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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について
335
:
無徳
:2003/07/19(土) 00:28
愚鈍凡夫さん今晩は:
>>また、日蓮大聖人御自身が本仏であると明言しない限り
>>そして、それが文蹟として明確でなければ、日蓮本仏論は成立しないと
>>考えております
>との、藤波太郎さんの仰せの通りだと思います。
との事ですが、私は人本尊開顕の書とも言われる『開目抄』と『種種御振舞御書』
を、何度も何度も読むたびに日蓮御坊を末法(現在)における御本仏であると確信
せざるを得ないのです。
今もこのレスを書く前に3度『開目抄』を拝読させていただきました。
<今の世を見るに、日蓮より外の諸僧、たれの人か法華経につけて諸人に悪口罵詈
せられ、刀杖等を加へらるる者ある。日蓮なくば此の一偈の未来記は妄語となりぬ。
「悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲」と。又云く「白衣の与に法を説て世に恭敬
せらるること六通の羅漢の如し」。
此等の経文は、今の世の念仏者・禅宗・律宗等の法師なくば、世尊は又大妄語の人。
「常在大衆中 乃至向国王大臣 婆羅門居士等」、今の世の僧等、日蓮を讒奏して流
罪せずば此の経文むなし。
又云く「数数見擯出」等云云、日蓮法華経のゆへに度度ながされずば、数数の二字
いかんがせん。
此の二字は天台・伝教もいまだよみ給はず。況や余人をや。末法の始のしるし、恐怖
悪世中の金言のあふゆへに、但日蓮一人これをよめり。>
さらにあまりにも有名な
<詮ずるところは天もすて給へ、諸難にもあえ、身命を期とせん。
身子が六十劫の菩薩の行を退せし、乞眼の婆羅門の責を堪へざるゆへ。久遠大通の
者の三五の塵をふる、悪知識に値ふゆへなり。善に付け悪につけ、法華経をすつる
は地獄の業なるべし。
大願を立てん。日本国の位をゆづらむ、法華経をすてて観経等について後生をごせ
よ。父母の頚を刎ん、念仏申さずば。なんどの種種の大難出来すとも、智者に我義
やぶられずば用ひじとなり。其の外の大難、風の前の塵なるべし。
我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ、等とちかい
し願、やぶるべからず>
そして解釈に異説ありますが、
<日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり>
これらの御文は只事ではないと感じます。
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