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生長の家政治連合と「今の教え」を考える

186復興G:2011/07/22(金) 18:11:41
> 180 :トキ様

 貴重な資料をいろいろと教えていただき、ありがとうございます。

 最初、玉置和郎氏は「票が目当て」で生長の家に接近したのでしたが、生長の家の信徒たちが、谷口雅春先生の推される人なのだからと、熱く燃えて命がけの選挙運動をしてくれる、その清らかな目に感動し、滂沱とあふれる涙を抑えられなくなるような体験をした。それから真剣に『生命の實相』などの聖典を読み、生長の家信徒になった──ということを書いた『善人よ強くなろう』という新書版の本(日本教文社刊)が爆発的に売れ、それも大きな推進力になって、昭和40年7月の参議院全国区では85万5千票余りを獲得し、夕刻の、一番多くの人がテレビを見ている時間帯に、「全国区第1位 玉置和觔 生長の家推薦」と報道され、バンザイ、バンザイと沸き立ったことを思い出します。最終的にはトップ当選ではなく、第3位でしたが。
 その3年前昭和37年には30万票で惜敗(落選)だったのが、3年後に3倍近くの票を獲得できたということですから、いかに生長の家信徒が谷口雅春先生の願いにお応えすべく“しゃかりき”になってがんばったかがわかります。

 この生政連は会長が田中忠雄氏、事務局長には大峡儷三(おおはざまれいぞう・「れい」の字にはにんべんがつきます)→ 小山孝雄 → 高森晴雄 → 小倉昌人 氏が事務局長を務められたと思います。

 しかし、現象界の政界は魑魅魍魎の跋扈する世界のようですから、宗教団体が純粋な動機を保ちながら政治活動にかかわることは、容易なことではなかったのですね。

 谷口雅春先生は、「聖胎を長養する」ために、政治活動は凍結するというお言葉を『聖使命』紙に発表されたと記憶しています。

 この生政連の政治運動は、なぜ凍結されなければならなかったのか、私もそれを考えてみたいと思います。


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