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顕正会の実態を検証する
204
:
ガンコ
:2004/01/19(月) 14:29
顕正会員の説く罰論には種々の問題がある。
王舎城事に、
「今生に法華経の敵となりし人をば、梵天・帝釈・日月・四天罰し給ひて皆人にみこりさせ給へと申しつけて候。日蓮法華経の行者にてあるなしは是にて御覧あるべし。かう申せば国主等は此の法師のをどすと思へるか。あへてにくみては申さず。大慈大悲の力、無間地獄の大苦を今生にけさしめんとなり。」
このように、罰は大聖人の御教示によるけれども、わたくしの思うに、今の段階で罰論を説くには二つの問題をクリアしなければならない。
一つには、教義上の齟齬。二つには、現代感覚との齟齬である。
教義上の齟齬とは、顕正会内部では学会・宗門について悪く言うけど、本当にそうかと考えると、なかなかそうとも言い切れないところがある。学会・宗門は御遺命に背いてしまったから罰ばっかり・・・というが、ここ何年かの学会系・宗門系の顕正会批判サイトを見ると、必ずしも顕正会が絶対的に正しいとは思えなくなる。つまり、顕正会が絶対的に正しいとの前提にたてばこそ言えるのであって、教義上、いまだに決着がついたとは言えない状態では、とても罰を言い切れるものではない。
また、仮に顕正会が絶対的に正しいとしても、ここで言う正しいとは大聖人の御意に適うことではあるけれども、はたしてそれが現代に通用するものなのかという問題がある。
また、ひるがえって罰論の運用の仕方が間違っているとも思える。
「日蓮が弟子にせう房と申し、のと房といゐ、なごえの尼なんど申せし物どもは、よくふかく、心をくびゃうに、愚癡にして而も智者となのりしやつばらなりしかば、事のをこりし時、たよりをえておほくの人をおとせしなり。殿もせめをとされさせ給ふならば、するがにせうせう信ずるやうなる者も、又、信ぜんとおもふらん人々も、皆法華経をすつべし。さればこの甲斐国にも少々信ぜんと申す人々候へども、おぼろげならでは入れまいらせ候はぬにて候。」(上野殿御返事)
大聖人は、相当の幹部が退転していったことについて、諸御書において繰り返し言及せられている。そして、この御文では、幹部の退転は多くの後輩をも退転させることになる、であるから、まず、入信にあたっては本人が本当に入信を希望しているのかどうか見きわめ、まだ腹が決まらないうちは入信させない、これが退転者を出さないための第一歩になる、との仰せを拝する。ところが顕正会では、「おぼろげならでは入れまいらせ候はぬにて候」の御制誡に背いて、どんどん入信させちゃって、挙句の果ては退転者の続出である。で、もって、こうした退転者に罰を説く。こりゃ、だいぶん無理がある。ヘタすると、顕正会員こそ罰を受けかねない。
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