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現代人が納得できる日蓮教学
1
:
管理者
:2005/07/16(土) 10:06:55
新しいスレッドテーマの提案が有りましたので、立ち上げます。提案文は以下の通りです。
1721 名前: 顕正居士 投稿日: 2005/07/16(土) 06:59:06
ここは「つぶやきすれっど」なので1700 1705 1706 1709 1718 1720などの内容について意見を交換するスレッド
を作ってはどうでしょうか?「現代人が納得できる日蓮教学」とか。
わが国の仏教の「現代」はいつ始まるのか?飲光慈雲が悉曇学を復興し、富永謙斎が経典成立史を解明した
18世紀だろうとおもいます。この時点では睡眠中の仏徒は未だ覚醒せず明治の廃仏に至った。ようやく各宗は
欧州へ留学生を送って、現代仏教学が誕生した。以後、わが国の仏学の発達はめざましい。だが各宗の先哲、
さまざまに改革の努力をしたけれども、ついに葬式仏教から脱化しなかった。現代仏教学の知見は薄弱にしか
普及せず、伝統宗学の学習すら衰退した。そこで人民の宗教需要はほとんどが新興宗教に吸収されていった。
結局、わが国の仏教は今は整然、3種類に分かれるに至った。学問仏教、葬式仏教、仏教系新興宗教である。
伝統宗学も学問仏教に属する。いつの時代でも高等な学問は少数学僧のことで、在家信者の多数は基礎的な
宗学も知らなかったといえばそうであろう。問題は間を繋ぐ一般僧侶の教養である。かつて日蓮宗諸派の壇林
では能化に至るのには20年ほどかかった。天台の六大部を隅々まで学習するのにはそれくらい必要であった。
今日では僧侶と在家信者の教養には大差がないから、仏教学者、宗学者たちは直接に在家信者を対象にした
著作をよく出すようになった。葬式仏教、新興宗教に満足しない読者は増加しているようである。読書仏教の
隆盛である。わが国の仏教が結果的に当たり前のところに到着したのだといえる。現代仏教学の見識の上に
立った仏学書を手引きにして、次には自ら仏典を読む、それが在家仏教徒の基本である。中国、台湾の仏教
はまったくこういうあり方である。漢文がわれわれよりも楽に読めるからであるが、仏教学が発達した日本では
サンスクリット語、パーリ語からの現代日本語訳経典も溢れており、仏教を学ぶにはわが国が最高の環境です。
488
:
れん
:2006/02/09(木) 19:58:29
顕正居士さん
>487
における適切なご教示、誠に有難うございます。真宗でも他宗誹謗はさかんであったこと。しかし、蓮如師はそれを厳禁したこと…また一つ勉強になりました。
日蓮の諸宗批判は、ご教示の通り、先行する旧仏教や天台の諸師の批判がありますが、その批判も
>曹洞禅は不立文字でないし、浄土も「御文章」のように「唯除五逆誹謗正法」を認めるのであれば、旧仏教や、日蓮の批判もう該当しません。
ですね。
>以後の日蓮各派の他宗誹謗はほとんど他宗教学の無知に由来します
誠にご教示の通りと存じます。
日蓮門下各派の場合、
>天文法乱後の度々の禁教を今後折伏しないと誓約して生き延びたが
>不軽行が折伏であるという詭弁で折伏思想を温存したために、これが維新後に復活してしまった
これはご教示の通り、かつ重要なご指摘で、この問題の問題たる本質であると存じます。この維新後に復活した折伏思想・四箇格言が、以後に派生した在家信仰団体に受け継がれてしまったがゆえに、既成の各派が、それを批判するのであるならば、不軽の行が折伏であるという詭弁を捨て、折伏思想・四箇格言を廃棄して、常々独歩さんのいわれるところの“二十一世紀の日蓮”を提示することが、石山系をはじめとする日蓮系新宗教のカルト問題の解決の糸口となるのでしょうね。
489
:
栴檀
:2006/02/10(金) 15:44:30
顕正居士 様
>日蓮各派の他宗誹謗はほとんど他宗教学の無知に由来します。
私はこれを実感いたします。
批判するのですが、ではその人が批判の対象をよく知っているかというと
知らないんです。
清水師の「浄土真宗は吾宗を知らず吾宗は浄土真宗を識らざりしなり」
ですが、私は他所でも書いたのですが大谷派の曽我量深師が唯一といっていいほど
あちらでは日蓮聖人に理解と共感を持っていたのではないでしょうか。
(いくばくかの誤解はあると思います)
490
:
顕正居士
:2006/02/10(金) 19:16:32
栴檀さん。
曽我量深師1875-1971は面白いことを言われています。
「さらに百尺竿頭一歩を進めて、日蓮は彼自らをもって本仏とし教主世尊をもって迹仏とせり。
なんたる大宣言、なんたる大識見。『しかれば釈迦仏は我等衆生のためには主師親の三徳を
備え給うと思いしに、さにては侯わず。返って仏に三徳を被らせ奉るは凡夫なり』」
『上行化現の日蓮』(丸山照雄編『近代日蓮論』朝日選書・昭和56年)
http://home.att.ne.jp/blue/houmon/shiryo/soga.htm
やはり真宗の方ですが、井上円了師1858-1919も日蓮宗に理解の深い方でした。
「独り真宗、日蓮宗に至ては日本開立の新宗なり其宗猶ほ三国の相承伝灯を説くと雖も之を
我邦に適用するに至ては哲学上千歳未曾有の真理を開顕し実際上日本特有の宗教を組織
せり是に於て支那特色の厭世的仏教は一変して世間的若くは国家的宗教となれり」
『日宗哲学序論』明治28年(近代デジタルライブラリー)
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40049224&VOL_NUM=00000&KOMA=19&ITYPE=0
今は細かい研究は発達していますが、明治時代には広大な識見を持った方がおられたと思う。
491
:
顕正居士
:2006/02/12(日) 06:56:25
日蓮は原理主義者であったか?
『危険な原理主義の台頭〜なぜ日蓮系と福音派が伸張しているのか』の筆者は
「この両者は、なぜこうも似通っているのか。それは、日蓮とルターが原理主義者であったと
いうことに尽きるだろう」と述べておられます。では日蓮の神秘体験は二度生れ型*だったか。
*二度生れ型-W・ジェイムズが『宗教経験の諸相 』で述べた類型。やさしくいえば、天国体験
に対する地獄体験。以下のサイトがいう神秘体験B型。
「宗教戦争の開始」
http://www.lcv.ne.jp/~kohnoshg/site7/luther8.htm
日蓮の遺文を読むと、無間地獄に落ちることを避けるために、法華経以外の教えに心を移して
はいけない、という表現は多い。しかし日蓮の神秘体験はむしろ忍難弘教の歓喜体験である。
天国型でも地獄型でもなく、闘士型、革命家型というような、より一般的なものであるとみえる。
ルターが置かれたような政治状況が国内にあったわけでもない。
昭和戦前期に充洽園教学に対して浅井要鱗師の原理主義的文献学の提唱があって、日蓮像
は今日ますます原理主義者のイメージが増している。
しかし『如説修行抄』などを後世成立の文献とし、『諸法実相抄』などを真書湮滅の文献と想像
することも可能である。勝呂信静師のような非宗学者の立場からの意見も参考にすべきである。
日蓮は原理主義者ではなく、本覚主義者であったという理解のほうが長い歴史があるのだから。
492
:
栴檀
:2006/02/13(月) 11:45:59
顕正居士 様
曽我師の『上行化現の日蓮』は私も読んだことがあります。
師の書いたものの中で一番文章がいいと(確か安田理深師だったか)絶賛する方もおられますね。
私も大変好きな文章です。
井上円了師の日蓮聖人理解についてははじめて知りました。
そういえば師の墓所はなぜか日蓮宗寺院(池上末)にありますね。
明治人の識見、本当にそうでありますね。
493
:
れん
:2006/02/16(木) 19:26:00
顕正居士さん
491
>日蓮の神秘体験はむしろ忍難弘教の歓喜体験…天国型でも地獄型でもなく闘士型・革命家型というようなより一般的なもの…
私もそのように思います。文永八年の弾圧までの日蓮の宗教活動は天台復興運動が内実とでもいうべきものでしたが、文永八年の一門弾圧と日蓮自身の佐渡流罪は、日蓮の法華経色読の自負と不軽自覚をもたらし、天台学を基礎にしつつも独自の宗教思想の形成をもたらしました。その点からいえば日蓮のそれはまさに忍難弘教の歓喜体験であり、ご指摘の通り天国型でも地獄型でもなく闘士型・革命家型というようなより一般的なものと言えそうですね。
>しかし『如説修行抄』などを後世成立の文献とし『諸法実相抄』などを真書〇滅の文献と想像することも可能
如説修行抄は日尊本と称する写本が石山末富久成寺に現存しますが、本当に日尊の写本かは疑わしいでしょう。他に信頼できる尊師の書跡が無い以上、富久成寺本を日尊真蹟と断ずるのは危険と思います。尊門は祖滅六十年頃には法華本門宗要抄を偽作してますから、これも、尊門成立の文献と見ることも可能であろうと存じます。諸法実相抄については研さんが行き届いてないので何とも言えませんが、身延山三世日進師の立正観抄写本に最蓮房云々と見え、蓮師門弟に確かにその人物がいたと考えるのが至当と思われますので、最蓮房関係の祖書と言われるものすべてを排除するのは不可で、むしろ、如説修行抄よりかは諸法実相抄の方が日蓮遺文である可能性が高いと存じますので、仰る通りの想像は可能と思います。
>日蓮は原理主義者ではなく、本覚主義者であったという理解のほうが長い歴史がある…
日蓮のそれは、四信五品抄にある「現在四信之初一念信解与滅後五品第一初随喜、此二處一同百界千如一念三千寶篋、十方三世諸仏出門也…制止檀戒等五度一向令称南無妙法蓮華経、為一念信解初随喜の気分也。是則此経本意也…」の文を参照するに、一乗(法華本門)の仏因を修行して一乗の仏果を確信するというような感じで、単なる本覚主義者とも若干異なる感じがします。それはまさに日蓮の忍難弘教の歓喜体験のなせるわざと言えるのかも知れません。
494
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2006/02/17(金) 12:33:34
れんさん
>尊門は祖滅六十年頃には法華本門宗要抄を偽作
このあたりをもう少し詳しくお教え願えませんか? 尊門が法華本門宗要抄を偽作したと記載されている文献はどれなのでしょうか?
彰往考来
495
:
れん
:2006/02/17(金) 16:53:25
彰徃考来さん
法華本門宗要抄について、西山本門寺開山の日代師は「法華宗要集事〈聖人御作云々、自下野国出之〉/於文句者、雖為当家助成、一向非聖作疑書也、定後学可迷惑歟、日代門徒不足許用、仍記之/延文五年六月晦日 日代(花押))」と述べており、本書を偽作と断定しております。祖滅78年にはこの書が現われているのは注意すべき点です(祖滅50年頃云々は記憶違いでした)。さて、代師の上記書に「下野国出之」とありますが、三宝寺本録外御書写本の法華本門宗要抄写本奥書に「抑此御書者真間花蔵坊小浜長源寺日源於下野国〈富士門流石田法華堂〉以御自筆正本書写之。日源示日中如斯」とあり、その石田法華堂が日尊門流寺院であったことは、日辰師の「祖師伝」日尊伝に「又同国〈下野国〉有里名石田。師(日尊)於石田立寺」とあり、石田法華堂は現在は不明なるも、室町末期まではその存在は確認でき、かつ日尊開山の寺院であったことが了解されます。よって代師が言う下野国とは、具体的には上記資料により日尊師開山の石田法華堂に比定でき、かつ、その石田法華堂に疑(偽)書である“法華本門宗要抄”の蓮師“御自筆正本”なるものが存在していたことを考えますと、法華本門宗要抄の作成は、関東日尊門流によるものと考えざるをえないものであり、よって私は先の投稿において、法華本門宗要抄は尊門による偽作と記しました次第です。そのものズバリという文献はありませんが、法華本門宗要抄の周辺の文献を調べますと、以上の結論が得られたのです。右、ご参考まで。
496
:
れん
:2006/02/17(金) 17:04:40
495の訂正
誤 祖滅50年頃
正 祖滅六十年頃
497
:
犀角独歩
:2006/02/20(月) 01:16:58
オフ会スレ662のれんさんの応答として、こちらに移動します。
> 開目抄は蓮師の「忍難弘教の歓喜体験」の論理的裏付け
なるほど、このようなとらえ方はできますか。
今回の小松師講義の聴講は通じて、まだ2回ですが、わたしなりに既にいくつもの発見がありました。五重相対への疑義はブログでも書きましたが、この『開目抄』は仰るような側面と共に、佐渡流罪已前の日蓮が、どのような行動を採っていたのか垣間見られるようにも思えました。
文中展開される折伏論から、やはり、日蓮は武装し、かつ念仏者刎頭の主張をしていたのだろうと推測します。また、現世安穏という経文に違う自身の境遇を積極的に再理論化する試みが、同抄に見られるのだろうと思います。
わたしが着目するのは‘顕密相対’で、純天台的方向性は、真言化した(と日蓮が見る)比叡山からの決別を意味し、また、従来分析される純天台思考とは、しかし、一念三千を旗頭にする妙楽色の強いものである点で、妙楽の天台釈を純天台ととらえるところに日蓮の教学的な特質がある点を注視しています。
また、開目抄に限らず、編年で時系列に読み進めると、日蓮が標榜する法華菩薩は、変遷があり、初期では権教の菩薩を簡んで法華菩薩を言い、佐渡流罪前後より不軽菩薩に対する視点が生じ、さて、では、四菩薩への視点と交錯していくわけですが、この諸菩薩への論究の様は、法華経説の順位に同じ、それを30年程の階梯で垣間見られることは興味深いと思いました。
ややブログでは書き落としましたが、『開目抄』における神仏観には、日本の国神(天照八幡)、また、不動・愛染への論究が全くないことは奇異に感じました。純天台的なアプローチを標榜したと目せる同抄はしかし、漫荼羅図示の始まりとも相前後するのにも拘わらず、この点では、まったく漫荼羅構成の理論化にシンクロしないのは注意を要します。この点を、勉強会で、小松師にわたしはお尋ねしたのですが、答えは‘開会’から考えるとのことでした。
実のところ、開目抄において、五重相対と言って、落ちてしまう顕密相対はしかし、たしかに漫荼羅図示においては開会摂取されるところであり、法華真言未分で『守護国家論』の如く、その後の、真言(律宗)への鋭利な批判とは別に、法華から開会される真言こそ、大曼荼羅図示の主要な意図を為していると考えられます。
この様な点の、正確な分析は、いまだ取り残された日蓮研究のテーマとして、今日的な意義を有すると思います。先にブログで紹介した小林是恭師の如き研究がさらに積み重ねられることを希望するものです。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50200478.html
21世紀の日蓮とは、宗派門派が背負ってきた過去のアナウンスの弁明、護教教学ではなく、冷徹、かつ合理的な分析眼から徹底解明を経ずしては、何ものも得るものはないと考えるところです。
その観点から、ここ一連の顕正居士さん、また、れんさん、ご論攷には敬意を表するものです。
498
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2006/02/20(月) 07:54:31
>495れんさん
>祖滅50年頃云々は記憶違いでした
法華本門宗要抄の成立については『日蓮聖人遺文辞典 歴史篇』(昭和60年、身延山久遠寺)の「法華本門宗要鈔」の項(1042頁)に宮崎英修氏が「一般に本書は日蓮滅後四、五十年ごろの成立と考えられている」と書いています。ただ日興上人の御遷化が正慶2(1333)年(聖滅後52年)ですから、それより古いとは考え難く日蓮滅後四、五十年ごろの成立というよりは60年ごろというのが妥当でしょう。延文5年(祖滅79年)に代師雑記が書かれていますので、「聖人滅後七十餘年の頃」(山川智応『日蓮聖人研究 第一巻』昭和4年、新潮社、94頁)という考えもあります。
>三宝寺本録外御書写本・・於下野国〈富士門流石田法華堂〉以御自筆正本書写之
>石田法華堂が日尊門流寺院であった・・日辰師の「祖師伝」日尊伝・・室町末期まではその存在は確認・・日尊開山の寺院・・下野国・・日尊師開山の石田法華堂に比定
御書システム コラム 2005.8.1.には渡辺師の「「法華本門宗要抄」を読み直す」という論文には、「「抑此の御書は真間華蔵坊小浜長源寺日源、下野国〈富士門流石田法華堂〉に於て御自筆の正本を以て之れを書写し奉る。日源日中に示す、斯の如し矣、此の本を以て之れを交し訖んぬ云云。」
これによれば長源寺開基の安住院日源(1362〜1435)が、下野国にある日尊門流の石田法華堂において、『宗要抄』を書写し、青蓮坊日中(中山門流)に示したとある。因みに寺伝によれば、長源寺の建立は康暦二年(1380)である。」
とありますので、「法華本門宗要抄」の正本が尊師開基の石田法華堂にあったとするなら、れんさんの御指摘のとおり、法華本門宗要抄は尊門による偽作ということが濃厚となります。
但し、疑問点があります。『昭和定本 日蓮聖人遺文 第三巻』(昭和63年改訂増補版)の「法華本門宗要鈔」の注には、【寫】三寶寺本【刊】受715 (2150頁) とあり、御書システム コラムに「はじめ『宗要抄』は慶安2年(1649)の『他受用御書』に内容が大幅に省略されて収録・刊行された。その後の『縮刷遺文』『定本』『新定』などの御書集にも、その形が踏襲された」とあるように「昭和定本」の同鈔は録外の刊本『他受用御書』が底本と判断されます。そして『昭和定本 日蓮聖人遺文 第三巻』2168頁の同鈔の注に、「奥書『私曰 御正本富士西山有之矣(以下略)』と奥書に正本は西山に之ありかとしています。しかしながら、西山本門寺開山の日代師は延文5(1360)年の雑記で偽書とされているわけで、この奥書内容は不審といえます。山川智応師も板本「他受用御書」の「本門宗要抄」の奥書について、「御正本富士西山にありとは、西山に僞書説あるを知らずして、斯の如く記せるものか」(『日蓮聖人研究 第一巻』94頁)と指摘されています。代師も延文5年の雑記に「自下野國出之(下野国より之をだす)」とされていますので、やはり正本は下野国にあったと考えたほうがよさそうです。
499
:
れん
:2006/02/20(月) 22:13:36
>497 犀角独歩さん
専門的な視点からのご教示、誠に有難うございました。大いに勉強になりました。私の場合は素人考えの領域を出ないものですので、今後とも折りにふれてご教示の程お願いいたします。
>21世紀の日蓮とは宗派門派が背負ってきた過去のアナウンスの弁明・護教教学ではなく、冷徹かつ合理的な分析眼から徹底解明を経ずしては何ものも得るものはないと考えるところです…
私も全く同感です。今後とも“21世紀の日蓮”につきご教示戴ければ幸甚です。
498 彰徃考来さん
先行する諸資料からのご教示、誠に有難うございます。今後ともご教示の程、お願い申し上げます。
正本と称するものが、ご指摘の通り下野国にあったことから、代師の法華宗要集事の内容からして、法華本門宗要抄は、興師滅後比較的早い時期に、下野国にて成立したとみた方がよさそうに感じます。宗要抄には富士戒壇論も見えますし、正本の所在が大夫日尊師開山の石田法華堂と伝承されていたことから、やはり下野国の富士門流・しかも日尊門下がその成立に関わったとみるのが自然と思われますね。
500
:
一字三礼
:2006/02/26(日) 14:48:59
小松師は、2月17日のご遺文講義(開目抄)において、天台と日蓮の「一念三千」観の根本的な違いをご指摘されました。
天台大師の「一念三千」は、迹門方便品に拠るがゆえに始成正覚の仏である。
日蓮聖人の「一念三千」は、本門寿量品に拠るがゆえに久遠実成の仏である。
この日の講義後に、私は小松師に質問しました。
「同じ’一念三千’で、なぜ迹門方便品に拠る解釈と本門寿量品に拠る解釈とが成り立つのか」
私の質問の仕方が悪かったのか、理解力不足のせいか、先生のご回答がいまひとつ納得できませんでした。
天台大師の「一念三千」が迹門方便品に拠る始覚の仏であるならば、、その三世間の出典は迹門に拠らなければならないはずが、「摩訶止観」の該当箇所には三世間の出典元は示されていません。
「摩訶止観」が天台の思想を伝えているとは言えませんが、蓮祖のあつかう「一念三千」の論拠が「摩訶止観」なので、巻第五上「一觀心是不可思議境者。」から始まる「一念三千」の解説の中から三世間について調べてみますと、
「攬五陰通稱衆生。衆生不同。攬三途陰罪苦衆生。攬人天陰受樂衆生。攬無漏陰眞聖衆生。攬慈悲陰大士衆生。攬常住陰尊極衆生。大論云。衆生無上者佛是。」
(五陰を攬って通じて衆生と称するも、衆生同じからず。三途の陰を攬るは罪苦の衆生なり、人天の陰を攬るは受樂の衆生なり、無漏の陰を攬るは眞聖の衆生なり、慈悲の陰を攬るは大士の衆生なり、常住の陰を攬るは尊極の衆生なり。大論に云く、[衆生の無上なる者は佛是なり]と。
「常住の陰を攬るは尊極の衆生(佛)なり」と五陰世間から説かれる仏は常住仏です。
「十種所居通稱國土世間者。地獄依赤鐵住。畜生依地水空住。修羅依海畔海底住。人依地住。天依宮殿住。六度菩薩同人依地住。通教菩薩惑未盡同人天依住。斷惑盡者依方便土住。別圓菩薩惑未盡者。同人天方便等住。斷惑盡者依實報土住。如来依常寂光土住。」
(十種の所居を通じて国土世間と称するは、地獄は赤鉄に依って住し、畜生は地水空に依って住し、修羅は海畔海底に依って住し、人は地に依って住し、天は宮殿に依って住し、六度の菩薩は人に同じく地に依って住し、通教の菩薩の惑いまだ尽くさざるものは人天の依住に同じく、惑を断じ尽くせるものは方便土に依って住し、別圓の菩薩の惑いまだ尽くさざるものは人天方便等の住に同じく、惑を断じ尽くせるものは実報土に依って住し、如来は常寂光土に依って住すればなり。)
「如来は常寂光土に依って住すればなり。」と国土世間から説かれる仏も常寂光土に住するのですから、やはり常住仏です。
「摩訶止観」の記述にしたがえば五陰世間、国土世間ともに仏は常住仏で常寂光土に住することになるので、少なくとも天台大師の「一念三千」は迹門方便品に拠るとは言えません。また、「摩訶止観」では法華・涅槃を同等に扱うのが「常寂光土」(涅槃経に説かれる浄土であって法華経には出てこない)からも推測できます。
厳密には、涅槃経の常住仏も一品二半の寿量仏から見れば、なお始覚の仏ではあると考えるのかもしれませんが。
501
:
れん
:2006/02/26(日) 18:06:39
一字三礼さん、こんにちは。
小松師の日蓮遺文講義にご参加されたとのこと、松山師講義に引き続きのご参加の由にて、熱心なるご研学に心より敬服致します。
さて、天台と日蓮の一念三千についてですが、天台大師の本来の意味での一念三千論については、私自身の勉強不足で分かりませんが、日蓮の場合のそれは十章抄の「一念三千と申ス事は迹門にすらなを許されず、何ニ況ヤ爾前に分たえたる事なり。一念三千の出処は略開三之十如実相なれども、義分は本門に限る」とあり、一字三礼さんが現在聴講されている開目抄には多少やや具体的に「迹門方便品は一念三千・二乗作仏を説て爾前二種の失一ツを脱レたり。しかりといえどもいまだ発迹顕本せざれば、まことの一念三千もあらわれず。二乗作仏も定まらず。水中の月を見るがごとし。根なし草の波ノ上に浮ヘるににたり。…爾前迹門の十界の因果を打やぶて本門十界の因果をとき顕ハす。此レ即本因本果の法門なり。九界も無始の仏界に具シ、仏界も無始の九界に備リて、真ノ十界互具・百界千如・一念三千なるべし」とあります。日蓮の認識としては、天台のそれは、迹門方便品の十如実相・二乗作仏等を出処として立てられたが、天台のそれは久遠実成の本仏・本門寿量品の教主釈尊の本因本果の法門から開出されたものでないために、迹門立ち(始成正覚)の一念三千であり、日蓮のそれは、寿量品の久遠実成の釈尊の本因本果の法門に即して立てたものであるから、本門立ち(久遠実成)の一念三千である、日蓮の立場はその久遠実成の釈尊に即して立てた本門の一念三千を真(まこと)の一念三千とするといったものではないかと、素人考えしております。ご参考にならないとはぞんじますが、一応の試案として書いておきます。
502
:
一字三礼
:2006/02/26(日) 20:40:58
れんさん
レスありがとうございます。
> 日蓮の認識としては、天台のそれは、迹門方便品の十如実相・二乗作仏等を出処として立てられたが、〜中略〜日蓮の立場はその久遠実成の釈尊に即して立てた本門の一念三千を真(まこと)の一念三千とするといったものではないか
ご指摘の点、私もそのように考えておりました。
しかし、真蹟のご遺文に天台の一念三千が’迹門立ち’であるとの見解を示されているものがありましたでしょうか。私はれんさんと違い、本当に’不勉強’なものですから、見落としているのかもしれません。
れんさんの挙げてくださった「十章抄」「開目抄」でも天台の一念三千が迹門立ちであるとは書かれていないように思えるのですが、いかがでしょうか。
例えば、「開目抄」の有名な箇所ですが、
「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり、竜樹天親知つてしかもいまだひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり。」
’但我が天台智者のみこれをいだけり’が重要で、この文をそのまま読むと日蓮は、所謂’本門立ち’の一念三千は天台大師所具の法門であると理解していた事にはなりませんでしょうか。
つまり、日蓮の本門を中心とした一念三千の理解は、天台大師の一念三千理解と同じと考えておられたのではないでしょうか。
別件です。
3月の松山先生の講義の折、もしご入用でしたら、国訳大蔵経の「妙法蓮華経憂波提舎」のコピーを持参いたします。
先生が注目しているのはShddharma‐pundarikaとの比較で、妙法蓮華経の17の異名を述べる箇所であろうと思いますから、熟読の必要はないとは思いますが(妙法蓮華経憂波提舎自体、そこ以外はあまり読んでも意味がありませんし)。
503
:
れん
:2006/02/26(日) 21:36:37
一字三礼さん、返レス有難うございます。
一字三礼さんが、今御講義を受けられておられる開目抄からは、だいぶ先の身延期の日蓮の著述になりますが、弘安元年六月の治病抄に
「法華経に又二経あり。所謂迹門と本門となり。本迹の相違は水火天地の違目也例せば爾前と法華経の違目よりも猶相違あり…今本門と迹門とは教主すでに久始のかわりめ、百歳のをきなと一歳の幼子のごとし…本迹を混合すれば水火を弁ヘざる者也…」と日蓮は法華経本迹二門とその教主において本勝迹劣を思考していたことが述べられ、本抄末尾に
「一念三千ノ観法に二ツあり。一ニハ理、二ニハ事なり。天台・伝教等の御時には理也。今は事也。観念すでに勝る故ニ大難又色まさる。彼は迹門の一念三千、此は本門ノ一念三千也。天地はるかに殊也こと也と、御臨終の御時は御心へ有るべく候」と、天台大師の一念三千を理・迹門の一念三千と規定し、日蓮自身の一念三千を事・本門の一念三千と規定しており、その勝劣を述べておりますから、日蓮には一念三千について事・本門と理・迹門に立てわけ、自らのそれを事・本門と規定していたことは理解出来ます。十章抄や開目抄の著述からは年代が下りますが、上記の真蹟遺文によるかぎり、多分、日蓮の中では、天台の一念三千を本門立ちのものとは恐らく考えてなかったのではないかと愚考します。
>別件…国訳大蔵経…妙法蓮華経憂波提舎のコピー…お心遣い誠に有難うございます。お手数をおかけいたしますが、何卒宜しくお願い申し上げます。
504
:
顕正居士
:2006/02/27(月) 10:39:22
三世間を掛けないと三千にはなりません。
「夫一心具十法界、一法界又具十法界、百法界。一界具三十種世間、百法界即具三千種
世間。此三千在一念心。若無心而已、介爾有心、即具三千」(止観)
開目抄の文底秘沈の文は同抄の「まことの一念三千」を指すのでしょう。
しかし百界千如でも十界の未来成仏がたしかです。「千二百羅漢 悉亦當作佛」、「佛子行道
巳 來世得作佛」。ですから百界千如を迹門の一念三千とも書いたのでしょう。
百界千如は衆生本具の仏性をいうので、あらかた一念三千ではあるが、成仏は未来となる、
最速でも一生成仏となるから、つまりこれは始覚門である。対してまことの一念三千は十界
本来の成仏、即身成仏をいうから、つまりこれは本覚門である。
天台智邈は大乗起信論は知らなかったので本覚、始覚の問題は妙楽湛然の十不二門の解釈
をめぐる山家、山外の論争になりました。四明知礼は一念三千の観は妄心観であるとして論争
を決着した。
「今開在纏一念染心。本具三千倶體倶用。與淨不殊故名不二」(今在纏一念の染心を開かば、
本より三千を具し倶體倶用なり。淨と殊ならざる故に不二と名づく」(十不二門指要鈔.)
日本天台は湛然の系統を受けて山家的、山外的、両方の思潮があったが、次第に性具思想
が高まった。日蓮思想もその一つですが、遺文の真偽問題もあり、四十五字法体段が仏界
縁起か妄心縁起かという昭和の論争がありました。
505
:
パンナコッタ
:2006/02/27(月) 13:45:18
横レス失礼します。
顕正居士さんのご指摘なさった真偽問題を考えると、開目抄は非常に悩ましいですね。
当然、本満寺日乾真蹟対象本がテキストとなるのでしょうが、
庵谷教授の講演において、「本満寺本が、御真蹟を完全な形で伝えているかどうかについては、なお、
検討の余地があると思います」 冠教授も「本満寺本は完全に信頼出来るとは言えない」 と指摘されており
大黒師の「信を置くには不十分な面もある」も引用されています。
(現代宗教研究 第38 「日蓮聖人における摂受と折伏について」 庵谷行亨 より引用)
やはり曾存の開目抄を断定的に捉えていくのは難しいですね。
みなさんの精緻な御研鑽の成果を心待ちにしております。
506
:
犀角独歩
:2006/02/27(月) 14:07:42
> 500 一字三礼さん
> 天台大師の「一念三千」は迹門方便品に拠るとは言えません
同じ講義を聴講した一人として、記します。
天台が方便品に一念三千を立てるというのは、小松師の所説ではありません。これは日蓮の言です。すなわち、
「迹門方便品は一念三千・二乗作仏を説いて爾前二種の失一つ脱れたり。しかりといえどもいまだ発迹顕本せざれば、まことの一念三千もあらわれず、二乗作仏も定まらず。水中の月を見るがごとし。根なし草の波上に浮べるにいたり」
実際、小松師の講義では、天台・日蓮の一念三千の相違を述べる段で、上記一文を示して、論じていました。
小松師の講義は、さらに上記の文の続きを字句通り、説明したものでした。
「本門にいたりて、始成正覚をやぶれば四教の果をやぶる。四教の果をやぶれば、四教の因やぶれぶ。爾前・迹門の十界の因果を打ちやぶて、本門十界の因果をとき顕す。此れ即ち本因本果の法門なり。九界も無始の仏界に具し、仏界も無始の九界に備わりて、真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし」
講義の時、わたしはややこしくなると思いましたので、敢えて質問しましせんでしたが、そもそも天台・章安の段階で、一念三千という成句自体を見ません(坂本幸男師もこの点を指摘しています)その意味において、日蓮の言う一念三千は妙楽解釈に拠るわけですが、取りあえず、ややこしくなるので、この点も置きます。
その意味において、一字三礼さんが立てられた疑問というのは、小松師への疑問と言うより、日蓮の『摩訶止観』解釈に関する疑問、もっと具体的に言えば日蓮の一念三千観への疑問と言うことであろうと思います。
一字三礼さんの疑義の立て方はしかし、あの場で話し合ったと思いますが、わたしと共通の疑問に立脚していると思います。つまり、仏の三世間は寿量品で五百塵点成道における本因・本果・本国土(三妙合論)のこの本国土世間が明確にされない限り、肝心の仏界の三世間は成ぜず、つまりそうなれば、三千を成じないという計算に基づくのであろうと思います。
しかしながら、実際のところ、天台が三千を論じるのは「夫一心具十法界 一法界又具十法界百法界。一界具三十種世間 百法界即具三千種世間。此三千在一念心 若無心而已 介爾有心即具三千」ということであり、天台は特に三妙合論なくして、三千を不成は言っていないわけです。しかし、日蓮は上述の通り、「本門にいたりて…真の十界互具・百界千如・一念三千」というわけですから、たしかに天台と日蓮の一念三千観には相違があるといえると思います。
また、今回の講義を離れ『本尊抄』に拠れば、日蓮の百界千如と一念三千の区別を三妙合論をもって捌くというより、情・非情の相違、難信難解から草木成仏の観点を導入し、ここに末法の仏像を寿量仏と定めるという教学的な態度を示すわけです。
これは過去に議論したことですが、この‘本尊’とは、天台の教学には見られないものであり、たしか顕正居士さんがご指摘くださったことであると記憶しますが、そもそも、日蓮がいう‘本尊’とは、真言密教の延長にあるものです。ただ、日蓮は父母の像、儒家聖人(せいじん)像をも本尊というわけですが、いずれにしても、「本尊」語は天台の教学には全く見られないものですから、寿量本仏像を百界千如と一念三千の相違、難信難解、草木成仏から論じる日蓮の本尊観は天台とは、当然のこととして、相違したものであることも付言しておくべきかもしれません。
507
:
一字三礼
:2006/02/27(月) 20:35:50
れんさん
> 日蓮の中では、天台の一念三千を本門立ちのものとは恐らく考えてなかったのではないかと愚考します。
真筆遺文を挙げてのご教示ありがとうございます。
了解しました。天台を迹門立ちと考えるのは日蓮自身の考えだったのですね。
私の疑問点は、犀角独歩さんが記してくださっているように、「日蓮の『摩訶止観』解釈に関する疑問」でした。
犀角独歩さん
確かに私の疑義の挿み方は『開目抄』講義後の質問としては、完全に傍論でした。
> わたしと共通の疑問に立脚していると思います。〜中略〜三千を成じないという計算に基づくのであろうと思います。
> しかしながら、実際のところ、〜中略〜天台は特に三妙合論なくして、三千を不成は言っていないわけです。
犀角独歩さんの言われるとおりであろうと存じます。
天台は一念三千・三千観法をかならずしも経典に依らない、独自な理論で編み出したものであった、それを日蓮はその理論の根拠を法華経のみに求めたことによる矛盾でしょうか。
遅ればせながら、松山・小松両先生の講義を聴講する機会をくださった犀角独歩さんに心より感謝いたします。
508
:
犀角独歩
:2006/02/27(月) 23:55:04
一字三礼さん
> 疑義の挿み方…完全に傍論
いえ、ぜんぜん、問題ありません。よい質問であろうかと思います。
なにせ、島田師の「なんで、そんなに一念三千に拘るの?」という質問で、なかなか沸騰した議論になったりするわけですから、あそこでは、特にタブーはありません。
まあ、日蓮本仏論の押し売りで持論を枉げないなんてことをやれば、「はい、もう少し勉強して、出直しなさい」という話にはなるでしょうが。そんな愚を一字三礼さんがなさるわけはありませんから、安心して窺っていました。
パンナコッタさんが挙げられましたが、『開目抄』をどこまで、真跡としてみるのかというのは、たしかに「悩ましい」問題ですね。れんさんがなさったように、真跡から、曽存の相違を系統的に整理してみる必要はあるように思えます。しかし、今の時点では、わたしはこの点では落着していないので、『開目抄』は「常不軽」を除いては、『平成新修日蓮聖人遺文集』の通りで、暫定的に扱うことといたします。
富士門的な本迹観は勝劣義ですから、本門正意となりますが、一致義からすると、どうなるのでしょうか。けれど、「本迹雖殊不思議一」は、玄・文、記のお定まりの点ですから、一応は勝劣と見えても、不思議一と束ねることが常道と見えます。ただ、開目抄説では、この点は、あたかも久成開顕、三妙合論で真の一念三千と読め、となれば、まったくの本迹相対ではないかと思えます。しかし、ここを通過点とし、不思議一の課程と見ることもできるのかもしれません。
まあ、しかし、三妙合論で、本仏本国土で三千成就は、論としては美しいと思います。
509
:
顕正居士
:2006/02/28(火) 06:51:17
>>502
で一字三礼さんが文底秘沈の文を引いておっしゃったように、一念三千が二つある
わけではありません。三世間を掛けないと三千にはなりません。
「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり、竜樹天親知つてしかも
いまだひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり」
竜樹世親は知っていたが寿量品の文の底からひろいださなかった、すなわち説かなかった。
天台智邈のみ、その一念三千の宝珠を取り出したのであると。
一念三千について本尊抄のはじめに明晰に説明されています。
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40049185&VOL_NUM=00000&KOMA=480&ITYPE=0
玄文には一念三千の名目はない。止観の四までにもない。智者大師は三十年の弘法、しかし
二十九年は五時八教と百界千如を説かれるのみであった。止観の五ではじめて一念三千の
名目が現われたのである。これこそ天台智者の終窮究竟の極説、説己心中所行法門であると。
そして
>>506
で犀角独歩さんがおっしゃった湛然の無情有性の話題に進みます。百界千如
と一念三千の相違とは、百界千如は有情界に限り、一念三千は情非情に亙ることであると。
開目抄に百界千如を迹門の一念三千といっておりますが、それは
>>504
でわたしが述べた
意味あいであって、一念三千に二つあるのではありません。一念三千は天台智邈の終窮究竟
の極説、説己心中所行法門です。
れんさんが
>>503
で引かれた「一念三千ノ観法に二ツあり。一ニハ理、二ニハ事なり。…」は
「天台・伝教等の『御時』」というように時の相違である、「彼は迹門の一念三千」は開目抄の
用例でわかるように百界千如です、「此は本門ノ一念三千」は智邈の終窮究竟の教説が世に
本格的にあらわれる時の意味です。
智邈、湛然、最澄、日蓮に一念三千の理解の相違が当然、あるでしょう。しかし日蓮の主観
においては一念三千の教説は智邈が寿量品の文の底からひろいだしたのであり、正統天台
の後継者と自負するゆえんです。また止観五の文、湛然の注釈、知礼の論争決着からいって、
決して日蓮の主観にのみとどまるものではありません。
510
:
顕正居士
:2006/02/28(火) 10:48:16
一念三千が二つないことは本尊抄に明晰であり、開目抄にいう迹門の一念三千が百界千如
であることも明白です。なぜ迹門の一念三千というのかを考えると、通途に迹門・諸法実相、
本門・久遠実成というのを、一念三千に統合したいからである。日蓮は諸法実相とそれほど
いわない、二乗作仏という、そして久成の釈尊という。それがある時期から一念三千に統合
されて来る。二乗作仏も久成釈尊も十界互具をいいたいのである。日蓮の思想の中心は
宗教的には久成釈尊だが、哲学的には十界互具、一念三千である。だから百界千如を迹門
の一念三千というのである。百界千如であることははっきりと説明されています。
ところが二つの一念三千があるという説の諸師がおられる。たとえば日輝師であります。
「第五理事者。初略説。二広説。初者理者。所謂台家理性具足一念三千也。事者。所謂
当家事相常住一念三千也。…」(一念三千論)
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40049028&VOL_NUM=00001&KOMA=26&ITYPE=0
師のいう台家理具の一念三千とは百界千如のことではない。二つの一念三千があるという
のである。師によると、台家の一念三千は生仏の理同をいうのみである。唯心の範囲である。
したがって当家の事一念三千観というものがある。唱題のことではない。観法である。それは
おいて、湛然、知礼の教説をまったく無視し、本尊抄も無視した奇怪な説であります。
511
:
顕正居士
:2006/02/28(火) 12:05:44
ところで二つの一念三千について日寛師の説をみると、
「諸抄の中に二文あり。一には迹本倶に一念三千と名づけ、二には迹は百界千如と名づけ、
本を一念三千と名づく」
「迹門は未だ国土世間を明かさざる故に百界千如に限るなり、而るに迹門方便品に一念三千
を説くと云えることは正に必ず依あり、故に与えて爾云うなり。若し奪って之れを論ぜば迹門
は但之れ百界千如なり」
と明晰です。一念三千は「義分は本門に限る」のです。
この後は独特の説になります。一念三千は「義分は本門に限る」。しかし本尊抄に「百界千如、
一念三千其の義を尽くせり。但理具を論じて事行の南無妙法蓮華経の五字…」、『但論理具』
という。ゆえに「彼は迹門の一念三千」(富木入道殿御返事)とは「面裏の迹本倶に迹門と
名づくるなり」、「是れは本門の一念三千」とは文底独一本門を指すのであると。
「一念三千の観法に二つあり」とは一個の一念三千の教義について二種類の観法があると
いうことで、決して一念三千が二つある意味にはならない。ただし日寛師の説は文底本門を
いっても、一念三千が幾つもあるということでは必ずしもない。事の一念三千といえば、理の
一念三千と二つあるように思えるが、一念三千の事観というのと同じと考えれば、一念三千
自体は一つであるから。
http://nakanihon.net/nb/rokkann1.html
512
:
犀角独歩
:2006/02/28(火) 18:44:35
顕正居士さんには、適切なご教示をいただきまして、誠に有り難うございます。
一字三礼さん、また、わたしが挙げた小松邦彰師の『開目抄』講義のご発言に就き、ややロムの方には、わかりづらいのではないかと思い、少し記します。
小松師は顕正居士さんが仰る二つの一念三千ということを仰っているわけではなく、一念三千の立て方が天台と日蓮では違うということを指摘されたわけです。
この点は、わたしのブログでも触れましたが、天台は方便品で、日蓮は寿量品で立てることで相違があるという意味です。ここで、わたしが「迹門方便品は一念三千・二乗作仏を説いて」の文を挙げたために、やや誤解を招くことになったかと案じました。
『摩訶止観』5における三千、というより三世間といったほうがよいかもしれませんが、わたし個人の読後感として、ここでは特に寿量顕本における本国土を不可欠の要素とはしていないわけです。
「十種所居通稱國土世間者。地獄依赤鐵住。畜生依地水空住。修羅依海畔海底住。人依地住。天依宮殿住。六度菩薩同人依地住。通教菩薩惑未盡同人天依住。斷惑盡者依方便土住。別圓菩薩惑未盡者。同人天方便等住。斷惑盡者依實報土住。如來依常寂光土住。仁王經云。三賢十聖住果報。唯佛一人居淨土。土土不同故名國土世間也。此三十種世間悉從心造。」
というのが、この原典です。一読すればわかるとおり、「如来は常寂光土に依って住す…唯仏一人浄土に居す」ですから、ここでいう如来・仏は、特に寿量本仏に限ることではないわけです。つまり、ここでは諸法実相の文より事起こり三千を立てたと読むことはできます。
ところが、日蓮の場合、当然、この『摩訶止観』によるわけですが、しかし、一歩立ち入って、本仏の本国土を嘆じて、真の一念三千とする相違があるように思えます。小松師は、この点を述べたであろうと、わたしは考えます。つまり、三世間を「寿量本仏依本国土」というのではないのかというのが、一字三礼さんとわたしの共通の認識であったことは先に述べました。しかし、もちろん、これは、一念三千が二つあるというのではなく、迹門立て:本門立て=天台:日蓮という小松師の講義を基にしたうえでのことです。
本国土妙は、先んずる『法華玄義』に説かれるわけで、その意味から、三千で言う仏を寿量本仏と見なすことは当然できるわけですが、ここで本国土妙を言うに「迹本雖殊不思議一也」ですから、ここで、日蓮が言うような迹門方便品は百界千如、本門寿量品で一念三千ということができるのか、わたしは、やや、疑問が残ります。
しかし、日蓮は、天台を墨守すると言うより、末法適宜に読み直し、妙法五字に一念三千宝珠を裏むという訳ですから、このような相違があることに、それこそ不思議はありません。
小松師の講義を‘サカナ’に議論して、勢い、師が言っていないことを師の言としては、申し訳ないので、やや補足させていただきました。
513
:
顕正居士
:2006/03/04(土) 01:39:56
台当異目
台家は迹面本裏、当家は本面迹裏。これは皆が云う。台家は理具一念三千、当家は事造
一念三千。これもかなり云う。台当異目は京都布教後に特に必要に迫られた。さらに一致
勝劣の論が起こる。そういう際の台家とは何を指すのか。室町時代の叡山、三井か。最澄
か。智邈の原始天台か。さっぱり判らない。実には日蓮家脳内の台家である。一大円教、
一大円仏の日本天台は本面迹裏じゃないか。台家は理具、当家は事造とは、智邈、湛然、
知礼の性具を否定して、華厳家に与するのか。日蓮宗学は日蓮宗の外に出たら全然通用
しない脳内宗学である。そういう問題意識で書かれた本は少ない。浅井円道師の上古天台
本門思想史くらいではないだろうか?本門思想なるものは日本天台のものであるから興門
の百六箇抄などは文底独一の本門をいう。それも日本天台の思想である。四重興廃という
時判がすでにある。台家の教義を取って来て、日蓮がいう、盗みいれて、台当異目を立てる
歴史はまさに脳内宗学である。
514
:
iひきこもり
:2006/03/04(土) 01:58:57
結局、科学的証明が無ければ、聖書も法華経も空論ですよ。体験的科学現象を、カルトなどと
排他している現状ではではだめです。
日蓮教学が本当ならば、関係者は医学理学に取り組んでいるんじゃないですか?
515
:
今川元真
:2006/03/04(土) 11:52:54
日蓮聖人の教導は鎌倉時代の方法。律は全て履行できない。禅は此岸と彼岸を行ったり来たり。念仏はあの世を目指すのは現実逃避に成らないか。真言は多量のエネルギーを消耗する。法華は何時成仏できるか解らない。
516
:
一字三礼
:2006/03/05(日) 22:51:30
教理的には、日本天台も「本面迹裏」であるというご教示ありがとうございます。
しかし、実際の日本天台宗としての展開をみるときには本当に「本面迹裏」だったのか疑問が湧きます。
たとえば、根本中堂もしくは一乗止観院と言ったところで、その本尊は薬師如来と伝わります。
最澄の悲願であった戒壇院でも授戒師として、釈尊と脇侍に文殊と弥勒の三尊像(おそらく、これに対する本門戒壇院で日蓮は久遠釈尊と本化四菩薩を定めたのでしょう)。
また、これも最澄の時代に整則されたわけではありませんが、天台の四種三昧の本尊も爾前の仏ばかりです。
日本天台では思想としては「本面迹裏」であったとしても、本尊・行体では爾前迹門立ちだったのは何故でしょうか。
517
:
顕正居士
:2006/03/06(月) 04:04:28
>>516
一字三礼さん。
日蓮の本門思想を釈尊一仏や本化四大士への儀礼の統一と考えれば、そのようにも見える
でしょう。しかし単なる儀礼の統一ということほど、法華思想や本門思想に反するものはない。
迹門ならともかく、六或示顕の本門で仏菩薩を選択 せんじゃく するのは変であります。
「但だ法華の一分のみを執して法華の全分を謗し、又法華教未開隱密の一分の功徳のみに
憑りて法華教已開全分の功徳を降す。夫れ於一佛乘とは根本の法華教なり、分別説三とは
隱密の法華教なり、唯一佛乘とは顯説の法華教なり。妙法華の外に更に一句の經なく、
唯一乘の外に更に餘乘等なし。機に隨って千名あり、根に隨って淺深あり。諸の有智の者
善く思念せよ。一代經教の優劣を執すること莫れ」(最澄・守護國界章)
日蓮の新宗教批判は「法華教未開隱密の一分の功徳のみに憑りて法華教已開全分の功徳
を降す」にあったはず。一尊四士が日蓮宗の正本尊であるべきだという近代宗学者の主張は
キリスト教を最高宗教と暗黙に前提する西洋宗教学の影響下にあるとおもう。一尊四士には
妙法五字はないのですから。
ただし
>>513
は儀礼のことを述べたのではなく、日蓮宗学は日蓮宗の教義に深遠な意義
ありとする立場であるから、日蓮の本門思想に哲学上の重要な発明があると主張する傾向
にある。その辺の主張(台当異目)がぜんぜん成り立たないということをいいました。つまり
日蓮自身の思想を理解する際には、台当異目という後世の発想はしないほうがよい、日蓮の
主観ではそういう区別をしていない、時の相違をいうのみである、ということです。
518
:
今川元真
:2006/03/06(月) 07:05:27
横レス失礼します。◆一尊四士では無い法華漫陀羅を掲げさせた意味は通りますね。漫陀羅正意論からすれば。◆法華理論を発明したのでは無くて立証したと言う意味でしょうか。思想哲学の醸成は信学行を通した法華経の行者に成ってからの生き方に表れるはずですから。
519
:
れん
:2006/03/06(月) 08:00:50
顕正居士さん
>517
日蓮自身の思想を理解する際には台当異目という後世の発想はしない方がよい…たしかにそのようにも考えられますね。
日蓮真蹟“下方他方舊住菩薩事”に
「龍樹・天親・南岳・天台・傳教等不弘通本門事
一ハ不付属故、二ニハ時不来故、三ニハ迹化他方故、四ニハ機未堪故、龍樹談宣迹門意、天親約文釈之、不明化導始終。天台大師弘通本迹始終。但本門三学未分明歟」
とあります。
また、日蓮在世の日蓮門弟は、日蓮晩年の弘安初頭には
一、岩本実相寺における豊前房と尾張阿闍梨
二、四十九院における日興等と寺務厳誉及び大衆
三、富木常忍と了性房・思念房
四、滝泉寺における日秀日弁等と院主代行智
と天台僧と四件の論争を行っており、近代宗学の如き台当異目は後世のものであっても、うがった見方をすろば初期富士門にみられるような台当違目の主張の根はすでに、日蓮在世の門弟の間に兆していたとみることも可能かと思います。
520
:
顕正居士
:2006/03/09(木) 05:12:14
>>519
れんさんがあげられた一の議論では「執実謗権」の批判に対し、それは華厳一乗や真言一乗
のことだという。日蓮は執実謗権を批判しているのだから、自らはその失に当たらないという
論理である。これは天台の教義からはずれていないという弁明だが、三の議論では「日蓮が
法門は第三の法門也」といって、このことは先師が十分に詳しくしはしていないと述べる。
末法の始めは久遠下種を忘れた人々が本機であるというのは日蓮の独創で、いわゆる本化
別頭の法門である。しかし三益の教義は教相のことで、聖道門は浄土宗、真宗のように教相
だけでやっていくことはできない。日蓮自身、「教相の本尊抄」ではなく、「観心の本尊抄」と
題したのだから、かならず哲学的解釈においても本化別頭の何ものかがなければならない。
しかし後世、その別頭の教義の内容と称するものは日本天台、四明天台か、あるいは華厳、
真言から輸入したものである。それが日蓮宗学の悩ましいところであるが、では全く、第三の
教相の観心釈が発明されなかったのかといえば、そうではない。それはあまりにもおおきな
思潮であったために意識にあがり難かった。日蓮宗に限ったことではなく、中国と日本の仏教
を一貫する流行であり、仏教の厭世思想と輪廻思想を克服しようとする思潮である。わが国
ではそれは本迹論として盛り上がった。「迹高本下」とは原始天台からある概念だが、この
迹高本下の成道こそ日本仏教のオリジナリティで、偽経の頌、切紙、和歌、絶句などの形式
で伝授された。維新後は自由言論の社会になって、神本仏迹、反本地垂迹などの概念化が
なされた。仏教内部からする仏教克服、それこそ中日仏教を一貫する思潮であって、日蓮宗
の悩ましい宗学は、比較的にその大波の中心にあるから、日蓮宗学を考察することの意義は
そこにある。
521
:
文殊
:2006/03/11(土) 00:49:21
台当異目の考察に際しては、最新の天台学研究の摂取が日蓮宗学系に求め
られるでしょう。浄土系から優れた論文が出ています。「例えば、「無明
即明」「煩悩即菩提」などの矛盾する概念の相即ということは、我々の心
の落ち着きを失わさせる精神的な緊張を伴い、我々をして無理やりに現実に
突き出さしめる。そこには自分とは別に立てられて対象化された無明や煩悩
はない。即にはこのような矛盾によって心に揺さぶりをかけ、固定化を破り、
緊張した今に突き出す働きがある」(柏倉明裕「天台教学による即義」印哲
52・1)
522
:
高木
:2006/03/11(土) 13:42:35
顕正居士さん
はじめまして
>では全く、第三の教相の観心釈が発明されなかったのかといえば、そうではない。それはあまりにもおおきな思潮であったために意識にあがり難かった。…仏教の厭世思想と輪廻思想を克服しようとする思潮である。わが国ではそれは本迹論として盛り上がった。…迹高本下の成道こそ日本仏教のオリジナリティで、…仏教内部からする仏教克服、それこそ中日仏教を一貫する思潮であって…
日蓮の第三の法門とは、どのようなものなのでしょうか。
523
:
顕正居士
:2006/03/12(日) 01:02:52
第三の法門とは三種教相
「教相為三一、根性融不融相、二、化道始終不始終相、三、師弟遠近不遠近相」(玄義巻1)
の第三師弟遠近不遠近相のことです。
「昔所未聞法、今皆當得聞」(法華経從地涌出品)
524
:
れん
:2006/03/12(日) 02:33:36
顕正居士さん
返レス大変遅くなり失礼致しました。
>520
ご教示有難うございます。
>仏教内部からする仏教克服…中日仏教を一貫する思潮…比較的その大波の中心にある…日蓮宗学を考察することの意義はそこにある
ご指摘参考になりました。ありがとうございます。
525
:
高木
:2006/03/12(日) 10:34:04
顕正居士さん
>では全く、第三の教相の観心釈が発明されなかったのかといえば、そうではない。それはあまりにもおおきな思潮であったために意識にあがり難かった。…仏教の厭世思想と輪廻思想を克服しようとする思潮である。わが国ではそれは本迹論として盛り上がった。…迹高本下の成道こそ日本仏教のオリジナリティで、…仏教内部からする仏教克服、それこそ中日仏教を一貫する思潮であって…
このことについて、もう少し説明してもらえないでしょうか。
526
:
高木
:2006/03/12(日) 10:44:02
>第三の教相の観心釈が発明…はあまりにもおおきな思潮であった……仏教の厭世思想と輪廻思想を克服しようとする思潮…
仏教の厭世・輪廻思想の克服とは、どのようなことでしょうか?
>迹高本下の成道こそ日本仏教のオリジナリティで、…仏教内部からする仏教克服、それこそ中日仏教を一貫する思潮…
迹高本下の成道が、仏教克服…インド仏教でなく、中国・日本仏教の思潮ということについて、教えてください。
527
:
顕正居士
:2006/03/13(月) 01:04:45
「夫レ聖人応ヲ垂ルルニ本迹ノ殊ナリ無キニアラズ。或ハ金粟法身ヲ示シ。或ハ補處ノ像ヲ
現ズ。経説縁ニ随フテ高下測リ難シ。是ヲ以テ今須ク本迹ヲ辨ズベキ也」(維摩経玄疏4)
「今体用権実ニ約シテ本迹ヲ明サバ。応ニ須ク四句ニ分別スベシ。一ニ本迹倶ニ下シ。二ニ
本ハ下ク迹ハ高シ。三ニ本ハ高ク迹ハ下シ。四ニ本迹倶ニ高シ」(同)
「第一ノ御子天照太神此國ノ主ト成テ、伊勢國御裳濯川ノ邊、神瀬下津岩根ニ跡ヲ垂レ給フ。
或時ハ垂迹ノ佛ト成テ、番々出世ノ化儀ヲ調ヘ、或時ハ本地ノ神ニ歸テ、塵々刹土ノ利生ヲ
ナシ給フ。是則迹高本下ノ成道也」(太平記)
「釈迦と申すは天照太神西天に釈迦と顕はれ諸仏の本誓妙法蓮華経を説き一切衆生悉く
是れ吾が子なりと宣ふ」(本尊三度相伝)
「十羅刹と天照太神と釈尊と日蓮とは一体の異名本地垂迹の利益広大なり」(産湯相承)
天照大神本・釈迦迹、日蓮本・釈迦迹は迹高本下です。本覚門では九界本・仏界迹である。
日本では室町時代に仏教の「非神話化」が完成した。「日本思想史上のクライ マックス」
(島地大等)と称し得ます。
528
:
文殊
:2006/03/14(火) 00:48:10
本迹高下の四句分別論、天台大師の本迹仏身論が日本に至り本地垂迹説として
展開。それに『起信論』受容の教学的展開が見逃せないでしょう。知礼の『起
信論』理解が六即・仏身について始本不二義を高調したのに対し、日本天台は
始覚より本覚を重視していった。最澄の三一権実の優劣論、安然の真如の当体
即諸法、諸法の当体即真如という当体論、『三十四箇事書』に見る本迹の優劣
論。
529
:
顕正居士
:2006/03/14(火) 18:15:46
「本覚の義は始覚に対して説く。始覚は即ち本覚に同ずるを以てなり」(釈摩訶衍論)
始覚の智が生じる以前に本覚の名無く、始覚の内容が本覚であるから、始本不二である。
これが普通の考えであるから、日本天台の本門とは本迹未分、唯本無作の本門である。
「唯本無作の重と云は機法未分、生仏一如にして諸仏の出世をも論ぜず、本地不思議の地体
にて、さてはつる処を本有無作の三身とは云也」(文句略大綱私見聞)
つまり本覚とは不覚のことである。
「無作の仏と云は何者ぞ。只実迷の凡夫也。始て発心し初て修行を立て、迷を翻して得悟する
に非ず。只我等衆生、無始輪廻の間、本来常住の本仏也。是を覚前の実仏とは云也」(同)
ここに至って仏教は完全に非神話化され、僧形の儒者、惺窩 、羅山の時代へと変遷します。
530
:
文殊
:2006/03/15(水) 22:20:34
法華経にいたって、三乗の教えを開いて一仏乗の教えを顕わし、上中下根すべて
に成仏の記別を与えた(根性の融)
しかも化城喩品においては、釈尊の化導は今世だけにとどまらず、三千塵点劫以
来の化導であることが明かされた(化導の始終)
さらに本門寿量品にいたって、三千塵点劫のその昔、本地難思の五百塵点劫の
久遠の成道以来、釈尊と一切衆生とは師弟の関係にあることが明かされた(師弟
の遠近)
ところが堅樹院日寛師は三種教相を権実相対・本迹相対・種脱相対に変奏します。
「妙楽云前之両意者約迹門後之一意者約本門是也、更加種脱相対一種以為第三故云
日蓮法門也」(「三重秘伝抄」)寛師はここぞの時に妙楽大師を効果的に援用する
傾向があります。当掲示板で論議の戒壇本尊真偽も、寛師にかかれば、「夫本尊
者所縁境也境能発智智亦導行故境若不正則智行亦随不正、妙楽大師有謂仮使発心
不真実者縁於正境功徳猶多若非正境縦無偽妄亦不成種等云々、故須簡本尊以励
信行、若諸宗諸門本尊処々文散在」重須・保田・朗門等の真筆本尊を「処々文
散在」「熟脱本尊」と言い放つこの絶対的な自信は奈辺にあるのかと思います。
531
:
高木
:2006/03/18(土) 09:43:57
527顕正居士さん
本地垂迹説は、仏教側の論理ではないですかね。神仏習合から本地垂迹説という流れは日本に流入してきた仏教側が日本古来の神道を仏教内にとりこむということなんではないですかね。だから神道の方にすればかつてな解釈とはならないですか。どうなんでしょうか。
532
:
犀角独歩[TRACKBACK]
:2006/03/18(土) 10:00:29
> 531
横レス失礼します。
この点については、当掲示板では、結構、議論されてきました。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1108117812/r92-r93
戦前の天皇本尊論を挙げるまでもなく、神本仏迹か・仏本神迹かは両方の立場があるわけでしょう。
533
:
顕正居士
:2006/03/18(土) 15:39:49
次の記事が本地垂迹説の歴史をよく要約しています。
本地垂迹説
http://www.tabiken.com/history/doc/R/R103R200.HTM
反本地垂迹説も本尊三度相伝などに見られるように起源は仏教側からである。これを大成した
吉田神道には日蓮宗と関係した伝承があります。
法華神道
http://page.freett.com/sokagakkai_komei/shukyou/hokke_shintou.html
吉田兼益授与之御本尊
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40049307&VOL_NUM=00002&KOMA=18&ITYPE=0
534
:
犀角独歩
:2006/03/18(土) 17:23:30
やや話題からは逸れるのかも知れませんが、石山義における垂迹説というのは、神仏の扱いに止まらず、仏・菩薩・人の関係で論じられるところに特徴があるのでしょう。
本地自受用報身如来、垂迹上行、最誕日蓮というのがそれです。
出て振り返ってみると、特異な様態であると映じます。
535
:
顕正居士
:2006/03/24(金) 19:15:04
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1017873018/l50
の538番から続きます。こちらがふさわしいですから。いわゆる五時の説について。
さて、したがって五時八教の中で応身仏の説は第二時の蔵教だけであります。そほかはみな
報身仏の説です。ただし天台家の三身説は世親説と開合の異があり、通途の応身を劣応身
といい、報身を勝応身といいます。それではこれはどうなるのか。
「阿含十二、方等八、二十二年般若談、法華涅槃共八年、華嚴最初三七日」(伝湛然五時頌)
天台学の入門書として諦観の『天台四教儀』が最も用いられましたが、智旭(藕益大師)は
『教観綱宗』を著し「通別五時」を論じ、「蓋シ一代ノ中、隨宜ニ聞ク者ニ即チ説ク耳」(法華玄義)
等の文を示し、「智者章安ノ明文此ノ若シ。今人絶テ寓マ目ニセズ。尚ホ自ラ阿含十二方等八
ノ妄説ヲ訛伝ス、害甚ダ大ナリト為ス」と批判しました。以後、『教観綱宗』は必読になりました。
参考 「法難と五時八教」
http://www.kosaiji.org/hokke/tendai/kyogi.htm
次に法華経の教主は劣応身ではないかの問題。たしかに見た目に劣応身ですが、天台家は
これを報身と判じます。「開顕の教主は従劣弁勝なるが故に、三十二相、相相尊特なり。なんぞ
報身にあらざるや。ここをもって宗の師、垢衣内身実是長者と判ぜり」(台宗二百題・法華教主)
法華経は阿含経の結構を借り、教主も見た目は応身であり、巧妙に会三帰一を表現しようと
したからこそ、第五時の説、摂末帰本の法輪、諸経の眼目とされた。つまり、歴史的仏陀の説
を毘盧遮那仏の単なる貧弱な投影とはせず、報応二仏の教説の一体性を重視した。日蓮家の
法華尊重の意図も同じであって、決して諸経から法華のみを「撰択」するのではありません。
536
:
顕正居士
:2006/03/29(水) 03:15:19
日蓮遺文の主な内容は教判と仏身論であるといってよい。そして特色がある。
1 教判
「別の五時」の叙述が主である。日蓮は法華経の迹門の主題を「実相」、「十如」ではなく「二乗作仏」
という。「別の五時」は二乗の機についていう概念である。また「別の五時」におのおの年限があった
と述べる。ただし方等八、般若二十二を分けず、通じて三十年という。
真言三部経の摂属については唐決に二種ある中、方等部説を採用する。
2 仏身論
法華経の本門において法身のみならず報・応二身の顕本が説かれたと述べる。そして法身・大日、
報身・阿弥陀、応身・釈迦の三仏・三身を統一した「無始古仏」を「観心ノ本尊」とする。
智旭以後、『教観綱宗』は『四教儀』と並んで天台学の教科書になったが、彼は17世紀の人である。
日蓮の時代、わが国では天台教判は主に「別の五時」として人口に膾炙していた。『新古今和歌集』
その他の釈教歌によってこのことがわかる。天台教判の主な内容は化法四教であって、通別五時は
従である。証真が「部教ノ混乱」と評した傾向があった。
「無始古仏」と「本門教主釈尊」の関係はわからない。『本尊問答抄』では法を能生、仏を所生とする。
ただし法身に人格を認める密教の立場では会通できる。また日蓮は仏の間に「主従」の関係をいう。
これは顕教ではあり得ないが、密教ではあり得る。
日蓮のオリジナルな思想を「教判と仏身論」という主内容から論述した著はないのではないか。
日蓮の思想には両面がある。一つは内証。山門僧として法華経を密教から解釈し、「三大秘法」に
より、大元帝国の侵寇を退けようとした。一つは外用。「三大秘法」の実修のため、人口に膾炙した
「別の五時」を説いて人民を比叡山への信仰に誘引し、応身中心の顕本を説いて日本国を本国土と
認識させようとした。日蓮の教説はまったく「三大秘法」を当時に修しようとした以外にないのである。
これを忘却して彼の教説を普遍化しようとするから、無意味な議論を永久に輪廻し、カルト教団発生
の根源と化すのであろう。
537
:
今川元真
:2006/03/29(水) 06:27:30
比叡山=四宗兼学?
538
:
パンナコッタ
:2006/03/29(水) 12:37:00
>>537
「天台宗は、宗祖大師立教開宗の本義に基づいて、圓教、密教、禅法、戒法、念佛等いずれも法華一乗の敬意をもって融合し、
これを実疏する。」(天台宗宗憲第五条)
http://www.shosha.or.jp/syukyou/syukyou.htm
539
:
今川元真
:2006/03/29(水) 18:46:02
パンナコッタさん、ありがとうございます。でも、URL見れない(泣)
540
:
パンナコッタ
:2006/03/29(水) 20:24:46
今川元真さん、
書寫山圓教寺のHPをググって下さい。 宗教的御案内→天台の教え です。
541
:
顕正居士
:2006/03/29(水) 21:42:59
圓教寺の「天台の教え」はよくまとまったコンパクトな日本天台史です。
ただし宗憲の引用、一部、字が間違っています。正しくは
「天台宗は、宗祖大師立教開宗の本義に基づいて、圓教、密教、禅法、戒法、念佛等
いずれも法華一乗の教意をもって融合し、これを実践する」です。
542
:
文殊
:2006/03/30(木) 00:17:29
「秘蔵の大事の義には方等般若は説時三十年・但し方等は前・般若は後と申すなり」
(「一代聖教大意」日目写本保田妙本寺)「秘蔵の大事の義」とは叡山法華の相伝か。
「其の外はいかに申し候とも御返事あるべからず」(「富城入道殿御返事」正本中山
法華経寺)この御文の真意とは。「予既に六十に及び候へば天台大師の御恩奉じ奉
らんと仕り候」(同書)は最晩年の蒙古帝国襲来時に見る真言家対破思想と中国
天台回帰の整合性は如何。顕正居士さんの会通は優れていますが、最晩年宗祖真蹟
遺文を拝すると理論的枠組は密教を借りるとも、思想的には中国天台回帰と思い
ますが。
543
:
パンナコッタ
:2006/03/30(木) 00:21:38
なるほど。
顕正居士さん、ご指摘ありがとうございました。
544
:
犀角独歩
:2006/03/30(木) 07:34:38
> 最晩年宗祖真蹟遺文…思想的には中国天台回帰
わたしは、これは違うと思います。
結局のところ、日蓮は南無妙法蓮華経の唱題、三大法門を最後の結論にしていくわけで、漫荼羅図示も最晩年にあれば、ここに日蓮の結論を見るべきであると思います。
このような態度は、中国天台にはあり得ません。
545
:
今川元真
:2006/03/30(木) 09:10:16
天台密教→法華一乗→四箇格言→唱題成仏→漫陀羅、三つの法門揃うならば広宣流布の暁?
546
:
パンナコッタ
:2006/03/30(木) 14:22:40
文殊さんの問いに対する、独歩さんの答のおまけ的なものとして、
一代聖教大意は、
【本抄は『法華経』が釈尊の一代聖教の中で最勝なることを説いている。すなわち前半は教相面から天台の五時八教判によりそれを示す。
まず化法の四教たる蔵通別円について細説し、最後円教に爾前の円と法華涅槃の円があり、爾前の円は二乗不成仏なる故に真の円教にあらずとしている。
次に華厳・阿含・方等・般若・法華涅槃の五時から、『無量義経』に「四十余年未顕真実」といわれた後に説かれた法華涅槃が爾前に勝れることを示す。
但し、本抄最末に「法然上人も一向念仏之行者ながら、選択と申す文には雑行難行道には法華経・大日経等をば除かれたる処もあり。」とあって、
『大日経』を『法華経』と同位に置く台密の五教教判に近い教判であったことをうかがわせる。次に後半においては観心門たる一念三千成道論から『法華経』の最勝を論ずる。
すなわち爾前経にも一往悪人・女人・二乗の成仏を説く経はあるが、それはあくまで歴劫修行改転の成仏にして、十界互具・当位即妙不改本位・一念三千の即身成仏にあらず、
『法華経』のみがそれを説く故に勝れるとしている。ここに注意すべきは「妙法を一念三千ということ如何。」との設問から、それを説明する段で、
中古天台文献に見られる「八舌之鑰口伝」が引用されていることである。これは五時を述べる中、方等・般若時の山門寺門の異説を挙げ、「秘蔵之大事之義には」と
自説を述べられていることも含め、この時期の宗祖の修学の範囲及び傾向を示すものである。最後に浄土教からの、『法華経』は難行にして末代凡夫適時の法にあらずとの難に対し
反論が加えられている。但し、その反論は後の「守護国家論」等に対すれば、与えて論ぜられた消極的なものである。
なお、同年に系けられる「四教略名目」は本書の下敷きとなるものと思われる】
【日目本には年次の記載がない。日朝本目録に「正嘉二年戊午」とあり、刊本録内には「正嘉二年二月十四日」とあり日奥目録がそれを踏襲、
境妙庵目録、日諦目録、日明目録はこれを踏襲する。浄土教への批判が「守護国家論」などに比べて消極的であるところ、この時期に比定される】
547
:
パンナコッタ
:2006/03/30(木) 14:23:13
続き、
また、花押のみ蓮祖筆の「富城入道殿御返事」は、
【富城入道より閏七月以来重ねて書状が届けられたことに対する返状である。この時宗祖は宿のやせ病が、
門下に口述筆記をさせざるを得ないほどに悪化していたようである。富城入道の重ねての書状には、
蒙古軍は神風によって敗退したこと、京都ではそれを思円上人叡尊等の祈祷の効験であるとの評判であるが、
これらをいかに解すべきであろうか、との質問が記されていたようである。それにつき宗祖は、かの承久の乱の時、
京都の人々は、義時の軍勢が宇治川を渡る際に多く溺れたのを見て、真言祈祷の効験だとぬか喜びしたが、
まもなく攻勢をかけられ亡んだ如く、この度も蒙古軍がわずかに退いたくらいで祈りが成就したなどとうかれているのは、
とんだ見当違いであると述べられる。そしてそのようなものに対しては、蒙古の大王の首を取ったのかと反論し、
他は一切相手にしてはならないと厳命されている】
さらに、
【最後に贈られた銭四貫文は、天台大師講に備えて房舎を一新するその作料として使わしていただくと、
その供養に感謝されて本状は結ばれている】
(以上、御書システム解題より引用)
文意的に、上記の指摘で問題ないように思えます。
548
:
今川元真
:2006/03/30(木) 23:02:46
天台宗宗憲等書いてあるサイトあったはずなんだけど、出て来ない。歴史の粗筋みたいなものなら、幾つか出たのだけど。 [諸経の王から一念三千を説き明かした天台大師、三種法華を立てた伝教大師、法華一乗を宣揚した日蓮聖人]合掌
549
:
顕正居士
:2006/03/31(金) 01:07:48
智邈の時代には密教も華厳宗もなかった。湛然が華厳を摂取して天台を中興した。湛然教学の解釈を
めぐって山家山外の論争が起った。知礼は華厳の「性起」に対して「性具」を強調した。具之一字、弥ヨ
今宗を顕ス。日蓮の思想の中心は十界互具にあり、彼も「性具家」である。四明学と日蓮教学は相性が
よい。日蓮思想は華厳を摂取した湛然教学を継承して別に発達した日本天台から出て来た。対抗した
空海の東密も華厳を教理の基礎にしている。それで日本天台の思想は最初、唯心的であったが、鎌倉
以後は色心等分の方向に向かう。日蓮もその思潮の中にいる。中国では華厳宗、日本では東密と対抗
しながら智邈、湛然の思想が色心等分と解釈されるに至ったといえる。それぞれ別に相似た発達をした
のである。相似た発達をしたのであるが、日本では色心等分を超えて色本心末、本覚を超えて不覚の重
にまで至った。即事而真、一色一香無非中道、草木国土悉皆成仏。これは日本人のオリジナルな思想
(神道)の仏教的表現でもあった。そしてその特色は事相でしか表現できない。だから「三大秘法」なの
である。日蓮の両密批判はまったく教判のことである。両密の理論的根拠は天台智邈の一念三千だと
いうのである。相似た発達をしたが、中国天台は密教と関わらなかった。中国人のオリジナルな思想は
日本人と異なる。日本は密教、中国は禅浄一致である。
550
:
文殊
:2006/04/06(木) 13:34:17
パンナコッタさんご提示の興風談所は教相門に重きを置いた解釈
という印象を受けました。「一代聖教大意」にいう「秘蔵の大事」
は日蓮が本覚思想の濃厚な影響にあったことを示すのではないで
しょうか。「富城入道殿御返事」は蒙古襲来に「神風」が吹いて
退散したことが真言僧調伏の功に帰せられたことが、門下に動揺が
激震のように走っていた背景がある。そこで富木さんが代表して
質問した。しかし、師からは真正面からの回答がなかった。
「鎌倉時代の後期、元寇という未曾有の危機に直面したとき、
日本の支配層の人々は、不動明王に怨敵退散を祈願した。この
ときは、仏教寺院において五壇法がとりおこなわれたのはもと
より、天皇の命を受けた密教僧が伊勢神宮に参篭して敵国降伏
を祈ったり、京都と鎌倉の八幡宮で五壇法が修せられたりと、
異例の対策が講じられている。それほどまでに不動明王への
期待は大きかった」(正木晃『密教』講談社選書メチエ108頁)
後期遺文に見る真言批判は教判論に加えて、政治的に真言僧が
朝幕に重用され拡大していることに対する苛立ちがあったの
ではないかと考えます。
551
:
文殊
:2006/04/06(木) 13:55:19
顕正居士さんの独創的な法華経会通には学ぶものが多いですが、
中国禅の動向については敦煌文書出土により、一躍脚光を浴び
ることになった神会の思想を見ていく必要があります。神会の
晩年と湛然の青年期は重なっている。湛然は華厳とともに禅の
動向について注視していたはずです。中国禅については末木
文美士「禅の言語は思想を表現しうるか─公案禅の展開─」
(「思想」960号)。鎌倉禅が実は禅密を中心とする諸宗兼修
であったことを指摘した高柳さつき「日本禅の見直し─聖一
派を中心に─」(前掲誌)があります。
552
:
パンナコッタ
:2006/04/07(金) 13:03:28
文殊さん、どうも。
「秘蔵之大事之義ニハ」が、現代の我々が認識する本覚思想であったかどうかは、時系列を考えると
多少慎重にならざるを得ないと思えます。
正嘉二年二月十四日の述とされていますが、前年に園城寺宗徒が戒壇建立の勅許が無いことに怒り、強訴。
朝廷は六波羅探題にその鎮圧を要請という大騒ぎがあり、二年四月十七日には延暦寺宗徒が園城寺戒壇勅許
に怒り強訴、五月一日に園城寺戒壇の宣下停止と、山門・寺門の対立が激化していた時期であり、
蓮祖はこれに距離を置いたスタンスであろうと推察されるからです。
しかし、この時期すでに独自の見解があることは事実ですし、ニュアンスは当然、伝わりました。
また、一代五時鶏図・西山本(文永九年頃と推される)の日興北山写本に、寺門の義が
記されているのも、遠からず関連があると思えますね。
553
:
パンナコッタ
:2006/04/07(金) 13:03:49
つづき、
「富城入道殿」の、その追書きとされる「老病御書」が遺言的内容である事からも、
かなり体調が悪かったことが窺え、その根気が実際あったかどうかは解りませんが、
国家鎮護の役割から教王護国寺(東寺)が建立された経緯や、忍性(真言律宗ですが)が
北条長時の要請で鎌倉にやってきた事は、蓮祖は十二分に認識されていたで上で、
その様な感情は少なからずあったでしょうね。
554
:
顕正居士
:2006/04/07(金) 16:37:28
弘安元年には有名な諸人御返事が書かれています。
日蓮一生之間祈請並所願 忽令成就歟 将又五五百歳仏記宛如符契
所詮召合真言禅宗等謗法諸人等令決是非 日本国一同為日蓮弟子檀那
我弟子等出家為主上上皇師 在家列左右臣下 将又一閻浮提皆仰此法門
日蓮が蒙古調伏の祈祷を公式に命ぜられるのを念願していたのは確かでしょう。
ところで中国禅についてはこういう考え方もあるようです。
「禅仏教はこの相即観中心の中国仏教に向かって異議を唱え、不相即観を打ち出し、
自己の分斉を一つの島(洲)として大切に扱い、自由と責任の所在を明らかにする
主張として生まれたと私は考えているのです」
吉津宜英「仏教における相即と不相即」
http://www.komazawa-u.ac.jp/gr/research/in-bukkyoken-home/hokoku/kouen/00kouen-syosai.txt
555
:
顕正居士
:2006/04/08(土) 00:47:46
吉津宜英師は「仏教における相即と不相即」の最後にこう述べます。
「さて、日本仏教に再生の可能性はあるでしょうか。私はここで「ある」とあえて断言したいと存じます。
そのためには、日本仏教をも、ある特定の宗派をも、ある宗祖をも絶対化しないで、一切を上下優劣
正邪から解放し、それらの一切の仏教と称されるものの前に、自ら裸で屹立と対峙する自己の分斉を
確立しなくてはなりません。」
中国仏教と比較すると日本仏教は非常に宗派の蛸壺になっています。そういうあり方ですとそれぞれ
の潜在的欠点がきわめて顕在化します。飲光慈雲に「麁細問答」という著があって日本仏教各宗派の
長短が述べられているのを、下記のサイトが紹介しています。日蓮宗の長短は以下だそうです。
「長所も大なり、短所も少なからず。大要は天台の一門を主として初心の者に一途ならしむるなり。
短所は法我偏執、諸の外道よりも陋し。親眷隣里の交りも疎略になり行くなり」
http://www.horakuji.hello-net.info/sosaimondo.html
556
:
文殊
:2006/04/08(土) 07:33:00
蓮祖が慧心流大和俊範に言及していない理由が判然としません。同学の静明にも
です。京畿遊学での蓮祖はおそらくは孤独ではなかったと拝察されます。慧壇
兼学してみて何か得心するものがなかった。山内の人間関係に悩んでいたかも
しれません。ともかく現存・曾存遺文に京畿時代のことが述懐していないこと
は今成氏が「福神」誌で示唆されているように思い出したくないことがあった
のではと。花野氏が主張されるように蓮祖は宝地房証真のような天台学者でも
なく自在な解釈を許容する天台諸師とも全く違うのであれば、鎌倉新法華仏教
の教祖的な資質を持たれていたのではないかと考えます。山門・寺門の内ゲバ
には明らかな距離を持っていたのですが、後年三位房日行に京都での情報収集
を指示しているように叡山の動向には高い関心があったことは確実ですが、
「秘蔵之大事」がパンナコッタさんご指摘のように直ちに本覚思想の思想
内容を特定するものであるかは慎重に研究が必要と思われます。
これから出かけなければならないので、パンナコッタさんの後半のご指摘と
いつも哲学的刺激に満ちたご投稿をされる顕正居士さんへのご返事はのちほど
にさせていただきます。
557
:
顕正居士
:2006/04/09(日) 05:07:09
俊範-日蓮の師資を証明するのは『日大直兼問答』で、比較的上古の文献ですから、智応居士がこの説を述べて
以来、特に反対説がないようです。『不動愛染感見記』の台密相承の代数とも合うようです。『御本尊七箇相承』に
も証左があります。 しかし遺文には俊範への言及がありません。念仏停止についての引用を除いては。
日蓮聖人は御自分の出自について詳しくされなかった。『三師御伝土代』の記述からそう推測されます。けれども
清澄寺での宗教体験と道善房についてはしばしば語られる。
慧心流の主派、椙生流は皇覚以来、実子を真弟と称し相続する。俊範は実子静明に相続したが、静明には女子
しかなかったので心賀を婿に迎えた。日蓮聖人には『諸人御返事』に伺える強い上昇志向があった。或はこういう
経緯が俊範について語らない理由ではないでしょうか。
558
:
文殊
:2006/04/09(日) 08:54:56
花野充道氏は「慧心流の七箇法門の展開を、椙生流の皇覚─範源─俊範
─静明─心賀─心聡─という系譜を頭に入れて考える時、心賀の仰せを
記したものが一海の『二帖抄』と『八帖抄』であり、心聡の仰せを記し
たものが豪海の『蔵田抄』であるとすれば、『一帖抄』はその奥書に
記されているように俊範の作と見なければならない。俊範は叡山にお
ける日蓮の学師であるから、その俊範にすでに四重興廃が見えること
は重大である。俊範にすでに四重興廃があるとすれば、日蓮が叡山を
はじめとする京畿遊学を終えて数年後に著わした『十法界事』(12
59年)に四重興廃が説かれていても何ら不思議ではない」(「印
仏研」第51巻1号169頁)と俊範を学師と前提として『一帖抄』
四重興廃説が初期遺文に思想的影響を及ぼしていることを論じてい
ます。但し『十法界事』には天台・妙楽釈義引用あるのの『一帖抄』
引用がなされていません。それに同書は日蓮教学学術ルールで偽撰
とみなされていますが、顕正居士さんは大崎・興風談所の遺文真偽
鑑定にどのように考えられていますか。椙生流相続をめぐる情念が
鎌倉布教という烈しい行動に駆り立てられたと拝察されます。歴史
は情念によってつくられるのでしょうか。
559
:
文殊
:2006/04/09(日) 19:27:48
所詮召合真言禅宗等謗法諸人等令決是非と「諸人御返事」では公場対決の
動きがありましたが、日蓮門下の俊英として三位房日行が選ばれましたが
日行は断ったといわれます。そこで師弟の関係が悪化して日行は教団を
離脱したのでしょう。日蓮は真言禅宗等の諸宗と公場対決で教理の理非を
決して法華一乗に帰伏せしめ日本国一同為日蓮弟子檀那という強烈なまで
の自負がありました。ところが朝幕は日蓮に公式な異国調伏祈祷を招請し
なかった。真言僧を重用したことに憤りがあったと思われます道善房追善
には「報恩抄」に対し俊範には書状の一つもなっかったことは両者に何か
蹉跌があったことではないでしょうか。
560
:
顕正居士
:2006/04/10(月) 13:08:24
「本覚」という一語についても真蹟遺文には『八宗違目鈔 』に蓮華三昧経の偈を引用する以外にない。写本遺文に
は相当ある。『総勘文抄』には30箇所もある。真蹟遺文には本覚思想が明確ではない。したがってそれら写本遺文
が日蓮の撰述か否かは疑う必要があります。
しかし真蹟遺文にあらわれた思想が「始覚的」かといえば、そうはいえない。真蹟が存在する『日女御前御返事』に
「此の宝塔品はいづれのところにか只今ましますらんとかんがへ候へば、日女御前の御胸の間、八葉の蓮華の内
におはしますと日蓮は見まいらせて候」とあり、妙法曼荼羅が大日経の心蓮華の説によっていることがいわれる。
両密への批判は教判上のことで、密教が表現しようとした内容はむしろ目指すところであり、ただしその教理的な
根拠は天台の一念三千であるという。
最近は本覚思想と新仏教を対立するものと考える傾向は後退しているようです。
「絶対的な現実肯定の上に立つ本覚法門は、まず密教より極めて大きな影響を受けて成立したというのがひとつ。
しかしながら、現実絶対肯定に立ちながらも、それは修行の意義を見失ったのではないということが第二。最後に、
その観点から新仏教を見たとき、そこには、積極的な思想的差異は認められない」
http://homepage1.nifty.com/seijun/pre-page/11-15/11-15.htm
真蹟遺文には本覚思想特有の表現は見られないが、本覚思想と矛盾する内容もまたない。釈尊の本因行を不軽
菩薩とする俊範の説、無始無終本有の釈迦という心賀の説などは真蹟遺文の内容に一致します。写本遺文の真偽
を思想内容から判断するのは困難であると考えます。
561
:
文殊
:2006/04/11(火) 07:35:36
「只管打座・心身脱落」「身心一如」「性相不二」「生死即不二」「生死即涅槃」
「一大法界」「心性大総相の法門」を論じた道元も智邈の諸法即実相論がきわ
まって成立した天台本覚思想と決して矛盾するものではなかったといわれます。
道元が厳しく批判の矢を投じたのは、自性清浄心、客塵煩悩の如来蔵思想の系
譜に成立した『起信論』・華厳系・空海・安然の「心性本覚」思想・心常相滅論
に対してという。「総勘文抄」を本覚思想があるから斥けている現代日蓮教学に
は何かが欠けているかんじがします。
562
:
文殊
:2006/04/11(火) 19:50:06
近現代の日本の知識人は禅を欧米の哲学に唯一対抗できるもの、近代の
超克という観点から解釈した。末木文美士氏は「禅研究という枠から出
て、広い思想史・精神史の中で、禅がどのように機能し、またどのよう
に批判されてきたかという問題にも迫ろうとする」(「思想」960)
と対世間に仏教思想を提案する。この末木氏の動きに小川隆氏は「しか
し、禅に何らかの意味の現代性があるとすれば、それは唐代禅なら唐代
の、宋代禅なら宋代の、それぞれの同時代における「現代性」を読み
とるところから考えられるべきではあるまいか」と反論する。この
禅をめぐる関心の高さに比べ、日蓮教学は「思想」のような哲学の
議論に載っていないのは残念です。
563
:
パンナコッタ
:2006/04/15(土) 15:14:32
文殊さん、
三世諸仏総勘文教相廃立が、蓮祖の述作としてみられないのは「本覚の如来〜」等の
語彙だけではない為だと思えますね。
【『刊本録内』本書奥には「弘安二年十月日」の年次の記載がある。『境妙庵目録』
『日諦目録』『日明目録』『高祖遺文録』『縮刷遺文』『定本』『新定』はそれに従う。
本書は恵心の『自行略記』覚超の『自行略記註』に多分に依拠しており、
また文中智証の『授決集』が肯定引文されるなど、両師を徹底的に破折された「撰時抄」「報恩抄」以降、
ことにこの時期の書としては疑問がある。本書は成立そのものを疑問視せざるを得ない】
(御書システムより引用)
写本遺文の取り扱いには、やはり慎重を期した方がよいと思えますね。
欠けていると感じた部分は、現代の研究にこの様な意味に於いての
スタンスがあるためでしょう。
564
:
顕正居士
:2006/04/15(土) 17:16:10
「釈迦如来五百塵点劫の当初、凡夫にて御坐せし時、我が身は地水火風空なりと知しめして
即座に悟りを開きたまひき」は東寺密教の即身成仏の説そのままであり、本行菩薩道の思想
とは矛盾します。偽作でない場合でも、この抄は日蓮の思想そのものではなく、レジメのような
ものではないかとおもいます。
565
:
文殊
:2006/04/15(土) 23:51:20
日蓮教学の主流派である立正大学の学術ルールによれば、写本遺文は
慎重を期すべきであり、本覚思想は排除すべきものであるというの
でしょう。これはカルト対策もあり、カルトに陥ることを防ぐために
も日蓮遺文から『総勘文抄』『十八円満抄』『御義口伝』に見る濃厚
な本覚思想を危険視・異端視していると考えます。現に日朗門流から
はカルト系在家教団が出ていません。仏教社会福祉を中心に穏和な活
動を展開している。日本山妙法寺の反戦運動は別に改めて論じます。
確かに関東天台慧心流本覚思想は危険な香りがします。麻薬のような
陶酔感がありますから。但し、私は宗教的実践者であるので、立正
大学の見解には意見を異にしています。『総勘文抄』の後期ロマン派
リヒャルト・ヴァーグナー「トリスタンとイゾルデ」を思わせる流麗
な文体に限りなく魅了されますが。
566
:
文殊
:2006/04/16(日) 00:18:16
川澄勲氏の思想的影響は強いと思います。興風談所が石山圏から離脱し、
戒壇本尊にこだわらなくなったのも、川澄神秘主義の刻印があります。
保田妙本寺文書の全容解明は宗門史が大きく薄墨色から緑色に塗り替え
られるでしょう。21世紀日蓮教学は何処に向かうのかを思惟する時、
川澄神秘主義教学は参照され得るでしょう。ただ川澄氏が生前神道から
何故富士石山教学研究に向かったのかについてその動機を独白して欲し
かったとの憾みはあります。
567
:
顕正居士
:2006/04/16(日) 02:40:45
文殊さん。
日本天台の教義が色濃くあらわれた遺文には悉く真蹟が存在せず、伝承経路も多くが不明です。
対して確実な遺文では日本天台諸師の説に依らず、智邈、湛然、最澄の釈によって自説を主張
します。相違は明瞭です。しかし問題の遺文群が必ず後世の創作かというと、日本天台の教義
に対する日蓮の態度についてどういう仮説を立てるかに依ります。浅井要鱗師の仮説は台密を
批判した日蓮は中古の教義を用いなかったであろうとする。けれども台密の批判は教判上のこと
です。三師の釈のみに依り自説を主張するのを基本とするが、中古の教義を否定していたわけ
ではない可能性がある。次に田村芳朗師の説は問題の遺文群には日蓮以後に成立した教義が
散見するというものです。
日本天台の本覚思想といわれるものは荒唐無稽な教相を離れた合理的な思索であって、これは
原理主義や教条主義とは反対です。日蓮宗の分派中、最も社会的に問題があったのは不受派
です。本覚思想とは関係がありません。大石寺派の孤立化は日寛師以後、本門宗離脱に至る
期間に進行したもので、牽強付会の自山正統説を基本とし、本覚思想とは無関係でしょう。
中古天台の教義が宗祖本仏論を生じ、宗祖が本仏なんというのは附仏法の外道であるから、
創価学会や顕正会などのカルトが出て来るんだというのは単なる俗説です。
568
:
文殊
:2006/04/16(日) 08:57:10
日本天台の本覚思想が荒唐無稽な教相を離れた合理的な思索とのご教示
学恩に感謝します。中古天台が堕落であったとは『天台宗全書』『続天
全』の豊饒な思索の結晶を見てもそれが俗説であることがわかります。
ただ立正大学・興風談所が本覚思想遺文を完全に排除して純正日蓮義を
確立する動きの背景に何があるのかを究明する必要があります。福神系
も真蹟遺文重視の方向をよりいっそう強めようとしているわけです。
『観心本尊抄』よりも『総勘文抄』が何か低く見られているとすれば、
現在の日蓮研究者の影響があまりにも強いというべきでしょう。パンナ
コッタさんがよく引用される興風談所「御書システム」は客観性を装い
ながら本覚思想排除の意図が隠されいると思われます。川澄勲氏も『総
勘文抄』を斥けていたことも重要です。六老門下全体を見ても読まれなく
なっている傾向があります。今起きている教学の動向は真蹟遺文絶対・
本覚思想排除です。教団間の確執の陰影があります。私は個人的には
日蓮は本覚思想を自身の思想的基盤としていたと考えます。佐渡配流時代
に最蓮房との邂逅が再び封印していた本覚思想遺文執筆の動機となった
のでしょう。
569
:
犀角独歩
:2006/04/16(日) 09:13:12
文殊さん
本覚思想を斥けているという見方は、わたしは納得できません。
真蹟遺文を基本に日蓮遺文を見れば、そうなっている。ただ、それだけのことです。日蓮に本格的な影響があるというのであれば、確実な資料、すなわち、現存真蹟遺文からそれを証明すればよいだけのことです。
また、最蓮房との邂逅とのことですが、これはどのような確実な資料に選るのでしょうか。
総勘文抄が低く見られることに疑問があるとのことですが、わたしは、むしろ当然のことであろうと思います。日蓮の真蹟でもないものに、日蓮の名を充てて真蹟を装うようなことは、ペテンです。そんな姿勢にわたしは正道を見ません。
総勘文抄が日蓮真蹟であるというのであれば、別です。そのためには、この書が確実に日蓮遺文であることを証明する必要があるでしょう。
本覚に重を置くのであれば、それを何も日蓮に仮託する必要はなく、日蓮を離れて本覚を信仰すれば、それでよろしいのではないでしょうか。
ここの掲示板では、事実究明に重きを置きます。本覚重視、日蓮重視をオーバーラップして、一つのものであってほしいという願望は、その究明を妨げるものであると、わたしは思います。
570
:
犀角独歩
:2006/04/16(日) 09:14:21
【569の訂正】
誤)本格的な影響
正)本覚的な影響
571
:
顕正居士
:2006/04/16(日) 12:09:49
以下の現宗研への勝呂師の寄稿はすでに何かのスレッドで紹介されたようにおもいますし、
皆さんご存知かも知れませんが、念のために。
勝呂信靜 御遺文の真偽問題
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho32/s32_086.htm
勝呂博士は日蓮宗の方ですが、宗学者ではなく、インド仏教の研究者です。仏教全体という
視点から見ますと、真蹟遺文の思想と問題写本遺文の思想との間に大きな差異は認められ
ないという感想が生じるのでしょう。
文殊さんのおっしゃる幾分の弊風は昭和戦前期の浅井要鱗師の文献学が今、ようやく一般
僧侶に膾炙して来た。しかし現在の研究は天台本覚思想と新仏教を連続してとらえる方向
に行っている。これは田村芳朗師以後の傾向で、研究者は日蓮宗学専門でない方、海外の
方、国史の方、つまり大崎以外の人が多い、学際的でもある。そういうズレがあるかとおもう。
別に批判仏教という禅宗内部の自己批判が一般にかなり読まれたせいもあるでしょう。
ところで問題写本の真撰可能性を主張するためには、何でそれらには真蹟も時代写本もない
んだという疑問に答える必要があります。これは最蓮房諸書がまとめて煙滅した可能性を
いうしかないだろう。最蓮房に関する新史実が何か出てこないと決め手になりませんね。
572
:
パンナコッタ
:2006/04/16(日) 18:37:30
文殊さん、概出ですが、
【『法華経』の場合は『法華経』を聞かなければ「無一不成佛」ではなく、衆生が悉く仏の子だと表明しても、
それが既に仏であるとか仏をやどしているとは表明していない。たとい聞法や小善といったことでも菩薩行を要求する。
また『妙法蓮華経方便品第二』の五千帰去は、『法華経』の聞法すらしない者を「退亦佳矣」と退けている。
あまりにも、東アジアに影響を与えた思想であり、この問題は現代までの日本仏教や今後の仏教のあるべき姿を
考える上で大変重要なことである。 ただ、『法華経』の一切衆生に対して平等に成仏の可能性を説く立場や、
仏子という考え方は、如来蔵思想に影響は与えたかも知れない】
【日本では如来蔵思想が「本覚思想」として仏教の本質をあらわすものと誤解されてきた。それはつい最近までにも色濃くあり、
いまだにそのことに固執する教団や僧侶が少なくない。
無理もないことである。日本の仏教宗派の多くは鎌倉仏教であり、それらの開祖は比叡山で勉学した。そのころの比叡山は、
中古天台本覚思想が蔓延している時期である。たとえ祖師が本覚思想に染まらなくても、その後の弟子たちが本覚思想にとっぷりつかり、
祖師に仮託した偽書をあらわすということも行われた。そして、それにまつわる口伝が一子相承によって相伝されて来て、
未だにその呪縛を信念としているむきもある。
あまりにも、東アジアに影響を与えた思想であり、この問題は現代までの日本仏教や今後の仏教のあるべき姿を
考える上で大変重要なことである】
http://www.kosaiji.org/Buddhism/nyoraizo.htm
教団間の確執は直接関係はないと思いますし、単に、明確な資料をもって
蓮祖に遡れないだけの事で、興風談所にしても排除している気は無い
のではないでしょうか。
それと、日持門下(永精寺さんでしょうけど)、日頂門下(重須北山)は、
今現在、明確な門下形式の教団なのでしょうか?
573
:
れん
:2006/04/16(日) 19:36:20
僭越ながら横レス失礼いたします。
三世諸仏総勘文抄については、中山法華経寺三世日祐師の本尊聖教録の写本目録の部にあったと記憶しております。とすれば日祐師の時代=南北朝時代には一応の成立を見ていた書であることは確かだと思いますが、蓮師上代門下の本書に対する記述は祐師のが上限で、蓮師直弟子・孫弟子の記述はと言えば皆無ですから、本書を確実な蓮師真撰文献とする根拠は見当たりません。
身延山には、いわゆる御遺文以外にも蓮師真蹟の膨大な聖教類が曽存した由ですが、もしかしたら、その中には、顕正居士さんの仰るような蓮師によるレジメのようなものがあったかもしれませんが、明治八年の大火で、その聖教全てが灰燼に帰したため不明としかいいようがありません。
最蓮房関係の遺文で、上代門弟の写本が残っているのは立正観抄の身延三世日進師写本のみですから、一応進師本を信用すれば、最蓮房という蓮師門弟は実在した可能性はあるが、最蓮房を対告とした“御遺文”の殆どは後世に最蓮房に託けて作られたものと見た方が自然と思います。
574
:
犀角独歩
:2006/04/16(日) 21:58:32
いまざっと数えたのですが、‘本覚’という語彙は真跡遺文では『八宗違目抄』に『蓮華三昧経を引用して、『本覚心、法身常に妙法の心蓮台に住して、本より来三身の徳を具足し、三十七尊 金剛界の三十七尊なり 心城に住したまへるを帰命したてまつる。心王大日遍照尊、心数恒沙、諸の如来も普門塵数、諸の三昧、因果を遠離して法然として具す。無辺の徳海本より円満、還って我心の諸仏を頂礼す』」」と1回使用されるのみです。
それに対して、真跡が確認できない文献ではざっと70以上の使用が見られます。1:70、この差異を深刻でしょう。日蓮が「本覚」語を意識していたとは、とても思えません。
また、田村芳朗師の指摘であったと記憶しますが、そもそも「本覚思想」が云々されるのは、近代のことであって、明治以前にこのような認識があったのでしょうか。
もちろん、「本覚」語が登場する不明遺文類を持って構築された教学はあったでしょう。
確実な日蓮義に有らざるものを持って、信仰を云々することを、わたしはナンセンスと考えます。
575
:
文殊
:2006/04/16(日) 23:16:42
田村芳郎氏の所説にたいして、1970年代後半から早大院在籍中の
花野充道氏が「東哲研」に本覚思想肯定説を主張していくことから
始まったといえるでしょう。その花野氏も法華講青年部指導講師と
して教団間抗争に巻き込まれ、東洋哲学研究所と袂を分かつことに
なった。政治的に敗北して八丈島で挫折の日日。その後10年余の
沈黙を破って「道心」誌発行、論文集・印佛研等に学術論文再開し
て再び田村氏批判、盟友の末木文美士氏が花野氏に同調する形で、
現在に至る本覚論争が続いているわけです。
576
:
文殊
:2006/04/16(日) 23:37:39
1970年代後半から80年代はじめの富士系教団間の確執はやはり
暗い影を落としています。興風談所系の学僧は花野充道氏と同学です。
同じ仏御飯を共にした仲です。三鳥派について共同研究までしていま
すから。「蓮華」誌を拠点にしていた。それと今では伝説の雑誌で「
慧橙」も。高橋粛道氏の上代文書研究も「慧燈」からはじまった。70
年代は今の大石寺では考えられないくらい自由な言論・公共空間が存在
していました。彼らの政治的敗北は、より深く天台三大部・本覚思想・
上代文書に潜行させることになったといえます。大量濱斥事件は今でも
花野氏をはじめとする石山僧侶にとってトラウマになっています。だから
戒壇本尊真偽問題についても自由に発言しようとは思わないのです。
「道心」創刊号に花野氏はここ10数年の忸怩たる思いをぶつけている。
577
:
文殊
:2006/04/17(月) 00:03:21
日持門下は今は日朗門下すなわち日蓮宗に完全に統合されているはず
です。重須本門寺根源は戦前の統合で身延山から学僧・片山日幹氏を
屈請して爾来、牛の像・馬頭観音といった富士系寺院では考えられな
い身延化が進んでいましたが、佐渡から日満系の系譜に連なる本間俊雄
氏が新貫首に入山してから、生御影信仰を全面に打ち出し、薄墨五条
袈裟着用、それに「御義口伝」「生死一大事血脈抄」等のいわゆる本覚
遺文見直しが行われています。れんさんが示唆していただいた「総勘文
抄」南北朝成立説ですが、この時代南朝イデオローグの北畠親房『神皇
正統記』成立を見ても、危機の時代認識に立って自派の正統性を証明・
挙証しようと学僧が腐心していたことが窺えます。
578
:
パンナコッタ
:2006/04/17(月) 12:45:57
コピペをミスってしまいましたね。これは失礼しました。
六老僧門下(石山系を別として)は、包括している日蓮宗という認識でよいのですね。
結局、蓮祖の思考を順に考察していくというのではなく、祖師信仰に帰結するための
”教学の資料”という扱いなのですね。
579
:
文殊
:2006/04/17(月) 21:00:28
北山本門寺は薄墨袈裟に象徴されるように日興日頂門流回帰の動きがあり
ます。ただ末寺数が少ないので尊門のように日蓮本宗として独立すること
は難しいとは思いますが。生御影と曼荼羅本尊一体三宝奉安で朗門主導の
日蓮宗にあって異彩を放っています。朗門から隆門が出ていますが、同じ
釈迦本仏論でも教理は異質で、隆門は法華宗として日蓮宗には包括され
ないとの共通認識があります。法華宗からは在家色の強い本門仏立宗が
有名です。隆門は要式曼荼羅といって首題と四天王のみ勧請されていて
黒い御影とともに奉安しています。身延とも富士とも全く異質です。
後段のご質問の意味が図りかねないのですが、私の認識といたしまして
は、蓮祖の思考を順に考察していくに際して、遺文御書の選定が果たし
て確実に真蹟が現存している遺文のみに限定して考察するのか、それ
とも写本遺文に外延していくのか、所謂本覚思想真偽未決遺文まで含
めて学術ルールそのものを再考していくのか。現在は大崎の立正大学が
ルールを決めているのです。ゆえに小林正博氏も松岡幹夫氏の東哲系も
学術論文には『定遺』を用いているのです。これに挑戦しているのが、
花野充道氏なのです。知をめぐる権力闘争です。
580
:
犀角独歩
:2006/04/17(月) 21:16:38
やや、言葉足らずであったようで、わたしは石山という狭き井中を申し上げたわけではなく、近代の島地大等師・田村芳朗師・ 硲慈弘師等の、件に就き、申し上げたものでした。
それにしても、彫刻にトラウマを懐く程度の者が本覚を云々するなど、片腹痛いというか、お話にならないというのが正直な感想です。
敢えて宣言しておきますが、彫刻の真偽を論じることも出来ない者が日蓮遺文の真偽を云々し、本覚を論じるなど、およそ馬鹿馬鹿しいかぎりであると断言せざるを得ません。
偽物を偽物とい言えないような者が偉そうに何を言っても説得性のかけらもありません。
581
:
犀角独歩
:2006/04/17(月) 21:26:06
もう少し、記しておきます。
花野さんは、袴谷さんや、松本さんにいくら鼻息を荒げても、結局、自分はニセ彫刻を担ぐ宗派で、その真偽を言えないわけです。
「挑戦」??するのであれば、1800万人を欺き、金を集めた戦後最大の宗教被害にそれなりの、責任をとらない限り、そんなものは挑戦でも何でもなく、ただの食法餓鬼を一歩も出ません。
「謂徒才能」、才能を惜しむ故に敢えて、わたしは記します。
もちろん、このことは、興風談所諸師にも同様に申し上げます。
わたしは、この点については、いっ差異、破に衣を着せる気はありません。
それぞれの諸師が、この投稿を読んで下さっているのであれば、自分たちの責務をどうか果たして欲しいと念願するばかりです。
どのような崇高な論文を記し、古文書を研究しようと、あの彫刻の真偽を論じない限り、その信用は、耐えてないことを認識していただきたい。
これはトラウマなどというくだらない感情論ではなく、解決しなければならない最大の日蓮への報恩義であると心得ていただきたいのです。
582
:
犀角独歩
:2006/04/17(月) 21:28:23
なお、文殊さんには、よろしく、最蓮坊実在の証拠と総勘文抄真筆の証拠を提示いただくことを、ここにお願いしておくことにいたします。
石山門下の下らぬ確執など、どうでもよいことです。
583
:
犀角独歩
:2006/04/17(月) 21:46:34
【581の訂正】
誤)わたしは、この点については、いっ差異、破に衣を着せる気はありません。
正)わたしは、この点については、一切、歯に衣を着せる気はありません。
584
:
顕正居士
:2006/04/18(火) 01:43:59
>>575
末木さんと花野さんが「盟友」というのは何かエピソードがあるんでしょうか?
天台本覚思想の研究者なんて幾人かしかいない以外に。
末木さんは田村教授の「直弟子」。中国仏教だが、ちょっと後におられたのが
菅野博史さん。花野さんは田村先生の御義口伝講義を聴講生として受講された
そうだから、田村先生の準弟子ということでしょうか。
585
:
文殊
:2006/04/18(火) 20:09:24
院生当時、お互い大学こそ違いながらも知己の仲です。
末木文美士氏『日蓮入門』(ちくま新書)あとがきに「いわゆる
日蓮学にはまったくうといので、菅野博史、佐藤弘夫、花野充道、
松戸行雄氏など、日蓮に詳しいすぐれた友人たちに、ごく初歩的
なことまで含めて、さまざまなご教示を頂いたり、議論の相手を
していただいた」と書いています。充道さんも暁雲研究会の講演
で末木氏との交友と業績を述べています。本覚思想擁護でも二人
は一致しています。
586
:
犀角独歩
:2006/04/18(火) 21:00:47
文殊さん、ここの掲示板は質問されたことには応えながら、議論をつづけています。
582のわたしの質問並びに、ついでに、あなた自身のあの彫刻に関する見解を披瀝ください。
現段階で、あなたの応答は、自分に都合の悪いことを無視するという、実に不誠実な態度と映じています。まあ、よくある石山門下の対応ではありますが。
あなたもその類の人なのでしょうか。
587
:
文殊
:2006/04/18(火) 21:18:15
宮崎英修氏は最蓮房実在説につき「諸説入り混じって未詳の部分が多い」
と疑義を投げかけています。(『日蓮辞典』東京堂出版、昭和53年
78下)末木文美士氏は「ところが、これらはいずれも本覚思想の影響
が強く、近代の研究者によって、『当体蓮華抄』や『十八円満抄』と同
様に偽撰の疑いが持たれている。そこから、最蓮房という人物自体が
いなかったのではないかと考える研究者さえいた。しかし、今日では
最蓮房は恐らく実在したであろうと考えられており、またこれらの遺文
のうちには禄内御書に採録されていたり、古い写本があったりして、その
由来が信頼できるものもある。とすれば、簡単にそれを否定することは
できない。しかし、これらの中には『当体蓮華抄』や『十八円満抄』に
通じるところもあり、簡単に真撰と決定することもできない。このように、
これらはなお今後の検討を要する遺文である」「従来の日蓮論は多くの
これらの疑問のある遺文を無視して、確実な遺文だけでその思想をうかが
おうとしてきた。それはきわめて厳密な態度に見えるが、これらの遺文
にははなはだ興味深い思想が見られ、それを全く無視するのも一面的に
なってしまう」(末木『前掲書』198)
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