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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について
402
:
ガンコ
:2003/08/13(水) 13:33
ジャンノレンさん
いちばん難しい問題をぶつけられてしまいました。
御本尊の相貌は弘安二年の日女御前御返事に詳しいですが、どうもこの御書を引用するとある方面から“真偽未決”とか言われそうでこわいですね。
同じく弘安二年の日眼女釈迦仏供養事には、「天照太神・八幡大菩薩も其の本地は教主釈尊なり。例せば釈尊は天の一月、諸仏菩薩等は万水に浮かぶる影なり。」とありまして、また、法華取要抄には「大日如来・阿弥陀如来・薬師如来等の尽十方の諸仏は、我等が本師教主釈尊の所従等なり。天月の万水に浮かぶ是なり。」とあります。で、このすぐあとに「この多宝仏も寿量品の教主釈尊の所従なり。」とあって、釈尊がすべての中心のごとくであります。
ところが、もっとも単純な疑問を申し上げれば、念仏宗では南無阿弥陀仏なのに何故にこっちは南無妙法蓮華経なのか? つまり、大聖人の御曼荼羅の中心は釈尊ではない、ということがあるわけです。
わたくしの現時点での理解は、大聖人の御法門はいわゆる法勝人劣であられる、というものです。これは御書全編を拝してのばくぜんとした印象なので間違っているかもしれませんが、阿弥陀などの諸仏と対比する時には釈尊の勝を仰せになるものの、法華経と釈尊を対比する時にはいわゆる能生所生の関係を強調せられているわけです。乗明聖人御返事には「経は師なり仏は弟子なり。・・・夫劣れる仏を供養するに尚九十一劫に金色の身と為りぬ。勝れたる経を供養する施主、一生に仏の位に入らざらんや。」ときわめて露骨な御表現をあそばしておられます。
しかし、文底の意をもって拝するならば、上記はいまだ階梯にすぎないのでしょうね。最終的には人法体一のわけですから。
いずれにしましても御本尊の相貌については大聖人御自身あまり御説明あそばさなかったわけであり、おっしゃるとおり御書を拝しているだけではわからないことが多いですね。
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