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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

1管理者:2002/03/08(金) 16:52

ここから、このスレッドの過去レスを見る事が出来ます。

http://kamakura.cool.ne.jp/gomoyama/keijiban/gohonbutu.htm


スレッドテーマのご提案がありましたので、立ち上げます。

古来、日蓮大聖人様が御本仏である、というのは、大石寺、富士門流の根幹教義です。この教義について、幅広く、根源的な議論が展開される事を期待して、このスレッドを立ち上げます。

333無徳:2003/07/18(金) 19:57
藤波さん今晩は:

>私は釈尊を本仏として仰いでおりますので、釈尊の直説は法華経と断言
>します。

とのことですが、この釈尊とはいかなる存在でしょうか?

>原始仏教は方便の権教とみております。

このご意見との兼ね合いからすると、インド応誕のお釈迦さんの事の様に
思われますがそれで宜しいのでしょうか?

334愚鈍凡夫:2003/07/18(金) 20:56
横から割り込み失礼します。
ガンコさん引用の
「たとひ鉄囲山を日本国に引回し須弥山を蓋として十方世界の四天王を集めて波際に立て並べてふせがするとも法華経の敵となり教主釈尊より大事なる行者を法華経の第五の巻を以て日蓮が頭を打ち十巻共に引き散して散散に・たりし大禍は現当二世にのがれがたくこそ候はんずらめ」(「下山御消息」 学会版P363)

「月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり、月は光あきらかならず在世は但八年なり、日は光明月に勝れり五五百歳の長き闇を照すべき瑞相なり」(「諫暁八幡抄」 学会版P586)
以外で有名な文証は、

「日蓮無くば釈迦多宝十方の諸仏の未来記は当に大妄語なるべきなり」(「真言諸宗違目」 学会版P140)
「当世法華の三類の強敵なくば誰か仏説を信受せん日蓮なくば誰をか法華経の行者として仏語をたすけん」(「開目抄上」 学会版P203)
「智人南無妙法蓮華経と唱えば愚人の此れに随はんこと影と身と声と響とのごとくならん、日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし、これをもつてすいせよ漢土月支にも一閻浮提の内にも肩をならぶる者は有るべからず」(「撰時抄」 学会版P284)
「時を論ずれば末法の初め一定なり、然る間若し日蓮無くんば仏語は虚妄と成らん」(「顕仏未来記」 学会版P507)
「日蓮末法に出でずば仏は大妄語の人多宝十方の諸仏は大虚妄の証明なり、仏滅後二千二百三十余年が間一閻浮提の内に仏の御言を助けたる人但日蓮一人なり」(「聖人御難事」 学会版P1190)
といったところでしょうか。

「又日蓮が弟子となのるとも日蓮が判を持ざらん者をば御用いあるべからず」(「一谷入道御書」 P1330)
とありますから、

>また、日蓮大聖人御自身が本仏であると明言しない限り
>そして、それが文蹟として明確でなければ、日蓮本仏論は成立しないと
>考えております
との、藤波太郎さんの仰せの通りだと思います。

335無徳:2003/07/19(土) 00:28
愚鈍凡夫さん今晩は:

>>また、日蓮大聖人御自身が本仏であると明言しない限り
>>そして、それが文蹟として明確でなければ、日蓮本仏論は成立しないと
>>考えております
>との、藤波太郎さんの仰せの通りだと思います。

との事ですが、私は人本尊開顕の書とも言われる『開目抄』と『種種御振舞御書』
を、何度も何度も読むたびに日蓮御坊を末法(現在)における御本仏であると確信
せざるを得ないのです。

今もこのレスを書く前に3度『開目抄』を拝読させていただきました。

<今の世を見るに、日蓮より外の諸僧、たれの人か法華経につけて諸人に悪口罵詈
せられ、刀杖等を加へらるる者ある。日蓮なくば此の一偈の未来記は妄語となりぬ。
「悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲」と。又云く「白衣の与に法を説て世に恭敬
せらるること六通の羅漢の如し」。
此等の経文は、今の世の念仏者・禅宗・律宗等の法師なくば、世尊は又大妄語の人。
「常在大衆中 乃至向国王大臣 婆羅門居士等」、今の世の僧等、日蓮を讒奏して流
罪せずば此の経文むなし。
又云く「数数見擯出」等云云、日蓮法華経のゆへに度度ながされずば、数数の二字
いかんがせん。
此の二字は天台・伝教もいまだよみ給はず。況や余人をや。末法の始のしるし、恐怖
悪世中の金言のあふゆへに、但日蓮一人これをよめり。>

さらにあまりにも有名な

<詮ずるところは天もすて給へ、諸難にもあえ、身命を期とせん。
身子が六十劫の菩薩の行を退せし、乞眼の婆羅門の責を堪へざるゆへ。久遠大通の
者の三五の塵をふる、悪知識に値ふゆへなり。善に付け悪につけ、法華経をすつる
は地獄の業なるべし。

大願を立てん。日本国の位をゆづらむ、法華経をすてて観経等について後生をごせ
よ。父母の頚を刎ん、念仏申さずば。なんどの種種の大難出来すとも、智者に我義
やぶられずば用ひじとなり。其の外の大難、風の前の塵なるべし。

我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ、等とちかい
し願、やぶるべからず>

そして解釈に異説ありますが、

<日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり>

これらの御文は只事ではないと感じます。

336愚鈍凡夫:2003/07/19(土) 01:39
無徳さんどうも。レス有り難うございます。

蓮祖が世間から悪口罵詈され、諸難に遭った原因は、
「建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等が寺塔をば焼きはらいて彼等が頚を由比ヶ浜にて切らずば、日本国必ず滅ぶべしと申し候了ぬ」(「撰時抄」 学会版P287)
と、ことあるごとに宣布したことが直接の原因だと思います。
当時、人格者と謳われた人物たちを由比ヶ浜にて斬首せよと言うのですから、当然と言えば当然でしょう。
蓮祖も十分そのことは予想していたことだと思います。
幕府の注目を引き、その理由を糾させ、公場にてこれらの高僧たちと相見えることを望んでのことだったと思います。
「立正安国論」の冒頭に記述されているような、地獄絵さながらの様相に接するにつけ、仏法の正邪を糾すことが一切衆生の眼目を開く近道であると確信されたのでしょう。
福祉活動より優先すると判断されたのだと思います。
人の命の重さや、人権に対する認識が現代とは随分違いますね。

釈迦牟尼の本意は「法華経」にある。従って、「法華経」を信じなければならない。
そして、「寿量品の教主釈尊」こそ末法相応の本尊であるというのが蓮祖の主張ではなかったですか。

「我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ、等とちかいし願、やぶるべからず」(「開目抄下」 P232)
との文証は、釈迦牟尼と同じ想い、同じ決意で法華経流布を誓われた決意の現れと拝します。

とりあえず、おやすみなさい。

337藤波太郎:2003/07/19(土) 08:36
無徳様

私が申しますところの「本仏釈尊」とは、もちろんインド応現のお釈迦様の
ことです
大聖人の御書を拝する時「釈尊」と「釈迦」と分けられていますね
無徳様は、このことから
「いかなる存在」
とお尋ねであると思います

大聖人は、一応「釈尊」「釈迦」等、表現を分けられていますが
これは三世益物の図式を考える上で、あえてそう表現されたのだと
思われます
インド応現のお釈迦様は「迹仏」です
しかし、その「迹仏」たるお釈迦様はじつは「本仏」であるというのが真意であります
ここは娑婆世界です
娑婆に応現され法華経を説かれるのは「釈迦仏」のみでしょう
これが西方世界であるのなら「阿弥陀仏」が法華経を説くのです
ですから、西方世界においては本仏が「阿弥陀」であると解釈されるのでしょう

もちろんこれはこちらの解釈です
正宗からみれば何を言うかとお怒りをかうかもしれません
しかし、これが、こちらの解釈です
信仰の対象、教学の論理がずいぶん違うのですね
「おもしろい」
と言っては不謹慎かもしれませんが、いろいろな解釈があるものです

338無徳:2003/07/19(土) 16:05
愚鈍凡夫さんそして藤波太郎さん今日は:

皆さんは日蓮御坊が

<日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめながしてかきて候ぞ。信じさせ給へ。 仏の
御意は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし。>

とされた御本尊を“信”じてお題目を唱えられておられるのではないのでしょうか?
インド応誕のお釈迦さんや法華経の寿量品に説かれる久遠の本仏、つまり“釈尊”
とはどの様なお方をイメージなされますでしょう。

私にはインド応誕のお釈迦さんや法華経に説かれる釈尊では、具体的にも具象的に
もイメージが湧かないのです。南無妙法蓮華経たる御本尊に“信”を置き題目を唱
えるには、日蓮御坊の残された文言区々を思い出し、自分が描いた御坊のイメージ
を思い抱きながら題目を唱えています。

私が日蓮御坊を“本仏”と仰ぐ由縁も一重にそこにあるといって過言ではありません。

339愚鈍凡夫:2003/07/19(土) 16:54
>>338: 無徳さんへ

小生が「寿量品の教主釈尊」を末法相応の本尊といっているのは、蓮祖の真蹟遺文にそうあるからです。日蓮門下を名乗るのであれば、まず蓮祖がどういわれているかが重要なのではありませんか。

「正像二千年之間、小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士と為し、権大乗竝びに涅槃・法華経の迹門等の釈尊は文殊・普賢等を以て脇士と為す。此れ等の仏を正像に造り画けども未だ寿量の仏有さず。末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか」(「観心本尊抄」 昭定P712)
「一には日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし」(「報恩抄」 学会版P328)
「仏滅後二千二百二十余年今に寿量品の仏と肝要の五字とは流布せず、当時果報を論ずれば恐らくは伝教天台にも超え竜樹天親にも勝れたるか、文理無くんば大慢豈之に過んや」(「土木殿御返事」 学会版P963)

蓮祖が「寿量品の教主釈尊(本門の教主釈尊)」を本尊とすべしと言っている以上、日蓮門下としてそれに従うは道理だと思いますが・・・・・。
それに、曼荼羅本尊を「寿量品の教主釈尊」の内証と捉え、唱題するのに別に不都合はありませんよ。

引用されている文証の「経王殿御返事」は、古写本さえ存在しないのではないですか。

340日蓮:2003/07/19(土) 22:31
余は仏ではない!

341ガンコ:2003/07/20(日) 03:03
あ、だめだめ、そんなふざけちゃ。いろいろ質問されちゃいますよ、観心本尊抄の読み下し方とか。だいじょうぶですか?

342藤波太郎:2003/07/20(日) 11:57
無徳様 愚鈍凡夫様

無徳様と愚鈍凡夫様とでは随分見解が違うようですね
もちろん私とも違いますが

質問したいのですが
石山では
「日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし」(報恩抄)
の「釈尊」を「日蓮大聖人」であると解釈すると聞いたことがあります

愚鈍凡夫様のご意見を拝するに、これに該当しないようですが
いまの石山ではどのように解釈しているのでしょう

できれば教えて下さい

343愚鈍凡夫:2003/07/20(日) 13:53
>>342: 藤波太郎さんへ

小生は元創価学会員で、現在何処の教団にも所属していません。
昔、創価学会で習ったのは、
久遠元初に教主釈尊(本因妙の教主釈尊)に下種を受けたのにもかかわらず、不信謗法の故に成道できなかった衆生(本已有善)を化導するために出現したのが久遠実成の教主釈尊(本果妙の教主釈尊)です。
この本已有善の衆生は、正像二千年で全て成道し、久遠実成の教主釈尊の役目は終わります。末法に入ると衆生の機根が久遠元初と同じ本未有善になります。
この本未有善の衆生は釈迦仏とは無縁の衆生で、釈迦仏法では成道できないとします。
そこで、これらの衆生に下種するために久遠元初の教主釈尊が出現します。
この末法に出現する下種仏こそ日蓮大聖人であるとするのです。
こういうふうに習いました。

344インド放浪体験者:2003/07/20(日) 18:09
300番代以降は、皆様方の御論戦とても御参考になります。 さて視点を一寸かえましょうか、? 皆様方「仏教の古里であるかの地、一度くらいはインド訪問をお薦め」します。小生は20代〜50代に都合五度ほど現地インドを訪ねましたが、どうも「仏教でこそ済度されるべきカースト最下層の方々」が、未だに「バラモン教の流れを引くヒンズー教の厚く強靱?な壁?になす術も無く」苦悩のドンゾコに低迷する在り様を可視可能です。そこには「後五百歳未法の民を思った釈尊の魂は?」。「そこには、本未有善の方の済度など、片鱗すらも感知不可?」の絶望的な大衆があふれ「仏教無力?」=「衆生救済?」、などを体感して来た一人です、、。 しかし「今後、展望の開花の希望だけは持続」したいものです。

345藤波太郎:2003/07/21(月) 08:50
愚鈍凡夫様

ご教示ありがとうございます
もう少し、お聞きしたいのですが
ええと、とりあえず2点にします

1点目
「久遠元初」とは、いわゆる法華経説法よりさかのぼる五百億塵点劫のポイント
すなわち一時点を指すのでしょうか?それとも、五百億塵点劫より過去の時間を指すのでしょうか?

2点目
「久遠元初」の教主は、下種をもっぱらとするのですね。
いわゆる「種」「熟」「脱」の「種」を担う仏であるということ。
そこで、わからないのは、末法において「種」を担うのは「上行菩薩」
ではないのですか?
仏が再度この世に応現してしまうのですか?

以上2点、日蓮宗の一信者として疑問に感じてしまいました
私の無知に加え
宗旨もちがえば、解釈も違います
愚問かも知れませんが、是非教えて下さい

346ガンコ:2003/07/21(月) 10:48
愚鈍凡夫さん
>引用されている文証の「経王殿御返事」は、古写本さえ存在しないのではないですか。

わたくし、この御書が偽書だったら、イヤだなあ、と思っています。この御書が偽書だったら、もう、それだけで信仰の値打ちがなくなってしまうくらいに感じてしまいます。とりわけ大曼荼羅信仰者にとっては重要な御書であろうと思うのです。
愚鈍さんは偽書と断定されているわけではありませんが、どうなんでしょう、お考えをご披露ください。

重要な教義上の争点において、はなはだアヤシゲな御文を引用して、それでこと足れりとするものがいれば、それはまったくお話にならないことでありましょう。しかし、御真蹟ないし古写本がなくとも特に疑義のない御書においては、さしたる問題はないのではなかろうかと思うのです。わたくしは愚鈍凡夫さんほどには御書に精通していないので、可能であれば御書全編にわたって講義を賜わりたい、そして一々の御書の真偽を解説いただきたい、と贅沢な、わがままな、むちゃな、甘ったれた・・・考えを懐いております。
それは無理なおねがいでありましょうから、日々の議論のなかで、折にふれてご解説いただけたら、とってもうれしく思います。

好きな御書っていうのがたくさんあるのですが、
「信心強盛にして唯余念無く南無妙法蓮華経と唱へ奉れば凡身即仏身なり。」(本因妙抄)
こ、これが偽書だなんて、そんなバカな・・・。もう、これだけで信心やる気なくなっちゃうくらい、だ〜い好きな御書なんですけども、はなはだ弱ったものです。


あと、藤波太郎さんにご質問があります。
「三世益物」とはどういった意味なのでしょうか? 簡単にご説明ねがえませんか。(簡単にしか理解できない頭なので)

347ガンコ:2003/07/21(月) 14:49
「先日のまぼり暫時も身をはなさずたもち給へ。其の御本尊は正法・像法二時には習へる人だにもなし。ましてかき顕はし奉る事たえたり。」
「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし。」

経王殿御返事は能説・所説の関係において、じつに明瞭な御指南と拝するものであります。
すなわち、釈尊=法華経  日蓮=南無妙法蓮華経 ですが、もちろんイコールで結ぶかどうかに異論があるかもしれません。とりあえず、記号の問題はおきます。

「正法・像法には此の法門をひろめず、余経を失はじがためなり。今、末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし。但南無妙法蓮華経なるべし。」

いわゆる末法適時の御法門とは何か、この上野殿御返事においても明瞭であります。すなわち、
能説の教主=南無妙法蓮華経の法華経の行者たる日蓮大聖人
所説の法門=妙法五字の大曼荼羅

なんで所説の法門が曼荼羅なのかという問題はとりあえずおきます。ここで確認していただきたいのは、これらの御文は観心本尊抄のつぎの仰せに相当することであります。
「本門は序正流通倶に末法の始めを以て詮と為す。在世の本門と末法の初めは一同に純円なり。但し彼は脱、此は種なり。彼は一品二半、此は但題目の五字なり。」

在世の本門と末法の初めは一同に純円と仰せであるから勝劣を言うのは間違いなのかもしれません。ただし、彼は脱、此は種、彼は一品二半、此は但題目の五字との仰せは、所説の法門の異なることをもって能説の教主のちがいを仰せあそばしたものと考えられます。

しかし、寿量品の「常住此説法」を考え合わす時、能説の教主はあくまで釈尊一人であって、大聖人を能説の教主と言うのはどうか、大聖人はあくまで「仏の御使い」である、との説も有力であって悩ましいかぎりであります。

348旅の者:2003/07/21(月) 15:47
藤波太郎様、ガンコ様
インド放浪体験者様のレスはとても大切なレスですよ!
中近東、アジア、の悲惨さを知らずして仏教を語るとは、非常に残念な方々ですな!
以前から皆さんの意見を率直に拝見させていただいておりましたが、
所詮、日本人は井の中の蛙ですな!
100ドル位を持って働きながら中近東、アジアを旅してみたらいかがですかな?

349愚鈍凡夫:2003/07/21(月) 16:23
>>345: 藤波太郎さんへ

現在、小生は「日蓮本仏論者」ではないので考えが違うのですが、思考パターンを創価学会員当時に戻して考えてみたいと思います。
「日蓮本仏論者」の方々に間違いを指摘し、補足して頂ければと思います。

>「久遠元初」とは、いわゆる法華経説法よりさかのぼる五百億塵点劫のポイントすなわち一時点を指すのでしょうか?それとも、五百億塵点劫より過去の時間を指すのでしょうか?

「久遠元初」とは、「久遠実成」の当初(そのかみ)、即ち久遠実成以前を指しています。
一応、時間に約して論ずれば、生命の始まり(宇宙の始まり)の時を言うようです。違う言い方をすれば、久遠実成の教主釈尊の本因の時と言えるでしょうか。
而して、創価学会での解釈は、
「御義口伝に云く此の品の所詮は久遠実成なり久遠とははたらかさずつくろわずもとの侭と云う義なり」(「御義口伝下」 学会版P759)
との文証を引用して、無始無終の生命本来の姿を「久遠元初」というと結論づけています。

>「久遠元初」の教主は、下種をもっぱらとするのですね。
>いわゆる「種」「熟」「脱」の「種」を担う仏であるということ。
>そこで、わからないのは、末法において「種」を担うのは「上行菩薩」
>ではないのですか?
>仏が再度この世に応現してしまうのですか?

ええとこ突きはりまんなぁ(ワシが言いたいわ)。
気持ちを取り直して、

此の三大秘法は二千余年の当初地涌千界の上首として日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり、今日蓮が所行は霊鷲山の稟承に芥爾計りの相違なき色も替らぬ寿量品の事の三大事なり」(「三大秘法禀承事」 学会版P1023)
「法華経の会座に登場する上行菩薩は、「久遠元初の教主釈尊」の垂迹であると解釈します。
法華経の会座では、上行菩薩として登場し、末法では日蓮という凡夫の姿で現れる。
而して、その本地は「久遠元初の教主釈尊」であるというのが創価学会の解釈です。

350愚鈍凡夫:2003/07/21(月) 16:56
>>346: ガンコさんへ。

小生は、御書に精通などしていませんよ。
昔は、御書全集(学会版)を通読する度にボールペンの赤い線の数が増えていったものですが、最近はインターネットの発達で、御書全集もダウンロードできる時代になりましたので、学会版、正宗版、日蓮宗版と三種類をパソコンに入れて、双方読み比べなどをしながら研鑚しています。

「経王殿御返事(報四條氏書)」に関する資料はまったく持っていません。しかし、パソコンの御書のデータベースを検索すると、古写本すら存在しないようです。経王のみならず、月満に宛てられた手紙も偽書と扱われていますね。
創価学会時代感銘を受けた一節を含む遺文が、調べていくうちに悉く偽書であると分かった時のショックは大きかったです。
見方を変えれば、確かにガンコさんが仰る通り法門上不都合がなければ偽書扱いの遺文でも引用しても良いのかも知れませんが、個人的にやはり抵抗があります。
それは、果たしてこの遺文は蓮祖の考えを本当に反映しているのだろうかという疑問が湧いてくるからです。

351ガンコ:2003/07/21(月) 17:17

>経王のみならず、月満に宛てられた手紙も偽書と扱われていますね。

扱われているというのは、日蓮宗において、ですか?

352藤波太郎:2003/07/21(月) 17:30
旅の者様

ご指摘ありがとうございます
おっしゃる通りかもしれません

私は、インド放浪体験者様の言葉から
日本山妙法寺僧伽のことを想いました
団扇大請一本で、世界各国を歩く人々

本門の本尊
本門の戒壇
本門の題目

あの人たち(日本山妙法寺僧伽)は、すべて団扇太鼓一本で、お題目を唱え
すべての答えを出していると思えてなりません
そして、多くの人が救われていることです

私はたしかに「井の中の蛙」です
なんびとをも救いえぬ自己をただ恥じるばかりです

ただ、いたずらに戯論を重ねているのではないことはご理解下さい
旅に出る勇気もない無力な者が、それでも信仰の道を探して
自己内の矛盾を言語化しているのです

イラク戦争の時、「人間の盾」として戦地にとどまった日本人がいました
私は、あの人たちのことを想うと、何も言葉を発することが出来なくなります

353愚鈍凡夫:2003/07/21(月) 18:08
>>351: ガンコさんへ

仰る通り小生の御書のデータベースは、日蓮宗の資料を基にしています。
日蓮正宗側の資料で、「経王御前御書」、「経王殿御返事(報四條氏書)」、「月満御前御書」が真蹟であるとの資料に心当たりは御座いませんでしょうか。
特に「経王殿御返事(報四條氏書)」は昔、個人的に感銘を受けました。
故に、ガンコさんの気持ちは良く分かります。

354ガンコ:2003/07/21(月) 18:52
御書の真偽についてはまったく疎いものですから、何も存じ上げません。

すでにご承知かもしれませんが、わたくしの手元にあります平成新編日蓮大聖人御書の発刊の辞と例言を一部書き写します。

「その二は、御書の真偽に関する判定基準を、宗門伝統の教義信条並びに宗祖大聖人御遺文の教義綱格の基本的標準的見地その他種々の要素より検討し、全体的に適正と信ずべき成果を得たことである。」(発刊の辞)

「本御書の編纂会に真偽検討委員会を設け、過去に疑義ありとされた御書一四七篇について、五十五回に亘る審議によって厳正な検討を加え、真書・偽書・真偽未決に判別し、たとえ行学増進に役立つと思われる書でも偽書は不収録とした。」(例言)

そのうちの三十二書を偽書と判定し、十七書を真偽未決として、不収録としたとのことです。
おそらく日蓮宗側から見れば、真偽に甘い、ということなのかもしれません。
なお弱ったことには、わが顕正会では大石寺ですら掲載しない十七書のうちのいくつかを「折伏理論書」等に載せているのです。
顕正会はなんにも考えていない?のかもしれません。

そういうわけで、わたくしはなんにも知らないのです。

355孤独な迷子:2003/07/21(月) 22:01
藤波太郎さん

はじめまして。孤独な迷子と申します。よろしくお願いします。

>あの人たち(日本山妙法寺僧伽)は、すべて団扇太鼓一本で、お題目を唱え
すべての答えを出していると思えてなりません
そして、多くの人が救われていることです

「多くの人が救われている」について、もう少し説明していただければ幸いです。

356藤波太郎:2003/07/22(火) 13:35
孤独な迷子様

日本山妙法寺のお坊さん、あの有名な藤井日達上人を中心として
「西天開教」すべく海を渡りました
私は戦争を体験したことがありません
だから、これは聞いた話ですが
日本山のお坊さんは、わざわざ戦地におもむいて、お題目を唱え
「平和」を訴えているということです

日本における、いわゆる戦前・戦中・戦後の時代を通して

戦場には兵士ばかりではなく、非武装の民間人が多く巻き込まれています
日本山のお坊さんたちは、銃口の前に立ち、多くの民間人を救っているそうです
見ず知らずの人を助ける為に
銃口の前に立ち、お題目を唱える

いったいどんな気持ちでしょう
私は、このことを想うと、自己の日常がとても恥ずかしくなるのです

357ジャージルーカス:2003/07/22(火) 15:09
> 日本山のお坊さんは、わざわざ戦地におもむいて、お題目を唱え
>「平和」を訴えているということです

法の正邪は別にして、これはすばらしい行いだと思います。
これは浄土宗の中にも、日蓮宗の中にも、キリスト教の中にも個人的にそのような行いはあったとは聞いております。
顕正会の会長あたりだと「世間の浅き事に命をかけた」等と言いすてそうですが、私は賛美します。

私は個人的には「大東亜戦争肯定論者」ですから、戦争の正邪にすいては、ここでは控えておきます。
しかし最近でも、例の同時多発テロの時に、アフガンへ乗り込み、民間人へ供給をした「右翼結社日本青年社」のような例もあります(及ばずながら私も物資は供給しましたが)。
またその中には、右翼結社の中の日蓮正宗信徒もたくさん参加しており、その所属寺院から金銭的援助も受けたそうです。

358孤独な迷子:2003/07/22(火) 22:16
藤波太郎様

>日本山のお坊さんたちは、銃口の前に立ち、多くの民間人を救っているそうです
見ず知らずの人を助ける為に
銃口の前に立ち、お題目を唱える

お題目を唱えるお坊さん方の中にも、そのようなお坊さん方もいるのですね。初めて知りました。

有難うございました。

359愚鈍凡夫:2003/07/22(火) 23:27
>>356:藤波太郎さんへ

>見ず知らずの人を助ける為に
>銃口の前に立ち、お題目を唱える

その昔、日蓮門下の僧侶たちが命を張って弘教した話はよく聞きましたが(日親師・日典師・日経師など)、現代でもこのような方々がいらっしゃるのですね。
強い信念があれば、相手の"人差し指"に自分の命を委ねることができるものなのですね。

360アネモネ:2003/07/23(水) 10:59
聞きかじりの内容で恐縮ですが…
近年の実践的思想家として尊敬されるひとりに、インド独立運動の指導者マハトマ・ガンジーがあげられますが、日本山妙法寺の人々の行動はガンジーに深く愛され、非暴力・不服従という思想行動は、互いに深く影響を与えあっていたといわれていますね。
学ぶべき姿勢がたくさんあるように思われます。

組織拡大という目先の目的達成などではなく、排他精神や独善性を克服した真に平和目的のための実践的救済活動は、宗教の違いや国の違いを超えて非常に尊い姿として広く感銘を受けるものですね。それこそ生きる勇気を与えるものでしょう。
日蓮の過激に強い信念体系とは、このような形で現代に生かされてくことが最も望ましいといえるのかもしれません。

日蓮正宗では、自分とは関係のない人のために祈るということは全くといっていいほどなかったと思います。人のために祈るどころか、敵対する人たちの不幸を祈るような唱題が行われてもいたところなど、信仰者として非常に恥ずべき姿であったと思われます。
また組織に関する裁判勝訴のために四六時中唱題会が行われることはあっても、世界のどこかで理不尽な戦争に巻き込まれ被害を受け悲しんでいる人々のために、心を合わせた唱題をするようなことは、組織内でただの一度も経験したことはありませんでした
そのような姿からして、この信心が正しいなどといえるものではないと、いつも感じてきました。

しかし、日本山妙法寺の行動には人の為に祈るという非常に尊い姿がみてとれますね。しかも祈るだけに留まらず、実践的に救済につながる行動をしている姿は、本当に敬服するものです。

私は、今となっては日蓮が本仏であるか否かということよりも、むしろ日蓮を師として現代に連なる者が、現実社会の中でどのような思想をもって振舞い、そしてどのような社会的実践行動をとっていくのか、そちらのほうに関心がいきますね。
またその姿に宗教としての真価や、信仰者としての評価が問われるような気がするものです。

361展望 期待人:2003/07/23(水) 19:46
アネモネ様:>日蓮を師として、現代に連なる者が、現代社会の中でどのような、、振る舞い、、社会的実践行動をとっていくのか、、。御同感いたします。 時に(株)花王では先日「全社員に”指針反して利益を求めず”との誓約書」の提出を決定しました。冊子には「会社の利益の為という動機でも、また上司の指示があっても”法律や倫理に反する行為”は許容しない(コンプライアンス=法令順守)」と明記されましたようです。 世の中も動き出しました。http://www.kao.co.jp/comp/bcg/index.html

362アネモネ:2003/07/24(木) 08:55
展望 期待人 さん

レスありがとうございます。

>冊子には「会社の利益の為という動機でも、また上司の指示があっても”法律や倫理に反する行為”は許容しない(コンプライアンス=法令順守)」と明記されましたようです。 

ここ数年、三菱自動車のリコール問題や、雪印の事件など、企業の不祥事が数多く表沙汰になりましたね。企業における組織の論理で利益追求のみを考えてきた皺寄せが、平成大不況のこの時期にダブルパンチとなって襲ってきたといえますね。それら企業に共通していえることは、企業ブランドに胡座をかいてお客様本位の立場を忘れていたということ、組織ぐるみで不祥事を隠蔽しようとしていたところ、そして不祥事に対する責任の所在が不明であるということではないでしょうか。
しかし、このようなことが発覚すれば、企業の社会的信頼は地に落ちますね。胡座をかいていたブランドイメージも幻と消えます。
再び消費者から真の信頼を取り戻すためには、組織の論理を乗り越えて、個々の社員ひとりひとりが責任をもって仕事に取り組むことから始まるわけですね。
たとえ上からの命令であっても、それが良識的な命令といえるのかどうかは、個々の「自分」が理性的に判断していくことが求められてきているわけですね。とても発展的な決断といえます。

宗教組織も同じだと思います。いや本来、宗教こそそのような自己確立が求められるべきはずです。世間法の上に仏法があるというなら、社会に先んじて宗教組織は変わっていかなければならないはずです。

確信をもって社会に向けて信仰を語りながら、その広めている信仰に対する責任は組織丸ごといたって希薄であることは否めません。それは組織全体の「責任感の喪失」という社会的問題でもあるとの視点から、別の掲示板で「信仰者の信仰責任」というテーマで議論を試みております。よろしかったらご閲覧ください。
http://jbbs.shitaraba.com/study/3050/pundarika.html

363藤波太郎:2003/07/24(木) 10:04
愚鈍凡夫様

349
丁重なるレスありがとうございます
返信遅くなり申し訳ございません

おっしゃる内容は、私なりに理解できたと思います
日蓮本仏論は、「教」「機」「時」「国」「序(教法流布の前後)師」
いわゆる五義に照らして、よくよく考えられて構築された教義ですね
とても納得させられてしまいます

日蓮宗では五百億塵点劫は「たとえ」であり当然「久遠元初」という「時」は
存在しません
しかし、もし「たとえ」でなかったとすれば…
もしかしたら日蓮本仏論が正しいのではないかと考えさせられました

おちついて耳を傾ければ、正宗と日蓮宗は教義の上で決して水と油ではないと
思います
御書それも真筆として間違いないところを基とすれば、それは当然の結果かと思います

364孤独な迷子:2003/07/24(木) 12:56
アネモネさん

他のスレッドでレスを頂いていたのに返レスが間に合わなくなってすみませんでした。

気分を害されているのではと気になっておりますが、その点お詫びします。


>しかし、日本山妙法寺の行動には人の為に祈るという非常に尊い姿がみてとれますね。しか
も祈るだけに留まらず、実践的に救済につながる行動をしている姿は、本当に敬服するものです。

このような姿は、たとえ信仰を持っていない人たちが見ても感銘を受けるのではないかと思います。
同じ日蓮を信奉する宗派でありながら、このような違いが生ずるのは何故なのでしょうか?

365藤波太郎:2003/07/24(木) 17:38
ガンコ様

346にて「三世益物」についてお尋ねであったと思います
すみません、遅くなって

「三世」(さんぜ)とは「過去」「現在」「未来」の三世
「益物」(やくもつ)とは「物」=衆生を「利益」することを意味します
「三世にわたる本仏の衆生済度」ということですね

たしか、天台の法華経解釈の特色だったと思います
(自信がなくてごめんなさい)

「過去益物」
久遠下種→インド応現までの説法
「現在益物」
インド応現→インド入滅までの説法
「未来益物」
インド入滅→永遠の未来にいたる説法

この三世益物を総括しているのは、もちろん本仏(あえて釈尊とも大聖人とも記しません)
しかし、ご存知の通り本仏が直接化導するのは久遠下種のみで
あとは迹仏、末法に入れば本化菩薩が化導を担うことがプログラムされているわけです
おっと、正宗では「久遠下種」とは言わないのでしょうか?
「久遠元初」があるわけですからね

日蓮大聖人は、この「三世益物」の図式をかんがみられ、自らを
末法応現の本化上行と自覚されたわけです

勝手に申しましたが、違っていたら、誰かご指摘&ご教示下さい

366MILD SEVEN:2003/07/25(金) 04:47
僕の別サイトのホームページに、ある方が投稿してくれたもの。

<日本仏教の危機>

日本仏教は多くの祖師方によって 中国伝来の仏教を日本人の思考 行動に適合するよう変容し きわめて個性的仏教を開拓されてきました。
祖師方のどなたをみても その仏法にたいする造詣の深さ 仏法受容の創造性には驚嘆するばかりです。
今日にいたるも その精神は脈々と息づいていることは尊いことです。
しかし日本仏教にとって残念なことは 仏教をおこされた仏陀釈尊にたいする尊敬の念が祖師方の強烈なイメージによって打ち消されてしまっているということです。
これは世界宗教の上でも驚くべきことであり奇異なことです。
それに加えて 今日の仏教は時代とともに俗化され その力はしだいにおとろえ 社会への影響力も弱くなってきております。
したがってもはや既成宗派宗団のなかでは 仏教の回復はほとんど不可能です。
今日ほど日本仏教が力を失い その形骸をむさぼっている時代はありません。
日本仏教がいきづまったということは 宗派仏教のアカが全体に通ずる血管をふさいでしまっているからです。
それと同時に日本人自身の価値観が大きく変化して 従来の日本仏教の布教の在り方 教えの内容にさえ そのままでは適応できなくなってしまったのです。
したがって仏教の起死回生をはかるためには はるかなる仏教の根源にもどり もう一度そこを出発点として再スタートしなければならないとおもいます。
つまり仏陀釈尊の教えに回帰することです。
宗派があって仏法があるのではありません。
仏陀がおられて宗派があるのです。
それに加えて 現代は人類の歴史にとって 今まで経験したことのない大きな転換期にさしかかっていることは論をまつまでもありません。今までの価値観ではとうてい適応できず まったく役にたたなくなつています。
たとえば「進歩することはいいことだ」「拡大することは強くなることだ」という従来の価値観に人間は疑問をもちはじめています。
大量生産、大量消費という豊かさの拡大によって 人間は物質的にも精神的にも 処理できないほどの巨大ゴミを作ってしまいました。
この巨大なゴミ(マイナスエネルギー)をどうすべきか もう一度立ちどまって 内面を重視する東洋の叡智に学ぶべきではないかと思います。その意味でも仏陀釈尊の教えとその実践には これから人類のすすむべき在り方を暗示する貴重な教えが内在しているといえます。
仏教という宗教は たんに信仰や宗教文化という面ばかりではなく きわめて哲学的造力をもっているということです。
このような意味でも また世界思想の上でも仏陀の教えはおおきく貢献できる時代が到来したといえます。
そのためには世界に通用する仏教でなければなりません。
それは純粋に仏陀釈尊ご自身の教えそのものにほかなりません。
仏陀の行なった瞑想を だれでも実践可能な仕方で実行していかねばなりません。
仏陀の教えは瞑想によって 本物の自分を発見する道を開かれたのです。
自分が発見できれば、生命の本質も、生きることのいみも、すべて悟ることができま
す。

            ・・・・・・

<僕の返信>

ご丁寧な投稿ありがとうございます。

私はキリスト教徒ですが、仏教の慈悲は尊敬に値するものと感じています。・・・失礼な言い方なら、お赦し下さい。

良い競争相手は必要です。
お互いに。

全日本仏教会との連携は考えています。
行動は開始しています。

          ・・・・・・・・・・・

>法華経の虚空会の儀式における「従地涌出品」。釈尊の呼びかけに応えて、大地から無数の地涌の菩薩が出現する。その出現に驚いた弥勒菩薩が、釈尊に意義を問う。<

本当の実力者は謙遜を心得ているはずです。
世界でも、もちろん。
これからが楽しみですね!
出て来るかな!?

創価の策略で無き事を!

http://www3.ezbbs.net/14/g9okm/

367ガンコ:2003/07/25(金) 07:27
藤波さん、どうもです。

三世益物について、わかりやすいご教示を賜わりました。
久遠下種というのは正宗でも使うと思います。ただ、意味の取り方に違いがあるんだと思います。
大聖人は上行菩薩であられる。これも正宗で言うと思います。
末法においては上行菩薩が下種をするということが御書に説かれています。
ようは経文の説相に準じて上行菩薩、内証を久遠元初の御本仏と拝するわけです。
非情に難しいところなので、わたくしは簡単に、ほんらい下種というのは仏さまがなされることであろうから上行菩薩というのは本当は仏さまにちがいない、と考えています。
自受用身とか無作の三身とか正宗では言いますが、言葉は知っているけど意味はよくわかってないです。

時に藤波さん、
>日蓮宗では五百億塵点劫は「たとえ」であり当然「久遠元初」という「時」は存在しません

これはどういうことですか? 久遠元初はおくとして、久遠下種は「たとえ」なのですか?
それとも寿量品の示すごとく、釈尊は久遠の昔に成道を遂げたがそれを表現することの困難を意味しているのでしょうか?
「然善男子。我実成仏已来。無量無辺百千万億那由他劫。譬如・・・」
この「譬如」以下を「たとえ」というならそうでしょうけど、久遠実成そのものを「たとえ」というならまったく意味が違ってくると思うのです。
もっとも日蓮宗は広いですから、学者によっても意見がまちまちなのでしょうけど。

368藤波太郎:2003/07/25(金) 12:10
ガンコ様

「五百億塵点劫」が「たとえ」というのは、その数値が測定不能であるという日蓮宗の解釈です
「五百億塵点劫」は実数値ですが「久遠」は「たとえ」であり実数値ではないでしょう
その違いを私は言いたかったのです

たとえば「久遠実成」すなわち本仏がおさとりになった瞬間を見ようとして、タイムマシンでさかのぼったとしても
永遠にその瞬間にはたどりつきません
「五百億塵点劫」ですと、遠い昔ではあるけれども、具体的数値ですから
そのポイントには必ずたどりつくでしょう

「本仏」とは本来仏であるが故に「本仏」というのですよね
ならばさとった瞬間があっては太古の「始覚仏」です
正宗では、「五百億塵点劫」より過去に「久遠元初」をおきます
私の理解では、この「久遠元初」が永遠=「久遠」なのかな、と
思っていますが

369アネモネ:2003/07/25(金) 13:28
議論が進んでいる中、横レスを失礼いたします。

孤独な迷子さん

>364
>気分を害されているのではと気になっておりますが、その点お詫びします。

とんでもない。そんなことを気になさっていらしたのですか。全然です。
いつも、孤独な迷子さんの発する質問の着眼点に感心していたくらいです。

>同じ日蓮を信奉する宗派でありながら、このような違いが生ずるのは何故なのでしょうか?

私もずっと考えてきたことですね。pundarikaの掲示板における議論の試みも、このような疑問から起きているといえます。
私が見てきた法華講のみをもって、それが日蓮正宗の姿だと言い切ることはできませんので、一概にこうだとは比べられないかもしれませんが、ただひとついえることは、信仰者の目線の違いではないかと私なりには思っています。
正宗は往々にしてその目線が社会や衆生に向いていない、むしろ背を向け、ただただ御本尊にだけ視線が向けられている、そんな形に思えますね。時に社会に目線を向けたとしても、謗法、邪教、邪義…とただ蔑視して片付けてしまう思考が身についてしまっていますね。
私には、そのような不信者への蔑視こそ、その心根の姿として映るところでもあり、とても真の仏教徒の姿とは思えないところです。

まあ、こうして書きながら思うことは、仏教で説かれているはずの慈悲が忘れられているからかもしれませんね。
社会や衆生に背を向けてしまうことそのものが、慈悲を忘れた姿といえるかもしれません。

考えてもみれば、信徒は慈悲についての指導はされていないといえますね。折伏活動が慈悲の行為と摩り替えられているわけですから当然のことかもしれません。しかし折伏が慈悲の行為だとは、今の私にはとても思えなくなってしまいました。
まだまだこれだという考えはまとまらず、尽きないのですが、これからも思慮を続けていきたいと思うテーマですね。

370ガンコ:2003/07/25(金) 18:11
>たとえば「久遠実成」すなわち本仏がおさとりになった瞬間を見ようとして、タイムマシンでさかのぼったとしても永遠にその瞬間にはたどりつきません
>さとった瞬間があっては太古の「始覚仏」です

これは、ものすごくわかりやすいですね。
どうもありがとうございました。

う〜ん、しかし、なんだろう? じぶん達はいったいそこから何をつかむことができるのだろうか?
気の遠くなる話であって、もうこうなると大聖人が本仏だろうが釈尊が本仏だろうがどっちでもいいや、って気分になってきました。

371無常の者、、。:2003/07/25(金) 23:39
No.348::旅の者様: <中近東、アジアの悲惨さ、、、>。 全く同感いたします、。 小生、昨今欧州からインド経由で帰国した一某社員です。 乗り継ぎ合間にVaranasi市を訪問しました。 ガンジス川がユッタリ流れ、その中「下流では半焼きの死体が漂流」してました、。 そのまた下流では、野犬が「半腐乱死体をツイバン」でいました、。 死後も「仏陀にも見放されたカースト最下層者」方らは「ろくに火葬もされなく、流される様です、」。この有様には仰天です。 皆様「一見のほどを、、!!!」 。。

372無徳:2003/07/26(土) 00:30
藤波太郎さん今晩は:

>「本仏」とは本来仏であるが故に「本仏」というのですよね
>ならばさとった瞬間があっては太古の「始覚仏」です
>正宗では、「五百億塵点劫」より過去に「久遠元初」をおきます
>私の理解では、この「久遠元初」が永遠=「久遠」なのかな、と
>思っていますが

との事ですが、「観心本尊抄」や「法華真言勝劣事」には“無始
の古仏”とありますがどの様に理解されますでしょうか?

確かに正宗では“久遠元初”を無始無終の永遠と解釈しています。
しかし、“久遠即末法”として久遠を今に移すといった解釈もあ
ります。

「南条兵衛七郎殿御書」には<久遠下種の者の五百塵点を経し事>
とあり、真蹟は有りませんが「船守弥三郎許御書」には<過去久遠
五百塵点のそのかみ(当初)唯我一人の教主釈尊とは我等衆生の事な
り>とあります。

更に、「曽谷入道等許御書」には<久遠大通の時に於て純円の種を
下せしかども>ともあり久遠を“下種”の時としています。

これらからの事から、久遠即末法として久遠は今にありと解釈さ
れていると思われますが、藤波さんはどのようにお考えになりま
すでしょう。

373愚鈍凡夫:2003/07/26(土) 11:22
>>363: 藤波太郎さんへ

あっ、どうも。
私見を交えずに「日蓮本仏論」の概略を述べたつもりです。
少しでもお役に立てれば幸いです。
同じ日蓮門下で、それぞれ解釈が違うのは何故なのか、
その違いについての相互理解が進むといいですね。

374旅の者:2003/07/27(日) 00:16
無常の者さま
はじめまして、あなたも体験されましたか、
海外生活が多いとびっくりさせられ事が多いですね
このページの方々は『ある意味りっぱな方ですから』が多いですから、
無常の者さまも退散をお勧めします、
では退散させていただきます。

375ガンコ:2003/07/27(日) 05:57

本尊問答抄は曼荼羅正意か?

先般、法華経の題目を本尊とするわけだから、それは大聖人の御文字御本尊であろうと短絡的意見を述べた際、その根拠は何かと問われて返答に窮してしまいました。
なんのことだかわからない人もいるでしょうから簡単に説明すると、われわれ正宗信徒は御文字の御本尊全体が大聖人の御生命であると教わるものですから、本尊問答抄を拝すると直ちに妙法五字の大曼荼羅を想像するけれども、あくまで想像であって直接の脈絡は見出せない、もし百歩譲っても御曼荼羅の中央・南無妙法蓮華経(ないし釈迦多宝、あるいは四菩薩も含まれるか)が相当するのであって曼荼羅全体ではない、とする考え方があるのでした。
もっと融通のきかない言い方をすれば“法華経の題目とあるのだから法華経の題目なんだよ、まあ曼荼羅にも題目が書かれているから一応本尊になり得るけど”みたいな感じです。いや、これは誰が言ったということではなくて、過去の議論をずっと見ていくと大体こんな印象を受けるのです。
ここは単に本尊論ではなくて本仏論が裏に隠れている、種脱勝劣の問題が隠れていると思えます。
「今、末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし。但南無妙法蓮華経なるべし。」
もちろん、読み方しだいで見解が違ってくるのでありましょう。末法においては法華経すら必要ないのであるから当然法華経の教主も要らない、つまり末法には下種の法華経が弘まる、それが日蓮大聖人の仏法であり大聖人こそ下種の法主・・・云々と。こうなると大聖人がたましひを墨に染めながして顕はし給うた御文字御本尊と仏像では明らかに勝劣があることになる。まさしく本尊論と本仏論は表裏一体の関係にあると言えるのではないでしょうか。
ゆえに、何を本尊とするかで本仏論の答えも自ずと決まってくると、わたくしは考えています。

まず、法華経の題目を本尊とすることは非常にいやらしい、と申し上げなければなりません。すでに多くの人がご指摘になっているかと思うのですが、まさに本門の題目との重複であります。
「問うて云はく、如来滅後二千余年に竜樹・天親・天台・伝教の残したまへる所の秘法何物ぞや。答へて曰く、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり。」
この法華取要抄の理路整然たる御表現を、大聖人御自らわざわざ美観を損ねるような、そんなことをあそばすであろうか? こうした理由もあってか、本尊問答抄を疑うむきもあるようです。
しかし、生意気なようですが、わたくしの拝したかぎりではあやしいところは見出せません。いやらしいけど、あやしくはない、と思います。
「第一に本尊は法華経八巻・一巻・一品、或は題目を書きて本尊と定むべし」(唱法華題目抄)
「其の本尊の為体、本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏・・・」(観心本尊抄)
「法華経の題目を以て本尊とすべし」(本尊問答抄)
これらの御文は年代が異なるから当然こまかい点において違いがありましょう。しかし、共通して題目を本尊としているように拝せます。ゆえにあやしいところはないのですが、法華取要抄を三大秘法の名目開示の御書とするならば、それ以後の御書において“題目を本尊とする”という表現はなんともいやらしいと言わざるを得ません。
つまり、大聖人はこれらのことを御承知のうえ、あえて本尊問答抄を著されたと思われるのです。
わざわざ取要抄の整然たる御表現を冒してまでも伝えたかったことがあられた! それはいったいなんであろうか? こうした観点で拝読していくと、「法華経の行者の正意」すなわち日蓮大聖人の御本意をしかと拝せるように思うのです。

376ガンコ:2003/07/27(日) 06:03

日蓮大聖人は釈迦宗の中興の祖か?

本宗における中興の祖といえば、日有上人、日寛上人等であることは、おそらく誰もが知っていることでありましょう。
もちろん宗祖=元祖は日蓮大聖人ですが、皆さんご存知のように「日蓮は何れの宗の元祖にもあらず、又末葉にもあらず。」(妙密上人御消息)との仰せがあります。
この御文を字句どおりに受け取るならば、「宗祖日蓮大聖人」と呼び奉ることは適切ではないことになると思います。ちなみにわたくしは顕正会で、“宗祖”という表現をまず聞いたためしがありません。理由は定かではありませんが、おそらく「久遠元始の天上天下唯我独尊は日蓮是なり」(百六箇抄)ですから、一宗一派の元祖などという小さな存在ではない、ということかと思われます。そして、何れの(釈尊の)末葉にもあらず、というのが文底読みの極致といえましょうか。
もちろん反論がありましょう。一般的にはどのように解釈されているのか知りませんのでご教示願いたいところですが、おそらく大聖人は当時の既存の宗教をひとつとして認めなかった、つまり正統派を自覚する大聖人にとって諸宗の元祖と同一に論じられることは屈辱であり、いわんや既存の八宗十宗の末流に列なるわけなどあろうはずもない、といったところでしょうか。そこに顕仏未来記の末文、「安州の日蓮は恐らくは三師に相承し法華宗を助けて末法に流通せん。三に一を加へて三国四師と号づく。」の意味が生きてくるように思われます。
日蓮本仏論者はとかく御書の文々句々をひねくり回して、なんとかして大聖人を釈尊より偉くしようとするわけですが、上の妙密上人御消息からその義を読み取るのはかなり困難でありましょう。ただし、わたくしの個人的な感想ですが、大聖人は上行菩薩の御自覚にあらせられる・・・いわゆる行間にそれがにじみ出ている・・・と拝するものであります。
さて、三国四師というと四人が肩を並べているようにも思われますが、「天台大師は釈迦に信順し・・・」とあることから、あくまで本師は釈迦如来となりましょうか。ちなみにこの顕仏未来記においても、大聖人は相当の御自覚を吐露せられている、とわたくしは思うものであります。
いよいよ本題に入ります。
釈尊、天台、伝教、日蓮、という正統仏法の系譜を見るに、天台、伝教、日蓮はいわゆる釈迦宗の中興の祖という位置付けになるのでしょうか? もちろん、こうした概念が一般的に流通しているかどうかではなく、大聖人の御自覚としてどうかという意味であります。もし日蓮大聖人が釈迦宗の中興の祖であられるのであれば、大聖人を信仰の対象にすることは間違いとなりましょう。なぜならば、説明の必要もないことですが、わたくし達は一度たりとも日有上人、日寛上人等を・・・恐れながら日顕上人も含めまして、たった一度たりとも歴代上人を信仰の対象にすることはなかったはずであります。
つまり、大聖人は天台、伝教とともに釈尊に信順して法華宗を助ける立場にあるのだから信仰の対象ではない、そして厳密には宗祖と呼ぶのも不適切であるし日蓮宗・日蓮正宗のように“日蓮”を冠するのも不適切・・・ということになりましょう。日蓮宗→法華宗、日蓮正宗→法華正宗。法華宗はいいけど、法華正宗ってなんだかとってもヘンです。釈迦宗、釈尊宗はもっとヘンですけどね。
このさい名前はどうでもいいのです。釈迦宗の本尊は何か? これが問題なのであります。釈迦宗だからといって、釈迦を本尊にしてはならない、法華経を本尊としなさい、これは私の義ではなく先師方(釈尊、天台)の義である、というのが本尊問答抄の御指南であります。
前項で、わたくしは本尊論と本仏論は表裏一体と申しましたが、本項は本仏論を度外視してどこまで論じられるか、という発想で書いているわけです。かなりいい線までいける・・・との手ごたえは十分あると思います。つまり、大聖人が御本仏でなく釈迦宗の人師のひとりに過ぎないと仮定しても、では本尊は何かといえば、釈迦の画像木像ではない、ここまでは間違いなかろうと思うわけです。

377ガンコ:2003/07/27(日) 06:07

南無妙法蓮華経は大聖人の専売特許か?

「当世も法華経をば皆信じたるやうなれども、法華経にてはなきなり。其の故は法華経と大日経と、法華経と華厳経と、法華経と阿弥陀経と一なるやうをとく人をば悦んで帰依し、別々なるなんど申す人をば用ひず。たとい用ゆれども本意なき事とをもへり。」(開目抄)
「法華経をよむ人の此の経をば信ずるやうなれども、諸経にても得道なるとをもうは、此の経をよまぬ人なり。」(報恩抄)

大聖人の当時は、すっかり法華経が忘れ去られてしまっていた・・・と思っていたら、それは違うようです。だいたい源頼朝が法華経を重んじたことから、鎌倉武士は伝統的に法華経を読んでいたものと思われます。問題は法華経と諸経を並列的に読んではいけないということ。「天下万民諸乗一仏乗と成りて妙法独りはむ昌」(如説修行抄)との仰せに続いて、「法華経より外の諸経は一分の得益もあるまじき」とまで仰せられるわけですから、今日の日蓮系教団が他宗と妥協的に共存共栄をはかろうものならば、それは大聖人に背いていることになりましょう。では逆に、次のようなケースはどうなりましょうか?
「私は日蓮を嫌いであるが、法華経は好きである。よって日蓮には弟子入りしないで、ひとりで(もしくは別のグループを作って)法華経を信仰していこうと思う」
つまり前項の釈迦宗の発想をもってすれば、大聖人を信仰しているわけではないのだから、法華経を正しく読むことさえ出来れば大聖人に依る必要はない、法華経は大聖人の専売特許ではないのだから・・・と考える人がいてもおかしくないと思います。
では、南無妙法蓮華経はどうなのでしょうか? これが今回のテーマであります。
困ったことに、南無妙法蓮華経は日蓮大聖人がはじめて唱えたものではない、ということなのだそうです。ジョンノレンという人が別の掲示板でこのことについて論じておられたのですが、どういうわけかその掲示板は閉鎖になってしまいました。あ〜、コピーしとくんだった。ぜひともジョンノレンさんにはこちらで再投稿されることをお願い申し上げます。
要するに、大聖人以前の文献で南無妙法蓮華経と書かれているものを紹介してくださっているのですが、あらまあ〜こんなにたくさんあるの? というのがわたくしの感想でした。もうこうなると、お題目も大聖人の専売特許とは言えなくなりそうです。妙密上人御消息には、「日本国の人々は、法華経は尊とけれども、日蓮房が悪ければ南無妙法蓮華経とは唱へまじ」とあります。しかし、また逆に現代人のチャッカリ感覚をもってすれば、次のようなケースもありましょう。
「私は日蓮を嫌いであるが、題目は好きである。よって日蓮には帰依しないで、ひとりで(もしくは別のグループを作って)題目を唱えていこうと思う」
つまり前項の釈迦宗の発想をもってすれば、大聖人を信仰しているわけではないのだから、お題目を正しく唱えることさえ出来れば大聖人に依る必要はない、お題目は大聖人の専売特許ではないのだから・・・と考える人がいてもおかしくないと思います。
いやはや困ったものであります。では、いったいに大聖人の専売特許とはなんであろうか? あっ、そうだ、あれがあるじゃないか!
「日興が云はく、聖人御立ての法門に於ては全く絵像木像の仏菩薩を以て本尊と為さず、唯御書の意に任せて妙法蓮華経の五字を以て本尊と為すべし、即ち自筆の本尊是なり。」(富士一跡門徒存知事)
まさしく御自筆の御本尊こそ日蓮大聖人の専売特許であります。そして、御自筆の御本尊こそ正像未弘にして一閻浮提未曾有の大曼荼羅であります。日蓮大聖人がいわゆる“本法所持の人”にてあらせられるのであれば、この御本尊こそ教主釈尊より譲られしところの本法にほかならない、と言うことが出来るのではないでしょうか? 詮ずる所、末法においては日蓮大聖人に帰依せずんば法華経を持つとも無益なり、ということになるだろうと思います。

378藤波太郎:2003/07/27(日) 10:27
無徳様

遅くなり失礼しました

372のお返事です

「無始の古仏」「久遠下種」ともに、五百億塵点劫がたとえであると
実際には実数値ではないという解釈で説明できると思います
実数値であれば「有始」です
さとった瞬間があるわけですから
「無始」の古仏であれば、はじめからさとっていた仏様という解釈ですよね

下種益が先か、脱益が先か
これはニワトリが先か、タマゴが先か、という議論になりますが
正宗では「永遠の過去にさかのぼる下種」があったとみるわけで
日蓮宗では「はじめから下種されていた」とみるわけです
ですから、「久遠即末法」とは解釈できないと思いますが

たいへんビミョーな表現で、どっちでも良いような気さえしてきます
しかし、それによって本仏=本尊が違ってしまうのであれば
決して戯論ではなく、大いに悩むべき問題でしょう

それにしても、こちらの掲示板に書き込まれている皆様
ほとんど正宗もしくは創価学会の方とおみうけしますが
御書の引用が的確ですね

さすが、としか言いようがありません

379アネモネ:2003/07/27(日) 12:28
ガンコさん
質問方々、少しばかりレスをお許し下さい。

>日蓮大聖人は釈迦宗の中興の祖か?

「宗」で捉えるよりは、「教」と捉えたほうが適切ではないでしょうか。宗教の中のひとつに数えられる教、つまり「仏教」もしくは「釈迦仏教」ですね。
仏教、キリスト教、イスラム教、道教、儒教、密教…宗教の教えにはいろいろあって、その中でも日蓮は仏教を依教とする立場をとられ、なおかつ天台の義に立ったわけですね。その流れでいえば、天台も日蓮も仏教(釈迦仏教)の中興の祖と捉えることはできるかもしれません。ただしこれは、天台の義が正しい仏教といえるならばの話ですが…。
しかし、日蓮を本仏と立てるならば、もはや日蓮は中興の祖などではなく、釈迦仏教に対する日蓮仏教となりますでしょうか。これも、日蓮を本仏と立てることが、日蓮自身のお考えであったことが立証できたとしての話となりますでしょうけど…。

>このさい名前はどうでもいいのです。釈迦宗の本尊は何か? これが問題なのであります。釈迦宗だからといって、釈迦を本尊にしてはならない、法華経を本尊としなさい、これは私の義ではなく先師方(釈尊、天台)の義である、というのが本尊問答抄の御指南であります。

天台も日蓮も、法華経が釈尊の直説だと信じて法門を立てているわけですが、しかし残念ながら考古学的に釈尊の直説ではなかったことが証明されてしまっているわけですね。
この時点で、天台の義は釈尊の義ではなかったことが、立証されてしまったといえるかと思われます。

たとえば、「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり。竜樹天親は知って、しかもいまだひろ(拾)いい(出)ださず、但我が天台智者のみこれをいだ(懐)けり。」における、その文の底に沈めたといわれる「一念三千の法門」からして全く成り立たないことになるのではないでしょうか。
そのことに対して納得のいく理論を示すことは出来ますでしょうか。それが示せない限り、私としては日蓮の法門が真に正しい仏教であるということは、とても信じ難いものなのではないかと思っています。
これらは、幾度となく折に触れこの掲示板で議論されてきたことですが、ガンコさんは、そのような法華経、天台、日蓮…これらの限界を、どのようにご自分の中に捉えて納得されていらっしゃいますでしょうか?

>まさしく御自筆の御本尊こそ日蓮大聖人の専売特許であります。

日蓮直筆の曼荼羅ということでしょうか。

>そして、御自筆の御本尊こそ正像未弘にして一閻浮提未曾有の大曼荼羅であります。

これは、大石寺のあの板曼荼羅のことですか?
板に彫られたものですから、日蓮直筆の曼荼羅とは言い難いものと思われますし、その板曼荼羅を日蓮が本当に立てたものかどうかさえ、限りなく怪しいわけですね。
ですから、「御自筆の御本尊こそ正像未弘にして一閻浮提未曾有の大曼荼羅」と言い切れるものではないと思われます。
恐らく、そう伝えられてきたという、その「言い伝え」を信じているといったところかと思われますが、しかしこれは日蓮を信じているつもりが、「言い伝え」を信じているという点、厳密には日蓮を信じているのではなく、言い伝えてきた人々のことを信じているわけで、その微妙な摩り替わりを、ガンコさんはどのようにお考えになりますか?

380アネモネ:2003/07/27(日) 12:28
(つづき)
>日蓮大聖人がいわゆる“本法所持の人”にてあらせられるのであれば、この御本尊こそ教主釈尊より譲られしところの本法にほかならない、と言うことが出来るのではないでしょうか?

ここに至った結論とは、真理としての結論というよりは、ガンコさんの「そう信じたい」という願望的結論かと思われるところですが…。
つまり、「この御本尊こそ教主釈尊より譲られしところの本法にほかならない…と信じたい…」ということではないでしょうか。

>詮ずる所、末法においては日蓮大聖人に帰依せずんば法華経を持つとも無益なり、ということになるだろうと思います。

先ほども記述したことですが、日蓮の限界、天台の限界、法華経の限界…といったことの検証もぜひ視野に入れて論じて頂きたいなと思いました。限界があるはずはないとするところでの論法は、とても無理があるものと思われ、立証には至っていないと思います。

例えば法華経が、仮に釈尊の義であるとしても、日蓮が依経とした法華経は羅什が訳したもので、法華経原典と比較しても、忠実に訳されたものとは言い難いといわれていますね。そこからして既に一念三千の法理は崩れてしまっているともいわれていますが、そのことひとつをとっても、ガンコさんはどのように説明されますでしょうか。

また、末法の計算にしても、釈迦ご在世の正確な年代がはっきりしないのですから、いつから末法が始まるのかは非常に曖昧模糊としています。
日蓮の時代は、釈尊入滅が紀元前949と考えられていたわけですが、近年の科学的調査に基づく説では釈迦入滅は元前544〜383年頃というのが有力です。
それで計算するとなると、2000-544=1456 2000-383=1617で1457年〜1618年頃が末法となるでしょうか。
となると、日蓮の生きた時代はまだ末法には入っていないことになってしまいますから、「末法においては日蓮大聖人に帰依せずんば法華経を持つとも無益」などと言い切れるものではないでしょう。
日蓮に確固たる上行の御自覚があったにしても、それは日蓮の単なる思い込みもしくは勘違いだったということも言えるかと思われます。
その点はどのように説明されますでしょうか。

381ガンコ:2003/07/27(日) 19:01
アネモネさん、どうもです。

何ひとつまともにお答えできませんので、概括的なことを書きます。

よくご存知のことでしょうけど、本年初頭に日蓮本仏論者の今里祐二さんがお出でになって議論をされてました。
けっこう刺激を受けまして、わたくしもマネをしてみたいなんて思ったりしたのですが、とても無理そうなのでつまらぬ駄文を書いてお茶を濁しているわけです。

つぶやきのほうでも書きましたが、板本尊と本仏論は証明できないということらしいですし、また、大聖人の御認識も今の時代から見るとあちこちで事実誤認がある、あるいは大聖人の御考えじたいも現代的には批判されるべき・・・といったことはおおむね承知しているつもりです。
わたくしがいま何をやっているかというと、まず、大聖人の御法門を学ぶこと、大聖人の御本意をじぶんの目で確認するということです。つまり、いままでは所属教団の恣意的な解釈を学んでこと足れりとしていたわけです。いまは生意気なようですがなるべく解説書の類を見ないで、じかに御書を拝読してじぶんなりに頭で考えている最中です。
おそらく次の段階にあるのは、じぶんなりに大聖人の御本意を十二分にわかった上で、今日における科学的考察とのすり合わせ・・・つまり仏滅年代などの諸問題にどのようにアプローチをするか、だと思います。
この順番は信仰者としてはごく自然と思いますが、たぶん信じていない人には時間の浪費に映ることでしょう。

そういうことで、今回は大聖人が正意とされたのは曼荼羅なのか、それとも仏像なのかという、アネモネさんから見ればはなはだ狭い範囲の考察でして、いろいろと細かい質問をいただきましたがお答えする段階ではないし、また、その能力もありませんのでご勘弁ください。

382アネモネ:2003/07/27(日) 19:39
ガンコさん
レスありがとうございます。

>本年初頭に日蓮本仏論者の今里祐二さんがお出でになって議論をされてました。

懐かしいですね。ガンコさんは、ロムなさっていらしたのですね。

>板本尊と本仏論は証明できないということらしいですし、また、大聖人の御認識も今の時代から見るとあちこちで事実誤認がある、あるいは大聖人の御考えじたいも現代的には批判されるべき・・・といったことはおおむね承知しているつもりです。

そのような認識を視野に入れていらっしゃるわけですね。私などは、この富士門の掲示板に参加した2年前まで全く知らなかったことです。そのような検証事実を自分の中に受け止めるのに、約2年近くかかったことを振り返ります。ガンコさんの信仰歴に比べれば、私などはほんの序の口、葛藤の苦しさは比較にならないかもしれませんが、しかし、ガンコさんのご自分の所属する組織に対する記述などを拝見しながら、私は2年前の自分の姿を思い起こしています。そんな気持ちです。

>いまは生意気なようですがなるべく解説書の類を見ないで、じかに御書を拝読してじぶんなりに頭で考えている最中です。

その姿勢はとても御立派だと思います。

>おそらく次の段階にあるのは、じぶんなりに大聖人の御本意を十二分にわかった上で、今日における科学的考察とのすり合わせ・・・つまり仏滅年代などの諸問題にどのようにアプローチをするか、だと思います。

了解いたしました。

>今回は大聖人が正意とされたのは曼荼羅なのか、それとも仏像なのかという、アネモネさんから見ればはなはだ狭い範囲の考察でして、

いえいえ、そんなことはありません。
論考の真意を理解いたしましたので、思う存分レスをお続けになってください。私も学ばせて頂きます。

>アネモネさんから見ればはなはだ狭い範囲の考察でして、

とんでもありません。どのような結論に至ろうとも、真剣に自分の信仰と向き合うことは、非常に重要なことだと思われます。何をテーマとして論考わするかは、人それぞれですね。そこに狭いも広いもないものと思われます。

>いろいろと細かい質問をいただきましたがお答えする段階ではないし、また、その能力もありませんのでご勘弁ください。

了解いたしました。場合によっては私も、考えが変わることだってあるかもしれませんので、引き続き今後とも、ガンコさんの論考を楽しみに拝見させて頂きます。
本当に、レスありがとうございました。

383ガンコ:2003/07/30(水) 19:14

曼荼羅正意の問題点

「仏は文字に依って衆生を度し給ふなり。」(蓮盛抄)
「仁王経に云はく・・・人の夜書くに火は滅すれども字は存するが如く、三界の果報も亦復是くの如し」(立正安国論)

上記の御書をもって直ちに曼荼羅正意に結び付けようとすれば“切り文”との批判を受けることになりましょう。わかりきったことですが、蓮盛抄の御指南は禅宗の教外別伝不立文字に対応するものであって本尊についての仰せではないし、立正安国論の引用部分は全然関係ありません。だいいち仁王経が本尊の説明であるわけがない。
しかし、ここにおいて申し上げたいことは、大聖人は文字に対してこだわりをもっていらっしゃる、ということが推察できるのではないか? と思うのであります。

「法華経の文字は六万九千三百八十四字、一字は一仏なり。・・・応化は真仏に非ずと申して、三十二相八十種好の仏よりも、法華経の文字こそ真の仏にてはわたらせ給ひ候へ。」(御衣並単衣御書)

この御文を拝するとまさに御文字御本尊の優位を感ぜずにはいられないところであります。大聖人の御曼荼羅は仏菩薩をはじめとする十界の聖衆を文字で顕したものであり、法華経の六万九千三百八十四文字には提婆や阿闍世も含まれることを勘案すれば、その一字一句に至るまで「仏なり」との仰せは意味合いにおいてまさに御文字御本尊と法華経は全同ということになろうかと思います。法華取要抄の「日蓮は広略を捨てゝ肝要を好む、所謂上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字なり。」とは、御本尊をもっとも略したすがたが妙法蓮華経の五字であり広くはいわゆる十界曼荼羅・・・いずれにしても羅什の六万九千三百八十四文字から見れば肝心肝要を顕したものが大聖人の御文字御本尊と考えられます。

さて、曼荼羅正意の問題点は申すまでもなく、大聖人はまったく仏像を御認めあそばさなかったのかといえば決してそうではないというところにあります。
日眼女釈迦仏供養事などの一体仏造立の問題・・・とか、
あるいは忘持経事の「教主釈尊の御宝前」とは何か・・・といった問題をクリアしなければなりません。

384常徳庵:2003/07/31(木) 10:53
藤波太郎さん (1)

初めて掲示板に書き込みをします。ご覧の皆様初めまして、”常徳庵” と申します。宜しく願いします。
歴史が研究対象で、教学上のことは分かりませんが、今回初めて書き込む動機に“北山(重須)本門寺”の関係の方の発言を観ましたので、小生の手元に北山本門寺本末の資料が少ないため、質問形式的になって悪いとは存じますが、教えてください。

>314 現在、重須では釈尊を本仏として拝んでおりますなんといっても、本門戒壇可建霊>場

「重須では釈尊を本仏」とありますが、これは三派合同以降のことと(片山氏の晋山以降)考えられますが、如何なものでしょうか? これ以前に、釈尊を本仏としたと記載された物が有るのでしょうか、。
因みに、文政六年『富士山重須本門寺由緒並霊宝』(未刊)の中には、釈迦の文字は(古文書ですので小生は苦手のため全文解読が出来ませんが) 観た感じでは見つかりませんでした。 書き出しは、寺の由緒が頭より始まり、つぎに「一 宗祖日蓮大聖人 御影壱体」と続き、以下霊宝の記述まで本尊(曼荼羅及び釈尊)についての表記が、見あたりませんでしたし、霊宝の中身にも、釈尊については観られませんでした。

参考に古来より“富士門流”においては、日蓮本仏論が正式論であり、これを否定することは富士門流信徒とは言えないのでは無いのでしょうか。(この段に付いては反論があっても回答しません。この掲示板内での各人各様の大聖人観の書き込みをみて、出典が御書と、又は上代の数少ない文献で、推定又は自己推量の世界が感じていますので、但し新たな新出典で論議の展開が在れば、別ですが)

上記・文献より切り文みを1つだします。
『万年不滅乃日蓮末世開導乃日蓮と、のたま□候』

種々是からも、色々お聞きしたきことがあります。宜しくお付き合いが続きますよう念願いたします。
(悔いのない余生に又、分かりにくい富士門流の歴史を、少しでも多く解明して残したく存じております)

あれ! 316には「重須の本尊は曼荼羅本尊です」314と316が? 元富士門流の一本寺たる北山に於いて、、、藤波さん「釈尊」と記したのは、幾ら掲示板だと軽く思われての書き込みなのですか。其れとも両方ともが“本尊”とでも。富士門流(中世以降)の中でも一番軟派と称せられた北山ですから、この様なことが罷り通るのですか???
石山を除く富士七本山の惣領とも称された時もありながら、今でも身延(一致派)の支配下で「本門寺根源」「本門戒壇可建霊場」と称して笑い物扱いされて、これが日興上人の御精神が一文でも残っているのかと言いたい。

つい、書いている内に感情が高鳴りきつい文になってしまい、以後注意するように努力します。314を読み、書いている最中に316の冒頭が、目に入って追記のような形となりました。317以降は、まだ目を通していませんので、矛盾が在りませんように……

385常徳庵:2003/07/31(木) 10:57
藤波太郎さんへ (2)つづき

あれ! 316には「重須の本尊は曼荼羅本尊です」314と316が? 元富士門流の一本寺たる北山に於いて、、、藤波さん「釈尊」と記したのはどうゆう理由からでしょうか。
幾ら掲示板だからと思われての書き込みなのですか。其れとも両方共が“本尊”とでも。富士門流(中世以降)の中でも一番軟派と称せられた北山ですから、この様なことが罷り通るのでしょうか??? (一番軟派と思われている要山は、京都本山会よりの圧力が影響し、換えって要山末寺の方が、富士の流儀を渇仰する本末転倒があり、二番目の軟派と考えています)
石山を除く富士七本山の惣領とも称された時もありながら、今でも身延(一致派)の支配下(北山は勝劣派に分類され、勝劣・一致さえも、亡脚の彼方へ言ってしまったのか)で「本門寺根源」「本門戒壇可建霊場」と称して笑い物扱い(失礼)されても、未だに身延の下にぶら下がって、口先で“富士門流寺院”と詭弁する、これでも日興上人の御精神が一文でも残っているものでしょうか。回答が欲しいのです。

この事は「日蓮本仏論」に、関係して論議されなくてはと、(不受不施派は、別の一件で、ここでは除外して下さい)過去レスを流し読みしましたが、該当すべき文字がヒットできなかったのです。経釈の自己流指摘(解釈)で、それ以上の展開・裏付け・系年と言った論議が(歴史観も含め)このスレッドの中では、記述は難しく、内容が分りにくく、そして「日蓮本仏論」の否定論者が、徐々に増加している観(かん)が看られ、富士門徒(その他は除外して)と称して居るのなら、他宗・他派の人々と同じでは無いのでしょうか!!! 更に非常識な者は、富士門徒と称して(富士系全体でなく『石山系列』の事)「何処にも所属していず、一人信心です」と、石山系の中で出現している、この様な現状を醸し出している。その中でも金儲けに利用する。当然その本人の信心状態は、石山・学会風表現で言えば、“退転者”と呼ぶべき範疇の人間に当たるのでは……
一人信心で、信心が本当に理解できる者が、稀にでも存在するのでしょうか?

難波さんへの、問い合わせの積もりで書き出したのですが、このスレッドのテーマへ戻る様な形かなーと……… 難波さんには失礼いたしますが、この中で回答できる範囲でお願い致します。

つい、書いている内に感情が高鳴り、きつい記述になってしまい、以後注意するように努力します。314を読み、書いている最中に316の冒頭が、目に入って追記のような形となりました。317以降は、まだ目を通してません、矛盾が在りませんように……

タイピングが遅いので、速攻での質問等、 間が空く事も有ると思いますが、宜しくお付き合いを願います。

この掲示板の常連の方々の書き込みまで、引き合いに要旨にて引用し、批判めいた内容と思わないで下さい。時代考証が今までかなり気になってまして、化儀化法にて書き込みがされ、歴史よりの検証が甘い感がしてましたので……  藤波さんが宜しければお付き合い下されば、また他の方々とも私の歴史観よりの検証に、お付き合い下さい。

386常徳庵:2003/07/31(木) 11:09
長文と思い、2つに分けた積もりが、重複した部分がでました。
失礼しました。(1)の最初「藤波さん」『へ』がぬけました。

387藤波太郎:2003/08/01(金) 09:13
常徳庵様

はじめまして、よろしくお願いします
鋭いご質問をいただき、ありがとうございます
私は重須を代表して発言する者ではありません
しかも、富士門といっても、日蓮宗の一信者であることをまずは明言いたします
そのことを前提としまして、あえて発言させていただきます

>あれ! 316には「重須の本尊は曼荼羅本尊です」314と316が? 元富士門流の一本寺たる北山に於いて、、、藤波さん「釈尊」と記したのはどうゆう理由からでしょうか。

たしかに、私は矛盾することを申し上げておりました
失礼しました
しかし、これは読み返してあえてそう思えるのあり、私の中では
なんら矛盾しているという自覚はなかったこともまた申し上げたく存じます

314で申し上げました「釈尊」とは、現在日蓮宗の本尊として規定されている
「久遠実成の本師釈尊」
のことであります
316で「曼荼羅本尊」と申し上げましたのは、勧請形式として「曼荼羅」を
掲げているということで、やはり本尊は「久遠実成の本師釈尊」です
信仰の対象はあくまで「久遠実成の本師釈尊」であり
その勧請形式が種々ことなっているだけです
「曼荼羅本尊」をみて、「久遠実成の本師釈尊」を仰ぐのです

「久遠実成の本師釈尊」=「曼荼羅本尊」

これは、日蓮宗では何ら疑問視される発言ではありません
この認識のもとに私は発言したわけです

また重須以外の日蓮宗諸山では
歴史的に一尊四菩薩像、一塔両尊四菩薩、等
さまざまな勧請形式がとられてきた経緯があります
いずれも本尊は「久遠実成の本師釈尊」です

ところで、問題はこれが「重須」なるが故に、でありましょう
重須では、私の知る限り釈尊像をおまつりした歴史はありません
「曼荼羅本尊」を掲げてきました(勧請形式として)
これは、700年来、一貫していたと聞いております
ただ、日蓮本仏論の時代もたしかにありました
「曼荼羅本尊」をみて、本仏日蓮大聖人と仰いだ時代があったということです
また、釈尊本仏論の時代もありました
大きくは、石山教学と要山教学、この二つに揺れ動いてきた歴史があります
明治・大正・昭和(初期)においては、重須は要山教学(日辰教学)一色で
故に釈尊本仏論時代であったと聞いております

ただ、石山・要山においても、教学史があり、大きく変貌を遂げてきた
歴史がありますね
ご存知のとおり、日蓮本仏論を掲げるまで、そして掲げたあとも
教学は決して盤石ではなく、揺れ動いている部分はあるのではないでしょうか

それにしても、
常徳庵様のおっしゃるとおり、重須は「一番軟化」であったのかもしれませんね
第一、重須教学というのを、聞いたことがないですよね
常徳庵様のご指摘は、辛辣です

私も長くなってしまいました
とりあえず、このへんで

388常徳庵:2003/08/03(日) 05:01
難波太郎さんへ  つづき(3)

レスありがとうございます。

>387 私は重須を代表して発言する者ではありません。
>387 富士門といっても、日蓮宗の一信者で。

その積りで書き込みをしておりました。了解です。小生も個人として書いております。今後とも、よろしくお付き合い願います。

>387 その勧請形式が種々ことなっているだけです

当然、延山の勧請形式については、種々異なる事は承知しておりますし、他宗他派を吸収しながら今日に至り、又布教による展開で五千ヶ寺に及ぶ単称日蓮宗となり、特に転入寺院に関しては、転入前の化儀・化法の一部を認める事があるのは、何処の宗派でもある事で、勧請形式についてもその範疇と心得ておりますが、この事で「本尊造濫」を助長する事となったと、理解しています。
これが難波さんの常識と考えておりますが?  但し北山は、一本寺であったプライドが今、無いとゆうか、見あたらない所が遺憾に思うとこなのです。今の貫首さんは、佐渡・世尊寺より晋山と聞いています。先代の方と思うのですが、戦後、世尊寺が延山末を、心よしとせずか、離脱し単立となるが又、元の鞘に収まって今日を迎えている。
この事と、片山氏の晋山の経緯について、教えて下さい。

>314で申し上げました「釈尊」とは、現在日蓮宗の本尊として規定されている「久遠実成の本師釈尊」のことであります
>316で「曼荼羅本尊」と申し上げましたのは、勧請形式として「曼荼羅」を掲げているということで、やはり本尊は「久遠実成の本師釈尊」です信仰の対象はあくまで「久遠実成の本師釈尊」でありその勧請形式が種々ことなっているだけです「曼荼羅本尊」をみて、「久遠実成の本師釈尊」を仰ぐのです
>387 これは、日蓮宗では何ら疑問視される発言ではありません。この認識のもとに私は発言したわけです

是は、「宗定本尊」の話ですね、延山については今のところ研究してないのでよく分りませんが、「宗定本尊」であれば、戦後のことですよね、この辺の事を教えて下さい。

389藤波太郎:2003/08/03(日) 08:56
常徳庵様

北山は一本寺であったプライドがない

たしかに、そうかもしれません
しかし、プライドを捨てて重須を護ってきた先師がいたこともまた
事実であると想います
ことに明治の廃仏毀釈以降、寺の存続すらあやぶまれる時代があったと聞きます
現に塔中の坊は、いくつも廃寺となりました
さらに本門寺は明治四十二年、境内をことごとく焼失しました
そして、ご存知の通り三派合同となります

片山猊下の晋山は、三派合同にともない身延山から派遣された「特撰住職」です
当寺、本門寺末の世尊寺、本間俊明上人は貫首候補として有力視されていたそうです
その他、数名の候補がいたとも聞いております
ただ、本門寺は片山猊下を迎えました
かりに、片山猊下晋山に対して、他の候補が複雑な思いを抱いたにせよ
片山猊下が五十年にわたり貫首職を全うされたことに私は敬意を表します

「宗定本尊」と呼ばれる本尊は、曼荼羅ですが正確には「宗定」ではありません
便宜上、そう呼ばれているのであり、宗制で定められた本尊という意味ではありません
そして、これは勿論戦後の話です

私はここで確認しておきたいのですが
常徳庵様は日蓮宗の本尊「久遠実成の本師釈尊」に疑問を感じていらっしゃるのでしょうか
あるいは、重須が歴史的に弱腰であったこと、そして現在も富士本山を名乗りながら
身延の傘下にいることを叱咤されているのでしょうか

私は、日蓮宗の本尊が間違っていないと思っています
ご指摘のとおり日蓮宗寺院には「本尊造濫」といわれても仕方がないような
現実もありますが
これは常徳庵様が歴史的経緯を説明して下さった通りの結果であります
しかし、「久遠実成の本師釈尊」に異論をとなえる人はいないはずです
むしろ、いまだに(と言っては失礼でしょうか)日蓮本仏論を掲げて
文献批判に門を閉ざしつづけている石山こそ信仰の危機を迎えていると
私は懸念しております

富士門は、本当に本来日蓮本仏論なのですか?
それは、相伝書をもととしているのではないですか?

信仰の姿勢をいま問われているのは、重須だけではありません
重須は何もしてこなかったわけですから
しかし石山は相伝書をもととする教学を形成してしまったわけでしょう
お互いに反省すべきところは多々あると思いますが
いかがでしょう

390ガンコ:2003/08/07(木) 16:18

教主釈尊の御宝前とは? その1

大聖人の思い描かれる教主釈尊像とは申すまでもなく霊山八年の釈尊、なかんずく八品所顕、さらには一品二半、そして究極は「但題目の五字なり」との仰せに尽きているわけで、いわゆる仏像を安置せられていたとは考えられません。
本宗においては“八品所顕の本尊”という言い方はしないそうですが、曼荼羅の相貌じたいはいわゆる虚空会の儀式をかたどったものであることは否めないと思います。つまり大聖人が教主釈尊を思い描く時にはつねに、二仏並座・本化上行等の四菩薩・以下迹化他方ら諸の聖衆がうち列なる、あの大儀式のイメージにおいて以外にはありえない、と考えるものであります。
さて、教行証御書には「爾前迹門の釈尊なりとも物の数ならず。」とあります。これは考えようによってはじつに変な御言葉であろうと思うのですが・・・なぜならば、釈尊は爾前の時も迹門の時も本門の時も同一人物のはずです。ようは発迹顕本するかしないかの違いであって、釈尊であることに変わりはないはずなのですから。もし三沢抄の御指南をも併せて忠実に守るならば、佐渡以前の日蓮大聖人は物の数ならず、と申し上げなければなりません。ところが本宗においては絶対にそういうことは言わないのであります。
これによって何がわかるかといえば、大聖人はあくまで経文の勝劣を本とせられていることで、釈尊のすがた・かたちではないということであります。ちなみに教行証御書をもう少し丁寧に引用すると「・・・日蓮が弟子等は臆病似ては叶ふべからず。彼々の経々と法華経と勝劣・浅深・成仏不成仏を判ぜん時、爾前迹門の釈尊なりとも物の数ならず。何に況んや其の以下の等覚の菩薩をや。・・・」となります。
だいたい、われわれシロウトが仏像を見たって名札が付いてないと誰だかわからない。おそらく、ちょっと精しいくらいの人だって、手指のカッコウで判断しているわけであり、仏像をお顔でわかる人はいないでしょう。だって、みんな同じに見えるんですもの。しかも、あんまり写実的ではないんだから。
それでは大聖人御自身は釈尊のお顔をご存知であられたか? 「此の三大秘法は二千余年の当初、地涌千界の上首として、日蓮慥かに教主大覚世尊より口決せし相承なり。・・・」(三大秘法稟承事) いわゆる面授口決が本当のことなら大聖人は釈尊のお顔を知っていらっしゃることになりましょう。
しかし、そうであっても大聖人は釈尊像を仏師に彫らせることも自ら刻むこともせられなかった。それはもちろん「法華経の教主を本尊とす、法華経の正意にはあらず。」(本尊問答抄)であるから当然ですが、つぎの観心本尊抄の御文を拝するとより理解が深まるかと思います。
「我が弟子之を惟へ、地涌千界は教主釈尊の初発心の弟子なり。寂滅道場にも来たらず双林最後にも訪はず、不孝の失之有り。迹門十四品にも来たらず本門の六品には座を立ち、但八品の間に来還せり。」

391ガンコ:2003/08/07(木) 16:23

教主釈尊の御宝前とは? その2

地涌の菩薩は・・・釈尊五十年の説法を最初から最後まで聞いていたわけでもなければ、法華経の説法を全部聞いていたわけでもない・・・とんでもない連中であります。
いまの各教団では、集会に遅れて来るものや途中で退席するものはやる気のないものと見るでありましょう。
しかし法華経においては彼らが主役なのです。おそらく釈尊のすがた・かたちを克明におぼえるということなら、もっと他に適任者がいたことでしょうけど、もっとも重要な儀式においてそれを克明に記憶するのはその当事者以外にはいない。つまり、大聖人の御曼荼羅の相貌が顕しているものは釈尊のもっとも重要な説法であり、儀式なのであります。
そうは言っても、大聖人が上行菩薩の再誕であって二千余年の昔を記憶せられていたなどとは、おそらく誰だって信じがたいと思うことでしょう。ですから、あくまで経文の説相よりイメージを喚起せられたと拝して一応は構わないと思うのです。
すなわち、「日蓮は凡夫なり。天眼なければ一紙をもみとをすことなし。宿命なければ三世を知ることなし。而れども此の経文のごとく・・・」(閻浮提中御書)との仰せのごとくであります。
そうしますと、「今此の御本尊は教主釈尊五百塵点劫より心中にをさめさせ給ひて、世に出現せさせ給ひても四十余年、其の後又法華経の中にも迹門はせすぎて、宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕はし、神力品嘱累品に事極まりて候ひしが・・・」(新尼御前御返事)と仰せあそばす寿量品に建立する所の本尊の相貌は教主釈尊のお顔なんかではなく、まさしく妙法五字の大曼荼羅となるわけであります。
このことを上行菩薩の立場で考えると、釈尊がいよいよ重大説法をあそばすギリギリ直前に大地の底より涌出せられた・・・まさしく教主釈尊の御宝前に馳せ参じたわけでありまして、つまり、この光景が御本尊の相貌そのものなのであります。
よって、教主釈尊の御宝前とは、即物的には大曼荼羅安置の御宝前でありましょう。そして、イメージは法華経の説相に示されるごとくでありましょう。
だいたいにおいて、御書には「法華経の御宝前」という御表現が多くあって、「教主釈尊の御宝前」は異例中の異例であります。その必然的な理由は次項で考えることにしますが、その前に法華経の御宝前とは何かについて触れておきます。
すでに申し上げたように、曼荼羅の相貌は虚空会の儀式をかたどったものであります。また、以前の投稿で「御衣並単衣御書」を引用し、法華経は一字一句すべてが仏であるとの仰せから、そこには提婆等の悪人をも包含せられている意味があるので、まさしく法華経と大曼荼羅はまったく同じである、と申し上げました。
つまり、大聖人が仰せられる法華経の御宝前とは大曼荼羅安置の場所と考えてまったく問題ないと思うものであります。

392ガンコ:2003/08/07(木) 16:28

教主釈尊の御宝前とは? その3

「然る後深洞に尋ね入りて一菴室を見るに、法華読誦の音青天に響き、一乗談義の言山中に聞こゆ。案内を触れて室に入り、教主釈尊の御宝前に母の骨を安置し、五体を地に投げ、合掌して両眼を開き、尊容を拝するに歓喜身に余り、心の苦しみ忽ちに息む。」

忘持経事は短い御書でありますから、全文拝読してその文意を確認していただきたく思いますが、わたくしはエッセイのようなおもむきを感じるし、また、詩情あふれる御文であると思っております。つまり、ひねりの効いた文章であるから、教主釈尊を字句どおり受け取ってはならないと考えるのです。
しかし、おそらくは異論があるでしょう。たとえば、「尊容を拝する」との意は曼荼羅にはふさわしくない、というような意見が想定されます。
それは・・・まったく、そのとおりであります。
わたくしは、もっとひねりが効いていると思っているのです。ここに仰せの「教主釈尊の御宝前」は“日蓮大聖人の御宝前”の意であられると。
理由をいくつか挙げますが、まず最初に申し上げたいことは身延参詣の主目的は大聖人に御目通りを賜わることであります。三沢抄には「又うつぶさの御事は御としよらせ給ひて御わたりありし、いたわしくをもひまいらせ候ひしかども、・・・」とあって、はるばる遠くから来たものであっても御目通りの叶わなかったものが少なくないようであります。むろん、富木殿は在家分の筆頭格ともいうべき存在でありますから、御会いできないことはなかろうと思いますが、しかし、よくよく本文を拝読しますとどうしたことでしょうか、大聖人のおすがたはまったく捨象されてしまっているのです。エッセイないし詩と申し上げたのはこのような意味からでもあります。まるで大聖人はどこかに御隠れになって富木殿の行動を観察していらしたような御文であります。しかし、そうではありません。

「我が頭は父母の頭、我が足は父母の足、我が十指は父母の十指、我が口は父母の口なり。譬へば種子と菓子と身と影との如し。教主釈尊の成道は浄飯・摩耶の得道、吉占師子・青提女・目犍尊者は同時の成仏なり。是くの如く観ずる時無始の業障忽ちに消え、心性の妙蓮忽ちに開き給ふか。」

これは大聖人の御説法・御指導であります。つまり、富木殿は大聖人に御会いするためにはるばる下総より参上したわけであり、このような趣旨の御説法をじっさいにはもっとたっぷりと拝聴したものと思われます。そうであれば、前段の「案内を触れて室に入り、教主釈尊の御宝前に・・・」とは、大聖人に御目通りする様を形容したものであり、「歓喜身に余り」とは、久々に大聖人の御尊容を拝見しての喜びの様をあらわしたもの・・・と考えることができようかと思います。

393ガンコ:2003/08/07(木) 16:32

教主釈尊の御宝前とは? その4

富木殿のケースに近い事例として、弘安三年の千日尼御返事を拝してみたいと思います。
「故阿仏聖霊は・・・流人日蓮に値ひて法華経を持ち、去年の春仏になりぬ。・・・其の子藤九郎守綱は此の跡をつぎて一向法華経の行者となりて、去年は七月二日、父の舎利を頸に懸け、一千里の山海を経て甲州波木井身延山に登りて法華経の道場に此をおさめ、今年は又七月一日身延山に登りて慈父のはかを拝見す。子にすぎたる財なし、子にすぎたる財なし。」
また、弘安元年七月の御返事には、「人は見る眼の前には心ざし有れども、さしはなれぬれば、心はわすれずともさてこそ候に、去ぬる文永十一年より今年弘安元年まではすでに五箇年が間此の山中に候に、佐渡国より三度まで夫をつかわす。いくらほどの御心ざしぞ。大地よりもあつく大海よりもふかき御心ざしぞかし。」とあります。
さらに同年、閏十月には、「佐渡の国より此の国までは山海を隔てゝ千里に及び候に、女人の御身として法華経を志しましますによりて、年々に夫を御使ひとして御訪ひあり。・・・譬えば天月は四万由旬なれども大地の池には須臾に影浮かび、雷門の鼓は千万里遠けれども打てば須臾に聞こゆ。御身は佐渡の国にをはせども心は此の国に来たれり。・・・御面を見てはなにかせん。心こそ大切に候へ。」とあります。
身延参詣を三度まで果たした阿仏房は超人的でありますが、夫を送り出した妻の信心も大変なものであります。むしろ大聖人はこうした千日尼の信心こそ大絶賛せられているように思えます。また、富木殿の奥さんに対しても、ちょうど忘持経事の前の御書で「いまときどののこれへ御わたりある事、尼ごぜんの御力なり。・・・今ときどのにげざんつかまつれば、尼ごぜんをみたてまつるとをぼう。」と仰せになっており、富木殿をかげで支える信心を賞賛せられているように思えます。
このような大聖人のきめ細やかな御配慮を拝するならば、誰しも純粋熱烈なる信心をおこさずにはいられない、という気がいたします。一般に、大聖人は女性に人気があった・・・との論評が多いように思うのですが、さもありなん、といったところでありましょう。では、富木殿の母君はどうであったか? いまだ御書の本文より探しあぐねていますが、いちぶ千日尼の信心と重なる部分があるように思います。
おそらく母君はご晩年、大聖人様に御会いしたい、身延に参詣したいとの希望を懐いていたことと思います。しかし富木殿はお許しにならなかった。「齢既に九旬に及ぶ。」とありますから、常識的に当然の判断かと思われます。おそらくは臨終が近づくにつれ、くりかえし“いまいちど大聖人様に御会いしたかった”等と漏らされたのではないかと考えます。そうなると(もうちょっと元気なうちに参詣させるべきだったか)との後悔の念が富木殿に生まれます。それが「舎利を頸に懸け」ての身延参詣につながっているのではないでしょうか。そのように拝する時、「尊容を拝するに歓喜身に余り、心の苦しみ忽ちに息む。」は、ようやく母君の願いを叶えることができた、母君を大聖人のもとにお連れすることができた、といった感慨をあらわしているように感じる次第であります。

394ガンコ:2003/08/07(木) 16:37

教主釈尊の御宝前とは? その5

「我が頭は父母の頭、」以下の御指南は、親子一体の義を御述べでありまして、まさに富木殿と母君(の遺骨)を前にしての大慈大悲に満ちた御説法であります。と同時に、大事の御法門を密示せられているようにも拝するものであります。
このほぼ一年前に著された撰時抄において、はじめに「釈子日蓮」と御名乗りあそばしてのち本文にて、「此の三つの大事は日蓮が申したるにはあらず。只偏に釈迦如来の御神我が身に入りかわせ給ひけるにや。」と仰せでありますが、まさしく父子一体のおもむきを感ずるものであります。
ゆえに、「是くの如く観ずる時」とは、大聖人こそ教主釈尊なり、と観ずるべきであることを暗示せられているように拝します。
さらにわたくしは、大聖人は富木殿を地涌千界になぞらえているのではないか、という気がしてなりません。「然る後、随分に仏事を為し、事故無く還り給ふ云云。恐々謹言。」との締めくくりはなんとなく他の御書とちがう印象を受けるのです。御手紙の体裁ではないし、もちろん法門書でもありません。ようは追伸なのでしょうが、しかし、それにしては手の込んだ文章であります。つまり、すでに申しましたように詩ないしエッセイのおもむきを感ずるものであります。
富木殿が身延にやってきて、そして還ってゆく・・・これを地涌千界の八品来還に見立てていらっしゃるのではないか? 「我が弟子之を惟へ、地涌千界は教主釈尊の初発心の弟子なり。寂滅道場にも来たらず双林最後にも訪はず、不孝の失之有り。迹門十四品にも来たらず本門の六品には座を立ち、但八品の間に来還せり。」であります。
もし大聖人が八品来還を意識せられて御書きあそばしたのであれば、教主釈尊の御宝前はすなわち日蓮大聖人の御宝前となりましょう。
ちなみに南条殿御返事には「彼の月氏の霊鷲山は本朝此の身延の嶺なり。」とあり、松野殿女房御返事には「天竺の霊山此処に来たれり、」とあります。
これらを図示すると、

霊山八年=身延九年  地涌千界=富木殿(その他門下全般)  教主釈尊=日蓮大聖人

となりましょうか。もっとも松野殿女房御返事の次下には「我が身は釈迦仏にあらず、」とありますので、“釈迦仏”ではないのでしょう。この辺がいちばんむずかしいところでありますが、さしずめ日蓮大聖人は“和製教主釈尊”と申し上げておきたいと思います。
いまだ文底の意を尽くしきれていない愚論でありますが、今回はこれでまとめとさせていただきます。(以上)

395苦悩乱者:2003/08/12(火) 18:10

御書にも方便があります。

それを知らずに読んでいると,迷路にはまります。

396藤波太郎:2003/08/13(水) 07:42
ガンコ様

熱い思いが伝わります
ただ、日蓮宗の私としては大変不思議な解釈と感じます

大聖人が本仏である、という前提のもとに御書を拝すると
ガンコ様のように解釈することになるのでしょう
しかし、釈尊が本仏であるという前提のもとに同じ御書を拝すれば
釈尊本仏で納得することもできるのです

ともあれ、日蓮宗しか知らない「井の中の蛙」である私にとって
ガンコ様の解釈は、大変興味深く、刺激的です

「和製教主釈尊」

ですか
良い言葉ですね

397Jルーカス:2003/08/13(水) 08:30
藤波太郎さん
大聖人の仏法は、所謂「月氏、漢土の仏法」とは全く異なる「和国の教主大聖人」が創始した仏法であるのが真実だと思います。
日蓮宗は釈尊の創始した仏教の流れの正当性として解釈しました。
日蓮正宗は、和国発祥の新義仏法として解釈したのだと思います。

さて、話は変わりますが・・・
中山法華経寺には「血染めの白五条袈裟」が残っています(小松原の剣難の時のものとされております)。
つまり、大聖人も当宗と同じく「白五条袈裟」を着ていた訳ですが、
何故に日蓮宗では、七条・九条の色袈裟を使うのでしょうか?
後裔の僧侶を宗祖より偉い事にしてしまってますね。

398藤波太郎:2003/08/13(水) 09:34
Jルーカス様

おっしゃる通り、日蓮宗は「仏教日蓮宗」
釈尊仏教の正統ということになっています
「なっています」というのは、必ずしも日蓮宗徒がそう認識しているか否かは
別であるという意味です
私自身、「日蓮仏法」「上行仏法」という言葉が妥当であると思いますし
「日蓮教」という言葉を用いる人もいますね

さて、色衣をナゼ着るか…

これは私も大いに疑問をいだいております
色衣は着るべきではない、これが私の持論であることをまず明言します

京都妙顕寺第二世・大覚妙実上人が延文三年(1358)後光厳天皇より
「四海唱導」の称をうけ、日蓮聖人は「大菩薩」、日朗・日像両師は
「菩薩」号をうけました
いわゆる、公武との関係を強めたわけです
同じく京都、本圀寺はさらに公武に近づき、洛中における地位を増大させます
皇室との関係から、色衣を着ざるをえない状況に
さらに色衣が正装であるという認識にかわっていったものと思われます
七条・九条についても同じですね

このような歴史的経緯があるのですが
当時、墨染めを脱ぎ、どんな思いで色衣を着ていたか
現代人の私には想像できない部分もあります

大聖人の弟子、せめてその流類を名乗るのであれば
王家を折伏するのが本化の精神であり、
「世間並みの衣装を」と迎合することは恥ずべきであると思います

富士門は立派です
日蓮宗のお坊さんで、色衣を着る人をみるたびに、私は「あ〜あ」と
思います
ただ、法服に関しては『日蓮宗宗制』の中に法服規定があって
正式な場では色衣を着用することになっています

これは、大聖人に恥ずべき現実だと思います

余談ですが
私の記憶では鴨川の鏡忍寺にも血染めの五条袈裟が
ありました
どっちがホンモノでしょう??????????

399ジャンノレン:2003/08/13(水) 10:26
ガンコさん、濃密な論文読ませて頂きました。
真跡、御妙判から聖祖の意をくみ取るとの努力はとりわけ日蓮宗各派の論点ですが、私はここに
御本尊の真跡も入れないことにはどうも宗祖の本意全体を知ることにはならないのではないか、
と思います。山中喜八氏の丹誠によって鑑定されたおおよそ百何福の真筆が残っていますが、本
尊相貌に於いてみる限りは、釈尊を中心とした佛教展開は感じられないのです。
印度にて説法された虚空会霊山を模した座配に、なんで日本の神がいるのですかね。集合といえ
ば集合させる意味があるのでしょうか?天照・八幡を勧請せねばならない理由はなんでしょうか。
しかも、花押も初期はバン字・後期はボロン字と変わって往く辺りはもろに、真言の影響も確認
されます。御存知の通り、真言では釈迦は立てません。台密としても、不動・愛染感見記の両明
王も本地は真言宗、大日の垂迹です。これも本尊中に四大天王の両脇左右にお認めであります。
こうなると、御書就中、本尊抄、開目抄ほか五大・十大部は法門の断片を説いた物で、本尊の讃
文も含めて詮議することでより、聖祖の本意が伺いできるのではないかと思うのですが・・・。

400ガンコ:2003/08/13(水) 11:56
藤波太郎さん

>大変不思議な解釈

ええ、おっしゃるとおりです。だいたい正宗のほうでも身延には仏像が安置せられていたと認識しているようですから、わたくしの考えはまったく荒唐無稽だかもしれません。

もし身延に仏像が安置されていて、大聖人が仰せの本門の教主釈尊がそれであったなら、なぜに富士系においては仏像を安置しないのか?という素朴な疑問があります。
日興上人は申すに及ばず、日目上人は身延において七年間、大聖人のおそばに御仕えになった・・・後に富士系に属するであろう方々も多くいらしたことでしょうから、大聖人の御法門を取り違うことは考えにくいのではないか?と思うのです。

ちなみに和製教主釈尊というのではとうてい文底の意を尽くしたことにはならないので、そういう言い方は誰もしないです。だって、意味合いとしては本家本元は外国にあって大聖人はそれをまねただけ、ということになってしまうからです。
そういうわけで、まだまだ本仏論といえるレベルには達していないと自覚しております。

401Jルーカス:2003/08/13(水) 13:15
ガンコさん
身延山久遠寺に行きますと、大変不思議な事実に気づくと思います。
本佛とされているハズの釈迦堂より、僧宝に過ぎないハズの祖師堂の方が大きいのです。
明らかに過去において、本佛日蓮大聖人として崇めていた証拠が現出されております。
身延の中でも、日蓮大聖人を「妙覚の位(佛様)」と表現した方もおりますのは御存知かと思います。

402ガンコ:2003/08/13(水) 13:33
ジャンノレンさん

いちばん難しい問題をぶつけられてしまいました。
御本尊の相貌は弘安二年の日女御前御返事に詳しいですが、どうもこの御書を引用するとある方面から“真偽未決”とか言われそうでこわいですね。

同じく弘安二年の日眼女釈迦仏供養事には、「天照太神・八幡大菩薩も其の本地は教主釈尊なり。例せば釈尊は天の一月、諸仏菩薩等は万水に浮かぶる影なり。」とありまして、また、法華取要抄には「大日如来・阿弥陀如来・薬師如来等の尽十方の諸仏は、我等が本師教主釈尊の所従等なり。天月の万水に浮かぶ是なり。」とあります。で、このすぐあとに「この多宝仏も寿量品の教主釈尊の所従なり。」とあって、釈尊がすべての中心のごとくであります。

ところが、もっとも単純な疑問を申し上げれば、念仏宗では南無阿弥陀仏なのに何故にこっちは南無妙法蓮華経なのか? つまり、大聖人の御曼荼羅の中心は釈尊ではない、ということがあるわけです。

わたくしの現時点での理解は、大聖人の御法門はいわゆる法勝人劣であられる、というものです。これは御書全編を拝してのばくぜんとした印象なので間違っているかもしれませんが、阿弥陀などの諸仏と対比する時には釈尊の勝を仰せになるものの、法華経と釈尊を対比する時にはいわゆる能生所生の関係を強調せられているわけです。乗明聖人御返事には「経は師なり仏は弟子なり。・・・夫劣れる仏を供養するに尚九十一劫に金色の身と為りぬ。勝れたる経を供養する施主、一生に仏の位に入らざらんや。」ときわめて露骨な御表現をあそばしておられます。

しかし、文底の意をもって拝するならば、上記はいまだ階梯にすぎないのでしょうね。最終的には人法体一のわけですから。

いずれにしましても御本尊の相貌については大聖人御自身あまり御説明あそばさなかったわけであり、おっしゃるとおり御書を拝しているだけではわからないことが多いですね。

403ガンコ:2003/08/13(水) 13:46
Jルーカスさん

身延には行ったことがないんですよ、わたくしは。ですから、へぇーって感じです。

本宗は相伝仏法である、ということをしばしばおっしゃっていますが、どうなんでしょうか、御書を拝しているだけでは“本仏論”にはぜったいに到達できないんでしょうか?
身延のどなただか存じませんが、大聖人を妙覚の位とおっしゃったと?
これは大石寺のマネをしたのでしょうか?

404ジャンノレン:2003/08/13(水) 16:14
>明らかに過去において、本佛日蓮大聖人として崇めていた証拠が現出されております。
>身延の中でも、日蓮大聖人を「妙覚の位(佛様)」と表現した方もおりますのは御存知かと思います。

Jルーカスさまがお引きの該当文書は以下のことでしょうか。
広蔵院日辰師と並ぶ中世の学僧、その著作物は身の丈程もあったといわれる身延十一世行学院日朝
師が観心本尊抄私記第四、宇治物語に「地湧の菩薩とは元品の無明を断ぜぬ因位の菩薩ではなく妙
覚の仏の萬行萬善の色に顕れたものだ」というのをひかれて「故に地湧の菩薩実妙覚位也」(学十
六223頁)と仰せになったとか、、。また本尊相貌についても四代前の七世日叡師は聖人を列衆に
入れることに躊躇され真間の日蓮宗各僧・茂原妙光寺諸師と詮議され首題直下に日蓮大聖人と書き
この下にそれぞれ自分の名前を書くことにした(本尊相伝事本一7頁)この方式は日朝、日意、日
伝の三師まで守られたが二十代一如院日重師の時に逆戻りしてしまった。なお、天竺は右尊左卑と
いう座配の説を曼陀羅に導入したのは朝師の考えということである。

さて、本尊のことも出ましたので板に刻むという方法は聖祖の昔、比叡山にも見られ宝塔式の板本
尊は長谷寺などにも見られる。身延山においても大聖人の御筆を写した板本尊が延山中蔵に民部日
向の添書が「正安二年庚子十二月 日、右日蓮幽霊成仏得道乃至法界平等利益の為に之を造立す」
とある。この他にも中世の数枚の諸師の板本尊が東蔵に秘蔵されている、ということです。何のた
めに秘蔵されて開放されないのかは知りません。

405Jルーカス:2003/08/13(水) 18:42
ジャンノレンさん
付随説明、感謝申しあげます。
また、さらに別の資料も参考になりました。検討してみます。

406苦悩乱者:2003/08/13(水) 20:45

404>身延の中でも日蓮大聖人を「妙覚の位」云々・・・

その様な御僧侶が居られるから,おかしくなるのです。いやちがう,いやそうだ。他人の懐の財布の中身を想像しているだけでしょう。解らないでしょう。「覚者」となられたのは確かなことでしょう。それ以上は直接お聞きしなければ
妙字即だって,本当は無限段階あるわけです。大体にして,誰がその段階を決めるのでしょうか。誰が「妙覚」であることを誰がわかるのでしょう。自分で言っても,もう一人の妙覚の仏様に証言してもらわなければ,外の人が承知しないことです。するとその証言したもう一人の妙覚の仏様は,亦復三人目の仏様に証言してもらわなければ証明されない,それでも疑わしいと言っている間に歳取って
死んでしまう。ああ私は,修行を忘れてしまっていた。結局,大聖人様はどんな位の仏様であったのかは解らなかった。ああ。

407愚鈍凡夫:2003/08/13(水) 22:11
>>406:苦悩乱者さんへ
始めまして、愚鈍凡夫です。

結局、自分ところの宗祖こそが真の仏であると申告した者たち同士が法論でもして決めるしかないのじゃないですか。
「生身の仏」とは何ぞやと言われても、100人いれば100通りの回答があるわけですから。

408苦悩乱者:2003/08/13(水) 22:57

「末法本仏」なのか,末法が付かない「御本仏」なのか?「末法本仏」=「御本仏」なのか?「末法本仏」≠「御本仏」なのか,だれか教えてください。

409苦悩乱者:2003/08/13(水) 23:21

愚鈍凡夫さん

始めまして,よろしくお願いいたします。

兎に角,皆さん,勉強されていますね。そのうちに,それぞれの門流に法論にで出かけられそうですね。実は私,今年4月頃にある住職に今年の目標は,こちらのご住職と一緒に真宗を折伏するのが目標です。と言ったら,「それはダメだ」と言われました。後になって折伏の話になった時,法論する時はふるえてしまうと語ってくれました。真宗なんて大元は,目つぶって経典つかんで,それで一宗旗揚げでしょう,そんな出鱈目相手に震えること無いのに
増して,手ごわい近親の門流同士,心臓が飛び出てしまうのではないでしょうか。

410藤波太郎:2003/08/17(日) 18:15
日蓮宗のお寺をお詣りしておりますと、日蓮宗は釈尊本仏と仰ぎつつ
いわゆる「祖師信仰」であることに気づきます
お祖師様に救っていただく
そう信じている信者が多いのです

曼荼羅本尊、一塔両尊四菩薩、一尊四菩薩等、さまざまな勧請形式が
あるにしても、
たいていのお寺には、御本尊が見えない位、大きな祖師像が奉安されています
はじめてそれを拝む人には、祖師像が本尊であるかのようにとられても
仕方がないくらい

ただ、これ(「祖師信仰」)と「日蓮本仏論」とは違うと思います
事実、「妙覚の位」と大聖人を位置づける表現があったとしても
私の記憶する範囲では、本仏論については
五百億塵点劫を実数としてとらえず、したがって久遠元初という時間を設定していません

「サテハ如来成仏ノ初ハ無リケリ、所詮無始無終ノ仏ニテ御座ス也、
爾ハ仏計リ不可無始無終、我等モ無始無終也」(『法華草案抄』第八巻17丁)

すなわち五百億塵点劫は久遠実成の譬喩であるということです
さらに、日朝師は我等衆生もまた本来、常住にして無始無終であるというのです

どちらかというと、天台教学と日蓮教学との違いを明確化した人というよりも
中古天台よりの学僧かな、とみてとれますが

411苦悩乱者:2003/08/19(火) 09:53

日蓮本仏論は日蓮本物(本物の仏)論に摩り替っているように思うのですが?

末法にお生まれになった「本因妙の教主(釈尊)」と私は理解しております。

412苦悩乱者:2003/08/19(火) 15:58

仏陀=覚者の「お悟り」には二も無く三も無い,ということだと思います。

それに迷うのが学者さん。

迷わないのが,信仰者でしょうか?

413ガンコ:2003/08/19(火) 17:06

>(本物の仏)

本物の対義語はなんでしょうか? 偽物ですか?

また、「本因妙の教主(釈尊)」もよく使われる言葉ですが、その対義語はなんでしたっけ?

>それに迷うのが学者さん。
>迷わないのが、信仰者でしょうか?

まさに、迷いがないということが信仰者の強みでしょうけど、“迷うだけの材料を与えられていない”というのが組織・教団に身を置いている人間の実態であると、この掲示板の先輩方が論じてこられました。じっさい、この掲示板は現役バリバリの組織信仰者はいないようですね。
ようするに、あなたのおっしゃる「永遠の迷路」にさまよう信仰者の掲示板かもしれません。

414ガンコ:2003/08/19(火) 17:42

藤波太郎さん

つまらない質問ですが、御相伝書を抜きにして、つまり日蓮宗で使われる御書だけで、日蓮本仏に到達することはありえないのでしょうか?

現代感覚で言えば、「我は仏である」などと自称することははなはだこっけいであり、第三者による客観的評価がなければ信用できるものではありません。そういう意味では法華経における多宝仏の証明はけっこう重要であり、また、現代的ともいえるのではないか? と思います。(法華経じたいが現代的かどうかわかりませんが)
つまり、大聖人御自身が「我は本仏なり」と言ったか言わないかではなく、まったく異なる評価法があるのではないか? と思うのです。
もしかしたら、この方法で本仏論は成立するのではないか? なんてことを考えています。

日蓮宗も正宗も大差ない、という意見では藤波さんと一致しているわけですから、わたくしの言わんとしていることはご理解いただけると思うのです。
祖師信仰と本仏論は大差ないのではないかと考えます。わたくしの立場で言わしていただけば、日蓮宗は正宗に本仏を先取りされちゃったから、言いたくても言えない、で、なんだか意地をはって釈尊に固執している・・・とか書くととうぜん反論があるでしょうけど、学会員のれんさんあたりのご説明を聞いていると、日蓮宗と正宗がまったく同じに思えます。ちょっと、よろしかったら、偽作論の過去レスをご覧になって見てください。

415藤波太郎:2003/08/19(火) 18:17
ガンコ様

偽作論の過去レスはのちほど拝見いたします
「日蓮宗で使われる御書」の基準を立正大学・身延山大学におくとしますと
①真蹟現存②真蹟曽存(身延大火で焼失した開目抄等)③日興上人写本現存
この三種です
もちろん、このほかにも重要視される写本はありますが、
一応、この三種をもって日蓮教学の根幹はなされているわけです

私の管見では、この三種から「日蓮本仏論」は証明できません
焦点は、五百億塵点劫の点があるかないか。そして久遠元初があるかないか。
とりあえず、この二点に私は着目しているわけですが、
いまのところ、読み取れません。

真摯に御書をひもとき、日蓮本仏論を証明しようとされているガンコ様の
姿勢は、私はいたいほどわかります。
私も、そんな気持ちになることがしばしばあるからです。

しかし、みつけることができずにいます。

もちろん、観心本尊抄の「脇士となして」「所化以って同体なり」等は
私も大いに注目しておりますが。

416ガンコ:2003/08/20(水) 23:48

藤波太郎さん、どうも遅くなりました。

ちょっと上のほうを読み返してみたのですが、どうも同じところにとどまっているような感があります。申し訳ありません。偏にこちらの責任であります。
つまり、御書の使用基準を藤波さんのお示しどおりとした上で、こちらがもっと斬新な理論なり仮説なりを提示しなければならない、それができていないわけです。
どだい、わたくしなんかにできっこないんですけど・・・

れんさんの書き込みは本仏論というよりは上行論の補強に過ぎないのかもしれません。もちろんご本人にお聞きしないとわかりませんが。

417常徳庵:2003/08/21(木) 04:02
藤波さん

回答が遅く成りまして、近日中に続きを行いましょう。

別のサイトで、気になり浮気心で、書き込みしていた者で、気にはしていたのですが、北山について、更にお聞きしたく、存じております。

418苦悩乱者:2003/08/23(土) 20:42

413 ガンコさん

>本物の対義語はなんでしょうか? 偽物ですか

本物に対すれば偽物になります。本来は、本仏、迹仏の意でしょうけれど、別に本地垂迹という時の本地と垂迹が本仏と迹仏にあたるのではないかと思います。・・・常徳庵さんいかがでしょうか。

>「本因妙の教主(釈尊)」もよく使われる言葉ですが、その対義語はなんでしたっけ?

本果妙ですよね。本因と本果が一対に。

419苦悩乱者:2003/08/23(土) 20:49

尚、「御本尊」のこと、
御義口伝、第四是人持此経安住稀有地の事 (学御 p.763)
に興味深いことが書かれています。

420ガンコ:2003/08/24(日) 17:23

苦悩乱者さん

本宗では本因妙・本果妙を当たり前に使っていますが、おそらく御相伝書以外には見られない語彙であり、はたしてこれが聖人の祖意なのか? ということがこの掲示板でしつこく議論されてきたものですから、それを踏まえて何か斬新な意見が聞けるものと期待したのです。

ところで御義口伝の御文を拝見しましたが、何が興味深いのかわかりません。
教えてください。

421苦悩乱者:2003/08/24(日) 18:10

ガンコさん

法師功得品四箇の大事

御義口伝、第四是人持此経安住稀有地の事 (学御 p.763)

明鏡たる本尊という御文が有るのです。

明鏡つまり「かがみ」です。
御本尊は鏡ですよ!と

普通の鏡は姿を写しますが、御本尊である鏡は「こころ」を写します。
自分の姿は鏡でしか見えませんが、それにたとえて、「こころ」を写す鏡ですよと。
御本尊というのは「かがみ」です。
すると、本体は自分の方の「こころ」になることになりますよね。

全部で七行くらいの短い御文ですから、読めば「明鏡たる本尊」は中頃に出てきます。
全体を通しての通解はプロの方(常徳庵様)にお願いしたいのですが・・・

最後の方に「不軽とは一切衆生の内証所具の三因仏性を指すなり仏性とは法性なり法性とは妙法蓮華経なり云々。
と仰せですが、
この、一切衆生の内証所具の三因仏性(つづめると仏性)というのは我等が凡夫の「こころ」に仏性が存在していますよ!その仏性は又、法性とも言いますと、又、妙法蓮華経とも言いますよと、その我等が「こころ」に存在するところの「仏性」を写すのが「御本尊」という明鏡なのですよとのご教示だと思うのです。

常徳庵様、如何でしょうか?





明鏡たる本尊なり

422苦悩乱者:2003/08/24(日) 18:15

なにか、本尊論になってますね。

423苦悩乱者:2003/08/24(日) 19:05

ついでなので本尊論で行きます。

この我等が「己心の仏性」は「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」(学御p241の終2行め)から、然りといえども、我等が劣心に仏法界を具する事、信を取り難き者なり・・・中略・・・答えて曰く、汝既に唯一大事因縁の経文を見聞して之を信ぜざれば・・云々。と、「唯一大事因縁」の経文とは、方便品第二の本末究境等以下につづく世雄げに有ります。月水御書に「されば、常の御所作には、方便品の長行と寿量品の長行とを習い読ませ給え。」とのご教示が有ります。

424苦悩乱者:2003/08/24(日) 19:16

ガンコさん

>420 本宗では本因妙・本果妙を当たり前に使っていますが、おそらく御相伝書以外には見られない語彙であり、はたしてこれが聖人の祖意なのか? ということがこの掲示板でしつこく議論されてきたものですから、それを踏まえて何か斬新な意見が聞けるものと期待したのです。

本因妙、本果妙もつづめれば、因と果ではないかと思います。ほんとに解らないですね。

私が、一番好きな御書は「白米一俵御書」です。もうあとは何も要らないくらいに。

425苦悩乱者:2003/08/24(日) 19:34

常徳庵様

それにしても、何処へ行かれたのでしょうか?

心細くて仕方有りません。

たまには、お叱りのお言葉でも下さい。

426ガンコ:2003/08/24(日) 20:22

>本因妙、本果妙もつづめれば、因と果ではないかと思います。ほんとに解らないですね。

いやあ、どうもすみません。わからずやなものですから。
ついでに、ご質問・・・我が己心に仏性があるというのは迹門の所談であっていまだ本門ではないと思うのです。いや、もちろん、わたくしも仏性の話を最初に聞いたときは感動しました。けれども、今になって見るとよくわかっていません。
三大秘法抄には、
「問ふ、一念三千の正しき証文如何。答ふ、次に申し出だすべし。此に於て二種有り。方便品に云はく「諸法実相所謂諸法如是相乃至欲令衆生開仏知見」等云云。低下の凡夫理性所具の一念三千か。寿量品に云はく「然我実成仏已来無量無辺」等云云。大覚世尊久遠実成の当初証得の一念三千なり。」
とあります。
つまり、単に仏性があるというだけではいけないわけです。では本門に何が説かれているかといえば、正直に申し上げればよくわからないのです。久遠実成の当初証得ということがよくわからない、実感が持てない、といったところです。
やっぱり、わからずや・・・なのでしょうか?

ちなみに、白米一俵御書はわたくしも、だ〜いすきです。

427苦悩乱者:2003/08/25(月) 06:38

ガンコさん

>426 いやあ、どうもすみません。わからずやなものですから。

いやいや、そう意味じゃ無くて、私も含めて、富士の「教え」は難しい、「よく解らない」という意味です。

>久遠実成の当初証得ということがよくわからない、実感が持てない、といったところです。

これは、今、文証を示せないのですが、久遠実成の当初(そのかみ)は時間という概念ではない、「久遠即末法」と聞いたことがあります。御書にも、「久遠は今にあり、在世は今なり」という御文があったように思います。

常徳庵様、この件の文証を、よろしくお願い致します。

428苦悩乱者:2003/08/25(月) 07:04

ガンコさん

百六箇抄(学御p.864)第70 本化事行一致の本迹(本化自行の意味は解りません)に

「本迹殊(こと)なりと謂ども不思議一云々、本因妙の外に並に迹とて別して之無し、故に一と釈するものなり、真実の勝劣の手本の義なり云々」とのご教示が有ります。
このご教示は、開目抄(富士門の開目抄 学御P215)に、「宗宗、互いに種を争う、予此れをあらそはず、担経に任すべし、法華経の種に依って天親菩薩は種子無上を立てたり、天台の一念三千これなり、華厳経、乃至諸大乗経、大日経等の諸尊の種子、皆一念三千なり天台智者大師、一人この法門を得給えり、華厳宗の澄観、この義を盗んで・・・云々」
とのご教示と同義のものと思います。

429苦悩乱者:2003/08/25(月) 07:16

ガンコさん

>428 百六箇抄(学御p.864)第70 本化事行一致の本迹(本化自行の意味は解りません)に

本化=本家かも知れませんね。
(正)=「本化事行」を(誤)=本化自行としてしまいました。訂正します。

430ガンコ:2003/08/25(月) 19:04

なあんだか、とっても難しい議論でして、さっぱりわかりません。

「本迹殊なりと雖も不思議一なり」

これは大聖人の御書に、ほとんど見られない引用だそうです。
山中講一郎氏の「からぐらねっと」に、総在一念抄の真偽論が載っていて、ぶっちゃけた言い方をするならば、この御書はいわゆる一致派の手による偽書、逆に血脈抄は勝劣派の創作・・・みたいなことが書かれています。もちろん、そこまであからさまではありませんが。

苦悩乱者さんは開目抄に類似性を見いだしていらっしゃいますが、わたくしにはよくわかりません。もうちょっとかみ砕いて教えてくださらないと。

http://www.ginpa.com/column/20000205.html
http://www.ginpa.com/column/20000206.html

暑くって、頭がボ〜っとしちゃって、このところぜんぜんダメです。

431苦悩乱者:2003/08/25(月) 20:11

ガンコさん

私の基本は、なんでもあーりなんです。偽書、偽経、何でもです。それから自分で判断するのです。まあ、傍から見れば我見じゃないか。といわれてしまいますが、それ以外に迷わない道が無いことに気がついたのです。「うえー」でしょう。

>「本迹殊なりと雖も不思議一なり」

この先が大事です。
「本因妙の外に並に迹とて別して之無し、故に一と・・」

百六箇抄の第100番  下種十妙実体の本迹に曰く

「日蓮は本因妙を本となし、余を迹と為すなり、是れ真実の本因本果の法門なり」

相伝がないと解らないかも知れません。

432苦悩乱者:2003/08/25(月) 20:30

観己(カンコ)さん(己心を観る)

我が法華経も本迹和合して利益を無量にあらわす。・・・中略・・・内より論出きたればいっぽうの相扼も漁夫の恐れ有るべし、南無妙法蓮華経と御となえ、つつしむべし、つつしむべし、恐恐」 兵衛志殿御返事(学御p.1108)真蹟 京都本隆寺


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