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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

369アネモネ:2003/07/25(金) 13:28
議論が進んでいる中、横レスを失礼いたします。

孤独な迷子さん

>364
>気分を害されているのではと気になっておりますが、その点お詫びします。

とんでもない。そんなことを気になさっていらしたのですか。全然です。
いつも、孤独な迷子さんの発する質問の着眼点に感心していたくらいです。

>同じ日蓮を信奉する宗派でありながら、このような違いが生ずるのは何故なのでしょうか?

私もずっと考えてきたことですね。pundarikaの掲示板における議論の試みも、このような疑問から起きているといえます。
私が見てきた法華講のみをもって、それが日蓮正宗の姿だと言い切ることはできませんので、一概にこうだとは比べられないかもしれませんが、ただひとついえることは、信仰者の目線の違いではないかと私なりには思っています。
正宗は往々にしてその目線が社会や衆生に向いていない、むしろ背を向け、ただただ御本尊にだけ視線が向けられている、そんな形に思えますね。時に社会に目線を向けたとしても、謗法、邪教、邪義…とただ蔑視して片付けてしまう思考が身についてしまっていますね。
私には、そのような不信者への蔑視こそ、その心根の姿として映るところでもあり、とても真の仏教徒の姿とは思えないところです。

まあ、こうして書きながら思うことは、仏教で説かれているはずの慈悲が忘れられているからかもしれませんね。
社会や衆生に背を向けてしまうことそのものが、慈悲を忘れた姿といえるかもしれません。

考えてもみれば、信徒は慈悲についての指導はされていないといえますね。折伏活動が慈悲の行為と摩り替えられているわけですから当然のことかもしれません。しかし折伏が慈悲の行為だとは、今の私にはとても思えなくなってしまいました。
まだまだこれだという考えはまとまらず、尽きないのですが、これからも思慮を続けていきたいと思うテーマですね。


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