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1817ユタカ:2013/06/09(日) 17:14:03 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま、

いかがでしょうか? まとめのご講話を少しお待ち願いと思います。

もう少し時間をかけさせてください。 どうかよろしくお願いいたします。。。

1818SAKURA:2013/06/09(日) 17:24:37 ID:ndMIxCBA
「トキ様」 ・ 「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1724>>1725>>1726>>1728>>1750>>1756>>1765>>1767>>1777>>1803 投稿の続きです…。
投稿の続きです…。

>>1813 名前:【再掲載】「訊け」 投稿日: 2013/06/09(日) 17:03:58 ID:??? の投稿に関しまして〜〜

■この件は〜〜〜疑問が生じます…。投稿を閲覧しての感想であり〜〜〜
そうおっしゃいますならば…全てに関して「不思議な現象…」があります。…が?

昨日の【2・26事件…】折角“オモシロク…”皆様の討論を見ていますと?スグサマ〜〜〜
【 身内びいき…】の投稿論場会場でしょうか?今度は〜〜〜【 再討論延期…論 】ですか?

■【臭い物には蓋】ということでしょうネ!  此処は【分派…のみの討論会場!】でしょうか?
                    
 再合掌

1819ユタカ:2013/06/09(日) 17:25:08 ID:R1D4Jmeg
訊けさま、志恩さま、 ご協力をありがとうございます。

私はいつも悲惨な事件を見たくないと心が拒絶してしまい、今回は特に補足資料の貧しい農村の身売りなどを読むと可哀相過ぎて、現代ではありえない事のようで頭がクラクラして気分が悪くなって嘔吐しそうになってしまった。しかも、どこかで検索して写真つきを見てしまった。

次の段階の現状に光をあてる と言う方向で元気が出てきます。 よろしくお願いします。

1820ユタカ:2013/06/09(日) 17:28:26 ID:R1D4Jmeg

臭い物に蓋でなく、 (臭い物と表現するには、あまりにも気の毒)

暗に光を充てる と言う表現ではいかがでしょうか??

1821ユタカ:2013/06/09(日) 17:33:19 ID:R1D4Jmeg

ユタカはこれから、仕事です。 明日以降に帰宅です。 

もし、まとめが終わっていても、後だし投稿しますんで、よろしくお願いいたします。

ここは皆が【生長の家家族・皆が身内】ですよ・・・・

1822復興G:2013/06/09(日) 18:08:14 ID:AB6RqYXc

復興G、只今帰ってまいりました。

皆さまのご投稿を、これからじっくりと拝読させていただきますが、>>1816 会期延長については、賛成です。

合掌 ありがとうございます。

1823復興G:2013/06/09(日) 18:18:11 ID:AB6RqYXc

>>1817 :ユタカ様

皆々様

“まとめの講話” は、ユタカ様のご要望もありますし、私もその方がありがたいですので、しばらく延期させて頂きます。ありがとうございます。

1824復興G:2013/06/09(日) 20:27:19 ID:AB6RqYXc

志恩様に、一つお伺いしたいことがあります。

私は、>>1556 に、次のように書いていました。

         ○

>>「総裁が変わらなければ幸せになれない」

と思い込むのは、総裁の奴隷になることだと思います。

テキスト『生命の實相』第3巻第4章94頁に

≪ 現在の経済組織がいかにともあれ、また来らんとする経済組織がいかにともあれ、現実世界は心の世界の顕現でありますから、人間が生命の実相を悟らず、人間の征服欲が、人間の我欲が、人間の復讐欲が、現実世界を操っている以上は、そこに人間にとっての地上天国が実現すべき必然的理由がないのであります。≫

とありますが、この「経済組織」というのを「生長の家の教団組織」と置き換えても同じことではないかと思いますが、いかがでしょうか。

≪心を浄めて地上天国の根本基礎を築きなおし、そこからこそ社会改造にも出発しなければ、いたずらに犠牲者ばかり多くして効果は少ないのであります≫
(同書94〜95頁) とも書かれています。

今こそ正念場であります。「正念場」とは、
≪神の創造し給えるそのままの状態を念じますことを「正念(しょうねん)」といいまして、その正念の影が映れば現実世界は完全な病気も災難もない状態を現出するのであります。つまり「正念」とはあらゆる事物を神の造り給えるままの状態そのままに念ずることで、そういう正念をもって生活することを神に結ばれた生活というのであります。≫ (同上書76頁)

≪“正念”というのは、「ここは正念場だ」などというでしょう。「ここが正念場だ」というのは、正念を出して来なければならないギリギリの場だ、という意味であります。≫
 (『真佛教の把握』50頁)

――こういう谷口雅春先生の御教えを真剣に学び、生活に実行するのが、本当に「谷口雅春先生を学ぶ」ということではないでしょうか。ありがとうございます。 <<

         ○

と。それに対して、志恩様から

(志恩様)>>1558
>>1556で復興G様のおっしゃるとおりだと存じます。
「総裁が変わらなければ幸せにならない」と思い込むのは,総裁の奴隷になります。

ていうか、総裁は、変わらないと思いますので、復興G様はじめ、昔の大物の方々に、もともとの教えを、われわれは学び直して、本来の生長の家の灯を灯し続ける使命があるのではないかと存じております。

ここは、全国の方々閲覧されてますので、共に学ばさせていただきます。いつも、ありがとうございます。<<

         ○

と、ご丁重なレスを頂戴していました。本当にありがとうございました。

そのことと、今回、志恩様が>>1774

>>谷口雅春先生は、常に信徒を拝まれておられました。片や、谷口雅宣総裁は、心ある信徒を“原理主義者”というレッテル貼りにして排除にかかりました。
この違いにこそ、今日の教団が崩壊し、分裂してきた、悲しいまでの実態があるのではないでしょうか。

「生長の家は和解の教えである」のですから、総裁や教団が、帰りさえすればいいのです。
しかし、谷口雅宣総裁がそれを容認しない以上、自分の教えが生長の家の教えであると考えている以上、和解の道は閉ざされていると申し上げるほかはありません。<<

と書かれたこととは、矛盾しないでしょうか?

1825志恩:2013/06/09(日) 20:43:35 ID:.QY5jUA6
復興G様

最初の方の私のコメント〜
(志恩様)>>1558
>>1556で復興G様のおっしゃるとおりだと存じます。
「総裁が変わらなければ幸せにならない」と思い込むのは,総裁の奴隷になります。

ていうか、総裁は、変わらないと思いますので、復興G様はじめ、昔の大物の方々に、もともとの教えを、われわれは学び直して、本来の生長の家の灯を灯し続ける使命があるのではないかと存じております。

ここは、全国の方々閲覧されてますので、共に学ばさせていただきます。いつも、ありがとうございます。<<

前文のこの私のコメントは、

1人の信徒、志恩 : 雅宣先生 ・・ への私の想いでございます。


後者の「和解については」のコメントは、

雅宣総裁先生 : 社会事業団を始めとする本流の方々との、今後の和解についての私の想いを申し上げました。

後者の方は、総裁が、和解をしようと決断されて、自ら 実践されなければ、和解は可能とはならないと考えたからです.

1826復興G:2013/06/09(日) 21:24:21 ID:AB6RqYXc

>>1825 :志恩様。

速やかなレス、ありがとうございました。

拝読しまして、おっしゃることはその通りだと思いますが、その前文でおっしゃったことと、後文でおっしゃっていることとは、矛盾しないでしょうか? それについては、どうお考えでしょうか。

1827復興G:2013/06/09(日) 21:32:28 ID:AB6RqYXc


志恩様。

「総裁が、和解をしようと決断されて、自ら実践されなければ、和解は可能とはならない。」

――それは、「総裁の奴隷」ということになりませんか?

「自分が変われば世界が変わる」 というのが生長の家の御教えではなかったのですか?

1828復興G:2013/06/09(日) 21:43:47 ID:AB6RqYXc

各人が皆それぞれ宇宙の中心であり、「縛られていても自由自在」な霊である。
「真理は汝を自由ならしめん」とイエスも言ったように、「われ神なり。主人公なり」の自覚を持ってどんな環境にも支配されず、環境を支配するのが神の子である。環境に支配されて、「環境が変わらなければ、外の世界が、他人が変わらなければ……」というのは、環境の奴隷だと私は思いますが、いかがでしょうか。

1830復興G:2013/06/09(日) 22:13:28 ID:AB6RqYXc


2.26事件も、過去の他人事ではない。「今」の「自分」のことであると捉えるのが、正しい神の子の自覚であると思います。

2.26事件の精神的指導者であった北一輝も、

>>現在の経済組織がいかにともあれ、また来らんとする経済組織がいかにともあれ、現実世界は心の世界の顕現でありますから、人間が生命の実相を悟らず、人間の征服欲が、人間の我欲が、人間の復讐欲が、現実世界を操っている以上は、そこに人間にとっての地上天国が実現すべき必然的理由がないのであります。<<(『生命の實相』第3巻p.94)

この自覚を持たず、心を変えないまま暴力的に国家の改造をしなければ農民などが救われないと思って、日本改造計画を考えたが、その根本自覚に間違いがあったので、誤った道に青年将校たちを行かしめたと考えられます。

いかがでしょうか。

1831こんにちは:2013/06/09(日) 22:18:06 ID:nSg7g3W2
>>1828 復興G様

これは志恩様への質問ですが、私なりに思うところがあります。
谷口雅春先生は、困難山積の社会状況の中で、積極的に社会を変えようと行動されました。
つまり、常に主体者でした。
ただ文句を言って非難しているのか、それとも主体的に変革への行動をとるのか?
ここが分かれ目なのだと思います。

その意味では、手段の是非はともかく、学ぶ会や社会事業団の方々は、主体的に行動されているという点が素晴らしいです。
雅宣総裁も、賛否はあれど、自分なりに総裁として主体的に生きている方です。その点は素晴らしいと思います。

となると、次の問題は、どう行動すべきか?になりますね。

1832トキ:2013/06/09(日) 22:21:33 ID:Y.1nBCFA
 教化部で会議があり、行って参りました。

 会議のあと、教区の大幹部と信徒さんが、本部や総裁に中心帰一で頑張っている人たちが教化部の事務室で会話をしているのです。

 「裁判で負けたから、甘露の法雨や聖典がないけど、どうしよう。」

とある信徒さんが言ったら、大幹部が、

 「分派が出しているのでしょう? なら、分派の聖経を使えばいいだけの話じゃないの。」

とことなげに言ったのに驚きました。教区の大幹部も、もう、争いは止めて欲しいというのが最大の願いみたいです。
しかも、それを、普段、本部万歳、総裁万歳の大幹部が話していたのに驚きました。

 こういう風潮がだんだんと広まるような雰囲気を感じます。

閑話休題

 これは、確か鈴木邦男さんが言っていた事だと思いますが、北一輝の日本改造法案の内容は、日本国憲法の内容と似ている
らしいです。すると、うがった見方をすると、青年将校たちがクーデータで出来なかった事を、戦争の結果、実現した、と
言う事になるかもしれません。ただ、私は、この問題を専門に考えた訳ではないので、そういう意見があった、という程度
にとどめます。

1833復興G:2013/06/09(日) 23:06:16 ID:AB6RqYXc

>>1831 :こんにちは様

コメント、ありがとうございます。

>>ただ文句を言って非難しているのか、それとも主体的に変革への行動をとるのか? ここが分かれ目なのだと思います。
その意味では、手段の是非はともかく、学ぶ会や社会事業団の方々は、主体的に行動されているという点が素晴らしいです。
雅宣総裁も、賛否はあれど、自分なりに総裁として主体的に生きている方です。その点は素晴らしいと思います。
となると、次の問題は、どう行動すべきか?になりますね。<<

そうですね。

主体的な行動は、いつの日にか必ず実を結ぶと思います。北一輝の日本改造法案も、敗戦後に実を結んだという見方もありますからね。↓

>>1832 :トキ様

>>北一輝の日本改造法案の内容は、日本国憲法の内容と似ているらしいです。すると、うがった見方をすると、青年将校たちがクーデータで出来なかった事を、戦争の結果、実現した、と言う事になるかもしれません。<<

そうですね。それは>>1654で私も

>>北が生前にその『維新革命』『国家改造』の実現を見ることはなかったが、(没後)8年後、連合国軍が、軍国主義を突き進む日本を武力で倒し、北の主張の多くは、占領政策を実施したGHQ主導による日本の戦後改革で実現されることとなった、とも言われる。<<

と書いていました。

1834復興G:2013/06/09(日) 23:33:25 ID:AB6RqYXc

>>1746>>1747 a hope 様。

2.26事件と今の 「生長の家」の問題で似ている点について、率直な鋭いご発言、ありがとうございました。

コメントが遅くなりましたが、これについては私の思うところを、いずれ詳しく書かせていただくつもりです。

合掌

1835トキ:2013/06/09(日) 23:43:33 ID:Y.1nBCFA
 復興G様

 まったくおっしゃる通だと思います。どうも失礼をしました。すみません。

なお、常岡瀧雄大尉は、先の文章の中で、北一輝が奥さんを霊媒として、ある種の霊と交信して
お告げを聞き、それを青年将校に伝えていた事にふれ、

 「北(一輝)は早くから、妻女を使って霊告と称して青年将校を盲信せしめてきた。」

と指摘し、多数の例をあげています。事件の途中にも、青年将校は北一輝から霊告を聞いて、
方針を決めたりしていたようです。

 そして、「世間には霊告と称して人を騙すものがおるが、だますことは罪なことであるとともに、
騙されるほうもどんなものか。いずれにしても、この霊告なるものはことごとく当たらなかった」

とも常岡さんは書いています。

1836志恩:2013/06/09(日) 23:45:02 ID:.QY5jUA6
復興G様

>>「「総裁が、和解をしようと決断されて、自ら実践されなければ、和解は可能とはならない。」
――それは、「総裁の奴隷」ということになりませんか?
「自分が変われば世界が変わる」 というのが生長の家の御教えではなかったのですか?>>


「総裁が、和解をしようと決断され、自ら実践されなければ、和解は可能とはならない。」

というのは、人の道、宗教的な道として、当たり前の道理を申し上げているのです。

このことは、言葉が通じる人には、当然の如く通じるように思っていました。
この考え方の、どこが、「総裁の奴隷」になるのか、私には,理解できません。

自分が変われば,世界が変わると言って、それは、そうですが、祈りだけでは,中国や北朝鮮が、かならずや変わるというものではないでしょう。
やはり、現実の世界に生きている以上、実相を祈りながらも、現実は,どう動けばよいか、考えて、行動しなければ、物事は前にすすみません。

ここの掲示板は、雅宣総裁も教団の幹部も見ていると聞いています。
ですから、おなじ命の兄弟へ、自分に呼びかけているように、精一杯、総裁に、上記のことを発言して、呼びかけているのです。


勿論私も、神想観し、聖経読誦し、雅春先生にもお力添えをおねがいした上で、私なりに、ここで発言させて頂いているのです。。

復興G様は、
過去の歴史も、今、世界中で起こっていることも、全て、自分の合わせ鏡であるというお考えのおかたですが、

わたしは、復興G様のようには、魂が進化しておりませんので、
2.26事件も、他人事でない、我が事だ、とは、到底思えないですし、

世界中で起きている ありとあらゆることが、全て自分の合わせ鏡だとも、どうしても思えないのです。

私は、個人としての雅宣さんに対する思いと、

生長の家の教えや 教団や本流が、どうなるかということで,雅宣総裁を思う事とは、別に考えているのです。


ですから、復興G様が、私の考え方が、理解できないように、
私も、復興G様のお考えが、理解できることと、理解できないことが、あるのです。

復興G様は、指導霊のテレパシーを受けられるほどの宗教的感性の持ち主でいらっしゃいます。
私は、霊感はないのですが、なんて説明してよいやらわかりませんが、理屈でないのです。

どちらかというと、他人の気持ちを優先するようにこころがけながら、
自然体で現実的解決を優先して、物事を考える性格だからだと思います。

私の場合は、そのような生き方をしてきて、いままでに
失敗したことって、あまりなかったような 気がしているのです。

自分では、信じられない程、いつもだれかが たすけてくれて 幸運が向こうから来てくれるのが常なものですから。

自分の環境も、そんなに祈らなくとも,がんばらなくとも、周りが良くしてくれて、
良くなっているので、、私の場合は、頭が賢くないものですから、

むづかしいことは、いえないのですが、見栄はって、いいことをいってるわけでもなく、
自然体で、すべて運良く生きて来ているので、、

自分なりの生長の家の生き方で生きていて、まわりじゅうのひとも
しあわせになつてます。

でも、掲示板では、きびしいことでも、言わなければならないと思う性格でもありますので、
生意気なこともいいますから、不愉快に感じられるおかたもあると存じます。

その点、不愉快にかんじられましたら、お詫びします。

お答えになってないかも知れません。
これからおふろです。ごめんなさい。

1837髪の子:2013/06/10(月) 00:58:03 ID:GTz2rrkY

私は我が子が自分が、真底進みたい道があるなら、応援したいと思います。
神様に、つねに委ねながら。
だから、総裁が環境問題やノーミートに力入れるのなら、応援したいし、総裁には喜んで歩んで欲しいなと思います。
応援させて戴きたいと思います。
ただ、それを生長の家で実戦されるのは、違うな〜と思うのです。
雅春先生のお孫様ですからね。
だから、復興G先生に、本流が総裁を退職させようと思っていると言われた時は、本当にショックでした。
ただ、伝えたいのは、総裁はご自分のされたいこと、応援しています。ただ、それを生長の家でするのは違うでしょう…。

1838ももんが(休み):2013/06/10(月) 01:12:15 ID:XXCuaQns
トキ様
復興G様


合掌、トキ様、復興G様、ありがとうございます。


そして、御疲れ様です。


“226事件の記事”が、出でいたので、興味深く、拝読させて貰いました。


以前、趣味で、昭和史を調べている時に、226事件の資料も、読みました。


その中に、226事件関係者は、『国柱会』の信者が、多いく、『国柱会』の思想の元に、国造りをしょうとしていたと、ある資料で、読みました。


それと、うる覚えなので、正確ではないのですが、子孫の方が、戦後、連合赤軍か日本赤軍のメンバーに成ったと言う、事も、資料で読んだように思います。


先祖の因果と言うか、深層心が、子孫にまで、影響するのだなと、実感した、覚えがあります。


詰まらない、お話をして、復興G様や、トキ様の、お話を濁して、しまいまして、申しわけありませんでした。


また、時間の有る時、寄らせて貰います。

”誌友会“多いに、盛り上げて、頑張って下さい!陰ながら、御祈りしております。

ありがとうございます。

合掌、拝。

1839【司会者】「訊け」【発言】:2013/06/10(月) 07:43:48 ID:???

>>復興Gさま
>>志恩さま
>>誌友会参加各位


 本来は貴投稿文を転写して理由を述べるべきでしょうが、簡潔に書こうと思います。

 ところで先ず、ある御文章をご紹介させて頂きます。以下は榎本惠吾先生の『試論・波状光明化への道』ですが此処に、この様な御文章がございます。

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…

『試論・波状光明化への道』(榎本惠吾先生著)342頁より謹写――

概観するに、生長の家人の中には、それぞれの自覚により、運動の展開に二つの姿があるのではなかろうか。仮りに、現象に悪の状態が出て来たとき、どのように対しているかによってそれは分岐れる。即ち、

(一)現象に悪が現れて来るのは、それは余りに「唯神實相論」に傾き過ぎた為である。「現象を現象としてはあるのであるから、現象をもその意味では認めて行かなければならない」と云う實相現象の二元論に進む。

(二)現象に思わしからぬものが現れるのは、それは唯一つ『實相一元、唯神實相論』への徹し切り方が足りなかったからである。飽く迄も『唯神實相論』を貫ぬかなければならない。

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…


 ・・・・・さて、志恩さまのご発言を俯瞰するに、同氏御主張(※)は榎本先生云われるところの(一)に、該当すると思います。そして、復興Gさまの御主張は(二)に該当するものと思っております。

 両氏やり取りを御覧になる際の参考に、この文を投稿致しました。



追伸

 むろん、『試論・波状〜』の中で榎本惠吾先生は、「(二)で行くべきである。それが、生長の家である」と御主張あそばされて、おられます。吉田國太郎先生も勿論、このご意見には賛同なさると思われます。





<註>

※ 志恩さまのご発言を俯瞰するに、同氏御主張は(一)

――――――――――――――
>>1836より:「総裁が、和解をしようと決断され、自ら実践されなければ、和解は可能とはならない。」
というのは、人の道、宗教的な道として、当たり前の道理を申し上げているのです。
このことは、言葉が通じる人には、当然の如く通じるように思っていました。
この考え方の、どこが、「総裁の奴隷」になるのか、私には,理解できません。
――――――――――――――

 「人の道、宗教的な道として、当たり前の道理」として志恩さまがご紹介くださった考えですが、これは少なくとも雅春先生の御主張では「ない」と判断致します。いかがでしょうか。ところでもしも、「いや、この主張に論拠はある」がご返答でしたらば、ご紹介ください。「聖典何巻の何頁」と申し付けてくだされば当方で、謹写・投稿致します。

1840【司会者】「訊け」【発言】:2013/06/10(月) 08:12:29 ID:???


>>1831こんにちはさま

 ご参加、誠にありがとうございます。以前より貴殿ご発言には、注目していた者です。どうぞ、積極的なご発言の方を、よろしくお願い申し上げます。

 さて、以下の点に関して私見を披露させて頂きます。


――――――――――――――
となると、次の問題は、どう行動すべきか?になりますね。
――――――――――――――

 ・・・・・この点ですが、この誌友会の流れ次第で後半に、紹介しようと思っていた御文章があります。「これぞ、光明思想に於けるところの〝行動である〟」と思える御文章であり、出典は『古事記と現代の預言』になる御文章です。あくまでも〝光明思想に於ける〟行動というものですが、以下御文章はその「ダイジェスト版」と表しても差し障りはないでしょう。

 ・・・・さて、雅春先生は以下の様な御文章を、我々にお示しになられておられます。

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…

   一、常世の長鳴鳥(とこよのながなきどり)を啼かす。
      (常住不変の實相世界の真理を宣布する)

   二、鏡を作りて中枝(なかつえ)に繋(か)ける。
      (現象的あらわれを心の鏡として、自己反省して心を改める)

   三、弥栄(やさか)の眞輝珠(まがたま)を作りて、それを上枝(ほつえ)に繋ける。
      (實相世界はすべての魂が真に輝いていて美しく、各々の魂は孤立分離して
       いないで、一つの玉の緒によって統一された大調和の世界であることを観ずる)

   四、實相世界の眞栄木(まさかき)を根こじにこじて現象界に移植する。
      (現象が如何に暗黒に見えていても其の暗黒を見ないで、實相の根元世界の
       光明遍照の有様をジッと観ずる)

   五、白和幣(しろにぎて)、青和幣(あおにぎて)を作って下枝(しずえ)につける。
       (人に接するに、必ず和顔愛語の布をもって柔らかく包んで接する)

   六、太御幣(ふとみてぐら)を奉祀して祝詞をあげる。
      (〝大生命〟及び祖先の生命をお祀りして聖経又は祝福の祭文を読誦する)

   七、天手力男神(あめのたぢらおのかみ)をして待ちもうけさせる。
      (機会をはずさず断行の決意をする)

   八、天之日影(あめのひかげ)を手次(たすき)にかけ、天之眞拆(あめのまさき)を
     鬘(かずら)として……云々。
      (心を空しく、雑念妄想を無くして、心が裸になって、神のお導きを待つ)

   九、踏みとどろかし、神懸(かんがか)りする。
      (いよいよ、神霊来臨したまい、何を為すべきかを指示し給う。
       その指示のまにまに、自然に行動する)

   十、八百萬(やおよろず)の神共に咲(わら)いき。
      (暗い表情を棄てて、既にあたかも光明が輝き出たのを悦ぶ如く、
       明るい笑顔をもって行動する)

(『古事記と現代の預言』第十一章より謹写)
全文はhttp://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65717053.html

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…


 ・・・・・私個人はこのご説明で、非常にすっきりした記憶がございます。

 よろしかったら、のお話しですが是非、貴殿のご感想なども賜りたく思う次第です。どうぞ、よろしくお願い致します。・・・・・まあ既述ですがこの点は、この誌友会の流れ次第で後半にでも紹介、しようと思っていた御文章です。




1841志恩:2013/06/10(月) 08:36:45 ID:.QY5jUA6
生長の家の教えは、『実践哲学である』ということも、私は,昔、学びました。

(一)を生きる方が あれば、それもよし。
(ニ)を生きる方が あれば、それもよし。

だと存じます。

あじさいの花の生き方が 好みの方があれば、あじさいの花の生き方で、
夾竹桃(きょうちくとう)の花の生き方が、自分には合ってると思うお方があれば、夾竹桃の花の生き方で…
それぞれに、それぞれが、自分に合っているという生長の家の教えを生きてゆけばいいと、私は思っております。

-----------------------------------------------

谷口雅春先生著「真理8巻」5頁より


>>「作法 これ 宗旨(教えの主体・中心)

   得道 これ 作法 (実践すること)」


 教えの本体が そのまま日々の 動作 となり

 得道と言うものが そのまま作法として 日常生活に 現れなければならない。

 生活と教えとが はなればなれに、遊離しては ならないのであります。

 生活がそのまま教えとなり、生活が そのまま説法と成るのでなければ、本当に生長の家の信徒とは言えないのであります。<<

1842志恩:2013/06/10(月) 08:48:36 ID:.QY5jUA6
〜「調和」と「妥協」とを混同してはならない〜について


  新講『甘露の法雨』解釈 84~87頁より


<< 「法華経」にある常不軽菩薩(じょうふぎょうぼさつ)のように「あなたは決して悪い人じゃないのです。
   あなたは本来、仏になる実相をおもちなのです」と、その実相を拝むんですね。

 「悪」は絶対無いのであって、その奥にある実相の「善」のみが独在することを深く信じて、
 その実相を礼拝するのが、本当に「実相を拝む」ということであり、天地一切の実在に和解することであります。


 悪なる現象の“実在性”を信じ、その存在を許すことは「和解」ではなくて「妥協」であります。


 吾々は「和解」しなければならないが、妥協してはならないのであります。


 (中略)

 <殺虫剤や軍備は不必要か>

 しかし実際の場合として、皆さんが凡ゆる場合に虫類の実相の完全さを拝んだら害虫が全部消えるか否かは皆さんの悟りの力量如何にあるのです。

 肉眼には「悪」の姿が見えるのに、実際に「善」のみあると、その実相を拝み切れるかどうかという事です。


 <軍備は本当に不必要か?>

 この事は日本の再軍備の問題でも同じ事であります。

 だから実相世界の「一切の生物処を得て争うものなき」状態があらわれたなら、そんなものは要らん筈だと言えるのであります。
 しかし、現代の日本人が果たしてそれだけの精神的力量叉は高い心境に達しているかという事が問題なのです。

 即ち「凡(およ)そ此の世界は神の世界であって敵は無いのである」という事を、日本人の大多数が深く信じそれを実践する事が出来るかどうかというと、
 まだまだ遠しと言はねばなりません。>>

1843【司会者】「訊け」【発言】:2013/06/10(月) 08:54:57 ID:???

>>1842

 ご謹写ありがとうございます。ですが先ず、その前にご指摘賜りたい点がございます。

 それでは当方の意見のどこが、「和解ではなく妥協となる」のでしょうか。その点をご指摘くださいませんと、
私のみならず他の方も、この文の意味を解しかねると思います。


 どうぞよろしくお願い致します。「訊けさん(や復興Gさまも)のご意見のここは、和解ではなく妥協である」と先ず、
ご指摘ください。話が横に逸れて行きかねませんので、この点はよろしくお願い致します。




1844【司会者】「訊け」【発言】:2013/06/10(月) 09:42:12 ID:???


>>WEB誌友会ご参加の各位


 積極的なご発言を期待致します。なおご発言は、志恩さんへのコメントでも構いませんがいったん、現時点での論点も再掲載致します。

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…

>>1751 復興Gさまご発言
いま現象界では、『生命の實相』の著作権・出版権をめぐる裁判に決着がつき、教団側の敗訴が確定した。
学ぶ会など「本流派」の方たちは、今こそ「雅宣総裁を辞任に追い込め」と、ある意味で「決起」を呼びかけておられるように思います。
しかし私は、今回のテキスト『生命の實相』第3巻の御教えを かみ締めながら2.26事件のことを教訓として学び、はっきりと自覚いたしました。

このような混乱の時こそ、「正念場」である。
≪ 「神は完全であって、神の造り給うた世界には、混乱はナイ」 という実相を観ずる 「正念」 をもって、しっかりと起たなければならない時である≫
と。

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…

 ・・・・・まあ、基本的にはフリートークとは申せ、今回の御題は非常に重いものだと思います。またこの掲示板は「別派、教団関係がない」という、完全中立の掲示板でもあります。いきなり「書き込み禁止」等になることは、ありません。

 どの様な立場からでも投稿可能ですので、積極的なご発言に期待致します。



追伸

 なお、司会者は仕事中です(笑)。皆さんと私とでPC前にいる時間が、ズレてしまいましょう。さらにはそのタイムラグが、議論の錯綜を誘発するかもしれません。

 その際はどなた様か気づかれた方が、議論の修正をされることもお願いします。どうぞ、宜しくお願い致します。

1845【司会者】「訊け」【発言】:2013/06/10(月) 10:36:49 ID:???

>>靖国殿

 ご発言ならば、こちらでお願い致します。




1846復興G:2013/06/10(月) 11:10:58 ID:AB6RqYXc

【司会者】「訊け」様、仕事中にもこの大役、ご苦労さまです。感謝します。

志恩様、真心こもるご投稿、ありがとうございます。

横切りますが――

>>1838 :ももんが(休み)様

お久しぶりです。

>>以前、趣味で、昭和史を調べている時に、226事件の資料も、読みました。
その中に、226事件関係者は、『国柱会』の信者が、多いく、『国柱会』の思想の元に、国造りをしょうとしていたと、ある資料で、読みました。<<

『国柱会』というのは、以前(戦後)生長の家とも協力団体として愛国運動をしていたと名前は聞いていましたが、詳しいことは知りませんでしたので、このたびウィキなどで調べました。

設立者は田中智学、「八紘一宇」を最初に標榜したのは国柱会であったとか、著名な会員に宮澤賢治、北原白秋夫人菊子、高山樗牛のような文人や、武見太郎、神崎武雄などの名前も上がっており、関連人物としては坪内逍遙、近衛文麿、東条英機、板垣征四郎、中里介山などの名前があることに少しおどろき、興味を持ちました。

SAKURA様が>>1750で、
>>軍国主義という言葉で括られていた昭和前半史の背後を知ることが歴史を反省するうえで欠かせない。日蓮主義者は一人一人の折伏ではなく、国家を丸ごと日蓮宗に改造してしまうという教義から、国家と結びついて
【 八紘一宇 】(アジア侵略)の夢を果たそうとした。国民的人気作家の宮沢賢治も熱烈な日蓮宗徒であったことは昭和史を考えるうえで感慨深い。日本の精神史(政治と宗教)を考察する上でまたとない好著である。『二十世紀を読む』(丸谷才一、山崎正和、中央公論新社)<<

と紹介されたことと合わせ、日本の精神史について、勉強になります。

SAKURA様の投稿の中では、
>>【 八紘一宇 】(アジア侵略)の夢を果たそうとした<<
という言葉が、気になりました。

【 八紘一宇 】 は、アジア侵略の夢ではなく、「人類は皆兄弟、世界は一家庭」――“Universal Brotherhood”(清瀬一郎)という理想だと聞いてきましたが、「八紘一宇」を最初に標榜した国柱会の田中智学氏の考えはどうだったのか、これから学びたいと思いました。

ありがとうございます。

1847復興G:2013/06/10(月) 11:33:27 ID:AB6RqYXc

>>1846 のつづきです。
ウィキで「八紘一宇」を引くと、

≪……「下則弘皇孫養正之心。然後」(正を養うの心を弘め、然る後)という神武天皇の宣言に着眼して「養正の恢弘」という文化的行動が日本国民の使命であると解釈、その結果である「掩八紘而為宇」から「八紘一宇」を道徳価値の表現として造語したとされる。

 ……この用語に最初に着目した行政機関は軍部であり、昭和11年(1936年)に発生した二・二六事件では、反乱部隊が認(したた)めた「蹶起趣意書」に、「謹んで惟るに我が神洲たる所以は万世一系たる天皇陛下御統帥の下に挙国一体生成化育を遂げ遂に八紘一宇を完うするの国体に存す。此の国体の尊厳秀絶は天祖肇国神武建国より明治維新を経て益々体制を整へ今や方に万邦に向つて開顕進展を遂ぐべきの秋なり」とある。

 この事件に参加した皇道派は粛清されたが、日露戦争以降の興亜論から発展したアジア・モンロー主義を推し進める当時の日本政府の政策標語として頻繁に使用されるようになった。

 ……その後の日中戦争から第二次世界大戦にかけても大日本帝国の政策標語としてしばしば言及され、日本国内各所で東アジアにおける東亜新秩序実現の為のスローガンのひとつとして使われ……現在における日本の代表的な国語辞典では、「第二次大戦中、日本の海外侵略を正当化するスローガンとして用いられた」と説明している。(抜粋)≫

とありました。

「八紘一宇」を、
≪……「下則弘皇孫養正之心。然後」(正を養うの心を弘め、然る後)という神武天皇の宣言に着眼して「養正の恢弘」という文化的行動が日本国民の使命であると解釈、その結果である「掩八紘而為宇」から「八紘一宇」を道徳価値の表現として造語した≫
とされる本来の意味に戻して、ひろめたいと思います。

1848「靖国見真会」参加者:2013/06/10(月) 12:05:40 ID:0PL7dBUs
「訊け」さんへ①

呼ばれたので出張ってきましたが、ここには関わりたくないのが正直な気持ちです。

ただ、これだけは言っておかなくてはならないと思ったので、あえてこちらでもいいますが、「谷口雅春先生を学ぶ会」はもはや「総裁辞任追求」には与しません。

勿論、会員の中には、それを願い、そのために心を砕いている方がいるのは承知しております。

しかし、それはもはや「谷口雅春先生を学ぶ会」の大勢ではありません。

実は、その宣言こそが、先の「全国大会」であったのです。

なぜ、「谷口雅春先生を学ぶ会」が「総裁辞任論」に与しないか!

別の掲示板にあった、以下の指摘がその論拠になると思っています。

》1 総裁に対し責任を追及できる者が皆無
2 教勢の減少は責任問題になっていない 
3 幹部たちが総裁の方針に意見が全く出せない
4 会員の多数を占める白鳩会が現状を深刻に考えていない 考えないようにしてる《

これが客観的な状況認識ではないでしょうか?

「八ヶ岳教団」の運命は、白鳩会が握っているのです。

そこが、イデオロギーとしての「中心帰一論」に“洗脳”され、谷口雅宣総裁親衛隊の如き存在と化しています。

だから、どんなに総裁にヤメロと言い募っても、谷口雅宣総裁親衛隊が機能している限り、その可能性はゼロに等しいというのが私の認識なのです。

それより、「谷口雅春先生を学ぶ会」はなさなければならないことがある、それは人を救う、これなのです!

今、有り難いことに、「全国大会」を終えて、どんどん会員が増えております。

拠点も増えています。

その地道な運動の中で、今、「谷口雅春先生を学ぶ会」が最も願い、やろうとしていることは「神性開発練成会」なのです!

「八ヶ岳教団」は人を救うという宗教本来の根本使命を置き去りにしてしまいました。

それを象徴するかのように、「森のオフィス」では、神癒祈願をしませんし、個人指導もしません!

もとより、それを批判することは簡単ですが、しかし批判だけすればいいという段階はとうに過ぎました。

「八ヶ岳教団」がしないのならば、「谷口雅春先生を学ぶ会」がそれをやる!

そういう思いで、必ずや練成会をやりとげたいと思っております。

そういうことを目指しているのに、「谷口雅春先生を学ぶ会」をまるで、総裁の首をとることだけを目指す、決起将校のような言われ方をされたことに、得も言えぬ悔しい思いをしたということです!

1849「靖国見真会」参加者:2013/06/10(月) 12:07:14 ID:0PL7dBUs
「訊け」さんへ②

折角、こちらにきましたので、私の心を今、最も突き動かしている、いわば私の原動力ともなっている、「ブラジル2世」の方の投稿をここに掲載させていただきます。

》私はブラジルに住む者ですがネットでご神像様が撤去される写真を見ました。これでもまだ黙って雅宣総裁を信じている今の日本の白鳩会員の皆様のおかしな気持ちが分りません。何故、ここで怒られないのでしょう。ブラジルの伝道本部の上に立っていらっしゃるご神像様を日本と同じように粗末な扱いをして撤去したなら絶対に黙ってはいませんし多勢で集まってスクラム組んで猛烈に反対しますよ。又、ブラジル人はこんなにも人としての気持ちを持たない残酷なやり方はしません。何故、今の日本の皆様はそれが分らないのでしょうか?自国を愛する愛国心は何処に行ったのですか?それでも日本人ですか?私達、ブラジルの日系の方が、そして、谷口雅春先生の教えを受けた、ブラジル人の方が遥かに自国を愛する精神、日本精神を持っていると今回、はっきり分りました。日本精神こそが、自分を尊び、自国を尊び、天皇様を尊び、それこそが、世界の皆様を尊ぶ精神です。これを教えて下さったのが、谷口雅春尊師です。この精神無くして、いくら世界平和運動と叫んでもそれはからっぽです。現白鳩会員の皆様、目を覚まして下さい。中心帰一は、雅宣総裁という人間にするものではないと思っています。谷口雅春先生は私という一人の人間に中心帰一しなさいとは何処にもおっしゃっていません。皆さん、何故、ここが分らないのですか?遠いブラジルでこの写真を見て涙が流れました。ご神像様と、こんな事を許した皆さんの心の残酷さに唯々、唖然としています。何度でも声を大にして言います。これが人間のすることですか?動物でももっと、愛のある扱いをすると思います。《


「ご神像」の撤去を見守るしかなかった自らの不甲斐なさ、ここに集う皆さんには、分かってはもらえないでしょうね?

そう思うからこそ、こちらに来たいとは思わなくなったということです。

「ブラジル2世」の方の投稿には、自らのこれからの人生をもって応えるしかないと思っております。

しかし、決して悲観ばかりしているわけではありません。

だって、今回、素晴らしい掲示板が誕生しましたからね。

★人類光明化運動<光明真成會>読書会世界本部★
「生命の實相」の輪読会・拝読を推進しましょう!!

「光明掲示板」と「光明真成會掲示板」、ここがこれからの大きな流れをつくると私は確信しております。

なお、「光明真成會掲示板」では、「訊け」さんのブログも紹介してくれていますよ。

「訊け」さんは、一貫して、谷口雅春先生のご文章やその高弟の方の素晴らしいご指導を紹介してくれています。

それが、のちのち大きな実をもたらす、そうなるよう、私は私の立場で前進あるのみです!

1850【司会者】「訊け」【発言】:2013/06/10(月) 15:02:21 ID:???


>>復興Gさま

 素晴しい御文章を紹介くださり、誠にありがとうございます。

――――――――――――――

>>1847復興Gさま文より)≪……「下則弘皇孫養正之心。然後」(正を養うの心を弘め、然る後)という神武天皇の宣言に着眼して「養正の恢弘」という文化的行動が日本国民の使命であると解釈、その結果である「掩八紘而為宇」から「八紘一宇」を道徳価値の表現として造語した≫とされる本来の意味に戻して、ひろめたいと思います。

――――――――――――――


 ああこの「然る後」(しかるのち)ですが、どこかで聞いた記憶がありました。「そう云えば」と思いついたのが、>>1840投稿文です。

○「慶びを積みて後に」 ―― 八紘為宇の本当の神武精神
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65717053.html


 以下が、八紘為宇に関する雅春先生御主張の、ダイジェスト版になります。

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…

『私の日本憲法論』」91頁より謹写――

 この「然して後に」の語には千鈞(せんきん)の重みがあるのである。こういう八紘為宇の本当の神武精神がわかっていたならば、戦争も起らなかったにちがいないのであるが、それを軍閥が曲解したために、あの戦争は起ったと言い得るのである。

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…

 さて、「然して後に」とは、どんな後にか・・・・・・それは、「慶びを積みて後に」とありました。「正を養うの心を弘め、」とは生長の家では、「慶んでから後に」と解釈、可能と思いました。




>>靖国殿


 ご来場、誠に感謝・歓迎致します。そして、「もはや(学ぶ会は)総裁辞任追求には与しません。」との言を聴き、再度安心致しました。ありがとうございました。


――――――――――――――

ただ、これだけは言っておかなくてはならないと思ったので、あえてこちらでもいいますが、「谷口雅春先生を学ぶ会」はもはや「総裁辞任追求」には与しません。
勿論、会員の中には、それを願い、そのために心を砕いている方がいるのは承知しております。
しかし、それはもはや「谷口雅春先生を学ぶ会」の大勢ではありません。
実は、その宣言こそが、先の「全国大会」であったのです。

――――――――――――――


 ところで、そんな事を言っていると「総裁擁護派」など、(言われ無き)中傷に晒されましょう(笑)。ですが、その方針を堅持してもらいたいと、思います。「生ぬるい!」なんてことを仰る方あらば、「カルトを喜ばす気か!?」と反論願いたいとも、思います。



――――――――――――――

その地道な運動の中で、今、「谷口雅春先生を学ぶ会」が最も願い、やろうとしていることは「神性開発練成会」なのです!
「八ヶ岳教団」は人を救うという宗教本来の根本使命を置き去りにしてしまいました。
それを象徴するかのように、「森のオフィス」では、神癒祈願をしませんし、個人指導もしません!
もとより、それを批判することは簡単ですが、しかし批判だけすればいいという段階はとうに過ぎました。
「八ヶ岳教団」がしないのならば、「谷口雅春先生を学ぶ会」がそれをやる!
そういう思いで、必ずや練成会をやりとげたいと思っております。

――――――――――――――


 “0”を一個おまけしまして、500兆チェストです。その方針こそが貴殿等が、邁進すべき道だと思います。そして、迷える信徒が求めていることにも、なりましょう。貴殿等がそうであってこそ初めて、教団もホンキになると云うものでしょう。私はそう、確信致します。

 素晴しいご投稿を、誠にありがとうございました。また、これからの論点も、非常におもしろいものになりましょう。ぜひ、ご投稿ください。「騒動はもう結構!」「それよりも我々には、ヤルべきことがあるのでは!?」・・・・そんな感じでお願い致します。




1851復興G:2013/06/10(月) 15:39:14 ID:AB6RqYXc

「靖国見真会」参加者様へ

ご登場ありがとうございます。

ご投稿文は「訊け」さんへとなっておりますが、「訊け」さんが>>1845で、
>>靖国殿
 ご発言ならば、こちらでお願い致します。<<

と書かれたのを見て、どこか別のところに何かこちらに関することを書かれているのかなあと、「光明掲示板」を見ましたら、ありました。

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res&amp;log=1734

ですね。そこに書かれている

>>教団をやめる覚悟のない人は、「谷口雅春先生を学ぶ会」を批判することでその免罪符を得ようとしてるのでは?!<<

などいうことが見当違いであることは、このweb誌友会板を読んで頂ければ分かることですが、靖国さんが

>>その「お方」(復興G)がどうして「谷口雅春先生を学ぶ会」をして、谷口雅宣総裁に辞任を迫る“決起将校”の如く見立てているのか、不思議でならないのです。
「谷口雅春先生を学ぶ会」が目指しているのは、先の全国大会を見ていただれば自ずとわかる筈です。
その「お方」は、きっと見てはいないのでしょう?<<

とも書かれていました。その通り、私は全国大会のYouTubeというのは最初にアップされたダイジェスト版を見ただけで、ノーカット版は見ていません。で、私も多忙な身ではありますが、時間を割いて見ることにしまして、今見始めているところです。

長いので、全部見るには時間がかかります。
見終わったら、コメントを書かせて頂きましょう。

1853トキ:2013/06/10(月) 18:35:16 ID:9HdRqq2M
「靖国見真会」参加者 様

 現在、教団に残っている職員や幹部のなかには、たしかに総裁へ「こび、へつらい」と思われる言動をする人はいます。

 しかし、復興G様が、この掲示板に登場され、後進の指導に当たられる事は、ご本人には、損はあれ、得になる事はあり
ません。上手く行ってスルーですが、下手をしたら、教団から処分を受けます。そういう事をご承知の上で、あえてこの
web誌友会にお越しになり、後進の指導をされる事は、どうみても一身の利益を度外視した行為であり、後進から見て、
感謝の気持ちしかありません。この掲示板も、web誌友会が始まると閲覧者様が増えるのは、やはり信徒が復興G様のご指導
を高く評価している証拠だと思います。

 例えば、理事長をされた某氏が、裁判で証人として出廷し、「谷口雅春先生も間違いをした」と証言をしたと某掲示板に
ありました。また、昨年の相愛会の幹部研鑽会で、理事だったy先生が、終始、総裁をヨイショするスピーチをし、出席者
から、、「あれはないだろう」という感想があがった事もありました。そういう人達の事は、確かに「靖国見真会」参加者 様
の批判の対象になりえるかもしれません。しかし、復興G様の行動は、信念に基づいた素晴らしい行動と言えます。

 「靖国見真会」参加者様は批判をする相手を間違っている、というのが私の感想であります。

1854「靖国見真会」参加者:2013/06/10(月) 19:05:49 ID:0PL7dBUs
「トキ」さんへ

》復興G様の行動は、信念に基づいた素晴らしい行動と言えます。
 もし、「靖国見真会」参加者様は批判をする相手を間違っている、というのが私の感想であります。《

ご忠告、ありがとうございました。

私は、「復興G様」がどうして、「谷口雅春先生を学ぶ会」に対して、あのような捉え方をしたのか、それが不思議でならないと申し上げているのです。

こちらで、「復興G様」が、誌友会の指導されていることについては、私なりに敬意を表しております。

それだけに徹していたらいいのに、なぜ、わざわざ「谷口雅春先生を学ぶ会」について、決起将校まで持ち出して言われなければならないのか、その必然性が少しもわからない、それがとても得心がいかないから、それは「志恩」さんと同じ気持ちだから、それを紹介して言わせてもらったったまでです。

》「靖国見真会」参加者様は批判をする相手を間違っている

そっくり、その言葉は、こう言わせていただきます。

》「復興G様」は批判をする相手を間違っている

「谷口雅春先生を学ぶ会」がなかったら、「ご神像」の撤去、だれが見送ったというのですか!

私は、それだけでも「谷口雅春先生を学ぶ会」があって良かったと思っている一人です。

あの場に、「復興G様」は来ていませんでした。

残念でした。

「ご神像」を見送りたい、どんな撤去のされ方をするのだろうか、とても気になる。

そういう人であって欲しかったと思っています。

しかし、それはこちらの勝手な思い込みですから、またいろんな事情がありますでしょうから、仕方ないと言えば仕方ありません。

それならそれで、「ご神像」を少なくとも見送った「谷口雅春先生を学ぶ会」に対して、あんな言われ方はないだろうと思うのです。

私の方がおかしいですか?!

この際ですから、はっきりと言わせていただきます。

「復興G様」は、谷口雅宣総裁の長年の指導をどう思っているのですか…?!

直に、それを目の当たりにしてきているんですから、韜晦趣味に逃げず、堂々と言って欲しいと思います。

民主党支持の発言。

「鎮護国家」外し。

「聖経」を“補強”してつくった新しい「経本」。

答えるべきことがいっぱいあるではありませんか?!

もう一度、いいます。

韜晦趣味に逃げず、ホンネをさらけ出してください!

それがない限り、わたしは「トキ」さんの言うように

》信念に基づいた素晴らしい行動

とは思い得ないということです。

しかし、そうは言っても、「復興G様」には、無理にホンネをさらけ出さなくていいとも思っているのです。

「立場」は大事ですから。

谷口雅春先生の教えを深く学んできた「復興G様」が、谷口雅宣総裁の説いていること、やろうとしていることを「おかしい」と思っていない筈がないのです!

だから、私は、誌友会の指導に徹して、教えの素晴らしさを説くことのみに専念していただきたいと思っています。

私どもはそれなりの決意と覚悟で、「正統・生長の家」の復興のために全力をつくすのみ、「復興G様」には、それをただご覧になっていただければいい、そう思っています。

1855トキ:2013/06/10(月) 19:54:09 ID:9HdRqq2M
「靖国見真会」参加者様

 ご丁寧なお返事、ありがとうございました。誌友会の最中なので、簡単に感想を申しあげる程度でお許し下さい。

 既に生長の家教団を離れて独自の立場で活動をされている方と、現在の教団に在籍している人とでは、行動が異なるのは当然かと思います。

>.決起将校まで持ち出して言われなければならないのか、その必然性が少しもわからない

 この点については、誌友会が終わる頃には、明らかになると思います。

ご期待下されば幸いです。

1856復興G:2013/06/10(月) 21:01:05 ID:AB6RqYXc

「靖国見真会」参加者様。

谷口雅春先生を学ぶ会第1回全国大会記録ビデオのYouTube、見ました。

「光明掲示板」で
「「本流復活」を願う“言論展開路線”から「正統生長の家」樹立に向けた“真理護持拡大路線”へ… (8102)
日時:2013年05月02日 (木) 10時06分
名前:「靖国見真会」参加者
……
などのご文章も拝見しました。

それで、今、「学ぶ会」は過去の教団攻撃言論活動から「正統生長の家」樹立に向けた“真理護持拡大路線”へと方向転換し、本気で本当に「谷口雅春先生を学び実践する」 運動に 「いのちをかけて」 頑張っておられるということが、わかりました。

過去に於いては、生長の家らしからぬ悪口罵詈雑言を投げつけるような方も多く見受けられたので、私は
「谷口雅春先生を学ぶ会」というのは名ばかりで、実は「学ばない会」ではないか、と批判したこともありましたが、それは今も名残りは完全に払拭されたわけではないかもしれないけれども、方向転換すべく懸命の努力をされていることを認めます。専従員は5人だけで、1年間の運動で全国大会にあれだけの人数を集め、熱気溢れる大会を成功させられたのは、常識を超えた命がけの奮闘努力があったことと察せられ、「学ぶ会」の躍進に声援を送ります。

私が
>>学ぶ会など「本流派」の方たちは、今こそ「雅宣総裁を辞任に追い込め」と、ある意味で「決起」を呼びかけておられるように思います。<<

と書きましたのは、そういう呼びかけをなさっている方も見受けられるのでそう書きましたが、「学ぶ会」の方針はそうではないということが確認できましたので、前文は撤回し、お詫びします。

しかしながら、生長の家の運動は谷口雅春が始めたのではなく神が始められたのだと、谷口雅春先生はおっしゃっています。神さまの運動であって、人間の運動であってはならない。その点、前原副代表は全国大会で、「神想観に徹して神様をあらわそう」とおっしゃっています。問題は、いかにそれが実行されるかです。

自我を死に切って、すべての宗教が神髄において一つであることを観じ礼拝し手をつなぐことによって「万教帰一」の地上天国が実現する。それが生長の家出現の使命でしょう。生長の家が分裂したままで、その使命が達成できるとは、私には思えないのです。

どんなに困難があろうとも、神に解決できない問題はない。神に不可能はない。そう(大意ですが)前原副代表は語っておられましたよね。

それで、学ぶ会は雅宣総裁と八ヶ岳教団を見限って、「谷口雅春先生を学ぶ会」として谷口雅春先生のお説きくださった真理を、神さまをあらわす天皇国日本の実相顕現運動、人類救済の運動をなさるという、それも現段階に於いては、途中の過程としては一つの行き方かも知れません。

しかし、学ぶ会の長期展望はどうなのですか?

神様の運動なら、宗教でしょう。宗教は、人間の自我で作られるものではないと思います。生長の家総裁の更迭ができないなら新しい宗教法人を樹立されるのですか?

生長の家が分裂していて「万教帰一」の実現など、あり得ないと思います。ということは、生長の家出現の使命は実現できないということである。

その責任は一にかかって雅宣総裁にあり、われわれはそれを言い続けるのが使命であると志恩さんなどはおっしゃっているように思えるのですが、私はそうは思いません。

今こそ、本来の神の国の「一」から出発しなければならない、そして本来の「一」にこそ生長の家の使命があるのだから、どんなに不可能と見えるような状態があろうとも、「神なら解決できる」のだから、ドンキホーテといわれようと何と言われようとも、神を信じて起つということは、其処に起つのでなければならないと私は思っています。

1857トキ:2013/06/10(月) 22:25:11 ID:9HdRqq2M
 昨日、行事があり、地元の教化部へ行きました。会議のあと、幹部や職員の方々と話しました。さすがに裁判の事はみんな
知っていました。さらに、これは言いにくい事ですが、ここまで来ると、さすがに本部や総裁が間違っている、という発言が
出てきました。もちろん、裁判の事もありますが、今までの本部や総裁のご指導が、理論偏重で、実際には使い物にならない
机上の空論であるのは、幹部はだんだんと分かって来ています。これは、相愛会の連合会長からきいたはなしですが、全国の
相愛会連合会長を集めての研修会の時に、ある教区の連合会長が、

 「本部の言う事は、全然、見当違いのことばかりだ。一度、うちの教区に総裁が来て、現状がどんな悲惨かをみていただきたい」

と言ったという話もききました。

 しかし、それでも教区で頑張っているのは、やはり信徒さんがおられるからです。また、谷口雅春先生への愛情からです。
現実の話、総裁の言う事を本気で信じている人は、幹部のなかでも急激に減っています。それでも、この悲惨な状況下で、地道にお世話
活動をされ、伝道をし、誌友会を開催されている第一線の幹部は多数います。その真摯な姿は本当に頭が下がります。そういう
姿を教団も本流も知って頂きたいと、思わずにはいられません。

1858トキ:2013/06/10(月) 23:06:31 ID:9HdRqq2M
 余談ですが、いわゆる安保紛争のときに、サヨクのリーダーをしていた秋田正大という人がいます。

 後年、鈴木邦男さんが、この”旧敵”の秋田さんと会った時に、秋田さんは、こう言っていたそうです。

 「安保はよかった。安保条約ができて良かった。でも、半安保運動も良かった」

と。将来、ひょっとしたら、生長の家でも、似たような事を言われるのでしょうか。

1859ユタカ:2013/06/10(月) 23:52:57 ID:R1D4Jmeg
ご神像のお見送りはそれは信仰の発露で好かったと思います。 プラカードもOKでした。

ただ、原宿本部の依頼した運送屋さんのぞんざいな引越し作業を、どんなに手落ちがあろうとも、ネットを通して全世界にご披露してしまう、というそういう言動に復興G様は苦言を呈しておられると傍から見てそのように思えます。

ご神像という大掛かりで初めての移動で手配の仕方が悪かったのかも知れませんし、本部のご神像引越し担当方もあのように酷い引越しになるとは分からなかったのかも知れませんよ。本流の掲示板で恐怖体制をしくと言う総裁が、(例え今回のような下手な引越しでも)静かに終わるはずの引越しがこのご披露目で、その引越し担当者の方の首をどうなさるのでしょうか?その人の家族は大丈夫なのでしょうか? 

皆さんはどう思いますか?

1860ユタカ:2013/06/11(火) 00:05:42 ID:R1D4Jmeg
すみません、皆さんに問いかけしてしまいました、WEB誌友会を脱線していますよね?>1859はスルーして下さい。
私は良く分からなくなったので、これ以上の発言はありませんので会期延期願いは撤回します、あとは復興G様のお話で勉強するのみです。

訊けさまはありましたらどうぞ。

1861ユタカ:2013/06/11(火) 00:34:51 ID:R1D4Jmeg
もう一言だけ、すみません。

このユーチューブや写真を取られた方と学ぶ会の代表や副代表はこのことを直接に生長の家総裁又は本部にぞんざいな引越し作業の意見をされに行かれたのですか? 直接本部に申し入れをされてあちらの見解を聞いて、どうしてあのような作業になったのかが分かればもっと良いと思いました。

そうされて、門前払いをされたりしてそうなさったのでしょうか? 


原宿本部さんが静観されている様子は立派だと思います。

1862ユタカ:2013/06/11(火) 00:40:26 ID:R1D4Jmeg
訂正 そうされて、門前払いをされたりして<メッセージを原宿本部に伝えるためにやむを得ず>そうなさったのでしょうか? 


原宿本部さんがネットのアップなどを静観されている様子は立派だと思います。



に訂正。

1863ユタカ:2013/06/11(火) 01:27:04 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま

梅の花の神示を謹写し、無明の自壊がなければ光明が現れない等の発言しようと思っていましたが中止しました。

私は以上で発言終わりです、上記のご神像のやり取りは別板かな?  訊けさんも会期延長希望だったから、ドンドンと遠慮ない発言を頑張って下さい!!

1864こんにちは:2013/06/11(火) 05:28:09 ID:nSg7g3W2
>>1840 「訊け」様
「古事記と現代の預言」懐かしいですね。
昔はよく読みました。

具体的行動を考えるとき、この10項目で私の心に残るのは、
「人と接するに和顔愛語」
「断行の決意」
「明るい笑顔で行動」
です。この3つの実践だけで、光明生活が実現しますね。

ただ、教団にかかわる行動となると、なかなか難しい。
「心を空しく、雑念妄想を無くして、心が裸になって、神のお導きを待つ」
という心境になるまで、徹底的に神に祈る必要がありますね。

1865【司会者】「訊け」【発言】:2013/06/11(火) 07:54:59 ID:???


>>靖国殿


 重ねてのご投稿、誠に感謝致します。さらには、「大歓迎」の意を司会者として表明させて頂きます。ありがとうございます。さて、ところで余談から入りますが「復興G」さまのお立場・ご投稿のスタンスに関しましては、トキさま(>>1853)ご投稿で間違いありません。私も同氏に対しましては、トキさま同様の見解を持っております。(私は案外?生意気ですw先輩だろうが容赦なく、疑問を呈する性質です。ですが、復興Gさまに関しましては過去、疑問が余り生じません。なぜならば同氏ご発言は100%、『生命の實相』を論拠にされるからだと思います。)

 ・・・・さて、余談を終えて本題へ移らせて頂きます。

 この、復興Gさまから貴殿へ発せられたご発言ですが、これが大切な点だと思っております。

 なおこの誌友会では、キーワードのひとつに「正念」が挙がっております。これは、「一」と言い変えてもよいものです。それでは、以下の御文章をご拝読ください。

――――――――――――――――――――――――――――
>>1856復興G様ご発言より)
生長の家が分裂していて「万教帰一」の実現など、あり得ないと思います。ということは、生長の家出現の使命は実現できないということである。

その責任は一にかかって雅宣総裁にあり、われわれはそれを言い続けるのが使命であると志恩さんなどはおっしゃっているように思えるのですが、私はそうは思いません。

今こそ、本来の神の国の「一」から出発しなければならない、そして本来の「一」にこそ生長の家の使命があるのだから、どんなに不可能と見えるような状態があろうとも、「神なら解決できる」のだから、ドンキホーテといわれようと何と言われようとも、神を信じて起つということは、其処に起つのでなければならないと私は思っています。
――――――――――――――――――――――――――――


 ・・・・・この、「一」から出発すること ―― ここの解釈が議論錯綜の要因になっていると思うのです。(現在の「学ぶ会」は違うのでありましょうが)一部の方からトキさんや、その他の方への批判が殺到しますけれども、その要因はこの、「一」から出発することの解釈の違いだと思っております。

 さて、貴殿はこの、復興Gさまのお問いかけに関して現在、どのような意見をお持ちでしょうか。

 私のみならず多数の方は、この点に関心があると思います。お時間ございます時にご返信、頂戴できますれば幸いです。どうぞ、宜しくお願い致します。




追伸

 なお、「新経本」の件等ですが復興Gさまは、過去、ご発言なさっておられます。現在場所が不明で見つけられませんが、必要ならば再度掲載致します。ですのでおそらく「>>1854韜晦趣味に逃げず、ホンネをさらけ出してください!」は、誤解であろうと察する次第です。

1866【司会者】「訊け」【発言】:2013/06/11(火) 07:58:58 ID:???


>>1864  こんにちは様


 ありがとうございます。あの十か条は、大切ですよね。それでも貴殿同様、私もなかなか難しいです。

 私の場合は、「竹中平蔵」が問題です(笑)。「コイツに多々、仲間の経営者を殺された!」てな感が強く、なかなかコヤツが絡んでくる問題に関しては、実行できずにおります。その点は貴殿が「なかなか教団に対しては」と仰っておられる点と、同様でしょうか。

 ・・・・・しかし、御教えって、峻厳ですよね。それでも「和解以外にない」わけです。実に私のような〝我〟の強い人間には、たいへんな点です。復興Gさまからも過去、何回も叱られましたが、精進して参ろうと思っております。



1867「靖国見真会」参加者:2013/06/11(火) 07:59:19 ID:0PL7dBUs
「復興G」様へ

投稿、ありがとうございました。

〉今こそ、本来の神の国の「一」から出発しなければならない、そして本来の「一」にこそ生長の家の使命があるのだから、どんなに不可能と見えるような状態があろうとも、「神なら解決できる」のだから、ドンキホーテといわれようと何と言われようとも、神を信じて起つということは、其処に起つのでなければならないと私は思っています。

「復興G」様、お言葉を返すようですが、「ドンキホーテといわれようと何と言われようとも」と書いておられますが、いったい、それは何を指しているのでしょうか?

具体的にどう起っておられるのか、それが皆目、判然としないのですが?

いろんなところに出講している、あるいはこちらで誌友会を開催している…。

それをもって、「ドンキホーテ」と称されるのですか?

口幅ったいようですが、「ドンキホーテ」というのであれば、よほど私どもの方がそうですよ。

金もない、人もいない、なにもない、ないないづくしの中で、ただ「思い」のみで、谷口雅春先生の「教え」の灯を消してはならないととの「思い」のみで、職を辞して、「谷口雅春先生を学ぶ会」に飛び込み、一千億の資産を有する「八ヶ岳教団」にぶつかろうとしているんですからね。

それも、単に、総裁の首をとろうというのではない、会員を増やし、拠点をつくって、地道に組織力をつけようという道を歩もうとしているのですからね。

展望ですか?

そういう確たる将来が、展望が見えていて、勝算があると思ったから、飛び込んだのではないのですよ!

『海賊とよばれた男』の出光佐三ではありませんが、すべてを失っても構わない。

とにかく、このままではいけない。

その思い一筋で、決意したことなのです。

そういう思いで、必死の思いでやっていれば、自ずと理解し、協力してくださる人が現れる、それのみを信じてやっていることなのです。

それが見事に「全国大会」で花開いたと実感できたから、本当に嬉しかったわけです。

これで、どうにか、将来への展望が少しは開けたかなとは思っております。

しかし、そんなものは油断したら、すぐにでも消えてしまう、儚いものでもあるのです。

何せ、相手は「八ヶ岳教団」です。

つぶしにかかろうとするなら、どんな手を使ってでもつぶしにかかります。

それぐらいの覚悟はしています。

一連の裁判を見ていて、それを痛感しました。

金にあかせて、どんどん訴訟を起こし、こちらを兵糧攻めにしようとしているのですからね。

「ドンキホーテ」というのであれば、まさしく私どもの方だといいたくなるのもおわかりいただけるのではないでしょうか?

向こうが金でくるなら、こちらの武器は、ただ「一」つ、谷口雅春先生へのご恩報じ、それのみです!

そういう思いでやっているのに、よく知りもせず、かつての先入観、思い込みのみで、誹謗とも受ける書き込みをされたから、これはたとえ「復興G」様と言えども、黙ってはおれぬと思って投稿したという次第です。

更に、失礼を顧みず、「組織」から抜けた者として、敢えて言わせていただけば、「組織」に残っている身で、「ドンキホーテ」はないだろうというのが私の正直な感想です。

「組織」に残っている身で「ドンキホーテ」を名乗る資格があるとすれば、それは「一」にかかって、谷口雅春先生の教えをもって、谷口雅宣総裁の間違いを鋭く剔抉する行動を起こす場合のみである、というのが私の見解であります。

それを行動に移す、覚悟ありや否や?

私にとっての「ドンキホーテ」とはそういうことであります。

大先輩に失礼な物言いをしているとは思いますが、先入観をもってあれこれ言われたわけですから、これぐらいの発言は赦されるであろうと思ったという次第です。

1868志恩:2013/06/11(火) 08:18:19 ID:.QY5jUA6
ご神像の、撤去問題・「運搬」の際に関しての感想を申し上げます。

あのご神像は、
元本部講師で彫刻家でいらした服部仁郎先生が、彫刻されました。
服部仁郎先生は、当時、霊夢を見られて、その霊夢にあらわれた神様を
ご神像として彫られたのだということを、昔、服部先生の奥様に伺いました。

ですから、霊夢にあらわれた神様を表現された あのご神像は、
単なる彫刻という物体ではなく、

「精霊が宿るご神体である」のです。

ご神像は、本部会館の七つの燈の所の高い位置で、生長の家の神様の象徴として
われわれを、ご守護下さりながら、

約60年間という永き歳月に亘り、あの高い位置で、ず〜〜〜っと、立ち尽くしていて下さいました。

ですから、ご神像へ、そのお礼と感謝の気持ちをこめまして、恭しく誠の「祭祀」を行ない,
その後に

聖なるものを包むのは、昔から「白布」と決まっているのですから、
それらの事も,教団側は、配慮されて、

撤去、運搬を行うことが、
永年お護り下さった お世話になった 

ご神像への礼儀であり、感謝であったと思います。

その上、古い信徒達にとりましては、あのご神像に対してましては、特別な思い入れも
ございますから、

教団は、今回、するべき 祭祀 をしなかったことと、
運搬するときの配慮のなさ

この2つの点で、心ある信徒が悲しんだことを、ご認識下さい。

ご神像を、ただの物体扱いで、
どんなものでも梱包する汚い黄色い布で包んで、しかも、土足で 登ったりさせて、
運搬業者に、そのようなことをしないようにと、前もってお願いもせず
粗末な感じで、運び出させた件は、非常に教団側に 配慮が欠けていたと思います。

これは、教団を批判するなという問題ではなく、教団側は、批判されて当然のことだと思います。

もしも、雅春先生が総裁でいらした場合でしたら、
あのような粗末な扱いは、決して、されなかったと存じます。
そして、
ご神像への永年の感謝の気持ちも 込めて、きちんと祭祀も行われたことでしょうし、

先に言いましたように
仏像などもそうですが、ご神体などの聖なるものを包む布や紙は
昔から「白」と決まっているのですから、

教団側が、運搬業者に依頼する際、その旨を伝え、
運搬業者が、「白」を用意出来ないと言った場合は,

前もって、教団側が、「白い布」を用意しておき、運搬業者にお願いして、
最初に包む布は、「白」。

そして、それだけでは、運搬の際に、破損の恐れがあるのなら、
「白い布」の上から、あの汚い黄色い梱包用布で、包むのが、
まっとうな考え方だと存じました.


結局、一事が万事です。内なる「精霊」を見ずに「物体」という彫刻としか、見ていなかったのでしょう、教団は。


ご神像が、本部から取り払われるということは、
信徒なら、どなたでも、その状況を知りたいものです。

本当は、あの映像記録は、
教団側が写して、こういうネット時代なのですから、信徒に情報公開すべきことです。

ですから、それを、なにもしなかった教団に代わって、
このたびは、「学ぶ会」の有志の方々が、いらして、小雨降る中 傘もささずに、
聖経「甘露の法雨」を読誦して下さったことは、1つの救いでありましたし、

ご神像が運び出される様子も、「学ぶ会」の有志のお方が写して、映像を流してくださいましたので、
信徒達は、そのおかげで
その様子を、拝見出来ました事は、大変有り難く感謝致しているところです。

1869【司会者】「訊け」【発言】:2013/06/11(火) 08:25:18 ID:???



 いやーこれは、「盛り上がる誌友会」になりました。靖国殿の登場に重ねて感謝の意を表明致します。さらになお、他の方(光明掲示板の方)も大歓迎です。どしどしご投稿ください。普段はウルサイ訊けですが、現在は「司会者」です。ご発言の邪魔はしませんので、どうぞご安心ください。(論点の整理くらいはさせて、頂きますが)

 さて、靖国殿に資料を提示致します。この、「一」なる用語ですけどもおそらく、復興Gさまは下動画の意味でお使いだと思います。

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…
○「久遠の今」
前編http://www.youtube.com/watch?v=e2ol5ztA3z8
後編http://www.youtube.com/watch?v=lDSwsxbLfes
・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…

 復興Gさまのご投稿をお待ちの間、ご視聴されることをお勧め致します。用語の語義確認をされれば、錯綜を最小のものにできましょう。なお、同動画は全部で15分程度です。

 他の方も上動画ですが、ご視聴をお勧め致します。復興Gさま用語の「正念」「正念場」あるいは「一」の意味ですが、再度確認しようではありませんか。ところで議論での、ほとんどの誤解の要因は「語義の不一致」です。動画視聴後であれば、やり取りが良質なものとなりましょう。




1870「靖国見真会」参加者:2013/06/11(火) 08:28:56 ID:0PL7dBUs
「訊け」さんへ

多用につき、用件のみにて失礼します。

〉この、「一」から出発すること ―― ここの解釈が議論錯綜の要因になっていると思うのです。(現在の「学ぶ会」は違うのでありましょうが)一部の方からトキさんや、その他の方への批判が殺到しますけれども、その要因はこの、「一」から出発することの解釈の違いだと思っております。〈


「一即多」でいいと思っています。

谷口雅宣総裁のヒドサを見たら、こんなところに谷口雅春先生がいるわけがない、そう思って当然であります。

「皆さん、一人ひとりが谷口雅春である」

谷口雅春先生は、そう仰ったのですから、谷口雅宣総裁についていけないと思う人は、それぞれの場で立てばいいのです!

「八ヶ岳教団」は組織集団であって、生長の家の「信仰」とは切り離して考えるべきであって、「八ヶ岳教団」をやめること、それが生長の家の信仰をやめることとは全然、意味が違います!

その混同こそが問題だと思っています。

今、どんどん「独立誌友会」が増えています。

私が、かねてより、望んでいたことです。

とにかく、「八ヶ岳教団」離れを起こすこと、そして、いろんな「多」がうまれること、それを心から望みます。

そして、「多即一」、いずれ、本物のところに「一」するでありましょう。

それでいいのではありませんか?

1871志恩:2013/06/11(火) 08:43:12 ID:.QY5jUA6
復興G様

復興G様、私は疑問に思う事がございます。
以前、復興G様は、雅宣総裁お一人の責任ではない、われわれ信徒全員の責任だ、
総裁とわれわれは、合わせ鏡なのだからだと,申されましたが、

あの雅春先生の絶版にされている、信徒が読めなくなっている30冊以上の
雅春先生の著書の出版に関しましても、われわれ信徒の責任として、

出版しようではないかと、皆さんで発言を大にしていかなければ、いけないのではないでしょうか。
今回、知りました。教団には遺産が、500億円どころか、1000億円もある優良企業なのだということを。

こんなに,財産があるのでしたら、
いくらでも、雅春先生の著書を出版できるでは、ありませんか。

それに、法的に裁判の結果が下りて、著作権問題は決着したのですから、
教団は、社会事業団と和解して、著作権料を払えば、いくらでもいままで通り「頭注版、生命の實相」は、
日本教文社から出版できるということも知りました。

ですから、総裁とわれわれが,合わせ鏡だといわれるなら、われわれは、自己責任に於きましても、
「雅春先生の著書を信徒が公平に読めるように、しよう。生命の實相も、読めるように、しよう、」という

動きを闊達にしなければ、いけないのではないでしょうか。

でも、本部の動きは、われわれの希望とは、うらはらに、機関誌には、雅春先生のご文章をいっさい載せていないという
ことです。

私は、雅宣総裁が、トップなのですから、それらの事は、彼の考え1つで、方向がきまると思うのです。
特に、宗教団体のトップとは、そういうものでしょう?

ですから,私は雅宣総裁の責任だと申し上げているのです。

1872【司会者】「訊け」【発言】:2013/06/11(火) 09:06:56 ID:???

>>1871志恩さま

 ご投稿をありがとうございます。さて・・・・

 ところでこの点(>>1871)は過去、復興Gさまに再三質問された件ではなかったでしょうか。「もう、そんな質問はするな」とは申しませんが、せめて、以下の様式での投稿をお願い出来ませんでしょうか。それは、

――――――――――――――

1、過去の復興Gさまご説明を、先ずは引用されてください。
2、そして、「この部分は、こう思う」と云う方向で、ご投稿ください。
3、さらには、ご主張にはせめて、「雅春先生の御文章」等を挙げられてください。(論拠の提示です)


――――――――――――――

 いやたぶん、せめて上記三点くらいを踏まえて頂かないことには、復興Gさまにも失礼だと思います。さらには現在、靖国殿もご参加くださった誌友会ですので余計、復興Gさまは時間配分に苦慮されることと察します。ですので、貴女様に於かれましてはせめて、上記三点を踏まえられてのご投稿をお願いする次第です。よろしくお願い申し上げます。




追伸


 上記三点を踏まえられた上で、さらなる希望を掲載します。

 希望を申せば、貴女様の解釈(「一即他」等に関する)を掲載頂きたいのです。貴女さまが雅春先生の御文章をどう解釈されたのか、これが不明の状況です。これでは返信する側は、返答に苦慮するのです。「どこを強調して書けばよいのか」が、返信側にすれば、さっぱり不明になるのです。よろしくお願い申し上げます。

1873【司会者】「訊け」【発言】:2013/06/11(火) 09:17:19 ID:???

(×)一即他
(○)一即多




1874ユタカ:2013/06/11(火) 09:23:53 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま
WEB誌友会で勉強した>>714>>715>>716をユタカはしっかり受け止めました。

714 :復興G:2013/04/20(土) 20:57:30 ID:AB6RqYXc

さて、テキストに帰りましょう。

テキスト『生命の實相』第3巻で、2番目に掲載されているのは、「万教帰一の神示」と称されている神示です。
この神示の冒頭に、次のように記されています。

≪ われに姿かたちがあるように云うものあれどわれは姿なきものである。われは道(ことば)である。われは霊性である、知恵である、愛である、生命である、われは如来である、われは一つにして多である。

 信仰深き諸方の霊覚者にわが神姿を示したることあれども、そはわが真の姿に非ず、見えたる神姿は霊覚者の心識の所現にも非ず。そは、われ神通力によって、疑う者の蒙を啓(ひら)かんがために、異る場所と異る人とに同じき一定の神姿を示して、神の客観的存在を実証したに過ぎない。

 されど、本来われに一定の神姿はない。如何なる姿も欲(おも)いのままに現ずることが自由である。されば、嘗てわれ汝に告げたのである「われに神殿は不要である」と。われは神殿がないとて身の入れ場所に困るような神ではない。供え物も要らぬ。わが姿を見んと欲(ねが)うものは『生長の家』を読め。われは言葉である。わが言葉を盛る雑誌こそわが神殿である。この雑誌がひろがるのこそわが神殿の大きくなることである。≫

 と書かれており、『神ひとに語り給ふ』の中のご講義では、

≪「われに姿かたちあるように言うものあれどわれは姿なきものである」と、神示にありますが、これは神様とは如何なるものであるかということを示しているのであります。「われ」というのは神様御自身を指されたのであります。時々神の姿を見たと言う方がありますが、本源の神様には姿がないのであります。それを無相と謂(い)います。無相だからどんな相(すがた)もないのかと思うと、無相であるからどんな相でも現ずることが自由であるのであります。だから、神は無相にして無限相であるというのであります。

 現象界の相(すがた)のあるものはそういうように自由に姿を変ずるわけにはゆかんのであります。姿がないからこそ何にもさわりになるものはない、姿が限定されません。姿が限定されませんからどんな姿にも現れられるのであります。≫

と書かれていますから、今原宿の本部会館に鎮座されていて、まもなく山梨の方へ移転することになっている御神像は、「これこそが生長の家大神のお姿」というわけではない。「その一つの現れ」であるということですね。

 ですから、御神像が生長の家の本尊というわけではない。もしそうだったら、偶像崇拝になってしまいます。生長の家の本尊は人間の内に宿る、目には見えない宇宙大生命であるわけです。

 ならば、「御神像」にあまりこだわる必要はないわけですが――やはり一つの象徴として、造られたものはその心を大切に保存したい、ということでしょうね。



間違えて違う所に貼ってしまったなぁ〜〜。ここだった。。。

1875復興G:2013/06/11(火) 09:32:32 ID:AB6RqYXc

 ユタカさん、あなたはすばらしいヒントを与えてくださいました。ありがとうございます。

>>1859

>>ご神像のお見送りはそれは信仰の発露で好かったと思います。プラカードもOKでした。
ただ、原宿本部の依頼した運送屋さんのぞんざいな引越し作業を、どんなに手落ちがあろうとも、ネットを通して全世界にご披露してしまう、というそういう言動に復興G様は苦言を呈しておられると傍から見てそのように思えます。<<

 その通りですね。御神像は「撤去」ではなく、「移転」(山梨へ)です。

 「梅の花の神示」も、よいヒントでした。

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

   梅の花の神示

 梅の花の開く時節が来たのである。去年の春に聖典『生命の實相』の一部を或る人に読ませて、読むに従って、一頁毎に、まだ時期来らぬ固き白梅の蕾を一輪ずつ開かせて、その開く毎にポンと音を立てさせてあったのは、弥々(いよいよ)ひらく年の型を見せてあったのである。

 今年が弥々開く年である。昭和八年は弥(や)の年、弥々(いよいよ)の年、八の年、ハナの年、ハリ伸びる年、ハジメに開く年である。ハは開き伸びるという意味であって、春、原、脹、晴、遥等 皆この語源から来るのである。コトバの『ハ』も開くという意味から来たのである。スメラミコト(命―神)が開き展(の)びるとき音をたてるのであるから、固き梅の蕾の花を開かせてその一輪毎にポンポンと音をたてさせて型が示してあったのである。『万ずのもの言葉にて生み出される』と言うことが象徴化して示してあったのである。

 梅の花とは、生みの花――創造(うみ)の始動(はな)のことである。『生みの花』はまた『海の原』のことである。『梅の花』の五弁は五大洋に象(かた)どる。五大洋にスメラミコトの花が開く始まりが今年である。一つ開く毎にポンと音がさせてあるのは何の象徴であるか考えれば判るであろう。

 何事もなしにはスメラミコトの花は開かぬのである。一つ一つ開く毎にポンポンと音を立ててついに五大洋に梅の花がひろがるのである。開くまでには厳寒の冷たい日が続くが、厳寒の冷たい日があるので一陽来復の日が来るのである。無明(まよい)の自壊作用がないのに光明遍照の楽土が来るなどと甘いことを思うな。昨年十二月十一日にも『戦いの時は来たのだ』と知らせてある。ヒノモトの軍が厳かに進むのは、無明の世界を照らす唯一の光が進むのである。甘い平和論に耳を傾ける勿(な)。膏薬貼りで此の世が幸福になるなどと思うな。

 世界には唯一の光しかないのだ。唯一の光であるからヒノモトと呼ぶのである。ほかの光は皆偽の光ばかりである。梅の花には中心が一つしかないではないか。

 世界に中心が幾つもあって争っていて人類が幸福になれるなどと思うな。太陽系にも中心が一つであり、電子群にも中心が一つであり、人間にも頭が一つであり、樹木にも中心の幹は一つである。極微のものから極大のものまで皆中心は一つである。この事実を見て宇宙の意志を窺えよ。地上の国々だけが中心が幾つもあって好いと思うな。複数の中心はニセ物であり、無中心主義もニセ物である。一つの中心が太陽系に成るが如く地上にも成る日が近づいたのである。

 現在無中心主義を標榜する者は皆現在の中心を貶黜(へんちゅつ)して自分が中心を僭称(せんしょう)したいからである。スターリンなど、無明の塊の人物を中心として世界が幸福になれると思うものは愚か者である。

 世界を一つに統一する運動に二つある。一つは露西亜(ロシア)から始まっている運動で、世界を物で支配する運動である。もう一つは霊(ひ)の本(もと)から始まっている運動で、世界を霊で支配し、一つの光明に統一する運動である。この二つの運動の衝突は避けられぬ。時機は迫っているのに、まだヒノモトの使命を知らぬ者があるのは歯痒(はがゆ)い。本当の愛は甘えかす愛ではない。戦いの愛である。(昭和八年一月六日神示)

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

<つづく>

1876復興G:2013/06/11(火) 09:33:11 ID:AB6RqYXc

<つづき>

「歴史は繰り返す」といわれますから、上記 「梅の花の神示」 は 過去のことであって、同時に「今」 においても何かを暗示されていると思いますが――

>>今年が弥々開く年である。昭和八年は弥(や)の年、弥々(いよいよ)の年、八の年、ハナの年、ハリ伸びる年、ハジメに開く年である。<<

というのは、おそらく、雅宣総裁率いる教団側では、「森の中のオフィス」に移転して新しい「創造(うみ)の始動(はな)」が始まるのだ、ととられるでしょう。

一方、学ぶ会では、第1回全国大会が大成功裡に行われ新しい路線、「正統生長の家」の樹立をめざす“真理護持拡大路線”の運動が始まった「創造(うみ)の始動(はな)」の年である、と解釈されるでしょう。

しかし、神示には
>>世界に中心が幾つもあって争っていて人類が幸福になれるなどと思うな。太陽系にも中心が一つであり、電子群にも中心が一つであり、人間にも頭が一つであり、樹木にも中心の幹は一つである。極微のものから極大のものまで皆中心は一つである。この事実を見て宇宙の意志を窺えよ。地上の国々だけが中心が幾つもあって好いと思うな。複数の中心はニセ物であり、無中心主義もニセ物である。<<

とあります。

>>世界を一つに統一する運動に二つある。一つは露西亜(ロシア)から始まっている運動で、世界を物で支配する運動である。もう一つは霊(ひ)の本(もと)から始まっている運動で、世界を霊で支配し、一つの光明に統一する運動である。この二つの運動の衝突は避けられぬ。時機は迫っているのに、まだヒノモトの使命を知らぬ者があるのは歯痒(はがゆ)い。本当の愛は甘えかす愛ではない。戦いの愛である。<<

と結ばれていますが、
「霊(ひ)の本(もと)から始まっている運動」が「世界を霊で支配し、一つの光明に統一する運動である」ということになるのだと思います。

それは、口先だけでなく、本当に自我を滅して「一」なる神、完全円満なる神を信じ、その神意に中心帰一した運動を展開したところが現実世界の中心となる、と解釈できるのではないでしょうか。

>>複数の中心はニセ物であり、無中心主義もニセ物である。<<

とありますから、「棲み分け」でよい ということにはなりません。

そうして、
>>本当の愛は甘えかす愛ではない。戦いの愛である。<<

とありますが、これは、自我を死に切ったとき「すべては自分」なのであり、一人一人が己の「自我を死に切る」戦いをしなければならないのだ、と私は解釈いたします。

今回のテキスト『生命の實相』第3巻を復習しますと――

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

○ 「言葉の宇宙」が先ず出来て、「形の宇宙」がその映像(かげ)としてあらわれるのである。(p.1)

○ 『生命の實相』が展開(ひら)けば形の理想世界が成就するのである。今は過渡時代であるから、仮相の自壊作用として色々の出来事が突発する。日支の戦いはその序幕である。神が戦いをさせているのではない。迷いと迷いと相搏(う)って自壊するのだ。まだまだ烈しいことが今後起こるであろうともそれは迷いのケミカライゼーションであるから生命の実相をしっかり握って神に委せているものは何も恐るる所はない。(p.2)

○ 精神界が先きで現実界はその影である。元乱れて影完(まっ)たからず、宗教家よ、宗派争いをしている時ではない。(p.3)

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 と教えられているのであります。
<つづく>

1877志恩:2013/06/11(火) 09:53:13 ID:.QY5jUA6
訊けさんへ

私は、復興G様へ ご神像のことで、質問したことは、なかったと存じます。

1878「訊け」管理人:2013/06/11(火) 10:02:24 ID:???

>>1877

 貴テーマは「一即多」であり、題材はご神像だと判断しております。その点が>>1872
の意図です。

 「総裁の責任だ」と云う過去のご発言や「合わせ鏡」の件など、既に復興Gさまがご説明されて
おられます。その、ご説明に沿ったかたちでの再投稿を、お勧め致します。「復興Gさまご説明では
〜です」「でも、今回のご神像問題は〜です」という感じの投稿文に、なるのでしょうか。

 テーマと題材は、違います。が、テーマが同一ならば題材は何であれ、過去と同じものになります。



1879ユタカ:2013/06/11(火) 10:20:38 ID:R1D4Jmeg
誌恩さまへ  復興G様は下記の神示の内容を仰っていらしゃると思います。

君民同治の神示

国は人間生命の外延である。それは身体が人間生命の外延であるが如くである。 人間生命が神より生まれたる神聖鳴るものであるといふ自覚が、その外延であるところの国をも神より生まれたる国であるとの神聖性を要求するのである。この要求が神によってその国が造られたのであるとの神話を創造するのである。しかも人は自己が無にして絶対であり、一切の主であり、永遠者であり、久遠の主催者である(民主)との自覚を、生命の外延の世界に於いて持つこと要請するのである。

観られる世界は観る人の心の世界であるからである。 身体(しんたい)も国も共に観る者(主体)から反映せられる世界(客観かくたい)である。観る心の要請が身体(しんたい)に於いては脳髄の存在となり、  国に於いては永遠の元首なる、 無にして絶対であり、一切の主であるところの 天皇の存在を要請するのである。

天皇の神聖性は、人間自身の生命が神聖であるところから来る。

即ち 観る主体(民)が神聖であるから、 観らるる客体である天皇が神聖なのである。

観る主体(民)の神聖性が包まれ蔽(おほ)はれて混濁するとき、 天皇の神聖性は蔽はれて発現しなくなるのは其のためである。

今の状態がそれである。

人間は自己自身の神聖性のゆえに神造の国家に神聖降臨の神話を創造してその歴史の中に住む自己を観るのである。天孫降臨とは人間自身すなはち民自身が天孫であり、神の子である自覚の反映にはかならない。

かく天皇の神聖性は人民自身の神聖性より反映するのである。 されば民が主であり君は客である。

是を主客合一の立場に於いて把握すれば主客一体であり、君民一体であり民は君を拝み、君は民を拝む。民を拝みたまふ治は君を拝むところの事と一体である。治事一体であり、治めると事(つか)へるとは一体であり、君民同治である。

天皇は絶対者にましますとは、観る主体たる人間(民)の絶対性より来る。

民が自身の絶対性の把握が破れるとき、その反映として国の絶対性と天皇の絶対性とは破れるのである。

打ち続く敗戦により、民自身の永遠性と久遠性との自覚が破れたのが国家大権、天皇大権の一時中断の形をもって現れたのである。(十二・二十八 午後十二時)

1880ユタカ:2013/06/11(火) 10:25:39 ID:R1D4Jmeg
君民同治の神示

の内容を読みますと今の生長の家の現状は雅宣総裁一人の責任ではないと言えると思います。

それだから今は、さまざまな団体が出来て来て、みなさん急激に真理を学んで浄化されていますね。

1881志恩:2013/06/11(火) 10:31:15 ID:.QY5jUA6
ユタカさまが、貼って下さいました復興G様の以下のお言葉ですが

>>今原宿の本部会館に鎮座されていて、まもなく山梨の方へ移転することになっている御神像は、
「これこそが生長の家大神のお姿」というわけではない。「その一つの現れ」であるということですね。

 ですから、御神像が生長の家の本尊というわけではない。もしそうだったら、偶像崇拝になってしまいます。
生長の家の本尊は人間の内に宿る、目には見えない宇宙大生命であるわけです。

ならば、「御神像」にあまりこだわる必要はないわけですが――やはり一つの象徴として、造られたものはその心を大切に保存したい、
ということでしょうね。 <<

このように、復興G様がおっしゃっておられる通り、勿論、ご神像は、生長の家のご本尊ではありません。
生長の家の神様の象徴として、彫られたものです。偶像崇拝ということでもありません。

しかし,永年、特に古い信徒にとりましては、あのご神像は、
どのようなことで、生まれたか、、聖霊が宿っているご神像ということで、
生長の家の神様の1つの象徴として、本部に参りますと、

大道場の実相を礼拝するのと同じ気持ちで、あのご神像の真下へ行き、ご神像に宿る聖霊に、合掌礼拝してきたものです。

ですから、多くの信徒の方々は、ただの彫刻だとは、思っていないのです。生長の家の神様の1つの象徴として、
とても大切に考えてきたのです。


やはり、何十年もご神像として、あの高い位置にあり、聖霊が宿っていると聞いていたご神像なのですから、
そして、こういうネットの情報社会ですから、大々しい祭祀でなくともいいのですから、

それなりの、ご神像へのお礼と感謝の気持ちを,教団は、全信徒を代表して、ささやかなものでもいいですから、心を込めてあらわし、
運搬のときにも、配慮すべきだったと思いました。

私は、ご神像が、八ヶ岳へ移動したことは、「学ぶ会」のみなさの感想とは、異なるところがございまして、
つぎの時点で、たいせつにされれば、いいことだと考えております。

なぜなら、本部会館の旧館は、すでに築60年経っているので、あれはコンクリート製なので、補修は効かないと思うからです。
ですから、ご神像が旧館とともに、壊されないで済み、保存されたことは、
私としましては、さびしいですが、その反面、ほっとしているところです。

木造住宅なら、木の柱を鉄製のもので補強できますが。コンクリートのビルの補強は、調べましたが,出来ないようです。

あの本部会館は、昔の、あまり進歩していない頃の建築技術で建てられたビルですから。
…なので、旧館の方は、新たに建て直しということになりますが、

雅宣総裁は、原宿での建て直しは考えず、八ヶ岳でと、考えられたわけですよね。

それが よかったのかどうかは、10年経てば、分るのではないでしょうか。

1882志恩:2013/06/11(火) 10:58:36 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

君民同治の神示とは、天皇と国民についての神示です。
雅宣総裁と信徒のことを言っているのでは、ありません。

以前、金木犀様が、これについて、投稿され、コメントもされてましたので、貼付します。
---------------------------------------------------------------------

711:金木犀 2012/05/23(水) 06:42:30ID:L0Ei6.zw
『秘められたる神示』 谷口雅春先生

 君民同治の神示講義(7)

しかし、そのような天皇の神聖性は、人民自身が「無」になって謙虚に天皇に対して回帰しない限りはあらわれない。傲慢に天皇を批判している者にとって、天皇の神聖性が理解されないのは当然のことである。
だから、「観る主體(民)の神聖性が包まれて蔽はれて混濁するとき、天皇の神聖性は蔽はれて撥現しなくなるのは其のためである。

今の状態がそれである」と示されているのである。紅緑色盲に於いては、紅や緑の色彩が実際そこにあっても、自己自身に内在する紅緑の感覚が目覚めていないために、其処に紅緑の色彩をみとめることが出来ない。
それと同じく自己に内在する「神聖性」が包まれ蔽われて混濁している場合には、天皇の神聖性は蔽われて発現しない。

それ故に、「天皇の皇位を剥奪し、皇室費を停止して、天皇を唯のサラリーマン又は文教労働者となすべし」というような唯物論者の議論も生じて来るのであります。
唯物論者にとっては、人間はただの“物質の塊”以上のものではないから、その価値や尊さを、その能率的エネルギーの量に一般化して、それを平等に取り扱おうとするのは無理もないことであるけれども、

自己の内に「神聖性」が発現し、その「神聖性」を観る眼をもって、国家を観、天皇を観るとき、其処に、自己の神聖自覚の投影としての、神聖国家及び神聖天皇を観ることができるのであります。

だからこの神示には、
「人間は自己自身の神聖性のゆゑに神造の國家に神聖降臨の神話を創造してその歴史の中に住む自己を観るのである。天孫降臨とは人間自身すなはち民自身が、天孫であり、神の子である自覺の反映にほかならない。

かく天皇の神聖性は人民自身の神聖性より反映するのである。されば民が主であり、君は客である」と時代に適応したところの民主主義に背反することなき、天皇神聖論をお諭しになっていられるのであります。

しかし、「民が主であり、君は客である」という表現をつかうと誤解を招くおそれがあり、「人民のほうが君主より偉いんだぞ、天皇は吾々の得た月給から納めた税金で養っているんだぞ」などというような間違った考えを懐くものも出て来る恐れがあるから、

神示は更にこれを綜合的立場から説明を加えて、「是を主客合一の立場に於いて把握すれば主客一體であり、君民一體であり、民は君を拝み、君は民を拝む」と説かれ、天皇の「治」を民を拝みたまう行事として、次のように示されているのである。

「民は君を拝み、君は民を拝む。民を拝みたまふ“治”は君を拝むところの“事”と一體である。治事一體であり、治めると事(つか)へるとは一體であり、君民同治である。……」

このように神示によれば、政治とは権力階級が非権力階級を圧えつつ治めることではなく、

「民は君を拝み、君は民を拝む」――すなわち「君と民との拝み合い」ひいては「政府と国民との拝み合い」が本当の政治なのであります。近頃の政治を観ると、政府と国民とは「拝み合い」どころか、

「憎み合い」又は「争い合い」の様相を呈しているので、このような政府の要員や国民の代表にとってはこの神示は誠に好箇の反省資料だと思われるのであります。

併し現在の日本の状態は、天皇の神聖性などを観ることが出来る者は残念ながらきわめて少ないのであります。それは人民自身が自己の神聖性をみとめないで、自己をただの「物質なる肉塊だ」と観じている。

そしてこの肉体なる化学物質の反応の如き本能満足の要求を「基本人権」だなどと信じているのですから、「人民自身の絕對性の把握」など殆どない。

そして、“観られる世界”は“観る心”の反映であるから、天皇の絶対性など観得る人も殆ど無いのであります。そのことを此の神示には、
「天皇は絕對者にましますとは、観る主體たる人間(民)の絕對性より來る。民が自身の絕對性の把握が破れるとき、

その反映として國の絕對性と天皇の絕對性とは破れるのである。打ち續く敗戦により、民自身の永遠性と久遠性との自覺が破れたのが國家大權、天皇大權の一時中斷の形をもって現れたのである」という風に諭されているのであります。(完)

1884志恩:2013/06/11(火) 11:08:28 ID:.QY5jUA6
そして、この「君民同治の神示」は、
雅宣総裁が、 
2012,11,22
総本山に於ける

 「谷口雅春大聖師御生誕日記念式典」スピーチ に、うまいこと、引用され、自分流の解釈を述べ、

  =日本国の否定、天皇制の放棄、住吉本宮「鎮護国家」祭祀の放棄=を決定されました。

つまり、「鎮護国家」を引っこ抜く、材料に使われた神示でもあるのです。

1885志恩:2013/06/11(火) 11:11:57 ID:.QY5jUA6
谷口雅春先生の「生命の實相」を学ぶより
http://blog.livedoor.jp/seimeinojissoh/archives/20492761.html

1886ユタカ:2013/06/11(火) 11:13:50 ID:R1D4Jmeg
志恩さま
>治事一體であり、治めると事(つか)へるとは一體であり、君民同治である。……」

このように神示によれば、政治とは権力階級が非権力階級を圧えつつ治めることではなく、

「民は君を拝み、君は民を拝む」――すなわち「君と民との拝み合い」ひいては「政府と国民との拝み合い」が本当の政治なのであります。近頃の政治を観ると、政府と国民とは「拝み合い」どころか、

「憎み合い」又は「争い合い」の様相を呈しているので、このような政府の要員や国民の代表にとってはこの神示は誠に好箇の反省資料だと思われるのであります。


ここでは、上記のように、天皇と国民とばかりではなく、【 政府 と 国民 】と例をだされて言うように一くくりにされていらしゃいます。
ですから、権力者(総裁)と非権力者(信徒)とも、読み取れるような気がしてなりません。

ですから、こういう意味で、復興G様はおっしゃったと思います。

1887ユタカ:2013/06/11(火) 11:21:18 ID:R1D4Jmeg
志恩さまへ

どうしても、雅宣総裁の文章を読まないとダメですか??

私は、雅宣総裁の文章を読むと、気分が悪くなって、悪寒が走り、嘔吐して通常の仕事が出来なくなります。

志恩さまが仰るので読みますが、その代わり、私は2〜3日ここをお休みします。 なぜなら、気分が悪くなり、頭痛とメマイで寝込んでしまう事が予想されるからです。

申し訳ありません。。。。。

1888復興G:2013/06/11(火) 11:32:39 ID:AB6RqYXc

 御神像に関することで、聖典の資料を提示して申し上げます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

<『生命の實相』第13巻 倫理篇上 第2章「第一の神性隠蔽」より(p.82〜83)>

   宗教争いは偶像崇拝よリ起こる

 物質的な形あるものを礼拝の的にするようになりますと、物質的な形あるものは有限でありますから、ここまでは自分の領分であって、お前の領分でないというような争いができてくるのであります。

 人間を和合させる働きをせねばならぬ宗教でさえも、肉体キリストという物質的顕現に捉えられていましては、顕現せられましたそれぞれの応身または報身は異なりますから、互いに信者争い、領分争いをしなければならぬようになってくるのは当然であります。
 その宗教が偶像崇拝教である程度は他教を排斥する程度でわかるのであります。

 つまり、すべての争いの第一の萌芽(めばえ)は、物質的な形あるものを崇拝すること――すなわち偶像崇拝――よりくるのであります。

 すなわち「すべての罪のうち最も重きものはなんであるか」と問う人がありますならば、「偶像崇拝をもってその第一とす」と「生長の家倫理学」は答えるのであります。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

>>716 :復興G

 現象界のすべてのものは、時間と空間というスクリーン上に映し出された映像(かげ)であって、本来無である。

 地上のすべての宗教というのも、現れたすがたは映像(かげ)であって、無でありますね。

 しかしながら、

「宇宙の中に神様が生れたのではなく、神様の生命そのものの広がりが宇宙であります。」(神示ご講義)

という、時間・空間をも生み出された本源の神は、映像(かげ)ではない。影を映し出している第一原因者であって、現象界の一切の対立を超えている。それを「絶対者」という。

すべての宗教は、この「絶対者」なる神(仏)において本来「一」であるから、「万教帰一」となる。

映像(かげ)にすぎない現象のコトバを比較して共通点を見出し「万教帰一」を見出そうとしても、それは不可能であって、「時間・空間がまだ現れない、その元のところ」すなわち「久遠の今」に立ち、「久遠の今」にこそ「アブラハムの生まれぬ前(さき)より吾はあるなり」と言い、黙示録では「我は最先(いやさき)なり、最後(いやはて)なり、活ける者なり、我れ曾(かつ)て死にたりしが、視よ、世々限りなく生く」と言った「永遠のキリスト」の命があり、「天上天下唯我独尊」と言った釈尊の命があり、「自分もまた、明治二十六年十一月二十二日に母の肉体より誕生したのではなかった。そして、現在の今はじめて悟ったのでもなかったのである。ここのままで、久遠の昔、そして久遠の今、はじめなき始めから仏であった自分であったのだ」(自伝篇)とおっしゃっている谷口雅春先生の御命があり、自分もまたその永遠の生命がわが本体であると知るとき、はじめて「万教帰一」が成り立つのだと思います。

 しかし私は、御神像を偶像崇拝するのは間違いだから、粗末に扱ってもよいとは思いません。原宿本部会館(御神像を含む)について、私は次のように皆さまにお呼びかけしました。
<つづく>

1889復興G:2013/06/11(火) 11:33:10 ID:AB6RqYXc

<つづき>
>>654 :復興G:2013/04/18(木)
(前略)
今、生長の家本部が東京の原宿から山梨県の八ヶ岳南麓に移転することになって、原宿本部に鎮座されていた、七つの燈台の点燈者なる「御神像」も山梨へ移転されるということで、そのことについての総裁のブログ記事(唐松模様)を読んだり、いろいろな人の意見を聞いて学び、考えたりしています。(中略)

皆々さま。
ある方が、昭和29年に原宿本部会館ができたときの谷口雅春先生・輝子先生の御文章を謹写して、次のようなアピールの文章を送ってくださいました。それを、次に転載させて頂きましょう。

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

≪本部会館を創建当時に復原、保存を!≫という、ある友人のアピール

 いよいよ今年の10月には、生長の家本部が“森の中のオフィス”(山梨県北杜市)に移転されます。すると東京原宿の現本部会館はどうなるのか、いろいろな情報が飛びかっていますが、尊師・谷口雅春先生や、海外を含め全国の先輩信徒の思いがこもった、貴重な歴史的文化遺産でもあり、くれぐれも取り壊すこともなく、是非とも創建当時に復原し、永久保存をしていただきたいと思う。

 昭和29年(1954)3月1日、立教25周年を迎えたよき日に、百三十万信徒の真心の結晶として、足かけ4年の歳月を費やして原宿の本部会館は落慶した。ここに雅春先生の当時の御文章と、当時を回想された輝子先生の御文章を掲載させていただきます。

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

   百萬信徒の「まごころ」の結集  谷口雅春

 光明の塔部の最上層の室は、「栄光の間」と名付けられ、その下の塔部の室は「祈りの間」である。「栄光の間」は、維摩の居室が「空っぽ」であったと同じく「空」であって何の置き物もない。「空」にして無礙光であるのが神であるからである。栄光の間にて拍手して礼拝すれば、四壁にその拍手の響がこもって天地に感応するような感じがするのである。
 教主(※)室、総持室、理事室はあるけれども、教祖の室はこしらえてないのである。これには深い意味があるのである。教祖は過ぎ行くが、教主も理事も永遠につづいて行くであろう、と云う意味はこの本部の建物は「私のもの」でないと云うことである。
 私が本部の建物を建設するために、「特信」の手紙を書いたり、礼状やお願い状を書いたりしているのは、私の室をつくるためでもなければ、私の機関をつくるためでもないのである。この建物は神に捧げられたる建物である。建物はただの物質であるけれども、それは百萬信徒の「まごころ」の結集である。

 「まごころ」と云うものは肉眼に見えないから、肉眼で見ると、ただの実業のビルディングでもこう云う聖堂でもただの「形」である。けれども「まごころ」が結集してこれだけの建物が建つと云うことは「容易ならぬこと」である。それは太陽の光を凸レンズで結集すると紙を焼くことが出来るように、「まごころ」が結集してこれだけのものが建つとき、人類の魂に一層容易に火をつけることが出来るのである。これから人類光明化の力が一層早くなるであろう。
  (『明窓浄机』「近頃思うこと」 『生長の家』昭和29年4月号より)
    ※教主=当時、雅春先生を教祖先生、清超先生を教主先生と呼んでいた。
<つづく>

1890復興G:2013/06/11(火) 11:33:55 ID:AB6RqYXc

<つづき>

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

   雅春先生、信徒たちの献身で  谷口輝子

 ――現在、東京の原宿に在る生長の家本部の建物は、昭和二十九年に落慶した。昭和二十年八月に終戦となったが、それから後、何年も何年も、日本中は貧しかった。生長の家本部も貧しかったが、教えの伝道のためには、どうしても教団の中心であり本拠となるべき建物が必要であった。

 原宿の生長の家学生寮の焼跡に、隣地の東郷神社の敷地の一部を購入して、そこに教団の本部を建てることになった。

 一流の建築会社である清水建設の当時の社長清水釘吉氏は、生長の家に非常に厚意をもって居られたので、建築費を一時払でなくとも建てて下さることになり、月賦払で何年もかかって支払ったことであった。その月賦の支払についての谷口総裁の苦労は非常なものであった。

 一万円の教団債を発行して全国の信徒に協力を願ったところ、各地より続々と応募して下さったので、それで清水組への支払いを月々つづけたり、三千円以上を本部へ奉納した人に、半折の揮毫を送ったりもされた。また全国へ講習に出かけ、その受講奉納金は大部分清水組への支払に提供された。自らの身を、ローソクの火のように灯して、総裁は清水組へ支払い、そして信徒たちへの教団債を返すことに努力をつづけて居られた。

 半折に揮毫しつづけられる総裁のために、我が家の家族と本部員の二、三人は墨をすり、私は朱印を押して、指を痛くしていた。

 総裁は地方巡講から帰京して、雨の日は原稿を書き、晴れた日は半折の画箋紙に大筆をふるって居られた。痩せ形の身を前屈みにして、大筆は長時間、画箋紙の上を走りつづけていた。その部屋も、次の部屋も、廊下にも、墨痕あざやかに墨の香りが満ちていた。六十歳を過ぎた人には重労働のように思えた。来る日も来る日も働きつづけて居られた。あの生長の家本部会館の建築費のために。私は夫の後姿を見て「御苦労さま、御苦労さま」と合掌した。

 誰のために建てる本部会館であろうか。谷口雅春の住むための家ではない。信徒みんなの集る家なのであった。信徒みんなとの、いろいろのことを連絡する事務の家でもあった。みんなのための家であった。

 建築中は、東郷神社境内の隅っこを借りて、清水組は飯場を建てていた。その飯場には百人ばかりの職人が出入りしていたと聞いた。百人の中に、生長の家の信徒が四、五人いた。赤見元二郎君はその一人であった。
 赤見君は毎朝五時に起きて飯場を出てその四、五人の友と建築現場に立った。瞑目合掌したそれらの人たちは、ひたすらに、その建築がスムーズに進行し、一人の怪我人もなくて完成に到りますようにと祈りつづけて居られた。あれほどの大建築中に、一人の死者も怪我人もなかったことは珍らしいことだったと私は聞かされた。わずか四、五人の人の祈りでも、真心からの純真な祈りは諾かれるものだと信じた。

 総裁の無欲恬淡な献身と信徒たちの純粋な献身とによって、生長の家の本部会館は、原宿の一角に美しく凛然と落成の日を迎えた。

 落慶式の日は、全国各地より信徒の幹部が集ったばかりでなく、教団外の団体の代表者なども来会されて、温い祝辞を述べて下さった。誰も彼も、明るい喜び溢れる顔をして、新築の美しい建物の中を右往左往して動いていた。信徒たちは、私の顔を見ると「お芽出とうございます。有難うございます」の喜びの声を浴びせかけた。私はうれしくて浮々としていた。(以下、略)
  (「人それぞれ」『理想世界』昭和56年6月号より)

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

※ この本部会館は「落成式典」ではなく、生長の家の大神に対して、この会館を捧げるという「捧堂式典」として挙行されている。神様に捧げたものを勝手に壊すのはいかがなものか。
<つづく>

1891志恩:2013/06/11(火) 11:34:16 ID:.QY5jUA6
総裁が、信徒を拝む宗教はありますが、
信徒が総裁を拝む宗教は、生長の家だけです。
----------------------------------------------------------------

つぎつぎと、雅春先生の影を消して行く、雅宣総裁の行為は、いかないことは、いけないと、いわなければ、
ほんとうに、本来の生長の家は、消えて行ってしまうと思います。

本流は、いけないことはいけないということは、少なくして、
本来の生長の家の教えを広めて行く方針のようですね。

でも、宗教というものは、批判するものを「悪」にして、
しまうところがありますから、むづかしいですね。

それに、1000億も資産があるとなれば、彼が、どのようなことをされても、とめる人もいないのですから
彼の行為は、やりたい放題が通って行くのでしょう。

それに、にんげん、 地位とお金には、弱いですから、幹部の人や,組織の人も ついて行くのでしょう。

----------------------------------------------

>>1842:志恩
〜「調和」と「妥協」とを混同してはならない〜について

  新講『甘露の法雨』解釈 84~87頁より


<< 「法華経」にある常不軽菩薩(じょうふぎょうぼさつ)のように「あなたは決して悪い人じゃないのです。
   あなたは本来、仏になる実相をおもちなのです」と、その実相を拝むんですね。

 「悪」は絶対無いのであって、その奥にある実相の「善」のみが独在することを深く信じて、
 その実相を礼拝するのが、本当に「実相を拝む」ということであり、天地一切の実在に和解することであります。


 悪なる現象の“実在性”を信じ、その存在を許すことは「和解」ではなくて「妥協」であります。


 吾々は「和解」しなければならないが、妥協してはならないのであります。


 (中略)

 <殺虫剤や軍備は不必要か>

 しかし実際の場合として、皆さんが凡ゆる場合に虫類の実相の完全さを拝んだら害虫が全部消えるか否かは皆さんの悟りの力量如何にあるのです。

 肉眼には「悪」の姿が見えるのに、実際に「善」のみあると、その実相を拝み切れるかどうかという事です。


 <軍備は本当に不必要か?>

 この事は日本の再軍備の問題でも同じ事であります。

 だから実相世界の「一切の生物処を得て争うものなき」状態があらわれたなら、そんなものは要らん筈だと言えるのであります。
 しかし、現代の日本人が果たしてそれだけの精神的力量叉は高い心境に達しているかという事が問題なのです。

1892復興G:2013/06/11(火) 11:35:09 ID:AB6RqYXc

>>1980のつづき>

 ――以上は、ある友人から送られて来たアピールの文章を転写させていただいたものです。

 原宿の本部会館が建設された頃の日本は、敗戦占領下から独立回復後まもなくで、唯物主義の左翼革命運動に国家が転覆しそうな危機的状況にありました。そのとき、ここで青年大会が開催され、ここから「日の丸行進」が行われたりして、世界平和の礎となるべき日本の国を護る運動の拠点ともなりました。

 前記「本部会館を創建当時に復原、保存を!」という友人のアピールの結びに、

 ≪この本部会館は「落成式典」ではなく、生長の家の大神に対して、この会館を捧げるという「捧堂式典」として挙行されている。神様に捧げたものを勝手に壊すのはいかがなものか。≫

 とある言葉に、私も魂が震えました。
 上記のアピールが届いてまもなく、4月8日の日本経済新聞夕刊に載った次の記事が目にとまりました。

       ○

  SL「デゴイチ」引き取り先求む
    静岡市、解体中止し公募

 35年にわたって静岡市内で展示された蒸気機関車(SL)D51形の引き取り先を市が探している。老朽化を理由にいったん解体を決めたが、鉄道ファンから反対の声が相次いだため方針を転換し、保存の道を探ることになった。

 このD51形は1938年に製造され、75年まで北海道で運行。引退にあわせて市がJRから借り受け、葵区の駿府城公園にあった児童会館や、城北公園で展示してきた。

 ここ数年はさびや腐食が目立つように。「無人の公園で展示を続けるのは危険」と判断した市とJRが、いったんは解体撤去を決定した。その後、「壊さないで」という電話やメールが30件以上、寄せられた。市は直前に解体工事を中止。4月中にも引き取り先の公募を始める。
   (2013.4.8 日本経済新聞夕刊)

       ○

 ――SL「デゴイチ」だって、上記のように、いったん解体を決めたものでも、「壊さないで」という電話やメールが30件ばかり届いたら、解体工事を中止したのです。

 原宿の本部会館は、生長の家人類光明化運動の記念建築物として遺されるとも聞いていましたが、御神像が山梨県の「森のオフィス」に移されることに決まったそうですから、御神像のない本部の「光明の塔」を遺してもあまり意味はなくなるので、取り壊されることになるのではないかと思われます。それは、取り返しのつかない、残念なことになるのではないでしょうか。

 「天地は過ぎゆかん。されどわが言(ことば)は過ぎゆくことなし」

 とイエスが言われた、「わが言(ことば)」すなわち神の言(ことば)である「まごころ」のあらわれとして歴史的建物を保存することであり、そのために費用がかかるならば、信徒の「まごころ」による献資を募っても、保存活動をしたら――と思いますが、皆さまはどう思われますか。

       ○

――と、上記のようなお呼び賭けをしたのでした。

 しかし、あまり積極的な反応はありませんでした。

 そうして御神像は山梨県の方へ運ばれて行ったのですが、これは「移転」であります。「撤去」と言えば、そのまま廃棄されるかのように聞こえますが、そうではありません。

 学ぶ会の方たちは、御神像が「撤去」されたとして、その映像をネットを通じて世界に発信された、その意図はいったい何なのでしょう。「“雅宣教団”はこのような神を懼れぬひどいことをした」と宣伝して、自分たちの正当性を主張し、相手をおとしめるための「悪意」が感じられる行動だと言わざるを得ません。

 残念ながら、このようなことを続けられるならば、それは橋本徹馬氏の言われる「天佑」が得られる戦いとはならないでしょう。

>>1657
「各国間に大調和あらしめて、等しく万人の栄える時代の招来」を国是として、実際その如くに行動をしているならば、その国が止むに止まれずして起った時、天佑が伴うのは当然である。然らざる場合には天佑が伴わぬことも当然である。

 戦争は好む処ではないが、既に戦争に臨む以上は、「正しい国の戦争には必ず天佑が伴うのである」ことを示すのも、日本が人類文明史上に貢献する一つの道であるが、過般の戦争は日本の歴史上それとは全く逆の汚点を残した。)

1893復興G:2013/06/11(火) 11:41:41 ID:AB6RqYXc

上記は>>1890の続きでした。

1894志恩:2013/06/11(火) 11:45:24 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

雅宣総裁のご文章、読まなくていいですよ。(笑)

以下、1部のみ、雅宣さんの、そのときの言葉を載せさせて頂きますので.
=====================================================================================
⑨  「君民一体」という言葉・・・それは必ずしも「天皇と国民」だけを指しているのではなく、天皇が存在しない国もあるのですから、
一般に「支配者と国民」 の関係を述べていると思われます。

その場合、支配者と国民の間に「意思の齟齬がない」こと、さらには「感情的な対立もない」ということが「一体」の意味で すから、それが“神意”であるということです。

⑩ 「神の御心が十分に反映した平和な世界」「神−自然−人間が大調和した世界」の実現に、さらなる熱意と信仰をもって取り組んでくださることを念願いたします。 谷口 雅宣
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------


このようにして、雅宣さんは、「鎮護国家」を抜き捨て、「世界平和」に置き換えました。

1895神の子さん:2013/06/11(火) 13:06:16 ID:8BFF/5aQ
私の父は戦前から本部の職員として奉職していましたが、召集令状によって陸軍へ入隊
戦争中は支那大陸を転戦、戦闘中に胸に銃弾を受けたが、胸のポケットのお守りの聖経甘露の法雨に命中
弾が肋骨の間に食い込み、その衝撃で気絶したのを死んだものとして扱われ、死体の山に放り込まれたものの
たまたま通りかかった軍医に発見され助かったそうです。

終戦・復員後、尊師より復職してはどうかと奨められるも、敗戦による混乱の中、こういう時だからこそ
生まれ育った故郷で光明化運動に専念させてくださいと願い出て許可をいただき、それ以後無給で講演や個人指導で
家にいるのは月の内4〜5日くらいでした。

復興G様や志恩さまが書いておられるように本部会館建設の為の尊師の熱き思いに応えようと決意した父は
戦後の混乱の中で聖使命会費を祓うことが困難で数十万円溜まっていた連合会の未納金を一括で奉納するため
家屋敷、田畑を売却しました。私が10歳の時です。その後の生活は「火を灯す爪」もないくらいの極貧生活でした。

それから10年後父は尊師より本部へ奉職するようにと御手紙を下さって、家族みんなが上京しました。
私は既に東京にいましたので、家族が上京してきた時本部まで行き尊師・輝子奥様に御挨拶させて頂きました。

私にとって原宿本部は父母の思いが詰まったとても大切な大切な宝物でした。
特に御神像は父母の思いの象徴として仰ぎ見て参りました。

撤去されると聞き、父母の目になって本部会館最後の御神像、その御姿を目に焼き付けておこうと思い
撤去当日、学ぶ会の方々から少し離れた場所で光明の塔から剥がされていく御神像を瞬きもせず観ていました。

撤去ではないという人もいますが、原宿本部会館にお鎮まりあってこその御神像です。
山梨の山の中に置かれる御神像はただの置物にしか過ぎません。置く人がそのように思っているのですから。

1896こんにちは:2013/06/11(火) 13:20:01 ID:nSg7g3W2
トキ様

>>1883 この文章やリンクは、私が書き込んだものではありません。
この掲示板とも関係ないですし、削除をお願いします。

1897志恩:2013/06/11(火) 13:23:45 ID:.QY5jUA6
復興G様

「デコイチ」走る
http://www.youtube.com/watch?v=HFmgZBQT3qQ

復興G様

「デコイチ」は、機関車ですから、保存できるでしょうけれど、築60年の鉄筋コンクリートの、あれほどの
とても大きいビルである
本部会館が、保存出来るかどうかは、

いちばんいいのは、大手の建設会社に査定してもらうとわかりますから、直に、聞いてみたいですね。

小さいビルなら可能のようですけれど、あのように大きいビルは、保存は、どうなんでしょう。

むしろ、保存というのなら、
同じ設計で、新しく建て替えた方が、耐震構造も加わえて建て替えられますので、地震が 来ても安心じゃないでしょうか?

雅宣さんは、それを望まなかったのでしょうけれど。

それにしても、最近の、補修耐震技術は、どのくらい進化しているのでしょう。

つぎのように、銀座で、築80年のビルを保存改修した例もありました。(本部会館みたいに大きいと、わかりません)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130521-00000038-minkei-l13

1898志恩:2013/06/11(火) 13:44:22 ID:.QY5jUA6
>>1895:
神の子様

これはこれは、貴重なお話を、感動しました。
ありがとうございます。

お父様のすごい体験とともに、
本部会館建設の折りには、お父様は、
家屋敷、田畑を売却されて奉納金をつくられたそうで。。。あなたさまが10歳の時。
その後の生活は「火を灯す爪」もないくらいの極貧生活でした。

ということでございましたか。

私は,其の頃は、まだ入信して、数年後のときでしたから、寄付はしていないのでした。

しかし、北陸に住んでおりました。亡き義母は、本部会館建設のときも、相当奉納したと申していました。
義母の家は商家で、当時は、かなり裕福でしたので、
生長の家には、家が数軒建つほど、寄付して来たと、言っておりました。
でも、ご自分の住んでいた屋敷までは、売っておりませんもの。。

あなたさまのお父様には、とてもとても かないません。
御自分が住んでいらした家屋敷、そして田畑まで売って、奉納したとは。

このような方々にご神像を尊ぶお気持ちを、偶像崇拝だなんて、いうのは、
とても申し訳ないことと存じました。

あの小雨降る日、
神の子様もいらして下さっていたお方なのですね。


ご神像への思いは、私等より遥かに強く深くてらっしゃいます。
あなたさまの文を拝見しまして、
胸が熱くなり、涙が溢れて参りました。


のちほど、また、ゆっくり、再読させて頂きます。

1899「訊け」管理人:2013/06/11(火) 13:45:17 ID:???

>>志恩さん

 貴女さまに質問致します。

 現在の論点はいったい、何でございましょうか。




1900志恩:2013/06/11(火) 13:48:58 ID:.QY5jUA6
そうだわ、ももんが様なら おわかりになるかも。

ももんがさま、ももんがさまは いらっしゃいますか。
ももんがさまにお尋ねします。

「本部会館は、やろうと思えば、保存改修可能でしょうか?」

1901志恩:2013/06/11(火) 13:53:20 ID:.QY5jUA6
訊けさん

なんでしたっけ? 
復興G様と本部会館の保存のお話をしていたのですが。
そのあと,神の子様がご神像のことで、参加されました。

1902復興G:2013/06/11(火) 14:02:30 ID:AB6RqYXc

>>1884>>1894 :志恩様。

>>「君民同治の神示」は、雅宣総裁が、2012,11,22総本山に於ける「谷口雅春大聖師御生誕日記念式典」スピーチ に、うまいこと、引用され、自分流の解釈を述べ、日本国の否定、天皇制の放棄、住吉本宮「鎮護国家」祭祀の放棄=を決定されました。つまり、「鎮護国家」を引っこ抜く、材料に使われた神示でもあるのです。

>>このようにして、雅宣さんは、「鎮護国家」を抜き捨て、「世界平和」に置き換えました。 <<

上記、雅宣総裁が2012.11.22総本山に於ける「谷口雅春大聖師御生誕日記念式典」挨拶の原稿というのが「唐松模様」で発表されており、私も原文を読みました。「総裁の文章は気分が悪くなるから、読まない」とも言ってられませんからね。

その中で、
>>「君民一体」という言葉を重視すれば、それは必ずしも「天皇と国民」だけを指しているのではなく、天皇が存在しない国もあるのですから、一般に「支配者と国民」の関係を述べていると思われます。その場合、支配者と国民の間に「意思の齟齬がない」こと、さらには「感情的な対立もない」ということが「一体」の意味ですから、それが“神意”であるということです。<<

というところなどを読むと、総裁は、「梅の花の神示」にある

>> 世界には唯一の光しかないのだ。唯一の光であるからヒノモトと呼ぶのである。ほかの光は皆偽の光ばかりである。梅の花には中心が一つしかないではないか。

 世界に中心が幾つもあって争っていて人類が幸福になれるなどと思うな。太陽系にも中心が一つであり、電子群にも中心が一つであり、人間にも頭が一つであり、樹木にも中心の幹は一つである。極微のものから極大のものまで皆中心は一つである。この事実を見て宇宙の意志を窺えよ。地上の国々だけが中心が幾つもあって好いと思うな。複数の中心はニセ物であり、無中心主義もニセ物である。一つの中心が太陽系に成るが如く地上にも成る日が近づいたのである。<<

とある「宇宙の実相」を自覚しておられないのかと、何だか情けなくなります。だから私は、

「鎮護国家なくして究極の世界平和はあり得ない」と主張してきました。

しかし、
上記、『雅宣総裁が2012.11.22総本山に於ける「谷口雅春大聖師御生誕日記念式典」挨拶』で、総裁は

>>日本国の否定、天皇制の放棄、住吉本宮「鎮護国家」祭祀の放棄=を決定されました。<<

というのは、ちょっと違うのではないでしょうか。

そのようなことは言っておられないと思います。

もし、言っておられるとしたら、どこで言っておられるか、教えて頂きたいと思います。

式典での挨拶文にはそういう文言はありませんし、11月20日総本山での「教化部長懇談会資料」のコピーというのを入手しましたが、その中に

≪生長の家総本山の祭司の重点を「鎮護国家」から「世界平和」へ移す≫

とあるだけで、≪「鎮護国家」をはずす≫とは書いてありませんでした。

だから私は、「鎮護国家」は「重点」からははずされても、まだ完全に外されたわけではなく、まだ復活の可能性があると思っています。

それを、強引に

『日本国の否定、天皇制の放棄、住吉本宮「鎮護国家」祭祀の放棄=を決定されました。』

と不正確な宣伝をされるのは、どういうことでしょう。「言葉は神」ではありませんか。言葉の力でそれを実現したいのですか、と問いたくなります。

こうして「教団派」 と 「本流派」 が対立を激化して、本当に日本の実相顕現ができるのでしょうか?

1903志恩:2013/06/11(火) 14:20:03 ID:.QY5jUA6
復興G様

>>≪生長の家総本山の祭司の重点を「鎮護国家」から「世界平和」へ移す≫
とあるだけで、≪「鎮護国家」をはずす≫とは書いてありませんでした。
だから私は、「鎮護国家」は「重点」からははずされても、まだ完全に外されたわけではなく、まだ復活の可能性があると思っています。>>


祭司の重点を鎮護国家から世界平和に移したということは、鎮護国家をやめて(ひっこぬいて)世界平和へ変えたと、浮けとれましたが、

復興G様のお話に寄りますと、鎮護国家は、重点からはずされても、完全にはずされたわけではなく、まだ復活の可能性があると思っています。

ということで、ございますが、

それは、本流が「外したこと」を、おかしい、おかしいと厳しく批判なければ、本部は、いいわいいいわで、惰性に流れて、そのまま世界平和で
終わってしまうのではないかと,思います。

復興G様は、本流派がだいきらいなのは、わかりますが、観世音菩薩さまも、不動明王さまも,両方あってこそ、両方の働きがあってこそ、
この世界は、真の救いがあるように私は,思っております。

1904「訊け」管理人:2013/06/11(火) 14:39:05 ID:???

>>1903志恩さま

 一点だけ申し上げます。

 ホンリュウ派が嫌いだから、何々を語る ・・・・そんな行動は(Gさまは)採られておりません。

 そして現在、貴女さまが返答すべき質問のひとつは、以下、

----------------------------------------------------------------

『日本国の否定、天皇制の放棄、住吉本宮「鎮護国家」祭祀の放棄=を決定されました。』

と不正確な宣伝をされるのは、どういうことでしょう。「言葉は神」ではありませんか。言葉の力でそれを実現したいのですか、と問いたくなります。
こうして「教団派」 と 「本流派」 が対立を激化して、本当に日本の実相顕現ができるのでしょうか?
----------------------------------------------------------------


 になるものと、思われます。

 どうぞこの点へのご返答を、お願い致します。




追伸

 もう一点加えれば「虚報が多くないか」になります。

 総裁へ疑問を呈するのは当然、背教ではありません。ですのでどんどん、されるべきです。(「反論」と「文句」の区別は必要ですが)

 でも、その不動明王の働きの中には「デマの流布」は含まれてはおらぬと思います。

 先の「侵略発言」も単なるカラ騒ぎでした。今回の「天皇否定」に関しても私には、根拠はナイと思っております(あくまでも現時点では。私もその様な主張を拝読したことがありませんので)

1905復興G:2013/06/11(火) 14:49:05 ID:AB6RqYXc

志恩様

>>1904 :「訊け」管理人様のおっしゃるとおりであります。よろしくお願いいたします。

1906「訊け」管理人:2013/06/11(火) 14:51:40 ID:???

>>WEB誌友会ご参加各位

 ・・・・以下は司会者からの希望です。無視して進めてくださっても結構です。ですが、一応議論の流れを整理するうえで以下を提案、してみます。提案内容とは、

○ 総裁の悪指摘は、いったん止めにしないか

 というものです。ここで総裁の悪部分ですが、ひとつひとつ検証して行くのも骨が折れましょう。

 ですが、ホンリュ派の皆さんはご安心ください。以降の誌友会ですが、「総裁は悪」の前提で、お進めください。ひとつひとつの検証はセヌ方向にして(時間がかかり過ぎますため)そして、以下を論点にやり取りを行いたいと思うのです。それは、

----------------------------------------------

○ 総裁は悪である。ならば、我々はいかに行動すべきか

----------------------------------------------

 ・・・これです。こんなテーマでやり取りするのは、いかがでしょうか。

 せっかくの誌友会です。検証に時間を割くよりは、「総裁=悪ならば」の仮前提で話を進めるのです。いかがでしょうか。今回誌友会のテーマは「組織運動と信仰生活」であります。ここは大胆にも「総裁=悪」を前提として(くどいが「検証には時間を割かず」に)、このテーマでやり取りするのはいかがでしょうか。再掲示しますが、

 ○ 総裁は悪である。ならば、我々はいかに行動すべきか

 こんなテーマをいろいろと、扱うのはいかがでしょう。なお冒頭で申しました通り、これは司会者からの希望です。無視して進めてくださっても結構です。ですが、一応「組織運動と信仰生活」という誌友会テーマからは、外れていないつもりでもあります。ご一考賜れましたら幸いであります。



1907NANCY:2013/06/11(火) 14:59:33 ID:HzCpoNio
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」へ
こんにちは……   ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。

【WEB 誌友会】を閲覧しておりますと〜〜〜 下記の“コトバ…”に?目が〜〜〜

■> つぎつぎと、雅春先生の影を消して行く、雅宣総裁の行為は、いかないことは、いけないと、いわな
ければ、ほんとうに、本来の生長の家は、消えて行ってしまうと思います<< 【 >>1891一部抜粋のコトバ…】
◆―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――◆

■□―――【目もとには?専用のケア……❤】−―― 随分考えこんでしまいましたが〜〜〜??

【目=こころ】といいますぐらいに〜〜〜その人の“こころ…模様”が現れますかと。
目もと〜〜〜とても“敏感…”つまり“こころ…模様”が、何よりもすぐさま現れます〜〜〜ョネ!

ネガティブ感情を抱きやすい人=常日頃から“避難…中傷…”します言動行為の人は?
いつまでも〜いつまでも〜固定観念による“中傷論…”は?如何かと思います。
当時の創立者「雅春先生」も海外の多々なる哲学書をベ−スになされて、今日の「生命の実相」という
素晴らしい、日本の土壌に適した【バイブル…】を私ども信者に残して下さいましたかと思うのです。…が?

時代は〜〜〜あれから〜〜〜変化しております。それは環境面でも云える事と思うのです。

今回の「現総裁雅宣先生」の言動力は?創立者「雅春先生」の当時の言動行為と同じ事を、今の時代背景を敏感に
察知致されての行動と思います。そうしますと?〜〜〜
過去にさかのぼりまして、自分自身の言動行為をごまかしたとしても?たとえそれを隠そう!隠そう!と
致しても〜〜〜〜〜必ずや!敏感に現れて来ますネ!【神様の御心に反するからですネ…】
(もしかしますと…目もとのシワ?この繰り返し〜繰り返し〜で…現れて来ますのでしょうか〜〜〜??)

■□ では?その際はどうしたらいいのでしょうか〜〜〜?

それは簡単な事?日々の【祈り…神に心を振り向ける事!!!】
丁度!一枚のコットンで…要するに“祈り=真理”にてたっぷりと「心の汚れ…」をふき取る事ですネ!
サァ〜〜〜【神様に私の“こころ”振り向けて…祈りましょう〜♫〜】

                                       再合掌

1908SAKURA & NANCY:2013/06/11(火) 15:03:07 ID:HzCpoNio
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんにちは…   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA & NANCY】です。

■横スレにて〜〜〜”疑問点(感想)…“があります。

>>戦後の混乱の中で聖使命会費を祓うことが困難で数十万円溜まっていた連合会の未納金を一括で
奉納するため家屋敷、田畑を売却しました。<< 【 >>1895一部抜粋のコトバ…】
◆―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――◆

■□戦後の混乱期??これは当然ながら「貨幣価値…」如何でしたでしょうか?

此処で?ブレイクしますが〜〜〜?
【戦後の混乱期は?……】当時【富裕族…】は、「マッカ−サ−の方針案…」から?無理やりに余儀なく
所有していました“田畑・屋敷”を取られてしまい…一夜にして【貧乏…】となってしまったと…
知人が?云っておりました。…が?(赤坂かいわい??)その後…の事は?皆様もご存知かと?

ですから…【献金…】この問題も含め…後に随時投稿させて頂きます次第ですが??その様な状態の中?
変ですネ!!当時の【献金…】は〜〜〜?
【或る程度…富裕族】もしくは?本当に【光明化…の心のきれいな方】この二者なのでしょうか〜〜〜?
但し?その様な方は〜〜〜当時の「田畑・屋敷…?貨幣価値は連合会の未納金???」この言葉には?
引っかかりがありますネ!

※この件は「法貴先生…」の「過去の文章」にも記載がありましたかと…その記憶があります。

                                        再合掌
PS:追伸
■□【耐震構造…原宿本部開館?】立て替え…云々…

この件は?「2代目…清超先生」でも?今は【分派…いかれました方々でしょうか?】公の“催事”にて、
私どもの面前で〜〜〜【理事会が?〜〜〜】この様な含んだ云い方をなさいました。つまり、既にこの頃から、
「2代目 清超先生」の指示を無視して行動をしていたモノと考えられます。…が?
私の【「亡き母」の手紙のやりとり……】にて〜〜〜当時の「雅春先生時代の“お金…の使い方”は〜〜〜

そして、「恵美子先生」も【全国大会…での“お話…”】にて、「私はこの講習会のお金はいっぺんも頂いて
おりません。」この様な表現の“コトバ…”を、当時〜〜〜そうですネ!平成??年でしたか?
シッカリとして記憶があります。

尚!この頃から「長崎総本山…」の補修工事は?ごく最近まで、全くなされていませんでしたし?
ここ最近?「トイレのドア…」が多少綺麗になった感じでしょうかと?(4年位前…?)更には、
今の「飛田給練成道場…補修工事」はここ最近でしたか??そうですネ!平成5〜6年頃…【奉仕…】に、
飛田給道場に参りましたが〜〜〜その時の【建物…特に「畳…」・「寝具置き場…」に関しては〜〜〜】
あきれるばかりでしたが??この事は?後程ですが〜〜〜投稿形式をと!思う次第ですが〜〜〜?

■□ 此処は?ある面スレしての投稿ですから〜〜〜【 つじつまの合わない投稿が〜〜〜変!】
これは「シャロック・ホ−ムズ先生」に聞いて見ましょうかと…。

1909志恩:2013/06/11(火) 15:14:22 ID:.QY5jUA6
SAKURAさま

目元のしわのことまで、、、ご心配して下さって恐縮です。
こうみても私って、自分で言うのもへんですけれど、年より若いし、人相がすばらしいと、
いつも、皆様にほめられておりますの。どこも、悪いとこないし、ぴんぴんしております。

1910「訊け」管理人:2013/06/11(火) 15:20:14 ID:???

 いや、だ か ら (笑)。

 ・・・・>>1904にご返信ください。

 ここは「演説の場」ではなく、あくまでも「やり取りをする場」です。


 この点ご考慮の上での参加を、どうぞ、宜しくお願い致します。



1911志恩:2013/06/11(火) 15:36:29 ID:.QY5jUA6
>>『①日本国の否定、②天皇制の放棄、③住吉本宮「鎮護国家」祭祀の放棄=を決定されました。』

と不正確な宣伝をされるのは、どういうことでしょう。「言葉は神」ではありませんか。言葉の力でそれを実現したいのですか、と問いたくなります。
こうして「教団派」 と 「本流派」 が対立を激化して、本当に日本の実相顕現ができますか。<<


それでは、上記の3つとも、雅宣さんは、されてないとおっしゃるのですか?

①日本国の否定

生長の家の神様は、住吉大神様です。
日本国家の危機の時に,働く神様と教えられて参りました。

その祭司である「鎮護国家」を「世界平和」に変えたという事は、

日本国という独自の国家を否定したととられるのではないでしょうか?
ご神体の「護国の神剣」は、日本国の
“護国”なんですから…。

それを、変えてしまったじゃないですか。

②天皇制の否定

生長の家はご存知のように「天皇信仰」です。
谷口雅春先生から教えていただいたことは、「天皇国・日本」の国体護持の大切さです。

そして、それは、文字通り、“万世一系の霊統”を護ることから生まれるわけです。
ところが、それを根底から覆すような、「女系天皇容認」に、谷口雅宣先生は与しているわけですから、
これは「天皇信仰」を捨てたと見られても仕方ないことだと思います。

③鎮護国家祭祀の放棄

これは、鎮護国家を世界平和に変えてしまったので、行われないでしょう。

本流と、教団が、このようになった原因は、原因があるから、こうなってるわけで。
運動は、はげしくなりつつありますが、よくなるための過程だと,私は,思っております。

本当の日本の実相顕現は、例えば、雅宣さんは、自然のことと、エコ運動のことしか話されませんに、
愛国の話もゼロですのに、
雅宣さんのやることに批判しなければ,日本の実相顕現は、可能だとお思いなんですか?

1912志恩:2013/06/11(火) 15:40:55 ID:.QY5jUA6
今、ちょっと夕食の材料の買いにいきますので、席をはずします。

東大卒の人と早稲田大学卒の人と、
二人の秀才相手に

幹部でもない私が論議しても、
勝てないとおもいますので、どなたか、代わってやってくださるおかた、いらっしゃいませんか。

1913こんにちは:2013/06/11(火) 15:52:39 ID:nSg7g3W2
>>1902 復興G様

ちょっと疑問があります。
以下、復興G様の書き込みを引用します。

「「>>「君民一体」という言葉を重視すれば、それは必ずしも「天皇と国民」だけを指しているのではなく、天皇が存在しない国もあるのですから、一般に「支配者と国民」の関係を述べていると思われます。その場合、支配者と国民の間に「意思の齟齬がない」こと、さらには「感情的な対立もない」ということが「一体」の意味ですから、それが“神意”であるということです。<<

というところなどを読むと、総裁は、「梅の花の神示」にある

>> 世界には唯一の光しかないのだ。唯一の光であるからヒノモトと呼ぶのである。ほかの光は皆偽の光ばかりである。梅の花には中心が一つしかないではないか。

 世界に中心が幾つもあって争っていて人類が幸福になれるなどと思うな。太陽系にも中心が一つであり、電子群にも中心が一つであり、人間にも頭が一つであり、樹木にも中心の幹は一つである。極微のものから極大のものまで皆中心は一つである。この事実を見て宇宙の意志を窺えよ。地上の国々だけが中心が幾つもあって好いと思うな。複数の中心はニセ物であり、無中心主義もニセ物である。一つの中心が太陽系に成るが如く地上にも成る日が近づいたのである。<<

とある「宇宙の実相」を自覚しておられないのかと、何だか情けなくなります。だから私は、

「鎮護国家なくして究極の世界平和はあり得ない」と主張してきました。」」

という復興G様のお話ですが、これはちょっと勘違いなさっているのではないでしょうか?

上記の雅宣総裁の言葉は、「君民一体地上天国成就燈」についての説明を語ったものです。
私はこの総裁のお話が正しいとは思いませんが、総裁がこの「君民一体」を、世界各国の「君民」と解釈しているのは間違いではないと思います。

たとえば「久遠天上理想国実現の神示」には、こうあります。

<<今の国々は皆形がクミ合っているだけで、中心の生命(息)が一つに統していぬから、国即家の実が挙がっていぬのである。一つの中心にすべてが統一せられて、万民その天分に応じて其の堵に安んじ、需給の関係でも一つの人体の血液が栄養を運ぶように、全体の細胞へ各々適当な資料を適当な分量だけ過不及なく与えるようになったとき、国は即ち家となり始めて本当の国家となるのである。かくの如き国家においては凡てのものが瑞々しくひいで、その国家は「瑞穂の国」であると同時に「生長の家」であり、久遠実相の生長の家(たかあまはら)の地上的顕現であるから、高天原と、瑞穂の国と、生長の家とは三位にして一体であると言うのである。>>

<<全世界が「生長の家」になったら各人の家系もまた連綿と無窮につづくようになるのである。家が途中で絶えるのはその家が迷いに捉われて「生長の家」になっていないからである。>>
(※旧漢字は新漢字に改めました)

つまり、「君民一体地上天国成就燈」とは、世界各国が「君民一体」となって地上天国が成就することを祈願した燈台であるという解釈が成り立ちます。
この燈台より上位に「地上天国世界連邦成就燈」という燈台がありますが、これは、世界全体の国々が一体となることを祈願しています。
ですから、最下位に位置する「君民一体地上天国成就燈」は、世界各国の実相が成就することを指すと見て間違いではないと思います。
世界万民が実相天皇を君として仰ぐとともに、各国それぞれも君と民が一体となる、という意味ではないでしょうか?

私が雅宣総裁の解釈に疑問があるのは、「君民」を「支配者と国民」としていることです。
これでは、アメリカ大統領や中国共産党国家主席が君になってしまいます。
そうではなく、各国本来の「君」となるべき方が玉座に就き、その家系が連綿とつづき、世界各国が君民拝み合いの国家となることを祈願して建立されたのが、「君民一体地上天国成就燈」ではないかと思うのです。
世界連邦ですから、日本以外の国々が滅ぶわけではありません。ですから、こう解釈するのが自然だと思われます。

いかがでしょうか?

1914「訊け」管理人:2013/06/11(火) 16:15:36 ID:???


>>1913こんにちは様


 ご投稿をありがとうございます。さて、貴殿ご主張(骨子)は、以下で間違いナイでありましょうか。ご確認ください。ご主張内容は大きく2点ございますね?

1、復興Gさまご解釈への疑問
2、(こんにちは様の考える)総裁ご主張の間違い

<1に関する貴殿ご主張>

 「鎮護国家なくして究極の世界平和はあり得ない」と主張してきました。」という復興G様のお話ですが、ここにはちょっと勘違があるのではないか。

<根拠>

○ 総裁がこの「君民一体」を、世界各国の「君民」と解釈しているのは間違いではないと思うため。

○ 「君民一体地上天国成就燈」は、世界各国の実相が成就することを指すと見て間違いではないと思うため。

○ (総裁ご主張も)世界万民が実相天皇を君として仰ぐとともに、各国それぞれも君と民が一体となる、という意味と解釈できるため。



<2、に関する貴殿ご主張>

●雅宣総裁の解釈に疑問がある点

 「君民」を「支配者と国民」としていることです。これでは、アメリカ大統領や中国共産党国家主席が君になってしまいます。そうではなく、各国本来の「君」となるべき方が玉座に就き、その家系が連綿とつづき、世界各国が君民拝み合いの国家となることを祈願して建立されたのが、「君民一体地上天国成就燈」ではないかと思うのです。
 世界連邦ですから、日本以外の国々が滅ぶわけではありません。ですから、こう解釈するのが自然だと思われます。




1915こんにちは:2013/06/11(火) 17:41:59 ID:nSg7g3W2
>>1914 「訊け」様

私は、復興G様が「世界には唯一の光しかない」という意味を狭くとらえていると思ったのです。
太陽系にしましても、太陽ばかりが中心ではなく、地球も月にとっては中心です。
ですから、雅宣総裁が日本天皇ばかりでなく世界各国のことを述べていること自体が、間違いではない、と言いたかったのです。

「訊け」様のまとめは、私の主旨どおりです。
ただ、「実相天皇」の具体的な意味が問題ですね。
雅宣総裁は、日本天皇を世界の中心者と観じていないですから、谷口雅春先生とは違っていますね。

1916こんにちは:2013/06/11(火) 18:04:46 ID:nSg7g3W2
◎志恩様と、復興G様および「訊け」様とのやり取りについて。

少し志恩様の肩を持ちますと、総裁は言葉の上では日本や天皇を否定しているわけではないものの、谷口雅春先生と比べて著しく軽視しているということは言えるでしょう。
谷口雅春先生や松田巳代志先生の頃は、ブラジル国内でも「天皇」の文字が高々と掲げられていたのですから。

私が一番に思いますのは、総裁には天皇への愛情が感じられない、ということです。
本当に大切にしたいと思っているのか??という気持ちになってしまいます。
一部の本流派の方が無用な争いを作っている感は否めませんが、雅宣総裁に問題ありと言わざるを得ないのは確かでしょう。

私は、以前からの諸々の雅宣総裁の問題の核心は、「冷淡さ」にあると思っています。
国であれ、天皇であれ、一般信徒であれ、家族であれ、雅宣総裁の態度はあまりに冷淡で残酷です。
ここが治らない限り、本流派などからの罵倒は無くならないでしょう。

総裁は、言葉の上では天皇を否定していませんが、本当の本音の部分では否定しているのだと思います。
これは総裁自身も自覚していないかもしれませんが、私は「自己欺瞞」を総裁から感じるのです。
肯定できないはずのものを、どうにか誤魔化しているのです。信徒だけではなく、ご自分に対しても。

こうした冷淡さや自己矛盾の根本原因は、総裁が「合理主義者」の権化であるところにある、と思います。
元来、合理主義者は天皇も信仰も理解できません。
なぜなら、天皇や信仰は元来、不合理な存在だからです。
人間の心というものは元来不合理であり、知的な合理主義ではどうにもなりません。
天皇や信仰は、そうした不合理な人間の心に立脚した存在です。
元来、合理主義的な人間の頭脳というものは、利己的に出来ています。心が欠落しているからです。
ですから、人間の頭は、天皇をお守りすることを「損だ」と思います。
しかし、心はそうではありません。
自分にとって損でしかなくても、「お守りしたい!!」と思うのです。
それは、心の本性が「愛」だからです。

つまり、合理主義者には根本的に、「愛」が欠落しています。
一時期、日本を騒がせたホリエモンや村上ファンドは、その象徴的な存在です。
雅宣総裁が兄弟と分裂するのも、これが原因です。
雅宣総裁の、東日本大震災についての祈りの言葉が冷淡であるのも、これが原因です。
雅宣総裁の信仰の言葉に真実味がないのも、これが原因です。
雅宣総裁が言葉でどう取り繕うとも、天皇護持への真実味を感じないのも、これが原因です。

私は断言します。
教団が滅亡するか否か?という危機に陥ったとき、総裁は逃げます。
総裁は、自己保身に走ります。
自分の人生のすべてを投げ出して、信徒を守ろうとはしません。
なぜなら、彼は合理主義者だからです。
それは、今までの彼の言動からも、あまりに明らかです。
彼は、自分を犠牲にすることは、出来ないのです。

もちろん、これは現象の話です。
しかし、現象は現象として、シビアに見つめる眼も必要です。

志恩様の非を責める前に、志恩様がそう言わざるを得ない心情とその背景を理解しなければ、話は進まないのではないでしょうか?


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