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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について
384
:
常徳庵
:2003/07/31(木) 10:53
藤波太郎さん (1)
初めて掲示板に書き込みをします。ご覧の皆様初めまして、”常徳庵” と申します。宜しく願いします。
歴史が研究対象で、教学上のことは分かりませんが、今回初めて書き込む動機に“北山(重須)本門寺”の関係の方の発言を観ましたので、小生の手元に北山本門寺本末の資料が少ないため、質問形式的になって悪いとは存じますが、教えてください。
>314 現在、重須では釈尊を本仏として拝んでおりますなんといっても、本門戒壇可建霊>場
「重須では釈尊を本仏」とありますが、これは三派合同以降のことと(片山氏の晋山以降)考えられますが、如何なものでしょうか? これ以前に、釈尊を本仏としたと記載された物が有るのでしょうか、。
因みに、文政六年『富士山重須本門寺由緒並霊宝』(未刊)の中には、釈迦の文字は(古文書ですので小生は苦手のため全文解読が出来ませんが) 観た感じでは見つかりませんでした。 書き出しは、寺の由緒が頭より始まり、つぎに「一 宗祖日蓮大聖人 御影壱体」と続き、以下霊宝の記述まで本尊(曼荼羅及び釈尊)についての表記が、見あたりませんでしたし、霊宝の中身にも、釈尊については観られませんでした。
参考に古来より“富士門流”においては、日蓮本仏論が正式論であり、これを否定することは富士門流信徒とは言えないのでは無いのでしょうか。(この段に付いては反論があっても回答しません。この掲示板内での各人各様の大聖人観の書き込みをみて、出典が御書と、又は上代の数少ない文献で、推定又は自己推量の世界が感じていますので、但し新たな新出典で論議の展開が在れば、別ですが)
上記・文献より切り文みを1つだします。
『万年不滅乃日蓮末世開導乃日蓮と、のたま□候』
種々是からも、色々お聞きしたきことがあります。宜しくお付き合いが続きますよう念願いたします。
(悔いのない余生に又、分かりにくい富士門流の歴史を、少しでも多く解明して残したく存じております)
あれ! 316には「重須の本尊は曼荼羅本尊です」314と316が? 元富士門流の一本寺たる北山に於いて、、、藤波さん「釈尊」と記したのは、幾ら掲示板だと軽く思われての書き込みなのですか。其れとも両方ともが“本尊”とでも。富士門流(中世以降)の中でも一番軟派と称せられた北山ですから、この様なことが罷り通るのですか???
石山を除く富士七本山の惣領とも称された時もありながら、今でも身延(一致派)の支配下で「本門寺根源」「本門戒壇可建霊場」と称して笑い物扱いされて、これが日興上人の御精神が一文でも残っているのかと言いたい。
つい、書いている内に感情が高鳴りきつい文になってしまい、以後注意するように努力します。314を読み、書いている最中に316の冒頭が、目に入って追記のような形となりました。317以降は、まだ目を通していませんので、矛盾が在りませんように……
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