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顕正会の実態を検証する
208
:
ガンコ
:2004/01/31(土) 02:44
現役顕正会員による顕正会批判 その4
ここらで、先生の弁護をしておきたい。「冨士」三百二十七号の記述は重要である。
「顕正会の諌暁すでに二十一年、ようやくいま、正本堂の誑惑だけは崩壊いたしました。残るところは、戒壇の大御本尊に対し奉る不敬解消、この一事だけであります。ここに今回の諌暁書の重大意義がある。・・・直ちに阿部管長に一冊送附いたしました。・・・願わくば―、法のため、国のため、真剣に本書に目を通し、真の改悔を以て戒壇の大御本尊への不敬解消を速かになされんことを、私は心から念願しております。すべては御仏意であります。いつまでも大聖人様が、このような不敬を、お許しになるはずがありません。顕正会は一分の油断もなく、ただ身を捨てて完結への御奉公に驀進するのみであります。この諌暁書と顕正会の死身弘法があるならば、御遺命守護は必ず完結する。本日の御大会式に当り、いよいよ御遺命守護完結と広宣流布への決意を堅め、以て大聖人様への御報恩に擬し奉ろうではありませんか。」(平成三年十月十三日、浅井先生講演)
すなわち、“残るところは不敬解消の一事のみ”として、その文脈において「完結への御奉公に驀進」「御遺命守護は必ず完結する」「御遺命守護完結と広宣流布への決意を堅め」等というわけであるから、まさに御遺命守護完結の定義は明瞭である。
先生は戒壇本尊第一主義者である。その文証は数え切れない。
つまり、御遺命守護完結とは、第一義的には御遷座にあったわけであり、顕正会の宗門復帰などは二の次三の次なのである。事実、先生の御遷座をうったえる発言はたくさんあるが、逆に我が身の失地回復を求める発言はきわめて少ない。
言うもおろかであるが、御戒壇様が主であり、浅井は従である。主の思し召しに従うのみ・・・であれば、いまだ御奉公足らずということなのかもしれない、顕正会はもっとおもてで苦労せよ、と。
戒壇本尊第一主義の信心にブレがないかぎり、顕正会もまだまだ救いがあるのではないか。わずかながらも、御宗門と和解の可能性があるのではないか。
わたくしは、そのようにひそかに思っているのである。
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