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顕正会の実態を検証する

207ガンコ:2004/01/31(土) 02:43

現役顕正会員による顕正会批判 その3

正本堂問題における先生の所論を一言で申せば、“正本堂は御遺命の戒壇にあらず”ということだろう。わずか二十数年で取り壊されてしまった、その現証だけを見るならば、やはり御遺命の戒壇ではなかったのだと思える。
「舎衛の三億」「広宣流布は終着点のない流れ自体」「法体の広宣流布が果実を結ぶ」「因に約すれば広宣流布」等々、これらの多くは池田大作氏の発言である。そして、これらに対して先生は、「デタラメ広宣流布である。つまり、広宣流布の定義を変更することによって、正本堂を正当化そうとの魂胆」(取意)と言う。
また、日達上人は「戒壇の御本尊のまします所は、いつでもどこでも事の戒壇である」と仰せになったそうであるが、これも先生に言わせれば「正本堂を正当化せんとして、事の戒壇の定義を変更してしまった」(取意)ということになる。
ご注意願いたいのは、わたくしはここで、創価学会や御宗門に議論をふっかけようとしているのではない、ということである。

広宣流布の定義を変更してしまった! 事の戒壇の定義を変更してしまった! かく言う浅井先生こそ、御遺命守護完結の定義を変更してしまったのではなかったか!!!
先生は自分の人生をかけて戦ったのではなかったか? 命を捨てる覚悟で戦ったのではなかったか? その戦いの完結という大事な局面において、わざわざその価値を、みずから低めてしまったのではあるまいか?

そして、先生自身じゅうぶん承知していることだが、御遺命守護の戦いとは、しょせんは序分の御奉公にすぎないのである。つまり、この先に待っているのが本格的な広宣流布の戦いなのであって、一応、その筋にのっとって本年より一国諌暁の戦いが開始されるわけである。しかし、わたくしは思うのである・・・序分の御奉公すら定義をまっとうできなかったではないか、いわんや、本格的な広宣流布などできようものか、と。

ちなみに、くだんの書きかえを行なった理由は、きわめて単純である。新加の十章で、御遺命守護が完結した意味の記述が出てくるから、旧版のままだとひじょうに困ることになるのである。再掲すれば「やがて御遺命守護完結のその日には、顕正会員こそこの捨身の御奉公によって、時の御法主上人より、晴れて御本尊の授与を賜わる資格を得るのである」とあって、すでに平成十年四月五日に御遺命守護が完結したとしている手前、整合性がとれなくなるわけである。敵対団体から矛盾をつかれるのを嫌ったのであろうか。しかし、かえってこのような書きかえは見苦しいと思う。もうちょっと、うまい書き方があったのではないだろうかと、悔やまれる。


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