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生長の家政治連合と「今の教え」を考える
232
:
ぼるぼ
:2011/08/04(木) 18:49:02 ID:YA4uz9yQ
三島由紀夫の楯の会について
彼等も生長の家の家族であった時期がある。僕とほぼ同年だが、生きた場所が随分離れていた。
最近、戦後日本の総決算をする機が熟すに及んで、立ち位置が同じになったような気がしてきた。
戦後の総括は、明治維新にも匹敵する大きな社会運動であると思う。
鈴木邦男ブログからコピペ:
〈最初制服を着た時は嬉しかったですけど、その後は複雑でしたね。先生が、『これがお前たちの死に装束だ』とか、みんなも『先生は死にそうだ。本気だ』とか言うでしょう。真に受ける方ではないけれど、そりゃ19歳で死に装束着てりゃ複雑な心境。なんて言うか…一言で言えば、恐かったですよ。冗談でやってるわけじゃないし、しかも左派的な大衆啓蒙運動でもない。そういうことがわかってたら、結論は血を見ることだって、誰が見たってわかるわけです。
それで、9月頃、自分は腹も切れないし、刑務所にも行けない。退会させてくれって、言ったんです。〉
これは正直だ。なかなか、こうは言えないものだ。勇気のある証言だと思う。19才で、そりゃ、恐かっただろう。「死に装束だ」なんて三島に脅されりゃ、なおさらだ。特攻隊のようじゃないか。村田は他の仲間、先輩に相談する。
(3)さまざまな人間ドラマがあって。まるで忠臣蔵だ
まるで忠臣蔵の中のドラマのようだ。一つ一つの話がお互いに噛みあって、織りなされていく。そして一服の絵になってゆく。「俺は気づかなかった」という勝又だって、〈決起〉はあると思っていた。班長は皇居の中の済寧館(さいねいかん)で居合の稽古をしていた。皇居の居合の練習のために、班長と副班長合わせて約20人が通行証をもらっていた。
「刀は先生のも合わせて九振りありました。熊本で二百振り程民家で見つかったことがあって、先生は全部買おうと言ったこともありました」
さらに、過激な決起プランが練られ、皆で話し合われていた。
「皇居の御門に車を突っ込む。火炎瓶を投げるなどの訓練もあった。陛下を守りたい。御璽(みしるし)のそばにいたい、というのが先生にはあったと思いますよ」
凄いことを考えている。皇居に突っ込むなんて。長州藩の過激分子のようだ。そんな不穏なことを考えていた楯の会に、よくも皇居の居合道場に出入りを許したものだ。又、自衛隊だって、「体験入隊」を歓迎し受け入れている。皆、安心し切っていたのだ。いくら体験入隊をしても、「軍隊」ごっこ、だと思っていた。又、「あの三島さんがまさか」と安心していた。そう安心させておいて、三島はやった。それだけ三島の〈信用〉があったのだろう。その辺の右翼だったら絶対に皇居には入れない。自衛隊も入れない。
田村司はこう証言している。
〈「楯の会」のことは、兄事していた従兄から知らされていました。週刊誌でも見ていた。グループサウンズの衣装のような制服を着て、チャラチャラしている印象を持っていたけれど、先輩たちから、自衛隊で体験入隊して半端じゃない訓練をすることや、三島由紀夫という有名な作家の話を聞いて、真剣な組織だと思いました。それで、それは面白いと入会するお願いをしたんです〉
田村司は昭和25年(1950年)生まれ。神奈川大学。「生長の家」出身だ。前出の向井も神大の生学連(「生長の家」の学生部)。又、三島の決起に参加した古賀浩靖、小賀正義も、共に神大の生学連。又、彼らを入れたのは伊藤邦典だ。神大は生学連、楯の会にとっては「拠点校」だったのだ。その伊藤は僕とは小学生の時からの知り合いで、僕の入っていた「生長の家学生道場」に入ってくる。僕は知り合いの持丸博(「楯の会」初代学生長)を伊藤に紹介する。伊藤は「楯の会」に入る。そして神大で仲間を集め、古賀、小賀、向井、田村らをオルグする。神大では、生学連、日学同の幹部を呼んで講演会をやったりもした。活発にやっていた。
「楯の会」は、初期のメンバーは半分位、生長の家だ。あとは日学同などが多い。三島も「生長の家」には一目置いていた。谷口雅春先生は尊敬し、「こんな素晴らしい学生を育てたのだから」と驚嘆していた。
「生長の家」の学生は皆、素直だった。大体、親が「生長の家」だから入った人がほとんどだ。つまり、親に言われて、入るんだから、実に素直だし、親孝行な子が多いのだ。オウムや統一教会のように親の反対を押し切って入信したわけじゃない。又、大病をしたからとか、とんでもない不幸があって死を思いつめて、入信した…という人もいない。実に素直に親に言われて入ったのだ。かく言う私だってそうだ。
中学や高校生の時から「生長の家」の集会に出た。田村氏は宇都宮高校時代、生高連(生長の家高校生連盟)の栃木県委員長だった。「朝生」によく出てる四宮正貴氏は生学連の東京都委員長。私は仙台の委員長だった。
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