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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板
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:
金木犀
:2012/05/03(木) 22:09:42 ID:wrF1mhWI
役行者様
保田與重郎翁を、とっても敬愛しておられると聞いたので、
保田與重郎翁の『日本の伝統』からの一部を謹写してご紹介します。
ご存知かもしれませんが。
寛容と偏狭
胡蘭成先生は、大東亜戦後の長い間、日本に亡命されていて、そのあいだの観察から、日本人は寛容だと申されました。これは『小学』の教えが行われていたからです。歴史的にみたこの日本人の寛容と、いまふつうに言っている国際観念の寛容とは違います。
日本には、むかし、儒教や仏教が入って来ましたが、何でも、来たものを平気で取り容れるというのが日本人の考え方や態度で、偏狭な態度はとらなかった。仏教が入って来たら仏像をつくり寺を建てる。この平気でということは、非常に大事なことで、何ゆえ平気だったかということです。これは「模倣が得意だった」というような、言葉の言いかえでは、問題の解決となりません。
支那人は、物事に対して大陸的で寛大であるといっていますが、文化や思想の歴史を見ますと、日本の方が、外来のものに対しては大様(おおよう)なのです。
八世紀の初め、日本では天平時代、支那では唐の時代ですが、唐の都の長安には、ヨーロッパや西南アジアから、いろいろな文物が入っています。芸術品とか工芸品が来ています。それらが、唐から日本にも入って来ました。聖武天皇が御使用になったそれらの輸入品を、天皇崩御のあと光明皇后が、東大寺に奉納され、それが現在、正倉院にそっくりそのまま残り伝わっています。正倉院だけでなく、東大寺の倉庫にも若干残っています。法隆寺にも、いろいろなものが伝わり残っています。法隆寺の文物は、天平時代よりまだ古い聖徳太子の時代のものもあると思います。
それらを見ますと、七、八世紀時代の西域からペルシャあたりの、一流品の優れた文物なのです。一流のものだけを日本にもって来たのか、また、日本人が選別して一流品のみしか受け容れなかったのか、この二つのうちのいずれかです。どちらにしても、一流品一番よいものを、当時の日本人が知っていた、手にしていたということ、これは間違いありません。
千二百年前の品で、こわれやすく焼けやすいものが、地上の木造倉庫で保管され、いまに至るまでそっくり完全な姿で残っているのは、世界中で正倉院の他にありません。地中の廃墟や墓の中から出土したものは、ずいぶん古いものもありますが、正倉院のように、たくさんの貴重品が、収蔵された日のまま伝わった例はどこにもありません。千二百年の年月のうちには、戦いにあけくれた乱世もあったのですが、盗難強奪もなく、火災もなく、無事に伝わってきたのです。
これは、日本の国柄(国体)というものを考える上で大事なことであります。正倉院は勅封といって、毎年天皇陛下の御使いが来て中をしらべ、また封をします。こうして千二百年へてきたのです。
正倉院の所蔵品は、当時の日本人が、その頃の世界で一番すぐれたものを選別し、大事に残したことの一つの証拠です。現在の日本でも、外来物を喜んで積極的に取り容れるところは、むかしと同じですが、選別という点では天平時代の先祖と違い、駄目な点が多いのは恥ずかしいことであります。
支那の知識階級は、思想の面では実に偏狭で、儒教が盛んな時代には、儒教以外のものは認めません。仏教も許容しない。唐の都の長安には、外国の人も品も沢山ありましたが、外来の思想は容れませんでした。ここは我国とちがうところです。このような支那の知識人の中でも、少しの例外があります。老子に心をよせた人々で、この人々を「黄老の仲間」といいます。この黄老の人達は、日本の芸術家や詩人に近い気風をもっていました。
日本人は、ものを受け容れて自分を失うことがないのです。自分を失うひとは、外のものを受け容れることはできません。他を容れることのできる人は、自分を失わない人であります。
近い時代の例では、明治維新の西郷隆盛です。隆盛は何でも受け容れた英雄ですが、自分を絶対失わない人でした。受け容れるというより、自然に化す。自分も風景も一つ、自分も他人も一つ、山も川も天地万物が一つであります。あの偉大な明治維新をつくった人々のうちで一番偉い西郷さんは、このような人でした。この人は「相安相忘」の見本のような大人物です。ものを取り容れるというのと、自然に化すというのとは、現象的に似ていますが、自然に化すのが、より高い境地といえます。
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