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生長の家政治連合と「今の教え」を考える

161志恩:2011/07/20(水) 04:59:17
山ちゃん1952様は、なんでもよくご存知でおられますね。

詳しい情報、ありがとうございました。戦後、日本政府は、GHQとつるんで、このような膨大な図書を焚書にし、売国奴行為をやっていたんですか。
それで,政府のみならず、それらを行った知性のある一般人達も、今は、上部の人間として平然と生きているとは、ひどい話ですね。


それから
トキ様がおっしゃるように、朝日新聞は「捏造記事」が多いということも、よくいわれていますよね。例えば「南京大虐殺」にしても小説から歪曲して事実であるかのように記事にしたり、「爆撃された上海駅・1937』の写真も「捏造写真」と証明されているのに、
嘘の写真を続ける。
一番問題にされているのは、国内の問題をわざわざ外国に出向き、その半分は捏造とも言える内容を外国人に焚き付け、故意に外交問題に発展させるようにしたりしてる事実。そこまでして金儲けしているメディアは,朝日新聞しかないそうですね。
国賊新聞ではないでしょうか。

谷口雅春先生は、朝日新聞 = 赤旗(共産主義の新聞、最左翼新聞)と、公然とおっしゃっておられました。

なのに、雅宣先生は好んで 朝日新聞、日本経済新聞から様々な記事を引用されてブログに載せています。その思考回路もやはり、最左翼頭脳の証ですね。

162トキ:2011/07/20(水) 19:52:50
<口上>

証言 村上正邦 ー我、國に裏切られようとも (魚住 昭 著、講談社 2007年10月10日)

の一部を紹介します。村上氏は、言うまでもなく、生長の家政治連合の当事者のお一人であり、
その証言は、貴重なものです。以下、数ページを使いますが、ご了承のほど、お願い申し上げ
ます。

163トキ:2011/07/20(水) 19:56:41
(以下は村上氏の著作からの引用です。生長の家政治連合から出馬していた玉置和朗氏の動向
から始めます)


ところが、二月に入って思わぬ事態が起きた。玉置が参院から衆院へのくら替えを表明した
んです。玉置は生長の家の組織票で過去三回の参院全国区に当選してきた男です。それが衆院
にくら替えするということは、生長の家との関係を断絶させることを意味していた。
 そうなった理由はいくつかありますが、結局のところ、生長の家と玉置の間の溝が埋めよう
がないほどに大きくなってしまったということでしょう。

 直接のきっかけは、前年八月に参院全国区制度改革のための公選法改正案が成立したことで
した。全国区の選挙には大変な金がかかる。候補者は全国をかけずり回って体力を極端に消耗
させる。これではいけないというので全国区をやめ、比例区を導入したんです。
 この制度改革の旗を振ったのが玉置でした。それを教団側の一部の幹部が「玉置は自分の利
益のために勝手に制度を変えたんだ」と誤解したんです。
 それに比例区の名簿順任は候補者が獲得した党員数や党への貢献度で決まるので、当選させ
るには、生長の家の誌友(信徒)を自民党の党員にしなくてはならない。信徒が党員になれ
ば、生長の家は自民党の下部組織になっていく。それは教団側にしてみれば宗教組織の根幹に
関わる問題だったわけです。
(p157~158)

164トキ:2011/07/20(水) 19:58:47
玉置が教団と絶縁した理由はもう一つあります。これは教団の三代目である谷口雅宣さんの
玉置に対する不信感なんです。
 二代目総裁の清超先生は初代の雅春先生の実子ではありません。若いときに肺結核にかかり
『生命の實相』を読んで救われたのをきっかけに生長の家に入られて、教団の雑誌、出版物の
編集をしておられた。
雅春先生の原稿を毎日取りに行く。そのとき玄関に出て応対されたのが、雅春先生の長女で
ある恵美子先生なんです。お二人が結婚されて雅宣さんが生まれた。雅宣さんは青山学院大を
卒業して産経新聞の記者になった。
 ところが雅宣さんは支局勤務のままで、すぐに本社の政治部に上げてもらえなかった。それ
が玉置の差し金じゃないか、雅宣さんが政治部に果て玉置の政治的動きを全部知られたら困る
から、玉置が圧力をかけて本社に上げないようにしたのではないかという俗っぽい話になって
いるようだと、当時、玉置がぽやいていました。
 もちろん玉置はそんなつもりは毛頭ないと弁明したが、そのうち雅宣さんは産経を辞め、教
団に帰ってしまった。まもなく私と玉置は教団の全国教化部長の会議に呼ばれて、
「なぜ勝手に選挙制度を変えたんだ」
 と幹部たちからやり玉に挙げられ、雅宣さんからもお叱りを受けた。その時、私が前面に立
って、
「そうじゃないんですー・」
 と弁明しました。玉置自身は制度改正をよかれと思っていたし、私もそう思っていた。独断
でやったわけではない。生政連で機関決定して進めたことなんです、と説明しても教団の不信
感をぬぐえなかった。
 ちょうどそのころ、かつて玉置がつかえた早川崇先生が病死して、和歌山二区の後継者の話
が持ち上がった。それで玉置は、
 「生長の家からそんな糾弾を受けるくらいなら、俺は衆議院に行く」
 と決心して、その直後に衆院選で無事当選を果たした。
(p159~160)

165トキ:2011/07/20(水) 20:00:26
 昭和五十八年(一九八三年)二月に玉置が衆院へのくら替えを青書してから三カ月後には、
前に述べたように優生保護法の改正案も成立の見通しが立たなくなりました。さらに同年六月
に行われた参院選では玉置の後継者として生長の家が送り出した寺内弘子さんが次点で落選し
てしまった。寺内さんは玉置の秘書だった人で、玉置が参院からくら替えするときに「寺内は
必ず当選させる」と教団に約束した経緯があった。
 ところが自民党が彼女を比例名簿の二十一位にしか載せなかったので落選の憂き目に遭っ
た。これで玉置や党に対する教団の不信感がさらに募ったんです。
 生政連は昭和五十八年の八月十五日、ついに活動停止を宣言しました。つまり教団が政治と
の絶縁を宣言したわけです。
(p160)

166トキ:2011/07/20(水) 20:02:17
生政連が活動停止を宣言してから数日後、京都府宇治市にある生長の家の別格本山で孟蘭盆
会がありました。その折、私は清超先生にこう言われました。
「あなたの今後のことは、中曽根さんに頼んでおいたからね。中曽根さんは、ぜひあなたを中
曽根派に欲しいと言っている」
 私は、
「はい。ありがとうございます」
 と答えました。私は雅春先生や清超先生の絶対的な信頼を受け、あふれるような愛情で育て
られた政泊家ですから、教団の指示は「はい」とお受けするしかない。
 このとき清超先生は、生政遵は解散するけれども、生長の家の福祉団体の理事としては残り
なさい、次の選挙のときに生長の家推薦と書くのは構わないとおっしゃられた。 
(p161)

167トキ:2011/07/20(水) 20:04:51
生長の家は政治と絶縁しただけではありません。昭和六十年(一九八五年)に初代総裁の谷
口雅春先生が亡くなられて二代目の清超先生が後を継がれると、三代目候補の雅量さん(現生
長の家副総裁兼総裁代行)の主導権がそれまで以上に強くなった。そして雅宣さんは初代の雅
春先生の教義についての解釈自体まで変えていったんです。
 雅春先生は大東亜戦争は聖戦であり、明治憲法を復元すべきだと訴えておられたが、雅量さ
んは明治惹法の復元どころか改憲も主張しなくなった。挙げ句の果てにはあの戦争は侵略戦争
だったから日本がアジア諸国に謝罪するのは当然とまで言うようになった。
 そのうえ雅春先生が善かれた政治に関わりのある書籍も一部絶版にしてしまった。『我、誰
よりも国を愛す』などの良書がたくさんあったんですが、それが全部、絶版になったんです。
 こうした生長の家の路線転換に生政連や生学連(生長の家学生会全国紙連合)などを拠点に活
動してきた人たちが反発した。彼らは雅春先生の教えを勝手に変えるのはおかしいと訴えた。
でも雅宣さんから見れば、従来の生政連は実質的に玉置和郎中心の路線だったから、その路線
で突っ走ってきた活動家たちを信用できない。それで「こいつらはダラ幹だ」とか何とか言
って切ってしまうわけです。

(p167)

168トキ:2011/07/20(水) 20:07:04

 私の場合は二代目の谷口清超先生のご厚意で、当初は生長の家の福祉団体の理事として残り
ました。それで、次の選挙のときには今までのように、組織的な応援はできないけれども、生
長の家推薦ということは了解するよと清超先生がおっしゃってくださった。
 だから私は生長の家推薦で二期目の参院選挙(昭和六十一年七月)を聞いました。一期日の
ように生長の家の組織を挙げての応援は受けられなかったけど、信徒の皆さんが自ら自民党貞
になってくださったから、私は比例名簿の六位にランクされて当選を果たすことができたんで
す。心ある生長の家の信徒の方々は、私が選挙で地方に行くと、「先生、がんばってね」とた
くさん応援に来てくれました。
 しかし、その後、三代目の雅宣さんの意向が強くなって、政党とは一切、一線を引くという
厳格な方針が出されたため、私は生長の家の推薦を受けるどころか、教団に行くことさえもで
きなくなりました。
 平成七年(一九九五年)に私が参院幹事長になったときも、ご挨拶に清超先生を訪ねました
が、会わせてくれない。もちろん講習会に行くことさえも、誇習を受けることさえも拒否され
た。政治家・村上正邦はね。
(p169)

*以上が村上氏の証言でした。なお、文中、「私」とあるのは、「村上氏」のことです。

169トキ:2011/07/20(水) 20:10:22
>>167

×雅量さん
◎雅宣さん

×明治惹法
◎明治憲法

ごめんなさい。お詫びして、訂正いたします。

170トキ:2011/07/20(水) 20:16:10
>>168

×聞いました。
◎闘いました。

×自民党貞
◎自民党員

ごめんなさい。お詫びして、訂正いたします。

171山ちゃん1952:2011/07/20(水) 20:50:37
志恩様

私など勉強不足で知らない事ばかりで恥かしい。
自分で調べる場合が多いのですが、抜粋も多いです。現在は「陵墓」関係と万葉集
を調べています。万葉集はやはり山口悌治先生の影響ですね。

大和三山と藤原京と橿原を中心とした歌、初瀬川や山之辺の道を中心とした万葉歌は
なんとも云えません。

172志恩:2011/07/20(水) 23:10:49
山ちゃん1952様

「万葉の世界と精神」(前・後)ですね。深いですよね。山口先生は、学者でもいらした。
山口先生の目黒区にあったご自宅へ遊びに伺ったことがありますが、壁という壁、床という床、難しい単行本で
埋まってました。本でできたカマクラのような中で、お話させていただきました。

173ぼるぼ:2011/07/20(水) 23:52:25
村上正邦さん、昨年5月に刑期満了して社会復帰されたんですね。
もう、79才になるんだ。

僕は全く面識がないんですが、ユニークな政治家だとおもいます。

Wikiによれば、

東京拘置所拘置経験者である鈴木宗男・佐藤優とともに奈良県吉野を訪れ、後醍醐天皇陵を参拝して再起を誓った後、鼎談する様子が放送された。また山田洋行事件で逮捕された守屋武昌にも逮捕後に差し入れをするなどして人脈を広げている。これにより、逮捕・起訴されて刑事被告人と自分と同じ境遇を受けた鈴木宗男・佐藤優・守屋武昌ら様々な分野で政官界の舞台裏を知りうる主要人物と人脈ネットワークを構築している。

とか。転んでもタダでは起き上がらないタフな精神を持っているなあ。

ぼくが飛田給を出て、国際組織をつくろうとしたことがあった。その際、生長の家有力者の協力を得たいと思って、玉置さんの事務所を訪ねたことがありました。

玉置さんは、自分は自民党の政調会長で、とても偉いのだ、と態度であった。

その後、原宿の本部にいたとき、たまたま玉置さんがやって来て、僕をみるや、向こうから握手を求めてきた。

政治家の二面性を見て、こんなもんかなあ、と思ったものだ。

永田町は魑魅魍魎の住む世界で、ぼくはあんまり近寄りたくはない。

でも、今、日本が潰れそうな時なので、どうしても生政連の復活が必要だとおもう。

174ぼるぼ:2011/07/21(木) 04:15:41
訂正、今調べたら玉置氏は党3役をやった形跡はないね。当時、総務をやっていた、ということがわかりました。

あんまり偉そうだったもんで、僕の記憶が勝手に捏造したようです。

で、そのころ、志恩さんとは生で本部廊下あたりですれ違ったかもね。

175志恩:2011/07/21(木) 07:22:57
ぼるぼ様

はい。玉置和雄先生も村上正邦先生(秘書時代)も、まめに本部にいらしてましたから、何度もお見かけしていました。
玉置先生、当選後、玉置先生の参議院議員会館事務所へ、なにかの用事でおっぱさんに連れて行ってもらったこともありました。

女性秘書の寺内様は、やりてで男勝りの「仕事人」という感じの人でしたが、トキ様が載せてくだった記録により、後に選挙にも立候補して落選したことを知りました。

でも、私がお見かけしていたころの先生方は、まだ初々しい感じでね。後にテレビで拝見するような「政治家」らしいかっぷくのいい威風堂々とした感じは、まだありませんでしたよ。

私は、当時からほんとは政治関係は、あまりすきじゃなくて。向き向きがありますからね。

176志恩:2011/07/21(木) 09:01:10
ぼるぼ様

ぼるぼ様が、体験されたように議員会館でお会いされたときは、地位のある政治家の顔になり、本部にいらしたときは、腰が低くく 握手を求めてくる
やさしいおじさんの顔になるというのは、昔からそうでした。

そういう二面性がないと、政治家はできないのでしょうね。そう魑魅魍魎の世界。

177トキ:2011/07/21(木) 10:05:05
 別にスレッドで「統一教会」のネタを書きましたが、政治に関連する事なので、
続きをこちらで書きます。

 元統一教会の幹部と話していて、統一教会があまりにも反社会的、違法行為を
常習的に行っているのを知り、驚いて

 「なぜ、そんな団体の存在が日本で認められているのか?」

と言った事があります。その元幹部の返答は、

「統一教会は、日本、韓国の政治家に深く食い込んでいます。
ですから、日本と韓国の間に問題が起こった時に、通常の外務省のルート
では解決できないような場合でも、独自に解決するだけのチャンネルを
もっているのです。それがあるので、政治家も統一教会をつぶせないので
す。」

と話していました。

 ただし、これは小泉政権以前の話です。ですから、最近になって、竹島の
問題など、日韓関係が緊張関係になる場合が多いのは、こういう背景がある
のかもしれません。

 しかし、短期的には、こういう「裏技」で問題が解決できたのですが、
長期的には、不明路な方法での解決は歴史に汚点が残ると思います。その意味
では、やはり、正々堂々、言うべき事は言う、という王道での対応が必要かと
感じました。

合掌 ありがとうございます

178山ちゃん1952:2011/07/21(木) 10:09:56
志恩様

山口悌治先生は昭和10年から生長の家本部に勤務して『中のこころ』『万葉の世界と精神』
歌壇選評の『いのちを詠ふ』の三冊教文社から出版されていますね。

歌壇においては第一人者であり、優れた才能の持ち主だと言わざるえません。

>山口先生の目黒区にあったご自宅へ遊びに伺ったことがありますが、壁という壁、
床という床、難しい単行本で埋まってました。本でできたカマクラのような中で、
お話させていただきました。<

皆んなそんな暮らしをしているのです。必死に学習し、その旋律を詩にされていたのだと
思います。

森田先生や安東先生もそのような暮らしですね。以前の青年会の諸先輩は皆沢山の本を
読んでいました。

昔の人は必至になり学習し、それを行動に移していたのです。

179志恩:2011/07/22(金) 00:31:17
山ちゃん1952様

返信、遅くなってすみません。
山口先生のこと、詳しく教えて下さってありがとうございます。

先生は、昭和10年から生長の家本部に勤務されてたとは,存じませんでした。私が,生まれるず〜と以前からW
私の場合は、昭和30年代半ば過ぎからでした。

山口先生は、雅春先生のご高弟でいらっしゃるのに、やさしくて謙虚なご性格で人格的にも非常にすばらしい先生でしたので、全職員からも敬愛されてました。

日本教文社から3冊も、著書を出されていたんですね。私は「万葉の世界と精神」しか持ってなくて。

余談ですが、山口先生は、2月29日の閏年(うるうどし、4年に1度しか巡って来ない)生まれでしたから、60才の誕生日のとき
パロディで、皆でちょっとした15才のバースディ祝いをしてさしあげたことがあります。先生は、その様なちょっとした「ふざけ」にも乗って下さり、
一緒におもしろがって下さる心の広さの持ち主でもおられたんですよ。

180トキ:2011/07/22(金) 11:39:45
玉置和郎の遺言(元秘書 樋口常雄氏著 飛鳥新社発行 昭和62年7月31日)
という本があります。

 玉置氏は、生長の家政治連合推薦の議員です。彼の政務秘書官だった方の回顧録です。
内容は政界の内情話で、生長の家政治連合に直接触れる部分は少ないですが、いくつか
気がついた事を書きます。

 玉置氏は、「田舎の商業学校から、給費学生として北京の中央鉄路学院本科を出て、兵隊。
さらに予備士官学校卒、すぐ終戦帰国、闇屋から24歳で社長。倒産3回。党本部へ。」
(商業学校、予備士官学校ともにトップの成績だったらしい)というやり手の人間でした。
それまでの生長の家政治連合推薦の政治家が、生粋の生長の家の人で、紳士的な方が多かった
のに対し、彼は「票が目当て」で生長の家に接近した人だったようです。しかし、政界内部
では相当なやり手で、谷口雅春先生は、彼の人格ではなく、能力とか行動力に期待された
のではないか、と思います。

 彼はバツグンの集金力を持っていたようです。が、田中角栄と違い、生長の家信徒の方々
から「広く、薄く」集めたので、法律に触れるお金の集め方ではなかったようです。

 かって「KDD]事件という大汚職事件がありました。KDDの経営陣が政界などに賄賂を贈り
かつ自分達も会社の経費を私物化し乱脈を極めていたという事件です。この時、KDDの社長秘書
だった人物もマスコミに糾弾されました。彼は玉置氏と同郷で、奥さんが生長の家の信徒だった関係
で、玉置氏も懸命に彼のために尽くしますが、最後に「メモ」を遺して自殺します。その内容は、
当然、政界工作の一切を書いたもので、これを玉置氏が持っている事から、政界では玉置氏は
いきなり大変な発言力を持つようになります。それ以外にも、玉置氏は各種の政界スキャンダルの
証拠を集め、それを公表しない形で、与野党の政治家に圧力をかける事で、隠然たる力を持ちます。

 こういうやりかたは、当然、彼の評価を下げ、同時に、生長の家の評価も下げる事になります。

 ですから、生長の家本部では、彼に対して、相当な反発や不満を感じていたと言われています。

 あと、中曽根氏への敵意は有名でしたが、実は、中曽根氏は谷口清超先生と東京大学の同級生
で、二人は仲が良かった、という話も村上氏の本にあります。

 なお、最後、玉置氏はガンになります。死期を悟った玉置氏は、今までの行きがかりを捨て、
中曽根氏に全面的に協力する事を約束し、今まで集めた政界スキャンダルの資料も全て処分し
封印していた大臣にもなり、最後まで自分の政治課題の実現のため、活動をされています

合掌 ありがとうございます

181復興G:2011/07/22(金) 16:08:40
こちらのスレッドに初めて参加させて頂きます。
> 50 :山ちゃん1952:2011/06/26(日)
> ・・・・生政連をどうして「谷口雅春先生」が発起されたかということです。

 ──それについては、『生長の家四拾年史』に、次のように書かれています。

──────────

   「国家の成仏ということ」

 昭和38年2月28日、第13回生長の家全国代表者会議を開き、第一次五ヵ年計画最終年度の運動方針を決定した。そのとき総裁谷口雅春先生は結語として次のように述べられた。

「“人間神の子”を説く宗教は他にもある。“肉体も環境も心の影”と説く宗教もある。万教帰一だから根本は同じである。だがそれでは、とくになぜ生長の家が出現したのか。生長の家の神は住吉大神である。その住吉大神が、なぜ今ここに、日本の国土にこの時期に現われ給うたのか。そこが非常に大切なところである。
 『古事記』に示されるごとく、住吉大神は天照大御神の御誕生の直前に現われられた。最後の宇宙浄化の働きとして、宇宙の大神が住吉大神と現われ給うたのである。天照大御神の御誕生とは、日本の実相の誕生ということである。日本なるものの魂が具体的に宇宙を照らす光となるということである。この直前に、最後の浄化の働きとして住吉大神が今ここに現われ給うたという、ここに生長の家出現の真意があるのである。
 ただ単に、人間は神の子であり、物質はない、肉体はない、病気は治るという、それだけのことではないのであって、天照大御神の光が宇宙に天照らすべく、天皇陛下の御稜威を発現せしめて、日本の国を救い、世界を救うというところに、生長の家出現の本当の意義がある。
 したがって、たんに個人の救いにとどまらず、宗教的自覚をおしすすめて、国家の成仏、人類全体の成仏、宇宙の成仏というところまでゆかなければならないのであって、そのひとつが政治活動なのである。」

 この総裁先生のお言葉のなかに、生長の家の政治活動のすべてが語られる。この翌年の39年3月に第二次五ヵ年計画をうち出したが、その中心課題を国家と政治の基本の確立とその理念の顕現においた。総裁先生のこのお言葉を基にしたことはいうまでもない。そして生長の家政治連合(以下生放逐)はこの第二次五ヵ年計雨の一環として結成をみたのである。すなわち、日本の実相顕現を政治の面から推進してゆこうとするのが生政連なのである。

 もちろん「日本の実相顕現」はこのとき突如はじまったのではない。立教の当初からすでに示されていた。昭和7年5月27日の「久遠天上理想国実現の神示」、同年9月2日の「実相金剛身の神示」、翌8年1月6日の「梅の花の神示」、そして戦後では20年11月27日の「終戦後の神示」、同年12月28日の「日本の実相顕現の神示」、「君民間治の神示」等々はすべて日本実相顕現の神示である。また昭和8年1月、東京最初の講演会で、総裁先生は「中心に帰一する道」を説かれ、昭和10年11月に第1回天講習会が聞かれたときも、先生は『古事記』の御講義を中心にされたのである。・・・・

──────────

> 147で
 ぼるぼ様が 投稿してくださった

「護国の神剣ー生政連讃歌」
なつかしい歌ですね。有名な作曲家 黛敏郎さんが作曲された力強い歌で、私は今でも歌えますよ。

182復興G:2011/07/22(金) 16:14:17
> 181
×生放逐
○生政連

です。(OCRが誤読していました)

183復興G:2011/07/22(金) 16:24:39
> 181
まだほかにも誤読があるようですね。ごめんなさい。
例:
× 第二次五カ年計雨 → ○ 第二次五カ年計画
× 君民間治の神示 → ○ 君民同治の神示

184トキ:2011/07/22(金) 16:54:36
復興G様

 『生長の家四拾年史』は現代では入手が難しい資料ですから、読者には貴重な内容だと思います。
ご提示、ありがとうございます。谷口雅春先生の燃えるようなお気持ちがわかるようなご文章だと
思います。

 生長の家政治連合と言えば玉置先生や村上先生が有名ですが、他にも重宗雄三先生や横山フク先生
など、立派な先生が多数おられましたね。当時の事をしる人が少なくなっているので、ご存知の方の
積極的な投稿を期待しております。

合掌 ありがとうございます

185ぼるぼ:2011/07/22(金) 17:38:11
僕は、雅春先生なら生政連の活動を停止しなかったと思っている。

雅春先生が総本山に移住し、実権が完全に清超新総裁に移った結果であった。

玉置氏は和歌山2区に鞍替えを果たしたものの、わずか4年後に64歳という若さで病死した。

政界の風見鶏といわれた中曽根氏に接近したのも間違いであった。以前この掲示板にも書いたが、渡部昇一さんの指摘するように、我が国が不自然に中韓にぺこぺこする原因を作ったのがほかならぬ中曽根内閣時代の国会質問であったからである。

すなわち、土井たか子の質問にたいして、外務委員だった小和田氏が、サンフランシスコ講和条約を無視して、東京裁判史観をもって内閣了解事項とするとした売国的答弁をしたのであった。

これが今日まで踏襲されている。

復興Gさんが紹介してくれた生政連の理念がある以上、今日の日本においてそのような生政連が再建される必要があります。

186復興G:2011/07/22(金) 18:11:41
> 180 :トキ様

 貴重な資料をいろいろと教えていただき、ありがとうございます。

 最初、玉置和郎氏は「票が目当て」で生長の家に接近したのでしたが、生長の家の信徒たちが、谷口雅春先生の推される人なのだからと、熱く燃えて命がけの選挙運動をしてくれる、その清らかな目に感動し、滂沱とあふれる涙を抑えられなくなるような体験をした。それから真剣に『生命の實相』などの聖典を読み、生長の家信徒になった──ということを書いた『善人よ強くなろう』という新書版の本(日本教文社刊)が爆発的に売れ、それも大きな推進力になって、昭和40年7月の参議院全国区では85万5千票余りを獲得し、夕刻の、一番多くの人がテレビを見ている時間帯に、「全国区第1位 玉置和觔 生長の家推薦」と報道され、バンザイ、バンザイと沸き立ったことを思い出します。最終的にはトップ当選ではなく、第3位でしたが。
 その3年前昭和37年には30万票で惜敗(落選)だったのが、3年後に3倍近くの票を獲得できたということですから、いかに生長の家信徒が谷口雅春先生の願いにお応えすべく“しゃかりき”になってがんばったかがわかります。

 この生政連は会長が田中忠雄氏、事務局長には大峡儷三(おおはざまれいぞう・「れい」の字にはにんべんがつきます)→ 小山孝雄 → 高森晴雄 → 小倉昌人 氏が事務局長を務められたと思います。

 しかし、現象界の政界は魑魅魍魎の跋扈する世界のようですから、宗教団体が純粋な動機を保ちながら政治活動にかかわることは、容易なことではなかったのですね。

 谷口雅春先生は、「聖胎を長養する」ために、政治活動は凍結するというお言葉を『聖使命』紙に発表されたと記憶しています。

 この生政連の政治運動は、なぜ凍結されなければならなかったのか、私もそれを考えてみたいと思います。

187<削除>:<削除>
<削除>

188復興G:2011/07/23(土) 09:50:28

 明 窓 浄 机(昭和49年12月号『生長の家』誌)
                     谷 口 雅 春

<2>
○生政連の参謀室からは、詳細なる理由を挙げた上で、次のやうな献言が来てゐた。
『以上から判断して、
 1、正攻法では全く当選の見込み両氏ともなく、泡沫候補扱ひを受け、生長の家の誌友も、また候補者本人たちも、余りにも惨めな思ひをすること。
 2、参院選で受けた恩を仇で返すといふ、信義を失ふ結果になること。
  (参院選で吾々の候補を応援して下さつた国会議員諸氏と同じ地盤で票の争奪戦をすることになり、どちらの候補も落選のおそれがある)
 3、教勢発展に支障を来たし、生長の家をやめてゆく者が続出するであらうこと。
 (選挙疲れのため選挙が厭になつてきてゐる)
 4、それでも強行するとすれば、一候補当り五億円の金を用意しなければならぬこと。生政連本部では参院選中の借金が皆済されてゐない現在、十億円どころかその十分の一も金策できる現状ではないこと。さらに泡沫候補だから自民党公認はとれないため、党や派閥からは金が出ないこと。
 5、仮に信徒の熱意で金が出来たとしても、殴り込み戦術だけに、周囲や色々の人間関係に摩擦や相克を生じてそれがさらに教勢に大きなマイナスになること。
 等々の理由から、今回の衆議院出馬は無理であり、ぜひ見合はせて戴きたいと思ふのであります。衆議院を狙ふなら、公明、共産のやうに、まづ地方議員を大量に育成し強化し、生政連の地盤を固めてからやるほかありません。そのためには急いでも最低五年の準備歳月が必要であります。
 ところが総裁先生が最近の最高首脳者会の席上、田中、村上両氏を衆院選に出馬させると発言せられたので、総裁先生のご命令なので、ハイと素直に受ける他なかつたのですが、勝算は全くないこと、金策もたたぬこと(村上君はこんどの選挙で五百萬圓ほど借金を残し、その返済に目下苦慮してゐる状態です)そしてさらに、勝算のない選挙を実際にやる地元の生長の家幹部が気の毒でならぬことなどを考へ合せて、本心は辞退したい気持でをりますが、御命令に背くので、それも申し上げられないといふのが現在の実情です』
 以上流石に生政連の参謀室は其の道に詳しいのである。

189復興G:2011/07/23(土) 09:55:51

 明 窓 浄 机(昭和49年12月号『生長の家』誌)
                     谷 口 雅 春

<3>
 村上氏を立候補させることにした愛媛県の白鳩連合会長の寄野美枝さんからは次のやうな手紙がが家内宛に来てゐた。
『合掌 ありがたう御座います。
 御奥様、御見舞ひも申し上げませず失礼をいたしてをりますことを御許し下さいませ。実は私も選挙のあと、すぐ入院いたしまして、只今は大変よくなつてをりますのですが、医者は、数字的(血圧と、糖尿)に見ますものですから、一切を白紙から、出なほすつもりで素直な気持になつてをります。ところがどうしても、心境を御報告、申し上げておかねばならぬ事が起つて參りました。
 それは例の村上正邦先生を愛媛の一区から、出すことについてで御座います。私が此の事を人の噂によつて知つたのは九月六日で御座いました。其の時の私の驚きやうは、血圧も下つてをりましたのに一ぺんにはね上り二百六十にもなつた程でした。早速、息苦しい中から、本部、生政連へ電話させて頂きました。愛媛一区の松山は、愛媛県でも一番弱いところで此の地域の人達を引張つて行くのに、どれほどの苦労をしてゐるか、とてもお話にならない位です。其の上現状を分析いたしますと、前回生政連から推薦いたしました塩崎代議士と、共食になつてしまふのです。まだ其の上、社会党か出る湯山勇氏は党籍は社会党ですが、松山の婦人等、教育者たちに熱狂的な人気があり、革新ぎらひの人々でも湯山さんだけは別問題だと言つてをり、前々回知事選に出馬した時などわづかの差で惜敗したが、大多数の票を松山の婦人票で取つたほどでした。又聞くところによると菅太郎氏が出ないので其の地盤を頂くさうですが、とても三分の一もむつかしいであらうと言ふのは誰しも知つてゐる事で御座います。
 一応此の実情を大峡事務局長に申しましたところ、大峡局長の申されるのに、生長の家十月号、明窓浄机を拝読したか?(六日では地方は届いてをりません)とにかく明窓浄机を拝見して下さいとの事でした。待てど暮らせど今月に限つて、おそいのです。私は、其の夜から寝られない幾夜を過しました揚句、悩みに悩み抜いた結果、或る夜明けハツとして神の声なき声を聞くことが出来ました。
(つづく)

190復興G:2011/07/23(土) 09:56:29

 明 窓 浄 机(昭和49年12月号『生長の家』誌)
                     谷 口 雅 春

<4>
(愛媛県の当時白鳩連合会長の寄野美枝さんからのお手紙のつづき)
 現象的に分析したならば常識で考へたなら、どんな手を打つても勝目のないやうに見える事も、又個人的には塩崎代議士など一緒に同行して各家を訪問した際、私の肉体では、足が、もう一歩も進まない程、自動車のドアを開けて下さつても後から押して貰はなかつたら座席に乗れないほど、ヘトヘトになるところまで歩いて頂きました。そんな事何回となくくり返しました。たつた昨日まで塩崎先生、此の御恩返しは次の衆議院選で返礼いたしますからと、口を揃へて言つてをつた矢先、今度は、其の人と戦ふ、こんな事が、人間として、出来る事であらうか。
 「此のやうな、苦しい事も、顔の悪くなる事も、都合の悪い事も、皆、切つて捨てて無條件で、中心に帰一する事だよ」此の声なき声に、ハツとして起き上りました。そして、今まで悩んだ事は、ほんたうにすつきりといたしました。大きな壁にぶつつかつて大きな風穴が開いたやうに、身も心も一ぺんで軽くなりました。
 さうしましたら不思議なことに、其の日の午後、「生長の家」誌を手にした塩崎代議士夫人が、東京からかけつけました。そこで私は初めて総裁先生の御筆を拝読させて頂きました。併し私の心は、六日に生政連へ電話した時とは打つて変つて、澄み切つた青空のやうな気持でしたから、私は塩崎夫人の前へ頭を深々とたれまして、「つい先日までお世話になつた私達が、今度はお宅様と競ふやうな事になりまして誠に申わけないと存じますが、個人の立場としたならば到底、出来ることではないと思ひますが、愛国の至情に立つて、中心に帰一する立場としては、私は生長の家をやめる事は出来ないのですから、何卒御許し下さいませ。貴女のお気持は判りすぎるほどよく判らせて頂きます。どうかお気の済むやうに、なさつて下さいませ」と、頭をたれたまま涙ながらに申しました。
 さすがに塩崎夫人も御教を頂いてをられる方だけに涙を浮べてまた逆に、私を、いたはり激励して、お帰りになりました。それはそれは美しい光景で御座いました。さて此の程度ならば何も事更に手紙にまでしなくともと思ひましたが、明窓浄机をよくよく拝読させて頂きますと、やはり一応は、現象面のことも申し上げておいてなほ其の上で、私の無條件のハイが、松山の至極おとなしい、割合ひ消極的な人の多い信徒の一人一人に、此の心を伝へて行くことが出来るか、私も、ひたすらな精進を続ける覚悟でをりますが、どれほどの奇蹟が現れるか、唯々、結果は神様にまかせて、松山の信徒の一人一人に勇気の湧いて来ることを祈りつづけてをります。拙い筆で御座いますが、御奥様から、親しく総裁先生にお話し申し上げておいて下さいませ。再合掌
   寄能美枝
 谷口輝子御奥様御前に』

191復興G:2011/07/23(土) 09:57:10

 明 窓 浄 机(昭和49年12月号『生長の家』誌)
                     谷 口 雅 春

<5>
 この手紙は涙なしに読むことはできないのである。私の我武者羅な注文のために、高血圧になり、入院まで寄能さんにさせたことは、まことに申訳がないと思ふ。寄能さんひとりではなく関係方面に色々の迷惑をかけてゐることだと思ふ。ここに皆さんにおわびする。この位の事がわからぬ位ならば解散してしまへと木間さんはいはれる、それは私に、生政連関係の仕事をやめて引込めといふ神様の言葉だと私は受取るのである。しばらく私は住居を東京から僻遠の小村に居を遷して国の中央部とは遠ざかることになつてゐるのも神さまのお指図であると思ふ。
 私は本誌にも、他の市販の政治雑誌にも、次期衆院選に田中、村上を出馬させると公表したのに、それを今更とり消する、私の面子は丸つぶれであるけれども、私は政治方面の天分など持ち合はさないのだけれども、国家の危機と、年間三百万人殺される胎児のことを思ふと止むに止まれない気持で、政治方面にここまで努力して来たのである。しかし生政連もここまで育つて来て、私のやうな素人が口を挿まないでも一人立ち出来る錚々たる人物が中央には数人はゐるからこれらの人々に委せておけば大丈夫だと思ふ。私が生政連関係の仕事に嘴をはさまないことにしても信徒及び誌友諸賢は生政連から後退しないやうにして頂きたい。現在の日本国は思想や国民の精神状態から見れば開闢以来の一大国難の秋なので、その国難を支へる宗教、政治、思想団体といへば、まだ力が充分発揮できないが、生長の家のみであるからである。
○田中、村上が衆議院出馬を断念した場合、三年後の参院選をどうするかといふ問題が残ります。この両氏に玉置、鹿島を加へて四名では三年後の参院選には、生長の家の資力からは勝算がないので、なんとかこの四人を生かしてあげたいといふので、この四名を二つに分け、二人を先づ衆院に出馬させ、残りの二名を三年後の参院選に出馬させれば、無理なしに四人の国会議員が生長の家から出て、それだけ発言権が増え、優生保護法でも通過させ易いし、一且、吾々が推薦した味方の人たちを彼を推薦し、此れを推薦しないといふ不公平を無くしたいといふ愛念からであつたのである。しかし、智慧なき愛念は結局、選挙関係の信徒及び誌友たちを精神的に苦しめて、高血圧で入院までする人までも生じました。「心、全相に達せざるを迷ひといふ」と大乗起信論にある通りです。
 そこで田中忠雄氏に立候補をやめるやうに説き、三年後の参院への出馬をも断念して頂いて、生政連会長として本部に残つて、後進の指導にあたつて頂くと同時に、従来の天分である禅学の完成に邁進して頂くやうに致しました。田中忠雄氏は、落選の時点では、私の勧めで衆院選に出馬を決意されましたが、現在の心境は、国会議員の泥仕合の中に自分を汚すよりも、座禅に徹し、明鏡止水の心境を取り戻して道元の研究の大作に取り組みたい心境になつてゐられる。
 作家の林房雄氏は参院選では田中後援会長をせられたが、田中氏の出馬を最初から反対で、政治家にするのは惜しい人物で、落選してよかつたと喜んでゐられる由で、誌友の評判でも「田中さんは政治には不向きだ。七十歳を過ぎてしかも新人として衆院選に出ることなどは無謀だ。学者的風貌があり、程度が高い点があり、それが一般になつかしがられないし、少しであるが村上票より少なかつた原因だ。候補者はもつと程度を下げて大衆に親しまれるところまでゆかないと、全国区でさへもこのやうに票が辷る。これが地方区しかない衆院選では、とてもだめだ」といふことが一般の声のやうであつた。三年後の参院選では、尚老齢といふことになり、信徒の運動意欲が喪失するので、さらに票が辷り、こんどのやうに五十万票を得ることは不可能だらうといふ人もある。かうして私も誌友及び信徒の先輩に教へられて、選挙といふものの実態が大分わかつて来たのである。
 田中忠雄氏を生かす道は、もっと他にある。ある人は、田中氏の禅学の蘊蓄に大いに期待して、今後静かに退いて、道元禅師の全著作の決定版と、その完訳版並びに解説といふ大掛りの大事業を生涯賭けてやつて頂きたい。その方が、僅か二人が国会に出て、国会議員一年生では、あまり発言の機会も与へられないし、発言しても用ゐられない状態でゐるよりは、その方が余程、日本国家のためになるといふ人もある。十目の見るところ、十指の指さすところ、誠にそのやうに考へられるのである。

192復興G:2011/07/23(土) 09:58:23

 明 窓 浄 机(昭和49年12月号『生長の家』誌)
                     谷 口 雅 春

<6>
○村上正邦氏については、本人はまだ若い(四十二歳)し、将来があり、政治家として大成する素質と、伸びる前途の年齢がある。非常に純粋であり、本人は、たとひ国会議員のバッヂを将来ともつけられなくとも、愛国の一念、生政連の中にゐて献身したいといつてゐる由で、それだけに、次期参院選で雪辱戦をやらせたいし、全国区で次期に出馬すれば、全国各道府県の幹部も一斉に協力して頂けると思ふ。
○田中忠雄氏が三年後には出馬しないとすると、次期参院全国区については村上正邦氏を加へて玉置、鹿島の三人が出馬することになると思ふ。今回は健実に内輪に見積もつて、生政連の実力票九十数万と見て、そのうちの二十万票を、鹿島俊雄氏に差上げれば、後は歯科医師会の票が四十万票以上あるので鹿島氏は非常に楽に当選できると思ふ。また選挙資金の面でも、鹿島氏のそれは歯科医師会が全部負担するするので、生長の家の荷は軽いのであります。玉置氏は、後進の村上氏に生長の家の票の大部分を譲つて、残りの票を加へて、百万票以上をとるべく大いに張り切つてその準備に入つてゐる由。生長の家以外から五十万票を集めようといふ張り切り方ださうである。かういふ風に三人が協調して参院選に出馬すれば、三年後の生長の家の教勢はもつと発展してゐるだらうから、三人とも当選するだらうと思ふ。
○三年後の選挙には、三人のうち、一人か二人にしぼつて応援して、立候補させて、必ず当選さすといふ方法をとれといふ説もあります。これでは非常に楽な選挙となります。その代り、ほつといても当選するよと甘い考へに陥りやすく、あまり必死の活動をしなくなるので、今年の参院選ほどには票が出ないかも知れない。今年、田中、村上両氏で得た百十万票が恐らくその半数に減るかも知れない。さうしたら立候補を1人にしぼつても落選するかも知れない。やつぱり、二人か三人を立候補させ、せめて胎児の虐殺をやめさせる法律が通るまでは、吾々の国会代表を減らすことはできない。これは私の生涯の願ひである。
 しかし、政治方面の知能や機略は私の専門外にあるので、此処には希望をのべるだけで私が長崎に退いた後は、政治のことは今後、副総裁に全托してやつて頂くことにする。私は九州別格本山を、別格を消して大本山に完成することに人生の最後の任期を賭けたいと思ふ。(後略)

193復興G:2011/07/23(土) 11:31:53

 以上の「明窓浄机」を拝読して、私の感想です。

(1)木間敬・寄能美枝 ご両人のお手紙に、まず胸打たれます。ご両人とも、それぞれ谷口雅春先生を深く信じ敬愛しつつ、命がけの気持ちで心情・実情を吐露し、そして鋭い直言献言などもされている。このことにまず驚きます。

(2)それに対して先生は、それを全心全霊で受け止められ、「私の面子は丸つぶれであるけれども」と、すでに発表された「田中忠雄・村上正邦 両氏の次期衆院選出馬は中止する」とおっしゃっているのです。
 ああ! 私は、言葉もありません。

 現総裁と信徒との間柄もかくあらば・・・・と、思います。

(3)谷口雅春先生は、結局「今は政治・選挙活動を中止して聖胎を長養するとき」と、生政連活動の凍結を認め、「聖胎」すなわち聖なる純粋な信仰の本を確立し、長く養い育てて行くようにと諭されました。しかし、上記「明窓浄机」で、「私が生政連関係の仕事に嘴をはさまないことにしても信徒及び誌友諸賢は生政連から後退しないやうにして頂きたい」とはっきり書かれていますから、先生のご意志・ご熱願は明らかです。でも、信仰の基礎をないがしろにしたまま政治活動にばかり走ったのでは、かえって混乱を招き、国家を救うことにならないのではないか。今こそ、盤石の揺るぎない信仰の基礎を確立して前進する時でしょう。

(4)昭和50年前後ごろ、『理想世界』百万運動を繰り広げたリーダーの森田征史氏・安東巌氏らは、当時生政連の中央部に直接関係していた方ではありませんでしたが、谷口雅春先生の悲願を深く受け止め、真心を持ってそれにお応えしたいと、命がけの活動を展開した。「衆議院を狙ふなら、公明、共産のやうに、まづ地方議員を大量に育成し強化し、生政連の地盤を固めてからやるほかありません。そのためには急いでも最低五年の準備歳月が必要であります」という生政連参謀室の献言が明窓浄机<188>に載せられていましたが、そのように、地方議員から育ててやがて衆議院まで、ということを、全力を挙げてやろうとして来られたのではないかと拝察いたします。

(5)谷口雅宣総裁は、その政治運動の影・闇の部分に引っかかりすぎて、むしろそうした活動をきびしく弾圧・排除してこられた。それで、その反動として「雅宣総裁追放」こそが谷口雅春先生のご悲願を実現する道である、と立ち上がっておられるのが、現在の「本流宣言」や「学ぶ会」の皆さんであろうかと思います。

(6)しかし、雅宣総裁を追放したら、雅春先生のご悲願が達成できるのでしょうか?
   そこを、本当に真剣に考え直す時ではないかと、私は考えております。

194ぼるぼ:2011/07/23(土) 11:49:47
復興G様

当時の明窓浄机を興味深く拝見しました。

雅春先生の心中を慮るに、玉置、田中、村上、そのた生政連参謀諸君は未だ護国の神剣を託すに至らない連中である。

選挙の票読みや資金の手当ばかりで狼狽えている。地方の幹部も、自分の人間関係が壊れる事の方が、国家の危機を救うことより大事であるといってくるし、生政連はまだ未熟な胎児の段階である。

自分は総本山に移って、住吉本宮を顯祭することにする。いづれ、しっかり長い時間をかけて、本格的な生政連を復活させるとしよう。

とりあえず、今は、一旦凍結しよう。

というように解釈しました。

195トキ:2011/07/23(土) 11:57:48
復興G様

 貴重な資料のご提示、深く感謝申し上げます。

 生長の家政治連合については、当時の活動者に話を聞いても、あまり話したがらない事が
多かったです。それは、単に活動停止になったから、という理由だけではなく、やはり自分
がしたくなかった事をせざるを得なかった、という気持ちを持っておられたように感じました。

 一般論ですが、生長の家は実相直視ですから、影の部分というか、失敗にはこだわらない
姿勢が強いです。それが拡大解釈され、過去の話をタブーにする傾向があると思います。
 それが、生長の家政治連合についての論争が今でも継続している背景の一つだと思います。

 今回、ご呈示の資料は、谷口雅春先生のご心境を示すたいへん優れた資料だと拝察します。

 今後とも、復興G様のご投稿を期待する次第であります。

合掌 ありがとうございます

196トキ:2011/07/23(土) 20:09:22
 復興G様のご投稿で少し思い出した事を書きます。

 ずーと昔、何の会議だったか忘れたのですが、谷口清超先生もご臨席の会議があったのです。
その時に、夏期青少年練成会の参加者数が激減した、という報告が上がったのです。
 それをご覧になられた谷口清超先生が、

 「なぜ、参加者が減ったのか、理由を知りたい」

と出席した幹部に問いかけられたのです。ところが、誰も返事をしないのです。
「少々、言いにくい事でもいいから、教えて欲しい。」
と繰り返し谷口清超先生が尋ねられたのですが、とうとう誰も満足のいく返答をしなかった
のです。

 最近では、谷口雅宣先生がご講習会が終了後、教区の幹部を集めて「幹部懇談会」
とか「特別幹部会」とかを開かれますが、あれも出席すると幹部は本当の事をあまり
言いません。私よりもエラい人が総裁に縷々説明するのを後ろで聞きながら、内心

「ウソだろ」

と思った事は何回かあります。まあ、講習会の前日には、教化部長から
「明日の幹部懇親会では、つまらない話をするなよ」
と釘をさされますから、気の毒になった、つい控えめの発言になってしまいますね。

 そう言えば、倒産したヤオハンの和田一夫さんが、「最後の方には、都合の悪い
情報が入って来なくなった」と言われていました。なんとなくわかります。

 おそらく、今でも、生長の家のエラい人のところには、都合の悪い情報はあまり
行かないような気がします。

 そうすると、やはり、都合の悪い情報とか意見もきちんとあげるのは、大切な
事だと感じました。その点、復興G様があげられた方々はご立派だと思います。

合掌 ありがとうございます

197山ちゃん1952:2011/07/24(日) 00:12:15
トキ様へ

今回 中公新書クラレ 『歴代陸軍大将全覧(昭和編/太平洋戦争期)』の本を紹介
して頂きありがとうございます。
早速、今日購入して読みました。

私のブログで書きました『社会運動の状況』では『甘露の法雨』で魚雷に当たらなかったり
そういう場面にはならなかった。という話を本部講師がして、特高に睨まれていましたが、

雅春先生は「生長の家本部の理事であった西岡茂泰少尉や、本部講師の小路金蔵少佐や大森知義中佐など坐乗
している間は其の軍艦は不思議に、爆弾も魚雷も命中せずにいて、他艦に転乗または、
陸上勤務になった直後に、爆沈されていて・・・」生長の家三十年史より

『甘露の法雨』の功徳についてはいろいろと勉強になりました。
トキ様の文章を私のブログに無断で抜粋させていただきました。
すいません。
また教えて下さい。お願いします。

198ぼるぼ:2011/07/24(日) 10:25:27
合掌、ありがとうございます。

 最近の、ネット上の記事に啓発され、何十年も埃に埋もれていた雅春先生の本を取り出して再読しているところです。

永らく錯覚していた事柄にいまさら気がついて、大いに反省させらています。

例えば、日本占領について。

ぼくは、戦後生まれなので、当然、戦後の占領下で教育され、しっかり自虐史観を教え込まれて育った訳です。

それで、サンフランシスコ講和条約までは完全に、その後も軍事的には完全に、日本は連合国(=アメリカ)の占領下に置かれていて、もうアメリカのやりたい放題になっているのも、戦争に負けたんだからしょうがないや、と思っていました。

ところが、今、「秘められたる神示」の140ページを読んだ時点で、この錯覚に気がついたのであります。

雅春先生は、こう指摘されていたんです。僕は、以前、この部分を気にも止めずに読み飛ばしていました。

「日本国全土が連合国に占領されたと思い違いしている人もありますが、それも大変な勘違いで、ポツダム宣言の第7条には、第6条までを受けて、
 
 右の如き新秩序が建設せられ、且つ日本国の戦争遂行能力が破砕せられたることの確証あるに至るまでは、連合国の指定すべき日本国領域内の諸地点は我らのここに指示する基本的目的の達成を確保する為占領せらるべし

 とあるのであって、

占領せられたのは諸地点(英語ではpoints)であって、日本国全土ではないのであります。

すなわち、一度も日本国全土は占領せられず、軍隊だけが降伏して、日本国は未だかつて滅びたことはないのであります。

戦後教育では、日本は戦争に負けて、原爆で広島、長崎がやられ、東京や大阪も焼夷弾で焼き滅ぼされてしまって、もう完全に灰燼に帰し、死んでしまったのだと襲えられて来たのである。

でも、そんな死んでしまった国家が、いく朝鮮特需があったからといえ、急激に復興してあっというまにGNP世界第二位の経済力を持つようになったのはなぜなのかを真剣に考えても見なかったのである。

これを奇跡の経済復興だ、などといって無邪気に喜んでいると、今日のような愚民が大量に発生して、民主党政権を作ってしまうことになったのである。

奇跡はないのである。日本は滅びていなかった。先の敗戦で、ちょっと怪我をした程度の傷を負っただけであった。

天皇陛下が無事であることが証明しているのに、日本弱体化の宣伝、教育に乗せられて、多くの日本人が敗戦の時点で記憶を断ち切られて来た。

自民党も民主党も、いまや戦後の亡国思想、売国政治家に牛耳られている。

いまこそ、護国の神剣、生政連の理念が顕現し、日本国の政治を神の指導にのみ服すように、再生する時である。

199志恩:2011/07/24(日) 16:53:46
ぼるぼ様

谷口雅春先生のご著書「秘められたる神示」の140頁にすごいことが記されてあったのですね。

『占領されたのは諸地点であって、日本全土では、なかった、いちども日本全土は占領せられず、軍隊だけが降伏して、
日本全土は未だかって滅びたことはないのであります。』とは、世紀の大発見に近いご指摘を、ぼるぼ様は、あらためて発見されたと思います。私などより、トキ様や復興G様に、コメントしていただきたい内容です。
お二人とも,今日はおでかけなのでしょう。

復興G様も昭和49年代の生長の家誌を、よく持っておられましたねぇ。”明窓浄机”の生政連に関する,詳しい文章を載せて下さって、ほんとに勉強になりました。私も読んでるはずなんですけれどね。忘れてることが多くて、はずかしいです。

トキ様も、またまた玉置和雄先生情報を書いて下さいまして、ありがとうございます。

お三人とも、幹部でおらるのでしょう。視点が違います。高度です。

私は、平の職員でしたから、幹部でないので、むずかしいことは書けません。例えば、西岡理事と書いてあれば、「いらした、いらした、いらしたぞ。そうだよ、あのお方、確かに軍人さんのお顔されてたな」とか、
東山半之介先生、菊地藤吉先生と出れば、「そういえば、かわいがってもらったよな」とか、ご神像を彫刻された服部先生の奥様も
本部に本部講師としておられましたから、ご神像と聞けば、「なつかしいぞ、服部先生の奥様!おやさしい方だった」とか、人間関係のことをあれこれ思い出し、
私は、どうにもならない体たらくな感想しか述べられませんので、はずかしいので、しばらくの間、見学者のほうへ回っていたいと存じています。

でも、皆様のことは、みまもらせていただいておりますからね。

ブログ管理人様には、いつもおなかをよじらされて、義春様の体験談には いつも感涙させられて、初心者様の新たな一面を拝見しては、感動したり、いつもながらのかわいい個性的なうのはな様にほほえませていただいたり,その他のかたがたも愉快な文才が、
おありになって、トキ様の集会所は、ほんとにすてきなところです。

200トキ:2011/07/24(日) 19:27:21
>>199

志恩様の投稿はいつも素晴らしい内容で、感心しております。志恩様の場合、直接見聞した
内容ですから、貴重な証言です。どうか、気にしないで、どんどん投稿をお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

201トキ:2011/07/26(火) 19:35:58
>>199

志恩様

 追伸です。故 榎本恵吾先生はご生前、何冊かの本を自費出版で出されています。
最後に出版された本は「弟子像」という本です。この本は、藤原敏之先生、徳久克巳先生、吉田
國太郎先生など、榎本先生が師事した谷口雅春先生の直弟子の先生方の思い出を書かれた本です。
 谷口雅春先生については、今まで何冊も本が出ています。しかし、こういう弟子の先生方につい
て、詳細に書かれたのは、この本が最初だと思います。量も内容も、自費出版とは思えないほど
すごいものです。よく、ご多忙の中、この本を遺されたと感嘆します。

 実は私もこの本は持っていません。榎本先生が、特に自分の真意をわかってくれる人に限定して
この本を配布されたからです。そして、この本を読むと、榎本先生が何を後世に言い残したかった
のかがわかります。弟子の姿を通して、求道とは何かを切々と訴えたかったと思います。

 ちなみに、この本を榎本先生から「あなたなら、私の真意をわかってもらえるだろう」と
言われたもらった人を知っていますが、その方は「今の教え」は間違いだと思っている人で、
「学ぶ会」とは関わりを持ちたくない、と言っている人です。

 もし、今、総裁と学ぶ会の会長に推薦する本があるとしたら、この「弟子像」でしょう。
ご一読をお勧めします・・・・と申しても、容易に入手できるものでないのが残念ですが。

 志恩様のご文章を拝見すると、違う観点からの「弟子像」が見えてきます。
その意味で、志恩様の証言もたいへん貴重だと思います。

 今後とも、宜しくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

202「訊け」管理人:2011/07/27(水) 06:41:50

>トキさん

 その榎本先生ご著書ですが・・・以前どなたか(お名前失念)が述べておられ
ましたね。榎本先生がお弟子さんだけにお渡しになられたそうで、わたしも
「読みたくて仕方ねえ」状態であります(笑)

 ああどこぞかで入手できぬものでしょうかね?無論コピーでも構わないの
ですけどね・・・「榎本恵吾記念館」にも掲載がありませんので、相当レア
なのかもしれませんね。

203トキ:2011/07/27(水) 11:00:02
「訊け」管理人様

 うーん、あれは超レアですな。でも、ひょっとしたら、日本教文社から出版されたりして。
(教文社のエラい人がこれをご覧の場合はご検討下さい!)

 でも、ここで書き込んで祈っていたら、誰かが貸してくれるかもしれませんよ。

合掌 ありがとうございます

204「訊け」管理人:2011/07/27(水) 12:32:51

榎本先生レア本所有者 誠魂位ィ〜

205志恩:2011/07/27(水) 21:17:32
トキ様

返信が遅くなり、すみません。昨日は、遠くの親戚のものが遊びに来ていて、夜遅くまでにぎやかにしており、疲れて珍しくPCを開かずに寝てしまいました。それで、今夜になり、開いてみて、びっくりしているところです。


あぁ、「弟子像」ですね。私も残念ながら持っておりません。あれは、幻の名著だそうですね。私も、読みたい,読みたいと思っている著書です。一子先生は、恵吾先生の奥様ですから、数冊は持っておいでではないでしょうか。

宇治別格本山気付けで、一子先生にお借りしたいと理由を述べて、お手紙でおねがいされたら、きっと貸して下さると存じます。そのような聡明で理解力のあるお方です。

今後の光明化運動の原動力なる重要な著書の1つですからね、お借りしたら、コピーしてから、返却されたらいかがでしょうか。

ほんとうは、日本教文社で出版されるといいのですが、雅宣先生がOKされるかどうか、わかりませんよね。そのときは、光明思想社で出版してくださると、どれだけ多くの幹部・信徒の皆様が喜ぶか知れません。たくさん売れると思います。


恵吾先生は、いつも『救いの原点」をお話くださいますものね。


ある方が、「神がわからない」と言われると,先生ー「神はわかる必要はない。わかってから生まれて来たんじゃないから」、、で、ある方が「神が信じられない」と重ねて言うと

先生ー「神を信じる必要はない。神の方でこちらを信じていてくれるだけで十分だ」


先生は,謎めいた話し方や文の書き方をされるけど、よくわからないけど、わからないようで、どこか、わかるのですよね。すとーんと安心感が腹の底に落ちる。底しれないふしぎな魅力のあるお方です。


「弟子像」、出版、私も期待!!

206トキ:2011/07/27(水) 22:07:38
>>205

志恩様

 ご投稿、ありがとうございました。

 そうですね、あの本は自費出版ではもったいないです。著作権は現在、一子先生がお持ちのはずですが、
現役の本部講師ですから、残念ながら光明思想社からは出せないと思います。

 ただ、弟子像の内容には、直接の教団批判とか総裁批判の部分はないので、現在の体制でも教文社から
出版する事は可能だと思います。これを読まれた本部や教文社の関係者が、出版に向けて動き出す事を
願っています。また、信徒の方々が、教文社へ「出版して欲しい」と電話なりメールをしたら、それで
動き出すと思います。

 では、今後とも、宜しくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

207志恩:2011/07/27(水) 22:53:04
本部に幹部候補生として奉職されていらした頃の榎本恵吾先生は、無口で謙虚な感じのお方で、あのころは講話もされてませんでしたし、文章も公に発表されておられませんでしたから、どのようなお方かということは
今のようには、私は、わかっておりませんでした。

榎本先生が、当時東京在住でいらした藤原敏之先生のご自宅に、一子先生とご結婚を誓った後に、初めてご挨拶にうかがったとき、藤原先生は、榎本恵吾先生と数時間ご歓談されて、「この榎本君という男性は、ほんものだ」と確信されたそうです。
ほんもののお方は、ほんものが わかるのでしょうね。

208志恩:2011/07/28(木) 03:04:57


「弟子像」は、「光あるうちに」と同様に、すりきれるほど読んだという何人かの地方講師の方の文章を読んだことがあります。「弟子像」には、教団批判とか総裁批判の

部分はないそうですから、トキ様のお話ですと、日本教文社でも、信徒の熱い要望があれば、出版可能だそうで、ちょっと期待できそうで、心に灯りがともりました。


トキ様の集会所では、あたらしい試みを義春様が企画され、皆様参加されて、見る度 たのしくて勉強させていただいてます。

209「訊け」管理人:2011/07/28(木) 07:33:53
>トキさま
>志恩さま

 こうなったら、やりますか?日本教文社に向けての
















FAX(圧力)作戦










 本流みたく、文例を募集しますか?(笑)「あたしならこう書く!」
みたいな(笑)

追伸

 でもマジメな話、本当に読んでみたいですね。志恩さまアドバイスに従い、
一子先生にお手紙を作成しようかしら?「こげなブログ、やっちょります!」
と添えれば愚生の真剣度、ひょっとしたら伝わるのかもしれませんし、ですね。

 まあしかし、入手したら我がブログ・・・連日、榎本恵吾特集になりそうで
すね(笑)

210「訊け」管理人:2011/07/28(木) 07:41:52

>志恩さま

>ある方が、「神がわからない」と言われると,
>先生ー「神はわかる必要はない。わかってから生まれて来たんじゃない
>から」、、で、ある方が「神が信じられない」と重ねて言うと
>先生ー「神を信じる必要はない。神の方でこちらを信じていてくれるだけ
>で十分だ」

 ああ私も貴殿ご引用箇所が、大好きです。
 いや本当に榎本先生ですけど、只者ではないですよね。

 お会いしたかったなあ・・・榎本恵吾先生。

211復興G:2011/07/28(木) 07:57:10
>202 :「訊け」管理人様
>207 :志恩様

 志恩様は、私の尊敬する榎本先生のことなども、本当によくご存じなのですね。うれしい情報を、本当にありがとうございます。
 ところで、私は『弟子像』を持っています。これは、榎本先生から「自分の真意をわかってくれる人」と見込まれて直接頂いたのではなく、「榎本恵吾記念館」サイトの管理人に「弟子像、読みたいんですが・・・・」とメールしたら、送ってくれたんです。「記念館」サイトの管理人は、『弟子像』を、一子先生から何冊か預かっているみたいですよ。
『弟子像』を読みたい方は、同サイトの管理人にメールされてもよろしいかと思います。

 なお、恵吾先生は、私の知っている限りでは「幹部養成学校」の出身ではなく、「飛田給道場の練修生」出身だと思います。幹部養成学校というのは昭和50年代に森田−安東体制の中から作られたものであり、「頭でっかち」との批判がありましたが、練修生というのは昭和30年代から、徳久克己先生の傘下で飛田給道場から大学に通わせる制度でした。榎本先生は、道場で鶏の世話などをしながら大学に通った、というお話をされていたことがあります。道場で行を積んでこられたのだと思います。

212「訊け」管理人:2011/07/28(木) 08:12:22

マ ジ で す か ! !

213志恩:2011/07/28(木) 08:31:46
榎本恵吾先生についての続きですが、
彼が、本部に入る前は、飛田給道場で研修生(第3期)をされてたそうです。研修生として、昼間は、畑仕事その他の農事などをしながら、夕方から夜間大学へ行っていた。

で,飛田給で、ある日、研修生だけをぐるっと輪に座らせて、谷口雅春先生が直々に勉強会を開いて下さったことがあったそうですが、そして、雅春先生が話をされたことについての「感想文」を
9人くらいいた研修生にその場で書かせて、その場で,雅春先生は、一人一人の感想文に目を通されたそうですが、
そのとき、榎本恵吾先生の感想文を読まれて、雅春先生は、すごく驚き,感動されて、すごいやつがいる。「君に乾杯だ」ということで『お茶」の入った「湯のみ茶碗」を榎本先生に向けて、、
それで、ぐっと雅春先生は、お茶を飲み干されたそうです。態度でも表現されたそうなんです。

雅春先生も、榎本先生が、ほんものだ。とそのときから気がつかれていたわけですね。そのときの榎本先生の文章の内容ですが、今、われわれが読んでいる、これらの文をすでに書いておられた魂であったそうなんです。
『もうその時点で、大悟されていた』と、後になってある方から間接的に伺っております。

それで私は、思うんですよ。
それにひきかえといっては、おこがましいのですが、雅宣先生が、コロンビア大学在学中に、谷口雅春先生宛にだされた手紙のことです。雅春先生が、読まれて激怒された。その手紙の内容は、『愛国心とか皇国日本というような
雅春先生が、説いていらした生長の家の基本理念の思想は、間違いだ。』という内容の手紙だったそうじゃないですか。我が国を愛せず、兄弟も愛せず、母親を「あんた」よばわりする とんでもない男が、人類を愛せるのかな、
親兄弟は、人類に入れておられないのだろうか、と私は、不思議に思うのです。

雅春先生は、それ以後、雅宣先生の名を決して口にすることは、なかった。
雅春先生は、雅宣先生は、孫ではあるけれど、左翼思想に毒された、真っ赤な『にせもの』 になってしまった、とお嘆きになられたことに他ならないと思われませんか。その雅宣先生が、生長の家丸の船長の舵(かじ)をにぎり続けている。おもかじいっぱい。
左へ左へ。左へしか進みません。中道にも右へも廻す脳は、毒されて消えて無いのですから。皆様、腐った虫歯を祈ったら、虫歯は消えますか。ほんとうに、このような左翼思想に固まった脳の船長に任せてて、それでいいのでしょうか。行き先は???

214志恩:2011/07/28(木) 08:36:57
復興Gさま

すご〜い、「弟子像」を持っていらしたんですか。長文でしょうけれど、是非、トキ様のここへ少しずつでも ご紹介いただきたいですね。
ブログ管理人さまも、よかったですね。あかるいニュースです。

215義春:2011/07/28(木) 08:50:06
>>212
ブログ管理人さあ
ブログ管理人さあ、狂喜乱舞ktkr

良かったですね(*^o^*)

216トキ:2011/07/28(木) 10:27:14
 昨日の晩に「弟子像」を借りてみましたが、細かい活字で500ページを越す分厚い本です。
おまけに、一面に書き込みとか傍線とか付箋がついていて、所有者も毎日読んでいるので、
紹介するのを断念しました。それだけに、復興Gさんの情報は嬉しいです。

 今にして思えば、もっと榎本先生のところへ通っていたら良かった、と少し後悔をして
います。と、言うのは、当時、生長の家宇治別格本山には、藤原先生もおられたので、
同じ場所に藤原先生と榎本先生がおられたら、どうしても藤原先生の方へ行ってしまう
のですね。それに、あんなに早く亡くなられるとは思わなかったので、いずれ時間のある
時に・・・・と思っていたのが仇になりました。

 が、若い人がよく榎本先生のところへ通っていたのは知っています。私の友人の地方講師
には、日曜日ごとに、教区の行事を全部すっぽかして宇治へ通っていた人間もいるぐらい
です。

 亡くなられてから、真価が知られる人ですね。

合掌 ありがとうございます

217風笠:2011/07/28(木) 11:19:55
研修生の責任者をされていたので、宇治に長く住んでいる人は影響を受けていたはずです。本を持っている人も多いはずです。
確か『弟子像』の編集者は、「あれは百年、二百年後の人に伝えられて読まれるものだ。」と言っていたと思います。

榎本恵吾先生は、祈願部におられる時も気配がするのでその時に神癒祈願をされているのが分る方でした。
(気配がするので時計を見ると祈願の時間帯だった事とかがあります)
私的な事を少し言えば、恵吾先生がご存命の時、「あのニコニコマークを私も講話時に使ってもいいですか?」と
聞き、『いいよ』と承諾をもらった覚えがあります。と言いつつ実際使った事は無かったです。

218風笠:2011/07/28(木) 11:25:36
教文社さんも

(榎本 本)何冊か出ているのでまとめて上、中、下巻として出版したらいいのではないでしょうかね。
・・と勝手な事を言っています。

神奈川の地方講師さんも表現を変えて引用説明をされているので現本部から出そうと思えば、
出せる本だと思います。

私も内容的に話が活発になれば、「弟子像」私的解釈でもして参加させて頂くかもしれません。
(機会的に無理でしょうが。)

なんとなく久々に気分で書き込みをしてみました。

では、失礼いたします。

219「訊け」管理人:2011/07/28(木) 11:32:21
>復興Gさま

 さ、さ、さ、早速、れ、れ、れ、連絡しますた(笑)
 情報のご提供をまことにありがとうございました!あー、早く届いて、名
著『弟子像』

追伸

 同書はウン十年後かに、「¥10万円」で取引されてしまうかもしれませ
ん。本の裏に我が子孫に向けて「本書の売買を禁ず」と書いておこうと思い
ます(笑)

>志恩さま

 いやーなにか、「ありがとうございます」という言葉以外、見つかりませ
ん。私の大好きな榎本先生なのですが、ああ、こんなエピソードがおありで
したか。ああ、やはり只者ではなかったわけですね。
 まあしかし、あの雅春先生から「君に乾杯だ」なんていうお言葉を賜りま
したら・・・これ以上の喜びが、他にあるでしょうかね。ああ、良い話をあ
りがとうございます。

 ああ榎本先生・・・会いたいなあ。

>義春さあ

 おおまさに、今のオレは狂喜乱舞している(笑)
 ・・・ちなみに以下は、過去本流掲示板に書き込んだ内容、だ。
 まあ、現世利益が本質ではないとは申せ、榎本恵吾記念館に行きだしてか
らの我が事業は、奇蹟の領域に入っているのだよ(笑)

220「訊け」管理人:2011/07/28(木) 11:36:18

本流宣言掲示板より

――――――――――――――――――
日時:2011年05月31日 (火) 10時28分
名前:ブログ「雅春先生に学ぶ」管理人
――――――――――――――――――

>伝統さま

 御礼申し上げたいことがあります。榎本恵吾先生を知り、そして貴殿より
ご紹介に預かったWEBサイトを熟読しておりましたら、トンデモない(=人間
智慧では計れない)奇蹟がありました。

<塩漬けの地、テナント候補現る>

 ここ十年来、愚生を悩ませてきた問題があったのですが、これが解決致し
ました。

 先祖より相続し、そして「誰も入居しない」と云う〝呪いの不動産〟があ
るのです。本日はその話なのですが、「土地がある」というと人はたいてい
「うらやましい」と申されます。ところがこれ、とんでもない話なのです。
有効活用できていない土地など持っていれば、即、銀行側がマイナス査定を
行ってくる訳であり(註:本来詳説が必要ですが省きます)そしてこの〝呪
われた土地〟があるために、銀行側は当社を、債務超過と看做している次第
なのでありました。(「黒字なのに」ですよ。全く非道な基準です・・・い
や、まったく観世音菩薩+自壊作用な基準です)

「じゃあその土地、売れば?」なんですが、これまたトンデモない話なんで
す。今時買ってくれる人など居ませんし、売れても二束三文にしかならぬの
です。そして二束三文で売ったとしてもマイナス査定は覆らないのです。・
・・ですのでそうしますと、「じゃあ造成して駐車場にすれば?」なんです
けど、これ以上借入金など増やせぬのです。設備投資しても黒字化は、七年
先以降になるでしょう。(その間はキャッシュでマイナスです)
 ・・・ところで愚生、『無門関解釈』に「進退両難」という公案がありま
すが、――進むも地獄、退くも地獄、さあどうする?――あれを読むたびに
いつも「オレのことだ・・・」と涙が流れていたのでありました。その涙の
わけですがそれは、この土地に絡む問題なのでありました。ああ呪われた土
地よ――放置しとけば「マイナス査定」、駐車場にしようにも資金なし、売
ろうにも買い手なし――皆さんならば、どうします?少なくとも私(の人間
智)では、全く解決策がないのでありました。

 ところがなぜか先ほど・・・ウソみたいな話なんですが、この土地に建つ
建物(昭和二十年建築)に興味を持つ人が現れました。
 その方曰く「あの古民家風の建物にゾッコン」とのことで、そして「実は
ここ十年、『あそこでフランス料理店を開きたい』と思っておりました」な
んてことを申されるのであります。そんな方が突如、なぜか現れたのであり
ます(!)ここ二十年間、こんな話など全くなかったというのに・・・実に
不思議です。しかも提示された家賃ですが、相場以上のものでして(!)
「詐欺じゃねえの?」なんていう言葉まで脳裏に浮かんでいる現在です。

 そして、早速銀行にも電話しました。開口一番で「テナントが決まればマ
イナス査定は撤回か?」と確認したところ・・・なんと「マイナス査定は撤
回します」との返答が(!)

おおお、凄いぞ、生長の家!


追伸

 マジメな求道者の方ならば「現世利益は宗教の本質ではない」と申される
と思います。ですので愚生の話も、お耳汚しにしかならぬでしょう。しかし
・・・いやそれでも、現世利益なき宗教など、商人に用はないのです。(あ
あ、これは誤解を生む表現かも)
 この、元無神論者が信じる程になるほど、この生長の家の御教えは、素晴
らしいものだと思います。本日は、特にそのことを強調致したく駄文投稿し
た次第。ぜひお許しを。

余談

 雅春先生が申されておりますが、「神想観を超える大行はない」とのこと。
 いやこれ、この言葉――「神想観を超える大行はない」でありますが、こ
れは、割引無しに読むべき言葉なのではないでしょうか。サ象が如何にあれ、
この神想観をマジメに行ずるとこの愚生であれ――度し難き凡夫で親不孝五
段+雅宣総裁以上の唯物論者でも――この様な奇蹟が出現するのであります。
 かつ、『善と福との実現』(『幸福生活論』だったかも)には、「12名
で真剣に祈れば、国家の問題すらも解決する」という、ニューソート系識者
の言葉が紹介されております。雅春先生もいたく感動されておられた言葉な
のですが、この「12名で真剣に」は、行う価値がありはせぬかと愚考する
次第です。

221「訊け」管理人:2011/07/28(木) 11:38:05
>風笠 さま

 そうそうそう!貴殿でございました、第一情報提供者の方は(笑)
お名前を失念しておりましたが、ありがとうございました。

>私も内容的に話が活発になれば、「弟子像」私的解釈でもして参加させて頂くかもしれません。
(機会的に無理でしょうが。)

 ぜひぜひぜひ、お願いする次第です。

222トキ:2011/07/28(木) 13:31:21
風笠様

 ご投稿を心から感謝申し上げます。管理人のトキです。今後とも、投稿を期待しております。

 「弟子像」は、トキ流で言うならば「初期 生長の家」というか、戦前、戦中、戦後の激動
の時代を谷口雅春先生と弟子がどう生きたか、を描いた貴重な資料であり、また、魂の記録です。

 Amazonに出したら、100万円でも欲しい人は買うでしょうね。

 思い出す事もあるのですが、それを書くと、身元がバレるので、また別の機会に。

 では、宜しくお願いします。

合掌 ありがとうございます

223志恩:2011/07/28(木) 17:08:27
風笠様

とてもすてきなご投稿、大変嬉しく拝見しました。ありがとうございます。

榎本先生のお近くにおられたお方のようで、恵吾先生のご本のことにもお詳しいようで、こころ強い限りです。

「弟子像」が、出版実現のおりには、きっとお力添えくださるお方なのでしょうね。

ほんとうに実現するといいと思っております。未来永劫、多くの信徒の方々の光になる名著のようですから。合掌。

224風笠:2011/07/29(金) 12:11:04
>「訊け」管理人様

私的解釈はあくまでも私的ですので、共感を得られるかどうかは分りません。
榎本恵吾先生の解釈を再度解釈を仕直したものですので、ある程度 唯神実相を
ベースにしている状態でないと、ただ単に『教義を知らない人』扱いされる気が
します。なんとか本流とかを見たことがありますが、神奈川の某氏が「生長の家も無い」
とブログで書いていたそうですが、(これは例の本からの引用ですが)『「生長の家も無い」
とはなんたること!!』と意見をされていた人もいますので、ある程度、榎本先生テイストが
分る人でないと難しいかもしれません。
(その上、榎本先生の解釈に付け加えるとなると・・・)小心者といたしましては、ブルブルです。


>トキ様

返信ありがとうございます。ただ『弟子像』は歴史上の「初期 生長の家」というより、
「原始 生長の家」といったものだと思います。その上『私の中の・・』とありますように
雅春先生のお弟子さんの記録ではありますが、そこにあるのは榎本先生御一人です。  
講話でよくされていた『はじめのはじめ』の原点が各弟子によって表現されていますね。

225風笠:2011/07/29(金) 12:11:45
>志恩様

ご期待して頂いてありがたいのですが、ただの一市民です。『出版実現のおりには、・・』
残念ながら”一市民”にそんな力はありません。申し訳ないです。
榎本先生とその本に関わっていた人達ですが、基本あまり外に出ることを望んでいなかった
ように思います。ですので気軽な私の立場で発言しておりますで(後年先々読まれるように
なるならば、ある程度以上の志がある人ならば読めばいいのではないかと。但し理解し難い
人は止めておいて欲しい。という立場)それこそ気軽に見て下さい。



あと『弟子像』についてですが、非売品ですので所有者皆さん無償で頂いているはずです。
(榎本先生から頂いた身で発言するのもなんですが)記念館その他に問い合わせが多いと
その費用は、結構掛かると思います。掲示板で入手方法を公開するのはどうかと個人的には
思います。

226「訊け」管理人:2011/07/29(金) 12:46:41
>風笠さま

>『「生長の家も無い」
>とはなんたること!!』

 はははは(笑)ホニャララ掲示板では、自然に起こりそうな事件ですね(笑)
まあ、そんなツッコミが来ますと自動的に、私が「笑いの練習」を開始致します。
たぶん、笑いの練習用の原稿になりたくない人は、ここには来ないでしょうから
安心してください(笑)

 でも確かにあの世界観(=方便)は、ある程度、榎本先生テイストが分る
人でないと難しいかもしれませんね。でも個人的にはあの「物言い」に、ガン
ガン魅了されてしまうのですけど(笑)

あなたを生んだのは
神ですから、
神に責任を
とってもらおうじゃあないですか。

 わたし、こういうの好きですけどね(笑)

227ぼるぼ:2011/07/29(金) 19:08:11
僕は生政連に未練たらたらなんです。

以前、復興Gさんが紹介してくれていましたが、国家の成仏こそ、生長の家の目標である。

その文章、もう一度<#181>から引用して、再読したい。

   「国家の成仏ということ」

 昭和38年2月28日、第13回生長の家全国代表者会議を開き、第一次五ヵ年計画最終年度の運動方針を決定した。そのとき総裁谷口雅春先生は結語として次のように述べられた。

「“人間神の子”を説く宗教は他にもある。“肉体も環境も心の影”と説く宗教もある。万教帰一だから根本は同じである。だがそれでは、とくになぜ生長の家が出現したのか。生長の家の神は住吉大神である。その住吉大神が、なぜ今ここに、日本の国土にこの時期に現われ給うたのか。そこが非常に大切なところである。
 『古事記』に示されるごとく、住吉大神は天照大御神の御誕生の直前に現われられた。最後の宇宙浄化の働きとして、宇宙の大神が住吉大神と現われ給うたのである。天照大御神の御誕生とは、日本の実相の誕生ということである。日本なるものの魂が具体的に宇宙を照らす光となるということである。この直前に、最後の浄化の働きとして住吉大神が今ここに現われ給うたという、ここに生長の家出現の真意があるのである。
 ただ単に、人間は神の子であり、物質はない、肉体はない、病気は治るという、それだけのことではないのであって、天照大御神の光が宇宙に天照らすべく、天皇陛下の御稜威を発現せしめて、日本の国を救い、世界を救うというところに、生長の家出現の本当の意義がある。
 したがって、たんに個人の救いにとどまらず、宗教的自覚をおしすすめて、国家の成仏、人類全体の成仏、宇宙の成仏というところまでゆかなければならないのであって、そのひとつが政治活動なのである。」

今日の日本、悲惨な政権下にあります。

今日、youtubeで、傾聴に値する安倍晋三氏のインタビュウを見ました。

菅内閣の次、如何にすべきか。国民の政治感覚をしっかり確立しなければなりません。

国民のレベルを高めねばなりません。

生政連は高度なインテリジェンス能力を持ったメンバーを必要としています。

228トキ:2011/07/29(金) 19:12:57
ぼるぼ様

 ご投稿、ありがとうございます。生長の家政治連合を実際に経験した人が少なくなった今こそ、
生長の家政治連合について、しっかりと語り合うべきだと思います。

 危ないけれど、熱い時代だったと言われます。ぜひ、想いを語って下さい。

 ぼるぼ 様のますますのご投稿、期待しております。

合掌 ありがとうございます

229ぼるぼ:2011/07/29(金) 19:13:55
追記

件のyoutubeはこれです。

http://www.youtube.com/watch?v=zTUo3cJOSA0&amp;playnext=1&amp;list=PLE8391547FAF7E8EE

230ぼるぼ:2011/07/31(日) 20:41:15 ID:O6JUFC1w
「護国の神剣」の意味するもの(生長の家国家問題総合委員会編「日本の政治と宗教ー護国の神剣ーより」)

この「護国の神剣」といふ生政連讃歌がこの度出まして、私が作詞したものに作曲家の黛敏郎さんが作曲されたことになっているけれども、これは谷口という一人の人間が作詞したのではないんです。これは皆さんの魂の中に沸ふつとたぎっているところのその使命感といふものが私に感じられて、その感じられた使命感の内容をこの「護国の神剣」といふ生政連讃歌に書き表したものであるわけであります。
この歌の第一節は「弥勒下生経」の預言を引用したものであります。釈尊すなわち釈迦牟尼如来の仏法から人々が次第に遠ざかって僧侶といえども仏戒を守らなくなり、法滅尽経に説かれているような暗黒時代が経過すると、次の仏陀がこの地上に下生されて人類を救い給うぞよと、このような未来への用意のあることを釈迦牟尼如来が予言されたのでありますが、次に現れ給う仏陀=弥勒如来(マイトレーヤ)に関する経典が「弥勒下生経」と一般に呼ばれているものなのであります。
或る時、釈迦牟尼如来がマカダ国波沙山の山頂で弟子たちに話された。「一心に聞くが良い。光明大きく三昧あり。無比な功徳ある人が、正に世に出現するであろう。その人は妙法を説き、すべての民を解脱の道に至らしめるであろう。汝たち今一心に合掌して未来の大慈悲者に帰依するがよい。汝たちのために詳しく説いてあげよう」と言って、シャンカ転輪聖王の話、そして弥勒菩薩が転輪聖王の城である鶏頭城に入られて如来となって法を説かれる模様などを悉に話されたのである。東の方に、とかう書いてあるのだが、鶏のトサカの如く小さいけれども、七宝をもって荘厳に輝く、恰も太陽の昇る姿の国「鶏頭城」とは、これは日本の国のことであります。この国にシャンカという転輪聖王が出現してくる。この転輪聖王といふ王様は皮膚の色が黄金色に光り輝いているといふのだから、これは黄色人種でアジア人種ですが、仏陀の如く三十二の大人相を備え、強力な四軍の兵を持ちながらも、武力を行使せずに全世界に本当の平和を持ち来すところの神聖王様が生まれてくるという釈尊の預言なのですが、その王様が何処に生まれるかといふと、日本の国に生まれてくるといふことなんであります。

第二節以下省略。なぜなら、みなさんのように、しゃべるようなスピードでキーを打てないので。

で、ここで書かれている日本の神聖なる王様というのは、天皇陛下のことであるとしか解釈できませんね。

この小冊子、昭和48年発行で、値段はたったの180円なんですが、埃まみれ積ん読にしてあったので反省しつつ読みました。

231トキ:2011/08/01(月) 10:46:48 ID:WLVlsaX2
>>230


ぼるぼ様

 貴重な資料のご提示、ありがとうございました。
「護国の神剣」は」今日では、入手が難しいものですから、勉強になります。

ちなみに、本などの投稿は、見ながらキーを打つ方法もありますが、多量の分量
だと、本の文章をスキャナーで読み取り、それをOCRというソフトで読み取り、文章
にする方法があります。一部、脱字や誤字が出ますが、最近のOCRは精度が良く、
かなりの確率で変換できます。スキャナーもOCRも最近は安くなりました。

 ぼるぼ様のご体験なども、差し支えない範囲でご教示下さると嬉しく思います。
また、他の、生長の家政治連合経験者のご投稿も歓迎します。

合掌 ありがとうございます

232ぼるぼ:2011/08/04(木) 18:49:02 ID:YA4uz9yQ
三島由紀夫の楯の会について

彼等も生長の家の家族であった時期がある。僕とほぼ同年だが、生きた場所が随分離れていた。
最近、戦後日本の総決算をする機が熟すに及んで、立ち位置が同じになったような気がしてきた。
戦後の総括は、明治維新にも匹敵する大きな社会運動であると思う。

鈴木邦男ブログからコピペ:

 〈最初制服を着た時は嬉しかったですけど、その後は複雑でしたね。先生が、『これがお前たちの死に装束だ』とか、みんなも『先生は死にそうだ。本気だ』とか言うでしょう。真に受ける方ではないけれど、そりゃ19歳で死に装束着てりゃ複雑な心境。なんて言うか…一言で言えば、恐かったですよ。冗談でやってるわけじゃないし、しかも左派的な大衆啓蒙運動でもない。そういうことがわかってたら、結論は血を見ることだって、誰が見たってわかるわけです。
 それで、9月頃、自分は腹も切れないし、刑務所にも行けない。退会させてくれって、言ったんです。〉

 これは正直だ。なかなか、こうは言えないものだ。勇気のある証言だと思う。19才で、そりゃ、恐かっただろう。「死に装束だ」なんて三島に脅されりゃ、なおさらだ。特攻隊のようじゃないか。村田は他の仲間、先輩に相談する。

(3)さまざまな人間ドラマがあって。まるで忠臣蔵だ
 まるで忠臣蔵の中のドラマのようだ。一つ一つの話がお互いに噛みあって、織りなされていく。そして一服の絵になってゆく。「俺は気づかなかった」という勝又だって、〈決起〉はあると思っていた。班長は皇居の中の済寧館(さいねいかん)で居合の稽古をしていた。皇居の居合の練習のために、班長と副班長合わせて約20人が通行証をもらっていた。

 「刀は先生のも合わせて九振りありました。熊本で二百振り程民家で見つかったことがあって、先生は全部買おうと言ったこともありました」
 さらに、過激な決起プランが練られ、皆で話し合われていた。
 「皇居の御門に車を突っ込む。火炎瓶を投げるなどの訓練もあった。陛下を守りたい。御璽(みしるし)のそばにいたい、というのが先生にはあったと思いますよ」

 凄いことを考えている。皇居に突っ込むなんて。長州藩の過激分子のようだ。そんな不穏なことを考えていた楯の会に、よくも皇居の居合道場に出入りを許したものだ。又、自衛隊だって、「体験入隊」を歓迎し受け入れている。皆、安心し切っていたのだ。いくら体験入隊をしても、「軍隊」ごっこ、だと思っていた。又、「あの三島さんがまさか」と安心していた。そう安心させておいて、三島はやった。それだけ三島の〈信用〉があったのだろう。その辺の右翼だったら絶対に皇居には入れない。自衛隊も入れない。
 田村司はこう証言している。

 〈「楯の会」のことは、兄事していた従兄から知らされていました。週刊誌でも見ていた。グループサウンズの衣装のような制服を着て、チャラチャラしている印象を持っていたけれど、先輩たちから、自衛隊で体験入隊して半端じゃない訓練をすることや、三島由紀夫という有名な作家の話を聞いて、真剣な組織だと思いました。それで、それは面白いと入会するお願いをしたんです〉

 田村司は昭和25年(1950年)生まれ。神奈川大学。「生長の家」出身だ。前出の向井も神大の生学連(「生長の家」の学生部)。又、三島の決起に参加した古賀浩靖、小賀正義も、共に神大の生学連。又、彼らを入れたのは伊藤邦典だ。神大は生学連、楯の会にとっては「拠点校」だったのだ。その伊藤は僕とは小学生の時からの知り合いで、僕の入っていた「生長の家学生道場」に入ってくる。僕は知り合いの持丸博(「楯の会」初代学生長)を伊藤に紹介する。伊藤は「楯の会」に入る。そして神大で仲間を集め、古賀、小賀、向井、田村らをオルグする。神大では、生学連、日学同の幹部を呼んで講演会をやったりもした。活発にやっていた。
 「楯の会」は、初期のメンバーは半分位、生長の家だ。あとは日学同などが多い。三島も「生長の家」には一目置いていた。谷口雅春先生は尊敬し、「こんな素晴らしい学生を育てたのだから」と驚嘆していた。
 「生長の家」の学生は皆、素直だった。大体、親が「生長の家」だから入った人がほとんどだ。つまり、親に言われて、入るんだから、実に素直だし、親孝行な子が多いのだ。オウムや統一教会のように親の反対を押し切って入信したわけじゃない。又、大病をしたからとか、とんでもない不幸があって死を思いつめて、入信した…という人もいない。実に素直に親に言われて入ったのだ。かく言う私だってそうだ。
 中学や高校生の時から「生長の家」の集会に出た。田村氏は宇都宮高校時代、生高連(生長の家高校生連盟)の栃木県委員長だった。「朝生」によく出てる四宮正貴氏は生学連の東京都委員長。私は仙台の委員長だった。

233トキ:2011/08/04(木) 20:12:53 ID:SO3fpWEI
ぼるぼ様

 ご投稿、ありがとうございました。

 今はメジャーな鈴木邦男さんですが、昔はマイナーな世界で頑張っておられました。
私は生長の家とは関係のない事が契機で彼と知り合ったのです。失礼ですが、当時はビンボー
な生活で、それでも節を曲げずに地道に運動をされていました。始めて会ったときも、飯を
喰おうと言って、駅の立ち食い蕎麦を一緒に食べてから、喫茶店で話をしたのを覚えていま
す。もっとも話の内容は最初から最後まで格闘技の話で、政治の話は全然出ませんでしたが。

 彼は、すごく謙虚で、頭が柔らかく、真面目な人でした。
当時、彼と一緒に活動をしていた人達の多くは生長の家の本部講師になっていました。
が、どうもエラそうな言動が目立ち、正直、苦手でした。それに引き換え、鈴木さんは
親しみやすいキャラクターでした。

 これは、勝手な思い込みですが、生長の家部内では、森田=安東先生の解釈による「天皇論」
が主流になっていきました。それは格調の高いものでしたが、親しみにくい解釈でした。
その点、鈴木さんの主張する「天皇論」は、格調があるかは分かりませんが、普通の市民感覚
でも理解できる「天皇」でした。思うに、鈴木さんは、鈴木さんなりに、谷口雅春先生が説かれた
「天皇信仰」を広めようとされたのではないか、と感じます。(どちらの解釈が正しいとか、良い
とかの問題ではなく、特色の差に過ぎないと思います。)

 ご投稿を拝見し、昔の事を思い出したので、投稿しました。

今後ともご投稿をお願いします。

合掌 ありがとうございます

234ぼるぼ:2011/08/09(火) 18:13:44 ID:YA4uz9yQ
またまた古い本をめくっていて気がついたこと。

日本人は、国号を正しく認識することが必要だと思いました。

日本の本当の国号は「大日本帝国」であるー聖なる理想・国家・国民ー谷口雅春、225P

 皆さんは日本の国の国号を何というか、本当に知っていますか?明治の憲法には、ちゃんと「大日本帝国憲法」と書いてあった。それだから日本の国号は、「大日本帝国」というのだとわれわれは信じておった。
 皆さんのように、戦後生まれてきたような人は、明治時代に日本の国号が、「大日本帝国」と憲法に明記してあったのを知らんかもしれんけれども、この立派な「大日本帝国」という国の名前を、どこで、どこの帝国議会で(・・・あるいは戦後の国会においてすらも)国号の変更をしたという事実はないのです。いつの間にか、アメリカ製の押しつけ憲法に、「日本国」というのがわれわれの国の国号の如く表題に書いているけれども、これもウソの国号を書いたのである。
 「日本の国号を<大日本帝国>というのは、ちょっと国が小さすぎるから「大」をとってしまえ。そして、天皇を政治の圏外に追い出したから帝国の「帝」をとってしまえ、そして「日本国」という名称にしてしまえ」というのが占領軍の意図だったらしいのです。だけれども、この国号の変更に関しては、帝国議会でも、国会でも「議決して、国号を改めた」という記録もないし、そんな事実も実際にないんです。
 ない国名を、換言すれば嘘の名称をこの押しつけ憲法には書いてあるんだから、どこかよその「日本国」という国の憲法であって、我々の生きている大日本帝国の憲法ではないことは明らかなのであります。

<ちょっと、省略、・・・キー入力が面倒なんで、>

 それですから僕は、福田総理大臣にその旨を「生長の家」誌の(昭和52年6月号)明窓浄机欄に公開質問状的に書き、別にその旨を書いた手紙を生長の家政治連合会長の田中忠雄氏に持参してもらって届けてあるんですけれどもね、<福田赳夫総理大臣、その勇気ありや、真に愛国心ありや>というテストが、今、行われている(拍手)というわけなんでありますよ。

 その後の日本の政治は混迷の中迷走を続け、いまや本当に亡国の危機を目前にするに至りました。目覚めて、立ち上がるべし。

235トキ:2011/08/09(火) 18:56:35 ID:pnc/LXrU
>>234

ぼるぼ様

 貴重な資料をご提示下さり、ありがとうございました。腕がお疲れではないですか?
勉強になりました。

 今、日本はたいへんな国難にありますが、同時に、国民が少しずつ、目覚めてきたのではないか、と期待をしているのです。
しかし、正しい愛国心となると、これはやはり谷口雅春先生のお説き下さった愛国心が最高のものだと思います。
人間 神の子の基本から説かれますし、日本国の理想もご教示下さりますから、正しい愛国心が身に付きます。

 その意味で、谷口雅春先生のお説き下さった文章を提供して下さり、深く感謝申し上げます。

合掌 ありがとうございます

236「訊け」管理人:2011/08/10(水) 12:47:22 ID:UodBcqiE


 昨日も『弟子像』を拝読しておりましたんですが・・・いやー同書、やは
り皆さんで読んでみたい本です。やや話の流れを「切ってしまう」かのよう
な、そんな印象の話題になりましょうけど、組織部外者が問題を大所から眺
めておりますと、以下抜粋箇所は重要に思えてなりません。各位に於かれま
しては以下御文章、ご高覧くださいますと幸いであります。

――――――――――――――――――――――――――――――

 ある日徳久先生は「単なる数を集めて、数は力だ、というのは
唯物論ですよ」と言われたことがあった。・・・(中略)・・・
さて、釈迦が、「山川草木国土悉皆成仏、有情非情同時成道」と
言っている以上は、釈迦の見る限りのものが成仏しているのであ
る。それ故、迦葉だけでなく、そこに居合わせた聴衆全部が成仏
の姿そのものであったのである。人だけでなく、月も山も川もす
べてである。有情非情であるからには、迦葉の微笑が成仏の姿で
あれば、釈迦の涅槃に際して〝少しも金剛不壊の身体を見ません〟
と言った迦葉も、その発する声もすべて成道であったのである。

 このような時、たしかに数が多く集まれば、光が多く集まる
ということで、数が多いということと光が多いということは一
つのこととなっている。しかしこれは光を多く集めたから光と
なったのではないのである。

 尊師が「数は力なり」と言われたのは、感謝し、礼拝せずに
はいられない、光りある人々に向かって言われた言葉であって、
集まってから光りとなる光の一歩手前の人々に対して言ってい
る言葉ではないのである。

『弟子像』336項
「私の中の徳久克己先生」より
榎本恵吾著

――――――――――――――――――――――――――――――

 まあ、どんな運動にせよ、それがたとえば「総裁追放」であれ「擁護」
であるにせよ、リーダーが参加各位を「神として拝んでいるのか?」これ
は重要なことだと思います。雅春先生もかつて「数は力なり」という趣旨
のご発言をされておられます。が、それでもそこで言われた「数」とは、
光りの数のことなのであり、これは「リーダーが拝みださなくては出てこ
ない」ものなのではないでしょうか。

 ああ、この榎本先生のご指摘ですが、これ、非常に重要なことなのではな
かろうかと。

追伸

「現総裁の粛清反対!」しながら、投稿者を粛清する掲示板や、総裁追放を
主張しながらも、対話希望者まで追放する運動・・・我々はこれに違和感を
覚えるわけですけど、この違和感の正体は、この、榎本先生のご指摘にて明
確に説明できるのでありましょう。
 彼ら、総裁追放を主張する勢力にはこの、雅春先生のような礼拝が欠如し
ているように思うのです。それゆえいくら主張し同志(=数)を募ろうが、
真に機能せずにいるのではないでしょうか。
 そして、「運動員を光りとして礼拝する」という基本を、頭から欠如させ
ておられながらも「雅春先生の御教えを護る!!」と言われるわけです。
(しかもコワモテで)まあ、こんな光景を『生命の實相』愛読でしか生長の
家を知らぬ身が見れば、それはやはり、コメディーにしかならぬと思います。

 集めた「数」を、真に機能させようと思うならば――それは「本気ならば」
と同義ですが、今、なにをされるべきでありましょうか。
 今回は追放派のみを例に出しましたけど、そうではない党派に於いても上
記の『弟子像』御文章は、余程心して拝読せねばならぬものではなかろうか
と。

237「訊け」管理人:2011/08/11(木) 13:32:45 ID:MPQg3/HY
(ここでいいのかなあ?)

>本流管理人さあ

 掲示板冒頭に誤字があります。ご訂正された方がよろしいと思います。
その箇所ですが、以下です。そう、本流掲示板(お気に入り、の)を
クリックすると、いきなり飛び出すあの、顔とでも申すべき箇所です。

――――――――――――――――――――――――――――
注意事項

本掲示番をご覧いただきありがとうございます。
本掲示板は明確な目的を持って設立された掲示板であるため、
下記、「生長の家本流宣言掲示板の宣言」「生長の家本流宣言
掲示板の規約」をよくご覧になり、承諾されたのちに本掲示板
の趣旨に従って御投稿下さい。
――――――――――――――――――――――――――――

 間違いは一行目、です。
 雅春先生の名誉のためにも、即時ご訂正を。

238ぼるぼ:2011/08/12(金) 17:46:03 ID:YA4uz9yQ
>「訊け」管理人殿

貴殿の作成途中の調和ある愛国運動スレ、ですが、まさに生政連の理念が探られていると思う。

僕は、榎本恵吾講師とは、同時代に生きていながら袖触れ合う縁すらなく生きてきました。

貴殿の紹介文で今更感じたことですが、貴殿にも榎本講師にも、貴殿がかつて使ったスターリンの「同志」呼ばわりをしたい位に、共鳴するものがあります。

簡にして要なるこの文章は、特に良い。

――榎本恵吾曰く、

 現象の日本なし、實相の日本のみ独在す。真の愛国心とはこの實相日本を礼拝する心にほかならないのである。實相のみを愛し、實相のみを観て行けばよいのである。

 キリスト曰く 『わが国は此の世の国に非ず』

 曰く、『わが祖国は此の世の祖国に非ず』

もう一つ、付け加えると、

 ぼるぼ曰く、『わが生長の家は此の世の生長の家に非ず』

それと、本流の掲示板の番人さんは、開口一番で、自分は番人であることを宣言したかったんじゃなかろうか。

239志恩:2011/08/13(土) 04:24:42 ID:psrFh/ZU

私も幸運なことに「弟子像」が手に入り、拝読はじめたところです「訊け」様のすばらしいブログも拝見していますが、皆様が異口同音におっしゃるように、この著書は ”ほんとうに凄い本だ”の1言に尽きますね。

今、「服部仁郎先生」と「山口悌治先生」を読み終わり、「吉田國太郎先生」の途中です。
「訊け」様も言われましたが恵吾先生は、山口悌治先生に対しては、徹底的に大批判されてます。

山口先生は、世界情勢の現象的危機を説き「数は力だ」という新体勢の構想を提起されて、光明化運動を推進されたことを恵吾先生は、当時同じ部署の企画局において、常々批判の発言をされていらした。
そして、このご本の中でも徹底的に大批判をくりひろげておられます。
そこには、私の全く存じ上げない山口先生のことが書かれてあり、私は、びっくりしているところです。こんなに批判されてる山口先生がお気の毒に思いましたが、いろいろと恵吾先生に教えられております。


私が本部在職中のときの山口先生は、まだ深く静かに潜行中で、熱心に『万葉の世界と精神』の著書の執筆中でおられました。
私は、その著書が完成しないうちに本部を退職しておりますので、山口先生が正面にでられて「数は力だ」と言われたという時代のことは、知りませんでしたから。
後に『万葉の世界と精神』の出版記念パーティが、東郷神社会館で開かれたときは、(私は、資料集めに微力ながら貢献したこともあり)私は招待されて、出席しております。

なぜ恵吾先生が、「数は力だ」という構想に大批判されておられるかといえば、復興G様が抜き書きされたように、”徳久先生は「単なる数を集めて、数は力だ、というのは唯物論ですよ」といわれたことがあった”

吉田先生の文を恵吾先生が訳されて「数が力であるというのは五官の声であり、肉の声であり、悪魔の声であり、迷いの声である。
                 力とはただ一つ、天皇が力である。中心が力である。悟りが力である」。。悟りとは、實相独在、光明一元になりきることである。自分が先ず渡り切ることである。。。

つまり、恵吾先生は、「数は力だ」という唯物論的構想から発した偽光明化運動に大批判されていると、私は思いました。

P91に 恵吾曰く 【唯物論は争闘の根源】

   物質の存在を認めることは、心が形に支配されることになって、そこからものの考え方なり判断が出発すると、知性は非常に狭く限定され、又感情は執着、悲哀、闘争、愛憎の奴隷となって、實相のコトバである天藾の声、神の声、内部の叡智から湧き出る言葉に、
   心の耳が塞がれてくるのであります。そして所謂(いわゆる)、顛倒妄想となって迷い心が生ずるのであります。

240志恩:2011/08/13(土) 05:40:02 ID:psrFh/ZU

「弟子像」の山口先生の部に、恵吾先生は、企画局の佐脇嘉久(さわき よしひさ)とのエピソードもいくつか書かれています。s39年に佐脇先生に山口先生宅へ連れて行っていただいたこと等。

こちらの佐脇先生はのほうが、山口先生より 企画局では恵吾先生と波長があったのではないかと思います。

佐脇先生(本部講師)は、早大政経学部、国立音大でピアノと作曲を学ばれ、本部で聖歌隊の指導もされてました。大変宗教的なお方で、もの静かでおちゃめで人格者でもありました。
著書に「やさしく書いた日本の神話」「國と人のロマンを語ろう」。。(日本教文社)がありますが、
この佐脇先生は、林 光彦元本部講師と、とても仲良しでもあり、お二人とも山口先生のことは、私が本部におりましたときは尊敬しておられました。

私も、たしかs39年に、山口先生のお宅に遊びに伺ったときは、林 光彦先生と私と二人で行ったんですけれどね。玄関のあがりかまちのところが先生の部屋になっていたとありますが、じつは、実際の山口先生のお部屋は、2階にあったのですが、あまり多くの本を買い込まれたので、
本の重みで、2階の部屋の床が抜けてしまったそうなんですよ。でも、お金がなくて、抜けた床を修繕することができなくて、しかたなく玄関に住んでおられた。伺った時説明されました。理事でもお給料安かったし、本も自腹で買ってた時代です。
先生の奥様は、和裁の内職をされてました。お子さんが、4人おられましたし、生活はきつかったと思います。

林先生と私と二人、本で出来たかまくらのような部屋のなかで、積み上がっている単行本と単行本の隙間に、山口先生と向かい合って座りました。
ほんとは二人の聴衆しか居ないのに、山口先生は、まるで600人は居るかと思われるような、熱弁で大演説されました。「限りなく日本を愛す」という愛国心の話、天皇様の話、自分が生長の家に入信して、いかに世界一の幸せ者だかという話を切々と
つばを飛ばしながら、3時間もされましてね、そのとき、私達は、すごい感動しながら帰途についたことか、いまでも忘れられないほどです。

あの純粋だった愛国者の先生が、なぜ唯物論的構想の「数は力だ」になってしまわれたか。ふしぎです。。

思えば、私が本部におりましたときは、企画局の直ぐ隣の部屋の白鳩会中央部局長の古川 恵偉(えい)全国講師が、全国規模の「白鳩誌100部一括運動」を大展開されてまして、4人の白鳩会全国講師は、各県でひらかれる白鳩会大会、白鳩一泊見真会に出席するたびに
各県連の白鳩会連合会長が、先生への手みやげに何百部、何千部の白鳩誌の注文書を手渡されておられました。それで、末端信者さえ、100部は、むりでも10部一括はしてました。
それが、ものすごく、白鳩誌の誌友拡大につながりました。そういうのも影響されたのかなぁ。

それから、生政連の選挙が、数度実施されている時代です。候補者を当選させるのは、どうしても「数」が必要なのです。それで、山口先生は、「数」のほうに心が奪われていったのかもしれないな、とも感じました。真偽のほどはわかりませんが。
山口先生は、ご本に書かれている以外の病気にもかかっておられた事は、後に、私とも仲良しだった佐脇先生から直に聞いていますが、「歌人で学者だった山口先生には、不向きな仕事を、ものすごくがんばられたので、ストレスだったんだろうな、」とのことでした。

榎本恵吾先生の【弟子像】を、もしも山口先生が、ご覧になられてたら、もっともっと、心やすらかに明るく澄み切りのご心境で、ほんものの光明化運動をよろこびながらされたのでしょうね。それを思いますと、残念でなりません。

241志恩:2011/08/13(土) 07:04:05 ID:psrFh/ZU

 私が、本部を退職後、ある日、自宅に山口悌治先生から手紙が届きました。先生が、理事長のときでは、なかったでしょうか。(時期、まちがったら、ごめん)
何事かと思いまして、封を開けましたら、「選挙の票 20票」、確実に入れてくれる人を、申し訳ないけれど僕に紹介してもらえないでしょうか。という内容でした。
村上正邦先生が生長の家から立候補されたときだったと思います。

私は、その時期は組織に属しており、すでに50票こさえて、地元の誌友会に提出していたので、たったの20票といえども、選挙の票は、急いで新たにつくるのは
困難だったので、兄弟姉妹や親類に声をかけて、協力してもらい 20票こさえて、先生宛に返送しました。

それからしばらくして、また山口先生から手紙がきて、「あなたからご紹介いただいた20名の方々、1人1人に、僕は、確実をきすためご挨拶状を手書きで書いて出したのですが、
そのうちの1名の方、00さんからですが、宛先不明で手紙が返送されて参りました。すみませんが、お調べくださいませんか」

1名のかたが、住所を間違えて記入したようで、調べ直して訂正して、また先生にお送りしたことがありました。
 
だから、どうよって、話じゃないですけれどね。とりとめのない話で、すみません。広く広くというご性格は、ほんとうだと存じます。

242トキ:2011/08/13(土) 10:20:46 ID:yGXq4PbE
志恩様

 貴重なご投稿をありがとうございました。山口先生は、確か、戦前は左翼運動をされていた
方だと聞いております。転向をして生長の家に入り、幸せになられたと聞いております。

 昔の神誌で読んだ先生方が、生き生きと描かれていて、たいへん感銘を受けました。
本の重みで家が傾く、というのは私も経験がありますから、少し笑ってしまいました。

 本当にすばらしい内容で感謝しています。
今後とも、宜しくお願いします。

合掌 ありがとうございます

243トキ:2011/08/13(土) 10:23:37 ID:yGXq4PbE
>>238

ぼるぼ 様

 素晴らしいご投稿、ありがとうございました。訊け管理人様のアップされた文章は
実にタイムリーです。政治と宗教との関わりについて、宗教の側からはどう考えるべ
きか、参考になります。

 この問題も奥が深いですから、ぼるぼ 様のご投稿を心からお待ちしております。

合掌 ありがとうございます

244復興G:2011/08/13(土) 11:49:19 ID:Ir7svY6w

>>239 :志恩様

お帰りなさい!
>後に『万葉の世界と精神』の出版記念パーティが、東郷神社会館で開かれたときは、(私は、資料集めに微力ながら貢献したこともあり)私は招待されて、出席しております。

そうでしたか!
実は、私も出席していて、そのときの記念写真を持ってます。今、出してきて見ております。なつかしいですね。

(しかし、お互い身元の詮索はしないことにしましょうね。)

245復興G:2011/08/13(土) 12:08:12 ID:Ir7svY6w

>>238 :ぼるぼ様

>「訊け」管理人殿
貴殿の作成途中の調和ある愛国運動スレ、ですが、まさに生政連の理念が探られていると思う。

感動です!

この新たな理念、いや永遠の理念で、既に成れる日本国、いや大日本帝国の成仏を!

246「訊け」管理人:2011/08/13(土) 16:55:40 ID:UodBcqiE
5回目の更新「調和ある愛国運動とは」
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65577885.html

 皆さん、ありがとうございます!
 お一人お一人に返信申し上げたいところですが・・・現在、親戚の集まり
があって、ですね、そしてセガレ(5歳)が会食準備中なのに、野球を始めて
おります。手がつけられませんため、あっ・・・・!!!



また来ます(来れないかもw)

247神の子さん:2011/08/14(日) 06:20:07 ID:UodBcqiE
6回目の更新「調和ある愛国運動とは」
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65577885.html
 今回は画像更新のみですが・・・・・・

 皆さん、ありがとうございます!

 ただ同記事ですが・・・あまり人気、ありません(笑)繰り返しご覧くだ
さっている方は・・・50名くらいでしょうかね?ああやっぱ、あれでしょうか
、小難しい文章を載せすぎましたかね(笑)

追伸

 お盆に暴れすぎたセガレ、珍しく発熱です。39度です。

 「おー、熱が出たか(笑)どうせなら、熱、100度まで出すつもりで
がんばれ!」などと言ってしまいましたら、「お前、それでも親かッ!!」
てな叱責を受けてしまいますた(笑)

 「悪いモンが出ているんだ。出てもらわなきゃ困る」と、藤原先生のように
安心しきっていた私です。でも、ああ・・・御教えの現実適用には、溝があり
・・・・皆さん、返信できずに済みません。

248志恩:2011/08/14(日) 06:44:21 ID:psrFh/ZU

 トキ様

トキ様も本の重みで家が傾いた経験がおありになるそうで(笑)。本は重いですからね。

100部一括運動も、100万部運動も、【数は力だ】も、似たようなものですね。上から命令する人は楽だけれど、実行する立場の人たちは、楽ではありません。信徒を幸せにもしませんから、
今後は、そのような運動は、しないほうがいいと思っています。




 復興G様

復興G様も、東郷神社記念会館での「万葉の世界と精神」出版記念パーティに出席されてたとは、それは、奇遇ですね。そのときのお写真見ていらっしゃるのですか。

昔、本部でも、どこかで すれちがったりして、お会いしてるのかもしれませんね。
東京都連とか、いらっしゃったことあるのでしょう。事務局長は、深田様でしたよね。
本部の早朝神想観にも通っておられたそうで、そのころ、大道場での神想観行事がおわったら、食堂で「いもがゆ」(金曜日にみ、あずきがゆ)が、どんぶりで振る舞われていませんでしたか。食堂のおばちゃんは、
白髪の眼光は鋭いけど、心根はやさいい福田あい様という方でした。あいそがわるくて声がでかいおばちゃんでした。

249復興G:2011/08/14(日) 09:06:02 ID:Ir7svY6w

>>247 :神の子さん
は「訊け」管理人殿ですよね。
>ただ同記事ですが・・・あまり人気、ありません(笑)繰り返しご覧くださっている方は・・・50名くらいでしょうかね?ああやっぱ、あれでしょうか、小難しい文章を載せすぎましたかね(笑)

いや、これはアクセス数の問題ではありません。
現に、ぼるぼ様のような優秀な方がご覧になって、

「貴殿の紹介文で今更感じたことですが、貴殿にも榎本講師にも、貴殿がかつて使ったスターリンの「同志」呼ばわりをしたい位に、共鳴するものがあります。」

とレスされていることは、大変な影響力だと思いますよ。

ご令息のこと、
>「悪いモンが出ているんだ。出てもらわなきゃ困る」と、藤原先生のように安心しきっていた私です。でも、ああ・・・御教えの現実適用には、溝があり・・・・

大丈夫です。私も祈ってます。神から大切な使命を授かってこの世に生まれ、神に生かされ守られている尊いご令息様ですから、ますます浄まって、すぐ元気になられます。

合掌礼拝

250志恩:2011/08/14(日) 11:25:10 ID:psrFh/ZU
神の子様

私の末っ子の夫婦にも、訊け君とこと同じ年の、2才と5才の姉妹のこどもがおりますが、同じように一昨日と昨日、やはり39℃の高熱をだしたそうです。

でも、おでこに冷却シップ(熱さまシート)を貼っておいたら、もう熱は下がった、元気になった、とメールがきました。流行り風邪か、知恵熱でしょうね。

そんなことで、死ぬことは、ありません。熱は、体内の悪いものを殺菌するとも聞いています。

すでに、治ってるんじゃないですか。こどもは、よく熱をだしますよ。熱をだしながら免疫力がついて丈夫になってゆくものですからね。

251志恩:2011/08/14(日) 11:55:22 ID:psrFh/ZU

あと、2才〜5才くらいのころは、心身ともに疲れすぎた時、興奮しすぎた時にも、よく高熱をだしますよ。これらも経験からですが、なにも心配いりません。

だけど、熱中症の場合は、きおつけないとね。熱中症の場合は、吐き気あり、立っていられないほどの目眩やふらつきあり。そのときは、即救急車。

253志恩:2011/08/14(日) 14:26:27 ID:psrFh/ZU
復興G様

恵吾先生のご文章を、実に深く読み取っておられるなあと、復興G様には、いつも頭が下がることばかりです。このたびも ご教示、ありがとうございます。

こういう大転換機に、ほんものでおられた藤原先生・榎本恵吾先生のご文章が、このようにあちこちで、ライトアップされ、トキ様、復興G様、ブログ「訊け」様、伝統様。。。多くの立派な精神の持ち主の方々に

たくさんご紹介されたりしていて、私も恵吾先生の大フアンの一人として、心底うれしいかぎりです。


「数」にしても、唯神實相論に立ち還った立ち位置で、新たにスタートすれば、数が唯物論的な「数」ではなく、仏としての「数」になるのですよね。

「詳説神想観」の編纂の仕方をも批判されてるそうで、無私でおられるからこそ、實相をしっかり把握されておられるからこそ、自信を持って、しっかりとした批判もお出来になられたのだと思います。

はっきりと、批判されることは、批判される、そういう男気にあふれる恵吾先生にも「弟子像」を拝読しつつ、ほれなおしているところです。

254460:2011/08/14(日) 16:03:25 ID:GygGdHKM
勝手なことを述べさせてもらったついでに、水をさすことにいたしました。

>>248
志恩さん
ご自分は匿名で、名前をおあげになった食堂の方は一般の方ですよね?
(少なくとも公人クラスの人ではない)
いかがなものでしょうか。

お気に触ることを申し上げて大変申し訳ありませんが、
その方をほめているようでくさしているように読めます。

生長の家の中の世界ではほめることになるんでしょうか、やっぱり。
うーん。
幾度も経験がありますので、思い切って書いてみました。

またひとつ勉強になりました。

255志恩:2011/08/14(日) 16:55:57 ID:psrFh/ZU
460様

ご指摘、痛み入ります。本部職員さんで、公人のおかたでした。
本部の1室に住まわれてもいました。
一般人では、ありません。くちは、わるく愛想もよくなかったけど、みなさんに愛されていました。
私も、だいすきなおばちゃんでした。
でも、私のいいかたがわるくて、そうとられたのは、私がいけませんでした。こんご、きおつけます。

256復興G:2011/08/14(日) 20:27:56 ID:Ir7svY6w

榎本先生は、『試論「波状光明化への道」─内なる神に捧ぐるレポート─』というA5判360頁ほどの本も自費出版されていて(これは『弟子像』よりさらにレアな本かも知れません)、私は頂いているのですが、その序文に当たる「覚え書き」というところに、次のように書かれています。

   * * * * * * *

 茲に為さんとすることは、全く新しいことではなく、尊師谷口雅春先生の御示し下さった道を自らのために鮮明にせんとしたものであり、限りないなつかしさをもって尊師の御いのちに回帰する道である。それがそのまま中心(すめろぎ)への帰一の道であり、天皇への回帰の道であり、中心(すめろぎ)のいのちの動く姿となり完成なるいのちの持続となっているのである。

 イエス・キリストが「汝の罪赦されたり」と人類に向かって宣言したとき、当時の人々は「誰れが罪を赦す権利をイエスに与えたのであるか」と言ったのである。これに対する答えは「汝、誰れからも許可を得るに及ばず」と天からの声はイエスに降り淺いでいる。神は誰れの許可を得て天地を創造せられたのであるか。神はただ許可を与えるだけである。それが生命の相(すがた)である。

 何か時の萌しというものを感ずることがある。何か偉大なる時の近づこうとしつつあることを感ずる。それは何であり、どのようなことかは知らない。この“時”と云うものは自我を死に切っている生命には聴くことが出来るのであろう。

 この書はその“時”のために必ず必要とされるべきものである。そのときのために自然と準備したくなったのも、既に、その“時”と云うものに導かれていると云うことが出来るかも知れない。このような時のためには色々なものが動き出しており、それは天界、霊界、現界においてそれは起っているであろう。その意味で、もっともっと善きものが現われて、この書が必要でないと云うことが興れば、それは幸いなことである。しかし、必ず時は来たる。

──と。そして
──(つづく)

257復興G:2011/08/14(日) 20:43:34 ID:Ir7svY6w
>>256

 そして榎本先生は、「公案」と題して次のように書かれています。

   * * * * * * *

 私は今、「八人しか生長の家を知る者がゐないとして、どうするか、を考えなさい。」(注、これは生長の家本部にかつてあつた八人委員会が尊師から戴いた御言葉。勿論この委員会は現在はない。)と言ふ公案を戴いて、今日まで噴火山上の舞踏を楽しみ平穏らしく日を送つて来たことを恥ぢざるを得ない。尊師に甘え頼り切つてゐたのである。本当は頼るものとしての尊師も無いのである。聖典も無いのである。組織も無いのである。相対の世界に立つて頼るものを外界に探し求め、そのやうな眼によつて発見したものはすべて無常の一面相に過ぎないのである。それは正しく“無”なのである。無いものをあると思ふのが迷ひであると尊師は御諭し下さつてゐる。その迷ひを去らずして、無なるものの上に平穏であるかの如く日を過ごして来た。これは正しく噴火山上の手踊りであつた。

 ……その問ひは直ちに、

「もし、汝一人しか生長の家を知らないとき、その時汝は如何に、何を為すべきや」

 と云ふことと同じであると自分は思ふ。即ち、自分は尊師の御コトバを次のやうにお受けする。

『もし、この世に尊師も無く、聖典も無く、組織も無く、全くの一人、汝が生長の家を知つてゐる時、生長の家が汝において初発の時如何?』

 この問題を仮定としての問題としてしか受け取ることが出来ないとすれば、自分は最早や真の生長の家人と言ふことは出来ない。又、尊師の御コトバに永遠に触れることの出来ない者であると言はなければならない。それこそ「人間は神の子である」と言ふのは早まつてゐる。

 この問題を、此処のところをはつきりと全身の全生命の問題として通過してこそ、正に自分に光が齎らされるのである。此処に光る光こそが真正の光である。この光のほかに光と云ふに値する光は無い。此処に立つてこそ此の世に光を迎へることが出来るのである。

 此処に立たなければ、尊師、尊師と御呼びしつつも、尊師の本当の御いのちを拝み奉ることは出来ないし、又、此処に立たなければ聖典、聖典と御呼びしつつも、尊師の御いのちを礼し拝受することは出来ないと思ふ。

 今まで我々は盛んにこの御教へを伝へよ、伝へよと言つて来た。扨て、その伝へんとする道とは、御教へとは何かと問はれれば「それは尊師の御話を聴いて下さい」「それは尊師の書かれた聖典を読んで下さい」と答へて来たのである。

 しかし、今は最早やそのやうな好い加減なことは許されない。今は最早やそのやうに頼るべき尊師はゐないのである。聖典もまた無いのであり、組織もまた無いのである。今は最早や倶底(ぐてい・和尚の名。「底」の字は代用です)によつて自分の頼るべき形の指を斬つて落されて了つてゐるのである。

 此処に於て自分の立てる指は何んであらうか。『生命の實相』第二巻の中で尊師が「無指にして立つ指」と題した一節の中で諭されている御コトバを今こそ聴かなければならない時なのではないだらうか。

『和尚これを聞いて小僧の立てた指を切り去つた。小僧は痛いので悲鳴を挙げて逃げようとする。この時倶底すかさず小僧の名を呼んだ。小僧は和尚が何と言ふのかと思つて振向くと倶底は例によつて指を立てて示した。それを見た瞬間その小僧は大悟(さと)つた。何を小僧は悟つたか──それを知るものはその人もまた大悟(さと)ることが出來るであらう。小僧は自分に立てるべき指のある間は形にとらはれて真生命を見なかつた。が、今自分が指を切り去られたとき立てるべき指がない。しかも師の和尚は斯くの如く立てよと指を示してゐるのである。無い指をどうして立てるかここに禅の真生命がある。立てるべき指は形の指ではなかつたのである。指があつて立つやうな指なら指が無くなつたときには立たなくなるであらう。本当に立つ指は指が無くなつても、何が無くなつても立つ指でなければならぬ。和尚が示したのは何が無くとも束縛されない自由自在の『生命の指』であつたのだ。此れが無いと困るとか、彼れが無いと困るとか言ふ者は『生命』の實相を知らない者なのだ。何が無くとも少しも困らないのが、吾らの『生命』の實相であるのだ。(『生命の實相』愛蔵版第2巻223頁〜224頁、頭注版第4巻24頁)

(つづく)

258トキ:2011/08/14(日) 20:45:30 ID:I65ARoG.
>>248

志恩様

 いつも素晴らしいご投稿、ありがとうございます。

 少しバテて寝ていました。本は重いですね。泣く泣く、相当数の本を処分しました。
今は図書館を利用しています。

 すみません、他の方々にもコメントをお返ししたいのですが、少しグロッキーです。
また、後日、コメントさせていただきます。すみません。

合掌 ありがとうございます

259復興G:2011/08/14(日) 20:50:14 ID:Ir7svY6w

 榎本先生「公案」のつづきです。

   * * * * * * *

 今、自分は正にこの小僧の立場にあるのである。それも、指を切り捨てられてしまつた後、倶底和尚に問ひつめられてゐる瞬間の小僧が自分である。そこで自分は、今まで盛んに「伝へよ」と云つて来たその真理とは一体何であるかと問はれて『これだ!!』と応へ得なければならぬ。何ものの力を貸りることなく飽くまでも自分で応へなければならない。ここで『尊師の御話をお聴きになつて下さい。聖典をお読みになつて下さい』と言ふことは許されない。自分以外には答をする者はこの宇宙の何処にもないのである。

 彼(あ)れが無いと困るとか、是が無いと困るとか言つてはならないと云ふ時間さへも無い。つまり今は『尊師がいらつしゃらないと困る』とか『聖典が無ければ困る』とか『組織が無いと困る』とか言つてはならないのである。断じてそんなことは許されないのである。

 自分はここで浅く踏んではならない。世界と自分との全重量感を持つてここの関門に参じなければならないのである。この関門を通るために自分は道を求めて来たのであり、生長の家に来たのである。此処で正しい答を出し得てこそ正に世の中に役立つ人間であることが出来るのである。

 解答は何処にあるのであらうか。

 曰く、解答は何処にも無いのである。自分の内にしか無いのである。否、自分が光なのである。自分が今、此処に生きていると云ふ事実の中にのみそれはあるのである。何ものを否定しても断じて否定することの出来ない自分は今、此処に生きている、といふ事実の中にすべては存する。それは厳粛なる事実そのものなのであり、この事実から『生長の家』は出発してゐるのであつて、所謂観念や空想の中から生れて来たものでは決してないのである。

 重ねて言ふ。すべての何ものへの解答と雖も、今、此処に自分が生きてゐると云ふ事実を離れては無いのであり、すべてはこの事実の中にのみあるのであり、全宗教の全説法も此処から生れたのであり、このことがなければ、此処から出発しなかつたならば、宗教と云ふものは成立することは出来ない。全宇宙さへも存在することは出来ない。『生命の實相』は『生長の家』が此処かち出発し、『生長の家』が荘厳なる事実そのものであることを説き明かすのであつて、決して空理空論ではないことを明らかにするところから出発してゐる。

 即ち、全集『生命の實相』劈頭第一巻は高らかにして荘厳に次ぎの如く光明の宣言をする。



 吾々が生命を礼拝し、かうした『生命』の法則にしたがつて生活することを目標においてゐますのは、吾々がこの世界に『生命』を享けて來た事実から出発するのでありまして、事実ほど力強いものはないのであります。

 吾々が『生命』をこの世界に享けて來たと申しますと、わたしというものが別に何処かにあつて『生命』というものを何処かほかのところから貰つて來たやうに聞えるかも知れませんがさう云ふ意味ではないのであります。吾々各々そのものが一個の『生命』であります。何ものを否定しましても、自分が生きてゐると云ふ事実は否定出来ないのであります。自分は生きてゐると云ふ事実は取りも直さず自分自身が『生命』であると云ふことであります。(『生命の實相』第一巻4頁)

 此処に全『生長の家』の全説法の要がある。今此処に生きる生命(いのち)、この生命は何ものであるか。その生命の実相(ほんたうのすがた)が、この否定不可能の絶対事実が、実在なのであり、神なのであり、完全なのである。

 扨て、問題の解決とは一体何であらうか。解決とは神が『今』『此処』に顔を出すと云ふことなのである。神は完全であるから完全が顕れる時最早や問題と云ふべきものは無いのである。そして「生命」が「実在」であり、「神」であり、それがそのまま自分なのであるから自分が解決そのものなのである。太陽が出る前に昼と云ふものがあるのではない。太陽の出で行つた処を称して昼と云ふのである。問題の解決と云ふものは自分を離れた処の何処かに形として存在するのではない。自分の行つた処を称しで解決と言ふのである。

(つづく)

260トキ:2011/08/14(日) 20:52:43 ID:I65ARoG.
>>256

復興G 様

 なんと、榎本先生のレアな本が続々と出現しましたね。これは、ぜひ、「榎本恵吾全集」を発行
する必要があると思います。これからも、知られざる榎本先生のワールドを教えて下さい。

合掌 ありがとうございます


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