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顕正会の実態を検証する
267
:
犀角独歩
:2004/02/05(木) 11:28
れんさん:
> 普通一般の日蓮宗の方々と同様の模範的解釈
いや、そんなことはないですよ(笑)
わたしは単に日蓮真跡から読み取れるままを記したまでです。
宗派や、指示する解釈はありませんので、そのままの日蓮を素描すれば、そうなると言うだけのことです。引用される山上師の解釈も()内はまるで不用のはずです。
「上行再誕の僧たる大聖人及びその門下が摂受を行い」は何も間違っていません。本尊抄の四菩薩が僧と現ずる姿を正確に記しています。
ところで「折伏」という語の用法は近年は創価学会によって定着しました。それに倣うのが顕正会ですね。
「相手の邪義・邪法を破折して正法に伏させる化道法のこと」(『日蓮大聖人御書辞典』昭和51年12月10日3刷 聖教新聞社 P474)と言います。
しかし、真跡、あるいは天台に見られる折伏の用法からすれば、この解釈は明らかに間違っています。たとえば、れんさんは「不軽菩薩の折伏」と記されていますが、「不軽菩薩は折伏された」のであって、「折伏した」わけではありません。かくの如き摂折論は、今成師の言説を基礎にして、過去に論じられたことでした。
さらに言えば「法体折伏」という石創に通じて使用される用語は、れんさんに申し上げるまでもなく、真跡遺文に見られません。真跡で「法体」を言うときは「如是者所聞法体」などと記さればかりで、折伏との合成語で述べられることはありません。
しかしながら、以上の点は、文献証拠の問題ではなく、それを扱う際、‘解釈上の固定観念(すなわち、石創の解釈論)’が判断を枉げてしまう点について申し上げることです。これらの解釈は日蓮の教説を扱うとき、やはり、真跡遺文から抽出した日蓮の原思想を基礎とすべきであり、滅後、中世から近代に至る人々の宗派の、なにより護教・宗派教学擁護の解釈は用いれば、答えは違ってしまうと考えられます。
いわば「法体折伏」とは、その典型と映じましたので、一言、その点を指摘させていただいたものでした。以上です。
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