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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について
372
:
無徳
:2003/07/26(土) 00:30
藤波太郎さん今晩は:
>「本仏」とは本来仏であるが故に「本仏」というのですよね
>ならばさとった瞬間があっては太古の「始覚仏」です
>正宗では、「五百億塵点劫」より過去に「久遠元初」をおきます
>私の理解では、この「久遠元初」が永遠=「久遠」なのかな、と
>思っていますが
との事ですが、「観心本尊抄」や「法華真言勝劣事」には“無始
の古仏”とありますがどの様に理解されますでしょうか?
確かに正宗では“久遠元初”を無始無終の永遠と解釈しています。
しかし、“久遠即末法”として久遠を今に移すといった解釈もあ
ります。
「南条兵衛七郎殿御書」には<久遠下種の者の五百塵点を経し事>
とあり、真蹟は有りませんが「船守弥三郎許御書」には<過去久遠
五百塵点のそのかみ(当初)唯我一人の教主釈尊とは我等衆生の事な
り>とあります。
更に、「曽谷入道等許御書」には<久遠大通の時に於て純円の種を
下せしかども>ともあり久遠を“下種”の時としています。
これらからの事から、久遠即末法として久遠は今にありと解釈さ
れていると思われますが、藤波さんはどのようにお考えになりま
すでしょう。
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