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顕正会の実態を検証する
223
:
犀角独歩
:2004/02/01(日) 11:14
219 ケンさん:
この点は戦前、日蓮主義でも大いに論じられた大問題であったわけでした。
簡潔に申し上げれば、蓮師が採用していた年代は、現在の研究成果から導き出された年限と500年のずれがあり、大集経の三時説からすれば、蓮師が生きた13世紀は、まだ像法時代であったということです。この点について、愕然として種々整合性を考えたのは石原完爾でしたか。
なお、わたしはさらに仏滅年代に、まだ二、三、問題点があると考えます。
一つには蓮師教学の場合、天台・伝教は自分たちが像法時代の師であると認識して、本師末法の出現を恋慕したなどとしますが、これは事実と相違します。
この点については高木豊師が簡潔に記していますので、それを紹介すれば充分でしょう。
「中国では正法500年、像法1000年を経て、末法に入るとされ、日本では正法・像法各1000年を経て、末法に入るとされた。したがって中国では552年、日本では1052(永承7)年が入末法の歳であった」(『日蓮』太田出版 P124)
「末法有太近」と中国人が言うとき、自分たちは末法の人との認識に基づいていたことになります。
次に、わたしが問題にしてきたのは、大集経と法華経の末法観は脈絡がないという点です。つまり、蓮師その他の末法観は、大集経と法華経を共に釈尊の真説であるという視点から同一者が述べたという前提なので、整合性を認めますが、これは牽強付会に過ぎません。
大集経では「次の五百年は我が法の中に於いて闘諍言訟して白法隠没せん」とありますが、これが法華経の末法観とは違います。何故ならば、法華経の末法観には三時観がないからです。この二つは別の思想系譜でしょう。やや想像を逞しくすれば、大集経は先頃世紀を跨ぐときに騒ぎになったミレニアム思想の影響に基づいて創作されたように見えます。
法華経の末法思想は言うまでもなく、薬王菩薩本事品に基づきます。
「宿王華、此の薬王菩薩本事品を以て汝に嘱累す。我が滅度の後後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶して悪魔・魔民・諸天・龍・夜叉・鳩槃荼等に其の便を得せしむることなかれ」
梵本では
「ナクシャトラ=ラージャ=サンクスミタ=アビジュニャよ、偉大なる志を持つ求法者(ぐほうしゃ)『サヴァサットヴァ=プリヤダルシャナの前世の因縁』の章(薬王菩薩本事品)が最後の時であり、最後の機会である最後の五十年の経過している間に、このジャンプ=ドゥヴィーパに行なわれて、消滅しないように、また魔王パーピーヤス(波旬)が襲撃の機会を得ず、悪魔の眷属や神や、竜、ヤクシャ、ガンダルヴァ、クンバーンダどもが襲撃の機会を与えないように、余はそれを汝に委ねよう」(『法華経・下』岩本訳、岩波文庫 P207)
つまり、法華経における末法広宣流布とは宿王華に属し、薬王菩薩本事品を釈尊滅後500年の間に広宣流布することを意味したものでした。大集経三時説とはなんら関係を認められません。
さらに梵本では釈尊滅後500年ではなく、50年であるとされる点も注視されます。この点は以前、議論の対象となった点でした。いずれにしても、ここで言われる500年(50年)は2000年を経た次の年を言うのではなく、釈尊滅後の日から500年(50年)を言うものです。敢えて大集経に当て嵌めても正法を言い、紀元前の話に属することになります。
本より、大集経が釈尊に由来するわけもなく、悠久の大地、絶えず流れるガンジス川に浴しながら時間経過の概念がないのがインド人の思惟といいます。そこで三時観があるとすれば、それはこの思惟法と違和を生じるでしょう。さらに言えば法華経における寿量仏は「常住此説法」なのであって、三時観がそこに看取できるはずはありません。
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