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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について
389
:
藤波太郎
:2003/08/03(日) 08:56
常徳庵様
北山は一本寺であったプライドがない
たしかに、そうかもしれません
しかし、プライドを捨てて重須を護ってきた先師がいたこともまた
事実であると想います
ことに明治の廃仏毀釈以降、寺の存続すらあやぶまれる時代があったと聞きます
現に塔中の坊は、いくつも廃寺となりました
さらに本門寺は明治四十二年、境内をことごとく焼失しました
そして、ご存知の通り三派合同となります
片山猊下の晋山は、三派合同にともない身延山から派遣された「特撰住職」です
当寺、本門寺末の世尊寺、本間俊明上人は貫首候補として有力視されていたそうです
その他、数名の候補がいたとも聞いております
ただ、本門寺は片山猊下を迎えました
かりに、片山猊下晋山に対して、他の候補が複雑な思いを抱いたにせよ
片山猊下が五十年にわたり貫首職を全うされたことに私は敬意を表します
「宗定本尊」と呼ばれる本尊は、曼荼羅ですが正確には「宗定」ではありません
便宜上、そう呼ばれているのであり、宗制で定められた本尊という意味ではありません
そして、これは勿論戦後の話です
私はここで確認しておきたいのですが
常徳庵様は日蓮宗の本尊「久遠実成の本師釈尊」に疑問を感じていらっしゃるのでしょうか
あるいは、重須が歴史的に弱腰であったこと、そして現在も富士本山を名乗りながら
身延の傘下にいることを叱咤されているのでしょうか
私は、日蓮宗の本尊が間違っていないと思っています
ご指摘のとおり日蓮宗寺院には「本尊造濫」といわれても仕方がないような
現実もありますが
これは常徳庵様が歴史的経緯を説明して下さった通りの結果であります
しかし、「久遠実成の本師釈尊」に異論をとなえる人はいないはずです
むしろ、いまだに(と言っては失礼でしょうか)日蓮本仏論を掲げて
文献批判に門を閉ざしつづけている石山こそ信仰の危機を迎えていると
私は懸念しております
富士門は、本当に本来日蓮本仏論なのですか?
それは、相伝書をもととしているのではないですか?
信仰の姿勢をいま問われているのは、重須だけではありません
重須は何もしてこなかったわけですから
しかし石山は相伝書をもととする教学を形成してしまったわけでしょう
お互いに反省すべきところは多々あると思いますが
いかがでしょう
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