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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について
393
:
ガンコ
:2003/08/07(木) 16:32
教主釈尊の御宝前とは? その4
富木殿のケースに近い事例として、弘安三年の千日尼御返事を拝してみたいと思います。
「故阿仏聖霊は・・・流人日蓮に値ひて法華経を持ち、去年の春仏になりぬ。・・・其の子藤九郎守綱は此の跡をつぎて一向法華経の行者となりて、去年は七月二日、父の舎利を頸に懸け、一千里の山海を経て甲州波木井身延山に登りて法華経の道場に此をおさめ、今年は又七月一日身延山に登りて慈父のはかを拝見す。子にすぎたる財なし、子にすぎたる財なし。」
また、弘安元年七月の御返事には、「人は見る眼の前には心ざし有れども、さしはなれぬれば、心はわすれずともさてこそ候に、去ぬる文永十一年より今年弘安元年まではすでに五箇年が間此の山中に候に、佐渡国より三度まで夫をつかわす。いくらほどの御心ざしぞ。大地よりもあつく大海よりもふかき御心ざしぞかし。」とあります。
さらに同年、閏十月には、「佐渡の国より此の国までは山海を隔てゝ千里に及び候に、女人の御身として法華経を志しましますによりて、年々に夫を御使ひとして御訪ひあり。・・・譬えば天月は四万由旬なれども大地の池には須臾に影浮かび、雷門の鼓は千万里遠けれども打てば須臾に聞こゆ。御身は佐渡の国にをはせども心は此の国に来たれり。・・・御面を見てはなにかせん。心こそ大切に候へ。」とあります。
身延参詣を三度まで果たした阿仏房は超人的でありますが、夫を送り出した妻の信心も大変なものであります。むしろ大聖人はこうした千日尼の信心こそ大絶賛せられているように思えます。また、富木殿の奥さんに対しても、ちょうど忘持経事の前の御書で「いまときどののこれへ御わたりある事、尼ごぜんの御力なり。・・・今ときどのにげざんつかまつれば、尼ごぜんをみたてまつるとをぼう。」と仰せになっており、富木殿をかげで支える信心を賞賛せられているように思えます。
このような大聖人のきめ細やかな御配慮を拝するならば、誰しも純粋熱烈なる信心をおこさずにはいられない、という気がいたします。一般に、大聖人は女性に人気があった・・・との論評が多いように思うのですが、さもありなん、といったところでありましょう。では、富木殿の母君はどうであったか? いまだ御書の本文より探しあぐねていますが、いちぶ千日尼の信心と重なる部分があるように思います。
おそらく母君はご晩年、大聖人様に御会いしたい、身延に参詣したいとの希望を懐いていたことと思います。しかし富木殿はお許しにならなかった。「齢既に九旬に及ぶ。」とありますから、常識的に当然の判断かと思われます。おそらくは臨終が近づくにつれ、くりかえし“いまいちど大聖人様に御会いしたかった”等と漏らされたのではないかと考えます。そうなると(もうちょっと元気なうちに参詣させるべきだったか)との後悔の念が富木殿に生まれます。それが「舎利を頸に懸け」ての身延参詣につながっているのではないでしょうか。そのように拝する時、「尊容を拝するに歓喜身に余り、心の苦しみ忽ちに息む。」は、ようやく母君の願いを叶えることができた、母君を大聖人のもとにお連れすることができた、といった感慨をあらわしているように感じる次第であります。
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