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生長の家政治連合と「今の教え」を考える
190
:
復興G
:2011/07/23(土) 09:56:29
明 窓 浄 机(昭和49年12月号『生長の家』誌)
谷 口 雅 春
<4>
(愛媛県の当時白鳩連合会長の寄野美枝さんからのお手紙のつづき)
現象的に分析したならば常識で考へたなら、どんな手を打つても勝目のないやうに見える事も、又個人的には塩崎代議士など一緒に同行して各家を訪問した際、私の肉体では、足が、もう一歩も進まない程、自動車のドアを開けて下さつても後から押して貰はなかつたら座席に乗れないほど、ヘトヘトになるところまで歩いて頂きました。そんな事何回となくくり返しました。たつた昨日まで塩崎先生、此の御恩返しは次の衆議院選で返礼いたしますからと、口を揃へて言つてをつた矢先、今度は、其の人と戦ふ、こんな事が、人間として、出来る事であらうか。
「此のやうな、苦しい事も、顔の悪くなる事も、都合の悪い事も、皆、切つて捨てて無條件で、中心に帰一する事だよ」此の声なき声に、ハツとして起き上りました。そして、今まで悩んだ事は、ほんたうにすつきりといたしました。大きな壁にぶつつかつて大きな風穴が開いたやうに、身も心も一ぺんで軽くなりました。
さうしましたら不思議なことに、其の日の午後、「生長の家」誌を手にした塩崎代議士夫人が、東京からかけつけました。そこで私は初めて総裁先生の御筆を拝読させて頂きました。併し私の心は、六日に生政連へ電話した時とは打つて変つて、澄み切つた青空のやうな気持でしたから、私は塩崎夫人の前へ頭を深々とたれまして、「つい先日までお世話になつた私達が、今度はお宅様と競ふやうな事になりまして誠に申わけないと存じますが、個人の立場としたならば到底、出来ることではないと思ひますが、愛国の至情に立つて、中心に帰一する立場としては、私は生長の家をやめる事は出来ないのですから、何卒御許し下さいませ。貴女のお気持は判りすぎるほどよく判らせて頂きます。どうかお気の済むやうに、なさつて下さいませ」と、頭をたれたまま涙ながらに申しました。
さすがに塩崎夫人も御教を頂いてをられる方だけに涙を浮べてまた逆に、私を、いたはり激励して、お帰りになりました。それはそれは美しい光景で御座いました。さて此の程度ならば何も事更に手紙にまでしなくともと思ひましたが、明窓浄机をよくよく拝読させて頂きますと、やはり一応は、現象面のことも申し上げておいてなほ其の上で、私の無條件のハイが、松山の至極おとなしい、割合ひ消極的な人の多い信徒の一人一人に、此の心を伝へて行くことが出来るか、私も、ひたすらな精進を続ける覚悟でをりますが、どれほどの奇蹟が現れるか、唯々、結果は神様にまかせて、松山の信徒の一人一人に勇気の湧いて来ることを祈りつづけてをります。拙い筆で御座いますが、御奥様から、親しく総裁先生にお話し申し上げておいて下さいませ。再合掌
寄能美枝
谷口輝子御奥様御前に』
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