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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板

1101うのはな:2012/05/02(水) 12:40:01 ID:El6gIMAw
祖国日本の光明  黛 敏郎氏 (音楽家)

「生長の家」立教五十年、お芽出とうございます。心からお祝い申し上げます。
五十年といえば、奇しくも私の年齢と同じ、私が生まれてこのかた、同じ歴史と経験を
巡って今日に至ったことを思うと、とくに感慨ふかいものがあります。
 この五十年は、まことに波瀾に満ちたものでした。初期の軍国主義拾頭期には
「生長の家」の宗派を超越した超宗教的理念のゆえに迫害をうけ、終戦後の自由民主主義万能の
現代には、その日本民族精神の根源に立ち返ろうとする基本理念が誤解を招く、といった受難の歴史が
つづきます。

 しかし、いかなる時代にあっても、真理は一つという谷口雅春先生の教えを体した会員諸氏が、雑音に
惑わされることなく、孜々としてみ教えの体現に努力される姿には、光明を感じます。
 どうか、祖国日本と、その文化のためますますご精進をつづけられ、ご発展あらんことを、切に祈願いたします。

『生長の家』誌 昭和五十四年三月号 P41

1102うのはな:2012/05/02(水) 12:50:19 ID:El6gIMAw

愛国心を育てる名言http://ilovenippon.jugem.jp/?eid=67

1103うのはな:2012/05/02(水) 16:56:17 ID:El6gIMAw
“新しい文明”の基礎は日時計主義

 先生は、この“新しい文明”の基礎となるのは「日時計主義」であることを
明示されています。さらに、自然界に四量無心を実践し、“めんどくさい”方法でも
環境に良いことを進んで選択することによって、“自然と共に伸びる”生き方を具体的に
教えられています。

  『次世代への決断ー宗教者が“脱原発を決めた理由”』
    読書感想文募集!
 本誌編集部では、読者からの本書の感想文を募集します。文字数や締切の制限は設けません。
読んだ後の熱い思いを言葉にして、どしどし投稿してください。7月末日までに届いた感想の中から、
特に素晴らしいものは本誌10月号に掲載させていただく予定です。

 (例) 本書を読んで次世代のために決めたこと
     自分の生活のここを変えようと決意したこと
    “新しい文明”を築くためにしてみたい仕事や活動など

 宛先 郵送 〒150−8672 東京都渋谷区神宮前1丁目23番30号
        宗教法人「生長の家」出版・広報部広報・編集課

1104金木犀:2012/05/03(木) 22:09:42 ID:wrF1mhWI
役行者様

保田與重郎翁を、とっても敬愛しておられると聞いたので、
保田與重郎翁の『日本の伝統』からの一部を謹写してご紹介します。
ご存知かもしれませんが。

 寛容と偏狭


 胡蘭成先生は、大東亜戦後の長い間、日本に亡命されていて、そのあいだの観察から、日本人は寛容だと申されました。これは『小学』の教えが行われていたからです。歴史的にみたこの日本人の寛容と、いまふつうに言っている国際観念の寛容とは違います。

 日本には、むかし、儒教や仏教が入って来ましたが、何でも、来たものを平気で取り容れるというのが日本人の考え方や態度で、偏狭な態度はとらなかった。仏教が入って来たら仏像をつくり寺を建てる。この平気でということは、非常に大事なことで、何ゆえ平気だったかということです。これは「模倣が得意だった」というような、言葉の言いかえでは、問題の解決となりません。
 支那人は、物事に対して大陸的で寛大であるといっていますが、文化や思想の歴史を見ますと、日本の方が、外来のものに対しては大様(おおよう)なのです。

 八世紀の初め、日本では天平時代、支那では唐の時代ですが、唐の都の長安には、ヨーロッパや西南アジアから、いろいろな文物が入っています。芸術品とか工芸品が来ています。それらが、唐から日本にも入って来ました。聖武天皇が御使用になったそれらの輸入品を、天皇崩御のあと光明皇后が、東大寺に奉納され、それが現在、正倉院にそっくりそのまま残り伝わっています。正倉院だけでなく、東大寺の倉庫にも若干残っています。法隆寺にも、いろいろなものが伝わり残っています。法隆寺の文物は、天平時代よりまだ古い聖徳太子の時代のものもあると思います。

 それらを見ますと、七、八世紀時代の西域からペルシャあたりの、一流品の優れた文物なのです。一流のものだけを日本にもって来たのか、また、日本人が選別して一流品のみしか受け容れなかったのか、この二つのうちのいずれかです。どちらにしても、一流品一番よいものを、当時の日本人が知っていた、手にしていたということ、これは間違いありません。

 千二百年前の品で、こわれやすく焼けやすいものが、地上の木造倉庫で保管され、いまに至るまでそっくり完全な姿で残っているのは、世界中で正倉院の他にありません。地中の廃墟や墓の中から出土したものは、ずいぶん古いものもありますが、正倉院のように、たくさんの貴重品が、収蔵された日のまま伝わった例はどこにもありません。千二百年の年月のうちには、戦いにあけくれた乱世もあったのですが、盗難強奪もなく、火災もなく、無事に伝わってきたのです。
 これは、日本の国柄(国体)というものを考える上で大事なことであります。正倉院は勅封といって、毎年天皇陛下の御使いが来て中をしらべ、また封をします。こうして千二百年へてきたのです。

 正倉院の所蔵品は、当時の日本人が、その頃の世界で一番すぐれたものを選別し、大事に残したことの一つの証拠です。現在の日本でも、外来物を喜んで積極的に取り容れるところは、むかしと同じですが、選別という点では天平時代の先祖と違い、駄目な点が多いのは恥ずかしいことであります。

 支那の知識階級は、思想の面では実に偏狭で、儒教が盛んな時代には、儒教以外のものは認めません。仏教も許容しない。唐の都の長安には、外国の人も品も沢山ありましたが、外来の思想は容れませんでした。ここは我国とちがうところです。このような支那の知識人の中でも、少しの例外があります。老子に心をよせた人々で、この人々を「黄老の仲間」といいます。この黄老の人達は、日本の芸術家や詩人に近い気風をもっていました。
 日本人は、ものを受け容れて自分を失うことがないのです。自分を失うひとは、外のものを受け容れることはできません。他を容れることのできる人は、自分を失わない人であります。

 近い時代の例では、明治維新の西郷隆盛です。隆盛は何でも受け容れた英雄ですが、自分を絶対失わない人でした。受け容れるというより、自然に化す。自分も風景も一つ、自分も他人も一つ、山も川も天地万物が一つであります。あの偉大な明治維新をつくった人々のうちで一番偉い西郷さんは、このような人でした。この人は「相安相忘」の見本のような大人物です。ものを取り容れるというのと、自然に化すというのとは、現象的に似ていますが、自然に化すのが、より高い境地といえます。

1105神の子さん:2012/05/03(木) 22:58:39 ID:Z7QV3pAI
生長の家が、環境問題に取り組んだ
最初の宗教とか、それは雅宣総裁の成果という人がいるが
日本神道とは、天照大御神の恩恵とそれによる自然の恵みに感謝し、
自然と調和し、五穀豊穣と万物に神や命を見出すものであり
2672年間天皇陛下はそのトップとして祭祀をつかさどっている。
古代日本人から伝わる生き方がそもそも自然とともに伸びる
生き方ではないか。環境問題を言いたいなら
神道に還り、陛下の生き方をすればいいだけの事。
それに結び付けてくれたら教勢も伸びるのに
それが死ぬほど嫌いな誰かさん

1106ユタカ(なせば成る我ハ神の子):2012/05/03(木) 23:18:11 ID:BMuVZiow
>1105 神の子様

それにしても、宇治のホームページを見るとすごい人数ですね。。。

それほど、教勢が落ちているように見えなくなりましたが・・・

どうなのでしょう??

1107金木犀:2012/05/04(金) 05:43:12 ID:wrF1mhWI
保田與重郎翁の『日本の伝統』から

小学(寺子屋で最初に習うもの)の教え「灑掃、応対、揖譲、進退」


 『小学』の教え「灑掃」と「揖譲」は、人とつきあう時の、こちらの形を教えたものです。共同生活、即ち村とか社会を成り立たせてゆく、初歩の心得を言っているのです。灑は水をそそいできれいにすること、掃ははらいきよめること。灑掃はサイソウと読みますが、私はサイソウという字音を好かないので、灑の字のサンズイを取り除いて麗掃(レイソウ)と読んでいます。これは磨いて美しくする、柱や板を空ふきするようなことであります。揖譲は礼を正しくする、謙虚ということです。
 日本人は、掃除ということを大事にしました。仕事をする時には、まず身の回りをきれいにしたものです。きれいにしますと、自然と気持ちがよくなり、自ずからよい仕事ができます。以前は、職人の家に弟子入りすると、一、二年は掃除のようなことばかりやらされたものです。心掛けのよい子供は、その間に親方の仕事ぶりや仕事に対する心構えなど根本のものを、知らず知らずのうちに身につけたものでした。
 仕事をしている人というのは、仕事を楽しんでいる人です。仕事と金もうけは別で、このけじめは大切です。家屋でも日用品でも、今のものは悪い、昔のものは強くて使いよく永持ちすると言われるのは、子や孫の代まで使えるようにと考えて作ったからです。そういうものを作り、そのものをそういうように使うことを「冥加がよい」と言い、使い捨てにするようなものを作り、そのように使うことを「勿体ない」と言ったのです。
 木製品ならば、木地の美しさをみがいて出す。もののうちらにある美しさを磨き出すというのが、日本の暮らし方でした。戦後アメリカ兵が来て、床柱にまでペンキを塗ることを教え、その頃の人たちの間で、何にでも科学塗料を塗るようになりましたが、最近ではだんだんその軽薄さがわかってきて、木地の美しさに心ひかれるようになってきました。
 「灑」は支那のことばでは、水を注いでふき掃除をすることですが、日本では木造の建物が主ですので、空ふきを繰り返し、木肌の奥底からにじみ出る光沢(つや)をよろこびます。この光沢は、ニスのような化学塗料のうわべの光沢とちがって、木のうちから出てくる、奥行きのある落着いた輝きで、人の心にしみじみとした豊かさを与えてくれます。
 
 「応対」と「進退」は、人とつきあう時の直接の心得であります。行儀作法の教えです。私の尊敬している支那の学者の胡蘭成(こらんせい)先生が言われたのですが、「『相安相忘』ということばがある。人と人とが相対している時の、最高の状態はこれだ。」と。
 人と人とが、親しく話をしている。お互いに気を許している。もう互いに相手が他人だということを忘れる。つまり相手と自分とが一体となるのです。相手のために自分は尽くそうとか、相手が自分のために働いてくれるなどということを考えるのは、まだ「応対」の入口なのです。
 「相忘」の忘がむずかしい。自分は自分を忘れているけれども、自分は全部心を許しているけれども、相手はどうかなと思ったら駄目なのです。そのように思わないようになるのが修養です。この修養は非常にむずかしい。
 いまの世間では、ふつう相手を疑うことだけが、世渡りの秘訣となっています。日本のみではなく世界中がそうです。とくに政治の世界がひどい。国際政治などは互いに不信です。しかし、国民は互いに不信ではありません。民衆が相互に背信でしたら、町も村も成りたちませんし、会社も成立しません。
 民衆は、政治家やジャーナリスト、評論家の想像するより、健全で素朴で、そして仕事に真剣に、地についた生活をしているのです。政治家やジャーナリズムの煽動に躍っているのは、甘ったれで幼稚で、浮ついた生活をしている、ごく一部の政治的大衆です。歴史上どの時代にも、こういう政治的大衆がいて、デマゴーグのお先棒をかついで、はしゃぎ廻っていました。しかし、時がたつと、沫のように、デマゴーグもお先棒も消えてしまうのがその運命ですから、この連中の存在や言説は、あまり気にする必要はありません。
 「灑掃、応対、揖譲、進退」は『小学』として、これは子供のときに教わるのです。これを了えて『大学』となります。

1108志恩:2012/05/04(金) 07:02:38 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

私も宇治のホームページを見ましたが、
あの集まった大勢の方々は、今回の相・白・青の全国研鑽会とやらで、全国、いくつかに分けて,集まった方々です。

教勢が落ちたからって、全国数が、数千人になったわけでは、ありません。
雅春先生時代から、継続して各地で幹部をされておられる方も、いらっしゃるでしょう。

でも、教勢は、著しく落ちているのは、本当のようですよ。
現役の幹部でおられるトキ様が、おっしゃってるでしょう。

宇治の練成会の参加者は、増えてると、どなたかが書き込まれてましたね。
楠本先生が、おられますから。本来の生長の家のご講話が拝聴出来るからだと思います。
宇治の楠本先生は、私も大変尊敬申し上げている先生ですが、90才になられます。ご長命を祈るばかりです。

1109金木犀:2012/05/06(日) 15:55:17 ID:CWTwt34c
五月三日は憲法記念日でした。押し付けの占領憲法をこんな風に祝日として祝うなど
情けない限りですが、ここで、『占領憲法下の日本』谷口雅春先生著からの転写謹載です。

日本国民の血縁的一体感を破壊した憲法

この占領憲法のさらに最も悪いところは、“家”の制度を破壊し個人を祖先及び父母から分断して相互の関係を断絶したことであります。占領軍が、日本の良俗美風であるところの“家”の制度の破壊を狙ったのは何故であるかというと、日本国が大東亜戦争中、世界五十二カ国と戦いながら、あれだけ強かったのは、日本国民は天皇を家長とし、天皇家を宗家とする一家族であるとの信念をもっていて、全国民一致団結して戦った結果であるから、日本を将来いつまでも弱小国の状態に陥れておくためには、「国民が天皇家を中心とする一家族」という日本民族独特の個性ある国家観念を打ち破っておかなければならないというわけで、“家”の制度を廃して、個人の男女夫婦の単位家族制度に改めてしまったのであります。そしてこのアメリカ製憲法は、もともと唯物論憲法でありますから、生命の一連続という意味での“家”というような“肉眼に見えないもの”は認めない。だから“家督相続”を廃して、肉眼に見える財産相続だけを残したのであります。

占領憲法以前の日本の伝統においては、長男が“家”を相続するとともに、その“家”の財産を相続する―¬¬―それに従って老いたる父母や全家族の生活を保障する義務と責任を長男が譲り受け、連綿として一家が血縁的霊魂的持続をガッチリと保ってきたのであります。国家もそのような精神で、ガッチリとして継続して繁栄してきたのであります。ところが日本弱体化を目的とする占領軍には、日本国民のこの血縁的霊魂的な強固な結びつきが気に入らない。それでこれを個人単位のバラバラにしたのがこの占領憲法による“家”の制度の廃止であります。

1110金木犀:2012/05/06(日) 16:14:07 ID:CWTwt34c
個人主義を強調する占領憲法

占領憲法の第十三条には、
「すべての国民は、個人として尊重される」とありまして、ここにいかにこの憲法が反国家的であって、個人主義的憲法であるかを暴露しているのであります。これは「すべての国民は、国家の一員として尊重せられる」とあるべきでありまして、この憲法には国家観念がないから、「個人として尊重せられる」などと個人主義的なことを堂々と打ち出しているのであります。最も、その第十三条には、続いて、「生命、自由、及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」とあって、個人の権利追求に対し、「公共の福祉に反しない限り」という制限は、設けてあるが、それは「国家の福祉に反しない限り」ではないのであって「公共の福祉に反しない限り」と書かれている点に注目しなければならないのである。たとえば共産主義者が、「国家を破壊しても、共産国の衛星国にすることが、公共の福祉にかなう」と考えた場合には、国家の破壊工作を行なっても、それは、この憲法に適するのであって、その革命運動を制圧することは、この憲法の下においてはできないのであります。

つづく

1111金木犀:2012/05/06(日) 16:20:38 ID:CWTwt34c
日本的思惟に於ける「公け」

日本の伝統的思考においては「公け」とは「大親家」であった。われらの生命は大生命より出で、大生命を大親として、そこより発して国家の形成となり、祖先、父母を通じて、大生命の流れを汲んで個人にいたるのである。大親なる大生命(天照大御神)のいのちの流れは国家の生命となり、祖先の生命となり、父母の生命となり、子孫の生命となる。ここに大生命→国家の生命→個人の生命は、一貫して一体であり、「公け」に尽くすとは、自己の生命の本源の顕現のうち最も本源的なるものに尽くすことになるのであります。ところが、この占領憲法においては、公け(公共)とは、個人主義者の集団なるただの社会を意味するだけであり、「公共のために尽くす」ことは、必ずしも国家の興隆のために尽くすことではなく、国家をつぶしても「吾ら全般の福利のために尽くす」という意味になっているのであります。そこに革命運動の種子が蒔かれているのであります。

いったん終り

1112金木犀:2012/05/06(日) 16:24:50 ID:CWTwt34c
訂正です。
>>1109

―¬¬― の部分は ――の間違いです。

1113うのはな:2012/05/08(火) 22:36:17 ID:???
信仰エッセイ  「宗教ってなに...?」 森田征史 先生

 ぼくが「生長の家」を学びはじめたのは二十歳のときです。
自宅に小川さんという青年がたずねて来られて、「今夜、生長の家の青年のつどい
があるから・・・」と誘って下さいました。十七歳のとき、生長の家の勉強会がわが家であり、
伯母に言われて参加したものの、母親の年代の女性ばかりでした。それ以後、生長の家の会合には
行っていませんでしたが、若い人の集まりならと思い、ごいっしょさせていただきました。
お訪ねしたお宅には七〜八人の男女の若者たちが集まっていて、みんな明るい笑顔で迎えてくれました。

 しばらく話を聞いているうちに、みんなが、ぼくのよく知っている、今までつき合ってきた友達とは、
まったく違っていることに気がつきました。それは、一つには、自分のこと、とくに遊びや趣味については
ほとんど口にしないで、他の人たちのことを心配したり、社会や国全体、さらには世界の平和や人々を幸せにする
ことばかりを話題にしていました。

 もう一つは、谷口雅春先生(編註。生長の家創始者)というお方をたいへん尊敬しているらしく、
『理想世界』(編註。青年向けの生長の家の月刊誌)誌を輪読しながら、「谷口先生の言われていることをいかに
実現させるか」などについて一所懸命に話していました。ぼくは、そのような同年輩の若者を今まで見たこともなければ、
話をしたこともありませんでした。

 ぼくはすっかり、みんなの素晴らしさにまいってしまいました。
「この人たちと一生、友達でいたい」と思いました。きっと感動的な人生がやってくるような気がしたのです。
このときからぼくは、生長の家を信仰するようになりました。

 しかし、「生長の家」が「宗教」であるということには、最初から強い抵抗感がありました。
ぼくにとっての宗教は、誰も手を差し伸べることのない、あわれな弱者のための「叶わぬときの神頼み」か、
間もなく死を迎えようとする人がほしがる「あの世行きのパスポート」くらいにしか考えていなかったからです。
宗教など若い自分には、まったく不必要なものだと思っていました。
そのために、自分が生長の家に入っていることを友達には言えませんでした。

つづく

1114うのはな:2012/05/08(火) 23:04:09 ID:???
1113 つづき

 やがて、それも小川さんが解決してくれました。小川さんとぼくは、よく将棋をしました。
ある日、二人で駒を動かしているとき、ふと彼が、「森田君、宗教というものは、人生の定跡みたいなもんやなぁー」
と言ったのです。ぼくはそのひと言でハッと気がつきました。碁では定石、将棋は定跡と書きます。
「定跡」とは、数百年を超えるわが国の将棋の長い歴史の中で、その時々の名人たちが脳漿を絞り上げて、思案に思案を
重ね、試行錯誤の限りを尽くして見つけ出した、ある一つの局面での「必勝の一手」です。

 どんなに町一番、村一番の将棋差しの長老でも、その人の将棋が自己流である限り、定跡をマスターしている、わずか十歳の
子供にも負かされてしまいます。これはスポーツについても同じです。
水泳がじょうずになるためには、数え切れないほどの先輩たちが、工夫に工夫を重ねて泳ぎ抜いてつくり上げた「フォーム」を
身につけなければなりません。がむしゃらに手足をバタつかせても、絶対にスピードは速くならないのです。

 人生も自己流でいくらがんばっても、うまくいかないことの方が多いのです。目をみはるような素晴らしい成功者もいれば、
がんばってもがんばっても思うようにならず、どろまみれになって、あせればあせるほど失敗の深みに落ちこみ、ついに破滅してしまう
人も数え切れないほどたくさんいるのです。そして人間は長く生きているというだけでは決して幸福になるとは限りません。
いったいどこに人生の「幸、不幸」の分かれ道があるのでしょうか?

 人生にも「定跡」や「フォーム」が必要なのではありませんか?
将棋の定跡や水泳のフォームは日進月歩し、常に新しい工夫によって改善されていますが、
人生のそれが偉大な宇宙の真理から生まれたものであれば、これほど強力で完全なものはありません。
まさに不滅不増の絶対のものです。

 実は、それこそが本当の宗教だったのです。しかも、生長の家の教えは難解なお経のようなものでもなく、
あまり親しみのわかない遠い西洋のお話でもありませんでした。そのうえ聖典には、自分を変え、国を良くし、
世界に平和を持ちきたすために、何をすればよいのかが、ぼくにも理解できるように、分かりやすくはっきりと書いてありました。

 ぼくはやがて、生長の家が宗教であることに心の底から喜びを感じるようになりました。
それは、誰も学校で習っていない、誰も知らない「秘密の国に入る秘密の鍵」を手に入れたようなうれしさでもありました。
自分のこれからの人生が、「何だか急に大きく大きく開けたような気持ちでした。


『理想世界ジュニア』 平成七年二月

1115うのはな:2012/05/09(水) 10:50:56 ID:???

 だれもふたりの主人に兼ね仕えることはできない。
 一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。
 あなたがたは、神と富とには兼ね仕えることはできない。
 それだから、あなた方に言っておく。

 何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、
 何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。
 命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。
 空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取り入れることもしない。
 それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていてくださる。
 あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。

 あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、
 自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。
 また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。
 野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。
 働きもせず、紡ぎもしない。
 しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、
 この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
 きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、
 神はこのように装ってくださるのなら、
 あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。

 ああ、信仰の薄い者たちよ。
 だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。
 これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。
 あなたがたの天の父は、これらのものがあなたがたに必要であることをご存知である。
 まず神の国と神の義とを求めなさい。
 そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。

 マタイ六章二十四節〜三十三節 日本聖書協会、 1955年改訳版より

1116役行者:2012/05/09(水) 14:58:32 ID:ne2N0HEs

  >>1104

金木犀さま

 お久しぶりです。ご無沙汰しています。
保田與重郎翁の『日本の伝統』の謹写、心から感謝申し上げます。
文章から保田翁の人柄が滲み出ています。

 寛容と偏狭

>このような支那の知識人の中でも、少しの例外があります。
老子に心をよせた人々で、この人々を「黄老の仲間」といいます。この黄老の人
達は、日本の芸術家や詩人に近い気風をもっていました。
 日本人は、ものを受け容れて自分を失うことがないのです。
自分を失うひとは、外のものを受け容れることはできません。他を容れることの
できる人は、自分を失わない人であります。<

つまり、本物を受け入れるのでしょう。本物を知っているのでしょう。
それは、日本の丁稚制度から来ると思っています。
丁稚の時に本物を養う目を磨いていったのでしょう。

 >近い時代の例では、明治維新の西郷隆盛です。
隆盛は何でも受け容れた英雄ですが、自分を絶対失わない人でした。受け容れる
というより、自然に化す。自分も風景も一つ、自分も他人も一つ、山も川も天地
万物が一つであります。あの偉大な明治維新をつくった人々のうちで一番偉い西
郷さんは、このような人でした。この人は「相安相忘」の見本のような大人物で
す。ものを取り容れるというのと、自然に化すというのとは、現象的に似ていま
すが、自然に化すのが、より高い境地といえます。<

老子といい、西郷翁といい、心から敬愛しているのです。
 
>>1107

>以前は、職人の家に弟子入りすると,
一、二年は掃除のようなことばかりやらされたものです。心掛けのよい子供は、
その間に親方の仕事ぶりや仕事に対する心構えなど根本のものを、知らず知らず
のうちに身につけたものでした。
 仕事をしている人というのは,仕事を楽しんでいる人です。仕事と金もうけは
別で、このけじめは大切です。家屋でも日用品でも、今のものは悪い、昔のもの
は強くて使いよく永持ちすると言われるのは、子や孫の代まで使えるようにと考
えて作ったからです。そういうものを作り、そのものをそういうように使うこと
を「冥加がよい」と言い、使い捨てにするようなものを作り、そのように使うこ
とを「勿体ない」と言ったのです。<

いわゆる、日本の丁稚制度が日本の文化を創り上げてきたと云えるのかも知れません。
丁稚、下積み、部屋住みなどが、何においても大切なのかも知れません。


 >「灑掃、応対、揖譲、進退」は『小学』として、
これは子供のときに教わるのです。これを了えて『大学』となります。 <

たぶん、子供の頃にこのような教育を受けている大人が多ければ、
現代の日本は少しまともになっていたでしょう。
大の大人になっても、今からでも遅くないから、
修養を積むことが大切なのかも知れません。

                         合掌

1117金木犀:2012/05/09(水) 15:42:28 ID:jKNyIORM
役行者様

御返事有難うございます。

丁稚奉公、なるほどそうかも知れませんね。日本式のものは皆封建的だと批判されますが、
日本人はそうして目を養い、感性を養ってきて、近代を作る基礎、土台を作り上げてきたのだから
それは非常に良いやり方であったに違いないですよね。

老子は日本人の感覚に近かったんですね。西郷翁は確かにまさに日本を代表する
偉人ですね。明治でいちばん偉かった人というのは、その通りな気がします。

確かに日本式の修行というのは、先ず掃除から始まるというのが大半ですよね。
そういえば、以前テレビで、学校の女性校長か誰かが、トイレ掃除を生徒とともに
やっていくことで、どんな不良生徒も、立ち直って、トイレ掃除を雑巾など、手で一生懸命に
磨くうちに、こころも垢が取れるかのように、気持ちが穏やかにさっぱりとしてきて
学校中が素晴らしい雰囲気になったと、よくは覚えてないですが、
そういうやり方で学校を変えたという話をやっていました。

あれも、日本式のやり方なんでしょうね。体を動かして拭き掃除などをしていくことで
実際に得られる感覚が人を育てるのかも知れませんね。

1118うのはな:2012/05/11(金) 21:09:06 ID:???
   さまざまな英霊

 ところで、靖国神社に英霊として祀られているのは、男性だけではありません。
私は、靖国神社の英霊というと男の神様を想像しがちだったのですが、女性の英霊もおよそ
五万七千柱祀られています。

 あなたは日本赤十字社を知っていますね。病院とか、献血とかでおなじみの、あの日赤です。
実は、赤十字というのは、さきほど少しふれましたが、もともとは、戦場で、敵味方の区別なく、
傷ついた兵士や病気になった兵士を救うために結成された民間の組織です。
いまから150年くらい前にヨーロッパで、軍隊が行なう医療や看護を助ける機関として提携されました。

日本赤十字社も、いろいろな戦争で日本軍を補助する組織として活躍しました。
日本赤十字社の救護員が最初に英霊として靖国神社に祀られたのは、日露戦争にさいしてでした。
その後、さかのぼって日清戦争のときに病死した日赤看護婦も合祀されました。
そして、太平洋戦争の頃になると、日本軍の兵士と同じように、戦場で死亡する日赤看護婦がたくさん
出ました。この人たちも、英霊として祀られています。軍人ではないけれど、日本軍を助けた、日本兵に準ずる
人たちだと認めたからです。

 初めて日赤から英霊が出たとき、日赤は大喜びしたものでした。
人々の日赤の活動に対する尊敬や関心も高まりました。靖国神社の英霊になるのは、戦争をしていた時代の
日本人にとって、それほど名誉なことでした。

 英霊のなかには、少年や少女、生れて間もない子供たちもいます。

『14歳からの靖国問題 』 小菅信子 著

1119SAKURA:2012/05/12(土) 23:29:40 ID:FEa/NNlc
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

こんばんは…
ようやくすがすがしい〜〜5月の心地よい風が、街を歩く人々の耳に〜♫〜
そ〜〜〜ッと?話しかけているようです…。
私も、本日“風の妖精”からささやきを…【勇気…】を頂きました〜♫〜

■さて!何度も投稿しますのは…それなりの此方の解釈論がありますので…
此処にて【再再再再投稿をさせて頂きます…】

今回【生長の家…お家騒動】“ターニング・ポイント”一番大切な時期と私は思っております。
この【2チャンネル…閲覧者】の皆々様は、
中には初めて“検索・閲覧”の方々もいらっしゃいますでしょう〜♫〜
私も、昨年度下半期より閲覧し始め、当初は「靖国見信会の1日見信会」にも参加しましょうと、
私なりに段取りをしておりました…。が…多々なる“アクシデント”により、その参加は、
できませんでした。尚!その間並行しながら、“投稿文”を拝読させて頂いておりました。

じっくり拝読しながら、冷静なる判断にて、要約昨年度後半より「現総裁雅宣先生」の
お考えを、私なりに理解するようになりました。
■その間の【投稿文…】の“真偽性…”判断しますのに、当然時間が要した次第です…。

今回「下記の文章」にての私の「解釈…」は納得いきかねておりますので、
「再再再投稿…」の形を取らせて頂きます…。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
1187 :志恩:2012/05/12(土) 09:10:58 ID:.QY5jUA6
SAKURAさま
私の書いた「せい」の文のことで、かなりお怒りのようですが、私は、あれは、
シャレで言っているつもりだったのです。
読まれたら、わかるでしょうけれど、
SAKURA様が、引用されたような、
「こちらが、こんなに悪いのは、あなたのせいだ」というような
相手を責める目的で書いた陰険な文では、ないでしょう?
                                 (上記参考文献…)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
今!【生長の家…お家騒動】この時期に於きましては、観覧者(一般者…含む)様方々…
目的を持たれて拝読されているものと思います…。

■さて【〜〜〜せい!あれは“シャレ”…】とおっしゃいますが…
逆に、私が此の【投稿内容…】に拘らなければ、一体どうなっていましたでしょうかしら〜ン?
どうも、【貴康先生を指示されていらっしゃる…】とこの場に於きまして“公表”されて
いらっしゃいました方でとの“記憶”があります…。

■観覧者の皆様方(初めて拝読される方々は、特に!)此の文章が、此の“言葉”が…
潜在意識の中に、深く〜深く〜“インプット”されまして…【〜〜〜せい】
「現総裁雅宣先生のイメージ」一方的な捉え方の「イメージ」になりかねません“モノ”!
現に、昨年度の私は、昨年6月から“投稿されていらっしゃいます方々”の言葉を…
信じまして、“批判的な文章を別の処にて“投稿コメント”致しましたのも事実です。
が…自分自身の冷静なる判断で、更に余りにも「現総裁先生への中傷」のみが…
先行している事に、気づきました…。【疑問点…?】が、心に浮かび始めました。

■公平な視点からの“言葉遣い”なら私も納得いたしますものがありますが…
極端に申しますと「現総裁先生は人間ではな〜〜い」その様にも取られてしまう表現!
この事に、これがかっての出て行かれました「元理事会・幹部の方々・職員の方々…」
なのでしょうか?
            <つづく>                 NO.1

1120志恩:2012/05/13(日) 02:08:28 ID:.QY5jUA6
1119の返信です。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1334410972/1187

1121SAKURA:2012/05/13(日) 04:05:31 ID:1rgrwDUA
<つづく>                 NO.2
>> 1119 の続き投稿です…。

私は今回!此の大切な時期に於きまして…“誤解”を受ける様な表現を、納得しかねますし、
■投稿いたしますと…【雅宣先生派??】と言う事でしょうか??
平均的に「2時間〜4時間」にて【奥の間】に、入ってしまいますので…その間の投稿が、
ご本人様・お仲間の方々に取りまして“重要”の様ですので、私は、
あくまでも「観覧者様方々」に、拝読して頂ければ…幸いに思います…。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>>1185>>1186>>「SAKURAの投稿文」

■■トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

こんにちは…
今回!私は下記の“投稿文”を【再再投稿…】と、云う形をとらせて頂きます…。
「此のボ−ド」の私の捉えています“主旨”は、観覧者(一般)の皆様へ…
私なりですが【生長の家…御教え】の素晴らしさを、今回の“お家騒動問題”は別に、
その様に考えています…。従いまして!「投稿文」の時は、私なりの知識内にての、
表現力で、時として誤解を受ける事(本人の主旨とは別に)もありますでしょうが?
従いまして、一般社会人としての【モラル】をも考慮した上での”投稿“です…。
単に“言葉遣い”と云う軽い感覚以上に「生長の家」の【言葉=言霊】を考慮した上、
更に【実行…行】と云う事も考慮しております。いわゆる!“言葉遣い”にとどまらず
【言葉の責任…責任…】が大切なのではと思う所存です…。

■尚!下記の【再再投稿文…】拝読して頂けますと幸いです…。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
■再再投稿文文章
>>1181「志恩様の投稿文」

おはようございます…。もう少しで【神想観】の時間です…。(私のタイム?)
さて!下記の文章(1181投稿内容中)…
■>「あなたの心のかげ」=「「あなたの せい」これは、同意語なのです。<●

私の【投稿内容】の捉え方が異なっていますようですし…【雅春先生の言葉】からの引用です。
さらに、此の文章の捉え方(上記の●)が異なるようですので…
【再度投稿…】させて頂きます。
更に「言葉の使い方」が、「生長の家」本当に?その様にも、受け取られてしまう事にもなります。
言葉の使用が第三者から見ても「気分のいいものでは〜〜?」と、思いますし
私の投稿した言葉を書いてないものがありましたので、更に“再投稿”の
形を取らせて頂きます。
但し下記の文章中…表現【正す…】これに関しては、誤解を生じたようですので
下記の(■Fig – 1)を参考にして下さいませ…。

■再投稿文章
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
1177 :SAKURA:2012/05/11(金) 21:01:06 ID:WTW7YSyM
>>1172「志恩様の投稿文」
トキ様 へ
観覧者様 へ

上記の“投稿No 1172”の文章を一部抜粋させて頂きます…。

■>総裁先生が、やりたい放題をされたことが、信徒たちの合わせ鏡であり、つまり、
信徒のせいであるならば、裏を返せば、
われわれ信徒が、やってることも、合わせ鏡でありますから、全て、総裁先生の
せいであります。
訊け君が、キャバクラへ通いつめるのも、総裁先生のせい。
訊け君が、生意気な口をきくのも、志恩が、生意気な口をきくのも、総裁先生のせい。
本流の方達が、あのようにおっしゃるのも、総裁先生のせい。
トキ様が、コウモリなんて、呼ばれるのも、総裁先生のせい。
金木犀様が、女なのに、頭が良すぎるのも、総裁先生のせい。
復興Gさまが、博学なのも、総裁先生のせい。
ももんが様が、仏教に詳しすぎるのも、総裁先生のせい。
総裁先生と、われわれ信徒が、合わせ鏡ということは、こういうことに、なりますまいか!<
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
■■「雅宣先生のせい……」にと書いてらっしゃる方?此の文体が…目に付きました。
■「生長の家」では、「人のせいにする言葉」をもちいませんし、更に!
「現総裁先生雅宣先生」でもそのような“言葉遣い”をおっしゃっていませんが?
それは、あなたの“心”が、先ず!正さないといけないのでは……

■「すべてのひとを仲よく交わることの中に魂の生長があり、家庭の和楽があり、
人間らしい歓びがあるのである。」         谷口雅春著「生命の実相抜粋」
           <つづく>                 NO.2

1122志恩:2012/05/13(日) 07:14:01 ID:.QY5jUA6
SAKURAさま

ここをご覧の皆様は、またかい!!SAKURAさんって、きっと、うんざりされてますよ。
これでもか、これでもかと,私に関するいやがらせの文を、再掲載してさ。もう、呆れて読んでませんよ。
皆様は、いい加減、飽きてる!(笑)

あなたが、同じ文を
100回載せようが、1000回載せようが、私自体は、痛くも痒くもありませんけれどね。
100回でも、1000回でも、あなたの再掲載した文の後ろに、ポチッと、返信つけるだけですから。

いい加減にされないと、
私のアホさより、あなたの常識の方が、疑がわれ かねません。

1123志恩:2012/05/13(日) 07:20:01 ID:.QY5jUA6
私が、アホだってことは、改めて指摘しなくても、すでに、バレバレになっておりますから、
皆様「そんな こたぁ 言われなくても 知っとるわぃ」と,笑ってますよ。SAKURAさん。

1124金木犀:2012/05/14(月) 09:19:18 ID:9htTk4K.
志恩様

昨日志恩様書き込みの、総裁先生の視点に仮に立ったとしたら、
合わせ鏡である信徒のあらゆる状態は、ほんとに総裁先生のせいなのか?
という投稿を読んでいて、ふと疑問が生じました。
確かに、信徒の状態はご本人である総裁先生から見れば心の影でしょうが、
これは認識してないものまで、例えばある信徒が、今日は赤い服を着ようと
思ったことまで総裁先生の心の影なのかと思ったのです。

しかし、すぐに、実相を観ずる歌を思い出しました。

神はまったき智慧にしてわれは神の子なれば、
われはすべてを知り、すべてはわれを知れり、と。

なので、認識してないのは現象であり、実相のわれは、神と同じく
全てを知っているのであるから、頭脳が認識しようとしまいと
すべてを知っているのだから、やはり全ては、自分の心の影なんですね。

だから、何億光年も離れた恒星が爆発するのも、自分のせいだということになりますね。

1125金木犀:2012/05/14(月) 09:20:37 ID:hBPBB4C.
志恩様

昨日志恩様書き込みの、総裁先生の視点に仮に立ったとしたら、
合わせ鏡である信徒のあらゆる状態は、ほんとに総裁先生のせいなのか?
という投稿を読んでいて、ふと疑問が生じました。
確かに、信徒の状態はご本人である総裁先生から見れば心の影でしょうが、
これは認識してないものまで、例えばある信徒が、今日は赤い服を着ようと
思ったことまで総裁先生の心の影なのかと思ったのです。

しかし、すぐに、実相を観ずる歌を思い出しました。

神はまったき智慧にしてわれは神の子なれば、
われはすべてを知り、すべてはわれを知れり、と。

なので、認識してないのは現象であり、実相のわれは、神と同じく
全てを知っているのであるから、頭脳が認識しようとしまいと
すべてを知っているのだから、やはり全ては、自分の心の影なんですね。

だから、何億光年も離れた恒星が爆発するのも、自分のせいだということになりますね。

1126金木犀:2012/05/14(月) 09:37:47 ID:hBPBB4C.
トキ様

二重投稿になってしまいましたので、1125とこのレスを削除して下さい。
よろしくお願い致します。

1127志恩:2012/05/14(月) 10:00:19 ID:.QY5jUA6
金木犀様

コメント、ありがとうございます。
実相の吾れ、としての立ち位置に立った場合、

総裁先生のなさることも、
何億光年離れた恒星が、爆発するのも、吾が心の影であり、
吾の「せい」ということですか?

総裁先生が、雅春先生の著書を、次から次へと絶版にしたのも、
裁判を続けているのも、吾の心の影であり、吾のせいなんですね。

わかりました。
そういえば、
なんか、他人事に、思えませんでしたもの。
気になるわけだ。
自分の心の影を自分で、見て、自分を自分が、批判しているのですからね。

だから、憎むわけないですよね。
総裁の實相は、吾が實相なんですから。

「志恩、おまえ、なんてこと したんだ!!雅春先生に対して!」

ご教示、ありがとうございました。

SAKURAさまも、私も合わせ鏡か。
実相のことですよ。(笑)
また、出ていらしてね。

1128志恩:2012/05/14(月) 10:11:40 ID:.QY5jUA6
金木犀様

私の取り方、間違ってましたら、また、遠慮なく、おっしゃってくださいね。

1129金木犀:2012/05/14(月) 13:01:43 ID:hBPBB4C.
志恩様

私も実感を得て書いているわけではなく、ご著書のうろ覚えですから、
私の受け取り方も違うところがいっぱいあると思うので、志恩様も
遠慮無くおっしゃって下さい。
今回は、ふと考えついただけなんです。

1130うのはな:2012/05/14(月) 19:32:55 ID:???

  稲田朋美さん『私は日本を守りたい』出版記念

     http://youtu.be/ZVMt4Nmg840

1131志恩:2012/05/15(火) 05:05:43 ID:.QY5jUA6
うのはな様

稲田朋美さん「私は日本を守りたい」出版記念の動画を、ご紹介下さって
ありがとうございました。

夜中に聞かせて、見させてもらいました。
この方の政治理念は「伝統と創造」だそうですね。

この、グランドプリンスホテルでの出版記念パーティに出席された1人である
元総理・麻生議員の言葉が印象的でした。稲田さんのお父さんが、また、人間的に大物だということです。

麻生議員が、彼女のお父さんに、
「どうして、このように世間からみたら右翼と思われることを堂々と言えるお子さんに育てたんですか?」と聞いたら
彼女のお父さんは
「まだ、まだ」と答えたということです。

生長の家を利用するつもりなら、よらば大樹で、原宿教団の方に行くと思います。それが、スタートしたばかりの
「学ぶ会」主催の「靖国見真会」に招かれて、講演されたところに、稲田朋美議員の志が、はっきり見えます。

彼女は、自分が大切にしたいのは、高い道義心だと言われました。

恩知らずの自分になっていないか、
道徳心、尊敬する気持ちを失っていないか、議員は、自らを省みながら、生きなければいけない。

世界中から、日本が頼りにされる、そういう日本にしたいのだ、と明確に言われました。

おばあさま時代からの雅春先生の生長の家の教えで、育ち、このような優秀な人材が育ったのです。
誇りに思いました。

1132志恩:2012/05/15(火) 05:05:43 ID:.QY5jUA6
うのはな様

稲田朋美さん「私は日本を守りたい」出版記念の動画を、ご紹介下さって
ありがとうございました。

夜中に聞かせて、見させてもらいました。
この方の政治理念は「伝統と創造」だそうですね。

この、グランドプリンスホテルでの出版記念パーティに出席された1人である
元総理・麻生議員の言葉が印象的でした。稲田さんのお父さんが、また、人間的に大物だということです。

麻生議員が、彼女のお父さんに、
「どうして、このように世間からみたら右翼と思われることを堂々と言えるお子さんに育てたんですか?」と聞いたら
彼女のお父さんは
「まだ、まだ」と答えたということです。

生長の家を利用するつもりなら、よらば大樹で、原宿教団の方に行くと思います。それが、スタートしたばかりの
「学ぶ会」主催の「靖国見真会」に招かれて、講演されたところに、稲田朋美議員の志が、はっきり見えます。

彼女は、自分が大切にしたいのは、高い道義心だと言われました。

恩知らずの自分になっていないか、
道徳心、尊敬する気持ちを失っていないか、議員は、自らを省みながら、生きなければいけない。

世界中から、日本が頼りにされる、そういう日本にしたいのだ、と明確に言われました。

おばあさま時代からの雅春先生の生長の家の教えで、育ち、このような優秀な人材が育ったのです。
誇りに思いました。

1133志恩:2012/05/15(火) 05:49:42 ID:.QY5jUA6
トキさま

すみません。2つ、同じのが載りました。
1132と、これを削除、お願いします.

1134SAKURA:2012/05/15(火) 13:29:07 ID:BNFbtnmc
トキ様 へ
観覧者の皆様へ

こんにちは …
先日より【投稿…】しております内容は【考え方の相違点】であり、あくまでも
「観覧者様方々」に対しましての…拝読をして頂けますと幸いに存じます…。
【一個人に対してのものではなく…判断をお願いいたしたく思う所存です。】
尚…!!
他の【ボ−ドにての投稿】でしたので、此処では“ジャンプ”が出来ない様ですので
下記を【クリック】して拝読して頂きますと幸いに存じます…。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1334410972/1211  No.1 
 
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1334410972/1212 No.2

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1334410972/1185 SAKURA(原文)

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1334410972/1186 SAKURA(原文)

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1334410972/1181  志恩様(投稿文)

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1334410972/1172  志恩様(投稿文)

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1334410972/1213 No.3

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1334410972/1214  No.4

** **************************************
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1334410972/1187   志恩様(投稿文)

上記のURL は、毎回ご丁寧に投稿されていますが…此処に明記します。
■【「部室」板/2】に2回投稿しましたが・・・
その内容が…【 No.1〜No.4 SAKURA 】 の文章中に明記していますのです。
                                               再合掌
PS:
一部の意見・・投稿のみではなく【観覧者…】にです…。
「志恩様」より頂きました…
“バカ〜”と言われました言葉にて……
■徳久先生がよく「バカになれ〜〜〜!」とおっしゃっていましたので、
これより【言葉は神と云う事…】をもっと自覚して考えますと、やはり!
あのような“文章”は、此の現状を察しますと…初めての“観覧者様方々”は、
その“言葉”を、信じてしまいますでしょう〜〜♫〜〜(お家騒動…分派対立)
どんなに冗談でも【人間性・・・】として考えさせられますので“再投稿”します。

そして、誰しも世間的に自分の会社・トップたる“人間の中傷論”ある程度は、我慢するかも
しれませんが…【全面的に否定論】者たる人物の【人格像】はいかがなものでしょう…?
それを考慮致しましての“再投稿”です…。

1135志恩:2012/05/15(火) 15:59:50 ID:.QY5jUA6
世界中の生長の家の、ここをご覧の皆様

1134:
SAKURA様は、これでもか、これでもかと、毎日毎日、私に関する書き込みを、再再再再〜〜〜〜〜〜〜〜〜、投稿しております。

SAKURA様は、今の教えと雅宣総裁先生、絶対擁護のお方です。そして、本流大批判、本流を支持する私への大批判を展開し続けてきた人です。

後は、観覧者樣、みなさま方のご判断におまかせします。

1136うのはな:2012/05/15(火) 19:47:58 ID:???
   英霊

 あっ、真っ白な鳩がいます!なんてきれいな白鳩なんでしょう。
 神社には鳩がよくいますが、白い鳩ばかりいるのは、とても珍しいことです。
 実は、ちょっと告白しておかなければならないのですが、私がまだ学生だった頃、
 境内の白い鳩があんまり可愛くて、ついつい追いかけまわしてしまったことがありました。

 そうしたら、私の母がとがめるような顔をしていいました。
 「靖国の白い鳩は、エイレイのお使いなのよ。だから、追いかけまわしたりしてはダメよ。
 遺族の方に叱られてしまうわよ」
 「エイレイ?」
 「英雄の英に、霊魂の霊で、英霊。英には、すぐれた、という意味があるの。
  靖国神社には、英霊が祀られているの。靖国では、お国のために戦って死んで
  いった人たちが、神様として祀られているのよ」
 「戦争で死んだら神様になれるの?何人くらい祀られているの?」
 「何人、とはいわないのよ。もう神様なんだから。人ではなくて、柱と数えるの。
  戦死した人たちは、生きていたときのお名前のあとに<ミコト>を付けて
  ほら、スサノオノミコトなになにのミコトって呼ばれるようになるのよ」

 それを聞いて、私は感心してしまいました。
 戦争で死ぬなんて、絶対にいやです。怖いし、痛いし、本当に恐ろしい。
 でも--というよりも、だからこそ、戦死者を、日本の古代神話に出てくるような
 神様のようにして祀っているという話に、私はなんだかほっとするものを感じてしまいました。

 実は、子供の頃の私は、私が生まれる前にあったという、太平洋戦争というのは、
 一九四一(昭和一六)年十二月八日に、日本がアメリカとイギリスに宣戦を布告して
 始まった戦争でした。当時、日本は、この戦争を「大東亜戦争」と名づけて、すでに一九三七年の
 七月に始まっていた中国との戦争も含めました。
 この戦争は、第二次世界大戦という大きな戦争の一部でもありました。
 ヨーロッパでも、一九三九年以来、ドイツとドイツに味方する国々と、それに敵対するイギリスなどのあいだで
 戦争が繰り広げられていました。日本は、このとき、ドイツやイタリアと三国同盟という軍事同盟を結んでいたので、
 日本がアメリカとイギリスに宣戦布告をしたことで、戦争は文字通りの世界的な広がりを持つようになってしまいました。

  『14歳からの靖国問題」小菅信子 著

  靖国神社の歌 http://youtu.be/MpQB5qck5uQ

1137如月:2012/05/15(火) 22:02:08 ID:ki/haAjk
うのはなさま

知らなかった事ばかりです。
恥ずかしいです。
ありがとうございます。
文部省唱歌だったとは、驚きです。
最近忙しくてなかなか書き込めませんが、いつも貼っていただいているものは
見せてもらっています。まとめてのお礼ですみません。


靖国の話からはそれますが、私は鳩を追いかけまわす事には大反対です。
お腹を空かせた鳩が、最後の力を振り絞って、飛んで来ているかもしれないのに
何で追いかけまわすんだろうと子供の頃から思ってました。

1138金木犀:2012/05/16(水) 07:14:34 ID:Zxu53Kwo
現代の世界を考える上に、巨大金融資本の支配という問題は避けて通れない
と思います。ということで、わが国がこの巨大金融資本との最初の出会いについて
書かれた文章を転写します。

【ここから転載】

強国建設の努力と急速な成長を白人キリスト教列国側は大きな脅威と受け取った。日本が「文明化」したと喜んだのではなく、脅威と嫌悪を覚えたのである。その指導者層に「黄禍論(イエロー・ペリル)」が台頭したのは、正にその証左であった。
逆の事態も現れた。白人列強の属国や植民地に貶められて呻吟(しんぎん)を余儀なくされていた多くの有色人種に深い感銘と大きな勇気を与えたという現象である。つまり、それなるが故に、白人列強は日本帝国が更に国力・国威を増進して、有色人種「解放」の指導者に成長する可能性を問題視した。そこで、独善性と利己心に満ちた白人列強の指導部は日本帝国を自家薬籠中の弱小国家に引き戻そうとの大戦略を立てたのだ。国際連盟や国際会議を以て「国際化」や「軍縮」という形で、謂わば「日本封じ込め戦略」を推進した。貪欲で狡猾な彼らは、東アジアを「分割して統治」する戦術で、共産ロシアや混乱続きのシナの有力軍閥に対して、「天皇制解体」や「反日・侮日・抗日」の日本攻撃作戦を展開させ、黒船の来襲時代に劣らぬ重大な脅威・外圧が我が国を襲ったのである。

3. 日露戦争とは

日露戦争とは、20世紀の初頭に満州方面を全面占領していたロシア軍を北満州まで押し戻して、日本と朝鮮半島との安全を確保した戦争であると(左翼以外の)一般には理解されている。だが、これでは表層的な理解の域を超えない。実は、日露戦争は日本とロシアの戦争という2国間の利害・対立問題を遥かに超えた、巨大にして不気味な背景があったのである。
米国大統領セオドア・ルーズベルトが日露講和を斡旋した動機には、満州・シナ大陸への利権拡大の思惑があった。これは、目につく一例で、今の日本の歴史常識は欧米勢力の日露戦争への関与という重大な背景を見落としているのだ。
20世紀に突入した時点で列強を巧みに金融で操る「国際金融財閥」は、愈々(いよいよ)彼ら年来の目標である世界支配運動を本格化した。先ず、せん滅の対象として狙った餌食は安定した「王制国家」、帝政ロシア、帝政ドイツ、帝政オーストリアそして皇室制度の下で急速に国威を増進する日本帝国だった。この、謂わば「闇の世界権力」は、ロシア帝国に対しては満州・朝鮮半島方面へ積極的進攻を誘導しながらも、他方ではロシア帝国解体への国内撹乱工作を展開した。つまり、共産革命勢力=帝政打倒勢力には膨大な運動資金を竊(ひそか)に提供してロシア帝国の破壊工作を進めさせた。一方で、ロシア帝国の南下に脅える小国日本に対しては、日英同盟を成立させ、戦費を融資して、ロシアとの大戦争を誘ったのである。
当時の日本政府は戦争資金の欠乏から財政家高橋是清(当時日銀副総裁、後の蔵相、首相)を欧米主要国に派遣して外債募集の任務に当たらせた。だが、巨大な陸軍帝国ロシアに対して東洋の小新興国家が勝利できようと予想する欧米の軍事専門家は皆無だった。従って、高橋の外債募集は困難を極めたが、そこに偶然を装って戦費融資の話に乗ってきたのが、クーン・レーブ商会のヤコブ・ヘンリー・シフなる国際金融財閥の有力者だった。シフの巨額な対日融資が誘い水になり、外債募集は満額を超えたのである。ロシア帝国のユダヤ人虐待を見かねて対露戦争に立ち上がる日本を支援したと、シフは語ったと、高橋は自伝でシフの民族愛と義侠心を称賛している(『高橋是清自伝』)。だが、国際金融財閥の思惑は、そんな情緒的問題を超えて遥かに壮大だった。クーン・レーブ商会は、欧州の金融大財閥ロスチャイルド家の米国における代理人の位置にいた者で、当時、ドイツやロシア方面の共産過激革命勢力に密かに資金を提供して革命運動を支援していた。帝政ロシア解体大作戦に東洋の新興国日本を一枚噛ませて、金融面で日本をより一層自在に操縦しようとの思惑である。つまり、世界支配を目指す、彼らの一石二鳥を狙った戦略だったということだ。戦後、律儀な日本は融資者に巨額の元本と利息を支払い続けたのだ。要するに、我が国にとっての日露戦争は独立と安全のための必死の自衛戦争だった訳だが、世界史大に視野を広げてみると、世界単一政府を目指す「国際金融財閥」による有力民族国家の操縦と支配、そして最終的には民族国家の解体という壮大な謀略の一環に組み込まれていた戦争だったと言うべきだと、筆者は見ているのである。
(つづく)

1139金木犀:2012/05/16(水) 07:15:49 ID:Zxu53Kwo
つづきです。

4. 日露戦争勝利後の日本の苦難の予兆

ところで、対露戦争の勝利は日本が急速かつ確実に立派な国家建設を進めていることを実証したわけだ。そこで、日本を利用して支配しようとする勢力は、改めて新興国日本帝国の前進に危惧を抱き、本格的に日本国家の成長と自律的活動を抑圧する方向に舵を取り始めたのである。

金融コントロールを筆頭に、米国政府による対日強硬政策の展開は、満州利権への介入、オレンジ計画の策定開始、ホワイト・フリートの日本寄港、そして太平洋艦隊の編成として早速に実行に移された。他方、ロシア帝国は、敗戦の打撃で政治と社会は混乱し、共産革命への趨勢が増大して、敗戦から12年後のロシア・ボルシェビキ革命へと経過していく。また、シナ大陸では大清帝国が敢え無く解体して共和制国家を目指す民族革命が追求されるが、これが東アジア世界の複雑さと不安定さを増大するのである。

従って、この「戦争と革命」の時代に本質に着目せずして、現代日本史を云々することはできない。国際政治・軍事・経済・社会全体の構造変動の一環に東アジアがあり、日本があるのだから、「国際金融財閥」や米英列強の諸動向を注視しながら、祖国の歴史を考察せずしては、「近代日本の栄光と苦難」の真実は把握できないのである。(日本戦略研究フォーラム季報掲載より)
・・・・・
【転載終り】

1140志恩:2012/05/19(土) 02:15:11 ID:.QY5jUA6
金木犀様

巨大金融資本の支配についての詳細の書き込みを、ありがとうございます。
闇の世界権力、ロスチャイルド(ユダヤ系ドイツ人)の陰謀論は、。。。

①世界の富や銀行を操り、世界経済を支配している。
②国家間の戦争を助長し、金儲けをしている。
③史上最大の富豪
④ユダヤ教徒であり、キリスト教秘密結社、イルミナティに所属している。

世界一の資産家で、1京円も資産がある。。。

なぜ、いま、ロスチャイルドなのかといえば、其れは,今の日本人の生き方が
ロスチャイルドによってきめられているから、、など、言われているのも知りました。

1141金木犀:2012/05/19(土) 07:03:28 ID:Zxu53Kwo
志恩様
読んで下さりありがとうございました。
まったくおっしゃる通りです。

志恩様
皆様

いま、キーボードの調子が悪く、打ち込みがうまくいかずに、打ってる途中で
変換が終ったり、カーソルが勝手に飛んだり、数行打つのに時間が掛かるので、
しばらくかきこみやめます。かな打つと同時にカーソルが飛んで、変換が終わることが
多いので、もうこのノーパソのじゅみょうかも知れません。キーボードで
おかしなショートカットができているのかも知れませんが、直し方もわからないし、
再セットアップしても直らないし、買い換えるしかないかもです。ちなみに、マウスを
はずしても、同じなので、マウスのせいでもないのです。

ということで、しばらくお返事もしないかも知れませんが、あしからずご了承ください。

1142うのはな:2012/05/19(土) 10:48:31 ID:???

 靖国神社で英霊とされている人々は、ただ戦って死んだ人たちではありません。
天皇が国家であり、天皇が公であった時代に、その国家と天皇のために戦死した人々です。
そして、英霊になると、なんと、今度は、自分たちがそのために命を捧げた天皇に、靖国神社まで
来てもらって、参拝をしてもらえたのです!

 靖国神社は明治天皇の思し召しによって創建された神社でした。明治時代にできた帝国憲法では、
天皇は「万世一系、神聖不可侵」の生き神様----現人神----でした。
当時の日本は、まさに天皇の国家でした。
 太平洋戦争(大東亜戦争)で日本が負けて、敵だった連合軍に占領されて、軍備を解体され民主化されるまで、
天皇は、帝国憲法のもとで、政治と軍事をしきる現人神でした。
 
 その現人神である天皇が、靖国神社までわざわざお出ましになって、英霊に親しく頭を下げたのです。
これを「天皇親拝」といいます。すごいことだったのです。

 明治から昭和戦中期を生きた日本人は、つねに天皇に誠を尽くし、深々と頭を下げ、ときには土下座して、
その住まいの皇居に向かって礼をして、最大限の尊敬を捧げるように、学校でも社会でも家庭でも教育されていたからです。

 『14歳からの靖国問題』 小菅信子 著

 出征兵士を送る歌 http://youtu.be/HmpQF0jFcJo

1143金木犀:2012/05/21(月) 11:52:06 ID:L0Ei6.zw
占領軍の中のニューディール派というユダヤ人勢力が
日本を弱体化するための政策をおこなったことに関して、
その当事者の一人であるユダヤ人が書き記した著書からの引用です。

 日本人に謝りたい
          〜 あるユダヤ長老の懺悔 〜
         ──ユダヤ長老が明かす戦後病理の原像──

 ■■すばらしかった戦前の家族制度
さて次に、我々ユダヤ人の理想のお手本となるべきものに日本が戦前誇った家族制度があった。
面白い話を一つ紹介しよう。
 かつて「国際連盟」の労働部長であったユダヤ人、アルベール・トーマが日本の労働事情調査のため来日した。「国際連盟」といっても、教科書的歴史観しか教えられていない日本人にはその本質を知る人は少ないようだが、これはユダヤの世界政府ともいうべきものである。第一次大戦の結果、金融支配力に自信をつけたユダヤ人は政治面へも進出をはかり、その結果つくられたものが「国際連盟」なのである。この連盟の指導者は、日本人の杉村陽太郎氏を除いて他は皆ユダヤ人だったのである。  
 この他、「国際労働局」というのがやはりジュネーブにあったが、これは「国際連盟」の一局の如く考えられるふしがあるが、さにあらず、全然独立した機関で実際の規模は「国際連盟」よりはるかに大きいものであった。私もここで極東問題を担当していたのであるが、これも勿論、ユダヤ人の機関であった。
 何故ユダヤ人が労働問題にかくも力を入れるのかということは、マルクス主義の階級闘争史観をご存知の方はお分かりいただけると思うが、かつてユダヤ人は非ユダヤ人の協力者を集めるためマルクス主義の階級闘争史観を宣伝したのであり、その結果エピゴーネン (亜流、継承者)としての各国共産党を生んだのである。
 一方、ユダヤ人自身としてもユダヤ民族の解放を非ユダヤ人の協力者にのみ任しておくわけにはいかないのは勿論である。当然、ユダヤ人自身でも自己の解放運動を進めていた。
 国際連盟はその機関の一つとご理解願いたい。したがって、「国際労働局」の方がむしろ規模が大きいという点も納得されることと思う。
 話がちょっととんだが、面白い話というのは、アルベール・トーマが来日し、日本へ階級闘争の激化工作をしようとしたとき、その前に立ちはだかったのが、日本の強固な家族制度だったのだ。
 アルベール・トーマは、「日本では家族制度が強固なため階級闘争、つまり労働運動の激化を仕掛けることは非常に困難である。何故ならば、労働者は失業しても労働運動などする必要はない。家族が暖かく迎え入れてくれるからである。この家族制度をなんとかしない限り、日本へ階級闘争を持ち込むことは難しい」といっているのである。
 アインシュタインもまた来日した時、日光の金谷ホテルからドイツのユダヤ機関へ手紙を書いているが、その中に日本の家族制度の立派さを書いているのである。  
 かくの如く、日本の家族制度はこれまた類い稀な存在であったのだ。戦前の日本の家族制度にはとても及ばないが、現在世界中で一番この家族制度というものを強固に有しているのは我々ユダヤ人社会であろうと思う。この点、我々は常にそれを誇りとしている。
 ここでまた日本人にお詫びしなければならないのであるが、この日本のすばらしい家族制度を破壊したのは我々ユダヤ人なのである。具体的には、占領改革の時ニューディール派が行なったものである。
 前述のアルベール・トーマの件でもお分かりと思うが、ユダヤ人がマルクス主義的変革を実行するためには、家族制度は国内の君主制といわれる如く邪魔な存在だったのだ。家族制度が「小さな君主制」としてユダヤ民族のマルクス主義的変革事業の邪魔になるということは、なにも今日昨日の問題ではなかったのである。

 参考:国家破壊を画策する手法としての、人民への工作戦略の警告(ナチスドイツ政府・ゲッベルス宣伝広報担当)大臣
「人間獣化計画」
愛国心の消滅、悪平等主義、拝金主義、自由の過度の追求、道徳軽視、3S政策事なかれ主義(Sports Sex Screen)、無気力・無信念、義理人情抹殺、俗吏属僚横行、否定消極主義、自然主義、刹那主義、尖端主義、国粋否定、享楽主義、恋愛至上主義、家族制度破壊、民族的歴史観否定 
 以上の19項目をつぶさに検討してみた場合、戦後の日本の病巣といわれるものにあてはまらないものがただの一つでもあるだろうか。否、何一つないのを発見されて驚かれるであろう。ゲッベルス宣伝相は、戦後の日本に対する予言者だったのであろうか。
戦後生まれの人たちにはピントこないかも知れないが、これらは正常な人間の頭で判断すれば人類の文明の破壊につながるものであることは一目瞭然である。人間の純度を落とし、本能性に回帰させようというものである。

1144うのはな:2012/05/21(月) 14:38:45 ID:???

  女信者に悪態デマ罵詈雑言を浴びせるのと、本流批判とを
  混同している、訊け無責任管理人管轄グループに、似たりよったり、、、

  http://youtu.be/ECRoaYg4eJ0

1145ルンルン:2012/05/22(火) 00:11:39 ID:NS71OwS.
金木犀様
>>1413
家族制度、いいですか?

1146金木犀:2012/05/22(火) 11:18:19 ID:L0Ei6.zw
ルンルン様

家族制度は、非常に封建的なものだと考えられて、
例えば、結婚も現憲法では両性の合意と書き換えられて、
従来の、何々家という両家の結婚式等の表示も今は個人名に
している場合が多いと聞きます。
小説やドラマでも、「私は◯◯さんと結婚したのであって、
何々家と結婚したつもりはない」というセリフもよくあるくらいに、
個人の自由が尊重される時代になりました。

確かに、家族制度は、個人の自由を謳歌したい人には、いろんな
人間関係に煩わされるうるさいものと考えられるかも知れません。
長男が両親の面倒を見るというのもなんで長男だけがとか、いう話も出ます。
これは、しかし、現憲法での制度と、慣習とか混在するところからくるとも考えられ、
戦前の民法では、長男は家督相続し、財産も全て相続する代わりに
家長としての責任もすべて相続するという
ある種ちゃんとバランスのとれた制度だったと思います。

また祖先から受け継いだ「家」を、断絶させずに受け継ぐという
「継承の観念」が大切にされて来た、本来の日本思想です。
現在、未婚の男女が増え、また子供も産みたくなければ産まないと人もいるのは、
この「継承の観念」が非常に希薄になって来たことも原因だと思います。

この家族制度のせいで、嫁姑など、様々な人間関係のトラブルが起るのであって、
これをなくせばそれも解消すると、考える人も多いようですが、
こうしたトラブルは、実は制度とは無関係であって、それこそ個人の問題だと思います。
生長の家では環境は我が心の影だといいますが、制度を変えたら、
このトラブルがなくなるかというと、決してなくならず、
形を変えて、その人がこれに関する悟りを得るまでは、
どこどこまでも追いかけてくる問題であると思います。
人生は自分のまいた種を刈り取るのですから、自分が変わらねば環境は
たとえ核家族になっても、同じように問題は起ると思います。

ならば、戦前の「家」を大切にし、そこから祖先への敬意をもち、きちんと祖先を
祭祀する風習が形となった民法のほうが、日本人には合っていると感じます。
この家の制度は、皇室を日本人のすべての家の宗家とする思想につながり、
皇室制度を支えていました。
GHQは、これを知って、日本人の「家」の制度を破壊したと言えます。

1147ルンルン:2012/05/23(水) 01:16:36 ID:NS71OwS.
金木犀様
お返事を書こうと思いましたが、書くほど家族制度に対する知識がありません。
知識なしに、自分がぱっと思っただけで書き込みをしては、とんちんかんな的外れの文になると思いますので
ちょっと調べてから書き込みさせてくださいませ。
(自分の今の思いは家族制度なんていやだ。と思ってます。)
今日はちょっと疲れていて、(最近、睡眠がたらないみたいで、眠たくって仕方がないのです。
書き込みをずっと、深夜にしていたからと思います。←知らんがな。って言われそうですが(´ε`;)

おやすみなさい。

1148金木犀:2012/05/23(水) 09:11:28 ID:L0Ei6.zw
ルンルン様

家族制度というと、なんとなく大家族制を思い浮かべられて
その人間関係のしがらみなどを思い浮かべて嫌になるのではないでしょうか。
でも其処は現代なので、家族制度が仮に復活しても、
昔のような大家族にはならないと思います。

私は最近スーパーに買い物に行った時に、
非常に高齢のお年寄りが多くなったことに
なんとなく現代の社会の歪みを感じます。
八〇過ぎたようなお年寄りが一人で買い物をしている姿は、悲しいですね。
一人暮らしか、夫婦のみの生活なのか、昔ならば家族が一緒に生活しているので、
こういう姿は見かけなかったと思いますが、少子化も進む一方で、高齢化も進んで、
なんかお年寄りを見かけるだけで、その方々の明日が心配になったりします。


家族制度の根本は、要は、祖先を敬い、両親を敬って、兄弟仲良く
助けあってみたいな精神だと思います。ちょうど教育勅語みたいな感じではと
思うのですが、雅春先生は、自分の命の根っこが、遡ると祖先や更に神話の神にまで遡るような
意識が、日本人にはあって、それが家族制度だというような感じで書かれていた気がします。

1149ルンルン:2012/05/25(金) 00:54:47 ID:NS71OwS.
金木犀 様
水曜日のweb誌友会、すばらしかったですね。ごくろうさまでしたです。
私は会社から帰ったのは9時過ぎでしたが、水曜日は
パソコンが使えませんでしたので、本日読ませて頂きました。
もちろん、あまりにも深い内容なので、これから何回も何回も読ませていただきます。

ところで、家族制度の件ですが
(トンチンカンなことを書いてると思いますが、許してください。)

<<でも其処は現代なので、家族制度が仮に復活しても、
昔のような大家族にはならないと思います>>

えっと、では、どんな家族制度をイメージしておられますか?

下記のようなかんじですか?

{長男が家督を継ぐ。その代り全部責任もとる。
そして、家を守るためにも、お年寄りの一人暮らし防止のためにも代々一緒に住む。}

今は昔と違って子供の数も少ないです、
子供が一人っ子、あるいは女だけという場合もいっぱいあります。
家族制度というのは、子供がたっくさんいて、更に女性になんの権利もなかった時代だからこそ
成立した制度と思います。

制度として義務化なんか、無理じゃないですか?例えば、親の介護は、子供全員の平等に負う義務ですし。
1家族に負わせられるものではないです。
介護は嫁さんが担う場合がまだまだ多いですから、
長男と結婚しようとする女性がいなくなりますよ。

ユダヤの人もアインシュタイン(彼のユダヤ系ですが)も昔の日本の女性の権利が何もなかった事など何も知りもしないで
家族制度が良い と言ってるのではないでしょうか?

1150ルンルン:2012/05/25(金) 07:22:23 ID:NS71OwS.

>>1146 子供全員の平等に負う義務ですし。  を

    子供全員が、平等に負う義務です。  に訂正sます。

1151金木犀:2012/05/25(金) 13:02:23 ID:L0Ei6.zw
ルンルン様

女性になんの権利もなかったという言い方にはちょっと驚きました。
随分否定的に見ておられるのですね。
戦前は、たしかに法律で選挙権などがなかったとか、
そうした部分はありましたが、それは外国でも同じで、
また選挙制度も徐々に変わってきていて、
女性参政権は、おそらく日本の敗戦がなくても、
これは既に変わる路線が引かれていたと思っています。

日本は世界の中では、女性が尊重されていた国の一つだと考えています。
これは西洋以上にそうであると考えます。
日本では、家庭の金銭的なやりくりは江戸時代くらいからもう
女性の役割ですが、これは世界では珍しいことで、
女性が金銭の運営を任されるということはほとんどありません。
意外と西洋は女性を大切にしているように見えて、
女性は保護されるものとしては扱っても、
女性を自立した人間としては扱って来なかったと聞いています。

日本は歴史上でも女性が活躍している国であり、これは幕末明治に
日本を訪れた外国人が、皆一様にほめて書いているところであり、
女性になんの権利もなかったという見方は、
自虐史観に基づいて教えられる歴史観だと思います。
女性が余り表に出ることを嫌う風潮は確かにありましたが、
これが西洋と比べて極端だというわけでもありません。

現在の少子化が何故起こっているかといえば、
やはり戦後の利己主義的民主主義の産物だと思います。

また仰るように、親の面倒を見るということは、
子供全員の義務ではありますが、
しかし結局見る場合は、全員という訳にはいかないのが現実であり、
誰かが一人、代表で見るしかないのです。
これは別に長男でなくても、末子でも構いませんし、
長男に決める必要もないと思いますが、
誰かが責任をもってやるべきです。
そしてその責任者が家督を継ぐべきではないかと思います。
また、ケースによっては親が一人暮らしをすることも
出てくるかも知れませんが、
最後の面倒くらいは見るべきだと思います。
今の現状では、家族制度の復活はたしかに無理な部分もありますが、
ゆるやかな制度の変則性をみとめて復活させることで、
現代社会の歪みも少しづつ是正されてくるのではと思います。

とはいえ、現在の老親の一人暮らしなどは、
結局その人がその人の人生に蒔いた種を刈り取っている
ということであり、しかたのないことかも知れません。
戦後、堕胎が多く行われ、本来ならば少子化の陰に
多くの生まれるべき生命があったのであり、
現代日本が高齢化に悩んでいるのも、
その戦後のつけが回ってきていると思います。

現代的な個人主義をずっと続けていく限りは、
どんどん社会は住みにくくなるのではないでしょうか。

面倒な事は嫌いで、自由に行きたいと思うのは誰しもでしょうが、
そのつけは、回り回って必ず自分にかえって来ます。
皇后陛下が、
複雑さに耐えて吾々は生きてゆかねばならないとおっしゃいましたが、
昔の日本人はそうした複雑さに耐える力があって、
しかも更にその上での自由をも、発揮していた気がします。

親とか祖先とかを考えずに、自分個人だけの生き方を選ぶならば、
確かに家族制度は不要だと考えます。
家族制度というのは、「家」つまり家系を継承するという理念
のもとでの制度ですから、この家族制度がなくなってから、
断絶する家がたくさん出てくるようになり、
少子化、高齢化社会が起こって来ました。
祖先とか親への感謝という気持ちも、現代では薄れてきましたから、
これが日本という國家を先人から受け継いでいる
という気持ちの希薄さにもつながっているのではないか
と思うのですが、
教育がそういう教育で来ているので、難しいところがありますね。

私では旨く説明しきれないので、雅春先生のご著書を読んでみてください。

1152ルンルン:2012/05/26(土) 02:21:30 ID:NS71OwS.
金木犀 様
<<日本は歴史上でも女性が活躍している国であり、これは幕末明治に
日本を訪れた外国人が、皆一様にほめて書いているところであり、
女性になんの権利もなかったという見方は、
自虐史観に基づいて教えられる歴史観だと思います>>

そうですか? (´ε`;)初めて聞きましたです。
雅春先生の文、よんでみます。
今んところ [ 家族制度が復活するのがいい] と、まだ思えません,,,

ところで、金木犀 様は介護の体験はございますか?
実は私は、祖父の介護を6年ほどさせていただきました。
祖父に介護が必要になった時、両親も姉も兄も働いていて、私だけが、無職だったので
(学校を卒業して入った会社を1年ちょっとでやめてしまってました)自然の流れで私が介護をすることになりました。

おっしゃる通り、介護は全員平等にする事はできません。誰かが代表で見ることになりますね。
私ん家は私が9割9分 担ってしまってました。

しかし、これはしんどいことですよ。
ノイローゼになりかけたこともあります。(w_−; ウゥ・・
しかし、祖父とはずっと一緒に住んでたし、やさしかったし、大好きだったので
命かけて、祖父を手助けさせて頂きました。

しかし、血のつながった祖父だからこそできたっていうところはあります。

介護はきれいごとではないので、正直、血のつながらない人にはそこまで自分はできないだろうなあと思います。
  ↑
誰が、お前のことなんかに興味があるねん!

と、どっかからつっこまれそうなので、これくらいにします。ヾ(´ε`*)ゝ

1153金木犀:2012/05/26(土) 09:20:32 ID:L0Ei6.zw
介護の話は、この年になると、あちこちから聞き、親戚でもご近所でも、
非常に関心を持たざるを得ません。
私は自分の実父と同居していましたが、父は割りとしっかりしていて、
そんなに介護というほどの状態にはなりませんでした。ただ若い頃から、
下痢気味の人だったので、また頻尿の症状もあったので、
畳や床に、しょっちゅう粗相をしてしまうことは多く、それを始末し、
本人の身体を綺麗にしてあげるくらいのことはよくありました。
これは、さほどには苦痛にはならず、実父ということもあり、慣れた感じで
あっという間にやっていました。
なんといっても、寝たきりではなかったので、その分、楽でした。
それに、これはやはり、介護する人間の年齢の問題もあると思います。
若し私が若かったら、気持ちはもっと苦痛が強く
不平不満が起こったかもしれないと感じます。

ルンルン様がそんなに若くして、お祖父様の介護を一生懸命にされたことには、
非常に頭が下がります。やはり、介護は愛がないと、辛いですよね。他人の介護は
否応なくさせられるものですから、本人の気持ちで、時には最悪になるでしょうね。
現代社会は、教育でも徳育が行われていませんから、利己心で育てられた人々が、
利己心を捨てなくては出来ない事をさせられるのですから、
より苦痛は大きいと思います。

確かに介護の問題は大きいですが、誰かがやらなくてはならないのですから、本来は家族がやるべきで
たとえ実の父母ではなくても、他人よりは本当はマシであるはずなのですが。
生長の家では、嫁ぎ先の父母も実父母と理念の上では同じであると教えられます。
御教えでこのような現状も、救うべきと考えますが、
そうしたことが語られないでいる教えでは意味がなく、
このような体験談が数多く語られる教えになるべきですね。

家族制度に関しては、私も雅春先生のご著書などから、本来あるべき姿だと
思い込んでいたので、深く考えていなかったので、説明足らずですみません。
去年、テレビを見ていたら、インドネシアから介護か何かの留学生の女の子二人が
日本に来て、老人ホームを見て、どうして日本では家族と一緒にすまないのかと
疑問を投げかけていました。
そして、その子達は、私たちは、祖父母と一緒に住みたいと思うと言っていました。
インドネシアはもしかしたら大家族制なのかも知れませんが、何かにほんより、
そういう家族の中の良さ、自然の家族の情愛があって、経済的には日本よりも劣っても
幸福度は上なのかもしれないとも感じました。
その子たちも、それを感じたようで、最初は経済大国の日本に憧れたようでしたが、
老人ホームを見て、自国の良さを感じ直したような風に見えました。
それを見て、私は、やはり日本の現状は残念に思いました。
少子化も今は婚期が遅れていることも原因になっていますが、
元々は、少なく生んで、教育などにしっかりお金をかけて育て、また自分たちも
ゆとりある生活をするために、あまり子供の数は多くないほうがいいという考えで、
堕胎した人も多く、そういう利己主義で胎児を殺し、さらに年取った両親は、
世話が大変だから、疎んじるということでは、一体人間と生れて、どこに人間の尊厳が
あるのかと思います。
確かに綺麗事では言えないけれども、経済発展の陰にどんどん唯物的な思考が蔓延っていくことに
日本がかつての時代も、大変だったかもしれないですが、やはり幸せな部分がもっとあった気がします。
昔の人は、老人の世話をしながら、これは順番なのだからしかたがないと言っていたのをよく聞きました。
自分もいつかされるのだから、という意味なのですが、そうやって、耐えてきたということです。

今は核家族で、老人の世話は大変かもしれませんが、昔はやはり助けあってきた部分が大きいと思います。
私も、そんなに経験もなく、余り言えませんが、そのように感じています。

1154金木犀:2012/05/26(土) 09:24:51 ID:L0Ei6.zw
訂正です。
 
そういう家族の中の良さ → そういう家族の仲の良さ

1155Kジロウ:2012/05/28(月) 14:47:32 ID:VJun9unU
初投稿ですm(_ _)m

>>1151

そうですね!
日本では近代化に際して、
成人女性への選挙権は検討はされていたが、時期早々という事で最終的に却下された経緯が、あります!

また、幕末に薩摩藩から徳川に嫁いだ篤姫は、江戸城に最終攻撃に向う、西郷隆盛に対して、

自分の首を差し出す替わりに、徳川の御家を取り潰しを見逃して貰う書状を送ってました!

これを受取った西郷隆盛は涙を流したという!
これにより、倒幕軍は無血で江戸城を明け渡しに成功するのでした!


これって、同じ様な事を何処かで聞いた事ないですか?

昭和天皇とマッカーサーの最初の会談そのものでしょう!

昭和天皇は、この史実は知っていたんだと思います!

篤姫から武士道を学んでいたんだと思います!

1156うのはな:2012/06/07(木) 15:39:36 ID:gTn97m6I
   軽薄な謝罪

 靖国神社とは、以上のような意味を含んだ場所である。
そのことを承知した上で、あらためて靖国論争に期待したいものだ。たしかに
明治維新前後から祀られている二百四十六万余の祭神の、九割近くが先の戦争で
国の為に命を捨てた人々の霊だ。しかし、そこに参拝したからといって軍国日本への
回帰だというような単細胞こそ、私には“進め一億、火の玉だ”“贅沢は敵だ”といって進軍ラッパ
を吹いてきた、旧日本の全体主義の尻尾をぶら下げた人々に見える。

 よく知られていることだが、あの時代のさなかで“ぜいたくは敵だ”と書いて貼られたスローガンに
一字加えて、“ぜいたくはス敵だ(ステキだ)と揶揄した人がいたという。
この話を聞くたびに私はホッとしている。あんな時代にさえ、これだけの余裕をもっていた日本人の間口の広さ、
教養の幅を感じるからだ。あのセンスはいまどこへ消えてしまったのだろうか。

 中国から靖国参拝にクレームをつけて同調し、それっ、首相の参拝は軍国主義礼賛だと、一斉に声を揃えて誹謗、
中傷する識者がいるのに、正直なところ私はげんなりしている。
「中国は、首相が参拝を止めればスムーズな両国関係が保てるとシグナルを送ってきているんです」(二00五[平成十七]
年十月二十三日NHK日曜討論)といって中国の深層心理を代弁するかのようにいった人もあるが、馬鹿いっちゃいけない。
そもそもシグナルとは、それとなく送る信号ではないか。どうして、クレームがシグナルなものか。

 あれは日本に対するあからさまな抗議であり、首相の行動に対するいわれなき干渉である。
近隣諸国への配慮など一切不要だとはいわないけれど、それは政治的配慮に止まるべきだ。
しかしあくまでも志を貫くための方便として使うべきもので、事態が一応治まったのを見届けたなら、
本論に立ち戻って目的達成のための次のステップを踏み出すべきで、政治的配慮とは、紛糾を避けるためのガス抜きが
目的であるはずがない。

『戦争を知らない人のための靖国問題』 上坂冬子 著

1157金木犀:2012/06/08(金) 11:54:34 ID:j28jHRaM
○○さんのブログから引用です。

昭和32年に発売された「東京だよ おっ母さん」。
島倉千代子の代表曲といってもいい曲ですが、
歌詞に「九段坂」があるのでNHKでは歌詞の二番は歌わせないといいます。
そのためかわかりませんが「BS 日本のうた」では二番を放送しました。
しかし多くの国民が見るNHK総合ではいまだにないようです。

また紅白歌合戦ではこの曲は1度も歌われたことがありません。
紅白で歌わせない理由がやはり歌詞の中にあるという。

一番の歌詞は、田舎から出てきた母親を皇居へ連れて行き
「ここが二重橋、記念の写真を撮りましょうね」と歌っています。

二番の歌詞は、「やさしかった兄さんが」桜の下で待っているという歌詞。
ここでいう桜の下というのは靖国神社です。
歌詞の中には靖国神社という固有名詞は出てきませんが、
母親を連れて「あれが九段坂」と歌っています。

三番の歌詞は、単純に浅草の観音様へいき「長生きしてください」とお祈りする。

やはり二番の歌詞の
「戦争で死んだ兄に逢いに(靖国神社へ)参拝しに行く」という内容が、
NHKにはよろしくないということらしい。

戦後GHQ内の共産主義者たちがNHKを占拠し、
その後、プロデューサーもアナウンサーも共産党員が増えたNHK。
やはり日本の戦前は悪い国にしたいのだろう。


東京だよおっ母さん
(詩・野村俊夫/曲・船村徹)

 久しぶりに 手を引いて
 親子で歩ける うれしさに
 小さい頃が 浮かんできますよ
 おっ母さん
 ここが ここが二重橋
 記念の写真を撮りましょうね
 
 やさしかった兄さんが
 田舎の話を聞きたいと
 桜の下で さぞかし待つだろ
 おっ母さん
 あれが あれが九段坂
 逢ったら泣くでしょ 兄さんも
 
 さあさ着いた 着きました
 達者で永生き するように
 お参りしましょよ 観音様です
 おっ母さん
 ここが ここが浅草よ
 お祭りみたいに 賑やかね

 
坪内祐三著の「靖国」には遺族のお婆さんたちの記録があります。

「靖国さまへお詣りできて、お天子様を拝ましてもろうて、
自分はもう、何も思い残すことはありません。
今日が日に死んでも満足ですね。 笑って死ねます。こんな次第でございます」

「息子も冥土からよろこんでくりょうぞ。 死に方がよかっただ。
泣いた顔など見せちゃ・・みんなお国のためだがね。
おら、そう思って、ほんとにいつも元気だがね」

「ほんとうになあ、もう子供は帰らんと思いや寂しくなって仕方がないが、
お国のために死んで、天子様にほめていただいとると思うと、
何もかも忘れるほどうれしゅうて元気が出ますあんばいどすわいな。」

・・・・・
この歌は母親を案内して東京見物する娘の姿がほほえましく、
そして最後に母の長寿を祈願して歌は終わります。
この歌に登場してくるような「お母さん」は今現在どれほど生きているかは分かりません。
残念ながら国が靖国神社に公式参拝をしないまま「おっ母さん」たちは
ひとり、またひとりと散華された息子の許へと旅立っていかれたのでしょう。

1158SAKURA:2012/06/08(金) 13:25:02 ID:q6U452WU
あら〜〜〜♫〜〜〜 
ロ−マ字の【SAKURA の 独り言!】

【島倉千代子さん】は、確か?【有名な創価学会…】ですもの〜〜ネ!!
しかも、かなり“大事”にされていますモノ??素敵な方ですが〜〜♫〜〜

■■そう言えば…?
【芸能関係は…殆ど創価学会員!!】が多いそうです〜〜ネ!
それから…【労音…】これは【創価学会…!!】と関連してましたでしょうか?? 

                             再合掌

1159金木犀:2012/06/08(金) 14:21:54 ID:j28jHRaM
SAKURAさま

島倉千代子さん、いかにも創価学会の雰囲気ですよね、
芸能関係は、そういう人ほんと多いですね。
私も島倉さんは、どちらかと言えば嫌いですね。

だからといって、歌っている歌手が誰だろうと、
この歌を作詞した野村俊夫氏が
息子を戦死でなくされた老母の心をおもいやって作られたことは、
そこに日本人としての気持ちがあったと思います。
これは歌手が誰だろうと関係ないことです。

創価学会は、日本の国体破壊勢力のひとつであり、自民党と連立して恰も
保守勢力のごとくにふるまっていますが、反日左翼勢力の一つだと考えています。
自民党の衰退の一因も、公明党との連立にあると思います。
自民党の中にも怪しい勢力がいますからね。国のことを考えないで、党利党略自己保身に
陥ると、こういうことになりますよね。

1160どうでもいいですが!:2012/06/08(金) 14:52:55 ID:???

労音=勤労者音楽協議会 1949年共産党を母体として創設。

民音=財団法人民主音楽協会 1963年創価学会を母体として創立。

1161金木犀:2012/06/09(土) 05:40:41 ID:j28jHRaM
 教育で国が滅ぶ! (「名張ロータリークラブ会報」・平成17年4月4日)

 毎日、異常な事件が発生しています。少年が学校で教師を殺す。父が一家を皆殺しにする。集団自殺、薬物汚染、児童虐待・・・、もう切りがないほどです。こんな世の中にしたのは、誰でしょう。それは、じつは皆さんです。そして私です。今の大人は、みな先祖に対して、そして子孫に対して、そんな世の中にした責任があるのです。

 なぜ、日本は、こんな国になったのでしょう?。それには原因があります。教育です。もはや今の大学生の3人に1人は「憂うる」という言葉の意味がわからず、また、19歳女性の13人に1人は性病に罹患していますが、その「頭」と「心」と「体」の衰退も、3世代つづいた「日教組教育」の果実にほかなりません。

 しかし、どうして若者たちは、そんなふうに自分を「粗末」にしているのでしょう?。それは「自己肯定感」がないからです。戦後社会では子どもたちに、家庭も、学校も「自己肯定感」を与えてきませんでした。子どもたちに向かって、父の悪口を母が・・・母の悪口を父が、言い続けてきたのです。学校では日教組の「先生」たちが、子どもたちの「先祖の悪口」を、言い続けてきました。そういうことが日本では、もう60年続いているのです。

 小学校・中学校の教科書を見れば、それが、いかに「反日自虐思想」に満ちているか、わかります。それらの教科書のメッセージは、ただ一つ。「日本を嫌悪せよ」。ただそれだけです。

 その「自己否定感」を決定的にするのが、今の「ジェンダーフリー教育」にもとづく「過激な性教育です。そこでは、「命」を「つくるもの」としか教えません。古来の「子宝に恵まれる」などという発想は、まるでないのです。つまり、戦後教育は「命」は「つくられたもの」としか教えてきませんでした。

 しかし、もしもそうなら、それは「消してよいもの」ともなるでしょう。こうして、自殺や殺人が蔓延しました。「命」とは「この世を越えた尊い存在」から「恵まれる」もの、と考えるのが世界の常識だということを、今の日本人は知りません。戦後教育の「唯物主義」では、じつは「命」は語れないのです。近ごろでは「いただきます」と言う言葉さえ、「宗教的」として廃止している学校があります。なんと罪深い教育でしょうか。

 こうして日本は、今「滅び」に向かっていますが、それを止める責任はは、皆さんにあります。いくら周りにグチを言ったところで、世の中は決して良くなりません。

 三重県は、日本一の「日教組王国」です。日教組は県の政界を支配しています。それを正すのは、皆さんの「行動」です。しかし、まずは知恵が必要でしょう(拙著『いいかげんにしろ日教組』PHP研究所、参照)。知恵のあとには勇気が必要です。勇気をもって「行動」しなければ、世の中は何も良くならないと、知っていただきたいと思います。

1162金木犀:2012/06/09(土) 05:45:48 ID:j28jHRaM
上記文章は、松浦光修先生のコラムからです。

http://matsumitsu.exblog.jp/5423480/

1163「訊け」管理人:2012/06/10(日) 15:37:30 ID:???

>トキ理事長


 突然ですが、「型」って大切ですよね、トキさん・・・・。今日は、そんな話です。この、「型」ってヤツの大切さ、なのですが生長の家の凄さとは、この、「型」が確立されている点ではないかと・・・以下はたぶん、そんな話の流れになろうかと。

 ・・・いやなんで、いきなりこんな話になったか、と言いますとね・・・・これまた突然なんですが私、最近「空手」を習い始めまして(※)いやこの武道「空手」でありますが、「野球」なんかと比較したときに実に、スゴイなあと感心した次第なんです。
 ・・・昔から「武道にスランプなし」と聞き及んでおります。一方で私がやったスポーツ、「野球」ですがこの競技にはスランプ、これが存在するわけです。で、この原因なんですけど、「これ、何だろうなああ?」と考えてはいたのです。ですが最近まで答えは、出ておりませんでした。
「なんで武道には存在しない〝スランプ〟だが、野球には存在するんだ?」――この疑問です、ここ最近、道場に通うようになってようやく、その答えらしきものに気づきました。やはり「型」が確立されている点、これが要因だと思っている現在です。

 野球のような「若い競技」――100年そこそこの歴史しかない――ここから武道に行くと、この「型」のありがたさは、切実に解りますね。野球は未だ、「型」が確立されていないスポーツです。(打者・投手フォーム見れば解ります。皆なバラバラでしょ?)いっぽうの空手はもう・・・詳しくは知りませんが、1,000年分に近い叡智が、蓄積されているわけです。先人たちが確立されてこられた「型」――これを空手では、もう、徹底反復するわけです。野球しか知らぬ身から見ていると、これ、驚嘆すべきことですね。そして「これが武道の凄味だろうなあ」と。
 「型」が出来上がっているというのは、本当にありがたいものです。わたしのような素人が、それこそポッと参加しても、「やるべき内容」がダァーンと眼前にあるわけです。ですからいかに素人とは申せこの型、徹底反復すればよいという・・・型を反復「するだけで良い」というのは、実にありがたいものです。まあ今回は、そんな話でございました。「反復するだけでよい」――これ、もうどれだけ有難いことか!

追伸

 生長の家は立教100年未満です。にもかかわらず「型」・・・これが確立されておりますよね?これは実に、感嘆すべきことだと思います。空手に触れて『生命の實相』のありがたさ、これまた如実に理解でき始めた現在です。




<註>

※ 「空手」を習い始めまして

 小中学生に交じって学んでいます(笑)「黄帯」「紫帯」の〝センパイ〟、これも小中学生なんです。やや余談ですがこのセンパイ、これを初日にですね・・・私、蹴り一撃で、吹っ飛ばしてしまいました(笑)そしたら道場、騒然という・・・まあむろん、小中学生限定の〝騒然〟さですが。(「今度来たシロオビ(白帯)、ヤバイぜ・・・」「○○クン、一撃だったゼ・・・」)・・・
 また、これらセンパイともキチンと、交流しております。「オジサン、仕事は何ですか?」「私ですか?私は手品師です、先輩」・・・・・・・そしたらさすが、空手です。こんな事言っていたら道場主から、叱られました(笑)「フザケンナー!!」と(笑)いやーホント、野球部ノリで練習、参加してたらマズイですね(笑)空手は(笑)(いや空手では、練習ではなく〝稽古〟と呼称)

1164SAKURA:2012/06/10(日) 16:24:52 ID:BmbmmCRY
こんにちは… ローマ字の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>1160拝読しまして…


労音=勤労者音楽協議会 1949年共産党を母体として創設。

民音=財団法人民主音楽協会 1963年創価学会を母体として創立。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

■私自身、勘違いいたしておりました…。指摘して頂きまして“感謝”申し上げます…。

それにしても…
【労音】 ・ 【民音】…両者とも良くな〜〜〜イ!なのです〜〜〜ネ!
改めまして…【感謝…】申し上げます…。
                                     再合掌

1165「訊け」管理人:2012/06/10(日) 16:26:22 ID:???
(忘れていました・・・以下は我がブログ・コメント欄への投稿文です。徳久先生が、『生命の實相』を読みなさい!と叫んでおられます)


(ブログ・コメント欄より転写)

2. 徳久先生の文章より 2012年06月09日 21:47

・・・・・谷口先生は「すべてのことは『生命の實相』の中に既に解答してある」
 とよく言われるが、私は各地を廻ってみて、余りにも『生命の實相』を読まなすぎる青年会員が多いのに驚かされるのである。

 『生命の實相』を読まずに行動すると、その行動が往々ピントをはずれるのである。吾々は行動的であればある程、その行動の基準となる『生命の實相』を繰り返し繰り返し読まなければならないのであって、各地の青年会で問題が起る場合は、総て『生命の實相』を読まずに行動する結果である。・・・・

 一、「生長の家」七つの光明宣言
 一、「生長の家」家族の祈願及修養
 一、「生長の家」信徒行持要目
 この三つだけはよくよく読んで、吾々「生長の家」の青年達は、何を目的として実践活動をしたらよいかという、活動目標を確立しておいて戴きたいのである。

 「生長の家」は宇宙の真理をのべ伝えるのであるから、その真理を青年が感受すれば青年運動となり、婦人が感受すれば婦人運動となるのであって、青年だけという特別の秘法があるわけのものではないのである。吾々は先ず『生命の實相』を熟読することが必要である。

 仏教もキリスト教も、教祖自身のお書きになったものが残っているわけのものではないのであるが、「生長の家」だけは教祖先生自ら筆をおとりになったものが、誰でも手軽に読めるのであるから、吾々はいつ如何なる所ででも『生命の實相』を通じて、教祖先生と簡単につながることが出来るところに、吾々の強みがあるのである。

 『生命の實相』を通じて間違いなく御教えをうけることが出来るということは、吾々にとっては最も有難いことなのである。・・・

 『生長する青年』27年4月号より

(終了)

1166トキ:2012/06/10(日) 21:55:48 ID:Sup3o8Sw
 私は武道の心得はないのですが、なかなか素晴らしいですね。
いくつになっても、前向きに頑張る姿勢こそ、生長の家の人だと思います。

 型の問題、興味深いです。また、後日、論じたいと思います。

合掌 ありがとうございます

1167SAKURA:2012/06/14(木) 03:07:19 ID:aEj08Q/w
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

こんばんは…  ローマ字の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>1643>>1644【生長の家「今の教え」と「本流復活」を考える会】に投稿しましたが…
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1643 
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1644 
拝読しまして

■『甘露の法雨』についての“出発点”は、多少は知っておりましたが〜〜〜
正直“うろ覚え??”でしたでしょうか??
私も【雅宣総裁先生のプログ】より、詳しく知る事になり“感嘆“しておりました。

■更に、今日「トキ様の文章」からも、知る事が出来まして、
要するに『甘露の法雨』は、雅春先生から、率先して“聖経”と云う…
“形式”にされたのではないと…
『生命の実相』にも書かれておりますが…周りからの“自発性”により起きた事
なんでしょう〜〜〜!!
それは【山ちゃん…】だろうが『誰…』であろうが?関係なく“信者自身…!!”
しかも『知識階級からの出発』になるのではとの?思いが致しますが〜〜?
その様に、私は解釈しましたし、更に「雅春先生の本」でも、似たような事を、
書いていらっしゃいます“記憶”があります…。

■■私は、今回の【お家騒動…】は“オカシイ〜〜〜!”と思いますし、
【分派…サイド】の考え方・方針に気にいられました方々は、それはそれで、
いいのではないでしょうか〜〜〜。今回の「現総裁雅宣先生の長編詩」は、
私でも、たまに拝読させて頂いておりますが…読誦は、すがすがしい〜〜気持ちに、
なりますし、その人の“念もプラス”にみれば…いいのでは・ないのでしょうか?
新しい事を始めるに当たりましては、“周囲の理解力”も必要で、
これは当事者のみではなく、周囲の人材の“人間性=人格”に入っていくものと
判断しますが…?

■話は変わりますが…
今回…今の若者の自発的な“アイデア・”を見まして…
「新しいジャンル…」の到来??思わず“笑い”を誘われています私に、
気づきましたが…
【歌あり・漫才的なスマ−ト?さあり・更に!“ア−ト的”なモノの総合性】を…
ミックスさせて…意外と私でも、拝見して“供給性“が湧きますかしら〜〜〜ン!

この様に「生長の家」も、若者が“自発的に運動”出来ますようにと…
思う次第ですが……><
今回の「総裁先生は現代文的?」ですが…私は“素晴らしい!!!と思います…。
更に!彼らは【大卒・大卒中退組みと…コンビ】でありますが…
やはり“新しい物事”に挑戦をする時の【開拓精神=知識から始まる】のでは??
ないでしょうか?その様に思います…。

■全て…事の始まりは【真理 ・ 光明 ・ 知恵 … 絶対の“愛”ですが〜♫〜】
そして【“知識”=“知恵”】は一番大切な“原点”です〜〜〜ョネ!

過去を振り返りまして…
私が“販売”していました時、デパ−トの【商談…】は、
やはり“大卒はスム−ズ”な応対ですので“時間的”にも短縮にてまとまりますが…?
たまに、這い上がってきましたクラスに“高卒の方”がいらっしゃいますが…
平均的に、先ず!聞く耳を持たなく…考え方に“幅がない”様でしたかしら〜〜〜ン!
「係長クラス」は、意外と“高卒”が多かった様に、当時は思いましたが…
更に!【上の役職】で行きますと、当然「部長クラス」は“大卒…”!!
ですから【上の役職】になりますと、それなりの「人格=人望」と申しますか?
“大卒”の方は、一応“聞く耳”が〜〜〜ありましたかと?思った次第ですが……
但し…“考え方も〜〜♫〜〜考えの幅も〜〜♫〜〜性格も〜〜♫〜〜”…
あります様にお見受け致しましたが………??
当然!!“マナ―”もあり“ポジティブな精神面”もありました様ですが……!!
その様に、判断しましたが…(例外もあるかも〜〜〜><)

後程…若者達の【Tub…】紹介させて頂きます…。
                              再合掌

1168SAKURA:2012/06/14(木) 03:09:11 ID:aEj08Q/w
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

こんばんは…  ローマ字の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1167続きです…。

■【歌あり・漫才的なスマ−ト?さあり・更に!“ア−ト的”なモノの総合性】
でしょうか〜〜〜♫

■サイモン アンド  ガ−ファンクル RAG FAIR
http://www.youtube.com/watch?v=dDYZTc6geLA&amp;feature=related 

■RAG FAIR「Good Good Day ! 」
http://www.youtube.com/watch?v=_vz1Tz9xhc0&amp;feature=related 
(上記は…“共有性”ありますかしら〜〜ン?)
                            再合掌

1169SAKURA:2012/06/14(木) 03:20:53 ID:aEj08Q/w
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

こんばんは…  ローマ字の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>1167>>1168の投稿の続きは
【生長の家「今の教え」と「本流復活」を考える会】に投稿致しておりますが
更に!下記の【URL…】にて続きを…投稿させて頂きました…。
尚!今回すぐさま?【投稿文…奥の間】に行くようですので…此処に投稿させて頂きます…。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1661

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1662

おりにつきまして、「上記投稿文」を拝読した頂きますと、幸いに思います…。                

再合掌

1170うのはな:2012/06/14(木) 18:10:11 ID:gTn97m6I
>> 従来は無審査で永代供養を受け付けてもらえたのですが、最近、教化部と本部の両方で審査をして、問題がある場合は永代供養をしてもらえないシステムになったのです <<

これは、光明思想を掲げながら人を排除する勢力の話ですか?

 赤ペン先生にでも、雅春先生の御命日までに講釈していただきたいですわ。
 長年組織会員としては。

1171飛び入り参加:2012/06/14(木) 22:26:49 ID:ogKt/5xM
トキさん、こんばんは。掲示板の運営、感謝いたします。

 今回、聖経の問題に関連して、谷口雅宣先生が、甘露
の法雨の成立について論じておられます。この問題につ
いては、信徒の間でも議論があるのは理解しています。
が、それは別にして、議論の材料として、事実と思われる
文章を提供し、皆様の判断に任せます。

 谷口雅宣先生が、生長の家30年史の中の斉藤壽美
先生の思い出を引用されておられますが、その同じ
文章に以下のような部分がありました。

 「かくてみ光りはあまねく京都の地を蔽い、四月に
は小木様、岡様たち相はかり『甘露の法雨』はたん
に「詩」と扱うべきものではをく、その功徳の炳乎
なることから見て「聖経」と稀すべきものであると
言うことになり、はじめて聖経『甘露の法雨』を折
本型経本として京都教化部より発行いたすことにな
ったのであります。これができ上りますにつきまし
ては秋月様、尾本様をはじめ、京都の幹部総動員で
お手伝い致しました。」

 この文章は、昭和33年頃に書かれたもので、当時
谷口雅春先生をはじめ、関係者の大半がご存命だった
事を考えると、信憑性は高いと思われます。この文章
を見る限り、聖経の名称は信徒からの呼称と推測でき
ます。

1172飛び入り参加:2012/06/14(木) 22:27:20 ID:ogKt/5xM
 次に、「生長の家京都光明化50年史」という本が
あります。ネットオークションで入手した非売品の本
ですが、生長の家京都教化部の歴史が書いてあります。
その中に、甘露の法雨に言及した部分が2カ所ありま
す。

 同書のP30には、尾本輝三先生の回顧談が収録され
ています。

 また、皆様お持ちの『甘露の法雨』の析本、あれは
小木虎次郎博士が、
「尾本はん、あんた明日来る時に本願寺さんの前で無地の折本が
売ってあるはずやから探して買ってこい」とおっし
ゃる。探して持って参りましたら、それに『甘露の法
雨』を書け、とおっしゃる。私は「恥はかくけど字は
よう書きまへん」と云うて笑ったんですけど、「書き
なさい!」とおっしゃるので書いてみたんですけど
全部が書けません、そのあとを着月先生がお書きに
をったんですけど書けなかった。どうしても作れ、
とおっしゃるので、誌友の森本という印刷屋にお願
いして第一号の『甘露の法雨』を印刷したのです。無
論先生には内諸です。ですから『甘露の法雨』と云う
題字もごぎいません。大調和の神示もごぎいません。
ただいきなり本文の『甘露の法雨』だけでございました。
 ところが内緒ということは何時までももてるもの
ではございせせん。先生が見えると読みにくいので
読み、先生がお帰りになると読み易いそれを出して
読む、というようをことをやっておりましたが、着
月先生と相談して、先生に叱られるつもりで谷口先
生のところへお伺いに参りました。幸いに叱られず
に先生にお喜びいただきまして、「なんぼでも印刷
しをさい」とお許しをいただきまして、今度は大威
張りで印刷をやって参りました。そうすると、谷口
先生は「もっとせい、もっとせい」となんぼでも数
を増してこられる、資本金がたまりません。そこへ
谷口隆之助と云う方が 「わしが資本金出してやろう」
と出して下さった。そういうことから始まった『甘
露の法雨』 でございます。
 非常に厳しかった小木先生は一面また非常に温か
い方でございます。いまだその温かいお心を想い出
しては「先生、有難うございます」と感謝をしてい
る次第です。」

1173飛び入り参加:2012/06/14(木) 22:28:00 ID:ogKt/5xM
同書のP26に着月 暁先生の回顧談が収録されてい
ます。

 「それから折本甘露の法雨はみなさんのお世話で京
都で出来たのです。ところが、光明思想普及会が出
来まして、先生の出版物は全部扱うということにを
り、「戻せ!」とおっしゃる。あれは皆残念がった。
京都はやって行けんがな、と思った。よう売れる、
よう出るんです。然し小木博士、偉らかったね。「返
す、あんた持って行き」と云ってですね、紙型とか
材料全部私が抱えて持って、お渡ししたのが理事長
先生(中林先生)でした。遅かったなあ、と云われ
るかと思ったら、「よう来てくれた」と喜んでいた
だいて、えらい御馳走になった。」

 同書の編集には、戦前の信徒が多数参画しており、
信頼性は高いと思われます。

 その他、小木虎次郎博士の娘婿である石川芳次郎
先生の伝記(非売品)の中にも、小木博士が甘露の
法雨の発案者である事が明記されていました。

 小生は、あちらの人たちを応援するつもりはありませんが、事実
は事実として、記録するのが大事だと思い、ここに公表
します。

感謝、合掌。

1174トキ:2012/06/15(金) 19:18:26 ID:HJJWPibQ
 飛び入り参加様、ご投稿、ありがとうございました。

 お返事が遅れて、申し訳ありませんでした。内容は重要なものだと思います。
貴重な資料を提示して下さり、深く感謝申し上げます。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

1175トキ:2012/06/15(金) 23:31:57 ID:HJJWPibQ
 本流掲示板で、山ちゃん1952様からこの件について、貴重なご指摘を頂戴しました。深く感謝申し上げます。
内容は、「飛び入り参加」様への訂正の申立ですが、以下の2点です。

1  聖経の文字は確かに、谷口雅宣先生のご指摘の通り、昭和6年に使用されている。
2 文中、中林先生とあるのは、辻村楠造先生の間違いではないか。

 この件について、できれば「飛び入り参加」様のご意見もお願いします。

 余談ですが、辻村先生は、元陸軍主計総監をされた方で、明窓浄机で、谷口雅春先生が、
「辻村楠造」閣下と書かれていたのを記憶しております。

 実は、わたしも、あの後、考え込んでいたのです。と、言うのは、谷口雅宣先生や山ちゃん1952様の
ご指摘は正しいです。しかし、「飛び込み参加者」様が指摘されたのと同様の証言を私も別の人から聞いて
います。谷口雅春先生ご自身もその内容で説明をされていたと記憶しております。つまり当時の複数の
関係者の証言と矛盾するのです。と、言っても、当時の関係者は既に故人になっておられるので、確認は
できません。

 自分も少し興味があるので、調べてみます。

 あと、論点としては、

1 折り本にしたのは、京都の信徒であった。
2 甘露の法雨の読誦については、谷口雅春先生はご存知ではなかった。

という点については、山ちゃん1952様のご意見を頂戴できれば幸いです。

合掌 ありがとうございます

1176 志恩:2012/06/16(土) 05:17:44 ID:.QY5jUA6
飛び入り参加様

トキ様もおっしゃっておられますが、本流掲示板で山ちゃん1952様のご指摘の1つ
2、理事長は、中林政吉先生でなく。辻村楠造先生ではないか、

について、「京都光明化50年史」が、S 33年頃書かれたものである、となりますと、
中林政吉先生が、理事長になられたのは、下に貼りましたが、
「生長の家本流青年、、、」の中で、童子さまが書かれていますように、

中林先生は、昭和40年から4期に亘り、理事長をつとめる。とありますから、中林先生ではないのではないでしょうか。

 http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=seinen&amp;mode=res&amp;log=85&amp;submitlog=85

1177 志恩:2012/06/16(土) 05:28:43 ID:.QY5jUA6
生長の家五十年史 P816に、歴代理事長として記載されていると、
ネット、生長の家今昔物語にも、載っていました。

歴代理事長

 辻村楠造 (初代)
 
 中島與一 (二代)

 清都理門 (三代)

 辻村彦次郎(四代)

 中林政吉 (五代)

 山口悌治 (六代)

 和田英雄 (七代)  と、七代まで書いてある。

1178 志恩:2012/06/16(土) 06:01:53 ID:.QY5jUA6
S33年に書かれたのは、聖経に関することでした。

×「京都光明化50年史」が、S 33年頃書かれた

○「京都光明化50年史」の中で、S 33年頃書かれた

1179晴れときどき・・・:2012/06/16(土) 06:23:54 ID:M7ribEwU

 ◎京都50年史当時の本部理事長が中林政吉先生。
      
 ◎光明思想普及会の社員として、京都へ遣いに出られた中林政吉先生。

 ※「京都50年」が「生長の家50年」よりも歴史が長い古いはずがありません。


 昭和15年 小木博士の功績偉業を称えて『小木虎次郎賞』が設定されています。

1180 志恩:2012/06/16(土) 06:36:31 ID:.QY5jUA6
晴れときどき…さま

京都50年史当時の理事長先生が、中林政吉先生ですか。教えて下さって、ありがとうございます。
その他のことも、ごしんせつに!

1181トキ:2012/06/16(土) 09:29:59 ID:da4qspKs
 おはようございます。

 昨晩は、押し入れから古い本を山ほど取り出して、調べものをしておりました。

おかげさまで、完全に睡眠不足です。失礼があれば、お許し下さい。

 まず、山ちゃん1952様の御文章を紹介し、その上で、私見を披露させていただきます。

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再度下記に書きますが、間違いを二点指摘させていただきます。

1、聖経は雅春先生が昭和6年秋頃にはその言葉は使用しようと思っておられます。

その根拠は昭和7年1月1日の『生命の實相』には記載されています。これは復刻版以外でも確認しています。(原本の確認)

昭和6年に小冊子『生長の家の歌』(5銭)を販売されたのですが、あまり売れなかったのですが、その後昭和10年の雅春先生の記載された「編集だより9月号」に「一回の読誦で近眼が消える」という記載があります。すでにその頃から『甘露の法雨』の功徳が現われていたのです。それが京都教化部で発刊されたものを読まれたのかどうかはわかりませんがその可能性はあります。「生長の家の歌」と記入されていないのが、その可能性です。ただしこの時点では聖経という言葉は使われていません。

2、理事長は中林政吉先生ではなく辻村楠造ではないでしょうか。

最後に飛び入り参加の人は「あちらの人」という呼称ですが、「学ぶ会」の人を指しているのでしょうか?なにか狭量のない人ですね。何故現在の生長の家の状況になったかを考えないのでしょうね。

(つづく)

1182トキ:2012/06/16(土) 09:50:42 ID:da4qspKs
 晴れときどき・・・様、志恩 様、ご投稿ありがとうございました。

 わたしも、「生長の家40年史」を読んで、昭和40年代の中林政吉先生が理事長であるのを知り、同じ結論に達しました。

 それは、50年史のような歴史関係の本を作る場合、何年もリサーチをするのが普通ですから、尾本先生、着月先生に
リサーチをした当時の理事長が、中林政吉先生であるのは不思議ではないからです。

 常識的に考えて、当時の尾本先生も着月先生も、まだ若かったし、いわゆる「使い」で行かれた職員に過ぎない
方です。その人に、陸軍主計総監であり理事長をされた人が直接、接待をするとは思えないです。やはり、ここは
中林先生に「聖経」を渡した、と考えるのが妥当でしょう。

 次に、明窓浄机を拝読すると、

>>昭和15年 小木博士の功績偉業を称えて『小木虎次郎賞』が設定されています。

という晴れときどき…さまの主張を裏付ける内容の文章がありました。生長の家50年史にも、甘露の法雨の聖経
についての説明、また「永遠不滅の生命」にも、「聖経」の発案者 小木虎次郎博士、という説明がありました。
 しかし、昭和6年に「聖経」という言葉が存在した、というのも事実です。

 その時に感じたのは、当時、「聖経」「聖詩」という名称が混在していたのではないか、という感想です。
ひょっとしたら、他にも信徒の間で別の呼び方があったのかもしれません。それを「聖経」と決められたのが
小木博士ではないか、という仮説です。(これが正しいとは言いません。小木博士は、初版の「生命の実相」
を読まれていますから。しかし、当時の関係者の説明とは矛盾しない説明をしようとすると、これぐらいし
か考えがつかないのです。)

1183トキ:2012/06/16(土) 09:58:16 ID:da4qspKs
 あと

>>「編集だより9月号」に「一回の読誦で近眼が消える」という記載があります。

ですが、実際の執筆は7月(のはず)ですから、これは、生長の家京都教化部から出た「甘露の法雨」のはずです。
それは、尾本先生、着月先生の説明とも矛盾しないです。

 ちなみに、昭和11年に発行された甘露の法雨は、既に「神示」も掲載されており、聖経 甘露の法雨という名称
も使っていますから、現代と同じ体裁です。

 しかし、京都教化部から出た聖経でも、これだけ功徳があるのなら、別に「光明思想社」だろうが、教団から出そう
が、功徳には変わりはない、という事になりますね。(こんな事を書くと、本流掲示板の投稿者様が大喜びをするで
しょうが・・・。)

1184トキ:2012/06/16(土) 10:04:18 ID:da4qspKs
 あと、山ちゃん1952様が、「小木寅次郎」博士の文字を使っておられますが、「小木虎次郎」博士
の間違いではないでしょうか? (「間違い指摘の間違い」の間違いの指摘?)

 あと、申し訳ありませんが、飛び入り参加様、引用された文章をPDFにして当方へ送って頂けないでしょうか?
出来れば、で結構です。

tokirijicyo@yahoo.co.j

 最後になりましたが、貴重なご意見を頂戴した、晴れときどき…さま、志恩 様、飛び入り参加様、山ちゃん1952様に深く御礼を申し上げます。

合掌 ありがとうございます

1185トキ:2012/06/16(土) 10:18:10 ID:da4qspKs
 余談ですが、「明窓浄机」を拝読していたら、「生命の芸術」誌を合本して、100部だけ出版します、
という記事がありました。そう言えば、うちにも、そんな本があったなあ・・・・と気がついて探したら
出てきました。読むと、この生命の芸術に掲載された谷口雅春先生のご文章のいくつかが、そのまま
生命の実相に採用されている事がわかりました。

 例えば、生命の芸術に谷口雅春先生の自伝が連載されていましたが、それが、そのまま、生命の実相の
自伝編になっています。

 他にも、貴重な内容がありましたが、わたしのような人間がこんな本を持っているとは、猫に小判
ですねえ。(笑)

1187トキ:2012/06/16(土) 10:23:01 ID:da4qspKs
>>1184

飛び入り参加様へ

 訂正です。申し訳ありません。

tokirijicyo@yahoo.co.jp

合掌 ありがとうございます

1188トキ:2012/06/16(土) 16:10:36 ID:da4qspKs
 山ちゃん1952様より、御丁寧なお返事を頂戴しました。深く感謝申し上げます。

 ご提示のPHPの文章は、偶然、私も読みましたが、あれをご存知とはすごいですね。あと、生命の芸術まで
お持ちとは、さすがです。

 なお、小木「寅」次郎という方は、初めて知りました。初代京都支部長の小木虎次郎博士が、甘露の法雨の
発案者である、というのが私の調べた結果でした。この点については、申し訳ありませんが、山ちゃん1952様
と認識を異にします。

 以上、この件について、いろいろと調べて下さった皆様に深く感謝申し上げます。

合掌 ありがとうございます

1189うのはな:2012/06/16(土) 16:20:23 ID:gTn97m6I
魂の誇り  ステッファニ 万里子 斉藤 (十五才)

 靖国神社っていうのは、国のためになくなった私達の先輩の若者たちが
まつってある神社です。
 若者たちは十六才のころ、お父さん、お母さんのいる家から出て、日本のため、
自分たちの国と家族をまもるために生命をささげました。
 こわかったでしょう、くるしかったでしょう。
でも、若者は勇気をもって死にました。

 靖国神社は生命をまつるために建てられた神社です。
戦争でなくなった若者は、誇りをもって靖国の社にいらっしゃいます。
 その方々の父親も母親も、日本じゅうの人は、今も、いつまでも、その人たち
の誇りをまもって心をこめて祈りに行きます。

 だから、その神社がなくなったら、その方々の魂の誇りはどこへ行きますか。
日本じゅうの人の誇りと考え方と心は、どこにもっていけばいいのですか。
 今の日本人の心が私には分りません。
靖国神社は、ブラジル人である私たちにとっても誇りです。
 この靖国神社の大切さと、祭られている人を尊敬しない日本人がいることが、わかりません。
そんな日本人を見ると、何だかとてもかなしくなります。

 靖国神社、いつまでもいつまでも、世界の、みんなの誇りであって下さい。
その神社は、もう地球上にせんそうがないように、がんばっている人のお手本ですよ。

 『日本の皆様、靖国神社を守って下さい』ブラジルの中高生からの手紙

                    真倫子 川村 編  明成社

1190トキ:2012/06/16(土) 18:11:47 ID:da4qspKs
 実は、「甘露の法雨」についての議論は以上で打ち切るつもりでした。が、谷口雅宣先生が、唐松模様の中で、以下のようなご文章を発表されているので、
お知らせいたします。

----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

生長の家京都支部が製作した折本型経本『聖経』は、雅春先生の2回目の京都旅行の2週間後、昭和10年4月25日が発行日である。ということは、雅春先生御自身がこの経本の編集や製作に関与される機会はあったし、実際に関与されたと考えるのが自然である。それどころか、先生御自身の考えやアイディアがこの『聖経』の編集や体裁に反映されている、と私は考えるのである。なぜなら、この京都版『聖経』における歌や神示の配置、配列、経文の読み方、使用活字の種類などは、後に東京の日本教文社(当時は光明思想普及会)から発行される『聖経 甘露の法雨』と、ほとんど同一といっていいほど変わっていないからだ。つまり、先生は京都で発行されたこの『聖経』の編集や体裁を気に入られ、発行場所や印刷所が変わっても、後々までも、できるだけ同一のものを発行されたのである。ここで私が言う「編集」とは、最初のページに「招神歌」を掲げ、扉ページには先生自筆の「甘露の法雨」の揮毫を入れ、次ページから<『七つの燈台の点燈者』の神示>という表題のもとに「大調和の神示」と「完成の燈台の神示」の2つを入れ、そして聖経の本文へと続き、最後に『実相を観ずる歌』で終わるという流れのことだ。また、「体裁」の中には、表紙デザインとして「雲間から差し込む陽光が、土から伸びる植物の芽を照らす」という図案を使うことも含んでいる。これだけのものが“京都版”と“東京版”で同じであれば、2つの経本の製作ディレクターは同一人物−−谷口雅春先生だと考えねばならない。
(つづく)

1191トキ:2012/06/16(土) 19:03:14 ID:da4qspKs
 現在、甘露の法雨がどこで始まっても、その価値が変わるものではない、と思います。ただ、昨日、私も資料に一通りめを通したので、申し訳ありませんが、以上のご文章には不審に思う点があります。

 もし、谷口雅春先生がご発案されたとすると、何故、わざわざ京都の信徒に委託されたのか? という疑問があります。既に本部は東京に移転しており、人材もそろっていました。指事をするのも、
当時の交通事情を考えたら、遠隔地の京都を選ぶのは不自然です。(当時、本部と光明思想普及会は同じ住所にあった)。京都は、教化部も間借りで、東京から本部駐在員が行っていたぐらいの体制
でした。編集には、絶対に京都よりも東京のほうが便利です。

 第2に、当時、谷口雅春先生はご自分の計画については、詳細に「明窓浄机」で告知をされておられました。ところが、甘露の法雨については、何も記載がありません。もし、「聖経」のような大事業
を開始されるのなら、「明窓浄机」に掲載されておられるはずです。

 第3に、小木虎次郎賞が制定された時に、「明窓浄机」上で、小木博士の功績として、甘露の法雨の聖経化を谷口雅春先生ご自身があげられています。小木博士が亡くなられたのは昭和15年ですから、
当然、関係者の記憶は新しいはずです。

(つづく)

1192トキ:2012/06/16(土) 19:16:42 ID:da4qspKs
 あと、東京と京都の聖経の体裁が同じであるのは、着月先生の証言から説明ができます。

>.然し小木博士、偉らかったね。「返す、あんた持って行き」と云ってですね、紙型とか
材料全部私が抱えて持って、お渡ししたのが理事長先生(中林先生)でした。

 当時の印刷は、「紙型」と言って、紙で作った原板を使用しておりました。今のような
デジタル化の時代ではないので、この費用は結構、かかったのです。だとしたら、その紙型
を流用したと考えるのが普通だと思います。

 さらに申し上げると、谷口雅宣先生、山ちゃん1952様、私も、当時の事は伝聞でしか知りません。
しかし、聖経が小木虎次郎博士の発案という説は、当時の事を実際に知っている人達の間で言われていた
という話です。私もご両人ほどではありませんが、古い本部講師の方々とも話をしましたが、
聖経が、実は、谷口雅春先生のご発案という話は聞いた事はありません。

 これが終戦直後だと、谷口雅春先生が占領軍により「公職追放、執筆禁止」の暴挙により活動が
できなかったので、弟子の名前で神誌にご発表された事もあったと聞いております。しかし、この件
では、谷口雅春先生も関係者も、隠す必要はなかったと思います。

(つづく)

1193トキ:2012/06/16(土) 19:28:14 ID:da4qspKs
 後は、主観的な感想ですが、谷口雅宣先生も山ちゃん1952様も、現在のような、あるいは
百万運動の頃のような、統制が整った組織しかご存知ではないので、「谷口雅春先生がご存知
ないはずがない」と思われたと拝察します。しかし、当時の関係者の話を聞くと、教区により程度の
差はありましたが、「ぬるい」雰囲気で、結構、みんな、好き勝手にしていた、という話を聞きます。

 谷口雅宣先生が、突然、甘露の法雨の問題をアップされた背景については、私も感じるところがあり
ます。が、この件は、その問題は別にして、やはり堂々と論じる事が大事だと思います。

合掌 ありがとうございます

1194トキ:2012/06/16(土) 23:01:08 ID:da4qspKs
 山ちゃん1952様が、以上について、丁寧なご返答を下さりました。深く感謝申し上げます。

 京都第一教区でも、さすがに戦前の事情を知る人は大半が亡くなられていました。が、探すと、戦前の様子を知る信徒が
おられました。人を介して質問をしたところ、ご返答を頂戴したので、併せてご説明を申し上げます。

 先ず、山ちゃん1952様より、「小木寅太郎」と書いたのであり、「小木寅次郎」ではない、とのご指摘がありました。
この点はお詫びします。内務省警保局の資料からの引用だとは気がつきませんでした。

 その後、改めて、其の人に質問をし直すと、以下の回答を頂戴しました。

 昭和11年に荒川清逸氏がトップにきているのは、荒川氏が最初に誌友会を開いた人だからである、との事でした。その後、
京都支部発足と同時に、初代の京都支部長になられたのは、小木虎次郎先生であり(昭和15年まで)、これは文献で確認できる、
との説明を受けました。「京都誌友相愛会本部」の責任者は、当然、「小木寅太郎」氏ではなく、「小木虎次郎」博士でないと
おかしい、との事でした。

 これが、普通の会員なら、「小木寅太郎」あるいは「小木寅次郎」さんが記録に残らない、という可能性はありますが、
京都誌友相愛会本部の責任者にある人が生長の家側の記録に残らないのは、考えられないと思います。

 その上で、内務省警保局の資料を考えると、この資料は、当時の京都府警の特高警察の宗教担当者から、いくつかの段階を経て
内務省警保局へ送られたはずです。内務省というのは、当時、化け物みたいなマンモス官庁でしたから、たくさん段階を経て、
中央へ送られたはずです。

 戦前から戦後、京都府警の特高警察で、宗教を担当していた銅銀松雄氏の回顧録「最後の特高警察」によれば、当時の特別な監視対象は
本願寺や基督教、大本教等だった様です。生長の家の記述はありませんでした。断言は出来ませんが、厳重な監視対象になっていなかった
と推測できます。

 こういう状況を考えると、この「小木寅太郎」さんは、小木虎次郎博士の名前を間違って記入したもの、という可能性があると
思っています。この点、京都の知人が引き続き、調査をするとの事なので、報告があり次第、ご報告申し上げます。

合掌 ありがとうございます

1195トキ:2012/06/16(土) 23:09:35 ID:da4qspKs
 ただ、追加して説明すると、当時の資料でも、憲兵隊資料の価値は低い(結構、荒い捜査をした)
が、特別高等警察の資料の価値は高いのです。「最後の特高警察」を読んでも、人間味のある捜査
をしている、という感想を持ちました。その点も付け加えます。

1196トキ:2012/06/17(日) 13:41:46 ID:0EM4X07c
 京都の友人から情報が入りました。また、飛び入り参加様からも貴重な資料をPDFで頂戴しました。
深く感謝申し上げます。

 先ず、昨日、トキが、谷口雅春先生のテープ「甘露の法雨講義」を拝聴すると、第1巻で谷口雅春先生ご自身が肉声で甘露の法雨に
ついて説明をされました。長い時間ですが、要約すると、

1 谷口雅春先生は、ある時期、詩が自然と次々と浮かんだ時期があった。甘露の法雨もその時期に出てきたものである。
2 甘露の法雨は、一回、発表はした(時期は谷口雅春先生ご自身も明確には覚えておられなかった)。
3 その後、他の聖典と同様に発表されたが、一番、人気がなかった。
4 谷口雅春先生は、甘露の法雨をお経にする意思はなかった。
5 甘露の法雨を聖経にしたのは、小木虎次郎博士である。
6 聖経にすると、次々に功徳が現れた。
7 甘露の法雨には、生長の家の教えが完全に縮尺されている。

というものです。このテープは立教50年特別企画ですが、ご講話は昭和29年の本部落慶記念での講演ですから、
この講話がなされた時期には、関係者は多数ご生存で、信頼性は当然高いと思われます。

(つづく)

1197トキ:2012/06/17(日) 14:01:35 ID:0EM4X07c
 次に、飛び入り参加様から頂戴した、「石川芳次郎翁の生涯」によれば、小木虎次郎博士には
3人の兄妹がおり、長男の小木虎次郎博士は祖母の名字「小木」家を継ぎ、小木博士の妹さんの
ふくさんは鈴木家に嫁いで鈴木を名乗り、小木博士の弟(西野計之助)が西野家を相続したので
す。(P58)

 以上より、小木博士の兄弟には寅太郎という人はおられなかったと思われます。

次に、生長の家京都光明化50年史から抜粋します。

 同書によれば、昭和8年11月22日に荒川清逸氏宅で第1回の誌友会を開催し、以後、京都支部
を荒川氏宅におくこと」になったそうです。その後、昭和9年10月に初代支部長に小木虎次郎博士が
就任、昭和10年1月に支部を石川芳次郎宅へ移転とあります。(146p)

 当時はインターネットなどもありませんでしたから、書類の発送、整理に時間がかかったことを考える
と、内務省警保局の資料との時間的な差は説明が可能であると思います。なお、同書には小木虎次郎氏は
登場しても、小木寅太郎という名前はないとの事ですから、おそらく内務省が名前を誤記したものと思い
ます。

(つづく)

1198トキ:2012/06/17(日) 14:10:38 ID:0EM4X07c
 次に、京都の友人から続報が入りました。

 当時を知る人に再度、確認をしたが、小木寅太郎という人物には思い当たりはない、との事でした。

 今でこそ、相愛会は男性だけの組織ですが、昔は男女ともに糾合した組織でしたから、相愛会は信徒総代の
ような立場だったみたいです。

 なお、小木虎次郎博士、石川芳次郎先生の子孫の方で地方講師の方はおられるので、その方に確認をすれば
より正確な事はわかるが、と言われましたが、身元秘匿のため、断念しました。

 以上、簡単ですが、宜しくお願いします。

合掌 ありがとうございます

1199トキ:2012/06/17(日) 21:50:23 ID:/qyhk4ts
 昨日は、原子力発電所の再稼働というニュースがあったのにもかかわらず、谷口雅宣先生の唐松模様の
話題は、甘露の法雨の聖経の歴史でありました。それだけ、雅宣先生が、この問題に強い関心をお持ちで
あるという事は言えるでしょう。
 言うまでもなく、間もなく最高裁判所の決定が出ます。おそらくは教団側に極めて不利な判決が予想され
ます。そうなると、残念ですが、甘露の法雨なども教団側が販売する事が難しくなります。

 この時期に、谷口雅宣先生がこの問題を論じ、かつ、内容を従来の”定説”とは違う「甘露の法雨は谷口雅春先生
のご指導で聖経とされた」という新しい説を唱えられたのは、賛成は出来ませんが、理解はできます。それは
甘露の法雨が、信徒の自発的は発案により始まった、という事になれば、大自然讃歌や観世音菩薩讃歌を「聖経」
に准ずるものにすることが難しくなるからです。対して、総裁のご指導の下、聖経読誦という行が始まったとす
るならば、総裁のご指導の下、新しい聖経を制定するのも論理としては可能になります。

 雅宣先生のご心境は苦しい立場だと思いますが、この「新説」は、かなり無理がある、というのが私の考えで
あります。と、言うよりも、本流復活派が過去の「神誌」を片端から調べたら、おそらく容易に反証が可能だと
予想しております。

 それにもかかわらず、今回、谷口雅宣先生が、生長の家の歴史を正面から論じられたのは、大いに歓迎すべ
きだと思います。現在の路線を維持するにしろ、変更するにしろ、過去の歴史を検証した上で、議論をすべき
だと私は信じているからです。

1200トキ:2012/06/17(日) 21:57:49 ID:/qyhk4ts
 それと同時に、今回、昔の生長の家の文献などを読み直し、かってご指導を頂戴した谷口雅春先生の直弟子の
先生方のお顔を思い出しました。今、神界から、現在の生長の家の様子をご覧になり、嘆いておられると思いま
す。

 それにつけても、谷口雅春先生の度量の大きさ、魂の自由さを改めて感じました。甘露の法雨もそうですが、現在
行われている「笑いの練習」「浄心行」も弟子の発案であったはずです。それを受容する態度は実にご立派だと思い
ます。

 山ちゃん1952様は、青年会幹部による「実相観法」事件をご記憶だと思います。あの事件には議論がありますが、
時代を経るにつれ、難しくなりますね。

 また、信徒同志が家族のように仲が良かった、というのもよく聞きました。そういうのも薄くなり、残念です。


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