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顕正会の実態を検証する

1管理者:2002/12/30(月) 09:25

新しいスレッドテーマのご提案がありましたので、立ち上げます。活発な議論を期待いたします。

173犀角独歩:2003/12/16(火) 11:49

165 ガンコさん:

> ここで“元会員”とされた意図はなんでしょうか

実際に元会員との議論であったからです。
具体名を挙げることはやめにしておきます。

「況んや現役会員においておや」は、たしかにそう思います。

それにしても「マヤカシ」とは笑止千万です。
人前で演説ぶっているだけで、なにもしない人間は軽蔑の対象以外の何ものでもありません。


166 ジャンノレンさん:

震災時、ジャンノレンさんもまた、支援に行かれたのですね。尊敬いたします。また、篤志の石山末寺僧、講員の活動にも同様に尊敬します。

その尊い個人の行動とは裏腹に「宗教法人日蓮正宗」が何をしたかということを問題にしてきました。たしか、法華講連合会としては義捐金を募ったことは記憶しています。

わたしが石山・法華講の見解でもっとも卑劣であると思ったのは、学会が顕師の印刷漫荼羅を焼いたから未曾有の災害が起こったなどとまことしやかに喧伝したことです。自然災害を自宗の肯定化に利用した挙げ句、敵対集団の攻撃に利用したうえで、自分たちは何もしない。阪神淡路大震災に対する日蓮正宗、ならびに法華講連合会の公式見解は血も涙も、一片の慈悲もない、冷酷無惨な印象を世間に与える以上のものではなかった、そして、信者には、罹災者の苦悩をよそに、罰の恐怖と、敵対者への憎悪を煽る道具とする以上のものでなかったことで、石山評価はまさに地に堕ちたとわたしは思います。もちろん、この点は顕正会も同様であったのでしょう。

なお、創価学会では以下のような資料があるようですが、その実際をわたしは確認しておりません。(もちろん、学会を肯定するという意味ではありません)

救援活動概要[レジュメ] 発行:[創価学会], [1995]. 2,3p:26cm
会議情報:国際宗教研究所公開シンポジウム / 主催等:国際宗教研究所
請求記号: 震災-7-v48. - MID:00005193 (パンフレット類)

174犀角独歩:2003/12/16(火) 12:15

167、168 アネモネさん:

自界叛逆難への切り口、言えていますね。
現在の顕正会、創価学会、日蓮正宗、まさに同士討ちそのものとはなるほど納得のいく観察と拝読しました。

これを敷衍して言えば、興門各派の分裂、ひいては五一相対もそうで、さらに言えば、日本仏教が各宗に分かれて自讃毀他を繰り返す様もそうであることになります。
寿量仏と無量寿仏に類型を見るわたしは、法華・浄土の争いは殊の外、滑稽に見えます。
なにか『宗論』のようなレスになりました。失礼しました。
http://www.tarokaja.com/list/shuron.htm

175ガンコ:2003/12/17(水) 08:31
心者雖念不直相鴨さんの、つねひごろのご投稿とその背景となる研鑽姿勢には、ひそかに驚嘆しておるばかりでありまして、とうていわたくしのようなものの遠く及ぶところではないと思っております。

>内容を理解した上で批判できるような教学も必要
>自分の言葉で考えて、説明できるような教学が必要

まさしく顕正会の実態を示す好例でありましょう。いまや顕正会員の大半が、他のあらゆる宗教を「謗法」の一語をもって片付けてしまうわけですから、当掲示板のみなさんとの乖離ははなはだしいものがあります。
さて、またしても浅井の言葉を紹介させていただきますが、これは通称「折伏理論書」と呼ばれている、自覚のある顕正会員が読んでいる本の、一部抜粋です。

では、幸福とは何か。“人によってさまざまである”などという曖昧なものではなく、万人に共通する普遍的幸福とはいったい何であろうか。
これを解く鍵は、人間にとって最も大事なもの、貴重なものは何かということにある。
いうまでもない。人間にとって最も大事なものは、我が生命である。大聖人の御指南を拝してみよう。
「命と申す物は一身第一の珍宝なり。一日なりともこれを延るならば千万両の金にもすぎたり」(可延定業書)
「有情の第一の財は命にすぎず、此れを奪う者は必ず三途に堕つ」(主君耳入此法門免与同罪事)
「いのちと申す物は一切の財の中に第一の財なり、『遍満三千界無有直身命』と説かれて、三千大千世界に満てて候財も、いのちにはかへぬ事に候なり」(白米一俵御書)
人間にとって生命ほど大切なものはないとの仰せである。ゆえに人はこの命を失うことを、何よりも恐れる。
「世間に人の恐るる者は、火炎の中と、刀剣の影と、此の身の死するとなるべし。牛馬猶身を惜む、況や人身をや、癩人猶命を惜む、何に況や壮人をや」(佐渡御書)と。
以上の御指南を拝するならば、幸・不幸の本質が明確になるであろう。 ―引用終了―

かくもふんだんに御書が引用されているにもかかわらず、うっかりすると顕正会員は御書の部分をすっ飛ばして読んでしまっている・・・そういう人が少なくないとわたくしは感じています。してみれば、法門無尽誓願智にはほど遠い現状といわざるを得ません。

176ガンコ:2003/12/17(水) 08:32
アネモネさんより宿題をいただきながら、いまだに果たせずにいること心苦しく思っております。

かつて議論になったことと、いまの議論と、共通する点が見いだされますので、いまだじぶんの言葉で申し上げる力はありませんが、浅井の立正安国論謹講より、抜粋・引用させていただきます。

―引用開始―
さて、釈尊が過去世において国王たりし時、謗者の命根を断ったというのも、いつに謗法を禁めて正法を護持するためであり、また大慈悲のゆえである。
大慈悲のゆえに命を奪うというのはおかしく聞こえるかも知れぬが、よくよく考えれば、謗法者は知らずとはいえ自らの仏種を破壊せんとしているのだ。この自らを殺す非行を命根断絶により救済する。すなわちその色心を断じて慧命を全うさせるのである。またこれ以上の悪業をなすを許さず、命根断絶して未来の堕獄を救うのである。されば殺にも憤怒・残忍から出るものと、このように慈悲より出るものの二つがあるを知るべきである。
しかしここで注意しなければならないことがある。それは、このような謗法者に対する命根断絶という行為は、国主・国家権力がなすべきことであって、個人は絶対にしてはならない。ゆえに涅槃経にも、釈尊が過去世において国王であった時の行為として説かれているのである。
また時代によっても適・不適がある。後段に御指南があるが、釈迦以前においては命を断ずることが説かれているが、釈迦以後の時代・社会においては、その施を断つことを以って断命に代えるのである。
これは謗法者の命を断ずること自体が本意ではなく、あくまでも謗法を禁断することがその目的であるからである。
―引用終了―

なお、わたくしが所持している「立正安国論謹講」(浅井昭衛著)は昭和六十三年版ですので、近年発刊された最新版とは内容が異なるかもしれません。

177心者雖念不直相鴨:2003/12/18(木) 05:55
>175 ガンコさん:

いつも、ご懇篤なレスをいただき、ありがとうございます。

>まさしく顕正会の実態を示す好例でありましょう。いまや顕正会員の大半が、他のあらゆる宗教を「謗法」の一語をもって片付けてしまうわけですから

私も、まさにその一人でした。富士門流のどなたかが、経文を引いてオウム真理教を明快に破折してくださっていたら、今もそのままだったと思います。

>かくもふんだんに御書が引用されているにもかかわらず、うっかりすると顕正会員は御書の部分をすっ飛ばして読んでしまっている・・・そういう人が少なくないとわたくしは感じています。してみれば、法門無尽誓願智にはほど遠い現状といわざるを得ません。

人間本当に切羽つまらないと、なかなか勉強はできないような気がします。私も、若い頃は教学試験の勉強くらいしかやりませんでした。独歩さんの「日々雑記」
「一切衆生皆成仏道と言った責任」
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/
を読み、これではいけない、と発心したわけですが、自分のどこにこんなエネルギーがのこっていたのかと驚いています。
創価学会で入信当時お世話になった先輩が、以前破廉恥事件をおこして除名になりました。事件の内容が内容だけにやむをえないと(当時は)思ったのですが、同じような事件が頻発し、しかも教義自体にその原因があるのではないかとの指摘に大変なショックを受けたわけです。
生まれて初めて、本心から教学を勉強しなければと思いました。
当分はオウムの問題も含めて、「宅間守と..」のスレッドで、「不殺戒」の問題を考えていこうと思っていますので、よろしくお願いします。

178心者雖念不直相鴨:2003/12/18(木) 06:18
>171,172 三吉さん:

はじめまして。レスありがとうございました。宮崎哲也さんに代わって私がお答えするのも、おかしいのかもしれませんが、引用責任がありますので愚見をのべさせていただきます。

> 二、「葬式仏教化・法事仏教化」は、江戸期民衆の「現世安穏・来世善処」という願望に仏教が真正面から応えた結果であり、史実の釈尊も、釈尊時代の民衆の「現世安穏・来世善処」という強い願望を踏まえて教えを説いている。つまり一概に拒否しとらん。説かれ方は違えど、庶民の「現世安穏・来世善処」という情を否定せず、教えに導くために利用している点はおなじ。

江戸期民衆の云々に関しては、三吉さんのおっしゃるとおりかもしれませんが、「葬式仏教化・法事仏教化」は「昭和・平成期民衆」の苦悩・願望をとらえきれず、その要求に真正面から応えていない結果ではないでしょうか?
「教えに導くために利用している点はおなじ。」についても、おっしゃるとおりかもしれませんが、ともすれば法会が業者の都合を優先したりして説法に十分な時間が割けず、その点に不満を感じている人(壇徒)も多いとの新聞記事を目にしたこともあります。

179三吉:2003/12/18(木) 07:50
心者雖念不直相鴨さん おはようございます。 突然の横レス失礼いたしました。

「伝統仏教駄目。オウムいい」という言説がサリン前、マスコミや若手知識人の間でハヤッテイタような記憶があります。
先祖供養として仏教に接する者にたいしては、伝統仏教は「先祖供養」としか見えませんが、仏法を求めるならば、伝統仏教は、仏法で応えると思います。

私の先祖の墓は日蓮系の法華宗の寺にあるのですが、私の親が墓参りに熱心ではありませんでしたので、代わりに塔婆供養に行ったものですが、先祖供養として寺を把握していた私は、ついぞ日蓮さんが何をおっしゃり、法華経がどういう経典なのか、寺に行きながら、まったく関心を持ったことはなかったです。でも実家を遠くはなれ、寺にも行かなくなり、私の分の塔婆供養を親にお願いするようになって、すこし仏教に関心を持ち出してから、仏教に関心ある目でお寺をみますと、定期的に「法華経」講座は行われているのにきづきました。たぶん昔からされたのでしょうが、関心ない私はきづくことはありませんでした。

180心者雖念不直相鴨:2003/12/19(金) 02:56
三吉さん:

>先祖供養として仏教に接する者にたいしては、伝統仏教は「先祖供養」としか見えませんが、仏法を求めるならば、伝統仏教は、仏法で応えると思います。

先祖供養は祖先を尊崇する気持ちの強い日本人にふさわしいきっかけだと思います。
私と仏教との出会いも、「ご先祖供養の霊友会」に入信させられ法華経を読授させられたことが、その始まりでした。
ただ、「ご先祖供養」では、だんだん人を引き付けられなくなったせいか、その後「インナートリップの霊友会」というキャッチフレーズにかわってしまいました。インナートリップとは「内的世界の探求」とでも言った概念でしょうか?

「デフレ」、「失業」、「就職難」、「イラク戦争」と問題は山ほどあり、「苦」も山ほどあるのに、伝統仏教がこれに対する「発信能力」を失っていることが大きな問題かと思います。

かつては、社会の諸矛盾に対抗し「救済活動」を行おうとすると、必然的に「僧侶」という形をとらざるを得ないような時代があった。しかし、それが専門化し、分化し葬儀や法事を除いてはほとんど手元に残らなくなった。それが、現状なのでしょうか?

181犀角独歩:2003/12/23(火) 19:52

177 心者雖念不直相鴨さん:

遅まきながら、

> 「日々雑記」
 「一切衆生皆成仏道と言った責任」
 http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/

お読みいただいていたのですか。有り難き極みです。
改めて御礼申し上げるものです。

182真如会:2004/01/04(日) 03:10
学会も顕正会も同じ、聖人の面汚し

183Jルーカス:2004/01/12(月) 01:01
顕正会では、4月から国家諫暁を開始するそうです。
浅井会長が書いた「日蓮大聖人に背く日本は必ず滅びる」を大量に配布し、上は小泉首相から下は小学生に至るまで全国民に知らせる未だかつてないスケールの戦いを展開すると言われてますが、これって数年前の「日蓮大聖人に帰依しなければ日本は必ず滅ぶ」を配布した時と余り代わり映えしないように思うのですが、どうなんでしょうか。

184ガンコ:2004/01/12(月) 14:48

一国諌暁についての現時における所感

悲しいことに、末端会員は巷間とびかっている情報以上のことを何ら知らされていない。
近年、入信した者たちは期待と不安でむねをふくらませているかもしれないが、平成九年の一国諌暁を知るものはその立場によって思うところはさまざまなのだろう。
わたくしなどは、まったく期待というものを懐いていない。
正直、前の諌暁と代わり映えがしない、という論評にかなり共感をもってしまっている。
いわゆる平成九年の諌暁は、顕正会五十万を背景におこなわれた。そして今回は顕正会百万を背景に起こされる戦いという。
単純に考えれば倍増であり、まったくスケールを変えた諌暁になると思われる。じじつ、浅井先生の起こされる戦いは、ある意味でつねに会員の意表を突いてきたところがあって、今回の諌暁でも何かわれわれの思いもつかない秘策を考えていらっしゃるかもしれない。反対勢力にしてみても、この辺は想像のつかないところだろう。
しかし、それはそうなのであるが、顕正会の実質的勢力は倍増というところまでいっていないのではないか・・・という点はみごとに反対勢力に見破られてしまっている。
広宣流布の最終段階といわれているが、本気でやるなら今はようやく広宣流布のスタート地点に立つことができた、と考えるべきとも思う。もちろん折衷案的にいえば最終段階の幕開け、ということなのだろう。
日本には時間がない、というのも先生の口癖であるが、急がば回れ、という言葉もある。
すでに、多くの批判者が指摘するところをわたくしなりに申せば、百万までの顕正会はある意味、自覚のない顕正会員を増大させてきたといわざるを得ない。
百万を達成する何年も前から、気の早いことに一千万を口にもしているが、これ以上、自覚のない会員ばかりを増やしてどうするものか。というより、今の手法はもう限界と見るのが妥当であろう。おそらく、今のままでは二百万すら何年先になるか、わかったものではない。
先生の諌暁書の内容は、平成九年の延長線上のものであることは容易に想像がつく。すなわち、巨大地震と国家破産について、最新のデータを駆使してお書きになられることは間違いない。そして、この問題は深刻である。一部の批判論者は、ことさらこれらを矮小化するがそれはどうかしていると思う。
むしろ、わたくしの考えを申せば、まじめな国民は誰もが考えているところであろう。しかし、それが、いったい、どうして日蓮大聖人の仏法と関係するのか・・・現代感覚ではとうてい及びもしないところであって、先生にしても、そのことは百も承知であって、諌暁書執筆に当たってはずいぶんと悩まれていることだろうと思う。
結局のところ、先生の諌暁書について、いわゆる社会時評的な部分に関しては多くの共感を呼ぶのではないかと想像するが、さりとて、日蓮大聖人の仏法を信仰しなければならないとする、その切迫性までに思い至る人間は少ない・・・というのが現状であろう。

185犀角独歩:2004/01/12(月) 17:17

> 諌暁書…社会時評的な部分に関しては多くの共感を呼ぶ

そんなことはないでしょう。
社会時評的に共感を持つと思うこと自体、顕正会経験者の‘思い込み’に過ぎないでしょう。今回の‘本の販売’に関しては、先の倍する利益が見込めるという2匹目の泥鰌以上の意味は何もないでしょう。

さて、広宣流布の総仕上げとはいったい何の夢物語なんでしょうか。
以下はわたしは真筆と思いませんが、顕正会ではそう扱うものです。
この‘金言’に即して、どこが総仕上げなのか、いやはや、いつまで下らない騒ぎを繰り返して、商売するのはいい加減にやめるべきでしょう。

「広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」

署名・勤行した人間が100万人になったぐらいで、広宣流布の大騒ぎ、商売の宣伝ももっとうまくやればいいのです。まったく笑止千万です。

186ガンコ:2004/01/12(月) 18:37

うぅ。

187一刀両断:2004/01/12(月) 23:57
平成九年の諌暁書は、会員は一冊二百円で大量に購入し、友人・知人に多く発送、若しくは手渡しがなされました。
それを総幹部会では、幹部が得意げに「私は何万部購入した」とか「何千部追加した」などと会員への大量購入を促し、また手応えや反応を登壇させ、両手を挙げて喜んでいたわけですが、実際のところ、全く何ら効果を得られなかった、というのが実情でしょう。
新聞紙面において大宣伝を行い、当時の会員を大量動員させた結果として、何かが変わったわけでも何でもありませんでした。
今回もまた同様の内容で、同様の手段を使用する可能性が考えられますが、実態は顕正会内部での自己満足でしかないでしょう。
ただ平成九年の諌暁書に関しては私は一つだけ不明の事があります。
それは本屋において販売されなかった、ということです。
これについて顕正会では「学会が妨害した為、発売日ギリギリで出版差し押さえされた」と主張していますが、現在においてもこういった出版差し押さえのような行為が果たしてできるのかと考えたものです。
いずれにせよ、考えられる方法は全会員動員しての頒布活動が主軸になるのでしょうが、何ら効果は得られないというお粗末な結末を迎えるのでしょう。

188Jルーカス:2004/01/13(火) 00:17
200円×1万部でも、200万円か。
出費だね。
いや、郵送料もかかるのか。

189一刀両断:2004/01/13(火) 10:37
送料に関しては会が第三種郵便扱いとし、会員負担ではなく会の負担となっていたはずです。
しかし機関紙にしても、諌暁書にしても、実働会員にとってはとてつもない負担額にはなるわけです。
機関紙などは五月に会が推進月として躍起になって購読推進をするのですが、各組織5%から10%の増加を誓願とされるわけです。
前年度100部なら110部を目指して、毎週定例報告において厳しく推進度をチェックされるわけですが、名簿会員ばかり増加してしまう現状では、5%増しなど、幹部にはかなりの負担になってしまうわけです。
実際のところ、総幹部会や御書講義といったビデオ放映も含めての参加動員数は99%本部側で掴んでいるわけですから、活動会員が増加していない事は重々理解しているはずなのですが。
それでも尚、強烈に推し進められる理由は一体何なのだろうと疑問視するところです。

190Jルーカス:2004/01/13(火) 10:55
一刀両断さん

> 送料に関しては会が第三種郵便扱いとし、会員負担ではなく会の負担と
> なっていたはずです。

これは認識の間違いです。
送付のための封筒は会が無料で配布しましたが、第三種郵便料金(84円)は
会員負担だったそうです。当時の会員が持っていた当時の顕正新聞に1冊の
場合○○円、2冊○○円等と、個人負担であることがはっきりと明記されております。

さて、いずれにしてもこれはかなりの売り上げになる訳です。
知っての通り、毎年の広布御供養は上限が決まっておりますが、この書籍に
関しては上限が無い訳ですから、こぞって購買する訳です。
つまり、上限を撤廃した資金集めの意義があるのだと思います。

191犀角独歩:2004/01/13(火) 11:04

一人で1万部ですか。それはすごいですね。
顕正会が販売する本の印刷部数は何万などという単位ではないでしょうね。
100万、あるいは1000万という単位ではないでしょうか。
100万人会員というわけですから、名簿だけになった会員には勧誘者は、購入させられて送ることになるでしょうし。そうなるとこの販売利益はどれくらいになるのか。そもそも浅井さん一家というのは石山の出版物を扱っていた印刷屋であったわけですから、かなり安価に印刷を行うことができるでしょう。

さて、どれほどの出版利益を見込んでいるのか。興味があります。
頒価200円で100万部であれば20億円。大量に印刷すれば、一冊原価は数十円でしょう。それを差し引いても莫大な利益が上がることになります。なんてことはない、この出版利益にこそ目的があるのでしょう。
ちなみに学会が石山と喧嘩を始めた年、あの団体は前年比37%も出版利益を伸ばしました。

これら団体にとって、人々の憎悪、恐怖感、切迫感は、イコール、金になる仕組みです。イラク参戦その他で日本が騒然としてるときに、人心を煽り、金儲けをするこの団体のやり方を、わたしはあくどいと思います。

> 本屋において販売されなかった

出版流通については、わたしは学生の頃から関連し、いまに至っています。
書籍・雑誌が一般書店に流通するためには条件が満たされない限りできません。
その第一は、出版する者が‘流通コード’を取得しているかどうかという点です。
書籍の販売は一部の例外を除いて流通業を経由しますね(例えば、ニッパン、トーハン)これらの中間業種を経由するために流通コードが必要なわけです。
しかし、この取得は至難です。果たして顕正会が取得できていたかどうか。
いま、日本図書コード管理センターの‘出版社検索’で「ケンショウカイ」「フジタイセキジケンショウカイ」で検索してみましたがヒットしませんでした。
http://www.isbn-center.jp/cgi-bin/isbndb/isbn.cgi

出版社記号、流通コードすら、取得していないとすれば、当初より書店流通するための当然の手配は何も行っていなかったということでしょう。

仮に取得できていれば、原則的には一般書店への流通は可能と言うことになります。
例の本には、裏表紙にISBNコードと13桁の数字が付されたバーコードは付されているのでしょうか。
もし、その印刷がなければ、その本は当初から流通を考えていないものということになります。
この取得がない場合、そのコードを取得している出版社の名義を借りることになります。この場合、その出版社名は奥付に明記されなければなりません。もちろん、この場合もINBSコード、バーコードは印刷されているはずです。

以上が明記されていたのであれば、当初はたしかに一般書店へ流通する目的があったことになります。なければ「嘘」ということでしょう。しかし、出版社記号すら登録されていないとすれば、真っ赤な嘘ということになります。

さて、学会がそれに圧力をかけることが可能かどうか、出来そうな話だと思いますね。
しかし、それが事実であれば、それこそ、裁判でも何でも訴えて所期も目的を果たせばよいわけです。それをせず、創価学会のせいにする話法に問題はあります。

これまた、余談ですが、昭和45年、創価学会は言論出版妨害を起こし、世間の厳しい批判を受けることになりました。その結果、田中智学の影響を受けた戸田教学の廃棄を余儀なくされ、世間面としては政教分離を謳うことになりました。これ以降、かなり長い間、大手書店では創価学会出版物をオミットしました。わたしは学生時代、神田に本店のあるS書店でアルバイトをしていたのですが、学会書籍は置かない方針で一貫していました。

ですから、仮に顕正会が版元となり流通コードを取得して、正規のルートで流通を図ろうとしても、書店は、その‘商品’は扱わないことは起きます。
また、新刊は毎日大量に発行され、流通業者は割当で各書店に送りつけます。それを全部、店売に出せるわけはありません。気に入らなければ、その時点で返品します。

仮にあの手の本が新刊配本されてきても、置こうと考える書店は、まずないでしょう。
即返品の憂き目に遭うだけです。これは学会の圧力以前、書店の嗜好の問題です。

もし顕正会側が「一般書店に置く」と言っていたとしたら、以上の業界常識を知らない人々を当初から欺くためであったか、あるいは、その常識を知らなかったかどちらかでしょう。

192ガンコ:2004/01/13(火) 14:20

平成九年七月十六日の朝刊各紙に顕正会の広告が載っていたのは間違いありません。
そして、諌暁書が全国書店にて一斉発売になる・・・はずであったが、どこの本屋にも諌暁書は見当たらなかった。
どういう手違いがあったのか、それはわかりませんが、後日、店頭に並べられたことは事実です。
なにしろ、わたくしは本屋で五部、買いましたからね。
流通コード云々はよく存じませんが、すでに顕正会では国書刊行会から二冊出版してましたので、実績はあったわけです。

わたくしが当時、考えていたのは、定価千円で出している本を内部では二百円で売っていた、これはよくないのではないか、つまり、出版社に対して申し訳ないことをしているのではないのか、と思っておりました。
あの本は、薄っぺらかったですから、書店で平積みになっているときには目立ったけど、本棚に差し込まれてしまうとぜんぜん目立たなくなってしまう。はっきりした記憶ではありませんが、本屋に置いてあった期間は短かったですね。

本の売れ筋ランキングの常連として、池田大作氏とか大川隆法氏がいますけど、池田氏は別格にしても大川氏あたりは何か細工を施しているのではないか、っていう気がするのですが・・・顕正会でも、一万部も買ったというつわものがいるのであれば、むしろ積極的に一般書店での購買運動を展開するべきではなかったのか、そうすれば出版社の顔を立てることにもなるし、ランキングの上位に入って注目をあつめることもできたのではないかと思います。
そして、なにより、長い期間、書店に並べられていることのほうが強力な宣伝になるでしょうし。

ちなみに、いま顕正会で売っている平成九年の諌暁書は、国書刊行会の名前を抜いてしまって、バーコードもついていないと思います。(手元にないので、未確認ですが)

193一刀両断:2004/01/13(火) 15:47
Jルーカスさん
全くその通りです。私の記憶違いのようでした。失礼いたしました。
当時、私自身は数冊購入して、結局郵便での送付は行わなかったので、そう思い込んでいた。

ガンコさん
そうですか、書店に並びましたか。
私には書店で購入したという者や、置いてあるのを見たといった報告をしてくるものがいませんでしたので、本屋には置かれず終いだったと認識していました。
ガンコさんのおっしゃる通り、確かに国書刊行会から2冊出版されており、諌暁書なるものも同出版社から出る予定だったと記憶しています。
ということは、実際に独歩さんが指摘されるように書店側で拒否したのかもしれませんね。
当時直接書店にて取り寄せるように申し込んだ人でもいれば、どのような形であの書物が扱われていたのか判るのでしょうけれども。

また、実際に二百円で会員は購入できるのに一般の人は千円と、頒価に相当の開きがあったわけですが、その価格差が結局会内部での購入してしまう原因だったのでしょう。
しかし、今となってしまえば、あの時会員達が自分の部屋を倉庫のように足の踏み場もない位に山積みにしていた「諌暁書」は、今回の「諌暁書」配布が事実であるならば、一体何の意味を持っていたのか疑問に思うところです。
改めて会長が書き下ろすか、若しくは手を加えて改訂版のようにするのか不明ですが、五十万を背景にしようとも百万を背景にしようとも「諌暁」は「諌暁」なのでしょうし、今度の「諌暁書」に真新しい目を見張るような内容が記されている可能性も期待できないでしょう。
とすると、一体平成九年の全会員総動員の「諌暁書配布」は何ら効果をもたらさなかった事を自ら認めていることにもなりかねませんし、効果どころか何の意味すらもたなかったのではなかろうかとさえ思えてなりません。

194Jルーカス:2004/01/13(火) 20:15
ガンコさん
一部の書店に並んでいても、正式に流通しているとは限りません。
個人的な縁故で、一店一店回って置いていただく方法もあるわけです。
所謂、日販等を通すのは独歩さんが言うように、条件が必要な訳です。
後は、顕正会が足で営業して、置いているのでしょう。
とても全国書店で云々と言う規模ではありません。

195菱村正敏:2004/01/14(水) 06:50
こちらの地元の丸善には一冊だけ置いてありましたよ。立ち読みさせてもら
いました。

 流通云々は意識したことはありませんが、とりあえず、事実のみ。

196ガンコ:2004/01/15(木) 16:31

前回、ずいぶんと間抜けなことを書いてしまったものだと、いまごろになって気がつきました。

ひとりで一万部購入した人がいるという話があるけど、そうすると二百万円の出費である。じぶんは、同じ二百万出すなら、書店で二千部・・・つまり、定価千円ですから、これで二百万円分になる、そのほうが効果が大きいのではないのかと思ったわけでしたが、よく考えてみると、浅井先生ほどの方であれば、そんなことは当然わかっていただろうということです。
しかし、ただでさえ、商売だの、金儲けだのと、言われてしまうんですから、もし、書店での大量購入を会員に指示するようなことをすれば、それこそ批判者らに格好の材料を提供することにもなりかねないわけで、おそらくは、そうしたことも考慮して、ああいう方式をとったのだろうと思います。

なお、顕正会ではじめて書店に本を出した時、先生はおおむね次のようなことを会員に申されました。すなわち、本を書いても本屋さんで扱ってもらえるかどうかが問題で、顕正会には実績がないので普通には本屋に置いてもらえない、そこでみなさんにお願いしたいのだが、それぞれの住む町の書店に注文書を出してもらいたい、それが全国的にたくさん集まれば取り扱ってもらえるようになる云々。(取意)

おそらく自費出版やなんやで本を出したがっている人は五万といるのでしょうけど、本屋さんも商売だから売れる見込みのない本は置かないわけです。しかし、あのころ、まだ今よりも顕正会は小さかったけど、その本は大きな書店では平積みになっていたし、また、全国的には一位になったかどうか記憶がありませんが、顕正会員の多い地域では一位になるほど売れました。わたくしも十冊買いました。

そして、先生が次にお書きになった本の時は、会員に対して上記のような発言をされることもなく、当たり前のように書店に並べられました。この時はわたくし、一冊しか買いませんでした。

今回はいったい、どういう方法をおとりになるものか、不明の点が多々ありますが、いずれにしても、先生のおやりになることは、もう、それこそ、やることなすこと、すべて批判されちゃうんですから、ああ、先生もつらいなあ、ってわたくし思っております。

197犀角独歩:2004/01/15(木) 19:08

196でガンコさんが紹介した浅井さんの言ったやり方で書店販売して布教したのが幸福の科学ですよ。また、学会も新聞社から出した『池田大作全集』の販売の際、この方法を採りました。もし、浅井さんが本当にこんな発言をしているとしたら、まさに二番煎じ(爆)

そもそも日蓮の遺言を受けて広宣流布をしようなどという大志を抱く者が本の販売なんかを当てにするようじゃお話になりません。

本の販売は商売。正確に言うと宗教法人に認められている収益事業33種の筆頭・物品販売業に当たるものです。広宣流布ではありません。国が宗教法人に認めた収益事業の一つです。収益事業=商売=営利追求です。お間違いなく。

http://www.hi-ho.ne.jp/yokoyama-a/syukyohoujin.htm#

わたしが仕事が携わっていた当時、書店へ書籍を搬入する率は定価の77.5%、雑誌が78.5%でした。今もそれほど変わってはいないでしょう。ですから、1000円の本を販売すれば275円が書店の利益になります。版元は卸価格-(製造原価+流通諸費用+在庫管理費+その他諸費用)が粗利となります。余計なことですが持ち込み本が200円だったら書店の利益は55円。こんな商品を扱うのはばかばかしいと考えるでしょう。1冊も売れないか数冊から二桁程度しか売れない商品、扱うことを嫌がるでしょう。頒価1000円はそんな背景を反映してると言えるでしょうね。しかし、書店1000円、直販200円の二重価格は、商常識を逸脱していると言うより、委託業者(書店)に対する裏切り行為です。会員に版元(顕正会)が書店販売価格の5分の1で販売していると知れば、それこそ、扱う書店などあるはずもありません。書籍販売は版元が直販をしても、販売相手が卸・書店といった業者ではない個人である場合、定価販売をすることが商業上のルールです。その鉄則を遵守するところで版元・卸・書店の信頼関係は成立しています。この社会ルールをまったく無視することを、わたしは非常識と解説しておくことにします。

まったく余談ですが、世界で一番売れた本は『聖書』だそうです。学者によっては宗教は世界最古の情報産業といった人がいます。

198犀角独歩:2004/01/15(木) 19:17

197補足します。

顕正会が書籍を自前で印刷すれば印刷業、自前で出版すれば出版業に当たります。物品販売業というよりこちらに該当するでしょうか。
経本・数珠の販売は物品販売業ですね。あの面白い浅井さんの録音テープなども物品販売業に該当するでしょうね。

顕正会は、会員に対して、ちゃんと会計監査を発表していますか。収益事業に基づく納税は行っているのでしょうか。このような点が不明な団体が国家・国民に認められることはありません。広宣流布以前の問題ですね。

199一刀両断:2004/01/15(木) 19:52
ガンコさん
全くもって独歩さんの仰られる通りであると云わざるを得ません。
本を頒布して、顕正会の主張を読んで貰おうという行為が広宣流布に繋がるのでしょうか?
冷静に考えてみて頂きたいと思いますが、この行為が一体広宣流布にどう繋がる根拠があるのか。
本当に広宣流布を目指している行為とは到底受け止める事はできません。
会内では”一対一の折伏こそ”といい、”縁故を辿ってこそ”と会員を先導していながら、会自体がある程度会員数を確保すると”一国諌暁”などという綺麗な言葉を並べて本を出版して一般人に理解を求める。
本当に国を憂う者が、こんな行為をするとは到底思えません。

付加して顕正会の機関紙を考えてみて下さい。
顕正新聞を見てガンコさんはどう思われているでしょうか?
大抵の会員はそれを見て読んで、”感激した”、”信心が固まった”などと云っておりますが、会内発行の機関紙ほど恐ろしいものはないと私は思っています。
私は過去顕正会に在籍していたし、機関紙を真剣に読んでもおりましたから、私自身、散々行った行為ですから、こんな事を申し上げても「貴方もそうでしたよね?」と指摘される方も多くいるでしょう。
しかし敢えて多くの人からも批難もあるでしょうけれども、反省の意も含めて本当に思うものです。
”自己批判をできない機関紙は嘘のみで固められている存在である”と。
自己批判した顕正新聞をどこかで拾い出すことができるでしょうか?
常に”会は凄い””有りがたい””尊い”と賛嘆こそすれども、一度たりとも自己反省的な記事を読んだ事がありません。
本当に顕正新聞の記事しているだけの内容の通りでしょうか?そんなわけありません。
会員でも多々虚栄の発言はしますし、幹部も勿論しかり。
添削に次ぐ添削にて発表させられた体験発表は、最早登壇会員の意図する内容とはかけ離れることなどザラなのです。
自己反省している登壇といえばただ”無二の師匠に対して申し訳ない”、”先生の驥尾に伏せさせて頂く以上、自身の恥じた戦いを一変させ”等という、会と会長を常に尊敬させる言葉だけです。
これのどこが”清き団体”の機関紙でしょうか?
かえって”自己反省すらできない愚かな団体”と嘲笑を受けてしまうものです。

日本国内で新聞各社が、天皇を一斉に敬い、尊び、日本神国を主張した時代を御存知でしょう。
あの時代、誰も批判的発言など一つもなく賛嘆のみ記事にされたわけです。
独逸も伊太利亜もまた同様です。
現在の北もまた同じ。
批判的発言が含まれない機関紙、しかも会内出版の本など、読むにすら値しないものです。

顕正会員が創価学会の聖教新聞を読んでどう思われますか?
結論、この程度のものでしかないわけです。

たとえ100万を期して諌暁書が発刊されたとしても、私はだから自己満足でしかないと申し上げているのです。

200ガンコ:2004/01/16(金) 15:14

>しかし、書店1000円、直販200円の二重価格は、商常識を逸脱していると言うより、委託業者(書店)に対する裏切り行為です。会員に版元(顕正会)が書店販売価格の5分の1で販売していると知れば、それこそ、扱う書店などあるはずもありません。

ええ、まあ、そうなんですよ。わたくしは当時から、そのように思っておりました。

それと、上のほうで、
>さて、学会がそれに圧力をかけることが可能かどうか、出来そうな話だと思いますね。
>しかし、それが事実であれば、それこそ、裁判でも何でも訴えて所期も目的を果たせばよいわけです。それをせず、創価学会のせいにする話法に問題はあります。

これですが、学会かどうかは別にして、莫大なお金をかけて広告を打ったわけですから、その日に本が並ばなかったということは、顕正会側に落ち度がなければ損害賠償を請求できる道理かと思うわけです。しかし、あきらかに矛盾したことをやっちゃった。つまり、会員を総動員して無料頒布をやった。わざわざ売れない原因を作ったようなものです。仮に買おうと思っていた人がいても、その前にどこからともなく本が送られてきたら、もう買う必要ありませんものね。

浅井が一般書店向けに書いた二冊の本は、はじめのうち、顕正会の会館・事務所には置いてませんでした。かつて、冨士という月刊誌があって、そのいちばん後ろに浅井の著書が一覧されていましたが、そのうち一般書店向けの二書には「◎全国書店にて発売」とのただし書きが付されていました。記憶がはっきりしませんけど、ともかく、けっこう長い期間、顕正会内では売っていなかったはずです。

わたくしはそれを知ってたものですから、諌暁書の時は、ちょっとまずいんじゃないかと思っていたのでした。

201ガンコ:2004/01/16(金) 15:17

>会内では”一対一の折伏こそ”といい、”縁故を辿ってこそ”と会員を先導していながら、会自体がある程度会員数を確保すると”一国諌暁”などという綺麗な言葉を並べて本を出版して一般人に理解を求める。

これはですね、ぶっちゃけ申せば、宣伝パフォーマンス以外の何ものでもないです。な〜んてこと言うと、もう、わたくしの立場も危ないですが、つまり、一対一の折伏だけで、本当だったらもっと伸びていなければおかしいのだろうと思います。かつての学会とは時代状況が違うので一概には言えないとはいえ、学会が伸びていった時は一国諌暁みたいなことはやらなかったのではなかったでしょうか。むしろ一人ひとりが功徳を体験して、それが拡大の主要因だったのではなかったか・・・って、わたくしはそんなに昔を知ってるわけじゃないですけど、そんな気がしております。
すでに一千万の大目標があるとはいえ、現状では何十年かかるか、わかったものじゃない。ようは起爆剤がほしいわけです。ご存知のように顕正会は「爆発」だの「大爆発」が好きですからね。

顕正新聞の件ですが、まあ、上の話題とからめて申しますると、ある婦人部幹部が次のようなこと言っております。

・・・心ある幹部全員が名簿を点検し直しました。入信者の数の多さ、ことに置き去りにしてきた者の圧倒的な多さに一同驚愕し、あまりの申し訳なさで打ちのめされるほどでありましたが、この申し訳なさがすぐさま沸々たる闘志と「絶対に変われる」との確信へと変わり、・・・

まあ、この程度じゃ、納得していただけないでしょうが、わたくしなんかから見ると、けっこう正直だなあって、思うんですけどね。
それと、多くの後輩を抱えているような幹部は顕正新聞をくまなく読んでいるのでしょうけど、逆に読んでいない人も多いように感じています。とくに、わたくしのようにダラダラとながく在籍している会員は、もう読んでません。いえ、わたくしは読んでますけど、じぶんと同じくらいの会員歴の人と話していると、あれ? この人、読んでいないのかな? と思わざるを得ないことがよくあるのです。つまり、話が通じない。もう、惰性でやっているわけです。

マンネリからの打開策・・・今後の飛躍のための起爆剤・・・あ〜あ、書きすぎちゃったかな?

202元ヤン33:2004/01/19(月) 00:15
今、日蓮大聖人いたら 何するのかな
飢餓も疫病も無く 大した権力も無い政府 心は病んでるかな
どー思います かみさん顕正会です 困ってます

203元ヤン33:2004/01/19(月) 00:55
たびたびすいません かみさんのメール盗み見したら 
脱会した親子が 子供の火遊びで火事になり 子供が
焼死したらしいのですが それを脱会したから罰が当たったような言い方 
子供が御本尊様を信じてないから こうなった様なことよく言えるよな 人の死も利用するのか
必ずこう言うよね この手の人たちは だから信じなさいって
日蓮もすごいと思うけど 顕正会は 人の死や終末思想や罰だとかを言って
だから信じろ 入会しろって 日蓮ってどんな人だったの人物像は 




要旨

204ガンコ:2004/01/19(月) 14:29
顕正会員の説く罰論には種々の問題がある。

王舎城事に、
「今生に法華経の敵となりし人をば、梵天・帝釈・日月・四天罰し給ひて皆人にみこりさせ給へと申しつけて候。日蓮法華経の行者にてあるなしは是にて御覧あるべし。かう申せば国主等は此の法師のをどすと思へるか。あへてにくみては申さず。大慈大悲の力、無間地獄の大苦を今生にけさしめんとなり。」

このように、罰は大聖人の御教示によるけれども、わたくしの思うに、今の段階で罰論を説くには二つの問題をクリアしなければならない。
一つには、教義上の齟齬。二つには、現代感覚との齟齬である。
教義上の齟齬とは、顕正会内部では学会・宗門について悪く言うけど、本当にそうかと考えると、なかなかそうとも言い切れないところがある。学会・宗門は御遺命に背いてしまったから罰ばっかり・・・というが、ここ何年かの学会系・宗門系の顕正会批判サイトを見ると、必ずしも顕正会が絶対的に正しいとは思えなくなる。つまり、顕正会が絶対的に正しいとの前提にたてばこそ言えるのであって、教義上、いまだに決着がついたとは言えない状態では、とても罰を言い切れるものではない。
また、仮に顕正会が絶対的に正しいとしても、ここで言う正しいとは大聖人の御意に適うことではあるけれども、はたしてそれが現代に通用するものなのかという問題がある。

また、ひるがえって罰論の運用の仕方が間違っているとも思える。
「日蓮が弟子にせう房と申し、のと房といゐ、なごえの尼なんど申せし物どもは、よくふかく、心をくびゃうに、愚癡にして而も智者となのりしやつばらなりしかば、事のをこりし時、たよりをえておほくの人をおとせしなり。殿もせめをとされさせ給ふならば、するがにせうせう信ずるやうなる者も、又、信ぜんとおもふらん人々も、皆法華経をすつべし。さればこの甲斐国にも少々信ぜんと申す人々候へども、おぼろげならでは入れまいらせ候はぬにて候。」(上野殿御返事)

大聖人は、相当の幹部が退転していったことについて、諸御書において繰り返し言及せられている。そして、この御文では、幹部の退転は多くの後輩をも退転させることになる、であるから、まず、入信にあたっては本人が本当に入信を希望しているのかどうか見きわめ、まだ腹が決まらないうちは入信させない、これが退転者を出さないための第一歩になる、との仰せを拝する。ところが顕正会では、「おぼろげならでは入れまいらせ候はぬにて候」の御制誡に背いて、どんどん入信させちゃって、挙句の果ては退転者の続出である。で、もって、こうした退転者に罰を説く。こりゃ、だいぶん無理がある。ヘタすると、顕正会員こそ罰を受けかねない。

205ガンコ:2004/01/31(土) 02:40

現役顕正会員による顕正会批判 その1 (全5回)

阿達正照氏の「冨士大石寺顕正会の真実」を読んで、思うところが多々あった。
何より強く感じたのは、人材の流失である。
阿達氏をはじめとして、法華講にいってしまった者がかなりの数にのぼると考えられる。しかも、自覚のない顕正会員たちにくらべると、阿達氏らはあきらかに信仰心があって、顕正会時代にも相応の活躍をしていたであろう、そういう者たちが法華講に流れていくわけだから、顕正会にとっては大きなダメージである。
また、文中、元男子部長のことにふれられているが、わたくしの知る範囲で現在の消息は不明であるけれども、当時、顕正会きっての論客というイメージがあったこの人がいなくなったことも、やはり痛手というほかない。

今日、百万を誇る顕正会ではあるが、批判者の「紙切れ百万枚」との指摘もけっして無視できないのは、上のような事情からである。単にやる気のない者が脱落していくだけではなく、有能な人材と思われていた者たちが次々とすがたを消していく実態をわれわれは直視しなければならない。

今、顕正会では、四月の一国諌暁に向けて、ひとくちにいうと「置き去りにしてきた人材の掘り起こし」をやっている。これはけっこうなことだし、正直だとも思う。
では顕正会は真っ正直な団体かというと、そうでもない。かつて浅井先生は大芝居を打ったことがある。俗に「はったりをかます」というやつである。

「私は思う。その時、全顕正会員は、こぞって大石寺に総登山すべきであると。本日は顕正会の代表二万人だけが集っているが、その時こそ、二十万顕正会の全員が、戒壇の大御本尊の御前に馳せ参じ、大石寺の境内を埋めつくし、信心の力を以て、本門寺改称を断固粉砕しようと私は決意しているが、皆さん、どうでしょうか。」

しかし、はなはだ矛盾するようであるが、わたくしはこの発言を、きわめて正直なものと受け止めている。おそらく批判者は言うだろう、二万人集めるのがやっとなのに二十万総登山なんてできっこない、と。それはそうなのだが、わたくしは先生の心情を思うのである。今の百万顕正会にしたって、実情は大同小異である。それでも先生の心意気はいささかも変わらないし、だからこそ、ついていく会員もいるのである。

206ガンコ:2004/01/31(土) 02:42

現役顕正会員による顕正会批判 その2

さて、今回、ぎょうぎょうしくも顕正会批判と題して書くにいたった理由を申せば、浅井先生著「日蓮大聖人の仏法」、通称「折伏理論書」の初版と改訂版では重大な相違がある、すでに阿達氏の指摘するところではあるが、わたくし自身、前々から注目していた部分なので、これを機会にわたくしの考えを述べてみようと思ったのである。

初版と改訂版の相違は、改竄と言ってもいいくらいである。当該部分を読みくらべていただきたい。

初版(平成元年六月二十八日発行)
「やがて御遺命守護完結のその日には、顕正会員こそこの捨身の御奉公によって、時の御法主上人より、晴れて御本尊の授与を賜わる資格を得るのである。」(66頁)

改訂版(平成十一年十一月三十日発行)
「やがて宗門が御在世の信心に立ち還るとき、顕正会員こそこの捨身の御奉公によって、晴れて御本尊の授与を賜わる資格を得るのである。」(70頁)

ページ数は違っているが、まったく同じ部分である。なんたることか、と思う。

むろん、同一著者が改訂版と銘打って書きかえているのだから、さすがに改竄というのは言い過ぎかもしれない。しかし、正直申して、はじめにこれを発見した時のショックはけっこう大きかったのである。もしかしたら多くの顕正会員がいまだにこのことに気がついていないのではないか・・・というのは、わたくし自身、改訂版出来の当初、新加の九・十章を読みはしたものの、ざっと前のほうをながめてさして変わっていないように思われたので、ちゃんとは読まなかったのである。一部、表記をあらためたところがあるのは承知していた。御書の名称変更や御観念文の部分、あるいは貫首・貫主を貫首に統一するなど、これらはそれほど問題ではないと思う。逆に上記の書きかえは、あまりに大胆なのでしばらく気がつかなかった。それだけに、ショックが大きかったのである。

浅井先生は御遺命守護完結の定義を変更してしまった・・・こういわれても仕方がないのではないか、という思いがわたくしにはある。

207ガンコ:2004/01/31(土) 02:43

現役顕正会員による顕正会批判 その3

正本堂問題における先生の所論を一言で申せば、“正本堂は御遺命の戒壇にあらず”ということだろう。わずか二十数年で取り壊されてしまった、その現証だけを見るならば、やはり御遺命の戒壇ではなかったのだと思える。
「舎衛の三億」「広宣流布は終着点のない流れ自体」「法体の広宣流布が果実を結ぶ」「因に約すれば広宣流布」等々、これらの多くは池田大作氏の発言である。そして、これらに対して先生は、「デタラメ広宣流布である。つまり、広宣流布の定義を変更することによって、正本堂を正当化そうとの魂胆」(取意)と言う。
また、日達上人は「戒壇の御本尊のまします所は、いつでもどこでも事の戒壇である」と仰せになったそうであるが、これも先生に言わせれば「正本堂を正当化せんとして、事の戒壇の定義を変更してしまった」(取意)ということになる。
ご注意願いたいのは、わたくしはここで、創価学会や御宗門に議論をふっかけようとしているのではない、ということである。

広宣流布の定義を変更してしまった! 事の戒壇の定義を変更してしまった! かく言う浅井先生こそ、御遺命守護完結の定義を変更してしまったのではなかったか!!!
先生は自分の人生をかけて戦ったのではなかったか? 命を捨てる覚悟で戦ったのではなかったか? その戦いの完結という大事な局面において、わざわざその価値を、みずから低めてしまったのではあるまいか?

そして、先生自身じゅうぶん承知していることだが、御遺命守護の戦いとは、しょせんは序分の御奉公にすぎないのである。つまり、この先に待っているのが本格的な広宣流布の戦いなのであって、一応、その筋にのっとって本年より一国諌暁の戦いが開始されるわけである。しかし、わたくしは思うのである・・・序分の御奉公すら定義をまっとうできなかったではないか、いわんや、本格的な広宣流布などできようものか、と。

ちなみに、くだんの書きかえを行なった理由は、きわめて単純である。新加の十章で、御遺命守護が完結した意味の記述が出てくるから、旧版のままだとひじょうに困ることになるのである。再掲すれば「やがて御遺命守護完結のその日には、顕正会員こそこの捨身の御奉公によって、時の御法主上人より、晴れて御本尊の授与を賜わる資格を得るのである」とあって、すでに平成十年四月五日に御遺命守護が完結したとしている手前、整合性がとれなくなるわけである。敵対団体から矛盾をつかれるのを嫌ったのであろうか。しかし、かえってこのような書きかえは見苦しいと思う。もうちょっと、うまい書き方があったのではないだろうかと、悔やまれる。

208ガンコ:2004/01/31(土) 02:44

現役顕正会員による顕正会批判 その4

ここらで、先生の弁護をしておきたい。「冨士」三百二十七号の記述は重要である。

「顕正会の諌暁すでに二十一年、ようやくいま、正本堂の誑惑だけは崩壊いたしました。残るところは、戒壇の大御本尊に対し奉る不敬解消、この一事だけであります。ここに今回の諌暁書の重大意義がある。・・・直ちに阿部管長に一冊送附いたしました。・・・願わくば―、法のため、国のため、真剣に本書に目を通し、真の改悔を以て戒壇の大御本尊への不敬解消を速かになされんことを、私は心から念願しております。すべては御仏意であります。いつまでも大聖人様が、このような不敬を、お許しになるはずがありません。顕正会は一分の油断もなく、ただ身を捨てて完結への御奉公に驀進するのみであります。この諌暁書と顕正会の死身弘法があるならば、御遺命守護は必ず完結する。本日の御大会式に当り、いよいよ御遺命守護完結と広宣流布への決意を堅め、以て大聖人様への御報恩に擬し奉ろうではありませんか。」(平成三年十月十三日、浅井先生講演)

すなわち、“残るところは不敬解消の一事のみ”として、その文脈において「完結への御奉公に驀進」「御遺命守護は必ず完結する」「御遺命守護完結と広宣流布への決意を堅め」等というわけであるから、まさに御遺命守護完結の定義は明瞭である。

先生は戒壇本尊第一主義者である。その文証は数え切れない。
つまり、御遺命守護完結とは、第一義的には御遷座にあったわけであり、顕正会の宗門復帰などは二の次三の次なのである。事実、先生の御遷座をうったえる発言はたくさんあるが、逆に我が身の失地回復を求める発言はきわめて少ない。
言うもおろかであるが、御戒壇様が主であり、浅井は従である。主の思し召しに従うのみ・・・であれば、いまだ御奉公足らずということなのかもしれない、顕正会はもっとおもてで苦労せよ、と。

戒壇本尊第一主義の信心にブレがないかぎり、顕正会もまだまだ救いがあるのではないか。わずかながらも、御宗門と和解の可能性があるのではないか。
わたくしは、そのようにひそかに思っているのである。

209ガンコ:2004/01/31(土) 02:49

現役顕正会員による顕正会批判 その5

最後に、浅井先生の自語相違について、触れておきたい。
批判サイトを読んでいると、むかしの冨士や顕正新聞を引っぱりだして、いろいろと先生の発言の矛盾をあばきたてている。その中には、取るに足らないものもあれば、けっこう鋭いものもある。ここで私見を申せば、四十六年一貫不変の浅井先生に矛盾などあるはずがない、断じてありえない・・・などと強弁するつもりはさらさらない。おそらく、たくさんあるだろうと思っている。
しかし、さしたる問題ではない、と思うのである。
もう少し言葉を添えるならば、昭和四十五年以前以後(宗門諌暁開始の年)・昭和四十九年以前以後(解散処分の年)・平成十年以前以後(不思議の還御・正本堂崩壊の年)等に自語相違があっても、むしろ当然なのではないかと思うのである。大きな出来事があって、それが何らかの変化をあたえたとして不思議ではない。一貫不変だからといって、まったく変化が見られないのはおかしい。先生の著作を読んで先生の心理的変遷すら読み取れないとするならば、その人の読解力がないのか、あるいは先生の文章がヘボであるか・・・いや、わたくしにはそんなにヘボには思えないので、そうなるとおそらく先生の書いているものは虚構のかたまりなのであろう。ようするに顕正会の歴史は虚構である、ということになる。きわめて逆説的であるが、つまるところ、そちこちに矛盾があるほうが人間的には正しいと思うのである。なかには本当に隙のない人物というのもいる。しかし、そういう人はたいてい、人間味に欠けているような気がする。
このように書くと、まるで先生の矛盾を正当化しようとしているかと思われるかもしれない。そうではない。矛盾は矛盾である。しかし、さしたる問題ではないと書いた。では何が問題か?
ようは、変化変遷はなまみの人間であれば当然であるが、問題はその変化変遷が許容範囲を超えているかどうかではなかろうか。
かつては顕正会に種々の問題ありとも、許容範囲内であろうと思っていた。しかし、正直に申せば今のわたくしはだいぶん御宗門に傾きつつあって、その尺度を以てすると相当に危うく見える。ことに平成十年以降の顕正会のありようは許容の限度を超えてしまっているのではないかとすら思える。

御遺命守護は、第一義的には完結したとしてよかろう。しかし、顕正会の宗門復帰・国立戒壇を宗門の公論とする等の実現はまだまだ遠い先のことなのであろうか? 先生はここ何年か、これらの展望を語ることをしなくなった。
わたくしには、「天生原までの四キロの道のり」よりも近くにあるはずの大石寺までの道のりが遠くとおく感じてならないのである。

210犀角独歩:2004/01/31(土) 11:05

ガンコさんの長文の投稿、拝読しました。大作である点は評価できます。しかしながら、わたしの個人的な管見を敢えて述べれば、問題の本質を突いていないというのがいちばんの感想です。

要は浅井さんの教学はすべて戸田さんの教学を鵜呑みにした形で成り立っており、その証拠確認がなされないままに事実として扱い、人々を煽動してきた点を先ず考えなければならないのでしょう。これは3年間、わたしが繰り返し論じてきたことです。またこれは顕正会独りの問題ではなく、創価学会、大石寺、正信会といった、所謂、日蓮本仏圏に属するすべての集団と会員に通じて言えることです。問題の本質とは何か。所謂、

・「戒壇之大御本尊」が本物であるかどうか
・「御遺命」と言うところが本当に蓮師の言ったとおりなのか

この簡単な問題の事実確認をせず、騒いだところで、それはただの煽動に過ぎないということです。また、

・蓮師の末法観は時間計算が間違っていた
・漢訳仏典は梵本を故意に改竄した問題点がないのか
・法華経は釈尊が説いたものでなかった
・大乗経典に限らず、経典の大半は釈尊が説いたものではない

つまり、日蓮本仏・戒壇本尊論は蓮師の真跡に拠らず、後世創作された真偽未決書と伝聞で成り立っており、さらに蓮師が基礎とした天台学は梵本研究に拠らない漢訳仏典の問題が山積しており、さらに梵本もまた釈尊の言説とは関係のない後世の創作であるという幾重にも土台の腐った砂上に楼閣が立っています。

いくら浅井さんが「御遺命守護だ」「広宣流布だ」と口角泡を飛ばしたところで、虚構妄想の域を何も出ず、それに踊らされる会員は集団幻想に陥っているのに過ぎないということです。

わたしはこのような姿勢を病的、あるいはわかってやっているのであれば、無責任と批判しなければなりません。

言葉は悪いですが、「真実」であることの証拠確認もせず、それを事実として扱うのであれば、‘詐欺商法’と何ら変わらず、わたしは敢えて、そのような不誠実な姿勢を「ペテン」である断じざるを得ません。

211れん:2004/01/31(土) 11:38
ガンコさん。おひさです。以前あるサイトで拝見した石山の古い檀家に伝わる「真実の御遺命の戒壇建立」の次第によると、広宣流布の暁、富士に天皇が帰依し、石山貫首の先導により、天皇が御宝蔵の戒壇本尊におしきみを備えるのが戒壇建立となるとのことです(其の場で天皇は紫宸殿本尊の軸で授戒を受ける)。顕正会の天生原戒壇や学会の正本堂は、上記の石山義から見て、間違いということになります。室町期の石山貫首の文献には天生原戒壇説は無いので、天生原戒壇説は江戸期の要山義の逆輸入によるものと私は考えてます。m(__)m

212犀角独歩:2004/01/31(土) 12:16

横レス失礼します。

「紫宸殿本尊」は、中世、石山が言い出したことであり、その祖証ないことを志師に霑師が詰問され、答えに窮した一幕があったと記憶します。
天生原戒壇は寛師が要山義を受けたもので要山出身の石山住職が来る前に言われたことのないものである点は、たしか妙観講の顕正会批判でも述べられていました。

余談ですが、天生原戒壇論では広宣流布の暁には戒壇院に併せて六万坊建立が条件付けられています。この点は顕正会はどうアナウンスしているのでしょうか。

213犀角独歩:2004/01/31(土) 12:19

少し補足。
ややガンコさんに難を記した形になりましたが、けれど、「現役顕正会員による顕正会批判」という視点は、高く評価できます。

214愚鈍凡夫:2004/01/31(土) 14:50

横レス失礼します。
「忍者ハッタリ君」という意味では、浅井さんよりも池田さんのほうが数段上を行っているようですね。 ( -_-)ノ ---===≡≡≡ 卍 シュッ!
何故なら、池田さんの場合、「二度と」とか「永久に」とか言う言葉は何の意味も持ちませんから。創価学会では一瞬一瞬が「久遠」ですので、差詰め池田さんが"心変わり"するまでが「永久」ということでしょうか。 (^0^))☆爆笑☆((^Q^)v
まあ、いい意味でも悪い意味でも「日蓮」の名を広く世に知らしめたという功績は、「創価学会」「顕正会」ともにあるんでしょうけど・・・・・。 (-"-;A ...アセアセ

215れん:2004/01/31(土) 17:51
紫宸殿本尊につき、堀日亨師は杉谷香道師筆録の講述にて「古来より確たる文献なし唯斯様に申し伝へ来ている」と述べ、また「現今謂ふ所の紫宸殿の本尊を紺紫金泥で写した本尊が仙台佛眼寺にあり、それに日量上人が紫宸殿の本尊と云ふ文字を書き込まれた、之は時の佛眼寺住職吉岡阿日威が願ったのである」と述べている。紫宸殿本尊の名称の初見は祖師伝の中の日陽伝で江戸期である。故山口範道師は、安国会編御本尊集中の御本尊の内、所蔵不詳の八十二、百十一、百十六番の御本尊は石山蔵としている。八十二番が紫宸殿本尊と伝承されたもの様である。

216れん:2004/01/31(土) 17:54
訂正。誤、伝承されたもの様である。
正、伝承されたものの様である。

217れん:2004/01/31(土) 18:35
なお室町期の石山の戒壇義は有師が「大石は父の寺・重須は母の寺・父の大石は本尊堂・重須は御影堂・大石は本果妙・重須は本因妙・彼は勅願寺・此は祈願寺・彼は所開・此は能開・彼は所生・此は能生即本因本果本国土妙の三妙合論の事の戒壇なり、開山置状に云く日目・日仙・日代は本門寺の大奉行中にも日代は日興が補処たり文、是は日興は母の得分にて御座すに依て日代には母の方を授け日目には父の方を授け給へり」(保田日要師新池抄聞書)と述べ、石山が事の戒壇との主張が見える。これによっても天生原戒壇説が後世のものであることが分かる。

218愚鈍凡夫:2004/01/31(土) 21:52

紫宸殿本尊は、富士年表によると1280(弘安3)年3月図顕となっていますね。そして、1445(文安2)年11月6日、日有紫宸殿本尊を模刻す(8-194・石蔵)となっています。
石山の伝説によると、「戒壇之本尊」の身代わりとして日有師が模刻したということだったと思います(「戒壇之本尊」を駿東に避難させた)。
もっとも「戒壇之本尊」、「紫宸殿本尊」、共に紙幅のオリジナルがあれば、筆跡鑑定などの検証ができて白黒はっきりするんでしょうがね。

確か雪山荘の本尊が「紫宸殿本尊」のレプリカであったと思いますが、日亨師にとって「紫宸殿本尊」は何か特別な思い入れがあったのでしょうか。

219ケン:2004/01/31(土) 21:52
独歩さん

210の「蓮師の末法観は時間計算が間違っていた」の内容を
教えてください。
すでに、どこかにお書きになっていると思います。
どこを見ればよろしいでしょうか。

220れん:2004/01/31(土) 22:30
大黒喜道師編著「日興門流上代事典」によると、京都要法寺開山日尊師の暦応三年の板本尊は石山の紫宸殿本尊の摸刻であり、信行寺本堂安置の日影師の代(応永十九年)に造立した板本尊も石山の紫宸殿本尊の摸刻であると記されてます。なお堀日亨師は先に引用した杉谷師筆録の講述にて、石山の紫宸殿本尊について「紙質と云ひ、筆法と云ひ、現存せる聖筆本尊の中で弘安度之ものとしては随一のものである」と述べていますので、日亨師にはそれなりに紫宸殿本尊に対する思い入れはあったと思います。

221ジャンノレン:2004/02/01(日) 08:23
れんさん、はじめましてジャンノレンです。

堀上人の晩年の住まいされた畑毛雪山庵の御宝前の御本尊は紫宸殿の模刻板御本尊でした。
思い入れは確かにあったのでしょうね、訪れる方々に自慢されてたみたいですから。

222れん:2004/02/01(日) 10:41
ジャンノレンさん、はじめまして。ジャンさんは、累代法華の方とお見受けいたしております。私は学会所属ですが、戒壇建立の次第については、日有師の御主張に鑑み累代法華の方に伝わる伝説に賛同いたしております。今後とも宜しくお願い致します。m(__)m

223犀角独歩:2004/02/01(日) 11:14

219 ケンさん:

この点は戦前、日蓮主義でも大いに論じられた大問題であったわけでした。
簡潔に申し上げれば、蓮師が採用していた年代は、現在の研究成果から導き出された年限と500年のずれがあり、大集経の三時説からすれば、蓮師が生きた13世紀は、まだ像法時代であったということです。この点について、愕然として種々整合性を考えたのは石原完爾でしたか。

なお、わたしはさらに仏滅年代に、まだ二、三、問題点があると考えます。
一つには蓮師教学の場合、天台・伝教は自分たちが像法時代の師であると認識して、本師末法の出現を恋慕したなどとしますが、これは事実と相違します。
この点については高木豊師が簡潔に記していますので、それを紹介すれば充分でしょう。

「中国では正法500年、像法1000年を経て、末法に入るとされ、日本では正法・像法各1000年を経て、末法に入るとされた。したがって中国では552年、日本では1052(永承7)年が入末法の歳であった」(『日蓮』太田出版 P124)

「末法有太近」と中国人が言うとき、自分たちは末法の人との認識に基づいていたことになります。

次に、わたしが問題にしてきたのは、大集経と法華経の末法観は脈絡がないという点です。つまり、蓮師その他の末法観は、大集経と法華経を共に釈尊の真説であるという視点から同一者が述べたという前提なので、整合性を認めますが、これは牽強付会に過ぎません。

大集経では「次の五百年は我が法の中に於いて闘諍言訟して白法隠没せん」とありますが、これが法華経の末法観とは違います。何故ならば、法華経の末法観には三時観がないからです。この二つは別の思想系譜でしょう。やや想像を逞しくすれば、大集経は先頃世紀を跨ぐときに騒ぎになったミレニアム思想の影響に基づいて創作されたように見えます。

法華経の末法思想は言うまでもなく、薬王菩薩本事品に基づきます。

「宿王華、此の薬王菩薩本事品を以て汝に嘱累す。我が滅度の後後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶して悪魔・魔民・諸天・龍・夜叉・鳩槃荼等に其の便を得せしむることなかれ」

梵本では

「ナクシャトラ=ラージャ=サンクスミタ=アビジュニャよ、偉大なる志を持つ求法者(ぐほうしゃ)『サヴァサットヴァ=プリヤダルシャナの前世の因縁』の章(薬王菩薩本事品)が最後の時であり、最後の機会である最後の五十年の経過している間に、このジャンプ=ドゥヴィーパに行なわれて、消滅しないように、また魔王パーピーヤス(波旬)が襲撃の機会を得ず、悪魔の眷属や神や、竜、ヤクシャ、ガンダルヴァ、クンバーンダどもが襲撃の機会を与えないように、余はそれを汝に委ねよう」(『法華経・下』岩本訳、岩波文庫 P207)


つまり、法華経における末法広宣流布とは宿王華に属し、薬王菩薩本事品を釈尊滅後500年の間に広宣流布することを意味したものでした。大集経三時説とはなんら関係を認められません。

さらに梵本では釈尊滅後500年ではなく、50年であるとされる点も注視されます。この点は以前、議論の対象となった点でした。いずれにしても、ここで言われる500年(50年)は2000年を経た次の年を言うのではなく、釈尊滅後の日から500年(50年)を言うものです。敢えて大集経に当て嵌めても正法を言い、紀元前の話に属することになります。

本より、大集経が釈尊に由来するわけもなく、悠久の大地、絶えず流れるガンジス川に浴しながら時間経過の概念がないのがインド人の思惟といいます。そこで三時観があるとすれば、それはこの思惟法と違和を生じるでしょう。さらに言えば法華経における寿量仏は「常住此説法」なのであって、三時観がそこに看取できるはずはありません。

224犀角独歩:2004/02/01(日) 12:00

218 愚鈍凡夫さん:

> 日有紫宸殿本尊を模刻…「戒壇之本尊」の身代わり

この指摘は実に重要ですね。
達師は精道師時代『悪書 板本尊偽作論を粉砕す』のなかで

「日有上人は戒旦御本尊の御身替りの御本尊を模刻遊ばされたのは事実で、其の御本尊には日有上人が署名を遊ばされている、此は今日大石寺の御宝蔵に納められてある」(P65)

と記しています。また、この根拠は応師『弁惑観心抄』の

「日有彫刻ノ本尊假立シテ且ツ戒壇ノ本尊に擬セシナリ…惟フニ後世是ヲ訛傳シテ日有眞ノ戒壇ノ本尊ヲ彫刻スルノ説ヲナセシナラン」(186頁)

わたしはこれらを読み、有師の身代わり板漫荼羅と戒壇漫荼羅は同一相貌であると思っていた経緯がありました。


221ジャンノレンさん:

亨師の紫宸殿本尊の逸話、学会向けの印刷漫荼羅頒布以前の石山人感覚を表すものですね。通り一遍の戒壇本尊信仰党では、戒壇漫荼羅とそれを書写した歴代漫荼羅以外は礼拝対象としないことになっています。仮に蓮師御筆漫荼羅でも礼拝対象としないというアナウンスです。これは言うまでもなく、寛師の戒壇漫荼羅観を敷衍したものですが、亨師はさすがに闊達な発想に基づいており、微笑ましく感じました。

なお、紫宸殿本尊と聞いてわたしが直ちに思い出す記述は亨師の

「学頭日照師が朝鮮に布教するや、紫宸殿御本尊を有師の模写せるものによりて写真石版に縮写し・新入の信徒に授与せり」(冨要1)

という件です。古来「紫宸殿と称す」ということで、伝聞からこの漫荼羅が「紫宸殿御本尊」と呼ばれるようになり、特に尊皇思想の時代を生きた亨師方は、殊の外尊重したという時代性を背景にしての雪山坊への模刻安置、天皇神聖主権下、新本仏迹も鷹揚に帯した時代の風景と言うところでしょうか。もっとも石山の尊皇思想は、表向きはどうであれ、いまも変わっているはずはありませんが。

225ガンコ:2004/02/01(日) 13:08

独歩さん、ご感想をいただきましたこと、感謝にたえません。

>問題の本質を突いていない

ええ、まあ、独歩さんの、つねにより本源的な議論を志向されていらっしゃるところから見れば、そうだと思います。
今回のわたくしのは実態論ということでご理解ください。

>わかってやっているのであれば

折伏理論書新版の旧版とちがっているところなどは、意識的に改訂したわけで、ことにわたくしが指摘した部分はあきらかに矛盾を糊塗するために書きかえてしまったとしか思えないわけです。この辺に顕正会の本質が垣間見えているのかもしれません。

独歩さんが箇条書きで提起された問題ですが・・・
このところ日蓮正宗系の掲示板などをいくつか覗いておりまして、勉強させていただいているのですが、独歩さんの提起されているような問題を研究している人はほとんどいないようです。
ということは、独歩さんと議論のできる人は(正宗系には)いないことになります。まあ、まったくいないわけでもないでしょうから、そのうちお出ましになられるかもしれませんけど、どちらかというとみなさん、日蓮本仏圏内でああだこうだ言ってるのが好きなんでしょうね。

あと、もうひとつ・・・
「国主此の法を立てらるる時は、当国天母原に於て、三堂並びに六万坊を造営すべきものなり」(大石寺大坊棟札)というのが折伏理論書に出てます。ところが、当の御宗門のほうで大坊棟札を偽作と言ってしまってる。いちおう浅井は反論を書いていますが、どうもこの件に関しては顕正会のほうが不利のように思えます。

226ガンコ:2004/02/01(日) 13:11

れんさん、どうもです。

笑われそうですが、わたくし顕正会のくせに戒壇論には不案内なんです。というか、今の顕正会員は資料を持ってませんから、知らない文証を出されると対応できないのです。

広宣流布の暁を待って戒壇建立というのが一般的なのでしょうか? じつはわたくし、個人的にはべつの考えを持ってまして、ようは天皇が帰依すれば戒壇は建立できる、もっと言えば、天皇が帰依すれば広宣流布である、なあんて思ってます。れんさんはともかく、なみの学会員が聞いたらぶったまげるでしょうけどね。
そのへんの根拠については今、申し上げられるだけの能力がありません。いずれ発表できればいいなあ、って思ってます。

ご提示いただいた、日有上人の御指南は、まったく存じ上げませんでした。
わたくしの拝するところでは、大石と重須を比較して、やわらかに大石の優位を仰せなのでありましょう。
また、「大石は本尊堂」→「事の戒壇」は、日達上人仰せの「戒壇の大御本尊まします所は事の戒壇」と同義のように思えます。これはたいへんな御指南ですね。浅井は、広宣流布以前に事の戒壇を称するのは断じて不可との見解ですから、これは困ったことになります。

戒壇論とは別に、
>大石は本果妙・重須は本因妙

これって、わたくしが習ってきたことからすると違和感があります。大聖人を本因妙の教主とするのが本宗ではなかったですか? であれば、大石を本因妙・重須を本果妙とするべき? いや? これも変ですかね?

227愚鈍凡夫:2004/02/01(日) 13:11
>>220:れんさん。レス有り難うございます。

>>224:犀角独歩さん。レス有り難うございます。

> 有師の身代わり板漫荼羅と戒壇漫荼羅は同一相貌であると思っていた経緯がありました。

もし、この2つが同一相猊であれば、「初代戒壇之本尊」は今のような半丸太ではなく、板であった可能性もアリですかね(もちろん、初代があったかどうかは分かりませんが)。

228ガンコ:2004/02/01(日) 13:13

愚鈍凡夫さん、いつもいつも絶妙のフォローを下さりまして、まことにありがとうございます。

229ジャンノレン:2004/02/01(日) 13:41
独歩さん、こんにちわ。すっかりご無沙汰致しております。

>学会向けの印刷漫荼羅頒布以前の石山人感覚を表すものですね。通り一遍の戒壇本尊信仰党では・・・。
そうですね、御形木の意義は根本尊形をおかねば信仰ができないという意義の他に暫定の意味が多いと思います。
御守り(携帯御本尊)すら形木が先行して、直筆のものが無いと思っている人が多いです。

>蓮師御筆漫荼羅でも礼拝対象としないというアナウンスです。
これはそんな事はないんです、ただ石山は新来講員には余り話さないだけで、私の存じ上げています講頭さんは
自宅以外の別宅に紫宸殿を板にして安置されています。勿論、御当代のお認めです。累代で宗祖真筆を所持して
おられる御方も多いですし(山中喜八さんの影印本以外に相当数の真筆があると伺っています)みんな、お話に
ならないだけで、今の奉安化儀の在り方と食い違いが出来てくるので、おしゃべりにならないだけです。

>「学頭日照師が朝鮮に布教するや、紫宸殿御本尊を有師の模写せるものによりて写真石版に縮写し・新入の信
徒に授与せり」(冨要1) という件です。
石山の紫宸殿は近年、師資伝とか言い変えられていますが、秘密のベールに包まれています。私が伺ったのは一
体だけではないという事です。何体あるのか知りません。

>石山の尊皇思想は、表向きはどうであれ、いまも変わっているはずはありませんが。
はい、今も変わっていないと思います、強力に言わなくなっただけです。時代相応の発言という事による弊害が
多いからです。二天門の上や塔中のある坊の意義を変えない乃至撤廃しないかぎり、その意志は深く靜かに保ち
続けていると思います。客殿の勅使門はその前にしつらえました。目師還住の時とその日は美しい伝統です。

230犀角独歩:2004/02/01(日) 14:30

225 ガンコさん:

> 今回のわたくしのは実態論

ええ、もちろん、その点は評価しています。
秀作であると思います。

> 独歩…提起…問題

そうですね。ですから、日蓮本仏党は、時代から100年も置き去りになった時代錯誤であると嗤われるわけです。

しかし、そんな蒙昧な集団とは別に、わたしは日蓮が好きです。日蓮に対する恩義を感じています。このまま、この人の思想を死滅させること、また、日蓮その人の考えと違うことがその人の考えのように言われることをしのびなく思います。事実を事実としてしっかりと認識掌握し、そのうえで「では、日蓮は」と考え、次代に引き継ぎたい思いがあります。何より、誤った日蓮認識を席巻した信仰圏に属した自己責任を「訂正」によって埋め合わせ、世人への贖罪とし、それをまた日蓮への報恩に手向けたいと念願しています。

> 日蓮本仏圏内でああだこうだ言ってるのが好き

そうですね。「井の中の蛙大海を知らず」、竹の棒を振り回して、自分は誰よりも強いと思う幼子の体たらくです。

> 三堂並びに六万坊を造営…(大石寺大坊棟札)と…折伏理論書に

わたしはピンとこないのですが、大石寺大坊棟札とは何を指すのでしょうか?
ご承知のように石山伽藍では大坊には六壺・客殿・宝蔵が主です。そこに棟札ですか。どの棟の札を言うのでしょうか。棟札というか、それら縁起を示すもので目を見張るのは御影堂を精師が「本門戒壇堂」と記したことは思い当たりますが。

三堂棟札は「本門寺根元」の北山・御影堂に係るものですね。これは亨師が「日興」の‘興’の字が書き間違えているから本人のものではない・彫りがその時代のものとは違うと指摘していましたね。また、六万坊は石山義ではなくて要山義です。折伏理論書にいうようなごちゃ混ぜの記載がされた札が存在するわけはないように思えます。

なお、もう少し子細に記せば、戒壇院、上行院、本門寺本堂、本門寺戒壇/事戒法、事戒壇、本門戒壇などは、それぞれ発生が別と見え、あとからまとめて論じられるようになる時系列を読み落としてしまうと誤解が生じます。

> 顕正会のほうが不利

もっとも至極です。

学というのは自分の信行を肯定するためになすのではなく、信行をなすべきものを求めるためになす姿勢が大切であると、わたしは思うわけです。集団や指導者のご都合に振り回されて時間を無駄にしないことです。光陰矢のごとし、人生は短いものですから。

231愚鈍凡夫:2004/02/01(日) 14:32
ガンコさん、どうも有り難うございます。

小生は、顕正会についてインターネット上で流れている情報以外は知りませんので、リアリティーがありませんので、いろいろと御教示下さい。

尚、戒壇論について早坂師の論文が出ています。

「『六巻抄』の構造と問題点(三)「文底秘沈抄」本門の戒壇編を通して 早坂鳳城」
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/kyouka/03/03_086.htm

232犀角独歩:2004/02/01(日) 14:47

229 ジャンノレンさん:

ご無沙汰しています。
「戒壇之大御本尊と歴代書写本尊以外は駄目。御本尊は一世帯に一体。古いものは変換する」などということをヒステリックに推し進めたのは学会の折伏闘争でした。しかし、これは石山の伝統と仰るとおり通用のないところでした。

> 紫宸殿は近年、師資伝とか言い変えられ

ほお、そうですか。案外、師資伝が聞く音から転訛して紫宸殿となったなどと想像を逞しくしたくなるお話です。このほうが意に適う呼称と感じます。

わたしは、石山は蓮師が知らない、興師ともそれほど縁の深いとは言えない、実質的に目師に始まる寺であると個人的には結論しています。しかしそれでも、その後、700年、神仏習合、尊皇護国、寺請制度という時代変遷を経ながらも培われてきた、仰るところの「伝統」流儀の在り方を美しいと思う気持ちはあります。

朱に塗られた山門・同じく朱塗りの二天門・その奥にある本門戒壇堂である朱塗りの御影堂、そして、名を伏せられる坊もたぶん朱塗りでしょうか。精師の異図はいまはひっそりとした佇まいとして時代に溶け込んでいると言うことなのでしょうね。

蛇足ですが、朱塗りに対して、黒塗り、これは武家様を表すものと見られるのでしょうか。お答えいただければ有り難く存じます。

皆さんには、スレッドテーマから逸脱し、恐縮です。

233ガンコ:2004/02/01(日) 17:57
大坊棟札については、詳しく存じ上げません。

浅井が昔からよく引用するのが次の日淳上人の御指南です。
「この元朝勤行とても、宗勢が発展した今日、思いつきで執行されたというものでは勿論なく、二祖日興上人が宗祖大聖人の御遺命を奉じて国立戒壇を念願されての広宣流布祈願の勤行を、伝えたものであります。大石寺大坊棟札に『修理を加え、丑寅の勤行怠慢なく、広宣流布を待つ可し』とあるのが、それであります」(大日蓮三十四年一月号)

あの英邁の聞こえ高き日淳上人が仰せであられるわけですから、御宗門も困ったでしょう。今の学会でも日淳上人を悪くいう人はあまりいませんし。

また、日達上人にも次の仰せがあるそうです。
「歴代の法主は日興上人の遺命による丑寅勤行を怠慢なく行いて広宣流布を祈願し」云々と。

これは大坊棟札の御文を借りて仰せられたものと思われます。ところがこの日達上人、数年を経ずして偽作説に転じるわけです。時間軸の上では、浅井の宗門諌暁を受けてから偽作説に転じているので、まるで顕正会の主張をかわすために寺宝のひとつだったはずの大坊棟札を斬って捨てるがごとき暴挙に出た・・・という気がしないでもないのですが。

そうであっても、わたくしがこの真偽論で顕正会に理がないと思っているのは、上記の論理は確かに一定の説得力があるとは思うけど、最終的には直接の真偽にかかわらないことがらですから。
浅井の云はく、「そこで細井管長は『当国天母原に於て・・・』と記されている日興上人の『大坊棟札』を〝後世の偽作〟と云い放った。その理由を十ほど挙げているが、そのすべては例によってズサン極まる推量にすぎない。その一々についてはいずれくわしく破折するが」云々と。
ここが各サイトで指摘されている箇所なんです。すなわち、平成元年にこのように言っているわけですが、いずれくわしく破折すると言いながら、いつまで経っても破折しないのです。
つまり、浅井はいちおうの反論は書いたけど、いまだちゃんとした真偽論には立ち入っていないわけです。

234ガンコ:2004/02/01(日) 18:00
愚鈍さん、いつも資料のご紹介、ありがとうございます。

しかし、毎度のことながら、早坂先生って大石寺には辛いですね。激辛というか、過激というか。当然、これは大石寺のしかるべき御僧侶が反論すべきところでしょうけど、どうなさっていらっしゃるのでしょうね。

ところで文中、一ヶ所だけ気になったところがあるんです。
いわゆる三大秘法抄の「王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて」という御文ですが、ここでは「三大秘密の法」となってますよね?
じつは顕正会での表記はすべて「三大秘密の法」なのです。
ご存知のように御書全集では「三秘密の法」ですし、平成新編でもそうです。また、現宗研のもそうなってますよね。

これはどういうことなんでしょうか? ご存知でしたらご教示ください。

235ジャンノレン:2004/02/01(日) 19:03

独歩さん、なかなか凄いところ突いてきますね、あまりちゃんと話すと色々と問題がありますので。

>朱塗りに対して、黒塗り、これは武家様を表すものと見られるのでしょうか。

石山内のことでも御質問でしょうか?一応、其の想定であれば総門近くの其の色の門の事は、堂上の
お使いの御方が其の門をご使用されるのではないでしょうか、よって武家とは関わりがないと思います。
昔、塔中を体の関係といって輿にのって練り歩いた御方がいましたが、如何に高貴な御方といえども
三門前では下馬、或いは輿から降りられて塔中を進むものなのです。しかし、近年、そういう化儀を
無視された方もいました。開かずの門は客殿前ばかりいいますが、もう一つある事をお忘れの方が多いです。

こういったことをお知りの上で恐らく御質問だと思いますが、これ以上は勘弁してください。


追伸、れんさん。ご挨拶頂いていたのにお返しせず申し訳ございません。
今後ともよろしくお願い致します。

236Jルーカス:2004/02/01(日) 19:26
ジャノレンさん
その塔中を練り歩いた方ですが、私の聞いた話では、体の関係が理由ではありません。
「これこそ、広宣流布の暁、勅使が来られたときの模擬試験である。俺がその勅使に成り代わって・・・」
等とのたまったそうです。
なかなか豪快な方だったようですな。

塔中を輿で練り歩き、塔中に女を連れ込み、塔中で僧侶をリンチした。
このような方は、石山始まって以来の豪傑ですね(笑)。

237れん:2004/02/01(日) 20:08
ガンコさん。戒壇建立につき、私見を述べれは、蓮祖が観心本尊抄で示された四菩薩出現の二パターンを踏まえれば、上行再誕の聖僧である蓮祖が本門本尊・題目を建立し、不軽菩薩の行儀と精神を継承して弟子檀那とともに弘持し、上行再誕の賢王(天皇)が広布の暁に出現して残る本門戒壇を建立することになります。上行再誕の賢王が帰依するのは、蓮興両師の嫡子たる目上の還住の方ですね。なお、三位順師は「先謗法を対治して後法門一閻浮提に流布せばやがて本門大戒立つべきなり」と述べてるので、広布は先・戒壇建立は後というのは不変かと存じます。

238れん:2004/02/01(日) 20:24
次に先に引用した大石寺九世日有師の御主張は、日興跡条々事を踏まえれば、智父日蓮の寺、嫡子日目管領の大石寺→能生の事戒壇。日本乃至一閻浮提の内の山寺等(境母日興の寺の重須を含む)→所生の理の戒壇にして、半分は嫡子分として日目師が管領・残る半分は自余大衆等領掌で、能生の事の戒壇である大石寺に本門寺の戒壇(本尊三度相伝第二本尊聞書)を建立すべしとの意図であると、私は理解しております。

239れん:2004/02/01(日) 20:47
最後に、大石寺は本果妙・重須は本因妙の事ですが、ここにおける本因本果の語彙は所謂、種本脱迹説から導きだされる本因本果教主論の意味ではなく、有師の「上行菩薩の御後身日蓮大士は九界の頂上たる本果の仏界と顕れ、無辺行菩薩の再誕日興は本因妙の九界と顕れ畢ぬ」(日拾聞書)との言葉を踏まえれば、大石は本果妙・重須は本因妙の語は、あくまで大石寺→智父上行・仏界本果妙の日蓮の寺、重須→境母無辺行・九界本因妙日興の寺との日有師の御主張・持論の強調の意図で相対させたものと思います。以上ガンコさんの教学上の参考になれば幸甚です。

240愚鈍凡夫:2004/02/01(日) 20:51
>>234:ガンコさんへ

> いわゆる三大秘法抄の「王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて」という御文ですが、ここでは「三大秘密の法」となってますよね?

「むむっ。気づかなかった」(独り言) (^_^;)

「戒壇とは王法、仏法に冥し、仏法、王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王、覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戎壇を建立すべき者か、時を待つべきのみ。」(「三大秘法禀承事」昭和定本)

「戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持て、有徳王覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並に御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。」(「三大秘法禀承事」昭和新定)

「戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か時を待つ可きのみ」(「三大秘法禀承事」学会版)

仰る通り、それぞれ「三秘密の法」となっていますね。

ちなみに「六巻抄」の「文底秘沈抄」を検索すると、
「秘法抄に云わく、王臣一同に三秘密の法を持たん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か、時を待つべきのみ、事の戒法と申すは是れなり等云云。」(「文底秘沈抄」富要3-90)

これも「三秘密の法」となっていますから、早坂師の勇み足のようですね。多分、意識の中に「三大秘法」のことがあって、しらぬまに「三大秘密の法」としてしまったのではないでしょうか。

241犀角独歩:2004/02/02(月) 00:01

「三秘密の法」についてですが、かなり古い書き込みになりますが問答名人さんが転載されたことがありました。

2001/03/07(水) 09:10、『富士門流と国家諌暁』の8です。
以下、転載します。

*** 転載はじめ ***

昭和三十年に奉安殿と名付けられた新御宝蔵が建設されたおりの、第六十四世日昇上人の慶讃文によく現われているので、参考のためここに引用する。

「夫れ戒壇の本尊は、宗祖日蓮大聖人の本懐、末法衆生帰命の法体、一宗依止の当体なり。
宗祖大聖人弘安二年十月十二日之を建立して、血脈付法の二祖日興上人に身に宛て給はるところなり。
上人心魂を尽くして護持し大石寺に奉安し、
一閻浮提の座主日目上人に付属してより血脈の法主歴世に奉戴し、
或る時は校倉を、あるときは土蔵を宝蔵として奉安し、
専心に守護し、国立戒壇の建立を待ちて六百七十余年、今日に至れり。
国立戒壇こそ本宗の宿願なり。
三大秘法抄に『戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して、
王臣一同に‘三大秘密の法’を持ちて、
乃至、勅宣並びに御教書を申し下して建立するところの戒壇なり』と。
之は是れ、宗祖の妙法蓮華経が一天四界に広宣流布の時こそ之の時なり。・・・・・・
血脈付法の法主を継げる日昇・・・・・・『時を待つべきのみ、事の戒法とは之れなり』の金言を身に体して、
必ず来るべき国立戒壇建立の暁まで守護すべし。
後々の法主も一心同体たるべきと確信す。
願わくば宗祖大聖尊の法魂、安穏に常住したまわんことを」と。

*** 以上転載おわり ***

たぶん、この趣意を早坂師は承けたのでしょう。

242犀角独歩:2004/02/02(月) 11:49

241の自己レス

昇師の記述にも表れる「三大秘密の法」は、「文の底に沈め」を「文底秘沈」とする如き、言い換えなのではないでしょうか。

まあ、些細なことです。愚鈍凡夫さん、ガンコさんの気を殺ぐ意図はありません。
引き続きのご投稿を期待します。

243犀角独歩:2004/02/02(月) 12:34

れんさん、横レス失礼します。

> 「観心本尊抄で示された四菩薩出現の二パターン

これはすなわち

此の四菩薩は、折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し、摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す

を指すのでしょうか。

> 上行再誕の賢王(天皇)が広布の暁に出現して残る本門戒壇を建立

先に引く如き「賢王」は飽くまで「愚王を誡責」するというのであって、戒壇建立をするという記述は見られません。何より、同抄で戒壇に関する論及すら見られません。

244ガンコ:2004/02/02(月) 14:18
れんさん、濃密なるご教示、どうもでした。

やや揚げ足取りを承知で書きますが、
>日興跡条々事を踏まえれば

この日興跡条々事を拝すると、はじめに「本門寺建立の時」とあって、つぎに「本門寺に懸け奉るべし」とありますが、最後は「大石寺は御堂と云ひ墓所と云ひ・・・」となっています。
これをもっとも素朴に読むと本門寺と大石寺はべつのお寺を意味しているように思うんです。
まあ、広宣流布の暁には大石寺が本門寺になる、という会通は昔からあるみたいですけどね。


愚鈍さん、独歩さん

日昇上人の慶讃文ですが、要注意だと思うのです。
「三大秘密の法」で検索してみると、ほとんどが顕正会にからむ内容なんです。問答名人さんのあれだって、顕正会の資料の丸写しでしょう。ですから、ほんとうに慶讃文の原文がそうなっているのかどうか、確認してみないとあやしいのでは? (わたくしもずいぶんうたぐりぶかくなってしまったものだ)

245犀角独歩:2004/02/02(月) 14:49

235 ジャンノレンさん:

有り難うございます。
ここで皇室と現石山との話題は限界があります。
機会があれば、口伝(笑)ということで。

戸田さんのこと。何も名を伏せる必要はありません。
乗った御輿を「車駕」と言ったわけです。車駕とは天子の輿ですね。あるいは天子を指す言葉です。境内を踏みにじり、僭称し天子を気取ったあの強行は二重の大罪と、わたしは見ます。

重鎮の石山役僧とこの話を交わしたとき、重々しく苦渋に満ちた表情になったことが思い出されます。とある石山人は「あんな馬鹿なことをするから、直ぐに罰が当たって死ぬことになったのだ」と吐き捨てるように言ったものでした。事実、あの事件が3月16日、その2週間を経て死没しました。それでも石山では「大宣院法護日城大居士」との戒名を下し、五重塔脇に墓所を赦したわけです。

まあ、そうは記しても、わたしは石山の肩を持つものではありません。しかし、生まれて間もないときから半世紀近く、数百回も登山した地です。いまのわたしのスタンスから遙か遠い山になりはしましたが、郷愁を伴います。その地を汚した陵辱には、やはり、不快感が伴います。狸祭り同様、実に不届きな事件でした。

246犀角独歩:2004/02/02(月) 16:35

244 ガンコさん:

なかなか鋭い指摘ですね。
条々事の読み、同等に考えます。
昇師慶讃文、時間の余裕があるとき、古い『大日蓮』を捲ってみることにします。

さて、早坂師のこと、わたしはこの論文は高く評価します。
愚鈍凡夫さんの言葉を籍りれば「勇み足」は、寛師その人であると思います。

247れん:2004/02/02(月) 19:21
独歩さん。観心本尊抄には勿論戒壇建立についての文はありませんが、蓮祖が本尊抄執筆の当時、四菩薩再誕の賢王の出現を期待していたのは事実でしょう。また身延入山後執筆の取要抄草案(真蹟身延曽存)には、比叡山迹門戒壇に相対して、場所は富士と選定してませんが、本門戒壇を建立すべき文意が示されております(都守基一師解説による)。つまり、蓮祖は上行再誕の賢王が愚王を誡責し、その延長線上に戒壇建立を意図していた節があるので、あのように記したまでです。この辺は、興風談所の山上師が興風誌上で指摘してるので、ご一読ください。

248ケン:2004/02/02(月) 19:31
223 独歩さん
「蓮師の末法観」についての解説有難うございました。
2日間ほど出張していたので、お礼が遅れました。

249れん:2004/02/02(月) 19:47
ガンコさん。石山六世日時師の御指南によると、石山には当時まで興師が南条時光氏に「本門寺の朽木書の御堂を大石に立て申す」云々と述べられたことを伝承しております。条々事の読みは上代石山貫首(有師の代まで)の御指南に本門寺建立の場所について、石山以外の地を選定したものは無いので、有師の説のごとく、石山義としては大石寺を事戒壇として本門寺(戒壇を含む)建立の地と理解して差し支えないでしょう。ゆえに「本門寺」「大石寺」という表記の相違のみをもって、本門寺は大石寺とは別のものと読み込むのは逆に早計に存じます。m(__)m

250愚鈍凡夫:2004/02/02(月) 20:34
>>244:ガンコさん。
「三大秘密の法」が顕正会絡みとは面白いですね。

ひょっとして、日蓮宗は顕正会対策の小冊子「顕正会について」を出していますから、これと関係があるのでしょうか。それとも、日寛師、日昇師ともに破す目的で「三大秘密の法」と表現されたのでしょうか。ちょっと興味があります。

話は変わりますが、戒壇論に関して、こんな論文もあります。

「現代に於ける本門戒壇建立の必然性と必要性について 齋藤朋久」
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/kyouka/03/03_050.htm

「顕正会について」
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/booklet/booklet.htm

251ケン:2004/02/02(月) 20:52
独歩さん
230:『事実を事実としてしっかりと認識掌握し、
そのうえで「では、日蓮は」と考え・・・』について

上記のような立場で執筆された日蓮入門書で、
独歩さんのお薦め書籍があれば、教えてください。

252犀角独歩:2004/02/03(火) 11:00

247 れんさん:

> 観心本尊抄には勿論戒壇建立についての文はありません

そのとおりですね。
この段階で蓮師に題目・本尊と並び称して戒壇を考えるアイディアには至っていなかったでしょう。

> 蓮祖が本尊抄執筆の当時、四菩薩再誕の賢王の出現を期待していたのは事実

ええ、これも同抄の文面から読み取れます。

> 身延入山後執筆の取要抄草案(真蹟身延曽存)には、比叡山迹門戒壇に相対して、場所は富士と選定してませんが、本門戒壇を建立すべき文意

これをそのままに受け止めても、それは本尊抄執筆からあとの話です。
本尊抄には戒壇義はなく、「現折伏時成賢王誡責愚王」は涅槃経の有徳王・覚徳比丘説話に基づく摂折論であり、「此時地涌菩薩始出現世但以妙法蓮華経五字令服幼稚」の結として記されるところです。同抄全文、また、この句説は戒壇義を述べるところとなっていません。

また、富士・大石寺は日蓮没後、目師の縁故で建つ寺院に戒壇を建てることを意図しているなどと考えられるはずはありません。
大石寺建立の工を始めたのは正応2(1289)年のことであって、本尊抄執筆の文永10(1273)から16年もあとのことです。

蓮師は真跡で見る限り、富士山に対する特定の思い入れもなく、さらに没後建立される大石寺のことなど、知るはずもないわけです。ですから、そこに建造物としての階段が建つことを想定して「現折伏時成賢王誡責愚王」と記したというのは作為的な解釈と言うしかないとわたしは思えます。ただし、これはれんさんに難癖をつける意図ではありません。

253犀角独歩:2004/02/03(火) 11:03

251 ケンさん:

残念ながら、ご質問の如き内容をまとめた良書をわたしは知りません。
それ故、当掲示板において管見を記してきたとおり、自力で考えるしかありませんでした。

254犀角独歩:2004/02/03(火) 11:31

○興師の「朽木書」について

れんさん、引用される「石山六世日時師の御指南」とは何でしょうか。ご教示いただけませんか。

冨要で「朽木書」を検索すると以下のような記述が見られます。
たしかに石山に係るものもありますが、その意味するところは重須(北山本門寺根元)、それも八幡神社の造立を意味するものです。富士大石寺戒壇との脈絡は見いだせるのは近代に係ります。

***

一、日興上人の時、八幡の社壇を重須に建立あり内には本尊を懸けらる、是れは本門寺の朽木書と云云(化儀抄)

「本門寺の朽木書等」とは・重須の垂迹堂を八幡なりとすること(亨師)

大石寺は鎮護国家の本門の朽木書(類聚翰集私)

本門寺根源とは事戒壇を造立すべき根源の堂と云ふ意にして此の朽木書の本堂を広高厳飾して事の戒壇とするの義(両山問答)

***

大石寺を朽木書とするのは、左京阿教師が勝手解釈と見えます。

255犀角独歩:2004/02/03(火) 11:33

【254の訂正】

誤)富士大石寺戒壇との脈絡は見いだせるのは近代に係ります
正)戒壇、との脈絡は見いだせるのは近代に係りますが、北山について述べるばかりです。

256れん:2004/02/03(火) 13:26
独歩さん。興師の「朽き書」を記した文献は応永年間の晩年の石山日時師談を弟子某が筆録した「大石記」です。これは戦前刊行の雪山書房版の富士宗学要集に全文収録されてますが、戦後の山喜房版や学会版の富士宗学要集や歴全には収録されていません。近年の刊行書では、大黒喜道師編著「日興門流上代事典」に全文収録があり、興門資料刊行会からも、雪山書房版のコピーが出版されて出回っていると記憶しています。m(__)m

257犀角独歩:2004/02/03(火) 16:50

256 れんさん:

有り難うございます。やはり『大石記』ですか。
この書について、石山・水島公正師は

「また『大石記』は、家中抄にあるごとく文献的にも問題のある文書であり、宗門の大事に引用するほどのものではないのである」(『久保川論文の妄説を破す』所蔵『「世界宗教への脱皮』の妄見を破す』第2章第1項(1)「大石記」について」日蓮正宗宗務院教学部 昭和56年2月16日 P44)

と言います。その根拠とする『家中抄』の記載が何を指すのか。同師はしかし、「その理由については冗長となるので今は省略する」とその言及を避けています。

当時、教学部に傾倒していたわたしは、この経緯から『大石記』傍系資料とそれを軽んじいまに至っています。

仮に時師が、引用の如き思いを懐いていたとして、そののちの嫡嗣分である有師がこの説を言わず、北山八幡社壇造立を「朽木書」とすることは整合性を欠くように思えます。

達師の略解に拠れば「朽木書とは絵画の下書のこと、手本の意」(P92)というわけですから、大石の寺も重須八幡社壇も、ともに未来、本門寺の雛形として造立したという見方は出来るかも知れません。

しかし、わたしは蓮師は事壇を説かず没したと考えますので、いずれにせよ、興師の発展的解釈がその濫觴であると考えます。

258ガンコ:2004/02/03(火) 19:04

みなさん、こんばんは。

愚鈍さんご提示の二つのサイト、ざっと読ませていただきました。面白かったです。
しかし、齋藤朋久先生のこの論文、お読みになったかどうか存じませんが、おそらく独歩さんなら思いっきり突っ込みいれたくなるでしょうね。
わたくしにとってはけっこう明快でした。
要を取って申せば・・・大聖人はなぜに本門の戒法といわず本門の戒壇と仰せられたか? すなわち戒壇ということで築壇の意味を含ませている。よって、大聖人の戒壇義は事壇である。
この論文の全体的な輪郭は、わりと顕正会の戒壇論に近いように思いました。もちろん詳細はちがいますけど。

もう一つのサイトは、まあ、顕正会の本部でそれなりの反論を発表すべきでしょうし、わたくしがどうこう言ってもしょうがないですから、とりあえずノーコメントです。

それから、れんさんって、書いていることだけ見ていると、ばりばりの法華講員みたい。気に触ったら、ごめんなさいね。

それでは、みなさん、本日はこれにて失礼つかまつりまする。

259れん:2004/02/03(火) 19:47
独歩さん。大石記の信憑性ですが、同書には例えば「越後国の法華宗平孫太郎助時は法すきの者なりしが、伊賀阿闍梨を教化して日目上人に参らす」とあります。この孫太郎について他資料を検索すると、延慶二年十月十三日、千葉妙本寺蔵日興書写本尊日目脇書に「越後国孫太郎妻女申与」とあり、同書に登場する人物の一人の実在を裏付けています。この様に他資料により裏付けが採れるものがある以上、水島師の如く、現宗門の如く、安易に大石記を軽視するのは早計です。また他資料による裏付けは、多少なりとも大石記の資料的価値を高めていると存じます。

260れん:2004/02/03(火) 20:18
それから、もう一つ、独歩さんは蓮師は事壇を説かず没したとご意見ですが、蓮師は法華行者値難事や法華取要抄等の真蹟に本門「戒壇」と残された以上、斎藤師ならずとも比叡山迹門戒壇に相対する将来の本門戒壇建立を蓮師の意思の中に見るのは可能かと思います。しかし、蓮師の晩年にも四菩薩再誕の賢王は現じなかったことから、蓮師の中では四菩薩再誕の賢王によるの折伏に対する希望は薄れたのも事実です。故に蓮師は上行再誕の聖僧として不軽の精神・行儀を継承し、門弟にもそれを奨励した、それを示すのが諫暁八幡抄末文です。

261れん:2004/02/03(火) 20:37
ですから、諫暁八幡抄の末文から読み取ると、蓮師は将来的には本門戒壇建立を希望しながらも、現実に四菩薩再誕の賢王が出現しない限りは、ご自分とその門弟は釈尊の因行と伝えられる不軽菩薩の精神・行儀を継承して、ひたすら上行菩薩所伝の妙法五字(一大秘法)を受持唱題し、非暴力・非妥協の逆縁広布・法躰折伏に徹するべきと考えておられたと拝察いたします。しかして、富士戒壇論そのものは、現存資料から推して、独歩さんの云われる如く、興師の発展的解釈がその根源にあることは否定できないものです。

262れん:2004/02/03(火) 20:57
ガンコさん。私の書いた文だけ読むと、ばりばりの法華講員に見えますか?まあ、私自身勤行の際の観念文はと言いますと戸田氏の勤行要典講義に掲載された奉祈念天皇陛下護持妙法云々と記された古いものを観念しているので多少は法華講員チックになってしまうのでしょうかね。まぁ、私は気にしないので、お気遣いなくm(__)m
では、ガンコさんにならい、今日はこれにて失礼つかまつるm(__)m

263犀角独歩:2004/02/04(水) 10:45

れんさん:

レス、有り難うございます。
何点か。

まず、大石記に関するご指摘については参考になるところ大でした。
ただし、時師資料を直ちに信頼する蛮勇はわたしは起こりません。
しかしもちろん、仰せのとおり、一を捨て全体を捨てるは愚であると思います。

次に戒壇について。たしかに事檀論を持っていたと考えることは可能でしょう。しかし、蓮師は自ら「三つの法門」と言いいます。これは実質的な建造物を指すと言うより、法門、すなわち理論的な構築と見るほうが、字句どおりであるとわたしには思えます。
また、事檀は、その機能するところは、れんさんも指摘されたとおり、天子の受戒を最大の目的とするわけです。また、副次的な目的もあるでしょう。もし、比叡山を迹門戒壇と斥けて、それに代わる本門戒壇とすれば、僧侶の出家受戒その他においても、機能を果たすことになります。しかし、これら方法論について、蓮師は何ら考証することも、伝えた形跡もありません。仮に事檀構想があったところで、有名無実といわざるを得ないわけです。結局のところ、戒壇に関しては未完のまま没したと見るほかありません。

> 上行再誕の聖僧…法躰折伏

この記述は本尊抄が指示しません。
「此四菩薩…行‘摂受’時成僧弘持正法」ですから、四菩薩変化の僧が成すのは折伏ではなく‘摂受’です。

ま、些細なことですが。

264れん:2004/02/04(水) 19:28
独歩さん。事壇論については、蓮師は信頼できる真蹟現存・曽存の著作において書き残されてないので独歩さんの様な見解も成り立つ余地はあります。学問的には富士戒壇論は興師の師説の発展的解釈により成立し、不造像・不読誦という石山の伝統法義の土台の上に石山の戒壇義が成立したと見た方が自然ですね。なお、観心本尊抄の四菩薩の解釈は興風収録の山上師論文「日蓮大聖人の折伏観」における「現実的には逆縁世界において上行再誕の僧たる大聖人及びその門下が摂受(不軽菩薩の折伏)を行い、将来上行再誕の賢王が出現し、勢力的折伏をもって愚王を

265れん:2004/02/04(水) 19:37
誡責し、『法華経』は広宣流布するのである」(興風第十四号収録)との解釈に基づき記させていただきました。独歩さんの観心本尊抄の四菩薩に対する解釈は、普通一般の日蓮宗の方々と同様の模範的解釈と拝察いたしました。m(__)m

266れん:2004/02/04(水) 20:11
訂正。
誤、不造像・不読誦という石山の伝統法義の土台の上に石山の戒壇義が成立した。
正、不造像・不読誦という石山の伝統法義の土台の上に曼陀羅中心の石山の戒壇義が形成された。

267犀角独歩:2004/02/05(木) 11:28

れんさん:

> 普通一般の日蓮宗の方々と同様の模範的解釈

いや、そんなことはないですよ(笑)
わたしは単に日蓮真跡から読み取れるままを記したまでです。
宗派や、指示する解釈はありませんので、そのままの日蓮を素描すれば、そうなると言うだけのことです。引用される山上師の解釈も()内はまるで不用のはずです。
「上行再誕の僧たる大聖人及びその門下が摂受を行い」は何も間違っていません。本尊抄の四菩薩が僧と現ずる姿を正確に記しています。

ところで「折伏」という語の用法は近年は創価学会によって定着しました。それに倣うのが顕正会ですね。

「相手の邪義・邪法を破折して正法に伏させる化道法のこと」(『日蓮大聖人御書辞典』昭和51年12月10日3刷 聖教新聞社 P474)と言います。

しかし、真跡、あるいは天台に見られる折伏の用法からすれば、この解釈は明らかに間違っています。たとえば、れんさんは「不軽菩薩の折伏」と記されていますが、「不軽菩薩は折伏された」のであって、「折伏した」わけではありません。かくの如き摂折論は、今成師の言説を基礎にして、過去に論じられたことでした。

さらに言えば「法体折伏」という石創に通じて使用される用語は、れんさんに申し上げるまでもなく、真跡遺文に見られません。真跡で「法体」を言うときは「如是者所聞法体」などと記さればかりで、折伏との合成語で述べられることはありません。

しかしながら、以上の点は、文献証拠の問題ではなく、それを扱う際、‘解釈上の固定観念(すなわち、石創の解釈論)’が判断を枉げてしまう点について申し上げることです。これらの解釈は日蓮の教説を扱うとき、やはり、真跡遺文から抽出した日蓮の原思想を基礎とすべきであり、滅後、中世から近代に至る人々の宗派の、なにより護教・宗派教学擁護の解釈は用いれば、答えは違ってしまうと考えられます。

いわば「法体折伏」とは、その典型と映じましたので、一言、その点を指摘させていただいたものでした。以上です。

268中道一筋:2004/02/05(木) 12:41
皆様初めまして、中道一筋と申しあげます。
我が家は戦国期から代々石山信仰をしておりますが「創価学会等の主張していた石山義」そして「石山への批判者が言う石山義」そのどちらも我等から見ればまるで他宗を論じているとしか思えない。
本来、日蓮正宗にて戒壇という建物にこだわる歴史は無かった。
我等代々の感覚では、以下のような解釈をしていた。

『蓮祖御立ての法門の「本門戒壇」には、傍意の戒壇と正意の戒壇がある。
まず傍正をもって本門戒壇を述べるなら、本門の妙戒は既に理戒ですから、本門戒壇も事相の戒壇である。ではこの戒壇はどこにあるのか。戒壇とは如法に戒受得の道場である。本門戒壇は、本門如説修行者の行者の心中にこれを求める。
しかし先師尊宿は、本門戒壇をもって本門本尊の住所としている。心性即妙法蓮華経の久遠本時の寂光土であり、久遠本時の寂光とは本門戒壇である。すなわち「己心中の久遠本時の実相の眞壇、南無妙法蓮華経の中に生佛のけみょうを絶して、三世十法法界悉く久遠本時の寂光土なり」これが正意の戒壇である。
次に傍意の戒壇を述べれば、浄地に事相の本門の戒壇を設け、本門の本尊を安置し、更に本門の戒儀を選し、本門伝戒の師は如法に当家(富士門)の僧俗に本門の妙戒を授与する。この事相の戒壇をもって傍意の戒壇となす。大石寺に伝わる「一期弘法抄」の事の戒法を受けるため、国主が願主となって、富士山に建立すべき戒壇及び百六箇抄の種の本迹勝劣を説ける中の四十三条に出ずる三箇の秘法建立の勝地に造立すべき富士山本門寺の本堂の戒壇とは、僧俗の受戒の道場であり、明らかに事檀ですから、傍意の戒壇である。』

以上が代々檀家の1人が昭和40年代に、創価学会への批判的論法をもって著作した「本門一仏乗論」からの要旨抜粋ですが、本来は石山といえども「正意は己心戒壇」なのであります。
その上で「傍意の本門寺の戒壇」を論じるのが本来の石山義なのでありますが、創価学会が広宣流布達成を誇るために、無理に片方だけをとりいだし、妙信講がそれを同じ土俵に乗って批判し 現在も勘違いしていると考えた方が良いと考えます。
妙信講も無理に傍意の戒壇にこだわることは無かった。傍正のたてわけが出来ていれば、正意の戒壇が壊されてないのだから、創価学会さんが何を言おうと笑って済ませれば良かった。

269ガンコ:2004/02/05(木) 15:48

うあああっ、む、むずい。

270ジャンノレン:2004/02/05(木) 17:01
中道さん、はじめましてジャンノレンです。

遂に登場なさったのですね、御高名はお聞きしております。
本門一仏乗論、某古書店では7、8万するような稀書だったと記憶しております。
100部限定で確か、全部配られずにホンの一握りの人だけが、浴したという事も聞いております。
しかし、難解な論ですが傍正の立て分けから考察すれば本門伝戒之師のところに戒壇義も備わるという
様に聞いております。

271愚鈍凡夫:2004/02/05(木) 18:41
皆さん今晩は。
ガンコさん、齋藤師の論文がお気に召されたようですね。
それでは、石山に在籍する方の論文を紹介しますので、お楽しみ下さい。

「本門事壇論 〜日蓮大聖人は理壇か事壇か〜」
http://www.h4.dion.ne.jp/~hotaro/lenpou02.htm

次は、日達師の御指南です。石山の戒壇論を理解する上で役立つと思います。

「日達上人講述・略解日興遺誡置文」
http://www.h4.dion.ne.jp/~hotaro/yuikaiokimon.htm

272TT:2004/02/05(木) 18:56
>日蓮正宗にて戒壇という建物にこだわる歴史は無かった
そうなんだ。
あれ、ならばどうして正本堂建て、現時における事戒壇と言ったの?
中道さんは日達さん批判者なの?


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