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生長の家政治連合と「今の教え」を考える

164トキ:2011/07/20(水) 19:58:47
玉置が教団と絶縁した理由はもう一つあります。これは教団の三代目である谷口雅宣さんの
玉置に対する不信感なんです。
 二代目総裁の清超先生は初代の雅春先生の実子ではありません。若いときに肺結核にかかり
『生命の實相』を読んで救われたのをきっかけに生長の家に入られて、教団の雑誌、出版物の
編集をしておられた。
雅春先生の原稿を毎日取りに行く。そのとき玄関に出て応対されたのが、雅春先生の長女で
ある恵美子先生なんです。お二人が結婚されて雅宣さんが生まれた。雅宣さんは青山学院大を
卒業して産経新聞の記者になった。
 ところが雅宣さんは支局勤務のままで、すぐに本社の政治部に上げてもらえなかった。それ
が玉置の差し金じゃないか、雅宣さんが政治部に果て玉置の政治的動きを全部知られたら困る
から、玉置が圧力をかけて本社に上げないようにしたのではないかという俗っぽい話になって
いるようだと、当時、玉置がぽやいていました。
 もちろん玉置はそんなつもりは毛頭ないと弁明したが、そのうち雅宣さんは産経を辞め、教
団に帰ってしまった。まもなく私と玉置は教団の全国教化部長の会議に呼ばれて、
「なぜ勝手に選挙制度を変えたんだ」
 と幹部たちからやり玉に挙げられ、雅宣さんからもお叱りを受けた。その時、私が前面に立
って、
「そうじゃないんですー・」
 と弁明しました。玉置自身は制度改正をよかれと思っていたし、私もそう思っていた。独断
でやったわけではない。生政連で機関決定して進めたことなんです、と説明しても教団の不信
感をぬぐえなかった。
 ちょうどそのころ、かつて玉置がつかえた早川崇先生が病死して、和歌山二区の後継者の話
が持ち上がった。それで玉置は、
 「生長の家からそんな糾弾を受けるくらいなら、俺は衆議院に行く」
 と決心して、その直後に衆院選で無事当選を果たした。
(p159~160)


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