁あって生長の家の御教えに触れた私たち、一人一人が「一切者」の自覚に立ち、安部総理も言われるように、
「誰かに寄り掛かる心を捨て、自ら運命を切りひらこうという意志を持たない限り、私たちの未来は開けません」。
さあ、明るく、楽しく、真剣に、この最高の真理を学んでまいりましょう。
474
:
トキ
:2013/03/08(金) 22:01:35 ID:tLXulRtI
復興G様がかいてくださった聖典を拝読して、思い出したことがありました。
少し筋が違うかもしれませんが、失礼を承知でかかさせていただきます。
これは青年会時代のことですが、青年会の行事によく参加する学生さんが二人いました。
二人とも有名な大学に通っていたのですが、そのうち、一人は生長の家の真理に深く感銘を
受けて、活動をすることを決意し、役職も持たれ、熱心に活動をされました。もう一人の学生
さんは、「自分は学生ですから、今は勉強をします。活動は将来します。」といわれました。
二人とも優秀な学生さんでしたから、大学を卒業したら、一流企業に就職ができました。
就職のため、遠隔地に行かれたので、しばらくは様子が分かりませんでしたが、数年後、二人
に会えることができました。
熱心に活動をしていた学生さんは、活動で学んだ事を仕事でも生かし、バリバリ仕事をして成果を
あげたので、同期入社の中で最優秀との折り紙がつき、見る見るうちに出世していきました。
他方、活動をせずに、勉強ばかりしていた学生さんは、人間関係がうまく作れずに社外でも社内で
もうまくコミュニケーションが出来ず、「使えない奴」という評価を上司からもらってしまい、ついには
退職して別の会社に移った、という話を聞きました。
自分だけの幸せを願った者が、仕事で上手くいかず、かえって国家や他人の幸せを祈った人が
成功したのは、興味深いことだと思います。
475
:
復興G
:2013/03/08(金) 22:03:25 ID:AB6RqYXc
時間はたっぷりありますので、私は今夜はやすませて頂きます。皆さま、どうぞご自由にお書き込みください。明日またお目にかかります。
では、おやすみなさい。
476
:
a hope
:2013/03/08(金) 22:14:43 ID:TqpbsVIM
前夜祭において、
>>459
で復興Gさまが、
『私は、まずテキストp.168(
>>453
)の
≪本来の人間は「知恵」においても「富」においても「生命」においても本来無尽蔵です。それは水脈が神に通うているがために、必要に応じて汲めども汲めども水のつきぬ井戸のようなものでありますのに……≫
というところ、「人間はみな、本来(すでに)無限を内に蔵している」ということ。これが根本実相の真理であるということ。だから、常にその自覚を新たにする「神想観」が大切である、と改めて深く感じ入っています。
そして――』
とおっしゃっていますが、わたしはその文章の前の部分に赤線を引いてありました。
P168
≪人間は神の言いつけを守らなかった――すなわち神をうたがった、その時にすでに人間は本当の自己を見る目が曇ったのであります。自己の生命は神の生命と一体であるから、知恵の果実(このみ)などで不足を補わなくとも無限の英知を蔵しているのです。それだのに知恵の果実を食べてもっとよけいに賢くなろうとしました。この態度には人間が、自己に埋蔵(かく)されている無限の英知を信ずることができず、外からの物に頼ろうとした不信があらわれているのであります。この不信ほど人間本来無限の自己を小さく限ってしまうものはないのであります。
われわれに通じている無限供給の配水管に堰(せき)をしてしまうものは常にこの不信であります≫
普通の人間は、自分の生命が神の生命と一体である、なんてとても信じられなと思います。
だいたい、神すら信じていない人がほとんどなのではないでしょうか。
わたしも、ほんの少し前までそうでした。
ですが、「生長の家の教え」(聖典『生命の實相』)に出会い、運命がガラリと変わりました。
日常生活でどんなに嫌なことがあっても、「神想観」すると心が明るくなり、元気になります。
神と一つである自分の命を自覚するからではないかと感じています。
やはり、生長の家の信仰で一番大切なのは「神想観」なのではないかと個人的には感じています。
ところで、わたしも明日、仕事が早番なので、今夜はこれでお休みさせていただきます。
明日また参加させていただきます。
それでは、「生長の家」のみなさま、おやすみなさい。
477
:
トキ
:2013/03/08(金) 22:39:29 ID:tLXulRtI
上に書いたことは、別に、学業を放棄して活動をしろ、ということではありません。
しかし、机上の空論として生長の家の本を読むのと、実践を通じて生長の家の信仰
を自分のものにするのとでは、大きな差がある、ということだと思います。
この誌友会で学んだ事を、自分の生活や仕事にどう実践するか、それを考えな
がら、勉強することはとても大事だと思います。
しかし、そのためにも、まずは誌友会で、自分の信仰を体得したいと念じております。
皆様のご参加を心からお待ちしております。多様なご意見が、閲覧者様にも他の投稿者
様にも、そしてご自身の勉強にもなると思います。
感謝、合掌
478
:
a hope
:2013/03/09(土) 06:58:42 ID:TqpbsVIM
復興Gさま トキさま みなさま
おはようございます。
わたしは、朝日の中で神想観をするのが大好きです。
わたしの家のリビングには東向きの窓があってお天気がいいと、
そこから素晴らしい朝日や朝焼けが見られます。
今朝も素晴らしい素晴らしい神想観をすることができました!
午後は家のことがあるので、夜また参加させていただきます。
それでは、みなさま、どうぞなんでもご気軽に書きこんでくださいね。
479
:
トキ
:2013/03/09(土) 09:35:35 ID:jVhiANic
おはようございます。
世の中が最近、変化が大きいので、困惑している人も多いと思います。
私の学生時代の友人と同窓会で会うと、いわゆる一流企業に勤めている
人から、定年が55歳になり、その後は嘱託の扱いになるので、給料が
ぐんと減る、という話を聞くと、なるほど難しい時代になったなあ、と
感じることもあります。
しかし、その中でも、勉強をして、がんばっている人と意気消沈して
しまった人に分かれます。
思うのですが、今までは、会社に就職したら、従業員は会社に忠誠を
つくす代わりに、会社が従業員を守ってくれたみたいです。昭和の時代
はそうだったと思います。
しかし、今の時代は、そういう時代ではないと思います。一人ひとりが
しっかりと自己を確立する必要があると感じます。
そのためにも、復興G様が書かれたことを体得し、自分のものにすること
が必要だと思います。
480
:
「訊け」管理人
:2013/03/09(土) 10:26:09 ID:???
さて、今回のWEB誌友会ですが「経済問題」です。これがメインテーマなので一言(?)、体験談のようなものを開陳しようと思います。なお、この分野(経済問題)は私に於いては、日々切実に喫急の課題として浮上するものです。さらにはそれらを、もう、「奇蹟的に解決せしめた」という事例が多々、ございます。諸賢の信仰深化の一助となれば、幸いであります。
・・・・と云うことで以下、語ります。ですが、語りたいテーマが多岐に渡りそうです。ここは涙をのみつつも思い切って、話を三つに絞ろうと思います。本当はもう、多々語りたいのですが割愛し以下、本文にて語られる内容は、この三点だけとします。
∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴
○ 普段、聖典のどこを読んで「経済(経営)問題」に対処しているのか。
○ それでも不安になった際に、どう対処したのか。
○ 「富想強化」に於いて、特に感銘を受けた御文章(紹介)
∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴
(つづく)
481
:
「訊け」管理人
:2013/03/09(土) 10:27:12 ID:???
∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴
○ 普段、聖典のどこを読んで「経済(経営)問題」に対処しているのか。
∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴
・・・先ず普段、以下の行動を実行しております。それは、
・ 「日時計日記」ならびに「奇蹟の手帳」の記入
・ 「感銘を受けた御文章」の転写(手帳やブログへ)
・ 「祝福行」の実行
<「日時計日記」ならびに「奇蹟の手帳」の記入>
・・・これは効果絶大だと、思います。御教えの「信念化」に於いて「絶大だと思える」という、そんな意味になります。例えば「日時計日記」の方は文字にて、毎日を肯定して行けます。一見すれば「事業悪化」と思えた事象が実は、案外良い面を探してみると宝の山と見えてくるわけです。そんな視点を強化してくれます。(そして、そんな視点が強化されればこれ、「三界は唯心所現」でありますからそのまま、「良い」ことが起ってきます)
また、「奇蹟の手帳」も効果絶大です。
左頁に「希望すること」を書きそして、その願いが叶った際に感謝の言葉を(右頁)に記入するという、一見単純な手帳ですが、「効果絶大」だと思います。これを繰返しておくと後日、非常に役に立ちます。個人的にはたとえば、「リーマンショック頃」に希望した数々の文が掲載、されてあります。そして、その横にはその、「絶対に解決不能」と思われた問題が、解決された事例が掲載、されてあるわけです。
・・・・「事実」としてバシッと、信仰の機能性を確認できるわけです。これで「信念化」出来ずば、ウソと云うものでありましょう。私のような元無神論者すらが現在、信仰を信ずるのはこの故です。なにせ、この「奇蹟の手帳」には事実として「願いは叶う」点が、網羅されているのですから。(余談ですが、この手帳を製作された雅春先生は、「本当にスゴイ」と思ってます)
<「感銘を受けた御文章」の転写(手帳やブログへ)>
・・・・時間があれば私は、自分のブログを見ます。そして、そこに掲載されてある御文章で良化、されます。または、手帳にも記入(※1)してあります。
・・・・仕事をしておればどうしても、まあ、〝現象をアリと見てしまう〟ことは起こりがちです。が、ブログや手帳を読むことで直ぐに(とはイカヌが)、実相に眼を転じて業務に励むことが出来つつあります。(また余談ながら、復興G様ご言及の「ヘンリーフォードの到富法(※2)」 ――これも普段から「反復して」拝読しております。これは我々事業家にとっては、非常に感化力の高いものだと、思います)
<「祝福行」の実行>
・・・・これも、効果絶大です。吉田國太郎先生が「無限供給」に関して触れて(※3)おられます。ここにはある女性が登場するのですが、その方は悩みを持っておりました。どんな悩みかと申せば、「非常に信仰深いのに、なかなか良いことが起らない」という、そんな悩みなのでありました。
ではその女性は、いったいどんな風にこの問題 ―― 信仰深いのに成果が出ない ―― を、解決したのでしょうか。(興味ある方は註釈欄の※3をご拝読ください)ある気付きを得てこの女性は、無限供給の真髄を知ることと、なりました。(なお、祝福行のやり方に関しては
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65682788.html
をご参考ください)
(つづく)
482
:
「訊け」管理人
:2013/03/09(土) 10:29:22 ID:???
∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴
○ それでも不安になった際に、どう対処したのか。
∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴
・・・・とは申せやはり、不安感に襲われます。仕事に励んでいればどうしても「現象」ですが、これに瞞着されます。現象をアリと見ての対処に、「乗り出しがちになる」という意味であり結果、「ああ、不安」となるというそんな、意味です。
そんな際に、どうしたか?そして現在、どうしているか?どうすれば御教えがそのまま、現象界に現われるのか?・・・以下にて体験談風に、語ります。
・ 経済的「不足感」を肯定的に解釈する。
・ その他「自壊作用の概念」を、復習する
<経済的「不足感」を肯定的に解釈する>
・・・・これです。不足感を「肯定的に解釈する」わけです。これが出来れば大丈夫です。ところが・・・・・・まあ、「そうカンタンに、出來るか!」てなモンです(^^)。特に、支払手形の決済が二週間後などに迫っていて、そんな中で資金不足を「肯定的に解釈」など、出来るものでは、ありません。では、どうするか ――
・・・ある方より賜った『今を生きる』(※4服部仁郎先生著)、これに救われました。これを拝読し私は、この「不足感」を肯定的に解釈、できるようになりました。そして結果として、奇蹟的に問題が解決致しました。この、『今を生きる』にこんな趣旨の記述があります。たとえば、「経済的不足感」に関してですが、それは「¥がナイのでは〝ナイ〟」と。その、¥不足の状況だがそれは、「神様が一時的に¥を、預かってくれているんだ」と。「預かってくれているダケの話」なのだと。
さらにはそれ、「不足感だが、神の口座にはたっぷりある」と。「今、オマエに渡したら、身動きが取れなくなるだろ?」と。「身動き取れないくらいの膨大な¥を、そのままオマエに渡したら却って『不自由』だろ?」と。「そんな不自由は不完全だ。だから今、神が預かっているだけなのだ」と。・・・・(意味、伝わりますかねえ?)いやつまり、不足感ってのは実は、それ、そのものが「神の配慮なのだ」と・・・・(さらに意味、伝わりますかねえ?)とまあ、こんな御文章を読んでこの問題、解決させました。その他にも不足感を「肯定的に」解釈された御文章(※5)などを、読みました。
<その他「自壊作用の概念」を、復習する>
この概念を復習し、「信念化」することは大切だと思います。ちなみに、私のブログにはこの「自壊作用の概念」に関しカテゴリーを設けております。(
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/cat_50062395.html
)ご参照ください。そして、これを拝読されれば如何に困難な(五官的に)状況とは申せそれが、「実は神からの導きである」と肯定出来る様に、なると思います。
(つづく)
483
:
「訊け」管理人
:2013/03/09(土) 10:31:21 ID:???
∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴
○ 「富想強化」に於いて、特に感銘を受けた御文章(紹介)
∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴
最後ですが言うまでもなく、「聖典の反復拝読」は必須だと思います。そして以下、4つだけ紹介します。眼についた御文章を4つ、以下に拾いました。本当は多々ありますが消化不良となりましょう。ですので以下のみ、ご紹介します。なお、最初に出てくる徳久先生の御講話ですが、個人的にはこれが一番好きです。
「現象ってのは、どーにでもなるのよ」てな感じの、安心感を与えてくださるご講話です。先生のご指導を受けて「笑いが止まらない」くらいに儲かった事業家の話から開始、されます(^^)。まあ、格調高い御文章もよいですが、こういったご講話も案外、眞理理解には必要と考えます。繰り返しですが、非常に「安心を与えてくれる」ご講話です。
※ 「現象はどーーにでもなる」「心の現われにすぎない」「だから気にしなさんな」(徳久克己先生ご講話より)
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65663567.html
※ 「克てる」コトバ
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65637800.html
※ 「祈りとはお礼を言うこと」(藤原敏之先生御文章より)
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65701284.html
※「ただ彼の上に神の業の顕れんがためなり」(吉田國太郎先生御文章より)
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65676423.html
<了>
484
:
「訊け」管理人
:2013/03/09(土) 10:34:38 ID:???
<註>
>>481
※1 または、手帳にも記入
・・・どんな言葉かと申せばたとえば、
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
「吾が全ての願いは吾が中に宿り給う神が内よりもよおし給う願いである。されば吾
が願いは決して成就しない事はないのである。」(『光明法語』43頁より謹写)
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
「今、我が陥れる状態は、真に我が求むる本当に善きものの来る前提として、神から
与えられている過程である。遠からず、自分はこの状態を通過して、我が真に求むる善
き状態に入るのである。
神は全能の力をもってかくなさしめ給うたのであるから、疑うことも心配することも要ら
ないのである。」(『生命の實相』第8巻172頁より謹写)
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
>>481
※2 ヘンリーフォードの到富法
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65711429.html
>>481
※3 吉田國太郎先生が「無限供給」に関して触れて
○「与える」ということ ―― 無限供給の原理(吉田國太郎先生御文章より)
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65663777.html
>>482
※4 『今を生きる』服部仁郎
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65606899.html
>>482
※5 不安こそ、神の導きである(『生命の實相』33巻「随喜篇」より)
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65685050.html
485
:
トキ
:2013/03/09(土) 10:41:00 ID:jVhiANic
「訊け」管理人 様、素晴らしいご投稿、ありがとうございます。
今、バタバタしているので、後ほど、投稿します。
486
:
閲覧者
:2013/03/09(土) 11:09:53 ID:K1z2sIRU
さすが訊け様、わかりやすいご文章をありがとうございます。
ご自分の体験がおありになるので、説得力がありますね。
奇蹟の手帳、非常に興味を持ちました。
欲しいのですぐ検索したのですが、現在品切れのようです。
487
:
うのはな
:2013/03/09(土) 12:10:01 ID:5yDWwcHo
本部のある偉いさんとお話ししていた時、練成講話など担当するとき、
●●講師がこういうテーマの担当をしているので、自分は知識があっても、
彼の邪魔にならないように、こういう話は控えるようにしているといって、
個人雑談として、ある教義の一端をお話しして下さったことがあります。
上で、自分の体験談を延々とやったり、徳久先生の講話をしている方がいますが、
復興G様が御多忙の中謹写してくださったテキストの影がうすくなっていくようです。
以前、誌友会でベテラン信徒さんから、参考テキストが多くて混乱したような意見がありました。
御注意のほどをお願いします。
拝。
488
:
復興G
:2013/03/09(土) 13:43:34 ID:AB6RqYXc
ありがとうございます。
この掲示板をご覧になっている方には、自分の経済問題を解決したいために見ているという方はほとんどいらっしゃらないと思います。
日本の行方や、生長の家教団の行方について深い関心を持ち、心配していらっしゃる方が多いのではないでしょうか。
私は、そのように拝察しています。
それで、お伺いしますが――
今、生長の家教団の聖使命会員数・会費納入率、組織会員数、講習会受講者数等がどんどん落ち込んで、教勢は縮小しつつあるようです。
それについて、今回のテキスト『生命の實相』第2巻第6章「経済問題の解決」を拝読して、どう考えられますか?
生長の家教団および関係団体の経済問題から見た行方について、皆さまはどう思われますか?
また、日本経済の行方についてはどうでしょうか。
大きい問題になりますが……。
489
:
トキ
:2013/03/09(土) 17:49:04 ID:jVhiANic
組織の問題ですね。難しい問題です。以前、沖縄決戦という本を読んでいました。戦争中、沖縄守備隊の
司令部の高級参謀だった方の回顧録です。興味深かったのは、司令部の中でも、はっきりと「はやく和平
を結ぶべきだ」という会話が普通に交わされていた事実です。戦争に勝つ見込みがない以上、無駄な争い
はやめて、交渉での解決をはかるべきだ、ということです。
つまり、現場の立場から見たら、無駄なことはしたくない、ということなのでしょう。
現在の組織の衰退は、ひとつには、聖典をめぐる裁判が原因にあり、次に本部のおかしな組織指導、信仰
指導にあります。
まず、聖典の裁判については、「沖縄決戦」の話ではないですが、もう勝ち目もない以上、早く「和解」をする
べきです。教団に在籍している人間から見ても、いったい、何のために争っているのかも理解ができない状態
になっています。
次に、本部の組織指導、信仰指導ですが、問題はこちらのほうが深刻だと思います。総裁、あるいは本部にも
何からの意図や目的があったとは思うのですが、現場から見たら、机上の空論であり、また大風呂敷としか思え
ない、理解に苦しむ組織指導が続きました。現場から見たら、数字が落ちているといわれても、当然だし、何も
疑問を感じない、というのが正直な感想です。今の本部の組織指導には魅力を感じないし、機関誌を封も切らずに
ゴミ箱に捨てている、という人は私の周囲にも存在します。魅力のない運動がのびるはずがないです。
それで、思い出したのですが、一昨年でしたか、幹部研鑽会で、総裁が、クレジットカード会社の「買い物は世界を
救う」というキャッチコピーを批判されていました。高橋是清の論文を引用した、消費のすすめです。それを総裁は、
浪費の勧めだ、ということで否定されていました。
でも、それを聞いた人からは、感激をした、という声は私の知る限り、ありませんでした。
(つづく)
490
:
a hope
:2013/03/09(土) 17:49:49 ID:TqpbsVIM
みなさま こんばんは
夕食前なのですが、少し時間が出来たので書きこみます。
「訊け」管理人さま
誌友会にご参加くださりありがとうございます。
また、うのはなさまも訊け管理人さまへのアドバイスをしてくださっているようですが、
ご参加(?)ありがとうございます。
確かに「訊け」管理人さまのご発言は、テキストの内容とは少しずれているかもしれません。
でも、わたしはその内容に救われる方は、少なくないのではないかと感じています。
わたし自身とてもお勉強になる内容でした。
ありがとうございます。
でも、復興Gさまのおっしゃるように、ここの掲示板の名前は「生長の家「本流復活」について考えるですから、
この掲示板をご覧の方の興味は、「生長の家の行方」の方にあるのかもしれません。
今回、わたしは書き込みを「生命の實相」の内容からそれないようにしよう。
と心に決めていましたが、正直に言えば、わたしは、「生命の實相」を深く拝読すればするほど、
「雅宣先生の教え」に違和感を覚えます。
みなさんは、そんなことはありませんか?
491
:
うのはな
:2013/03/09(土) 18:00:50 ID:9aAHJcF.
> a hope 様へ
わたしはいつものように今晩から仕事に入るし、いつものように外野席からの
観覧です。今回の誌友会では志恩さまがお休みされ、以前は他の女性参加者が訊け氏の
話を聞いて、参加するのを自主規制されました。他の女性参加者の何人かも訊け氏から
虚無感をあたえられ、去っています。
最近、訊け氏は別のところで女性投稿が目立つ掲示板はよくないだとか発言していますし、
せっかく穏やかな空気の中、始まった誌友会を彼の会場にしてほしくないなと思って
ひとこと意見させてもらいました。余計なことをしてしまったようです。
今後、ここに出てきませんから、いつものように有意義な誌友会にされますように。
拝。
492
:
トキ
:2013/03/09(土) 18:24:55 ID:jVhiANic
>>490
個人的な感想ですが、谷口雅宣先生は、ご自身では、谷口雅春先生の教えを
正確に理解し、それを現代的に発展させていると思っているようです。ただ、
問題は、ご本人と少数の側近を除けば、そう思っていない人のほうが大半なの
です。
今の総裁が、お若い頃に理想世界に書かれたご文章などを拝読すると、
谷口雅宣先生は、結構、独自の思考パターンを持っている方だという感想が
あります。個人的には面白い方だし、好きな人ですが、総裁という公人の
立場では、あの発想をそのまま組織指導や信仰指導に持ち込むと、とんでも
ない話になると思います。
本流復活派は、教団の巨額の金があるから、まだもっている、という言い方
をしていますが、私は、金よりも、谷口雅春先生、谷口清超先生の「お徳」が
まだ残っているので、何とかもっている、という考え方をしています。しかし、
今のままだと、もう時間はないでしょう。
谷口雅宣先生が、谷口雅春先生の教えを性格に継承しようと思っておられるの
か、どうかはここでは議論はしません。が、結果として、今日、混乱が生じてい
る原因のうち、ある部分は総裁や本部に責任があるのは確かです。信徒がもとめ
るのは、あくまでも谷口雅春先生の説かれた真理です。教団上層部もその点を
認めて、対立者との話し合いを始めると共に、軌道の修正をはかることが大事だと思います。
493
:
復興G
:2013/03/09(土) 18:32:09 ID:AB6RqYXc
>>489
:トキ様。
ありがとうございます。
今回のテキスト・テーマは、「経済問題の解決」ですが、これに関しては、『生命の實相』第8巻第5章が「無限供給を受ける道」と題されていて、詳細に「富」の問題について説かれていますね。
「富」とは何であるかというと、それは「人のためになる働き」であり、「愛と智慧と生命の結晶」である。
生長の家教団が経済的に下降線をたどっているならば、それは今、人のために愛と智慧と生命を与えていない結果であるということになるのでしょうね。
第8巻123頁には、
≪無限供給を受けるためにはまず「争い奪う心」を止めよ≫
という小見出しで、
≪こう申しましても、わたしは決して浪費を勧めるのではありません。人間に必要なる供給は、神から来るのでありますから、無限の供給を得るには、ただ「浪費する」という意味での「使う」だけでは駄目で、神の心に波長を合わせなければならないのであります。神の供給は、人のためになるように与えられるのでありますから、われわれは神の心の波長に合うようにするには、人のためになるように与える心を起こしてこそ、また自分も豊富に与えられるようになるのであります。争う心を起こして奪い合いをしているようなことでは、緒局生産資源が枯渇してしまって供給が減少してしまうのであります。奪えばふえるだろうと思って争ってみた結果は、かえって自分の供給が減ってしまうのは、一杯のコップの水でも、二人の者が互いに奪い合いをするとその水がこぼれてしまって、二人ともその水を飲むことができない、おまけに争った結果、たくさん汗が出てますます体の水分は枯渇して咽喉がかわいてしまうのであります。
この一杯の水でも、「まあ君、君の方から飲み給え」というようにして半分ずつわけ合って、それを飲んで二人とも元気が出て、どこか谷川に水でもなかろうかと、二人仲よく水を探しにまいりますと、そこに滾々と湧き出でている清水を見いだすことができるようなものであります。≫
とあります。
争っていては、衰退しかありえないでしょう。
494
:
復興G
:2013/03/09(土) 18:44:11 ID:AB6RqYXc
>>490
:a hope様。
>>正直に言えば、わたしは、「生命の實相」を深く拝読すればするほど、「雅宣先生の教え」に違和感を覚えます。
みなさんは、そんなことはありませんか?<<
――そんなこと、あるでしょうね。
雅宣総裁は、「人間至上主義ではいけない」みたいなことをおっしゃってます。しかし、それは地球上の害獣みたいな、本来ない肉体人間のことであって、生長の家の教えは本来、「神の子人間・至上主義」ではありませんか。
「至上者の自覚の神示」には、「神なる人間」の自覚を弘めることが生長の家の使命であると記されています。
○
至上者の自覚の神示
人即ち神であると言う真理を知らぬ者が多いのは気の毒である。『生長の家』が此世に出現したのはすべての人々に此の至上の真理を知らさんが為である。自己が神だと悟ったら人間が傲慢になるように誤解したり、自己の本性が神だと悟った者を謙遜が足りぬと思う者は大変な思い違いである。斯くの如き想像をする者は自己が神だと言う真理をまだ一度も悟って見たことがないからである。自己が神だと悟れたら人間は本当に謙遜になれるのである。キリストが弟子の足を洗うことが出来たのも、自己が神だと悟っていたからである。
本当の謙遜は『神の自覚』から来る。神を自己の本性に自覚しないものは、いくら謙遜らしく見えても、それは卑屈にすぎない。卑屈と謙遜とを思い誤るな。本当の謙遜とは『自己は神より出でた神の子である、従って神そのもののほか何者でもない』と言う真理を何らの抗(さか)らいもなしに承認することである。此の真理を承認するものを謙遜と言い柔和と言う。此の真理に逆う者を傲慢と言うのである。すべての傲慢と意地張りとは『吾れ神なり』の真理を承認しないところの根本傲慢より分化し来るのである。……(中略)……
……人間よ、人間自身の尊厳を自覚せよ、これを自覚することは人間自身の尊厳を奪還することである。『生長の家』は人間自身の尊厳を奪還せんがために出現した人生の燈台である。
(昭和八年三月十六日神示)
○
――この、神なる人間至上主義を復活しなければならないと思います。
495
:
復興G
:2013/03/09(土) 19:17:17 ID:AB6RqYXc
谷口雅春先生は、青年よ、「人間復興の選士たれ」と叫ばれました。
○
悠久・雄大永遠なる自己を自覚せよ
(『第二青年の書』より)
悠久にして雄大なる存在よ。それがあなたの実相だ。理想は上空にかかる雲ではない。理想はあなた自身の内部にある実相である。永遠なるもの、久遠なるもの、不滅なるもの、神なるものが、あなたの内部に宿っていて、それが、時々刻々無限の時間を通して顕現しようとしているのであるから、現象的に見れば理想は無限の彼方にあり、徐々に達し得るところの希望にすぎないと見えるであろうけれども、映画の画面が銀幕の上で徐々に展開するかのように見えながら、それは既に一巻の巻き収められたるフィルムの中に完成したものであるのと同じように、あなた自身のうちに、既に永遠なるもの、滅びざるもの、完全なるもの、既に完成せる理想が宿っているのである。
あなたは目標を間違えてはならない。外界に引きずり廻されてはならない。外界の現象はただ映画のように内界の影にすぎないのである。深く深く内を観よ。あなたは既に完全なのである。あなたは愛深いものである。あなたは利己的存在ではない。あなたは神の最高の自己実現である。
それがあなたの実相である。実相を現象の彼方に投映して考えるとき、それが「理想」として実現の目標として、遠くに懸っている雲のように見えるにすぎないが、それは、あなたの内に既に完成している――それをまず自覚しなければならない。
人間復興の選士たれ
現代の多くの人々は、自分の内にやどる永遠なる存在、実相、理想――久遠なるもの、悠久なるもの、真に美しきものを見失って、肉体的なるもの、物質的なるもの、須叟にして消えるものを追求している。彼らは本当の悦楽というものを知らないのだ。(中略)青年よ、せめて諸君は、真の人間復興の選士として、人間の内にやどる理想であり「実相」であるものを傷つけることなく、勇敢に、たくましく、肉体や物質の誘惑に対して闘い勝って、「人類よ、本当の幸福は此処にあるぞ」と、迷える人類に対して、真の幸福への道を、真の歓喜への道を指し示してくれなければならないのである。
人間復興――何という素晴らしい諸君の使命であろう。いかに堕落しているように見えても真の人間は傷つけられてはいないのだ、なぜなら真の人間は霊であるからだ。真の人間は霊であるから傷つけられはしない。併し、気の毒にもその霊なる完全なる人間は、不幸にも、人類の長くそして執拗なる唯物論的迷妄によって蔽い隠されて、その殆ど全てがあらわれていないのである。青年よ、諸君が人類の先頭に立って、この蔽いを取除く役目をしないで、誰がそれを為し得るか。諸君は若いのだ。新鮮なのだ。まだ塵埃に蔽われていないのだ。古き執拗なる蔽いを取り除いて、人類の真の実相をあらわし、真の魂の悦びを知らしてやるのは、諸君を除いてほかにはないのだ。
人間の実相は完全なるかな。魂の蔽いを除(と)れ。そして人間の実相を直視するのだ。まず自分の完全さを凝視するのだ。その凝視からあなたの完全な実相があらわれる。これが神想観である。神想観によって自己内在の完全な実相をあらわすことがまず第一だ。「観る」ことは「つくる」ことであり、「あらわす」ことである。常に神想観によって自己の霊なる悠久にして雄大、完全にして円満なる実相を見よ、併してそれを顕現せよ。同時にすべての隣人に対して、その真理を教えよ。それが真の愛行である。観と愛行と、車の両輪の如く、それが打ち揃って覚行円満なる菩薩となることを得るのである。青年よ、あなたは菩薩中の菩薩である。
以上、(『第二青年の書』より 谷口雅春先生)
496
:
a hope
:2013/03/09(土) 19:26:49 ID:TqpbsVIM
>>486
閲覧者さま
投稿ありがとうございます。
「訊け」さまとうのはなさまに気をとられ、閲覧者さまのご参加を見過ごしてしまいました。
本当ですね。
「訊け」管理人さまは、いつも冗談ばかりを言われているようなお方ですが、
お若いのに会社を経営されていて経営のご苦労もされています。
たしか、自殺まで考えていた時に、聖典「生命の實相」を読まれて救われたお方ですから、
「生長の家」や谷口雅春先生への思いは人一倍強いお方だとわたしも感じています。
497
:
a hope
:2013/03/09(土) 19:34:22 ID:TqpbsVIM
>>419
うのはなさま
気を使っていただきありがとうございます。
>>今後、ここに出てきませんから、
いつものように有意義な誌友会にされますように。<<
そんなことを言わずに、うのはなさまも今回のweb誌友会の内容に思うことがあったら、
をどんどん発言なさってくださいね。
498
:
復興G
:2013/03/09(土) 19:38:46 ID:AB6RqYXc
雅宣総裁は、4月号の機関誌『生長の家』で、「運動の変化について(2)」と題し、次のように書かれています。
……第二次世界大戦以降の人類の歩みを大づかみに眺めてみよう。……この大戦が、広島、長崎への原爆投下によって終結したという事実は、きわめて象徴的だ。そこから、人間の自然破壊が本格化したからである。当時の人類にとって、自然界は、そして地球は、無限の資源とエネルギーに溢れ、どんな大規模な人間の活動によっても破壊されず、かえって人間を束縛し、人間から奪い、人間の脅威として対峙する存在だった。……“人口爆発”とも呼ばれる人類の急激な増加と、その生活と経済活動による“公害”の頻発と自然破壊、とりわけ温室効果ガスの大気圏への大量排出によって、地球環境は恒久的に変化していくことが、夥しい数の科学的研究と実証データーの蓄積によって明らかになってきたのである。……
(以上、一部抜粋)
――上記でも、総裁の視点は「人間=地球上の害獣、つまり罪の子・肉体人間」なのですね。
本来の「神の子人間」を復興しよう、という明るい呼びかけがなされたら、信徒はもっともっと燃えるのでしょうが。
本来の生長の家が消えてしまっているように思われます。これでは、信徒が激減するのもやむを得ないでしょう。
「汝ら、罪の子人間よ、地球上の害獣よ」と責められているようなものですから。
虚説は排撃して、「神の子・人間至上主義」の真説を高く掲げましょう。結果は同じでも、その過程が大切です。
499
:
トキ
:2013/03/09(土) 19:45:15 ID:jVhiANic
>>489
から続きます。
確かに、谷口雅春先生は、ご自身ではかなり質素な生活をされていたとも
聞いています。その姿勢から考えると、浪費をすることは、生長の家の信徒
の態度ではないのは確かです。
しかし、あの講演がなされた時期を考えると、総裁が支持された民主党政権
の経済運営の失敗で、株は下がる、景気は悪い、自殺者は3万人を超している
という状態でした。バブルの時期ならともかく、そんな時期に聞く人から元気や希望
を奪うような話をするのは、忙しい中、遠方から行事に参加した人に対して、
失礼としかいいようがない話です。一般論ですが、総裁、あるいは本部の失敗の
多くは、確かに理論的には説明はできるが、いわゆる「人 時 処」の三相応に欠ける
ものだと思います。私は、総裁ご本人の責任もあるが、側近に人を得ないことが原因
のある部分を占めていると思います。
谷口雅宣先生は、教団の機関誌や「聖使命」新聞などを読むと、聖人君子のような
描かれ方をされるが、本流掲示板を見ると、鬼か悪魔のような描写をされること(と、いう
よりは、某掲示板の場合、それ以外の投稿をすると、アクセス禁止になってしまいます
が)が多いです。が、だいたいの場合、普通に考えて、長所もあれば、短所もあるのが普通
で、どちらも正しく、どちらも間違っているというのが私の考えです。ただ、今は、総裁の性格
が否定的な方向に作用してしまい、こういう混乱に至っていると思っています。客観的に
見れば、総裁も優れた感性や尊敬すべき点もあるのですから、よい側近をつけて、
短所を補い、長所を伸ばす体制を作ればよいのに、と思います。
かって本田技研の本田宗一郎は、社長でしたが、自分には経営の才能が
ないと公言し、実務の全てを専務の藤沢武夫に任せていました。反して、今の教団で
は、総裁の側近にそういう側近が居ないことが原因のひとつだと思います。せめて、
谷口貴康先生などのご兄弟姉妹がアドバイザーとして存在すれば、ここまで事態は
こじれなかったと惜しまれます。
どうも、本題と関係のない話を書いてしまい、どうもすみませんでした。
500
:
あさひ
:2013/03/09(土) 19:52:05 ID:/3nxKE2Q
復興G様
>雅宣総裁は、「人間至上主義ではいけない」みたいなことをおっしゃってます。しかし、それは地球上の害獣みたいな、本来ない肉体人間のことであって、生長の家の教えは本来、「神の子人間・至上主義」ではありませんか。<
私もそう思います。
至上者の自覚の神示の
>人即ち神であると言う真理を知らぬ者が多いのは気の毒である。『生長の家』が此世に出現したのはすべての人々に此の至上の真理を知らさんが為である。<
この自覚を深めたいものです。
しっかり拝読させて頂きます。 合掌
501
:
a hope
:2013/03/09(土) 19:59:04 ID:TqpbsVIM
こちらをご覧のみなさま
今までこの掲示板には、素晴らしい「生長の家」の先輩方が沢山投稿されています。
お名前を挙げさせていただくこともできますが、見落としがあるといけないので省略させていただきまが、
今回のテキストの内容は先輩方みなさまで、現教団の衰退を検証していただくのには、
ぴったりの内容であるとわたしは感じています。
そして、わたし自身は現在、復興Gさまやトキさまのおっしゃることに深く同意しています。
先輩方、明るい「生長の家」の未来のために、どうぞ積極的なご参加をよろしくお願いいたします。
502
:
a hope
:2013/03/09(土) 20:02:32 ID:TqpbsVIM
>>501
訂正
現教団の衰退を検証していただくのには、⇒現教団の衰退の原因を検証していただくのには、
503
:
トキ
:2013/03/09(土) 20:03:27 ID:jVhiANic
>>493
復興G様
的確なご指導に深く感謝申し上げます。復興G様のご文章を拝読しない
で続きを書いたので、どうも失礼をしました。
生命の実相第8巻「観行篇」の頭注版p123には「無限供給を受けるために
は、まず、「争い奪う心」を止めよ」とあります。愚見を述べる代わりに
聖典を謹写させていただきます。
-------------------------------------------------------------------
人間に必要なる供給は、神から来たまうのでありますから、無限の供給
を得るには、ただ「浪費する」という意味での「使う」だけでは駄目で、
神の心に波長を合わせなければならないのであります。神の波長に合う
ようにするには、人のためになるように与えられるのでありますから、
われわれは神の心の波長に合うようにするには、人のためになるように
与える心を起こしてこそ、また自分も豊富に与えるようになるのであ
ります。
争う心を起こして奪い合いをしているようなことでは、結局、生産
資源が枯渇してしまって供給が減少してしまうのであります。奪えば
ふえるだろうと思って争ってみた結果は、かえって自分の供給が減って
しまうのは、一杯のコップの水でも、二人の者が互いに奪い合いをする
とその水がこぼれてしまって、二人ともその水を飲むことができない
、おまけに争った結果、たくさん汗が出てますます体の水分は枯渇
して咽喉がかわいてしまうのであります。
この一杯の水でも「まあ、君、君のほうから飲み給え」というよう
にして半分ずつわけ合って、それを飲んで二人とも元気が出て、
どこか谷川でもなかろうかと、二人仲良く水を探しに参ります
と、そこに滾滾と湧き出でている清水を見出すことができるような
ものであります。
---------------------------------------------------------------------
504
:
復興G
:2013/03/09(土) 20:05:34 ID:AB6RqYXc
>>500
:あさひ様。
ありがとうございます。
至上者の自覚の神示の
>人即ち神であると言う真理を知らぬ者が多いのは気の毒である。『生長の家』が此世に出現したのはすべての人々に此の至上の真理を知らさんが為である。<
これは、身震いするほどのすごい、ありがたいことですね。
≪本当の謙遜とは『自己は神より出でた神の子である、従って神そのもののほか何者でもない』と言う真理を何らの抗(さか)らいもなしに承認することである。此の真理を承認するものを謙遜と言い柔和と言う。此の真理に逆う者を傲慢と言うのである。すべての傲慢と意地張りとは『吾れ神なり』の真理を承認しないところの根本傲慢より分化し来るのである。≫
私も、常にこの「謙遜」の自覚を深め、肝に銘じて、愛行に励みたいと思います。
ありがとうございます。
505
:
a hope
:2013/03/09(土) 20:10:20 ID:TqpbsVIM
>>あさひさま
お久しぶりです。
今回も、web誌友会にご参加くださりとてもうれしいです。
あさひさまのお名前を拝見すると、夜でも「朝日」を浴びたようなすがすがし気持ちになります。
引き続きのご参加、どうぞよろしくお願いいたします。
506
:
トキ
:2013/03/09(土) 21:44:30 ID:jVhiANic
あさひ様
ご参加、ありがとございます。素晴らしいご意見を拝聴し、感謝申し上げます。
皆様もどんどんご投稿をお願いいたします。
感謝、合掌
507
:
a hope
:2013/03/09(土) 22:07:52 ID:TqpbsVIM
.
>>498
復興Gさま
<<雅宣総裁は、4月号の機関誌『生長の家』で、「運動の変化について(2)」と題し、次のように書かれています。
……第二次世界大戦以降の人類の歩みを大づかみに眺めてみよう。……この大戦が、広島、長崎への原爆投下によって終結したという事実は、きわめて象徴的だ。そこから、人間の自然破壊が本格化したからである。当時の人類にとって、自然界は、そして地球は、無限の資源とエネルギーに溢れ、どんな大規模な人間の活動によっても破壊されず、かえって人間を束縛し、人間から奪い、人間の脅威として対峙する存在だった。……“人口爆発”とも呼ばれる人類の急激な増加と、その生活と経済活動による“公害”の頻発と自然破壊、とりわけ温室効果ガスの大気圏への大量排出によって、地球環境は恒久的に変化していくことが、夥しい数の科学的研究と実証データーの蓄積によって明らかになってきたのである。……
(以上、一部抜粋)
――上記でも、総裁の視点は「人間=地球上の害獣、つまり罪の子・肉体人間」なのですね。
本来の「神の子人間」を復興しよう、という明るい呼びかけがなされたら、信徒はもっともっと燃えるのでしょうが。
本来の生長の家が消えてしまっているように思われます。これでは、信徒が激減するのもやむを得ないでしょう。
「汝ら、罪の子人間よ、地球上の害獣よ」と責められているようなものですから。
虚説は排撃して、「神の子・人間至上主義」の真説を高く掲げましょう。結果は同じでも、その過程が大切です。 >>
わたしも、前回のweb誌友会
>>380
で、
<<わたしは、雅宣先生のお心、考え方が、二元論ではないかと思っているだけです。
つまり、人間は神の子だけれども、現象世界では罪を犯している。
そう考えられているのではないかと感じているのです。
例えば、現教団が、
〝『人間は神の子である』だから、
自然破壊などという愚かな行為は決して犯さないのである。
神の子の自覚をもって、自然を大切にしていこう!〝
このようなスローガンの下で、環境保護運動をされるのであれば、
わたしは喜んでその運動に参加させていただきます。 >>
と発言させていただきました。
復興Gさまやトキさまは、雅宣先生が東日本大震災の後に書かれた「自然と人間の大調和を観ずる祈り」をご存知ですか?
まるで、上で復興Gさまが紹介してくださった雅宣先生の文章がそのまま祈りになったような感じがして、
わたしは読んでいて、とても気持ち悪くなります。
その原因が、やはり、復興Gさまがおっしゃるように、「汝ら、罪の子人間よ、地球上の害獣よ」という心で作られた祈りの言葉だからと感じています。
508
:
a hope
:2013/03/09(土) 22:25:08 ID:TqpbsVIM
わたしは、今夜はこれでおやすみさせていただきますね。
また、明日また参加します。
それでは「生長の家」のみなさま、おやすみなさい。
509
:
復興G
:2013/03/10(日) 06:18:37 ID:AB6RqYXc
a hope様。
昨夜はわたし、ちょっと疲れて早く寝てしまいました。
ごめんなさい。
>>507
、
>>508
しっかり読ませてもらいましたよ。
私たちは、神の子だ。
一切者だ。
神だ。
宇宙の創り主だ。
神は、すべてのものを己れ自身と見給う。
だから私たちは、すべてのものを己れ自身と見る。
ああ、ありがたきかな。
* * * * *
神よ、荘厳にして美しき緑なす丘、
透きとおる蒼空(あおぞら)に漂う白き雲、
山々の樹々に囀(さえず)る小鳥の歌、
清冽(せいれつ)なる渓流に泳ぐ金鱗銀鱗(きんりんぎんりん)、
万物はあなたの影を宿して生き生きと輝いています。
あなたの輝きをもて人類の心を照らしたまえ。
すべての人類が争うことなく
唯一つの神の生命の岐(わか)れなることを自覚し
互いに手をつないで
み心が既に“実相の世界”に成るが如く
現象の世界にも、至福平和の世界が実現いたしますように、あなたの無限の愛をわれにそそぎ給え。
510
:
復興G
:2013/03/10(日) 06:36:40 ID:AB6RqYXc
「神の子・人間至上主義」復興のために、「本来生、不滅の神示」を掲げさせていただきましょう。
* * * * *
本来生、不滅の神示
物質の束縛に縛られざるものを人間と言うのである。真の人間は『神の子』であって物質ではなく、肉体ではない。肉体ではないから物質の世界に出入(しゅつにゅう)する事もない。物質の世界に出入する事がないから物質の世界より見れば人間は不生(ふしょう)である。不生であるから滅することも亦ないのである。
物質界は念に従って生ずる念の映像なるが故に、従ってまた滅すれども、『人間』は本来物質界に生ぜざるを以て又滅すると言う事もない。人間は本来『生(しょう)』である。『滅』に対する『生』ではなく本来『生』であるから、老なく、病なく、死なく、破壊がないのである。
老とは『生』の衰耄(すいもう)を言えども、人間は本来『生』であるから衰耄せず老朽しないのである。衰耄は『生』に非ず、人間に非ず。衰耄なきを『人間』と言い、老朽せざるを『人間』と言う。病なきを『人間』と言い、死なきを『人間』と言う。
釈迦は『人間』の生老病死の四苦を見て出家したと言えども、釈迦はそのときまだ『人間』を見ていたのではない。念の影を見て『人間』と思い違いしていたに過ぎない。釈迦が此の世を見て無常と観じたのも『真の人間』の世を観たのではない。それは無明の投影の世を観て無常としたのである。
真の人間は無常の中にあらず、肉体の中にあらず、人間は永遠不死、金剛身、実相身、清浄身である。人間は神の子なるが故に本来『浄(じょう)』にして不浄ではない。
人間を指して不生不滅不垢不浄(ふしょうふめつふくふじょう)と言うのは真相ではない。般若(はんにゃ)の思想は無常想から実有(じつう)想に到る過渡的思想であるから、不生不滅不垢不浄を説きたれどもこれは物質に譬喩しての方便説である。
人間は不生不滅ではなく、本来生にして不滅がその実相である。また人間は不垢不浄ではなく真清浄真無垢がその実相である。本来生、不滅、本来清浄真無垢なる人間の実相を知ったとき汝らは歓びに満されて手の舞い足の踏む所を知らないであろう。
(昭和七年十一月二十五日神示)
511
:
あさひ
:2013/03/10(日) 07:08:05 ID:/3nxKE2Q
> 人間は不生不滅ではなく、本来生にして不滅がその実相である。また人間は不垢不浄ではなく真清浄真無垢がその実相である。本来生、不滅、本来清浄真無垢なる人間の実相を知ったとき汝らは歓びに満されて手の舞い足の踏む所を知らないであろう。<
実相はそうである。現象はない。しかし、目の前にある認知症の老人に対してどう対応すればよいのだろうか。
現象処理との問題、例えば人間の栄養摂取などもある程度現象処理的に考えねばならない。
実相独在とのバランス感覚が必要ですが、そのあたりの問題があります。
神の子人間が実は現実遊離の統合失調型になっていたのでは困ります。このあたりをお教えください。
512
:
rei
:2013/03/10(日) 07:37:46 ID:bo95azFI
おはようございます。
復興Gさま
いつもありがとうございます。
生長の家で繁栄の法則を教えられていながら、何故、教勢が落ちていくのか
不思議でならなかったです。
また、やってもやっても自分が真に明るくなれないのはどうしてだろうと、
読み方が足りないのか、伝道が足りないのか、といつも自分をせめていました。
わたしはまじめな信徒だったので、生長の家から発行されるものを無批判に全部読んでいました。
雅春先生の教えと雅宣総裁の教えと区別がつかなかったのです。
雅宣総裁のお話を聞くと、人間は少ない方が地球環境の為に良いのじゃないのと
いつも思えて来てしまうのを変だなあと考えておりました。
人間は素晴らしいんですよね。
私は神の子なんですよね。
わたしの本体は神そのもので、真清浄真無垢なる素晴らしい存在だったんですね。
先回の誌友会にてご指導いただいた時にはっきりわかりました。
茶茶を入れる様な文章をよんでは中和されてしまって、真理の効果が無くなってしまうと。
人間神の子と教えられながら、自分に自信が持てず悶々とした日々をおくっていた私と決別致します。
わたしは今日から新生致します。
ありがとうございました。
合掌
513
:
復興G
:2013/03/10(日) 07:41:22 ID:AB6RqYXc
>>511
:あさひ様。
>>実相はそうである。現象はない。しかし、目の前にある認知症の老人に対してどう対応すればよいのだろうか。
現象処理との問題、例えば人間の栄養摂取などもある程度現象処理的に考えねばならない。
実相独在とのバランス感覚が必要ですが、そのあたりの問題があります。
神の子人間が実は現実遊離の統合失調型になっていたのでは困ります。このあたりをお教えください。 <<
そう。
現実問題というのは、いろいろありますよね。
具体的なお答えにはならないと思いますが、「信仰生活の神示」を拝読して、考えてみましょう。
* * * * *
信仰生活の神示
信仰生活とは無用意の生活ではない。すべてに於て完全に用意されている生活である。
凡そ信仰生活ほど完全に用意されている生活はない。それは心が完全に用意されているだけではなく、物質にも完全に用意されている生活である。
物質は心の影であるから心が完全に用意されているとき物質も必要に応じて完全に与えられるのである。
家庭は一つの有機体であるから、良人が明日の用意をしないときには妻が明日の用意をするようになる。妻が明日の用意をしないときには良人が明日の用意をする。
右の手が利かなくなったら左の手が利くようになるのも同じことだ。
それは自然の代償作用でそう成るように計らいがあるのである。
それは有難い自然の計らいであるから、夫婦互いに感謝するが好い。
信仰生活とは明日の用意をしない生活だと思って、明日の用意をする配偶(つれあい)を信仰がないと思って夫婦が争っている家庭があれどもみんな誤った信仰である。
『明日のことを思い煩うな』と言う意味は『明日の用意をするな』と言うことではない。
信仰生活とは冬が来てから綿入を縫えと言うような生活ではない。秋から冬に要る綿入を縫うて置いても、それは『取越苦労』ではない。心が整えば秋から冬に要るものがちゃんと判って、自然法爾(ひとりで)に其の要る物を用意したくなるのである。
自然法爾と言うものは、外から自然に与えられることばかりではない。内から自然に催して来るこころの中にも自然法爾がある。
心が乱れて病気になったとき心が調えばその病気を治すに適当な食物が欲しくなるのも自然法爾である。
野の鳥も卵を産む前に自然に巣を造りたくなる。卵を産む前に巣を造っても小鳥は取越苦労をしているのではない。
『生長の家』の生活は物質に捉われない生活だと言っても、物質をきたながる生活ではない。金銭を穢いもののように思ってそれを捨てねば気が安まらぬような心も物質に捉われているのである。
物質は影であるから綺麗も穢いもない。卵を産む前に小鳥が巣を造りたくなるように自然に用意したくなる時には内からの囁きに導かれて好い、心が調えばその心の展開として用意すべきものは適当の時に用意したくなる。
すべて用意するものを信仰浅きものと思うな。用意しないで取越苦労をしている生活もあれば、取越苦労をしないで自然に用意している生活もある。
(昭和六年十二月五日神示)
* * * * *
ありがとうございます。
514
:
復興G
:2013/03/10(日) 07:57:25 ID:AB6RqYXc
>>512
:rei様。
ありがとうございます。
>>人間は素晴らしいんですよね。
私は神の子なんですよね。
わたしの本体は神そのもので、真清浄真無垢なる素晴らしい存在だったんですね。<<
そう!
すばらしいんですね!
そのまま、ただありがたいんですね!
ありがとうございます。
515
:
rei
:2013/03/10(日) 08:15:49 ID:bo95azFI
あさひさま
わたしは経験ないのですが、地方講師のかたの体験談で
認知症の方への対応で、正しいことを言うのではなく、完全に相手に寄り添ってあげることによって
全治したひとを三人は知っています。
そのお蔭だと思いますが、私は母が同じことを繰り返しても、その都度初めて聞くわというように
対応したり、母の間違いを指摘しないでそのまま時間の経過に任せると
不思議に元の母に戻ってるということを経験しています。
お話を聞いていたせいで、認知症を未然に防いでいると思ってます。
朝ドラの純と愛の主人公のお母さんへの対応はとてもいいなあと思って見ています。
現実遊離ととらえるかは紙一重で違うと思いますが、
愛を実行しているかどうかではないかと思っています。
合掌
516
:
あさひ
:2013/03/10(日) 09:32:40 ID:/3nxKE2Q
復興G様
信仰生活の神示
御提示くださりありがとうございます。
>自然法爾と言うものは、外から自然に与えられることばかりではない。内から自然に催して来るこころの中にも自然法爾がある。<
>用意しないで取越苦労をしている生活もあれば、取越苦労をしないで自然に用意している生活もある。<
そうですよね。有難うございます。
517
:
あさひ
:2013/03/10(日) 09:35:21 ID:/3nxKE2Q
rei様
ご教示ありがとうございます。
合掌
518
:
a hope
:2013/03/10(日) 10:12:11 ID:TqpbsVIM
みなさま おはようございます。
>>512
reiさま
web誌友会へのご参加ありがとうございます!
reiさまの投稿を拝見していると、本当に、わたにに似ていらっしゃる方だと感じます。
わたしも、とてもまじめな性格で(生活態度はまじめではないのですが・・・笑)人をすぐに信じてしまいます。
子供のころから、「世の中に悪い人なんていないんだ!」という信念のようなものがありました。
だれかが人の悪口を言っていると、いつも心の中で悪口を言われている人よい所を一生懸命さがしていました。
そんなわたしだからこそ「人間神の子」「悪なし」「善一元」の「生長の家の教え」にこのようにのめりこんでいるのでしょうね。
わたしは、この掲示板で雅宣総裁先生の教え(著書や、経本、祈りの言葉等)の批判をけっこう激しくしています。
ですが、雅宣先生自信を「悪」であるとは少しも思っていません。
むしろ、わたしをここまで導いてくださった、観世音菩薩様だと思って心から感謝しているんですよ。
きっと、雅宣先生に直接お会いしていれば、雅宣先生の良い所さがしをいっぱいできるような気がして残念でなりません。
また、
>>515
のあさひさまへのコメントも共感させていただきました。
雅宣先生にしてみても、周りの人たちが真の愛を持って雅宣先生に対応されたら、
雅宣先生は正気に戻ってくださるのではないかと感じています。
ただ、雅宣先生は、認知症ではないので
<<私は母が同じことを繰り返しても、その都度初めて聞くわというように
対応したり、母の間違いを指摘しないでそのまま時間の経過に任せると
不思議に元の母に戻ってるということを経験しています。>>
これはありえないと思いますが・・・
愛を実行も相手によって変えていかなければいけないのかもしれませんね。
519
:
a hope
:2013/03/10(日) 10:15:35 ID:TqpbsVIM
>>518
reiさま みなさま、すみません。
今日は、日曜日で家族がいるので、落ち着かず、誤字脱字ばかりでした。
お許しください。
520
:
復興G
:2013/03/10(日) 10:54:34 ID:AB6RqYXc
a hope様。
a hope様が
>>507
で
>>復興Gさまやトキさまは、雅宣先生が東日本大震災の後に書かれた「自然と人間の大調和を観ずる祈り」をご存知ですか? まるで、上で復興Gさまが紹介してくださった雅宣先生の文章がそのまま祈りになったような感じがして、わたしは読んでいて、とても気持ち悪くなります。
その原因が、やはり、復興Gさまがおっしゃるように、「汝ら、罪の子人間よ、地球上の害獣よ」という心で作られた祈りの言葉だからと感じています。<<
と書かれたことについて、お答えしていませんでしたね。
「自然と人間の大調和を観ずる祈り」は、もちろん知っています。そして、それを読んだときに、とてもいやな感じを受けたことも、思い浮かびます。
その祈りの言葉を抜粋しますと――
* * * * * * * * * *
自然と人間の大調和を観ずる祈り
(前略)人間が自然を敵視すれば、その迷い心の反映として、自然の側から“敵”として扱われるような事態が現れてくるのである。人間が山を削り、森を切り倒し、川を堰き止め、湖や海を埋め立てて、人間だけの繁栄を画策しても、それは神の御心ではない。それは神が「はなはだ良い」と宣言された実相世界とは似ても似つかない“失敗作品”である。実相でないものは、必ず破壊と滅亡を迎える時が来る。それは偽象の崩壊であり、業の自壊である。
しかし、これを“神の怒り”ととらえてはならない。広大な農地を破壊しながら猛スピードで突き進む津波を見て、神が怒りに燃えて破壊を進めていると考えてはならない。神は山を崩して海を埋め立て給わず。海岸に農地を作り給わず。工場を造り給わず。空港も、原子力発電所も造り給わず。それらすべては、人間が自己利益を考えて、動植物の絶滅を顧みずに行った行為である。日本列島やニュージーランド周辺で地震が起こるのは、太古から繰り返されている地殻変動の一部であり、決して異常事態ではない。それが異常事態に見えるのは、人間の視野が狭く、考える時間軸が短く、自己中心的だからである。
多くの生物を絶滅させ、自然の与え合い、支え合いの仕組みを破壊しておいて、人間だけが永遠に繁栄することはありえない。生物種は互いに助け合い、補い合い、与え合っていて初めて繁栄するのが、大調和の世界の構図である。それを認めず、他の生物種を“道具”と見、あるいは“敵”と見、さらには“邪魔者”と見てきた人間が、本来安定的な世界を不安定に改変しているのである。その“失敗作品”から学ぶことが必要である。
大地震は“神の怒り”にあらず、“観世音菩薩の教え”である。我々がいかに自然の与え合いの構図から恩恵を得てきたかが、それを失うことで実感させられる。我々がいかに人工の構築物を、田畑を、港を、道路を、送電線を、インターネットを築き上げても、自然界の精妙かつ膨大な仕組みとエネルギーを軽視し、蹂躙する愚を犯せば、文明生活は一瞬にして崩壊することを教えている。我々の本性である観世音菩薩は、「人間よもっと謙虚であれ」「自然の一部であることを自覚せよ」「自然と一体の自己を回復せよ」と教えているのである。(後略)
* * * * * * * * * *
この中に「人間が自然を敵視すれば……」という言葉が出てきますが、私は「人間が自然を敵視するしたことがあっただろうか?」と、とても疑問に思いました。
「人間よもっと謙虚であれ」というのは、「至上者の自覚の神示」からすれば、
≪『自己は神より出でた神の子である、従って神そのもののほか何者でもない』と言う真理を何らの抗(さか)らいもなしに承認することである≫
ということでなければなりませんよね。
521
:
復興G
:2013/03/10(日) 11:04:47 ID:AB6RqYXc
>>512
でrei様が
>>雅宣総裁のお話を聞くと、人間は少ない方が地球環境の為に良いのじゃないのと、いつも思えて来てしまうのを変だなあと考えておりました。
人間は素晴らしいんですよね。
私は神の子なんですよね。
わたしの本体は神そのもので、真清浄真無垢なる素晴らしい存在だったんですね。<<
と書き込んでくださいました。本当にその通りだと思います。
522
:
トキ
:2013/03/10(日) 11:16:40 ID:oCgfGKnI
復興G様
おはようございます。まず、最初にお詫びしなければならないのは、パソコンの調子が悪くて、復興G様が
書いてくださったのと同じ部分を、私が気がつかずに書いてしまった点です。ごめんなさい!
ところで、昨晩、本流光明掲示板に「森のオフィス」について、北杜市土地利用審議会の議事録が書いて
りましたが、審議会で生長の家の人が退席後、地元の委員が痛烈な表現で生長の家側を批判しておりまし
た。これは、本当に胸が痛む気持ちです。
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1310
かって長崎県の総本山を建立するときに、八日市屋二三雄先生が地元の議会で説明をしたところ
居合わせた議員が感激し、生長の家招致委員会を作ったのと対照的な話だと思います。今の組織
の指導部が信徒に迷惑をかけているだけならまだしも、外部の人たちにも迷惑をかけだしたのは
困ったものです。
ただ、最近、こういうことが続くのは、ミクロで見たら、もちろん生長の家教団の指導部や本流復活派
の一部の人たちの言動が原因だと思います。しかし、もっと大きな視点で見たら、何か神様のご意志が
働いていると感じます。すると、マクロの視点から言えば、誰も悪くないし、立派に使命を果たしていると
も思います。
そういえば、高校の世界史で、中世のカソリックでは教皇様が神の代理人である、という立場で組織の
運営をし、そのために信仰の腐敗や形骸化が始まったのを憂いたルターが、個人の信仰という立場での
信仰の刷新運動をはじめ、それが宗教改革になったと習いました。(もし、違ったら、ごめんなさい)
復興G様がご指摘をされた「一人ひとりの法灯継承」というのが、これから本当に大事になってくると
思います。
523
:
復興G
:2013/03/10(日) 11:27:20 ID:AB6RqYXc
>>516
:あさひ様。
「光明皇后様の施浴」の伝説が思い出されます。
<光明皇后様は、千人の俗人の垢を洗い流す悲願をたて、実行された。最後の千人目にあらわれたのは、全身に血膿をもつ悪疾の患者でした。しかし、皇后は厭うことなく、背中を流し、さらに患者に乞われるまま膿まで吸い出してやりました。その瞬間、浴室に紫雲がたなびき、患者は立ち上がって黄金の光をはなち、「我は阿閃(あしゅく)如来なり」と言葉を残し消え去りました。>
ということでしたね。感動です。
524
:
あさひ
:2013/03/10(日) 11:59:10 ID:/3nxKE2Q
復興G様
ご教示ありがとうございます。
合掌
525
:
復興G
:2013/03/10(日) 12:57:01 ID:AB6RqYXc
>>522
:トキ様。
「北杜市土地利用審議会会議録」や、「光明掲示板」の投稿文を、よく読ませて頂きました。
情報、ありがとうございます。
教団本部の担当者も、ご苦労が多いと思います。
なんとか、ご苦労が報われることを祈らずにはいられません。
526
:
a hope
:2013/03/10(日) 15:32:03 ID:TqpbsVIM
みなさま
前回の、web誌友会の時にわたしは「虚説」「二元論」という言葉を使い、
雅宣先生の教えを否定させていただきました。
そのことに関しては、わたし自身もたくさんの知識があるわけではなく、
ただ、「生命の實相」を拝読して理解したままをレポートにまとめたり、述べさせていただきました。
二元論という人は、自分自身の考え方も二元論なのではないかと、
批判される方々もいらっしゃるかと思います。
わたし自身は、完全に実相世界をさとったわけではないので、自分は二元論者だと思っています。
現象世界にいながらも、善一元の実相世界を生きることができるのは、聖者以外いないと思います。
そんななかでも、わたしたち生長の家の教えを信仰していく者は、その聖者の姿に少しでも近づくために、
神想観をしたり、聖典聖経を拝読したり、愛行をしたりするのではないでしょうか?
そのわたしたちの目標の一番頂点に立っていただくのが、「生長の家の総裁先生」でなければおかしいと思います。
ですが実際には、その頂点立っている総裁先生が、堂々と肉体人間の罪や、自然破壊された現象世界を認めるという虚説を信徒に説いていらつしゃる。
それは、本当におかしいことだと感じています。
雅宣先生、こちらをご覧ですか?
また、雅宣先生の側近の方もこちらをご覧でしたら雅宣先生にお伝えください。
信仰歴数年のただの主婦が、この掲示板でこんなことを言っていますよと。
このような批判をするのは、本当に気が重いです。
ですが、「虚説には和解してはいけない」これが、生長の家の教えなのですから、
やはり、総裁先生がおっしゃることであっても、わたしたちは虚説には和解してはいけないのだと感じています。
527
:
a hope
:2013/03/10(日) 16:58:30 ID:TqpbsVIM
わたしは、自分の投稿に自信があるわけではないのです。
むしろ、全然自信なんかありません。
だからこそ、このトキ掲示板のどんな意見も排除しない、
そしてたくさんの「生長の家」の先輩方がご覧になっている掲示板で発言しているのです。
わたしが言っていることが、間違っていれば、どうぞ遠慮なくご指導ください。
むしろ、そう願っています。
どうぞよろしくお願いいたします。
528
:
復興G
:2013/03/10(日) 19:44:38 ID:AB6RqYXc
さて、今回のweb誌友会テキストのテーマは、
「経済問題の解決」でした。
「経済」ということについて、ここで整理して考えてみたいと思います。
【生命的経済学 考(1)】
「経済」という用語は、明治のはじめ、海外から入ってきた「エコノミクス」という学問の名称を日本語に訳す際、中国の「経世済民」という言葉を参考にして作られました。「経世」とは「世を治める」、「済民」は「民を救う」という意味で、合わせて「世を治めて民を救う」。これが経済ということになります。
経済学とはどんな学問か。多くの経済学者が認める定義として「資源の最適配分を考える学問」というものがあります。
地球上のあらゆる資源は限られている。その限られた資源をどのように配分すれば、最大多数の人々の幸せが得られるのか。これを考える学問だということです。
しかし、生長の家の経済学は、地球上の資源を有限と見てその分配を考えるという従来の経済学とは基本的に違います。生命を礼拝し、生命の無限生長をもたらす幸福の経済学、ということになるでしょうか。
一、吾等は生命を礼拝し生命の法則に随順して生活せんことを期す。
二、吾等は生命の法則を無限生長の道なりと信じ個人に宿る生命も不死なりと信ず。
三、吾等は人類が無限生長の真道(まことのみち)を歩まんが為に生命の創化の法則を研究す。
という「生長の家の宣言」(『生長の家』創刊号)に則った生命的経済学であります。
生命は、生かして使うことによって無限に生(の)びる。むろん肉体の成長には限界がありますが、心・霊(たましい)の生長には限りがなく、どこまでも伸びる。
生命は使わずに死蔵することが罪(積み)である。
テキストにはこのことが次のように記されていました。
* * * * * * * * * *
富の無限供給と循環
考えてみますに、われわれは神の子であって無限の神の供給源から養われているのでありますから、われわれに与えられている能力にしましても、健康にしましても、各個人の富にしましても、それは決して有限のところから取ってくるのではないのであります。
仮にわたしが能力を増して二人前三人前の仕事がひとりでできるようになったとしましても、わたしは無限の大生命からわたしの能力を汲んでくるのでありまして、そのために、それだけのほかの人の能力が減るというわけのものではありません。
また仮にわたしが健康を二倍ほども増進しましたからといって、わたしはひとの健康を横どりしてくるのでもありません。わたしが健康すぎたからとて、ひとがそれだけ病気になるわけのものでもありません。
能力とか健康とかいうものが宇宙に一定の分量しかないものならば、わたしが能力や健康を増せば増すほどほかの人の能力や健康がそれだけ減るべきはずでありますが、別にそれが減らないのですから、宇宙にある能力や健康の分量は無限だと考えるほかはないのであります。
そうするとわたしたちは能力や健康をどこからいただいてくるかと申しますと、無限の生命の大海からいただいてくると考えるより仕方がありません。
そこでわたしたちは「無限」というものにつながっているということが解るのであります。
――ここが実に大切なところであります。こうしてわたしたちの生命力は自分だけのものでない、有限のものではない。無限の大生命につながっているということがわかってきますと、非常に自分の「生命」が結構な貴いものだと解ってくるのであります。
<つづく>
529
:
復興G
:2013/03/10(日) 19:45:27 ID:AB6RqYXc
【生命的経済学 考(2)】
戦後の日本が驚異的な経済成長を遂げたのは、地上の有限な資源を奪ってきたのではなく、物質的資源はもたないのに、外国から資源材料を買ってこれに知恵と愛をはたらかせ、付加価値をつけて輸出することにより世界の人々に幸福を与えたからであると思います。
NHKの「プロジェクトX」でとりあげられた数々の胸を打つエピソードなどは、その具体的な足跡を示しています。
「与えれば与えられる」の法則によって、日本は豊かになった。
マクロ的に見たとき、日本の経済発展は肉体自我の欲望によって自然破壊をしてきた結果である、などと皮相な見方をするのは、当を得ていないと私は思います。
結果的に自然破壊をもたらした面もあった。だから悪業を積んだだけだったと見るのは間違っていると思います。
○
失業者をつくることは、人間生命を死蔵させることですから、最大の罪(積み)になると思います。
だからテキストには次のようにあります。
(『生命の實相』第2巻p.185)
* * * * * * * * * *
この不景気というものは、新事業を起こさないで、今までの事業の種類だけで互いに利益を争ったり、もう既成産業は膨脹するだけ膨脹しきっていて、これ以上産額をふやしても買い手がないので、職工を解雇でもして人員をへらし、操業短縮でもするよりほかに道はないような状態でありますのに、雇われたい人間の数はますますふえて行くために起こるのでありまして、不景気だといって新しい方面に事業を開拓せず、緊縮だ節約だといって、人類の兄弟がせっかくつくってくれたものを使わないようにするために、つくってくれたものは売れない。売れないから会社は今後つくる必要はない、つくる必要がないから、職工でも社員でも新たに雇い入れるどころか、かえって減らさねばならぬ――だからとうとうたる失業者の洪水などという恐しい新聞の標題(みだし)がでてくるのもむりはありません。
考えてもごらんなさい、今後五年間、日本国中の人間が節約だといって米と野菜のほか何も買わないことにしましたらどうなるでしょうか。実に恐しい結果になります。
あらゆる会社という会社、あらゆる工場という工場、米屋と八百屋以外のあらゆる商店という商店、これらはみんな失業者になってしまわねばなりません。
どうもこれでは節約というものが道徳的にも経済的にも善いということはできないのであります。
(『生命の實相』第2巻p.185より)
* * * * * * * * * *
さて、戦後日本の経済高度成長がオイルショック、リーマンショックなどでストップし、日本経済はきびしく長い冬の時代を耐えてきました。「失われた20年」などとも言われましたが、その間もただ足踏みしていたわけではないと私は思います。「春の新芽は冬にできる」と教えられています(谷口雅春先生『人生読本』)。
今、春が近づいています。
アベノミクスと言われる安部総理の経済政策で、物価2%上昇のインフレターゲットを設けられた。途端に株価がどんどん上昇し、経済活動が活気づいて、明るい雰囲気が支配的になってきた。なぜか。
今までデフレで、先行きの不安からみんなお金を使いたがらず、「しまつ」「節約」してものを買わない、売れないから造らない、造らないから雇わない、それで失業者があふれてきた。
<つづく>
530
:
復興G
:2013/03/10(日) 19:46:01 ID:AB6RqYXc
【生命的経済学 考(3)】
安部総理が経済政策としてインフレターゲットを設けた。それでこれから物価が上昇するぞということになれば、ただ預金しておいたのでは目減りして行く可能性が出てくるので、人々はお金を使うようになる。
それで、テキストにありますように、
* * * * * * * * * *
がんらい、人類の兄弟がせっかくつくってくれた品物を、金を出すのが惜しいといって使わぬということが善いはずはない。
節約が美徳だというのは、ものがたらぬ場合に、それを自分ばかりがあまり使っては、ほかの人がそれを使いたくとも使えなくなる場合に、自分は使いたいのを我慢して兄弟にその品物を譲るという意味において尊い愛のあらわれと見ることができたからであります。
つまり節約とは物を使い惜しみをするのが貴いのではなく、兄弟に譲るという愛の行為として貴いのであります。
ところがこのごろの節約は品物は生産過剰で有り余っている。何も自分が金を出して買って使用したからとて、ほかの使いたい人が使えないで困るというようなことはない。かえってその品物に払った金の一部は社員や職工のふところにも廻りますし、会社も引き合うし、社員や職工も解雇されずにすむのであります。
(中略)自分が使っても他の人が使うのになんのさしつかえもなく、人々の用にたりさえすれば、兄弟のせっかくつくってくれたもの、神がせっかく与えてくださったものは、喜んでありがたく使うようにすればよいのであります。
* * * * * * * * * *
――ということになるので、まずインフレターゲットを設けた安部さんの経済政策は、方向としては生長の家の経済学からしても間違っていないのではないでしょうか。
むろん、ただ浮かれて浪費的に使えばよいということでなく、適切な神の智慧をいただいて、適切な愛を行ずるのでなければならないのはもちろんであります。そのとき、
* * * * * * * * * *
(テキストp.189〜190より)
わたくしどもでは、つかわないではもったいないからできるだけ生かして使えというのであります。
与えられていないものまでを無理をして使うのはいけませんが、与えられているものを生かさない節約は人類の敵であります。
われわれが生命力を出して仕事をした。その仕事をだれも使ってくれなくてはその努力が生きて来ません。
物を生かして使うということは、人がそれをつくるために注いでくれた生命を生かすということになります。
この世は持ちつ持たれつの世のなかでありますから、人の注いだ生命を生かすことは自分の生命を生長向上発展さすことになるのであります。
だから「生長の家」では買うことを節約せよとはいいません。買うて生かせというのであります。
大いに生かすためには大いに買わねばなりません。
こうしますと購買力はふえ、製造会社や販売店の収入が増加し、職工も社員も店員もその収入が増加し、したがってますます購買力がふえ、新事業の計画もなんらの危険なく行なうことができ、したがってあとからあとから増加する人間の職業にも道がひらけてくるのであります。
こうなれば就職難も会社のつぶれる心配もないのであります。生産者側からいっても消費者側からいっても消極と積極とではこうも異ってくるのであります。
* * * * * * * * * *
ということになるのではないかと思われるのであります。
531
:
復興G
:2013/03/10(日) 19:52:18 ID:AB6RqYXc
さて、経済学には全くの素人である私が、直感だけで以上のような大ボラを吹いてしまいました。
どうぞ、ご批判をお願いいたします。
ありがとうございます。
533
:
a hope
:2013/03/10(日) 20:42:37 ID:TqpbsVIM
>>528
〜
>>531
復興Gさま
わたしは、家計簿すらまともにつけられないような経済には全く疎い主婦です。
ですが、今回のテキスト範囲を勉強していて現教団の方針(雅宣先生の教え)は、
「生長の家の経済学」とは違うのではないか・・・。
という、感じがしていました。
>>489
で、トキさまが
<<それで、思い出したのですが、一昨年でしたか、幹部研鑽会で、総裁が、クレジットカード会社の「買い物は世界を
救う」というキャッチコピーを批判されていました。高橋是清の論文を引用した、消費のすすめです。それを総裁は、
浪費の勧めだ、ということで否定されていました。
でも、それを聞いた人からは、感激をした、という声は私の知る限り、ありませんでした。>>
というお話をされていました。
それが事実だとすると、ますます「雅宣先生の教え」は「生命の實相哲学」から外れているということになるような気がしてしまいます。
ですが、わたしには経済学の知識がないので、この問題に対してはこれ以上の発言は控えさせていただきます。
ところで、web誌友会の閉会は、今夜23時30分ですが、わたしは、明日も早いですし、家のこともしたいので、
今夜はこれで書き込みを終わらせていただきます。
最後までお手伝いできず、申し訳ありません。
今回も、素晴らしいご指導に心から感謝しています。
合掌。
みなさま
いつものように後夜祭もあると思いますので、みなさま閉会後もご意見等、お寄せくださいね。
それでは、参加くださったみなさま、閲覧して下さったみなさま、ありがとうございました。
感謝 合掌。
534
:
復興G
:2013/03/10(日) 20:56:46 ID:AB6RqYXc
さて、生長の家教団の行方はどうなるのでしょうか。
生長の家は、神の人類救済運動として神が始められた運動であるならば、このまま衰退の一途をたどって消えて行くはずはないと、私は思います。
いかなる困難も、乗りこえられないような障礙を神が与え給うはずはない。
しかし、人間の知恵才覚では乗りこえることができないような困難を与えられているのかも知れない、と思います。
私は、昨年11月、総本山での相愛会「ブロック教区連合会長会議資料」をコピーで入手しました。
それには、「連合会長の使命と役割」として、
(前略)
[2]相愛会員の使命感の高揚
この運動に対する燃えるような使命感を教区幹部、会員に点火することであります。具体的には、使命感をもって運動に喜んで参画し、創意工夫をして進展する相愛会運動を展開する幹部、会員を陸続と輩出することであります。
[3]ビジョンの設定
そのために、わくわくするような自教区のビジョン(長期・中期・短期)を打ち出し、会員幹部と常に共有することであります。
(後略)
というようなことが書いてありました。
さて、はたしてそれができるでしょうか。
私は、上記のことは絵空事、夢の中の寝言のようなものだと思います。
今の運動に、「燃えるような使命感」など湧いてくるわけはない。
総裁から「汝ら、罪の子人間よ、地球上の害獣よ」と責められ、「日本は侵略国である」と裁かれ、
>「日本の建国は世界に類例がないほど珍しく、古典に書かれた建国の理想は他国にない独特のものであるから、この理想を推し進めていけば、世界平和に貢献することができる」という意味のことが書いてありました。しかし、これは論理が混乱していて間違った考え方だと私は思います。特殊で、他に類例がないということ自体には、それほど価値はないのです。社会に受け入れられない特殊性や比類のなさは、かえって社会に有害です。単にウイルス作成の技術が優れているだけでは、犯罪者になることもある。<(建国記念の日式典での総裁あいさつ)
とおとしめられて、
「わくわくするような自教区のビジョン」なんていうのも、出てくるわけがない。
強いて「わくわくするようなビジョン」というなら、それは、
“本流”の人たちと和解し、共に手を繋ぎ肩を抱き合って神の国の実現、日本の実相顕現に一つ心で協力しあう姿、ということになる。
「万教帰一」と言いながら、生長の家の同士が分派をつくり争いあっていて、何が使命感ですか、何がわくわくするビジョンですか。寝言はやめてください、と言いたいです。
535
:
復興G
:2013/03/10(日) 21:50:35 ID:AB6RqYXc
トキ様
>>532
の削除をお願いします。
皆さま、終了予定時刻の23:30にはまだ早いですが、私はこれにてやすませて頂きます。
世界平和の祈りをさせて頂きます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
◇◇◇世界平和の祈り◇◇◇
神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い
すべての人々の心に、愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。
◇◇◇光明思念の歌◇◇◇
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ご参加くださいました皆さま、ご協力、ありがとうございました。
そして閲覧してくださいました皆々さま、ありがとうございました。
536
:
あさひ
:2013/03/10(日) 22:33:27 ID:/3nxKE2Q
復興G様
>神の国の実現、日本の実相顕現<
これに向けて働くことこそが、わくわくすることですね。
わくわくして頑張りましょう。 合掌
537
:
トキ
:2013/03/10(日) 23:04:11 ID:/bILsSIM
>>535
遅れてすみませんでした。記事を削除し投稿者をアクセス禁止にしました。
合掌 ありがとうございます
管理人敬白
538
:
トキ
:2013/03/10(日) 23:25:41 ID:/bILsSIM
>>534
復興G様
本日は、パソコンの調子が悪くなり、失礼をいたしました。
一昨年の相愛会連合会長の研修会だったと記憶しておりますが、本部の講師が総裁に
中心帰一しましょう、という講話をしたら、某教区の連合会長が激怒し、
「あなたたちは何も分かっていない! 今、現場は大変なんだ。総裁もそれをご存知ない。
私達がどんなに困っているか、総裁御自身が一度、現場を見に来て欲しい。」
と大声を出した、という話を聞きました。まさしく復興G様の言われる通りだと思います。
長時間に渡り、素晴らしいご指導を賜った事に深く感謝申し上げます。
ありがとうございました。
合掌 ありがとうございます
管理人敬白
539
:
復興G
:2013/03/11(月) 02:29:13 ID:AB6RqYXc
トキ様、a hope様、「訊け」管理人様、閲覧者様、うのはな様、reiさま、あさひ様、皆々さま。
ありがとうございました。
特にa hope様には、お忙しい中、お世話になりました。ありがとうございました。
今回の誌友会では、発言者は少なかったですが、でも、こうして続けることに意義があると思います。
50時間というのは長いような気もしますが、でも、この形体のままもうしばらく続けさせて頂きましょう。
次回は、4月第二金曜日の12日夜から14日(日)夜まででお願いしたく思います。
テキストは『生命の實相』第3巻に入りますが、第3巻は冒頭に8つの神示が掲載されています。
これらの神示は大切ですから、一回(1ヵ月)に2つずつ、4ヵ月かけてじっくりと勉強させていただいたらどうでしょうか。というのが私の提案ですが、ご意見をうかがいたいと思います。
よろしくお願い申し上げます。
合掌
540
:
元青年会員です
:2013/03/11(月) 07:19:01 ID:zOkAUrF2
WEB誌友会ありがとうございました。
私も学ばせていただきました。
>>520
復興Gさま
この「自然と人間の大調和を観ずる祈り」は、私には雅宣総裁の偽らざる本心であると感じられます。
客観的な評論的な話ではない、雅宣総裁個人の心を感じます。
それは私の胸に、強烈に痛々しく響いてまいりました。
それは生長の家総裁としては、問題のある祈りであるかもしれません。しかし私は、生長の家総裁以前の人間谷口雅宣として見る時、必ずしも問題だとは思えないのです。
この総裁の祈りは現象に心とらわれた迷いであるかもしれませんが、人間の良心というものを痛く痛く感ずるからです。
そこに私は、谷口雅春先生の、日本國體や人類滅亡の危機への痛切な叫び声を重ね合わせて想います。
お二人の思想には異なる部分がありますが、その言葉の悲痛な響きがとても似ているのです。そして、その裏側には深い愛情が流れていることを感じます。
私には、雅宣総裁の述べる真理の言葉よりも、この「自然と人間の大調和を観ずる祈り」の方が谷口雅春先生を連想させます。本心より発する生身の言葉だと感ずるからです。
(残念ながら、雅宣総裁の真理の言葉には、谷口雅春先生のごとき喜びが感じられません)
私が思うには、雅宣総裁は、生長の家を悟る以前の谷口雅春先生に似ていらっしゃる感じがします。
現象世界の問題に苦しみ続けられた、若き日の谷口雅春先生に。
雅宣総裁の提唱するノーミート運動にも、そうした強い傾向を感じます。
若き日の迷える谷口雅春先生は、罪にまみれた自分自身の汚らしさに苦しみもがいていらっしゃいました。
つまり、現象世界の問題は外側の問題ではなく、自分自身の問題でありました。
そうであるがゆえに、その苦悩は私たちの想像を絶する痛み苦しみであったでしょう。
それはキリストの十字架にも似た、人類全員が背負う根源的な悩み苦しみでありました。
その生きる本源からの痛ましい苦悩こそが、輝かしい光明思想の生長の家を生み出したとも言えましょう。
雅宣総裁はおそらく、魂の奥深くでご自分を審判いて(さばいて)いらっしゃるはずです。
若き日の谷口雅春先生ほどの死ぬような苦しみではないにせよ、ご自分を責めていらっしゃるはずです。
そこに、私は人間谷口雅宣の良心を感ずるのです。人間誰しもが心深くに持っている、深い苦悩を感ずるのです。
残念ながら、それは生長の家総裁としては問題があるかもしれません。
雅宣総裁が、その深き苦悩から光明思想へと飛躍すれば良いのですが、それは今世では難しいかもしれません。
なぜなら雅宣総裁は、残念ながらまだ、自然破壊する人類の問題をご自身の問題として、十分には引き受けきれていないように思えるからです。
谷口雅春先生は、全人類全生命の問題を自分自身の問題として、十分に引き受け切っていらっしゃいました。
そうであるがゆえに死ぬように苦しみ、そうであるがゆえに必死で救いを求め、そうであるがゆえに「罪なし!人間は皆、神の子である!」の真理に目覚められました。
雅宣総裁は、そこまで自分自身の根源的な心に正直になることは出来ないのでしょう。
CO2削減という物質レベルで解決しようとしていること自体に、本質に触れ得ていないものを感じます。
ですが、十分ではないにしろ、「自然と人間の大調和を観ずる祈り」には、雅宣総裁の人間としての良心がある、と私には思えるのです。
それは、谷口雅春先生の良心にも通ずるものだ、と私には思えるのです。
このような雅宣総裁をいただいたことには、トキさまのおっしゃるように、神の深慮というべきものがあるかもしれません。
しかし、私にはそれ以外の理由もあるような気がしています。
それは、生長の家信徒としては禁句であるかもしれませんが、あえて言います。
「生長の家に内在する迷いが、雅宣総裁を通して顕在化している」
言い換えれば、こうです。
「谷口雅春先生に残る迷いが、雅宣総裁を通して顕在化している」
そして、こうも言えます。
「谷口雅春先生の求道を支えた良心が、雅宣総裁を通して顕在化している」
つづく
541
:
元青年会員です
:2013/03/11(月) 07:20:04 ID:zOkAUrF2
(前回からのつづき)
谷口雅春先生の書かれた『大和の国日本』の中に、「自然と人間の大調和を観ずる祈り」を思わせるようなご文章があります。
「一大警告!現状のままで継続するならば人類は絶滅する」というタイトルのご文章です。
内容はこのタイトルのとおりです。当時は原水爆の危機が叫ばれる時代でしたから、それを深く憂慮するご発言です。
ここでは、ただひたすら人類滅亡への危機意識が述べられています。神の子の自覚だとか光明思想の普及は全く書かれていません。「自然と人間の大調和を観ずる祈り」よりもひどいとも言いうるほどの内容です。
この谷口雅春先生の、危機を叫ぶ痛々しい魂が、雅宣総裁を通して現れているように私には思えてならないのです。
宗教的霊感というものは、後世には伝わりにくいものです。
対して、人間的な感情や理知的な知識は、伝わりやすいものです。
谷口雅春先生の人間的な迷いの部分や理知的な部分、あるいは批判精神が雅宣総裁へと伝わり、宗教的霊感や宗教的直感は伝わらなかった、というのが事実ではないかと思います。
しかし、それでもなお、雅宣総裁の強烈なまでの痛々しい祈りには人間の良心が流れているのを感じざるを得ません。
それはもちろん、谷口雅春先生の人類滅亡へのご発言にも流れている心です。
それは、表面的には迷いでしょう。現象世界・肉体人間に心とらわれていることの現れでしょう。
しかし、その裏には人間の良心があり、人類や生命への深い愛情が流れているのです。
私は、ここに実相を見ます。
仏の慈悲のこころを見ます。
どんな深い迷いに見えようとも、その奥に神のみこころが流れているのを感じます。
それは、実に実に尊く、美しい心です。
教団は、トキさまのおっしゃるように、さらに衰退の一途をたどるでしょう。
それは本当に残念なことです。
しかし、私たちはその奥に流れているものを見るべきです。
永遠に変わらざる生長の家を。
そこには人類普遍の良心が流れています。
それは程度の違いこそあれ、谷口雅春ー谷口清超ー谷口雅宣を貫く心ではありませんか?
542
:
復興G
:2013/03/11(月) 09:37:45 ID:AB6RqYXc
>>540
・
>>541
元青年会員です 様。
拝読させて頂きました。
真摯に、生長の家 その実相と現象を受け止めて熟慮されている姿勢に、敬意を表します。
おっしゃるとおりであろうと思います。
さらに熟読、熟考させていただきます。
ありがとうございます。
合掌
543
:
トンチンカン
:2013/03/11(月) 09:39:21 ID:nFgY2khg
“Web誌友会”に参列の “元青年会員です” は、マサノブ氏でありましょうか?
早速に他の掲示板にて、『この“元青年会員です”を“マサノブ氏”であるとして見た場合、これは <自己弁護> を縷々と書き連ねているとしか思えません』、、、と書かれております。
<生長の家、新・本流復活掲示板>
========================================
“元青年会員です” = マサノブ氏 ・・?(414) 日時:2013年03月11日 (月) 09時25分
名前:サーチャー
“元青年会員です”=マサノブ氏・・?
皆さん、“元青年会員です”の下記の文章をご覧下さい!!
この“元青年会員です”を“マサノブ氏”であるとして見た場合、これは <自己弁護> を縷々と書き連ねているとしか思えません。
最後の、
『教団は、トキさまのおっしゃるように、さらに衰退の一途をたどるでしょう。それは本当に残念なことです。しかし、私たちはその奥に流れているものを見るべきです。永遠に変わらざる生長の家を。そこには人類普遍の良心が流れています。それは程度の違いこそあれ、谷口雅春ー谷口清超ー谷口雅宣を貫く心ではありませんか? 』
これは何ぞや? と言いたいです。
・現在の急速な <教勢低下> は今後も続く(衰退の一途をたどるでしょう)としております。
・それは(衰退の一途をだどること)本当に残念なことです。・・・・・バカにするな!!
・『私たちはその奥に流れているものを見るべきです』・・・・詭弁以外の何ものでもありません
・『永遠に変わらざる生長の家を。そこには人類普遍の良心が流れています』・・・・・ゴマカスな!!
・『それは程度の違いこそあれ、谷口雅春ー谷口清超ー谷口雅宣を貫く心ではありませんか?』・・・・・ノー、ノー、ノー
========================================
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=snihonryuu&mode=res&log=217
544
:
a hope
:2013/03/11(月) 10:08:31 ID:TqpbsVIM
みなさま おはようございます。
今朝、起きて「元青年会員です」さまの投稿を拝見しました。
その深い内容に、とても感動しています。
真に相手の実相を見るとは、そういうことなのかもしれません。
わたしは今、「虚説」という言葉を安易に使ってしまったことを、たいへん反省しています。
「虚説」とは、自分自身の見解である。
そう、アドバイスしてくださった方がいます。
心ではそれがわかっていながら、なぜわたしは昨日あのような、みささまに呼びかけるような発言をしてしまったのか、
自分でもよく理解できません。
「元青年会員です」さま
一つだけ、質問させてください。
<<教団は、トキさまのおっしゃるように、さらに衰退の一途をたどるでしょう。
それは本当に残念なことです。
しかし、私たちはその奥に流れているものを見るべきです。
永遠に変わらざる生長の家を。>>
このようにおっしゃっていますが、これが雅宣先生や、純子先生を「愛する」ということなのでしょうか?
>>543
トンチンカンさま
わたしは、「元青年会員です」さまは、雅宣先生ではないと思いますよ(笑)
わたしは、今日はこれから仕事ですので、夜戻ります。
545
:
rei
:2013/03/11(月) 12:16:06 ID:bo95azFI
新幹線が発明されているのに、徒歩で行くようなもの、という喩えがありましたよね。
人間神の子と教えられているのに、もう一度悩み苦しめと?
546
:
復興G
:2013/03/11(月) 14:19:10 ID:AB6RqYXc
>>545
:rei様。
>>新幹線が発明されているのに、徒歩で行くようなもの、という喩えがありましたよね。人間神の子と教えられているのに、もう一度悩み苦しめと? <<
――そうでした! rei様のこのお言葉で、また目が覚めた思いです。
今、「元青年会員です」様のおっしゃっている
<<教団は、トキさまのおっしゃるように、さらに衰退の一途をたどるでしょう。それは本当に残念なことです。
しかし、私たちはその奥に流れているものを見るべきです。永遠に変わらざる生長の家を。>>
とは、「神の子」、すなわち神である、と考えています。
「元青年会員です」様は、
>>そこには人類普遍の良心が流れています。
それは程度の違いこそあれ、谷口雅春−谷口清超−谷口雅宣を貫く心ではありませんか? <<
とおっしゃっています。
ここで「元青年会員です」様がおっしゃる、雅宣総裁の「良心」とは、「小懺悔」の心なのですね。
「小懺悔」にとどまっていては、自他共に暗くなってしまって、救われません。本当の幸福は得られません。
「大懺悔」の心、すなわち
「神こそすべてのすべて、神はすべてにましまして絶対なるが故に、神の外にあるものなし」
「神はすべてなるが故に、神は罪を作らざるが故に、神のほかに造り主なきが故に、此の世界に犯されたる罪もなく、報いらるべき罪もなし」
――ありがとうございます、とただ感謝の心になる。
それが「大懺悔」である。そこに、「永遠に変わらざる生長の家」がある、と思います。
生長の家の基本は「大調和の神示」にあるとも言われますが、それも、人間は罪の子として反省して和解せよというような「良心」では、永遠に人類は救われない。「人間神の子、罪なし」の「大懺悔」こそが本当の感謝であり、大調和である。それが生長の家の基本、原点なのではないでしょうか。
そこにこそ、「永遠に変わらざる生長の家」があり、そこに人類普遍の神性が実在する。
それが、谷口雅春先生−谷口清超先生−谷口雅宣先生を貫く心であるはずだ、と思います。
「元青年会員です」様。
ご覧くださっているでしょうか。
私は、上記のように考えますが、いかがでしょうか。
547
:
木綿豆腐
:2013/03/11(月) 14:41:35 ID:.QY5jUA6
>>545
:rei様
>>546
:復興G様
の ご投稿文に同意させて頂きます。
548
:
復興G
:2013/03/11(月) 15:19:30 ID:AB6RqYXc
>>547
:木綿豆腐さま。
ありがとうございます。
549
:
トキ
:2013/03/11(月) 15:46:14 ID:2GHp4WH2
元青年会員です 様
復興G 様
木綿豆腐 様
rei様
a hope 様
トンチンカン様
ご投稿、ありがとうございました。私も少し考えてから、ご投稿をさせていただきます。
感謝、合掌
550
:
トキ
:2013/03/11(月) 21:13:22 ID:2GHp4WH2
元青年会員です 様
真摯な内容のご投稿を拝見し、深く感銘を受けました。基本的な部分では、同じ意見の部分が多いです。
なお、この板のご指導は、復興G様なので、私の投稿はあくまえでも一人の参加者の意見とご理解下さい。
私も、現在の雅宣先生は、大悟を得る前のお悩みの状態だと拝察しています。その意味では、ご
本人もたいへん、悩まれていると個人としては深く心配もしています。また、雅宣先生は純粋な方だ
し、知識も豊富な方ですから、ご自分なりの理想を実現しようと思われていたと思います。
トキ個人としては、現在の谷口雅宣先生を高く評価する部分もあります。
ただ、私は反面、すごくドライで冷たい見方もしています。
日本国憲法76条3項に「全て裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法
及び法律にのみ拘束される」という条文があります。ここでいう良心とは、自分の主観的な価値観
ではなくて、職務にともなう良心である、ということだということです。人間だれしも個人的な価値観
も持っているし、人間としての良心ももっています。しかし、職業人として期待されるのは客観的な
ものです。これは法律家だけではなくて、これは、全ての仕事に共通する事だと思います。
仮に自己の良心を仕事や立場で表明するとしても、まずは自分の仕事上の義務を果たすことが
優先します。例えば、谷口雅春先生で言えば、先生は信徒の魂の救済をされた上で、ご自分の所信
を表明されています。
総裁がティーンエイジとか20歳代とかなら、職務に要求される価値観と自己の主観的な
価値観の乖離に悩むのは立派なことだと思います。しかし、現在の谷口雅宣先生の年齢とかキャリア
を考えると、今頃、その話はないだろう、という感想も持ちます。とても残酷で冷たい話です
が、そこで総裁の主観的な良心との葛藤を理由に谷口雅宣先生を弁護するのは逆に総裁に
失礼だと思っています。ラーメンと食べに行って、そのラーメンがまずかったら、おいしいとお世辞
を言うのではなくて、正直に言うのが相手への愛情とか敬意だと思います。
それで思い出すのは、ヤオハンの和田カツさんのご主人だった和田良平さんの話です。
和田カツさんは熱心な生長の家の信仰者でしたが、ご主人は全く生長の家には関心はありま
せんでした。ところが、ひょんなことから、ご主人が教区の相愛会の連合会長を引き受ける事
になりました。すると、ご主人はやったことがない神想観もはじめ、一から生長の家の勉強を
始めたといいます。結果、ご主人は職責を果たされたと聞いています。
そういう主観的な良心を全面的には肯定しない部分では、元青年会員です、様のご意見とは
違う部分はあります。現在の生長の家の状態を考えると、谷口雅宣先生が強い非難を受けるのは
とても残念ですが、仕方がないと思います。(もちろん、私個人は総裁が現在の状態を反省され
対立勢力との対話と和解の努力をされ、谷口雅春先生の教えをご自身の主観を交えずに
説かれる日が来ると信じております。)
しかし、ご投稿の内容には多くのことを学び、また感銘を受けたことも同時に申し上げます。
ご投稿を深く感謝申し上げます。
感謝、合掌
551
:
トンチンカン
:2013/03/12(火) 00:39:03 ID:nFgY2khg
生長の家総裁としては問題があっても、マサノブ総裁に中心帰一なのでしょうか?
<Web誌友会 板/2>
========================================
540 :元青年会員です:2013/03/11(月) 07:19:01 ID:zOkAUrF2
(前略)
雅宣総裁はおそらく、魂の奥深くでご自分を審判いて(さばいて)いらっしゃるはずです。
若き日の谷口雅春先生ほどの死ぬような苦しみではないにせよ、ご自分を責めていらっしゃるはずです。
そこに、私は人間谷口雅宣の良心を感ずるのです。人間誰しもが心深くに持っている、深い苦悩を感ずるのです。
残念ながら、それは生長の家総裁としては問題があるかもしれません。
雅宣総裁が、その深き苦悩から光明思想へと飛躍すれば良いのですが、それは今世では難しいかもしれません。
なぜなら雅宣総裁は、残念ながらまだ、自然破壊する人類の問題をご自身の問題として、十分には引き受けきれていないように思えるからです。
谷口雅春先生は、全人類全生命の問題を自分自身の問題として、十分に引き受け切っていらっしゃいました。
そうであるがゆえに死ぬように苦しみ、そうであるがゆえに必死で救いを求め、そうであるがゆえに「罪なし!人間は皆、神の子である!」の真理に目覚められました。
========================================
・雅宣総裁はおそらく、魂の奥深くでご自分を審判いて(さばいて)いらっしゃるはずです。
・残念ながら、それは生長の家総裁としては問題があるかもしれません。
・雅宣総裁が、その深き苦悩から光明思想へと飛躍すれば良いのですが、それは今世では難しいかもしれません。
“元青年会員です”氏は、『それは今世では難しいかもしれません』、、とまで述べています。
そうであるならば、現在の 問題のある“生長の家総裁”のもとで、信徒達はマサノブ総裁の存命中は、“迷いの渦中”にドップリと浸かっていなければなりません。
どうして、「マサノブさん、“生長の家の総裁”という立場から退いていただいて、森の中でごゆっくりと 修行 して下さい」と申し上げられないのでしょうか?
マサノブ氏が『「罪なし!人間は皆、神の子である!」の真理に目覚められました』との悟りを開かれたその時に、また戻ってこられたらいいのではないのでしょうか?
ハッキリ言って、今のマサノブ氏には “生長の家総裁” としての資質がありません。問題があり過ぎです。 今や組織内のブーイングを鎮めることはムツカシイでしょう。
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