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顕正会の実態を検証する

206ガンコ:2004/01/31(土) 02:42

現役顕正会員による顕正会批判 その2

さて、今回、ぎょうぎょうしくも顕正会批判と題して書くにいたった理由を申せば、浅井先生著「日蓮大聖人の仏法」、通称「折伏理論書」の初版と改訂版では重大な相違がある、すでに阿達氏の指摘するところではあるが、わたくし自身、前々から注目していた部分なので、これを機会にわたくしの考えを述べてみようと思ったのである。

初版と改訂版の相違は、改竄と言ってもいいくらいである。当該部分を読みくらべていただきたい。

初版(平成元年六月二十八日発行)
「やがて御遺命守護完結のその日には、顕正会員こそこの捨身の御奉公によって、時の御法主上人より、晴れて御本尊の授与を賜わる資格を得るのである。」(66頁)

改訂版(平成十一年十一月三十日発行)
「やがて宗門が御在世の信心に立ち還るとき、顕正会員こそこの捨身の御奉公によって、晴れて御本尊の授与を賜わる資格を得るのである。」(70頁)

ページ数は違っているが、まったく同じ部分である。なんたることか、と思う。

むろん、同一著者が改訂版と銘打って書きかえているのだから、さすがに改竄というのは言い過ぎかもしれない。しかし、正直申して、はじめにこれを発見した時のショックはけっこう大きかったのである。もしかしたら多くの顕正会員がいまだにこのことに気がついていないのではないか・・・というのは、わたくし自身、改訂版出来の当初、新加の九・十章を読みはしたものの、ざっと前のほうをながめてさして変わっていないように思われたので、ちゃんとは読まなかったのである。一部、表記をあらためたところがあるのは承知していた。御書の名称変更や御観念文の部分、あるいは貫首・貫主を貫首に統一するなど、これらはそれほど問題ではないと思う。逆に上記の書きかえは、あまりに大胆なのでしばらく気がつかなかった。それだけに、ショックが大きかったのである。

浅井先生は御遺命守護完結の定義を変更してしまった・・・こういわれても仕方がないのではないか、という思いがわたくしにはある。


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