[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
顕正会の実態を検証する
209
:
ガンコ
:2004/01/31(土) 02:49
現役顕正会員による顕正会批判 その5
最後に、浅井先生の自語相違について、触れておきたい。
批判サイトを読んでいると、むかしの冨士や顕正新聞を引っぱりだして、いろいろと先生の発言の矛盾をあばきたてている。その中には、取るに足らないものもあれば、けっこう鋭いものもある。ここで私見を申せば、四十六年一貫不変の浅井先生に矛盾などあるはずがない、断じてありえない・・・などと強弁するつもりはさらさらない。おそらく、たくさんあるだろうと思っている。
しかし、さしたる問題ではない、と思うのである。
もう少し言葉を添えるならば、昭和四十五年以前以後(宗門諌暁開始の年)・昭和四十九年以前以後(解散処分の年)・平成十年以前以後(不思議の還御・正本堂崩壊の年)等に自語相違があっても、むしろ当然なのではないかと思うのである。大きな出来事があって、それが何らかの変化をあたえたとして不思議ではない。一貫不変だからといって、まったく変化が見られないのはおかしい。先生の著作を読んで先生の心理的変遷すら読み取れないとするならば、その人の読解力がないのか、あるいは先生の文章がヘボであるか・・・いや、わたくしにはそんなにヘボには思えないので、そうなるとおそらく先生の書いているものは虚構のかたまりなのであろう。ようするに顕正会の歴史は虚構である、ということになる。きわめて逆説的であるが、つまるところ、そちこちに矛盾があるほうが人間的には正しいと思うのである。なかには本当に隙のない人物というのもいる。しかし、そういう人はたいてい、人間味に欠けているような気がする。
このように書くと、まるで先生の矛盾を正当化しようとしているかと思われるかもしれない。そうではない。矛盾は矛盾である。しかし、さしたる問題ではないと書いた。では何が問題か?
ようは、変化変遷はなまみの人間であれば当然であるが、問題はその変化変遷が許容範囲を超えているかどうかではなかろうか。
かつては顕正会に種々の問題ありとも、許容範囲内であろうと思っていた。しかし、正直に申せば今のわたくしはだいぶん御宗門に傾きつつあって、その尺度を以てすると相当に危うく見える。ことに平成十年以降の顕正会のありようは許容の限度を超えてしまっているのではないかとすら思える。
御遺命守護は、第一義的には完結したとしてよかろう。しかし、顕正会の宗門復帰・国立戒壇を宗門の公論とする等の実現はまだまだ遠い先のことなのであろうか? 先生はここ何年か、これらの展望を語ることをしなくなった。
わたくしには、「天生原までの四キロの道のり」よりも近くにあるはずの大石寺までの道のりが遠くとおく感じてならないのである。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板