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Awake

1月輪ネタ書いた人:2013/09/20(金) 04:45:08
かなり遅くなりましたが…完成させたので

作品の傾向を……
・ ストーリーラインはゲーム本編をなぞる形で進行
・ イメージとしてはGBAパッケージの艶っぽい作画
・ 前半ネイサン→ヒュー 後半ネイサン×ヒュー
・ カーミラたん大活躍。原作「女吸血鬼カーミラ」(レ・ファニュ著)の設定が入っている(少女に対する
 同性愛癖など)のでもちろん男女間のエチーは無し
・ 軽いガチレズ描写とエチーは未遂ならあり
・ 前の討伐の話が出てくる(ネイサンの両親が命を落とした後の話)
・ 姓名は英語圏だが国教会管下のイギリス・アメリカ両国で偶像崇拝禁止を敷いていた1830
 年前後に、神話偶像があるDSSを使用していることからカトリック教徒とし、DSSカードの
 「ブラックドック」の伝承があるイギリス国内の人間にした。(アメリカのほうがイギリスよ
 り偶像崇拝に関しては厳しいし)
・ 史実を踏まえてやっている所がちらほら。
・ ネイサンが最初は頼りない、でも全編通してピュアっ子
・ ヒューがネイサンに突っ掛るのにはそれなりに正当な理由があるから。だけど本当は頼りがいのあ
 るお兄さんだったりする。
・ ドラキュラ討伐にベルモンド一族でなく、何故彼らだったのかというのを捏造している(ベルモンドと
 は書いてはいないけれど)
・グロ描写アリ

では投下します。

2Awake 1話(1/13):2013/09/20(金) 04:46:28
――1830年初秋。

ワラキアのとある湖畔に佇む修道院が、牢獄として利用される事となった。

 その際、修道院として残したのは礼拝堂のみにしたので、それ以外の場所にあった貴重
な品や宝飾品は接収者であるロシア軍によって略奪に遭った。
 管理者がそのような態であったから、近隣住民に至っては、残り物の略奪目当てに参拝
やら囚人に面会するといった、人倫にもとる行為を平気で犯す者が後を絶たず、それによ
って邪悪な者の侵入を許す条件を整えてしまったといえる。
 それから幾日も経たない満月の夜、若い修道士が何かの気配と物音に気づき、確認のた
めに外へ出ると、黒い人影が彼の側を通ったので追い駆けた。
 それは礼拝堂の周辺で振り向きざま突然彼に抱き付くと、急な出来事に狼狽している彼
を尻目に首筋を舌で舐めつつ甘噛みをし始め、ついに牙で首筋の皮を突き破り、血を貪る
ように啜った。
 彼は抵抗したが月光がそれを照らした瞬間、黒いフードを被った上品でなおかつ、堕落
を悪徳と感じさせない程の妖艶さを湛える女の姿が現れた。
 そして、仄かに麝香の匂いたつ、流れるような栗色の髪をした女の与える痛みと快楽の
狭間に、涎を垂らしながら堕ちてしまったのである。
 女は吸血を終えた後、まだ血の匂いが残る彼の首筋を舐めながら、
「貴方は今から私のしもべ、僕よ、私をウラド・ツェペシュの眠る地下墓地に案内せよ」

3Awake 1話(2/13):2013/09/20(金) 04:47:52
 眷属になった修道士に命じると、彼は魔除けの呪符を取り除きながら、女を目的の場所
まで案内した。
「おお、ドラキュラ侯。只今貴方を私の居城へとお連れいたします……“血の盟約によって封
じられし函(はこ)よ、眠りし者の眷属たる我の力に因り、今一度の開放を切に願わん”
……」
 女が詠唱すると墓石は浮かび上がった。そして骨を回収した後、彼女は手にした骨を壊
れない程度に抱き締めて、少しの間恍惚とした表情を浮かべながら微笑んだ。
「侯よ、初めはネクロマンサー様とデス様に復活のための準備を取り仕切って頂き、私は復活の儀
式の間、斎戒と生贄の探索を致します。それまで、暫しのお待ちを」
 やがて背後から「カルンスタイン伯爵夫人」と空虚な低い声が聞こえたので、女は声の方へ振
り向きながら妖艶な微笑を消し、不快な表情で背後の者をねめつけた。
「ネクロマンサー様、私はその名を捨てました。もし呼ぶのであれば“カーミラ”とお呼び下さい」
 その瞬間、混沌の主を迎え入れるかのように大量の蝙蝠の群れが、一点の曇りも無い満
月に向かって羽の音をバサバサとたてながら飛び立った。

――さぁ、恐怖と混沌の祝宴を始めましょうか……

 カーミラはそう呟くと、石のように固まっている修道士を残し、ネクロマンサーと共に紫煙の霧と
なって消えた。

4Awake 1話(3/13):2013/09/20(金) 04:48:57
 それから二ヶ月経った、1830年冬――オーストリア郊外のある古城前の森の茂みにて、三
人の男が古城を見つめていた。
 一人は古城を暗く不安な面差しで瞼に焼き付けるかのように見つめ、ある者は人々の害
を取り除く使命を果たすため、重々しい空気と瘴気に似た霧が纏わり付いている古城を決
意のまなざしで睨みつけ、そして、力の誇示によって己の名声と信頼を勝ち得ようとする
、穢れた目的を持った者と、三者三様の態をなして時を待っていた。
 その日はザァッという音と共に、周りの枯れ木や落ち葉が舞い上がるくらいに冬の冷た
い風が吹き荒ぶ、とかく寒い夜だった。
 すると、冷たい風で気合を入れるつもりか、不安な眼差しをその城に向けていた一人が
、外套として羽織っていた厚手の茶色い布を、元々身に着けていた二本のベルトに互い違
いに巻付けて、スリットの入ったスカートのようにした。
 そして、彼は引き締まった容姿を確りとした表情にし、
「師匠、やっとここまで来ましたね……」
 とグレーブルーの眸を遠い眼差しで見開く灰銀の髪の青年――ネイサン・グレーブスはボソボソ
と暗い声色で、隣にいる初老の男性に向かって話しかけると、
「あぁ、お前や儂の敵をまた討つ事になったな」
 師匠と呼ばれた初老の男性――モーリス・ボールドウィンは静かに答え、その古城を苦々しく見つ
めた。
 その二人の後ろに、ネイサンの兄弟子であり、モーリスの実子、ヒュー・ボールドウィンが漆黒の長髪を
冷たい冬の風になびかせながら、無言で何かを思案するような恰好で腕を組み、大きいモ
ミの木を背にしてもたれ掛っている。

5Awake 1話(4/13):2013/09/20(金) 04:50:19
 初冬の月夜に、粘りつく血の臭いが蔓延し、禍々しい雰囲気を倦み出している古城に、
三人のヴァンパイアハンターがそれぞれの思いを胸に闇を狩ろうとしていた――
その城は月の輪に照らされながら不吉な影を落していた。
――完全な月輪は凶事の証。
 ヨーロッパ世界では、満月はロマンティックな眺めだけではない。忌避すべき光景でも
ある。吸血、淫蕩、嫉妬、傲慢……これらの事象を誘発させる力を持っているとされるか
らだ。
 ネイサンは、後ろでその城を暗い希望に燃える目を輝かせながら、微かに笑い見据えている
青年の様子を哀しい眼差しで盗み見た。
――そんなに凶事を捻じ伏せることに悦びを感じるか……ヒュー……。
 月明かりに映るその顔は、凛とした孤高の様相を呈する端正な容姿で、野望に心を委ね、
酔い痴れている表情は凄みを増した色気さえも放っており、その様態にネイサンは心が疼くと、
咄嗟に自分の胸当てに拳を強く当て、苦渋に満ちた表情で目を瞑った。
――俺には……その感情が全く解からない。俺に、全てとは言わない。ただ、お前の苦し
みを分ち合いたいだけだ。なにか言ってくれ、頼む、恨み言でも良い。俺は全てを受け入
れる覚悟でいる……
「……サン。ネイサン。時刻を合わせろ」
 師匠のモーリスが懐中時計を手に、ダンピールでないヴァンパイアハンターに悪魔や吸血鬼
が見えてくる時刻を告げると、ネイサンは歯を食い縛り、気を引き締めて両親を殺した古城の
主、真祖ドラキュラを倒す決意を固めるため、そして己の脆弱な恐怖に打ち勝つため、束にし
て持っていた聖鞭を力強く握り締めた。
「いくぞ!」
 モーリスは、若い弟子を大声で鼓舞した後、月輪に向かって獣のように咆哮した。

6Awake 1話(5/13):2013/09/20(金) 04:51:17
三人は城門に入ると、早速この世の者でない炎の鎧を纏った悪魔に出会った。
 しかし、そんなものを相手にしている暇は無いので突っ切り、ドラキュラがいるとされる儀
式の間に通じる凱旋通路も魔物を無視して抜けようとしたが、無限に発生するゾンビの群
れが通路を占領していたため、躱わし切れないと判断してやむなく撃破する事にした。
 迫り来る無数の不死者に、モーリスは教会で聖別した上に追尾機能を呪付したダガーを飛び
道具として駆使し、ゾンビに打撃を与えていた。
すると、その刺し口から聖なる白い魔方陣が発現し、炎に包まれた不死者は塵に還した。
 そして、ヒューは教会で聖別されたバスタード・ソードで見事に、一寸の狂いも無くゾンビ
の核――脳天を素早く刺し貫き消失させていた。
「これじゃ、儀式の間まで辿り着けない!」
 それに対し、ネイサンは無限に発生するゾンビを聖鞭で振り回して凌いでいたが、有効打に
はならず余計群がってきた。そう、弱い生き物から取り込む魔物の習性に狙われたのだ。
 彼は継承された聖鞭を自らが使いこなせない事に焦りを感じた上、ゾンビに囲まれた恐
怖で、目の前のゾンビやウィルオウィスプを捌き切れなくなり、たちまち体が硬直して体
中に鳥肌が立った。
 幾度となく吸血鬼退治に従事して来たが、常に恐怖を感じて背中に冷えた汗を際限なく
流しつつ、己の技量のなさに軽い失望を覚えながら事に当たるのは毎度のことだ。
――何度体験しても馴れる事の無い恐怖。ヒューみたいに死と恐怖を征服することで力を確認
するなんて……! 俺には出来ない!! 
 すると、そのゾンビの群れの真横が一閃の光と風が突き抜けると共に、腐肉が辺り一面に
飛び散った。

7Awake 1話(6/13):2013/09/20(金) 04:52:20
「ありがとう、助かったよヒュー」
 ネイサンは、床を濡らしている夥しい腐汁を避け、腐肉が原形をとどめないほど切り裂かれ
たゾンビの死体を飛び越えながら走りつつ、改めて一撃で不死者を屠った彼の剣技の見事
さに舌を巻くと、先ほどの恐怖に満ちた顔付きから感嘆した表情になった。
 だがヒューは、当然だ。しっかりしろと言わんばかりに走りながらネイサンを憮然とした態度で
一瞥してから、目指すべき儀式の間へと視線を向けた。
やがて儀式の間と思われる広い空間が見えてきた。
 そこでは、赤いレザーボンテージの上に、桃色のペチコートを表のスカートとして着用
している、言わば高級娼婦の様ないでたちをした妖花の如き美貌の女が、普通の人間が使
用するには大きすぎる黒い棺桶を、術であろう、直立させて その周りに……死者復活の
魔法陣を黒い文字で、いや、生贄の血液だ!血液で呪詛を構築している! 女は愛しそう
にその棺桶を見つめ、
「我は求める。すべての苦しみ、邪悪を支配するものを!」 
 と、復活のための最終詠唱を行なった。
――しまった!呪詛は完成してしまっていたか!!
 三人は復活の儀式を止めんとするかのように、更に広間に向かって走り続けた。
 しかし、その詠唱が終わるや否や城全体が地響きを起して棺桶が光り出し、その光が収
束すると同時に棺桶が粉々に砕け中から、とても人とは思えない血色の無い、大柄で古め
かしい装いの貴族と思しき男が現れた。

「待っていたぞ、この時を…。すばらしい…。大いなる闇の光、月光が我が体内をよぎる
のを感じる」

8Awake 1話(7/13):2013/09/20(金) 04:54:15
男は地獄の底から聞こえて来る様な低い忌まわしい声を、復活の儀を執り行った女に向
かって威厳のある顔で発した。女は歓喜に満ち溢れた満面の笑みで両手を広げ あぁ……
と甘い声で感嘆を漏らし、思うままに言葉を繰り出した。
「おお、魔王ドラキュラ侯よ。お目にかかれて至極恐悦に存じます」
「うむ…。だが、まだ力が完全ではない…」
 女は近づきつつある滾る肉の匂いを嗅ぎ取り、血の味を確かめるかの様に薄笑いする唇
を赤い舌でなめずりながら、ねぶるような野卑た眼差しでその方向を見つめ、生贄を肉眼
で捉えると、魔性の者が持つ紅玉のような赤い瞳を輝かせ、嬉々とした表情になった。
「すぐさま、お力を取り戻す儀式の準備を…」
 と、その続きを言いかけた所で……
「待て! 貴様を世に放つ訳にはいかぬ!」
 ようやく儀式の間に辿り着いたモーリスは魔性の二人に、巌のような顔を更に厳しくして、
これでもかと言わんばかりに威圧的な表情で睨みつけた。
 ドラキュラはいかつい顔をした人間を見下ろし、少々無表情で逡巡したあと、激しい不快感
と怒りが込み上げて来たが、女――カーミラと同じく生贄の対象として認識すると、ほとばし
る怒りは押さえ込まれ楽しみを得た気分となり、だが冷徹な表情で眼前の老夫を確認する
かの様に呟いた。
「貴様…。覚えているぞ…。我を封印したバンパイアキラーの片割れだな…」
 そして、唇を歪ませて少々屈辱的な単語を冷たく放った。
「…老いたな」
 挑発されたとは思ったがモーリスは意に介さず、ただ義務的に、だが先ほどの姿勢と口調を
崩さずに言い返した。

9Awake 1話(8/13):2013/09/20(金) 04:55:25
「貴様を眠らせておくのが我らが使命」
 その言葉を聞いて、ドラキュラは見下した様子でククク……と漏らして、思案した。
――無力な人間如きが猪口才な――分を知れ。明らかに衰えておろうに……馬鹿が。
やはり、生贄にするか。
「面白い。宿敵である貴様の生命をもって我が不完全な力を補おうぞ」
 ドラキュラの眼球と左手が、カッ、と強い光を発現した。そして、モーリスの後ろにいる二人の
青年の位置を確認して怒号をあげた。
「ガキどもは要らぬわ!」
 その瞬間、彼は眷属の蝙蝠を解き放ち、その床を崩壊させた。
「ヒュー! ネイサン!」
咄嗟の出来事に精神の張りを一瞬失ってしまったモーリスは、落盤した方向に振り向くと大声
で二人の名を叫んだ。
刹那――カーミラが手をかざし、紫煙の玉でモーリスの背後を攻撃した。それに気付いた彼が攻撃
を避けようとして体を捻って反り返えしたが、足が縺れて体の重心が狂い、よろけたのを
見逃さなかったドラキュラが無数の蝙蝠を放ちモーリスにその群れを接触させると、壁に叩きつけ
られたモーリスは背中を激しく打ち据えた。
 それから痛みで意識が遠退くと共に体の筋肉がだらしなく弛緩し、やがて床に崩れ落ち
た。
「師匠!!」
「親父!!」
二人は奈落へ落ち行く中、モーリスの安否を確認するかのように手を天上に伸ばしながら、彼
の名をそれぞれの言い方で何度も大きく呼び掛けて、やがて、聞こえなくなった。
ドラキュラは後ろに控えている下僕に褒美を与えるつもりで、青年二人を奈落へ、正確には
「地下墓地」に落としたのだ。

10Awake 1話(9/13):2013/09/20(金) 04:56:38
「カーミラ、我を復活させた礼としてあの二人をやろう。痛め付けた後にでも血を存分に貪る
か、拘束して肉を犯し尽くすでも良い。どちらでも構わん。バンパイアキラーなら普通の
男よりは楽しめるだろう……」
「有り難き幸せでございます、侯よ。では、生贄を奥へ運んで参ります」
 ドラキュラは無表情で首だけをカーミラの方へ向け、じっ、と何気なく見遣ると、カーミラはペチコ
ートを両手で軽く抓み広げてから、ふわりとした緩慢な動作で畏まってドラキュラの前面に跪
くと、生前に貴族であった彼女の臈たけた微笑をもって、感極まったかのようにドラキュラに
謝辞を述べた。
 もっとも、吸血するのはともかくとして少女にしか興味の無いカーミラは、たとえ女のよう
な容姿をした男であっても、本気で戯れる気などさらさら無かったが。
 しかし生涯にわたって独りの異性を愛し、なおかつ同性愛を毛嫌いしている闇の帝王の
機嫌を損ねるのは、自分の存在にとっても己の目的「世界の混沌」のためにも得策ではな
いと考えると、それを悟られる事も恐れ、あえて己の節を枉げた。
 彼女は気を取り直して召喚の文言を詠唱した。
 そして何もない空間に脈打った丸い波紋が発生し、そこから捩れた白い紐が発現しなが
ら巨大な頭蓋骨の形を造り上げていくと、自身は全身を赤黒いおどろおどろしい色に染め、
サキュバスのような蝙蝠の羽を背中から生やした真の姿に変化した。
 それから、頭蓋骨にモーリスを乗せて儀式の間の奥へ運び、術で生贄を縛り付ける石柱に呪付
した紐で、彼をがんじがらめに拘束しているあいだ、ドラキュラは儀式の間に通ずる扉に封印
を施した。

11Awake 1話(10/13):2013/09/20(金) 04:57:43
 ドラキュラは準備を済ませると儀式の間に現れて、青白く死蝋のようなカサカサとした手から、
黄金色の物体を出現させるとカーミラにゆっくり手渡した。
「カーミラよ、念のため鍵も同時に精製しておいた。この扉はその鍵が無ければ、何人たりと
も、如何な術を用いたとしても解除出来ぬ様にしてある。受け取れ」
「お預かりいたします。それでは私も魔力を付与する儀式をお手伝いいたします」
「いや、よい。お前は我のために時間を稼げ。もしやとは思うが、万が一、ガキどもがデ
スやネクロマンサーを撃破した場合、兎に角この部屋に来るのを阻止せよ」
「御意」 
 ドラキュラは怪しく、おぞましい姿の下僕に、手駒の様に扱う事に何のためらいも見せず淡
々と指示すると、彼女はそのような処遇を是としながらも魔である身分とは裏腹に、どこ
か心寂しい感情を己の中に見出してしまって、戸惑い、目の前の主を辛い表情で仰いだ。
――己の意思では復活できぬ闇を統べる魔王。その心は計り知れぬが少なくとも復活した
以上は、私の意志を汲み取ってもらうためにも、迂闊なことをしてこの主の力を私に向け
させないよう気をつけねば……
 カーミラはドラキュラを安易に利用しようとした己の甘さを戒めた。

12Awake 1話(11/13):2013/09/20(金) 04:58:42
――「……」
「……っ」
 奈落へ落とされた二人は、吹き抜けのような所の平らな岩盤に辿り着き、辛うじて助か
った。
 ネイサンは足を挫いたが、ヒューは無傷の様だ。だが、もしかしたら我慢しているかも知れな
いと思ったネイサンは、自分の事よりヒューのことを心配して声をかけた。
「…どうやら怪我は無い様だ。ヒュー、大丈夫か?」
「ああ。くっ、無様だな。俺もお前も」
 とそれに対し、その配慮を無下にするかのように口角を歪ませ、自嘲気味にヒューは数日
振りにネイサンと口を利いた。ネイサンは、やっと声が聞けたと思ったら、憎まれ口でも嬉しく思
い、にこやかに軽く微笑んだが、ヒューはそれを見て端整な顔を不機嫌な表情に変え、不審
の念を表わすかのようにネイサンから背けた。
――お前に、俺の気持が解って堪るか。力の無い者がその聖鞭を持つことで真の力が発揮
できると思うのか? ふざけやがって……この状況で笑えるなぞ言語道断だと言うに。親
父はこんな奴に聖鞭を渡して、どうかしている! 
 ヒューは、心に余裕を無くした言動を取るようになっていた。
――傲慢、嫉妬、憤怒、強欲。七つの大罪の内、魔を討伐するには罪を犯しすぎている。
このままでは逆に魔に取り込まれると言うのに、モーリスは何を思い彼をこの暴欲の蠢く城へ
連れて来たのだろうか。
ネイサンは、何か否定的な含みを自分に対して向けているなとは気づいた。しかし、今はいち
いち言動を気にしている場合ではないので、モーリスの救出を最優先にした態勢の立て直しを
ヒューに告げた。
「早く、師匠を助けに行かないと」
 すると、お前に謂われなくても解っている、と言った風情でヒューは眉根を寄せネイサンを睨み
つけた。

13Awake 1話(12/13):2013/09/20(金) 05:00:09
「俺が行く。俺の親父だ、俺が助ける。ネイサン、お前は城から出ろ。手出しするな」

 
 と同時に彼は、ネイサンが足を挫き、それを気にしないかのように自分に対して慈しむよう
な態度を取り、なおかつ父親の安否を自分より真っ先に考えた科白を吐いたことに、彼よ
り優位に立ちたいと思う感情が、軽い嫉妬と苛立ちを湧き立たせた。
 そして、ヒューは己が嫉妬している事に気付くと、居た堪れなさと恥ずかしさで、呆気に
取られているネイサンを置いて走り去っていった。
――お前の様子を見ていないと思ったか? 怪我をしているのならさっさと城から出ろ。
足手纏いだ。いつも他人の顔色ばかりを窺って。だから、余計腹が立つ!!
 残されたネイサンはヒューが去った後を寂しく見つめながら、ヒューの苛立った表情と恩義ある
師匠の安否を考えて、一人残された己の状況に不安を感じた。
 そして、やるせない気持を表わすかのように、爪で掌が切れるぐらい拳に力を入れ、直
立した姿勢で悲愁の表情を天に向けると声高に叫んだ。

「俺だって、師匠を助けたい気持は誰にも負けちゃいない!」
――そうだ、師匠とお前は実の親子だ。だけど俺はお前以上に師匠に養育された事に感謝
と、誇りを持っている。親友の子供とはいえ貴族でも金持ちでもない師匠が、普通の連中
みたいに人買いに売り飛ばさなかっただけでも僥倖と感じているんだ! その上、独り立
ちできるように教育を与えてくれた事も、死んだ両親より感謝するのは当然だろう!

14Awake 1話(13/13):2013/09/20(金) 05:01:09
 大分、痛みは引いた様だ。ネイサンはヒューが去った方向を目指し、ゆっくりではあるが障害と
なる魔物を撃破しながら進んでいった。
――大体お前は最近危うい。だから余計に心配じゃないか! それに……正式なハンター
の継承を受けたからといって、俺一人でこの魔城を駆けられると考えるほど、自信なんて
ない。
真祖ドラキュラを倒すなんてとても……前も俺の両親と師匠の三人で討伐するのに、生き残っ
たのは師匠だけというのがそれを証明しているじゃないか……
それに今は自分達が城内の何処にいるのか分からない。
儀式の間へ行こうにも、とても落ちた場所からは這い上がる事が出来ないし、他のルート
から探索しようにも、生き残った地元のハンター達から聞いた情報を元に作成した城内図
は、城門から一直線に位置する儀式の間までの物しかない。
だから二人でルートを開拓しないといけない状況なのに、一体お前はなにを考えてるんだ!
ヴァチカンでの事がお前の思慮を失わせたのか……?
 ネイサンは一週間前の出来事を思い返した。

15Awake 2話(1/16):2013/09/20(金) 05:03:28
――最近、早すぎる埋葬の件数が多くなっている気がする……
――あら、コレラの蔓延が凄いから。嫌ぁねぇ。ここ最近死者の数が多すぎて、吸血鬼
でも出るんじゃないの……? ま、この科学の発展している時代にそんな物出て来る訳
無いんだけどね。

 巷の噂とはいつの世も口さがないものと相場は決まっているが、今回ばかりは楽観して
いられない。

 実際に自分の村でも通常の祈祷が効かない、二週間前に埋葬した遺体が歩き出し聖水を
振り掛けたら焼け爛れ、そのまま朽ちた者。
 そういった事例が多発したために村にある聖水や聖餅の数が少なくなり、村の教会の依
頼で効力が高いとされるヴァチカンの聖具を求め、教皇領ヴァチカンに滞在している三人
のヴァンパイアハンター一行はそう感じていた。
 一行はクリスマス前の巡礼でごった返しているヴァチカン郊外のカフェテラスの一角で
人々を観察しながらこれまで辿った旅路の感慨に耽っていた。
 と言っても故郷スコットランドから半月の強行軍で疲れていたせいか耽ると言うより、
とつとつと無駄話を繰っていただけだが。
 一口にヴァンパイアハンターと言っても、専業で行えるのは伝統的職業として認知され
ているギリシアとルーマニアの一部地域ぐらいで、それ以外の土地では何がしかの副業で
生計を立てている者が多い。

16Awake 2話(2/16):2013/09/20(金) 05:04:22
このスコットランドから来た一行は故郷で観光客の護衛と道案内を副業としている。
 したがって、フランスを横断する際も、鉄道が敷設されていない場所からは、旅費と乗
合馬車乗車の権利獲得を兼ねて、護衛を引き受けながらヒッチハイクのような事をしてい
た。
 スコットランドと言えば、ヨーロッパ各地の戦場で見かける傭兵集団、ハイランド兵の
産地であるから、平民である彼らでも旅行中は各地の宿屋で護衛の依頼が引っ切り無しに
舞い込み、金銭に困る事無く旅路を行く事が出来たのである。
 そして、このカフェバーでダラダラと時間を潰しているのは、数少ない本国出身のエク
ソシストであるヴァチカン在住司祭に出発前、手紙を出して面会の約束を取り付け、返答
の書簡で司祭の使者をこの店で待つようにあったからだ。
 聖別物は直接取りに来るのがこの時代では当たり前である。それに大量に注文したため
、実際に用意できているかは分からない。
「うぅ……ん」 
 初めは糊付けされていたであろうシャツと茶色いジャケット、緑のリボンタイをグシャ
グシャにするほど、寝相を悪くしてテーブルにうつぶしていたネイサンが、度々耳に入る噂話
で起きると、目をこすりながら眠気が残る顔を上げて物憂げな表情でモーリスを見た。
「師匠、イングランドはおろかフランス、ここヴァチカンでも同じ様な例が多発していま
すね」
 モーリスは、聖書を読む手を止め、禿げ上がった頭を節くれ立った太い手で撫でながら、気
晴らしのつもりで自分が着ているオリーブ色のコートを綺麗に直しつつ答えた。

17Awake 2話(3/16):2013/09/20(金) 05:07:10
「起きたか。うむ、護衛を申し付けても通常ならば訝しがって断る旅客もいるが、皆今回
は我先に護衛を付けようと躍起になっておったな」
「7月にフランスでまた革命があったばかりだ、人々が現世に不安を感じるのは当然だろう」
 明朗で人を喰った様な声がした方向を見ると、シルクハットを取り、それをテーブルに
そっと置くヒューの姿があった。
 だが、どんなに厳とした立ち姿でも連日の疲れからか、目の下に隈が出来ている。
「ヒューか、何処に行っていた?」
「母国語が通じる宿屋にチェックインしてきた。大体、スコットランドやイングランドの
教会で聖別した聖水で事足りるのに、プロテスタント教区の者が国教会での聖別物は効か
ず、俺達の村にあるヴァチカンの聖水と聖餅が効いたと言うから与えたはいいが、いつも
ストックを確認しないから、急に入り用になったとき困るのだ……早く知り合いの司祭に
貰って帰るぞ」
ヒューは、自分も疲労困憊なのに、弱みを見せないと言わんばかりに強がって言うと、険の
強い顔をさらに歪ませ、時代にそぐわない長髪を掻き揚げて二人を見た。
そう言えば、自分達が持ってきた荷物が必要最低限のものしかここに無い。
 ヒューは昔から誰にも頼らず物事を進める傾向がある。
 ネイサンはそんなに疲れた顔をしているのなら、痩せ我慢せずに起して手伝わせてくれても
良いのに……そんなに俺が頼りにならないか?と思って、少しむくれたが、ヒューのほうは
自分がある程度さっさと済ませて落ち着きたい、と考えていただけである。

18Awake 2話(4/16):2013/09/20(金) 05:08:11
 ネイサンが物思いに耽っている間、モーリスとヒューは会話を続けていた。
「ろう。……そうは言ってもな、これに似た前兆を儂は思い出して、少し逡巡していたの
だ」
「真祖、ドラキュラか」

――真祖ドラキュラ。
ネイサンは少々背筋に寒気を覚え、生唾を飲み込んだ。そして目はテーブルに凝視して丸くな
り、表情を強張らせた。それを見たヒューは彼の正面を向いて、
「ネイサン、まさかヴァンパイアハンターとあろう者が、真祖の名を聞いただけで怖気付いた
のではあるまい?」
と軽口を叩きつつ微かに笑いながら彼の頭を小突くと、ネイサンは少々ムッとした。
「うるさい。兄弟子だからって言って良い事と悪い事があるだろう。やはり俺が聖鞭を継
承した事が気に入らないのか?」
「お前がどう取ろうと知った事ではない。俺は、お前の様子を見て感じたままを述べただ
けだ。もう、そんな問い掛けをするな!」
 ヒューはムッとし悲痛な面持ちでテーブルを拳で叩き、それから怒りをあらわにして踵を
返すと、給仕にコーヒーを頼むためカウンターの方へ向かった。
 ネイサンはヒューの矜持から来る不満の残る表情を一瞬見た。
彼は口にこそ出さないが、道中も含め暗にその様な表情を出すのでその度に苛立ち、徐々
にもどかしくなってつい、愚問をぶつけてしまった。そしていっそう惨めな気分に陥った。
 ネイサンはこのやりとりを周りに聞かれていないか心配で、キョロキョロと様子を見たが、
巡礼者で満杯のテラスは騒がしく、カトリック信徒のみならずグランドツアー中のプロテ
スタントの子息令嬢も混じって、ギュウギュウ詰めの店内でコーヒーの匂いとタバコの煙
を立たせながら、コーヒーカップを片手に議論し合ったり、恋の駆け引きを見苦しいくら
い大声で掻き立てていたから、彼らの問答はその状況にただただ呑まれていたに過ぎない。

19Awake 2話(5/16):2013/09/20(金) 05:09:35
彼は恥ずかしさのあまり、頭を抱えてテーブルにうつ伏した。
 やり取りを静観していたモーリスはネイサンと、カウンターにいるヒューを無言で見た後ため息を
漏らし、再び聖書を読み始めた。
――どうして、本音を言ってくれない? お前にとって俺は何だ? 親友ではないのか。
それとも……?
 兄弟ではないといえ、十年同じ家で寝食を共にした仲だ、ちょっとした事でも解かり合
えると自負していたが、俺がハンターの称号を受け継いだ時からあいつは、俺に対して突
き放した様な態度をとった。
 知識でも武術でもヒューは常に俺や、他の家系のハンター、国教会一般信徒のエクソシスト
達にも追随を許さない実力を示してきた。
 それに、能力が上だからと言っても決して見下した態度は取らず、いつも親のいない俺
を気に掛けて、本当の兄弟のように接する度量の広い人間だった。
 だからこそ、オーストリアで真祖ドラキュラを倒した師匠、モーリス・ボールドウィンの後継者として
当然の位置にいたのに、何故か俺がヴァンパイアハンターの聖鞭“ハンターのムチ”と、
後継者の称号を継承する事になったからだ。
 ヒューはいつも俺にとって師匠と同じく超える事の出来ない光のような存在だ。そして、
子供の頃から男の身でありながら情愛を抱いた相手だ。
 と言っても、決して許されず、永遠に報われない想いだが。
 この想いを秘めながら気付かれないように、敬愛する親友であり、兄弟子でもあるあい
つを支えて行く――その関係は永遠に続くものだと、ずっと思っていた。

20Awake 2話(6/16):2013/09/20(金) 05:10:53
しかし、あいつは変わってしまった。
 人間、状況が一変すると、対処の方法を見誤れば歯車が狂ったように空回りするらしい。

俺がハンターの称号を受け継いだ次の日から、俺より早く起きるのに、就寝は俺より早い
事が無くなった。
起きている間は基本的なトレーニングをしている以外は書斎にこもって、思想書などを読
み漁っているようだった。
 そして、快活だったあいつの表情が段々険の強いものになって行き、常に寝不足でその
精神を表わすかのように気分屋になった。俺や師匠に直接何も言う事は無かったが、それ
でも狂気に満ちた表情と目付きをすることが度々あり、逆に俺達の不信を買っている。
 師匠であるモーリスが、実力のある実子のヒューより修行中一度も彼を負かしたことのない俺
を後継者に選んだ事で、俺に何を望んでいるのかは判らない。
 確実に判るのは、嗣業における嗣子継承を拒否されたヒューが、嗣子としてのプライドを
ズタズタにされながらも誰にも胸の内を明かさず、自分自身とその他の要因を狂ったよう
に探求し始めた姿が、今にも壊れて跡形も無くなりそうなくらい痛ましい事だ。
 そう思うと継承権を放棄すべきかと考えてしまうが、それは一番してはならない行為だ。
 それは両親が真祖ドラキュラに殺されて、孤児となった俺を育ててくれた師匠の意思を無駄
にする事だし、なによりも自尊心が高いヒューに対して過分な憐れみを懸けて、余計あいつ
の立場と感情を惨めにするものだ。
 だから俺は与えられた運命を、まっとうする事だけに全力を注ぐつもりでいる。
 例え、俺に対してあからさまにヒューが敵愾心を剥き出しても後悔はしない。
そう、これはあいつに対する恋情とは別問題だ。決して譲ったりしない。
 継承した聖鞭を使い、微力ながらも人々のために尽力する事が、今の俺に出来る最大の
使命だから。

21Awake 2話(7/16):2013/09/20(金) 05:11:51
 ネイサンは長い回顧と決意に気を取り直してから、目の前の冷えたコーヒーを一気飲みし、
――旨いが、ほろ苦い……だが、清濁合わせて生きる事はこの様な物なんだろう。
と眉間に皺を寄せ、飲み干したコーヒーカップの底を虚ろに見ながらそう思った。
すると、
――バルヴィーノ(ボールドウィン)さん!
――マウリッヅオ(モーリス)・バルヴィーノさんとその一行の方々はいらっしゃいますか!?
 カフェテラスにナポリ方言で叫ぶ甲高い少年の声が響いた。
三人は少年、いや見習い修士のいでたちをした、ヴァチカンからの使者の姿を確認し、
「ここだ!!」
 と片言の相手の方言で身振り手振りしながら大声で叫んだ。
 見習いはホッとした表情で、自分の胸の辺りに手を添えながらモーリスに柔らかな眼差しを
向けた。
「よかったぁ、言葉が通じない方々ならどうしようかと思いました。僕、イングランドの
人の言葉が話せないから……」 
「して、司祭は用意なさったのかな?」
 カフェテラスは、相変わらず満席で騒がしく大声で話さないと聴こえないほどだが、モー
リスは用心深く周りを見回すと、小声で本題を切り出した。
「はい、ですが、もっと大事な用があるとかで直接、教皇庁の司祭の書斎にお越し下さる
ように申し付かって参りました。外に馬車を待たせてありますので、お急ぎ下さい」
 通常、司祭は自室に外部の者をみだりに招いたりはしない。したがって、緊急事態だと
察した三人は言い様の無い不安を覚えて固唾を呑んだ。

22Awake 2話(8/16):2013/09/20(金) 05:13:14
 教皇庁に着くと、スイス衛兵が訝しそうに三人を見た。それもそうだろう、一般信徒が
教皇庁の聖職者個人の書斎に訊ねて来る事などあまりないからだ。
 しかし、見習いが司祭の名を出すと衛兵は快く通行を許可してくれた。
「いいですか? お判りでしょうが僕の師匠である司祭と、貴方がたが同国人でも、ここ
からはラテン語以外の言語で会話する事は禁止されております。くれぐれもご注意を」
 見習いは歩きながら、あどけない表情をした顔の近くで念を押すように、人差し指を左
右に振ると、こましゃくれた科白を言った。
 そして司祭の個室まで来ると彼は扉をノックし来訪者の到着を告げ、司祭の許可が下り
ると扉を開けてから、三人が中に入るまでドアノブを持ったまま待機した後、扉を閉めて
もと来た道をしずしずと戻っていった。
 その部屋には書類と封蝋を開封した手紙がいくつか投げ出して置いてある、事務用と思
われる司祭の机の前に、質素な造りでありながら、よく磨かれた高品質のマホガニーの椅
子とサイドテーブル一組と、後ろの壁の方に随行員用の長椅子が用意してあり、淹れたて
であろう、温かい湯気が心地よく紅茶とミルクの匂いをさせていた。
「やぁ、モーリス。久しぶりだなぁ元気にしてたか? ヴァチカンで紅茶とは趣も何もあった
物ではないが、教皇庁ではコーヒーより紅茶が好まれるのでね。あ、勝手にくつろいでて
良いよ。見習いの言った事は気にしないでくれ、久し振りに母国語が聞けるのは嬉しいか
らね」
 司祭と思われるモーリスより年嵩に見える男性は来訪者を見ずに、軽食が揃えてあるティー
テーブルで三人分の紅茶を淹れながら、陽気な声の母国語で暗い面持ちをした三人を迎
え入れた。

23Awake 2話(9/16):2013/09/20(金) 05:14:34
「有り難う御座います司祭、お久しぶりです。こちらはつつがなく暮らしております。し
て、聖別物以外での用事と伺いましたが?」
 モーリスはカップとソーサーを司教から渡されると、さっそく重い口調で訊ねた。司祭はそ
の様子を見て顔を歪ませて手を組み一瞬考え込むと、何か吹っ切れたかのように切り出し
た。
「では、早速言おう。オーストリアの修道院から昨日速達で知らせが入った。一ヶ月前か
らオーストリアで真祖ドラキュラの復活の儀式を行なっている者がいるそうだ。だから君達に
討伐を依頼したい」
――やはりその事だったか!!
 三人は自分達の懸念が嫌な形で的中した事に、驚きの表情を隠せなかった。
「ヴァチカン総本部および、エクソシスト以外の職務の者は知らない。だから、ヴァチカ
ンは君達を支援する事は出来ないが、なけなしの私財から君達が本国に帰るまでの旅費の
一切を面倒見よう」
 司祭は断るなよ?と言わんばかりにモーリスの面前まで顔を近づけ、じっ、と真面目な顔を
して畳み掛けた。
 その言葉にモーリスはティーカップを持ったまま体を強張らせ司祭を見つめ、ネイサンは口にし
ていたスコーンを取り落とし、ヒューは司祭の表情を見ながら黙々とサンドウィッチを頬ば
り、次の科白を待っていた。
「しかし司祭、その、地元のハンターはどうしているのです? しかも司祭もエクソシス
トならばヴァチカンの教義として受け入れられないとは言え、秘密裏にオーストリア帝国
の正教のハンターに依頼すべきです」
 モーリスは地元のハンターを無視してまで討伐する理由を見出せず、この状況を異常だと思
い問い質した。

24Awake 2話(10/16):2013/09/20(金) 05:15:31
「君も知っての通り、ヴァチカンだけでなく正統なローマ・カトリックのエクソシストと
ハンター達は、生者ならまだしも最後の審判の前に時を経た完全なる沈黙者の死者復活が
あったとしても主以外の者は手を下せないのだ。死人と認識しているからな。しかもロシ
ア領のシュナコブ寺院に侵入者が押し入り、首筋に吸血痕が残る修道士を使役して奴の遺
骨を強奪したとの情報も入っていてね。したがって復活の儀式を行ったのは、吸血鬼。と
いうことになる」
 司祭は苦笑いをし、教義に反する事実を述べるのに嫌気が差している様子で、ウンザリと
した表情で答えた。
「その上、正教のハンター達はほぼ全滅したそうだ。その前にギリシア独立戦争の際に吸
血鬼が多発して、そちらに引っ張られている者が未だに帰還できないほど、手が回らんら
しい」
「なっ……なんという……」
 モーリスは呆然として空を仰ぎ十字を切った。となると自分達に白羽の矢が立ったのは当然
だろうと納得した。
「いや、そんな理由だけで君達に討伐を依頼してないよ。話は最後まで聞きなさい」
 司祭はきっぱりと言い放った。では、どういった理由だ。
「10年前に封印した者に責めを負わせよ。と言うのがエクソシスト並びにハンター達の総
意だ。だから、君達の予定は強制的に変更してもらう。二時間後に出立してくれ」
「そんな無体な!」
 モーリスは、ヴァンパイアハンターとして真祖ドラキュラを討伐したいと思ってはいるが、それ
は村の依頼を放棄する事になる。

25Awake 2話(11/16):2013/09/20(金) 05:16:14
 仮に輸送するといっても貴族でない自分達の荷物をどう扱われるかは目に見える、途中
で盗まれたら力の無い無辜の人々の命を見捨てる事になるだろう……
そう考えると今すぐには承服する旨を伝える訳にはいかない、と司祭に告げるため口を開
きかけた。
 するとヒューがその様子を見透かして立ち上がり、惰弱な。と思いつつ無表情ながらも目
を鋭く光らせ少々顔を紅潮させながら、しかし悲壮な決意を告げるかのように、すかさず
司祭にゆっくりと一言一句しっかりとした抑揚の無い口調で申し出た。
「我々に、討伐の依頼を受けさせて下さい。我等の力を示すために……」
「ヒュー! 直ぐに結論を出せる問題ではないぞ!」
 モーリスは息子の名声を上げるためだけに発した返答に釘を刺そうと声を張り上げ、同時に
失望と怒りで両目を充血させ椅子から立ち上がって彼の正面まで歩み寄った。
 司祭はモーリスが私的な感情を以て人前で激昂する所など見たことがなかったので驚いたが、
彼がどう解決するか口を挟まずに見守った。

「何故解らぬ、ヒュー! お前が心と精神の均衡を己自身で御せるなら名声を求めても良い
だろう。だが、お前の胸の内は別のことに支配されているのに気付かんか! それをお前
が自身で突き止めない限り……」
 モーリスは言葉をよどませ指を後ろで組み瞼を静かに閉じると、ヒューにとって最大の屈辱とも
取れる言葉を吐いた。
「……ネイサンの足元にも及ばん」

26Awake 2話(12/16):2013/09/20(金) 05:17:14
――人々の恐怖を取り除き、それを終えたと同時に闇の世界へ消え行くのがハンターの役
割であるのに、名声を求めるなぞもっての外だ。
自分の名誉しか考えが及ばぬ者に真に魔が狩れると思うのか? 魔は力で捻じ伏せる物で
はない。それは自分がよく知っている……
確かにネイサンの剣技はヒューより圧倒的に劣っている。
だが、彼は必要以上に感情を剥き出しにする事は無い。魔に利用されず対抗するには己の
弱点を見極め、謙虚な姿勢で事に当たること。
それが、人の住まう事の無いあの場所では力となる……

 モーリスの言わんとするところを解っていながら、ヒューは己の奥底に眠る感情を認めたくなか
った。
 キリスト者として、そして何よりも男として恥ずかしい感情を……だから、嗣業を拒否
された日より始まった研鑽の日々から導き出した答えは、名誉という盾で己の不明を覆い
隠し、目を背ける事であった。
 それが、彼にとって更なる悲劇と屈辱の始まりであろうとも、その考えを変える気はま
るで無かった……この時点では。
――何故、何故俺が……ここまでの屈辱を味あわねばならん!ヴァンパイアハンターとし
て、当然の回答を行っただけではないか。それを親父は……やはり奴に篭絡されたか!  
 彼はそう思うと深遠の湖に突き落とされたかのごとく、手を水面に届かせようと伸ばして
も体が鉛みたいに沈んでいくような、徐々に冷たくなる心持がした。
――嗣業継承を拒否された事で同業者から俺がどのような中傷を受けたか、知る由もあるま
い!

27Awake 2話(13/16):2013/09/20(金) 05:18:15
(貰われっ子のネイサンに家督を奪われるなんて何をしたんだ? あいつ)
(実力のある奴が継承できないって言うのは何かあったんだろうよ)
(あいつ、俺達より出来るからってお高く留まっているから、今度の事で清々したのも事実
だけどな)
(よっぽどの問題があったんじゃないか? じゃないとキリスト者としても嗣業継承者とし
ても普通は継がせないことなど無いのだから)
(そうそう、嗣業継承を拒否されるってことは男として欠陥品だからな。嗣業継承の権利を
勝ち取るまで、貰われっ子のあいつと一つ屋根の下で生活しないといけないオマケ付きだし。
ははは)
(宗教上の徒弟制度ってのはきついもんだね。実子であったのがあいつの不運だね。ま、
俺達も人の心配している暇があったらしっかりやらんとな!)
『貴様等。本人を目の前にして同じ言葉が言えるのなら、今ここで俺の相手をするか?』
(ゲッ、ヒュー! 聞いてたのかよ……)

――いつも尻拭いをしている連中から何故そんなことを言われるのか、全く判らない。
「親父。より強い力を求めて何が悪い。俺は親父のように仲間を己の力不足で死なせたく
は無い!」

 ヒューは悔しさで顔を紅潮させ、目を血走らせながら声を荒げ、己の正当性を訴えようとし
た。
――そうだ。親父にもあの時、より強い力があったのならネイサンの両親をみすみす真祖の餌
食にすることもなかったろうし、何よりもネイサンが真に継承すべきハンターの証も失わずに
すんだ事で、俺がこの見苦しい感情を発露する事もなかっただろうに。
 それから目頭を熱くさせ、少し涙を溜めた悲しげな瞳を父親に向けると、モーリスはヒューを一
瞥し静かな声で諭した。

28Awake 2話(14/16):2013/09/20(金) 05:18:56
「下らん。己の目的のためには他者すらも貶めるか。だからお前にハンターの称号を継が
せなかったのだ。己の言動をもう一度咀嚼するが良い」
 ヒューは自分の言動に何ら疑問を持っていなかったが、モーリスは「無私の感情」が彼の中に
全くといって良いほど育っていない事に、改めて自分の選択が正しかった事に安心と虚無
を感じた。
 そもそも、ヒューがそのような状態であるのに、モーリスがハンターのムチの継承を彼がその
精神を克服するまで待つつもりが無かったのは、ひとえに自分の体力が減退してきただけ
でなく、己の力を恃み、異能者とは言えただの人間が一人で魔性の者に立ち向かうという
愚挙を、己の息子が犯そうとしていることに気付いたからだ。
――確かに、ネイサンや同業者に対して見下した態度を取っていない振りをしていたのは、単
に儂の歓心を得るための道具であり“全ての者に慈しみを与えん”といったキリスト者と
しての美徳を表しただけの物に過ぎん。
それも己の能力を継承者たらんとして恃み、それを自覚した上での行動であるのが余計目
に余る。
そのような心の内を叩き直し、ハンターである前にただの人間である事を自覚させるため
に、あえて嗣子継承の概念を無視したのだが……それが却ってヒュー自身の立ち位置を見失
う結果になるとは予想も付かなかった。
だが、ある意味これで良かったのかもしれない。己の心の研鑽を能力で覆い隠して見つめ
ていなかった事が、どれだけ危険な事か自ずと解かって来るだろう……
 モーリスは我が子の縋る様な眼差しを無言で見つめた。

29Awake 2話(15/16):2013/09/20(金) 05:19:59
それから無言の状態が続き、といっても数分だが気まずい空気が辺りに満ちてきた。
 しかし、モーリス、ヒューはともかくとして、ネイサンと司祭は沈黙を破ろうと間合いを計っていた
が、ネイサンはヒューの震える姿を見ると、余りにも苦しそうな表情をしている彼を早くこの場
から連れ出したい衝動に駆られて、この状況を空気を読まずに壊そうと思って行動に出た。
「ヒュー、まだ話は終わっていない。気をしっかり持つんだ」
 ネイサンはヒューの体から伏せ目がちに少し視線を逸らして、右手でヒューの左肩を力強く掴むと、
父親を無言で見つめながら無表情で唇を引き締め、悲嘆に暮れて怒りで震えているヒュー
の肩を揺さぶった。
 彼の感情に気付きながら、だが無視する気で正気に戻そうとしたが、気が付いたヒューは
触れた彼の手を撥ね付けるかのように強く振り払った。
 ヒューは父親に認められなかった悔しさに苛まれて、もう目の前の青年をおとしめす事しか
考えられなくなると、その様子に黙って自分を見ている彼を尻目に、考え得る限りの侮蔑
をこめて、
「触るな!」
 と苦虫を噛み砕いたような苦渋の表情を彼に向け、強い口調で一蹴した。

 そして、その問答にキリが良いと判断した司祭は、モーリスの方を静かに向いて提案した。
「私がスコットランドへ赴こう。それならモーリス、君も心置きなくドラキュラを討伐できるだろ
う?」
 しかしモーリスはとんでもないと言わんばかりに固辞した。ヴァチカンにいるこの司祭は、
そこで政治的な職務に就いている者だから彼は躊躇したのだ。

30Awake 2話(16/16):2013/09/20(金) 05:21:00
「司祭、貴方にはヴァチカンの職務があるはずです、それを放棄してまで……」
「いや、特別な職務が無い司祭なぞ、このヴァチカンには掃いて捨てるほどいる。私は仮
にもエクソシストだ。それなりの責務を己の国で果たすのがいけないとでも?」
「ですが……」
「くどい。それに、去年から連合王国全土で、カトリック信徒の職業解放が進められてい
るのに乗じて、今ヴァチカンは連合王国に対して、カトリックの布教を推し進めているん
だ。利権に敏い上層部の事だ、ちょっと言を弄すれば私も直ぐ出立できるよ」
 司祭は口角を上げてモーリスに微笑んだ。モーリスはそこまで言うのであればと観念して畏まっ
た表情になり、後ろの二人と共に司祭の前に跪くと、司祭は皺としみが浮き出ている手を
モーリスに差し出した。
 彼はその手を取ると恭しく甲に唇が触れない程度で口付けし、決意の眼差しに変わった
いかつい顔を上げ、力強くラテン語で承諾の意思を伝えた。
「承りました。我等の信仰に於ける力を以って……難に当たらん。真祖に藭の鉄槌を與
(あた)え、総ての事象に安息を齎(もたら)さん事を……アーメン」
 言い終わった後、三人は、いや、ヒューだけは心に狂乱の炎を滾らせながら神妙な顔で、
十字を切った。

31Awake 3話(1/24):2013/09/20(金) 05:24:43
――ヴァチカンであのように詰られたからと言って、やはり今のお前は危うすぎる。
「俺の親父だ。俺が助ける」だって? まるで吸血鬼ブームに乗っかったハンターもどき
のような言動じゃないか。確かに師匠が捕われた事は痛手だがチームを組んで仕事として
いる以上、英雄譚のように突出する性質の物じゃない。だからこそ力を併せて事に当るの
が望ましいのに一人で為そうとするなんて……
いや、やはり俺は一人でいるのを恐れているのか? 今まで一人でヴァンパイアを討伐し
た事なんて無かったから。
「怖いか……そもそも何故あそこまで言われて、詰られても俺はあいつを求め愛し続けよ
うとしているのか……」
 だが、今は夢想している余裕などない。魔性の生き物は城に侵入した血肉を凄惨に屠る
ためネイサンに向かってありとあらゆる攻撃を仕掛けてきた。
「クソッ! 次から次へと飽きもせず! 一体どこから湧いて来るんだこいつらは!?」
 しかし身を守るために屠り返す事によって徐々に先程の恐怖は若干薄れ、薄暗い空間に
目と神経が慣れてきたのかネイサンはある程度眼前の敵を屠り尽すことができた。
 汗を拭いながらそれを確認すると今度は外に向けていた感覚が消失したせいで次の回廊
に繋がる鉄の扉を前にして足の痛覚が蘇ってきたが、捕らえられているモーリスの事を考えれ
ば立ち止まるわけにはいかないと奮起した。
 だが、魔のフィールドで身体が万全な状態ではないのに魔性の者の問答を受けたら反撃
する態勢が直ぐには取れず無残にも屠られると想像したネイサンは、己の内面を深く抉り問い
に対して反駁するための内容を考える事にした。
 己が自覚している罪――故郷では晒し者にされた挙句、刑場の露と消えるほどの淫蕩に
関するキリスト者の大罪、ヒューに対するソドムの罪に対して。

32Awake 3話(2/24):2013/09/20(金) 05:26:04
「両親が死んだ日からあいつと同じ部屋で寝起きしていて、それでいつもあいつと一緒に
修行と討伐をして……」
 ネイサンは回廊に続く重い扉を思案しつつ開きながら、まずはその起因を辿ることから始め
た。
「!?」
 ネイサンは扉を開けたと同時に飛び掛ってきた上に、何度も地中から蘇ってくるゾンビの群
れを片っ端から鞭で裂きながら進んでいった。
 その状況に彼は十年前、モーリスと両親が三人で立ち向かった時もこのような反自然的な事
が常にあったと考えると戦いながらもいつ自分が力尽きて屠られるか判らなくなり、背筋
が凍るように張り詰めて硬直する感覚が走った。

――十年前のあの日、両親と師匠、そして俺達はドラキュラが復活する寸前のオスマントルコ
領に近い正教徒自治区の教会に滞在していた。
死者の復活、人で無い者が跋扈し人心を惑わして恐怖に陥れている様を見て、正教徒地区
に蠢いている恐怖の存在を取り除くのに土地の人間で無い上に正教徒で無い自分達の存在
に多少の不安はあったが、それでも適任者が自分達しかいない状況で彼らを見捨てる事は
出来なかった。
――あの時、俺は死と隣り合わせじゃなかったけど、ずっとヒューと一緒に寄り添いながら
正教会の礼拝堂の信徒席に一晩中寝ずに座っていたな。
 俺達は示し合わせたわけでもないのに真夜中に教会にある宿舎の寝室を抜け出し、両親
の無事を祈るため礼拝堂へと向かった。
俺はひとりで立つのすら怖くて震えていたが、ヒューはそれを見ていたのだろう無言で俺の
手の平を握り締め「来い」と一言だけ発してから、縺れかけたたどたどしい俺の歩みに合
わせて連れて行ってくれた。

33Awake 3話(3/24):2013/09/20(金) 05:27:20

 俺たち二人は親同士が僚友で物心ついた時から知っていたけど、俺自身は少しヒューの事
が苦手だった。
 あいつの一族の中でも傑出した素質を持っていて、子供なのに冷たい目で、いや、人を
見透かすように真っ直ぐに対面した人物の目を見る癖があって、何もしていないのに責め
られているようで嫌な気持になったことがしばしばあったから。
 よく覚えている。その日も今日みたいに外は突き刺さるような寒い風が吹き荒れていた。
 だから怯え余計に震えて鳥肌が立っていたが、不思議と握り締めたその手に安堵を覚え
た。
 俺の体温より温かかったこともあるだろうが、修行をしているからか柔らかい自分の手
とは違い、両親の手のような固い表面でタコが出来て傷だらけのあいつの手に、少し大人
に頼るような心持を覚えたからかもしれない。
 いずれにしろイコンと正教十字に縋るため、長い石畳の回廊をゆっくりとだが足音を極
力立てないよう礼拝堂へ俺達は向かった。
礼拝堂は祭壇に置かれた儀式用の長い蜜蝋の柔らかな灯りが揺らめきながら、その内部の
姿を幽玄な異界さながらに映し出していた。
俺達はその姿に心を奪われ暫らく手を繋いだまま呆然と立っていた。
 だが夜中に礼拝堂に立ち入るのは黒ミサと取られてしまう節があるので、無意識にそう
考えて誰にも見つからずに礼拝堂に入るしかなかったが、幸い見回りの修道僧がいなかっ
たのに安心した俺達は身廊(中央の廊下)を駆け抜け袖廊(祭壇側)の信徒席に手を繋い
だまま座って心の中で祈りを呟き始めた。
 しばらくして、俺は静謐の空間に何か不吉な知らせが舞い込んでくるような不安に駆ら
れて、耐え切れなくなり小声だけどヒューに訊ねた。「帰って……来るよね?」と。

34Awake 3話(4/24):2013/09/20(金) 05:28:21
だけどあいつは俺を一瞥してから「ああ」とぶっきらぼうに一言だけしか言わなかった。
 それに俺はハンターの使命として目的が達成できれば人の生死などどうでもいいように
ヒューが見ているのでは無いかと少し憤って、語気を強めてまた訊ねた。
「ちゃんと答えてよ」
 だけど今度は俺をじっと見ながら繋いでいない方の手で、肩口まで伸びた髪を耳にかけ
てから俺の髪を無言で撫でているだけだった。その行動にはぐらかされた様で、とうとう
不安と憤りが頂点に達して涙をこぼし叫んでしまった。
「何か言えよ! お前だってモーリスおじさんの事が心配じゃないのかよ! こんな時にも澄
ました顔しやがって! おれの髪を撫でて慰めて余裕を見せ付けているつもりか!?」
 その声は礼拝堂内に木魂し、そして空しく収束した。ヒューは黒い目を丸く見開き、それか
ら「お前までそんな風に……」と涙声で小さく呟いた。
「俺だって、俺だって……今回ばかりは不安なんだ。だからお前と一緒にいる。そんなこ
と言われるなんて思ってもみなかったよ……」
 いつも澄ました顔で大人に混じってハンターの修行をしているあいつが、「不安」と言
って泣いたのに俺は少し安心した。自分でも酷い感想だとは思ったが、俺と同じ子供なん
だと考えたとともに俺の苛立ちも少しは収まったから。
「ごめん……おれ、どうかしていた」
「エクソシスト、ヴァンパイアハンターの最大の敵である真祖ドラキュラと父さんやお前の両
親が今、この瞬間戦っているんだ。祈ろう。今の俺たちにはそれしか出来ないんだ」
 そうヒューが言ったのを最後に永遠と思えるくらいの時間を、そして静粛を破る足音が聞
えるまで俺達は互いの親の安全を祈った。
 ステンドグラスの填っていない窓から見えた光景からだと夜が白み始めた頃だったろう
か、石畳を一人か二人くらいの駆ける足音が聞え礼拝堂のほうへ近づきつつあるのに気付
き俺達は身構えた。

35Awake 3話(5/24):2013/09/20(金) 05:29:28
「誰か来た。隠れよう」
 ヒューはそう言って扉が開くと咄嗟に俺の服の袖を引っ張り、俺達は側廊(礼拝堂内にあ
る端の通路)の柱へ身を隠して様子を窺った。

 扉の向こうから現れたのは二人分の影で、その二人は小声ながらも怒張を孕んだ様子で
話し合う師匠と輔祭(正教会主教、司祭の補助役)だった。
 輔祭は連日、魔物に襲われ傷ついた村人達に治療を施していて血糊で濡れた黒い修道服
の袖を捲り上げ、同じく衣服や身体に誰の血とも判らないくらい血を浴びた師匠と対話し
ていた。
「その話は余り他の連中には聞かせられぬから詳しく話せ」
「では……」
輔祭は師匠に青ざめた顔を向け焦った様子で、詰問するような切羽詰まった口調で早口で
訊ねた。
「ねぇ? おれの父さんと母さんは……?」
「しっ」
ヒューと俺は内容を聞き取ろうとしたが、祭壇側にいた二人と側廊の柱に身を隠していた自分
達との距離が遠いのでよく聞えなかった。しかし徐々に耳が慣れてきた頃、輔祭が言った
言葉から礼拝堂に怒声が満ちる光景が現れた。
「して、お主は彼らの関節や筋を切ってから帰ってきたのか?」
「そんな! 説明したでしょう! グレーブスは胸骨が皮膚から突き出て夫人は切り刻まれて
いるんだ! それ以上の損壊をする必要は無い!」
 だけど俺もヒューもずっと祈っていたせいか分からなかったけれど、運の悪いことに教会に
避難していた村人の一人が偶然にもその会話を聞きつけてしまい色をなして駆けて行った
村人に気づいた輔祭は、これ以上騒ぎ立てることの無いよう宥めすかしていたが、そのや
り取りに数人の村人が集まり始めた。

36Awake 3話(6/24):2013/09/20(金) 05:31:15
「ハンターの片割れが死んじまっただとぉ!? しかもおめぇ立ち上がってオラたちに悪
さしねぇように筋を切んなきゃいけねぇのに、やってねぇだって!?」
 輔祭はこれ以上抑制できないと思ったのだろう、最後には「準備を」とだけ村人に伝え
側廊側の扉から村人たちを帰した。
「何故だ!? 我らは討伐前にカトリックの信徒と明言した。それを受けて死したら棺を
正教の地に残さずカトリックの地に土葬する手筈を整えると貴方は仰ったではないか!?」
 師匠は約束を反故にされた事に憤りを感じたのか、いや俺だってこの時の師匠の立場で
あれば怒りを感じない事はなかっただろう。しかし、その後がいけなかった。輔祭は師匠
の逆鱗に触れる言動を取ってしまった。
「だが、この土地は正教徒の土地だ! ヴァンパイアによって斃されたハンターはすべか
らく此処のしきたりによって浄化せねばならん」
 当たり前じゃないかというような風情で肩を聳やかしながら両手を広げるといった人を
小馬鹿にする仕草をし、次第に険しい顔で悪意のある口調で話し始めたからだ。
「如何にローマ・カトリックの信徒が腐らない遺体を聖体として崇めていても、この土地
での不朽体は不浄そのものだ!」
 師匠はその時、心無い輔祭の言葉に二人を助けられなかった悔しさと己の体の痛み、そ
れらが交錯したのだろう気付かないうちに彼の黒いフードを両手で力任せに締め上げた。

「手を拱いて見ているだけ、震えていただけの人間に命を賭して戦った者を辱めるなぞ!
 貴様それでも人か!?」
「カハッ……おのれぇ……血迷ったか……!?」
 その声と赤黒く変化した輔祭の顔の色に正気を取り戻し、師匠は締め上げていた手を緩
めたがその頬には止め処も無い涙が流れていた。

37Awake 3話(7/24):2013/09/20(金) 05:32:10
「如何にそれが正教徒の後始末だとしても俺は認めん……認めんぞ」
 首を激しく横に振りながら師匠は背中を丸めて咳き込んでいる輔祭の足元に跪き、呪詛
を唱えるかのごとく何度も茫漠とした目で呟いていた。
 正教の土地においてヴァンパイアによって斃されたハンターはヴァンパイアに成ると信
じられていた。
 そして討伐したヴァンパイアより強い力を持つため、法律の死体損壊罪を無視して秘密
裏に処理される。大概は興奮とパニックに陥った民衆が騒ぎ立てて勝手に行う事が多かっ
たが、逆に聖職者は教区に犯罪者が発生する事態を防ぐために説得をするのが常であった。
 師匠とてこの土地に足を踏み入れた以上その事は重々承知していたが、いざ僚友が目の
前で命を落とし、自身も血だらけで疲労している状態で正気や理性など意味を為さず、結
果はどうであれ守るべき人々に対して手を挙げようとした己の自制心の脆さが許せなかっ
た、と言っていた。
「嘘だ……そんな」
 ヒューが狼狽した顔に両親が死んだ事を確信した俺は、ヒューに正面から取り縋り小さく呟く
と双眸から滂沱の涙を流した。
「じゃあ、父さんと母さんは……? 死んじゃったの……? それに浄化って?」 
「聞くな」
「教えてよ」
 ヒューは一瞬目を俺から背けてきつく自分の唇を噛んだ後、俺の目を真っ直ぐに見て一呼
吸置いて言い辛そうに言葉を発した。
「お前には辛いかも知れないが……グレーブスおじさん達は皆の前で筋を切られ、火葬され
る。本当はあの坊主が村の連中を止める役割のはずなのに……畜生、自分が先頭に立って
後始末を指揮するらしい」
「嫌だぁぁあー! そんなのっ! そんなの……うわぁああぁあぁ――……」
「誰だ!?」
 輔祭が大声で問いかけた事に俺は体が縮み上がり、咄嗟にヒューの背後に回って祭壇側を
見た。

38Awake 3話(8/24):2013/09/20(金) 05:32:55
「ヒュー……それにネイサン。何故ここにいる!? 何故大人しく寝ていなかったんだ!?」
 師匠は先ほどの醜態を俺達に見られたと思った事で少々気恥ずかしくなったのだろう声
を荒げ問いかけていた。
「父さん……」
 だけどヒューは何故か呆けた顔で一言漏らしただけだった。
「モーリスおじさん! 父さんと母さんの体を……切るようなことなんてさせないよね? そ
んなことしたら二人とも天国に行けなくなっちゃう! 嫌だよ! 悪いことしてないのに
父さんと母さんがかわいそうだ!」
 俺は年上の人間に意見する事に畏れを感じて言葉を続けるためにヒューの手を握り締めたが、
悲しみに心を支配されその声は次第に嗚咽へと変わっていった。
 ヒューはその手を握り締めながら、言葉にならない俺の悲しみと怒りの心を代弁するかの様
に二人に対して一言一句、目を見開いて力強く捲くし立てた。
「そうだ! その糞坊主の言うことなんて聞かないでいい。脅威は去ったんだ、こんな土
地からさっさと出で行こうよ父さん! さっきから聞いていたけど人として動けない状態
で立ち上がって人を害することはないと俺も思う」
「黙れ小僧! 異端者が何を言っても私には通じんわ! ハンターの小僧如きが偉そうに!」
輔祭は糞坊主と言われた事と年恰好に似合わず、自分の提案を真っ向から否定しにかかる
その不遜さが鼻についたのだろう年甲斐も無くヒューに怒鳴り散らした。
 科白を一つ言う度に俺の手を徐々に強く握るヒューの心の内はこの時は解らなかったけれど、
残された者の孤独を自分が感じ取って俺を護ろうとしていたのだろうかと、俺はそう思って
いた。
 たとえ違ったとしても傷ついて己さえも倒れそうだったのに両親の名誉を護ろうとした
師匠や、その姿を見て取り乱さず自分の肉親の生存を喜ぶより先に俺の事を気遣ったヒューの
存在が嬉しかった。

39Awake 3話(9/24):2013/09/20(金) 05:33:52
「うるさい! 黙るのはお前のほうだ糞坊主! お前たちは父さんたちの力を利用して平
穏を取り戻したくせに、よくも抜けぬけと死者を辱めることが出来るな!?」
 ヒューは師匠が斃れればその立場は自分だった事に、言葉を紡ぎながら噛み締めて行くうち、
あいつもまた泣きながら自分達に対する不当な結末を必死で抗していたようだった。
「それに、ネイサンを背教者の子供にする気か? カトリックでも正教のしきたりの方法で葬
られた人間は破門者か背徳者の汚名を着た人間だ! 恥知らず! それでもそんなことを
してみろ、お前たちがやったことを当局に垂れ込んで死体損壊の罪を暴き立ててやる!」
「……それぐらいで口を噤め、ヒュー」
 師匠は静かにヒューの悲痛な抗弁を聴いてから眉根をひそめ、ゆっくりと俺達の方へ歩いて
行き寄り添っていた俺達の肩を両手で包み込んだ後軽く叩いて抱き締めた。
「父さん……」
「いつからここにいて、どこまで聞いていた?」
 ヒューは「最初から聞いていた」と聞いたまま、見たまま包み隠さず話し師匠は俺たちから
身体を離し少し考え込む表情をした後、非情とも呼べる提案を俺達に話した。
「最初から最後まで知っているか……よかろう。お前達、俺やグレーブスの職業を誇りに思う
か? それとも怖いか?」
 問われた俺達二人は互いに泣き腫らした目を見合わせた。
「輔祭」
 師匠は彼に上体を向けて横目で見つめながら、嘆息するような息の漏れる声で呼び掛け
た。
「先ほど貴方は二人の遺体を損壊すると言ったが、状態を確かめてからその判断を下して
欲しい」
「ふん……先程とは打って変わって従順になったものだ。良かろう。但しその件は我々が
その裁定を下す事に同意すればの話だが」

40Awake 3話(10/24):2013/09/20(金) 05:34:31
「……それに逆上されてまた首でも絞められたら堪らんからな」
 輔祭は師匠に対して口角を引き攣らせた苦々しい表情で睨み付けて、わざと首の辺りを
擦りながら憎々しげに答えた。
「それから」
「まだ何かあるのか?」

「この二人をあの城跡に連れて行く許可も欲しい」

「ほう、そこまで物分りが良い人間だったのか。ならば先程の所作は何だったのだ。貴様」
「……!」
「な……何で!? 酷いよ父さん! ネイサン……こいつにグレーブスおじさん達を辱める所を
見せるってのか!? 俺だって見たくない!」
 俺は残酷な展開に言葉を詰まらせ、信頼していた者に裏切られたような心持になったの
だろうか、ヒューは一瞬驚いた表情をして師匠に食って掛かった。
「このまま見せないで遺体と対面させるのが普通の親や、大人の心情であろうし俺もその
一人だ。だけど俺はただの親ではなくハンターだ、そして目の前のお前をハンターとして
育て、両親を一晩にして失った……ネイサン、お前にもハンターの血が流れている」
 師匠はより強く温かい腕で俺達を抱きすくめたが、血と埃被った汗の匂いがする濡れた
衣服を通して判るくらい全身が震えていた。
 ハンターになる事は犠牲者の血も屠った者の血も、誰の血とも分からず浴び続ければな
らない賎業である事に変わりはない。だけど誰かが、人外の力に対抗し得る術を持った人
間がその責を負わなければ人の生活や生命は力のままに貪られるだろう。
「俺とてそのような惨い真似を許したくは無い。この言葉を吐いている事自体忌まわしい。
だがヒューよ、俺達ハンターは何のために戦っている? 名誉か? 金か?」

41Awake 3話(11/24):2013/09/20(金) 05:35:28
「力を持たない人のためだ……父さんはそう教えてくれた」
「お前自身はどうだ?」
「……俺は、まだ判らない。皆の後を付いて行っているだけだから」
 ヒューは師匠の問いかけに目を伏せてから上目遣いに師匠の方を向いて最善の答えを探すよ
うに答えたが、師匠はその答えに主体性がないように思えたのだろう。
 継承の際に師匠からカルパチアの惨劇を俺達二人に見せ、職業の選択を与えたと聞いた。
「そうか……ならば後始末を見てから答えを探すがいい。だが、ヒュー。ネイサン。俺はグレーブス
達の死をだしにしてお前達に道を指し示している訳ではないという事を解ってくれ」
 
「ハンターとして生きる事は傍目から見れば、恐れられながらも今では名誉と賞賛を受け
られる職業だろう。しかし、その生と死は平等ではない。道中、匪賊や野生の生物に命を
獲られ、仕事で人々のために斃れたとしてもグレーブス達のように、異郷の地で罪人に等しい
弔い方をされる者の方が多い。俺はお前達に利の側面だけを見せてハンターの道を選ばせ
たくは無い」
 師匠は静かに俺達の頭を撫で、そのままの恰好で輔祭に問いかけた。
「しかし輔祭。貴方は何故法を犯してまで村人を焚き付けるか?」
「この地域は昔から規模を問わず吸血鬼の被害が後を絶たなくてな、一週間もしないうち
に死者がよみがえってきた事だってある……私の妹はその犠牲になった。見習いだった私
はその妹を押さえ付け心臓に白木の杭を深く……深く……」
 輔祭はこれ以上の凄惨な酷い過去を思い出すのが辛いようで、その様子は幼かった俺に
もそう聞こえるくらい悲痛な声で最後のほうは消え入るような声で呟いていたが、肩を震
わせ輔祭は涙を見せたくないのか俺達から体を背けて静かに陳謝した。
「残された者が肉親さえも己が手にかける悲劇を私は、いや私だけでなくこの村の者は皆、
二度と生きている内に目にしたくは無いのだ……助けてもらったのに一時の感情だけで侮
辱して……済まなかった」

42Awake 3話(12/24):2013/09/20(金) 05:36:09
「輔祭……貴方は……」
 師匠は言葉を詰まらせて何と声を掛けようか逡巡していたようだったが、輔祭は同情さ
れたくなかったのだろう、消え入りそうな声から硬い声をだして頑として撥ね付けた。
「忘れろ。力を求めて得られなかった者の言葉など。しかしこれだけは言っておく。後始
末を怠ったが故に二次災害が起きるのは貴様等にとっては関係なくとも、逃げる土地を持
たない人間にとっては遁れられない事態になるのを忘れんでくれ」
 二次災害――死者の復活は伝染病などで死者が大量に発生した時に処理がまずい場合に
起こる事が多い。
 疫病などで死んだ遺体を早急に処理するために棺に入れないまま浅く土葬し、死後硬直
した遺体が土中から腰を曲げたL字型の状態で跳ね起きる現象が挙げられるけど、まずそれ
は死体であってそこから動かない。
 だけどこの場合は稀ではあるが死亡確認せずに仮死状態で埋められた生体が、長時間の
真空に近い圧迫と暗闇の中に放置された事で錯乱状態に陥り、通常の数倍の力を発揮して
酸素と光を求めその空間、急ごしらえの棺を有らん限りの力を持って破壊し、その後は浅
く盛られたばかりの軟らかい土を天上へ、天上へと爪が剥げ血だらけの指先で掻き分けて
這い出てきた生者などだ。
 這い上がって村人を見つけたときに生者の心は喜びに満ち、顔には満面の笑みがこぼれ
ただろう。
 しかし、集団ヒステリーに陥った人々がその生者の血塗れの姿を見て正常な物と判断す
るのは難しく、助けるどころか埋めた自分達を餌とするために煉獄から蘇って来たと思い、
自衛の為に襲い掛かって命を奪ってしまう。
 ただしそれは長くても一週間以内の出来事で、二週間以上も経って這い出てくる事は人
間の体力と状況からして不可能だ。
 完全に土が酸素を吸収してしまい真空になるから。

43Awake 3話(13/24):2013/09/20(金) 05:38:16
だから今ヨーロッパ全土で起こっている死者復活の後に聖水を掛け、朽ち果てた生体は
正確には冥府の住人に生を与えられた死体だ。
 ともあれそれは迷信が混在する土地につき物のよくある惨劇である。
 輔祭は礼拝堂の身廊側の扉を開けながら低く消沈した声で俺達に話しかけた。
「一時間後、カルパチア山脈の稜線から朝日が昇りきる前に崩壊した城跡へ向かう。私は
村の男たちを集めるから、お前たちは万が一のためにすぐに逃げられるよう荷物をまとめ
て置け」
 そして、最後に扉を閉めながら斜に構え横目で俺達を見つめた。その様は傷ついた者を
どう救う事も出来ない人間の弱さが垣間見えるような、言い換えれば救った者の傷を哀れ
み、蔑む視線で見下げると言った聖職者であるにも拘らず放置する人間の卑怯な姿だった。
「馬車と逃走ルートは後で紙に書いたものを渡しておこう。私は三位一体の成句をお前達
に言う事は出来ないが『貴殿等の途に祝福在らん事を願わん』とだけ告げておこう」
 師匠は眉をひそめ渋い顔をし、ヒューは輔祭を始終睨み付け、俺は怯えながら二人に掴まっ
てその言葉を聴き扉越しに響く足音とともに彼を見送った。
 一時間後、白木の杭、火葬するための薪、そして剣やマスケット銃などの武器はおろか、
斧や鋸、柄の長い鍬すらも持って殺気立つ正教徒の男達の物々しい出で立ちを目の前に見
ながら、隊列の最後で行軍している俺達三人は、カルパチア山脈の麓にあったドラキュラの古
城跡へと向かった。
 もし両親の遺体に対して損壊の裁定を下されなければ、そのままカトリック教区へ埋葬
する手筈を整える前に状態によっては、輔祭だけではなく正式な葬儀を履行できる司祭や、
医学的な見地から判断するために村の医者も同行した。

44Awake 3話(14/24):2013/09/20(金) 05:43:12
「うぇっ……ひっく」
 俺は道中ずっと小声で泣き続けて唯でさえ周りの行進についていくのがやっとの俺の小
さい足は、これから行なわれることの恐怖で何度も後れを取り、そのたびにヒューは俺の手を
握って遅れないよう引っ張っていた。
 やがて無数の瓦礫が散乱している城跡が見えてくると、村人達の恐怖と忌避の入り混じ
ったどよめきが次第に伝播するように広がる。
「何てこった……瓦礫だらけじゃねぇか」
「死体なんてあるのか?」
「あっても穢れた死体だべ、見つからない方が幸せだ」
 村人達の無慈悲な言葉は逆に見つからない方が残虐な方法で辱められない事を意味して
いたのだろうが、それでも両親が悪事を働いたみたいな言い方をしているように聞こえて
声のした方を向いて俺は睨み付けた。
 しばらくして瓦礫の小山が見え輔祭は師匠を呼び、静かな声で両親の遺体を安置した場
所を教えるように言うと師匠は疲労と情けなさで涙が溢れて来そうになっている澱んだ目
を拭い、怯えと狂気の眼差しで師匠を見つめている村人の間を峻厳な態度で進み出て列の
先頭に立った。
 それから少し離れた場所だったので小声でしか会話が聞こえなかったが師匠が医者に両
親の遺体の状況を説明したようで、まもなく医者は検死を始めた。
「どうだ、先生?」
「……あなたが報告した通り、男性の方は胸部骨折による失血死で女性の方も裂傷による
失血死だ。いや……これは酷い、膝の下から欠損している。はっきり言って私とてあなた
と同じで、ここまで損壊されている遺体でなくとも……」

45Awake 3話(15/24):2013/09/20(金) 05:43:55
「父さん! 母さん!」
 遠くで見た限りだったけどフードに覆われた母の綺麗なままの顔や、口角から血が流れ
ていたとは言え安らかに息絶えていた父の遺体に取り縋ろうと俺は脇目も振らず駆け出し
ていた。
 どんな姿になっていようと最後の温もりを心に、肌に留めておきたかったから。
「止めろ、その子等を遺体に近づけさせるな。遠くで見せるだけだ」
「行け! 邪魔する奴は俺が止めてやる」
 直ぐにヒューは両手を拡げて俺の進路を確保してくれようとしたけど輔祭の命令にひときわ
屈強な二人の村人が俺の背後、ヒューの正面を羽交い絞めにした。もちろん子供だから大人の
力に勝てるはずもなく、ただただ輔祭を睨み付けながら叫び続けるしかなかった。
「放してよ! おれの父さんと母さんなんだ!」
「くっ……」
「私とて神の僕であると同時に人の子だ、人並みの感情は持ち合わせている。両親が死し
ただけでも酷であろうに、無残にも屠られた体を見せて思い出を壊す事は人の道に反する」
「父さん……母さん……起きてよ、ねぇ起きて……お願いだから!」
 しかし泣き叫ぶ俺を同情しながら見つめる村人達の中に悪魔の言葉を吐く者が現れた。
恐怖に慄いた人の心が魔女狩りなどの非道な真似を起こす事は多々ある。それが己の身に
降りかかるとは誰が予想出来るであろうか。
 まして幼い俺の目の前で両親が煉獄へ落される様など。
「輔祭様よぉ、あんたの妹もちゃんと埋葬していなかったから、あんた自身で杭を打たな
いといけなくなったんだよな?」
「そうだ、おら達はもちろん、あんただって二度とそんな事したくねぇよな!?」
「皆さん止めてください! 医者である私が必要無いと裁定を下したのです。未だにこの
村は野蛮と迷信を引きずっている。私が村を出たときから何ら文明が進歩していない」

46Awake 3話(16/24):2013/09/20(金) 05:44:43
補祭は生きている人間を屠った己の罪を村人に犯させたくなかったのだろうか? 確か
に医者や俺達が狂気の渦に巻き込まれたまま言葉を繰り出しても収まらないだろう。それ
どころか今度は自分達の命が奪われてしまう。だけど……
「腱を切り火葬する以上、機密……お前達は秘蹟と呼んでいたな。秘蹟は与えられん。始
めろ」
「……貴様」
「私はお前たちに永劫憎まれてもいい。だが……弱い、人々の心や感情は許してやってく
れ」
 輔祭は眼光を鋭くして村人達に命令しながら申し訳なさそうに俺達を一瞥し、止めるは
ずの司祭は狂気と興奮と怒号を上げる村人達に「止めろ」と言ったところで逆に自分の身
が危なくなると思ったのだろう、青ざめた顔でその場から動けないように見えた。
 もちろん今ではその感情も理解できるし、彼らとて神の名を口にする前に人間であるの
は解っているが、光に隠れながら真に救済するべき者を虐げた感情を許すことは出来なか
った。
 力を持たなくても人の感情を踏み躙り侵す事を許しては魔物と同義の存在に堕している。
 今でもその考えは変えることは無い。師匠のような冷徹さとヒューのような力が無くても
俺が戦う立脚点だ。
「輔祭、ここまでの状態であれば立ち上がることも無いでしょう! 司祭、あなたも何か
言ったらどうですか! 埋葬式を! 宗派は違えど異教人のパニヒダ(非正教徒に対する
葬儀)で対応できるでしょう。お願いします!」
「畜生! 秘蹟すらしてもらえないだと!? お前らどこまで非道なんだ! 動けず止め
られないならせめて……ネイサン見るな、見るんじゃない!」

47Awake 3話(17/24):2013/09/20(金) 05:45:25
「こ、この餓鬼……なんて力だ」
「生憎だが俺はただのガキとは違うんでね。離せよおっさん!」
「お前は補祭様の言葉を聞いていなかったのか?」
「馬鹿野郎! どんな姿になっていても親は親なんだ。生温い擁護は逆に過去を貪る材料
にしかならない……っ。だけど他人が弄ぶのだけは受け止めることはないんだ!」
 有らん限りの力を振り絞ってヒューは羽交い絞めにしている村人を引きずりながら俺の眼前
に立ち、必死の形相を俺に向けて村人と自分の体を盾に立ちはだかったが、
「ネイサンの前から体をどけろ」
 両親の遺体を離れて静かに歩み出てきた師匠は唇を噛み、悲しみを表した貌で息巻くヒュー
の行動を制止するため拳で頬を殴った。
 一瞬、その行動に驚き村人はヒューを放し、同時に状況が飲み込めずに呆然と倒れ込んだヒュー
は師匠を見上げていたが、我に帰るや否や大声で凄まじい形相で噛み付いた。
「何で! 見せる方がどうかしている! それに何で殴るんだ! 親父!」
「あなたも残酷な方だ……この場に年端も行かない子供を……それもその子の両親が死し
て陵辱される様を見せようとは。やはり下賎な職業についている者は感覚が狂っている」
 今思えば医者は教区に犯罪者が発生する事を恐れたのではなく、無論俺達を同情した人
道的な感情を持ち得てでもなく、己の見地の正確さを否定されたなどと言う利己的な愚慮を
持っての発言であったのだ。
――己の立場と存在意義を無視された時、人はどう動くかにその価値を問われ得るか……
だめだ、この思考の流れではヒューの最近の言動を貶め、己の浴している立場を喜んで甘受し
ている卑劣さが際立ってしまう。
それに俺より実力がある故に始末の悪い状況になってしまっている。
ただの無力で無能な人間の誇大妄想が為しえる言動であれば歯牙に掛ける事も無く、俺自身
も継承にここまで心を削り何度も時間を割いて苦悩することも無かっただろう。
いや、道に外れた恋情で苦悩する状況にも陥らないだろうに。

48Awake 3話(18/24):2013/09/20(金) 05:46:36
 そして、状況は自分の想いと反して進んでゆく。両親の遺体は村人たちが両手足首を掴
まんだ状態で切断されるのを待っていた。
「やめてよ! どうして? 皆のために父さんたちは戦ったのに……モーリスおじさん! ど
うしてとめてくれないの!?」
 肉が、骨が、鈍く緩やかに流れる血が見える。人として構成されている肉体の要素を見
せ青白く横たわる両親の遺体を、護られた人間達が人として存在する事さえ許されない姿
になるまで鋸で切り刻み、首を切断した瞬間、遺体は人ではなくなった。
「――やめてぇえぇぇぇっ――……!」
 辺り一面に痛みを感じる事の無い両親の肉体から体内にいまだ残っていた血が流れ出て
大地を、人を染める。しかし村人達は「不浄の肉体」と呼んだ筈なのにその血を浴びる事
を厭わなかった。
 その姿は護られた者が護った者の肉体を損壊する事の贖罪を行うかのように。
 俺は叫びながら頭が真っ白になると、羽交い絞めしていた村人の体から崩れ落ちるように
座り込み大地に伏して泣き続けた。
 それから俺達は彼らが薪を台のように組み、遺体をその上に安置するさまを呆然となす
術もなく見つめ続けるしかなかった。
「こんな事なら……何のためにお前らを助けたんだ――! お前らのために力を尽くして
も、助けても、誰も、誰も」
 腱を無残なまでに切られ燃やされる両親の遺体を見つめ、ヒューは誰に言う訳でもなくただ
憎悪を帯びた科白を呟き、
「力だ……力さえあればこんな風に辱められる事も、それを許す事も無かっただろうに……
それに、残された者の悲しむ姿なんて見たくなかった……」
 そう言って俺に近づき抱きしめるとずっと……ずっとそのままでいてくれた。それから
カルパチア山脈の麓に翳った影が徐々に太陽の光が侵入して消えて行くとともに、朝焼け
の橙色をした光が俺達に降り注いだ。

49Awake 3話(19/24):2013/09/20(金) 05:47:15
 その時に見た朝陽の清浄で柔らかな光に照らされ包まれたヒューの流す一筋の涙、なのに
不謹慎にも微笑んだように見えた護り輝く綺麗さに、止める事は出来なかったけれど必死
に村人の行動を最後まで押し留めようとした勇気に絶対的な信頼を俺に植え付けた。
 それから2ヶ月かけて帰途に着くも師匠達以外の人間に対する恐怖と両親を失った孤独
は俺の心を支配したまま消える事無く、一日中おびえて師匠の家から出ることすら出来な
くなった。
 そんなある日の夜、
「――うあぁぁぁぁーっ」
「今日も眠れないのか?」
「ごめん、夜中なのに大声出して、ごめん……」
「気にするなって言いたいとこだけど、俺が朝早いのは知っているだろ?」
「……うん」
「俺だって、あんなの見たら怖くて眠れないのはわかる。それに……」
 ヒューは悔しそうに歯を食いしばり俺の肩を掴んでまっすぐに見続けたけれど、やがて直視
する事無く俺を抱きしめた。その体温に毎日目を瞑れば見てしまう魔族の夢を泣きながら
吐露することにした。
「……父さん……母さん。何で死んじゃったんだよ、人のために命を落として……なのに
あんな仕打ちは無いよ」
「お前、その夢を見て起きたときに誰もいないのが怖いんじゃないのか?」
「うん。その夢もね、この世にたった一人で取り残されて周りに見えるのは魔物ばかりで、
そいつらに追い回されて最後には食べられてしまうんだ」
「厭な……夢だな」
「もう、2ヶ月以上もこんなのばっかりで眠れないんだ。くるしいよ」
「本当は同性で同じ床に入るのはだめだけど、今日は俺のベッドで一緒に眠るか? お前
の母さんの代わりにはなれないけど」
「前に神父様が聖書の一節になぞらえて言ってたね。でも、いいの? モーリスおじさんに見
つかったら怒られるよ?」

50Awake 3話(20/24):2013/09/20(金) 05:47:51
――(皆さんよろしいですか? ソドムとゴモラの行ったような悪徳の極みを連想させる行
為もまた彼らと同じ存在に堕してしまう事なのです。主は皆さんを見つめ導くと共に悪徳
をも看取する存在なのです。主を欺く悲しい行為は避けなければなりません。)
「いい。俺はお前を護るって決めたんだから、父さ……親父が何を言ったって逃げない」
「ありがとう、本当にありがとう」
「泣くなよ。こっちまで泣きたくなってくるじゃないか」
――何かこう、抗い難い仄かな痛みが俺の全身を貫いた。
 おれと同じ想いをする人がいなくなってしまえばいい。それにはどうしたらいいんだろ
う? と。
 それに両親が居なくなって普通だったら捨てられる所を師匠は面倒見てくれているし、
何よりヒューは自分の修行を精一杯こなして疲れているにも拘らず俺の事を何時も気遣って声
を掛けてくれる。
 毎日泣いて暮らした所で両親は帰ってこない。それなのに……これだけ恩や情けを掛け
られているのに一体俺は何をしている? 目の前のヒューが悲しそうな眼を俺に向ける。違う、
お前にそんな貌をさせたい訳じゃない。
 だけどこの時は抱きしめられたのが気持ちよくウトウトし始め、やがて心地良い感覚に
呂律が回らなくなって眠りに落ちようとしていた。
「明日から元気出すから泣かないで……お願いだから」
「だ、誰が泣くもんかっ!」
 ともかくその日ほど今まで生きてきた中で安心して眠れたのはなかったと思う。今度は
自分が勇気を出す番だと考えながら。
――明日はモーリスおじさんに自分が進むべき道を伝えるために。
「おれは決めたよ、モーリスおじさん。いや、決めました……師匠。おれは誰にも甘えたくな
い、だから今からおじさんと呼ばずに師匠とお呼びします」
「いいのか? 俺達の途は人のために命を落とすような過酷な物だぞ」
「どこまでやれるか判らない、だけど自分が背負った宿命を無視するような事はしたくあ
りません」
――そしてヒュー……お前と一緒に力なき人々を助けるために。

51Awake 3話(21/24):2013/09/20(金) 05:48:26
もちろんそう宣言しても一朝一夕で自分の望む姿になるはずは無く、日々、鍛錬してい
けば行くほど肉体の軋みが毎日毎日俺を責め立て、師匠やヒューの足手纏いになっている自分
の力の無さに焦りが現れた。
「今日も生き残れたな、俺もお前も」
 ある日の討伐の時だった。俺はいつも戦闘の後にさえ余裕を見せているヒューの姿が見られ
る事で自分が生きているのを実感できていた。もっとも、俺は怪我をして倒れ込んだのを
助けられているような情けない格好でいる事が多かったけど。
「余裕だな。俺は生きた心地がしなかったよ」
「見れば判る。ほら手を出せ、引き上げてやるよ」
「いつもごめん」
「大丈夫か?」
「うん。痛くな……うっ」
「無理をするな。どうしてあんな無茶をしたんだ?」
「あの時のお前と同じ歳になったのに、ちっともお前に追いつけないんだ。お前は遠くへ
行ってしまう。あの時のままの姿で強くなって……だから焦って実力以上の行動を取って
しまった」
「お前は俺じゃない。俺だってお前じゃないんだ、気にすることは無い」
「……」
「それにお前が一歩引いて状況を座視して、やるべき所で俺を援けてくれるから気持ちよ
く戦う事が出来る。お前が俺と同じ力を持っていたら互いに牽制しながら力を誇示しあう
無様な戦いしか出来ないだろうな。つまりだ、柄にも無い事を考えるなって事だ」
「こいつ!」
 悩んだ事を軽く流されたのには憤ったが、力が無い事に自身が恥じる必要は無いし、あ
あ言ってくれた事で俺がヒューや師匠の力の支えになっている事に誇りを持てるようになった。
 だけど俺だって一度ぐらいお前に勝ちたいし、同僚としては対等の存在と認めて欲しい
んだ。

52Awake 3話(22/24):2013/09/20(金) 05:49:01
 それなのに戦う姿や修行している時に見せる冷厳な切れのある、同性から見てもハッと
するような端麗さに心が、体が見るたびに疼いてカルパチアの麓で見た哀しくも温かい表
情とは反対の様態のはずなのに、尊敬と憧憬だけではなく誰にも触れられたくないと言う
気持ちが日に日に募って行った。
 とうとう俺は兄弟として育ったが故に感じた嫉妬心だったのか、それとも一人の人間と
して手に入れたいのか俺自身の気持ちと感情を確かめるために堅信式の朝、臆病で卑怯な
考えと行動だと思ったけれどソドムの罪を犯して弁明する覚悟が無かったから、寝ている
あいつの唇に軽く自分の唇を重ねた。
 ただの憧れなら吐き気を催し、二度とそのような事を考えないと思っていたが……
 それどころか想像していたよりも心地良く、もう一度、違う。ずっとその唇に触れてい
たかった。
 重ねた後に嘆息する音と甘い擬音とともに漏れる息遣いに、俺はその姿をものにし誰に
も触れさせずそれを守るため力は及ばないまでも、ずっと一緒に生きて行きたいと切望し
た。
 だけどそう感じたと共に俺はこの考えに到る事は、ヒューや師匠をも巻き込んでしまう罪を
犯したと気づいてしまったけど一人のキリスト者としてその日、罪の意識を自覚したまま
立志した。
 しかし、満たされない感情をおざなりにして過ごすほど俺は強くは無く、堅信式の次の
日もまた次の日も毎日同じ事をしているはずなのに、ある日は寝惚けて誰かと勘違いした
のか俺の頭を抱き寄せ求めたり、普段のあいつなら絶対に漏らさないような微かな嬌声を
あげ、日々違う反応や様子に飽きる事など無く日を追う毎に愛おしく思うようになって寝
ているあいつの唇を掠め取った。
 もっとも物語で交されるように、互いに貪り合う様な真似は決して出来なかったが。

53Awake 3話(23/24):2013/09/20(金) 05:49:39
だけど、その安定した日々は俺が聖鞭を継承した日から崩れてしまった。
 家人に告知する数日前に俺は師匠に呼び出されて継承するように要請され、そう言われ
る事に納得行かず「一度もヒューに勝ったことの無い俺に何故そのような話をするのです?」
と何日も何度も確認して断り続けたが恩義の前に拒絶することは出来なかった。
 そして継承を承諾したその日ほど朝が、ヒューが目覚めるのを怖いと思った事は無かった。
 唇を重ねる事に後ろめたさを感じただけじゃない、自分自身の力で捥ぎ取った名誉じゃ
ないのに俺は恥知らずにも「これで対等になったのでは」と考えてしまった。
 寝ているあいつを見るたびに事に及ぼうとする感情が一気に溢れ出そうになって、そう
思うと口付けをする事さえとまどい結局、陽光が部屋の窓から差し込みその光でヒューが起き
るまで窓の桟に腰掛けながらその寝顔を見て感情を抑えていたが、継承を承諾した事を家
人に師匠が告知した後のヒューの顔を俺はまともに見られなかった。
 目を逸らした俺の目の前に進み出て差し出した手の先の表情が寂しく、そして「おめで
とう」と静かに発したその声が、俺とあいつが繋いでいた関係を断ち切った音に思えて仕
方がなかったから。
 それから俺はその黒檀の瞳を翳らせた苦悩の表情をしたヒューの表情が毎日ちらつき、後悔
と羞恥が混ぜ合わさった何とも言い難い始末の悪い感情に苛まれながら、今日までよく眠
れないまま朝を迎え、目覚めた時にはすでにヒューは部屋にいなかった。
「人の世界では万死に値する罪でも、ここではどうだろうか? いや、何を考えている。
他者に自分の意思と決定を委ねることは自分の想いを未来永劫、自分の望む方法で達成で
きない事を意味している」

54Awake 3話(24/24):2013/09/20(金) 05:50:14
 暗い、その上気味の悪い虫や魔物が常にその壁と天井を這い回って獲物を求めている、
先の見えない朽ちたレンガの回廊を突き進む事に今更あらためて気持ち悪さも恐怖も感じ
る事は無かったが、扉を開けるたびに戦いながら疲弊しても希望が見えてくる心持から取
り留めの無い事を一人ごちた。
「さて、過去を振り返る時間は終わりだ。救いなのは少なくとも状態も思想も混迷するこ
の城の中では、俺の想いなど小さい上に恥ずべき感情じゃないって事だ。後の事を迷うの
は人の世界に帰ってからすればいい」
 逡巡している内に攻撃が強くなってきた。確かに一区切りを置いて先を見据え眼前の敵
を屠りながら、余計な事に囚われず対処して行かなければ気を取られた瞬間に死んでしまう
――己の力のみに頼る生き方をした事など今まで無かったのだから。

55Awake 4話(1/9):2013/09/20(金) 05:52:45
「ちぃっ!」
 スケルトンが骨を投げ大動物の頭蓋骨であろうか、床や壁に張り付いて口腔から冷たい
炎を発している骨が間を待たずにネイサンに向かって攻撃してきた。少々当たっても致命傷に
なる事はほとんど無いが、無意味なダメージは出来るだけ避けたほうがいい。
 攻撃を避けながらそれらを屠っていくうちに一枚のカードが消失したスケルトンと頭蓋
骨の体内から炎を帯びながら出現した。
 ネイサンは消失した物質の中から物体が出現するなど自然界ではありえない現象だとは思っ
たが、何かの足しになるだろうとマーキュリーとサラマンダーの描かれたカードを拾った。
 それから面白半分に片手でカード同士を十字にするタロットカードの配列方法の一つで
あるケルティッククロスを模した所、彼の手から眩しいくらいの光が発現して体を包むヴ
ェールとなり全身を覆った。
「何なんだ一体! 俺はどうなってしまうんだ!?」
 その光が体を通り抜けるごとに自分の身に起こった事象に激しい不安と戸惑いを隠せな
かったが、徐々にそこから力が漲ってきたのには恐怖を少し取り除く作用をもたらし、神
かそれとも悪魔の与えた力だろうかと考えながら天井を仰いだ。
 暗い天井であったのでその時は良く見えなかったが、毒を含む蛇の塊が蠢くのを見た瞬
間に一匹ずつ彼に向かって落ちてきたため咄嗟に鞭を振るうと、範囲の広い炎が鞭となっ
て断末魔を上げさせながら一瞬にして焼き殺した。
「……馬鹿な。ローマ・カトリックの連中が見たら間違いなく査問審議に掛ける事象だよな、
これは」
 ネイサンは毒蛇が消失する様を見つめながら自分の身に起こった事象を処理できないなりに、
前に進むための方策を模索し始め少しの間だが全身の動きを止めた。
「一体どこから這い上がればいいんだ? 階段なんて無かったし、それに凱旋回廊の階段
さえ出来かけのようだったが……?」
――残る扉はここだけか。
 異様に青白く光る扉が禍々しい様相を呈しているとは思ったが道が無い以上、進むしか
方法は無いと悟った彼は勢いよく扉に手を触れた。
「!?」
 そこにはネイサンの体躯の数倍くらいの嵩はあるだろうか、生命体として異様なまでの大き
さを持った双頭のケルベロスが唸り声を立てながら、乱ぐい歯から雨のような涎を垂らし
て待ち構えていた。
 彼はその異形の姿に人の住まわない世界に踏み込んでしまった事を改めて自覚した。

56Awake 4話(2/9):2013/09/20(金) 05:53:25
 ネイサンに捨て台詞を吐いたまま走り去ったヒューは、そのままの速度で地下墓地を探索して
いた。
 そしてある程度己の足で踏破出来る所まで駆け抜けながら、その間に余裕が出てきたの
か己の心を整理し始めた。
――俺は何と口走った? 見苦しい。身近な者にあのような捨て台詞を吐くなど。ヴァチ
カンでもそうだった。親父に詰られたからか? それともネイサンの罪を知っての葛藤からか? 
あいつは俺が気付いていないと思っているだろうが、俺に対して友誼以上の感情を持って
いる事は知っている。男が男を心身共に愛しむ、ソドムの罪を。
何年もの間あいつは俺よりも早く起きて、最初は寝ている俺の頬に唇で触れ「ごめん」と
悲しげに呟いては軽く唇を重ねた。
それに対して俺もまた寝た振りをしてあいつに行動の理由を聞きだせずにいる。
十年前から弟子同士という立場で同じ部屋で寝起きしているのだ、気付かない筈が有ろう
ものか。
寝た振りをしているからその表情は薄目でしか窺えないが、多分如何とも為らない懊悩を
秘めた寂寥の漂う貌なのだろう。
俺からすればその表情をすることは自分の信念を自分で勝手に諦めて己の考えを卑下して
いる癖に、俺が与えるほんの些細な仕草を心のよすがにして己の想いを安定させている身
勝手ささえ感じる。
嫌悪感を覚えてはいるが襲い掛かるような野蛮な真似はしないから、ある程度の稜線は保
っているのだろう。だから我慢は出来ている。
身内が自分に対してソドムの罪を犯しているなどと他人に言っても「拒否すれば済む事だ
ろう」と一蹴されるのは目に見えているし、俺自身が口にしたくない。
俺が矜持と自尊心のためにあいつを叩き売るような卑怯さを感じるから。
それに何故だか分からないが多分、一時の気の迷いだと思うから言わないだけだ。
それなのにあいつが俺に対して好敵手として見ておらず俺自身が勝手にそう考えているの
を知った上で、普段と変わらずに接してくれている事に何故か安堵を感じている。

57Awake 4話(3/9):2013/09/20(金) 05:54:08
――自分でも矛盾する感情が存在している事は信じられんが、そこは触れないで置こう。
これは俺の心の研鑽とは別の分野にあるから、そこまで考えるのは無駄だ。
しかし、あの「ごめん」という言葉を聞く度に、あいつは単に俺を求めているのではなく、
卑怯にも息子である俺に親父の姿を重ねているのではないかと思っている。

だからと言って己が育てられた恩を穢すのを懼れ、想いを遂げられないからと人の心身を
依代にするその姿勢に腹が立つ! あの臆病者! そんなに親父が欲しければ、死刑を覚
悟してでもぶつかればいい!!
頼むから人をだしにしてくれるな……俺は道化では無い。
その証拠に聖鞭を継承した数日前の朝から俺に唇を重ねる事は無かった。
それはその日から親父の愛情と信頼を一挙に手に入れたからだとしたら……?

馬鹿げている! だが、その考えが頭を過る度に否定していたが奴が継承して半年経って
も指揮系統を誤り、ほうほうの体で戦闘を終わらせる事が多くなって何度死にかけたか!
それに先程ゾンビに囲まれて死にそうな顔で怯えていた奴の顔を見たら、奴が実力で代々
ボールドウィン家に伝わる聖鞭を継承した訳ではないと思い知らされた。
だから俺はあまりの理不尽さに奴を詰った。
む? 奴だと? 俺はいつの間にネイサンに対して奴などと憎々しげな言葉で名指ししている?
憎い訳でも何でも無いのに? 何故? 

 ヒューはそこまで考え己が下種な考えを膨らませている事に嫌悪を感じ、咄嗟に佩いている
聖剣を素早く抜刀し力任せにレンガの漆喰に突き刺した。
 だが、そのような一時の衝動を形にしても感情のわだかまりは消える筈も無く、無作為
に突き立てた剣からの衝撃で両腕が痺れて我に返った。

58Awake 4話(4/9):2013/09/20(金) 05:54:49
「くっ……俺は何を考えている?」
 ヒューがふと剣身を鏡のように己の顔に向けると、そこには苛立ち眼窩が少々窪んだ魔性の
ような己の姿が映っていた。
 そのざまに先程自分が陥った下品な想像をしたことを思い出してしまい、途端に顔面を
歪ませてあまりの惨めさに聖剣を取り落としその場に額づいた。


「俺はどうかしている! 奴の事は好敵手だと。それ以上の感情で接するつもりは無いと
思っているのに! 接触が無くなったと思った途端に奴の事を求めているのか?」
――嫌だ! 穢れている。肉欲を生ずる穢れは悪魔に付け入る隙を与えるというのに!
何の為に聖鞭を継承する時まで貞潔を守っていると思っている? しかもソドムの罪を犯
す気など更々ない!
「だが、そんな事もその考えも俺が奴より早く親父を救出する事で消え失せる。それに親
父が何と言おうと俺に継承者の称号と、ハンターのムチを与えない事は周りが納得しない
だろう……。 クク……ハハハハ……」
 己の昏き想いの詰まった文句を、その内容に似つかわしく咽喉から乾いた声と共に虚ろ
に暗く呟き、軽く閉じた色濃い睫を縁取った光彩の無い黒檀の瞳を見開くと、回廊の先に
向けてノロノロと立ち上がった。
 駆けずり回った先に階段が無いと踏んだヒューは、己の見上げた先にある中空に浮いた一
対のレンガの坂を見つけた。
 向かって勢いよく助走をつけ、そのまま駆け上がると天高くレンガが上方に敷き詰めら
れた空間にでた。
 ここからどう登っていこうかと思案したが、ところどころに足場があるのを見てそれを
利用してに縄を両手で持つと床を蹴り、あたかもモーリスの救出が己の手によって成し遂げら
れる事を実感するように、一握と進めながら天井に向かって登っていった。
 さながら己の心を鼓舞する心持で、そう、誰かは判らないが自分に対して比類なき賞賛
を与える声を心の中で繰り返しながら。
 だが本人は気付いてはいない。といってもこの時点のヒューがそうと言われても頑なに拒否
するだろうが、それは己の価値を他人に委ねる積極性のない受動的な思考によって、突き
動かされた行動だったことを。
 そして誰かに何かを委ねる行為が魔に対して、共依存を誘発する格好の撒餌になるとい
う事を。

59Awake 4話(5/9):2013/09/20(金) 05:56:27
「こんな馬鹿でかい生き物がこの世にいるとは……」
 ネイサンは双頭のケルベロスを目の当たりにして一瞬、巨大さに驚いたが有無をも言わさず
その怪物は獲物を屠るため、その巨体を躍らせて彼に目掛けて飛びついてきた。
「ウアァアアアアァ――!」
 反応の遅れた彼は前足を胸に受け、自分が開いた扉に背中から激しい勢いで叩き付けら
れたが、扉はびくともしなかった。
 それにネイサンは違和感を覚え、すぐさま脱出するため扉をこじ開けようとしたが背後に熱
を感じ振り向いた。
「こんな物を相手にしている暇は無い。早くここから脱出して……何!?」
「グルァァアァアアァァッ!」
 咆哮とともに身を焼き尽くすほどの熱量をもった光線が、怪物の口腔の闇から発現しネイ
サンに向けて一直線に発射された。
 一瞬でも逃げ遅れたら命を落とす所であったが幸運にも光線を放つケルベロスの頭部が
天井近くに向いたため、その隙にその体躯の胴体部分近くまで滑り込んだ後すかさず背後
に回りこんだ。
 その先に扉が見えるとそこからの脱出を試みるため、真っ先にケルベロスの体躯を駆け
抜け扉へ向かった。しかし、
「何だこれは……? 扉が開かない? 一旦入ったら駒を倒さない限り出られない仕組み
になっているのか……? クソッ! こんな所で死んでたまるか!」
 ネイサンは扉に施された封印を解呪しようと押したり引いたり、こじ開けながら考えられる
限りの言語で試みたが、扉は頑として押すことも引くこともかなわなかった。
――前方に開かずの扉、後方に埒外の獣。戦って血路を開くしか道は無いのか。たった一
人で。

60Awake 4話(6/9):2013/09/20(金) 05:58:03
「お前たちの思い通りにさせるものか! いくぞ!」
「グルァァァアァァアァッ!」
――まずさっきから攻撃を食らっているように、正面から奴の攻撃を躱しながら打撃を与
えられないのは、俺と奴の攻撃の範囲や等身の差を見れば明らかだ。
だったら常に奴の後方へ回り、自分の身を安全な場所に置きながら少しずつでもいいから
確実に力と体力を削っていく。
戦いは正面でのみ行うだけじゃない、人間同士の戦闘でも後方から攻撃する手段が戦術と
認められているんだ。ましてや強大な力を持った非科学的な物に戦闘のルールを求める必
要は無い。


 自分で怯惰、ヒューからすれば臆病だと思われているネイサンの強みは、余計なルールを己に課
さず相手の様態に応じて主義を変えることの出来る柔軟性である。
 ともすれば変節漢だと言われる行動にも取られがちだが、生き延びるためには必要な戦
術の一つでもある。力が無いからこそ職業として全うするために考え付いた方法だ。

――ヒューならこんなとき力で突破するんだろうか? 違う、態勢を立て直して肝心なところ
で打撃を与える。俺はどうだろうか、スケルトン程度の敵であれば屠れるけど、効率的に
こちらの損害を抑えて討伐するほどの敵を一人で考えて壊滅させたことはない。
という事は個人の膂力も必要になって来る状況で完全に敵を屠れるだろうか?
生きて早く合流しないと。それだけが俺の希望だ。
もし自分達が全滅したとして、その報が届いてから討伐隊が編成されるまで幾日もかかる。
だが、その間に完全に力を得るだろう。そうなっては困るんだ。

61Awake 4話(7/9):2013/09/20(金) 05:58:38
 ネイサンは、先ほどスケルトンとボーンヘッドを消失させた時に発現したカードの効果を思
い出した。
 埒外の獣に対抗する術は手持ちの聖水を用いて体躯の進行方向に常に攻撃しながら、自
分が持っている攻撃範囲の広い炎の鞭をケルベロスに叩き付け、振り返るアクションを取
ったと同時に接触を避けるため足場を使用し、その際にまた聖水をケルベロスの体躯の前
後に投げつけ足止めしながら後方に回り込む一連の作業をとることに決めた。
――だが、実際にやって見なければ判らない賭けだ。賭ける物は己自身の生命。
 
 彼は考察したと同時にケルベロスに対して実行しにかかった。ただ、考えていただけで
はもちろん失敗するもので、その作戦がある程度のパターンを持ってケルベロスを嵌める
事に成功したのは、攻撃の種類が体の色の変化によって異なると気づくまで何度か突撃し
て攻撃を喰らいながら見極めての事だったが、連続してダメージを与える事が出来るよう
になるとケルベロスの動きはみるみる鈍化し咆哮も力無い唸り声へと変わって行った。
 やがてケルベロスの体躯から炎が出現し始め、その姿が実体よりも陽炎に包まれる比率
が高くなった瞬間に――跡形も無く消えた。

「倒した……のか?」
 ネイサンは体をその場で四方に向けながら辺りを確認してもケルベロスの気配も、姿も見え
ないことを確信すると自分が開いた扉と対面側になっている扉に向かって走り出した。
 最初に予想した通り、その扉は駒を倒して解呪され開く仕組みになっており、扉に触れ
たとたん宝飾品や金貨、銀貨が散乱している部屋が現れた。
 さながら宝物庫と言ったところだろうか、部屋の宝玉台に鎮座している本当の宝は、ト
ルコの金細工のような精緻な模様の金鎖がワインのような深い赤みを持つ宝玉を銜えた首
飾りであった。

62Awake 4話(8/9):2013/09/20(金) 05:59:48
「何て暖かい光を放っているんだろう……」
 彼は余り宝飾品に対して特別な感情も所有欲など持ち合わせてなかったが、度重なる気
味の悪い現象や魔物の存在に辟易していたため、変化の無い美しい物質に心を落ち着かせ
るかのように護符として身に着けたいと思い首飾りを手に取り宝玉を指で抓むと、飾蝋の
方に向けその光に翳し透けて太陽のような輝きを生きて見る事が出来る喜びを噛みしめた。
 それから自分のポケットに突っ込んだと同時に駆けだし、中途に空中に浮かぶコフィン
とミイラの群れをタイミングを見計らって振り切りながら、届くかどうか判らないが壁に
向かって駆け上がろうとした時、
「な……壁に」
 足を挫いて立位を保てなくなりそのまま壁に激突しながらずり下がると思ったが、体が
白く光り自分の足元に白い魔方陣が浮かび上がると少しの間だが中空に足場が出現し、壁
を登りきると同時に狼狽した。
「……嘘だろう? もしかしてこいつのせいか?」
 ポケットから首飾りを取り出し紅玉を見つめ顔を顰めつつ、ここには人間の世界および
自然界の摂理や法則すらも通じないのに改めて悄然としたが、人の世界でない場所に踏み
込んだ以上その状況に従おうと腹を括り事象を利用する事にした。

――師匠。あなたを助けるための手段を得る事が出来ました。これで謁見の間いや、あな
たが捕らえられている儀式の間まで急ぐ事が出来ます。待っていてください。生きていて
ください――
「だけど、ヒュー……お前は今どこにいるんだ? お前がいないと師匠を助ける事なんて出来
ないのに」

63Awake 4話(9/9):2013/09/20(金) 06:00:24
 寂しそうに呟いていたが気を取り直し、ネイサンは湧き上がる喜びから自分の体力を省みず
全速力で魔物を屠りながら儀式の間へと向かった。
 儀式の間の直前の部屋にある自分達が落とされた穴は、大きく吹き抜けの奈落のままぽ
っかりと口を広げていたが飛び越えられない距離でもなかったので、儀式の間に通じる木
製の古めかしい朱色の扉を蹴破るためがむしゃらに助走をつけ飛び越えた。
「うわぁああぁぁ――!! あ、危なかった……」
 扉に向かって飛び越えたはいいが足を滑らせて後ろの奈落へ落ちかける寸前で尻餅をつ
き慌てて立ち上がって扉へと向かったが、
「…鍵がかかっている。」
――ここまで来て……扉の先にはあなたが居るかもしれないのに、どうしたら良いのです
か。どうしたら……鍵を手に入れるためにまた、戦わないといけないのか。
「でも、木の扉なら炎を使えば焼け落ちるんじゃないのか?」
 炎の鞭を扉に向かって何度も振るったが扉は存在しているのに焼け落ちるどころか、攻
撃を透過して逆に自分のほうへと帰ってきた。
「ここまで来て……仕方が無い。死なない程度に探索しながらあいつと合流して鍵を見つ
けよう」
――断続しているけど、あそこは上へと繋がる階段がいくつも存在していた。そこから手
掛かりを探そう。
 ネイサンは連絡通路の多い凱旋回廊の方へ向かい、不完全な階段を登るために駆け出してい
った。

64Awake 5話(1/8):2013/09/20(金) 06:02:08
 その頃、儀式の間を目指して上へ行くため、奈落階段を駆けあがり足場に張り付いてい
るボーンヘッドの冷たい炎を避けつつ、ヒューは足場の先に見える扉を確認しながら探索して
いた。
 階段の半ばにある扉を開けると明らかに侵入者が立ち入る事を拒むかのように、天井と
床に動かせないよう密着させ配置してある一体の血塗れのアイアンメイデンが立ちはだか
っていた。
「アイアンメイデンとはまた悪趣味な物を」
 血が滴る処刑道具を前にヒューは苦笑したが進路を妨害しているのは変わりないので、とり
あえず蹴り飛ばす事にした。
 だが、
「――!?」
 鉄靴とアイアンメイデンが接触する鈍い音を響かせただけで、後はヒューが鉄靴からの衝撃
で仰け反り背中から倒れ込んで悶絶するのみだった。
「畜生っ! これならどうだ」
 さすがに聖剣その物を道具として使うわけにはいかないので、その剣身を包む鉄の鞘を
使って天井と床の石を削り隙間を作ろうと思ったが、チマチマと愚直に周りの状況を見ず
にするのはどうかと考えなおし、他に移動できる場所を改めて探すことにした。

65Awake 5話(2/8):2013/09/20(金) 06:02:50
 やがて儀式の間がある凱旋回廊に到達したヒューはネイサンと同様、一心に目指し扉を壊そうと
したがやはり剣が透過するばかりで押しても引いても進む事ができず、扉の形状や魔法陣
や魔力が付いていないかどうか確かめた。
――鍵穴があるから物理的な方法で解除できるだろうが、微かに魔力が感じられる。鍵自
体を生成して施錠したのか。
なら、鍵を探すのが先決だが……この広い城内を無闇に駆けずり回るのは無謀だ。 


「仕方が無い、ここは後回しだ。それにしてもあいつは生きているのだろうか?」
 ふと、不安そうに自分を見つめる表情をしたネイサンの顔が浮かんできた。
 やがて己が突き放し先ほどまで嫌悪を持って悪態をついていた相手の身を心配できるほ
ど落ち着きを取り戻した。
――そうだ、我を張った所で状況が一変する事は無いが、いくら腹が立ったとはいえ討伐
をしているのにも関わらず、何故共闘する意思を俺は持たなかったのだろうか? 止そう。
今更考えた所でどうしようもない。とりあえずネイサンを探して行動するとしよう。
 
 気を取り直し、ヒューは障壁となる敵を倒しながら進んでいくことにした。
 敵が攻撃しようとする前に進行に邪魔であれば一撃で屠り、それ以外は通過して無視す
るなど殆ど無駄な時間を取らずに探索していった。

66Awake 5話(3/8):2013/09/20(金) 06:04:53
 じきに破壊できない岩が通路を防いでいるエリアが目立つようになってきた。
「打破しなければならない敵が近いのか?」
 とうとうネイサンは自分が踏破出来る通路の全てを駆けずり回り袋小路に追い込まれた。
眼前にはケルベロスが居た部屋と同じ青白く光る扉が見えている。
「またか」
――死にたくない。今まで戦う時も誰かが一緒に居た。師匠、この期に及んで状況を受け
入れられない自分の怯惰に吐き気さえ覚えます。
一人で死ぬのは嫌だと心が、体が扉を開けるのを拒もうとしています。
「だけど、何もしないまま手を拱いて悔恨を残したまま死ぬのはもっと嫌です!」
 解らないままに戦った時は今ほど恐怖を感じなかったのだが、やはり時間が経つと体に
受けていた痛みが蘇りこの世の存在でない物と戦う恐怖が身を竦ませた。
 だが、その恐怖と怯惰は自分の身を守るために培われた手段だと言う事も彼は自覚して
いる。それを理解した上で固唾を飲み前進した。
 扉を開けた先には中空に浮かぶ濃紺の布が浮遊していた。否、実体のない人型に膨らん
だネクロマンサーの姿である。
 その異様な姿にネイサンは息を呑み凝視していたが、やがて肉体を持たない魂魄だけの存在
が白く炯々とした不気味な双眸を点滅させ、嘲った口調で洞穴から響くような声を発し始
めた。
「あの奈落に落とされて生きていたとは。悪運の強い奴…。」
「邪魔をするな!」
 微かに笑ったように見えた風情にネイサンは緊迫した場にそぐわないと違和感を覚えたと同
時に、何も見えない魔性より見える魔性は恐怖の対象とならない安堵を感じて徐々に慣れ
てきたと思った。

67Awake 5話(4/8):2013/09/20(金) 06:05:38
 だが微かに残っていた恐怖心を掻き消すかのように大声で恫喝した。
「小僧、冥土の土産に教えてやる。貴様の大事な師匠は既に我らの手中にある。」
「!!」
「…あの老いぼれは、我が主の血肉となる運命だ。儀式の支度が整い、月が満ち次第な。」
「何だと!」
――嘘だ! そんな事があってたまるか。魔性は嘘を並べる。人の表情と感情を糧にし
て言葉を次々と繰り出し人の心に入り込む。
 会話が途切れた刹那、ネクロマンサーは彼に向って両手を翳し光の輪を解き放った。
――チャクラム? 何が出てくるかと思えばただの投擲じゃないか。何っ
「うわあぁぁあぁっ!」
 相手がただの人間であれば投擲されても躱せば済むだけだが、死者の魂を弄ぶ悪魔にそ
の常識は通用しない。
 投げられた光の輪は存在が対象物に接触するまで追尾し続け、ネイサンは断続と連続を繰り
返して投擲された光の輪を躱しながら攻撃の機会を待ちつつ駆けていたためバランスを崩
してよろけてしまった。
 それを察知した輪が彼を狙って接触してきた。
さながら旋風を受けた鋭利な刃物の如く高速で回転しながらネイサンの身を切り裂き、肉を抉
る所であったが間一髪で薄皮一枚に止めた。
 それでも鮮血が床に迸り、彼は一瞬何が起こったか解らずその場に尻もちをついて硬直
していたが、
「怖気づいたか? 無理もない。生物というものは魂の消失を恐れる限り痛みを与えれば
弱くなる上に闘争の気概さえ削られていくものだ」

68Awake 5話(5/8):2013/09/20(金) 06:06:24
「……!」
 見透かされたかと想像しネイサンは青ざめた。しかし、その様子をあざ笑うかのようにネクロマ
ンサーは彼の大切な者達を、あたかも己の操る死者を扱うようになぞらえ始めた。
「だが、ただそれを甘受するのは愚かなことよのう? この世界はあらゆる事象に対応で
きる可能性が無数に存在すると言うのに、人は禁忌だと言うだけで魂のない器を創造する
のを拒絶する。貴様も強情な奴よ何故抗う? 血肉と化しても器さえあれば何度でも蘇り、
魂を強化して補填出来るのだ。一時の消失で狼狽する物でもあるまいて」
「許されるか。そんな方法で生きたとしても師匠は苦悩されるだけだ!」
 彼は憤りこれ以上人の体と魂を弄ぶ文言を聞きたくないとばかりに突っぱねた。
「……心弱き者。頑なに我ら魔族との会話を終わらせる為に敢えて語気を強めるは愚かな
り」
 ネイサンは迎撃するため身構え瞬時にナイフを投げたが、横に躱わされ揚句に接近を許して
しまった。
 だが、それに気づき直接鞭で打撃を与えようとした瞬間、無数の風を纏いネクロマンサーは再び
中空へ舞い上がった。
「当たらんぞ小僧。脆弱な攻撃など我には通じない」
――しまった。ナイフでは斜め上に投げたとしても手や体の向きで軌道を読まれてしまう。
かと言って鞭ではどう考えても数回に一回接近した時にしか当たらないし、確実な方法で
はない。浮遊する敵は攻撃を避けつつ投擲できる武器で打撃を与えるのが上策だったが……
同じ読まれるなら少々機動性は劣るが威力はある斧で魔性の者が真の姿を発現させるくら
いまで体力を少しずつ削り取って行くか。
 見下ろすネクロマンサーを下から睨みつけ鞭と斧を握りしめて、床から無限に湧き出てくるグー
ルを屠り攻撃の機会を待ちつつ中空からネイサン目がけて追尾してくるチャクラムを躱してい
った。

69Awake 5話(6/8):2013/09/20(金) 06:07:17
「分を弁えよ小僧。次で貴様の気力を挫いてやる」
「ほざくな! 実体のない者に弄ばれるほど俺は弱くない! 喰らえ!」
 ネクロマンサーが己の身体の前面に青白い防護と思われる魔方陣を展開している間に動きが停止
したと見たネイサンは連続で斧を投擲すると、詠唱に時間を取られていたのか数発命中した。
「やるな。しかしこれ以上時間をかけるのは愚策というもの。我が真の力を喰らいてこの
強さと己の脆弱さを煉獄まで引きずるがいい!」
 ネクロマンサーの姿が炎を纏い法衣が焼け落ちると、骨だけになったガーゴイルの姿が現れた。
――炎が発現した。浄化され剥き身になったか。勝機は見えた!
「キシャアァァアァア――」
 突然の不快な咆哮に身を竦め、何が繰り出されるかと身構えたと同時にネイサンの身の丈の
数倍はあろうかという弾力のある緑の球を放たれた。
 彼は警戒したものの目測を見誤り無様に吹き飛ばされ、跳ね返ってきた球体にまたもや
接触し今度は押しつぶされると内臓が出るくらいの圧迫を感じた。
 しかも周りには次々にグールより攻撃力の高いスケルトンが床下から現れ、行動しよう
とするたびに骨を投げて攻撃してきた。
 飛ぼうとしても投擲した骨に当たりタイミングがずれてしまうから厄介である。
 ただクロスなどで潰してしまえばある程度の時間は確保できるが、延々と床下から蘇っ
てくる不完全な生者をいちいち相手にしてクロスの無駄遣いをする余裕は彼には無い。
 使うのであればネクロマンサーがスケルトンを召還している滞空時間を利用しクロス一つを断続
的に利用するほうがましだろう。あとは攻撃のタイミングを計りながら回避する。

70Awake 5話(7/8):2013/09/20(金) 06:08:39
――クロスでの攻撃は受けた敵が動かない限り、ずっと攻撃し続ける特性があったな。
体を押しつぶされた圧迫で咳込みながら口角に滲み出た血を拭い、広間の中央にある足場
を利用しネクロマンサーが詠唱している間を見計らってクロスを投げつつ、動いたと同時に攻撃せ
ず回避する事に集中した。
 攻撃の強さは変化が無いものの徐々に球体の動きを読めるようになると、殆ど言って良
いほど相手の攻撃を回避できるようになったが、やがてクロスの数が尽きてしまった。
 だが、ネクロマンサーは依然として自分に対して攻撃を続けている。
――攻撃の手段が尽きてしまった……聖鞭はリーチが短すぎて有効打になるかどうかさえ
判らないのはさっきので解ったが、カード……そうだ炎の鞭は範囲もリーチも通常より大
きい。
 いつ倒せるか判らないが少なくともダメージを最小限に抑え攻撃するため、回避しなが
らスケルトンの放つ骨を鞭で焼きつつ足場にネクロマンサーを誘導して近接攻撃の形を取った。
 そして、ついに聖鞭の与える聖なる力によって魂魄の維持が出来なくなったネクロマンサーは、
断末魔を上げ聖なる炎に浄化され、消滅した。
 それから当然、術者を失った不完全な生者がその肉体を自ら維持できるはずも無く、消
滅した瞬間、大量の灰を撒き散らして焼失した。

71Awake 5話(8/8):2013/09/20(金) 06:09:22
 一人残されたネイサンは敵が居ない状態に安堵し急に震えが襲ってきたが、
「師匠はまだ生きている!待っていてください、師匠。」
 戦闘に勝利した後に自分の存在を再度確認して人心地ついたのか、様々な事を考えられ
るようになった。
「…しかし、ヒューは一体どこへ?」
――ここにもいなかった。広い城の中をお前はどんな様子で、どんな貌で、どんな想いで
駆けて戦っているんだ? お前の姿が見えない事がこれほどにも辛いなんて。
 お前の息遣い、立ち居振る舞い。どれもが愛おしくいつも傍にあった。
どんな言葉を掛けられてもいい、ただそこにいるだけで俺はどんな障壁にも困難にも立ち
向かえそうな気がする。
「ヒュー……」
 名前を呟くと自然に涙が溢れてきた。次第に何度も何度も切なく名前を呼び、求め、あ
がく様に吐息を洩らし呟きながら探索を再開した。

72Awake 6話(1/13):2013/09/20(金) 06:10:18
目の粗い岩のレンガに覆われ、水が轟音を上げている空間があった。
 ネクロマンサーが発していた魔力が消えた時、カーミラはその空間をさらに隔てた小部屋でその音を
扉越しに聞きながら配下のサキュバスに己の体を許し、一時の情交に身を委ねていた。
「……気配が消えた」
「如何なさいました? カーミラ様」
 カーミラの身体に絡みつくようにサキュバスが気だるい嬌態を晒し、甘えるような仕草で彼女の
腰回りに顔を埋めながら問うた。
「お前が気にする事は無い。しかし、今度の人間は中々にしぶとい」
「もう、終りになさいますか」
 名残惜しいが「今度の人間」と言った事で主人が敵に目を向け、享楽の時間が終わった
事を悟ると気を回して得意げに言葉を出したが、カーミラはまなじりに不快を表わしつつ下僕
の唇に人差し指で触れ、口を噤ませた。
「黙りなさい。お前が私に対して意見するのを許した覚えはなくってよ」
「……申し訳ございません」
「よい。それより、もっと体を近づけなさい」
 許された事にサキュバスの顔面には喜色が現れ、主人の命に従いじゃれる様にカーミラの胸元に
口づけをし、彼女はその態を愛しく思ったのか胸元にある頭を撫で、また体を重ねた。

「ふ……私の快楽を邪魔したのは苛立つ事だ。私の掌で踊ってもらおうか……人間」
――人間風情がどこまで我らに対抗できるか。楽しみだ……
 カーミラはサキュバスを抱きながら城内の様子と敵の位置を探り、弄ぶ算段を講じた。 
 人である以上どこかで何がしかの罪を犯しているであろうとカーミラは踏んでいた。

73Awake 6話(2/13):2013/09/20(金) 06:11:15
――清廉の志や行動を伴っていたら、自分より劣っている人間に対して途を正そうとする
人間がほとんどだろう。
しかしそれこそが罪。
己を恃み、頼まれもしない他者に対する不遜を振りかざす事はどんなに正しくとも「隣人
に対する傲慢」と言う罪を犯している。
しかもこの手合いは己の罪を自覚しない信仰の無知者である、だからこそ穢して堕とし哀
れな姿を見るのは私にとって最高の快楽。

「見えてきた……何と、追い詰められた貌をしているのかしら?」
 そこには必死の形相で敵を撃破し、城内を探索しているネイサンの姿があった。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                
 ネクロマンサーを撃破したネイサンは、ショルダーアーマーで今まで壊せなかった岩をタックルで打
ち砕くと、道に迷った時間を取り戻すかのように城内を駆けていた。
「壊れた。これで先に進める」
――だけど、人の力では壊れなかったものを簡単に壊せるなんて、自分の力で無いにせよ
当り前の様にあるのが恐い。

 青ざめた顔を見せながらも得心した面持ちで静かに肯くネイサンの様子を見て、カーミラは嫌悪
を催した。
 二律背反の意識ほど純粋に欲望を求める彼女にとって唾棄すべき感情だからだ。
「自らの肉体に取り込んでいない力を見て慄いたか。弱い。こんな人間にネクロマンサー様は消滅
させられたと言うのか」
――いや、力に対して明らかな恐れが見える。と言う事は逆に厄介かもしれない。己の領
分を知り誘惑に対してそれなりの準備が出来ているとも予想できる。こ奴は後回しだ、そ
う言えばもう一人、険の強い男がいたな。

74Awake 6話(3/13):2013/09/20(金) 06:12:26
そう考えながらヒューの所在を探り当てた時、カーミラはサキュバスをより強く抱きしめ体を仰け反
らせるくらいに高らかな声を上げて喜んだ。
 岩を破壊する事が出来ず、その近場にとどまって道を探していたヒューは、自分を屠ろうと
飛び掛かってくる魔物に笑みを湛え一撃にして薙ぎ払い、その血を浴びる事の穢れを厭わ
ず駆け進んでいた。
 彼はなかなかネイサンと合流する事が出来ず、と言ってモーリスを救出するのに寸暇を持て余せ
るほどの時間は無いと考えながら顔にかかった血を拭い、軽く前方を見据えると当てもな
く突き進む事に少し苛立ちを感じ始めていた。
 その血塗れの凄惨な様態にカーミラは、攻撃する事に何ら躊躇を持たない人間に肩入れした
いと思った。
「攻撃に対し恐怖を覚えるどころか、他者を捻じ伏せる事に快楽を覚えているようだ。何
と美しい姿か」
「カーミラ様……?」
 抱いている己から興味が移り、ただの人間に対して賛美したカーミラの心境に不安な面持ち
で彼女を見上げたが、カーミラは意に介さず、
「先ほどは差して興味もなかったが、元々あの方から下賜された物。ここまでやってきた
ら暇つぶしに私が力を試してやりましょう。もしかしたら面白い展開になるかもしれない」
 カーミラは閉ざされた空間の中で嬉しそうに呟いた。

75Awake 6話(4/13):2013/09/20(金) 06:13:21
「ここまでふんだんに鉄を使った建造物は今まで見たことはない」
 ショルダーアーマーで破壊する岩の数が多くなるにつれ、新たに進む事の出来るエリア
が近付いているのに気づいた。すると今まで踏破してきたレンガや石に覆われた所とは打
って変わり金属と金属が犇めきあう広大な空間が現れた。
 ネイサンは半ば敵の根城であることを忘れ感嘆の眼差しで周りを見渡した。
 上を見ると何重にも起動する鉄の歯車が潤滑油を垂らして人力に依らず永遠に稼働し、
至る所にガラスで保護していない剥き出しの状態で電気が走っていた。
 もちろん触れば無傷では済まないだろう、だが、どういう原理で稼働しているのだろう
かと恐怖心よりも好奇心が勝った。
「――上へ、上へ昇り踏破するか」
 よくよく見ると空間の中途に他の部屋へ続く足場や、部屋の最上には鉄の扉が見える。
 上下に起動する剥き出しの昇降機を伝い、その中途に存在する互い違いの滑車が運ぶ台
車を経由して空間の階上へ出ようと試みる事にした。
「クソッ、こんな状態じゃ敵に打ち落されもおかしくはない」
 機械だらけのこの空間でも悪魔城である。至る所に魔物は蠢いていた。
 そして、その不安が加速するかのように、怪物ゴルゴンかメデゥサの様な頭部が浮遊し
てこちらめがけて纏わりついてきた。

 動く足場に気を取られてメデゥサに接触し、叫びながら落下するとともに体が徐々に石
化した。
――また、下から昇り直しか。とりあえず石化した体を元に戻さないと

76Awake 6話(5/13):2013/09/20(金) 06:14:01
「痛たっ。いつもより痛みがひどい」
 石化した体に容赦なくメデゥサが体当たりしてくる。それを避けようと必死になって体
を揺さぶったが、体を覆っている石が壊れ体に突き刺さる。
「……何とか動けるようになったけど、こんな調子じゃいつ斃れるか判らない。それに出
血が酷い」
 露出している腕についた無数の擦過傷から筋肉をなぞるように血が滴り落ち、その様に
死の恐怖を感じて背筋が凍りつくような感覚に陥ると膝が震えてきた。
――得体の知れない事象。在るがまま受け入れようとしても更なる事象が襲ってくる。
だけど師匠、師匠も一人で囚われているんだ、助ける者が怖気づいてどうする。確かに一
人よりも二人の方が断然いい。
俺が待っていても状況は無情にも進む。なら、一人でいる事を当たり前の様にして振舞お
う。
そして、ヒューに出会ったら僥倖と感じよう。
 彼は剋目し、打倒必至の敵を屠るために眼前の敵を出来るだけ回避するよう神経を研ぎ
澄ませた。
 ある程度探索した所で馴染みの青白い扉が見えた。打倒必至の敵と対峙し勝利する事で
この城を踏破するためのアイテムを手に入れる事が出来る。
 いつしかネイサンは己の見知っている事象以外には、宗教上の足枷などから来る拒絶が恐怖
として影響しているものの、独りの力で敵を屠る事に躊躇する事はなくなりつつあった。
 ヒューの心境に近付いたのかと本人は思ったが、徐々に己自身が持っている力で踏破できた
という自信を己の心に持てるようになったからだ。
 とは言うものの頼るのは自分自身であるのは変わりない。扉に触れると、どのようなモ
ノが待ち構えているのかと思っただけで鳥肌が立っていた。

77Awake 6話(6/13):2013/09/20(金) 06:14:57
 扉を開けると最初は薄暗かったものの一気に燭蝋の光が燈り、空間の奥には鉄の塊が徐
々に姿を現した。
 それは佇むように静止しているただの物体だったが、ネイサンが確認のために近付くと急に
地鳴りを上げながら起動した。
 人の様な体の構造だが鉄に覆われ、起動する音に金属が擦れる音が聞こえた事から人で
は無いと彼は判断した。
「鉄のような体を持った生物だと?」
――いや、生物ではなくまるで人工物だ。ユダヤ伝承の土塊人形ゴーレムの様な人であり
人にあらざる奇怪な“モノ”か。
「作られた目的はどうあれ、こいつを倒さない事には先には進めない」
 身構えて攻撃の種類を見極めようと思ったが、ゴーレムが腕から地面に体を叩きつけた
と同時に、天井から人の大きさほどある無数の歯車が的確にネイサン目がけて落ちてきた。
 よもや眼前の敵から攻撃されずに、頭上から圧死するくらいの落下物が降ってくるとは
思いもよらず咄嗟に後方へ飛び退いたが、動きは遅いものの確実に前進する重鈍な躯体に
似合わず攻撃を繰り出す速さは予測がつかないものだった。
 確実に攻撃できるようになるのにさほど時間は掛からなかったが、しばらく経つと、攻
撃によって皮膚の様に剥離し損壊した鉄板は見る見るうちに塞がるのを確認した。
「なっ……自己修復するとは……!?」
――今まで与えたダメージが全て無駄になったと言うのか? 
「所詮、補佐に徹していた人間は膂力で勝ちうることは出来ないか……」
 青白い扉の入り口で唇を噛みしめ、悔しそうに静かに微かな呟きを発する男の姿があっ
た。
 自分が先に進めない苛立ちで逡巡していた頃、ネイサンが自分に壊せなかった岩を軽々と壊
し、先に進んでいったのを目視できるくらいの距離で見て、合流するために後を追う事に
したヒューだった。

78Awake 6話(7/13):2013/09/20(金) 06:15:31
 後から機械塔に侵入したもののマジックアイテムを駆使し、人間では短縮できない場所
を踏破して来たネイサンとは違い、身一つで切り抜けたヒューはやっと追い付いた先で初め、ネイサ
ンの邪魔にならないよう、そして彼が戦闘不能になるのを待たずに助けようかと様子をうか
がっていたが、逡巡しているうちに彼の耳に女の声色で軽やかに囁く声が心地良く聞こえ
てきた。
――「お前の矜持を彼に見せつけなさい。さすれば彼はお前の存在に心酔しすべてを投げ
出してお前に委ねるだろう」
 その言葉と声色は少し考えれば魔性が発した声だと気づくはずだが、体力を消耗し目的
と思考を狭めたヒューには、己の心情を復唱した耳触りのよい内容で心の中にくまなく響き渡
った。
――奴が俺に対して性愛を向けていようが知った事ではない。命が危機に晒されてから俺
の姿を仰ぎ見るがいい。貴様が下種な想いを二度と抱かせないくらいの優位を見せつけて
やる。
 己の尊大な感情にぞっとして無意識に口元に指を触れると、軽い情交に浴した事が蘇り
俄かに心が痛みだしたが、もう一度唇に指をやると今度は羞恥が込み上げて指をきつく噛
んだ。
「……思い違いも甚だしい。その相手は俺では無いのに。馬鹿な事を考えるな。それに、
何だ? この声は?」
 聞き覚えのない声を記憶から手繰り寄せたが、その声が儀式の間の手前で鋭い声を発し
た女の声と違い、ゆっくりと誘う声色だったので一致しなかった。
 そのため誰だか判別できなかったが、己の心根と共鳴したと勘違いしてやり過ごした。
 だが、影響されたのは事実で、複雑な心境で彼に対する嫉妬と情を受けた記憶が絡まり、
動くべき所を何度も見誤っていた。

79Awake 6話(8/13):2013/09/20(金) 06:17:04
「くくく、馬鹿な男だ。己の心を認め思うようにすれば良いものを。力だけならお前が憎
み、なおかつ庇護しようとしている相手を倒せるのに」
――だが、私はお前の様な者は嫌いではない。その軟弱な男よりよっぽど清々しい。それ
に彼奴のように脆弱な考えであれば途中で誰かに斃されるだろう。気にする事は無い、先
ずはお前の望む道を指し示してやろうではないか。
「力を持たざるが故にそれを補助する力を知らぬうちに手に入れし者、対し、力を持つが
故に己に固執し得うるべき力を拒絶する者――美しく正しいものしか知らないその心は孤
独に苛まれた脆い孤高。お前の名はヒューと言ったな、古い言葉で心と言う意味……人と認識
する限り身分も関わりなく力を持つ名」
 カーミラは手駒を見つめつつ侵入者の行動を常に感知できるよう、城内すべてに透過の目を
構築した。城内の壁と言う壁に微かだが一瞬にして光が駆け巡った。
「そして――完全に把握した! 聖鞭を持ちし後継者よ、そなたは正道のためにダビデ王
に諫言した膂力を持たぬ預言者、ナタンの名を冠している……忌まわしき偽善者!」
――互いに補えば脅威となる。だから、人としての意思を持ったままお互いに助勢する事
もさせる事も許さない。
「……留まれ。そこで彼奴が倒される姿を見届けよ」
「……動かない! 畜生、怖気づいたと言うのか? この俺が!」
 カーミラはヒューの足に拘束をかけた。状況を把握しただけで行動全てを無効化することはでき
ない。その上、真祖でさえ致命傷を与えれば灰燼に帰す聖鞭に対抗できるほどの力を有し
ている訳ではないが、教会で聖別されている程度の剣を持っている者を完全とはいかない
までも、心に楔を打ち込み操る事は彼女にとって容易なものであった。
「術にかかった事に気づかないとは……未だ敵陣に侵入した不利を認識できていない傲慢
さがもたらす無知よ。己が人である事に何ら疑問を持たない癖に、魔性の声を受け入れた
が故に心に私の意識が入り込んだ事すら微塵も感じていない」

80Awake 6話(9/13):2013/09/20(金) 06:18:02
目の前に邂逅すべき仲間と打倒すべき魔性がいる。近寄ればいいだけなのに動けない。
その状況にヒューは焦りが湧いてきた。
「動け!……あれくらいの敵なぞ怖いはずがないのに! 指を咥えて見ている場合ではな
いと言うのに!」
――「あの聖鞭さえあれば、こんな呪縛すぐにでも解けるのに。うふふ……」
「誰だ!」
 俄かに女の声が聞こえたが幻聴だと納得させ、また、もがく様に足を動かそうとしたが、
足首に蔦が絡まったように身動きが取れなかった。
「これはこの城の主の声か。真祖では無い、術者のあの女か」
 ようやく術にかかった事を理解したヒューは、色々な言語を駆使して解呪しようと試みたが、
全て徒労に終わった。
「……はぁ、はぁ、戦いが終わるまで待つしかないのか。精神に楔を打たれたから解呪出
来なくなったのだろう。油断した! 一刻も早く術者を倒さなければ、俺の精神は蝕まれ
てしまう」
 もちろん、「助けてくれ」と戦闘中に声をかける事など出来る訳もなく、ヒューは唇を噛み
しめ、地団太を踏む心持でネイサンとゴーレムの戦いを見守るしかなかった。
 
――ダメージが回復するのなら回復量より多く、早い時間でダメージを与えればいい。
 ネイサンは活路を見出した。力はないものの回復する隙を作らなければいい。そう結論を出
し行動に出た。
――力は強いけど行動が遅く、攻撃も注意すれば躱わせるくらいの速度なら……倒せる!
さっき、ネクロマンサーに立て続けでクロスをぶつけ続ける事が出来たんだ、動きが速いのならと
もかく、遅ければその場で硬直する事も考えられる。
 考えるが先か、彼はクロスをゴーレムの動きが停止したと同時に投げつけると、予想通
り、投擲した速度のままある一定の威力を以ってゴーレムに対し回復する隙を与えなかっ
た。

81Awake 6話(10/13):2013/09/20(金) 06:18:45
近接攻撃の隙が出来たのならとネイサンは炎の鞭で打撃を与え続けた。
「何だ……あの攻撃は? あんな力、奴にあったのか?」
 攻撃の手段を見てヒューは唖然とした。同時に魔城であるが故に聖鞭の力が発動したと予想
した。
――聖鞭にあんな力があるとは聞いたことが無いぞ。いや、俺が知らないだけかもしれな
いが、何にせよ、人が持ちえる力では無い。しかも、奴はその力を躊躇なく使いこなして
いる。そうか、確かに力が劣るならあれを使わないと魔物の攻撃が防御できないと言う事
か。
「それでも納得がいかない。聖鞭を渡すと言う事は後継者であると言う証左だ」
――「もし、聖鞭の力でどうこうなるのなら、どうしてすぐに助けに行かないのかしら?
名声のために、今まで己が踏破出来なかったほどの敵を倒し、力を誇示するために聖鞭を
振っているかのよう……」
「……確かにそうだ。くっ、俺に話しかけるな!」
――「あははは! 声を掻き消したければ、急いで私のもとへ来る事ね。もっとも、今、
貴方は動けないでしょうけど、しばらくあの力を見つめ続けていなさい……!」
「魔性に心を許しかけるとは……やはり、ネイサン、お前とは共闘できないようだ。今、お前
と話したら心が折れそうになるから、それに、操られ、お前を攻撃しようものなら共倒れ
もいいところだ」
 ネイサンが戦っている姿にヒューは半ば嫉妬と羨望も一緒に、より深く心に突き刺さった想いで
一杯になった。

82Awake 6話(11/13):2013/09/20(金) 06:20:10
――力はあっても動きが単調だから、ネクロマンサーなどに比べたら脅威と感じない。これはクロ
スが尽きない限り簡単に倒せるだろう。
 敵の特徴を捉えたら、後はネイサンの独断場だった。
 聖鞭を振り下ろし、相手が消滅する兆候を見せるまで、淡々と攻撃を行えばいいだけだ
った。
 しばらくすると徐々に体内から炎を内包したように外殻が赤く膨張を始め、やがて風船
の様に破裂し、ゴーレムを形成していた土塊と金属が部屋中に飛散した。
「……粗製のゴーレムとはいえ、ただの人間に力で倒されるとは。だが、力を見せつけら
れたお前がどう動くのか見物だ」
「……終わったか」
 そうヒューが呟いたと同時にカーミラは蔦の様に絡まっていた彼の足元の呪縛が解き、動けるよ
うにした。
 その事象に少々驚いたが、それよりも身勝手だと思いつつもネイサンが自分の手を借りず、
敵を簡単に消滅させた事に少し苛立ちを覚えると、魔性が送り込んだ負の感情も作用して
後ろ向きに考えてしまった。
 もちろん、今の自分と共闘した場合、そのような感情で対応したら戦闘時に乱れが生じ
るため、あえて一緒に行動しないよう言うつもりでネイサンのもとに近づいた。だが、
「ヒュー!無事だったのか!」
 戦いの後、生きてまた出会えた事に喜びを隠せなかったネイサンは、抱き付かんとばかりに
駆け寄ろうとしたが、その姿を目の当たりにした瞬間、ヒューは自分に向けられた想いを垣間
見る心持となって嫌悪を生じた。
 そう思うと冷やかな視線で一瞥し、勝利を讃えなかったばかりか彼を労う事なく辛辣な
言葉を浴びせてしまった。

83Awake 6話(12/13):2013/09/20(金) 06:20:49
「こんな所で何をしている?手柄を横取りしに来たのか?」
 ネイサンはようやく合流できたと喜び心が高鳴っていたところに、冷水を浴びせたような言
葉と表情を受けて、なぜそのような科白を吐かれるのか分からなくなった。
――手柄だと? 本来、共闘しなければならない状況なのに、それに功を競っても何の意
味も持たない戦いなのに、何を訳の分からない事を言っているんだ……?
「…こんな時に何を?俺も師匠を助けたいんだ。」
「邪魔だ。俺は一人でドラキュラを倒す。そして…。」
「ヒュー…。」
 彼の苦渋に満ちた顔を見て、これ以上言葉をかけられず追いかける事も出来なかった。
 先程「どんな言葉をかけられてもいい」と思っていた自分が気圧されるほどの拒絶を実
際に顕されると身も心も凍てついた。
――追いかけた先であんな冷たい表情を向けられたら、俺は身を竦めてしまう。そうした
ら心が折れてしまって、体が満足に動かないような気がする。敵が犇めいている城内でそ
んな状況に陥るのは殺してくれと言っているようなものだ。

 しばらく心を痛めて無言でいたが、また室内に青白い扉が佇んでいた。
 時間がないのに心無い言葉に動じている場合ではないと、気を取り直して扉を開けてみ
た先には台座の上に乗った青い靴があった。

84Awake 6話(13/13):2013/09/20(金) 06:22:10
 その靴は踝のところに羽根飾りが付いており、童話の妖精が履くような何とも微笑まし
いデザインをしていた。
「まいったな、これを履けってか……」
 一瞬ためらったが、マジックアイテムを駆使しなければ城内を踏破出来ないのは解かっ
ているので、敵が進入していないのを確認すると、その場で鉄靴を脱ぎ装着してみた。
 他のマジックアイテムの様に装着したところ、すぐ身体に吸収された。
「魔性の道具と分かっているけど、使わないとどうしようもないな」
 力を当てにしている。それはネイサンとて解かっていたが、この城の魔性は非力を自覚して
いる自分が戦闘後に得られる道具の持つ、人にあらざる力を自らの肉体に刻んでいく事で
呪縛の様に力に溺れ、心に隙を作ろうとしているのではないかと考えを巡らせた。
――力がないのを自覚しているからこそ、かりそめの力を与える事で、更なる力を渇望さ
せて思慮を持たせないよう仕向けられているかもしれない。
だけど、自らの本来の力を把握していれば、かりそめの力がもたらす効果なんて取るに足
らないものだと自重できる。
 深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている――力と他人を侮る事なかれ。己の
身を守るための臆病さに、これほどまで救われた事が無かった。

85Awake 7話(1/13):2013/09/22(日) 12:47:52
ゴーレムを倒し小休憩をとった後、ネイサンはモーリスの救出はおろか、共闘すべき仲間に邂逅
するも去られた事で自棄にはならないものの、何も考えないように城内を疾走していた。  
だが、時間が経つにつれ、ヒューの自分に対する動向の意味が判らず、いくつかの疑念が頭
の中でもたげ始めた。
――何故、己の優位と俺の状況を後ろ向きに捉えるような見苦しい科白を吐いたんだ?
「もう、歪んだ姿のお前しか見えない。師匠。どうしてあいつを連れて来たんですか?
 今まで師匠が教え体得して来た概念や、思想を根底から否定する考えで攻略しようとし
ている」
 だが、考えても仕方がないと思考を振り切るために上を見上げると、城内の所々に足場
の様なものが見えるのに気づいた。まさか部屋があるとは思ってもみなかったが、怪しい
所はくまなく探索しないとどこに儀式の間の鍵があるか判らないので、新たなマジックア
イテムを使い駆けあがる事にした。
「他に踏破出来ないなら上に登るのみか。うん?」
 壁を蹴り斜めに跳び上がった時、対面の壁に吸着するように靴底が貼りついた。
「すごいな、鉄靴を履いているのに滑り落ちる事なく駆けあがれる。だけどこの力は自分
の物じゃない。急に能力が消えても慌てる事が無いよう注意しないと」
 駆けあがった先には頑丈な鉄の扉が目の前に現れた。

86Awake 7話(2/13):2013/09/22(日) 12:48:56
「……なんで階段がないのに扉があったりするんだろう? 古城を再構築しているからこ
んな奇妙な造りになっているのだろうけど……」
 とにかく移動できる手段を手に入れた事に安堵し、そのままの勢いで扉を開いた。
 開くと同時に見たのは、牛と無数のエクトプラズムが犇めきあって侵入してきた獲物の
血肉と精力を啜ろうと待ち構えている光景だった。
「牛?……え、砂!? えっ……あぁっ!」
 状況を確認する前にゴルゴンの口から放たれた砂塵に接触し、一瞬でネイサンの全身は石化
してしまった。
――出だしからこれか。先が思いやられるな。
 幸いにもメデゥサと同様に体を揺らすと皮膚に張り付いた石は剥がれた。
それから今度は砂塵に触れないようゴルゴンの砂が届かない足場まで後退し、周りと状況
を確認しながら接触してくる敵を鞭とクロスで掃討しつつ回避した。
 その場所は長い廊下だった。敵を排除して鉄の扉を開けても、また開けても廊下が続い
ていた。 
 そのエリアは前の部屋と同じく下になだらかな坂があり、その一角にはワープゲートが
あった。今度はどこに行けるのだろうかと光の水面に体を預けたが、自分が踏破した事の
あるエリアしか行けない事が分かり、その場所の探索を諦めて先へ進むことにした。

87Awake 7話(3/13):2013/09/22(日) 12:53:52
 丁度そのすぐ後にヒューがそのワープゲートから出てきた。外に出て自分が進んだことの
ないエリアだとすぐに分かったが、ここに来られると言う事は自分の前にネイサンが通過した
事の証左だと予測し、そのまま近場を探索した。
 ネイサンの方は、色取り取りのステンドグラスが填った窓が壁一面に広がっている空間に進
んだ。
 その空間にはバラ窓や、聖書の一節を題材にした色彩豊かなステンドグラスが鏤められ
ていたため、この城内における礼拝堂だと判った。
 だが、この場所においても荘厳に輝く室内に見とれている暇は無かった。
 城内に侵入する前に対峙した炎を纏った鎧兵と、先ほどの廊下で当たらない曲刀を振り
下ろしてくるスケルトンが同時に攻撃して来たものだから堪らず上方へ逃げたが、今度は
間髪置かず、意思を持つ無数のナイフがネイサンめがけて襲ってきた。
しかも、性質の悪い事に攻撃を捌こうとしても動きが素早く、追ってこられないよう中途
の遮蔽物に隠れながら、上へ逃げるだけで精いっぱいだった。
 その上、中途の部屋で空中移動をしながらこちらに向かってくるマリオネットに接触し、
攻撃しようとしたら一定時間、聖鞭を握ろうとしても手が弾かれたため、攻撃できず逃
げ回るかのように移動するしかなかった。
 聖鞭を握れなかったことから呪いにかかったと予測できたが、同時に清浄な場所に何故
そのような効果を持つ魔性が存在できるのかと疑念に思った。

88Awake 7話(4/13):2013/09/22(日) 12:55:03
 その答えをネイサンはマリオネットに追いかけられながら、このエリアで見つける事が出来
た。
 流石に聖なるものを模しているとはいえ、ここは悪魔城である。中途に十字架など見当
たらないばかりか、東方三賢者の一人がステンドグラスから欠けているのを確認すると納
得がいった。
――わざと欠けさせる事でキリストを否定し、聖域を毀したのか。そう言えば謁見の間に
行く途中の廊下にあったルーベンスの『キリスト降架』は模写で見た構図じゃなく反転し
ていたな。つまり、この城に元々あった宗教的なものをすべて否定するつもりでいるのか?
 そうと判ればこの城に完全な安息地は存在しないと結論付け、死の恐怖が深まると暗澹
たる思いで移動に邪魔な敵を排除しながら逃げ回るように進んでいった。
 程なくして、鐘楼がある廊下から上方へ駆けると、眼前に駒がいる青白い扉を見つけた。
 だが、駆けだしたと同時にありえない事が起こった。
 扉に近づこうとした途端、扉からヒューが無残な姿でこちらに向かって弾き飛ばされて来
たからである。
 ネイサンの後を追いかけていたヒューだったが、ネイサンが必死で逃げ回り遮蔽物に隠れていた頃、
彼は敵の追尾を無視して進んでいたため、ネイサンと邂逅する事なく先に駒と対峙できたので
ある。

89Awake 7話(5/13):2013/09/22(日) 12:55:59
とにかく自分より先に目的地に辿り着いて、いつの間にか血だらけで弾き飛ばされて来
たのに驚愕を以って一瞬、体と思考が硬直した。
「ヒュー!大丈夫か?」
「貴様!引っ込んでいろ。俺の獲物に手を出すな!」
 ネイサンはあまりの無残さに駆け寄ろうとヒューに声をかけたが、ただでさえ精神に楔を打ち込
まれ思うように行動出来ない上に、異形の敵に軽くあしらわれて無様にも吹き飛ばされた
姿を一番見られたくない相手に晒した事でヒューは一気に逆上した。
 ヒューもまた儀式の間の前に行き、鍵となるアイテムを手に入れるためには駒を倒さなけれ
ばならないと知った。それは、ネイサンが確実に各部屋の駒を倒しアイテムを手に入れ、踏破
しているのを先の戦いで確信したからだ。
 だが共闘していなかった事で現在のネイサンの力を知ることが出来ず、自分が倒せなかった
魔物にネイサンが太刀打ちできるはずかないと考えたため、その感情も手伝ってか強い口調で
彼の行動を制止した。
 強く言われたのでネイサンは少し怯んだが、よもやヒューの精神の手綱が他者に握られた状態に
なっているなどとは想像できず、血まみれの姿で吼えている状況にヒューに聖鞭さえあればこ
んな苦しい貌をさせずに済んだだろうと一瞬思ったものの、それでは何の解決も見られな
い現実に心が痛んだ。

90Awake 7話(6/13):2013/09/22(日) 12:56:45
「何だ……この異様で禍々しい羊は?」
 そこには壁一面を占めるほどの巨大な羊のような生き物の頭部が剥製のように首から顔
を出していた。
 それだけでも異様だが、その顔面を目の周りを中心に黒い革のバンドで雁字搦めに拘束
されていた。
 よく見ると、頭は羊だが壁から人の両手が突き出ていた。しかし、壁に手首から先しか
出ておらず、それも拘束されていた。
「何奴だ? さっきの人間は吹き飛ばされたお陰で運良く助かったみたいだが、お前はそ
の身を喰わせてくれるのか?」
「……」
「その怒りに満ちた目。お前はさっきの人間の仲間か?」
 壁から突き出た両の手先と口以外、黒い革で縛られ、ネイサンの姿は見えていないはずなの
に彼のほうへ頭を向け怪物は言葉を発した。
「我が名はアドラメレク。かつて異郷の地で太陽と等しい神であった。だが屠った生贄の多さ
に人は我を煉獄の宰相などと嘲り悪魔の化身になった訳だ。しかし嘲った人間を屠り喰ら
い尽くすのはいいものだ。数世紀振りに溜飲が下がった思いだ」
「よく喋る羊だ。羊なら羊らしく肉を喰らわず、牧草でも食んでいればいいものを」
 軽口を叩き、無遠慮に言葉を発する畜生にヒューが嬲られたかと思うと、ネイサンは腹立たし
さのあまり、震えながら呪詛を吐いた。

91Awake 7話(7/13):2013/09/22(日) 12:57:58
 無論、吐かれた畜生は怒りに震えた言葉ごときでは意に介すことはなく、侮った口調で
彼をからかった。
「言葉数は少ないくせに中々に口が悪い。人間、それほどまでにあの人間を大切に想って
いるのか……面白い。その身を喰らってやる」
「――!?」
 アドラメレクの口元が微かに歪み瞬時に殺気立つと、間髪置かず無数の青白い炎がネイサン目掛け
て降り注いできた。ある程度異形の敵に慣れてきたため素早く躱せたが、最後に追尾して
きた炎の塊に直撃し出鼻を挫かれた。
「どうした人間! 我の攻撃はこれだけでは終わらぬぞ!」
「うっ、これでは近づけない」
 炎の塊に吹き飛ばされて背中から叩きつけられた痛みで蹲った隙に、アドラメレクは自分の肉
体の範囲に毒の球を展開しネイサンに頭蓋骨の群れを放った。
 運悪く頭蓋骨に衝突しまたもや吹き飛ばされて仰向けに倒れた後、すぐ体を起こし跪く
体勢を取ったが、間髪措かずアドラメレクから炎を放たれ、動きが取れない彼の肉体は劫火の如
き熱量を以って焼かれた。
――攻撃が早い! ヒューでさえ倒せなかった敵に、独りで立ち向かわなきゃならないなんて!
怖い、膝が震える、歯の根が合わない。死にたくない。
「だけど今は、俺が戦ってこいつを倒さないと誰も助からない!」
 吼えてもネイサン自身、相手に対して余裕を以って屠る力を持ち合わせていないのは理解し
ている。だが、青白の扉は進入した以上、駒を倒さなければどんなにあがいても開く事は
出来ない。

92Awake 7話(8/13):2013/09/22(日) 12:58:55
そうこうするうちに頭蓋骨の群れがネイサン目がけて急襲してきた。しかし、攻撃のタイミ
ングを見るために下手に動く事が出来ない状況においては、逃げ続ける方法しか取れなか
った。
――とにかく落ち着いて攻撃の種類を見極めよう。体は動かず、頭部だけが可動領域内で
動く程度だから、遠隔攻撃が中心だろう。今まで壁から体を出す気配はなかったから、直
接攻撃の可能性は低い。
 そう思案を巡らせ骸骨の群れを観察すると、展開範囲は広いものの地面に接触せず、あ
る一定の位置まで来たら自ら発火し、消滅している。この場合はスライディングで回避し、
反対側に回って炎の鞭などリーチが長く、攻撃力が高いカードの効果を使って攻撃できる
と踏んだ。
――あの羊は俺がいる方向に頭を向けた後に遠隔攻撃を繰り出してくるようだ。炎は追尾
してくるから移動しながら弾数を消費させるために逃げる事に専念する。毒の弾は当たっ
た瞬間に消えていたからクロスで掃討しながら本体を直接攻撃できる。
 気づけば何の事は無かったが、それでも本来の自分の技量では到底、倒せるような魔性
ではないし、むしろ自分より先に身一つでここまで辿りついたヒューの力に感嘆した。
 ともあれ、回避と攻撃を続けていくうちにアドラメレクの方に焦りが出てきたのか、軽口どこ
ろか言葉さえも発さなくなり、ダメージが強いのだろう、次第に唸りながら涎を撒き散ら
し始めた。

93Awake 7話(9/13):2013/09/22(日) 12:59:33
 やがて、頭部が炎のように赤く染まると、皮膚から業火が溢れだし燃えながら首から分
かたれ床に落ちた瞬間に燃え尽きた。
 その様を見て既に敵を屠った事に躊躇すら覚える事はなくなった。ただ、勝利を確信す
るために青白い扉を開ける事だけがネイサンの脳裏にあった。
 傷つき今でも扉の外で蹲っているであろうヒューの姿を確かめるため、急いで彼のもとへ駆
けつけるために。
 
「くっ!誰が助けてくれといった?」
「ほっとけるわけ無いだろう?」
 ヒューの元に辿りつくと、依然として満身創痍で血や埃が白地の衣服にこびり付いている薄
汚れた姿のまま痛む体を抱えて床に蹲っていたが、決まり悪そうに表情をネイサンに向けた後、
本当に迷惑な様子で悪態を吐いた。
――こんなに傷ついているのに、まだ虚勢を張るつもりか? そんな状態で戦力を分散さ
せる事がどんなにも愚かか、いつものお前だったらこんな思慮のない蛮勇を振るう事はし
なかっただろうに! 目を覚ましてくれ!
 ネイサンは火傷した体を庇いながらヒューの様子を見ようとしたが、彼が己の矜持と自尊心から
発した嚇怒に対して流石に腹を立て、少々強く言葉を発した。
 だが、その態度に反駁するかのようにネイサンの功績を踏みにじる言動に出られた。
「貴様、勘違いするなよ!そのムチの力で勝っただけだ!」
「ヒュー…?」
「…修行中、一度も俺に勝った事がないお前を、親父は後継者に選び、ハンターのムチを
与えた。」

94Awake 7話(10/13):2013/09/22(日) 13:00:30
 確かにネイサンが持っている実際の力では、今までの敵は一人で倒す事は出来なかっただろ
う。
 だが、どんな形であれ打倒しない事にはどの道、ヒューも彼も助かる道は無かった。それな
のにこの期に及んで現在に至った過程を問うのはあまりにも幼く、浅墓にも程があった。
「貴様の両親が、俺の親父と共にドラキュラを封印したと言う事で、目を掛けられているに過
ぎん!それを忘れるな!」
 
 ヒューはネイサンが持っているモーリスに対する恩義を逆手にとり徹底的に詰った。
 それは負の感情にのまれかけている彼の状態で共闘すれば、近いうちに操られてしまい
ネイサンの足手まといになるのは自分でもよく判っていたからだ。
 それならばいっそ彼を傷つけ怯ませてでも追って来ないようにして別行動をとり、自分
の状態を正常に戻す。
 この場合は術者であるカーミラを倒す事だが、説明してもネイサンが自分との共闘を望むのは目
に見えていた。
 現に作戦行動に関してネイサンは何ら間違った行動は取っていない。それなのに己の矜持が
許さず、戦場の真っただ中で妬心さえ曝け出す見っとも無い感情が燻っている。
 ともかく悲愁を帯びた表情を向け、己の根底にある承認欲求に抗う事が出来ないまま激
高した口調でネイサンを詰り、邂逅するも共闘の道をまた自ら放棄したヒューは逃げるように彼の
もとから走り去った。
「上手く諌められない自分の後ろめたい感情が、恩義ある人の血族を守る盾となり損ねた。
 お前の心身を想う事さえ許してくれないのか? もしかして」
 引き留めようと手を翳そうとしたが躊躇して動けず、悔しさのあまり歯を食いしばると、
悲しそうに悔恨の情を醸した顔の双眸には涙が溢れていた。

95Awake 7話(11/13):2013/09/22(日) 13:01:55
「何と言う狂気。何と言う傲慢。人も魔物もこうあるべきだ! 純粋に己の事しか考えて
いない、己の父親の救出すら己の矜持を証明するための道具にしかしていない」
 己の操作による誘導があったにせよヒューの矜持から来る振る舞いを見て、カーミラは喜色を全
面に出し魔性の如きその性根を心から賞賛し、自ら社会悪を標榜して行動している者より
も、己の未熟な承認欲求を満たすためだけに他者を攻撃する純粋な剥き身の感情に好感を
もった。
 反面、ネイサンに対しては後にも先にも不快感しか覚えなかった。
 カーミラはネイサンの怯えた顔を思い出すと、蟖たけた美しい容姿に似合わず悪鬼のごとく歪ん
だ表情で彼に毒づいた。
「私は力や欲望に怖れを抱いて、聖人君子のような振る舞いをする偽善者を見ていると反
吐が出る思いになる!」
――倒されたネクロマンサー様、デス様、そして私が中心となって伯爵を復活させたまではいいが、
彼奴が……聖鞭の力を借りていたとしても、こうも易々と駒を毀してくれるとは思っても
みなかった。
 この一ヶ月半、私が復活後の力の増幅に関して直接指揮をとっているとはいえ、術者の
一人であるネクロマンサー様に先鋒を任せ、この城に向かってくるハンター達の相手をし続けた事
で我々二人より疲弊なさっておられたとすれば……分からん話でもない。
いや、力なく倒された者の事を憐れみ、考えるのは止そう。これから先の事を考える方が
有益だ。
術者としての主導権は私が握っている。たとえデス様が斃されようと、伯爵に与える力の流
れが滞るだけでほとんど影響は無い。
だが、あの軟弱者が私のところまで城内の駒を倒し、踏破した場合、こちらの身の振り方
を考えねばなるまい。

96Awake 7話(12/13):2013/09/22(日) 13:03:02
「だが、気になる。あの君子然とした偽善者があの男に向けた貌と、切なげに何度も彼の
名前を呼んでいたのは……まさか……」
 カーミラは想像したものの、いくら幻覚を見せる術者とはいえ、確証が持てない事象を相手
に突きつけるような愚を犯すつもりはなかったが、その貌はどう考えても相手に対して恋
情を抱いている様相を呈していた。
「ソドムの恋か。それならば人間らしい感情ではないか。そう思うと少し、不快感が和ら
ぐ」
 カーミラはその予測が本当なら面白い事になりそうだと喜び、徐々に表情が柔和になった。

 死闘の後に二度も詰られ、しばらく意気消沈していたネイサンは気を取り直し、部屋の先に
ある扉を開いた。
 鍵があるかと期待したが、凱旋通路前のワープゲートにあったスイッチがあるだけだっ
た。
 躊躇なく台座に乗ると、部屋の中にあった血まみれのアイアンメイデンが潰れたと同時
に、その破片が四方に散らばり体がよろめくぐらいの地鳴りが空間に轟いた。
 崩壊した先に部屋が現れたが、四方を見渡してもマジックアイテムは見当たらなかった。
――とにかくアイアンメイデンが壊れて新たな空間が広がった。城全体に地鳴りが轟いた
から他の場所にあったのも同じようになったのでは……?
 そう考えを巡らし、礼拝堂に入る前のエリアにアイアンメイデンがあった事を思い出す
と、そこだけではなく他にも封鎖されていた所が通過できるだろうと予想した。
 先は長いかもしれないが、着実に自分はモーリスの救出に向かって歩みを進めている。そう
思い、先ほどアイアンメイデンが道を塞いでいた場所が開けていることを確信し、そこを
目指して駆けて行った。

97Awake 7話(13/13):2013/09/22(日) 13:03:39
 同じころ、己の状況と放言した内容のアンバランスさを自らの意思で露呈した事に、ヒュー
は再び嫌悪を抱いて赤面しながら、奈落階段を無我夢中で駆けていた。
 
 ちょうどアイアンメイデンのあった場所にたどり着き、敵の侵入しない場所で少し体を
休めて冷静になろうと扉を開けた時、城内に轟音が鳴り響いた。
 その威力は彼を取り巻く空間自体が縦に大きく揺れるくらい強いものだった。
「アイアンメイデンが砲撃を喰らったように壊れている」
 ヒューは今まで通れなかった所を探索できるかと思うと心が高鳴った。
 その上、偶然にも己の心に楔を打ち込んだ術者の魔力が微かに感知できるほど、その場
所の周辺から魔力が放たれていた。
 だが、それはわざと相手に魔力を感じさせ、ヒューを誘き寄せるために撒いたカーミラの罠で
あった。
 そのため、ヒューは難なく魔力を感知でき、汚染した精神を取り除くために行動しようと
息巻いたが、心の楔のせいでカーミラの操作に気付かないまま、冷静になれるどころか正体を
失ってしまった。
「行ける。行けるぞ! ははは! 一刻も早くあの魔性を斃し、精神のくびきを断ってか
ら奴より、ネイサンより早く親父の元に辿りついてやる!」
 相手を躊躇なく詰り、身勝手な承認欲求を他者に認めさせるような未熟な行動を恥と思
わないくらい、その思考は徐々に歪んでヒューの心を蝕んでいった。

98Awake 8話(1/9):2013/09/24(火) 09:30:54
「行ける。行けるぞ! ははは!」
 大量の水の音が濁流の如くどうどうと響き渡る空間を掻き乱すかのように、地下水路の
深遠部をガシャガシャと金具が軋み合う音を立てながら、荒い息遣いで駆けているヒューの姿
があった。
 体力を削る毒の水が流れるその場所はひどい悪臭を放っていたが、己が倒せなかった魔
物をネイサンが打ち倒した事で冷静さは完全に消え去り、本格的に自信を見失った彼の心は怒
り感情のみで突き進んでいた。
 いつもの彼ならいったん退避して己に有利な方法を探すのだが、カーミラが感情を増幅させ
てしまったせいで今まで感じた事のなかった、他者が見せた力に対する焦りといった感情
を上手くコントロール出来ず、その感情の先には術者のカーミラを倒す事しか考えられなかっ
た。
――何故だ。何故だ!何故だ! どこでどう奴との力の差が生まれたんだ!? 親父が前
に話した通り「人の住まう場所でない城は通常の概念が通用しない」と言うことか。
だが、精神に楔を打たれたとはいえ、数刻の間で力関係が変化する事がこの世にあってい
いのか? そんな莫迦な!
ならば、俺は……俺は如何したらいい!? 俺はネイサンより膂力も剣技も知識も持ち合わせ
ている。先ほどの鞭捌きを見ていてもそれは確かだ。
俺はこの城の中では役立たずなのか? それだけは認めない。いや、認めるわけにはいか
ない! 俺の研鑽の日々を無駄な時間だと思いたくない。

「そんな不条理が在って堪るかああぁぁあ!」 

 ヒューは錯乱したような叫びを上げながら、中途にあった階段のギミックを利用し、体力の
消耗を抑えるために無駄なルートを通らないよう、目測で判断しながら進んでいった。

99Awake 8話(2/9):2013/09/24(火) 09:35:23
 やがて、駒となる魔物が待機している部屋を示す青白い扉を見つけた。彼はグッと歯を
食いしばると、苦痛に歪ませた顔を目指すべき最深部の扉に向け、その表情のまま扉を乱
暴に蹴り飛ばし、ずかずかと奥の部屋へ入って行った。
そこは、外の水路とは対照的で壁一面に伝うように清浄な水が流れ、清々しい空気が辺り
に満ちていた。
 広さは他の部屋と同じくらいだが、足場ほどの大きさがある突起物を備えている簡素な
石柱が一定の間隔で配置されている。その奥にはもう一つ扉があった。

 そこには新たなる通路があるのだろうか? とヒューは考えたがその前に、その部屋は石畳
の落窪になっており降りるために着地地点を見下ろすと、謁見の間にいた女が涼やかな顔
でこちらを見て微笑んだ。
「案外、早かったのね」
 女は赤い唇を花が咲くように緩やかに開き、自分を見下ろしている不遜な表情をした青
年を見て、程よく肉付きの良い均整の取れた左足を誘惑するかのように桃色のペチコート
の裂け目から太腿が見える寸前まで右足へゆっくりと動かした。
――その声は、俺の心に響いていた声そのものだ。
 彼は斎戒していたせいもあってか少し、艶麗な態をなした女の色香に気を向けたが、そ
の女の役割を思い出すと――つまり、死者復活の直接的な指揮を執った術者を打ち倒せば
死者もろとも崩壊させる事の出来るネクロマンシーの法則により「塵に還すべき相手」と
認識した。
 その上、自分の心に楔を打ち、力を奪ったかと思うと何が何でも倒さなければならない
相手であった。
「淫魔が」 
 そう考えたら一層その女の表情と仕草を穢らわしい物を見るかのように、侮蔑をこめた
眼差しで見つめた。

100Awake 8話(3/9):2013/09/24(火) 09:36:06
 それから、打ち倒した瞬間の湧き上がる征服感と、それに付随するハンターとしての名
誉と父親からの賞賛、そしてネイサンに対する変わり無き優越感と立場。
 それらを想像しただけで胸が高鳴り、快楽に酔い痴れる心持になって「ククク……」と
喜びを隠せずに野卑た低い声を満面の笑みで漏らした。
「貴様を消滅させれば俺は、この苦しみから解き放たれる。貴様は俺の生贄になるのだ」
 ヒューは先ほどの表情と格好を崩さずに対峙している女に指を指し、キリスト者にあるまじ
き言動(他者を自分だけの生贄と認識すること)を悪びれも無く言い放った。
 それに対して彼女は「傲岸だが実力を測れないほど狂ってしまったのか……」と内心、
己の術がここまで効いていた事に満足を覚えながらも、玩具の気分を損ねては元も子もな
いと思い、あえて礼節を重んじて対応する事にした。
「私の名はカーミラ。貴方の名は?」
「貴様に名乗る名など無い! 名乗れば貴様の術に利用されるのが落ちだからな!」
 案の定ヒューは頑なに魔と対話する事を拒否した。

――そう、その目と顔付き。やはりそうでなくては、面白味が無い。
カーミラは炎のように赤い舌で薔薇色をした己の唇を舐り上げた。
「……無礼な男。でも私は貴方の名を知っていてよ、ヒュー・ボールドウィン」
――やはりな……さすがに上級の吸血鬼は知恵が回る。名を持つ本人に言霊を語らせ感情
を盗んで利用するつもりだったか。だが、そこまで精神が浸食されていたとは思わなかっ
た。
 彼は腹立たしさからカーミラを射抜くような冷たい目で見た。しかし、彼女はその視線を無
視して軽やかな口調で更に続けた。
「貴方は今、何故自分の名を会話もしたことの無い私が知っているのか、疑問に思ってい
るのではないかしら?」


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