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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板

1113うのはな:2012/05/08(火) 22:36:17 ID:???
信仰エッセイ  「宗教ってなに...?」 森田征史 先生

 ぼくが「生長の家」を学びはじめたのは二十歳のときです。
自宅に小川さんという青年がたずねて来られて、「今夜、生長の家の青年のつどい
があるから・・・」と誘って下さいました。十七歳のとき、生長の家の勉強会がわが家であり、
伯母に言われて参加したものの、母親の年代の女性ばかりでした。それ以後、生長の家の会合には
行っていませんでしたが、若い人の集まりならと思い、ごいっしょさせていただきました。
お訪ねしたお宅には七〜八人の男女の若者たちが集まっていて、みんな明るい笑顔で迎えてくれました。

 しばらく話を聞いているうちに、みんなが、ぼくのよく知っている、今までつき合ってきた友達とは、
まったく違っていることに気がつきました。それは、一つには、自分のこと、とくに遊びや趣味については
ほとんど口にしないで、他の人たちのことを心配したり、社会や国全体、さらには世界の平和や人々を幸せにする
ことばかりを話題にしていました。

 もう一つは、谷口雅春先生(編註。生長の家創始者)というお方をたいへん尊敬しているらしく、
『理想世界』(編註。青年向けの生長の家の月刊誌)誌を輪読しながら、「谷口先生の言われていることをいかに
実現させるか」などについて一所懸命に話していました。ぼくは、そのような同年輩の若者を今まで見たこともなければ、
話をしたこともありませんでした。

 ぼくはすっかり、みんなの素晴らしさにまいってしまいました。
「この人たちと一生、友達でいたい」と思いました。きっと感動的な人生がやってくるような気がしたのです。
このときからぼくは、生長の家を信仰するようになりました。

 しかし、「生長の家」が「宗教」であるということには、最初から強い抵抗感がありました。
ぼくにとっての宗教は、誰も手を差し伸べることのない、あわれな弱者のための「叶わぬときの神頼み」か、
間もなく死を迎えようとする人がほしがる「あの世行きのパスポート」くらいにしか考えていなかったからです。
宗教など若い自分には、まったく不必要なものだと思っていました。
そのために、自分が生長の家に入っていることを友達には言えませんでした。

つづく


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